高額療養費・外来窓口での支払いが限度額内に

5月15日(火)
 4月中は入院していたので、外来での治療がなく、窓口での新たな支払い方法を試す機会はなかった。今月2回目の診療で、実際に限度額内での支払いを行なった。事前に「限度額認定証」を提示しておく必要がある。5月7日の医療費が25300円、5月14日の医療費が23400円だったが、5月14日の支払いの時は(44400−25300=)19100円を支払えばよかった。4月からの窓口支払いの変更は次のような制度改革による。

今までは高額な治療を外来で受けたとき、病院の支払い窓口では10万円かかったら10万円、20万円かかったら20万円を一旦窓口で全額支払い、加入している医療保険組合(国民健康保険の場合は市町村の役所)への払い戻し手続きを経て、自己負担限度額をこえた分が数ヶ月遅れで返ってくる仕組みになっていた。2012年4月1日以降は、この制度が見直され、「限度額認定証」を提示することによって、窓口での支払額は高額療養費制度の自己負担限度額にとどまることになった。

自己限度額:国民健康保険の場合、一般の所得があり、1年以内に80,100円を超える支払いが3回あった場合、それ以降は44,400円が自己負担限度額だ。

 高額療養費の支払いに関して委任払い制度というものがある。私の場合、2010年10月からレナリドマイドを使用するということになって、最初1日5錠、21日間服用すると思い、100万円かかると考えていた。3割負担だとしてもその他支持療法に使用する薬を合わせると月40万円ほどかかると計算していた。実際にはレナリドマイドは1日3錠になった。

自己負担限度額を超えた金額が戻ってくるのは4ケ月先で、戻ってくればそれを回すことができるがそれまでの120万円を用意しなければならない。それが難しく相談したら委任払い制度というものがあるということだ。医療費に幾らかかろうが、月末に病院の医事課の担当者に限度額の44400円を持っていけばいいという制度だ。

 委任払い制度を適用してもらうためには、毎月区役所の国民健康保険課に行って手続きをしなくてはならなかった。その書類を病院の医事課にもって行くことが必要だった。それ以前は、健康保険課から「高額療養費が幾らありますから手続きに来てください」という通知が来るのでそれを持って、限度額以上の高額療養費を振り込んでもらうための申請手続きに区役所の健康保険課に行かなければならなかった。月一度のことだが、今回の制度改革で区役所に行く手間がなくなったのは、身体的にも気分的にも楽だ。

委任払い制度を利用していたため、今回の制度改革へのありがたみが薄いが、毎月何十万円もの額を窓口に持ってきていた患者にとっては、外来に行くごとに大金を準備する困難や、大金を持ち歩かなければならない不安や、払い戻されるまでの間のお金のやりくりに苦労がなくなるという、かなりの朗報だろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

血液内科の診療

5月14日(月)
検査結果
IgM     6225(5/14)←6419(5/7)←6096(5/1)←6369(4/23)
IgG     352←287←243←178
白血球   2600←1600(5/7)←1000(5/1)←1200(4/26)←1000(4/23)
好中球   1040←410←200←580
赤血球   211←235←239←245
へモグロビン  6.8←7.5←7.6←7.8
血小板  3.6 ←2.4←1.2←3.4


IgMが若干下がった。今週も様子見ということで何らの治療にも着手することはなかった。このまま減りもせず増えもしないのであれば何もしないで様子を見守るほかない。DCEP療法が何らかの効果を発揮していると判断することが出来るだろう。IgMが上昇してきたらベルケイドを何らかの薬と組み合わせて使用していくことになる。

白血球が上昇してきているし、IgGも上がってきている。免疫機能が働き始めているようなので、感染に関しては少しは安心できる。血小板も上昇傾向にある。来週辺りもう少し上がればベルケイドの使用が可能だろう。

ヘモグロビンの値が下がっていくばかりだ。先週は自然増加を待ってみるということで輸血はしなかった。6.8まで落ちてしまった。最近のだるさはこれに起因するのだろう。ここまで下がってしまったのは外来では初めてだ。今日はさすがに赤血球の輸血をする。今日の今日輸血用血液を頼むと準備にかなり時間がかかる。採血の時には輸血照合用血液を採ってあるので、採血して照合して準備するという手間が少しは短くなるだろが、それでも結構待たされることになった。

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練馬寺社めぐり

5月10日(木)
 5月1日に退院してから、好中球が少なく、2,3,4日は雨が降っていたことこともあって、一切外出はしなかった。5日は久しぶりに晴れた。入院中から考えていたが、またラジオ体操に参加しようと思っていた。歩くことは必要だが、体全体を動かす事も重要だ。そういったことで5日から近くの公園にやっている6時半からのラジオ体操に出かけた。

病院生活の延長線上で6時前には眼が覚める。ラジオ体操を15分ばかりやって、15分位近所を歩く事を日課とした。7日の診療でまだ好中球は410と少ないが、そろそろ散歩に出かけてもいいだろうと思った。朝の天気は良く、お出掛け日和だったが、14時頃から激しい雷雨が襲うという天気予報だった。近場を回る外ない。

「東京寺院ガイド」というサイトがある。東京23区の寺院を紹介している。それと同時にそれぞれの区にある寺院を巡るための散策コースを設定し、地図付きで案内している。豊島区の寺院は結構回った。隣の練馬区に目を向けてみる。3コースを地図入りで紹介されていた。桜台・練馬・中村・豊玉コース、大泉学園町・石神井町・関町北コース、旭町・高野台・春日町・貫井コースがある。「ねりまの散歩道」のコースで回った所もある。大泉学園のコースを回ることにした。

西武線大泉学園駅→本照寺→諏訪神社→善行院→西本村憩いの森→法性院→教学院→弁天池公園→大泉学園駅

 賑やかな駅前を抜けると大泉通りに出る。そこから大泉小、大泉中の間の道を行き白子川を渡ると「しもみち通り」というかわった名前の道路出る。この道路は大泉学園通りの北園から、保谷の福泉寺通りまでの道である。今日のコースはこのしたみち通りと目白通り沿いにある。

途中大泉小学校の校庭に、練馬区教育委員会の看板があり、この辺は「清戸道」と呼ばれていたと書かれていた。「清戸(きよと)道は練馬方面から農民が野菜などの農作物を江戸の町中に運んだ道で、清戸(清瀬市)にあった尾張徳川家の鷹場御殿への道でもあった」という。したみち通りを保谷方面に向うと直ぐに本照寺がある。その裏手の諏訪神社の参道は昼なお暗きというほど深い森に囲まれいた。

本照寺(了光山 日蓮宗)
日勇上人が天正10年(1582)に創建したという。明治時代には、小榑村(現、大泉)の役場として使われたこともある。

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 本照寺山門                         本照寺本堂

諏訪神社
創建は不詳。本照寺の北側に三十番神として勧請されたことから、本照寺の開基天正10年(1582)前後と推測される。明治時代の神仏分離令により、信州諏訪神社から建御名方命を勧請して、諏訪神社と改称、村内の稲荷神社を合祀した

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 諏訪神社第一の鳥居と参道                諏訪神社本殿

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 稲荷神社鳥居             稲荷神社拝殿               御嶽神社拝殿

 諏訪神社から静かな住宅街を抜けて善行院に至る。道路に面して階段がありそこを登ると会館のような本堂がある。本堂の脇には日蓮上人の像が建てられている。最近改築した寺院の本堂の多くは葬祭場か市民会館のような造りになっている。厳かな雰囲気よりも機能重視といった感が否めない。

法性院の裏手に西本村憩いの森がある。これは土地所有者の好意で区民に開放されている場所だという。住宅街の中にあるが、こういったそれ程広くなくても木々が生い茂った散歩道があり、ベンチに腰掛け、木々を揺らす風の音を聞きながらゆったりとした時間を過ごすことができる場所があるということは貴重なものだ。練馬区はこういった「憩いの森」が何箇所かある。

善行院(法光山妙典寺 日蓮宗)
西中山妙福寺の塔頭。善行院は、本山第6祖善行院日応上人閑居の地とされており、延徳2年(1490)以前の開創と推定される。

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 善行院本堂                        善行院入口           日蓮上人立像

西本村憩いの森
大泉学園の静かな住宅街にあり、旧地名を「西本村」といっていた場所にある。この憩いの森は雑木林と、クリの木からなる。大きな大木の木陰の森林浴ができたり、秋になると栗が実るので栗拾いも出来る。

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法性院(加藤山実成寺 日蓮宗)
天正2年に加賀阿闍梨日正聖人が創建し、西中山妙福寺の塔頭だったが、寛政5年に一寺となっている

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 法性院本堂                         慈母観音

 法性院からしもみち街道に出て北園の交差点に向う。北園交差点は目白通りが内堀通りから始まり目白、西落合、練馬を経て、大泉学園通りにぶつかった所で、ここで目白通りは終る。目白通りをしばらく行って住宅街を右に曲がると教学院がある、丘の中腹にあるといった感じで、真新しい本堂を中心に左右に観音像と弘法大師像があり、本堂から境内の全体が見下ろせる。鐘楼や、庫裏などの幾つかの建物をあり、、全体に均衡の取れた配置になっている。

教学院を後にし、外山橋で白子川を渡ると弁天池公園がある。この公園は都営東大泉団沿いに長く伸びている。途中の細い道は木々に囲まれ、緑のトンネルを潜っているような感じだった。公園の端に弁天池がある。池があると公園の雰囲気が大分違う。ここからは帰り道だ。

駅の傍に妙延寺がある。ここは、「ねりまの散歩道」のコースを回った時に行ったが、その時は完全に落としていたイチョウが葉をつけ全く雰囲気が違う。冬枯れの中に寂しげに建っていた本堂も新緑に囲まれ息を吹き返したような気分を与えてくれる。ここから駅までは10分もかからない。家に着いた瞬間に雷が鳴り、激しく雨が降り出した。ぎりぎり間に合った。

教学院(西円山 真言宗智山派)
文永5年(1268)長全法印が永福寺として北方の丸山に開山、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山した。江戸時代中期に三宝寺の末寺となり、当地に移転、西円山教学院と改称した。豊島八十八ヶ所霊場46番札所です

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 教学院山門                         教学院本堂

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 教学院境内                         観音像

弁天池公園
弁天池という小さな池がある。名前の通り、池畔に弁財天が祀られており、地形的には台地の斜面下の窪地なので、湧水池だったのだろう。池の水は暗渠の水路を通じてすぐ北側を流れる白子川に通じていると思われる。

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 弁天池                            白子川

妙延寺(倍光山 日蓮宗)
永禄11年(1568)に開山円乗陰日宣上人、開基加藤作右衛門が開創した。江戸時代には、三十番神社(現北野神社)と併せて地域の信仰の中心となっていた。

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 妙延寺山門と大イチョウ         妙延寺本堂

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血液内科の診療

5月7日(月)
検査結果
IgM     6419(5/7)←6096(5/1)←6369(4/23)←8471(4/12)
IgG     287(5/7)←243(5/1)←178(4/23)←141(4/12)
白血球   1600(5/7)←1000(5/1)←1200(4/26)←1000(4/23)
好中球   410←200←580←380
赤血球   235←239←245←225
へモグロビン  7.5←7.6←7.8←7.2
血小板   2.4←1.2←3.4←2.1

IgMは上昇していた。それも6000台という高い数値で上下している状態だ。今日の診断ではもう一週間様子を見ようという事になった。次に何を使うのか。私がベルケイド+デキサメタゾンを使用したらどうかといったのに対して、主治医は考えたのはベルケイドとシクロホスファミドだと言った。しかし、ベルケイドは血小板を減少させるし、シクロホスファミドは骨髄抑制が強い薬だ。現在の血球の状態ではこのベルケイドを使用した療法を行うのは難しい。、もう少し血球の数値が上がってから行うほかにない。それまでIgMの数値が急激に上昇することがなければいいがということだった。

白血球も好中球も上がり方が遅い。血小板は5月1日に輸血をしたが、それ程上がらなかった。DCEP療法による骨髄抑制が続いているのだろうが、そのことはまだIgMにも影響を与えているという事になるのだろう。次回の検査で血球の値が上がっていればベルケイドを中心とした療法に入るだろう。以前ベルケイドを使用してから1年近く経つ。薬物耐性もそろそろなくなって来ているのではないか。

今回、赤血球も血小板も輸血をしたほうがいい数値である。赤血球は8.0以下だと輸血をする。血小板は2.0以下だと輸血をする。赤血球の輸血を考えたが、採血の時輸血照合用血液の採取はしなかったので、採血から始めなければならず、かなり時間がかかる。それに今まで7.6の数値で特にだるさもなかったので、赤血球の輸血はしないことにした。

その代わりというわけではないが、入院中頼んでおいた免疫グロブリン製剤の輸血をすることした。IgGは入院中は141まで落ちたが、今日の検査で287と少しは持ち直している。通常IgGが500以下だと免疫グロブリン製剤の投与をすることになっているが、そう頻繁にはやっていない。入院中は費用の観点でやってくれなかったが、外来の場合、病院は患者に請求できるので幾らでもやってくれる。不思議なシステムだ。

今日は連休明けで混んでいて内科処置室のベッドがなかなか空かなかった。1時から点滴をはじめた。それから2時間はかかる。もし赤血球の点滴をやるとすれば、後2時間かかることになる。入院中なら4時間でも何時間でもそれ程大変だとは思わないが、通院だとベッドで寝ているだけだが、かなり身体的負担を感じる。

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生きることの証

5月6日(日)
「生きるとはそれじたいが現に証なのではない。生きるとは、生きる主体が生きている事をどうにかして証そうとすることである。ひとの尊厳の根はそこにある」(『棺一基』大道寺将司全句集・辺見庸序文より)

 5月1日に退院した。白血球が1000、好中球が200の状態での退院は通常ない。家まで車で帰り、次の診療日7日までは外出しないようにと釘をさされた。退院できたというのは連休前ということが大きく影響したのだろう。3日から6日までは看護師も医者も休みを取りたいだろう。多くの患者が先週末から退院している。それでも看護師に聞くと3分の2位の患者が残っているということだった。

5月7日に血液内科の診療がある。赤血球が5月1日の検査では7.6しかなかったので上がってなければ輸血をすることにはなっている。しかし一番の問題はIgMの数値がどう出るかである。下がっていればしばらく様子をみようということで、一週間後の診療日が指定されるだろう。上がっていたら医者は言うだろう。もはや治療法はないと。そして無駄な治療をしないで緩和ケア病棟に行ったほうがいいとも言うかも知れない。

確かに1ケ月近く入院して治療効果が現れないとしたら、何のための入院治療だったろうか、辛い思いをしただけではないか、それにやるだけのことをやってだめだったんだから諦めもつくだろうと言われるかもしれない。

 これ以降の治療をどうするか、治療を止めるのかは自分で判断することなのであって、医者であっても他人から「死の選択」を言われたくはない。医者が大分前に家族を呼んで、緩和ケア病棟について説明した。そこでは単に痛み止めを投与するという終末期医療をするだけでなく、輸血やその他の治療も全くしないわけではないということだ。

しかし結局の所原発性マクログロブリン血症患者にとっての死は、治療しなければ必然的に増えていく血中蛋白の増加によって血液濃度が上昇しそれに伴う循環器や脳の血管の異常によるものか、形質細胞腫瘍の増加による、正常細胞の減少がもたらす感染症や体力の消耗、出血傾向などによるものかが待っているという事になる。

医者が「もはや治療法はない」といった時のどう対応するかということになる。何もしないでIgMが上昇するのを放置するという心境にはなれない。治療法は自分で探す他ない。確かに寝たきりになってしまうような治療をやりたいとは思わない。しかし「生への可能性」が少しでもあるならばそれに挑戦してみようとは思う。それに伴って生ずる感染症で命を落とすとしても、何もしないで死を迎えるよりはずっと納得できる様な気がする。

 冒頭に引用した辺見庸の言葉の中の「生きる主体が生きている事をどうにかして証そうとすること」とは「死にむかう生」ではなく「あくまでも生を求めるための生」を生き抜くことこそが自らの主体が生きていることを証すことになるのではないかとも思うのである。

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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