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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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治療・病状日誌
原発性マクログロブリン血症という血液ガンに罹り、2005年12月に入院し2回の移植を行ったが再発し、自宅治療をしていたが10月24日再入院し12月28日退院した。その後通院で治療を継続している。治療経過・病状・日々感じたことを日記として綴ってみたい。
臨時検診・ベルケイド2クール3回目
2月10日(水)
ベルケイド第2クール3回目静注、デカドロンの点滴。血液検査の結果は以下のとおり。

検査結果
 白血球   1900(2/10)←1700(2/3)←1500(1/27)←2100(1/21)
 好中球   660←680←450←540
 血小板   8.8←8.3←10.0←7.0
 赤血球   337←319←327←304
 ヘモグロビン 11.5←11.1←11.3←10.2
 網赤血球   19←18←16←21


IgMの検査は2週間一度は保険適用になるがそれ以上は自費になる。この間便宜を図ってもらって毎週検査していた。今週からはさすがに2週間一度に戻した。今回は血算の検査だけだった。白血球は上昇しているが、好中球が全く上昇していない。基準値では白血球の45〜70%位なのだか3分の1位しかない。

これではとてもエンドキサン(シクロホスファミド)の服用は不可能だ。本来サリドマイド、ベルケイド、デカドロンにプラスして、月50mgを4日間服用する事になっていた。エンドキサンの効果を期待できないとなると、IgMの上昇の可能性はかなり高い。

具体的な方針は、来週IgMの数値を見て決めるが、上昇していた場合には、サリドマイドを半分にして、エンドキサンを服用するようにしたらどうかという話が出た。サリドマイドによる骨髄抑制を軽減して、その代わりエンドキサンを投与するというものだ。私の場合にはアルキル化剤は効果的治療薬だが、その代わり骨髄抑制が極めて強い。

治療の最初の頃は、化学療法としてVAD療法を行い、アドリアマイシン(ドキソルビシン)やオンコビン(ビンクリスチン)などを使っても殆ど骨髄抑制はなかった。MP療法でも白血球への影響はあまり見られなかった。しかし最近はアルケラン(メルファラン)もエンドキサンも即骨髄に影響を与える。

2005年12月から、2度移植での大量抗がん剤の使用を挟んで、既に4年以上抗がん剤を体に投入し続けている。正常細胞の産生能力が衰退してくるのもいたしかたがないのだろう。レブリミド(レナリドマイド)が保険適用になるまで半年位どうやってつないでいくか思案のし所だ。


テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

昔の友人S氏の事
2月7日(日)
何年かぶりに、同年配の友人と飲みに行った。共通の友人S氏の話題になった。もう7、8年会っておらずどうしているのかなと思っていた。S氏は私が付き合っていた頃は、業界新聞の記者をしていた。5年位前にやめて一時議員秘書をやっていて、その後タクシーの運転手をしているといった噂は聞いた事があった。それ以降どうしているか全く知らなかった。

入院して人と会う機会も限られ情報のルートが狭まってしまっていた。体調の問題や感染症の恐れなどで退院後もあまり外出しなかったせいもある。入院以前は仕事があまりにも忙しく、職場と家との往復で、仕事以外の人間関係からは完全に切断された生活をしていた。こういった状態だったので、S氏の現状を聞いて驚くことばかりだった。

友人はS氏のことを話し始めた。S氏は1年ほど前、大腿動脈の動脈瘤が破裂して手術を受けた。その手術はうまくいき少し片足を引きずるようになったが、日常生活には問題なかった。昔から彼は酒好きだったのは確かだ。飲みに行くと朝までつき合わされた。彼の身に何があったのか分らない。タクシー運転手になってから不規則な勤務形態も影響しているだろう。アルコール依存症が急速に進行していた。

大腿動脈瘤の手術から半年後、脳動脈瘤が破裂した。脳組織への出血(脳内出血)を起こし、脳卒中を来した。彼は意識を失い病院に担ぎ込まれたが、そのまま意識を取り戻すことはなかった。現在も植物人間のままベッドに横たわっている。半年以上眠り続けている。誰が呼びかけても何の反応もない。

友人はS氏のアパートを引き払うために、彼のアパートに行き鍵を開けて驚愕した。6畳と4畳半の部屋は70〜80cm位のごみで埋め尽くされていた。何年も一切片付けることをしていない状態だった。缶や壜、発砲スチロールの食器が、部屋中に転がっている。結局、部屋は不用品回収業者に頼んで片付けてもらったということだ。

「彼は生きることを放棄していた」と友人は言った。元気な時のS氏しか知らない。一体彼はどのような煩悶を抱えていたのだろう。自分が壊れていくのを止める術もなく、意識を失うほどアルコールを浴びて心の闇を忘れようとしたのか。

彼は大腿動脈瘤の手術後、自分の将来の姿が見えたのだろうか。死を求めたが、死に切れず植物人間になってしまったのだろうか。彼に意識があれば運命の皮肉を痛い思いで噛締めているだろう。同じ時代を生きた友人の運命は自分の現状を映し出す鏡のようなもので重く深い意味を突きつけてくる。

テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

足立区立関原小学校「いのちの授業」
2月4日(木)
関原小学校は「道徳地区公開講座」の日で、保護者への道徳授業の公開講座となっている。1年から6年までそれぞれ、道徳学習指導案を作成し、主題を決め、教材を用意し、主題の趣旨を明らかにし、ねらいを絞り、授業の展開を事前に用意して授業に臨む。

6年の道徳学習指導案は次のように書かれている。
主題名−生命のかがやき・生命の尊重
資料名−NPO血液患者の方々の話
ねらい−かけがいのない命を大切にし、精いっぱい生きようとする心情を育てる。

この授業のため生徒達に「命に関わるアンケート」をとった。その内容がかなりハードで生徒がどんな反応をするのか少し心配になったほどだ。内容は
1、あなたは生まれてきたことをどのように思いますか、またその理由は何ですか。
2、あなたはどんな時に生きている喜びを感じますか。
3、あなたは今までに「死にたい」と思ったことがありますか。
4、「はい」と答えた人に質問します。その理由は何ですか。
5、あなたは「死」について考えたことがありますか。
6、「はい」と答えた人に質問します。具体的にどんなことを考えたのですか。
7、いままで、精いっぱい生きていると思ったことはありますか。理由を詳しく書きましょう。

道徳地区公開講座は10時45分から各教室で一斉に始まった。6年1組は私が担当した。授業は事前アンケートの結果の紹介から始まった。担任の教師が、かいつまんで読み上げていく。特に「死にたい」と思ったことのある生徒の答を読む。「練習が厳しかった時、下の兄弟が両親をとってしまって寂しかった時、友達をうまくいかなかった時、親とケンカしたり、友達に悪口を言われたりした時」とあった。子供たちはちょっとしたことでもかなり傷つき易いのだと改めて感じさせた。

次にいつものように20分ばかり私が話をする。担任の先生はその話の骨子を黒板に書く。話が終って、生徒達に紙を配り、3分位で話の感想を書かせ、それを全員が読み上げた。皆真剣に話を聴いてくれていたようで感想がかなり豊富で、多くの事を受け止めてくれた事がとても嬉しかった。

授業の後、50人位の座席が用意されている「つどいの部屋」で講演会が行われた。講師は長年小学校の教員、校長を勤め、退職後大学で道徳教育に関して講師を務めていた女性だった。さすがに長年人前で話し続けているだけあって話がうまい。

最初の話: 講師は隣の人と自分の子供の自慢できる点を3点話して下さい、と言って話させた。それを受けて話始める。我が子の人格を認める事がどれ程重要なのか。最近子供のしつけだといって虐待を繰り返し殺してしまった親が逮捕された。統計では46,600人が虐待を受けている。3万人が保護されている。彼らは家庭内で自分の居場所を見つけられないでいる、ある母親が「おまえを生まなければ良かった」と平然と子供に語る。

こういった子供たちがどれ程辛い目にあっているのか、わが子の幸せだけでなく、日本中の子供に目を向ける、わが子よりの不幸な子がいる、虐待され、暖かい家庭に飢えていうる子供たちがいる。それを知ることで自分の子供への接し方も変わって来るだろう。意識してわが子のいい所を見つける。子供の人格を磨いていく事が必要だ。

第2の話: 嘘、ごまかしをしない。親は子供に最初に社会のルールを教える。例えば信号は赤で渡ってはいけないと。その後、自分で判断するようになる。ルールは理解している。しかし急いでいたり、知り合いが道路の反対側を歩いていたりして追いかけようと思って赤でも渡ってしまうことがある。世の中には色々な条件が錯綜している。一つの判断を下すときに周りの状況をどう捉えるのかが重要だ。

成長するに従って、価値判断が変わってくる。こうこうだからどう考える、どう行動する、といったイマジュネーションを育てていく必要がある。表現する事によって自分のものになる。「誰か見てるよ」ある意味でこの言葉は道徳の真髄ではないか。これが犯罪を抑止する大きな力になっている。子供が自分の心を引き止める力だ。それは学校や家庭だけで出来るものではない。地域社会の連携が不可欠である。

第3の話: 落蝉を見た事がありますか、どう思いましたか、といった質問から話は始まる。落蝉に対する感想を色々な人に聞いた。命に対する価値観が落蝉についての考え方に現れている。ある人が言った「命は役に立つから価値があるのではない、そこに存在するだけで価値がある」と。

私の母親は10年間寝たきりだった。最後は私の顔も判別できなかった。亡くなって初めて母親の存在の大きさを感じた。まさに存在している事に意味があったのだ。何千回、何万回命は大切だと言われるより、あなたが大切だと言われる方がどれ程大きな意味を持っているだろう。その言葉で自殺を思い止まった少女がいた。両親は子供に「おまえは私にとって大事な子なんだよ」ということを気付かせる事が重要だ。

講演会を終えたところで、6年1組の担任と生徒が給食に呼びに来た。一緒に給食を食べる事になっていた。ペンネのナポリタン、ブロコリーとキャベツと海老、烏賊のサラダ。菓子パン、牛乳というメニューだ。かなり量がある。それをお代わりしている生徒が何人もいた。食べ盛りなんだなと改めて思う。

給食を食べながら授業では出来なかった質問を受けた。今どんなことをやっているんですか。病院の食事はどんなでしたか。一番食べたかったものは何でしたか。好物は何ですか。抗がん剤の副作用はどんなものですか。こういった質問に答えながら給食をとり、生徒たちと和やかな交流を楽しむ事が出来た。

テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

神田明神、湯島聖堂
2月3日(水)
神田明神
湯島天神を後にして、御茶ノ水方面に向かう。清水坂を下り蔵前通りを突っ切り、本郷通りを左折すると神田明神の大鳥居が聳える。そこから仲見世通りあり、左右に5,6件店が並んでいる。鳥居の下の所の甘酒屋の前に人が集まっていた。天野屋という有名店らしい。「この明神甘酒は、当店の地下6mの天然の創業当時からの土室より作り出される糀をもとに、さらに手を加えて生成し熟成を待って作り上げられたものです」と書いてあった。

随神門をくぐると境内が広がっていて、目の前に神殿が鮮やかな朱色の雄姿を見せる。神田明神では14時から豆まきをやったらしいが、時間的には無理だった。境内の右側には神楽殿があり、5月には狂言、能の舞台があるようだ。左側には大国尊像、恵比寿尊像があり、鳳凰殿 の1階は神札授与所・参集所、休憩室となっている。

湯島天満宮038_edited_convert_20100205122028 随神門

湯島天満宮055_edited_convert_20100205122827 神殿

神田明神の正式名称は神田神社という。神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場など108町会の総氏神で、祭神は3柱あり、一ノ宮:大己貴命(大国)、二ノ宮:少彦名命(恵比寿)、三ノ宮:平将門神(平将門)である。

730年に創建された。江戸の大規模な造成のため、元和2年(1616)には江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転し、江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれた。そして江戸三大祭りの一つ神田祭は天下一の祭礼としての意味をこめ、天下祭(御用祭)とも呼びならわされ、江戸市中を挙げての祭礼として盛大に執り行われた。当時は、華麗な山車が延々と36台以上も続いて江戸城に入り、将軍をはじめ大奥の女性に至るまでが上覧し、贅を尽くした祭礼は二年に一度の風物詩であった。

神殿の裏を回ってみると幾つかの碑があり、ずらっと神社が並んでいる。銭形平次の碑、国学発祥の碑、籠祖神社、末廣稲荷神社、三宿・金刀比羅神社、浦安稲荷神社、江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社、水神社(魚河岸水神社)といった具合だ。

江戸周辺の神社を集めて、神田明神に来れば全て御参りできるという訳だ。こういった神社の集め方は興味深い。しかしこのように並べられてもあまりご利益を感じられない。神田明神の目の前に湯島聖堂がある。寄ってみる事にした。

湯島天満宮052_convert_20100205122729  湯島天満宮051_edited_convert_20100205122635  湯島天満宮050_edited_convert_20100205122549
 銭形平次の碑            籠祖神社              末廣稲荷神社           


湯島天満宮049_edited_convert_20100205122512  湯島天満宮047_edited_convert_20100205122423  湯島天満宮046_edited_convert_20100205122347
 三宿・金刀比羅神社        浦安稲荷神社            江戸神社


湯島天満宮045_edited_convert_20100205122312  湯島天満宮044_edited_convert_20100205122234  湯島天満宮043_edited_convert_20100205122152
 大伝馬町八雲神社         小舟町八雲神社          水神社(魚河岸水神社)


湯島聖堂
1690年(元禄3年)、徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、林羅山の上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた孔子廟「先聖殿」を移築し、先聖殿を「大成殿」と改称し、またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。これが湯島聖堂の始まりで、その後およそ100年を経た1797年(寛政9年)幕府直轄学校として「昌平坂学問所」を開設した。

湯島天満宮066_edited_convert_20100205123554 聖堂入口

湯島天満宮060_edited_convert_20100205122906 大成殿

湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものである。

湯島天満宮063_edited_convert_20100205123016 孔子像 



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湯島天神・節分行事
2月3日(水)
定期検診、点滴、薬の処方が終わり病院を出たのが14時頃だった。今日は2月3日節分の日だ。長い間、日本の風習には無関心でいた。年齢を重ねたせいだろうか、時間があるせいだろうか、たぶん両方だと思うが、またウオーキングで神社仏閣巡りを重ねたことが心に残っているのか、日本の風俗習慣に興味を感じるようになって来た。最近読んでいる時代小説の影響が濃厚だと思う。そういったことで神社で行われる節分行事はどんなものだろうかと思った。

All Aboutに「節分」の解説があった。
“節分は季節の分かれ目である「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいい、年に4回ありますが、これが室町時代あたりから立春の前日だけをさすようになりました。なぜなら、春を迎えることが新しい年を迎えることでもあったため、最も重要だったからです。旧暦では、立春の前日(2月4日)の節分は、大晦日に相当する大切な節目で、一年の邪気をすべて祓ってしまう鬼払いの儀式が必要となったのです。

古代中国では、大晦日に「追儺(ついな)」という邪気祓いの行事がありました。これが奈良時代に日本に伝わり、平安時代に宮中行事として取り入れられました。その行事のひとつ「豆打ち」の名残が「豆まき」で、江戸時代に庶民の間に広がりました。こうして、新年を幸多き年にするために、災いをもたらす鬼を追い払う節分行事が定着していきました。”

こういったことを頭に入れて、病院に近いところで節分行事をやっているところを探したら湯島天神で15時30分からやるという記事を見つけた。時間的にも丁度いい。もしかしたら梅が少しは咲いているのではないかという期待もあった。

湯島天満宮034_edited_convert_20100203222845 表鳥居(都指定有形文化財・都内最古)

湯島天満宮004_edited_convert_20100203222520 本殿

湯島天神の境内はかなりの人込みだった。梅は残念ながら白梅が一本咲いているだけだった。梅祭りも2月8日からだし、去年2月21日に来て咲いていなかったのだから当然といえば当然だが。

湯島天満宮002_edited_convert_20100203222630 唯一咲いていた白梅

湯島天神は学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているということで、特に受験シーズンは合格祈願に参拝に来る受験生で賑わうというが、今日は節分行事で受験生だか豆まきを見に来た人か分らない。この神社の節分行事には500〜1000名が集まると書いてあった。実際には何人ぐらいいたのか検討がつかない。

豆まきの前に湯島天神の女子太鼓隊の勇壮な太鼓の響きが境内に響き渡った。それが終ると同時に豆まきが開始された。太鼓隊「湯島の白梅」は女子全国大会で優勝したということだ。

湯島天満宮015_convert_20100203225508 「湯島の白梅」の太鼓演奏

神社の豆まきには色々な芸能人が参加する。漫才のコンビや、どういう関係か分らないがイチローのお兄さんが参加した。しかしメインは日本レコード大賞新人賞を受賞した4人組ガールズロックバンドSCANDALだろう。4人は新曲「瞬間センチメンタル」の“ヒット祈願豆まき”を行った。彼女たちはかみしもを着てステージに立ち、参拝客やファンに「福は内」と豆をまいた。

湯島天満宮021_edited_convert_20100203224713 豆まきの風景

豆まきは15分位続いた。福豆の小袋もあるが、大部分は餅、お菓子の詰め合わせなどで、みかんなどまかれた。前にいる人はかなりの収穫だろうが、後ろまで飛ばないので手に入れることは出来なかった。もらってもしょうがないが、福を受け取るという縁起物だと思ってあり難く受け取るべきなのだろう。

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