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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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治療・病状日誌
原発性マクログロブリン血症という血液ガンに罹り、2005年12月に入院し2回の移植を行ったが再発し、自宅治療をしていたが10月24日再入院し12月28日退院した。その後通院で治療を継続している。治療経過・病状・日々感じたことを日記として綴ってみたい。
日本骨髄腫研究会総会、患者会セミナー
11月20日(金)
11月21日、22日の2日間、新潟コンベンションセンター・朱鷺メッセで骨髄腫研究会の総会と、患者会のセミナーが行われる。1日目は第34回日本骨髄腫研究会総会が「チーム医療で難局を乗り切ろう」という主題で行われ、第二日目は、日本骨髄腫患者の会の主催で「骨髄腫セミナー」が行われる。

1日目の総会のプログラムは医師向けと、コメディカル(医療従事者)・一般向けに分かれている。一般向けに参加するのでそのプログラムを紹介する。

1日目: 学術講演会 B会場 コメディカル一般向け演題

一般演題A
・bortezomib投与における末梢神経障害評価法の検討
・ベルケイドの治療による末梢神経障害に対応した観察表作成の取り組み
・ベルケイド療法による有害事象の発生状況が退院後の生活に及ぼす影響
・外来ベルケイド療法に移行した多発性骨髄腫患者の不安に対するチームアプローチ
・多発性骨髄腫に対するMultidisciplinary NSTによる造血幹細胞移植のアウトカム向上

一般演題B
・サリドマイド製剤の円滑な導入を目指した取り組みとその評価
・サリドマイド製剤の調剤の現状と薬剤師としての取り組み
・サリドマイドの運用についてのチームでの取り組
・多発性骨髄腫ケアマニュアル作成への取り組み
・在宅で終末期医療を行った多発性骨髄腫の一症例

ランチョンセミナー
ボルテゾミブ治療における副作用対策 −チーム医療への取り組みー

特別講演 
Multi Disciplinary Cancer Treatment for Multiple Myeloma and Management for Side-Effect in the US. (アメリカIMF・国際骨髄腫財団・患者の会)
多発性骨髄腫におけるチーム医療および副作用マネジメント

コメディカルシンポジウム 「チーム医療で難局を乗り切ろう」 

Introduction  「今、何故チーム医療なのか?」
テーマ1  知っておくべき合併症・副作用と求められる役割
テーマ2  TEAMで守る薬の安全 TERMSを例に
ディスカッション チーム医療の実践 −今、考えるべき事・やるべき事 −
講演 「チーム医療はなぜ必要?- 患者の立場から-」

2日目: 患者の会主催「骨髄腫セミナー」
基礎講演 「骨髄腫とはどんな病気?」 (仮題)
ランチョンセミナー
 「パネルディスカッション  私の日常―患者さんの経験談」
分科会「よりよい治療選択」
 1) 65歳以上 治療経験のない方 2) 65歳以上 治療経験のある方
 3) 64歳以下 治療経験のない方 4) 64歳以下 治療経験のある方
 5) 家族の分科会(IMF代表 Susieを囲んで)
 分科会に平行して個別相談会が行われる。

 当初は14時からのシンポジュウムがプログラムに載っていたので、21日の朝出ればいいと思っていたが、よく見ると1日目の総会が朝9時から始まるので、当日東京を出たのでは間に合わない。20日の宿泊場所を確保しなければならない。新潟駅近くの安いビジネスホテルをネットで予約した。

ネットで予約すると半額近くになるということをこの前京都に行って始めて知った。駅前のビジネスホテルを訪ねて、ネットで見た値段で泊まれるかと聞いたら倍近くの値段を言われた。ホテル側もYahooトラベルとかじゃらんに登録しておくとそこから集客できるので安くしているのだろう。

明日から24日位まで総会とセミナーを挟んで何処に行くとも決めていないが、新潟で紅葉でも見に行ってみようかと思っている。紅葉の見頃は過ぎたらしいが色あせ始めでも楽しめるだろう。

テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

王子神社、金剛寺(紅葉寺)
11月18日(水)
検診とG−CSFの注射を終え、病院を出たのが1時過ぎになってしまった。血液検査が終って医者に呼び出されるまでに1時間半、5秒位で終る注射を打つのに1時間待った。早めに終れば少し足を伸ばして紅葉でも見に行こうと思ったが、この時間だと近場に行く外ない。紅葉情報の中に、王子駅から15分位の所にある金剛寺・紅葉寺が紹介されていた。

JR王寺駅の北口の改札口を出て、明治通りに出ると思っていたら目の前には川が流れていて、川沿いに木々が枝を垂れている。音無親水公園という。石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれている。

王寺神社002_edited_convert_20091119125840 音無親水公園

園内には、かつてあった「権現の滝」、木橋の「舟串橋」が再現され、水車や行灯も置かれている。川沿いの情景や、遊歩道の東屋、休息用の石などは昔風にしつらえてあり、趣のある公園になっている。日本の都市公園100選に選ばれているそうだ。春は桜、秋は紅葉を楽しめる。

公園をしばらく行くと、王子神社の境内に登る石段がある。この神社は元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を迎え、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれる。それよりこの地は王子という地名となった。境内は閑散としていたが七五三のお参りに来た親子連れが写真を撮っていた。大銀杏が日差しを浴び金色に輝いていた。

王寺神社005_edited_convert_20091119130050 大銀杏

王寺神社006_edited_convert_20091119130206 王子神社拝殿

音無親水公園はそのまま石神井川沿いの遊歩道につながる。川沿いには所々に公園があり、音無さくら緑地、もみじ緑地、くぬぎ緑地などと名づけられている。石神井川沿いはさくらの名所だ。そのさくらの木々が紅葉し、川辺を赤く染めている。

川沿いを10分ばかり行くと紅葉橋があり、その橋を渡ると真言宗瀧河山金剛寺だ。この付近一帯は、徳川八代将軍吉宗の命により、カエデが植樹され、金剛寺も「紅葉寺」として今も親しまれている。しかしまだもみじは紅葉していなかった。中々凝った庭園で、京都の庭を思わせるように手入れが行き届いている。

王寺神社028_edited_convert_20091119131350 金剛寺本堂

王寺神社031_edited_convert_20091119130403 金剛寺の庭

そこから石神井川沿いをさらに進んでいく。大きな大仏が目に入った。何でこんな所に大仏があるのだと驚かされた。谷津大観音と記されていた。すぐ傍に寺院があり「真言宗豊山派・谷津子育観音・寿徳院」と書かれていた。ここは新撰組の近藤勇の菩提寺だそうだ。

そこから15分位で板橋駅に着いた。板橋駅には近藤勇の墓がある。処刑された近藤勇の首は京都に運ばれ、胴体がこの地に残された。新撰組の隊員であった永倉新八がこの地に墓を建てた。

王寺神社055_edited_convert_20091119131539 近藤勇の墓

永倉は路線的には近藤勇と対立したが、数少ない新選組の生き残りとして『新選組顛末記』を残し、新撰組の顕彰につとめた。これによって、「新撰組は人斬り集団」という従来の固定観念を突き崩し、新撰組再考の契機となった。その一貫として近藤勇の墓の建立もあったのだろう。

テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

臨時検診の日
11月18日(水)
10月28日、好中球が500になって以降、骨時抑制の状態を把握し、治療方針を決めていくのに毎週血液検査をし、その結果で薬の量を調節する事になった。

検査結果
 白血球   1300(11/18)←1100(11/11)←1200(11/4)←1200(10/28)
 好中球   510←460←660←500
 血小板   7.5←6.5←7.0←7.4
 赤血球   315←306←304←310 
 ヘモグロビン 10.5←10.0←10.0←10.2
 網赤血球   12←13←11←3

10月15日からメルファラン8mgを4日間服用してから、既に1月以上経っている。本来11月11日から4日間服用するはずだったメルファランは、白血球数が回復しないので服用出来なかった。好中球460でさらに骨髄抑制の強いメルファランを飲むなど自殺行為に等しい。

メルファランによってもたらされた骨髄抑制は、未だ強く影響している。好中球の増加は微々たるものでしかない。結局今日の結果においても好中球510ではとうていメルファランの服用は不可能だ。来週検診があるが、その時までに急激な増加は望めない。せいぜい白血球値は1500位にしかならないだろう。その状態でサリドマイド+MP療法を続けるのは不可能だろう。

しかし抗がん剤の服用を何ヶ月も止まらせておく訳にはいかない。IgMは薬が途切れれば増加するのは明らかだ。次の治療法を考え出さなければならない。医者と私の方で、次回10月25日までにそれぞれ治療方針を考えてくる事になった。条件は骨髄抑制が少ない抗がん剤を使用する療法ということだ。骨髄抑制が少ない抗がん剤という言葉自体が矛盾している。骨髄抑制はほとんどの抗がん剤に張り付いているようなものだ。

サリドマイドの併用療法をGuideline Thalidomide in Multiple Myeloma : Current Status and Future Prospectsを参考にしながら順番に試してきた。後残っているのに、BTLD:低容量サリドマイド+デキサメタゾン+クラリスロマイシン(奏効率93%)というのがある。抗生物質であるクラリスロマイシンが何故抗がん作用を持つのか分らないが書いてあった。

別の資料に、TDD:サリドマイド+デキサメタゾン+ドキシル、TVAD・Doxil:サリドマイド+VAD(ドキソルビシンの代わりにドキシルを使う)といった療法が紹介されていたがドキシルは骨髄抑制が強くて使用できないだろう。

ラニムスチン(サイトメリン)は今まで使用しておらず候補に挙げられるが、この薬との併用療法としてMPやVADがあり、通院では骨髄抑制が強く使用できないだろう。いざとなれば入院して治療するという手もある。

WM治療の主流は悪性リンパ腫の最新治療法だろう。従来使用していたシクロホスファミドなどに、リツキシマブやフルダラビン、クラドリビンなどを組み合わせ、さらにサリドマイド、レブリミドも含めたコンボがかなり奏効率を上げている。しかしリンパ腫で奏効する抗がん剤はどうも私には効かない様だ。

恐らく次回医者が言ってくるのはサリドマイド+ボルテゾミブ(ベルケード)+デキサメタゾンの併用療法だろう。ボルテゾミブによる血小板数の減少と、末梢神経障害に関しては薬の量を加減しながら続けていくと思われる。白血球減少よりも、血小板減少の方がまだ日常生活に及ぼす影響は少ない。

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サバイバーシップ
11月17日(火)
辺見庸の書物の紹介を読んでいたら、彼の病状経過が書かれている記事が目に入った。そこで原発性マクログロブリン血症という同じ血液ガンに罹ったということを始めて知った。

辺見庸の病状経過
2004年春に脳出血で倒れた。命はとりとめたが、右半身麻痺、記憶障害などの重い後遺症が残った。
追い討ちをかけるように2005年に大腸がんに罹る。
2005年12月、原発性マクログロブリン血症という血液がんになり入院した。
化学療法などの治療を行い退院。
2006年10月再入院。
12月28日退院以後、通院による治療を受けている。

2008年4月九段会館で彼の「死刑と日常」と題する講演を聴いた。途中休憩を挟みながら4時間近くに渡って話し続けた。病気の副作用や後遺症に悩まされていたに違いない。しかしそれを全く感じさせない話しぶりであった。

辺見庸は、がん患者が自分自身をサバイバー(生還者、克服者、生き残り)と語る事の意味について主張している3点を挙げ、自らもサバイバーだという。

1、 生死を見つめた人間が、自分らしく尊厳を持って生きようという「自らの決意表明」
2、 自分のプライドを表現する言葉として存在している。
3、 癌体験は自分と家族の人生に大きな影響を与えたことの意味を自覚する。

サバイバーの意味
について考えて見たいと思い、がんサポートからの提言「患者よ!がんサバイバーになろう」を読んでみた。その中にサバイバーについての考察がある。

 がんサバイバーとは、がんと向き合い、自らの意思でがんとともに生きていこうとしている人のことである。自分たちは「がん患者らしく」ではなく、がんという病気と向き合いながら最後まで「自分らしく」生き抜きたい、生を全うしたいという人間としての当然の権利を主張する。

 がんサバイバーシップは、発病し、がんと診断された時からその生を全うするまでの過程を、いかにその人らしく生き抜いたかを重視した考え方とも言える。がんと共存し、意味ある人生を生き抜くという、能動的な姿勢がそこにある。

 患者が自分の価値観で選択したことを主張していく力が必要となる。そしてその力を高めていくためには問題解決力、情報探求力、自己決定力などの力が大切になってくる。

 しかし、サバイバーの前には幾多の困難が立ちはだかっている。社会のがんとがん患者に対する誤解や偏見、無理解と戦っていかなくてはならない。これは治療でがんと闘う以上に大変な困難を伴う。

さらに身体的問題として疼痛、疼痛以外の症状、副作用、心の問題として不安、恐怖、怒り、生きがい問題として疎外感、孤独感、残された日々、社会生活上の問題として家庭生活、収入、仕事、地位、医療技術者との関係として意思疎通、説明不足などだ。

いかにしてサバイバーへのサポートシステムを作っていくかが問われている緊急の課題だ。

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黒澤明監督 『生きる』
11月15日(日)
TSUTAYAで旧作を期間限定で半額で貸し出すというキャンペーンをやっていた。今話題の『ゼロの焦点』が最初に映画化された野村芳太郎監督の映画を見てみようと思った。また黒澤明の見ていない何本かを借りた。『生きる』『天国と地獄』『赤ひげ』などだ。

『生きる』は学生時代に見た事があるような気もするが、自分ががんに罹り、余命を宣告された今見ると全く違った映画に見えてくる。強い感情移入が起こり、感動を呼び起こす。主人公は自分の死期を悟った時、初めて“生きる”とは何かを掴んでいく。“生きる”とはどういうことなのか。どう“生きる”か、家族の為に、誰かの為に、あるいは自分の為に、何をなすべきか、残された時間をどう生きるか難しい問題だ。

物語の進行の一こま一こまが死に直面した主人公渡辺の動揺と迷いを表現している。渡辺勘治(志村喬)は市役所の市民課長を務める53歳の男だ。役所では書類の山に囲まれ、判子を押すだけの毎日を繰り返している。時々時計を見る。役所では時間を潰しているに過ぎない。

仕事が終ると家に真っ直ぐ帰る。仕事帰りに同僚と付き合ったり飲みに行ったり遊びにいったりもしない。何の変化のなく波風も立たない生活を何十年も続けている。まだ子供が小さいうちに連れ合いに死なれ、自分のやりたい事も我慢して、子供のためだけに仕事を続けている。30年間無遅刻、無欠勤で。それは毎日息をしているだけで「生きている」といえるものではなかっただろう。

最近、胃の調子が悪く、薬を飲んでいる。医者にレントゲン写真の結果を聞きに行く。医者が「胃潰瘍ですな、少し症状が進んでいますが。普通に生活しても大丈夫です」と言うと、自分の病状が分る彼は「胃がんだとはっきり言って下さい」と叫ぶ。もはや余命が半年もないと悟った彼は、貯金を降ろし夜の街にさ迷い出る。役所には無断欠勤する。市役所の職員は課長の欠勤が信じられない。

1人で居酒屋で酒を飲んでいるとそこで小説家にあう。小説家は渡辺の死期が近いことを知らされる。一人で感動し、余命幾ばくも無いこの男の最後の快楽を味合わせようとメフィストフェレスを気取って歓楽街の案内役をかって出るのだった。

パチンコ屋、キャバレー、バー、ダンスホール、ストリップ劇場と練り歩く。キャバレーのピアニストが客に曲をリクエストした。渡辺はゴンドラの唄を頼む。ピアノが始まり、何人かの男女がフロワーで踊始めるが、彼が低い声で歌い始めるとその切々とした身を裂くような歌声に踊りをやめ、あたりは静まりかえり、彼の歌がだけがホールに流れる。しかしこういった歓楽の世界は彼の心の空隙を埋めることは出来るはずもなく、どのような平安もたらさなかった。

朝帰りの渡辺が憔悴して帰宅しようと歩いている所で、区役所の若い女子職員の小田切とよ(小田切みき)に出合った。彼女は区役所の仕事の事なかれ主義に嫌気が差し退職した。退職願には課長の判が必要だというのだ。家に連れ帰り、用紙に判を押してやる。渡辺はとよの靴下に穴があいているのを見て、再び二人で出かける。息子夫婦はそんな様子を見て、父親が女遊びをしているのだと勘違いするのである。

靴下を買った後、渡辺はとよと、パチンコ屋、スケートリンク、遊園地で時を過ごす。喫茶店での話しの中でとよは自分が付けた職場の人のあだ名を言う。「課長さんにも付けてあるのよ」「ほう・・・?」「・・・ミ・イ・ラ」渡辺は納得せざるを得ない。自分は長い間、生ける屍だったのだから。人からもそう見られていたのか。

渡辺は、とよの屈託の無い若さにすっかり魅了されるのだった。渡辺はとよの新たな職場へも押しかけた。迷惑そうな顔でとよは、「今度だけよ」と言いながら付き合った。お茶を飲みながら、「何故、わたしのところへ来るのよ」ととよは言った。渡辺は、自分が胃がんの末期であることを話し、自分はどうしていいか分らないと苦痛に満ちた声で言う。どのように残された時間を生きていったらいいのかその答が見付からないことで苦しみもだえる胸の内をさらす。

とよはウサギの人形を出した。テーブルの上をカタカタと動き回る。「今、こんなものを作っているの。結構楽しいのよ。日本中の子供と仲良くなったような気がするわ。・・・課長さんも何か、作ってみたら?」

渡辺はじっと人形を見つめている。そして何かに取り憑かれたような表情になった。自分の余命を知り、苦しみ迷いながらその煩悶をとおし、彼は「生きる」ということはどういったことかをやっと見出すことが出来た。

渡辺は何日ぶりかで出勤した。そして、すぐさま先日主婦達が陳情に来た汚水溜めのある土地の視察に出かけたのだ。陳情は近所に汚水溜めがあるため子供が病気になる、何とかできないものか、例えば公園を作るとか・・・というものだ。かって陳情に来た時には渡辺は顔も上げずに「土木課」へ回せと言っただけだった。

その時は、彼女たちの訴えは、土木課から始まって、公園課、水道課、衛生課、予防課、防疫課、下水課、道路課、都市計画部、区画整理課と、あちこちにたらい回しにされ、結局どこも真剣に取り合おうとせず、主婦たちは憤慨して帰っていったのだ。それから5ケ月彼は全身全霊で公園建設のためを捧げる。

 公園が完成したある日、彼は雪の降る公園のブランコに乗り、1人満足そうに「ゴンドラ唄」を口ずさんでいた、そしてその公園で息絶えていた。家の玄関には息子宛に預金通帳と退職金受け取りの書類が置いてあった。

untitled.jpg 「ゴンドラの唄」
 いのち短し 恋せよ乙女 紅き唇 あせぬ間に 
 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを 

 いのち短し 恋せよ乙女 いざ手をとりて かの舟に
 いざ燃ゆる頬を君が頬に ここは誰も 来ぬものを
 
 いのち短し 恋せよ乙女 黒髪の色 あせぬ間に
 心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび来ぬものを


この唄がこの映画に何故かぴったりと合う。全体的内容は「生きる」ということと関係なさそうに見えるが、「命短し」「明日の月日はないものを」「今日はふたたび来ぬものを」この言葉は余命宣告を受け止めた者にとって切実な言葉だ。しかし死は全ての人に訪れる。全ての人は限られた命を生きているに過ぎない。残された時間は誰にも分らない。死を考えるとき「生きる」ということ、そして今をいかに生きていったらいいのかと考えざるを得ない。

この映画が問いかけているものは「人間いかに生きるか」ということだろう。黒澤監督はこの映画の趣旨を「あの映画で僕が自分に問いかけたのは「どうしたら心安らかに死ぬことが出来るか」だった。答えは「いつもベストを尽くして生きていく」ということだった。死を思うことは生を問うことなのだ。」と言っている。限られた人生に無駄な時間はない。ベストを尽くすことが心安らかに死ぬために必要なのだろう。

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