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治療経過ダイジェスト・1

原発性マクログロブリン血症の診断から第2回移植まで 
 (2005・11・24~2006・11・11)

今まで年末に治療病状経過を書いていましたが、まとまったものを一つ書いておけばそれを参照すればいいのだということを、MOTOGENさんのブログの治療経過ダイジェストを読んで気がつきました。以前書いた治療経過を元に加筆訂正しながら、最近の出来事を追加して書いてみたという次第です。

入院に至る経過
2005年11月7日、勤めていた会社の流通センターで荷物を降ろしている最中、足の親指の上に物を落とし大量に出血したので、近くの整形外科医に行って治療しました。

怪我をしてから1週間位経っても出血がなかなか止まらないので血液に異常がある可能性があると言われ採血しました。11月21日血液検査の結果が出て血液中の蛋白に異常値があることがわかり、専門病院に紹介されました。11月24日、K病院に紹介状を持って行き、そこで「多発性骨髄腫の疑い」の診断を受けました(病名は後の精密検査の結果マクログロブリン血症と変更になりました)。即入院だということでしたが、引継ぎなどあるので12月1日を入院日としました。 

毎年健康診断(成人病検診)を受け血液検査をしていながら血液中の蛋白をはからなかったので病気(ガン発症)には気がつかなかったし、一般的には疲労、頭痛、めまい、痺れなどの症状が出るそうですが、そういった自覚症状は全くありませんでした。むしろ仕事が忙しく土日祭日の出勤も多く、毎日20時前後まで、遅いときには1時過ぎまでの仕事をこなしていました。それが出来る体力があったということです。

入院時の病状
私の病名はワルデンシュトレーム(原発性)・マクログロブリン血症、別の言い方としてリンパ形質細胞性リンパ腫と言われています。極めて稀な病気で世界的には100万人に2~3人、日本では1000万人に5人という発症率です。

リンパ形質細胞性リンパ種として非ホジキンリンパ腫のWHOの分類に含まれている病気です。その意味で悪性リンパ腫とも言えるのですが、病気の原因としては多発性骨髄腫と同じです。いわばリンパ種と骨髄腫の中間的病気と言えるでしょう。この病気は免疫グロブリンを造り出す形質細胞が腫瘍化(ガン化)し、血液中にたんぱく質を過剰に造り出していくものです。

私の場合IgM(M蛋白の内の免疫グロブリンM型抗体)値が11月24日の最初の外来診断の時7100ありました。4000以下であれば身体変調をきたす事はないので放置可能であるわけですが、7000以上という数値は、血液の粘着化によって毛細血管が詰まって、眼底、脳、心臓の毛細血管に悪影響を与えかねないということで即入院となったわけです。
  
入退院の状況
第1回入院、2005年12月1日から27日-フルダルビン療法。
第2回入院、2006年1月4日から1月20日-第1回VAD療法。
第3回入院、1月23日から2月13日-第2回VAD療法。
第4回入院、2月20日から3月13日-第3回VAD療法。
第5回入院、3月20日4月9日-自己抹消血幹細胞採取。
第6回入院、5月15日から6月5日-第4回VAD療法
第7回入院、6月12日から7月11日-第1回自己抹消血幹細胞移植。
第8回入院、10月12日から11月12日-第2回自己抹消血幹細胞移植。
第9回入院、2007年10月24日から12月28日-ベルケイド療法

退院から次の入院までは自宅療養は、抗がん剤の副作用を軽減させ、骨髄機能を回復させる意味がある。ベルケイドの入院は、かって個人輸入していた患者が間質性肺炎で死亡した事があって、最初の2クールまでは副作用チェックのため入院する事になっている。第9回入院以降は通院で治療を続ける。

Ⅰ、移植前の化学療法

1、治療の開始-フルダラビン療法 (2005・12・1~12・21)
抗がん剤は何10種類もありそれをどのように組み立て投与していくかは、今までのデーターと医者の直感的判断に委ねられる他にありません。最初選ばれたフルダラビン(代謝拮抗剤系抗がん剤)という薬は、日本では保険が利いたばかりの新薬で、アメリカでは高い実績が評価されている薬でした。勿論100%効果のある薬は存在しません。その薬は奏効率60%でした。これを抗がん剤として選択し使用することになりました。

「1日量40mgを5日間連日点静注し、23日間休薬する。これを1クルーとし、3クルーを目処に行う。この3回でIgM値を4000以下まで持っていく」ことを目的に開始されました。抗がん剤は腫瘍(ガン)細胞を破壊するが、白血球、赤血球、血小板も破壊します。従って、抗がん剤投与の後は3週間程期間を置き正常細胞の回復を待ちながら、副作用の治療を行っていかなければなりません。 

12月10日から14日まで行われた5日間のフルダラビン療法は、残念ながら全く抗がん剤としての機能を果たしませんでした。12月1日入院時のIgM値7310は全く減ることなく12月19日の検査結果は8840と増え、さらに12月22日には8980なり、さらにその後9450まで上昇しました。薬の効果がないばかりか自然増という形でIgMは増殖してきていました。別の抗がん剤でやるという方針はすぐに出されました。しかし、フルダルビンによる、正常細胞への影響はあり、白血球は1600(正常値3900以上)まで下がったので、その回復を待たなければ次の処置は出来ません。

2、VAD療法・第1~第3クール (2005・12・22~2006・3・12)

次に選択されたのはVAD療法というもので、ビンクリスチン(オンコビン・植物アルカロイド系抗がん剤)(V)、アドリアシン(ドキソルビシン・抗生物質系抗がん剤)(A)とデカドロン(デキサメタゾン・副腎皮質ホルモン・ステロイド)(D)という3種を組み立てた療法でした。まず3種類を4日間点滴静注し(第1段)、4日置いてデカドロンのみ4日間点滴(第2段)、また4日置いてデカドロンのみ4日点滴(第3段)、これを3クールまたは4クール繰り返すという療法です。これを12月22日から始め、2月12日までに2クール(VAD療法第2回第3段)を終え、2月20日から3クルー目を開始しました。

VAD第2クール第3段を終了した段階で、最高値9470まで行ったIgM値は2月6日で5540まで下がりました。そして第3クールのVAD療法の第1段の最中2月23日の採血結果でIgM値は4660まで下がりました。

3月12までVAD療法を(第3クール終了まで)続けた所、3月13日の採血結果でIgM値はついに4000を切りました。IgMが4000まで下がることが移殖の条件でした。その後1週間自宅療養し、3月20日に戻ってからいよいよ移植の準備にかかります。移殖に使用する造血幹細胞採取が必要でした。原発性マクログロブリン血症の場合は白血病などとは違い造血幹細胞自体に異常がないので、他人からの骨髄移植(同種移植)ではなく自分の造血幹細胞を移殖に使用することが出来るのです。

3、自己末梢血幹細胞採取 (2006・3・20~4・9)
3月22日より開始された末梢血幹細胞採取は、血液成分分離装置を用いて移植に必要な量を採取することが出来、無事終了しました。(末梢血幹細胞=血液中の造血幹細胞=移植に使う骨髄液)。この採取に当たって使用したのはエトポシド(ベプシド)(200mg3日間)というアルカロイド系の抗がん剤で、発熱、食欲不振、脱毛、倦怠感などの副作用がかなり強く出て、寝ていることが多く、以前のVAD療法とは比べ物にならないほど強烈なダメージを体に与えました。

末梢血幹細胞は、白血球を0に近づけそれが上昇する最高値にタイミングを合わせて血管から採取するため、1週間位は白血球が300位の状況が続きました。運良くこの期間に大きな感染はありませんでした。こうした副作用や感染への対応、防止、また正常細胞の減少のため、輸血を4回やり、毎日、抗生剤(抗ウイルス、抗細菌)を5回、抗真菌剤を1回、ステロイドを1回、白血球を増やす薬(G-CSF)を1回点滴し、その他に錠剤で5種類(抗生剤、抗真菌剤、胃薬、カリニ病虫による肺炎予防薬、帯状疱疹予防薬)を服用していました。そのため体が抗がん剤の影響と薬漬けで、かなり消耗感、疲労感が残りました。この抹消血幹細胞(移植に使う血液中にあふれ出た骨髄液)採取のため1ケ月の入院が必要となりました。

3、VAD療法・第4クール、帯状疱疹神経痛治療 (2006・5・15~7・11)
4月9日自己抹消血幹細胞採取を終え体調回復の為の退院を行い、1ケ月間過ごしました。5月11日の定期外来検査の時、移植の具体的スケジュールを決めるはずでした。しかしこの時検査したIgMが4120に増加していることが判明しました。2800であったものが自然増加してしまったということです。VAD療法を移植の前に挿入し、数値を減らすことが必要となりました。そこで急遽、5月15日に一般病棟に再入院しました。そこで4回目のVAD療法を開始しました。

また3月に帯状疱疹にかかりました。帯状疱疹(皮膚の湿疹)自体は10日位で直ったのですが、神経痛が残りかなりの痛みを伴ってきていました(帯状疱疹後神経痛)。体調が回復すれば直ると思って、湿布薬での対処を行っていましたが全く変化がなく、神経ブロックという治療が必要であるということになりこの入院中に行いました。この神経痛の痛みは恒常的にはずきずきと痛むものですが、トリガー(引き金)という凝縮した一点は特に敏感で少し触れただけでも神経を針で突かれるような、電気ショックをかけられたような激しい痛みで、その痛みの後2.3分は動けなくなるほどほどでした。

また内服薬として処方された薬は通常抗うつ剤として使用されているテグレトールと言う薬で、痛みを少しは和らげることはするが一方身体がふらふらになってしまうという副作用があったので、もう少し弱いパシキルという薬に変わりました。

移植の前に神経痛の痛みを取っておかないとかなり辛いものになると思い治療を続けて行いました。神経ブロックとは脊椎に注射針で局所麻酔薬や抗症炎剤を注入し、神経痛の元となっている痛んだ神経中枢の活性化、修復、再生を図るというものです。この神経ブロック療法をVAD療法と平行して、毎日麻酔科(ペイン・クリニック)で行ってきました。

そしてさまざまな条件を考慮して移植の日は6月20日と決められました。6月12日頃移植の病棟に入り、諸検査を行い、大量抗がん剤の投与を17、18日に行うというスケジュールとなりました。

Ⅱ、第1回自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006.6.12~7.11)


1、移植について
移植に当たっては、最初に強力な抗がん剤を大量に投与し、それによって骨髄に残っている形質細胞(ガン)腫瘍の根絶を行います。その後、採取し冷凍保存されている末梢血幹細胞を移植するとそれが増殖し、がん細胞のないきれいな骨髄となります。そして末梢血幹細胞から作り出される白血球、赤血球、血小板などの正常細胞が増加しやがて生着してきます。

移植は60歳以上の人には基本的に行われません。前処置といわれる大量強力抗がん剤の投与に耐えられる体力が必要だということです。(ある表現では致死量に近い大量抗がん剤の投与とありました)今はミニ移植という別な形の移植の形態が60歳以上の人に実施されていますが、それは同種移植(他人の骨髄)の場合ありうる方法です。

2、大量抗がん剤投与(移植に向けての前処置) (2006・6・18)
移植前に骨髄の中に残っているがん細胞を根絶する為に大量抗がん剤の投与を6月18日行いました。使った薬はメルファラン(一般名アルケラン)と言って、錠剤として内服薬で使用する場合、通常1日1回2-4mgを連日服用、あるいは1日6-10mgを4-10日間(総量40-60mg)服用するものです。今回使われたのは300mgで通常の30倍から50倍の量です。それも1時間で点滴投与します。移植の前処置で用いる致死量に近い抗がん剤の投与という言われ方をされている、それがどのような影響を身体に与えるのかかなり不安を感じさせるものでした。  

メルファランの副作用の特徴は、内臓粘膜の破壊にあります。口腔、胃、大腸、肛門などを痛めつけ口内炎、吐き気、下痢、痔などを引き起こします。一番早く現れるのが胃への負担であり吐き気でした。当日の夜から強い吐き気と嘔吐に襲われ、次の日は朝昼何も食べられませんでした。

さらに肝臓にも影響が出ます。「この薬剤は組織障害性が強い為、移植後の経過において重篤な肝機能障害や黄疸を来たすリスクが高い」と書かれています。そこで肝機能を強める為、5月末から肝機能の働きを強めるウルソを1日3回飲み続けていました。また腎臓を衰えさせ尿の出が悪くなり心臓への負担が増大する可能性があるということで、点滴による水分補給と利尿剤による排尿とのバランスを取りながら治療を進めてきました。
 
3、自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006・6・20)
6月20日に移植が行われました。移植には4月7日に血液分離装置によって私の体から取り出され冷凍された末梢血幹細胞を使用しました。これを湯洗し溶けかかった所を点滴投与します。所要時間9分という簡単なものでした。依然吐き気は続き、通常のブドウ糖液からカロリーを含む栄養剤投与に変わりました。

確かに今回の移植に伴う抗がん剤の影響は頭痛、口内炎、吐き気、下痢の相乗作用というかなり過酷なものでありましたが、ピークが一週間強であったのでどうにか乗り切ることが出来ました。ともかく、多くの予防薬の投入と共に、全ての症状に対して薬で対応するので大量の薬を使用しました。また正常細胞増加の為に、輸血や40まで下がった白血球を増やす薬の大量投与など薬漬けの状態は代わりありません。

8月4日に脊椎穿刺をして脊髄液を取り、その中に形質細胞腫瘍(がん細胞)が残っているかどうか検査しました。結果は全く残っていないということでした。移植は成功しました。もちろん骨髄液全部を調べることは出来ません。骨髄液を1部抜き取り、その中に腫瘍細胞(がん細胞)があるかどうかを調べるのです。その限りで100%がん細胞が残っていないとは言い切れません。しかし検査結果でがん細胞がないということはひとまず安心です。そして7月11日退院(day22)となりました。

また私の場合自己末梢血幹細胞移植であり、同種(他人からの)移植ではないので後遺症として免疫不適合によるアレルギー反応、ドナーの細胞が被移植者の皮膚や腸管、肝臓などの臓器を攻撃するGVHD(移植片対宿主病)にかかる心配がありません

4、退院後、通院、自宅療養 (2006・7・11退院)
退院後最初は週1回程度通院し、血液検査、尿検査、レントゲン検査を行いその結果から診断して薬の調合をしてもらいます。副作用防止の薬(抗生物質、防黴剤、胃薬等)は2、3ケ月服用し続けます。通院期間は徐々に間隔が長くなります。当面は白血球の持つ免疫力の低下の中で感染のおそれがあり(退位後1ケ月位たってから肺炎にかかり再入院した人がいます)、人込みには行かない、外出時はマスクをかける事など注意事項があります。

その他抗がん剤で痛めつけられた臓器-心臓、肝臓、腎臓、胃、大腸などの機能回復、体力の回復(だるさがなくなる)などあり、職場復帰は医者と相談しながら決めるほかありませんが2ケ月位の自宅療養は必要と考えられます。メルファラン(大量抗がん剤)によってどの位身体が痛めつけられておりその回復にどの位の期間が必要か全くわからない状態です。

『国立がんセンター』の資料には次のように書かれています、「・・・退院後もだるさが残り、元の健康な状態に近づくのには最低でも半年かかります。また白血球が増えてもその働きは悪く、様々な感染、特にウイルス、細菌や真菌(黴)感染にかかりやすい状態が続きます。その他の合併症や病気の再発の恐れもあります。その早期発見の為に退院後も定期的な検査が必要です。」

Ⅲ、第2回自己抹消血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006・10・12~11・11)


1、がんの再発
7月11日退院以降、体力回復に努め、日々療養生活を行ってきました。10月になってそろそろ職場復帰のための体力づくりをはじめようとしていた矢先、再移植という結論を医者から言い渡されました。退院時骨髄液の中には形質細胞腫瘍(がん細胞)は発見できなかったので、安心していました。しかし医者の言うように、骨髄液全体は調べられず、結局体のどこかにがん細胞は残っていたのでした。本来なら形質細胞腫瘍(がん細胞)が造りだしているIgMは形質細胞腫瘍がなくなれば徐々に体の外に排出されなくなり、新たに健全な免疫グロブリン(IgM)が作られるはずでした。

しかし8月16日を境に徐々にIgMは増え始め10月になると1週間に250という急ピッチで増え始めていきました。この急激な増加は自然発生的なものではなく、がん細胞によるものだと結論付けられました。1ケ月放置しておけば1000、4ケ月で4000になってしまう。早急に移植が必要となりました。移植前にIgM値を少しでも少なくしようと、10月3,4,5,6日にはVAD療法のミニ版(アドリアシン、ビンクリスチン、デカドロンを通常24時間点滴でやるのを3時間でやる)を外来でやり、10月5,6日にはデカドロンの錠剤80錠を飲むという方法を取りましたがあまり効果はありませんでした。

確かに第1回移植が終わった時に、主治医からは「骨髄液の中のがん細胞は全て検査できるものではない、骨髄の上澄みのみの検査で、その検査の結果がん細胞が無かったとしても完全になくなったかどうかの確証はない。完解を目指すなら自己抹消血幹細胞移植を2度やるという『タンデム(馬を縦に繋ぐという意味)移植』を行ったほうがいい」と言われてはいました。しかしその時はまたがん細胞が増殖してくるとは思いもしませんでした。

2、再入院・第2回移植 (2006・10・24移殖)
10月11日外来時、IgMが1240だったので一日も早く入院してIgM値を下げようということで、急遽12日に入院し12,13日は検査で14日からVAD療法を始めました。18日にVAD療法を終え、移植の体制に入りました。

22日大量抗がん剤の投与、24日自己抹消血幹細胞移植と無事スケジュールは終えました。今回は白血球が60になってからの脱力感が大きかったです。大量抗がん剤メルファランが体の粘膜を破壊する作用を持っているため前回と同じ症状は続き口内炎、胃もたれ、下痢、腹痛、心臓の締め付け感に悩まされました。26日から29日の3日間は1日中寝ていました。白血球値が期待したようには上がらず、30日の採血結果で20とまた下がり続けていました。それもついに2日の木曜日の採血結果白血球値は2400、金曜日には6400になり白血球減少時の感染に関してはひとまず安心となりました。血小板はなかなかあがらず、4回輸血しました。ヘモグロビンは9.5と安定していました。

一旦持ち直した体調も2、3、4の3日間最高39度近くの発熱で寝込んでしまいました。原因は分かりませんが白血球が増えるときに出る熱や、抗生剤がアレルギー反応を起こす場合など考えられるそうです。11月2日骨髄液を取りその中の形質細胞腫瘍(がん細胞)を調べました。調べられる範囲ではきれいだったということです。しかし再発する可能性がゼロということはありません。そし11月11日移植治療としてはきわめて早く(day20)退院となりました。退院後IgMが増加することがあればサリドマイドを使用してがん細胞の再発を抑えていこうという提案がなされています。

入院から第2回移植までのIgMの推移
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2005.12.5  フルダラビン療法
2006.1.5   VAD療法第1クール
     1.23  VAD療法第2クール
     2.20  VAD療法第3クール
     3.20  自己末梢血幹細胞採取
     5.15  VAD療法第4クール
     6.20  第1回自己末梢血幹細胞移植
     10.24 第2回自己末梢血幹細胞移植

第1回移植での入院中の血液検査結果データー(6/18大量抗がん剤投与)
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第2回移植での入院中の血液検査結果データー(10/22大量抗がん剤投与)
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

治療経過ダイジェスト・2

MP療法からベルケイド療法まで (2007・5.31~2008・4)

Ⅳ、がんの再再発


1、がん細胞の増殖
昨年(2006年)の7月と10月の2回にわたる造血幹細胞移植によって一時は完治たように思えた時期もあったわけですが、結局がん細胞(形質細胞腫瘍)は体の中のどこかに存在していて、それが徐々に増殖していったのです。5月31日から再び抗がん剤治療を行うことになりました。  

11月12日の退院時、骨髄の中には形質細胞腫瘍(がん細胞)は存在しませんでした。退院後もIgM(形質細胞腫瘍・がん細胞が過剰に作り出す免疫グロブリンMタンパク、IgMの正常値は50~300)は下がり、12月20日には78までになりました。しかしその後じわじわとIgM値は上がり始めました。4月4日には526となりました。

しかし4月18日には528とほとんど増えず、このまま収まるのかとの期待もありましたが、結局5月2日には740、5月30日には1149となってしまいました。1ケ月で一挙に400も上昇したのです。今までは1ケ月200前後の上昇でしたが今回はその倍ということになります。IgMは色々な条件で増えたり減ったりすることはありえますが、400の上昇ということでガンの再発は確実となりました。

2、MP療法の開始(2007・5・31~)
IgMの値が1149という状況の中でどうするのか。私の原発性マクログロブリン血症は、どちらかというとIgM型多発性骨髄腫だと考えられるということです。MP療法をやってみることにしました。メルファラン6mgと、プレドニン(ステロイド)を1日朝昼晩3回、計50mg服用する。メルファランの副作用として白血球の低下(感染症の危険)、吐き気、下痢などがありますが量が少ないのでそれほどの影響は無いと考えられますがわかりません。移植のときは300mg使用しました。その50分の1ですからそんな激しい副作用は無いでしょう。この薬は4日間服用し1ケ月休薬し、また服用する。それを繰り返します。しかし、MP療法は根治療法ではなく、IgMの増加を抑える対処療法でしかありません。

3、MP療法の経過
① MP療法第1回―5月31日から4日間服用
6月13日の定期外来での血液検査の結果では、IgMが1295、6月27日の定期外来では1390と上昇は2週間で100と若干は抑えられていますが、MP療法が何処まで功を奏しているか不明な点もあります。

② MP療法第2回-6月27日から4日間服用
MP療法の効果として、IgMの数値が1390から1407と17しか上がっていませんでした。2週間で17という数字は今まで見られなかったものです。今までは2週間で多い時は200、MP療法を始めてから100といった状態でした。今回の17という数字はMP療法の効果と思われます。

③ MP療法第3回-7月25日から4日間服用。
8月8日の定期検査でIgMが1540から1796へと250も上昇していました。中性脂肪は550から339になって少しは安心しました。IgMの上昇についてどうするのか。しかし、8月22日の定期外来での検査結果でIgMは1632と前回より164減っていました。MP療法の継続ということになりました。

④ MP療法第4回-8月22日から4日間服用。
9月5日の定期外来でIgMは1679と2週間前と比べ47上昇していました。この程度の上昇だったのでMP療法を続けることになりました。9月19日の定期外来の検査ではIgMは1579と97減少しました。大幅な上昇はなくなりました。メルファランが蓄積して効いてきているのでしょう。しかし一方抗がん剤の影響でヘモグロビンが8.8、血小板が4.9、白血球が2700と全体的に減ってきています。このまま骨髄抑制が行われれば副作用が激しくなるでしょう。そのためメルファランを1日6から4mgに減らしました。これによってまたIgMが増える可能性はありますが、副作用との兼ね合いで減らさざるを得ませんでした。

⑤ MP療法第5回-9月20日から4日間服用
10月3日の血液検査の結果IgMが一挙に313上がりました。このような上昇は始めてです。2週間に300以上の上昇の原因とは何か、副作用を抑えるためメルファランの量を少なくしたことが原因なのか。メルファンが効かなくなってきたからなのか。メルファランを減らしたにもかかわらずヘモグロビン、白血球、血小板数はあまり変化していなません。血小板数が4.1から5.2に増えた位です。MP療法は効果のわりに副作用(骨髄抑制)
が強かったのでベルケイドを使用するほかありません。

⑥ MP療法第6回-10月18日から4日間服用
10月17日の検査でIgMは1955までになり、早急にベルケイド療法に切り替えることが必要となり、入院までのつなぎとしてMP療法の最後として薬の処方をしました。

4、副作用への対応

6月27日の血液検査では白血球値が2100(正常値3800以上)、血小板が6.3(正常値13以上)と減少しました。7月11日には白血球3200、血小板8.0と回復しましたが、また減る可能性はメルファランを服用している限りあるでしょう。

ステロイドの影響で骨が弱くなったり、中性脂肪の増加等の副作用があります。これらの副作用への投薬も必要となってきています。そしてまたその薬の副作用がありうるということで中々体調が回復するということはなさそうです。骨が弱くなるのを防ぐため骨粗しょう症の薬であるボナロン錠35mgを1週間に1度服用することになりました。

7月11日の検査結果で中性脂肪586(正常値30~150)という数値が出ました。6月27日には274だったのですが一挙にあがってしまいました。総コレステロールは213で(正常値130~219)で正常値に納まっています。7月25日の検査結果、中性脂肪は550あり、それを減らす高脂血症薬ベザトールSRを毎日飲むことになりました。

服用していた薬
メルファラン: 抗がん剤、1ケ月1度に6mgを4日間連続服用
プレドニン: 副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)、最初は1ケ月1度5mgを10錠4日間連続服用。その後MP療法の効果が薄れてきたので2週間1度
ボナロン: 骨粗しょう症薬、1週間1度35mg朝食30分前
ベザトールSR: 高脂血症薬、200mg朝食後毎日
コートリル: 副腎皮質ホルモン(スレロイド剤)、10mg朝食後毎日
フルゴナゾール: 抗真菌剤、100mg朝食後毎日
ムコスタ: 胃薬、100mg朝昼夕食後毎日
パキシル: 帯状疱疹神経痛沈痛薬(抗鬱剤)、10mg夕食後毎日

これらの薬はさまざまな副作用をもたらします。抗がん剤は骨髄抑制作用を起こし、白血球、ヘモグロビン、血小板を減らし感染症を誘発します。口腔胃腸粘膜への影響や、肝機能、腎機能への影響もあります。ステロイド剤は抗アレルギー作用、抗炎症作用、免疫抑制作用などを発揮する反面、副作用として脂肪の異常沈着、感染症の誘発、骨粗しょう症、血糖値の上昇などがあります。その他の薬全てが倦怠感、脱力感を誘発します。現状、家事や散歩などの軽作業は可能ですが、病気以前のような体力の回復はまだなかなかといった状態です。

Ⅴ、ベルケイド療法の開始

1、ベルケイド療法とは
MP療法が限界に来ているという判断によってベルケイド(ボルテゾミブ)療法に移行することにしました。「これまでに少なくとも過去2回以上の前治療歴があり最後に受けた治療後病気の進行が認められた骨髄腫患者」が投薬の対象です。難治性、再発性の骨髄腫患者へのサルベージ療法(最後の手の治療)といえます。日本では2006年10月に承認、12月1日より薬価収載、発売された薬です。それまでは自費購入であったが、保険適用になったということです。従って日本での臨床例はまだ少ない。多くの患者の要望でやっと認知されたものです。ベルケイドは体表面積あたり1.3mgを静脈内に注射します。1,4,8,11日と4日間注射し、10日間間を置いてこれを繰り返します。

副作用などの心配があるので、約40日間の入院が必要となります。ベルケイドの難治、再発性骨髄腫への奏効率は35%という統計が出ています。難治性骨髄腫患者にとって画期的で効果的な薬として注目されているがそれでも3分の2の患者には効果が無いということです。

2、ベルケイド療法の実施(2007・10・26~)
10月24日ベルケイド(ボルテゾミブ)療法のため入院することになりました。2クール40日間の入院の必要性となります。それ以降は通院で同じことをさらに6クール繰り返すことになります。8クールで一行程となるわけです。半年以上かかる長期的な療法です。8クールで効果がなかったならばさらに同じ療法を続けます。以降は同じサイクルで繰り返す方法と注射を週1回にして4週間行い13日休むサイクルを繰り返す方法の2通りがあります。つまり効果が見られなければ半年間、さらに効果が出るまでひたすら繰り返すというエンドレスな治療法だということです。

入院し、医師の管理の下にベルケイド療法を行った。ベルケイド(ボルテゾミブ)2.1mg+デカドロン(デキサメタゾン)40mg-1,4,8,11のサイクルで静注する。第1クール、第2クールを終わった時点でIgM値は2200から400まで下がりました。きわめて効果的な薬だということになります。そして12月28日に退院しました。それ以降1月に第3サイクル、2月に第4サイクルを病院の通院治療センターで行っています。当面第8サイクルまではこの療法を継続していく予定です。

ベルケイドは分子標的治療薬として、がん細胞を狙って攻撃する抗がん剤で、副作用が究めて少ない薬であるのは確かです。しかし、継続して使用していくと、血小板の減少で療法のコンスタントな継続が難しくなったり、末梢神経障害として手足の痺れが激しくなったりします。抗がん剤の症状としての倦怠感や体力の消耗感は、ステロイド剤を併用して抑えることはしていますが、どうしても治療中はだるさに付きまとわれている状態です。しかしそれでも日常生活は可能ですし、通院治療できるということは他の抗がん剤に比べ副作用が少ないと言えるでしょう。

第2回移植以降からMP療法を経てベルケイド療法以降のIgMの推移
グラフ2

2006.10.24 第2回移植
2007.5.30  MP療法開始
     10.26 ベルケイド療法開始

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

治療経過ダイジェスト・3

サリドマイド療法からレナリドマイド、そしてDCEP療法へ 
 (2008・4.2~2011・3・12)


Ⅵ、サリドマイド療法

1、サリドマイド単剤で使用(2008・4・2~)
きわめて効果的だったベルケイド療法は、第3サイクル、第4サイクルと回を重ねるにしたがって効果がなくなり、3月段階でIgMは再び上昇し始めた。このまま続けていってもIgMを抑えることは出来ないと判断し、サリドマイド療法を採用することにした。この薬は厚生省で認可されておらず、保険適用外で、輸入代行業者を通じて個人輸入しなければならない。しかし外に効く薬がない現状ではサリドマイド(血管新生抑制剤)を使用する他ない。4月2日からサリドマイド100mgを服用することにし、5ケ月行った。効果としては、IgMを減らすことは出来ないが、増加を抑えることは出来ていたが、徐々にIgMが増加して来た。
 
2、サリドマイド+エンドキサンの併用療法(2008・9・3~)
サリドマイド単剤での治療効果が薄れてきたのでエンドキサン(シクロフォスファミド・アルキル化剤)を併用することにした。サリドマイド100mgは今まで通り服用し、エンドキサン50mgを月5日間服用するというものだ。その後7日間にした。しかしこの併用療法はあまり効果が無く、米国の血液学会で推奨されていた、サリドマイド+エンドキサン+デカドロン(ステロイド)の3種併用療法に切り替えた。

3、サリドマイド+エンドキサン+デカドロンの併用療法(2008・11・27~)
サリドマイド100mg/毎日+エンドキサン300mg/週1回+デカドロン40mg/4日間月1度を服用するというもので、かなり長い間効果を持続した。

4、その後のサリドマイド併用療法(2009・6~)
2009年
6月 サリドマイド100mg/毎日+オンコビン(ビンクリスチン)2mg/月1度+デカドロン(デキサメタゾン)40mg/月4日。効果減少。
8月 オンコビンを月2度にするが効果期待できず。
9月 サリドマイド100mg/毎日+メルファラン(アルケラン)8mg/月4日+プレドニン50mg/月4日。
11月 好中球が 500以下になる。上記の療法による骨髄抑制が強すぎるので中止。
11月25日~ サリドマイド100mg/毎日+クラリスロマイシン200mg/朝晩毎日+プレドニン50mg/月4日。クラリスロマイシンは抗生物質であり骨髄抑制の心配はなかった。
12月24日~ 上記療法が全く効果を発揮せず、IgMが1ケ月に1000も上昇してしまった。次の療法として
ベルケイド2.1mg/週1回毎週静注+デカドロン33mg/週1回毎週静注+サリドマイド100mg/毎日服用+エンドキサン(シクロホスファミド)50mg/月4日服用。ベルケイド、デカドロンは4週連続して行ない1週休薬する。

2010年
4月28日~ エンドキサンを100mgに増量
6月23日~ サリドマイド+MP

サリドマイド療法でのIgMの推移
G5.jpg

2008.4.2   サリドマイド単剤で使用開始
     9.3   サリドマイド+エンドキサン
     11.26 サリドマイド+エンドキサン+デキサメタゾン
2009.6.11  サリドマイド+オンコビン+デキサメタゾン
     9.16  サリドマイド+メルファラン+プレドニン
     11.25 サリドマイド+クラリスロマイシン+プレドニン
     12. 24 サリドマイド+ベルケイド+エンドキサン+デキサメタゾン
2010. 6. 23  サリドマイド+メルファラン+プレドニン

Ⅶ、レナリドマイド使用開始

2010年9月29日~ レナリドマイド(レブラミド5mg×3=15mg)を月21日間服用開始。
2011年1月19日~ レナリドマイド15mg/毎日+デキサメタゾン40mg/4日間服用、4日間休薬しまた4日間服用する。これを繰り返す。

レナリドマイドの効果が減少しきました。IgMが今までになく急速に上昇してきた。1月5日には3618、1月19日には・4916、1月26日には6738、そして2月2日にはついに8400にまで上昇してしまった。今までにない驚くべき増加です。眼科でのサイトメガロウイルス網膜炎の治療のためステロイド剤の使用を避けてきたが、止むを得ず1月19日には、レナリドマイドとの最も主要な併用療法であるデキサメタゾンを使用する事にした。

レナリドマイド15mg毎日、デキサメタゾン40mg4日間連続服用を開始した。そして4日休薬し、再びデキサメタゾン40mgを4日間服用する。これを繰り返す高用量デキサメタゾン療法を取り入れたが全く効果は見られなかった。

Ⅷ、新たな治療を求めて・第1回DCEP療法

1、入院治療へ(2011・2・3~3・12)
1月26日の診察日、IgMの数値が6738になったという急激な上昇を見て、主治医は入院の必要性を主張した。入院でかなり強力な抗がん剤を用いて治療しなければならない段階にきているということだ。

そこで医者は、シスプラチン、エトポシド、シクロホスファミド、デキサメタゾンを組み合わせたDCEP療法の説明をした。26日には入院手続きをしましたがなかなかベッドが空かないのだろう、次の診療日2月2日になっても入院日の連絡が来なかった。IgMは8400になり、体調的にも倦怠感が全身をおおっている感じだ。主治医が病棟担当の責任者を呼び出し、どれ程入院が必要かを訴えた。病棟は血液内科ではないかもしれないが、明日入院できるように手配するとの回答をもらった。2月3日からの入院が決まった。それが3月12日の退院までという長い期間になってしまった。

2、DCEP療法・治療内容

▼ デキサメタゾン33mg: 1日30分点滴で4日間行う。
▼ シスプラチン16mg: 4日間かけて点滴。1日目はAM11時から翌日のAM10時まで、1時間休んで、またAM11時から翌AM10時まで行う。これを4日間、つまりほぼ96時間休むことなく点滴し続ける。
▼ エンドキサン650mg: 4日間かけて点滴。1日目AM11時から初めて96時間休むことなく点滴し続ける。
▼ エドポシド65mg: 4日間かけて点滴。エンドキサン同様1日目AM11時から初めて96時間休むことなく点滴し続ける。
その他、毎日デキサメタゾンの点滴の前に制吐剤カイトリルの点滴を行う。また1日1リットルのソルデムを点滴し続ける。

3、治療経過

2月3日 入院
2月3日~6日 骨髄穿刺、中心静脈カテーテル挿入、心臓エコー、レントゲンなどの諸検査が行われる。
眼科医の診療も平行して行なわれた。2月4日には眼の痛みと頭痛が突然襲ってきった。IgMが増加し網膜の毛細血管に影響を与えた可能性が大きい。眼圧を下げる点滴をして痛みは収まった。
2月7日~11日 4日間のDCEP療法が行なわれる。
2月14日 IgMが8400から6370に減少した。
2月14日頃より骨髄抑制が強まる。白血球は300→70→200→300と低迷状態が続く。G-CSFを14日から28日まで連日投与。血小板にもかなり影響がでて輸血を繰り返した。2月16,18,21,25,28日に行なった。
2月15日 高熱が出始める。毎日ほぼ決まっていて午後突然体が震えだし歯の根が合わず、悪寒が全身をおおう。ありったけの毛布と借りている電気毛布をかけその中に包まってがたがたと震えている。20分位経つと震えは収まりやがて段々と熱くなる。タオルケット1枚でもいい位だ。その頃熱が一番高く39度以上ある。その高熱が連日続く。
2月25日 高熱が収まる。白血球が700、好中球が240。
2月28日 IgMが2673まで下がる。白血球の数値が上昇し始める。口内炎もそれに合わせて完治する。白血球2100と好中球1170になった。
3月10日 白血球3200、好中球2100、血小板6.4になり退院確定。
3月12日 退院

レナリドマイド開始からDCEP療法終了までのIgMの推移
グラフ4

2010・9・26 レナリドマイド使用開始
2011・2.3  DCEP療法のため入院
     2.28 IgMが2673まで減少

DCEP療法での入院から退院までの血液検査結果データー
iiiii.jpg

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治療経過ダイジェスト・4

第1回DCEP療法退院以降、第2回入院・退院まで(2011・3・13~8・18)

Ⅸ、第2回DCEP療法

入院に至る経過
退院後3月17日からの治療法について、骨髄抑制の少ない方法をとる外なかった。ベルケイドを中心とした併用療法である。サリドマイド100mg/毎日、週1度通院でベルケイド1.9mg、デキサメタゾン(デキサート)33mgの静注を続けていた。5月になって効果が薄れ始めた。そのため高用量デキサメタゾンを投与する事になった。4日間40mg服用し、4日間休薬し、また4日間服用するというものだ。以前はデカドロンという1錠0.5mgの錠剤しかなった。これだと1日80錠服用しなければならない。最近レナデックスという1錠4mgの錠剤が発売され、これだと1日10錠飲めばいい。5月25日から初めて6月22日まで行った。

6月22日にはIgMが減少した。そこで高用量デキサメタゾンの投与を止め週1回に戻した。ステロイド剤の大量投与は睡眠の問題が顕著だが、それ以外の面でも免疫力の低下、高血糖、高脂血症、骨への影響など様々な身体的負担を強いる事になる。長期間続けることは極めて厳しい。

7月13日からIgMが急激に上がり出し、7月20日の検査結果でもかなりの増加が見られた。もはやベルケイドを中心とし三者の併合療法は全く効果をもたないと判断せざるを得なかった。外に通院で使える薬は見つからない。入院して前回と同じDCEP療法をやったほうが確実である。またかなりの体力消耗感があってこの状態も改善したかった。7月25日からの入院となった。今回は病室の改装が終わり、受け入れ態勢が整ったのか、入院を決め手続をしてから5日目で入院することが出来た。

DCEP療法
入院で行うのはDCEP療法、2月に入院して行った療法と同じである。
・デキサメタゾン33mg-30分で点滴4日間
・シスプラチン10mg/m2+生理食塩液500ml-4日間96時間連続点滴
・エドポシド40mg/m2+ブドウ糖注射液500ml-4日間96時間連続点滴
・シクロホスファミド400mg/m2+生理食塩液500ml-4日間96時間連続点滴
この組み合わせで4日間が治療期間だ。朝10時頃点滴していた薬が終わりになるので、同じ薬を追加し連続投与となる。薬の点滴の前には制吐剤のカイトリルが投与される。またシスプラチンが腎臓に負担かけるということで、それを防ぐために大量の水分を補給する。薬と一緒に点滴する生理食塩水などで1500mlさらに1500mlのソルデムが点滴される。合計1日3000mlの水分補給が行なわれる。

入院経過
7月25日 入院、採血と尿検査、赤血球が193、ヘモグロビンが6.6。
7月26日 骨髄穿刺(マルク)、中心静脈カテーテル挿入、心電図、レントゲンなどの諸検査が行われる。
7月27日~30日 4日間のDCEP療法が行なわれる。だるさや疲労感は収まってきている。赤血球の輸血による増加と、デキサメタゾンのせいだろうが、
8月1日、3日 免疫グロブリン製剤輸血。白血球の減少を少しでも免疫グロブリンで補う外ない。
8月3日 IgM6257、7月20日の診察日以降IgMの値を測っていない。7月20日以降は一切治療をしていないので、入院時にはIgMは7000を超えていただろう。そうなると8月3日の6357という数字はIgMが減少した数字となる。
骨髄抑制が強まる。G-CSF連日投与。白血球は500→400→600と低迷状態が続く。
8月8日 入院時から継続していたソルデムの点滴終了。抗がん剤治療中は1日1500ml、その後は1000mlが24時間継続して点滴されていた。
8月10日 IgM4223、白血球の数値が上昇し始める。白血球1800、好中球1260。
8月15日 G-CSF投与をやめた結果、白血球は1500、好中球は670と減少した。
8月17日 IgMが3629まで下がる。入院中赤血球2回、血小板3回輸血。前回よりかなり少ない。血液検査の結果、白血球2000、好中球は860であったが退院は予知通り。
8月18日 退院

今回の入院について

1回目の入院期間は38日であった。今回は25日とかなり短縮した。前回は好中球が0まで落ち、白血球(好中球)回復するのに17日かかった。今回は8日間であった。副作用に関しては、前回感染症なのか不明な点もあるのだが、一週間以上、39度の熱に見舞われた。昼過ぎに熱が出始め、1時間位でピークに達する。それ以降は熱さましと氷枕で夕方には37度台まで下がる。それが繰り返されかなり体力を消耗する事になった。

今回は全く発熱しなかった。口内炎も出ず、夕方36.8度位の微熱が出ることはあったがその位は許容範囲だろう。抗がん剤という体にかなり負担をかける薬剤の投与によって、やはり少しは体へのダメージはあるが、副作用といっても骨髄抑制位で、輸血とG-CSFで対応できた。そういった意味で今回の化学療法は大きな副作用や感染症に遭う事もなく、かなり身体的は楽な治療であったと言える。

退院後の治療について医者の説明
25日の外来診療からレナリドマイド(レブラミド)を服用する。デキサメタゾンと併用するかどうかについては考える。レナリドマイド単独、またはレナリドマイド+デキサメタゾンが効果を失ってきた場合、ベンダムスチンをプラスする。新薬であるベンダムスチンに関しては、まだ十分な臨床経験がなく骨髄抑制がどの位になるのか、どのような副作用がでるか十分に把握できていない。したがってベンダムスチンの投与の際には入院してもらう事になる。

第1回DCEP療法での退院以降、第2回DCEP療法での退院までのIgMの推移
gurafy.jpg
 2011・
 3・17~5・25  サリドマイド+ベルケイド+デキサメタゾン(デキサート・点滴)
 5・25~6・22  サリドマイド+ベルケイド+高用量デキサンタゾン(レナデックス・錠剤)
 6・22~7・20  サリドマイド+ベルケイド+デキサート(点滴)
 7・25        DCEP療法のため入院
 7・27~7.30  DCEP療法実施
 8.17       IgM 3629
 8・18       退院 

入院中の血液検査結果データー
表

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治療経過ダイジェスト・5

第2回DCEP療法退院以降、ベンダムスチン療法のための入院・退院まで
 (2011.8.18~12.29)


Ⅹ、ベンダムスチン療法

ベンダムスチン療法に至る経過

8月18日第2回DCEP療法を終え退院した。退院時のIgMは3629であった。これ以降どういった薬を使用するのか難しい選択がせまられたが、とりあえずレナリドマイド単独で治療を始めることになった。しばらく単独で効果が上がっていたが、これはDCEP療法の効果が持続していたのかレナリドマイドの効果なのかは定かではない。9月26日にはIgMが2週間で1000上昇した。レナリドマイド単独での療法は限界となった。次の方法として選択したのは以下の3種併用療法である。

レブラミド〈レナリドマイド)5mg×3=15mg/毎日、21日間服用・7日間休薬
レナデックス(デキサメタゾン)4mg×5=20mg/週2日
エンドキサン(シクロホスファミド)50mg×4=200mg/週1回

10月12日早くもIgMは5518と上昇してきている。9月8日には3293であったのが、10月12日までの35日間に2225の上昇が見られた。ほぼ一週間でコンスタントに500ずつ上がっている。シクロホスファミドの影響だろう。白血球と好中球ともに下降した。とりわけ好中球の380という数字は危険領域の500をはるかに下回っている。G‐CSFの注射を週3回やることにした。免疫グロブリン製剤の点滴もした。それでどうにかしのぐほかない。

IgMは毎週測っているが、10月12日から、11月24日までの動きとしては500上がって、100下がり、500上がって100下がり、500上がっている。次の週には250下がり、又100上昇する。こういった動きの原因は分からないが、薬が全く効いていないというわけではない事は確かであるが、薬の効き目よりもがん細胞の増殖の方が強力だということだ。

12月1日の血液検査の結果今まで上昇のパターンが一挙に崩れた。IgMが一週間で6281から7606へと一気に1300以上上昇した。先週先々週とIgMが抑えられていたが、そのたがが外れて一気に上昇したという感じだ。上昇はそれに止まらず12月8日には8417までになってしまった。もはや猶予は出来ない。緊急に入院してベンダムスチン療法を始めないと、何処までIgMが上昇するか分からない。このままいくと数日後には1万を越える可能性があり、そうなると身体に重大な影響が出るだろう。

入院予約は12月2日に提出したが、なかなかベッドが空かず、入院日の連絡がない。結局12月12日に緊急入院ということで、空いていた消化器科病棟に入院することができた。

ベンダムスチン療法の問題点
ベンダムスチンの副作用として重度の白血球減少があるということだった。「血液学的な毒性は好中球減少症で、グレード3が25%、グレード4が48%となった」(癌Expertsニュース)。通常新たな治療を始める前には、白血球が3000位は欲しいところでる。時間を置くなり、G-CSFで増やしてから治療を開始するが、私の場合は見切り発車をいった感じで、入院前12月8日の検査では白血球が1600、好中球が360であったが、この状態で治療を始めざるを得なかった。

この状態で更に骨髄抑制の強い薬を投与するということはきわめて危険を伴うということだ。つまり白血球が殆どなくなり、感染の恐れが極めて強くなり、その期間が長くなるということだ。つまり回復にかなりの時間を要するということである。色々な支持療法を行ったり、感染予防の措置は採るとしても、感染による重大な事態を考えておいた方がいいと医者は言う。

ベンダムスチン療法
吐き気止めカイトリル3mgを30分点滴して、その後ベンダムスチン(トレアキシン)180mgを(溶)注射用水72mg、生理食塩水178mgに混ぜたものを1時間かけて点滴する。最後に生理食塩水を5分位流して洗浄する。これを2日間やる 。通院治療での点滴と比べて特に大変なわけではない。ただ新薬であり、臨床例が少ないので副作用がどう出るか、骨髄抑制がどの程度か分からないので入院治療をするとことになった。

ベンダムスチンの副作用
治療中の副作用として考えられるのは、1、睡眠過多(過眠)、2、赤血球、血小板の減少、3、食欲不振(胃もたれ)、4、腎臓機能の低下(尿酸値、クレアチンの上昇)。

一番心配した白血球の減少は見られなかった。メルファランやシクロホスファミドによる、白血球減少で治療を中断した事もある。同じアルキル化剤であるベンダムスチンで白血球の減少は当然のものとして予想していた。しかし実際に白血球の数値の推移は以下の通りであった。白血球数 2100(12/26)←1600(12/23)←1300(12/21)←1200(12/19)←2300(12/17) ←700(12/16)←900(12/14)←2000(12/12)。全く運がいいとしか言いようがない。

赤血球と血小板の減少が見られた。赤血球は2回、血小板も2回輸血した。IgGの減少が見られた。IgGが105というのは今までにない落ち込みだ。IgMの増加がIgGの産生を阻害したのだろうか。免疫グロブリン製剤の点滴を行う。

またもう一つの副作用として睡眠過多があった。これを副作用と見るかどうか、この薬の副作用の説明の中に過眠という項目はなかった。13日には恐らくIgMがかなり上昇していただろう。それも影響しているかもしれない。

ベンダムスチン投与後の13日は午後から眠気が急に襲ってきて、午後3時間、夜は8時に寝てしまった。14日から朝は6時には起きるが、8時の朝食後、眠くなりか2,3時間寝る。午後は昼食後4,5時間寝てしまう。夜は8時頃から眠くなり、朝まで寝る。ソルデムを1500ml点滴をしているので3時間おき位に目が覚めトイレにいくが、床に就くとすぐ眠りにはいれる。その後も同じように、ほとんど寝て暮らしているといった入院生活を送ってきた。そのためほとんど体を動かすことがないので食欲が全くない。この眠さが18日まで続いた。

体温はずっと36.5度から36.8度の間だった。発熱によって横になり眠くなるのはあるだろう。まただるさのため横になりたくなることもあるだろう。しかし今回は睡魔が襲ってくるように眠ってしまう。こういったことは今までになかったことだ。

抗がん剤で胃が荒らされているのかもしれないが、胃の膨満感があって、空腹感が全くない。病院では一般食の代わりのものが用意されている。食べられるものを少しでも食べないと体力が消耗してしまうと思って、朝はパン食、昼はうどん、夜はおかゆと変えて少しでも体に栄養を取り入れようとしてきた。

入院経過(12.12~29)
12月12日 入院、ソルデム1500ml点滴始まる。
12月13日 ベンダムスチン第1回目投与、傾眠が強まる(1日16時間位眠る)。
12月14日 ベンダムスチン第2回目投与、白血球900、好中球330
12月15日 赤血球輸血
12月16日 血小板輸血、尿酸値、クレアチニンが上がり始める。G-CSF投与始まる。
12月19日 赤血球輸血。過眠が収まってくる。ほぼ8時間睡眠になる。
12月21日 IgM 6647←8417(12/8)。 尿酸値クレアチニン正常値に戻る。血小板、免疫グロブリン製剤輸血。
12月23日 ベンダムスチンは白血球に大きな影響は与えなかった。ソルデムの点滴終了。
12月26日 G-CSFこの日の点滴で終了。
12月28日 IgMの検査結果 4710←6647(12/21)←8417(12/8)
12月29日 退院

第2回DCEP療法での退院以降、ベンダムスチン療法での退院までのIgMの推移
(8.17~12.28)

oooo.jpg
2011.
8.18 第2回DCEP療法・退院
8.25 レナリドマイド単剤投与
9.26 レナリドマイド+シクロホスファミド+デキサメタゾンの3種併用療法
12.13~14 ベンダムスチン投与
12.29 ベンダムスチン療法・退院

入院中の血液検査結果データー
900.jpg

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