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日常性の意義

7月9日(月)
 病院生活から元の日常生活に戻った。どこかに出かけるということでもなければ、毎日同じことの繰り返しだ。病院の延長線上で6時には起きる。病院では毎朝検温の後、早朝散歩をやっていた。ある時気がついた。病院の外壁の内側を、毎日全く同じコースを歩いている。

以前は色々コースを変えて歩いていたが、今回は歩き始めて3日目位から全く同じ道を歩くということが習慣になってしまったようだ。昨日歩いた道の足跡をなぞるように同じ道なのだ。同じコースだと何も考えなくても進んでいける。体が覚えているといった感じだ。以前は同じコースというと毎日同じでは退屈するだろうと思っていたが、実際にやってみると全く退屈しない。

 日常生活というものも同じようなものだと思う。われわれにとって当たり前のように来る明日は、多くの重病人にとって来るかどうか分からない時間なのである。ひたすら続く時間の連続性は、日常生活を限りなく尊いものとして自覚させてくれる。

「いのちの授業」で生徒たちに、余命を宣告されたら残された時間何をしたいか、といった質問の中で、大部分を占めた回答は「普通の生活を送りたい」であり、次が「家族や友人と一緒に過ごしたい」であった。自覚しないと何となく過ぎ去ってしまう普通の生活がどれ程意味があるのか、小学校6年の生徒たちがそれを自覚している。

「最高の人生の見つけ方」の中で、同じ病室にいた2人が同時に余命半年を宣告された。生きている時にやりたことを「棺おけリスト」に書き出した。大富豪の誘いでそのリストに書いてあることを次々実現していく。世界を回り、色々珍しい経験をしたが、結局最後に行き着いたのは家族との何の変哲もない日常生活だったのだ。何でもないように思えることの中に本当の幸せを見出したのだ。

DSCF0081_convert_20120710103609.jpg 公園の木槿(むくげ)

 家にいると、毎日献立を考え、買い物に行き、料理をしなければならない。これは手間かも知れない。病院では3度の食事が出る。確かにそれは楽かもしれない。しかし日々の煩わしさの中にこそ本当の生きている意味が見出せる。料理をするということはもはや生活の一部である。それは日常生活に欠かせないパズルのピースのようなものだ。

「思うに人間ひとたび死と直面し、死を正視し、そののち生きなおすと、当たり前のことだが、生ある喜びがひとしおで、何にでも感謝したくなる。」(ワット隆子)

日常生活とは何の代わり映えもすることなく平々凡々と過ぎ去っていく、しかしその中でも今生きているということを実感しながら送っていく時、その平凡さの中にも意義を見出していけるだろう。日常性とは人間の生活の持続的・反復的なあり方をいう。そしてそれは美的・創造的な行為との対比で言われること事もある。しかし平板で一元的に見える日常性の安定の中に自らの生命の維持を確認できる。

限られた生を抱える時、どうしたら無駄なく、後悔しない人生を送ることが出来るのか。このことは、余命宣告されたがん患者にとって日常生活を送る上いつも心にひっかかってくる言葉だろう。しかし生きているということに意味を感じる時、この世の中の全て無駄のないものはない。後悔しない人生とは、何かをやり遂げるといったことを意味しない。今を精一杯生きるということこそが最も重要なのだ。

まぶしいほどの太陽に光、溢れる緑、流れる雲。・・・さわやかな風を頬に感じ、とめどなく涙が溢れ出てきました。この気持ちは生きてこそ味わえるもの。人生に生きる意味や価値を求めてきた私ですが、すべての前に生きるということに意味の深さを知りました。(小林茂登子)

 どのような人生を生きていくのか。人は生きる意味や価値を絶えず追求しながら日々仕事をし、生活していっているだろう。しかしがんになって普通の生活が難しくなり今までの価値観が根底的に崩されていく時、どのような生き方選択できるだろうか。確かに否認、迷い、落ち込み、諦めなどにさいなまれる日々が続くだろう。

しかし最後には「がんである」という現実を受け入れその中で生きていく道を探さなければならない。それは日常性の再構築の過程だろう。かって日常的であった風景は、病気になって失われ、新たに自らの寄って立つ日常性を周りの人間関係の再構築も含めて作り上げ、その世界を安定的世界として認識する。

治らないがんであればまさにがんと共生し、QOLを維持しながら治療を続けるしかない。それには緩和ケアなども含めた総合的な医療が必要だろう。QOLの維持こそがむしろ治療の中心にならなければならない。生きていることを実感できる日常生活の遂行実現こそ、がん治療の最も重要な柱だろう。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

生きることの証

5月6日(日)
「生きるとはそれじたいが現に証なのではない。生きるとは、生きる主体が生きている事をどうにかして証そうとすることである。ひとの尊厳の根はそこにある」(『棺一基』大道寺将司全句集・辺見庸序文より)

 5月1日に退院した。白血球が1000、好中球が200の状態での退院は通常ない。家まで車で帰り、次の診療日7日までは外出しないようにと釘をさされた。退院できたというのは連休前ということが大きく影響したのだろう。3日から6日までは看護師も医者も休みを取りたいだろう。多くの患者が先週末から退院している。それでも看護師に聞くと3分の2位の患者が残っているということだった。

5月7日に血液内科の診療がある。赤血球が5月1日の検査では7.6しかなかったので上がってなければ輸血をすることにはなっている。しかし一番の問題はIgMの数値がどう出るかである。下がっていればしばらく様子をみようということで、一週間後の診療日が指定されるだろう。上がっていたら医者は言うだろう。もはや治療法はないと。そして無駄な治療をしないで緩和ケア病棟に行ったほうがいいとも言うかも知れない。

確かに1ケ月近く入院して治療効果が現れないとしたら、何のための入院治療だったろうか、辛い思いをしただけではないか、それにやるだけのことをやってだめだったんだから諦めもつくだろうと言われるかもしれない。

 これ以降の治療をどうするか、治療を止めるのかは自分で判断することなのであって、医者であっても他人から「死の選択」を言われたくはない。医者が大分前に家族を呼んで、緩和ケア病棟について説明した。そこでは単に痛み止めを投与するという終末期医療をするだけでなく、輸血やその他の治療も全くしないわけではないということだ。

しかし結局の所原発性マクログロブリン血症患者にとっての死は、治療しなければ必然的に増えていく血中蛋白の増加によって血液濃度が上昇しそれに伴う循環器や脳の血管の異常によるものか、形質細胞腫瘍の増加による、正常細胞の減少がもたらす感染症や体力の消耗、出血傾向などによるものかが待っているという事になる。

医者が「もはや治療法はない」といった時のどう対応するかということになる。何もしないでIgMが上昇するのを放置するという心境にはなれない。治療法は自分で探す他ない。確かに寝たきりになってしまうような治療をやりたいとは思わない。しかし「生への可能性」が少しでもあるならばそれに挑戦してみようとは思う。それに伴って生ずる感染症で命を落とすとしても、何もしないで死を迎えるよりはずっと納得できる様な気がする。

 冒頭に引用した辺見庸の言葉の中の「生きる主体が生きている事をどうにかして証そうとすること」とは「死にむかう生」ではなく「あくまでも生を求めるための生」を生き抜くことこそが自らの主体が生きていることを証すことになるのではないかとも思うのである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

限られた生をどのように生きるのか

4月1日(日)
◆ 人はどのように生を終えるのがいいのか。もちろんそれに対する明確な答えはない。全ての人が異なった終り方を考えているだろう。原発性マクログロブリン血症という病気にかかり私の余命は限られている。後数年の命だろうとは思っている。

限られた人生を生きるのと後20年、30年生きるかもしれないと思って生きているのとどのような違いがあるのだろうか。90歳まで生きることに意味を感じることが出来るだろうか。その年齢になったら何出来るのだろうか。何をしているのだろうか。そう思うと限られた人生を生きているということが、むしろ大きな意味を持ってきて自分に与えられた運命だと感じられる。

◆ 母親は90歳になる。最後に海外旅行に行ったのは6年前で、3年前まで元気で炊事洗濯掃除など家事全般をこなしていた。地域の「歩こう会」に参加したり、「文学散歩」というJTBの定期的な企画に参加して、文学者の案内で関連施設を巡る国内旅行にも参加していた。そのため足腰を鍛えるということで夕方散歩をするのを日課としていた。

しかし、3年前散歩中雨上がりの日転んで、半年ばかり寝たきりになってしまった。腰の痛みは収まり、完治したが、結局寝ていたときにやらなった家事を、その後やることはなかった。身の回りのことは出来るので安心だが、今は一日中寝たり起きたりを繰り返してテレビの前にいて見るともなしに見ている。高血圧気味だが、何で薬飲むのかどうせ先は長くないしこれ以上長生きしてもしょうがないという。

◆ 
寝たきり老人とまでは行かないが、元気で外に出て活躍しているのであれば90歳でも100歳でも生き甲斐をもってすごすことができるだろう。しかし体が弱ってきて思うように動けず耳も遠くなり、認知症まで行かなくても少しはボケが始まってきた場合、そういった時生きる目的、意味は難なのだろうか。ただ呼吸しているだけの生でしかなかったならば、生き続けたいと思うのだろうか。

90歳近くにもなるとなかなか生きる目的を持って生きている人は多いわけではない。その日暮らしで月日を消費しているに過ぎない。「今朝もね目が覚めちまったよ、昨夜も死ねなかった」ホスピスの老人が言った。

どういった生であれば生きる意味があるのか。病気になればそれに対して生物学的本能で対抗する。生は本能だが、しかし死は選択可能性を人に与える。こう考えた時限られた生を強制されているがん患者あるということは、人生に別の生き方見出していかなければならない。

「がんはなかなか良い病気だ。患者本人はもちろんのこと、家族や友人にとっても別れの時のための準備が出来るからだ。死の受容が比較的自然に行なわれると思う」(千葉敦子著『死への準備日記』)

◆ 
「ホスピス」の中で写真家ジャコメッリはいい知れぬ孤独な生、人間は誰でも老い、そして死ぬというやがて来る宿命的結末を見つめながら、その現実を凝視し続けるのである。「生」と「死」の狭間の中でもがき苦しみながらも生きる。生への願望と死への願望これは切り離せない表裏一体のものである。どちらも最後の生をどのように生きるかを模索しているのだ。

彼は死に行く者への畏敬の念を感じそれを映し出すのである。死を待つ老人たちの最後の曙光を写し出すのである。老人の顔の皺はまさに生の年輪であり、生の軌跡である。皺の一本一本の中に老人の全人生が刻み込まれているのである。老いも死も生と不可分な関係にあり、死があるからこそ生は輝きを増すのである。死はある意味で救いなのか

 『化学療法が著しい効果を顕せば、死期を遅らすことはできるかもしれないが、病状がいずれやってくる死につながるだろうことは間違いないようだ。目下の所私は「死を見つめる」よりも「死ぬまでどう生きるか」の方にずっと関心がある。

長い人類の歴史から見れば、私の40年の人生など全く芥子粒以下のものだ。だから私は自分の人生が終わりに一歩近づいたからといって、それが自分の世界を揺るがす重大事件だとは受け取っていないのだ』(千葉敦子著『死への準備日記』)

限られた人生をどう生きるのかそれは簡単なことではない。今までの生き方の延長線上にしかその答えはないだろう。日々どのように過ごすか、結局死ぬまでどう生きるかということでしかないのだ。頑張るとか努力するとかいった言葉とは無縁に「なるようになるしかない」と思って生きていく外ない人生なのだ。

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がん患者であるということ

10月28日(金)
 「いのちの授業」をやった小学校からは、授業を聴いた生徒から感想文が送られてくる。この感想文を読むことがある意味で「いのちの授業」をやることの中での一番の楽しみだ。自分の話したことがどのように受け止められ、どのような影響を生徒達に与えることが出来たのかそれを知る事は何よりも話すことの励みになる。

生徒に話した内容は自分自身に返ってくる。不確かな自分、思い惑う自分が生徒との関係の中で、生徒に話をすることの中で確実なものを見出していく。自己の中の不確かな思考も他者に話すことによって自己の確信へと変わっていく。不確かな自己が他者との関係の中で確実なものを獲得していくそういった過程が「いのちの授業」での生徒感想文の中で発見できる。

 揺るぎなき自己など存在しない。キルケゴールはいう「精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか? 自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である」。自己が単体として存在するならば、一旦形成された自己は揺るぎないものとなりうるだろう。自己は自己自身の関係に関係することにすることによって自己であるから、その関係は自己との対話であって絶望や不安、思い惑いなどに満ちあふれている。自己とは確定的な存在への模索の過程である。

つまり「派生的な、措定された関係が人間の自己なのであって、それはそれ自身に関係する関係であるとともに、それ自身に関係することにおいて他者に関係するような関係なのである。」だからこそ自己は、自分で自己自身に関係することによって自己を措定するか、他者との関係において措定するかそのいずれということになる。だからこそひたすら揺れ動く存在なのである。

 がんになって「がんと共に生きる」という心境に達しているとは思っているが、それは決して確信として存在しているわけではない。外の選択肢がないということであきらめているだけなのかもしれない。また治療がうまくいかなければ絶望とか不安にさいなまれることもある。

絶望についてキルケゴールは「絶望することができるということは、無限の長所である。人間が精神であるという無限の気高さ、崇高さを指し示すものだからである。人間が動物よりすぐれている長所である。けれども絶望しているということは、最大の不幸であり悲惨であるにとどまらない・・・」と言っている。

がんになったという現実に対して絶望し、しかしその絶望を経ることによって人は自己自身を見出していく。今まで会社や世間に流されて生きていた事について、絶望によって今までの自己を対象化し、がんを抱えて生きていかなければならない自分を見出していくことになる。そしてそれを宿命として受け入れ、自己自身を見出していく転機としていくことが出来るのである。

 多くのがん患者の生き方を交流会で聴く機会を持ってきた。彼らががん宣告を受け、長い治療を経てから、交流会に出て自分自身の事を語ることが出来るまでには多くの困難な道程があった。その過程については、死期を迎えた人の感情の移り変わりとかなり近いものを感じた。死と終末期研究の先駆者、エリザベス・キューブラー・ロスは「死期を迎えた人は典型的に、拒絶、怒り、交渉、抑うつ、受容の5つの感情段階をこの順番で経験する」と語る。

この過程は、がんを宣告された多くの患者も同じようにたどる。しかしそれは一方向的なものではなく、怒りから受容へ、そしてまた怒りに戻ったりする。人間の心は割り切れない。がん患者であることを受け入れ、がんと共に生きるのだと言っていた人が、重いうつ病になったりすることもある。

 最初はがん宣告されても、間違いではないかとがんになったという事を認めようとしない。次に「何で、私ががんにならなければいけないのか、自分は死でしまうのだろうか?」と、怒りが湧いてくる。そして最終的には「なんでなったか悩んで、苦しんでも、がんであるという現実は何も変わらない。なってしまったものは、受け入れるしかない」といった受容に至る。

確かに受容の感情に至り心穏やかにがん治療に取り組んでいければそれにこしたことはない。しかし人間の心は揺れ動く。がんを受容すると同時に、がん患者であり続ける自分ががんと共存ししながら、自己自身の新たな生き方を見出してできれば、心の安定を獲得することができるだろう。結局今を自分自身納得してどう生きるのかが問題なのだ。

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病気になるということ

10月21日(金)
 病気になるということはどういったことだろうか。しばらく前の「東京新聞」の「筆洗」というコーナーに次のような内容が書かれたコラムが掲載されていた。

正岡子規は「病気の境涯に処しては、病気を楽しむという事にならければ生きて居ても何の面白みもない」(『病床六尺』)という境地だったのだろう。あまり暗い影を感じない。彼は短歌や俳句の改革をやり遂げ、34歳の生を思う存分駆け抜けた残像が見える。

スイスの哲学者ヒルテイは言う「河の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気は全ての人の心を掘って耕してくれる。病気を正しく理解してこれに堪える人は、より深く、より強く、より大きくなる。」

56歳でアップル・コインピュター社の創始者スティーブ・ジョブス氏が亡くなった。彼はすい臓がんの手術を受けた後も新しい商品を生み、生きた証を残した。病を得たからこそ一層豊かな着想が浮かんだのではないか。(東京新聞)

 自分が病気になったことをどう受け止めるのか。病気になる前は、毎日22時23時まで仕事をし、土日も出勤し全く休む事ができないような職場環境だった。こういった労働実態はサラリーマンにとって一般的なのだろう。その中でがむしゃらに働いていく毎日を送っていた。そのことで生きることの意味が徐々に失われていった。

こういった状況の中でがんを宣告をされた。さらに余命5年と言われた。入院後、抗がん剤治療(化学療法)を5ケ月行い、2度の移殖をした。治療は長引き移植後の体力消耗で休職期間の1年が過ぎ職場復帰は出来なくなった。その時から今までの人生のあり方考え直さざるを得なかった。絶え間ない労働の日々から、全ての時間を自ら選択せざるをえない人生へと残りの人生を変えていくことが求められた。

病気になったという宿命は変えらない。問題はそれをどのように人生の新たな転機にしていけるか。限られた人生を自覚するということは、生きていることそのかけがいのない意味を知り、日々悔いのない人生を送りたいと思う。そういった転換ができれば人生は充実した新たな姿を見せてくれる。

 「病気を楽しむという事にならければ生きて居ても何の面白みもない」といった心境までには至らないし、「病気は全ての人の心を掘って耕してくれる」というように自分自身を豊に育んでいっているとも思えないし、「病を得たからこそ一層豊かな着想が浮かんだ」といった創造的な仕事をしているわけではない。

しかし状況に流される生き方から、自覚的な生き方への転換は、否が応でも進めざるをえない。日々の時間すべてが選択の対象となっている。その中で、自分が病気であるという事、そしてそこから敷衍する様々な痛みを単なる個の問題として捉え止めるのではなく、そのことを通して他人との関係をどのように作っていけるかが重要だと思う。

辺見庸は言っている「私たちの日常の襞に埋もれたたくさんの死と、姿はるけし他者の痛みを、私の痛みをきっかけにして想像するのをやめないのは、徒労のようでいて少しも徒労ではありえない。むしろ、それが痛みというものの他にはない優れた特性であるべきである。」(『たんば色の覚書』)

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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