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藤沢周平 『橋ものがたり』

7月1日(日)
51l4_convert_20120701072204.jpg『橋ものがたり』とは

 『橋ものがたり』は橋を舞台にした10の短編で構成されている短編集である。この橋を軸としながら、橋で出会い、橋で別れるそういった中で、人生のさまざまな喜怒哀楽が展開する。

橋は人生の交差点である。そのまま真直ぐ進むことも出来るが右にも左にも進める。舵を取るのは自分自身だ。この橋を経由して起こる人の心の変遷を印象的深く描き、読者に「人であるといることはどういったことであるのか」を考えさせる短編集である。

『橋ものがたり』を読んで、今ではどこに行っても聞くことが出来なくなった「人情」という言葉の意味を深くかみ締めることになった。人情というのは、人間の自然な心の動き、人間のありのままの情感、人としての情け、他人への思いやり、を意味する。

そしてそれは本来人間の中に備わっているものであるはずだ。しかし過酷な社会生活の中で、他人を思いやる心は失われ、競争の原理の中で他人は敵として蹴落とす対象でしかなくなっていった。バブルが崩壊し、小泉―竹中の新自由主義の推進は格差と差別を生み出し、分断と貧困を拡大していった。人々は協力して一緒に生きていく存在ではなくなってしまった。

▼ 現代社会でもはや語ることが出来なくなった「人情」について江戸時代を舞台にして藤沢周平は書く。昔よき時代ではない。市井に生きる人々は武家社会の中で経済力を増してきた商人の下で貧しい生活を細々と続けていくほかにない。商人も登場するが、彼らは日々の生活に追われる訳ではないからこそ、心の屈託がより鮮明に表れその対応に四苦八苦するのである。

手に職を持った職人ですら生活はぎりぎりで、年季奉公、お礼奉公が明け独立するまでは、徒弟制度の中、住み込みでほとんど無賃金で働かざるを得ない。そういった一切余裕がなくかつかつの生活をしている人たちがいつも藤沢周平の主人公である。

しかしそういった貧しさの中に人の「心の豊かさ」は存在しているのだ、ということを藤沢周平は疑わない。人を信ずること、人に信じられることそれはどういった人間関係の中で育まれていくのか。さまざまな視点で『橋ものがたり』の中に展開されている。その一人ひとりの心の優しさ、他人への思いやり、これらは人間が本来持っているのではないかと思わせる。

そういった心が描かれる一方で「飲む、打つ、買う」という裏の世界の誘惑に屈して借金を作り、家族を捨て、犯罪に走り、身を持ち崩し自分だけでない周辺を崩壊に導いていく人たちの姿も描きながら、両者の対比の中で人間の生き方を問うているのである。

橋の持つ意味
藤沢周平の『橋ものがたり』の解説を井上ひさしが書いている。「江戸期の橋は、今の省線の駅のようなもの。人びとは橋を目当てに集まり、待ち合わせ、そして散らばり去ります。人々の離合集散が多いということは、それだけ紡ぎ出される“物語”の数も多い。」(新潮文庫p333)

▼ 橋は何を意味するのか。男と女が出会う場所、親と子が別れ、出会う場所、過去と未来をつなぐ場所、善と悪をつなぐ場所、2つの異なった世界がここで交差し物語を作り上げる。

不断は引っ込み思案で気弱で自己主張も満足に出来ない、ごく普通の市井の人々が一生に一度でもいいから、「真っ正直に」突き進んでみようという決意をする。その場所が橋である、そこは出発点であると同時に行き止まりなのだ。進むか退くしかない。ここで自分を偽り退いたら永遠に前に勧めない。橋はそういった決意を促す。

『橋ものがたり』の舞台は、藤沢周平の描くいつもの東北の城下町ではなく、大川(隅田川)沿いそれも本所深川方面である。この地域の橋が次々と出てくる。そしてその周辺に住む人とたちが主人公だ。これら実在の橋を使いながら、主人公たちの生活空間と住居の距離感を想像させる。それが物語の重要な舞台装置になっている。小名木川の萬年橋、親爺橋、両国橋、永代橋、大川橋(吾妻橋)、永代橋、笄橋、鳥越橋、猿江橋、永代橋。今もありよく聞く名前もある。

人情の機微
「そして結末がまた泣けるのです。まことにすがすがしい甘さ。読み終えてしばらくは、人を信じてみようという気になります。(p334・同上)

 藤沢周平の小説の中で人々は、人の心に現れる様々な感情を丁寧に描写しそのことによって主人公の性格を浮き彫りにしている。人は愛のため全てを捨てることもあるし、起こるかどうかわからないことに過剰に期待していたり、ちょっとしたことに心から喜んだりもする。一方敵意や激情や嫉妬にかられる。そいった弱い存在の人間は、欲望に負け現実の重さに打ちひしがれ理想を失うこともある。

こういった人間はどこで救われるのか。物語の中では愛する人の過ちを赦したり、愛する人を信じて自分を犠牲にしたりする。しかしそれは他人のためではなく、自分自身を認めてもらいたいという切なる希望がそういった行為に駆り立てるのだ。

 藤沢周平の市井の人々の生き方の中に入っていくと、自分の生き方を見直すきっかっけになる。彼らあまりにも肩肘を張って生きているようだったら、少し肩の力を抜いて生きてみようと思う。彼らのやさしさに触れると自分も少しは他人との良好な関係を作ろうと思うこと人もあるかもしれない。

そういった意味で、彼の小説に触れることによって、少しだけ生きやすくなるかもしれない。彼のすべての物語の根底には、市井の名もない一人ひとりがどうやって「理想」や「希望」に向かうのかそういった問いかけあり、またそれが我々の日常性と通底する部分があり、共感を生むことにつながってくるのだろう。

藤沢周平小説・5つのジャンル
小説の解説の中で、藤沢周平の小説を読む情景について次のように書かれていた。「藤沢周平の小説は大別して5つのジャンルに分けることができます。まず、史伝もの、第2に御家騒動者、第3が下級武士の恋を描いた青春もの、そして第4が職人人情もの、第5が市井人情もの。大ざっぱですが、とりあえず以上の5つに分けた上で、故植草甚一氏風にいえば“雨の静かに降る日は、藤沢周平の職人人情ものか、市井人情ものが一番ぴったりだ”ということになりましょうか。『橋ものがたり』などは、梅雨時の午後のひと時を過ごすにはもってこいです。」(p332)

 植草甚一氏のいうように、少し大げさな言い方だが「雨の日に藤沢周平を読むという至福に勝るものはない」。むかしは土砂降りだろうが雪が降ろうが、毎日朝決まった時間に家を出て職場に行った。

今は仕事をしていない。雨の日は外に出る必要はない。コーヒーでも入れてソファーに横になって、文庫本をめくるのは、何よりも豊かな気分になれる。もちろん中身は何でもいい訳はない。それこそ藤沢周平の市井人情ものなど最適な選択だろう。冷たい雨と、心温まる彼の小説の相性は抜群だ。

雨が降ると雨に音が吸い込まれたように、あたりはひっそりとした雰囲気に包まれる。そういった隔離された空間のなかで、自分ひとりの世界に浸れるというのが雨に日の読書の楽しみなのだ。
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ユベール・ロベール-時間の庭

5月19日(土)
木曜日、眼科と口腔外科の診療は11時30分に終った。東京新聞を購読しているが、料金を徴収に来る時に、野球の試合の切符か美術館の入場券をくれる。野球は神宮球場の試合で日にちが指定されているし、神宮球場でやる試合には興味がない。美術展の入場券も何種類か持ってくるのだが、なかなか興味を引くものはない。

入院前に「ユベール・ロベール-時間の庭」という美術展の切符をもらった。西洋美術館で5月20日までの開催だった。今週の日曜日には終ってしまう。聞いた事のない画家だったが「廃墟の画家」というキャッチフレーズに興味を引かれ見に行くことにした。

hubert_robert_convert_20120519121743.jpgユベール・ロベール Hubert Robert(1733-1808): 18世紀のフランスを代表する新古典主義の風景画家。廃墟や古代建築物のある風景を得意とし、時には生命力溢れる人物を配置する知的で叙情豊かな風景表現で名を馳せ、人々からは廃墟の画家と呼ばれるほど人気を博す。また庭園設計や絵画管理者としての才能も発揮し、特に1790年代後半に参加したルーヴル宮改造計画における一連の諸作品は画家の才能が随所に発揮された傑作として名高い。

展覧会について:
世界有数のロベール・コレクションを誇るヴァランス美術館が所蔵する貴重なサンギーヌ(赤チョーク)素描を中心として、初期から晩年まで、ロベールの芸術を日本で初めてまとめて紹介する。ピラネージからフラゴナール、ブーシェまで師や仲間の作品もあわせ、ヴァランスの素描作品約80点を中心に約130点にのぼる油彩画・素描・版画・家具から構成される。

展覧会は6章で構成されている。1 イタリアと画家たち、2 古代ローマと教皇たちのローマ、3 モチーフを求めて、4 フランスの情景、5 奇想の風景、6 庭園からアルカディア。

 廃墟という言葉に何故人は惹かれるのだろう。一時廃墟ブームというのがあった。廃墟化した建物が持つ特有の雰囲気に何故魅力を感じるのだろうか、 幾つかの視点が上げられるだろう。廃墟となった施設が使われていた頃の様子を想像し、愛着を感じる者、 探検感覚で廃墟を探索する者、 旧式のドアの取手や、水道の蛇口、照明器具などの収集の目的を持っている者、などがあるだろう。 いわば過ぎ去った時代を懐かしむ気持ちが大きいのではないか。

ユベール・ロベールの廃墟への関心は、ポンペイやヘルクラネウムの遺跡発掘に沸いた18世紀という時代背景が大きいのだろう。またイタリア留学で得た古代のモティーフと、画家の自由な想像力とを糧に描き出されたその風景では、はるかな時をこえて古代の建築や彫像が立ち現われてくる。それも廃墟としてなのであるが、同時に廃墟の中にあふれる木々の緑や流れる水、日々の生活を営む人々が描かれている。

廃墟の中に描かれる日常生活の生き生きとした情景は、両者のコントラストを作り上げ見る者を過去と現実との間の中に投げ込むのである。ここではもはや廃墟は過去のものではない。

ロベールは11年に及ぶイタリア滞在中に、在りし日の威容を誇る古代遺跡やルネッサンスの栄華を示す大建築、あるいは打ち捨てられて植物が繁茂する庭園などを素描した。ロベールの芸術は、精密な古代遺跡へのデッサンの下地を生かしながら、時の流れを越え、過去から現在に至る時間を自らのものとしていったのである。それは単なるノスタルジーではない。廃墟をモチーフとして描きながら、現在にどのように位置づけられるかを考えながら創作していたのだろう。

自然と人工、空想と現実、あるいは想像上の未来と幸福な記憶を混淆させ、画家は絵画と庭園の中に彼の考える理想郷を作り上げていったのである。それは過去と現在が限りない調和を作り上げている世界なのだろう。遺跡を描くことによって過去を過去として葬り去るのではなく、全ての人の心の中に存在するし、現在の全ての人の生活に密接に結びついているということを強調したかったのかも知れない。

(参考資料:国立西洋美術館公式HP)

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入院5日目-病院での読書

4月8日(日)
 病院生活をどう過ごすかは、どのように時間を使うかによる。一日中テレビを見ている人もいる。しかしやはり多くの人にとって読書は主要な時間の時間の使い方だろう。新聞や週刊誌を含めて読むことで時間を使っている。

何を読むか、病院に持っていく本の選択はどのような病院生活をするのかを決定する。何かを研究しようと思っている人は専門書を持っていくかもしれないが、苦しい治療や発熱などに悩まされる病院生活では肩のこらない娯楽小説がやはりベストだろう。

趣味として昔よく読んでいたのは海外ミステリーだった。しかし病気になって体調が思わしくない時でも気楽に読める娯楽小説に出合った。それは藤沢周平の時代小説だった。その前から宮部みゆきの時代小説を読んでいて本所深川の人情噺に惹かれていた。しかし本格的に時代小説に引き付けられたのは藤沢周平の秘剣を取り上げたシリーズ物『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』で、それ以降ひたすら藤沢周平の時代小説を読んできた。

517NQBsbgSL__SL500_AA300__convert_20120410151833.jpg 図書館の藤沢周平の本がなくなると、今度は池波正太郎の『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『鬼平犯科帳』である。またある時本屋の店先で平積になっていて、ベストセラーと書かれた佐伯泰英の『居眠り磐音・江戸双紙』のシリーズが目に入った。図書館で借りて読むと、かなり面白い。36巻まで出ているが、図書館にあった分を抜かしたり、戻したりしながら4分の3位読んできた。全体を貫いた物語はあるが、各巻ごと独立のものとしても読めるので途中からでも筋を追える。

今回はどんな本を持っていくか。いつも入院する前の日に図書館に行って10冊ばかり借りてきて病院にもって行く。貸し出し期間は2週間だが、返却日の前日までに延長を頼めば2週間延長できる。1ケ月借りられれば退院の時には読み終わっている。

面会者が本を持ってくることもあるし、図書館から借りて来た本を読み終わってしまったら、病院の「医療情報室」内の図書室から借りることもできるが、いつも3週間前後の入院生活なので図書館から持ってきた本で大体まかなうことができる。

今回借りたのは佐伯泰英の『居眠り磐音・江戸双紙34~36巻』と藤沢周平の本が丁度図書館に戻って来ていたので『藤沢周平短編傑作集巻1~4』と『秘太刀馬の骨』という本だった。

 何故時代小説に興味を惹かれるのだろうか。映画にしても最近WOWOWで見たりDVDを借りてきたりして見たのは『最後の忠臣蔵』『十三人の刺客』『桜田門外の変』といった時代物だ。そもそも小学校の頃から『紅孔雀』『笛吹童子』そして『赤胴鈴之助』『白馬童子』『鞍馬天狗』『怪傑黒頭巾』などで育った世代だ。

舞台設定が現代でないということで話の展開を幾らでの広げることができるし奇想天外な世界に誘ってくれる。一方史実に基づいている点もあって現実味もある。そういった別の世界の中にどっぷりと浸り現実世界から逃避させてくれる。

入り組みあった現代の世の中とは別に勧善懲悪的、予定調和的解決を用意し読者に心地良い安定をもたらしてくれるのである。だからこそ体調が少し位悪くても読み続けることが出来る安心感がある。そういった意味でも病院で読むには極めて適していると思って、毎回借りて持って行っている。

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映画 『サルバドールの朝』

2月12日(日)
2月9日血液内科の診療が早く終ったので、映画週間としてユーロスペースで上映されている死刑関連映画を見に行くことにした。“「死刑の映画」は「命の映画」だ ”フォーラム90ではユーロスペースと死刑映画週間を共同で企画し実施した。場所は渋谷区円山町のユーロスペースで2月4日から10日まで行われた。

「犯罪や、その結果としての死刑という処罰方法は、私たちの日常と遠くかけ離れたものだろか? 世界中の映画監督や作家が犯罪や死刑をテーマに優れた作品を創造してきているのは、それが結構、社会が抱える身近な問題だからではないだろうか。」こういった趣旨で映画は行われた。

上映される映画は以下の10本で映画週間中1日4本上映される。
「私たちの幸せな時間」(ソン・ヘソン 2006)
「真幸くあらば」(御徒町凧 2010)
「エロス+虐殺」(吉田喜重 1970)
「帝銀事件 死刑囚」(熊井啓 1964)
「BOX 袴田事件 命とは」(高橋伴明 2010)
「絞死刑」(大島渚 1968)
「サルバドールの朝」(マヌエル・ウエルガ 2006)
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ラース・フォン・トリアー 2000)
「ライファーズ」(坂上香 2004)
「休暇」(門井肇 2008)

何本かの映画は既に見たことがある。今回見たかったのは『サルバドールの朝』という映画だった。血液内科の診療の後輸血を行なわなかったので、13時30分からのこの映画の上映に十分間に合った。A君との面会の後、病院の最寄駅まで歩き、山手線で渋谷まで行った。ゆっくりと昼食を採り、映画館の1階にある喫茶店でコーヒーを飲んで上映時間を待った。

51_convert_20120211231650.jpg 『サルバドールの朝』を見た。この映画は実話に基づいたものである。
1970年代初頭、フランコ独裁政権末期のスペインで、正義と自由を信じ、世界は変えられると理想に燃えていた青年サルバドールは、MIL(the Movimiento Ibérico de Liberación・イベリア解放運動)と呼ばれる若者の反体制グループに加わり仲間たちと反体制運動に身を投じていた。

資金調達のため武装して銀行強盗を繰り返す彼らに警察の捜査の手が伸び、警官に逮捕される際不慮の発砲により若い警部を死なせてしまう。彼は正当な裁判を受けられないまま死刑(鉄環絞首刑)を宣告・執行される。その過程を克明に描いている。

スペインにおける反体制運動は、スペイン内戦までさかのぼって考えなければならない。スペイン内戦は1936年7月17日から1939年4月1日まで続き、共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結し、フランシスコ・フランコに率いられ独裁政治を樹立した。フランコ政権の政党ファランヘ党は自らの影響力を拡大し、第二次大戦時にはドイツ・イタリアのファシズム政権と同盟関係を結び、自らも国内にファシズム体制を築き上げていった。

ファシズムは第2次世界大戦後、沈静化したかのように思われている。だが、スペインでは戦後も30年にわたってファシズムは続いていた。右翼・軍事独裁政権という性格上、国内の自由主義者への弾圧は厳しいものがあり、戦時中から軍隊や秘密警察を使って厳しい思想統制を行なった。60年後半から労働運動、学生運動などの反政府活動が活発になっていった。 それに対して政府は組織の非合法化、非常事態宣言、関係者の処刑などで弾圧を強化していった時代だった。

スペインの状況は世界の状況と無関係ではない。1968年フランスの五月革命は、「世界的学生反乱」を大きく波及させた。「反乱」はフランスのみならず、5月11日には西ドイツのボンで50,000人の抗議行動、5月16日にはイタリアのフィレンツェでの大学学生抗議行動、5月18日のローマでのストライキが行なわれた。アメリカにおけるベトナム反戦運動も大規模に行なわれている。又、1968年8月の「プラハの春」などに飛び火し、世界的にも同時多発的な「学生運動」「政治の季節」の導火線となった。

日本では1969年1月の東京大学安田講堂占拠闘争に象徴されるような全共闘の活動が広がっていった。しかし政治の季節の大きな波は70年代になり徐々に後退していく。全共闘運動も大学の占拠が解除され、71年の沖縄返還調印・批准阻止闘争を最後に大規模な街頭闘争を組むことができなくなり、散発的なゲリラ闘争に終始しやがて学生運動自体が沈静化していく。

このような大衆運動の低迷のなかで、学生運動は先鋭化し、過激化していく。それは68~70年の全世界的に広がった大衆運動が結局は体制を変えることができなかったという絶望感を背景に持っているのも確かだろう。70年になって日本赤軍、東アジア反日武装戦線、ドイツ赤軍、イタリアの赤い旅団などが次々と結成される。スペインにおけるMILの結成もそういった流れの中で捉えることができるだろう。それぞれの成り立ちについて簡単に書いてみる。

ドイツ赤軍: 1968年頃に一部の若者を中心として先鋭化した反帝国主義、反資本主義、反米をスローガンに掲げた極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」が形成された。そのため銀行強盗、爆破、誘拐、窃盗など非合法活動も含めたあらゆる革命行動を行った。

イタリア(赤い旅団): 1970年に創設されたとみられ、当初の主な活動はミラノやトリノでの極右勢力に反対する労働組合の支援であった。構成員は労働者と学生で、工場の設備を破壊し、工場の事務所や組合の本部に入り込んだ。1972年以降数多くの誘拐・殺人事件を起こし、ジャーナリストや、警察官、裁判官、実業家、政治家などを殺害した。

日本赤軍: 1971年、共産主義者同盟赤軍派の「国際根拠地論」に基づき、海外にも運動拠点と同盟軍を持つ必要があると判断し、パレスチナへ赴き、同地で創設した。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、テルアビブ空港乱射事件や、日本の国内外における身代金獲得や同志奪還を目論む一連のハイジャック事件、大使館など外国公館を攻撃をする事件を起こした。

東アジア反日武装戦線: 1974年、戦前戦後を通して行われているアジアヘの日本の侵略(経済浸路・新植民地主義支配)を阻止しようと、三菱重工等の侵略企業の爆破闘争を行った。またそれに先立ち、侵略戦争の最高責任者であり戦後も日本の頂点に立っていた、天皇ヒロヒトの御召列車爆破を企図した。

東アジア反日武装戦線の三菱重工爆破事件で8名が死亡し、385名が重軽傷を負った。これは全く予想できなかったことである。通常は放射線状に拡散する爆風が、ビルの谷間に阻まれ、ビルの表面を吹き上げ爆風の衝撃波で窓ガラスを破壊したほか、ビル内に入った衝撃波も階段などを伝わり窓から噴出し、ビル内部も破壊することになったのである。

また反日メンバーは守衛室へ8分前に爆破予告電話をかけたが、最初は「悪戯電話」として切られ、もう一度かけたが今度は取次ぎに時間がかかり、爆破予告が有効とならなかった。こういった一連の彼らの行動から殺意があったかどうか、現在再審で争われている。

彼らは8名の死者を出してしまったことに深く反省し、その後の爆破闘争では、時間を夜間にしたり、爆発の威力を小さくしたり、人の来ないような場所に仕掛けたりといった方法をとりながらも、アジアへの侵略企業への爆弾闘争を継続していった。

三菱重工爆破事件の実行犯とされている「狼」のメンバー大道寺将司君、益永利明君は死刑判決を受け、現在再審中である。『サルバドールの朝』の映画を見ながら、サルバドールが不慮の事故で警官を殺してしまったことと、「狼」メンバーが予想も出来なかった爆発の威力で人を殺してしまったということが重なり合った。彼らの殺人もまた不慮の事故ではなかったのか。確かに殺意はなかったと判断できたとしても、彼らの罪は消える訳ではないが。

サルバドールの場合、きちっとした裁判を行なえば、警官を死に至らしめた銃弾が、サルバドールの銃から発射されたものではなく、混乱のもみ合いの中で、仲間の警官の銃から発射されたものであることになったかもしれない。

警察はサルバドールに警官殺しの罪をかぶせるために、彼が撃った弾以外の弾(警察官が撃った弾)があったにもかかわらず、隠蔽し、検死結果を改ざんした。こういった問題点がありながら一切の審理も行なわれることなく死刑判決が下された。1973年ETA(バスク祖国と自由)によるルイス・カレロ=ブランコ首相暗殺があり、その報復としてサルバドールへの死刑判決は下されたといえるだろう。

この映画の中で最も衝撃的だったのは、死刑が執行される様子が詳細に再現されていることである。処刑道具は鉄環絞首刑(スペイン語:Garrote、ガローテ)と呼ばれるもので、椅子に座らせた死刑囚の首を鉄の輪で絞めて後ろを捻ることで首を絞める絞首刑の一種である。鉄の輪と棒で首の骨を折るという残酷な処刑の場面まで容赦なく描き出されている。政治的思惑によって真実はねじ曲げられ、25歳の若者は見せしめとして処罰された。

看守のヘススですら愛さずにはいられなくなる彼は、正義感に溢れた文学好きの心優しい兄であり弟であった。その彼を何故処刑しなければならないのかと監督は訴えかける。サルバドールの処刑は1974年だが、スペインが死刑を廃止したのはその4年後だった。(全ての犯罪に対する廃止は1995年)。

死刑執行までの残された時間の中で、家族、親友、恋人、弁護士、さらには刑務所の看守までもが彼の死刑回避のため闘い続けた。マスメディアや文化人知識人などの声を無視し死刑執行を強行し、一般者を葬儀にも参列させないなどの暴挙が繰り返された。自由を求めたサルバドールの死刑執行は、民衆の怒り呼び覚まし、1975年フランコの死後独裁政権崩壊のきっかけとなった。

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いがらしみきお 『 I 』

2月3日(金)
31_convert_20120201084320.jpg 友人がこの本を読んでどう思うか聞かせてほしいと言いながら、いがらしみきおの『 I 』という漫画を貸してくれた。漫画家についてはあまリ詳しくはない。いがらしみきお作品は今まで読んだことはなかった。一緒に貸してもらった『羊の木』はすんなりと読めた。原作が山上たつひこで、昔、漫画雑誌に連載されていた『光る風』を読んだことがある作家のだったので興味が持てた。その原作をいがらしみきおは自分の世界の中で作り上げてきている。

『羊の木』と違って『 I 』の方は、簡単には作者の意図がつかみづらい。もちろん何が書いてあるか考えることに意味があるのではない。読んだ時に不協和音的な感覚を味わったり、おぞましいと感じたりすることの中に作品の意味がこめられている。最初は自らの存在とは異質の世界の物語だと思って読んでいても、やがてはその世界と同一地平にいる自分に気が付かされるのである。生きている自分そのものとは一体何なのかを問わざるを得なくなってくる。

STORY : 宮城県の田舎町に生まれ、身寄りのないイサオ。生まれた時に母親が死んだ。彼は生まれた時から自意識があり庭の片隅に神らしきもの姿を見る。イサオは叔父の手で育てられるが、虐待され豚小屋の隣で生活し小学校にも行かしてもらえなかった。その叔父がある日その辺では一番高い神木の杉の木の天辺で首をつって死んでいた。

また彼をいじめていたガキ大将が、交通事故で死んだ。周りの人はイサオが何らかの力を持っているのではないかと疑いを持ってみるようになった。さらにイサオは恩師の臨終の場で、人の魂を己に乗り移らせたかのような不思議な力を見せた。

こういった中で、雅彦は次第にイサオに 惹かれていった。雅彦は医者の息子で比較的裕福な暮らしをしていた。しかし小学生の頃から、自分が生きていることの意味についてひそかに深く悩んでいた。雅彦の祖母がイサオの所に通っていることを雅彦は聞いた。イサオは彼女が死にたがっているという。

ある日用水路に頭を突っ込んで死んでいる祖母の姿があった。雅彦はそれがイサオのやったことだと思って問い詰めるが、死にたい人を死なせることは罪なのかといわれる。「貴様は神様か、人殺しだ。自分のやっていることわかりもしないくせに、何が苦しくないようにしてやっただよ」雅彦は怒りイサオを殴りつける。

やがて雅彦は中学を卒業する。高校入試の日に二人で旅に出ることを決意する。目的は雅彦にとっては、「オレは何になればいいのだ」という言葉に表現されるように、自分の今生きている世界、そして生きている自分そのものとは一体何なのかを探る旅であり、イサオにとっては産まれた瞬間に目撃したという神様のような存在=トモイを探すこと。これが、二人の長い旅の始まりだった。

「 何故生まれてきたのか、何故生きていくのか、何故死んでしまうのか誰も知らないままだ。何も知らないまま生きて、夜が来るように死を迎える」本の中に書かれたこの一節が物語り全体を貫くテーマとなっている。

「死にたいと思っている人を死なせるというのは間違っている」といった主張は意味を持たない。ここでは尊厳死を扱っているのではない。死と生の間にあるものは何なのかそれを考えなければならない。この作品は、生と死の意味を問うものだ。そして同時に人生、祈り、奇跡、そして宗教といったものにも波及してくる。

イサオが人の「死」を叶える場面をみたとき、それが果たして正しいのかどうかを問うことに意味があるのではない。現在において死はどのように表現されているのだろう。「あんたは癌で、後何年生きられるか」といったことがパーセンテージなどの具体的な数字で表現されている。死ぬ時期は医療上の現在のレベルによって規定される。そこには死にたいとかとか生きたいとかいった個人な欲求は存在しない。コントロールされた死があるだけである。薬の効果によって寿命が左右されていく。死が意味を持たなければ生もまた意味を失う。どのような死を迎えるのかが、その人の生のあり方を表している。

この本のテーマとして「東北の地で神様を探す」と書かれている。人の生死は人知の及ぶ所ではない。生死を司るのは神の領域だ。イサオはその領域に踏み込んでしまったのか。「見ればそうなる」「誰も見てない所に神様はいた。」この言葉の中に作者の世界観が表現されている。

『 I 』は世界の成立ちを描こうとしている。「誰かが見ること世界は始まる。生き物は見るために生まれて来たのかもしれない。みんなが見ることによってこの世界は創り上げられているのだろう。だから誰も見ていないところには何もない。誰も見ていないところ。そこは真っ暗で神様しかいなのかもしれない。」と書かれている。

自己意識(自我)の過剰な発現の中で、自分が「見ていない」世界は存在しない。しかし一方、イサオによって「見て」いないときには世界は「闇」で、そこに「神」がいるという答えに出会う。「イサオは闇の向こうに神様がいると思ったそうだそして向こうに行ってみると言った。イサオは神様に合えたのだろうか。」物語はここで終わり答えはない。

神は心の闇の中にある。それは未知である不可知である。それは信仰の問題で、存在の問題ではない。神が存在するか否かについて、人は語ることは出来ない。「語りえぬことには沈黙を守るしかない」のである。同時に死についても語りえない、人は死を経験できない。ただ必ずいつかは死ぬという事を知っているだけである。

人は死を知ることはできない。たとえイサオのように、人の心の中に入り込み死を操ることが出来たとしても、「死とは何か」についての答えが得られるわけではない。そのことによって、神に近づけたわけではない。雅彦の旅が「自分を探す旅」であるように、イサオの旅は「神様を探す旅」であった。そしてその旅は終りなき旅なのである。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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