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駒込吉祥寺

7月27日(金)
昨日一昨日と体のだるさから、日中も横になりたくなる時間が多かった。特に抗がん剤を使用していないのだが、やはり体中の血液を入れ替えるというのはかなりの負担になったのだろう。おまけに大静脈からかなり出血してしまった。最近は20時には眠くなってしまっていたが、昨日は10時まで起きていて消灯時間に合わせて寝た。朝もすっきりと目覚めた。

朝の散歩に出かける。6時30分なのにもう暑い。昨日は8時から気温が30度あったそうだ。病院では外の暑さは空調であまり気にはならないが、やはり節電のせいだろうか部屋は例年より暑く感じる。

近所の散歩といっても行く所は限られている。吉祥寺の境内は広く散歩するのに丁度いい。今年の4月桜の季節に行ったばかりだ。同じ所を回るというのは芸がないが、季節によって風景はその姿を変えて見せてくれるものだ。深い緑に覆われた今の時期、4月のサクラで淡く煙る境内とは全く趣を異にする。それは季節の移り変わりを感じさせる以上に、自分の病気と、自分の生活や考え方の変化を思い知らされる。

時間は無機質に進んでいく。季節はそれに彩りを与えながら、淡々と同じような変化を繰り返す。しかし自分の人生はやはりひとつの方向へと収斂していく道筋を示している。それを季節の移り変わりによって受け止めざるを得ない。桜のピンクも木々の深い緑もその心を映し出す鏡でしかない。自然の中に佇む時、嫌が応でも自分の現実と向き合わざるを得ない。それの中で再度自分の生き方を模索していくほかないだろう。

吉祥寺(諏訪山 曹洞宗):  
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林(せんだんりん)がおかれ多くの学僧が学んだ。(文京区観光協会)

DSCF0166ed_convert_20120726171354.jpg 本堂
  
DSCF0171_convert_20120727165147.jpg 病棟から


DSCF0144_convert_20120726162404.jpg  DSCF0146_convert_20120726170853.jpg 
 吉祥寺山門                       表参道より本郷通り方面

DSCF0147_convert_20120726163049.jpg  DSCF0145_convert_20120727164334.jpg  
  
茗荷神社:痔の完治に霊験あらたかとされ、茗荷絶ちをして祈るのが慣わしだった。吉祥寺は明暦大火の際、府内よりこの地に移った。家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚に茗荷権現があった。寛文年間疫病蔓延の折、祈願の人絶えず、特に痔病の根治に霊験ありとされ、茗荷を断って心願する者は多かった。
 
DSCF0151_convert_20120726163425.jpg  DSCF0150_convert_20120726163313.jpg

DSCF0153_convert_20120726163626.jpg  DSCF0152_convert_20120726163537.jpg
 花供養塔・駒込生花市場

DSCF0154_convert_20120726171203.jpg  DSCF0155_convert_20120726171037.jpg
 比翼塚                         吉祥寺大仏

お七・吉三郎比翼塚:のちに西鶴「好色五人女」に触発された人が建立したもの。比翼塚というのは相愛の男女や心中した男女を葬った墓のこと。実際のお七の一家の避難先は白山(地下鉄白山駅近く)の円乗寺で、吉三郎も円乗寺の寺小姓であり、お七の墓も円乗寺にある。

DSCF0157_convert_20120726163842.jpg  DSCF0158_convert_20120726172613.jpg
 六地蔵                           表参道より本堂方面

DSCF0161_convert_20120726164125.jpg  DSCF0162_convert_20120726164226.jpg
 経蔵                             赤松家先祖代々之霊位

経蔵:江戸時代、経蔵は図書収蔵庫であった。現在の経蔵は1804年、再建されたものと考えられる。東京都内に残る江戸時代建造の唯一の経蔵として貴重である。区指定有形文化財。

DSCF0163_convert_20120726164337.jpg  DSCF0165_convert_20120726164415.jpg
 経蔵と本堂                        鐘楼

吉祥寺には多くの人の墓がある。二宮尊徳、榎本武揚、鳥井耀蔵、川上眉山の墓所などである。かつらの墓の前には、「清水かつらここに眠る」と記された石碑があり、裏面には主な作詩として「叱られて」「靴が鳴る」「緑のそよ風」「雀の学校」「文福茶釜」の刻印が有る。墓地には河村光陽の「かもめの水兵さん」の碑がある。

また与謝野鉄幹が、本郷駒込の吉祥寺境内にあった学寮住んでいた。明治25年初めて上京した鉄幹は義兄の家で1ヶ月程を過ごしたが、その後学寮に移ってきた。義兄の家の経済が極めて困窮しているのを察しての行動だった。ここでも「焼芋を以て一日一食に代へ、或は屡々絶食」する生活をしながら、次への飛翔を期して、上野の帝国図書館に通う。

吉祥寺の南側に落合直文(1861―1903)は、和歌革新のための結社として「あさ香社」を結成した。彼は1881年(明治14)上京、88年皇典講究所の国文教師となる。この年、長詩『孝女白菊の歌』を『東洋学会雑誌』に発表、七五調のロマン的叙事詩で反響をよぶ。92年、雑誌『歌学』創刊号に新しい歌観を示した和歌革新論を述べた。国文学者、教育者としても業績を残した。新派和歌の結社として与謝野鉄幹、金子薫園(くんえん)、尾上柴舟(おのえさいしゅう)ら多くの俊秀を育成。詩・短歌・文の改良を意図し、実作に示していった。
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天租神社

7月25日(水)
今日は何のスケジュールも入っていない。朝の散歩も気分的にゆっくりした感じで行える。病院裏の天租神社には何度か行ったことがある。神社そのものより、吉祥寺や富士神社や、六義園の方に向かう時に通り、通過経路のようなものだ。

日曜日までステロイドを服用していたがそれをやめたせいか体がだるい。もっと遠くまで歩いていきたいとも思うが気力はないので今日はゆっくりと天租神社の境内巡りをした。それほど広くない境内に色々あって、ゆっくり見るとそれぞれに興味深い。普通だったら5分位で通り過ぎて行ってしまう場所を30分位かけて見て歴史の深遠に触れてみるのもいいものだ。

天租神社:創建は古く、文治5年(1189)源頼朝公奥州藤原泰衡征伐の時、霊夢のお告げがあり神明を祀ると伝えられている。その後宮守もなかったが、慶安年中(1648-1652)堀丹後守年直が再興する。空襲により残らず消失したが氏子各町の熱意により昭和29年新築し現在に至っている。(文京区観光協会)

DSCF0099ed_convert_20120725082604.jpg 天租神社拝殿

DSCF0101_convert_20120724083710.jpg  DSCF0106_convert_20120724084146.jpg
 天租神社入口鳥居         天租神社石碑(社号標)

DSCF0096_convert_20120724083414.jpg  DSCF0124_convert_20120724083604.jpg
 天租神社拝殿

DSCF0128_convert_20120726130624.jpg 神楽殿

DSCF0135_convert_20120726084140.jpg  DSCF0129_convert_20120726093537.jpg
 天租神社第二鳥居前狛犬
 
DSCF0138_convert_20120726093843.jpg   DSCF0139_convert_20120726115122.jpg
 天租神社脇参道狛犬(子育て狛犬と呼ばれている)

DSCF0109_convert_20120724084251.jpg  DSCF0107_convert_20120724084340.jpg
 榊神社(面足尊、弟六天神)、熱田神社(日本武尊)、須賀神社(素戔嗚尊)を合祀する社

DSCF0113_convert_20120725083259.jpg  DSCF0112_convert_20120724084541.jpg
 神明照心魂               御林稲荷神社
 
DSCF0116_convert_20120724114218.jpg  DSCF0115_convert_20120724084745.jpg
 脇参道前地蔵堂、縁結び子育て地蔵尊、駒込水子地蔵 
 
DSCF0117_convert_20120724085023.jpg  DSCF0110_convert_20120724120211.jpg
 手水舎                       天下泰平、国家安全の石碑
 
DSCF0095_convert_20120724085622.jpg  DSCF0126_convert_20120724085736.jpg
天租神社社殿、裏側鳥居脇の庚申塔。この一帯からは江戸時代の鷹匠同心住居の遺構も発見されている。8代将軍吉宗の鷹狩復活のときから明治維新まで、ここには鷹匠御役屋敷がおかれていた。

DSCF0092_convert_20120724124642.jpg  DSCF0127_convert_20120724085114.jpg
 天租神社病院側出口(裏参道)

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入院19日目・谷中寺院めぐり

7月6日(金)
明日退院する。毎朝30分のウォーキングをやっているが、どの程度歩けるか試してみたい気がする。今日は午前中に血小板の輸血があるが、午後には何の予定もない。明日退院だから外出許可もいらないだろうと勝手に判断して出かけることにした。

荒川区観光協会のホームページを見ていたら、日暮里・谷中散策マップが掲載されていて、散策ルートも表示されている。そのルートで行くことにした。病院から不忍通りと平行して高台の上を通る道がある。団子坂に行き当たり坂を下ると、千代田線千駄木の駅に出る。その少し手前の道を左に曲がり須藤庭園に寄っていく事にした。文京区の庭園、公園案内を見ていたら須藤公園は庭園に分類されている。それなりに由緒ある庭園だということだ。

須藤公園を散策した後、団子坂下から寺院めぐりを開始する。日暮里・谷中散策ルートには寺院としては大円寺と全生庵と長安寺が紹介されていたので、そこを中心に回る予定だったが、ルートの最後の谷中銀座に至るまでに、右にも左にも寺院が並んでいる。写真だけを撮ってルートを進む、そういった散策になった。ひたすら寺院の山門と本堂の写真が続く。寺院を回るだけだからあまり感想がない。今回はコメントなしで済ますほかない。

病院を出たのが13時30分頃、戻ったのが16時過ぎ、ほとんど休まなかったので2時間以上は歩いたことになる。体調的には少し疲れはしたが、それ以外には問題ない。退院後旅行に行きたいと思っているが、今の体調であればどうにかなるだろう。今回の治療法は血球に影響を与えたが、体調的には全く問題はなかった。ただIgMの高い数値が体調にこれからどのような影響を与えるのか不明なところがあるので、体調変化に絶えず注意していくことが必要だろう。

日暮里・谷中散策ルート
須藤庭園→団子坂下→大円寺→妙法寺→福相寺→金生庵→天龍院→本通寺→龍告寺→永久寺→明王院→観智院→養泉寺→常在寺→功徳林寺→笠森稲荷→長安寺→観音寺の築地塀→加納院→岡倉天心記念公園→宗林寺→長明寺←本受寺→七面坂→夕焼けだんだん→谷中銀座商店街


須藤庭園:
江戸時代、加賀前田藩の支藩大聖寺藩主松平備後守の屋敷であった。このあたりは江戸の郊外で、閑静で敷地も広く、地形を立体的に巧みに構成して、遊歩道をめぐらした趣のある庭園を作った。当時の大名の趣味生活がうかがえる。

DSCF9984_convert_20120706071313.jpg 丘の上から弁天堂を見る

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DSCF9990_convert_20120706071541.jpg  DSCF9987_convert_20120706071649.jpg 弁天堂と須藤の滝

大円寺(日蓮宗 高光山):
大円寺は、大円院日梗聖人が開基となり創建したというが、年代は不明。上野清水門脇から当所へ移転した。境内には笹川臨風の「お仙と春信の顕彰碑」、永井荷風の「笠森阿仙之碑」がある。お仙は、笠森稲荷神社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三美人の一人。絵師鈴木春信はその姿を、当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた。

DSCF9997_convert_20120706071853.jpg  DSCF9994_convert_20120706072019.jpg
 大円寺本堂                                  「お仙と春信の顕彰碑」

妙法寺(日蓮宗 龍江山)
-山門と本堂

DSCF9999ed_convert_20120706072113.jpg  DSCF0002_convert_20120706093339.jpg

福相寺(日蓮宗 松栄山)-山門と本堂

DS_convert_20120706211102.jpg  DSCF0008_convert_20120706072509.jpg

全生庵(臨済宗国泰寺派):
全生庵は山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した。尚、居士との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅、明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。

DSCF0011_convert_20120706072610.jpg 全生庵本堂

DSCF0013_convert_20120706072751.jpg 鐘楼

DSCF0014ed_convert_20120706072844.jpg DSCF0016ed_convert_20120706072938.jpg DSCF0019ed_convert_20120706073145.jpg
 国事殉難志士墓                                    三遊亭円朝墓(東京都指定旧跡)

DSCF0017ed_convert_20120706073048.jpg DSCF0022_convert_20120706073225.jpg
弘田龍太郎墓(台東区登載文化財)  山岡鉄舟墓(東京都指定旧跡)

天龍院(臨済宗妙心寺派 海雲山)           龍谷寺(日蓮宗 栄照山)

DSCF0025_convert_20120706073457.jpg  DSCF0031_convert_20120706073731.jpg


本通寺(日蓮宗 法栄山)
-山門と本堂

DSCF0029_convert_20120706073932.jpg  DSCF0028_convert_20120706073824.jpg


永久寺(曹洞宗 興福山)
-山門と本堂

DSCF0038_convert_20120706114313.jpg  DSCF0033_convert_20120706114206.jpg
  
明王院(新義真言宗 天瑞山歓福寺)-本堂と大師堂

DSCF0036_convert_20120706113807.jpg  DSCF0035_convert_20120706113655.jpg

観智院(真言宗豊山派 初音山東漸寺)       養泉寺(日蓮宗 長清山)

DSCF0039_convert_20120706114434.jpg  DSCF0042_convert_20120706114545.jpg

常在寺(日蓮宗 感応山)-山門と本堂

DSCF0044_convert_20120706125407.jpg  DSCF0045_convert_20120706125222.jpg 

長安寺:
老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転した。板碑とは死者の菩提を弔うため、あるいは生前に自らの死後に供えて供養を行う(逆修という)ために建立した、塔婆の一種。板石塔婆・青石塔婆ともいう。

DSCF0054_convert_20120706131321.jpg 長安寺本堂 

DSCF0053_convert_20120706131156.jpg 狩野芳崖の墓 

DSCF0056_convert_20120706131410.jpg 板碑

観音寺の築地塀:
瓦と土を交互に積み重ねて作った土塀に屋根瓦をふいたものであり、江戸時代から続く寺町谷中の風情を伝える。造られたのは200年以上前に遡るという観音寺の築地塀(ついじべい)。関東大震災で一部崩壊し戦災を免れ、日々小さな崩れを起こしては補修されつつ現在に至る。平成4年(1992)台東区まちかど賞受賞。

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岡倉天心記念公園:

日本美術院は明治31年9月に竣工した木造2階建てで、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、付属建物も2、3あったといわれている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五浦に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。横山大観らと日本美術院を創設し,日本の伝統美術の復興に努力した岡倉天心の旧居跡(この場所にあった日本美術院跡地)を、昭和41年(1966)台東区が公園としたもので、岡倉天心史跡記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。

DSCF0063_convert_20120706170450.jpg

加納院(新義真言宗 長谷山元興寺加納院)-山門と本堂

DSCF0059_convert_20120706132352.jpg  DSCF0062_convert_20120706132535.jpg

功徳林寺(浄土宗)                      宗林寺(日蓮宗 妙祐山)

DSCF0048_convert_20120706125519.jpg  DSCF0066_convert_20120706132747.jpg  

笠森稲荷神社:
現在功徳林寺の境内にある。瘡守(かさもり)稲荷が笠森稲荷という当て字をつけられたという。江戸時代、瘡(梅毒、吹き出物)、キズの治癒にご利益があったが、評判を広めたのは門前の茶屋「鍵屋」の看板娘「お仙」が江戸3大美人と言われるほどの美人で、お仙見たさに人が集まったといわれ、浮世絵師鈴木春信(1725~70)がお仙の錦絵を描いたら、たちまち売切れたという。町民の女性を単独で描いたのは史上初めてだという。大円寺にもゆかりがある。

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長明寺(日蓮宗 日照山)                  本授寺(顕本法華宗 円妙山)

DSCF0067_convert_20120706132857.jpg  DSCF0070_convert_20120706133015.jpg

七面坂: 
日暮里駅から谷中霊園横の御殿坂を上まで上ると二股に分かれる。右は谷中銀座、左はこの七面坂である。長明寺の墓地裏を経て宗林寺の前に下る坂。名前の由来は坂上にある寺院延命院にある七面天女を祭る七面堂から。

DSCF0076_convert_20120706165438.jpg 七面坂(狭い道を車がよく通る)

夕焼けだんだん:

日暮里駅方面から谷中銀座に下る坂(階段)。御殿坂の延長線上にあたる。階段上から谷中銀座を見下ろす風景は谷中関連の雑誌や番組にしばしば登場する有名なもので、夕焼けの絶景スポットにもなっている。階段の下には「谷中ぎんざ」と書かれたゲートがある。夕焼けが美しいことと、下町情緒が感じられる名前として命名した。

DSCF0073_convert_20120706160229.jpg 夕焼けだんだんの石段

谷中銀座商店街:
日暮里駅千駄木駅から徒歩3分。台東区の西北端に位置し、谷中3丁目と西日暮里3丁目にまたがる近隣型商店街。「小さくても活気にあふれ下町の人情を感じさせる商店街ではどこかで見たことのあるような、懐かしい笑顔があなたをお待ちしております。」(商店街振興組合HPより)

DSCF0074_convert_20120706160530.jpg 商店街日暮里側入り口

DSCF0079_convert_20120706160638.jpg 商店街の賑わい、正面の石段は夕焼けだんだん

(参考資料:文京区HP・文京の観光案内、荒川区観光振興課・荒川区観光ガイド、猫のあしあと・台東区の寺院)

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入院9日目・飛鳥山公園・「飛鳥(あじさい)の小径」

6月26日(火)
梅雨の中の快晴の日
曇りの日が続く梅雨の日々。病室の広い窓が段々と赤く染まってくる。その光がどんどん量増しながら、やがて窓一面の広がりながら、同時に大地をも埋め尽くしていく。そして地上と空、その全てが光に包まれ朝を告げてくれる。一切の遮蔽物のない太陽が最初から姿を見せてくれるのはめったにあることではない。窓を通して太陽の熱を感じられるほど強い光が差し込んでくる。

6時から回ってくる検温が、6時少し過ぎに来たので6時10分位には早朝散歩に出かけるため病棟の扉を開けた。外からの早朝のすがすがしい空気が体全体を包む。閉じ込められた室内の空気から一挙に開放された感じだ。日の光は強いが、気温は高くない。病院周辺散策だけではもったいないような陽気だ。時間はある。大体朝食が配られる8時頃までに戻ってくればいい。駅に行くバスが丁度来た。飛鳥山公園のあじさい散策路「飛鳥の小径」に行ことに決めた。

入退院を繰り返し、動ける時間が限れた日々の中で、否が応でも自然の動きに敏感になる。どこかに出かけようと思っても行くことの出来る時間は少ない。行く場所、時間、体調それらをうまく組み合わせながら選択していかなければならない。そういった中で日々の自然の営みは生命の営みとして自分自身の心臓の鼓動にも似た親近感を覚えざるを得ない。自然に逆らうことなく身を委ねがんとの共生の日々を過ごしていく以外ない。

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飛鳥山公園・飛鳥の小径

あじさいの名所案内で「飛鳥山公園・飛鳥の小径」が紹介されていた。飛鳥山公園なら近い。病院から王子駅まで20分位で行けるだろう。「飛鳥の小径」は京浜東北線の王子駅から上中里駅を結ぶ幅の狭い遊歩道である。JR王子駅の中央改札口をでて南口改札方面に向かう線路際の径が「飛鳥の小径」である。JRの線路と飛鳥山公園に挟まれた路地の350m程の区間がアジサイの花に覆われる。

王子駅中央改札口を飛鳥山方面に出ると、目の前に飛鳥山に上がる「あすかパークレール」というモノレールがある、2分で山の上まで行ける。パークレールの前にピンク色で「さくら新道」という看板が立っている。

王子駅前の飛鳥山の麓に戦後すぐの頃に建設された呑み屋横丁「さくら新道」があり、こんな真近に昭和の佇まいが残されていた。「さくら新道飲食街」は戦後の昭和27(1952)年、王子駅前の闇市が始まった「柳小路」から作られた。「さくら新道」の飲食店街は60年間飛鳥山公園の下で変わらぬ姿で建ち続けていた。しかし今年の1月21日午前5時50分頃出火、「さくら新道」の木造2階建て店舗兼住宅など2棟計約600平方メートルが全焼した。王子駅に行くことはあるが、「さくら新道」があるということには気がつかなかった。昭和の面影を残す建造物が消えてしまうのは何とも寂しいものだ。

線路沿いの飛鳥山公園側にはアジサイ約1300株が植えられている。花の時期になると車窓から色鮮やかなあじさいが見渡せ、通勤客の目を楽しませてくれる。人がすれ違うだけで精一杯という細い道なりに進む。すぐ隣には湘南新宿ラインや貨物列車が行き来する。朝早かったので列車は2,3本しか通過しなかった。「あじさいと列車」の組み合わせは「鎌倉」にあるが、この時間では鉄道ファンに出会うことはなっかった。

あじさいは満開で、色が今まで見た中でも極めて鮮やかだった。赤、紫、青が原色に近いほどきりりとした色彩を放ち、まばゆい朝の陽光を受けて輝いている。曇り空や雨の中でもくすんでしまわない強い色彩だ。梅雨の花としての自己主張がそういった所にあるのかもしれない。。

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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院7日目・白山神社のあじさい

6月24日(日)
梅雨の風物として古くから愛されているあじさい。雨模様でも曇り空でもその暗い風景の中で、逆に鮮やかに自らの存在をアピールする。文京区あじさいまつりが6月9日(土)~17日(日)まで行われていた。約3000の多様なあじさいが、白山神社の境内から白山公園にかけて彩る。期間中は、土曜日・日曜日を中心に賑やかなイベントも開催され、日曜日には歯痛止め信仰で知られる白山神社で歯ブラシ供養が行われた。

文京区あじさいまつりは終わったが白山神社のあじさいはまだ見頃だということで、朝の散歩の足を少し伸ばして見に行くことにした。日曜日だということもある。病院への戻りが8時頃になってしまっても、日曜日だと帰り道や病院周辺で通勤する人と遭遇することはない。人混みを避けるには日曜日に出かけるのがいい。

日曜日だと意識するからではないが、何となく空気が澄んでいる。人の動きも穏やかだ。白山神社の境内には散歩する年寄りが数人いる位だった。あじさいの見物客ではない。近所の人だろう。7時前にわざわざ見物に来る人もいないだろう。境内に咲くあじさいは、神社の歴史的建造物を背景として、趣を増している。何百年もの間に培われてきた神社の秘めやかな佇まいとあじさいの色彩の共演が神社の境内に独特の風情をかもし出しているようだった。

白山神社由緒: 創開は古く、天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられる。後に元和年間(1615~1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在地に再度移った。この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。(文京区公式HP)

DSCF9857ed_convert_20120624143246.jpg 白山神社南側入口鳥居

DSCF9886_convert_20120624145246.jpg 白山神社社殿

DSCF9887_convert_20120624145532.jpg 白山神社社殿前に咲くあじさい

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DSCF9885ed_convert_20120624145138.jpg 白山神社西側入口からの参道 

DSCF9866_convert_20120624144159.jpg 参道両側に咲くあじさい

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DSCF9882_convert_20120624145719.jpg 白山神社西側参道入口 

DSCF9881_convert_20120624145621.jpg 白山神社西側参道入口

アジサイの花

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