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フランス料理店 “ L'amour(ラ・ムール)” 2度目

10月18日(火)
 友人宅を訪問した。訪問前に色々用が重なり、思ったより時間がかかってしまって、友人宅に着いたのが13時頃になってしまった。事前に電話で訪問時間を告げたときに昼食をどうしようかという話になって、どうせなら9月の初めにいったフランス料理店のランチを食べに行こうという事になった。友人一人で入るような雰囲気のレストランではないので、彼も9月以降行っていなかった。友人宅に着くと同時にレストランに出かけた。

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 レストラン正面                      カウンター席

ランチメニューは1500円の日替わりランチと2500円の季節のメニューがある。前回は退院祝いだということで高い方を頼んだが、今回は日替わりランチにした。オードブルは「サーモンのカルパッチョ・バジルソース添え」か「オニオンのタルト」の選択メニュー。

メインディッシュは「鱈のほぐし身とマッシュポテトのグラタン」デザートは「バニラアイスと焼き菓子」、最後にコーヒーが付く。パンはお変わり自由。美味しいパンだ。しかもそのパンは手作りで焼きたてのということを知って、さらにその美味しさを味わうことが出来た。

 今回もカウンター席に座っていたら、シェフがメインディシュの作り方について説明してくれた。確かに美味しいと思って食べられればいいのだが、シェフにとってみれば色々な工夫があってそれが料理の中に隠されて、それを言いたい気持ちも分かる。

魚は漁港で当日水揚げされた新鮮な白身魚で、漁港で契約している魚屋さんがお勧めの白身魚を使用する。鱈とは限らない。白身魚に塩味を染みこませるのだがそれには砂糖を使用する、砂糖によって浸透圧が増すということだ。その魚を燻製にして香り付けをする。それをほぐす。マッシュポテトはほっこり感を出すためでんぷんを抜く作業をしっかりとする。

魚のほぐし身とムッシュポテトを混ぜ、生クリームとオリーブオイルで味付けをして、グラタンとして焼き上げる。こういった創作料理の工夫の経過を聞きながら食べるとまた料理も違ったものとして認識され、料理の味もぐんと引き立って感じられるようになる。

もちろんワインを頼んだが、酒量が減ったとつくづくと思う。昔はワインを頼む時は必ずボトルで頼んでいた。サイゼリアなどに何人かで行くと1.5リットルの瓶を2本ばかり頼んだものだ。今ではグラスワインで間に合ってしまう。昔はレストランに行っても料理代より酒代の方がかかってしまう位だった。今は酒代がかからない分、安上がりでいいのだが何か寂しい感じがする。

 レストラン入口に置いてある店紹介のチラシにレストラン・オープンの経過が書いてあった。その中には料理人の自負と決意が現れている。「人生をかけた勝負に出たい」という決意に至るには紆余曲折があったのだろう。人は人生の中で何度かそういった機会に出会い決意をするが、それを実現出来るのはほんのわずかな人でしかない。レストラン「ラ・ムール」のシェフはそれを実現した。その経過は意味あるものだ。

 「本格フレンチレストラン“ L'amour(ラ・ムール)”は2011年5月にオープンした。フレンチ一筋に生きてきたオーナーシェフの橘秀和さんは、25年間著名な店も含め、様々なフレンチ・レストランでシェフとしての腕を磨き、料理長まで任せられるようになった。

彼は経験を重ねるにつれ、自分のやりたい料理と雇われた店で求められる料理が食い違うことが増え、大好きなフレンチを作るのが辛くなっていきたという。それで独立を決意した。独立できなかったら、シェフとして生きるのは、もう終わりにしようと考えた。そして人生をかけた勝負に出ようと決めた。店開業資金の調達などの苦労を重ね、ついに独立して店をオープンさせた。」

「東京の最北東でフランス・パリを感じながら、手の届く範囲で本格フレンチを楽しんでいただきたい。」との思いが詰まった店だ。銀座、青山まで行かなくても、地元で楽しめる本物志向のフレンチである。店内で田崎真也さんの名前が出てきた。どうしてだろうと思って聞いてみると、「田崎真也の店で10年料理長を務めた実力派シェフの店」ということだった。

 この店の料理はフレンチをベースに、全てシェフによる手作り料理。前菜、スープ、魚、肉料理とデザートからなるコースは、季節の野菜を中心に素材本来の味を生かし、奥深い。ディナーコースも3000円から注文できる。味は本格的でありながら値段はリーズナブルで何度でも行きたい店だ。今度はデイナーの料理を楽しんで見たいと思った。

料理を満喫し、秋晴れの昼下がり、腹ごなしに散歩に出かける事にした。お互いに年齢的なこともあって体を動かす機会が少ない。目的意識的に動かそうと思わないとどうしても運動不足になり、やがて足腰から体は弱っていくものだ。出来るだけ機会を捉えてウォーキングに励もう。レストランから15分位歩くと江戸川の河原に出る。そこからウォーキングの開始だ。(つづく)
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ジャンル : 日記

フランス料理店 

9月6日(火)
 友人の家に行った。昼食を何にしようかといった話の中で、家から歩いて5分位の所にフランス料理の店を見つけたという。彼はこの土地に引っ越して来て数年になるが、普段通らない道を散歩で回った時にその店を見つけた。気になってその後2、3度店の前を通るといつも混んでいる。客が入っているということはそれなりに美味しいということだ。何時かは行ってみたいと思っていた。

最近イタリア料理店は何処にでもある。池袋など軒を並べてイタリア料理店がある位だ。しかしフランス料理店はめったにお目にかからない。青山とか六本木とかにはあるのだろうが、そちら方面は全く縁がないし、かなり高そうなので絶対に入ろうとは思わないだろう。イタリア料理店はピザとパスタが美味しければ客は来るだろう。しかしフランス料理は料理そのもので客を呼ばなければならない。

多くの料理人はやがては自分の店を持ちたいと思って修行に励むのだろう。そして、都心では土地もテナント料も高いので店を出すことは出来ない。そこで私鉄やJR沿線に店を出すことになる。そこでは自分の創作料理を思う存分作って客に振舞うことが出来る。地域や店の名や料理人の名で客を呼ぶことは出来ないので味で勝負する外ない。そういった沿線の店にはこれはといった独創的でおいしいものを、安価で食べさせる店がある。

 12時前に店に行った。入口には自由、平等、博愛の三色旗がたなびいている。30人位が入れる店だ。その内カウンター席が10ある。12時前だというのに席はほとんど埋まっていた。ランチコースの季節の料理というのを頼んだ。

まずは白ワインを頼んだ。サッパリして口当たりがいい。最初に前菜がでる。2人で違ったものを頼んだ。どんな物が出てくるかそれが楽しみだ。一つは人参ジュースのジュレにうにが入ったものだ。このうにが新鮮でプリンのようになめらかで口当たりがいい。もう一つは桃をショルダーベーコンで包んだものを並べ、葉レタスをあしらったものだ。メロンに生ハムを巻いたものに似ているがそうでない所がいい。

スープは魚介類でだしをとりアンチョビで味付けしたものだった。これも変わった味で初めて体験するスープだ。メインディッシュは4種類から選ぶ。魚料理はラタトーユの上にすずきのムニエルをのせたものだ。さらにその上にバジルソースをかけてある。ラタトーユのトマトソースの味がすずきのムニエルにマッチしている。トマトソースが強すぎず、穏やかな味になっている。

カウンターに座っていたのでシェフが料理の説明をしてくれる。すずきは直接漁港から仕入れる新鮮なもので、刺身でも食べられるものだそうだ。シェフは35,6歳に見えるが店を持つからにはもう少し年齢がいっているのかもしれない。

友人は鶉(うずら)のきのこ詰めを頼んだ。出てきたものをみて少し驚く。鶉は首こそ付いていないが、体の形がもろに分かる。足が2本出ている。シェフが言うには足も周りの肉がおいしいので足も残してあるということだ。中に詰めたきのこが肉の味を引き立てている。

 デザートもまた変わっていて、カスタードクリームの上に砂糖をまぶしそれを焼くとカラメル風な味がする。その上に自家製アイスクリームが乗っている。もう一つはいちごをジャム風につぶして、そのうえに砂糖を棒状に固めた物が乗っている。最後にコーヒーが出てコース料理は終わりだ。

混んでいる事もあって、料理がなかなか出てこない。大体コース料理は、会話を楽しみながら味わうものであるから時間をかけて料理が出てくるのはそのためでもあるのだ。しかし店に入ったのが12時少し前で、店を出たのが14時と2時間もかかった。暇だからいいようなものの時間のない時には無理だろう。

久しぶりに料理らしい料理を味わうことが出来た。こういったシェフがいかに創意工夫をこらしたかといった努力のあとを感じられる料理を味わう機会はめったにない。また行きたくなる店に出会うということは稀なことだ。。

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ジャンル : 日記

アサヒビール吾妻橋本社ビル

6月30日(水)

4.jpg 本社ビル屋上のモニュメント

友人との話の中で、吾妻橋の袂にあるアサヒビール本社のオブジェの話になった。そのオブジェが何を表しているか、ということだ。金色に輝くオブジェは遠くからでもよく目立つ。アサヒビール本社ビルは1989年に竣工されたが、その頃から金色のオブジェは目にしていた。

勤めていた会社の流通センターが足立区にあった。車で日本橋方面に行く時、高速道路を利用する場合には隅田川沿いを走る高速6号線を使う。下を走る時には、日光街道から国際通り、江戸通りを通っていく。どちらにしても、必ずアサヒビール本社の傍を通り、オブジェ見る事になる。

屋上のモニュメントをビールの泡をデフォルメして造ったオブジェだと私は友人に主張した。最初に見た時からそう思い込んでいた。友人はネットでアサヒビールを呼び出して説明した。そこには、炎のオブジェと書いてあった。何十年もの間全く間違った情報を信じ込んでいたのだ。

こういった事がままある。思い込みとは恐ろしいものだ。こういった内容だったら人畜無害だが、そうでないのもあるだろう。絶対に正しいと自分では信じ込んでいるが、実は間違った思い込みでしかない事があるに違いない。なにかの拍子にそれが分かる。決定的な場面でない事を願う他ない。

アサヒビール本社のモニュメントは、その形状と色彩から、あれを見た誰もが同じような想像をする。そして「うんこビル」の別名でむしろ有名になった。あのオブジェはビールの泡ではなかった。「炎のオブジェ」を表現したものだった。

吾妻橋本社ビルに隣接する「スーパードライホール」は、フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、屋上に特徴的な巨大モニュメントが設置されている。本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、躍進するアサヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」とされている。

吾妻橋本社ビルの22階建ての「アサヒビールタワー」は、琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で、泡のあふれるビールジョッキをイメージしているそうだ。四角いビルがジョッキで、天辺の白い飾りが泡だというがどう見てもそうは思えない。ビールの泡はここにあったというわけだ。

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墓参り、新松戸の喫茶店

5月3日(月)
 昨日帰りがけに、明日5月3日の父親の命日に墓参りに行かないかと誘われた。弟が3日だけ空いているということもあって今日にしたということだ。母と妹、弟と4人で墓参りに行くのは何十年ぶりだろう。特に用があるわけではないので行く事にした。

昨年9月の時は、母親の腰が直りきっておらず長く歩けないので、八柱霊園の墓に行くのに、新京成線の八柱駅から、墓の前までタクシーで行った。墓の掃除をし花と線香をあげ、墓参りをしてまたその車で引き返した。霊園の入口近くのバス停から墓まで20分近く歩かなければならない。広い霊園は移動が大変だ。

今年もその楽なパターンで行くことになった。昔はタクシーを待たせるのにかなり抵抗があったが、最近は距離・時間合算の料金体系なので、運転手は快く待っていてくれる。金は取られるが待たせる方も気が楽だ。ゆっくりと掃除をし墓参りをした後、記念撮影までした位だ。

 新松戸から歩いて15分位の所に、知り合いが喫茶店をやっている。今の生活では常磐線沿線に来る用事は全くない。武蔵野線の新八柱から、新松戸まで一駅だ。こういった機会でないと一生その喫茶店に行くことはないだろう。家族で昼食を一緒に食べ、八柱駅で別れた。

DSC0010321.jpg喫茶店は、新松戸の駅から歩くとそれなりの距離がある。駅周辺からその喫茶店に来る人はいないだろう。地元の人が相手だ。周辺には工場や、事務所があるわけではない。流山電鉄の小金城址駅はすぐ近くにある。

「foo cafe」という名の喫茶店だ。住宅街の中にあり、回りは緑に囲まれ静かな雰囲気だ。ホームページに店の紹介が書かれている「フーっと一息、ゆっくり流れる時間を過ごせる隠れ家カフェ、木の温かさとナチュラルな雰囲気の店内でおいしい珈琲はいかがですか。古民具やアンティーク家具、自作のテーブルをゆったり配置。のんびりとくつろげる空間。」

 知り合いが店を開店したのが2002年11月で、店主のこだわりとして2点ある。一つはオーガニックの食材を出来るだけ提供する。フェアトレードの品物を使用し、それを紹介する。

オーガニックコーヒーは2002年に誕生した東ティモール民主共和国のマウベシ郡6つの集落、約200家族により生産されたフェアトレードの珈琲を使用している。その外紅茶、日本茶、ウーロン茶なども無農薬、自然農法のオーガニックの品物を使っている。

フェアトレードとは途上国の人々の仕事に正当な報酬を支払い、彼らが自らの手で暮らしと環境を守れるようにサポートする貿易のあり方であり、一方的な援助とは違う対等なパートナー同士として共存を目指すものである。フェア(公正)なトレード(交易)によって、生産者に不公平な負担、貧困を強い中間業者の搾取と収奪を横行させている貿易全体の構造を変えていく事を目的としている。

喫茶店で店主と1時間ばかり四方山話をして、店を後にした。よくフランスなどのカフェで朝から来て一日中いる人が見かけられるという事を聞くが、雰囲気のいいカフェだったらそういうこともあるだろう。「foo cafe」はそういった種類の喫茶店であると思う。ゆったりと流れる時間を味わうのにふさわしい空間だ。

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母親の米寿

5月2日(日)
母親の米寿の祝いを実家で行った。誕生日は4月26日なのだが皆の都合で今日になった。それぞれ贈物を持ち寄って、楽しく会食をした。母親はこういった機会が今までなかったのでかなり喜んでいた。やったかいがあったというものだ。

時が経つのは早いものだ。母は65歳で定年退職してから、既に23年も経っている。77歳の喜寿の時はイタリア旅行に行っていて誰も年齢のことなど考えなかった。一昨年はロシアに行こうとしていたが、旅行のⅠケ月前に滑って足首を捻挫し、しばらく起き上がれなかったことから全く事態は変わってしまった。

それまでは毎日1時間は必ず歩いていた。その散歩の最中に転んだのだ。また地域の「歩こう会」にも参加し定期的に出掛けていた。しかし、転んで1ケ月ばかり寝ていて体力が衰えたのが原因なのか、起きてからも足が十分回復していないからか歩こうという気が起きないのか、散歩にも出かけず、外に出るのは近くの整骨医にマサージに行く位になってしまった。

本当に動かなくなると体力は、それに比例するように減退してくる。日常生活には全く問題はないが、座っていたり、ごろりっと横になっている時間が多くなってきた。それでも妹と曼珠沙華を見に高麗の巾着田に行ったり、鬼怒川に行って江戸村を巡ったり、時々は誘われれば外出する。その体力はあるが、もはや1人でどこかに行く気力はなくなっている。
 
年齢から言えば当然の体の状態なのだろうが、かっての元気な姿を見ているだけに2、3年でこんなにも老けてしまうとは少し驚かされる。年齢は足腰からということを目の当たりに知る事になった。

母親は米寿の祝いなどいいといっていたが、皆で盛り上げてやることにした。親孝行といっても何かを出来るわけではない。せめてこの位のことをしなくては。プレゼントの選び方が皆特徴的だ。

弟はフラワーアレンジメントのバスケットを買ってきた。全体が紫色の色調で、何とその中に青いバラが入っていた。これはサントリーが最新のバイオテクノロジーの遺伝子組換え技術を用いれば可能になるはずということで、パンジー由来の青色遺伝子を導入したバラがデルフィニジン(青色色素)を作ることを発見し、2004年にようやく開発に成功したという代物だ。このような駕籠の中に含まれるようになったという事は大量生産が可能になったのだろうか。

長男は今日ライブで祝いの会食には参加できなかった。その代わりプレゼントをどうしようか色々考えたらしい。最初は着物を贈ろうなどと大それた事を考えたが、体のサイズを聞くため電話した時「貰ってもどの道着る機会は全くないので気持ちだけ受け取っておく」とあっさりと断られた。そこで、今度はエルメスに行って気に入ったものを探してきた。他の人とのバランスを考えてくれと言いたい位の品物だった。

次男は昼間向島に住んでいる友人の家に遊びに行っていた。そこで友人に薦められ奮発して買って来たのが、青柳正家の栗羊羹。職人が一つ一つ丹念に作っているため2日で80本の限定商品で4000円近くするらしい。それをお祝い品として買ってきた。これはさすがに美味しかった。栗が大きく甘みが押さえられていて、栗の甘みだけで甘さを出しているような感じすらする。

息子たちと母とは、通常の祖母・孫の関係とは少し違う。母は退職後住んでいた八丁堀から豊島区のその頃住んでいた借家の近くに引越してきた。うちでは両親が共働きで、保育園や学童クラブに息子たちを通わせていたが、二人とも遅くなる時には母に子供を頼んだ。週1、2回子供たちの夕食を作り、家の掃除や片づけを手際よくこなしてくれた。息子たちは母にかなり世話になったという印象があるようだ。

皆色々祝い品を考えてくる。私が一番安易なもので、いつも使っている湯飲みが安っぽいものだったので、湯飲みの良い物を買おうかと思って店員に聞いて、薦められた織部焼のものを迷わず買ってしまった。贈物はこんなものでしかなかったが、私の役割は夕食のメインの食料の調達だ。

椎名町の駅から3、4分の所に魚河岸寿司という店がある。人が来たりしたり、誕生日とか、何かあって会食をしようとする時に、昔からよく利用していた。安くてネタがいいと評判だったので行ってみて、それからもっぱらこの店を利用している。特上でも1人前1000円だ。色々取り混ぜて今日参加する5人前分位を見繕って持って帰った。

参考-長寿祝いの由来
61歳:還暦 十干十二支が一巡して自分の干支の戻る年なので、生まれた時に還るという意味。
70歳:古希 中国・唐の詩人、杜甫の「人生七十古来希なり」に由来したもの。
77歳:喜寿 喜の字の草書体「㐂」が七十七に通じる。
80歳:傘寿 傘の略字は「仐」と書く。これが八十と読める。
88歳:米寿 「米」という漢字を分解すると八十八になる。
90歳:卒寿 「卒」の略字は「卆」と書く。これは九十と読める。
99歳:白寿 「白」という字も九十九も、一を足すと百となる。

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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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