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ベルケイド療法のスケジュール

10月31日(水)
ベルケード療法のスケジュール(予定)
  10月26日(金)第1サイクル開始。
            第1回ベルケード2.1mg静脈注入、デカドロン40mg、ソルデム1000mg点滴。済。
  10月29日(月)第2回ベルケード静脈注入。デカドロン点滴。済。
  11月2日(金) 第3回ベルケード静脈注入。デカドロン同時点滴。
  11月5日(月) 第4回ベルケード静脈注入。デカドロン同時点滴。
  11月6日~15日まで休薬。副作用があればその対応。
  11月16日(金)第2サイクル第1回ベルケード静脈注入。
  11月19日(月)第2サイクル第2回ベルケード静脈注入。
  11月23日(金)第2サイクル第3回ベルケード静脈注入。
  11月26日(月)第2サイクル第4回ベルケード静脈注入。
  11月27日(火)~12月6日まで休薬。副作用があればその対応。
  12月6日(木) 退院。
  12月7日(金) 第3サイクル第1回ベルケード静脈注入。以降通院で治療。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

ワーキングプアについて

10月31日(水)
『Jチャンネル』での放送 
29日、夕方のニュースを見ていた。Jチャンネルで「都会のワーキングプア、ドライバーの過酷な日常、帰宅は一週間一回だけトラックで睡眠の苦悩、規制緩和、競争激化のしわ寄せがといった特集番組をやっていた。昨日の記事と関係あると思うので続けて報告したいと思う。

 長距離トラックの運転手の場合
 高速道路のパーキングエリヤには夜になると大量の大型トラックが集まってくる。運賃が安いので旅館などに泊まることなど到底出来ない。車の中が睡眠場所だ。一週間のずっと車の中に泊まることもよくあるという。家で寝るのと違って疲れが取れない。

 ある運転手が紹介された。町田の車庫を21時に出て、東京の青果市場にAM3時に着き、8時30分までに三重のスーパーに届け、30分位仮眠してから名古屋で荷物を受け取り所沢まで届け、町田の車庫に帰ったら仕事があり千葉まで運んだ。この間ほとんど寝ていない。

 時間指定などがあり高速道路を利用しなければならないが、その料金は全て自己負担となっている。月27万から35万の給料だがそのうち7万が高速代でなくなる。実質手取り20万から25万円となる。35歳で10年のベテラン運転手で子供が3人いる。生活はかなり苦しい。

規制緩和により、1996年には4万社だったった運送業者が2005年には6万2千社になり価格競争が激化する。さらに重油値上げが追い討ちをかける。4,5年前に比べ年収は30万円以上マイナスとなっている。しかし多くの運送会社が仕事をとれずトラックを遊ばせている現状の中でまだ仕事があるだけいいとも言う。仕事がいつまであるかといった不安は絶えず付きまとっている。

 三鷹のタクシードライバーの場合
 東京都でタクシー運賃が12月3日から初乗り660円から710円になる。これがタクシードライバーの生活を少しでも潤すことが出来るのだろうか。乗車歴16年のドライバーの例が報告された。AM7時から翌日のAM4時までの21時間勤務だ。それを月11日こなす。賃金は完全歩合制。売り上げの半分を次の日、帰社した時に受け取る。

 取材日の時の売り上げは21時間働いて4万2千円、その半額の2万1千円を受け取った。途中仮眠を取る事も出来るが少しでも稼ぎたいのでほとんど寝ない、食事も客待ちで並んでいるときに取るようにしている。長距離の客が殆どなく、なかなか売り上げが上がらない。月収は21万平均でこれは5年前と比べると月10万円の減収である。

規制緩和によってタクシー業者は2002年から83社増加し、タクシードライバーは2005年から06年にかけて1万人も増えた。タクシードライバーの平均年収は全産業の平均年収と比べ248万円の差があるという。利用者が増えない中でのタクシー台数の増加に対し、運賃値上げ位では対処できないほど売り上げは落ち込んでしまっている。

 我々を取り巻く現状
 政治のつけが全て国民への負担として現れてきている。大手銀行を救済するために不良債権処理を何兆円もの税金をかけてやる一方、生活保護の切捨てや、宙に浮いた年金問題(福祉への無責任さ)、老人医療費の自己負担増など弱者切捨ての結果が今のわれわれの生活現実なのだ。まさに格差拡大を徹底的に醸成しているのが今の社会だ。

 国税庁のまとめで今年6月までの1年間に税務申告した法人の総所得金額は57兆円で、90年度以来16年ぶりにバブル期を超え過去最高を記録した。特に資本金1億円以上の法人が53.7%と大企業に集中していた。極少数の大資本のみが弱者を踏みつけ利益を吸い上げ肥え太っていく。

 これが小泉政権の核心・構造改革、弱肉強食の新自由主義の結果だ。それによって一部の資産家を生み出す一方で、一般庶民をどんどん低所得者に落としていく。そこから大量の非正規社員が生み出されていく。派遣社員だからといってめちゃくちゃな長時間労働を強制し過労自殺に追い込んだり、フリーターの人が製造業で下請だからと危険な仕事をやらされて事故死する例も多い。

正社員は正社員で、成果主義や達成不可能なほどのノルマに忙殺され、給料も裁量労働制とかになって残業代などまともにもらえる所等など殆どない。大資本は労働者を究極の使い捨ての物として酷使しているのだ。そしてそれをある種容認している社会になっている事が恐ろしい。

 村上龍の小説『希望の国のエクソダス』に登場する少年は「この国には何でもある。だが希望だけがない。」と言い放っている。それがこの国の姿なのだ。 

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

今の社会は?

10月30日(火)
 早朝、毎日外壁沿いの遊歩道のコースを同じように散歩している。歩きながら思うのは毎日毎日大気の状態が違うということだ。香りやにおいの違いを感じられる。自宅療養中でも自宅周辺を散歩していたが、新鮮な形で大気が味わえるということはあまりなかった。時々海の匂いが混じったりしていると感動はするがそういった事はめったにない。しかし病院に収容されているという束縛感の中で外の空気は特別な味を与えてくれるのかもしれない。感受性を豊かにしてくれるのだろう。

 移殖病棟の二重窓に遮られ外の空気を全く感じられない無菌室に入っていたの時は、30日近く個室に閉じ込められ全てその中での行動に限られていた。廊下にある風呂に行く以外部屋から外に出ることは出来なかった。

 そこから出て一般病棟に移って病棟の外を散歩できた時はどんなに感動的だったろう。大気は全て自分のために微笑んでくれているといった感じだった。今は病院の敷地地内を出ることは出来ないが、外を自由に散歩できるということはかなり精神的に楽だ。

 昨日(29日)の朝日新聞・朝刊社説に次のように書いてあった。「バブル経済が残した不良債権の山。その処理を優先させた小泉政権の『改革』路線よって、日本経済は『失われた10年』の長いトンネルをやっと抜け出した。しかし社会のひずみは様々なところで広がるばかりだ。経済の規制緩和を進め市場での競争を激しくすれば、経済は活性化する。しかしそれが行き過ぎると格差が広がり、競争からこぼれた人々の不安や不満が社会を不安定にする。」

 今の日本人の生活ははどうなっているのか。このことについて大分前のことになるがNHKの番組で特集をしていた。その時取ったメモがあるので紹介したい。

「生活ホットモーニング」での放送
 この番組は生活保護所帯の実態や、非常勤雇用者の現状
が放送されていた。今生活保護所帯は104万所帯(このうち半数が高齢者)に増えている。また非常勤雇用者の数は5、6年で3倍と増えている。そのうち半数が若年層である。企業が景気の安全弁として正社員を取らず、賃金の安い臨時雇用者を採用する傾向は益々拍車がかかってきている。

 非常勤雇用者といっても多くが9時から17時まで週5日労働というのが実情である。そしてその中の多く人が時給600円から1000円で年収180万円所帯といわれる種類に入る。月10万強の賃金だと貯金も出来ず、毎月家賃を払い食べていくだけで精一杯だ。

 いわゆるフリーターというのは気楽そうに見えるが多くは家族(親)に寄生しやっと生活できるのが実情であり、家族の援助がない人は病気、怪我などの先行き不安を抱えながら日々、経済的にぎりぎりの生活を送っている。

非常勤労働者の増加は一方で常勤社員の労働の強化につながる。非常勤労働者が定時で帰った後も、常勤労働者は無制限に仕事をこなさなければならない。まさに12時間労働、昼休みもまともに取れない、土日なし、1時2時の深夜業も当たり前といった過酷な労働を強制される。

 そして体を壊し退職を余儀なくされる。さらに過労死・過労自殺に追い込まれる。正社員、臨時社員どちらにしても今の制度の中では厳しい労働環境に置かれている。5、6年前までは貯金をしていない所帯は7.5%であったが、昨年度(2005年)は22.5%となり貯金も出来ない現状を示している。

将来は年金と貯金で老後の生活を考えていた「生活保護」を受けている夫婦が紹介された。夫は大工だったが、景気が悪くどんどん仕事が減り、月3分の1位しか仕事がなく、その為年金の支払いも出来なくなり、結局貰えた年金は夫婦で月5、6万位にしかならなかった。また夫が脳梗塞で入退院を繰り返し貯金も底をついた。妻は体の調子があまりよくないので、朝5時から3時間の仕出弁当の仕事位しか出来ない。

 生活保護で受けているが生活は苦しい。ガスは止められている。風呂屋は高いので週1回位しか行かない。電気釜でお湯を沸かし、それで身体を拭く。その汚れたお湯はトイレに流すのに使う。

「生活保護」など多くの人にとってまさか自分がその対象になるとは思っても見ないだろうし、全く関係ない言語だと思っているだろうが今の年金制度や福祉の状態、医療制度の問題などを考えれば何時でも生活破綻者になる可能性がある。確かに若くて働ける限りどうにか生活できるかもしれないが、歳をとり病気になり仕事に就けないという状態の中で生活保護の問題は決して他人事ではなくなる。

 本当に人の一生など一寸先は闇の中だ。そしてさらに問題はその生活保護を受けようにも窓口で拒否され、自殺者を出した北九州市方式といわれる生活保護適用を極端までに絞り込もうとしている福祉行政がある。まさに働けない者への死の宣告だ。

 今まで老後の事など全く関心がなかったが不治の病を抱えている現状で、しみじみと今の日本の福祉の絶望的状態について考えざるを得ない。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

映画 『ハウルの動く城』

10月29日(月)
 ベルケード療法の2回目の静注。今回からソルデムの点滴はなく、デカドロンの点滴を30分ばかりで終え、ベルケードを2,3秒で注入し点滴管から開放される。今日の血液検査で血小板は4.4と若干減少したが、治療継続には問題ないということだった。白血球は6000、ヘモグロビンは7.5だった。次の3回目は11月2日の金曜日それまで何もない。

 宮崎駿の作品、『ハウルの動く城』をDVDで見た。これも前に見たことがあったが、また見ることで感じ方は最初とは違うものとなった。感想を断片的になってしまうが書いてみる。

howl1.jpg『ハウルの動く城』を見て
■最初の帽子屋の場面が印象的、父親の仕事を継いで義務として仕事をやっている現状が後の変化を際立たせる。

■話が進むにつれソフィーがだんだん若くなってくる、動きも含めて。困難に立ち向かうほど若さが戻ってくる。魔法に打ち勝つのは人間の工夫と努力によってである。

■誰かを愛すると素晴らしいことが起こるということ。すごいことを達成できる、何があっても乗り切れる。若い二人が恋に落ちるということだけではなく、人や物を深く愛すれば素晴らしいことが起こる。それこそ魔法と言える。

■ソフィーはがんじがらめの人生を生きている、父から引き継いだ帽子屋の仕事を続けなければいけない、自分は美しくなく、ぱっとしなく、引っ込み思案でということで人生を半ば諦めている。妹からどうにかしたほうがいいと言われても、出来るわけないと思い込んでいる。それが90歳の老婆になって自由に行動できるようになった。初めて自分らしくなれた。一つの頚木を吹っ切れば自由になれるというのは誰もが共感できる。逆境の中で人は強くなれる。居直れば逆に道は開けてくる。

001.jpg■突然90歳の老婆になっても、嘆き悲しむことなく運命を淡々と受け入れ,どのような方法で解決するかを判断し、誰もが恐れる荒地に一人向かう。本来ソフィーはこの勇気や知恵をもっていたのに、自分を不当に低く扱っていたため全く気づいていなかった。流されるままに生きてきた状態では、気づかなかった力である。

■ソフィーは、周りの誰にでも優しく接している。自分自身は優しくされてはいないのに、この無償の優しさが魔法を溶かす力を持っている。

■戦争の無意味さを訴えている。その戦争も魔法使いの代理戦争というくだらない代物で、サマンサの判断でいかようにもなると言うもので、そんな一部の者の身勝手で多くの家が焼かれ、人が死んでいくこの無意味さが一つの大きなテーマである。

■気が弱く、人のために何かをするなど考えたこともなかったハウルがソフィーのため命をかけて戦う。これも愛の一つの形だろう。このことによってハウルは子供から大人ヘと成長していくのだ。

『ハウルの動く城』のストーリー
 愛国主義全盛の時代。荒地には美女の心臓をとって喰らうという魔法使いハウルの動くく城まで現れた。町から離れて歩く、ひとりの少女がいた。主人公ソフィーは18才。荒地の裾野に広がる町で生まれ育ち、亡き父の残した帽子屋を切り盛りしている。

 ソフィーはある日、町で美貌の青年と出会う。何かに追われているらしい青年はソフィーと共に天へ舞い上がったかと思うと、束の間の空中散歩にいざなう。夢のような出来事に心奪われるソフィー。しかしその夜、ソフィーは、荒地の魔女と名乗る魔女に呪いを掛けられ、90才のお婆ちゃんに姿を変えられてしまう。このままでは家にいられない!ソフィーは荷物をまとめ、ハウルの棲む城があるという、人里離れた荒地を目指すのだった。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

IgMの増減

10月28日(日)
病院周辺ウォーキング
 台風が通り抜け、秋晴れの上天気が戻ってきた。病棟の窓からは雪をかぶった富士山が 朝日を浴びてまぶしく映えている。昨日の激しい風雨によって汚れた空気が洗い流され、眺望が開けたのだろう。天気がいいこともあって日課の早朝散歩を今日は早めに出かけた。 いつもは検温が終わってからで7時過ぎだが、6時過ぎに病院を出て15分ばかりウォーキングをラジオ体操を織混ぜながら行った。

 雨の日でも、点滴のキャリーを引っ張っていても、最低病院の周り(屋根がついていてレンガの床なので)を2周すれば15分のウォーキングになる。点滴をしてなく、晴れていれば病院の外壁に沿って木々に囲まれた遊歩道がありそこを散策することが出来る。

 これが退院した時の体力回復に絶大な効果を発揮するのだ。退院後すぐに日常生活に戻れる。以前3ケ月ばかり運動もせず、ほとんど歩かず退院したら、まともに歩けず少し歩くと疲れきり、大腿部やふくらはぎがむくんでしまい、階段も手すりを伝ってやっと上れるというほどだった。
 
 また運動は肺の機能を活発にし、がんにつきものの肺炎の予防になるという事だ。「だるくても、体を動かさないと、体の運動機能が低下するだけでなく、血の巡りが悪くなり肺炎などの病気も生じやすくなります。」と言われた。深呼吸するだけでも好いそうだ。というわけで入院前、外で毎朝6時30分からやっていたラジオ体操の代わりに病院周辺ウォーキングを欠かさずやっている。 

第2回移殖以降のIgMの増減

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1、 第2回移植以降IgMは減り続け、12月6日には78まで下がった。しかしその後徐々に上がり、5月30日の定期検診で1149という数値に至った。がん再発は確実となった。放置しておくわけにはいかない。私の原発性マクログロブリン血症は、どちらかというとIgM型多発性骨髄腫だと考えられるのでMP療法でやってみることにした。

2、 メルファラン6mgと、プレドニン(ステロイド)を1日朝昼晩3回、計50mg服用する。メルファランの副作用として白血球の低下(感染症の危険)、吐き気、下痢などありうるが量が少ないのでそれほどの影響は無いと考えられる。この薬は4日間服用し1ケ月休薬し、また服用する。それを繰り返す。MP療法は根治療法ではなく、IgMの増加を抑える対処療法だ。ずっと抑えきれていれば一定の期間は役に立つ。

3、 しかし結局5月31日から初めて10月18日からの4日間服用したのを最後にしてベルケード療法に切り替えることになった。MP療法を続けていてもIgMは少しは上昇のペースが遅れるようにはなったが依然上がり続けた。それ以上に骨髄抑制が強く、特に血小板が一時3.8まで落ちた。効果の割りに副作用が強いということでMP療法は中断を余儀なくされた。結局入院時にはIgMは2269まで上昇してしまったのだ。

4、 再発に告ぐ再発といった具合にがんは一向に私から離れることはない。一生付き合っていかざるをえないだろう。どのように考えればいいのだろうか。

がんと向き合うには
 医者は言った。100%というのは数学の概念だ。医学には100%という数字は無い99.99%をそれ以上に増やすかでしかない。とりわけがんに関しては、再発までの期間をいかに延ばせるかにかかっている。たとえ一旦は根治したと見えても一度発生したその人の体質諸条件からがん細胞はいつでも発生してくる。そもそも無いところから発生したものであるのだからまた発生すると可能性はいつでも存在する。

 がんに向き合うということはそういった覚悟をし、一生がんと何らかの形で付き合うしかないということを受け止めるということだ。がん患者にとっては、残りの一生は、入院している期間、抗がん剤による体力消耗に対し体力回復のために療養している期間、元気で動いている期間この3つだ。これの割合は人によって大きく違う。普通の人よりは限られた「元気で動ける時間」を如何に有効に使うかを残された人生の中で選択していくほか無い。

解説:IgMとがん細胞
 IgM(免疫グロブリンM型抗体)は形質細胞腫瘍(がん細胞)が作り出すM蛋白の一つ。がん細胞の有無を調べる方法はマルク(骨髄穿刺)といって、腰の骨(陽骨)に穴を開け骨髄液を注射針で抜き取り顕微鏡で検査するほかないが、IgMの量でおおよそのがん細胞の増殖状態を推測出来る。ちなみにIgM4000の時、採取した骨髄液の中に形質細胞は5%あった。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

病棟からの眺望・ベルケードの副作用

10月27日(土)
 ベルケードの副作用
 昨日ベルケードを始めて使用した。一夜明けてその副作用は全くないように思える、発熱も吐き気もない、手足のしびれは何回かやっていると来ることがあるらいしいが今の所ない。ベルケードの影響を見るため血液検査をした。この薬によって血小板が急激に減る恐れがあるというのだ。

 血小板が少なくなると鼻や歯茎などから粘膜の薄いところが破れ出血するという。結果は5.1(昨日5.7)でそれほどの減少はなかった。白血球はデカドロンのが影響だと思うが5600(昨日2700)と増加していた。ヘモグロビンは8.7(昨日8.9)とかわらず。それでなくとも始める時少なかった血小板が減らなかったという事は一安心だ。
 
 病棟からの眺望
 秋晴れが終わって秋雨前線と台風の影響で昨日から外は雨が降っている。私のベットは廊下側で外の景色は全く見えない。ベットの周りは個人のプライバシーを守るという意味でカーテンが引かれそれが視界を遮っているし、窓側の人がブラインドを引いていることも多く、折角病院は高台にあり病室が10階という見晴らしのいい場所なのだからもっと部屋を開放的にしてもいいと思うのだが。

 エレバーター前のエントランスは広く作られておりそこから四方の景色が堪能できる。最上階の14階まで上がれば360度の風景が眺望できる。病院の14階から見える高層ビルをざっと挙げてみる。

 病棟から見える高層ビル群
から南千住アクロタワーズ、
北方面は田端アスカタワー、
西には文京グリンコート、サンシャイン60、
南西は新宿高層ビル群、
には新宿パークタワー、NTTドコモ代々木ビル、渋谷セルリアンタワー、
南南西に六本木ヒルズ、東京ミッドタウンタワー、山王パークタワー、
には春日シビックホール、東京ドームホテル、東京駅丸ビルなどの丸の内、永田町の高層ビル群、
遠方に晴海、汐留シオサイトの高層ビル群、
南東の上野方面にはソフィテル東京、ルネッサンスタワー池之端、墨田方面にはNTTドコモ墨田ビル、Brillia東京など数限りない高層ビルがいつの間にか至る所に乱立している。

 この病院からの視野に入らないところでも次々と高層ビルが建てられている。いわゆるベイサイドの開発だ。汐留シオサイトを始め、品川、天王洲、豊洲、晴海、勝どき、大川端、お台場、有明、東雲などを中心としながら都市の再開発が進められて来ている。東京はいつからこのような都市になってしまったのだろうか。合理性と効率、利潤の追求が絡み合ってこういう都市を生み出したのだ。

 まだ東から北方面の、北、足立、荒川、葛飾方面はぽつんとした感じで高層ビルがあるが関東平野が広がり感じられる。落ち着いて、安定し、穏やかな街の景観はどこ行ってしまったのだろうか。コンクリートとガラスの造形に囲まれた冷たい空間が横たわっている。

 高層ビルを囲む山々
 今日は見えないが高層ビルを囲むように、山々は青いシルエットを作り、殺風景なビルの情景に安らぎを与えてくれている。西南西から箱根、丹沢、富士山、西には近くは高尾山、奥に大菩薩峠、少し北に行って手前に御岳山などの奥多摩の山々、奥に雲取山から連なる奥秩父連山、北西に武甲山始め奥武蔵高原、北北西に男体山始め日光連山、北北東に筑波山、南東に千葉の山々と東京は四方八方山で囲まれていることが分かる。まさに広い盆地といった感じだ。

 文明と自然この関係はいつになっても我々の精神の中でバランスを持って存在しなくてはならない。特に林立する高層ビル群が我々の精神にどういった影響を与えつづけているのだろうか。そう思う時ビルの遠景にそれを取り囲むように存立する山々は、人の心の中で文明の毒素を洗い流す役割を持っているのではないかとさえ思えてくる。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

映画 『風の谷のナウシカ』

10月26日(金)
『風の谷のナウシカ』 
 友人が見舞いに来て宮崎駿の作品のDVDを幾つか持ってきてくれた。彼の作品の多くはどこかでいつか見たことがあると思う。特にこの映画は本も昔買ったこともあり持っているようにかなり気に入っている。もう何年も前に見たことがあるが、あまり覚えておらず新鮮なものとして見ることが出来た。この物語は多くの主題を持っているが、何よりも今問題の戦争と環境の問題が第一テーマとして存在している。

あらすじ: かつて人類は自然を征服し繁栄を極めた。だが、「火の七日間」と呼ばれる大戦争で、栄華を誇った産業文明は崩壊した。それからおよそ1000年、わずかに生き残った人類は、蟲と瘴気の森「腐海」に征服されようとしていた。風に乗り、蟲と心を通わせ、自然とともに生きる少女ナウシカ。人間同士の争いに巻き込まれ、たった一人の力でこの未来の地球を救う為に立ち上がる…。(DVD解説より)

5149DEB7CHL._AA240_.jpg  ある時期(火の七日間戦争=核戦争を暗示している)から地球上にという瘴気が広がり始め、それがどんどん拡大してきている。町が次々とその瘴気に覆われ住めなくなってきている。土と水と空気が人を死滅させていく。防毒マスクをしなければ入れない腐海の森がある。
 
 しかしその森の底には新鮮な空気と水と土(砂)と木々があった。又ナウシカが城の地下室で瘴気を放つとされている茸を育てているがその茸は瘴気を出さない。それは風の谷の地中深くから取ってきた土と引いてきた水で育てたものだからだ。オウムをはじめ腐海の森の動物は森の底の大地と水を守っている。戦争があり、腐海の動物を利用したり、壊滅させようという試みが行われるが結局全て失敗し、ナウシカの共栄共存の方向でまとまる。

 腐海は新鮮な大地の上にある。風の谷は腐海の影響を受けていない。フカイの動物は新鮮な大地を守っている。腐海の動物は攻撃されない限り攻めることはない。私利私欲に惑わされない限り、平和な生活は保障されているのだ。腐海の森が出来たのは戦争によってでありその時大量のオウムが殺された、その死骸を土壌として胞子が根付き大量の黴、茸群、地衣類が発生しそれが瘴気を発生し人が住めなくなっていったのだ。

 しかし動物たちにとっては瘴気は外界から彼らの世界が犯されるのを防いでくれるバリアなのだろう。それに対する如何なる侵入、侵害にも全力での反撃体制取りを全ての動物たちが一致団結して対決する。今まで無防備であり、人間の都合で殺され続けた動物が、腐海の森という侵入不可能の場の中で再生しようとしている。

 それを邪魔する如何なる敵にも絶対に反撃する。仲間が一人でもやられたら総力を挙げて闘いに挑む。自分たちの世界を守るために、やられ続けて来た歴史に終止符を打ち自らの生存の権利へのゆるぎない信念が闘いの力となっている。これは当然の権利なのだ。こういった中で物語は進行していく。自然、環境、戦争、共存、平和、心、愛こういったテーマ語られていく。

 腐海は人間が私利私欲のため作り出した環境破壊の象徴だ。それは戦争という形を持って極端なものとして現れる。ジェノサイド(全破壊、集団殺戮)、敵に対する徹底な破壊行為こそが戦争の本質なのだ。しかし一部支配者の戦争への正当化のオブラートはナウシカの無垢な心によって化けの皮がはがれてしまう。ナウシカは環境汚染の本当の理由を知っている。そしてまたその解決方法も。それこそ自然の調和と生態系の循環への確信・腐海の森の生物たちとの共栄共存の思想なのだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

べルケイド療法の開始

10月26日(金)
 朝一番で血液採取をした。血液検査の結果を診てベルケイド療法を今日からやるかどうか決めるというのだ。血液検査結果は以下の通り。

    IgM  2269←1955(10/17の検査結果) 
        10日で314の増加は今までない大幅なものだ。
    IgG      409(正常値800~2000)
    IgA       21(正常値110~580)
    白血球   2700←2900(10/17)
    血小板    3.8←5.7(10/17)
    ヘモグロビン 8.9←8.3(10/17) 


 ベルケイドは血小板に大きな影響を与えるということで7以上必要だといわれたが、治療を遅らすわけには行かないので今日から始める事にした。ベルケイドの副作用としては発熱や細胞破壊の際に出る有害細胞による肝臓や腎臓へのダメージ、さらに骨髄抑制、胃腸障害、末梢神経障害、食欲不振、疲労等があると説明された。

 10時過ぎにソルデムの点滴が開始され、デカドロンをまず投与し、それが終わってから点滴管に直接注射針でベルケードが注入された。時間は2,3秒だ。それを薄めるため生理食塩水が注入された。ソルデムは21時まで持続点滴する。ベルケイド静注から六時間が経ったが今のところ副作用らしき気配はない。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

移植体験

10月25日(木)
 骨髄穿刺(マルク)をやった。陽骨に穴を開け骨髄液を取り出し、顕微鏡でがん細胞の有無を調べるというものだ。IgMの量でおおよそのがん細胞の量は推測できるが正確に知る(には骨髄液を調べるほかない。午後には体中の骨をレントゲンで撮った。骨病変を調べるためだ。頭、肩、胸、腰、腕、脚を色々な方向から撮影した。

 血液内科の病棟(血液がん関連病棟)には症状が重く苦しんでいるといった重篤の患者は比較的少ない。ここの患者は、化学療法を受けている人か、移植病棟にいて厳しい症状が治まり、予後治療(GVHDへの対応など)の人達だ。もちろん化学治療で使用する抗がん剤による副作用で胃腸障害・粘膜障害・骨髄抑制などによって嘔吐、下痢、便秘、口内炎、発大量強力熱、手足のしびれに苦しめられたり、また感染症の中でも肺炎に罹りやすく感染症病棟に行く人もいる。また一般的には抗がん剤による極度の倦怠感で寝ている人が多い。

抗がん剤の副作用で重症な人はほとんどが移植病棟にいる。それは移植に使う抗がん剤が影響している。抗がん剤が他の薬と違うのは効果と薬物有害反応を比較して、後者のほうが強烈である場合があるということだ。移植について私の経験を書いてみよう。

経過:骨髄移植・自己末梢血幹細胞移植
 移植の前処置・2006年7月18日
 移植に当っては、最初に強力な抗がん剤を大量に投与し、それによって骨髄に残っている形質細胞(ガン細胞)腫瘍を根絶する。それによって正常細胞も同時に壊滅的打撃を受ける(そのため無菌室に入る)。その後、採取し冷凍保存されている末梢血幹細胞を移植するとそこから作り出される白血球、赤血球、血小板などの正常細胞が増加しやがて生着してくる。移植は60歳以上の人には基本的に行われない(ミニ移植はあるが)。前処置といわれる大量抗がん剤の投与に耐えられる体力が必要だからだ。

 担当の医者は「全く健康な状態でやっても厳しい治療なので、体力が全面的に回復ない状態で、大量の抗がん剤を投与するのはかなり危険である。体力回復まで移植は待つべきである(通常は末梢血幹細胞採取で抗がん剤を使用してから2ケ月以上間を置く)。」と言っている。医者の表現を借りると、VAD療法で使用した抗がん剤が「都電」だとして、末梢血幹細胞採取に使った抗がん剤は「山手線」、移植で使用する抗がん剤は「新幹線」並の強烈さがあるということだ。血液がんの治療とは思った以上に時間がかかるものだ。

 移植の前処置で使った薬はメルファラン(一般名アルケラン)といって、錠剤として内服薬で使用する場合、通常1日1回2-4mgを連日服用、あるいは1日6-10mgを4-10日間(総量40-60mg)服用する。今回使われたのは300mgで通常の30倍から50倍の量だ。それも1時間で点滴投与する。移植の前処置で用いる致死量に近い抗がん剤の投与という言われ方をされている、それがどのような影響を身体に与えるのかかなり不安を感じさせるものだった。  

 メルファランの副作用の特徴は、内臓粘膜の破壊にある。口腔、胃、大腸、肛門などを痛めつけ口内炎、吐き気、下痢、痔などを引き起こす。一番早く現れるのが胃への負担であり吐き気だった。当日の夜から強い吐き気と嘔吐に襲われ、何日間もの間、十分に食事が取れず。栄養剤の点滴を続けた。

 また腎臓を衰えさせ尿の出が悪くなり心臓への負担が増大する可能性があるということで、点滴による水分補給と利尿剤による排尿とのバランスを取りながら治療を進めてきた。

 自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植・7月20日
 7月20日に移植が行われた。移植には4月7日に血液分離装置によって私の体から取り出され冷凍された末梢血幹細胞を使用した。これを湯洗し溶けかかった所を点滴静注する。所要時間9分という簡単なものだった。依然吐き気は続き、通常のブドウ糖液から カロリーを含む栄養剤投与に変わった。ほかに今回の移植に伴う抗がん剤の影響は頭痛、口内炎、吐き気、下痢の相乗作用というかなり過酷なものだったが、ピークが一週間強であったのでどうにか乗り切ることが出来た。

ともかく、多くの感染予防薬の投入と共に、全ての症状に対して薬で対応するので大量の薬を使用した。また正常細胞増加の為に、血小板やヘモグロビンの輸血を何回かやり40まで下がった白血球を増やす薬(G-CFS)の大量投与など薬漬けの状態が続いた。ただ私の移殖の場合同種移植(他人の骨髄液)ではなく自分から取った造血幹細胞(骨髄液)を移植した(自己末消血幹細胞移殖)ので他人との免疫不整合による有害反応・GVHD(移植片対宿主病)の恐れがないというメリットがあった。

 8月4日に脊椎穿刺をして脊髄液を取り、検査した所、形質細胞腫瘍(がん細胞)は残っていないということだった。移植は成功したと思えた。しかし1ケ月もしないうちにがん細胞は再び増殖し始め、10月にはIgMが1200を越え10月12日第2回移植のため再び入院せざるを得なかった。

解説:自己末消血幹細胞採取
 造血幹細胞は通常は骨髄に存在していて末消血のなかにはわずかしかないが、化学療法(抗がん剤投与)の後、白血球が増える時期にG-CSFを注射した場合には著増する。この末梢血幹細胞を血液成分分離装置を用いて採取する。この機械は血液中の必要な成分だけを選んで採取するため、針を2本刺し1本からは血液を取り、もう1本から末梢血幹細胞の残りの血液成分を体に戻す。(国立がんセンター資料より)

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『魔の山』 トーマス・マン

10月24(水)
病院そして『魔の山』
 外は徐々に寒くなり秋の深まりを感じさせる季節になってきている。病院の中は空調が効いてここにいると常春なので全く季節感はない。2年前、過酷な労働の中で毎日毎日を過ごしていた頃、突然血液がんと診断され入院した時、トーマス・マンの『魔の山』のハンス・カストルプのことを考えた。

 主人公ははからずも結核の治療ということでスイス高原のサナトリウムで療養生活を送ることになった。しかし病気が治っても山を下りる決意がつかない。現実世界と向き合うことを回避したい、混乱と汚濁と矛盾に満ち満ちた世界からの逃避したい、静かで落ち着いて安定して安らかな今の生活を失いたくない、たとえそれが虚構の世界だと分かっていても。

  病院での生活はある意味で、私の中ではそのハンスの考え方の延長線上にあったのかもしれない。厳しい労働の中で自分の時間が全く取れず、好きなことも出来 ず、動かされ続けていた状況から、病院という特定の空間に閉じ込められているが、その条件の中では自由に時間が使えるという状態の変化を、私はそれほどの 抵抗もなく受入れていった。

 本を読み、映画を見、音楽を聴く、これは私が休日にやっていたことだ。それを今やっている。だからといって毎日が休日だろう か。休みは労働があって意味を持つ。喜びは苦痛があって始めて得られる。病気とそして向き会わなければならない現実との狭間の中に逡巡し、逡巡し、格闘し、どのように生きていくかを人は絶えず選択していくことになるだろう。
 
『魔の山』の解説で次のような記述があった。
 「日常世界から隔離され、病気と死が支配する『魔の山』で、カストルプはそれぞれの時代精神や思想を体現する特異な人物たちに出会い精神的成長を遂げてゆく。

 『魔の山』の主題のひとつは「人間にとって病気とは何か」ということなのだ。ハンスはこの小説の中で「病気」という哲学に少しずつ接近し、死と隣接する肉体に対してその肉体の宿命さらに「人間であるということの宿命」からかぎりなく遠ざかろうとする精神の彷徨を遍歴する。
 
 トーマス・マンが物語の最後になって、「病気」にかこつけて精神の彷徨を愉楽とするかのような気分になっていたハンスに、青天の霹靂としてのどんでん返しを突き付けた現実とは、突如としてヨーロッパの生活者のすべてを覆った戦争だった。」(松岡正剛『千夜千冊』より)
 

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ベルケード療法のため入院

10月24日(水)
 今日から入院だ。10時に病院に着いて病室に案内され、着替えてからロッカーと引き出しの整理をし、採血、尿採取を行った。午後レントゲン検査。 
    
 病院の日課:起床午前6時、就寝午後10時。
         食事8時、12時、18時
    
 毎日調べること:検温 6時、14時、19時の3回
           食事摂取量、排泄回数、体重、血圧、脈拍
           血液検査は適宜。


 入院するということはに引き伸ばされた間延びした時間を費やしていくということだ。検査など5分もあれば終わってしまう。食事も三度三度運ばれてくる。6時から22時まで99%自分で考えて費やさなければならない。

 病棟の皆それぞれ自分の辛い病状に耐えながらやがては良くなるという未来への希望を糧に毎日を過ごしている。抗がん剤の副作用で発熱し苦しんでいる人、帯状疱疹神経痛の痛みを抱えている人もいる、咳込んで苦しそうな同室者も寝られないのだろうなと思ったりする。

 私は本を読んだりパソコンをしたりいろいろ手を変え品を変え時間つぶしをして、退屈ということはないが、朝から寝るまでテレビを見ているという人もいる。

 確かにどのような時間の使い方に意味が有るかないかそれは人それぞれで何ともいえないし何とも評価できないだろう。しかし自分の時間の使い方に関しては絶えず自らに意味を突きつけていくものだ。どのような場所にいても、その中での可能な時間の選択の幅はある。与えられている時間をどのように過ごすか、仕事などの外的強制力のない所で、空間的拘束という中で、6時から22時までいかに時間を使うかそれが絶えず自らに問い掛けられる質問なのだ。

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都立庭園-4 旧芝離宮恩賜庭園

10月22日(月)
浜離宮から歩いて15分位で芝離宮に着いた。ここも世界貿易センタービルを始め高層ビルに囲まれている。

庭園は全体が見渡せるくらいの広さで、江戸最古の大名屋敷と称されているように浜松町の駅前という都会のど真ん中にありながら静かで落ち着いた庭園であり、近所のビジネスマンやOLが昼食をとるために来ていた。昼休みを食堂や喫茶店で時間を過ごすより150円の入園料を払って、すがすがしい秋晴れの屋外で弁当でも買ってきて食事をしたほうが気持ちいいに決まっている。

芝離宮:
小石川後楽園と共に、今に残る江戸初期の大名庭園です。典型的な回遊式泉水庭園で池を中心にした地割りと石割は秀逸です。ここはもともと海面でしたが明暦(1655~1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てるに際し、藩地の小田原から庭師を呼び寄せ、庭園を造らせ『楽寿園』と命名しました。」(「公園に行こう」より)

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結局、最初汐留駅から浜離宮、そこから芝離宮、浜松町と計2時間半位歩いた勘定になる。少しは途中休んだが2時間以上歩き通す体力があったのかと自ら感心する。明後日からは病院での長く閉塞した時間を過ごさなければならない。 

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都立庭園-3 浜離宮恩賜庭園

10月22日(月)
駆け込みで何をしたかというと24日、明後日入院ということで40日間外に出られないので、最後に都立庭園で行ってない浜離宮と芝離宮に行ってみることにした。大江戸線の落合南長崎から汐留まで一本で行けるというのが便利だ。汐留駅から地上に出て驚いた。新橋など何十年ぶりに来たのだろう。すっかり変わってしまった。新橋のイメージは赤提灯の飲み屋街なのだ。それが高層ビルの乱立する近代都市へといつの間にか豹変してしまった。

「JR新橋駅すぐ近くの『旧国鉄汐留貨物駅跡地』を利用した都内最大規模の再開発都市『汐留シオサイト』。日本テレビ本社ビルをはじめ、レストラン、ショップ、シティホテルなどの高層ビル13棟やイタリアをイメージした街などが建ち並び、各施設が地下通路とデッキでつながる、快適で便利な新しい街が2006年に完成した。」ということらしい。

この真っ只中に浜離宮がある。中は日本庭園がよく手入れされており、木々の剪定も見事で、庭園として見応えのあるものだった。周りが海で海水の掘りに囲まれている。昔ながらの庭園は今は高層ビルの谷間にある。ニューヨークのセントラルパークに入ったことはないが、そういったイメージだ。庭の写真を撮ろうとすると必ず高層ビルが背景として写っている。幾つかの庭園では背景のビルが景観を壊していることがあるが、ここではむしろ高層ビルが日本庭園をかえって落ちついたものに仕上げている。

浜離宮:
潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。現在、実際に海水が出入りしているのはここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。

この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。(「公園に行こう」より)

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浜離宮で1時間30分ばかり歩いた。体力的には丁度いいので次をどうしようかと思ったが、中の御門という出口があってそこからだと最初に入った大手門橋より芝離宮に近いのでそこを出て浜松町方面に向かった。

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骨髄移植について

10月21日(日)
 秋晴れの上天気だ。出かけるには最高だが、何も混雑する日曜日に行く必要はないと思ったし入院に必要なものの買出しに行かなければならない。前は1ケ月に1度位出たり入ったりしていたので入院といってもほとんど準備は必要なかった。今回は退院から11ケ月経っている。それなりの準備をしなければ。

 今回は移植などのきつい治療を要する入院でないので気が楽だ。最もベルケードの副作用については十分認識しているわけではないが。
 私が化学療法で入院していた時、同室のMさんと病室の布団交換の際、外で待ちながら彼の病状について聞いたことがある。骨髄(造血幹細胞)移植とはどういうものであるか一人の体験談を紹介しておこう。

急性骨髄性白血病で入院
 2004年12月半ば定期健康診断で検査した時白血球が1万だった。少し多いなと思いながら体調には全く問題がなかったので心配はしていなかった。12月27日家族旅行に行く前の日風邪気味だったので医者に行った所白血球が4万になっていてすぐ入院するように言われた。最初会社の関連の病院で化学療法を受け、3ケ月位で白血球の数値が落ちてきたので移植をすることになり無菌室のある今の病院に移った。丁度弟の骨髄がドナーとして最適だった。

移殖病棟・無菌室
 移植をする人は血液内科の病棟から移植病棟に移動する。入る部屋は完全個室の無菌室でそこから外に出られない。ガラス張りになっており、面会人も外から話し掛けるだけで中には入れない、風呂は入る時は、入る前風呂場を徹底して洗いそれから入れる。ずっと個室に一人きりで看護婦以外話す人もなくその孤独感に耐えられないという人もいる。大部屋だと特にお互い話しをしなくても何やかやと気が紛れる。

前処置・骨髄移植 
 骨髄移植とは、まず前処置として強烈な抗がん剤で骨髄の中に残ったがん細胞を根こそぎ叩き潰す。それから、ドナーの骨髄を点滴注入(移植)する。この前処置によって、白血球、ヘモグロビン、血小板全てが根底的に破壊される。ヘモグロビン、血小板は輸血で補うが、白血球の減少による抵抗力の壊滅的低下は様々な副作用を及ぼす、M氏は強度の口内炎にかかり、口内が腫れ食物を飲み込んだり、租借することが出来なくなってしまった。全く食べられずつばを飲み込むのも辛く、モルヒネの量を調整しながら痛みを抑えていたと言う。運良くそれ以外の副作用もなく、やがて移植した骨髄液が増え血液も回復し、1ケ月位で退院出来た。

自宅療養・定期通院
 退院後、自宅療養が始まった。かなり体力が落ちておりスポーツでもしようかと思ったが、水泳やジムなど人混みのあるところの出入りはいけない、外に出る時はマスク着用と言われた。スポーツとしては家の周りを歩くことを日課にしていた。1ケ月位で職場復帰をとも考えたが、医者に薬を飲んでいる間はなるべく安静にしていた方がいいと言われた。薬は今飲んでいるのと同じようなもので、抗生剤、抗黴剤、結核菌予防薬などである。定期的に医者に生き、そのたびに採血、レントゲン、尿の検査をし、その結果を持って医師の診断を受け薬を調合してもらう。

通院期間は徐々に間隔が長くなってくる。退院後半年位して、そろそろ職場復帰をと考えていた頃、検査に行った。そこで、再発を告げられる。そして2005年10月再度入院することになる。全く同じ治療を4ケ月繰り返し2月8日から、無菌の完全個室に移動し骨髄移植を受ける。今回は放射線治療も行うらしい。照射する所以外は鉛で覆うのでその位置を決めるシュミレーションをやったそうだ。

職場復帰は可能か 
 2004年12月がん発症、入院。翌5月退院。10月再発入院。化学治療や骨髄移植など一回目の時と全く同じプロセスをくぐった。全く同じ治療を繰り返さなければならないということは何と絶望的なのだろう。今回は4月退院で自宅療養・体力回復を考えると社会復帰は2007年になるだろう。

 2年間の休職は職場を持って仕事をしていた労働者にとってはあまりに長すぎる期間だ。職場復帰などほとんど不可能に近い。企業の歯車は、2,3ケ月で別の歯車を作りだし何事もなかったかのように再び回り始める。いなかった社員は不要になる。がん治療は長期わたる。抗がん剤による体力消耗からの回復、再発・再入院といったように。ここには個人対職場の正常な関係は存在しない。がん患者はどのようにして社会との関係を築いていけばいいのか。企業の論理とは別の人間関係を作ってい事が求められているのだ。

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入院体験・化学療法

10月20日(土)
  いよいよというわけではないが入院が24日に決まった。ベルケード療法が果たして効くのかどうかそれはやってみなければ分からない。

フルダラビン療法
 2005年12月に入院して最初にやった化学療法はフルダルビンであった。この薬は、がん細胞の遺伝子合成を阻害することで効果を発揮する抗がん剤で,慢性リンパ性白血病に対して高い効果が認められていて、日本では「貧血または血小板減少を伴う慢性リンパ性白血病」に対して適応承認が得られている。同時に原発性マクログロブリン血症の治療薬として、アメリカで高く評価されているものであった。

 1日量20mg/m2(体表面積)を5日間連日点滴静注し23日間休薬する。これを1クルーとし、3クルーを目処に行う。「この3回でIgM値を4000以下まで持っていく」ことを目的に開始された。(IgMが400以下になれば移植が可能となる)
 
 12月10日から14日まで行われた5日間のフルダラビン療法は、残念ながら全く抗がん剤としての機能を果たさなかった。12月1日入院時のIgM値7310は全く減ることなく12月19日の検査結果は8840と増え、さらに12月22日には8980になり、さらにその後9450まで上昇した。薬の効果がないばかりか自然増という形でIgMは増殖してきた。

VAD療法
 次に選択されたのはVAD療法というもので、ビンクリスチン(V)、アドリアシン(A)という抗がん剤とデカドロン(D)という副腎皮質ホルモンの3種を組み立てた療法だった。まず3種類を4日間点滴静注し(第1段)、4日置いてデカドロンのみ4日間点滴(第2段)、また4日置いてデカドロンのみ4日点滴(第3段)、これを3クルーまたは4クルー繰り返すという療法だ。これを12月22日から始め、2月12日までに2クルー(VAD療法第2回第3段)を終え、2月20日から3クルー目を開始した。

 VAD第2回第3段(2クルー)を終了した段階で、最高値9470まで行ったIgM値は2月6日で5540まで下がった。そして3月12まで(VAD療法第3回第3段終了)続けた所、3月13日の採血結果でIgM値はついに4000を切った。その後移植の準備として自己末梢血管細胞採取のためエドポシドを使用した。

 抗がん剤は人によって効いたり効かなかったり個人差がある。フルダラビン・代謝拮抗剤、ビンクリスチンやエドポシド・植物アルカロイド、アドレアシン・抗がん性抗生物質、これらは私のがん細胞を殺すのにあまり力を持たなかったようだった。デカドロンがかなり力を発揮したようだ。
 
 移植の前処置に使う今まで使った事のない種類であるアルキル化剤のメルファランがどの程度効果があるか全く未知数だった。辛い思いをして全く効かなかったらどうしようという思いはあったが、結果的には一次的ではあるが、がん細胞は骨髄液から消滅した。

解説:原発性マクログロブリン血症
  「形質細胞は、白血球の一種であるリンパ球から分化・成熟した細胞です。この細胞は、身体に進入したウイルスや細菌などの異物を排除する作用を持つタンパク質(抗体=免疫グロブリン)を産生します。刑質細胞が腫瘍(ガン)化する疾患を形質細胞性腫瘍といいます。

 この病気になると、ガン化した形質細胞から単一の抗体(M蛋白)が大量に産生され、血液中に異常に増えます。マクログロブリン血症の場合は、蛋白の内のIgM(免疫グロブリンM型抗体)が血液中に異常に増殖し血液の粘調性粘着性を非常に高め、この過粘調は毛細血管内の血液の流れを妨げ多くの疾患を引き起こします。(IgMの正常値50~300)」(国立がんセンター資料より)

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清瀬中里コース

10月19日(金)
 昨年11月退院後、半年ほどして体力回復のためにウォーキングがいいということでどういう方法があるか考えた。毎日スーパーに買い物に行って往復15分ばかり歩いてはいたがそれでは少ない、家の周りを歩くのも飽きてしまう。

 最初は自転車で行ける近くの公園を回った。千早フラワー公園、哲学堂、目白の森、目白庭園、平和の森公園、江古田の森公園と近くでもかなり公園があることが分かった。石神井公園にも行き近所にある三宝寺や道場寺など散策した。

 「霧雨のそぼ降る平林寺」はなかなかよかった。京都など行かなくても東京にも見所のある所があるなあとつくづく思った。次に花のイベントのある公園、豊島園の紫陽花、北山公園の花菖蒲、西武球場に隣接するゆり園に行った。

 東京都の緑地保全地域を中心に企画された「雑木林のみち」といったウォーキングのコースが東京都環境局のホームページで紹介されていたのを見た。東京都指定の保全地域は5種類あり自然環境、森林環境、歴史環境、里山、緑地保全地域となっている。

 これを組合わせてコースが設定されている。コースは10コースあるが交通の便がいい西武池袋線沿線のコースはその中で以下の5コースありそこを中心に回った。これらの公園や地域を回りなが、デジカメを持って撮影していくのはまた一つの楽しみでもある。

   コース名        愛 称         延長   位 置
1 清瀬中里コース    広野と街道のみち  10.6km  清瀬市
2 松山・青葉町コース  森のこみち      5.9km   清瀬市・東村山市
3 黒目川・柳窪コース  屋敷林のみち    6.0km   東久留米市・東村山市
4 小山・金山コース   丘のこみち       5.0km   東久留米市
5 南沢・南町コース   里のみち        5.9km   東久留米市

 この中で清瀬中里コースに行ってなかったので今日出かけた。このコースは10.6キロという長いコースなのでこの中から面白そうな所をセレクトして自分でコースを作って回った。清瀬駅からけやき通りを通って日枝神社に行った。このけやき並木は新東京百景に選ばれたもので街路樹としては珍しい無剪定の姿で枝をのびのびと広げている。

清瀬中里コース014_convert_20100228204913 清瀬のけやき並木
  
日枝神社:上中下清戸の鎮守様です。この神社にあるひいらぎには清戸(きよと)という地名の由来にまつわる話が伝わっています。景行天皇のころ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国へ遠征してきたおりに今の日枝神社の境内にあったひいらぎの老木の根元で休まれて、「清き土地なり」といわれました。それ以来この土地は「清土」と呼ばれるようになりましたが、いつしか「清戸」と書かれるようになったそうです。(雑木林のみちより)

清瀬中里コース008_convert_20100228204811 日枝神社の社殿

 神社から柳瀬川を渡り清瀬金山緑地公園に行った。この公園は都市公園等コンクールで賞を取ったことがあるそうだ。蛍の鑑賞場所があった。水がきれいなのだろう。公園から川沿いに歩いていくと空堀川に面した河岸段丘に連なり清瀬中里緑地保全地域がある。遊歩道があり、雲が重く垂れ込めた森林の暗がりの中で誰もおらず、木々のざわめきが大きく聞こえるほどだった。そこから15分ばかり歩き秋津に出た。

清瀬中里コース016_convert_20100228204956 やなせ川河畔

 歩き1時間40分位のコースだった。ウォーキングには丁度いい距離だ。この間体力が落ちていると思って庭園めぐりをしたが今日ぐらいのコースは疲れずに歩くことができた。
 家に帰ってしばらくしてから病院の担当医から電話があり、ベルケードの許可が製薬会社から出たので何時でも入院できるということだった。そこで入院日を水曜日・24日に決めた。
 

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地球温暖化

10月18日(木) 
 アル・ゴヤ氏のノーベル平和賞受賞で、地球温暖化の問題がクローズアップされてきている。地球規模での天候異変が温暖化の警鐘を鳴らし続けてきていたのだ。『不都合な真実』で語られている言葉に耳を傾けよう。科学的根拠の無い幾つかの点があると指摘されたが、北極の白熊の例に見られるように温暖化で絶滅の危機にさらされている動物もあるという事実がある。

 この温暖化をもたらした科学文明、物質文明の危機について指摘していた人がいる。それも農業のあり方という点からだ。少し長くなるが福岡正信の『自然農法』という本から引用してみる。この本はかなり古いもので地球温暖化などという言葉がまだ語られていなかった頃のものである。しかし生態系のあり方に眼をむけそれが自然と人間との共存を実現させる鍵である事を見抜き物質文明の問題点を鋭くえぐっている本である。

『自然農法』
 「地球は動植物や微生物の有機的連鎖関係を持った共同体であり、食物連鎖もあり、物質連鎖もあって、とどまることの無い不生不滅の流転が繰り返されている。

 近代科学は、肥料と農薬と機械という石油エネルギーで自然食模造の死んだ合成食品を製造する加工業に堕落した」

 進歩とは破滅への進行であることは「先進」諸国の精神的退廃、公害汚染の現状に明示されている。」
(今の中国の食物汚染、公害の蔓延が鏡のように日本の国を映し出している)

 こういった現状の中で福岡は自然農法4原則を提唱している。
 無耕地(田に水を入れ耕運機でかき混ぜれば土は練られて壁土のようになり死んで硬くなる)。無肥料、無除草、無農薬(殺虫剤は害虫と同時に有用な昆虫も殺す、自然のバランスを崩し一部の昆虫の多発を引き起こす)。

 自然の連鎖こそ守るべきものなのだ、自然の中に無駄な連鎖は無い。例が挙げられている「雑木を伐り杉を植えたことが小鳥のえさの欠乏をもたらす。小鳥がいなくなったカミキリムシが繁殖する。カミキリムシが松を枯らす線虫を媒介する。松が枯れると熊笹が増える。笹の実が豊富に出来るとねずみが増える・・・」といった具合に自然は連鎖してバランスを保っている。

地球温暖化をどうするのか
 その連鎖のどこかが断ち切られると、自然は暴走して来る。亜熱帯の乾燥地帯では遊牧民と家畜は何百年に渡り自然と共存してきたが先進国の援助で家畜を増産させ、その結果草は無くなり不毛の砂漠に変わった。焼き畑農業(地球温暖化をもたらす大量のCO2を排出する)も先進国の資本投下のもと、はじめはバナナのプランテーション作りのため、今ではバイオエタノールのためトウモロコシやサトウキビを作るため森林(熱帯雨林)が伐採され続けている。

 地球温暖化の根底にあるものは科学万能の資本の論理にある。生態系の流れに眼をむけ、物質循環の法則に従いながら、自然との調和と自然の連鎖に謙虚に従う心構えが必要だ。

 熱帯雨林は伐採や農地開発による破壊が進み、急速に減少・劣化してきている。 その速度は、毎秒0.5~0.8ヘクタールにもおよび、かつて地表の14%を覆っていたとされる熱帯雨林が現在は6%まで減少し、このペースで減少が続けば40年で地球上から消滅するものと予測されている。また大気中の酸素の40%は熱帯雨林から供給されているとみられている。(Wikipediaより)

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ジャンル : 日記

都立庭園-2 旧古河庭園

10月17日(水)
旧古河庭園バラ園
 2週間に1度の定期外来診療の日だ。病院は午後からなので早めに出かけ秋の薔薇園を見に旧古河庭園に行った。昔行ったことがあるが全く印象が違っていた。薔薇が何百種類とあるのには驚かされる。同時にその名前の付け方にも関心した。

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<旧古河

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 覚えているだけでも黒真珠、クレオパトラ、カトリーヌ・ドヌーブ、エスメラルダ、マリア・カラス、クイーンエリザベス、かぐや姫、熱情などあって名前を読んでいくだけで楽しい。新しい薔薇の品種をどんな思いを込めながら作っていたかを彷彿とさせて感動させられる。

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 この庭園の特徴は小高い丘には洋館を立て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園があるというもので、3種類の風景が1ケ所で満喫できるというものだ。パンフレットには「西洋と日本が調和する歴史的名園」と書いてあった。日本庭園はまだ紅葉には間があるが、色付きはじめた葉が鮮やかで落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

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 上中里駅から病院に向かう。血液検査の結果はIgMが1955と2週間前と比べて65上がっている。白血球が2900、ヘモグロビンが8.3、問題は血小板数が3.8とかなり少なくなっており、これはどうにかしなければならない。中性脂肪値は186とまあまあの数値だ。

 ベルケード使用に関する製薬会社への提出書類のための検査で今日はCTの検査をやった。これで検査は全て終わり、検査結果を製薬会社に報告し問題が無ければ薬の提供を受けることになる。診療が終わってから入院手続きをした。製薬会社の結果が出たら即入院ということになる。ほぼ一週間位で結果が出る。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

『ガン病棟』 ソルジェニーティン

10月16日(火)
 今にも雨が降りそうなどんよりと曇った暗く寒い秋の日にはモーツァルトの『交響曲第40番』がよく似合う。ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の名盤は昔から聴いていたのでこれ以外の演奏だと違和感を感じることがある。

 小林秀雄が街を歩いていた時に、突然このト短調シンフォニーが耳の中に鳴り響いたと書いていた。ゲーテはモーツァルトの曲を「人間をからかうために悪魔が発明した音楽」と言ったという。スタンダールは「かなしみ」と表現したらしい。色々な見方ができる多様さがある。それがモーツァルトだ。

『がん病棟』から
 以前読んだ『ガン病棟』の中で、次のように書かれていた。
「一般にすべての人間の存在理由というものは、決して仕事の中にあるのではないように思われるのだった。人は明けても暮れても仕事にのみ打ち込み、仕事にのみ関心を示し、他人は仕事によってその人を判断するものである。

だが存在理由はそこにあるのではなく、一人一人の背後に投げかけられた永遠の姿かたちを、どこまで乱さず、揺らめかさず、歪めずに保存しえたかという点にこそあるのではなかろうか。ちょうど穏やかな池の面に映った銀色の月のように。」


 デカルトは 人間の存在理由(raison d' etre))を「われ思う故にわれあり (cogito,ergo sum)」と自己対象化、自己認識(思考)の中に求めた。「一人一人の永遠の姿かたち」とは何か。それは仕事という表層的なものではなく、それを通して発現されるものである事もあるが人の情念であり、「世界(外界)」に対する関係性であり、思想であり揺るぎない確信である。それが自らのよって立つ基盤であり存在理由である。

 仕事を持っていない今自らの存在理由をどこかで見つけ出さなければならない。自らの「永遠の形」とは何か。仕事を一生懸命こなしている間は存在理由は忙しさの中に埋もれ仕事を自らの存在理由として自分を騙し続けることができた。

 しかし仕事を離れ、仕事が自らの存在理由などで無いことを思い知らされ、仕事というベールを奪われた今、むき出しの形で応えを出すことを突きつけられているのだ。

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秋・病院で

10月15日(月)
 秋になり木の葉が色づき寒さを感じる頃になると必ず思い出すランボーの詩がある。
  「もう秋か。-それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、-季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。秋だ。俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜(ともづな)を解いて、悲惨の港を目指し、焔と泥のしみのついた空を負う巨きな街を目指して、舳先(へさき)をまわす。・・・」(ランボー『別れ』小林秀雄訳)。

 「悲惨の港を目指す」とは何という意味深い言葉だろう、私のこれからの人生を語っているような言葉だ。余命が限られている人生を悲惨と思わないためにどのように生きていけばいいのか「きよらかな光の発見に心ざし」ながら。 

ベルケード療法のための検査
 担当医から呼ばれ病院に出かける。ベルケード使用に関する製薬会社からの要請にこたえるため幾つかの検査をしなければならないというものだ。この薬は保険適用になったものの、使用に関しては厚生省から厳しい制限が課せられている。そのためベルケード使用に耐えられるかどうかの検査をしなくてはならない。

国内での臨床試験においてベルケードの副作用として症状が特に重い肺障害(間質性肺炎)が発現し死亡した例があるということで、とりわけ肺機能が正常かどうかの検査を集中的に行う。
 
 今日は胸部レントゲン検査、呼吸状態の検査、心電図、血液検査を行った。血液検査では血液中のKL-6、SP-D、SP-Aの量が肺疾患の存在を反映する(間質性肺炎の診断補助マーカー)ので調べ、またLDHの検査によって臓器の異常を判定する。17日には胸部のCTスキャンを行う。こういった検査によって肺、心臓、腎臓、肝臓に異常がないか調べ、無ければ製薬会社としてベルケードを提供するというわけだ。

 17日のCT検査を終え医者が報告書を書きそれを製薬会社が審査し使用許可が下りて初めて入院日が決まる。

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都立庭園-1 清澄庭園

10月14日(日)
 明日、病院の担当医に呼ばれベルケード使用について製薬会社に提出する書類の作成に行く。そこで入院についての大まかな段取りが決まるだろう。一旦入院すると40日は退院できない。土日の外出もありうるがあくまでも薬の副作用の状況を見てからであって、確実なものではない。退院する頃にはすっかり冬になってしまうだろう。

  早朝は秋晴れの上天気だった。入院する前に行きたい所に行っておこうと思った。まだ行っていない庭園ということで清澄庭園に行くことにした。残念ながら家を出る頃にはどんよりと曇ってきたが出発した。

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 東京都の庭園(都立庭園)ということで清澄庭園の入り口にポスターが張ってあった。清澄庭園(全国から名石が集まった庭園)をはじめ六義園(和歌を基調とした江戸の大名庭園)、旧古河庭園(洋館と薔薇の庭園)、小石川後楽園(水戸黄門ゆかりの庭園)、旧岩崎邸庭園(和洋の建築文化の粋を示す庭園)、浜離宮恩賜庭園(徳川将軍家の庭園)、旧芝離宮恩賜庭園(江戸最古の大名庭園)、向島百花園(四季、日本の花が咲く庭園)、殿ケ谷戸庭園(武蔵野の山野草と湧き水の庭園)が挙げられていた。(カッコ内は庭園紹介のパンフレットにある解説)。行ってない所が幾つかある。入院までに機会があれば行ってみたい。

 休日でかなり人が出ていた。若いカップルより60代の夫婦が多かった。定年退職して、やっと夫婦でどこかに出かけられるようになったという感じだ。どこに行っても老人の姿が眼に入る。老人の団体も来ていた。働くことさえできれば年金+働いた分でどうにかなるだろう。しかし65歳を過ぎて職を探すのはなかなか難しいだろう。ましてやローンを抱えていたら生活はかなり苦しくなる。

 庭園の特徴としては全国から集めた石が色々なところにおいてある、特に仙台から来たという石で出来た橋はその大きさからいってよく運んだものだと感心する。解説は以下の通り。

 泉水と名石、そして緑と野鳥 (庭園案内パンフレットより)
 泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式築山山水庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
 この地の一部は江戸の豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。

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土曜日に思うこと

10月13日(土)
土曜日の出勤
 会社に勤めていた時、日曜日はおもに夜の積み込み積み下ろしで夕方からの出勤が多かったが、土曜日の出勤金曜日に間に合わなかった出庫準備で出ることが多く、朝から広い倉庫で一人で黙々と仕事をしていることが多い。そういった意味で土曜日の出勤は辛いものがあった。

 休日出勤は誰に指示されるものでもない自分で必要だと決める。仕事が残っていれば出勤することになる、それがかえって自分の中では出勤の意味を問うことになる。土曜日には部長も出勤していたが別の仕事で倉庫内にはいない。

 夕方までに準備を終わらせ、帰ってくる荷物の積み下ろしをその後やって22時、23時まで仕事をするというパターンが多かった。土曜日休みということは、めったになかったしあきらめていた。土日続けて休んだことなど4、5年なかっただろう。

 運が良ければ正月の1日、2日、お盆の5日間休みのうちの2日休めるかどうかというものだ。24時間、365日働けますかなみの仕事をやっていた私がいなくなっても職場はほとんど何の支障もなく回っている。これが企業というものだ。

 職場の変化
 私が2005年12月に入院したことによって何が変わったのか。職場の変化について書いてみる。部長は64歳になったので2006年4月に定年退職の予定だったがどんなことがあってもそれはなくなった。働くことしか知らない彼にとってはどんなに喜ばしいことだろう。自分から頼んで置いて貰っているのではなく、会社から絶対的必要性をもって残ってもらいたいと懇願されているのだから気分はいいだろう。

 若い社員2人も去年の10月頃部長が社長に呼び出されリストラの一環として臨時労働者に変えたいと言われた。彼らは私の件で首になることも給料を減らされることもなく勤めつづけることが出来るだろう。そして嫌でも私の影で楽な仕事をしていた状態にいられなくなり、社員としての自覚を持って一生懸命働かざるを得ない。

 職場の状況
 地方への発送はかなり減り、無理な注文、緊急な注文、赤帽なども減った。難しい什器の発注も減った。ともかく私がいないということで、ひたすら贅肉を落とし、スリムな業務遂行を行っている。ともかくどうにか運営できているということだ、企業というものはそういったものだ。

 歯車の一つがなくなっても代替えが生まれうまく回っていく。少しは安心だ。私がいなくても動くということが、自分が職場でどういった役割を担っていたかについて考えざるを得ないところはあるが、いなくてもどうにかなるということの方がずっと気が楽だ。

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年金について

10月12日(金) 
 ラジオ体操が始まる前に毎回ラジオ体操の歌が流れる。この歌を毎日聞かされているわけだが、この内容のあまりの楽天主義には逆に感心しててしまう。朝から暗い歌などもちろん誰も聞きたくないだろうが、底抜けに明るくさわやかで自分心の中とのギャップを突きつけられるようで辛い感じがする。

 何といっても「新しい朝が来る、希望の朝だ、喜びに胸を開き・・・」といった具合なのだから。
 何処に新しい希望の朝などあるのだろうかと思ってしまう。この歌はかなり昔からやっている。ラジオ体操が始まった時からだろう。戦後間もなくからかもしれない。多くの人を励ましてきたのかもしれない。(NHKラジオ体操が制定されたのが1951年、ラジオ体操の歌は1956年より。)

年金のゆくへ
 国会で年金問題が論議されている。宙に浮いた年金記録5000万件で給付されるはずの年金総額について、民主党が6兆6千億円という独自試算を示した。給付漏れの可能性の高い65歳以上分は2兆8500億円。厚生年金は強制的に給料から天引きされ、国民年金についても強制的に徴収すべきだといったことが検討されていた。しかし一方でいざ払う段なって、この有様だ。まともに払う体制が全く出来ていないことが明らかにされた。

 今日、企業は正規職員を最小限に止め、非正規職員によってそれを補っている。それによって厚生年金の企業負担を削ることができる。そして非正規労働者は働いても働いても生活できない「ワーキング・プアー」を強いられ、国民年金の保険料など払うことはできない。

 年収200万以下の労働者が1000万人いる中で、月14,100円の年金保険料はかなりの負担だ。たとえ満額払ったとしても65歳でもらえる年金額は月6万6千円でこれでは生活できない。

 生命保険会社の未払いが500億という数字が示された。生命保険会社も勧誘時はうまいことをいうが、いざ保険給付の段階では、なるべく支払わない様に屁理屈をつけてくる。さらに申請主義だからこちらから請求しなければ一切払おうとはしない。本契約を請求し、特約について請求を忘れていても一切アドバイスをしようともしない。

 それが積もって500億という数字になった。つまり保険会社は未請求の保険料についてきちっと把握していながらそれを保険加入者に教えない。これは詐欺に近い。こういった卑劣なやり方がまかり通っていることが社会を腐敗させていくのだ。
 
 放置されている年金がまだある。確定拠出年金だが、これは01年に導入された企業年金の一種で加入者は256万人。そのうち加入者が退職した時に正しく手続きされず放置された掛け金は計211億円、8万人分もある。国の年金が当てにならないということでせっせと自分でためざるを得ない積立金が「自己責任」だということできちっと請求しないともらえない。

 そして211億円という年金がここでも宙に浮いてしまっている。取るだけとって後は本人の責任という制度、何という無責任なのだろうか。]

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自殺者について

10月11日(木)
 一昨日のテレビニュースで自殺についての特集をやっていた。今日の朝刊で「自殺サイトで契約、報酬払った女性を殺害」といった記事が大きな見出しで掲載されていた。昨年(2006年)自殺者数は3万2千人、毎日100人の人が自殺している。未遂がその3倍と言うから毎日400人もの人が死のうとしている。

 何故こんなことになってしまったのだろうか。小泉政権の改革路線のもとで、構造改革・財政再建・規制緩和の荒波は、さらに過酷な二極化・貧困社会の進行(所得格差、地域格差)となって現れてきている。産業再編合理化の中で、年収300万未満の所帯も27%に達し、収入源についても28%の所帯が「年金や生活保護」を挙げ、「仕事がない所帯」も過去最高の22%に達した(福祉保険基礎調査より)。労働現場では06年度の労災認定で過労自殺(未遂も含む)が過去最高の66人となり(前年比6割増)、精神障害の認定者数も大幅に増加している(厚生省)。

 一方で「ホワイトカラー・エグゼンプション」なる正規職員(正社員)に対するただ働き、長時間労働、過労死、過労自殺を促進し、一方で非正規雇用者(臨時、派遣、パート)の増大によって生み出される「ワーキング・プアー」なる低所得者層がどんどん広がっている。こういった棄民政策の中で見せかけの景気回復が言われているがこの上辺だけの(大企業がリストラと低賃金労働力の導入によって作り出している)現象に惑わされてはならない。

 朝日新聞の「人・脈・記」の中の派遣労働者ネットワークを立ち上げた「東京ユニオン」の高井晃氏の発言が印象的だった。「人を育てず、都合よく使い捨てる経営者に経営者を名乗る資格があるだろうか。これ以上不安定で希望の見えない働き方を許すべきではない。」
 ネットで自殺者についての記事があった。引用してみる。

悲しき真相、3万4427人の自殺者 
 02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
 マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。

 年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。

 同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。

 さらに最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。

 日本は何故このような国になってしまったのだろうか。

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いつ入院か

10月10日(水)
 朝、雲は暗く重苦しく垂れ込めていた。今にも雨が降りそうだったが、どうにかもっている。空模様に対する受け止め方というのは心の中を反映する。昨日病院の担当医から明日ベルケード療法を行うに当たって、製薬会社に出す書類の作成をしなければならないから今日来られないかという連絡があった。

 いよいよ入院の日が近づいたということで気分が落ちこんでいたのは確かだ。それが天候の重苦しさと重なってきているのだ。

 結局朝医者から電話があり都合により打ち合わせは来週月曜日にするという連絡があった。肩透かしを食った感じだ。いつ入院するのかを決めるというのは決意と心構えを必要とするのだ。40日の入院が今の生活を大きく変えるものでないというのは確かだ。しかし外にいるのと病院から出られないというのは大きな違いだ。病院を出ることができないという閉塞感は人の心を狭めていく。

移殖病棟・無菌室での治療
  昨年7月と10月に移植のため無菌室に入った。1度目はただの個室だったが、2度目の無菌室はかなり閉塞感があった。移植病棟の無菌室は7月の時の部屋と違って、完全隔離病棟で密室性はかなり強く、孤独を愛する人はいいだろうが閉鎖感は強い。
 
 友人との面会はインターンホーンを使ってガラス越しに話をしなければならない。アメリカの刑務所と同じだがインターホーンの位置が外は廊下の窓側、中はベッドの枕元とかなり離れていて、刑務所面会のように顔を突き合わせて話せるわけではなく顔も識別できないほど遠くで話をする。昔は家族もガラス越しにしか面会できなかったし、看護師や医者も最低限しか患者と接しなかった。

 しかし感染が外からのものよりも体の中にあるウィルスや病原菌が免疫力の衰えによって増殖し発病する方が多く、今は構造的にも少しだが開放的になり家族との面会も部屋でできるようになっっている。今回の入院は5人の大部屋、一般病棟となる。

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いつから始まったのだろうか。

10月9日(火
 雨が降ってっていたが6時30分頃には止んだ。曇っているが空気はすがすがしい。金木犀の香りがまだ強くはないがかすかに漂ってくる。この位の香りが丁度いい。強い時には匂いの大合唱と言った感じで、香りを楽しむ余裕もなくなる。

どういった人生を生きていたのか
 入院時に書いた仕事への捕らえ返しの文章が出てきた。仕事と現状のギャップを浮き彫りにする意味で引用してみる。 
 人生には、節目がある。それは気が付かないほどわずかの人生の軌道修正だとしても、それは少しずつ少しずつ、人の生活と心とを変えていくのだ。そして気が付いた時にはもはや自分の意思とは無関係に膨大な本流にからみ取られ、身動きできなくなってしまっている。

 始めは借りていたアパートの風呂釜が壊れた。大家は追い炊きできない安い風呂釜に変えるという。それだったらいっそ引っ越そうと思い、その流れで家を買うことに決めた。家を持つということ、これ自体は、今払っている家賃に若干上乗せすることで支払いは可能だという数字上の可能性から言えば、十分可能だし、将来的に自分のものになると言うメリットもある。だから家を買うという極めて分かりやすい結論に従った。

 家を買って、ローンを払い続けなければならないそのためには、安定した収入と地位が必要であった。課長になって収入は管理職手当てという形で安定し、ベースも上がった。当初労働内容はそれほど変わりなかった。しかし仕事は次第に、バクテリヤのように私の時間を侵食していった。

 
何故このようになってしまったか、バブル崩壊後徐々に押し寄せてきたデフレ不況が最大の原因である。しかしそれだけではない、仕事と言うのは自己増殖するものなのだ。仕事というのは忙しくなればなるほどその意義を失う。やっていることを吟味しながら作り上げていくのではなく、ただこなしていくという空しい作業になっていってしまう。

 不景気の中で、デパート、量販店が不振で、ディスプレイ什器のリース単価が半分以下になっていく現状の中で「今の給料を貰おうと思うならば、今の倍働け」という会社の方針によって、倉庫を増設し、大量の什器を買い込み倍の量のものを貸し出していった。このことは倉庫要員の負担から言って、入出庫やメンテナンスを考えれば4倍の仕事量になる。こういった流れの中で、どんどん自分の時間がなくなっていく。

 休みは月1日取れればいい方で、毎日20時21時まで仕事、家に帰れば22時23時となる。百貨店の入れ替え日に翌日の積み込みがある時は、終わりは1時、2時となった。早い日でも19時過ぎまでは確実に仕事があるから家に帰るのは21時過ぎ、これが毎日続いていた。これを変えようと思っただろうか、しかしそれは不可能なことなのだ。

 組織の中の人間がいかに無力であるのか歯車の中でいかに動かされていくのか思い知らされてしまうのだ。この不況の中で人員削減はあっても増やすなどと言うことは考えられないことであった。

 このように仕事が忙しくなるにつれ、当然自分の時間が持てなくなる。午後から仕事という時に、午前中出かけたり、スポーツをしたりをするということ、これは体力も気力もいることだ。そういったエネルギーが徐々に喪失していった。魂を仕事に吸い取られるように。

 結局ごく切り詰められた時間の中では、若干の家事と、ビデオを見るくらいしか出来ない。どこかに出かけるのは、唯一会社の旅行位でしかない。かつては、年2回位リゾートマンションやコテッジに泊まりテニス合宿をしていた。コートを取れば誘ってくれていた。仕事が忙しくなり、誘われても行けない事が多くなるとやがて誘いもなくなり、テニスの機会もどんどん減りやがて全く誘われなくなってしまった。

 私の仕事の内容は、膨大な労働時間を必要とする出庫準備だけではなく、出庫管理という神経をすり減らす仕事が主要な仕事の一つである。一本のビスでも不足すれば、翌日の顧客への品物の納品は不可能になる。

 客からの多様な注文に対し、納品日までに品物をなんとしても調達する事、これは並大抵のことではない。地方営業所から取り寄せたり、業者から仕入れたり製作してもらったり、それが出来ない場合は、会社の倉庫で製作したりあらゆる方法を駆使して期日までに間に合わせなければならない。

閉塞した仕事の状況の中で空しく殺伐とした毎日毎日の仕事の繰り返しの中で、どうやって生きがいを見出せばいいのか絶えず問い続けざるを得なかった。

 何のための仕事か、何を目的とした仕事か、これだけの時間を何に使っているのか。もちろん仕事をするということは、食うためだ。しかし、最も重要なことは家のローンを払うことである。ローンを支払っている限り、たとえどんなに辛くとも今の仕事はやめられない。転職しても今の給料はもらえないからだ。こういった中で労働の質はますます強制力を帯びたものとして私を支配していったのだ。

 こういった労働実態の中で、突然血液ガンであると診断され、即入院するよう告げられた。確かにこの宣告は衝撃的であり、不安や絶望は心の奥深くににずっしりと重くのしかかってきた。ただ入院に対してはそれほど苦痛を感じたわけではなかった。会社の仕事がかなりきつく、毎日毎日遅い日が続く中で精神的にも限界を感じてきていた頃であった。入院によってそれから逃れられると思った。

 抗がん剤による副作用による苦痛とかはについて全く考えの埒外にあった。ただ休める、好きな本も読むことが出来る、DVDも見放題、CDも聞き放題、パソコン持込可、書きたかった物も書ける、この機会にエクセルもマスターしようとかそういったことを考え何の抵抗もなく入院していったのも確かである。そして、2005年12月1日入院した。

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宿命転機

10月8日(月)
 3連休最後の日、予報通り9時頃から雨が降り始めた。秋雨は冬の到来を告げるように寒々としたイメージを与える。昨日はプレドニン服用の最終日、12時近くに寝て、4時頃眼が覚め、また寝たら眼が覚めたのが6時35分とラジオ体操に間に合わなかったのでまたうとうとしたら次は8時に眼が覚めた。連続して7,8時間と寝られない。2,3時間すると眼が覚める。

 最初の2日よりも覚醒作用は薄らいで睡眠導入剤を飲まなくてもどうにか寝られた。毎週月曜日は資源ごみの日これを逃すと2週間後になる。8時30分には取りに来てしまう。ごみ捨ては家事の中の大きな仕事なのだ。

「宿命転換」「諦めろ、されど諦めるな」
これらの言葉は全く違った所で聞いた言葉である。しかし意味は同じである。がんになってしまったという科せられた過酷な宿命は、むしろ人生を転換させる力となりうる。がんになったことは宿命として諦めるしかないが、しかし、絶対に負けず病気に打ち勝つ努力を諦めなければ展望は生まれてくる。

これらの言葉は気の持ちようだということだ。しかし与えられた運命をその過酷さゆえ力強いバネとして利用し、強靭に跳ね返していける武器としていけるかどうかは本人の心構えによるものでしかない。しかしどちらにしても、人生の転換、転機には違いない。

 通常の人生は、日々全く同じ仕事の繰り返しで波風も立たず平平凡凡と何の疑問もなく、何の変化もなく告ぎ去っていく、過酷な運命はそのささやかな日常性を根こそぎ奪い、本人の意志とは全く無関係に全く違った人生の生き方を、強制してくるのだ。

それは入院、治療という病院生活を強制されるだけでなく、家族関係、職場関係、友人関係、社会関係などあらゆる領域での変化を伴ってくる。そしてこれらは全て本人の意向などとは無関係に進行してくる。それは全く独自の論理を持って動き、希望や、要望や、願望や、欲求などは全く無視される。だからこそ「宿命」と呼ばれるのだ。

人生を変えたいと思っている人にとっては,課せられた「宿命」は一つの人生転機の大きなチャンスになりうるだろう。しかし与えられた運命をまず受け入れてそれを跳ね返す力が必要なのである。そしてそれは限り無い意志と決意が要請される。

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いかに生きるか

10月7日(日) 
 休日は早朝でも何故か静謐な感じが漂っている。快晴で秋の気配が感じられ肌寒さが心地よい季節感を味わわせてくれる。日課のラジオ体操と散歩をこなし、明日から天気が崩れるというので郊外に散策に行こうかと思ったが出遅れて、結局池袋の世界堂に行って額縁を買った。
 
 日曜日、時間とは何か、それを一番感じさせる曜日だ。普段は押し流されながら生きている。日曜日には自分が何をしたいか考えなければならない。趣味にもエネルギーがいる。何を自分が一番したいのかそれがいつも問われている。自分の人生に目的などあるのだろうか。子供も大きくなった、親がいなくとも後は自由に育つだろう。

 今の生活は毎日が日曜日だ。望んだものでなくともそれが現実なのだ、毎日生きることの目的を考えていく日々だろう。時間は有り余るほどある。しかし目標など見つけることができるのだろうか。レーモン・クノーの『人生の日曜日』という本がある。この言葉が好きだった。仕事が忙しい時に憧れの言葉として胸に響いた。それが現実となった時憧れは困惑となる。  

 どのようにしてに色々な人との人間関係を築いていけのだろうか、体調の問題もあり、考えるところは色々ある。いったいどういった生き方が可能なのだろうか。家に居れば出かけることにかなりのブレーキが掛かることは当然だ。それは私の病気のことを心配してくれているからで毎日色々なところに出かけることなど許される訳がない。家を出れば、色々な人との関係も築いていけるだろう。今の家に居て安楽な生活をしているのと違って、外で一人暮らしをすればそれなりに大変なことになるだろう。

 病気が悪化しておらず、快方に向かっているのだったら人生の選択の幅はいくつかあっただろう。しかし確実に悪化し、いつ入院するか分からない状態の中で、MP療法をやめてベルケード療法に移行し入院しても直る見込みは35%というものだからななおさら選択の幅は限られる。いや選択の幅などはない。

 白血球が今2600しかなく(正常値3800以上)減少すると発熱等の症状が表れるらしいので気をつけていなくては。体力の消耗が感染症にかかりやすい条件を生み出していく、呑気にストレスと無縁に暮らしていくほか無い。どう生きたらいいのか等の質問は未来のある人のもので、余命が限られた人間にとっては逆にその日暮らしになってしまう。

 あと5年しか生きられないとしたら貴方はどうしますか、どうしたいですか、といった質問をされた時、その場ではやりたいことをやる享楽的に生きるなどいうかもしれないが、いざ実際にそういう宣告をされた人間は答えなど出せるはずがない。

 未来が見えている。未来が決まっている人間にはどう生きるべきかなどの回答などない。何かをやっても結局何も成就できないとわかっているから何にも手を出すことが出来ないのかもしれない。その限りかなり絶望的状況である。「絶望とは死に至る病」(キエルケゴール)。それを超えていく人も居ないわけではない。最後に「命の炎を赤く燃やす人」はいるだろうが、それはまれだろう。しかしそれでも人は絶えず自らに問い続ける「如何に生きるべきか」と。

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仕事・貧困・老後

10月6日(土)  
 外はさわやかな秋晴れだ。空気が澄んでいる。昨夜はまたプレドニンのせいで眠れず3時頃睡眠導入剤を飲んだ。眼が覚めたのは8時近くだった。珍しく寝坊してしまった。今年の春西武線沿線の緑地保全地域巡りをしていた頃のほうが元気だったのだろう。抗がん剤を服用している影響だろうが体力が落ちている気がする。時間があっても金がない、時間があっても体力がない世の中うまくいかない。
 
 週末だといって何の代わり映えもない。まあ退院後毎日毎日同じ生活を送っているのだから今さらではあるが。色々な人の労働を見ているとやはり同じことの繰り返しであるのは間違いない。病院に行って特に思った。毎日毎日朝から晩まで、採血室の受付で書類を渡す人、採血室で血液を抜き取っている人、経理でパソコンの前で計算し清算する人、受付で再診の機械の前で患者にやり方を指示する人、全てが同じことを繰り返すばかりなのだ、労働が機械化され分業化されている。しかしそれがあれだけの人間でより多くの患者の面倒を見られるシステムとなっているのだ。

 ベルトコンベアーでの労働が問題になったが、他の労働だって多かれ少なかれ同じなのだ。前の職場の前が大東スレートという瓦作りの工場だったが、窓から見える光景は、職人がベルトコンベアーから流れてくる瓦を5枚ずつ重ねて横の台に順番においていくというものだった。午前、午後5分の休み、1時間の昼休み以外ずっとそれをやり続けるのだ。それを見て自分にはとても出来ないと思った。

 「労働は辛いものだからその代償として賃金がもらえるのだ。逆に楽しいことをしようとすれば、それにお金を払うだろう。」と社長が言った。辛いこと、同じことの繰り返し、何ら自分の成長、発展につながらないことを1日中も黙々とやらざるを得ないのだ。食うために。それに比べれば嫌なこと辛いことをやらなくて、同じ事を繰り返しているのはまだいいのかもしれない。

 ある医者の生活をテレビでやっていた、夜22時に37時間の勤務(次々と急患が来て帰れない、徹夜で手術をやり続けなければならなかった)が終わりやっと家に帰れる。また明日も朝から仕事だ、というものだ。この医師は総合周産期母子医療センターに勤務している。産婦人科医が不足している状況で、救急救命センターとしての役割を持ち、総合医療設備を持っている病院だということでさらに仕事は忙しくなる。

 目的意識性があり意義ある仕事でもこういった労働ではロボットと同じように仕事はこなすものになってしまう。次から次へと問題が起こりそれへの対応に四苦八苦しているのもストレスがたまる、確かに単調ではないが労働というものに付きまとう必然的な苦悩というものはある。今の正社員の現実とかなりダブっているといえるだろう。

 何が今の労働者の悲惨な状況を生み出したのだろうか。バブル崩壊後のデフレ不況における企業再編に問題がある。年間収入が200万円以下の人が1000万人以上いるという。昨年の交通事故で1万人が死亡している。しかし自殺者はその3倍の3万2千人いる(これは統計上失業率と関係している)。格差社会の中で正社員には収入と引き換えに過労死、過労自殺を強いるほどの労働の集中、一方では非正規労働者(日雇い、派遣、パート)を低賃金・使い捨て労働として虐げているという分極化が進行している。

日本の貧困率(統計資料から)
日本国民貧困率 15.3% *先進国では世界第3位
66~75歳の貧困率 19.5%
76歳以上の貧困率 23.8%

 1.2億人の人口のうち15%、即ち1,800万人もの人が貧困に喘いでいるとされているのです。マスコミ等で報道されますのは上場会社の社員のボーナスや賃金のことであり、確かに上場会社の社員は素晴らしい年収を貰いよい生活を送っています。ところがそれは極わずかな数字であり、95%の国民は関係ない話なのです。

 今年7月7日に厚生労働省から発表されました【国民生活基礎調査】によれば、55.8%の世帯が<生活が苦しい>としており、4,632万3,000世帯がありますから、何と2,584万世帯が生活苦に直面しているのです。

 この調査では全世帯の平均所得(2003年)は579万7,000円であり、これは7年連続して減少しているとされています。そして65歳以上の高齢者世帯では所得は290万9,000円であり、前年よりなんと13万7,000円も減っており、10年前(1993年)の水準にまで戻ってしまっているのです。

 しかも、64.2%の高齢者は年金しか収入がない状態になっており、これは10年前に比べ10.2ポイントも急増しているのです。(一部の金持ちの高齢者が平均年収を上げていてほとんどの人は年金と貯金の食いつぶしで生活している) 若い世代にに関しても18~25歳の貧困率は16.6%という低い数字となっている。

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宇宙の情景・職場の状況

10月5日(金) 
 ring_nebula.jpg Google Earthという画面が何故か開いて、それをダウンロードした。地球の航空写真と宇宙の写真が見られる。自分の家が130mの真上から見られる。3D画像も見られるというのは面白い。一方星座や星雲も見られる。極小から極大まで地球と宇宙を観測できる点が面白い。Google Earthを開いて星雲や星座、宇宙の様々な神秘を写真と解説で見た。

 宇宙の光景は何故か心が洗われ、落ち着かせる働きがある。俗世の煩悩から超然とした姿は自らの存在の矮小性を自覚させそれ故個別的な執着から開放させてくれる働きを持つのだ。自らの存在は銀河系宇宙の塵の一つにも数えられないといった視点で自らの宇宙の中での存在を自覚するのだ。

 元の職場に行く
  社会保険庁から障害年金申請書類で初診の医師の診断書が必要だということで元の職場の近くのM医院に行った。その後職場に挨拶に行った。昨年12月20日ぶりだ。部長やH君、Oさんと話しをして会社の現状を少しは知ることが出来た。知ったからといってどうなるものでもないしどうすることもできないがただただ感慨深いものがある。

すでに地方営業所の所長(課長)にはほとんど30代の人が就いた。東京営業所でこの間60歳前後の課長に若い35~40歳位の課長を就けた。それぞれの課が2人の課長となっている。これは何を意味するのか誰でも分かる。「老兵は退くのみ」といったシフトだ。

社長候補は40代の若い三部の部長だ。若い人が管理職になってバリバリやるのはいいことだ。しかし年寄りは今までの経験と蓄積の中で多くの人生経験の中で他人に語るべき多くの言葉を持っているはずだ。そう行った人たちを60という年齢をめどに切り捨てるのは納得できない。会社は優秀な人の定年は64歳となっているはずだ。今後会社はどうなるのだろうか。

自転車の回収
 話が終わってから、買ったばかりで会社に寄付した自転車が盗まれたが放置され駐輪場に保管してあるという通知が来ていたが、名義人の私しか取りにいけないということでそのままになっていたことが分かった。そこでバスで竹ノ塚まで行きの放置自転車保管場所で自転車を受け取り、自転車屋で名義を会社名に書き換えた。道を間違えて30分くらい歩いた。

 10時過ぎに家を出てM医院にむかい、職場で話をし、竹の塚まで行き、30分歩き、自転車で20分位かかって会社まで自転車を戻しに行き、家に帰り着いたのが18時30分という1日仕事だった。。かなりハードな動きをしたが家に帰ってもそれほど疲れを感じなかったし、夜も眠くならなかった。プレドニンの影響だろう。恐ろしい薬だ、動きから言ってもかなり疲れているはずなのに疲れを感じない、全く眠くならない。

「公表されたガン5年生存率
 10月5日の朝日新聞の朝刊記事には各医療機関ごとのガンの種類別生存率が比較されていた。胃がんは84.1~45.5、乳がんは92.9~72.3、肺がん55.5~24.7、大腸がん87.6~63.8となっている。生存率の高い病院とそうでない病院の区別が一目瞭然だ。

 全国がんセンター協議会の統計を見てみたら、1997年から99年の統計だが、この統計ではガンは早期発見がどれほど重要かということが分かる。例えば胃がんだと早期発見では98%の人が5年以上の生存率であるのに対してⅣ期の手遅れの段階では6.2%の生存率しかない。肺がんではⅠ期では76.5%の生存率だがⅣ期だと3.1%と助かる見込はかなり少ない。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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