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『蒼天航路』『英雄』

11月30日(金)
 『蒼天航路』を面会人が持ってきてくれた。6巻までしか持ってきてもらっていないのでそこまでしか読んでいないが一気に二日間で読んだ。
 
『蒼天航路』
 舞台は中国後漢末期から三国時代。 日本でよく知られる『三国志演義』ではなく、『三国志(正史)』を基に脚色されている。「悪党と言われてきたものは、本当に悪党なのだろうか。善玉と言われてきたものは、本当に善玉なのだろうか。」というモノローグから、『三国志演義』では悪役であった曹操に「もっとも人に興味を示した」英雄としてスポットライトを当てる。

屯田制の採用や政治・文学における儒教からの分離等の政策からパイオニア的精神を中心に据えた曹操像を導き出し、既成概念や旧体制からの脱却、空虚な観念論より実利の追求という曹操の行動原理を軸にして物語は展開する。(Wikipediaより)

 第6巻の中に、呂布の軍師陳宮が曹操に捕らえられ「俺が仕える主君には3つの条件がある、答えよ」と言う、それに対して曹操は答える。31PVTNPZ13L__AA115_.jpg
  人を治めつつ人を顧みぬ者
  乱世を戦いつつ治世を始める者
  天を知りつつ天意に叛くことを畏れぬ者

 それに対し陳宮は「答えは完璧だ、しかしお前は世の才物を躍起に集めておるがその実お前は何者も必要としていない。」と言う。
 
曹操は「劉備であれば仕えるか」と聞く。陳宮は劉備について
  天を知りて天に甘え
  乱世に戦わずして乱世に乗り
  人を顧みて人心を抱えこむ

と答え「まことにうっとうしい男だ」といってどちらにも仕えることを拒み処刑される。この陳宮の言った言葉は曹操と劉備の性格を端的に表している。

 歴史の中で誰が正義で誰が悪かという評価はきわめて難しい。各人の歴史観によって評価はまちまちとなる。どういった視点で歴史を見るかによる。基本的には庶民のための政治であるかどうかだろう。『三国志演義』を基に書かれた多くの三国志で劉備、諸葛孔明を正義、曹操を悪として舞台が設定されているが、歴史の見方は歴史記述者の主観によって語られるものであってはならない。

確かに公正な歴史記述などありえないのかもしれない。しかしあくまでも正確な事実を主観なしに叙述することが必要だ。それを基にして、時代の経過によって歴史はその真実を明らかにしてくるものだろう。

『英雄』 
41R7TSS5CTL__AA240_.jpg 以前、チャン・イーモウ監督、ジェット・リー主演の『英雄』という映画を見た。物語は「秦王(始皇帝)のもとに、王を狙った刺客を3人殺したという無名という男が現れた。その功績を讃え、特別に謁見を許された彼は、刺客を殺した経緯を王に語りはじめる。」

そして、真の英雄とはどんなものかというテーマで、ある者は愛する者を信じぬき命を落とし、ある者は大儀の為にその命を投げ出し、ある者は秩序の為に自らの理解者を手にかける、という内容で展開される。

 この映画は復讐劇だが始皇帝に対する評価がむしろ重要になってくる。家族を殺され、国を滅ぼされた個人的感情による復讐が重要か、国を統一し戦争をなくし、庶民が安心して住める世の中を維持することが重要なのかの選択なのだ。

暴君とはいえ始皇帝を暗殺すれば、また国は乱れ群雄割拠し至る所に戦争が起こりその犠牲は庶民に降りかかる。どうするのかが問われる。怒りと道義との板ばさみの中で逡巡せざるをえない。まさに歴史の中で自分の位置を何処に置くかが問われているのだ。

付録:武将の性格を表す言葉
    啼かぬなら殺してしまえホトトギス  織田信長
   啼かぬなら啼かせてみようホトトギス 豊臣秀吉
   啼かぬなら啼くまで待とうホトトギス 徳川家康

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テーマ : 思ったこと・感じたこと
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文京区散歩-5 富士神社

11月29日(木)
 本郷通りを駒込方向から上り、不忍通りと交差しさらに少し行くと「富士神社入口」の標識のある信号がある。そこを左に曲がりすぐ左側に富士神社と書いた額が掲げられた鳥居がある。

駒込周辺・六義園037_convert_20101124184133 神社入口の鳥居

鳥居の左右には文京区指定保護樹木と書かれた大銀杏が黄色く色づいて聳え立っている。更に3,4本あるスタジイの古木も大樹として保護樹林となっている。参道を進むと本殿に向かう石段の横にかやの巨木がしめ縄を巻かれ神木として祭られている。

駒込周辺・六義園038_convert_20101124190011 境内から社殿に上る階段

本殿(社殿)は大きな塚の上にあり、急な石段を上っていく。石段の周りには、富士信仰が火除けの御札を出す為、各鳶(とび)による纏(まとい)の紋章の入った石碑がたくさん建っている。なかでも大きく「奉納加賀鳶」と書き、まさかりが交錯した紋がある石がある。これは縁の深い前田家(金沢藩主)の特設消防隊の加賀鳶が奉納したものである。

駒込周辺・六義園041_edited_convert_20101124184039 天祖神社社殿

延文年間(1356‐61)には既にこの社地は富士塚と呼び、大きな塚があったといわれる。本殿はこの塚の上にある。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。この塚を模造の富士山と見立てて、登山道も富士の溶岩で造られた跡が石段の右側に残っている。本殿の周りの石碑の彫り文字は、石段横の石碑もそうだが何故か鮮やかな赤に塗られ、かなり目立つものであった。塚の上も巨木が生い茂り昼でも暗いといった雰囲気をかもし出していた。本殿から塚の前方部分に向かうとそこには小御嶽神社の社がある。

駒込周辺・六義園039_convert_20101124183943 富士塚にある石碑

駒込は一富士二鷹三茄子」と言う江戸時代の川柳があるらしい。その富士がこの富士神社のことだという。“鷹”は、道坂上に幕府の鷹匠屋敷があったからで、近くの天祖神社の裏口にある石柱に鷹匠組の名前が見える。“茄子”は駒込の名産だ。

■歴史:伝承によれば、天正元年(1573)、本郷村の名主が夢に木花咲爺姫を見て、現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したことにはじまる。 寛永5年(1628)加賀前田家が上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を現在地に移した。拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。

この神社は氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。富士の浅間神社にお参りに行く「富士講」が数多くでき、模造の富士山も造られ護国寺の「音羽の富士」、白山神社の「白山の富士」とともに、富士神社も「駒込のお富士さん」として地元の人に親しまれている。(境内にある文京区教育委員会作成の看板より)

富士神社の境内にJA東京グループの出した「江戸東京の農業・駒込なすという看板があった。「大消費地江戸の供給基地として江戸近郊の農家では野菜栽培が盛んになり、神社周辺でもなす、ごぼう、大根などが栽培された。特になすは優れたものができ「駒込なす」として庶民に好まれた。江戸時代、駒込のなすのような特産品が各地で生産された。JA東京中央会企画・発行『江戸・東京ゆかりの野菜と花』の中にそれが書いてあった。

■江戸野菜の起源
①1700年ごろには人口100万都市に⇒政策的に農家化促進
②参勤交代で地方の名産野菜が献上品等として競い合って続々江戸へ→野菜のタネの集積地に
③江戸農民の手で各品種次々に創出、全国へ

■江戸野菜
千住ねぎ(足立・根深ねぎの代表として鍋物あえものに)、小松菜(江戸川・香取神社境内にゆかりの里碑)、目黒のたけのこ(薩摩藩の下屋敷発・孟宗筍栽培記念碑)、寺島なす(墨田区墨田)、練馬大根(たくわんに最適・江戸野菜の王様)、亀戸大根(浅漬け用)、砂村ねぎ・きゅうり・なす(江東区北砂・南砂)小松菜(江戸川発の冬野菜)、寺島なす・本所うり(墨田)、滝野川ごぼう・人参(全国へ)、志村みの早生大根(板橋・早く収穫できることで人気)、駒込なす、雑司が谷かぼちゃ(豊島)、内藤かぼちゃ・鳴子うり・早稲田みょうが(新宿)、居留木橋かぼちゃ(品川)、馬込大太三寸人参・馬込半白きゅうり、吉祥寺うど(杉並)、汐入大根・三河島菜(荒川)、谷中しょうが(台東)、砂川ごぼう(立川)、奥多摩のわさび、三河島菜(荒川)、金町小かぶ(葛飾)、東京長かぶ(=滝の川かぶ)。

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冬の訪れ

11月28日(水)
 久しぶりに朝暗い空であった。6時起床時間になっても部屋が暗かった。小雨が降っている。しかし外の大気は思ったより寒くはなかった。小雨の湿り気がすがすがしい空気を作り出していた。散歩をすると思うのは毎日毎日大気の状態が違うということだ。香りやにおいの違いを感じられるということは病院に収容されているという束縛感の中でかえって味わえるのかもしれない。もうすぐ12月冬の季節だ。一日一日と大気が冷たさをましてくる。シェリーの『雨』という詩がある。

    重いしめった悲しみに 疲れはてたか
   つめたい風が あちらこちらと
   はいいろの どんより雲を わたるとき
   気まぐれ雨が 降ったりやんだり (星谷剛一訳)


 天租神社の木々が紅葉し始めた。いよいよ東京も遅ればせながら紅葉の季節になった。通常桜だけがいち早く紅葉しほかの木々が紅葉する前に散ってしまうのだが、今年は紅葉した桜の葉がかなり残っており、その赤橙の色彩がほかの木々の紅葉にインパクトを与えている。

 病院のサクラと隣接する神社のイチョウと、ケヤキが一体化し赤、黄、茶のコントラストを作り出している。サクラの紅葉について「天声人語」で次のように書かれていた。「以前、桜を『春の一芸』と書いた・・・。だが秋の余興を見逃さない人がいるものだ。一枚一枚が変化を競う不ぞろい妙を、ある読者は『優しくて複雑な至芸。セザンヌの色づかい』と教えてくれた。」 

 桜はダイナミックに変化する。春のあの華やかに乱舞する花の饗宴、花と協演する新芽の黄緑、初夏のあふれるばかりの深緑色の豊穣、鮮やかな秋の赤橙の紅葉、雪に墨絵の風情を与える冬の枯れ枝の造形美、どの季節も桜は人々に四季の感動を与えてくれる。

 地球温暖化、異常気象といった地球の現状の中で四季の移ろいは自然の復元力を感じさせるものである。四季の移り変わりを愛でる心は、自らの浪費生活を考え直す心につながっていく。温暖化を巡る国連の統合報告書は「これからの20年、30年の努力が分かれ目だ」と警告した。文明的生活に骨の髄まで浸かってしまった自らの生活様式をどのように改めていくのか、日々の生活で一歩一歩踏み出していかなければならない。

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文京区散歩-4 動坂通り寺巡り

11月27日(火)
 文京区は江戸の町の中心からは北側に当たり、「本郷も兼安までが江戸のうち」といわれるように、本郷三丁目に今でも存在する「兼安」より北側は郊外で土地もかなりあって、神田近辺にあったお寺がたびたびの火災の都度、向丘(旧蓬莱町)、本駒込、谷中方面に移築したのだろう。

 本郷通りは日光へ向かい (本郷通り→北本通り→岩槻街道→日光街道・122号)、向丘1丁目(旧追分町)から中仙道(白山通りから中山道・17号へ)に分岐して信州へ向かうのである。

本郷通りと白山通りの両側には無数のお寺が存在する。本駒込の駅を中心にして本郷通りを東大に向かう方向、道坂方面、団子坂方面に地図で見ると25,6のお寺が密集している。本郷通りを駒込方面に向かうと南谷寺、養昌寺、吉祥寺、洞泉寺がある。谷中には墓地を中心にその周辺にかなりの寺院が集中している。

病院から道坂を本駒込駅に向かうと右に徳源禅寺と常徳寺あり、左側には養源寺、蓮光寺、高林寺がある。今日はこの5寺院を回った。どの寺院も広いお墓を擁しており、建物はそれほど大きなものはないが墓は地所の9割くらいを占めているようだ。サクラの木が丁度紅葉しており、寺院に色彩感を与えていた。

 徳源禅寺(慈雲山 臨済宗妙心寺派)
の山門を入ると、左手に日限地蔵(ひぎり)安置。石碑石仏群が参道左に並ぶ。やがて左は鐘楼となり、正面に本堂となる。本堂の右には白木2階建、新築ぴかぴかの庫裏。本堂の左側から奥へかけて墓所がある。この寺院は日限(ひぎり)地蔵で有名だ。

駒込寺院002_edited_convert_20100414183024 本堂

駒込寺院004_edited_convert_20100414183116 日限地蔵

駒込寺院006_edited_convert_20100414183206 千体地蔵

 常徳寺
千体地蔵を見ようと思ったが、安置所が閉まっていて「御用の方は社務所へ」と書いてあったが、わざわざ頼み込んで見せてもらうというのも気がひけて、開けてもらって見る事はせず次の所に向かった。              

駒込寺院007_edited_convert_20100414183258 本堂

 養源寺
道坂からの通りを斜めに戻る形で住宅にはさまれる形で参道があり道路を突っ切って境内がある、という区画整理などのせいなのだろう。趣を欠くものだった。しかし本堂は鬱蒼とした大樹につつまれ森閑としていた。どの寺院も入り口に「檀家以外の方は無断での出入りはご遠慮下さい」と入り口に立て札があるので思い切って中まで踏み込めない雰囲気がある。吉祥寺とか南谷寺にはそんな立て札はなかったが今日行った寺院には皆似たような立て札が立っていた。

駒込寺院001_edited_convert_20100414182915 本堂

 蓮光寺
養源寺から団子坂の方に少し行った所に山門がある。鮮やかな朱色で塗られかなり新しい。本堂も立派な鉄筋造りもので堂々として豪華な感じはする。しかし木造の趣とはかなり隔たった感覚だ。入り口からすぐに小さな六地蔵が並んでいる。常緑樹の大木と紅葉のサクラに囲まれ、きれいに掃除され、建物も含めて敷地全体が小奇麗にまとまっているという感じだった。

駒込寺院009_edited_convert_20100414183435 山門

駒込寺院008_edited_convert_20100414183350 本堂

 高林寺
本駒込駅の近づくと高林寺の看板が目に入る。左に曲がると小学校の入り口がある、それを左に曲がると山門と本堂が目の前にあった。入り口は狭いが本堂の裏手に広い墓地がある。ここの本堂も鉄筋コンクリート製で最近建て替えられたようだ。多くの寺院が老朽化し建て替の時期なのだろう。作り変えるとすれば長持ちのするコンクリート製に越したことはない。木造で昔の建物を再現しようとすると膨大な費用がかかってしまうのだろう。やむをえない選択だとは思うがどうも違和感を覚える。

駒込寺院014_edited_convert_20100414185521 本堂

駒込寺院012_edited_convert_20100414183607 高林寺墓所にある緒方洪庵の墓

寺の歴史
慈雲山 臨済宗妙心寺派 徳源禅寺:この寺院の日限地蔵(日を限って願掛けする)には昔から言い伝えがある。「昔大きな機屋があり、毎晩大入道が出るため家中の騒ぎとなった。ある晩鉄砲で撃ち行ってみると影も形もなかった。明け方に調べてみると点々と血の跡があり、観音院の庭で消えていた。

 ある夜この家の主人の夢枕にお地蔵様が現れ「わたしが毎夜そなたの家の外に立っているのは、そなたの家を守護するため。野天に立っているので衆人の信仰もない。大勢の人々を守護するためお堂を建ててほしい。その時は何日なりと日を限って願掛けをすれば必ず願望をかなえよう。」とお告げがあった。さっそく、大勢の人の浄財でお堂が建てられ盛んな法要と祈願をした、という。」日限地蔵は延命、開運、勝利の地蔵菩薩としてお参りされている。

浄土宗 常徳寺:江戸時代より身代わり地蔵尊で有名なお寺で第二次大戦で焼失したこの地蔵尊を再興するべく 「千体地蔵」奉納を募っている。これは高さ約10cmの木彫りの地蔵を千体作成し、奉納者のお名前、願い事を記して奉納する。

臨済宗 妙心寺派 白華山 養源寺: 初め、湯島切通坂下に建立された。開基は、春日の局の息子の稲葉正勝である。 明暦の大火後この地に移る。境内には稲葉正勝の古塔ほか、墓域には江戸時代の漢学者安井息軒(昌平坂学問所や飫肥藩の藩校で朱子学を取り入れた儒学を教授した)や明治時代の啓蒙学者西村茂樹(明治6年(1873)福沢諭吉や中村正直らとともに明六社を起こし、明治9年には東京修身学舎を設立し日本道徳論を唱えた)等が眠る

重池山 浄土宗 蓮光寺:最近建て替える本堂は消防法の規制があるらしくすべて鉄筋コンクリート。このお寺には荻生徂徠の弟子の儒学者平野金華や江戸時代後期の北方探検家最上徳内(1754~1836)の墓がある。最上徳内は蝦夷地に渡って松前藩主に防備を説く。天明4年(1784)幕府の測量隊とともに蝦夷地に渡り、クナシリ、エトロフを経て日本人として初めてウルップに渡った。また、後にサハリンにも渡っている。

元曹洞宗 金峰山 高林寺:元禄4年(1691)5代将軍徳川綱吉の命により将軍家の武運長久の祈願寺として創建された。将軍にお茶の水を献上したことで有名だが「振袖火事」による大火で炎上、御茶ノ水から現在地に移転してきた。伽藍(がらん)が整い、学寮もあり土塀をめぐらした江戸時代の名刹(めいさつ)であった。

 現在の本堂は昭和51年の再建である。墓地内には、幕末期の蘭学者緒方洪庵夫妻の碑や明治・大正期の歌人岡麓の墓がある。洪庵は大阪で適塾を開校.三千人におよぶ門弟の教育に当たり、この塾からは大村益次郎、橋本佐内、福沢諭吉らが輩出した.(資料:文京区観光案内)

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ベルケード療法の現状

11月26日(月)

今日の採血結果
   IgM 617   白血球 2.0  血小板数 3.9  ヘモグロビン 8.1

 IgMがMP療法では殆ど下がらなかったかったが、ベルケード療法によって一気に下降した。10月26日入院時には2269あったIgMが11月9日ベルケード療法第1サイクル終了4日後には1368にまで減り、今回ベルケード第1サイクル以降一切の加療はしていない中で617に減少した。11月5日以降既に20日経っていながらまだ効き目が持続しているということだ。そのことが血小板の上昇に影響しているのかもしれない。

 下のグラフは10月26日に開始されたベルケード療法前後の白血球、血小板、ヘモグロビンの変化を示している。一時期白血球が上がったのはデカドロンによる影響(10/27,29)である。血小板はベルケードによって徐々に下降し1.1(11/7)にまでなった。一時期の上昇(11/9)は輸血によるものだ。それ以外は白血球は2前後、血小板は2~3の間、ヘモグロビンは8前後といった状態で殆ど変化はない。

 結局ベルケード療法に関しては木曜日の採血結果で血小板数が増えていれば再開するが、増えてなければ一旦退院し外来で血液検査をしながら血小板数の増加を待つしかない。増加した段階で第2サイクルを開始する。

題

病院の風景・人
 入院している人は千差万別だ。職場とか、学生時代の友達とか、目的を持って集まったグループとかにはそれなりの共通点があるが、入院患者は病気を抱えているという共通点以外全くなく病気だということでかえってその本質が明らかにされてしまうこともある。性格がむき出しの形で現れてくる。今の同じ病室の人にも個性の強い人がいるが、その人のことを書くわけにはいかないので、前回同室にいた人のプロフィールを書いてみよう。

 Aさんのプロフィール:年齢は65、6歳、日雇いの仕事をしていて、給料は1月分位残っているらしいが、持ってきてもらっていない。給料が出なくなってしまっているので生活保護を受けて入院生活を送っている。血液内科の治療は受けているが、ほかにも問題があり、足腰が弱くリハビリを受けている、あと腎臓や肝臓にも問題があるということだ。この前はベッドから頭から落ちた。この時怪我はなかった。また足を怪我してリハビリにも今はいけなくなっている。

 傷口に黴が発生しその治療をやっている。この治療が終わらないと抗がん剤治療を開始できない。テレビはヘッドホンを使用しているがなり漏れて聞こえて来る。日中はいいが消灯22時以降もつけているので周りが静かになっているから気になることがある。

 おまけにテレビをつけっぱなしで寝てしまっている、幸いリモコンが共有でテレビがこちらを向いているので消すことが出来る。またいびきがかなり激しい。夜咳き込む。風邪をひているのでないか。今は白血球値があるからいいが少なくなると感染が心配だ。医者に言ったら、席を立つときはマスクをしなさいと言われただけである。

 またテレビを見ながら笑ったり、テレビの内容に関して一人言を言ったり、応援したり、負けたりしたりした場面などで叫んだりしている。色々問題はあるが全体的にひょうきんな感じで、憎めなく幾つかの問題点に関しても相殺してしまっているほどのキャラクターの持ち主だ。

 彼だけでなくどちらかという若者はおとなしく従順で、年寄りの方が個性的な人が多い。家でも病院でも変わりなく自分のライフスタイルに相手を合わせようとする傾向が強いのかもしれない。
 

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『人生の日曜日』 レーモン・クノー

11月25日(日)
 「日曜日、時間とは何か、それを一番感じさせる曜日だ。普段は押し流されながら生きている。日曜日には自分が何をしたいか考えなければならない」10月7日のブログにこう書いた。しかし『人生の日曜日』の中の日曜日という表現は、むしろ生き方を考えたり、格闘したりするのではなく、時の流れにたゆたって肩の力を抜き日常性の中に埋没することをむしろ肯定的にとらえている。

現実との矛盾的、敵対的関係ではなく、あたかも秋の日の穏やかな太陽の光を浴びながら、まどろんでいる時のように日常性をありのまま受け入れていくそういった生き方が「日曜日」という言葉で表現されている。

 『人生の日曜日』というレーモン・クノーという小説について考えてみたい。ここにはクノーの人生観が明確に現れている。1932年の処女作『はまむぎ』は手元にあったデカルトの『方法序説』を現代の話し言葉で書いてみたらどうなるかというアイディアに基づいて書かれている。クノーの意図は、現代ではもはや古くなってしまったフランス語ではなく、話し言葉で哲学的な著作を書くことによってその乖離を乗り越えなければならないというものであった。この言語表現が彼の思想を表現する言語である。『人生の日曜日』でクノーは何を表現しようとしたか。

 『人生の日曜日』とロラン・バルトの『零度のエクリチュール』に書かれたクノーの考え方を以下引用してみる。

「人生の日曜日こそが全てのものを平等にし、全て邪悪なものを斥ける。これほど上機嫌になれる人間が心の底から悪人であったり、下劣な人間であったりするはずがない。」
「人生の日曜日は人間が休息している状態、生存のための闘争や競争が一時的に放棄された状態を象徴する。」
「人生の日曜日のもろもろの人物には危機感がまるでない。(庶民の強さ)」

「我と他との不断の敵対意志の中にではなく、両者の区別のつかない薄明状態に人を設定する。クノーの人物は実生活とはあまり関係ない事柄に夢中になる。何処へ行くという目標もなく歩き回ったり、映画館に通ったり、無意味なお喋りをしたり、利益のないのに店を出したりする。これは人生において生きるためにあくせくする週日を無視するやり方だろう。」

 そして登場人物の中の2人に象徴的に2つの生き方を対比させる。
 シドロラン:時の流れに対して静止(動かぬ舟)ニュース、線的、生活は日曜日、無時間的、現実に生活している人間。
 オージェ公:時の航海者、歴史 循環的、伝説、時間の超越、破壊から創造へ、超現実の実在化から現実へ、意識のユートピア
 
 彼はシュールレアリズムの破壊精神に本質的には同調できない自己を発見したのある。「シュールレアリズムは既存の価値の徹底的破壊であった。だがそれは全面的否定ではなく、より深い生の体験への志向に裏付けられていた。幼児期の体験や夢や鋭敏な感受性の組み合わせに人生を豊かにする特権的瞬間を見出そうとしていた。」

こういった流れに対してクノーは『地下鉄のザジ』や『人生の日曜日』の中で、既成の価値への対比として従来の文学的言語表現の「話し言葉」への転換と、思想や概念に裏打ちされた目的意識的生活に、庶民の日常性を対比する。そのことを通して規制の価値観へのアンチ・テーゼを主張し、自己解放の道を探っていく。
 
 彼は『はまむぎ』の章、節の組み立てについて語っている。「私は章の数を偶然に決めることが嫌であったので、7章×13節=91節にした。この91という数字は13の倍数であり(1から13までの自然数の総和であり)さらに1を含む最初の数、即ち存在の死の数字であると同時に生への復帰の数字である」と。これを見ても彼の表現様式は計算されつくした一つの結論なのだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

雲の形

11月24日(土)
雲について
 病室の窓には空が一面にが広がっている。そこには紺碧の空を背景にして何本もの白い線が東から南東の方に横切っている。窓は風景を切り取る額縁だという。その空を毎日違った雲が飾りつけている。がんで死を間近にした女性カメラマンが言った。「風景写真とは輝きの瞬間を映像に捕らえるということを通して瞬間を切り取り定着し永遠化する作業である」と。

窓はまさに風景を切り取り、網膜に焼き付ける役割を果たす。毎日変わる空の景色は雲が形造っている。幼児期の頃「大空」という言葉を使った気がする。「空は青いな大きいな」などという歌があった。しかし今は東京ではその言葉は死語になってしまったのだろうか。ビルの間から見る空は縮こまって自らの居場所を探しているようだ。

 雲の名前を知ろうと思った。人同士でもそうだが、お互いに名前を知ると急に親しみが湧くようになるように、また花や木の名前を覚えたりその性質を知ると身近なものとして親しみを覚え大切に育てよう気が起きるものである。

毎日変わる雲の名とその特徴を覚え、雲を見ながら次の日の天気を考えたりするのも楽しいものである。漫然と外部に存在する物体としてよそよそしい関係ではなく、自分をそこに投影できる生きた対象物として関係を取り結べるのだ。シェリーの『雲』という詩がある。
  
   わたしは海と川から 
    乾いた花にさわやかな雨をもたらし、
   まひるの夢にまどろむ
    木の葉にあわい影を与える。・・・
   私は太陽と水の娘
    「大空」のいとし子、
   太陽と陸の細孔を通り抜ける
    わたしは変化はするが 死にはしない。・・・(星野剛一訳)
    

基本の雲"(10の基本形)-雲は、その形状や高さにより以下のような分類、定義・条件、通称・特徴がある。 
*世界気象機関は、雲を10の基本形と数10の種、変種、副変種に分類している。

層状雲
上層雲(高度6000m以上、-25℃以下)
 巻雲 (すじ雲)、巻積雲(うろこ雲 、さば雲)、巻層雲 (うす雲・太陽や月の暈の原因)
中層雲(高度2000~6000m)
 高層雲(おぼろ雲)、高積雲(ひつじ雲)                          積乱雲
250px-Gewitterwolke_superzelle.jpg下層雲
 層積雲(高度2000m以下、-5℃以上・かさばり雲、 くもり雲・団塊状の雲)、層雲( 高度300~600m・きり雲・灰色~薄墨色の雲で霧雨の原因となりうる)、乱層雲 (高度300~600m・雨雲・連続した雨や雪を伴う)
対流雲
 積雲(高度600~6000m・わた雲、むくむく雲・晴れた日にあらわれる。上面がドーム形、下面が水平)、積乱雲(最大高度12000m・雷雲、いわゆる入道雲、かなとこ雲 )  「参考資料Wikipediaより」

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

文京区散歩-3 目赤不動

11月23日(金) 
▼ 病院の裏の天租神社を抜け本郷通りに出て、南北線本駒込駅の方に進んでいくと左側に吉祥寺があり、少し行くと右側に南谷寺がある。本郷通りは12階建て14階建ての高層マンションが次々と建っている感じだ。天台宗のお寺、南谷寺はその狭間に挟まれ気がつかないほどこじんまりしたたたずまいだった。入り口は2本の柱に囲まれ柱には大聖山・南谷寺と書かれ、もう一方には目赤不動尊と書かれてあった。

駒込周辺・六義園035_convert_20101124183746 南谷寺本堂

▼ 入口から入って正面が本堂でその周りがお墓になっている。本堂のすぐ右手に不動尊が安置されているお堂があった。喧噪の本郷通りが目の前にあるというのに境内は何故か静寂に満ちている感じがした。2間四方位の小さなお堂だが、質素で素朴なたたずまいが庶民の信仰の対象であるというイメージを強く感じさせるものであった。

扉は閉まっていたが開けることが出来て、お札に自分お名前を書いて奉納することが可能だ。代金は賽銭箱に入れるようになっている。ろうそくが灯り、ほのかな光線の中に、厳しい表情をした不動尊が睨んでいる。

駒込周辺・六義園031_convert_20101124183635 不動堂と六地蔵

▼ 不動明王は、本来インドの神で、大日如来の命を受けて悪を懲らしめる使者である。剣を持ち、怒りに燃えた形相ながら庶民に親しまれてきた。不動尊の手前に、「縁起」と「「江戸五色不動尊」(住所や道順を記す)が置かれていて持って行くことが出来る。

 本郷通りに出るとまた喧騒の只中に放り込まれる。境内は別世界のように静かだったが、この不動明王も高層ビルの谷間の中で肩身の狭い思いをしているのかもしれない。寺とビルとひっきりなしに車が行き来する大通りというアンバランスの組み合わせが今の東京の街なのだろう。

歴史:南谷寺は、不動尊(注)をもって廻国していた伊賀赤目山の住職の万行和尚が、下駒込村で庵を結んだことに始まる。寛永14年(1637)鷹狩の折にこれを目にとめた三代将軍徳川家光が、現地に寺地を与えたという。本尊の不動尊は目赤不動と呼ばれ、江戸の五色不動の一つで、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種の不動尊がある。(「江戸名所記」他)。

 五色(陰陽五行説の五色からと言われる)とは青・黄・赤・白・黒で梵語で言う地・水・火・風・空をあらわし、天海大僧正の具申を受け徳川家光が、この五色不動の目として東西南北中央の五方眼で江戸を守るために(結界)五色不動を設定したという説がある(夏山雑談)。しかし実際には色と方角が一致せず、目黄不動が3ヶ所もあるなど、この説には疑問も多い。(日本歴史地名大名 東京都の地名 平凡社)

(注) 元和年間(1615~24) 比叡山の南谷(みなみだに)に万行和尚がいて、 明王を尊信していた。ある夜、伊勢国(三重県)の赤目山に来たれとの夢見があり、赤目山に登り、 精進を重ねていた時、虚空から御声があって、一寸二分の黄金造りの不動明王像を授けられた。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

ベルケード療法の再度の延期

11月22日(金)
ベルケード療法またまた延期
 昨日の採血結果で血小板数が3.3と下がってしまった。従ってベルケード療法第2サイクルを開始することは出来ないと判断された。第1サイクル4回目のベルケードの静注から16日経っており、10月18日から4日間服用したメルファランの影響も既に1ケ月経ち影響は薄れてきているはずであり、その意味で昨日の検査では血小板の回復が見込めると思っていたが残念ながら3.3という数値であった。血小板の正常値が14~44であることから考えるとかなり少ない数値である。

 11月から血小板数は輸血によって一時的に少し上がったがそれ以外殆ど低位置に留まっている。11/2-3.4、11/5-2.9、11/7-1.1、輸血、11/9-4.6、11/12-2.7、11/14-2.2、11/16-3.1、11/19-3.4、11/21-3.1という数値である。輸血以外での最高値が3.4ときわめて低い数値だ。

ベルケードは確かに血小板に影響を与えるものではあるが、その影響が続いているのか、それとも骨髄での再生能力に問題があるのか調べなればならない。ということで来週月曜日に行われる血液検査で数値が上がらなければ骨髄穿刺(マルク)を行う予定だ。

患者への負担の軽減
 1年以上前入院していた時と今とで患者への対応が幾つかの点で変更されたことで気がついたことを書いてみたい。病院というものは皆病気を治すためにやむをえず入っていて、その間の不自由は我慢の一字で耐えている。しかしそれがストレスになって病気の回復を遅らすこともある。

 一番変わったと思われる点は点滴の拘束時間だ。昔は抗がん剤と、その循環と排出のためのソルデム(電解水、ブドウ糖)を24時間4,5日続けてやるのは普通だったが、今では就寝時にははずすようにしているようだ。寝てる時に点滴の管がついていると寝苦しいもので、それがないということはどれほど解放された気分にさせてくれるだろう。

 前は風呂の時も点滴を続け、管をつけたまま、キャリーを引きずりながら入浴したものだ。今では一時的に点滴管をはずし、ビニールで点滴浸入口周辺を養生し入浴出来るようになっている。看護師さんには負担がかかるが患者にとっては気分よく入浴できる。

 また蓄尿もよっぽどのことがないと行わなくなった。前は抗がん剤を点滴してると時には必ずといっていいほどやっていたが、ふらふらの状態で蓄尿するのは辛いものがある。確かに前はソルデムと抗がん剤、副作用防止剤あわせて1日2リットル位の水分を点滴していた。その水分がきちっと排出されないと心臓に負担がかかるということで蓄尿をやっていた。今はソルデム使用も最低限にし、体内への水分の蓄積具合は体重で判断し利尿剤の投与を検討する。
 気がついたのはこの位だがこれだけでも患者への負担はかなり軽減される。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

文京区散歩-2 吉祥寺

11月21日(水)
略歴:曹洞宗 諏訪山 吉祥寺 。長禄年間(1457~59)太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。徳川家康時代に現在の水道橋際に移り、明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。

関東における曹洞宗の宗門茗随一の栴檀林がおかれ多くの学僧が学んだ。 第二次大戦でそのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵が往時をしのばせる。昭和39年大本堂、庫裏、庭園等が再建された。(「文京区観光案内」より)

病院の窓から、南西方面に病院に隣接して広い境内が眼下に見渡すことが出来る。吉祥寺という禅宗の寺院だ。その一角に洞泉寺というやはり曹洞宗の寺もある。早朝散歩で少し足を伸ばしてこの寺院まで行ってみた。

■ 本郷通り沿いに山門はあった。吉祥寺にはその古色蒼然とした山門から入るのだが、その山門に大きな額がかかっている。その額には栴檀林と書いてある。栴檀林とは曹洞宗の修業所であり、学寮・寮舎を備え常時一千人余の学僧がいて、教科目は内典(仏教)外典(げてん・漢額)で、江戸の中間期以降は漢学が重視されたという。当時は学寮30軒、塔頭五ヵ寺が設けられるなど、江戸における曹洞宗の有力な寺院であった。この僧侶教育システムが「駒澤大学」となったのである。

駒込周辺・六義園012_edited_convert_20101124183002 吉祥院山門

駒込周辺・六義園014_convert_20101124183107 参道のいちょう並木

 山門から本堂に向かう道はイチョウの並木が真っ直ぐと伸びている。入り口からすぐの所に梅の木が2本あるがそれが11月だというのにもう花を咲かせている。参道の左側には幾つかの見ものがある。最初にあったのが茗荷稲荷で災害を防ぐために作ったという。次に釈迦像があり、これは濡れ仏(屋外に安置した仏像)のお釈迦様で江戸期に無縁仏供養のために多くの人々によって建立されたというものだ。その隣に「お七、吉三郎比翼塚」(注)がある。

駒込周辺・六義園017_convert_20101124183203 お七、吉三郎比翼塚

■ 参道が終わり広場に出るとすぐ右側に鐘楼があり、その奥に経蔵がある。解説によると「文化元年(1804)焼け残った基壇上に旧規により再建された。二重宝形(ほうぎょう)造、桟瓦葺(さんかわらぶき)で、構造形式は初重部と二重部からなる。頂に、青銅製の露盤宝珠(うばんほうしゅ)を載せる。

駒込周辺・六義園026_edited_convert_20101124183445 鐘楼

駒込周辺・六義園028_edited_convert_20101124183538 経堂

各部の彫物の意匠はすばらしい。また、内部の八角の経典を所蔵する輪蔵がある。ここが栴檀林の図 書収蔵庫であった。」とあり区指定有形文化財となっている。経蔵の周辺に何本かのサクラの古木があり葉を赤橙に染め、経蔵の古くくすんだ外観とのコントラストを作り上げている。
また二宮尊徳、榎本武揚、川上眉山の墓がある。

■ 広場は白い石畳が敷き詰められており穏やかな静けさを保っている。そして広場を見下ろすように本堂が隆々とした姿を現わしている。参道との左側と本堂の右側にはかなりの面積の墓所が広がっている。江戸時代からあるのではないかと思われる古い墓石も幾つかあり寺の歴史を感じさせる。

駒込周辺・六義園023_convert_20101124183330 吉祥寺本堂

 この寺の名前の吉祥寺が中央線の吉祥寺の地名の元となっている。それは明暦3年(1657)1月と翌年1月に江戸で大火が発生、罹災した本郷元町(現文京区)にあった吉祥寺門前の浪人や農民らが五日市街道沿いに移住し、開拓したところからこの名がつけられたとされる。

:吉祥寺は八百屋お七の舞台「“八百屋お七”の恋人である本郷駒込の吉祥院の寺小姓“吉三郎”は紛失した名剣を探していた。100日の猶予の日限も今宵限りで、切腹しなければならない。吉三郎を救いたいお七は剣を見つけた。それを渡したいがため、禁を犯して(火刑)火の見櫓に登り太鼓(半鐘)を打つ。火事だと木戸番が誤解すれば、木戸は開いて恋人に逢い救うことが出来る。動機は燃えるような恋だった。」

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

病院の患者給食

11月20日(火)
 「病院の患者給食の直営を守って欲しい」といった署名を求める用紙が食堂の前にあった。「今、都直営の栄養科の民間委託・丸投げが、病院のPFI(公的部門を民間に提供する手法)による改築、改修に伴って行われようとしている。このことは、医療の基本である栄養学と調理師の匠の技を民間の営利業者に明け渡すことになる。

 現に民間委託した企業が利益を生み出すために、カット済野菜や冷凍食品の多用による合理化が想定されている。栄養士や調理師が長年培ってきた、がん患者の食事療法を向上させるための様々な試みが台無しにされてしまう。」といった内容だった。

 民間委託されると恐らく今一食260円の食事が質を落とされるか値上げされるかどちらかだろう。今は利益を上げることを目的としないが民間企業は利益を挙げないと成り立たない。

 この病院の栄養科が患者のために行っている様々な試みを列挙してみよう。
1、化学療法で味覚が変わってしまった患者に対し、自分で味付けが調整できる「ミラクル食事」
2、骨髄移殖などで食欲のない患者が体調に合わせて食べられるものを選択できる「メニュー表」
3、胃腸の弱っている人への「軟菜」「5分菜」食の提供。
4、白血球が少なく免疫力が低下している人への「生物(なまもの)禁止食」
5、朝食、昼食、夕食とも主食をご飯かパン食かの選択可。
6、昼食と夕食は主食を温うどん、煮込み素うどん、冷やそうめん、温そうめんに変更することが出来る。
7、昼食か夕食かで週2回程度、主菜の選択が出来る「選択メニュー制度」導入している。
8、ご飯とお粥が選択可。
9、主食(ご飯、お粥)は大、中、小盛の選択可。
10、その他、エネルギー調整食、エネルギー食塩調整食、蛋白食塩調整食、食塩調整食、術後食を病状に合わせて選択できる。
11、食事の運搬車が保冷、保温に別れていて温かいものは温かく、冷たいものは冷たく(サラダなど)提供してくれる。
12、お粥の時、毎回梅干をつけてもらうとか、昼に毎回ヨーグルトを付けて貰う等のオプションの追加が出来る。かなりの種類の希望品が提供してもらえる。

 こういったきめ細やかな、特にがん患者に対する食事サービスの提供は、患者の闘病生活を支えるための創意工夫に満ち溢れている。利益優先の民間委託になった場合、患者一人一人に対応するような親身になった食事の提供など出来るわけがない。オートメーション方式、大量迅速事務処理方式で食事が配られることになりかねない。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

長瀞・宝登山

11月19日(月)
 16日のベルケード延期ということで、昨日の日曜日外出許可が出た。外出手続きをして8時30分に病院を出た。20日ぶりに病院の外に出る。少し足を伸ばして病院裏の天租神社まで行ったこともあるがそれ以上には行動範囲は広がってはいない。バス、山手線、西武線と乗り継いで駅に降りる。たった20日見てないかって毎日のように買い物に来ていた見慣れえた風景も何か別の風景に見える。新鮮ですがすがしく違った街の風景のように思える。異邦人のように足が宙に浮いた感じで自分の居場所が定まらない。

 家に集合し家族4人で出発した。病院に戻る時間があるという限られた時間で何処に行こうかと昨日から考えていたが紅葉情報の見頃の場所を元に、関越を使用するルートが距離に比例し短時間で着けるということを考え、長瀞と宝登山に行くことにした。花園で降りて国道140号を下るという1本道だ。

 川沿いの木々はかなり紅葉が進んでいる。宝登山ロープウエイ山麓駅では30分に1本の運行だったが5分待ちで乗ることが出来た。山頂駅に着き蝋梅園の間を登り宝登山頂上に着いた。頂上からは長瀞の町が眺望できる。頂上から少し下ると宝登山神社奥の院があった。帰りはそこから山頂駅まで長い石段で降りていった。途中風が吹くと落ち葉が大量に乱舞し空に舞い上がった。レストハウスで昼食を取り、山頂駅で待ち時間を予想していたが待っている人が多かったのでロープウエィは臨時で次々と出ておりすぐに乗れた。

長瀞003_convert_20100301113240 宝登山山頂より長瀞市内

長瀞015_convert_20100301113318 宝登山神社奥の院

 歴史:宝登山神社伝によれば、第12代景行天皇の41年(111年)皇子日本武尊が勅命によって東国平定の時、遥拝しようと山頂に向っている折、巨犬が出てきて道案内をしてくれた。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに出遇い、尊の進退はどうすることもできない状態になってしまった。その折巨犬は猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起きたという。(Wikipediaより)

 その後神社から参道を下り、川原に向かった。途中ライン下りの看板があり、そこで後10分で船着場に向かう車が出ると言っていった。一人が乗ってみたいというので乗船することにした。舟着場は岩畳の横にありそこまでバスで行って乗船した。

長瀞039_convert_20100301113401

長瀞043_convert_20100301113500

長瀞055_convert_20100301113544

 9月の関東直撃の台風で推移は10m位上がり、川原に下りる階段は崩れ使用できなくなり両岸の岩は幾つかのところで崩れ、草はなぎ倒されていた。東京の街中に住んでいると秩父方面でそんな被害があったことなど予想もしてなかったが台風は様々なところで傷跡を残していたのだ。しかし今は水かさがむしろ少ない方で船底がこすれることもあるという説明だった。長瀞の名所、岩畳を始め奇岩を左右に見ながら舟は出発した。

 この川原の石は国の天然記念物に指定されており持っていくことは出来ないし、手で抱えられる位の石でも20万円位するという。舟は岩と紅葉の間を下っていく。途中急流があり波しぶきを上げながら走る。左上方に議員の別荘がありその建物の下の岩が崩れ土台が一部むき出しになっている。さらに岩が崩れば建物は川に落ちて来るだろう。この長瀞の川岸の岩はかなり脆いそうだ。

 舟を下りてバスで岩畳の方に戻る。途中日本で3番目に長いという桜並木を通った。今は枯れ枝しかないが満開の頃はさぞかし見応えがあるだろう。長瀞駅の横の踏切を渡り宝登山神社入り口の鳥居まで戻ってきた。ロープウエィの山麓駅付近の駐車場まで戻り長瀞を出発した。帰り渋滞が予想されたが2時間半で練馬まで戻れた。それから皆で食事をし、病院に戻ったのは20時30分だった。
時間は限られていたが、全てがスムーズに進行し、紅葉を楽しめ秋を堪能することが出来た。がんという病気は長い入院期間を伴うものである。その時に外出なり外泊なりの医者の配慮は嬉しいものである。

 今日の採血結果血小板は3.5と増え、順調な増加を見せているが、ベルケード療法を開始するには5位まで増えないとまずいという事で今日も加療の開始は延期となった。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

ベルケード療法の延期・大道芸

11月17日(土)
 昨日16日からベルケード第2サイクルの開始予定だったが、血小板数が思うように上昇せず延期となった。11月7日に血小板数が1.1まで下がり、輸血で4.6まで上昇したが、12日にはまた2.7まで下がり、14日には3.2、そして昨日の検査結果では3.1という数値だった。

 輸血で一時的に血小板を増やすことは出来るが自己再生力が期待できないとベルケードの投与は難しいということだ。この状態でベルケード療法を開始するとさらに数値が下がってしまうのは確実なので第2サイクル開始を延期することにした。19日月曜日の採血結果で血小板数が増えていればベルケード第2サイクルを開始する。月曜日の数値上昇に期待する外ない。

 血液患者コミュニティ「ももの木」のイベント担当は「QOL(quality of life-生活の質)向上委員会」という。色々な病院でコンサートや大道芸などのイベントを企画して行う。

 その委員会の趣旨を「病院という閉ざされた空間の中で生活する患者さん達が、どうしたらやる気満々で病気と闘い続けることができるかを考えるマジメな(?)研究会です。ただ考えてるだけじゃあなく、具体的に動いて行くことを目標にしています。できることから、コツコツと。」と書いている。

東大ジャグリング・サークルの大道芸
 14時から1階の入退院入口の場所を借りて東大ジャグリング(大道芸)・サークル「マラバリスタ」出演で大道芸が行われた。協力はNPO血液患者コミュニティ「ももの木」で病院のサービス向上委員会・小委員会がバックアップする、といった形でイベントが開催された。

Juggle.gif ジャグリングとは広い意味で「様々な物体を巧みに操る」事をいう。14時から始まった「マラバリスタ」のジャグリングでは、多彩な芸を披露してくれた。幾つかの失敗あったがそれがむしろ好感を呼んだと思う。プロの入場券を払ってみる芸とは違った新鮮さを感じさせた。

 1階の入退院窓口の前に舞台を作りそれを囲むように椅子が並べられていた。入院患者さんが60名近く集まった。協力してくれた病院関係者や血液患者コミュニティ「ももの木」のボランティアの人たちが見守る中イベントは開始された。最初にイベントを企画した「ももの木」の担当者からの挨拶があった。

 大道芸の最初はヨーヨーを使ったものだった。ヨーヨーでタワーやブランコを作ったり、2つのヨーヨーを巧みに操り様々なパターンで芸を見せてくれた。司会者が耳に1円玉を挟みそれをヨーヨーで落とすという見せ場があり、はらはらさせながらも見事に落とすことが出来た。次にシガーケース3個を使いながら2個で1個を挟むという芸だった。なかなか難しそうで失敗もあったがどうにかやり遂げ、最後に2人で6個のシガーケースを互いに入れ替えながら挟み込むといったことまでやっても見せた。

 3番目にはポンという飾りのついた紐付き重りを2個振り回しながら、上下左右操って華麗な技を見せてくれた。次にディアボロという中国独楽を使った曲芸は、見ごたえのあるものだった。プロ顔まけの見事な芸だった。独楽を回しながら次々と様々な形を作り、2つの独楽も使って身体の一部かと思われるほど自分の意思を独楽に伝えることが出来ていた。

 おなじみのトス・ジャグリングはボールとクラブを使ったものだった。ボールは最初に3個次に4個最後に5個を使って芸を披露した。5個で成功した時一斉の拍手が上がった。クラブを使ったものは、最初2人が別々に3本のクラブを投げ芸を見せたが、最後に真ん中に人を置いて、クラブを投げ合うというものだった。かなり危険を伴うということだったがやり遂げることが出来た。

 途中で息抜きということで、巻尺が伸びるというものをやった。2人が端を持って離れていく。何故伸びるのだろうか、と思っていると一人が手を離した。ゴムがはじけた。伸びるということは手品でもなんでもなく巻尺がゴムで出来ているという落ちがあり、皆の笑いを誘おうということだった。

 最後に風船で動物の形を作ったものを希望者に配った。皆喜んで持っていった。飾りのない病室で嬉しい贈り物だろう。素人なりに色々考え企画し、飽き来ない30分を過ごさせてくれた。病院という日々同じ様な時間が過ぎていく閉ざされた空間の中で、このようなイベントは患者の意識を覚醒化させるのに大きな位置を占めるものだと思う。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

障害年金について

11月16日(金)
障害年金について
  血液がんの抗がん剤治療においては、たとえがん細胞を死滅させることが出来たとしても、抗がん剤による体力消耗、内臓の損傷やGVHDによる後遺症など、半年、1年たっても思うように回復することなく、通常の労働にはなかなか復帰することが出来ない、一生何らかの形でがんと闘い続けなければならない。そういった状態でどのような保障が得られるのかということで、障害年金について取り上げてみたい。

 障害年金の対象というと一般的には身体の外面的障害、四肢や視力、聴力などの障害を思い浮かべると思う。しかし障害年金支給の対象は血液がん患者でも該当する。労働不能度において等級がありそれに該当すれば支給される。その内容について解説したい。「知らないと損をする障害年金」というわけだ。

1、障害基礎年金の支給要件(国民年金法に基づいて支給される障害年金)
  障害基礎年金は、傷病により初めて医師の診療を受けた日(初診日)において、次の(1)(2)のいずれかに該当した人がその初診日から起算して1年6カ月を経過した日(障害認定日)に障害等級の1級または2級に該当したとき、または障害認定日に障害等級の1級及び2級に該当しなかった人が、65歳に達する日の前日までに障害等級に該当し、請求を行ったときに、その障害の程度に応じて支給される。

(1)国民年金の被保険者であること。
(2)国民年金の被保険者であった者であって、日本国内に住所を有しかつ、60歳以上65歳末満であること。
ただし初診日の前日において、初診日の属する月の前々月までに被保険者期間があるときは、その被保険者期間に係る保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間が被保険者期間の3分の2未満であるときは支給されない。

2、障害厚生年金の支給要件(厚生年金保険法に基づいて支給される障害年金。各種公務員等が加入している共済年金、船員保険法に基づいて船員の障害年金も、障害厚生年金とほぼ同様である)

 障害厚生年金は、傷病により初めて医師または歯科医師の診療を受けた日(初診日)において、被保険者であった人が、その初診日から起算して1年6カ月を経過した日(障害認定日)に障害等級の1級から3級に該当したとき、または障害認定日に障害等級の1級から3級に該当しなかった人が、65歳に達する日の前日までに障害等級に該当し請求を行ったときに、その障害の程度に応じて支給される。(不支給の要件は障害基礎年金と同じ。)

3、障害基礎年金の年金額
1、障害基礎年金の年金額は定額となっており、2級の障害については
    792,100円(月額66,008円)
2、1級の障害については2級の障害の年金額の1.25倍の額
    990,100円(月額82,508円)
3、障害基礎年金の受給権を取得した当時、受給権者により生計を維持されている18歳到達年度の末日までにある子又は障害等級の1級若しくは2級の障害の状態にある20歳末満の子があるときはその子一人につき227,900円(月額18,991円)を、二人のときは、455,800円(月額37,983円)を、三人目からは、455,800円に一人増すごとに、75,900円(月額6,325円)を加えた額が加算される。

4、障害厚生年金の年金額
  障害厚生年金の年金額は次のように計算する。
1級障害の場合
  (平均標準報酬月額×7.125/1000
       ×被保険者期間の月数×1.000)×1.25+加給年金額
2級障害の場合
  平均標準報酬月額×7.125/1000
       ×被保険者期間の月数×1.000+加給年金額
3級障害の場合
  平均標準報酬月額×7.125/1000×被保険者期間の月数×1.000=A
※Aの額が603,200円未満のときは603,200円とする。
(注1)1級、及び2級の障害厚生年金には、それぞれ1級、及び2級の障害基礎年金も同時に支給されるが、3級の場合は障害厚生年金のみである。したがって厚生年金保険においては、1・2級と3級では年金額に大きな開きがある。以下概算表を掲載する。

5、障害手当金について
支給要件:
 (1)初診日に厚生年金の被保険者である。
 (2)初診日から起算して5年以内に症状が固定化し、これ以上の治癒の効果が期待できない場合。
 (3)障害等級3級より軽い障害の程度。
手当金の支給額 
  平均標準報酬月額×7.5/1000×被保険者期間の月数)×2=A
    Aの額が1,206,400円未満のときは1,206,400円とします。

6、障害認定基準・障害等級
血液・造血器・悪性新生物(血液がん)による障害の区分
  悪性新生物そのものによって生じる局所の障害
  悪性新生物そのものによる全身の衰弱又は機能の障害
  悪性新生物に対する治療の結果として起こる全身衰弱又は機能の障害

1級-著しい衰弱又は障害のため、身のまわりのこともできず、常に介助を必要とし、終日就寝を強いられ、活動の範囲が概ねベッド周辺に限られるもの。
2級-衰弱又は障害のため、身のまわりのある程度のことはできるが、しばしば介助が必要で、日中の50%以上は就寝しており、自力では屋外への外出等がほぼ不可能となったもの又は歩行や身のまわりのことはできるが、時に少し介助が必要なこともあり、軽労働はできないが、日中の50%以上は起居しているもの。
3級-著しい全身倦怠のため、歩行や身のまわりのことはできるが、時に少し介助が必要なこともあり、軽労働はできないが、日中の50%以上は起居しているもの又は軽度の症状があり、肉体労働は制限を受けるが、歩行、軽労働や座業はできるもの。
 
7、成功事例に学ぶ(木本社会保険労務士事務所ホームページより)
■慢性骨髄性白血病
 Aさん(40歳代)からの電話による相談でした。
 慢性骨髄性白血病で障害厚生年金を請求したいということでした。現在も、勤務されていますが、疲労感は激しくこのまま働いていく自信もないので障害年金が受給できれば助かるのですが・・・ということでした。

 血液データは投薬の効果がありデータ的には良好な数値を示しており、疲労感は激しいものの、今のところ、ご自分で体調をコントロールしながらの勤務は可能なのです。働くことが出来ているという事実関係で障害年金が出るかどうか。というご相談でした。疲労感、動悸、息切れ、発熱も常時あり、労働に著しい制限を加えているということが認められ障害厚生年金3級が決定になりました。

多発性骨髄腫
 Bさん(50歳代)からの相談でした。
 多発性骨髄腫で障害厚生年金の請求を代行してくださいというご依頼でした。
 Bさんは、歩行に支障が出てきたことを不信に思い病院を受診されたことが最初に病院を受診されたきっかけでした。その時に、「多発性骨髄腫の疑い」というがあるので、血液内科のある大学病院に転院されました。

 大学病院で、多発性骨髄腫と診断され、造血幹細胞移植などの専門的な治療を受けられた結果、病気の進行は止まって現在は安定されています。しかし、骨病変による疼痛や骨折の危険があり、発病前の仕事には戻ることができず、日常生活も制限されている状態で、障害厚生年金を請求した結果 障害年金3級の年金証書が届きました。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

分子標的治療薬

11月15日(水)
 現在使用しているベルケードという抗がん剤は、分子標的治療薬の分野に属する。現在この薬による副作用は血小板の減少ということ以外には現れていない。吐き気、下痢、手足の痺れなどの副作用を訴える人もいるという事を聞いたが、そういった兆候は今の所現れていない。正常細胞のダメージを最小限に止め、がん細胞のみををターゲットとして攻撃し、がんの進行をストップさせる分子標的治療薬について報告しよう。

分子標的治療薬とはどういうものか 

 がんの治療に使う抗がん剤は、がん細胞の特徴である異常な細胞増殖を抑制・阻止し、がん細胞を殺す作用に重点がおかれ研究されてきた。放射線療法や化学療法は、細胞のDNA という「生命の設計図」に障害を与えることで、がん細胞を死に導く。

 細胞が増殖する際には、細胞周期の休止期および細胞の分化期(G1期)、DNA合成期(S期)、細胞分裂準備期(G2期)、細胞分裂期(M期)という4段階の細胞周期がある。多くの抗がん剤は、細胞周期を頻繁に繰り返す細胞に対して、DNA合成や細胞分裂を妨げる働きをもつ。

 しかし、細胞周期を頻繁に繰り返す細胞は、がん細胞だけではなく正常細胞にもある。そのため、多くの抗がん剤は正常細胞をも殺してしまうことから、副作用-骨髄抑制(貧血)、胃腸障害、吐き気、神経障害、脱毛など-として出現する。このような副作用の多くが一時的なもので、しばらくすると回復するものもあるが、体力回復などはかなり時間がかかるし(半年~1年)、もとに戻らないような傷害を残すこともある。

 しかし分子生物学の進歩により、がん細胞がもつたんぱく質だけに作用する分子標的治療薬が開発された。がんの悪性化にかかわる増殖因子や転移関連因子などのミクロな分子にターゲットを絞り、その働きを止めて、がんの進行をストップさせる。分子標的薬がターゲットにする分子は、「遺伝子」や、あるいはその遺伝子の命令によって作られる「蛋白(たんぱく)質」だ。小さな分子のうち、がんに特殊にかかわっているものを見つけ出し、それを狙って攻撃する。

 すべての細胞は、遺伝子の命令によって作られるたんぱく質を使って生きている。たんぱく質なしでは細胞は成り立たないが、必要なたんぱく質は細胞の種類や役割によって異なる。がん細胞は人体に役立つような仕事はせずに、人体からエネルギーをむさぼりとって増殖する。がん細胞は周囲の正常細胞を圧倒して生きてゆくために、正常な細胞には作れないような特殊なたんぱく質を作ったり、あるいはがん細胞の生存に有利なたんぱく質だけを偏って作る。

 そこで、このような、がん細胞に特殊にかかわっている「分子」を見つけだし、狙い撃ちにすれば、正常細胞のダメージが減るので、副作用を少なくできるのではないかということで期待されている。さらに、分子標的治療薬によって、既存の治療法では限界が見えてきた進行がんや肺がんといった難治がんなどの克服の可能性がでてきている。

 分子標的薬では、副作用が少ないことが期待できる。ところが一方で、そうしたこれまでよく知られた抗がん剤での副作用とは性格が違うような副作用が認められることも分かってきた。その意味では、当初予想されたより「副作用がない薬」ではないことが判明しつつある。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

今日の採血結果は

11月14日(水)
 3日間連続の快晴だ。5時半頃から空は白み始め、45分位になると朝焼けが東の上空を覆ってくる。6時少し過ぎる頃、遠方のなだらかなビルの上に太陽はその先端を現す。そし て15分もしないうちに見事な球形をかたち造る。そしてそのまま沈むまで一切の妨害を受けずその形を保ち続ける。

 日中、太陽は透明ガラスを通し病室に直接照りつけ温度を上げ る。25度を超えているのだろう。Tシャツ1枚でも汗ばむ位だ。しかし暑いなどとは言えはしない。11月中旬なのだ。太陽の恵みに感謝こそすれ。病院というと暗く閉ざされたイメージがあるが、この病院の上層階はそういったイメージを払拭させてくれる。あくまでも明るく開放的だ。これは地理的条件が大きく寄与していることは確かだ。

採血結果
  12日の採血結果:白血球2200、血小板2.7、ヘモグロビン9.1
  今日の採血結果:白血球2300、血小板3.2、ヘモグロビン8.1


 今日の血液検査の結果では、血小板が若干であるが上昇した。横這いか、下がっていたら輸血をしなければならなかった。金曜日の血液検査で血小板の上昇が見られなければ16日のベルケード投与に関しては、量を減らすか、延期するかを判断しなければならない。

 ローレンス・ブロック『死者との誓い』の中に、「人間関係というのは終わるんじゃなくて、ただ形を変えるだけだ。そう思うと大切なものを失った喪失感からいくらかは解放された。」とあった。

 2005年11月に発病し、その後翌年11月まで入退院を繰り返した。その後約1年療養生活を続けていた。入院、療養生活の間に徐々に社会との接触が縮小され、人間関係が希薄になってくる。昨年12月、1年の休職期間が切れ退職になった。それまで会社の上司、同僚、部下、パートの人までかわるがわるにお見舞いに来てくれた。しかし退職後会社の人間関係は切れてしまった。確かに維持する一切の努力もしてこなかったが。

 そもそも私自身特定の人との人間関係をしっかりと作ってきたかというとそうでもない。他人との親密な人間関係を作るのがあまり好きではなかったのかもしれない。職場での人との付き合いは仕事の上という割り切った関係できわめてクールに事務処理的に対応してきた。

 若い頃はいろんな知識を貪欲に吸収したい為、色々な人との会話や関係は日々生きる糧であるというほどあこがれ渇望していたが、それは大学時代まででそれ以降は、必要に応じてどんな人間関係も嫌がらずに作ってきたが、本音の所は、自分の世界にむしろこもってしまいコツコツと何かをやって行く方を好んでいたのかもしれない。

 大学時代の友人の何人かはまた会えば、親しくは話が出来るだろうし何でも相談乗ってくれるだろう。しかしなかなか合う機会がない。職場での仕事の忙しさは色々な人間関係を奪っていった。日々社会は欠落した人を無視して回り続ける物である。戻れたとしても自らの存在は残滓すらない。こういった中でローレンス・ブロックの「関係は形を変えるだけだ」ということをしっかりと頭に刻み、関係の有り方を模索していこう。

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中性脂肪の増加、骨の弱化

11月13日(火)
副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)の副作用-中性脂肪の増加、骨の弱化

 5月31日より始めたMP療法は、十分な効果が見られず6月末からはMPP療法として、プレドニン(副腎皮質ホルモン、ステロイド)だけ月2回服用することになった。本来は月1回1日に5mgを10錠4日間計200mgだったのが、月2回で計400mgを服用することとなった。これが中性脂肪を急激に増加させ、いわゆるステロイドの副作用としてよく言われている「ムーン・フェース、水牛肩」と言った肥満を醸成してきた。

 7月11日の検査で中性脂肪値(TG・トリグリセライド)が586あり、その前の6月27日の検査では274だったのが半月で急激に上昇してしまった。7月25日には正確な数値を測ろうと朝食抜きの空腹時で血液検査した所、結果は550という数値だった。ステロイド剤の影響であるのは確かだ。副腎皮質ホルモンの解説によると次のようにある。

「糖質コルチロイド(副腎皮質ホルモン)の大きな特徴として『糖新生』などに影響を及ぼす。この『高血糖状態』によって血糖値を下げるホルモンであるインスリンの分泌が促進されてくるのですが、インスリンには血糖値を下げて脂肪の生成を促進する作用があり、このインスリンに対する感受性が『副腎皮質ホルモン』の存在下において感受性の高い体の中心において脂肪の形成が促進される。」

題

無題

 一過性のものだと思われていた中性脂肪が増加し続け、運動や食事だけで減らすことは難しく薬物の使用が必要となってきた。ということで高脂血症の薬ベザトールSRを処方してもらった。実際今はいているズボンは76であるが、ウエストの一番長い場所で測るとかなり増えてきている。

肥満度の計算では57kg(体重)÷1.65(身長)÷1.65=20.9で肥満値(BMI)が27以下なので肥満とはいえないが脂肪の腹への蓄積は紛れもない事実だ。また標準体重は1.65×1.65×22=59kgなので今57kgであるということで標準体重を超えてはいないが着実に中性脂肪と胴回りは増え続けている。中性脂肪値はベザトールによって一時151まで下がったがまた上がってきている。
 
 また骨粗しょう症の薬・ボナロンも飲み続けている。血液中のカルシウム量は平均値内だがその対応もしなければならない。ステロイド剤は骨をもろくする働きがある。何故骨がもろくなるのか解説では「糖質コルチロイドには腸管からのカルシウムの吸収を減少させ、また腎臓からの排泄を促進させる作用も持っています。その結果として血中のカルシウムイオン濃度が低下してしまう。そのため血中カルシウムイオンは骨に対する依存度が高まり骨粗しょう症を招いてしまう恐れがある」となっている。

中性脂肪との減少と、骨の強化には薬物療法を行いながら食事療法、運動療法が必要となる。食事は病院食なので低脂肪で量も程々なので、少し空腹は感じるが間食さえしなければ中性脂肪は徐々に減っていくだろう。「病院食ダイエット」というわけだ。カルシウムの補給に関しては病院食で補給できるかどうか分からないが、毎昼食に出る牛乳200mlでカルシウム220mgを補給するほかない。

 中性脂肪が悪玉コレステロールを増やしそれが血管内にプラーク(隆起性病片)を作り出し、そのプラークが破れ、そこに血管のカスが積もり膨張し血管をふさいでいく(血管狭窄)。それが動脈硬化から狭心症さらに心筋梗塞になっていく、または脳血栓から脳梗塞に至るというものである。運動としてはウォーキングや軽いジョギング、自転車、水泳などの有酸素運動は善玉コレステロールを増加させ悪玉コレステレロールやっつけてくれる。また骨粗しょう症予防にもなる。しかし病院ではウォーキングぐらいしか出来ない。今は早朝と昼食後15分づつ病院の周囲を歩いている。 

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映画 『耳をすませば』

11月12日(月)
 何日かぶりの晴天である。雨の日の後の晴れはとりわけ空気が澄み見晴らしがいい。起床時間の6時少し過ぎ、病棟の窓の左側、ビルの低い地平線から太陽が完璧な円形を保ちながら昇り始める。西の方面を見ると富士山が雪をかぶり際立った姿を見せている。

 その周辺には箱根や大菩薩、奥多摩方面の山々が少し霞みながらも連なっている。ほんのうっすらともやったビル群に朝日が反射し淡い光を放っている。この高台の10階からの眺めは、『耳をすませば』の最後の場面、2人で朝日を眺めているシーンと重なり合い感動的だ。 

『耳をすませば』を観て
n_611vwdg8004ps.jpg スタジオジブリ製作、近藤喜文監督、宮崎駿プロデュース作品『耳をすませば』」というDVDを見た。中学3年2学期の少女の、受験か将来の夢かで揺れ動く心のヒダをえぐったものだ。

 都会という星も見えない、いつも明るいコンクリートジャングルが揺ぎ無い現実として彼女の故郷として舞台となっている。カントリー・ロード(心の故郷)というオリビア・ニュートンジョンの曲が映画を通底して出てくる。主人公の雫が作ったその替え歌がコンクリート・ロードである。
     コンクリート・ロード どこまでも 森をきり谷を埋め
     West Tokyo, Mt,Tama
     ふるさとは コンクリート・ロード 

 コンクリート・ロードとカントリー・ロード、コンビニと図書館・骨董店という対比を通して現実と理想・憧れの間、受験と小説執筆の間で迷いながら進んでいく主人公の試行錯誤を表現しているのだろう。雫は恋人(聖司)がヴィオリン製造職人を目ざしてイタリヤへ修行に行くという状況の中で自分は何が出来るのかを思い惑う。

 彼が見習で、2ケ月イタリヤに行っている間に、自分のアイデンテティを確かめたいという気持ちをどう表現しようかと悩み続ける。周りに流されない、特有の個性を持つ生き方、自分から主体的に行動する経験を持つことで、自分特有の世界(個性)を持とうとする。「自分には出来っこない」そんなことを考える前に、まず一歩を踏み出してみよう、後は進んで行けばなんとかなる、そんな思いを込め小説執筆に着手しようとする。

 骨董店・地球屋の西老人(恋人のおじいさん)は雫から”バロン(骨董屋の人形)を主人公にした物語を書きたい”と聞くと、雫の物語の最初の読者にしてくれることを条件に出した。雫が渋っていると西老人は石を持ってきて話を始める。

 「職人も同じ、最初から完璧なんか期待してはいけない」「この石にはエメラルドの原石が含まれているが、雫も聖司もその石みたいなもの。まだ磨いていない自然のままの石。そのままでも悪くはないが、物語を書いたりヴァイオリンを作るということは違う。自分のなかに原石を見付け時間をかけて磨くこと」「一番大きな結晶は磨くとつまらないものになってしまう。もっと奥の小さな結晶の方が純度が高い、いや見えないところにあるかもしれない」と。

 雫は話を聞き終わると「自分にこんなきれいな結晶があるかどうか怖くなっちゃった」「でも、書きたいんです。書いたら一番にお見せします」と応えた。 

 すでに見えている才能でも、その才能を発揮する元になっている才能、その凝縮された(身のつまった)優れたものを見付けだし、時間をかけてゆっくり丁寧に磨くことが必要で、決して妥協しない、完璧などありえない、一生かけた才能磨きが重要なのだ。「自分を探すために、これまで怖くて踏み出せなかった部分に飛びこむ、実は怖いと思っていたことでも飛びこんでしまえばなんてことはない。そして目標は大きく見えるが一歩一歩進んで行けば必ず達成される。」ということを語りかけているのだ。

 書き上げた小説を西老人のところに見せに行く。お爺さんは「これはまだ十分磨かれていないが素晴らしい原石がちりばめられている。もっともっと磨かれ輝くものになれる」と励ましてくれた。西老人は、話を語り終えると、以前雫に見せた原石をプレゼントした。「その石はあなたにふさわしい。しっかり、自分の物語を書き上げてください。」と言いながら。

 翌朝早く、聖司は帰ってくる、二人で街の高台に立ち、霧がビルを埋めている地平線から太陽が登るのを見て感動し結婚を約束する。中学生の恋愛物語なのだが。将来の夢とは何かをモチーフにしている。全ての人の心には取り出し磨けば輝やく原石を持っている。本人はそれに気がついていない場合が多い。気が付いたとしてもそれを取り出して磨くという限り無い苦労を自ら引き受けようとしない限りただの石として埋もれてしまうだろう、ということなのだ。

作品解説より: 「若者たちに向けて、また、これから思春期を迎える子供たちを含めかつてそうだった大人たちに向けて「遠くを見つめる眼差しのすがすがしさ」「人を愛するときめき」をてらいなく描き、そして「観るものの心に、夏の日に誰もが持っていたはずの憧れ」をかきたてたい。」(抜粋) (参考資料:『耳すまNET’s』より)

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ベルケードとは

11月11日(日)
 11月7日に血小板の数値が1.1になり輸血して以降、16日にベルケード療法第2サイクル開始まで副作用の観察・対応以外加療は全くない。月、金の採血と午前、午後、夜の体温、血圧、酸素、脈拍の計測が行われるだけだ。この計測も製薬会社の観察、・検査スケジュールに従って行わなければならない。

 ベルケードの保険適用・厚生省の認可の条件は、臨床例が少ないということもあってかなり制限されている。第1サイクル、第2サイクルの6週間に関しては入院が必要とされている。
 新薬ということでどのような副作用が起こるかわからないので担当医師の厳格な管理の下で、副作用に対する緊急の対策が取れるよう状態に置くこと、つまり入院が製薬会社のベルケード提供の条件となっている。何も加療がなく入院しているということは無駄に思えるが、薬提供の条件となっているのでやむをえない。病院にいれば予測不可能な副作用にも緊急に対応できるので安心であることは確かだ。

1、ベルケード(ボルテゾミブ)とはどういう薬か。
 プロテアソーム阻害作用を持つ。プロテアソームは、細胞内の不要タンパク分解装置というべきものであり、細胞周期を制御するタンパク質や、細胞増殖やアポトーシス(細胞死)にかかわるシグナル伝達関連タンパク質の調節・制御に関与している。
 
 ベルケイドはここを阻害することから、細胞周期や細胞内シグナル伝達系に関連する調節タンパク質に影響し、抗腫瘍効果を誘導する。腫瘍細胞では細胞周期や細胞内シグナル伝達に関連する調節タンパクの産生異常がよく見られることから、正常細胞よりもプロテアソーム阻害剤に対する感受性が高いと言われている。
 
 ベルケードはこの酵素の働きを抑えることによってがん細胞を殺したり増殖を抑えたりする注射用の薬である。近年,プロテアソーム阻害剤であるベルケードの多発性骨髄腫に対する抗腫瘍効果が臨床的に証明されたこともあり,プロテアソーム阻害剤は抗癌剤開発の新しい分子標的薬として注目を集めている。
 
 米国では2003年にFDAが承認した。欧州医薬品審査庁(EMEA)の医薬品審議会(CPMP)は、ベルケードを多発性骨髄腫の患者の治療薬として例外的な状況において承認する旨を勧告する肯定的な見解を発表しその後認可された。

 既に海外では70ケ国で再発又は難治性多発性骨髄腫に対し有効な薬として承認されている。日本では患者団体の要望に基づき、海外で使えて日本では使えない薬の早期承認を目指す厚労省の「未承認薬使用問題検討会議」で、検討対象品目になっていたが2006年10月に幾つかの条件付で承認された。

 ベルケード発売元の製薬会社ヤンセンファーマ社のホームページには次にように書かれている。「ベルケイドは、プロテアソーム阻害作用を有する世界初の抗悪性腫瘍剤で、欧米ではその優れた臨床効果により『再発又は難治性の多発性骨髄腫』の標準的治療薬としての位置付けを確立している薬剤です。本剤はこれまでに海外で50,000人以上の患者さんに投与されており、多発性骨髄腫の治療に一大変革をもたらした功績によって、製薬産業界のノーベル賞とも称される2006年度“国際プリ・ガリアン賞”を受賞しています。」

2、『朝日新聞』2005/12/12記事
 何故厚生労働省はベルケード使用対象をかなり制限し、厳しい条件の下認可したのかの理由は朝日新聞の記事に書かれていた。以下引用する。

 [ 血液のがん・多発性骨髄腫で未承認の治療薬べルケードを使った患者52人のうち4人が副作用の疑いで死亡していたことが、日本血液学会と日本臨床血液学会の調査で分かった。患者は、同薬を承認済みの米国などから 個人輸入していた。高い死亡率を重くみた両学会は調査結果を近く公表し、 会員の医師らに注意を促す。

 両学会は、会員から死亡例の情報を受け、11月中旬、幹部会員を対象に個人輸入の状況を緊急調査した。その結果、国内で使用が分かった52人のうち9人に重い肺障害が起き、うち4人が死亡していた。4人は全員、薬との因果関係が疑われるという。このほかに、国内で行われた臨床試験中に60代の女性1人が間質性肺炎で死亡した。約200人を対象とした米国の臨床試験では、副作用と疑われる死亡は2人だったとされる。
 日本血液学会常任理事の池田康夫・慶応大医学部長は「まだ使った患者は少ないが海外に比べ副作用の頻度が非常に高いようで、慎重に使わなければならない。」と話している。]

3、ベルケード提供の条件
① これまでに少なくとも「過去2回以上の前治療歴があり最後に受けた治療後病気の進行が認められた骨髄腫患者」が投薬の対象である。

② ベルケード治療を受ける前の検査及び説明:治療にあっての説明と同意、妊娠検査、胸部レントゲン、CT検査、呼吸状態、心臓検査(心電図、エコー)血液検査1(末梢血、血液生化学)、血液検査2(KL-6,SP-D,SP-A,LDH・肺、臓器の異常の有無の検査)、尿検査、身長、体重、血圧、体温、問診。これによって肺、心臓、肝臓、腎臓の検査をして異常がなければベルケード療法を受けられる。

③ ベルケード治療中の検査:上記検査に準じた検査を、ベルケード投与日及び休薬期間中にも行う。

④ 入院:投与開始後の比較的早期に症状が特に重い副作用の報告があることから治療開始後6週間は経過観察のため入院が必要。

⑤ 通院治療実施中、突然の状態変化に備え「緊急時連絡カード」の常備携帯。

⑥ 市販後調査のための情報提供:厚生省の指示により、ベルケードの安全性(副作用の発現状況や発現に関わる要因の検討)と有効性(薬の効果)に関する情報を早期に把握して、この薬の治療をより安全に行うための検討を行う。

⑦ 製薬会社として:発売後一定期間は緊急時の対応が可能な一定の基準を満たす医療機関(施設数約400施設を予定)に納入先を限定。
 【納入先医療機関の基準】
  (1) 全例調査に協力・契約可能な施設
  (2) 日本血液学会認定血液専門医が常勤している施設
  (3) 投与早期に入院環境で医師の管理下に治療できる施設 等

・ 発売後、特定使用成績調査(全例調査方式)を実施。(調査予定症例数:500例)
・ 安全性対策ならびに有害事象と薬剤との因果関係等を評価、検討する「市販後安全理体制検討会」、肺障害に特化して評価、検討する「肺障害第三者評価委員会」を学会(日本臨床血液学会、日本血液学会)の協力を得て社外に設置。
・ 専門性の高い血液腫瘍科専任の医薬情報担当者による医療機関・薬局・特約店へ情報の徹底、医療従事者、患者さん向けにホームページ上での安全性情報の定期的更新。

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化学療法

11月10日(土)
化学療法・薬物療法の始まり
 薬剤により原因に作用して疾病を治療するという化学療法の方法論は、その実践は古く、ペルーのインディオがマラリア治療にキナ樹皮を利用したことにまで遡るが、がんに対する化学療法は1940年代に窒素マスタード剤と坑葉酸剤の登場により始まった。

 パウル・エールリッヒが化学療法の概念として提唱した「魔法の弾丸」に相当するがんの化学療法剤の研究開発は第二次世界大戦後に上記の窒素マスタード剤(アルキル化剤)と坑葉酸剤(代謝拮抗剤)に始まった。

薬物有害反応
 「薬」は、一般に「効果」と「薬物有害反応(副作用)」の2つの作用がある。通常、薬として使っているものは、効果の方がずっと強く、薬物有害反応がほとんどないか軽度だが、抗がん剤の薬物有害反応は、他の薬に比べて非常に強い。

 副作用:血液毒性-骨髄抑制(白血球減少・感染症の恐れ、発熱、血小板減少・出血傾向、ヘモグロビンの減少・貧血)、胃腸障害(悪心、嘔吐、便秘、下痢)、口内炎、脱毛、肝機能障害、腎機能障害、末梢神経障害等。

 下記のグラフは第1回移植前後の白血球、ヘモグロビン、血小板の数値の変化である。大量抗がん剤の投与が6月18日、移殖が6月20に行われた。グラフに見られるように抗がん剤投与後1週間位(6月26日)で白血球、血小板は急激に減少する。その後さらに1週間位(7月3日)で移殖した造血幹細胞が増殖し正常細胞は回復してくる。

 ヘモグロビンへの影響はそれほどはなかった。白血球の回復の速さは、自己末梢血幹細胞移植であったことと、白血球を増やすG-CSFの力が大きい。通常は回復まで2,3週間はかかる。ここでは抗がん剤がどのように正常細胞に影響を与えるかを表している。

無

抗がん剤の種類
1)代謝拮抗剤-増殖の盛んながん細胞に多く含まれる酵素を利用して増殖を抑え込もうとする薬。(フルダラビン、フルオロウラシル)

2)アルキル化剤-アルキル化剤は、強力で異常な結合をDNAとの間に作る。するとDNAの遺伝情報が障害され、またDNAそのものも損傷を受ける。細胞が分裂してがん細胞が増殖する際には、アルキル化剤が結合した場所でDNAはちぎれ、がん細胞は死滅する。(シクロホスファミド、メルファラン)

3)抗がん性抗生物質-ある種の抗生物質と同じように、土壌に含まれる微生物からつくられた。もともと細菌やカビに効く構造を持った抗生物質の化学構造を変化させたりすることにより、がん細胞を死滅させる効果を発揮するようになった。DNAに結合して分離できないようにする。酵素を抑止してRNA(リボ核酸)合成を阻害する。(塩酸ドキソルビシン)

4)植物アルカロイド-植物より産生され、微小管の形成を抑止することで細胞分裂を妨害する。微小管は細胞裂の活力源であり、これ無しには細胞分裂は始まることは無い。(エドポシド、ビンクリスチン)

5)その他-白金製剤:DNAと結合することにより、がん細胞の細胞分裂を阻害する。
トポイソメラーゼ阻害剤:DNAを合成する酵素(トポイソメラーゼ)の働きを阻害することにより、がん細胞の分裂を阻害する。

6)分子標的治療薬-近年の分子生物学の急速な進歩により、がん細胞だけが持つ特徴を分子レベルでとらえられるようになった。それを標的とした薬は分子標的薬と呼ばれる。(リツキマシブ)
(資料:ウキペディア、国立がんセンターホームページ)

テーマ : 雑記
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患者・家族交流会

11月9日(金)
 今日の採血結果 IgM値 1368 (10月26日・2269)
            白血球 2100 ヘモグロビン 8.3 血小板 4.6


 今日の血液検査は2週間ぶりにIgM値を調べる。去年の4月頃からIgMなどの特殊な検査は2週間に一度しか保険が利かなくなったということだ。期待と不安でIgMの結果を待つ。

 ヤンセン・ファーマ社の出しているベルケードの説明書によると、「国内の臨床試験では再発又は難治性の多発性骨髄腫患者33人中10人(30%)に明らかな効果が認められ、海外では315人中121人(38%)に効果があった。」と書かれている。逆に言えば60~70%の患者には効果がなかったということなのだ。
 
 2年前の12月の入院時、最初に使用した抗がん剤・アメリカでは原発性マクログロブリン血症治療薬として高く評価されているフルダルビンが全く効かなかったし、末梢血管細胞採取に使ったエドポシドもIgMを下げるのに全く役に立たなかった。抗がん剤は人によっては全く効果がないものもあるということもあって結果を聞くのが恐ろしくもあった。

 結果的には10月26日に2269あったIgM値が、1369と900も一挙に減少した。2週間でこのような減少はMP療法ではなかった。これでベルケードが効果を持つということが明らかになりひとまず安心だ。血小板も1.1から4.6と回復し輸血する必要もなくなった。白血球は2100、ヘモグロビンは8.3と正常値までには至らないが日常生活をするには差支えないだろう。

 ベルケードの副作用は血小板の減少以外なく、体調も殆ど変わらなかった。その点かなり楽な展開であった。後は11月16日から始まる第2サイクルを待つだけである。

院内患者・家族交流会-おしゃべり会開催
 2ケ月に1度行われている病院内患者・家族会が血液内科病棟のカンファレンスルームで行われた。参加者は患者家族5人、世話人2人、退院患者2名、入院患者1名、臨床心理士2名、医師が参加した。出入りはあったがかなり突っ込んだ論議が展開された。

 患者家族にとって患者の病状、精神状態、これからの治療、治療にあたっての注意事項、副作用への対応など初めてのことばかりで心配で居ても立ってもいられないという気持ちだろう。それに一番適切な助言を出来るのは患者自身及び体験者である。患者自身も自分の体験が人の役にたってくれるのはうれしいし、苦しい体験をしただけにどうしても伝えたいという気持ちもある。また患者同士で情報を共有し治療や副作用防止の役に立てることが出来る。 

 医者が参加してくれれば担当医に聞きづらいこともストレートに聞くことができる。また臨床心理士には患者の精神状態やストレスへの対応を相談することも出来る。こういった意味で患者、家族交流会はきわめて重要な意味を持つ。
 
 今日の参加した家族は、非分泌型多発性骨髄腫で末梢血幹細胞採取を控えた患者を持った家族と、地方都市に住みそこでの治療が難しく東京の病院に患者を入院させ移植を待つ患者を抱える家族だった。様々な問題がぶつけられた。移殖、副作用、治療方法、治療・入院の金銭問題、障害年金、精神的ケアーのど多岐に渡った話が展開された。
 
 今回の交流会はこの病院関連の人たちが中心だが、病院を横断した交流会が「ももの木」というNPO法人血液患者コミュニティ(ホームページhttp://momonoki.org/)主催で定期的に行われている。より広範囲な人たちが集まりがんに関する情報の共有化と体験の交流が行われる。

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『風味絶佳』・山田 詠美

11月8日(木)
 血小板数値が1.1になったということで昨日輸血をした。明日、金曜日の採血結果で上昇が見られなければもう一度輸血をしなければならないが、恐らく大丈夫だろうということで、点滴針の周辺が赤くなっていたこともあって、針を抜いた。何もなければ16日まで点滴針は必要ない。身体に針が刺さっていないという事で気分はかなり楽だ。自由に行動できるといった開放感がある。実際には行動は病院内で制限されやれることも変わらないのだが。

 『風味絶佳』の感想
41_convert_20100603141248.jpg 山田詠美の「風味絶佳」を読んだ。ここには「肉体の技術を生業とする人たち」が描かれている。トビ職、清掃局員、ガソリンスタンド員、排水槽・貯水槽清掃員、葬儀屋と彼らを心の底から愛しぬく女性たちが主人公である。周りの思惑や違和感に囲まれながらも、独自の愛を貫く。

 何故このような愛の形が可能なのだろうかと思うかもしれない。しかしそれはいかに理不尽な形に見えながらも両者にとっては限りなくいとおしく必要なものなのだ。それは他人を不可侵にする聖なる領域なのだ。この非日常性こそが、日常性の本質に逆に迫ってくる。

 しかし一方であからさまな人間的欲望、性欲、食欲を鮮明に曝露し日常化していく。そして「制服・ユニフォーム・仕事着」の中に沈静している退屈やら不安、ささいな楽しみ、日常性の中の誰しもに共通する空間を提供しているのだ。
 
 人生そのものを味わいつくそうとする徹底的な貪欲さで最高の味わいを求め、その愛とはどこまでも自身に帰依する思いなのだといったしたたかさを持ちながらドラマは展開していく。トレンディドラマの恋愛劇の虚構性に比べ、このような表現こそ本物のリアリティを感じさせてくれるのだ。

 「愛情を深めて行くってことは、心の中の寂しさを増やして行くってことと同じだ。相手の存在が心の中をドンドン侵食していき、もし、それが突然になくなった時を予測して怯える。そんな負担も負わずに、私は恋をしていると、堂堂と言ってのける人を、私は好きになれない」(『チュインガム』より)といった作者の恋愛観がこの小説でもはっきりと表現されている。
 ブログの中にこの小説への感想が書かれていた。引用してみる。
 
  ゆっくりと紡ぎだされる、甘くうっとりした時間。
  恋愛に浸りきり、本能の赴くままに、二人だけの愛の時間を過ごす主人公たち。
  時にその恋は破れたり、ゆがめられたりすることはあっても、
  彼らは大切な人を、気持ちを、失いっぱなしでは終わらない。
  必ず新しい日々に向かっていくのだ。
  それは恋する勇気を与えてくれる。
  新しい明日にチャレンジしようという気持ちを起こしてくれる。
                     (ブログ『朝から晩まで本を読んでいたい』liammより)

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抗がん剤とその他の薬

11月7日(水)
 朝の採血結果が出た。血小板が何と1.1まで落ちているのだ。10月18日からMP療法として4日間メルファランを使用した。メルファランの骨髄抑制はいつも服用後2,3週間後に出てくるのだがそれがベルケードの影響と重なり血小板数値を著しく下げることになった。夕方血小板の用意が出来次第輸血することになる。

がん治療にはどのような薬を飲むのか。
 本体の抗がん剤の外に点滴と錠剤を組み合わせて副作用防止のため薬を処方し服用させる。
 今ベルケード療法で使っている薬は、ベルケード2.1mgデカドロン40mgの他にかなりの錠剤を毎日飲むことになる。
  コートリル(ステロイド剤)毎朝食後
  ベザトール(高脂血症薬)毎朝食後
  フルゴナゾール(抗真菌剤)毎朝食後
  オメプラール(胃薬)毎朝食後
  ムコスタ(胃薬)1日3回食後
  パシキル(帯状疱疹神経痛の薬)毎夕食後
 今回の治療においては以上の薬だが、移植後に点滴投与及び錠剤で服用していた薬の量は大量なものだった。それだけ前処置の大量抗がん剤の身体へダメージは大きいのだ。

第2回移殖後服用していた薬:パシキル(帯状疱疹神経痛)、オメプラール(胃薬)、オゼックス(抗生剤)、フルゴナゾール(抗真菌剤)、バンコマイシン(骨髄移植時の腸内殺菌・偽膜性大腸炎の薬)、ロペミン(下痢止め)、カロナール(痛み止め、熱さまし)、ノズレン(口内炎予防・口内粘膜修復薬・うがい薬)

第2回移植後点滴していた薬:フルカリック1号(栄養剤)、ビクロックス(帯状疱疹予防薬)250mg3回、サクシゾン(ステロイド)50mg、トブラシン、モダシン(抗生剤)、ノイトロジン(白血球を増やす)、プリンプラン・アタラックスP(吐き気止め)、ファンガード(防黴剤)、さらに追加としてメロペン(抗生剤)バンコマイシンの点滴投与(飲み薬とは別に)を行った。

 第1回移殖の時にはこの外にさらにバクタ(カリニ肺炎予防薬)、ウルソ(肝臓増強剤)、ビオフェルミンG錠(整腸剤)、アルロイドG錠(胃粘膜保護剤)を服用していた。1日に朝食後だけで1670mgの錠剤を毎日飲み続けていた時もあった。これらの薬は移殖の前処置に使用した「致死量に近いといわれた」抗がん剤の副作用の予防薬・治療薬である。

 白血球が激減することに対しそれを増やす薬、免疫力の低下に対しては抗生剤、抗真菌剤、防黴剤、帯状疱疹予防薬を、内臓粘膜の破壊(胃腸へのダメージ)に対して吐き気止め、胃薬、下痢止め、食事が取れない状態での栄養剤の補給、発熱に対してステロイドや熱冷ましをそれぞれ処方する。

 さらにステロイドの長期使用による高血糖、中性脂肪の増加、骨粗しょう症への予防のために薬を飲み続けなければならない。薬の副作用を防ぐために飲む薬がまた副作用を生み出していく、そのためにその予防のための薬を飲むというエンドレスな構造になっている。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

病院の中庭で

11月7日(水)
 午後の散歩に出かけた。空は抜けるように澄み渡り空気はあくまでもさわやかで寒くも暑くもなく最高の日和だ。病院の裏手に木々囲まれたテニスコート位の広さの芝生の広場があり、ベンチが4つ置いてある。そのベンチに腰掛け、柔らかな日差しを浴びながら文庫本を読み始める。しかし内容は頭に入らない。

 自然があまりにも充実していると思考は止まってしまうのかもしれない。自然に溶け込み身を委ねる以外ないのだろう。この広場は落葉樹に囲まれ何本かはもう黄色く色付いている。サクラの10数本を中心としてケヤキ、クスノキ、カツラ、ナツグミなどの樹木が広場を囲んでいる。その葉はらはらと舞い散ってくる。そこで思い出す。良く知られたリルケの詩だ。
 
  木の葉が落ちる 遠くから落ちるように落ちる
  空の中の遠い遠い庭が枯れたように
  木の葉は否定するような身振りで落ちる (『リルケ詩集』石丸静雄訳)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

文京区散歩-1 天祖神社

11月6日(火)
 昨日でベルケード療法第一サイクルが終わり10日間の休薬期間に入る。この間は月水金隔日の血液検査を行う。9日の金曜日にはIgMの数値を計る。血小板、白血球の状態を見ながら、レントゲン、心電図などを適宜行いながら副作用の状態を把握し、必要に応じて輸血などの対応をしベルケード療法の第二サイクルの準備を進めていく。

 今日まで副作用といったものは体調的には全く現れていない。ただ骨髄抑制が強く、血小板が減少し、白血球もデカドロンで維持してきていたが段々効果が薄れてきているのだろう、一時は6000あったが(10/29)、デカドロンを使っていながら2100(11/5)まで下がってきている。休薬期間に回復することを望むほかない。

  いつもの病棟周辺の早朝に出かけた。病院の周辺はフェンスに囲まれ、その内側に山茶花の垣根があり、シラカシ(ブナ)の並木が並び、さらにその内側がつつじのかん木が連なっている。一番手前に駐車場に沿って梅林が並んでいる。つつじはよく剪定されておりなだらかな起伏を作っている。山茶花が一本だけ花を付けていた。全体的に大分蕾が出てきている。

天租神社
 今日は病院に隣接する神社に足を伸ばしてみた。広大な樹木を有している空間だ。街の片隅にこれほどの大樹を抱えているところは珍しいだろう。高い木は病院の8階位まであるようだ。これらの木は文京区保護樹木として指定されている。銀杏を中心として、ヒノキ、クスノキ、スダジイの大木が見事な枝振りを広げ空の空間を切り取っている。

駒込周辺・六義園011_edited_convert_20101124182850 天祖神社鳥居と参道

とりわけ銀杏は巨大で鎌倉の鶴ケ丘八幡宮のそれを思い起こすほどであった。暗く、深閑とし誰もいない神社で大木だけが存在感を主張しているようだ。病院の樹木はまだ歴史が浅く病院改築の昭和初期に植えたとしても70,80年だろう。しかし神社は1650年に再興されたというからその頃からあるならば350年以上経っている計算になる。病院の窓から神社の境内に一際高くそびえる樹木も群れを見ると歴史の重みを感じる。

駒込周辺・六義園010_convert_20101124182744 天祖神社拝殿

 この街の片隅の神社は天租神社といって1189年源頼朝が奥羽征討の途中、この地に立ち寄り、夢のお告げで、松の枝に大麻(伊勢神宮のお札)がかかっているのを見つけた。頼朝は征討の良い前触れと喜び、この地に身命(天照大神)を奉ったのがこの神社の起源といわれる。1650年に再興されたという由緒ある神社だそうだ。東京の街にはまだまだ見所がある。この病院来て入院通院通して2年近くになるがこの隣の神社には始めて行った。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

救急医療

11月5日(月)
救急患者の入院
 朝5時前、病室の開いているベッドの周辺が騒がしくなった。患者がストレッチャーで運ばれてきた。夜中に何事かと思った。看護師が暗闇の中で懐中電灯の明かりを頼りに次々と出入りする。誰かが天井の蛍光灯を付けたらまだ5時前で起床時間ではないのでといって消された。

 大体皆寝るのが早いから5時頃には眼が覚めている事が多い。そういう時は早く起床時間の6時にならないかなと待ち望んでいる、そういった時はやることがないから何が起こったかじっと聞き耳を立てている。
 
 救急車で運ばれてくる患者の大部分は、事故による外傷か、脳梗塞、胃腸障害などで運ばれてくるので1階の救命センターで救急処置された後は外科、内科、脳神経外科などの病棟に移動するので、血液内科に急患が救急車で運ばれてくることはめったにない。今回の場合も他の病棟のベットが空いてなかったのでここに運ばれて来たのだ。

 医者が何人か来て患者の状態について聞いたり検査したりする。腰から背中が激しく痛み痺れ耐えられず救急車を呼んだそうだ。血圧が200以上になり、病室に来る前に脳梗塞の疑いでCTの検査はしたという。CT検査上は脳の出血の兆候は見られなかったそうだが、詳しくはMRI検査が必要であるということだ。MRIで脳その他の血管の異常を調べ、腰や背中の痛みが内臓からか脳からきているものなのかを判断し治療方針を決めていく。
 
 当面は対処療法的に痛み止めを処方する他ないが、その根本原因を探すのに様々な検査が必要になるのだろう。また血圧が200以上というのは、爆弾を抱えているようなものであり、安静にして血圧を下げる薬を飲んでいないと心臓や脳の機能に重大な影響を与える恐れのある疾患に繋がる可能性がある。

 結論としてはMRIで脳に小さな血の塊が見つかり(脳血栓)、それが腕の動きを疎外して痺れに繋がっているので、血を溶かす薬を飲み、リハビリをしていく事が必要と言われていた。

救急病院・救急医療体制
 この病院は救急医療対応になっているのでなっているので真夜中でも救急車は出入りしている。しかし『ER・緊急救命室』の世界がこの病院の1階の救命センターで展開されてわけではない。この病院は二次救急医療対応病院であり、救急ベッド3床を確保し、医師(内科・外科・小児科)、看護師、放射線技師、検査技師による当直体制で取り組んでいる。二次救急医療とは入院治療を必要とする重症患者に対応する機関であり、都道府県が定めた医療圏域(二次医療圏)ごとに整備されている。肺炎、脳梗塞などに対応する。

 三次救急医療=救急救命センター(ER・緊急救命室)は二次救急医療では対応できない複数診療科にわたる処置が必要、または重篤な患者への対応機関であり、心筋梗塞、多発外傷、重症熱傷などに対応する。

  救急救命センターは、第一次、第二次の救急医療機関や救急患者の輸送機関との連携のもと、 重症や複数の診療領域にわたるすべての救急患者に対して、24時間体制による高度な救急医療を提供している。 平成18年12月1日現在、全国で201カ所設置されている。

 朝の採血結果では、血小板が2.9だった。ベルケード使用の下限が2.5なので予定通り4回目のベルケード投与を行った。これで第1サイクルは終わった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

食卓

11月4日(日)
食卓とは
 昨日の夕食にカードが添えられていた。「本日は秋らしい食材を使った料理をご用意しました。どうぞ賞味ください」というものだ。メニューは秋刀魚塩焼き(おろし・レモン添え)、きのこご飯、さつま芋甘煮、菊花浸し、のっぺい汁、フルーツというものだった。この病院の食事は味もよく、品数も多く、暖かいので助かっている。季節の折々には特徴的なメニューが用意される。誕生日にはバースデーカードとデザートプリンが出た。色々考えた料理だ。

 ただ病院食というのは当然だが、食卓を囲むというものではなく、ベッドに腰掛け、テーブルに食事のトレーを置き、各人が一人ずつばらばらに、話し合うこともなく黙々と食事をするということになる。ここには食事を通した社会性の獲得はない。もちろんこれは病院というものの関係性の必然的有り様なのだが。

『家族ゲーム』における食卓
D110480999.jpg 昔見た『家族ゲーム』という森田芳光監督の映画の中で、食事テーブルが横にのみ長い長方形で、家族はそれに横一列に並んで食事をするシーンがたびたび登場する。これは食卓を囲むということの中におる家族のコミュニュケーション、家族の絆といったことが希薄で関係性がばらばらな家族の有り様を表現しているのだろう。そこには会話もなく、お互いに関係を持とうという意思もない。ただ食物を咀嚼する行為を繰り返しているだけだ。

 この映画は核家族化、校内暴力、偏差値教育といったことをテーマにしているが、食事場面に象徴されるのは現在の人間関係ではないだろうか。今子供たちは夜も塾に行き、父親は連日の残業で遅くなり、家族で食卓を皆で囲むことは稀になって来ているのだろう。そうなれば家族間の会話もひとりでに少なくなり、やがてはなくなり、意思疎通が出来なくなってしまうだろう。家族と食卓の持つ意味をもう一度考えてみよう。

『魔の山』における食卓
 食事の形態に社会的意味を持たせ、分析した文章がある。トーマス・マンの2つの小説を比較しそこにおける食事の風景が市民社会に対する関係の仕方を明らかにするものとして次のように書かれている。
 『ブッデンブローク家の人々』の世界から『魔の山』の世界の変化をもっともよくあらわしているのが、食事の場面の描写である。

 『ブッデンブローク家の人々』で描かれている「風景の間」でおこなわれる会食は一週間おきに家族が集まるものであり儀式的な性格を強く帯びている。またそこには家族の他に取引のある商人仲間や牧師など他の人々も呼ばれている。そこでは会話が重要な役割を果し、その話題は取引に関する話から政治にいたるまで幅広いものであり、半ば公的な機能を併せ持ったものである。
 
 『魔の山』に登場するサナトリウムは、全体的には「無時間性と義務を忘れた反市民的世界」「密封されたレトルト的世界」として、登場人物は「生活の現実から遊離したところに生ずる不毛な抽象性に支配」されている。そこでのハンス・カストルプは、時間を浪費することによって、節約やたゆまざる勤勉といった市民社会の規範から離れてしまっていることを明らかにしている。彼はここに滞在する人々と豪華な食卓を囲むことになるが、その食事は完全にその社会的な機能を失っているものである。

 サナトリウムの人々は、さまざまな国、さまざまな階層の出身であり、ブッデンブローグ家の「風景の間」に集う人々とは異なっている。したがって「ここでは同じテーブルの人たちのほかに知りあいをつくることはなかなか容易でない」のである。 (『魔の山の市民』島田了)

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

キエルケゴールとヘーゲル

11月3日(土)
 11月1日のブログにヘーゲル文章を引用して、自己と他者との関係について説明した。しかし理論と現実はそう簡単には結びつかない。今日はもう少し突っ込んで説明してみよう。

 ヘーゲルは『精神現象学』の中で即自、対自、即且対自という方法論を使いながら自己の精神への発展過程を叙述した。ヘーゲルが語ろうとした理論をキエルケゴールはさらに奥深く自己の内部からはじめその中での苦闘を通し、他者との関係へと導いていく。そのキーワードは「絶望」である。へーゲルの場合は「私のイメージと戯れとその自覚」によって「他者たち」は「我々」転換する。

 哲学の理論を現実の世界で生かし、自らの生き方に結び付けていくのは直接的には難しい。しかし哲学における考え方は、徐々に自らの中に浸透し生きる指針をいつのまにか身につけさせてくれるのだ。それには哲学者の苦悩を自らの苦悩として追体験する位の思い入れが必要かもしれない。

 以下「精神・自己・他者・第三者」に関するキエルケゴールとヘーゲルについて語った論文がある。長い文章のごく一部を引用したので解りづらいかもしれないが、他者と自己について知るのに参考にはなると思う。

S.キエルケゴール
20050923004.jpg  夢破れ、希望が失われても、なおそれを望まざるを得ないが故の絶望。キルケゴールはこの絶望を見つめ続けるのである。絶望は人間の根本的気分に他ならないからである。

 通常、「人間」は「人の間を生きる者」と倫理的に理解される。英語の「ヒューマン」も同じ意味である。しかし、人間は、「天と地の中間にある者」、「善と悪の中間」、「聖と俗の中間」の存在という存在論(実存)的理解もある。『死に至る病』冒頭は次のような言葉で始まる。

 「人間は精神である。精神とは何であるのか。精神とは自己である。自己とは何であるか。自己 とは自己自身に関わる一つの関係である。」

 人間は自己自身として単独に存在するのではない。もし、自己自身として単独にそれだけで存在しているものがあるとすれば、それは、「自己」という意識を持つことはないし、そのような自己意識を持つことは不可能である。人間は、本質的に関係存在であり、関係の中を生きている生物である。それ故、「自己」というものは、その人間が持つ関係から生まれてくるし、その関係によって明瞭になるのである。

 そして、人間が本質的に持つ関係は、常に二重である。第一に、人間は自己自身と関係をもつ。内省や意識というレベル以外に、人間の精神は、あたかも自分自身の外に立っているかのようにして、自分自身を眺めることも可能である。このようにして、人間は「自己」を獲得する。

 人間が本質的に持つ関係の第二は、第三者との関係である。人間は第三者との関係において、自分がどのようなものであるかを知る。自分と関わる第三者が、自分をどのような人間と見なし、どのように扱うかを知ることによって、自己自身について認識する。

 このように派生的に置かれた関係が人間の自己である。それは自己自身に関わるとともに、この自己自身への関係において他者に関わる関係である。そして、絶望とは、この人間が持つ関係における究極的な負の気分である。(HP『思想の世界』の主幹者・小副川幸孝)

F.ヘーゲル
3000-01-01.jpg 承認されてある事は、ヘーゲルにとって重要である。なぜなら、承認し合いされ合う関係にあるとき、そこにこそヘーゲルが成し遂げようとする「精神」が現象しつつあるからである。ここで言われている精神とは、互いに異なり自己意識の統一された実体である。それは、「我々である我、我である我々である」(自己意識:生命と欲望:第12段落)。

 これをどう考えればよいだろうか。私がそこから自己を受け取る他者も、私のイメージにおける他者と言えるかもしれない。他者もまたその外にすなわち私に出ているのだから。つまり、私は、私の内の他者のイメージの内の、私のイメージを受け取る。

 他方、他者は、他者の内の私のイメージの内の、自分のイメージを受け取る。ここに、ある種の入れ子構造のような、想像的な力の戯れが現出していると観ることもできるだろう。

 他者を私の内の他者と観る限りでは、他者は私でもある。つまり、私の内には多くの他者たちが反映しているのだから、私は複数に分解され自立しつつも依存し合う「我々」である(我々である我)。そして、我々は私の内で成立しているのだから、それは「我」である(我である我々)。

 「他者たち」が「我々」へと転換するには、それぞれの「私」のイメージの戯れとその自覚が必要だったと思う。(『精神現象学を読む』mindestブログより)

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

防衛省問題

11月2日(金)
 病室で窓側のベットが空いた。今まで廊下側にいたので移動させてもらった。この病院は高台にあり、病棟は10階で、窓は天井から床1m位まで全面透明ガラスなので眺望は東から西まで180度近く開けている。上野のルネッサンスタワー池之端が正面に見える。少し南には晴海、汐留、丸の内、永田町と高層ビル街が連なり、そこまでさえぎるものがないので遠望できる。

 しかし何よりも開放感を与えるのは空の広さだ。窓の5分の4ばかりを占める空は広大なキャンバスとして日々刻々雲を素材としながら絵を描き続ける。決して同じ文様のないかたちを創り続けている。一瞬の中にきらめきを閉じ込めるかのように。今まで蛍光灯の光の中で暮していた。それが窓からの光で生活できるということは何とまばゆいことだろう。外は霧雨でどんよりしている。それでも十分光を堪能することが出来る。

 朝の採血の結果、血小板は3.5と回復してきた。従ってベルケード療法は予定通り、予定量をデカドロンと一緒に投与した。

tk74.jpg 10月29日、守屋前防衛省事務次官の国会喚問があった。この間防衛省を巡り次々と不祥事が明らかにされている。機密情報流出、航海日誌破棄、給油データー隠蔽、自衛隊情報保全隊による反自衛隊活動へのスパイ活動、その上今回の前次官、元大臣への軍需商社からの接待があり、その見返りとして装備調達に便宜を図ったのではないかというものだ。

 現在日本の防衛費は4兆8千億円であり、この額は、アメリカに次ぐ世界第2位の軍事費と言われている(計算方法は色々あるらしいが)。これは一般歳出の10.4%を占め、社会保障費、公共事業に次ぐ第3の支出項目になっている。この自衛隊が国際貢献という名のもとに何をやって来たのか。

 自衛隊のインド洋における給油量が20万ガロンではなく、80万ガロンであり、この量だとイラク戦争にも日本の石油が使われているという自衛隊が隠蔽していた事実が明らかになったが、このことは9月1日の「朝まで生テレビ」で既に明らかにされていた。それは

“United States Naval Forces Central Command and 5th Fleet” と題された米海軍中央指令と第5艦隊の公式ホームページが、イラクの自由作戦を特集していて、その内容というのは、①自衛隊の補給艦は、空母のキティーホークにも給油している、②自衛隊の補給艦は米英軍の補給艦に燃料を補給している、③自衛隊の補給した燃料の85%はアフガニスタンではなく、イラクに向かっている、というものだった。

 「このことは軍事の専門家からみれば、不思議なことではない、軍艦はインド洋全体をみわたすために配置されているのであって、自衛隊が燃料補給をするときに、それがアフガニスタンのための艦船なのか、イラクのための艦船なのか区別することなどできないというのだ。

 国民はテロ特措法で、これまで200億円以上の給油をしてきたのは、各国がアフガニスタンで行うテロリストを封じ込めるための活動を後方支援するためのものだと聞かされてきた。しかし、自衛隊が補給した燃料の大部分が、アメリカが勝手に始めたイラク戦争のために使われていた。しかも、空母にまで給油していたというのは言語道断だ。」と森永卓郎は言っている。
 
自衛隊を巡る諸問題
 これはいったい何を意味するのだろう。これは安部政権が矢継ぎ早に進めてきた教育基本法改定、防衛庁の省への昇格(防衛庁を独立性のある防衛省に昇格させ、総理大臣の管理から脱却させ、発言力は強化し、いわゆるシビリアンコントロールからの離脱を目指す)、憲法改定に向けた国民投票法の動きとなだれを打って合流し日本の軍国主義化に突き進む動きである。
 
日本国憲法との関係
 こういった動きを見定め日本はどういった国際貢献が出来るのか考えて見なければならない。憲法9条の精神とは何かについて伊藤真は次のように言う。「日本国憲法9条は正義のための戦争も許さないという徹底した戦争放棄にその特徴があるのです。だから、憲法は国民の視点にたって、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して』といった前文1項を確定したわけです。

警察権の発動(国連の)と軍事力の発動は武力行使を受ける側にとっては、どちらも理不尽な殺戮である点で何も変わらないのです。自衛隊が海外で武力行使することは、憲法が、日本の国家としての海外での武力行使を禁じている以上、たとえ国連の旗の下であっても許されません。どのような名目の戦争にも一切参加しないと宣言した国が存在すること自体が、世界の平和と安定のために貢献するのです。

 民衆の視点に立って、たとえ国連の行う活動といえども、国家としてこれに加担するべきでない。あらゆる戦争、武力行使、武力による威嚇、海外派兵を禁止することが憲法の趣旨しかも、中立の立場の国だからこそできる国際貢献も多々あるはずです。非軍事・非暴力による国際貢献という第三の道もあるはずです。」と。

自衛隊の実情
 全く違った立場で自衛隊の現状についてその内部の問題点を指摘したものがあった。『トゥエルブY.O.』(福井晴敏、2001年刊)という本だ。自衛隊をテーマにした電子テロリストを巡るハードボイルドものなのだが作家の戦後日本の成長過程の歪みへの痛烈な批判、自衛隊の存在価値の問題など熱い主張が伝わってくる。こういった視点での批判もあるというその一文を引用してみる。

 「監督官庁の許可がなければ輸送路の確保も出来ず、できたとしても戦車は重すぎて橋を渡れないし、地対空ミサイルは展開するスペースがない。爆薬に至っては、有事の気配を察してから作りゃいいって理屈で備蓄は実質ゼロ。PKOじゃ弾倉抜きの小銃抱えているさまを世界中の軍隊から笑い物にされた。」

 「災害救助にしたって、派遣の垂れ幕を全部のトラックにぶら下げてからでなけりゃ動けないわ、目の前に腹をすかせた被災者がいても書式が整わなけりゃ缶詰ひとつ支給できないわで、自分らを縛り付けているお役所体質をそのまま引き写している。

 誰も責任を取ろうとせず、自分で考えようともしない。危機管理も防衛政策も全部場当たり無責任。世界で一番尊敬されていない軍隊日陰者の烙印を押されて、目の前の仕事をこなしていればいいって日和見根性で不安や不満を紛らわしてんだ。」

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

秋の深まり

11月1日(木)
秋の深まり
 11月になった。秋の深まりが感じられる。病棟周辺の木々も部分的に色付き始めた。ハナミズキが最初に葉を赤くする。それから桜が黄付き始める。かなり紅葉が遅いはずのいちょうの大木の一本が日当たりのせいだろうか、既に大部分の葉を黄色にしている。後は柿の葉位だろうか。東京の紅葉のピークは例年より遅れ、11月下旬からだという。紅葉はまだまだだ。

 「主よ いまは秋です 夏は偉大でした」(リルケ)とは絶対に言えない。今年の夏は40度を超える地域があったようにひたすらただ暑く、疲れるだけの季節だったような気がする。夏の喧騒も高揚した気分も無縁の世界でぐったりと毎日をただ流されるように送っていたような気がする。買い物以外外に出ることもなく、運動もウォーキングもせず体力を消耗しないようにじっとしていた。

 夏高揚していたわけでもなく、いま沈滞しているわけでもない。このように季節への感受性は徐々に薄れていくものなのだろうか。それとも今の療養生活が一年中全く同じことの繰り返しの中で季節に伴う諸現象から無縁の世界に生きているということの中で「季節から遠くはなれて」しまったのだろうか。

血液検査結果
 昨日の血液検査の結果、血小板が3.0とかなり低くなっている。このまま下がると同じ形での治療の継続は難しくなる。ベルケードの投与量を減らす等の処置を取らなければならない。確かに血小板の輸血などの方法はあるが、休薬中に血小板の再生の過程での補助という選択はあるがベルケードを投与しながらというわけには行かない。明日の血液検査の結果を待って、投与するベルケードの量を決めていくということにした。白血球は3800、ヘモグロビンは7.9とそれほど問題はない。

人間関係をどう作っていくのか
 2005年12月に入院してから2年経過した。昨年12月に1年の休職期間が切れ退職した。仕事を辞め、体力的な問題もあり外で人と会うこともなく、人間関係が日々狭まっていくのを感じながらどうすることも出来ない。家族以外の人と話すことなどめったにない。

 人間の認識行為は他者との関係の中で生まれる。いわゆるダイアローグ(対話)によってである。「汝自身を知る」ということは他者との関係の中で始めて可能である。絶対的自己など存在しない。

 ヘーゲルはそのことについて次のように言っている。「人間は単に客体を離ればなれに認識するだけはなく、媒介としての客体に自己を投影することによって、行為的に自己をより深く理解することができる。これを自己意識という。我々はこうしてお互いに、自己と客体を交換し、投影しあって自己意識を確立する。」と。
 
 どのような人間関係を作っていくのか。今までの関係の継続とそして新たな関係をいかに構築していけるかによって人の認識能力は向上して新たな世界を獲得していけるのだ。自ら気がつかずに真実から隔絶された「洞窟の囚人」(プラトン)として生きることを否定しながら。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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