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定期検診の日

4月30日(水)
 2週間に一度の定期検診の日だ。IgM値はどうなっているのか。正常細胞への副作用はあるのか。など血液検査の結果への不安感は絶えず付きまとう。採血して診療を待っている間も色々考えてしまう。

今はサリドマイド100mgの服用だが、効果がないとすれば200mgとか300mgとかに増やす他ない。実際に毎日300mg服用している人もいる。しかしそうなると100mgで1ケ月4万円、200mgだと8万円、300mgだと12万円かかる計算になる。また1回の輸入手数料が2万3千円かかる。今の1ケ月4万円位ならどうにか払えるが、その倍や3倍になると支払いの負担はかなり大変なものになる。

保険が効く薬だったら、幾らかかっても2万5千以上は高額医療費として健康保険組合が支払ってくれるので安心だが、保険の利かないこの薬はかかった量がもろに財布に響く。そういったこともあって、財政的面でも100mgで効果があることを期待するほかない。

■ 9時30分に採血をした後、診察を待つ。11時30分に医者に呼ばれる。IgMは2週間前の検査では1169だったのが今日の検査では1122へと下降していた。サリドマイド100mgで効果が出たということだ。一安心だ。正常細胞に関しても白血球2.5、ヘモグロビン10.6、血小板12.8と許容範囲内だ。白血球が少ないのが気にはなるが、日常生活には差し支えないだろう。

中性脂肪値(TG)は一時175まで下がったが、また285まで上昇している。体重も増えてきている。高脂血症の薬ベザトールを朝晩のみ続けていくだけではなく、運動をするといっても限界があるので少しは食事療法もしなくてはならないだろう。

今はステロイドとしてコートリル10mgを飲んでいるだけだ。この薬はステロイドといってもきわめて弱い薬で、すぐにステロイドをやめるわけにいかないので飲んでいるようなものだ。これが中性脂肪値に影響しているというより、食事量と脂肪の燃焼とのバランスの問題の方が大きいだろう。

どうしても家にいる機会が多いので、ラジオ体操や時々のウォーキング位では運動不足になる。食事は自分で作っている関係もあり、3度の食事をきちっと食べている。運動との関係で少し食べ過ぎなのだろう。食事療法で中性脂肪値を下げていく以外ない。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

会社の同僚の訪問

4月29日(火)
 公園の木々の葉はいつの間にか生い茂り、日陰を作るまでになっていた。サツキが朱色とピンクと白の花を咲かせている。つつじはまだ3、4分咲きだ。八重桜はもうほとんど花はなく葉が成長してきている。薔薇が次々と花を開いている。朱色っぽいピンクの花は恐らくアーティストリーという名だろう。濃い赤色の薔薇はアンブルール・デュ・マロックだろう。黄色い薔薇はミセス・ピエール・Sデュボンだろう。ピエール・ドゥ・ロンサールが黄色い薔薇だと思っていたが図鑑だとピンク色になっている。ともかく薔薇の多種多様な名前は面白い。図鑑を見ているだけで薔薇を開発した人の思い入れが伝わってくるようだ。

top_photo01.jpg薔薇といえば最近サントリーが青い薔薇をバイオテクノロジーを利用して作り上げたと聞いた。青いバラは、過去800年の品種改良の歴史の中で、多くの育種家が挑んできた夢だった。青いバラの開発はこれまで成功しておらず、西洋では不可能の意味で使われていた。それはもともとバラには青い色素がないからなのだ。

「最新のバイオテクノロジーの遺伝子組換え技術を用いれば可能になるはずということで、パンジー由来の青色遺伝子を導入したバラがデルフィニジン(青色色素)を作ることを発見し、2004年にようやく開発に成功した。青色色素が花びらに存在する、正真正銘、世界初の青いバラ(上写真)が誕生した。」とサントリーのホームページに書いてあった。自然の摂理に逆らって人間が作り出す造形物に感心する面もあるが、一方で人工的で機械的な無味乾燥さを感ずることも否めない。

 3時頃、元の職場の同僚が尋ねてきた。お互いに近況を語り合った。私は病気の現状を、彼は職場の状況を話した。職場では社長が変わり、地方営業所の統括部長が社長になった。元の社長は会長になった。郡山営業所の所長が辞めた。下請けの運送会社の配車担当者が肝臓がんの手術をし、会社をやめ、配車は流通センターの人がやっている。こういった幾つかの変化はあったものの会社は、何事もなかったかのようにその歯車を動かしている。

今の生活をしているとかって毎日夜遅くまで働いていた生活が本当にあったのか思い出せないくらい昔のことに思える。休日もほとんど休みなく働いていて、病休の時、その代休だけで4ケ月分の給料が支払われ、有給休暇は1日も取っていなかったので、40日分が2月分の給料となった。

何故そんな生活が出来たのだろう。その頃は何の疑問も持たず日々過ごしてきた。それがサラリーマンの運命なのだというあきらめもあったのかもしれない。しかしこの病気になって自分を見つめ直す時間ができた時、あの生活は何だったのだろうかとつくづく思う。とても人間的生活とは思えない。

仕事だけが人生だった。それで一生終わっても良かったのだろうか。今だからこそそういった反省が出来るのだろう。状況に押し流されている時には、自分を振り返る時間すらないのだ。今は偶然にせよ与えられた時間がある。この時間を最大限生かしていくことが問われているのだ。

大高康夫氏の『あと1年からの生還』(二見書房)に次のような言葉があった「…しかしガンの発病とサラリーマンとしての転機が重なったことで自分の人生を客観的に見つめ直すことができました。人生における成功とはいったい何なのか。男の価値というものはいったい何なのか。企業人としてではなく、一人の人間として考える時間を与えられたのです。」

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

都立庭園-6 殿ヶ谷戸庭園

4月28日(月)
 東京都の指定庭園が9ケ所ある。その中で行ってないのが殿ヶ谷戸庭園と向島百花園だ。11時頃思い立って出掛けた。新宿から青梅特快というのがあって、新宿を出ると、中野、三鷹の次が国分寺だ。20分ばかりで着く。国分寺駅から殿ヶ谷戸庭園まで歩いてすぐだ。

tono1.jpg駅前の雑踏から2、3分歩いていくと公園の入り口だ。公園はかなり広く、周囲の繁華街とは全く異質の空間を形成している。入り口から少し歩いて、中門を通り、整備された庭があり、しばらく行くと入場券売り場に至る。そこから第2の入り口を経て庭園内に入ると、一面芝生が広がっている。芝生の中には円く刈り込まれたつつじがあり、もっこく、赤松などが植えられている。広々とした明るい洋式庭園となっている。

 芝生を見ながら歩いていくと萩のトンネルがあり、秋になるとこの竹のトンネルに萩がつるを張り花を咲かせるのだろう。その奥が藤棚となっている。4月26日から藤祭りが行われるということでどれ程の藤があるのかと期待していたが、棚は一つでまだ半分ぐらいしか花をつけていなかった。どこにも藤祭りらしい形跡はなかった。案内には「樹齢100年を越すフジがあり、このフジはゴールデンウィークの時期に、5.8m×7.4mの藤棚いっぱいに約30~40cmの房をつけ、芳香を放つ。邦楽演奏会や抹茶を楽しむ会などが催される。」とあったのだが。

そこから花木園に行く。ももの花が鮮やかなピンクの花を咲かせている。木の周辺は昔から武蔵野に自生していた野草が数多く植えられ、珍しい植物に出会える。華やかな花木園から下り坂になり孟宗竹の林があり暗くしっとりとした雰囲気に変わる。

 この庭園は武蔵野の自然の地形、段丘の崖にできた谷を巧みに利用した「回遊式林泉庭園」であって、崖の上の明るい芝生地の雰囲気とはがらりと変わり、竹林からは和風庭園が出現する。崖下の湧水池、東京都名湧水57選にも選ばれている「次郎弁天の池」は木々で囲まれ薄暗い。崖上と、下とで雰囲気が一変する造園手法が見所だといえるだろう。この明と暗、洋と和の対比がこの庭の最大の特徴だ。

この池の周辺から紅葉亭という休憩所まで急な坂を上る。この辺りからイロハモミジの木が増えてくる。秋には紅葉がきれいだという。紅葉亭の裏手に鹿おどしがあり、紅葉亭のベンチに腰掛け、弁天池に囲まれた日本庭園を眺めながら鹿おどしの音を聞いているというのもなかなかおつなものだ。

 管理棟に向かう所に秋の七草が植えられている。秋の七草は山上憶良が万葉集で選定し、今に至っていると言われている。
 「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり)
            かき数うれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花(すすき)葛花 撫子の花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝顔の花」と万葉集で詠まれている。

管理棟に向かう道の周辺はイロハモミジとモッコクがかなりの数植えられている。モッコクについての説明に次のようにあった。「葉に光沢があって全体が端正、品格も最高とあって、「庭木の王」といわれています。モッコクは木斛とも書きますが、これはこの木の花のほのかな香が石斛(セッコク)の花の淡い芳香と似通っているところから、石斛に対しての木斛と称されたと考えられています。」この庭園はかなりの数のモッコクが植えられ、中心的な庭木として庭園に配置されている。同じモッコクでも色々な形があって面白い。

参考:都立殿ヶ谷戸庭園は、大正2年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年に三菱財閥の岩崎家の所有となり、和洋折衷の回廊式庭園となったものである。昭和49年に東京都が購入した。平成10年3月には、東京都指定文化財として「東京都指定名勝」に選ばれている。公園の名称は、昔、この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来している。(「公園へ行こう」より)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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偽装請負に大阪高裁判決

4月26日(土)
今日の朝日新聞の朝刊に次のような記事が載っていた。

朝日新聞記事
松下電器子会社(プラズマディスプレイ)の偽装請負、直接雇用成立を認定
「違法な偽装請負の状態で働かされていた男性について、大阪高裁が25日、当初から両者間に雇用契約が成立しているとして、解雇時点にさかのぼって賃金を支払うよう就労先の会社に命じる判決を言い渡した。就労先で直接、指揮命令を受け、実質的にそこから賃金支払いを受けていた実態を重視。「請負契約」が違法で無効なのに働き続けていた事実を法的に根拠づけるには、黙示の労働契約が成立したと考えるほかないと述べた。事実上、期間を区切ることなく雇い続けるよう命じる判断だ。

判決はまず、請負会社の社員だった吉岡さんらの労働実態について「松下側の従業員の指揮命令を受けていた」などと認定。吉岡さんを雇っていた請負会社と松下側が結んだ業務委託契約は「脱法的な労働者供給契約」であり、職業安定法や労働基準法に違反して無効
だと判断した。

原告側の弁護団は“偽装請負をめぐって就労先の雇用責任を認めた司法判断は高裁レベルで初めて。労働の実態を踏まえた判決を高く評価したい。同様のケースに与える影響は大きい”と話している。」

大阪高裁判決の意味
この大阪高裁の判決は画期的である。今回の偽装請負事件では使用者が6ケ月の有期雇用で直接雇用し、一回目の更新時期に雇い止めしたことが大阪地裁で適法と認められた。今回の高裁判決はそれを覆したものである。

今までは使用者は労働者が声を上げるまでは偽装請負状態を続けていれば良く、それに文句を言ったり、労基署の指導がなされれば、6ケ月程度の期間を決め直接雇用し、その期間が過ぎれば契約打ち切りとして解雇できるというわけだ。今回の高裁判決はこういった使用者側の抜け道にメスを入れた判決といえるだろう。

しかし労働契約法を実質化する任務を持っているはずの厚生労働省は、吉岡さんが何度か足を運び現状を訴えても、「行政が長期雇用を強制する権限は無い」と一切耳を貸さず何の手も打たなかった。こういった行政の無責任さ、怠慢さに労働者はいつも辛い目に合わされるのだ。社会問題化しマスコミが大騒ぎするまで全く動こうとしない官僚体質がここでも明らかになっている。

派遣、請負労働者の現状
現在、正規雇用社員が非正規雇用の請負、派遣労働者に置き換えられている。日雇いの派遣労働者は、明日の仕事が得られるかどうかおびえながら生活している。そういった中でワーキングプアが増大し、十分な仕事が得られらければ、家賃も払えずネットカフェで寝泊りしたり、野宿労働者にならざるを得ない。

一方正規雇用社員においても労働時間が長期化し、過労死に至る様な仕事を強制されている。企業は空前の利益を上げているのに、それは賃金に一切還元されず、下がる一方である。かってインフレの時には物価上昇に見合って賃金も上がっていった。しかし今は生活への重圧が強まるばかりである

派遣や請負労働者は、労災保険の申請もされず、労災事故の補償も無く、失業保険の給付も受けられない。労災事故なども元受会社は責任をとらず請負会社の責任とされる。派遣制度は中間搾取を合法化するものであり、労働条件を切り下げる制度であり、企業側としては景気の安全弁として使い捨て労働力として利用している。

ある工場現場労働者の例として、派遣元が派遣先から受け取る金額は9時間で1万2380円であるのに対して、派遣労働者が受け取る賃金は7700円というものである。何と38%を派遣会社が搾取しているのだ。こういった派遣という働かせ方、偽装請負という働かせ方は今の市場原理に任せていてはいつまでたってもなくならないだろう。

派遣・請負労働者の現状への提言
こういった現状に対し、日本労働弁護団の水野英樹弁護士は5つの提案をしている。
1、適用対象業務のポジティブリスト化
2、登録型派遣の原則禁止
3、直接雇用をみなす制度の導入など派遣先の責任強化
4、マージン率の規制
5、正規雇用労働者との均等処遇

等を上げ、派遣法の改正と規制の強化、偽装請負などに対する労働者の救済策の整備が必須であると訴えている。

労働契約法について
2007年11月28日、労働契約法が成立し、08年3月1日に施行された。
雇用の流動化、不安定化、非正規雇用の増大が、格差社会を作り、ワーキングプアを生み出している現状の中で、有期雇用に関する規制がどのような形で法文に盛り込まれるのかが一番の関心事であった。しかし法文化されたのは期間内雇用の制限と、必要以上に短い雇用期間の反復更新を行わないようにする配慮義務だけだった。

幾つかの問題点はあるが成立した以上活用できる点は最大限活用しなければならない。
第3条 労働契約の原則
1、労働契約の締結、変更、労使対等の立場における合意原則
2、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ、締結、変更を行う均衡の配慮
3、仕事と生活の調和に配慮
第5条 労働者の安全への配慮
 使用者は、労働契約にともない、労働者がその生命、身体的等の安全を確保しつつ労働することが出来るよう、必要な配慮をする。

こういった条文を最大限利用し、権利確保に努めていかなければならない。

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宮沢湖・高麗峠コース

4月24日(金)
宮沢湖・高麗峠ハイキングへ
この2、3日薬のせいかぐっすり寝てしまって、7時過ぎまで目が覚めない。ラジオ体操も行きそびれている。末梢神経障害の薬ガバペンは神経を麻痺させ痛みを和らげる作用があり、サリドマイドも副作用に傾眠作用というのがある。これで眠くなるのかもしれない。夜も22時頃には眠くなる。以前は6時には目が覚めていたのに、どうしたことだろう。

運動不足の解消のためハイキングに出掛けることにした。ハイキングコースがある所で一番近い飯能が便利だ。特急で池袋から40分で着く。宮沢湖畔を散策するのもいいだろう。余力があれば高麗峠から、奥武蔵自然歩道を通って高麗方面か飯能方面に降りていこうと思った。

飯能から宮沢湖までは3.2kmの距離で歩くと40分位かかるそうだが、バスで10分位だというのでバスで行くことにした。宮沢湖を通るバスは、イーグスバスといって、川越を拠点としているローカルバスだ。路線バスながら、宮沢湖方面には1時間に1本の割合だったが、運よく10分位待ってバスが来た。女性の運転手だった。最近はタクシーや大型トラックなどにも女性ドライバーが増えている。しかしまだバスの運転手は少ない。

宮沢湖コース〔1周約2.5km〕
飯能駅-宮沢湖バス停-宮沢湖畔(1周約1時間)-高麗峠-飯能市街-天覧山入り口のバス停-飯能駅


宮沢湖・湖畔
miya_ko_convert_20080425163330.jpg宮沢湖は昭和16年に灌漑用の貯水のために出来た人造湖で、西側に隣接してゴルフ場(武蔵丘CC)がある。ボート遊び・遊技施設などがあり、また湖の周りは自転車や徒歩でまわれる。湖のへりでは釣り人たちが糸を垂れている。へらぶな釣りの漁場として知られている。

宮沢湖のバス停から5分くらいで湖畔に着く。そこから湖畔遊歩道が湖を一周している。平日の午前中ということもあって人はほとんどいない。湖には30~40艘ほどのボートが全く動くこともなく浮いている。釣舟だ。湖畔から釣っている人は全くおらず皆舟から釣りをしている。

湖畔を回り始めた。新緑がまぶしいほど鮮やかだ。八重桜が丁度満開だった。木々に覆われた湖畔の道を誰とも会わず散策する。所々に菜の花が咲いている。山つつじも朱色の鮮やかな花を咲かせている。この色彩が新緑の緑によく映えている。円堤には芝桜がピンクと白の花を咲かせている。全ての遊覧施設が休止している。休日だけ開くのだろう。遊園地などもあるので休日には家族ずれで賑わうのだろう。そういった施設がやっていないとかえって、がらんとした感じで静けさを誘うものである。45分位で湖を一周した。

高麗峠へ
途中高麗峠に行く分かれ道があった。そこまで戻って、高麗峠に向かう。途中から登山道は武蔵丘ゴルフ場と、新武蔵丘ゴルフ場の間を進むことになる。玉よけにネットのフェンスやトンネルが至る所にある。鳥かごの中を歩いているようなものだ。所々ゴルフ場が垣間見られる。確かにコースをそれたゴルフボールが頭に直撃でもしたら大変なことになるが、自然の景観が台無しになってしまう。

坂の上がり下りはほとんど無く、散策にはもってこいのコースだ。体力的にまだ回復していないのか、上り坂はかなりきつい。すぐ息が切れてしまう。心肺機能がまだ十分でないのだろう。下りは全く問題ない。誰にも遭わず新緑の山道を森林浴を楽しみ、ゆったりとした気分で自然の恵みを感じ取りながら一歩一歩大地を踏みしめていく。山の木を見てみると枝や葉ははるか上空にある。それまでは10数メートル全く枝の無い幹がスット伸びているのだ。木々が密集しているため太陽の光を取るためにそういった形になったのだろう。

高麗峠から
20分くらいで高麗峠に着いた。峠には「高麗峠」という標識が立っており、ベンチが2つ置かれていた。周りは木々に囲まれていた。標高は177mであり、宮沢湖からほとんど上っていない。

高麗峠から飯能方面に向かって行く。「奥武蔵自然歩道」と名づけられているだけあって、木々には木の名を記した札が掛けられていて、道も整備され歩きやすい、なだらかな下りを20分ばかり行くと、「自然歩道入り口」の標識があり、そこから飯能市の住宅街に入る。コンクリートの道を10分ばかり歩き、天覧山入り口のバス停に着く。そこから10分で飯能駅だ。今日は約2時間歩いたことになる。ウォーキングとしては適当な時間だろう。

参考:高麗の由来
高麗本郷は、昔、高麗郷と呼ばれていた。続日本紀によれば朝鮮半島の戦乱では、唐と新羅の連合軍のよって滅亡した北方の騎馬民族出身の高句麗の人々が日本へ渡来した。朝廷では、日本国内の各地に分散して居住し始めた事を危惧し、奈良時代の霊亀2年(716)に、駿河、甲斐、相模など7カ国の高麗人1799人を、都から遠く離れた未開の地武蔵国に移し、同国に高麗郡を設置し、高麗郷=高麗本郷はその中心地であったとされている。高麗峠はその高麗本郷と飯能を結んでいた。 

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安田弁護士・控訴審判決

4月23日(水)
安田弁護士・控訴審判決傍聴
「安田さんを支援する会」から安田弁護士の強制執行妨害罪での控訴審判決公判があるという葉書が送られてきた。今日がその裁判の日だ。そこで裁判所に出掛けた。裁判所には着くと張り紙があった。

裁判所名 :東京高等裁判所 第11刑事部
日時・場所 :2008年04月23日 午後1時10分 東京高等裁判所 3番交付所
事件名 :強制執行妨害 平成16年(う)第1045号
備考 :当日午後1時10分までに指定場所に来られた方を対象に抽選します。
ということで傍聴券は13時10分締め切りで、3番交付所で交付することになっていた。

抽選券を貰い列に並んだ。99番だった。最終的には120人位になったようだ。当たりくじは50席位だった。40席が報道陣、10席位が関係者ということだった。パソコンで抽選して、当り番号を張り出し、当った人は傍聴券を貰って法廷に向かう。運よく99番は当りだった。裁判所の入口で荷物検査され、金属探知機のゲートをくぐって問題が無ければ中に入ることが出来る。

裁判所に来るのは10年ぶり位だと思うが、昔はこんな金属探知機のゲートも無かったし荷物検査もされなかった。空港では外国人の指紋照合が行われ、学校でも門は閉ざされ、街角には監視カメラが設置され、拘置所でも金属探知機の中を通され、そして裁判所も同じようになった。どこもかしこも危機管理の名の下に監視管理が強化され、人の自由が狭められていく。

東京高裁・安田弁護士に逆転有罪判決
新聞記事には控訴審判決について次のように報道されていた「顧問先の不動産会社社長らに資産隠しを指南したとして強制執行妨害の罪に問われた弁護士安田好弘被告(60)の控訴審判決で東京高裁(池田耕平裁判長)は23日、1審の無罪(求刑懲役2年)判決を破棄、罰金50万円の逆転有罪を言い渡した。

控訴審で検察側は”賃料収入を債権者に取られないように確保することを不動産会社社長と話し合っており、強制執行妨害罪が成立する”として無罪判決の破棄を求めた。一方、弁護側は”控訴審で検察側は新証拠を何も提出していない。安田弁護士は違法性のない会社再建構想を示しただけ”と改めて無罪を主張していた。」

どう考えても始めに結論ありきという判決内容だった。有罪に持っていくために様々な事実を検察側に有利なように解釈し作文したものである。事実認定は検察側主張をほぼ受け入れていた。量刑は、共謀共同正犯にあたるとする検察側主張を却下し、幇助にとどまるとしたうえで、主犯とされる人たちとの比較考量などから罰金刑を選択、未決勾留期間を1日一万円で換算し、罰金額を相殺するとしている。訴訟費用は全額被告人負担とされた。

壮大な妥協判決だ」。閉廷後、安田弁護士は報道陣に逆転有罪の不当性を訴えた。「捏造(ねつぞう)された証拠を全面的に採用し、検察のメンツを立てた」と批判し、「罰金刑だと弁護士資格を奪えないので実質的に私への制裁もない。すべてを終わらせるための『調停』のような判決。ばかげている」と述べた。

検察救済を目的とした、極めて政治的な判決といえる。毎度の東京高裁刑事部の判決とはいえやはり高裁かといわざるを得ない。ある実務弁護団の弁護士が、かつてマスコミからのインタビューで「もし逆転があるとしたらどういう要因か」と聞かれ、冗談半分(本気半分)で「東京高裁という要因ですね」と答えたそうだがそれが的中した感じだ。

裁判所の人事権
この国の裁判は上級審ほどますます検察寄りの姿勢を露骨に示している。それは最高裁判所裁判官の人事の選び方に問題がある。最高裁は判事は人事権も持っている。検察に逆らうような判決を出した裁判官は重要な事件がほとんど無い地方の田舎町に飛ばされるというのが通例になっている位で、そうはならなくとも出世は見込めない。裁判官は保身のためどうしても検察寄り、国が訴えられた民事では国側に付かないと判事としての将来性が断たれてしまうのだ。

昭和48年9月、長沼ナイキ訴訟で「自衛隊違憲判決」を出した福島重雄裁判官の最後の肩書きは、福井家庭裁判所判事であった。「自衛隊違憲」判決の時には札幌地方裁判所第一部裁判長だったのに、16年後には、地方の一家裁判事にまで格下げされていたのである。

その判決の中で「憲法第九条は、自衛戦力を含めた一切の軍備、戦力を放棄し、かつ交戦権をも否認している。陸、海、空各自衛隊は現在の規模、能力からみて、いずれも憲法第九条二項にいう陸海空軍に該当し、違憲である。自国の防衛のために必要であるという理由では、軍隊ないし、戦力であることを否定する根拠にはならない」と述べている。こういったまっとうな主張をした者は、最高裁の逆鱗に触れ、家裁の裁判官になるか、片田舎の裁判所に飛ばされてしまうというのが今の日本の現実なのだ。 

最高裁の人事
最高裁は、違憲立法審査権と全下級裁裁判官の人事権(指名権)を持ち、「法の番人」「人権のとりで」としての役割を厳しく求められ、徹底して「国民のための裁判所」であることを義務づけられている。

しかし、最高裁裁判官(定員15人、定年70歳)の任命権は時の政府が独占し、国民の全く目の届かない密室で、国会その他のチェックも受けないまま選ばれる仕組みになっている。かねてから最高裁裁判官の政府・行政寄り・官僚体質とその反人権・反憲法姿勢が批判されてきたのはそのためだ。

かつて佐藤内閣が、公務員・旧公共企業体職員のストライキ権をめぐる判決を変更させるために「タカ派」を続々と任命し、ついに逆転に成功したように、「憲法の番人」たる最高裁裁判官の任命は重要な政治的行為であり、国民の監視が必要だ。

確かに国民審査という制度はある。政府任命の最高裁人事の適否をチェックし、不適格裁判官を排除することを本来の目的とする憲法上の重要な制度だ。しかし国民審査とは衆議院選挙の時に最高裁判所裁判官の名前に○×をつけるのだが、裁判官の人となりをほとんどの人が知らないから×をつけることはめったに無い。これで国民の信任を受けたことにするという茶番が行われているのだ。

自衛隊違憲判決
裁判官への最高裁からの強力なプレッシャーの中で、名古屋高裁・青山裁判長は、4月17日、自衛隊イラク派遣差し止め集団訴訟において、航空自衛隊が首都バグダッドに武装多国籍軍兵員を空輸していることについて、「憲法9条1項に違反する」との判断を示した。憲法判断に踏み込むことそのものが異例であり、はじめて自衛隊のイラク派遣を明確に憲法違反とする画期的判決である。

判決はバグダッドを「戦闘地域」と認定し、空輸活動を「他国による武力行使と一体化した行動」とした上で、「自らも武力の行使を行った」と判断している。そして、自衛隊派遣の根拠法である「イラク特措法」違反、武力行使を禁じた憲法9条1項違反と断じた。「非戦闘地域」と「前線と後方の区別」は、日本政府がアメリカの侵略戦争に加担して自衛隊派兵を強行するために作り出した詭弁である。その2つが明確に否定された。(「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」声明より)

この判決文を読んだのは、判決文を書いた青山裁判長ではなく、退官した青山裁判長の代読という形で行われた。「自衛隊違憲判決」を出した青山邦夫裁判長はこれを最後に退任するので最後に歴史的な判決を残そうとしたのではという意見もあるようだが、そういった状態でなければ政府の方針に逆らった判決も書けない、自らの良心に従った判決を書くことが出来ないというがんじがらめの裁判官の現実が浮かび上がってくる。

退官間際か辞める覚悟が無ければ、まともな判決が書けないという何と貧相で惨めな日本の司法の現状なのだろうか。政治の道具としてしか機能しない最高裁を頂点としたとした司法にはもはや人権や正義を求めても無意味なのかもしれない。

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光市母子殺害事件・死刑判決-つづき

4月23日(水)
4月23日の朝日新聞の朝刊に、「光市母子殺害・死刑判決」と題して特集記事が組まれていた。その中で、広島高裁の判決について、専門家の意見が掲載されていた。

光市事件への専門家の意見
菊田幸一・明大名誉教授(犯罪学)は「永山基準が拡大されたかたちになり、影響は大きい」と話す。
永山基準は83年に示された死刑適用の指標だ。(1)犯行の性質(2)犯行の態様(残虐性など)(3)結果の重大性、特に被害者の数(4)遺族の被害感情(5)犯行時の年齢――などの9項目を総合的に考慮してきた。
83年以降、被告が犯行時に未成年だった事件で死刑が確定したのは3件(1件は一部の犯行が成人後)で、いずれも殺害人数は4人だった。
 
元神戸家裁判事で弁護士の井垣康弘さんは「本来は永山基準に至らないケース。無期懲役になると思っていた」。永山基準では、殺害人数が4人で殺害の機会 もばらばらだったのに、今回は「2人」で「同一機会」だった点に注目する。「この判決が確定したら、永山基準はとっぱらわれ、死刑が増えるだろう」
 
後藤弘子・千葉大大学院教授(少年法)は「基準自体が変わったのでなく、基準にあるどの項目を重視するかが変わってきた」。(3)や(5)でなく、(2)や(4)を重くみた判決で、今後は無期懲役が減り、死刑が増える可能性があるとみる。

被害者感情
「遺族の被害者感情」これが、最高裁の差し戻し判決や、今回の広島高裁の判断の大きな根拠となっているのは確かだ。NNKと民放の放送倫理・番組向上機構(BPO)は判決に先立ち、情報番組の扱いについて「〈奇異な被告・弁護団〉対〈遺族〉の図式を作り、その映像を見て感情的な言葉を口にする」と光市事件の報道のあり方の問題点を指摘した。こういった指摘を民放は全く気にせず相変わらず過激な事件を興味本位で追っている。

今回の事件が注目されたのは本村さんが積極的にメディアに登場し「少年の死刑を求める」と繰り返し訴えた。それにマスコミが乗り、被害者家族の言うがままに、被告や弁護団が事実関係を争うことを捉え、そのことが反省してないことだと決め付け、一方的に非難する番組を流し続けた。

事実関係の争いについて安田弁護士は語る「犯罪事実が違っていては真の反省は出来ない。死刑事件では反省の度合いより、犯行形態や結果の重大性が重視されてきた。反省すれば判断が変わったというのか。」事実関係を争うことが反省してないと言われることは、まさに法の精神に反するものである。反省だけで全てが終わるなら裁判所など必要ないではないか。

被害者参加制度
マスコミの偏った扇動によって世論が作られ、「死刑」の大合唱が形成されていく。大政翼賛会的に大本営発表に踊らされて自ら現実を見ようとせず、戦争に赴き他国民を殺していったように、今マスコミに操られ、死刑という殺人を世論の一員として担っているのだ。

さらに「被害者参加制度」が年内にも始まろうとしている。被害者の感情に判決が左右されていいものだろうか。少なくとも日本は法治国家である。弁護士の間では「裁判が報復の場になる。感情的質問で法廷が混乱する」と言われている。

「被害者参加制度」は殺人、強姦、誘拐、業務上過失致死などの犯罪に遭った被害者や遺族が対象となる。「被害者参加人」として検察官の隣に座り、被告に事実関係を質問したり、証人に被告の情状に関することを尋ねたり出来る。検察官と異なる求刑も意見として述べられる。求刑まで出来るという被害者感情を全面展開できる制度なのだ。

被害者感情と裁判員制度
裁判員制度の開始に先立って「被害者参加制度」が開始される。どうしても裁判員(市民)は感情に流されやすい。被害者の訴えに心を動かさざるをえない。法による裁きでなく、感情による判断に流されてしまうだろう。そうなると法による裁きでなく、リンチ-しばり首式の刑罰の復活になりかねない。被害者側に立った感情的な一方的報道を繰り返すマスコミを背景に、被害者参加制度、裁判員制度が始まろうとしている。この問題点について考えてみなければならない。

裁判員制度の意義については「司法に対する国民の理解の増進」および「その信頼の向上に資すること」としている。しかし実際には政府が進めて来ている重罰化政策を、市民を巻き込んで推進しようとする目論見にほかならない。そしてまた死刑に市民を加担させ、市民を巻き込んで国家の殺人を正当化しようとしているのだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

光市母子殺害事件・死刑判決

4月22日(火)
光市母子殺害事件の判決
光市母子殺人事件の判決公判が広島高裁で行われ、元少年に対して死刑判決が下された。死刑判決に対して元少年は「自分は死刑になってもいいと思っているが、こういった事件での死刑という判例が、後の少年事件に影響をもたらすことは避けたい」と言っている。判決を受けた弁護団は「死刑はやむを得ない時だけ適用するという従来の考え方から、凶悪な事件はまず原則として死刑とする考え方に転換してしまった」と述べ、判決をきっかけに厳罰化が加速すると主張した。

マスコミは、ひたすら被害者家族の本村洋氏を登場させ、被害者感情を述べさせ、死刑を扇動していった。また被告の弁護団に対して懲戒請求を煽り立てるタレント弁護士の尻馬に乗り、弁護団批判を展開した。被害者感情としては、妻子を殺した被告に対しては八つ裂きにしても足りないくらいの怒りと憎悪を持っているだろう。だがそれは判決に影響するものであってはならない。

マスコミの報道の問題点
マスコミの被害者よりの報道の過熱は、来年5月から始まる裁判員制度の問題点となるだろう。裁判員がマスコミの影響で被告人に対する感情的反発で偏った判断をしかねない状況が多分に考えられる。こういった野放しの、人権意識の全くないマスコミの情報操作の中で裁判員がまともな判断が出来る土壌が日本にあるのだろうか。

市民の治安意識は、マスコミによる報道に接することを通じて、形成されている。マスコミが好んで報道するのは、いわゆる視聴率を稼げる話題性を有する事件が中心である。その結果、マスコミの情報によりつつ治安意識を形成しているのでは、わが国にはいわゆる猟奇的な殺人事件が急増し蔓延しているかに思えてしまうこととなる。市民の一人一人が、マスコミを通じての大衆操作に乗せられてしまっている。

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少年による凶悪犯罪は増えたのか
はたして少年犯罪は増えているのか。上の表(『犯罪白書』より)を見てみると、少年による凶悪犯罪は1958年から1966年までがピークで、それ以降は急激に減少し、1996年までずっと低水準で推移してきた。1996年の検挙数は1062人、1997年は1701人。なぜ、これまで低水準で推移していたのに、この年、前年に比べて突然600人以上も少年の凶悪犯罪が増えたのか。

「ゲームやアニメをはじめとする暴力的メディアが、人の痛みを分からなくさせ、犯罪を引き起こしている。」といったマスコミの類型化された報道が聞こえてくるようだ。少年たちの心情に何らかの変化があったのか。そんなものはない。この年、取り締まる側である警察の姿勢に変化があった。1997年6月3日関口警察庁長官が「悪質な非行には厳正に対処、補導を含む強い姿勢で挑む」と述べている。この発言から、警察が強硬姿勢を示し、少年犯罪の罪状がより重く科せられるようになった。

この厳罰化の傾向により、いままで窃盗として取り扱われていた事件が強盗として検挙されることになった。例えばひったくりでもこれまではすべて窃盗に分類されていたものが、傷害を負わせてしまえば、すべて強盗として数えられることになった。1997年以降の凶悪犯罪増加については、少年自体は何も変わっていないが、警察の姿勢が変わったことが原因である、といえる。

少年犯罪の質は変わったのか
「昔は生活苦からやむにやまれず犯罪に至る少年が多かった。しかし、今は豊かになったにもかかわらず、アニメやゲームの影響で心が貧しくなり、執拗で病的な少年犯罪が多くなった。また、現代の少年はキレやすく、ちょっとしたことに我慢が出来ず、重大事件を起こす」と犯罪の質の変化をマスコミは報道する。

しかし過去の少年犯罪でも、現在の犯罪より病的ではなかろうかと思える事件がたくさん報道されている。また、キレやすさも大して変わらないし、最近になってから質が変わったとはとても言えない。マスメディアの言う少年犯罪の急増、凶悪化、質の変化などという現象は全く存在しない。

しかしマスメディアの情報操作により、少年法の改悪の目論見や、少年犯罪への厳罰化が進んでいる。今回の光市母子殺害事件の判決もこういった流れの中でなされたものである。死刑判決の急増や、やつぎばやの死刑執行、あらゆる犯罪への重罰化など、こういった流れをどこかで止めないと国家による監視・管理の体制がますます強化されていくのを許すことになるだろう。

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平成つつじ公園

4月21日(月)
西武線の駅に置いてある沿線案内のチラシを見ていると、つつじの名所が西武池袋線の練馬駅のすぐ傍にあると書いてあった。家から練馬駅までは西武線で10分もかからない。早速出掛けてみた。練馬駅前は西武線が高架になり、様相ががらりと変わってしまった。以前は駅前にカネボウの工場があった。

その跡地を利用し、練馬地区の玄関口として整備した。練馬文化センター、地下駐車場、交通広場、公園が作られ、文化都市といったイメージを作り出している。練馬文化センターを囲むように公園はある。駅から1分といった所だ。こんな近くにつつじの名所があるとは全く気が付かなかった。

kagami.jpg「平成つつじ公園」は、園内を区の花「つつじ」で彩り、区民の憩いの場となるよう整備された。洋風のゲートや支柱、そして多品種の色とりどりの株により、まるでイギリス庭園のような雰囲気をかもし出している。

7000平方メートルを超える園内にはおよそ650品種16,000株のツツジの仲間が植えられている。久留米ツツジを中心に平戸ツツジ、霧島ツツジ、野生種、皐月ツツジ、外国産品種、シャクナゲとバラエティーあふれるつつじの仲間が集められている。花の一番の見頃は、大輪の平戸つつじや「久留米つつじ」の咲き誇る4月下旬から5月初旬ということで、今日あたりは見頃といっていいだろう。

公園内で一番早く花をつけるのは野生種の「サクラゲンカイツツジ」(例年3月末)。その後、4月上旬から「久留米ツツジ」が咲き始め、5月初旬には「シャクナゲ」と「カルミア」、5月中旬に「さつきツツジ」が楽しめる。この公園のつつじの収集、栽培は、久留米市および財団法人久留米市世界つつじセンターから協力受けたという。

平成6年の開園時には、開園記念として福岡県久留米市が練馬区のために作った久留米ツツジの新品種が「練馬の鏡」(右上写真)と命名され、園内に植えられた。「練馬の鏡」はここでしか見られない珍しい品種だ。また、樹齢百年以上の久留米ツツジの大株やシャクナゲの大株も植えられている。

この公園のつつじの種類の多いのには驚く。またそれが全て咲き誇り濃い赤から、ピンク、白が混ざり合いながら、海のように辺りを覆いつくしている。つつじというと、単体で見るとそれほど派手ではないが、これだけ大量に集まり満開で咲いていると、むしろ鮮やかな色のコントラストによって華やかな色の洪水に流されていくようである。

練馬平成公園028幾つか印象に残ったつつじを挙げてみると、「今猩々」-その名のとおり、鮮やかな濃い赤が印象的。本当に深い赤なのだ。朱色に近く庭園でひときわ目を惹く。「新常夏」-一株で白・ピンク・2色混と、3種の花が混じっている。「日の出の雲」-温かみのある淡いピンクの混じった花びらは、雲のようにやわらか。「暮の雪」(左写真)-純潔なまでの真っ白い花。太陽の光に反射してまばゆいほどだ。この白さは格別で白無垢の布が広げられたように輝くような白さなのだ。

梅、桜、つつじと、春の始まりから時々の花を見てきたが、どれも赤、ピンク、白といった色で飾られているのがおもしろい。つつじだけが橙色系統を含んでいるが、おおむね3色で構成されている。この3色が日本人の好みに合っているのだろうか。大体は花見といえば、梅、桜、つつじという事になる。まだもう少しつつじを楽しむ季節は続くだろう。するとその後は、秋の紅葉とか、一昨年高麗にいて見た萬曼珠沙華(マンジュシャゲ)やコスモスなどがあるだろう。

もちろん紫陽花や藤、花菖蒲など花の種類は無数にあるし、何処でもお花見は出来るだろう。しかし何といっても梅、桜は別格だという気がする。やはり赤、ピンク、白の色の組み合わせの華やかさが春という季節の中で、暗い冬からの目覚めを感じさせてくれるからだろう。

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免疫グロブリン・抗体について

4月18日(金)
 抗体(antibody)とは、リンパ球のうちB細胞の産生する糖タンパク分子で、特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して結合する働きをもつ。B細胞は細胞ごとに産生する抗体の種類が決まっている。自分の抗体タイプに見合った病原体が出現した場合にのみ活性化して抗体産生を開始することになる。

抗体は主に血液中や体液中に存在し、例えば、体内に侵入してきた細菌・ウイルスなどの微生物や、微生物に感染した細胞を抗原として認識して結合する。抗体が抗原へ結合すると、その抗原と抗体の複合体を白血球やマクロファージといった食細胞が認識・貪食して体内から除去するように働いたり、リンパ球などの免疫細胞が結合して免疫反応を引き起こしたりする。これらの働きを通じて、脊椎動物の感染防御機構において重要な役割を担っている。

「抗体」という名は抗原に結合するという機能を重視した名称で、物質としては免疫グロブリン(immunoglobulin)と呼ばれ「Ig」と略される。すべての抗体は免疫グロブリンであり、血漿中のγ(ガンマ)グロブリンにあたる。(参考Wikipedia)

 IgGはヒト免疫グロブリンの70-75%を占め、血漿中に最も多い抗体である・主に二次免疫応答において産生される抗体。[補体結合能][皮膚感作能][リンパ球][単球][血小板]などのFcレセプター(受容体)に対する結合能に重要。母児免疫に重要。

IgAはヒト免疫グロブリンの10-15%を占める。分子量は160,000。血液中および外分泌液中に存在し、粘膜感染における局所免疫反応に重要。

IgMはヒト免疫グロブリンの約10%を占める。分子量は970,000。通常血中のみに存在し、感染微生物に対して最初に産生され、初期免疫を司る免疫グロブリンである。

B細胞の分化に伴い細胞表面に発現し、細胞外刺激を伝達するレセプター(受容体)として、細胞分化や抗体産生に関与し、主にリンパ節、脾、骨髄、小腸粘膜、気道粘膜で産生される。血液型に対する凝集素、異物(細菌など)の抗原に対する自然抗体などは通常IgMに属する。

 今までIgMの増減に関しては注意深く見守ってきたが、そのほかの免疫グロブリンに関しては全く注意を払っていなかった。Y氏のブログで、「IgGを改善させるための免疫グロブリン製剤を点滴してきました。IgGが改善するまで行うのですが、現在の私のIgGは196で、これが300程度まで改善すれば終了とのことでした。」とあった。

私の場合はIgGが最低370なのでIgGに関しては免疫グロブリン製剤は必要ないと思われるがIgAは正常値よりかなり低く、放っておいても大丈夫かなという気がするが医師からは何の指示も出ていない。そこでIgMや抗がん剤治療とIgGやIgAがどのような関係にあるか分析してみようと思う。IgGとIgAは血液検査でいつも検査項目に入っているわけでなく資料は限られているが、手元にある中で見て調べてみたい。

IgGとIgAの数値がどうなっているか持っている資料から抜き出してみる。
 IgG 正常値870~1700、括弧( )内はIgMの数値、治療内容。
2006/10/2 539(995、VAD療法中、第2回移殖前) 11/10 501(290、移植後) 11/22 583(153) 12/6 852(84) 12/20 1040(78)
2007/1/10 1102(99) 1/24 1147(133) 3/7 989(170) 3/22 935(390) 4/4 991(526) 4/18 945(528) 5/2 889(740) 5/30 797(1150、MP療法開始) 6/13 661(1269) 6/27 609(1390) 7/11 555(1407) 7/25 526(1540、MP療法実施中) 11/9 337(1368、ベルケード療法実施中) 11/26 391(617)
2008/1/11 370(496、ベルケード療法実施中)

この内容から言って、抗がん剤の影響でIgGが下がるということはなく、IgMが下がる(正常値に近づく)につれIgGも正常値になっていっている。通常IgMが増加する(=腫瘍化した形質細胞が増加する)と、正常な形質細胞の生成機能が衰えIgGなどのIgM以外の免疫グロブリンの生成が阻害されると言われている。しかし、2007年4月以降は、IgMの数値や、抗がん剤の影響とは全く無関係に下がり続けている。1月10日が最新検査だが370という低い数値が免疫機能にどのような影響を与えるのか今度医者に聞いてみる必要がある。 

 IgA 正常値112~580、括弧( )内はIgMの数値、治療内容。
2006/11/2 56(481、第2回移植後) 11/10 42(290) 11/22 30(153)
12/6 19(84) 12/20 15(78)
2007/1/10 16(99) 1/24 27(133) 2/7 28(170)11/9 27(1368、ベルケード療法実施中)11/26 22(617)
2008/1/11 20(496、ベルケード療法実施中)

IgAは一貫して、正常値と比べかなり低い数値で推移している。特にIgMの影響や抗がん剤の影響が出ているわけではない。移植後IgMが78まで下がった時でも、ベルケード療法によって617まで下がった時もIgAの数値は低迷したままだった。

 1月11日の検査でIgGが370(正常値870以上)、IgAが20(正常値112以上)、IgMは4月16日検査で1160(正常値35~220)である。IgMは腫瘍化した(がん化した)形質細胞で作られているので抗体としての機能は果たせないだろう。またIgGとIgAはかなり低い数値であり、免疫機能が十分果たせる状態ではないだろう。

IgM,IgG,IgAの主要な免疫グロブリンの状態がかなり衰えていたり機能していなかったりしている状態であり、白血球が4月16日検査で2700(正常値3700以上)という状態と合わせてみて、免疫機能は不十分な働きしかしていないことになる。感染には十分注意しなければならない。

 形質細胞は骨髄中で作られる白血球の一種であるBリンパ球(B細胞)から生ずる。通常最近やウイルスが体内に入ると幾つかのB細胞が形質細胞に変わる。形質細胞は体内に入った各種最近やウイルスと闘うために様々な抗体を作り感染症や病気を防ぐ。

この形質細胞ががん化し形質細胞性腫瘍が生じると、健全な赤血球、白血球、血小板が発生する余地が少なくなり、感染症にかかりやすくなる。今の所、IgMの状態から言って形質細胞性腫瘍はそれほど増えておらず、正常細胞への影響はないと思われるが、増加することによって生ずる影響についは十分注意する必要があるだろう。

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天覧山から多峯主山-ハイキング

4月17日(木)
天覧山から多峯主山へ
特に何処に行こうということではなく天気が良かったので出掛けた。今日の夕方から明日、明後日と雨になるということで行っておこうと思った。西武線で飯能まで行った。駅で案内図でも探していく場所を決めようと思った。駅に「宮沢湖」の案内があった。天覧山から宮沢湖、高麗峠、巾着田、高麗駅というコースが書いてあった。

駅前にバスが止まっていた。そのバスは天覧山を通ると表示されてあった。奥武蔵野の山はあちこち登ったが、一番近い天覧山に行ったことがなかったので、行ってみようと思いバスに乗った。天覧山のバス停から5分ほどで天覧山の麓にあたる場所にある能任寺に着く。色々コース変更もあって、結局今回のハイキングのコースは以下のようになった。

飯能駅-バス-天覧山バス亭-能任寺-天覧山-多峯主山-高麗駅-巾着田-高麗駅

武陽山 能仁禅寺
s-tenranzan2.jpg一対の仁王像を配した大きな山門を通り、石段を上がるとさらに門がありそれをくぐると広い庭があり、本堂がその庭の奥にある。天覧山を背景として、広々とした境内は山の麓の寺院という落ち着きと静寂を感じさせている。庭の木々や背景の天覧山の木々は鮮やかな新緑で寺院を包んでいる。この寺院の案内には次のようにある。

「室町中期の文亀元年(1501年)に名僧斧屋文達により開かれた曹洞宗の名刹である。徳川家康の庇護のもと江戸中期の元禄から享保年間にかけては、七堂伽藍を備え、50人程の雲水をかかえる禅道場として栄えた。慶応4年(1868年)の飯能戦争(戊辰戦争)の本陣となり、宝物や古文書の多くを焼失してしまった。本堂北庭には市指定文化財の桃山時代の造園と推定されている名園「池泉鑑賞式蓬莱庭園」がある。」

天覧山
この寺院の裏手が天覧山の登山口だ。天覧山は、山麓にある能仁寺に愛宕権現を祀っていたので、もとは愛宕山と呼ばれた。それが時代を下り、徳川五代将軍綱吉の病気平癒のお礼に、生母桂昌院が十六羅漢の石仏を奉納したので、羅漢山と呼ばれるようになった。それが1883年(明治16年)に、山麓で行なわれた帝国陸軍大演習を明治天皇がこの山頂から統監したことにより、天覧山と呼ばれるようになった、と呼び名が3度も変わっている

ハイキングは病気になってからは一度も行った事はなかった。退院後の体力消耗が続き、副作用などで体力に自信が無かった。平地を歩く分には問題は無いが山登りは無理だと思っていた。一昨日3時間近く歩けたということもあって、また「この山は登山口から山頂まで、よく整備された登山道が通じており、わずか20分程で山頂に達することができ、このため、小学校の遠足や、子供連れの行楽で登れる山」と書いてあったので、どうにかなるだろうと思って上り始めた。

緩やかな坂を上りながら左右の景色を楽しむ。新緑の木々の間にミツバツツジとマメザクラが花を咲かせ春の気分を満喫させてくれる。天覧山中腹と書かれた所までは、舗装された緩やかな坂道だったが、そこからは本格的山道になる。山道に入ってすぐ十六羅漢がある。20数体の石仏が岩棚に無秩序に並んでいる。山頂付近は岩が剥き出しになっていて、かなりの急坂だ。しかし厳しい登りは3,4分で頂上に着く。

標高195メートルの低い山ではあるが、展望は良い。山頂からは南面に限り視界が得られる。眼下には飯能市街が広がり、遙か彼方には新宿の高層ビル群まで見える。奥多摩の山々の背後には富士山も望めるというが、実際にはもやっていて高層ビルや富士山は見えなかった。

多峯主山
天覧山の頂上から、高麗峠、巾着田を目指そうと思って山道を下っていった。巾着田は今菜の花が一面咲いて見頃だと書いてあり、行ってみたかった。しかしどこかで道を間違って多峯主山(とうのすやま)に向かっていた。途中義経の母・常盤御前にまつわる見返り坂、よし竹の伝説が残っている場所を通りながら山頂に向かう。山の名の由来は「多くの峰々の中の主」というもので、わずか271mの平凡な山容に何故このような名を付けたのだろう。

多峯主山山頂には、1765年(明和2年)築造の経塚があり、経文が書かれた約1万2干個の河原石が埋没されている。この山は雨乞の山でもあったようである。山頂直下に、どんな日照りでも涸れることのないという「雨乞の池」がある。昔はこの池の上手に闇淤加美神(水を司る神)が祀られていたらしい。また山頂直下には江戸時代の大名・黒田直邦(1666年~1735年)の墓がある。彼は50余年間将軍家に仕えた。その間、老中にまで出世し、上州沼田藩3万石の大名となった人物である。

多峯主山の頂上からの眺望は抜群だ。360度視界が開けている。東京方面が見えるというが、うす曇の天気で遠方は見えないが飯能市外や周辺の山々は完全に視界に入る。山頂には山桜やツツジが咲いて、公園のようにきちんと整備されている感じだ。

山頂から高麗駅方面に向かう道を下って行く。山道を15分位下ると武蔵台の住宅地の真ん中に着く。そこから駅までがかなりの距離だった。40分ばかりコンクリートの道を歩いてやっと高麗駅に着いた。そこを通り越して巾着田に向かう。

巾着田-菜の花畑
top-nanohana.jpg巾着田について観光案内には次のように書かれていた。「高麗川の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになった。 直径約500メートル、面積約17ヘクタールの川に囲まれた平地には、菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)群生地は辺り一面を真紅に染める。」

巾着田は2年前の秋、曼珠沙華を見に行ったことがある。その時はコスモスも咲いていて、広場には出店が立ち並び平日だったがかなりの人で賑わっていた。しかし今回は桜の季節も終わり、人はほとんどいなかった。桜は何本かは咲いていたが、ほとんどの桜は花を落としていた。最後の花びらを風が吹くたびにひらひらと舞い散らせていた。

その桜並木に囲まれて巾着田があり、そこには菜の花が黄色の海のように広がっている。その中に立ってみると黄色の洪水に流されそうになる位、圧倒的な迫力を持って色彩が迫ってくる。しかい一方で自然の懐に取り込まれたような安心感を覚える。

菜の花畑を囲む桜の木々のピンクと黄色の色彩が共鳴し合い絶妙な雰囲気をかもし出している。桜が満開の時はもっと鮮やかな黄色とピンクのコラボレーションが楽しめたろうが、桜かかなり散った今のほうが人出も少なく、ゆっくりと自然を楽しむにはいいのかもしれない。巾着田を囲む山々は新緑で彩られ、どちらかというと緑色というよりも白っぽく見える。木々が芽吹くとき最初は白っぽい芽を出す。それが山々の色彩を白く見せている。新しくすがすがしい感じだ。高麗川のせせらぎの音を聞きながら巾着田を後にする。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

定期検診の日

4月16日(水)
定期検診
2週間1度の定期検診の日だ。いつものように検診予約時間の1時間前に血液検査を済ませておく。IgMが極端に上がっていたならば、即明日からでも化学療法の併用を考えなければならない。メルファラン・プレドニンとの併用にしろ、ベルケード・デカドロンとの組み合わせにしろ、体に負担がかかるのは事実だ。抗がん剤では正常細胞の減少が見られ、ステロイドの使用によって中性脂肪の増加や、骨粗しょう症の恐れが強まってくる。今のサリドマイドだけだとほとんど副作用はなくかなり楽だ。

正常細胞の状態
今回の血液は検査の結果は白血球2.7(前回7.4)、ヘモグロビン10.6(前回10.8)、血小板9.6(前回7.3)であり、白血球以外は前回4月2日の結果と比べて減ってはいない。4月2日の白血球の数値は、今までが3から4くらいで上下していたことからいってむしろ異常値で、おそらくベルケード療法の時に使用したデカドロンの影響が出たのではないかと思う。

中性脂肪値はベルケード療法でデカドロンを使用していた時(3月12日)に、520まで上昇した。高脂血症の薬ベザトールを今まで朝1錠だったのを朝夕2錠に増やし様子を見た。4月2日には3月24日以降デカドロンを使用してない関係もあるのだろうが、数値は175まで減った。いかにステロイドの副作用が大きなものであるかつくづくと感じてしまう。ステロイドの影響で糖尿病になった人もいる。使わないで済むならそれに越したことはない。

IgMはどうなったか
問題はIgM値だ。結果は1169だった。4月2日には1161だったので、ほとんど増加していないということだ。確かに減らすことは出来ていないが、増加を抑えるだけでもきわめて大きな意味を持っている。サリドマイドが効果的であったということでひとまず安心だ。次回4月30日まではサリドマイド100mgを単独で飲み続けるということになった。このまま増加を抑えることが出来れば、化学療法との併用はなしで済ますことが出来る。かなり肉体的負担は楽になる。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

横瀬の里コース・羊山公園

4月15日(火)
昨日は午前中雨だった。一昨日も雨だった。今日は快晴だ。2日間家にじっとしていたので、郊外に出掛けたくなった。西武線沿線の近場はかなり回った。ハイキングはまだ体力的には無理だと思って、所沢より先は行かなかった。今日は思い切って秩父方面まで行ってみようと思った。レッド・アローに乗って飯能から先のどこかの駅で降りて周辺を散策しようと思った。列車に乗るということだけでも気分がいい。

特急が飯能以降で止まるのは横瀬だけだということで、横瀬で降りた。駅前では観光協会の職員が「秩父ハイキングマップ・横瀬の里」と「羊山公園」の案内パンフレットを配っていた。「桜の名所は何処ですか」と聞いたら「羊山公園で、芝桜はまだ3,4分咲だが、桜は満開だ」と教えてくれた。羊山公園には月末辺りに芝桜が満開になるので行こうと思っていたが、桜を見に行くのもいいなと思った。秩父の桜は都内より満開が10日位遅いという。横瀬や秩父方面の桜は今満開だということだ。北の方面に追いかけていくか、高い所に行けばひたすら満開の桜を楽しむことが出来るというわけだ。

羊山公園にそのまま行くのではなく少し駅周辺を歩こうと思い、配られた「横瀬の里ハイキングコース」を見て、このコースを行くことにした。全部回ると10km近くあり3時間30分程かかるらしい。羊山公園を回る時間を考え、また体力的な問題もあり、2ケ所ばかり飛ばし、「横瀬の里コース(巡礼道ハイキング)」巡りに出発した。このコースは「横瀬の里をぐるっと一周する道のり約9.6kmで、山里の景色を楽しみながら札所5番から10番までが参拝できる。」というものだ。

横瀬駅-札所9番明智寺-札所7番法長寺-札所5番納経所長興寺-札所5番語歌堂-札所10番大慈寺-羊山公園-芝桜の丘-牧水の滝-西武秩父駅

秩父札所巡り
秩父札所巡りなど全く興味が無かったが、「横瀬の里」コースにあるのでパンフレットを読んでみた。そこには次のように書かれていた。

「秩父札所三十四ヶ所は、秩父市・横瀬町・皆野町・小鹿野町に点在し、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに日本百番観音に数えられている。平安貴族の崇拝を集めた西国札所、鎌倉武士の興した坂東札所に対して、庶民の信仰によって支えられてきたのが秩父札所と言える。秩父札所が創設されたのは室町時代だが、初期の頃の巡礼者は修行僧や武士が中心だった。後に庶民にも札所巡りが広がり始めブームとなり、札所巡礼は江戸時代に最盛期を迎えた。」

34ケ所回ると100kmあるという。一泊2日で、タクシーを利用し34ケ所回るツアーもあるらしい。ご利益も何もあったものではない。札所を回った印として納経帳に朱印を押してもらい筆で書き入れて貰うことが出来る。朱印が増えていくのが楽しみになり、巡礼の励みにもなる。いわば大人のスタンプラリーのようなものだ。

明星山 明智寺 臨済宗南禅寺派
線路際を芦ヶ久保の方にしばらく戻り、左側に入っていくと明智寺がある。ここにも桜の気が何本かあり華やかに咲いている。花は寺の雰囲気を明るくしてくれる。札所9番の明智寺は建久二年(1191年)、明智禅師の開創と伝えられる。このお寺は安産子育ての観音菩薩(本尊:如意輪観世音菩薩)として有名で、毎年1月16日の縁日には各地より女性参拝者で賑わう。

青苔山 法長寺 曹洞宗
09b.jpg明智寺から本来のコースは西善寺に行くのだが、40分のかかるというので、299号線に出て法長寺に向かう。ひっきりなしに車が通る道路を10分ばかり行くと、横瀬川を渡る橋がある。そこから見える高台に墓が並んでいる。入り口は299号線から少し奥に入った階段を上っていく。札所7番法長寺(左写真)は、秩父札所の中では最も大きな建物で、別名牛伏堂とも呼ばれている。

門をくぐると正面に平賀源内の設計といわれる堂々とした本堂が建っている。本堂の奥に本尊の十一面観音が安置されている。牛伏堂といわれるのは諸説あるが、一説には牛が伏して動かなくなり、去った後から十一面観音像があらわれたことに由来している。法長寺からの道は札所巡りコースのために矢印の道しるべが要所に張られ、迷うことなく進んでいける。このコースは武甲山が何処からも眺められその壮大な風貌を飽きることなく堪能できる。

小川山 語歌堂 臨済宗南禅寺派-納経所 長興寺
武甲山を左に見ながら田んぼ道を曲がると小さな仁王門に出会う、そこが札所5番語歌堂だ。このお堂は、長興寺の壇徒であった本間孫八が、慈覚大師の作と伝えられている観音(准胝観世音菩薩)を得て、これを安置するために建立した。納経は、250mほど離れたところにある長興寺でおこなわれている。

万松山 大慈寺 曹洞宗
横瀬川を語歌橋で渡り車道をしばらく行き、山沿いの道に入って、こじんまりとしたいかにも山里の寺らしい雰囲気を感じさせる大慈寺がある。急な石段の上に仁王門を構えその風格は遠い時代を感じさせる。このお寺には本尊・聖観世音菩薩の他に多くの仏像があり、子育観音(金銅仏)、地蔵菩薩、十一面観音が安置されている。明智寺とともに子育観音としての信仰を集め、「おさる」と呼ばれる這子(ほうこ)が奉納されている。

羊山公園・芝生広場の桜
sakura1.jpg大慈寺からは車道を20分位歩くと羊山公園にぶつかる。ここから芝桜の丘まではさらに15分ばかり歩かければならない。桜並木の道を、左に「姿の池」を見ながら進む。右の小高い丘には「武甲山資料館」や棟方志功の作品が展示されている「やまとあーとみゅーじあむ」などがある。

「芝桜の丘」近くの「羊山公園芝生広場」には約800本の桜が植えらそれが全て満開だった。ソメイヨシノの淡いピンクと、ベニシダレザクラの濃いピンクが混ざり合って華やかな雰囲気を盛り上げている。家族連れなどがお弁当を持って芝生にシートを広げお花見を楽しんでいる。市内を一望できる「羊山公園」からは奥秩父、上信越の山々も望むことができる。

芝桜の丘
秩父のシンボルともいわれる武甲山の麓、羊山丘陵の斜面を利用して様々な色の芝桜を組み合わせて植裁されており、文字通りの「花のパッチワーク」が形作られている。毎年拡張と増殖作業が行われ、広さは約16,500平方メートルに広がり、ピンクや白、紫色など8種、40万株以上となったということだ。芝桜の丘の入り口周辺には出店や屋台が立ち並び、地元の物産や食べ物を売っている。12日から入場料300円を取るようになったということだ。この丘を維持するのも大変だろうとは思う。

66_sibazakura.jpg東側から眺めた斜面のデザインは、秩父夜祭の笠鉾、屋台の山車に乗った囃子手(はやして)が着こんだ紅白襦袢(じゅばん)模様をイメージしたもの、だそうだ。東斜面は7,8分咲だが、西斜面はまだ1,2分咲きといった所だ。しかしメインの東斜面がそれなりに咲きそろっていたので、来たかいがあったというものだ。

羊山公園から牧水の滝を経て西武秩父まで行った。牧水の滝には滝と水車小屋の傍らに、機織が盛んだった頃の秩父を詠った若山牧水の歌碑が建っている。駅に着いたのが14時30分で、11時30分から歩き始め、ほとんど休まなかったので3時間近く歩いた計算になる。良く歩いたものだと我ながら感心する。

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豊島区散歩-11 大塚周辺コース

4月12日(土)
豊島区観光案内の12の散歩コースの10番目「阿波踊りの町、大塚周辺コース」に出掛けた。朝のラジオ体操以外運動をしていないので、歩くのが一番ということで豊島区散歩コースめぐりを開始した。有酸素運動によって、中性脂肪を減少させ、骨粗しょう症を予防することが出来る。そのためのウォーキングだ。ベルケイドの副作用である末梢神経障害による足の痺れと、それに伴い長時間歩くことが出来なかったが、今はベルケイドの影響が薄まり、ガバペンという痛みや痺れの薬によって、歩行に支障がなくなっている。

現在のサリドマイドのみの治療が効果をあげることが出来なければ化学療法との併用をせざるをえない。それに伴う副作用によって、今のように色々な所に出かけることが出来なくなる可能性がある。行ける限り行っておきたい。コースは下記のように回った。

大塚駅→菅原神社→東福寺→大塚三業通り→巣鴨教会→南大塚公園→南大塚桜並木通り→天祖神社→大塚台公園→大塚駅

菅原神社
大塚駅から線路沿いを巣鴨方面に向かいしばらく行くと、急に道が狭くなり車がやっと一台と通れるくらいの幅になる。その狭い道を2、3分行くと、サトザクラが濃いピンクの花を咲かせている。そこに大きな鳥居が聳え立っている。今の時期は花をつけてはいないが紅梅、白梅が花を咲かすという。この神社は1532年頃、この近辺一帯の地主・保坂家の祖先が、屋敷神として敷地内に建てたのが始まりと言われている。祭神は菅原道真で、子安天満宮の別名がある。

東福寺 観光山 真言宗豊山派
sotsuka.jpgもと来た道を戻りガードをくぐり曲がりくねった道を行くと、少し高くなった所に墓石が立ち並んでいる。寺院の正面に回ると急な石段があり、頑丈な手すりが付いている。確かに下る時には手すりを伝っていかないと不安になる。その石段を上がると山門があり、そこに鉄格子の門があり、大きな南京錠で施錠され中には入れない。

東福寺(右写真)は元禄4年に小石川大塚より移転された。明治37年に建てられた庚申塔には、「左巣鴨庚申塚、向巣鴨監獄、右大塚道」と刻まれ、道標にもなっていたと言われている。本尊は十一面観世音菩薩。本堂は鉄筋コンクリート。左に墓所。右は鉄筋コンクリート2階建の庫裏と会館がある。  

大塚三業通り
東福寺からプラタナス通りに出る手前に三業通りがある。コースとは逆になるが大塚方面に向かって歩いてみた。しかし観光案内に書いてあるような風景は一向に現れなかった。案内には「昭和初期には白木屋デパートがあり、大塚は都内でも屈指の繁華街として賑わっていました。その頃の大塚三業通りは、花街として繁栄。今も、名残りを思わせる小粋な料亭や小料理屋があります。」とあったが、飲み屋とか食堂とかはあったが、昔ながらの雰囲気などはなく小さな町工場や、事務所などが立ち並んでいるばかりであった。

巣鴨教会
プラタナス通りを千石方面に向かっていくと、大通りを20m位入った所に教会はある。大きな看板が立っている。この教会は、大正7年に数寄屋橋より移転。牧師の田村直臣(たむら なおみ)は、教育にも力を注ぎ、苦学生を援助する「自営館」を経営。翌年には、教会附属幼稚園の先駆ともいえる大正幼稚園を創設した。

自営館で少年時代を過した作曲家・山田耕作が、当時の淋しい思いを詩人の北原白秋に語り、のちに完成した童謡が「からたちの花」。その碑が敷地の一角にある。

南大塚公園
公園の周辺はソメイヨシノに囲まれ、花の季節は去ってしまったが、巨木はさしずめ見事な花を咲かせていたのだろうと連想させるものであった。住宅地の中にあり、緑の木立が鮮やかな明るい公園で、入口には藤棚があり、懐かしい黄色い都電の車両(600型)も展示されている。鉄道好きには興味あるものだろう。

南大塚桜並木

プラタナス通りから、大塚2丁目、3丁目を経て都電の線路の所まで500m~600m位にわたって桜並木があった。こんな所にも桜並木があったのだ。わざわざ遠くまで行かなくても近くで桜を楽しめる所はいくらでもありそうだ。桜の花はもはや散り、緑の葉が芽吹いてきているのだが、まだ南大塚桜祭りの看板が立てられ、商店街が提供しているピンクの提灯が桜並木に張り巡らされていた。

天租神社
商店街の真ん中に神社はあった。喧騒の中に、木々に覆われた静寂の場所という感じだ。石段を登り、鳥居をくぐり境内に入って最初に気付くのが大銀杏だ。樹齢500年にもなる夫婦銀杏という。2本の銀杏の木は戦災にあって枯れたかと思われるほど長い間葉をつけなかったそうだ。それが最近になってやっと復活し、今見ているように青々とした葉を付けて来ているのだ。銀杏の生命力はかなりなものである。

この神社は、1321年頃、豊島郡の領主・豊島景村(としま かげむら)が、巣鴨村(今の豊島区のほぼ半分)の鎮守として伊勢神宮の分霊を勧請したのが始まりと言われている。祭神は天照大御神で、明治6年に天祖神社と名前が変わるまでは神明社・神明宮と呼ばれていた。

大塚台公園

広場は桜並木になっていて、サラリーマンやOLの昼休みの憩いの場となっているのだろう。公園はかなり広く、かつて北海道を走っていた、C58型のSLが展示されていたり、滝と水のすべり台を備えた浅い池もある。夏には小さな子供達の水遊びにとって絶好の場所となるのだろう。またキャッチボール場もあり、盛り沢山な公園だ。ここから大塚駅まで4、5分で着いた。駅の近くに公園があるのは、心にゆとりをもたらせてくれる助けになるのではないかと思う。

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サリドマイドと併用するのはベルケードかMPか

4月12日(土)
現在の治療内容は、サリドマイドのみで2週間試して見ようということで、サリドマイド100mgを寝る前に飲むだけだ。この薬による副作用は今のところ感じられない。サリドマイドの副作用として挙げられているのが、倦怠感、眠気、便秘、痺れ、めまい、抑うつ、運動失調、震え、吐き気、頭痛などである。100mgという量が少ないせいもあって特に体調に影響は無い。

次回16日の定期検診でIgMが下がればいいが、サリドマイドのみでは効果がないということになれば、化学療法との併用を考えなければならない。そうなるとその化学療法による副作用が出てくる恐れがあり、今のような体調を保つことが難しくなる。

担当医はベルケードとの併用はどうかと言っている。またシクロフォスファミドの名前も挙がっている。ベルケードとの併用がどの程度効果があるか、資料がないので分からないが、ベルケード療法だと月4回の点滴治療と、定期検診2回で月6回通院しなければならない。

これよりも、MP療法ならば月に2回の定期検診だけで、そこで薬の処方をしてもらえば済む。副作用から言えばベルケードは血小板の減少と、手足の痺れ〈末梢神経障害〉があり、MPでは、正常細胞全体の減少が見られる。但しサリドマイドとMPとの併用による奏効率が、38%と他の抗がん剤との併用と比べてかなり低い、その点も考慮に入れなくてはならない。(下記参考)

ベルケードとMP(メルファラン、プレドニン)のどちらもIgMの増加を完全に抑え切ることが出来なかった。しかし効果は恐らく無かったわけではない。何もしなかったならばもっとIgMは上昇していただろう。抑止効果は上昇しつつもあったと思われる。MP療法の上昇率と、上昇し始めてからのベルケード療法の上昇率を比較してみると、それほど違いがあるわけではない。そうであるならば楽な療法の方がいい。両者の上昇率をグラフにしてみると以下の通りになる。

MP療法での上昇
無

ベルケード療法での上昇
iii.jpg

参考:
HYPER-CDT: サリドマイド、シクロフォスファミド、デキサメサゾン-奏効率86%
TCED: サリドマイド、シクロフォスファミド、エドポシド、デキサメサゾン-奏効率78%
TVAD: サリドマイド、ビンクリスチン、アドリアマイシン、デキサメサゾン-奏効率100%
MPT: メルファラン、プレドニゾロン、デキサメサゾン-奏効率38%

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4人が死刑執行された

4月11日(金)
公園の朝
昨日は雨だった。空気は湿っているがすがすがしい大気が辺りを覆っている。早朝、公園の散歩に出掛けた。ソメイヨシノが花を散らし、茶色の葉を付けている一方で、サトザクラが花を咲かせ始めている。オオシマザクラ系の桜は葉と一緒に白い花を一杯に咲かせている。濃いピンクの八重桜系のものは葉はつけ始めているがまだ花は2、3個しかつけていない。2,3日で公園の様相は変わってしまっている。日々更新している感じだ。

ケヤキの黄緑色の葉はさらに大きくなり、カリンは赤い花を咲かせ始め、ミズナラはまだ少ししか葉をつけていないが、もみじも梅も木という木が葉を付けている。チューリップは花びらを落とす最後の華やかさで大きく開いている。デージーやパンジーは今を盛りと色とりどりの花を咲かせている。曇っていた空が晴れ、気温が急に上がってくる。

春のうららかで穏やかな空気が肺の中に入り込み、ゆったりとした気分でベンチに腰掛けて自然の中に浸かりながら身を任せている気分だ。まさにロバート・ブラウニングの詩『ピパの歌』がぴったりの雰囲気だった。

 時は春、/日は朝、
 朝は七時、/片岡に露みちて、
 揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、
 神、そらに知ろしめす。/なべて世は事も無し。(上田敏訳)


4人の死刑執行
公園から帰って来て、朝刊を見て驚いた。「なべて世は事もなし」どころではない。この驚くべき落差に愕然とした。穏やかな公園の空気と、4人の人間が国家の手によって首をくくられ死んでいったという事実があまりにも違いすぎてどうか考えていいか分からなくなってしまった。朝刊を見たといっても33面の「もっと知りたい」という「社会」の特集記事の一つとして取り上げられているのみだった。死刑執行のことは翌日には新聞から消え去るほど重大なニュースではないのか。

昨日は夕刊も見なかったし、ニュースも見なかったので全く気が付かなかった。4人の死刑が執行されたということだ。昨日の新聞記事やフォーラム90やアムネスティのホームページで情報を集めた。何という暴挙だ。2月1日に3人に死刑執行しておいて、2ケ月もしないうちに4人の執行を平然と行うとは、鳩山法務大臣の大量殺人に対して我々は何も出来ないのかと口惜しいばかりである。

新聞には以下のように書かれていた
「4月10日、死刑確定者の中元勝義さん(大阪拘置所)、中村正春さん(大阪拘置所)、坂本正人さん(東京拘置所)、秋永香さん(東京拘置所)に対して死刑が執行された。
今年2月1日に3人の死刑が執行されて以来で、鳩山法相が就任してからの執行は10人に達した。後藤田正晴法相が1993年3月に3年4か月ぶりとなる死刑を執行して以降、計67人が死刑執行された。執行数は前任の長勢甚遠法相の10人が最多だったが、鳩山法相は昨年12月7日の最初の執行からわずか約4か月でこれに並んだ。」

どう対応したらいいのか
我々は法務大臣に抗議文を送るしかないのだろうか。どのような行動によって死刑を廃止できるのか。日常生活のあまりにも静かな流れの底に漂う闇の深さを見極めなければならない。我々の日々の日常生活の営みの中に死刑を支えている論理が内在しているのだ。それは、我々が国家に与えた生殺与奪の権利なのだ。

死刑や戦争という国権の発動は、国家の名の下に、国民を殺すことが出来るという権限なのである。また同時に戦争においては他国民を殺す権限であり、自国民が死んでも責任を負わないそういった権限なのだ。それは我々が国家に付託したものであり、我々一人ひとりがそのことに責任を持たなければならないはずだ。

凶悪犯罪が増えているといった統計上何の根拠も無いデマゴギーを作り出し、マスコミは被害者遺族を担ぎ出し死刑判決を率先して扇動している。1990年からの10年間で一審の死刑判決が年間10件に達したのは95年だけだった。しかし2000年以降は厳罰化の流れの中で10件以上が続き2007年には14件だった。さらに地裁、高裁での無期判決も最高裁で死刑判決になるケースも多い。それがまた下級審判決に影響を与えている。昔だったら無期懲役だったと思う事件の判決で、死刑が言い渡される事例がかなりある。

「犯罪に対する世論の厳しい見方が、当然量刑に反映している」と裁判官は語る。世論は誰によって形成されているのか。我々一人ひとりの集合によってである。全ての人が世論を作る構成要素なのである。世論という大きな流れに逆らい抵抗し世論を変えていかない限り、流されるままである限り、皆が死刑執行に対する加害者でしかない。

参考: 「抗議声明」-死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90
「鳩山邦夫法務大臣は、今回の執行で、就任してわずか4ヶ月の間に連続して3回、合計10名の死刑の執行を行っており、まさに法務大臣就任時の“ベルトコンベアー式の大量執行”の実行である。これは、死刑の執行は慎重な上にも慎重でなければならないという法の趣旨を真っ向から踏みにじり、死刑の執行を好んで行っているとしか言いようがなく、法務大臣の職責に名を借りた大量殺人行為と言っても決して過言ではない。

鳩山法務大臣の異常な大量執行は、生命の大切さを尊重する考えを喪失させ、社会を荒廃させ、犯罪を助長させる。鳩山法務大臣の行為は、死刑廃止という世界の趨勢に真っ向から反し、死刑執行の停止を求める国連総会の決議や国際機関の勧告にも反するばかりか、日本の国際的信用を著しく失墜させるものであって、とうてい許されない。」

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『知られざる鬼才‐マリオ・ジャコメッリ展』

4月10日(木)
ジャコメッリ展に行く
マリオ・ジャコメッリの写真展に行って来た。『知られざる鬼才‐マリオ・ジャコメッリ展』と題して東京都写真美術館で開催していた。副題が「また見付かった、永遠が」とあり意味深い。写真美術館は恵比寿ガーデンプレイスの中にあるが初めて行く。ガーデンプレイスは昔仕事で三越に納品に行ったり、ガーデンホールで行われた展示会の設営に行ったりしたが、仕事が忙しく写真展を見る精神的余裕などはなかった。もっとも仕事が終わってビアガーデンでビールを飲んだりはしたが。

ガーデンプレースの中には麦酒記念館があり安価で色々な種類のビールを試飲させてくれる所もある。写真美術館の2階では、ジャコメッリ展が開催されていたが、3階では「シュールレアリズムと写真」〈痙攣する美〉をやっていて、両方に入ると割引になるということで両方のチケットを購入した。

マリオ・ジャコメッリ展に寄せて(写真展の案内より)
1950年代から写真を撮り始め2000年にその生涯を閉じたイタリアの写真家マリオ・ジャコメッリは、戦後の写真界を代表する写真家の一人です。イタリア北東部のセニガリアで生まれ、ほとんどの作品をその街で撮り続けたアマチュア写真家です。まとまった展覧会としては日本初となる本展では、「ホスピス」「スカンノ」「若き司祭たち」「大地」といった代表作のシリーズはもちろん、最晩年のシリーズまでも網羅し、強烈なハイ・コントラストで「死」と「生」に立ち向かい、孤高の写真表現で現実(リアル)を抽象した「ジャコメッリの世界」をご紹介いたします。

一地方に腰を据えた作風はイメージを素早く作り消費しようと待ちかまえる都会的趣向にそぐわない面がありました。じっくりと凝視を求める作風だと言えます。ジャコメッリの作品からは詩や絵画に近い語法を読み取られるかも知れません。そのように見えることもまた写真表現の持つ豊かさなのです。ぜひこの機会に我が国では「知られざる写真界の巨人」であり、「黒」と「白」とを見事に操り、内面に胚胎した思いを表現しつくしたジャコメッリの写真群をご鑑賞下さい。

ジャコメッリは何を表現しようとしているのか
2階の展示場に入ると平日の午前中ということもあって人が少なく静かな雰囲気がただよっていた。しかしそれはジャコメッリの写真が持つ静かさだったのだ。モノクロの映像が人の心の中に沈み込み、大地に沈み込みそこから言葉を発しているように時には激しく時には静かにそれぞれが自己主張を持ちながらメッセージを発しているのだ。「生」と「死」の狭間の中でもがき苦しみながらも生きるという行為の中で人としての尊厳を保ち続けている姿には心を打たれるものがある。

「スカンノ」「プーリア」「よき大地」など人々の生活の断面を描写し、その中で「時間」と「記憶」を浮かび上がらせていく。限りな続く日常性の連続の中で、それをありのまま受け入れていく人々の生活を被写体として定着させていくことを通して「永遠のいま」を実現させていこうとしている。

白と黒が生と死を意味するとも取ることができる。即ち全ての写真の中の人物、風景が生と死の共存と依存の関係の中に成立しているのだ。そういった緊張感が彼の写真中に存在している。「ルルド」と「ホスピス」の関係、生への願望と死への願望これは切り離せない表裏一体のものである。どちらも最後の生をどのように生きるかを模索しているのだ。

「今朝もね目が覚めちまったよ、昨夜も死ねなかった」ホスピスの老人が言った。ジャコメッリは言う「彼らを忘却の穴に押し込んでしまってはいけない。彼らの苦悩はもはや死ぬことでなく、悲惨な境遇にいることではないか。」こういった告発の意味を持ちながら写真を撮る。

「ホスピス」の中で彼はいい知れぬ孤独な生、人間は誰でも老い、そして死ぬというやがて来る宿命的結末を見つめながら、その現実を凝視し続けるのである。しかしその中に彼は死に行く者への畏敬の念を感じそれを映し出すのである。死を待つ老人たちの最後の曙光を写し出すのである。老人の顔の皺はまさに生の年輪であり、生の軌跡である。皺の一本一本の中に老人の全人生が刻み込まれているのである。老いも死も生と不可分な関係にあり、死があるからこそ生は輝きを増すのである。

「男、女、愛」という彼の作品は、若い男女の幸福の絶頂にある風景を映したものであり、確かに「ホスピス」と対極にある情景に見える。しかし「男、女、愛」の中に「ホスピス」は内在している。老いと死という宿命をはらみながら人は今という時間をいかに生きていくのかを問い続けていかなければならないこと、生と死の共存の中で生きていく以外ないということを彼の写真は訴えているのだ。

シリーズのコメント
ジャコメッリの写真はシリーズとして撮影されている。テーマを決め、その内容に沿って写真を撮っていく。展覧会場のシリーズ展示の冒頭に、その説明としてコメントが貼られ、写真撮影の背景や作者の想いについての紹介となっている。その幾つかを引用してみる。それは、ジャコメッリの写真の真意を知る手がかりとなると思う。

「ルルド」より
ひとに勧められてフランスの巡礼地ルルドへ出かけた。そこには世界中から奇跡を待つためにやって来た、座り込み動かぬ人々の群れ、行列する車椅子、動けぬひとを横たえる無数の簡易ベッド、制止する言葉の意味も届かない暴れ回る子どもたち、死を運命づけられたひとびとは何もあのホスピスに居る老人ばかりとは限らないことを悟る。「ホスピスでは誰もが死ぬことを願っているのに、ルルドでは誰もが生きることを願っている。」「死」と「生」がお互いに依存しつつ、共存していると確信した旅となった。

「ホスピス」(死が訪れて君の眼に取って変わるだろう)より
ルルドでジャコメッリは「死」と「老い」は不可分だと気付いた。「時間」と同伴せざるを得ない「生きること」は即ち「死そのもの」であり、「死」は即ち「生」なのだと。ホスピスへ戻り、心の指示通りにシャッターが押せるようになった。老いとは時間であり、時間と同伴せざるをえない「生きること」は即ち「死との共存」だ。その象徴が「皺」なのだとばかり、正面からのフラッシュは老人たちの皺を際立たせていく。

「風景」(自然について知っていること)より
01.jpg植物や農作物を育む大地もまた、生物同様「生」と「死」の問題を内包しているのではないかと思った。丘陵地帯の休耕地の農家に行き、トラクターで、彼の指示するような畝を描いてもらった。それは大地が内包した「老い」の、即ち「時間」の皺なのだ

「若き司祭たち」(私には自分の顔を愛撫する手が無い)より
セニガリアの修道院の窓から庭を見下していると、雪が降り出し見る見る白い世界を作っていった。若い司祭たちが雪を眺めようと三々五々建物の外へ出てきたので、ジャコメッリは雪玉を投げつけてみた。若い司祭たちはそれをきっかけに雪玉を投げ合ったり、走り出したり、ついには輪になって踊ったり、年令に相応しい遊びを始めた。彼らは、裾までの黒い揃いの司祭服を着て、白い世界で戯れ続けた。〈右写真)

「スカンノ」より
guide392.jpgローマの東、アブルッジ山塊のなかに中世がそのまま息づくような古邑、スカンノがある。伝統のまま男も女も黒い衣装を纏っている。石畳は強い陽射しを白く照り返し、家々の壁は漆喰で白く塗られている。黒と白のこの世界で村人たちは現在の「生」を営んでいる。教会を中心とした白と黒とで現出する光景は、ジャコメッリの眼にどう映じたか容易に想像できるだろう。この日常性の中にあるがままの生の真実が存在しているのだ。(左写真)

「この憶い出をきみに伝えん」より
セルフタイマーで撮られたこのシリーズはジャコメッリの遺作。死を覚悟して自身の人生を伝えるために、マスクをつけた人の背後や前面に、鳥を芸術的なもの詩的なものとして、犬を労働もしくは働いてきたことのメタファーとして配し、労働と芸術が彼の人生を支え続けたということを類推させている。夢の幾何学に従ったかのようにオブジェが空間に配され、彼自身も登場する。

「生」と「死」が綯い交ぜに出現する、あるいは同時併存するジャコメッリの世界はまたそれらの反復でもあった。「死」を象徴する「ホスピス」からジャコメッリの作品は始まり、彼の「死」で円環が閉じた。完全に構成されたこの作品によって、その円環はひとひねりされ、「生」でもあり「死」でもある彼の作品世界が、また大きな一つのメービウスの帯であることを示した

マリオ・ジャコメッリ展への特別寄稿
ジャコメッリの芸術は〈生の時〉と〈死の時〉をいま、いく度も静かに往還している。いつの間にか実時間を脱し、そうすることで〈とことわの時間〉を獲得したのである。すぐれてカラフルなモノクロームを表現しえたことで、万象の色彩をつとにこえた、魂の芸術である。(辺見庸/作家)

「いまを永遠に」「永遠をいまに」という写真家の願望を具現化した。時空を超越した写真がここにある。(細江英公/写真家)

フラッシュの光を無造作ともいえる手法で老人達に当て、このことで老人達の偽らざる死までの限られた時間を残酷な程明確に写しとめている。畑に描かれた幾何学模様を空撮で撮ったシリーズでは、この地平の模様は年齢に逆らえない深い皺を意味しているのだ。なんという強さで人間の、または自分自身の内面をえぐる作品だろうか。最も真摯に「生と死」を切り取った写真家の一人ではないだろうか。(ハービー・山口/写真家)

絶望や失望さえも美しく切り取ってしまう。『死』とは恐れだけではなく高潔な美しさも併せ持つのだと教えられた気がする。(福山雅治/アーティスト)

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表現の自由・映画 『靖国』 から考える-2

4月9日(水)

日本における言論の自由とは

教研集会への妨害
日教組の教研集会への会場貸し出し拒否は、明確に表現の自由への圧殺である。ホテルはそれに加担しているという自覚がないのか。これを強要する右翼団体の攻撃は言論・集会・表現の自由への暴力的破壊行為である。街宣は言論活動ではなく、純然たる暴力であり、今国際社会がそれこそ目の敵にしている「テロ」そのものである。

このことの重要性に対して日本人はあまりにも無自覚である。問題を引き起こしているのは右翼団体の方であって、日教組ではない。表現の自由へのテロリストは暴力的右翼ではないのか。これを許せば、人は暴力の前に何も発言するとことが出来なくなってしまう。こうしたテロに対しては、本来与党も野党も右も左もなく、言論の自由を擁護するためのリアクションをとらなければならない。それができない国家は民主主義国家ではない。

表現の自由と民主主義
F1267_CDV256.gif民主主義にあっては、適切な意思決定をなすには、その前提として十分な情報とそれに基づく議論が必要となる。情報を得、また議論をなすためには表現の自由は必要不可欠な権利である。いわば、表現の自由は、民主主義の根幹をなしているのである。

民主主義とは、主張をはっきり出し、その代わりその発言に責任を取る。主張をぶつけ合い闘わせあうことで社会を蘇生させ活性化させることが出来る。今多くの人が平板化し、他人に調子を合わせ論争しようとはしない。長いものに巻かれろといった流れの果には、社会は生命力を失い没落していってしまう。

議員による『靖国』上映妨害
『靖国』の上映妨害は右翼暴力団の街宣活動だけではない。『靖国』の上映妨害は国会議員が率先して行っていることに特に問題がある。教科書検定でも問題になったが歴史を捏造しようとする輩が今回は公然と検閲を行い、右翼団体に上映妨害を扇動したに等しい行為を行ったのだ。

保守系メディアが観もせずに「反日」とのレッテルを貼ったり、自民党の稲田朋美衆院議員ら歴史修正主義派の国会議員が国政調査権を盾に文化庁へ事前試写(すなわち検閲)をごり押ししようとし、結局配給元が国会議員向けの特別試写会を開くなど、上映妨害の動きが続いていた。

稲田朋美衆院議員は「論評する気はない」と言いながら、試写会後には「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」(朝日2008/03/13朝刊)と「論評」している。こうした一部国会議員の行為が暴力的ナショナリズムを扇動し、上映そのものが危うくなっている。これは映画製作者の「表現の自由」のみならず、観衆の「映画を観る自由」が脅かされている。

表現の自由をどうやって守るのか
我々はこういった表現の自由への抑圧行為や、暴力的破壊行為に対してこれ以上無自覚であり続けることは出来ない。こういったことを放置しておくことは、大本営発表以外何も語りえぬ時代を容認することになるのだ。

戦争中多くの作家や文化人が戦争賛美の詩や小説や歌や記事を書いていた。戦後それらを彼らは廃棄し何事もなかったかのように、戦後進歩的文化人の顔をして活躍している。そこには何の懺悔も悔恨も反省もない。こういた文化人の無反省な転進が現在の文化風土を作り、だからこそ表現の自由への抑圧に対して無自覚であり、無関心であるのだ。

戦争中もし無理やり自分の意思に反して戦争賛美の文章を書かされていた事の痛苦な反省があるなら、今の時代における表現の自由への抑圧の諸現象に対してもっと敏感に反応し、身を賭してまで闘わざるをえないはずだ。

教研集会への会場貸し出し拒否や、『靖国』の上映妨害などこの間の表現の自由へ抑圧の持つ意味を自覚し、語りたいこと、書きたい事も出来ない世の中にならないためにも、自己主張を明確にしなければならない。互いに「空気をよむ」ような世界、全ての人が右に習えという平板で自己主張もなく、他人に調子を合わせ、個を埋没させていくそういった生命力を欠いた社会を作らないために、民主主義の維持、発展のために、表現の自由への抑圧を許さない監視の目を持ち続けなければならない。

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表現の自由・映画 『靖国』 から考える-1

4月8日(火)
4月6日の朝、TBSで放送されているサンデー・モーニングで、映画『靖国』の上映中止の映画館が出てきたことについて、表現の自由との関係できわめて問題であると「風をよむ」のなかで取り上げていた。

『靖国』の上映を巡って

『靖国』の上映中止を決めた映画館
ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を予定していた東京、大阪の5館(4社)が相次いで中止を決めた。上映を予定していた「銀座シネパトス」に右翼団体が、先月20日午後、映画館周辺で初めて街頭宣伝活動を行った。3人が乗った1台の街宣車が映画の上映中止を訴えた。22日にも別の団体が来た。脅迫めいた抗議電話もあった。映画館は「過剰な自粛と言われるが、安心して上映できる環境を確保できなかった」と言い上映中止を決めた。

21.jpg『靖国』とはどういう映画か
李纓監督の「靖国」は、議論の多いこの神社の問題に取り組んだ初めてのドキュメンタリーだ。日本で十年もの間、取材した結果、映画は靖国神社(左写真)を巡り対比する様々な意見を描写する。

―過去の栄光な日々に思いこがれる右翼の活動家たち、それに反対する者たち、そして戦争の被害者たち。「靖国」は単純にこれらの異なる視点を並べるに留まらず、刀や天皇が象徴する意味を紐解きながら、日本人の無意識における靖国神社の意味を詳細に吟味する。
(KIM Byeongcheol)(2007年釜山国際映画祭カタログより)

著名人のコメント
帝都の霊廟より地湧する近現代の百鬼夜行。戦後はまだ、終わっていなかったのだ!(藤木TDC・フリーライター)

私はいつも「国家」を疑っている。靖国思想は「日本」という国と「日本人」という人々の作り出した「物語」のひとつである。この映画はそのような物語を信じてきた「日本人」の思想のあり方を問うている。(野中章弘・ジャーナリスト、アジアプレス・インターナショナル代表)

観終えてつくづく思う。不思議な場所だ。奇妙な磁場だ。引き寄せられる何かと、遠ざけられる何か。スクリーンに浮かびあがるその一つひとつの要素を凝視することで、この国のもうひとつのアウトラインが、きっとあなたの中に形作られる。(森達也・映画監督/ドキュメンタリー作家)

「靖国神社」は日本に存在する多様で複雑な軋轢を見せてくれる。アメリカ人に対する日本人の立場と靖国参拝に対する支持と反対。「都合のいい歴史だけを記憶し、都合の悪い歴史は削除する」という日本人の姿が、現在の靖国神社が置かれている位置を浮かび上がらせる。(文・チョンジェヒョク ピープル誌より)

憲法の表現の自由とは

表現の自由は、民主主義の根幹をなしているのである。1689年の権利の章典など西欧の市民革命の中で勝ち取られてきた権利であり、1948年の世界人権宣言第21条、1976年の国際人権規約B規約にも定められている。

日本では1946年制定された日本国憲法第3章「国民の権利及び義務」の第21条第1項において「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定されている。

表現の自由に対する暴力的敵対

赤報隊事件
1987年1月24日、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれ、赤報隊から犯行声明が出された。声明には、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」とあった。同年5月3日の憲法記念日、朝日新聞阪神支局で1人の記者が散弾銃により射殺され、近くにいたもう1人の記者も全治3ヶ月の重傷を負った。

本島長崎市長・銃撃事件
1990年1月18日午後3時頃、長崎市長の本島等さん(当時67歳)が市役所正面から公用車に乗り込もうとした時、長崎市に本拠地を置く右翼団体所属の田尻和美(当時40歳)が至近距離からピストルを撃った。本島市長は倒れ病院に搬送された。田尻は周辺にいた市関係者らが取り押さえ警察に引き渡された。「昭和天皇には戦争責任がある」との発言に対して憤慨、反発のため銃撃したことを自供した。

伊丹十三襲撃事件
『ミンボーの女』はヤクザの民事介入暴力(略称:民暴)をテーマとする作品で、この作品が公開された1週間後の5月22日(1992年)夜に自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。

加藤紘一衆議院議員の実家放火事件

2006年8月15日には山形県の実家・事務所が放火されるという事件が起きた。犯人は右翼団体大日本同胞社の相談役であった堀米正広(犯行当時65)であった。堀込は後に懲役8年の判決を受けたが、加藤が事件当時小泉純一郎総理の靖国神社参拝を批判する発言を繰返していたこともあり、言動と放火との関連が取り沙汰された。

日教組の教研集会の中止
2008年2月2日~4日に行われる予定だった日教組の教育研究全国集会(教研集会)でホテル側が会場(グランドプリンスホテル新高輪の大宴会場)提供を拒否、初日の全体集会が中止になった。司法判断は会場使用を認めた。

戦前の言論弾圧


横浜事件
戦時中の1942年から終戦前にかけての言論弾圧事件。雑誌「改造」に掲載された故細川嘉6氏の論文が共産主義の宣伝とされ、神奈川県警特高課が、富山県の旅館で開かれた細川氏の出版記念会を「共産党再建準備会議」とみなし、治安維持法違反容疑で改造や中央公論の編集者ら約60人を逮捕。30人余が起訴された。4人が獄死している。

東京高裁は05年3月、元被告らの自白は拷問(「裸にして縛り上げ、正座させた両足の間に太い棍棒を差し込み、膝の上に乗りかかり、ロープ、竹刀、こん棒で全身をひっぱたき、半失神状態に……」 )によるものだったと認定、「拷問による自白は信用性がない疑いが顕著で、無罪を言い渡すべき新証拠がある」と指摘し、横浜地裁の再審開始決定を支持(確定)した。

この再審開始受けた再審裁判において1、2審判決は治安維持法の廃止などを理由に審理を打ち切る「免訴」とした。そして08年3月14日、再審上告審判決で、最高裁第二小法廷は、1,2審判決を支持し、元被告側の上告を棄却し、再審が確定した。有罪か無罪かの言及はなく、裁判手続きは事実上終結した。(つづく) 

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辺見庸・講演会 「死刑と日常」-3

4月7日(月)

辺見庸の講演-3

天皇制ファシズム
世間としてのテレビ、新聞が喜ぶものそれは皇室だ。世間は天皇に帰着する。天皇制ファシズムは世間に乗っかっている。阿部謹也という学者がいる。彼は、世間の研究をし『近代化と世間』という本を出版した。日本的ファシズムの温床である世間の怖さ、底知れぬ不気味さを知っていた。その彼が何故紫綬褒章をもらったのか。

串田孫一さんという立派な文章を書く人がいる。彼もまた紫綬褒章を貰った。世間に浸かっている半身と、リベラルなことを語っている半身を使い分けている。パラノイアの法務大臣は自らルサンチマン(怨恨)を背負う。この法相より勲章を嬉々として貰う進歩的文化人の方がよっぽど悪質だ。阿部謹也は勲章を貰いに宮中に行くということがどういうことか分かっていたはずだ。しかし世間を知れば知るほど、その力に逆らえなかったのだろう。見知らぬ他者への愛、思いは薄くなっていくばかりだ。

世間と死刑
死刑執行の時、踏み板を落とすボタンが5つある。責任を分散し、主体を分散する。これは世間と同じだ。ボタンの先は我々だ。世間が死刑というシステムを支えている。無機質の殺人と通常の殺人とは違う。世間の中に死刑に関する黙契がある。死刑はあらゆる分野のテーマである。死刑の賛成論も反対論も死刑の持つ本質的なものに追いついていない。

EUのホームページに死刑について書かれている「いかなる罪を犯しても全ての人間には生来尊厳がある」「暴力の連鎖を暴力で断ち切ることは出来ない」。EUの死刑廃止は歴史意識の一環である。生命の絶対尊重と、人格は不可侵であるという理念を明文化したものである。133ケ国が死刑を廃止し、64ケ国が存置しているが、実際に執行している国はもっと少ない。日本の世論は死刑を残酷なものと考えない。マスメディアは重罪事件で死刑判決が出ないと騒ぎ立てる。マスコミは諧調を維持し、個人は陥没し、個人のない所に愛はない。何という悲しい日常性の上に我々は立っているのか。

世間とは何か
世間の3原則というものがある。1.義理人情、2.感情的(エモーショナル)、3.心理的拘束(排除されることを恐れる)。死刑廃止を語る場合、世論の集合的エモーションとの対決が必要だ。「麻原を殺せ」世間感情は許さないとなる。司法は世間を背負っている。裁判員制度は司法を世間に包摂するものである。世間が正しいこととするのは大勢に従っていくことである。

『ブリキの太鼓』のギュンター・グラスが70歳を過ぎてから、自分がナチスの武装親衛隊の一員であったことを告白し、新聞が大きく取り上げた。17歳の時召還され,1年足らずいただけだが、彼は70歳に至るまでずっとそのことを恥として苦しんでいた。ここに日本人とは、自分の個と歴史についての考え方の画然とした違いがある。

4000人の医療関係者が、中国や韓国で人体実験をやっていた。麻酔もかけず体を切り裂いていたのだ。やったと告白したのはたった一人だった。戦争を担ったその他大勢の一人として、個としての自らを埋没させ、責任を分散させ、そのことによって取ろうとせず、世間に埋もれ、忘れ去ってしまう。皆と同じことをやったのだという納得の仕方を持って個を否定することの代償として責任を回避すること選択していくのである。

世間は当惑することを嫌う。全て諧調でなければならない。愛、それを実現するには世間を当惑させることになる。黙契から離脱するにはどうしたらいいのか。少なくとも自分の半身にある世間を対象化する。当惑させることを恐れない、単独者としての愛を実現する。困難な被告人を弁護するのが愛なのである。もっと乱調を作り出していこう。敗北者、挫折者、臆病者の眼で世界を見る。崩壊感覚で見る。人間という時間的連続性を見る。

死刑と戦争
死刑は国権の発動である。自国民の生殺与奪の権利を国家に与えるという黙契である。他国民にも死刑を拡大していくのが戦争である。国連やEUは死刑廃止を言ってはいるが、それは平和時の通常犯罪に対してであり、有事の際の死刑は権利として認めている。死刑廃止国が戦争で多くの他国民を殺している。

ローマの兵隊が、捕らえた者たちに聞く「スパルタクスはどこにいるか」。これに対し全員が「スパルタクスは私です」と答える。これは個を浮かび上がらせていく有様である。日本で例えば徳田球一は何処だと聞かれたら、良くて黙っていることだろう。殺されるかもしれないことが分かっていてなお自らを徳田球一と名乗りはしない。この有り様が本質的愛に繋がっていく。この愛が死刑を拒絶するよすがになるのではないか。自我、個、愛のありかを見定め、人であり続けるため、死刑を止めてくれと叫びたい。 終了 

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辺見庸・講演会 「死刑と日常」-2

4月6日(日)

辺見庸の講演-2

死刑が執行された
2月1日午後のニュースで3人に対する死刑が執行されたと放映された。私には獄中の死刑確定囚で交流している人がいる。彼からしばらく前に再審が棄却されたという報告を聞いていた。ニュースを聞いた時、彼が執行されたのではないかという思いがよぎった。その途端、体の右半身が硬直し動かなくなってしまった。極度の緊張感が体を麻痺させたのだ。後で彼でないことが分かった。知り合いだと全く感じ方が違うと思った。

死刑執行とは無味乾燥なものではない。強烈な音と匂いに満ちている。被造物の最後の音と匂いなのだ。ロープの軋む音、頚骨の折れる音、舌骨の砕ける音、鼻血、失禁、脱糞、射精、音が響き、匂いが立ち込める。ロープを首に掛ける時2人の刑務官が行う。足元の床板を落とすボタンは5人で同時に押す。誰のボタンで床板が落ちたか分からない。責任を分散させる。床が落ちてから平均14分位痙攣する。医務官が死んでいるか確認する。「絶脈」「心臓停止」と叫ぶ。刑務官の責任者が「本日の執行無事終了」と叫ぶ。乱調を排除し、日常性が全てを包んでいる。

「ダンス・イン・ザ・ダーク」の死刑執行の場面は凄い。頚骨の折れる音が聞こえる。自分の子供のために死ぬことになるのだが、執行に対して死にたくないと叫ぶ。騒ぎ抵抗する。係員はボードに彼女を縛り付け執行を行う。何事もなかったかのように。

死刑とは何か
1_convert_20080406215249.jpg2006年12月25日クリスマスの日に死刑が執行された。欧米の新聞は蛮人の国と非難した。執行された4人の内の一人は75歳の高齢で病人であり、車椅子がなければ自力では歩けない。この自分では立てない老人を両脇から抱え縄を首にかけ執行することが可能である倫理はどこにあるのか。これは法律かモラルか。こういったことを考えるきっかけが我々の日常の中にないのではないか。人としてのモラルはどこにあるのか。時間的連続性が人間である。これを絶つ権利は何処にあるのか。

執行された4人に対して憎しみ、悪意があったのか。刑場に狂気はあったのか、情欲、殺意、情動、悪意、倒錯はあったのか。何もなかった。執行は予定通り行われた。情動のない殺人である。通常の殺人にあるものがない。No bodyが殺人を行っている。

年間何十万頭の犬が殺されている。犬をガス室に連れて行く。何の情動も殺意もない、有用が無用かで判断される。都合のいい愛だ。犬が殺されるのを見ると泣けてくる。責任を追わなくていいからだ。死刑執行では涙を流すことは出来ない。

死刑と日常性
鳩山法相は犬好きで知られ、ポメラニアンを溺愛している。自然との共生を政治信条としている。動物愛護議員連盟の会長である。その彼が次々と死刑執行書にサインしている。これはパラノイア(偏執狂)であり、メニアックだ。パラノイアを規範としている。何故それを許すのか。日常性の中で死刑は薄められ無化し、簡単に諧調を取り戻す。復元力が強い。日常性の中で比較すべき外がない。社会が日常の中で自省、対象化できない構造になっている。本当の愛がない。愛は集団でなすものではない。

日本は日常の中で死刑が根付いている。日常の中で自分を映す鏡がない。鏡に私というものが映っていない。「空気が読めない」この言葉は、他者を日常性の中に埋没させるものであり、世間の論理を強要するものであり、理由のない諧調を作り出すものだ。それはファシズム的主体の形成である。日常の中で自覚的に練り上げられた言語がない。身体を掛けたような言語世界がない。ぬえ(色々な動物が組み合わされた怪物)のようなファシズムであり、それを創るのは主体のない我々の日常なのだ。

世間との闘い
君が代斉唱の時、起立しなかったということで根津さんという教員が停職6ケ月の処分を受けた。彼女は「正しいと思ったことは一人でもやる。それが生徒への教育方針だ。」という。彼女は孤立無援で闘ったのだ。一昨年処分された教職員は98名という。あまりにも少なすぎる。組合には個人がない、個人の主体性、個性がない。そこに愛がない。根津さんは日本的日常と闘っている。我々が闘わざるをえないものは世間である。しかしそれは絶望的で孤独な闘いだ。

新聞、テレビは99%世間である。多くの進歩的といわれる作家たちは半身を世間に埋め込み、半身でリベラルなことをいう。戦後民主主義は世間ではなかったのか。文学や詩は世間を超克しえなかった。世間は大暴走し始めている。

世間の力の波及
JR岡山駅で駅員を突き落とした被疑者の父親が記者会見で謝罪していた。何故父親が謝罪の記者会見をしなければならないのか。これは世間を受けたマスコミが、世間に強いられた父親にインタビューしたということである。ここまで世間の力が波及してきている。

2003年に鴻池という文部官僚が「被疑者だけでなく、その親も市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と発言し問題発言としてたたかれた。しかし5年後の今日、かっては陰でいわれていたことが、メディアが世間と合体し公然と言うようになった。世間がネットで拡大している。世間は加重し、個人的愛は薄くなってきている。鳩山法相の「自動的に死刑執行を、乱数表で、ベルトコンベアー方式で」といった発言が世間の怒りとならない。死刑存続賛成が8割を占めている。彼が世間を背負っているのだ。

光市母子殺人事件の弁護士に対してネットで「公共の敵」と扇動した発言があった。また「あの弁護士は許せないと思ったら懲戒請求するべきだ」という弁護士としては自殺行為である発言を弁護士がした。その弁護士が知事になるという世間というものの恐ろしい実態を見る思いがする。彼こそマスコミが、テレビが生み出した排出物だ。弁護士は弁護困難な人間に愛を傾けることこそ真骨頂だろう。

世間は社会とは違う。日本には本当に社会などあったのだろうか。世間のままではないか。社会が社会で、個人が個人であったためしがない。今の社会を支配しているのは世間である。世間では本音と建前を区別し、個を陥没させ、無私が期待される。学校、マスコミ、テレビが世間を背負っている。(次回に続く)

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辺見庸・講演会 「死刑と日常」-1

4月5日(土)
講演会の趣旨
henmi_convert_20080409062213.jpg「辺見庸・講演会」が「死刑と日常」という内容で、14時から九段会館の大ホールで行われた。このホールは1000名収容できる所で、ほぼ満席に近いほど人が集まっていた。主催は「死刑廃止条約の批准を求めるフォーラム90実行委員会」で、「毎日新聞社出版局」が協力という形になっている。辺見庸が発言の内容を次のように要約して表現している。

―闇の声あるいは想像の射程について―すべての殺された者たちの魂を心から悼まなくてはならない。「国家」によって殺された者たちの魂をも、ひとしく心から悼まなければならない。なにげない日々の泡にかくされた、相次ぐ「国家の殺人」を、いますぐにやめさせなくてはならない。なにより、私たちの〈暗黙の了解〉と〈暗黙の委託〉を、たったいまやめなければならない。遠い闇の声に、じっと耳を澄まさなければならない。

海野幹雄のチェロ演奏
集会は突然チェロの独奏で始まった。演奏者は海野幹雄で20分ばかりチェロの音色を聞かせてくれた。静かで穏やかな音色は心の中の鬱積を洗い流してくれるようだった。演奏後の辺見庸の説明によると、国家によって殺された人達を悼むためにチェロの演奏をしてくれる人はいないかと主催者に問い合わせた所、海野幹雄を紹介されたということだ。だからあのような静かな曲ばかり演奏したのだと趣旨が分かった。バッハの「無伴奏チェロソナタ」やカザルスの「鳥の歌」などが奏でられた。カザルスの「鳥の歌」はスペイン革命での戦死者に捧げた曲である。そういった意味でぴったりの選曲であった。

辺見庸の講演-1

愛について
4年前脳血管障害で6ケ月入院した。この病気は体の動きが意思に従わない病気だ。入院中考えたことは愛、死、痛みについてである。愛それはどういったものなのか。世の中で有用でないもの、無価値なもの、邪悪なもの、すなわち人間の持つ不条理性に対して、むしろ不条理ゆえの愛、不合理であるが故の愛を貫けるのか。不都合なものを個として愛せるのか、寄り添うことが出来るのかを自らに問いかけなければならない。この思考の薄暗い場所、最前線に立つことが出来るのか。

今まで利己的で、都合のいいものを愛して来たのではないのか。飢えた人、裸の人、富のない人、体が不自由な人、愛されていない人、誰からもケアされていない人、病気の人、必要とされていない人。このような不必要で無価値な人を愛せるのか。

マザー・テレサの本を読む機会があった。彼女は何て厳しい人なんだと思った。愛については私の理解(キャパシティ)を超えている。「あなたが愛しているのは自分に都合のいいものでしかない。」本当に病気で体が腐っていくような人を抱くことが出来るだろうか。マザー・テレサは「不都合なもの、不条理なものを愛することを自分に科してきた」という。

マザー・テレサは言った。「愛の反対は無関心だ。」彼女の放射していたのはラディカルで、暗くて、孤独であった。彼女は1959年の手紙で「神の沈黙に絶望した。孤独にさいなまれている。」と書き記した。不条理な愛を貫くことがどれほど孤独なことなのか、彼女は自らの実践の中で語るのである。

痛みについて
痛みのあり様は説明できない。何人も他人の痛みを感ずることは出来ない。痛みは固有なもので、計算できない。自分の痛みが一番痛い。痛みは非共同的であり、孤独なものである。誰も他人の痛みを共有できない。痛みを共有しようとすることは主体的徒労に終わる。他者の痛みに架橋することは出来ないのか。痛みの中で互いの孤独を認め合うことが必要だろう。愛と痛みから演繹される人のイメージ、人の定義とは「人とは連続的時間帯」であるということだ。常に変わっている連続性なのである。しかし死刑は時間的連続性を断つものである。

日常性について
「世界が滅びる時に健康サプリメントを飲んだり、レンタルビデオを返しにいったり、死刑を予定通り執行したりする」これは「狂っている」としか言いようがない。しかしこれこそ日常というものだ。日常は限りなく強く、諧調という太いパイプに貫かれている。

ボイルド・フロッグ・シンドローム(ゆでガエル症候群)。これは湯の温度を段々上げていくとそのことに気が付かないカエルは死んでしまうということだ。徐々に慣らされていくとどんな理不尽なことでもそのことに無反応になってしまう。地球温暖化の問題もそうだが差し迫る危機に全く気が付かない。日常性の中に埋没しきっているのだ。

1日2ドル以下で暮している貧困層は4分の1、1ドル以下の貧困層は15%と言われている。日本では自殺者が年間3万人いる。何年間も3万人以下になったことがない。カミユは死刑の対極は自殺だといった。日本は死刑も自殺の世界最大である。こういった国に我々は存在している。

被造物としての人間の尊厳
痛みから出発し、他者の痛みがわかる橋渡しこそ必要だ。病気になってからの4年間、この時間を変えて欲しいとは思わない。病気によってかけがえのない勉強をした。マリオ・ジャコメッリ(注)という写真家がいる。彼の撮ったホスピスの写真がある。壊れていく人間から感じられる存在することの畏敬をその写真は適確に捉えている。

私の入院していた脳血管障害関連の病棟には認知症の人たちもいる。土曜日の夜、見舞いに来る人もなく、死ぬのを待たれている人達、彼らはじっとテレビを見ている。彼らを見ていると壊れ行く者の残照が、畏れと敬意、崇高なものが感じられる。それはヒューマニズムではない。被造物の凄さであり、内面から何かを見ている姿である。
(講演はこれで3分の1位である。明日に続く)

注:マリオ・ジャコメッリ
ジャコメッリの作品からは、詩や絵画に近い語法を読み取られるかもしない。そのように見えることも、また写真表現が持つ豊かさなのだ。強烈なハイコントラストで「死」と「生」に立ち向かい、孤高の写真表現でリアルさを抽象した。(「知られざる鬼才‐マリオ・ジャコメッリ展」 3月15日~5月6日 東京都写真美術館)

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豊島区散歩-10 千早・千川公園巡り

4月4日(金)
今回は変則の周辺探訪となった。峯孝の彫刻を見るつもりで出掛けたが、展示館が閉まっていたので千早と千川の公園巡りをした。さしずめ「千早・千川公園巡りコース」という所だ。

峯孝作品展示館→千早公園→千川堤通り→千川彫刻公園→千早2丁目児童遊園→千早緑地公園→千早フラワー公園

峯孝作品展示館
午後になってから周辺の散歩に出た。峯孝の作品の展示場があると聞いて地図で調べて出掛けた。展示館の案内には次のように書いてあった。「彫刻家・峯孝氏の作品展示館が、2004年4月11日にオープンしました。制作に使われていた峯孝氏のアトリエが公開され、ブロンズ、石膏、テラコッタなど約700点の彫刻が展示されています。東京国立近代美術館や箱根・彫刻の森美術館を始め、北海道や熊本の美術館など各地で峯孝氏の作品が展示されていますが、試作、原型を含む貴重な作品群が、一挙に見られるのはここだけです。」

しかし行ってみると閉まっていた。月曜以外は9時から16時30分まで開館と書いあったのだが、実際は、日曜の午前11時~午後4時のみとなっていた。この展示場の周辺がつつじヶ丘アトリエ村と呼ばれていた所である、という表示が展示場の前にあった。ここが空振りに終わったので周辺の公園回りをすることにした。

池袋周辺2001_convert_20101127171426  池袋周辺2002_convert_20101127171517
 展示館入口のモニュメント                 展示館の建物     

千早公園
豊島区の公園はよほど桜が好きなのだろう。何処にもある。この公園は特に多く10数本の桜の木が公園を囲んでいる。お花見の名所とまで行かなくても十分に花見の宴会が出来る状態にある。またこの公園は色々と趣向を凝らしている。バラをからませたフェンス、小高い台地の斜面に自然石を並べ、渓流を思わせる趣き、クチナシや金木犀など香りの強い植物を植えてある「かおりの道」など様々なアイデアを持って作られている。

千川提通り
要町通りを渡り彫刻公園を探して周辺を回っていると、千川小学校(現在は廃校)の校庭の前が桜並木になっていて、そこに千川商店街が掲げた「千川提桜祭り」と書かれた大きな横断幕がはられていた。桜の木にはお馴染みのピンクの提灯が下げられていた。

千川提とは何処だろうと思って歩いていると、小学校の裏を走っている道路には、何百メートルにも渡って桜並木が続いていた。道路はピンクの絨毯のように桜の花びらが敷き詰められていた。しかしまだ桜の木は十分見ごたえのあるほど花を付けていた。その道路を15分ばかりかけて往復した。思わぬ拾い物をしたという感じだ。まさかこんな所に桜並木があるとは思わなかった。

千川提通りは昔千川上水が流れていた。千川上水は江古田方面から千川通りを経て、この千川堤通り、そして大山から掘割(中山道と明治通りの交差点)の千川上水公園まで至るのである。

千川彫刻公園

枯山水のある庭園風の空間の中に4つの彫像がインパクトを与えている。彫刻家・中野素昂(なかのそこう)のアトリエ跡地に造られた公園で、峯孝の「春」(右写真)、中野蒋の「少女と仔やぎ」、中野素昂の「空をみあげる」や「坐像」の4体のブロンズ像が静かな公園に安らぎを与えている。ももの木が3本、桃色の花を可憐に咲かせていて、公園に明るい雰囲気を漂わせている。

haru_convert_20101129171603.jpg 峯孝の「春」

千早町2丁目児童遊園
児童遊園といっても公園の隅に滑り台があるだけだ。ここにも桜が5、6本植えられている。桜の花びらがはらはら舞い落ちる様は公園の様相がそれ程でなくとも感激するものである。この公園は周りを木に囲まれ、真中が広場になっている。広場に散った桜はあたかも雪が降ったような風情をかもし出している。毎日早朝何人か集まって太極拳をやっているそうだ。そういった催しには向いている公園だ。

千早緑地公園
この公園は面積がそれほどないが、色々工夫がしてあってバラエティに富んでいる。狭い中にぎっしりと様々な趣向を詰め込んでいるといった感じだ。藤棚、庭石、石燈篭、手水鉢などレイアウトした日本庭園や西洋風庭園のパティオ(中庭)の一部が設置され、いろいろな庭の雰囲気が楽しめる。約17種類のいけ垣の見本も展示されている。

千早フラワー公園
1ケ月位前に行った時には花壇の花は枯れていたが、この時期になれば新しい花が植えられているだろうと思って行ってみた。案の定、植えたばかりだという雰囲気で全ての花壇の花が所せましと植えられていた。春の花の鮮やかな色彩がまぶしいほどであった。パンジー、チュリップ、テージー(ひなぎく)、ポピー(ひなげし)、マーガレット、スイセン、ヒヤシンスほか名前の知らない花々が競い合って咲いている。

今は冬でも花屋で多くの花を買うこともできるが、やはり春は違う。この公園の花々は、春こそ花の季節だなとつくづく感じさせてくれるものであった。また山吹がまさに山吹色の花を咲かせ、舞い落ちる桜の花の色と好対照をなしていた。菜の花畑もシンプルだが春を感じさせる一番の素材であることは確かだ。

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 千早フラワーパークの花壇

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

地球温暖化について考える

4月3日(木)
昨日、TBSで夕方6時55分から「報道大河スペシャル 命の地球…警告!今そこにある50の危機 私たちにできることは?」といった特集番組をやっていた。番組の趣旨としては「地球と人類にとっての最大の危機とはどう行くことか。その危機を乗り越えるために人間には何ができるのかを探る。」というものだ。そこで扱った内容を箇条書きにしてみる。地球環境、地球温暖化の現段階を考えるための参考にしていきたい。

日本国内-異常気象
2009年9月の台風9号による大雨、洪水。最盛期勢力は965hPaだったが、この最盛期に近い勢力で静岡県に上陸した。首都圏をまっすぐ北上し、東日本を縦断し、関東地方などで台風の進行速度が遅かったため長時間の大雨・暴風さらされ被害が相次ぎ、それに伴う交通機関の大混乱を引き起こし、また多数の死傷者を出した。

宮崎県海底を覆っていたテーブル珊瑚が珊瑚を食べる貝の大発生により壊滅。12月にひまわりが咲く。

熊本県でバナナが実る。

岡山では4月桜が咲いている時に雪が降る。

富士山に雪崩が頻発している。2日間で気温が-17.4度から-1.2度まで上昇したことがある。

茨城県袋田の滝は滝が凍り付いている様が観光名所だったが、最近は凍りつかない。

日本国内-動物の状況・生態系の変化
館山の海底に珊瑚が生息、熱帯魚も見られる。沖縄の海底を見ているようだ。

本来温帯地域の海にしか生息しないダイオウイカが日本海の6ケ所で発見されている。

ハリセンボンは亜熱帯の海洋に生息するものであるが、冬の日本海に大量発生し、一緒に網にかかる魚をその針で傷つけてしまう。

熱帯、亜熱帯の海に生息するナルトビエイが大分の海で発見される。

広島県の瀬戸内海に浮かぶホボロ島にナナツバコツブムシが大量発生し、巣穴を作り島を崩していっている。これは海水温が2度上昇しそのことによってプランクトンが大量発生し、それに伴い増えたものである。

熱帯や亜熱帯で生息するアルゼンチンアリが西日本に大量発生した。最近横浜でも発見された。生息地がどんどん北上している。

兵庫県ではアドウという水生植物やジャンボタニシが大量発生している。こういった外来種の大量発生は海中の生態系を破壊していく。

宮崎県で養蜂場から本来帰巣本能を持っているミツバチが98%放たれたまま戻ってこない、どこかに消えてしまった。

北海道稚内でアザラシが600頭を越えるほど増え大量の魚を食べるので漁業被害が出ている。最近オホーツク海の流氷が少なくなり、アザラシが日本海側まで行ける様になった。

北海道でエゾシカが大発生。町に出没する。本来エゾシカは雪に弱く自然淘汰されていたが、温暖化で増える一方になった。

琵琶湖の名物イサザが酸欠で大量に死んでいる。湖底の酸素濃度がかっての半分になっている。これは雪解け水が大量に湖に流れ込み、それによって水の循環が図られていたが、雪解け水の量が少なくなってきていることが原因だ。

世界の異常気象
コロンビアにひょうが降り、車などが埋まり交通機関が完全にストップした。

オマーンではかってないほどの規模のサイクロンに見舞われた。

ギリシャでは46度の気温が5日間続いた。

ドイツでは3mの高波に襲われた。

中国ではかってない大雨が何ケ月も続いた。一方南部の各地は過去50年間で最もひどい干ばつに襲われ、作物が枯れ、貯水池が干上がり、電力供給にも支障が出ている。

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地球の温暖化現象
アマゾンでは森林伐採が続く。アメリカでエタノール生産のためトウモロコシ畑が増え、大豆の生産が減ったので、それをブラジルで作るため森林伐採し大豆畑をひたすら拡大している。こういった森林破壊が温暖化の原因の一つとなっている。

ペルーやヒマラヤでは氷河が溶けその水が氷河湖となって、それが次々と作られている。そしてその氷河湖に溶け出した水が注ぎ込まれていく。何時湖が何時決壊するか分からない。決壊すれば下流の村や町は壊滅的打撃を受ける。

キリマンジャロの雪が溶けている。かっての8分の1になっている。山頂の気温は上がっていない。昔はインド洋からの水分を含んだ風がキリマンジャロの頂上の上空まで行き、5890mの高さの山頂で急激に冷やされ雪を降らせた。しかしインド洋の海水温の変化によって、今では風が山頂まで行かず、山頂は乾いた状態で雪は蒸発し、段々と減っていっている。

コートジュボワールでは海水面の上昇により海岸線がどんどんと侵蝕され居住地が奪われていっている。

ウガンダではマラリヤが、高度2000m以上の高地でも発症している。1500m以上は発症しないといわれていた。森林伐採や温暖化の影響でマラリヤを媒介する蚊が高地まで行くようになったのだ。年100万人がマラリヤにかかっている。

オーストラリアでは2001年からの大干ばつに襲われている。シドニー近くの街ではダムの貯水量が8年前の13%で、小麦の収穫は10分の1になっている。

カリフォルニアではエルニーニョの影響で海水温が上昇し巨大イカが大量発生している。

北極では砕氷船が真冬でも氷を割って進むことができる。通常氷の厚さは3~7mだが、70cmしかなかった。このこの氷も冬凍ったばかりのもので夏には氷が溶けていることを示している。

南極では3月から冬になるが観測基地の周りには雪も氷も全くない。2002年の1月に同じ所で撮った写真があるが、その写真では腰の辺りまで雪に覆われている。南極はここ50年で2.5度気温が上昇している。地表温度が20度を超えることもある。子供ペンギンは熱中症にかかって死に、また雪ではなく雨になるので、それが毛皮にしみこみ体温を奪われて死んでいく。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日、サリドマイド療法の開始

4月2日(水)
病院の庭
駒込駅から15分ばかり歩いて、天租神社の中を突っ切って病院の裏手に出る。裏庭には桜の木が1本だが花を咲かせている。前回来た時には満開だった梅の木々は完全に花を落としていた。つくづくと季節の移り変わりの早さを感じる。4月に入院していた時には、病院の窓から、吉祥寺の境内の桜の咲くのを見ていたが、裏庭に桜があることには気が付かなかった。

入院して病室に閉じ込められている時は、お花見にあこがれていたものだ。仕事をしていた時は、仕事帰りに通る公園は桜の名所と言われる所で、2、3kmに渡る細長い公園に並木が続いている。その桜の咲いている様を見るとどうしてもそのまま放って置く訳にはいかない。桜の木の下でワンカップのお酒を買ってきて一杯飲んだりはした。しかしゆっくりとお花見など出来る時間はなかった。

今はそういった時間を取り戻すかのように色々な所にいっている気がする。もともと旅行が好きだったのだろう。しかし仕事をしていた時は、会社の社員旅行で海外に年一回行く以外何処にも行けなかった。確かに会社は社員の福利厚生のため奮発して社員全員を海外旅行に連れて行く。会社としては、社員を土日祭日も働かせ、旅行に行く暇などないということへのせめてもの罪滅ぼしなのだろう。しかしその旅行にも仕事で行けない社員もいるというのが実情だった。

病院での診療
病院で最初にやるのが採血だ。時々採尿もやる。その結果を待って、その内容を吟味しながら診療が行われる。そのため診療予約時間の1時間前位までに検査しておく必要がある。今回の検査結果として白血球が7.4、ヘモグロビンが10.8、血小板が7.3であった。
300px-Thalidomide-enantiomers.png珍しく血小板数がベルケード療法の終了後だというのに前回の6.7から上昇している。問題はIgMである。ベルケード療法第5サイクルが終了した結果として、また上昇している。前回3月7日には1048だったのが2週間ちょっとで1161と上昇は止まらない。

右上はサリドマイドの構造式-サリドマイドには「右手型」と「左手型」の2種類があり(専門的にはR体とS体という呼び方をする)両者は鏡に映すとぴったり重なり合う。このうちR体は鎮静・催眠作用を持っていたが、S体の方に催奇作用があった。

サリドマイドをどう組み合わせて使うのか
個人輸入しておいたサリドマイドが医師の元に既に届いていた。3月25日に申し込んで一週間で届いたということだ。思ったより早かった。問題はサリドマイドとどのような抗がん剤を組み合わせていくかだ。担当医もまだ判断が付きかねるらしい。

VAD(アドレアシン、ビンクリスティン、デカドロン)やMP(メルファラン、プレドニン)など以前やった療法との組み合わせもある。シクロフォスファミドやベルケードと一緒にやる方法もある。病院に通わなければならないベルケードより自宅での服薬だけで済むMPの方が楽だ。デカドロンとの組み合わせがかなり一般的だが、深部静脈血栓症の恐れがあるのであまり推奨は出来ないと言われた。

■ 結局、薬の効果と副作用を見るためにサリドマイド100mgを単独で二週間服用することにした。次回の定期診療日が4月16日であり、それまで単独でやり効果があればそのまま続け、なければ次回までにどのような抗がん剤と組み合わせるかの結論を出しておくという事になった。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

豊島区散歩-9 花香る町散策コース

4月2日(水)
午後から病院での定期外来診療だった。病院に行く時に、ついでに行こうと思っていた散策コースに午前中出掛けることにした。豊島区観光案内の「桜・つつじの花香る町散策コース」、江戸時代から園芸の地である駒込周辺を巡り花を楽しみながら歴史を探るコースである。病院に行く都合上、観光案内の散策コースとは逆回りをした。

巣鴨駅→染井霊園→専修院→十二地蔵→染井稲荷神社→再福寺→妙義神社→大国神社→染井吉野記念公園→駒込駅

染井霊園
巣鴨駅から白山通りを下り、巣鴨信用金庫の建物から少し行った何の表示もない路地を適当に入ると、染井霊園にぶつかる。そこが裏口となっている。霊園にはソメイヨシノが100本以上あり、お花見を目的に来る人も多い。東京都公園協会ホームページ『公園へ行こう』にも花見の名所として紹介されている。

染井霊園は明治5年に雑司ケ谷霊園、青山霊園とともに開設された公営の共同墓地で、元は建部内匠頭の下屋敷跡ということだ。染井の地名が示すようにさすがに桜の名所だ。墓地の至る所に桜の古木が立ち並び、日曜日以降の雨や強風にも耐えいまだ満開の花を咲かせている。墓地の西側の桜並木は枝ぶりも良く壮大な感じがした。昔は谷戸川源泉の長池があったそうだ。

高村光雲、光太郎、智惠子の墓と二葉亭四迷の墓は、案内表示があり気がついたが、岡倉天心や水原秋桜子など多くの著名人の墓もあったらしい。二葉亭四迷(長谷川辰之助)の墓の案内表示がロシア文学関係団体だったので以外と思ったが、彼がツルゲーネフの「あひびき」「めぐりあひ」の翻訳などロシア文学を翻訳しその普及に努めていたことを思い出し納得がいった。霊園の正面入り口周辺も桜の花が連なって明るい雰囲気をかもし出している。霊園というより花見の場所といったイメージだ。(写真 染井霊園のソメイヨシノ)

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専修院 (正業山 迎接寺 浄土宗)
染井霊園に隣接して専修院がある。植木屋伊藤伊兵衛の屋敷跡として知られている。3代目の三之丞は、つつじの栽培に力を注ぎ、染井のつつじは江戸の名所として有名になった。この地を中心に染井村は園芸の里として賑わったと言われている。

十二地蔵
専修院のすぐ傍に十二地蔵のレリーフがある。何故十二体なのかの言われは定かではない。この石版の上に描かれているのは、火や煙の絵で、享保15年の大火による犠牲者の冥福を祈るために建てられたものである。

染井稲荷神社
霊園の正面入り口から染井通りを駅に向かって3,4分歩き、神社に向かうが、一本手前の道に間違って入った。そこは車両進入禁止区間があるほど道は狭く、くねくねと曲がり、坂の上り下りがあり、地図にも表示されていない細い道だった。大体の方角で神社方面に向かった。坂を上がった所で突然明るくなった。桜に囲まれた場所があった。そこが染井稲荷神社だった。四方を桜に囲まれ、桜にピンクの提灯が張り巡らされている。ここはお花見の場所となっているのか。神社の境内で飲めや歌えというわけにはいかないだろう。しかし雰囲気は完全にお花見のシチュエーションだ。地蔵菩薩があり、その足元に15,6体の20cm位にキューピーのような顔をした子供のお地蔵様が並べられていた。

西福寺 (藤林山 新義真言宗)
染井稲荷神社と並んで西福寺がある。江戸時代は染井神社の別当だった。ここもまた桜で囲まれていた。山門の右手に六地蔵があり、区内最古のものだと言われている。寺院の案内には次のようある。「区内の植木職人の菩提寺として有名。八代将軍徳川吉宗に気に入られた、江戸城内の庭師も勤めていた植木屋、伊藤家四代目・伊兵衛政武の墓があり、貴重な園芸書『地錦抄』も保管されている。」

妙義神社
西福寺を出ると左に駒込小学校があり、T字路になっていて、そこを左に曲がり染井坂を下る。しばらくいくと児童公園があり、その隣が妙義神社だった。そこも桜で囲まれている。寺院や神社を探すには桜の密集している所を目安に行けばいい。ここは区内最古の社で、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)である。太田道灌が足利成氏との合戦の際、ここに詣で勝利を収めたことから「勝ち戦の宮」と呼ばれているそうだ。

大国神社
駒込駅の改札口を出て信号を渡ればそこが大国神社だ。駒込駅は何度も乗降したことがあるがこの神社には全く気がつかなかった。天明3年に創建され、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。見ることはできなかったが木彫りの7つの大国神があるという。徳川家斉が鷹狩りの帰りにこの神社に立ち寄り、その後に11代将軍になったことから、「出世大国」や「日の出大国」とも呼ばれている。

染井吉野桜記念公園
駒込駅北口駅前広場が平成9年に開園された。「染井吉野発祥之里」の記念碑や、染井吉野桜の原種といわれる2種類の桜が植えてある。ここも今まであることに全く気付かず通り過ぎていた。ものが存在するということは認識することが必要だということだ。

丁度12時になった。病院に行く時間だ。バスで行こうと思った。駅前にバス停があったがそのバスは本郷通りを真っ直ぐ行くバスで病院前を通らない。病院前を通る小型バスのバス停を探したが見当たらなかったので、歩いていくことにした。

参考 : 染井吉野・染井村について
江戸における植木・花卉など栽培植物の歴史は、まず大名屋敷の庭園造園に始まり、庶民のための花の名所の開発、そして鉢植や花卉の一般への普及という形で進んだ。元禄綱吉の時代、こうした花文化の動脈となっていたのは中仙道と岩槻街道(現在の本郷通り)であった。この街道に挟まれた所に染井村があった。

駒込・巣鴨は、江戸中期から明治にかけて、花卉(かき)と植木の最大の産地でだった。この地域は、江戸の西北の近郊に位置し、日光御成道・中仙道に沿って町並が発達し、藤堂家下屋敷や柳沢吉保別邸(六義園・りくぎえん)などの大名屋敷もあった。これらの大名の庭園の手入れに農民が従事するうちに、しだいに植木屋化していったと考えられている。

ソメイヨシノは、江戸末期から明治初期にかけて染井村(駒込)の植木職人が、山桜の品種を改良して作ったといわれている。最初は<吉野>と呼ばれていたが吉野山の山桜と区別するために<ソメイヨシノ>となった。遺伝的には<オオシマザクラ>と<エドヒガンザクラ>の交雑種といわれている。また、桜だけではなく、ツツジや菊などの新種の開発なども盛んに行われた。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

春という季節 『戦争と平和』より

4月1日(火)
公園の春・新芽を吹き出す木々
早朝の空の色は、あくまでも青色だった。この青さが背景となって桜のピンク色を鮮やかに引き立たせている。公園の大島桜はいつの間にか真っ白だったのが花芯からピンク色に変わってきている。あたかも他の桜と色を合わせるかのように。この桜だけがすでに黄緑色の新芽を吹き出している。

4月になった。公園の木々は一斉に芽を出し始めている。カリンは新芽と同時に赤い蕾を幾つも付けていた。ケヤキは紅葉もいいが、一斉に芽を出す今の季節もいい。木々はすさまじい勢いで再生の過程を歩んでいるかのようだ。新しい生命を生み出すエネルギーを感ぜざるを得ない。こういった春の若葉が萌え出ずる季節になると、トルストイの『戦争と平和』のアンドレイの遭遇する春の場面を思い出す。彼は戦争と、妻との確執から逃避し2年間田舎から一歩も出ず住み暮らしていた。そして春を迎える。

アンドレイの変容・『戦争と平和』より
「彼は幌馬車で、春の日にぬくもりながら、萌え出たばかりの若草や、白樺の若葉や、においこぼれるような青空を馳せかう若々しい糸玉のような白雲などを眺めまわした。彼は何も考えずに、うきうきとした気持ちでただ漫然と、あちこちを見やるのだった。」

「“春、そして愛、幸福!”カシワの老木はまるでこうささやいているようだった。“それなのに、よくもまあ君たちは、いつも同形同色の愚劣で無意味な欺瞞が鼻につかないねえ。いつも同じことの繰り返し、愚劣で無意味な欺瞞で固まっているではないか。春も、太陽も、幸福もありはしない”」

「カシワの心は正しい。自分の生涯は終わりを告げたのだ。自分はもう何にも新たにはじめる必要がない、ただ悪を行わず、心を騒がせることなく何事をも望まずに、余生を送るべきだ」という絶望的な、しかも心を和ませる結論に、彼は到達したのである。春の息吹の到来の中でも、彼の頑な心を溶かすことはなかった。しかしその後の新たな出会いが彼の生への扉を開いていくのである。

その後アンドレイは、郡の貴族会長に会うためロストフ家を訪問する。そこでナターシャに出会う。「アンドレイはどうしたことか、急に苦しいような気持ちになった。空はうららかに晴れ渡り、太陽は実に明るく周囲のすべてが嬉々とした姿を呈している。」春の陽光の輝きの中でのこの出会いから、彼は生きることへの絶望から抜け出し、生きることの意味、生きることの希望を見出していくのである。

新緑の中で・映画 『戦争と平和』
51CRWC0R5BL__SL500_AA240_.jpg『戦争と平和』は、1956年 アメリカ映画としてキング・ヴィダー監督、出演はオードリー・ヘップバーン、ヘンリー・フォンダ、音楽はニーノ・ロータで撮影された。

この映画の中でアンドレイがロストフ家に向かう馬車が、まばゆいばかりの新緑の木々の間を走っていくシーンの中で、アンドレイはその自然の営みに感動し、その木々のように自分もまた新たに生きていこうという心情になっていく。そういった高揚した気分の中でナターシャに会い、ひと目で彼女の若々しい生命力に引き付けられていくのである。

この映画の中では、新緑の並木道の中で、春という季節における新たな生命の誕生に動かされるアンドレイの心情が、それに続くナターシャとの出会いとストレートに連なっている。本よりも自然の営みと心の動きが一体となって表現されていて感動的だった。

アンドレイの性格を作り上げた戦争
アンドレイ公爵は、貴族社会の俗悪さを軽蔑し、身重の妻を置いて戦場に行く。それは社交界からの離脱であり、戦場での功名心であった。しかしアウステルリッツで負傷し、人生への絶望と周囲の人々への無関心へと至っていく。彼は戦場で負傷し空を見上げながら思う。

「ただ彼の上には高い空―晴れてこそいないが、高い高い空と悠々と過ぎゆく灰色の雲あるばかりであった。 "何という静かな、平和な、崇高なことだろう。 ……何故おれは今までこの高い空に気がつかなかったんだろう?やっと今気がついたということは何という幸福だろう。そうだ!この広大な空以外のものはすべて空虚だ、すべて虚偽だ……”」

「アンドレイは、功名なるものが実に無価値なこと、誰一人その意義を究め知ることのできなかった人生の虚しさ、さらにまた生あるものが一人としてその意義を知ることも説明することもできない死なるものの、一層の虚しさに思いをひそめているのだった。」

この悟りにも似た絶望的な心情は、あの春の感動へと至る前提条件を形成している。この戦場での心情の吐露は、後のナターシャとの出会いの価値を高め、アンドレイにとってのナターシャの存在の大きさをより一層感じさせるものである。ナターシャは彼にとって生命の原動力となるのである。

『戦争と平和』からの引用は、集英社版『世界文学全集 47・48巻』原久一郎、原卓也訳を使用しました。

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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