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仕事の現状

6月20日(金)
大学時代の友人から電話があった。彼は一度入院中に見舞いに来てくれた。それは私が入院した旨彼に電話したからだ。彼は目白に住んでいる。自転車で20分位なものだ。そんな近くに住んでいながら10年以上連絡を取っていなかった。彼が図書館に勤めているということがあって、必要な資料を探してもらうように頼んで、それを受け取るために会ったきりである。

仕事が忙しくなり、昔の知り合いと会うなどという精神的余裕がなくなってしまった。仕事が忙しくなるということは、色々なもの切捨てていくことになる。私が勤めていた職場に入った時は、かなり穏やかな時代だった。仕事が暇な時は、何人かの社員が昼休みに始めたゲームを15時頃までやっている事もあった。17時にはきちっと帰っていた。確かに給料はよくなかったが、生活は出来た。何よりも精神的余裕があった。こういった労働形態で会社は経営が可能だったのだ。

それがバブル崩壊後、社会が分断と競争の激化の中で、資本家は労働者から搾り取るだけ搾り取ろうとし、ノルマを科し、勤務評定で賃金に格差をつけていく。過労死、過労自殺に追い込まれるまで働かせる。この労働に耐えられなければ、正社員から脱落し、ワーキングプアに落とし込められる。そしてそれは全ての正社員に科せられている現状なのである。私の労働時間も2000年頃から加速度的に増え始めた。土日も休み無しでまさに「24時間働けますか」の世界に入っていった。

病気にならなければこの泥沼から逃れることは出来なかっただろう。病気になって、失われていた自分の時間を取り戻すことが出来た。好きな本も読め、書きたいことを書け、見たい番組のテレビを見て、映画もDVDを借りてきてみることも出来る。行きたい所にも行くことが出来、旅行も、ハイキングも、周辺探訪もすべて可能だ。その限りでは悠々自適の生活と言えるだろう。

会社にいた時は、旅行は毎年、年末に行なわれる社員旅行しか行ったことがなかった。今は専業主夫をやっているから食事の支度や、家事全般をこなしているが、それはせいぜい1~2時間位なものだ。それ以外時間は全て自由に使える。この自由というのは、しかし、なかなか難しいものだ。毎日なんでも出来ると言うことは、かえって何もしないことになってしまうことになりかねない。

何故ブログを書くのか考えてみた。その答えは「余命3ケ月の作家が百科事典を買った」という記事を見て思い当たった。一つも記事を書くのには色々な資料を調べる。そのことによって、その記事の内容のことだけでなく波状的に色々な知識を獲得することが出来る。それによって社会全体に対する理解が深まって行く事になる。

書く内容よりも書く過程が重要なのだ。しかし何故余命が限られているのに知識が必要なのか。それは百科事典を買った作家と同じことなのだろうと思う。自分と社会との関係を知ること、その中で何が出来るかを探っていくことなのではないか。
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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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