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コロー展「光と追憶の変奏曲」

7月31日(木)
「コローはさまざまな変奏[variations] の秘密も知っている。彼が魔法の杖をふれば、ひとつの同じ風景がきらめく歓喜の色に包まれもするし、ほの暗いメランコリーのヴェールをまといもするのである。」(エティエンヌ・モロー=ネラトン)

国立西洋美術館でコロー展をやっているということを知って出掛けた。「光と追憶の変奏曲」という表現の仕方が、コローの作品の本質を捉えているようで惹かれた。「銀灰色を帯びた鈍色に輝く抑制的な色彩・色調を用いて独自の風景様式を確立。繊細な写実性の中に抒情詩的な情緒性を感じさせる風景表現」と言われるコローの作品は、殺伐とした現在の世の中に一迅の涼風を吹き込んでくれるようだった。

koro.jpg展示の構成
第1章 イタリアへの旅
第2章 フランス各地の田園とアトリエ
第3章 パノラマ風景と遠近法的風景
第4章 樹木のカーテン、舞台の幕
第5章 ミューズたちの肖像
第6章 想い出(スヴニール)と変奏
コローの作品はこの6章に分けられ展示されている。

「真珠の女」
第5章には「真珠の女」や「青い服を着た女」などがある。「真珠の女」は“コローのモナリザ”とも称され、しばしばレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》に比較されてきた。「真珠の女」は、画家が死ぬまで自邸の客間に大事に飾って決して売らなかった愛着の一枚である。

コローはこの作品を長く手元に置いて1858~68年の間、10年間加筆、修正をくりかえすことで少女の姿を画家の永遠のミューズの像に昇華させた。「真珠の女」というタイトルは、1889年のパリの万国博覧会に展示された際、少女の額に落ちた葉冠の影が真珠の粒とみなされたことに由来するという。

「モルトフォンテーヌの想い出」
コロー何といってもコローの作品の風景画の中で、彼の画家として到達した地点を示す作品は6章の中に収められていると思う。この章の解説には次のように書いてあった。「自然との真摯な対話を出発点としながら、記憶、あるいは解釈というフィルターを通して、画家が自然から得た印象と個人的な感情を視覚的に再現しようとしたものです。

19世紀美術の重要な流れであるレアリスムとロマン主義、あるいは観念主義の合流点ともいえるこれらの “想い出”の風景は少しずつ叙述的な表現をはなれ、音楽的なリズムに満たされていきます。いわば銀灰色の靄に包まれた喚起力と連想の芸術であり、純粋に造形の力を通して、見る者の感性を画家の心のざわめきに共鳴させようとします。」

その中に詩的風景画の代表作「モルトフォンテーヌの想い出」があるが、この絵についてのビデオ解説の中で、昔の絵と違って木の葉が空を向いていることの中に、コローの激動の時代状況に対する受け止め方が現れているとあった。静かな穏やかな風景画の中に鋭く時代を感得する感性が反映されているということなのだ。

コローの作品の真髄
「静けさに満ちたその作品は、詩のような繊細な情緒をたたえている。
空を流れる雲、水面のかすかなゆらぎ、木々を揺らす風・・・・
コローは自然の中でわずかにうつろう色や光と影が織りなす微妙な明暗を見つめ、“コローの銀灰色”と呼ばれる独特の色合いと、霧に煙るようなやわらかなタッチに彩られた独自の作風を生み出した。」

コローの作品世界がもつ、「ある種の普遍的調和、そしてまごうかたなき静けさ。外界の喧騒・通俗・悲惨といった要素を濾過してしまうような詩的ではかない夢のような磁場と、造形的な堅固さが共存する」こと、この諸要素が補い合いながら、作品をよりいそう魅力的なものにしている。

コロー(1796~1875)の生きた時代
静かで穏やかなその作品とは裏腹に、コローが生きた19世紀フランスは、ナポレオンの第一帝政から王政復古、7月王政、第2共和制、第2帝政と目まぐるしく政局が変わり、産業革命によって社会が急速に近代化、さらにクリミア戦争や普仏戦争などの動乱が続く激動の時代だった。そうした時代の中、コローはただひたむきに森を見つめ、絵を描き続けた。

確かに彼の作品は時代状況から超然とした、芸術世界の中で完結されているように思える。しかし逆にこうした特徴をもつ芸術の傾向は、外界=現実の一般社会と創作世界の間に強い緊張感と乖離、そして不安な感情の高まりの中で、時代の本質へと迫るものを持っているように思える。

そして今日コロー作品世界を我々はどのように受け止めていったらいいのだろうか。現実の社会の混迷の中で何が物事の本質なのか、静かに時代と自己を見つめ直す、そういった作品だと言えると思う。

時代の状況から遠く離れたと見える芸術的自己完結性の中に、むしろ時代の感性を鋭く内包しながら対象の普遍性を切切り取っていっているのである。それだからこそ、芸術作品は一時の時代の断面に止まることなく、永遠の今を獲得していく事が出来る。コローの風景画の銀灰色の色調はまさに暗い時代の反映ではないのだろうか。芸術家の感性が受け止める時代の色調は、薄闇の中に漂う今の時代に訴えかけるものを持っていると思う。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

現在までの治療経過

7月30日(水)
今までの治療経過をまとめてみた。血液ガンであることが分かった2005年11月以降既に2年9ケ月経った。入退院の繰り返しと、自宅療養の中で、抗がん剤の副作用による倦怠感にさいなまれ、さらに免疫低下によって生じた帯状疱疹の後遺症としての神経痛の痛みとの格闘など様々な事があった。過ぎてしまえばあっという間の出来事だが経過を書き出して見ると感慨深いものがある。

病気にならなければ今も昔と同じ仕事をを同じように続けていたことだろう。今は夜10時。ブライダル催事のピーク時である7月は、当然この時間も倉庫の中で働いていただろう。倉庫の3階はスレートの屋根の真下で日中は40度を越える暑さだ。一日に汗まみれのシャツを何回か代えながら仕事をしていた。それが遠い過去のことのように思える。何故あんな過酷な労働が出来たのだろうかと我ながら不思議に思う。

2005年11月7日
仕事中、足の指に品物を落とし大量に出血。血がなかなか止まらないので血液検査をし、異常値が出たので専門病院を紹介される。
2005年11月24日
専門病院に行って血液がんであることを宣言される
2005年12月1日
原発性マクログロブリン血症で入院。医者からは余命5年と言われた。
化学療法(抗がん剤治療)を4クルー行なう。
 第1回入院、2005年12月1日から27日-フルダルビン療法
  フルダルビン療法は全く効果がなかった。
 第2回入院、2006年1月4日から1月20日-第1回VAD療法
 第3回入院、1月23日から2月13日-第2回VAD療法。
 第4回入院、2月20日から3月13日-第3回VAD療法。
 第5回入院、3月20日4月9日-自己抹消血幹細胞採取。
 第6回入院、5月15日から6月5日-第4回VAD療法

2006年6月20日
1度目の自己末梢血幹細胞移殖
 第7回入院、6月12日から7月11日
2006年10月24日 
2度目の自己末梢血幹細胞移殖
 第8回入院、10月12日から11月12日
がん細胞は減少し、定期的に通院で様子を見る。

2007年5月30日より 
がん細胞が再び増え始めたので、MP療法を行なう。しかし効果の割には副作用が強く現れ、治療方針変更を余儀なくされた。
2007年10月24日より
ベルケード療法を行うために2ケ月入院。
 第9回入院、2007年10月24日から12月28日
その後通院でこの療法を行っていたが、徐々に効果が薄れてきた。ベルケード療法断念。
2008年4月2日より 
サリドマイド療法開始、現在継続中。

 最初の診断時からのIgMの推移
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この病気には治癒ということがなく、がん細胞の増殖を抑えるための効果のある薬を探しながら、延命治療をしていく外ない。長期的に効く薬がなく、最初は効いてもしばらくすると効果が薄れ、やがて効かなくなる。薬物耐性なのだろうか。それにしては効かなくなるのが早過ぎるが。ともかく抗がん剤の投与をやめると、がん細胞は増殖してくる。それを抑えるため治療をひたすら続けなければならない。

現在サリドマイドを服用し始めてから4ケ月経った。この薬は元々睡眠薬として発売されたということもあって、その効果はきわめて強く、おかげで夜はぐっすりと、目が覚めることがなく眠り続けることができる。

しかし、サリドマイドの催眠効果が徐々に強まってきているのではないか。日中でも、家に居るとだるく感じ、横になってしまうことがあり、それが段々強まってきているような気がする。

今服用しているのは、サリドマイドの量としては100mgという最低限の量だ。この薬の副作用として「傾眠」や「倦怠感」などがあると言われているが、長い間飲めば飲むほど、蓄積し作用が強まっていくようだと、日常生活にも支障をきたしていくことになりかねない。

薬の効果と副作用との兼ね合い、バランスを取るのが難しい。この選択がガン治療にとって最も重要な問題なのだ。薬の副作用によってまともな日常生活が出来ないまま長生きするのか、通常の日常生活を続けるために薬を減らして、ガン細胞の増殖を阻止できず早死にするかの選択を迫られることになるかもしれない。

もっとも薬の効く効かないは体質によるものであったり諸要素が複雑に作用するものだから、薬を減らしたからといって効果が減るという法則はない。ともかく微妙なバランスの中を綱渡りで渡っていく他ない。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

シュティルナー『唯一者とその所有』

7月29日(火)
「我が人生という無二の書物を、どこまでも読み続けていこう。」といった死を宣告された人の文を新聞の片隅で見つけた。唯一無二の存在としての自己、その自己の絶対的肯定、死を迎えながら最後まで唯一者としての自己を貫こうとするその意気込みに打たれるものがあった。

「唯一者としての自己」という言葉で、シュティルナーの『唯一者とその所有』を思い出した。唯一者とは何か、自己とは何か、限られた時間をどう生きるのか、それらの答えのヒントが、この本の中にはあるような気がする。

シュティルナーの自己

180px-Max_stirner.jpgシュティルナーは自己を「私の事柄を、無の上に、私はすえた。」の言葉どおり、自己を「無」、つまり誰もが迎える「死」という必然によって規定される有限なる主体であることを自覚しつつ、生きていく瞬間瞬間において常に自らが自らを定立し、新たに自己自身(自我)を創造し、被造物である自己をとどまることなく超克する(自己規定を克服する)もの、すなわち「創造的虚無」として捉えている。

彼によれば、すべての個人は唯一無比(unique)である。「私の体は他人の体ではないし、私の心は他人の心ではない」だから、唯一性(uniqueness) を制限したり否定したりするような企図は拒絶すべきなのだ。

「単なる部分と見なされること、社会の部分と見なされることは、個人には我慢できないことである。なぜなら個人は部分以上の存在であり、個人の唯一性(uniqueness)が、それからこの限られた概念を引き出すのであるから。」

自覚したエゴイスト
個人の唯一性 を最大にするためには、個人は、自分の行動の本当の動機について認識していなければならない。言い替えれば、人は無意識的なエゴイストではなく、自覚したエゴイストにならなければならないのである。

そのために、自分の利益だけを考え、自分自身だけに関わることを目的として、彼は全ての「気高い存在」を攻撃する。彼は「気高い存在」を「亡霊(spooks)」と見なしていたのである。「気高い存在」とは、そのために個人が自分自身を犠牲にし、それに支配されてしまうような「観念」なのだ。シュティルナーの攻撃は、私有財産・労働の分業・国家・宗教・それに社会そのものなど、資本主義下の生活における個人を拘束する諸々の制約に向けられているのである。

個人と国家
シュティルナーにとって、国家は個人性にとって最大の脅威であった。「国家がなければ、私は自由である。」国家はその領土における主権を主張するが、シュティルナーにしてみれば、エゴだけが主権を主張できるのであり、(その財産を)使えるのである。「私が私自身の主人であるときだけ、私は私のものである。」

ゆえにシュティルナーは、「あらゆる形態の権力に対しての反乱」と、「財産の不尊重」を主張する。「もし、人が財産への尊重感をなくす点まで来れば、誰もが財産を持つことになる。誰も主人を主人として尊重しなくなれば、直ちに全ての奴隷が自由になるのと同じことだ。」労働を解放するためには、全ての人が「財産」を持たければならない。「貧乏人が自由になり、(財産の)所有者になるには、立ち上がるしかないのだ。」

交換不可能な自我以外の一切のものを空虚な概念として退け、自我に価値のあるもののみにその存在を認める徹底した個人主義の思想は、個人の価値を阻害する権力体としての国家や圧力体系としての社会の存在を否定する立場へと至る。これらシュティルナーの思想はアナキズムの個人主義的傾向に深い影響を与えることとなった。

このようなシュティルナーの思想は、高度に発達した現在の資本主義社会の中での、分業の徹底化と、個人の労働力としての部品化の進行の中で、改めて現在と言う時代における自己を考え直すための貴重な助言となるだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

収奪と搾取の現実

7月27日(日)
小林多喜二の『蟹工船』
41YRoq.jpg小林多喜二の『蟹工船』が売れていると言う。書店では通常年5000部がせいぜいだった本が、この3ケ月位で30万部も売れていると言う。買うのは20から30歳代の若者だと言う。

何故共感を呼ぶのだろう。人は試行錯誤を繰り返しながら過ちを改め、正しい方向に行くはずだと誰もが思う。しかしそれは幻想に過ぎない。確かに技術は進歩したが労働過程は、この小説が書かれた昭和4年(1929年)と共通する地盤があるということだ。

それは搾取と収奪の現実である。企業は空前の経常利益を上げながらそれを一切労働者の還元しようとはしない。現在の物価高の洪水が家計に与える影響が、かっての石油ショックの時と違うのは、あの時は物価上昇と同時に給料もそれに比例して上がっていった。しかし今利益は全て企業に吸い取られてしまい企業幹部と株主に回され従業員には還元されない。そこでますます貧富の差が広がっていくのだ。富めるものはますます富み、貧しいものはより貧しく。

給料の格差はますます拡大してっている。国税庁の民間給与実態統計調査によると、民間企業で働く会社員やパート労働者の昨年1年間の平均給与は435万円で、前年に比べて2万円少なく、9年連続で減少している。年収別でみると、200万円以下の人は前年に比べて42万人増え、1023万人と21年ぶりに1000万人を超えた。

一方、年収が1000万円を超えた人は9万5000人増加して224万人となり、格差の広がりを示す結果となっている(朝日新聞2007.9.28)。これはあくまでも給与所得であり、株や投資による利益は全く別で、膨大な利益ををむさぼっている富裕層はこういった統計とは別のレベルに存在している。

秋葉原事件とトヨタ生産方式
「秋葉原事件」で注目を浴びた関東自動車工業は、トヨタの下請けである。トヨタ生産方式という利益至上主義の方式によって、徹底した労務管理と、従業員の使い捨て構造の中で日々過酷なベルトコンベアー労働を強いられながら、将来どうなるかの展望がなく、明日首を切られるのではないかという不安を抱えながら、派遣労働者が働いている。一銭の無駄も省く徹底した監視、管理の下、刑務所労働にも匹敵するような仕事を強制されながら一切将来は保障されない。

このトヨタ方式は、労働者派遣法改悪による派遣の合法化であらゆる企業が採用することになる。そして労働人口の3割以上が派遣労働者として不安定な雇用形態と、劣悪な労働環境に追い込まれている。

トヨタは下請け企業を徹底して安く使い、自らは膨大な利益を上げている。企業の社会的責任などは全く省みようとはしない。そのトヨタ自動車は株主総会で役員報酬を17%上げ一人当たり1億2000万円とすることを決めた(静岡新聞6/27夕刊)。また今年の経常利益はバブル期のピークだった1989年度と比べると2.2倍に増加しているが、企業減税によって税負担は0.98倍と減っている。財政赤字を叫び、福祉の大幅縮小を推し進める政府のこの企業に対する優遇措置は一体何なのだ。これが政界財界の癒着の構造だ。

労働者の闘い
まさに過酷な労働環境と、将来に展望がない労働過程、派遣労働者は首になれば、与えられているアパートも追い出され路頭に迷うはかない。そういった現実が昭和初期の労働過程、その中でも『蟹工船』という閉ざされた空間の中でなされる暴力的労務管理、搾取と収奪の現実、軍隊と企業の癒着など今の時代に通底するものがあるのだろう。

しかし根底的に違うのは、労働者の団結と戦いの存在である。それがあの小説の中で厳しい現実を突きつけられながら、最後に救いを見出す事が出来るのである。9名が首謀者として逮捕された後、それでもなおかつ次の闘いについて思いを巡らす労働者のしたたかさこそが『蟹工船』の真髄を貫いているのだ。

日本の労働運動
1987年4月に実施された国鉄分割民営化は、公務員労働運動、ひいては日本の労働運動の中軸的役割を担い、総評労働運動の要であった国労の解体攻撃でもあった。そして同じ年、総評は連合と合流し、総評労働運動の歴史は終わるのである。その後バブル崩壊以降、賃金か雇用かの企業からの恫喝の前に、労働組合は沈静化し、労使経営協議会として、労働者の方ではなく経営者の方に顔を向けていくのである。

今日の労働組合運動衰退の中でも、既存の組織とは別の流れの中で、非正規労働者の中から新たな団結の形成が始まろうとしている。惨憺たる労働の現状と、生の窮状が深ければ深いほど、闘いは確実に準備されていく。

現状の悲惨さを共有するもの同士の団結こそ資本主義システムの問い直しと抵抗を作り上げていく。こういった結合こそが、「労働者を分断して支配せよ」という資本の心臓部に風穴を開けていくのだろう。派遣労働によって労働者の分断に成功したと思っている資本家は逆にそれがかえって自らの足をすくうものになることをやがて思い知ることになるだろう。

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ジャンル : 日記

ヘンデル 『ラルゴ』-懐かしき木陰よ

7月25日(金)
ヘンデルの「ラルゴ」。夏になるといつもこの曲を聴く。冬に聞く時は夏への憧れのような気持ちで聞く。この曲は自分の心の中の夏であるような気がする。

この曲は、ヘンデル53才に作曲された歌劇「クセルクセス」の冒頭に歌われるアリアで、ペルシア王クセルクセスが一本の木に対して大真面目に木に向かっての愛を高らかに歌っている。このアリアがオーケストラ用に編曲され、ヘンデルのラルゴとして良く知られている。「こんな木陰は 今まで決してなかった。緑の木陰。親しく、そして愛らしい、よりやさしい木陰は」という内容の言葉の繰り返しになっている。

IMG_0296.jpg Ombra mai fu,
 Di vegetabile,
 Cara ed amabile,
 Soave piu?

 Ombra mai fu,
 Di vegetabile,
 Cara ed amabile,
 Soave piu?
 Cara ed amabile, ・・・


冬の寒さに震えながら、夏の木陰の涼しさにあこがれるのだ。決して冷房の部屋で涼しく過ごすことではない。何故人は自然に回帰しようとするのか。夏に高原に行ったり、海へ行ったりするのだろうか。冷房の部屋で一日マッタリしているのもいいだろうとは思う。

しかしそれは本当の涼しさではないと誰もが感じているからだろう。コンクリートジャングルの都会の中で、ヒートアイランド現象の中でニュースで表示される気温の4,5度高い気温のなかで生活している都会人は失われた空気を求めているのだろう。

そういった中で生きている人々は木陰の涼しさを求める。夏の暑い日に木陰で昼寝をしたらどんなに気持ちいいだろうと憧れる。その憧れがこの曲を一層魅力的にしているのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

子供に伝えたいこと-資料

7月24日(木)
子供達に何を伝えたらいいのか
毎日当たり前のように食べ、学校に行き勉強する。しかし世界に目を向けるとこれは決して当たり前のことではない。貧しさ故、全く教育の機会を与えられず、小さい頃から奴隷労働に従事させられている子供達がいる。食料高騰のため世界では暴動が起こっている。毎日飢えで死んでいく人がいる。その大部分は子供だ。

今この場にいるという事が、どれだけ幸運であるか改めて考えて見なければならないと思う。開発途上国の子供達の置かれた現状を知ることによって自分が今、ここに存在していることの意味を考えて欲しい。キッザニアが盛況だと言う。職業体験を通して自分の将来を考える材料としていくという。しかし、もし疑似体験でなく、本当に毎日働かされるとしたらどうだろう。それはあまりにも過酷なことだと思うだろう。児童労働、飢餓、教育この現状を紹介する。

児童労働(15歳以下)
コートジボワールのカカオ農園で働く子供は約13万人。人身売買で連れて来られた子供もいる。刃物を使った危険な仕事や農薬散布までする。子供達はカカオがおいしい菓子になることも知らず、チョコレートを見たことも食べたこともないだろう。

「子供は、朝6時から12時間以上働かされても給金はなし。粗末な食事しか与えられず、睡眠時間も短い。その上鞭打ちという虐待も頻繁に行なわれている。」

途上国の子供を搾取することで作られた安価な商品を、先進国の人間が享受しているという現実。世界では2億1800万の子供らが学校にも通えずに非人道的な労働を強いられている。

「最悪の形態の児童労働」は、児童労働の中でも、特に子どもたちが非常に危険な状態に置かれている場合の以下のような仕事の事をいい、ただちに廃止されるべきだとされるものだ。
①債務奴隷(借金をお金で返す代わりに子どもを働かせさせるなどまるで奴隷のように働かされる仕事
②売春やポルノ制作に子どもを使用すること。
③麻薬を作ったり売ったりするような不正な活動に子どもを使うこと
④子どもの心と身体の健康と安全が守られないような危険・有害な仕事

飢餓
国連によると、いま世界で毎日およそ25,000人の人々が飢餓あるいは飢餓に関連した死因で亡くなっています。そのうち4分の3は、5歳未満の子供たちです。実に5秒に1人の割合で子供達が飢餓で亡くなっているのです。さらに世界中(世界人口約66億人)で約8億5,000万人の人々が飢餓と栄養失調で苦しんでいます。彼らは十分な食べ物やきれいな飲み水がないために栄養失調になり、風邪や下痢のような病気でも簡単に死んでしまうのです。

しかし、本当に食料は不足しているのか、今かっての植民地支配の時代と変わらず、富める国と、貧しい国の格差はますます拡大して行っている。世界の食糧事情と、格差の現状は以下のような構造で、収奪と搾取によって貧しい国を貧困の泥沼に追い込んでいるのだ。

世界の食料生産総量は、世界中の人々を養うに十分な量がある
・世界の肥満(食料の摂取しすぎ)の人数は、世界で飢えている人とほぼ同じ人数である
・豊かな国は、必要量以上の食料を輸入している
・豊かな国は、食料を捨て過ぎている(例。東京都23区の家庭から1日に捨てられる食物は、アジアの50万人以上が1日に食べる食料に相当)
・貧しい国の貧しい生産者は、家族がもはや生活できないほどの低価格を、先進国の商社から強制されている
・貧しい国の貧しい生産者は、家族の生活を維持するために必要な穀物は、商社に売り渡され、豊かな国の人々の肉類生産用家畜飼料にされている
・肉類の消費量増加の意味は、飼料用の穀物消費量が増える→国際市場における穀物の価格が上昇→貧しい人々が必要とする穀物を買えなくなる、ことである

教育
就学できていない子ども  1億1540万人(56%が女生徒)
これらの未就学児童の内  サブサハラアフリカの児童 37%
                   南西アジアの児童 34%
                   東アジア及び大洋州諸国の児童 13%
途上国では59%の女子、48%の男子が中学校に進めない。
世界の成人非識字者(読み書きが出来ない人)8億6200万人

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定期検診の日

7月23日(水)
2週間一度の定期検診に行った。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM     1430←1239←1324←1189 
 白血球    2.7←2.8
 ヘモグロビン  12.3←11.3
 血小板    17.9←16.0

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                       サリドマイド服用以降のIgMの推移

正常細胞には全く問題はない。ただ白血球は以前と変わらず低いままだ。IgMは一時下がったが、再び上がって来ている。相対的には上昇傾向だ。医者がこれを見てがっかりしていた。医者も大変だ。患者が良くなってきていればいいが、悪くなっているのを見るのは辛いだろう。

患者は自分ひとりの心配をしていればいいが医者は受け持っている患者全ての心配をしなければならない。悪くなっている患者には次どうしたらいいか考えなければならない。そしてそれが効くとは限らない。担当医が落ち込んでいるので「人生山あれば谷もある。下がることもあれば上がることもある。しばらく様子を見ましょう。」と私の方が励ましてあげることになってしまった。

サリドマイドが効かなくなったら次どうしたらいいのかなかなか方針が決まらない。どちらにしても化学療法との併用だろう。何を使うかそれが思案のしどころだ。出来るだけ副作用の少ない薬をお願いしたいものだ。今は旅行にいける位体調は安定している。寝たままで延命するより、限られた時間でも普通に生活したいものだ。

原発性マクログロブリン血症の生存年数の中央値というのがあるが、私の場合、生存期間は究めて分かりやすい。IgMを抑える薬がなくなったら終わりだということだ。単独では効かない薬も組み合わせると効く場合もある。そう考えると何百通りの方法はある。

何時終わるか分からない人生をだらだら生きるよりは限られた人生を目的意識的に生きたほうがずっと自分には適していると思う。若い人は長く生きることその事が重要な意味を持っているのは確かだ。そのために出来るだけ延命を図ってあげたいと思う。しかし人生をそこそこ生きてきたものにとっては限られた残りの人生をどうするのかを考えればいい。

原発性マクログロブリン血症の場合、形質細胞腫瘍(がん細胞)の状態が、血液検査の結果、IgMという形で現れるのできわめて分かりやすい。がん細胞が増殖しているのか縮小しているのか一目瞭然だ。体調的あるいは肉体的変調については、私の場合はIgMが9000までいったことがあるが、その時いろいろ検査をしたが異常は見付からなかった。よくも悪くもそういった病気なのだ。

体調の変化は、形質細胞腫瘍の増加によってではなく、抗がん剤による副作用のせいなのだ。抗がん剤を投与しなければ普通の健康人として生活できる。矛盾に満ちた治療法だがやむをえない。IgMの変化に一喜一憂するのでなく長い目でみていきたい。

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ジャンル : 日記

橋下大阪府知事の正体

7月22日(火)
タレント時代の橋下知事の問題発言
橋下大阪府知事に関しては、彼がタレントであった頃、山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の弁護人に対して、テレビ番組内で懲戒請求を視聴者に呼びかけると言う驚くべき暴挙を行ったことから彼の人格を疑っていた。少なくとも弁護士である彼が絶対に口にしてはいけない言葉なのだ。

そもそも弁護士という職業を選択したということは、被告の立場に立ち被告の利害に沿って弁護するのが職務としても責任なのだ。それが嫌なら検察官になればいいのだ。弁護士と言う職業を選んだ限りそれは職務としての義務なのであり、それをしないことは職務放棄にあたりそれこそ懲戒請求の対象となることである。

それを放棄しろと視聴者に扇動するとは、犯罪者には弁護士は不要だと言っているに等しい。これは日本の司法制度そのものを否定する暴言である。何故マスコミはこういった発言を放って置くのだろうか。一緒になって弁護士バッシングを繰り返すばかりである。

この橋下府知事の発言に対し、広島弁護士会所属の被告弁護人4人が業務妨害されたとして損害賠償を求めた。その判決が10月2日に下される。この判決はどうなるか分からないが、橋本府知事のこの発言がどれだけの意味を持っているか理解している人ならば彼を知事には選ばなかっただろう。選挙でものを言うのは「タレント力」なのだ。徹底的にマスコミを利用したタレント橋下がそれに操られた人たちによって知事に選ばれたというわけだ。

橋下知事の財性再建計画
彼が財政再建として打ち出したのは、小泉―竹中路線の延長と変わりはない。福祉切捨て、弱者切捨ての論理である。一般府職員の給料を下げ、福祉教育などの日常的行政サービス、文化事業を縮小廃絶しようとしているに過ぎない。

大阪府の橋下徹知事は19日、08年度本格予算案について、職員人件費と私学助成の削減額を一般財源ベースで計18億円(事業費ベースで20億円)縮小すると表明した。職員の基本給は、部長級を除く一般職の減額率を0.5ポイントずつ引き下げ、3.5~11.5%とした。私学への助成金を計30億円、職員人件費を計345億円削減する計画を予算案に盛り込んだ。これに対して「授業料値上げにつながり、教育環境が悪化する」という反対意見が出されている。

橋下知事の収入
彼は、自分の月給145万円を30%カットするといっているがそれでも101万円。4年で退職金4100万円。半分にしても2000万円以上にはなる。「大阪府は破産会社」の社長がこんなに給料を貰っていいものだろうか。
それだけではない橋下知事は、就任直後の2、3月に出演した計22本のテレビ番組は公務が19本、公務外が3本で、出演料や謝礼として計156万3332円(税込み)の収入を得ていた。

また6月16日に開催した政治資金パーティーでのパーティー券の売上額は1813万円で、会場費などの支出を差し引いた収益は1044万円となっている。知事という地位を利用して得た金はしっかりと懐に入れ、「なんでこんな大阪になったのかは有権者みんなの責任」と強弁し福祉切捨てを我慢しろというのだ。

さらに臨時議会開会中、公用車を使って大阪市北区のジムに行ったことが分かった。節約、倹約を掲げながら自分だけ公用車を勝手に使っているという自分に甘く、他人に厳しいというのが彼の本性なのだ。財政がこれほど厳しい時にそもそも公用車など必要ないではないか。

ダム建設について
そもそも地方財政の全般的な逼迫化は、政府-自民党の失政の結果なのだ。バブルの誘導とその崩壊後の損失を地方に押し付け、小泉-竹中の「骨太方針」による地方財源の削減が大きく影響している。(2004から06年度で約6.8兆円削減)橋下知事はこういった中央政府に何一つ要求することはなくひたすら低姿勢で、弱いものには傲慢である。

今、淀川水系のダム建設が進められようとしている、国の事業でありながら府の事業費負担は200億円となる。

国土交通省近畿地方整備局が琵琶湖・淀川水系の河川整備計画案に盛り込んだ大戸川ダム(滋賀県)など4ダムについて、橋下徹知事は27日「(堤防が決壊しない)計画高水位を守るにはダムしかないのでは」と建設を容認する考えを示した。生態系や、環境、効果様々な問題を抱え、反対運動が起こっているダム建設に、5兆円の借金を抱えた大阪府か金を出せるわけがないと誰でも思うだろう。しかし、橋下知事は国の言うことには決して逆らわないのだ。上には従順に、市民には過酷に。

ダム建設反対の方法
2006年(平成18年)の滋賀県知事選挙で当選した嘉田由紀子知事は、就任直後から新幹線新駅・産廃処分場と並びダム計画を『もったいない』のスローガンの中で不要な公共事業として計画全てを凍結させる事を発表した。自治体単位での脱ダム施策である。

県営ダムのみならず国土交通省・農林水産省の直轄ダム事業も中止対象に挙げ、就任当初から財政的問題・環境問題の両面よりダム事業は中止すべきとの持論を展開した。ダムの代替案として堤防建設や森林整備を中心とした自然に優しい治水事業の整備を図ることでダム依存からの脱却を図ろうとした。こういった方法もあるが橋下知事は国土交通省の方針に唯々諾々と従っていくのだ。

橋下知事の有権者に対する考え方
彼は自分が有権者から選ばれ彼らのために仕事をするという自分の立場を全く忘却している。1月末、国が決めた艦載機移転にNOを突きつけた山口県岩国市の前市長を、「防衛政策に関し、自治体が法律上の手続を使って異議を差しはさむべきでない!」と岩国基地へのアメリカ空母艦載機移転の是非を問う住民投票を実施したことを批判した。

前市長は「大阪府で国政と府民の民意が相反した場合、橋下氏は国にものを言わないのか」と反発。知事は、「住民の意思を無視しろと言っているのではない。ただ、間接代表制は、住民の意見をくみ取った上で、政治家が最適な施策を選択していくものだ」。それなら尚更、法律上の手続を使って民意を問うのがなぜ悪い?

この発言を見れば分かるだろう。「政治家が最適な施策を選択していく」という言葉の中に、一度知事に選ばれたら自分が最適だと思ったやり方でやると言っているに過ぎない。この言葉の中には民意とか、住民の権利とかそういった発想法は微塵も感じられない。ただ支配する対象としての市民しか見えていない。大阪市民は「改革」の名の下に行われる橋下府政の問題点をしっかりと見つめていって欲しい。

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時間について

7月21日(木)
 時間があるということは、つくづく精神的にいいことだと思う。いらいらする事がなくなり、ストレスを感じることなく生きていく事が出来る。働いていた時は、毎日毎日時間に追われ、何時までに何々を仕上げなければといった時間との競争の中で翻弄されていたような気がする。

例えば、スーパーのレジで並んでいる時、前のおばあさんが勘定を払う時、財布から小銭を一枚一枚取り出して、かなり時間をかけて清算しているといった場面によく遭遇する。以前だったらいらいらして早くしてくれと怒鳴りたくなってしまうほどだった。

今は、ゆっくりやってください、とお年寄りを優しく見守ってあげる事ができるほどの精神的余裕が生まれた。これが可能なのは時間があるということだ。何時から現代人はこんなに時間に追われるようにせこせこと仕事をし、精神的余裕をなくしてしまったのだろうか。

忙しいと心を忘れる。優しさもいたわりもなくなる。機械のように仕事をこなすしかない。人間的感情は仕事の効率にとってむしろ妨げになる。雑念を捨て日々目的のために邁進するしかなくなる。限界を超えるほどのノルマを科せられそれをこなすには、ただただ黙々と感情を失ったロボットのように昼夜動き続けなくてはならない。

いつの間にこんな世の中になってしまったのだろうか。そこには労働の楽しさも意味も全て奪われてしまっている。昔のSF小説に出てきそうな場面が今まさに現実のものとして、日本の労働者が置かれている。

沖縄に行った時、知り合ったフランス人から聞いた。「労働時間は週35時間(1日7時間労働で週休2日制)で、年5週間の休みがある。それで今回3週間休みを取って東京に行く前に沖縄でしばらく過ごそうと思っている。確かに給料はそれほど良い訳ではないが、老後の保障はしっかりしているから安心だ」ということだ。

日本にだって労基法32条に「週40時間を越えて労働させてはならない」という条文があることにはあるのだが。財界の言いなりの政府のおかげで、例外規定を積み重ね結局有名無実化されてしまった。

ヨーロッパでは60歳以上の人はほとんど働いていないと聞いたがどうかと質問したら、皆、趣味で、あるいはボランティアで仕事をしている。家にじっとしていてもしょうがないからね、ということだった。もちろんフランス人全てがそういった生活が出来るわけではないし、移民もいるし働き続けなければならない人も多くいるだろう。しかし平均的フランス人が老後の心配をしなくて済むということは本当に恵まれていると言えるだろう。

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沖縄旅行・7日目・帰京

7月16日(水)
7日間の沖縄旅行も今日で最終日。長いようで短い旅行だった。かなり余裕も持ってゆったりとしたスケジュールでのんびりと過ごした感じだ。それも今日の夜には暑い東京で過ごすことになる。確かに気温は沖縄も東京も変わらないが、気分的に大都会の暑さは過酷な気がする。ヒートアイランド現象ではないが、気象庁の風通しのよい百葉箱の中で計られた気温と体感気温は別物だ。

zamamimiyahira-0.jpg 民宿みやひら入口

14時20分座間味港発のクイーン座間味で行くため、その前に昼食を取ろうと13時に民宿を出発することにした。昨日のカップルは無人島行きの船に乗るため9時に出発した。我々は、阿護の浦の誰もいない浜辺で最後の海水浴を楽しんだ。

沖に行くと古座間味ビーチほどではないがそこそこ成長しつつある珊瑚があり魚も泳いでいた。松林とマングローブに覆われた海岸線、波の音以外物音しない静けさ、透明な水、海は幾重にも織り成すブルーの共演、プライベートビーチで泳いでいる感覚だ。(左写真「民宿みやひら」の入り口、入って右側が宴会場)

13時に車で座間港まで送ってくれた。宮平さんではなく娘さんだった。最後に挨拶したかった。彼の一見うるさく感じる色々な注意点は、皆が楽しく民宿生活が出来るための配慮なのだ。シャワー室に入って泥だらけだと後の人は嫌な思いをするだろう。部屋が湿っていたら気分が悪いだろう。全て道理にかなったものなのだ。

ダイバーお断りと言うのも、あるダイバーがウエットスーツのまま部屋に水を滴らせながら入っていったということがあったり、朝5時に送ってくれとか、朝飯は帰ってきてからで9時頃にしてくれとか、我がままで自分勝手な人が多いということと、一緒に酒を飲んでいてもダイバー同士で話を合わせそれ以外の人を排除しようとする傾向にあるなど、長年の経験から「ダイバーお断り」となったのだ。

宮平さんの性格と、注意点を受け止める事が出来れば、きわめて過ごしやすい民宿だ。アットホームといった感じだ。7歳の少女愛ちゃんや犬のコロもそれに一役かっている。夜の宴会も長い夜部屋で個別に酒を飲んでいるより、何かの縁で同じ宿に泊まったもの同士交流しそこから何かを見出してもらいたいということだろう。一期一会というわけだ。もちろん本人が酒好きだということもあるが。

274_b_1215127477.jpg 座間味港 

座間味港の目の前にある座間味食堂で昼食を取った。クイーン座間味で50分、那覇泊港に到着した。そこから那覇空港までタクシーで行って、帰りの航空券をスカイマークのカウンターで受け取る。

JALのカウンターがずらりと並び、次にANAのカウンターが並び、一番端にカウンターが一つありそれがスカイマークのカウンターだった。大体格安パックを扱う旅行代理店はスカイマークを使うのだろうと思う。

待機場所は38番ゲートでそこはバスの発着場となっている。バスに乗って飛行機の所まで行くことになる。改札が始まる少し前に到着便が遅れ改札が15分延期されると放送があった。15分遅れてバスに乗り席についたが、今度は荷物のチェックが遅れているということで結局40分遅れて出発した。また放送で向かい風なので通常より速度が出ず、2時間20分ほどかかると放送された。

誰も当然だというよう顔をして聞いていた。「まあ安いんだからこの位はしょうがない」と皆が考えていたかどうかは分からないが。ほとんど満席だった。「燃料サーチャージ」でプラスアルファを支払わなければならない海外旅行に対し国内旅行に人気が集まっているという話だ。結局45分遅れの20時に羽田空港に到着した。

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沖縄旅行・6日目・古座間味ビーチ

7月15日
古座間味ビーチ
10時間位たっぷり寝て目が覚めた。Y氏は4時頃起きてチシ展望台を探しながら散歩していたそうだ。結局見付からなかったらしいが。9時に古座間味ビーチまで送ってもらって、13時30分に迎えに来て貰う事にした。

沖縄座間味038 古座間味ビーチ

古座間味ビーチの入口にはログハウス風の売店件食堂があり、そこを突っ切るとテラスがあり、そこからは浜が一望できる。その横の階段を下りると浜に出る。ビーチパラソルが1000円、ビーチチェアーが1000円という値段で貸し出している。浜には空色と白、黄色と白のパラソルが等間隔に整然と並べられている。浜の端の岩陰が丁度いい日陰になっているのでそこにシートを敷いて陣取る。

今はしてないが、昔はソーセージを使って餌付けをしていたらしい。そのせいか魚が比較的浅い場所でも寄ってくる。このビーチは座間味周辺で最も珊瑚が豊かだと言われている。早速沖の方に泳ぎだす。期待にそぐわず、色とりどりの珊瑚が至る所にある。それに伴って多くの魚が珊瑚の周りを泳いでいる。飽きることのない海の中のドラマだ。

古座間味ビーチの紹介パンフレットに「世界中のダイバー憧れの海・ケラマ諸島。南国の陽射しを受けてエメラルドに輝く海は、色とりどりのサンゴ礁で彩られ、その間をカラフルな熱帯魚たちが群れをなして泳ぐ。これぞ、まさに亜熱帯の楽園だ。」と大仰に書いてあるが、実際その解説が違和感を覚えさせないほど珊瑚と魚は豊富だ。

阿真ビーチからの来訪者
休憩していると、古座間味ビーチと岩を挟んだ隣の砂浜に、4人乗りのシーカヤックが4台到着した。しばらくしてその中の一人が、「ここは古座間味ビーチですか」と聞きに来た。阿真ビーチからきたそうだ。会社の仲間同士で、家族を含めてきている。子供もいる。阿真地区のコテージにでも泊まって、自炊でもしているのだろうか。子供達にとってはいい経験になるだろう。無事目的地についたというわけだ。似たような浜が多いし、海流が早い所もあるので全く違った無人島にでもたどり着いたらどうなるのだろう。子供連れで結構冒険をするものだ。

13時頃浜から上がってロッジで昼食を取った。カレーとかはレトルトを暖めてご飯にかけるだけというものだが、民宿に帰れば食べるものはない。13時20分に迎えの車が2人の客を乗せて前を通り過ぎた。その客を降ろして、我々を乗せていくということだ。一人外国人の姿が見えた。今晩同じ宿に泊まるのだろう。12時着のフェリー座間味で来て、民宿について即この浜まで連れて来られたという感じだ。

阿佐集落の古い民家・船頭殿の石垣

Z25.jpg 阿佐集落の古い民家 

夕方、カメラを持って阿佐集落を散策した。裏の細い通りを歩いていくと赤瓦で、シーサーを門に配置した、昔ながらの民家があり、高い木々に囲まれたしっとりとした雰囲気は沖縄の離島の村を感じさせる。

泊まっている民宿の裏に「阿佐船頭殿の石垣」と看板があった。そこには「座間味島は唐への旅の中継地として古くから栄え、そんな中でもこの阿佐は進貢船の風待ちの港でもあり、数々の船の寄港した記録を残している。そんな阿佐には船頭殿という屋号を持った旧家があり、その船頭を務めた旧家の石垣がここだといわれている。船頭殿の石垣は琉球王朝時代の貴重な石造建築物の一部で、座間味村指定の文化財ともなっている。」と書いてあった。昔は栄えていた時期もあったのだなとつくづく感じさせる。

沖縄座間味010 船頭殿の石垣

民宿での夕食
夕食で30歳前後の外国人男性とその連れの日本人女性と一緒になった。民宿の客といっても昨日は我々だけ、今日は我々とこのカップルの2組だ。男性はフランス人で音楽理論の先生をしている。女性は、大学時代をアメリカで過ごしその後フランスに行きそこに居着いてしまったということだ。

フランス人はほとんど日本語が分からず会話にはついていけないようだったが、民宿の7歳の娘さんがビブラフォンを弾き出すとその傍に行っていろいろサゼスチョンをしていた。音楽は言葉の壁を越えた共通の言語だということをしみじみと感じた。

ここの民宿は料理の量がかなり多い。食べきれないほどだ。沖縄料理を色々工夫して5,6品出している。かつをの刺身もたっぷりとついてくる。話をしながら、酒を飲みながらなかなか食べきれず1時間以上経った頃、宿の主人宮平さんが入ってきて、ここの従業員はパートで雇っているので、早く終わらしたいと言ったので、大分残ってしまったが皆食堂から引き上げた。

夜の宴会

昨日は夜の宴会に付き合わなかったので今日は行こうということで、泡盛の一升瓶をぶら下げて、庭の宴会場に出向いていった。宮平さんの従弟の人が来ていた。宮平さんは58歳、従弟は57歳だという。従弟も民宿を開く準備をしていると言うことだ。

しばらく例の宮平さんお話が続いたが、従弟の人が三線を弾き沖縄民謡を歌うと言うことで是非聞きたいと、フランス人男性も交えてけしかけ、従弟の人は三線を取りに行った。しばらくして戻ってきて三線を弾き始めた。なかなか渋い深みのある声で沖縄民謡を歌う。言葉が分からなくてほとんど沈黙していたフランス人男性もこんな近くで三線についての説明も含めて曲を奏でてくれていることには非常に興味を持って聞き込んでいた。

10時30分になって音楽が始まってからいなくなっていた宮平さんが戻ってきて、近所迷惑だからこの辺で、ということでお開きになった。結局買ってきた泡盛1本は空けてしまった。

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沖縄旅行・5日目・座間味島阿佐地区

7月14日(日)
今晩から阿佐地区の民宿に泊まる。2日前その民宿から携帯電話に連絡があって、今日何時に迎えに来ればいいかを問い合わせてきた。そこで、9時30分に港から座間味集落に向かう最初の信号の所で待ち合わせることになった。この民宿を予約する時、ここの主人宮平さんが「ダイバーはお断り」と言ったという。色々注文の多そうな口うるさい人ではないかと予想した。

沖縄座間味063 阿佐集落入口

9時30分に港に4人の客を運び、我々を拾って民宿まで連れて行ってもらうというわけだ。座間味集落から阿佐集落まで車で15分位あり、歩くと1時間以上かかるだろう。この島は昨日行った阿真集落と合わせて3つの集落で成り立っている。その中でも阿佐地区が一番小さい。その点静かで落ち着いた雰囲気なのだろう。風光明媚な阿護の浦に面し、船着場はあるが船の出入りは全くない。古座間味ビーチにも車で10分ほどでいける。

阿護の浦は、船着場以外は海岸線で、白い砂浜が延々と続いている。何処でも泳げる状態だ。湾内と言うことで波もほとんどなく子供の海水浴にはもってこいだと思うが、誰一人として泳いでいる人はいなかった。

民宿の主人は、阿佐に行くと一切買い物が出来ないので必要なものは座間地区で買っていくようにとまずスーパーマーケットに案内してくれた。ビール500ml缶を半ダース買って、泡盛はどれにしようか迷っていると、宮平さんはこれが口当たりがいいと勧め一升瓶入りのものを渡してくれた。彼も同じものを買い阿佐地区に向かった。

沖縄座間味012 民宿の裏の道

民宿は入ってすぐ右側が広くなっていて、テーブルと長いすが並べられている。20人くらいは座れる位だ。テーブルの真ん中には泡盛の一升瓶が3本ほど並べられている。ここが宴会場だと言うわけだ。そこに犬が一匹長い紐でつながれていた。かなり人なつっこく、近づくと擦り寄ってくる。愛想のいい犬だ。地面を転がりまわっているのに毛並みはつややかだ。

荷物を置く間もおかず、缶ビールを一缶ずつ手渡し、さらに氷を持ってきて泡盛をついでくる。まだ朝10時だと言うのに本格的に飲み始める事になった。そしてここからが宮平さんの独壇場になるのだ。何故ダイバーを断るのか、から始まって、座間味村が300億円の借金を抱えている現状、今の村長の財政責任、全く使われていない箱物を作った責任を頬かむりして退陣しようとしていることなど、村の行政批判から自民党の政治批判まで全面展開し、1時間ばかり飲みながら話を続けた。

そして本題、この民宿で守るべき事を挙げていった。シャワー室には土足で入らない。砂は流しで落としてからシャワー室に入る。以前砂が詰まって治すのに30万円かかったという。また濡れたまま部屋に入らない。畳の張替え代は民宿料金に含まれていないのだ。などなど事細かに注意事項を挙げていく。でやっと開放された。

昼食を用意するのを忘れていた。食事が出来る所は全くない、売店もない。しょうがないから、酒のつまみとして買ったピーナツとカシューナッツを食べながらさらに買ってきたビールを飲んで、すっかり酔っ払って昼寝の体制になってしまった。

Z7-0.jpg 阿護の浦遠景

14時頃起きて、酔いも醒めたので近くの誰も泳いでいない海岸に泳ぎに行った。水は澄みあくまでも透明だが、珊瑚もなければ魚もいない。だから人気がないのかもしれないが、誰もいない海岸の木陰でゆったりとするのもいいものだ。暑くなったら水に入って涼をとる。その繰り返し。 

夕食で飲んで、その続きを外の宴会場でやるかどうか考えたが、どの道また宮平さんの話を聞くことになるから、今日はパスということで部屋にこもり、早い時間だったがそのまま寝てしまった。

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沖縄旅行・4日目・座間味島

7月13日(日)
s-Img_080120-802.jpg 展望台から見たヒズビーチ

朝散歩に出掛けた。ヒズビーチの手前に天城展望台への分かれ道があった。そこを登っていった。島の西側にあり夕日、夕焼けの名所だと言われているが、朝なのでその絶景にはお目にかかれない。ただ見晴らしは良く阿嘉の港、前浜、サクバルの岩岩も一望できる。

食後再びヒズビーチで2時間ばかり泳ぎ、民宿を後にした。11時40分発のフェリー座間味で座間味島に向かった。船は12時に座間味港に着き、コンドミニアム・ビーチコマーに行く。日曜日なので民宿が空いてなかったので取ったとY氏は言う。ここはウイークリーマンションのようなアパート形式でガス、冷蔵庫、調理器具、食器が備え付けられ長期滞在者が自炊できるシステムになっている。しかし結局カップ麺のお湯を沸かした位で調理はせず、すぐ隣にあるまるみや食堂で昼飯も夕飯も食うことにした。

沖縄座間味076 フェリー座間味

昼食をまるみや食堂で終え、昼寝をたっぷりとして、3時過ぎ少し涼しくなって来たので座間味島の2大ビーチの一つ阿真ビーチまで散歩に行った。座間味集落から阿真集落への通りもかなり広く歩道も一車線はあるような広さだ。途中「マリリンに会いたい」のマリリンの像がある。もともとホエールウオッチングで有名な島だということで至る所に鯨のオブジェがある。

阿真ビーチは夕方だったので誰も泳いでいなかった。ここからは阿嘉島や幾つかの無人島が臨め、波は静かだった。傍にキャンプ場があったが、テントは一つしか張られていなかった。コテージも何棟かあったが何処にも人は入っていなかった。その中央に売店があったのでそこで買い物をしてキャンプ生活を送る事が出来る。

Z15-0.jpg 阿真ビーチ

夕食は食材を買って調理しようと思ったが食材を売っている店がない。マグロの刺身を買ったが、わさびもしょうゆも箸もないので全て付けて貰わなければならなかった。それをつまみにしてビールを飲んだが、結局隣のまるみや食堂に出掛けて夕食をとった。

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沖縄旅行・3日目・阿嘉大橋、ヒズビーチ

7月12日(土)
阿嘉大橋
午前中涼しいうちに、阿嘉大橋を渡って慶留間島まで行くことにした。阿嘉大橋は1998年に開通し全長530mの橋で、2001年グッドデザイン賞を受賞した。この賞の講評に次のようにあった。「群青、コバルトブルー、セルリアンブルー、エメラルドグリーンと美しく様々に変化する海、白い砂、緑の島、このような場所に橋のような無粋なものは似合わない。という状況の中で、橋のデザインを考えるデザイナーの苦悩が察せられる」と。さらに「ここに本当に橋がいるのか、という疑問は消えない」とも言っている。

38-1_convert_20100604224129.jpg 阿佐大橋

この橋はかってはフェリーがくぐるということでかなり高く作られているが、今では慶留間港へのフェリーの就航はなく、それだったら膨大な経費をかけてあれほど高い橋を作らなくてもといった意見もあるそうだ。

阿嘉大橋に登ってみる。橋の上から見る海の景色がいい。シアンとブルーが入り混じり碧く透き通った海が一望でき、近くのそして遠くの島々が高所から見渡す事が出来る。この橋で阿嘉島から慶留間島に渡る。

沖縄座間味101 工事中の慶留間島の道路

コンクリートの道路が広く立派で、広い二車線のほかに歩道が一車線分位ある。何でこんなに広い歩道が必要なのだろう。その道路の補修工事が炎天下の中で行なわれていた。この小さな島で下水道が完備され、立派な橋や道路があり、昨日見た阿嘉小学校・中学校の建物も新築同様のきれいな建物だった。公共事業が盛んなのだろう。島には畑もなく、漁業と観光で生計を立てるしかない。後は公共事業だろう。

どんどん気温が上がりコンクリートに照り返し、ますます暑くなる。そろそろ戻ろうかと思ったがY氏はどんどん先へ行くのでそのまま進んだ。慶留間の村落から阿嘉へのバスがあるというようなことを耳にしたのを思い出し、帰りはバスで帰ろうと思って進んだ。道路は海沿いに阿嘉島、渡嘉敷島を見ながら景色は素晴らしい。しかし熱いのは何ともしがたい。

途中慶留間の崖と呼ばれる絶壁がある。今にも崩れそうに岩がせり出している。年輪のように幾重にも岩が重なりあって層をなしている。コンクリートの道路は海沿いに延々と続く。途中ケラマ鹿生息地と書いた標識があり、山に登る道があった。その標識を見ている丁度その時、鹿が一匹こちらを見ているのに気がついた。次の瞬間森の中に消えていってしまった。

慶留間集落
沖縄座間味104 慶留間集落の裏通り 

慶留間集落に入る。交差点があり一方は港、一方は慶留間橋方面だ。交差点の横に広場があり、その横に公営アパート(2階建ての団地)がある。その広場に小学生たちが集まり始めた。しばらくして先生らしき人が話をして皆をどこかに連れて行った。その方向に行ってみると、石垣に囲まれた狭い路地がありハイビスカスが塀から咲出ている。そこに国指定重要文化財「高良家住宅」がある。

パンフレットによると「高良家は船頭主屋(しんどうしゅーやー)と呼ばれる旧家。船頭職(琉球王府の公用船の運航に携わる航海技術者集団の取りしきり役)を勤めた家柄。琉球王朝末期に建てられた寄棟造で、サンゴを相方積み技法で軒高まで積み上げた石垣や、ヒンプン(目隠し塀)などに風格が残る。屋根は大正時代に茅葺きから赤瓦にふきかえられた。主屋には畳敷きの一・二番座と、板敷きの三番座と裏座の6部屋があり、炊事場も主屋内にある沖縄離島の古民家では珍しい造り。」とある。

沖縄座間味108 高良家住宅

誰もいなかったので勝手に見て、帰ろうとするとおじいさんが戻ってきて、門を入ったら入場料を払わなくてはいけないと強引に戻らされ金を払わされ、帳面に住所名前を書き込まされた。しかしその後パンフレットを渡され、丁寧に色々解説してくれた。そこから港に出て穏やかな海を見ながら休憩した。昔はフェリーが来たこともあったし、幾つかの静かできれいなビーチもある。しかし今観光客の来ないのだろう。民宿も一軒しかない。港に隣接して公民館と小学校がある。

喉が渇いたのでどこかに自動販売機か売店がないかと通行人に聞いた所、売店はなく、一台しかない自動販売機が民宿の前にあるが、壊れていて使えないとのことだった。一体この島の人の人たちはどうやって生活必需品や食料を手に入れているのだろう。阿嘉の集落まで買いに行っているのだろうか。

キャンバスの庇がついて、ベンチが置いてあり明らかに元バス停であったと思われる所があったが、バスが発着している気配もなかった。やむをえずまたとぼとぼとコンクリートの広い道を戻ることにした。途中観光客2人が自転車でやってきた。こんな距離があるなら自転車で来れば良かったと思った。再び阿嘉大橋を渡り阿嘉集落にたどり着き、売店で焼きそばを買って昼食とした。

ヒズビーチ
沖縄座間味120 ヒズビーチ入口のマングローブ林

午後は歩いて10分位で行けるヒズビーチに行った。草原を下っていくと突然その合間から海が見える。それが何ともいえない感動を呼ぶ。人っ子一人いない白浜が目に眩しいビーチだ。浜の中央の木陰に売店があるが店員は昼寝をしていた。海岸線に沿って、アダンの木が自生している。実をたわわにつけている。形はパイナップルに似ているが食べられないそうだ。

静かで波もなく水は澄んで恋人で行くには絶好のロケーションだ。もちろん中年男性2人でも楽しめる場所だ。珊瑚はほとんどないし、魚もあまりいない。シュノーケリングスポットではないが、海でゆったりするにはいい場所だ。夏の夜にはビーチバーが開催されるという。太陽光発電器のパネルが浜の入口においてあり、浜へ下る道の所々にランプがあり夜になると道を照らすのだと思う。

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沖縄旅行・2日目・阿嘉ニシバマビーチ

7月11日(金)
那覇泊港
那覇泊港から慶良間諸島に行く船は、高速のクイーン座間味とフェリー座間味がある。前者は阿嘉島まで1時間、2750円、9時発。後者は1時間半、1860円、10時発。10時発のフェリー座間味で行くことにした。

港で朝食をとろうと思ったが、「とまりん」という待合所には土産物屋はあるが食べ物屋はなく、近くのコンビニで弁当でも買いに行こうと出掛けた。結局無難な所でローソンでサンドイッチを買った。Y氏が以前地元の店でゴーヤチャンプルーの弁当を買ったらしいが、ご飯の上にべチャと具材がのっているといったものらしくお勧め出来ないとのことだった。

阿嘉港
沖縄座間味141 阿嘉港と阿嘉大橋

泊港に架る橋をくぐり、11時30分に阿嘉港に着く。何故この島に行くことになったかというと、Y氏が以前那覇の居酒屋で飲んでいると、地元の人が、宮古や石垣に行かなくてももっときれいな海が近くにあるということで阿嘉島を紹介してくれたということから知ったと言う。

30年前沖縄に行った事がある。その頃何故そんなに時間が取れたのだろうかと不思議に思う。恐らく航空運賃が高かったからだろう。竹芝桟橋から船で48時間かけて那覇まで行って、そこで一泊した。その停まった宿があまりにひどかったことを覚えている。ドヤみたいなものだが、今のドヤは結構きれいだが昔のことだから。

那覇から一晩かけて、宮古島まで行き、石垣島、西表島と回った。帰りは飛行機で帰ってきたが、一週間以上旅行したことになる。Y氏も私も勤め始めたばかりだと言うのによく休みが取れたものだと思う。どんどん世の中が世知がなくなって、休みも取れず働き詰めの生活を強いられるようになってきている。確かに少しは生活が豊になったかもしれない、しかしその代わりに人は時間を売り渡していっているのだ。

阿嘉港は「付近の海が度派手なシアンの色なので普通の港なのに、港の白と海のコントラストが強く、とてもきれいに見える」と書いてあったのでそのつもりで見ると、よくギリシャの白亜の建物を背景にした海の写真を見るが、それに似ていなくもないと思った。

ニシバマビーチ
阿嘉港には民宿のおばさんが迎えに来ていた。車に乗り2,3分で民宿に着いた。昼はこの島に一軒しかない食堂「パーラーみやま」で沖縄そばを食った。しばらく休んでから、この島の中心的ビーチであるニシバマビーチまで送ってもらった。浜の入口に売店とシャワー、トイレがある。以前はキャンプ場もあったが今は閉鎖されている。そこから5,6m下ると浜が広がっている。

海の青さが違う。青と言っても色々あり、それがグラデーションを描いて広がっている。ニシバマビーチはこの島では最大の珊瑚の見所となっている。一時かなり珊瑚が衰退し、5年間、一定の区間を閉鎖し珊瑚を育てたという。珊瑚は1年間に5mm位しか成長しないそうだ。温暖化の影響でオニヒトデが大量発生し、珊瑚を食い荒らしたり、海水温の上昇による珊瑚の白化現象などあって、地元の人はオニヒトデの駆除や珊瑚の産卵の手助けなど並々ならぬ苦労をしているそうだ。

こういった所で泳ぐ。今回は沖縄の名所・旧跡などは一切回らず、海岸でゆっくり本でも読みながら、時々泳ぐといった旅にするつもりだ。Y氏は週2回プールに行っているくらい泳ぎが好きだ。私も泳ぎは好きで、海では何時間でも泳いでいられる程だ。波間に漂っている雰囲気が好きなのだ。海岸は低い木々に囲まれ適当な日陰を見つけ、シートを敷いて場所をとる。パラソルの貸し出しもある。

m.jpg ニシバマビーチ

ニシバマの珊瑚

シュノーケリングで潜ってみる。浅い方には枝珊瑚の欠けた残骸が大量に敷き詰められている。深くなるに従って、生きた珊瑚が増え始め、その周辺には色とりどりの魚が泳いでいる。珊瑚と魚のコラボレーションといった感じだ。シュノーケリングだと疲れることがないから何時までも泳いでられる。

しかし写真で見られるようなテーブル珊瑚や、エダ珊瑚が見られず華麗な色彩の乱舞といった雰囲気ではなかった。思ったより地味な感じがした。魚は大量に泳いでいて、飽きることなく眺めていられる。ただガムやサイパンなどの海の珊瑚は華やかな色彩ではあるが、狭い範囲に限られているが、この浜の珊瑚は広範囲にわたって生息している。そういった意味での見ごたえはあるといえるだろう。

印部石
帰りはニシバマから阿嘉島の集落には歩いて戻った。途中に阿嘉島の歴史的文化財がある。高さ60cm、直径1.5mの盛土(印部土手)があり、その上ある印部石がそれである。琉球王府により田畑の境界の目印として設置されたものだ。

島に2件しかない売店、後でもう一軒見つけたが、スーパーと言えるほど商品は置いてないが、そこでビールと焼酎を買って民宿に戻った。

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沖縄旅行・1日目・那覇市内

7月10日(木)
羽田空港へ
16時05分の飛行機に乗るため、一緒に行くY氏の最寄り駅・目白で14時15分に待ち合わせた。半ズボンにサンダルで行こうということだったが、彼は家を出る時、奥さんからその格好だけやめてくれということで長ズボンをはいてきた。列車だったら5分前にホームに着けばそれで事足りるが、飛行機はかなり前に空港に付かなければならない。

海外旅行の時などは離陸の2時間以上前に集まる。近い所なら飛行時間と変わりないほどだ。最も前に札幌に行った時に、交通渋滞で空港に出発の10分前に着いて、その飛行機に乗れずキャンセル待ちで半日も空港で待っていたということがあるから、時間はあることだし、早めに待ち合わせたということだ。

格安パックということで、航空会社はスカイマークで、沖縄までの便は1日3本で乗り遅れたら、その日はもうほかの便はない。スカイマークのカウンターは、ANAとJALのカウンターが20近く並んでいる一番は端で3列しかない。さらにその端にきららバックというカウンターがありそこで、航空券、宿泊チケットを渡される。

旅行会社に行く必要はなくヤフーの沖縄旅行のパックを検索し、そこから気に入ったパックを選らんで、それを扱う旅行代理店に電話をして、カード決済すれば、後は空港に行って、チケットを受け取るだけだ。このパックは往復航空券と那覇のホテル一泊素泊まりの宿泊付きというものだ。帰りの日は選ぶ事が出来る。夏休みの18日以降はぐんと料金が上がる。一泊目以降は自分で宿泊場所を探し予約する。ネットで予約が可能だということで店舗を構えている旅行会社は客がかなり減ったと言っていた。

京成の羽田空港駅から、スカイマークのカウンターまで15分位かかった。余裕を見て出てきてよかった。空港内は広いから予想以上に時間がかかる。

那覇に着く
那覇市内は晴れ、気温は30度以上ありそうだ。沖縄はずっと33度だという。4月からほとんど雨が降っておらず、このまま行くと8月には給水制限をせざるを得ないということだ。十何年か前の夏かなりの渇水期があり、給水制限が行なわれ本土から水を運んだりしたことがあった。それ以降那覇では建物の屋上にタンクを作るようになったということをタクシーに運転手が話していた。

19時過ぎだというのにまだ十分明るい。空港駅からモノレールで県庁前まで行く。ホテルに行く前に、夕飯を食べる所をY氏が探してくれていた。沖縄民謡をやっていって、それほど高くないという店だ。美栄橋から近いが、どうせなら国際通りが30年前と比べて今どうなっているのか見ながら行こうと言うことで県庁前で降りた。

i.jpg 国際通り

地酒横丁
国際通りには沖縄料理の店とみやげ物店が軒を連ねている。買い物好きには格好の場所だろう。むつみ通りにぶつかる少し手前に目的の店、民謡居酒屋「地酒横丁」があった。一階が酒屋で、泡盛が各種並べてある。ここは居酒屋と民謡酒場の混合で、通常の居酒屋のように食事と酒のおつまみが豊富で、そこに生の民謡ライブがついてくるという趣向の店だ。

民謡のステージが20時からと、21時からということで入っていった。民謡酒場だと演奏を本格的に聴くならいいが、どうしても酒を飲むにはつまみが不十分だったり酒が高かったりする。ということでこの店は丁度いい。沖縄料理を3,4品頼み、最初は沖縄に行けばこれ、オリオンビールをジョッキで頼み、その後は泡盛を次々と注文した。

沖縄座間味155 地酒横丁の民謡酒場のステージ

そのうち女性3人、男性1人のグループが入場し、沖縄民謡の演奏を始める。三線(蛇皮線)を男性が女性はボーカルとカスタネット、タンバリン、太鼓を受け持って演奏を始めた。何曲かやり、リクエストを募り、最後にみんなで踊るという展開だった。30分位で終わり、また21時から、今度は衣装を代え、女性3人が三線を演奏した。

ホテル・コンチネンタル
料理もおいしかったし、演奏も聴けて、それほど高くはなかった。22時に閉店だということで、そこからタクシーで宿泊場所ホテル・コンチネンタルに向かった。ホテルに近づくにつれ道は狭くなり、ピンクのネオンが所々に見える。連れ込み宿と、ソープランドがある地域だと運転手は言う。このど真ん中にホテルはあった。

空港でもらったホテルの紹介パンフレットの華やかな写真と内容とは大違いだ。格安パックのホテルとはこんなもんだろう。沖縄そばでも食いに行こうと思って外に出たら、周りはソープランドで呼び込みのお兄さんが声をかけてくる。そばはやめにしてそそくさとホテルに戻った。

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沖縄旅行に出発

7月10日(木)
今日から学生時代の友人と沖縄に行く。約30年ぶりの沖縄だ。30年前この友人と沖縄に行った。それ以降、結局お互いに仕事が忙しくなり、なかなか会う機会がなかった。5,6年に一度会う位だった。最近はさらに仕事が忙しくなり私のほうで全く時間がとれず、10年近く会っていなかった。

私が病気になった再会したという感じだ。仕事が忙しくなると精神的余裕がなくなり人との交流を図ろうとする意欲がなくなってしまう。「再会は病気がくれたプレゼント」と山田泉さんの本に書いてあった。そして次に詩が引用されていた。
 
 会いたい人には会っておこう。
 行きたい所には行っておこう。
 明日死んでもでもいいように
 今日を生きよう。

 
沖縄旅行スケジュール

m.jpg  阿嘉島 ニシハマビーチ

7月10日
14:15 池袋発
14:42 品川着
14:49 品川発 京急本線快特
15:04 羽田空港着
15:25 スカイマーク・カウンター集合
16:05 羽田空港発
18:45 那覇空港着
宿泊場所 ホテルコンチネンタル

7月11日
9:00 ホテル出発
9:30 泊港着 
10:00 泊港出港 フェリー座間味
11:30 阿嘉島着
宿泊場所 民宿オーシム

7月12日
阿嘉島滞在

7月13日
11:40 阿嘉島発 フェリー座間味
12:00 座間味島着
宿泊場所 コンドミニアム・ビーチコマー(座間味地区)

7月14日
座間味島滞在
宿泊場所 民宿みやひら(阿佐地区)

7月15日
座間味島滞在

7月16日
14:20 座間味島出航
15:10 那覇泊港着
16:15 那覇空港着搭乗手続き
16:55 那覇空港発
19:15 羽田空港着

ということで、ブログは16日まで休みます。17日以降少しずつ旅行記を書いていこうと思っています。

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ジャンル : 日記

定期検診の日

7月9日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
IgM      1239←1324←1189←1130
白血球     2.8←2.9
ヘモグロビン  11.5←11.3
血小板     13.3←13.4


正常細胞にはほとんど影響がないのがサリドマイドの特徴だ。これは極めて有難い。そして何よりのうれしいのはIgM値が下がったことだ。5月28日から上がり始め、前回6月25日には1324まで上がってしまった。このまま上がり続けたら、薬物耐性が出来てきたと判断し、サリドマイド100mgでの治療を断念しなければならない所だった。

そうなるとサリドマイドの量を増やすか、化学療法との併用を行なっていくかしかない。どちらにしても今の様な体調を保つことは出来なくなるだろう。今でもサリドマイドの副作用の蓄積だろうと思うが、体力の消耗を感じる。服用したばかりの頃と比べて体力が落ちてきており、日中だるさで横になることがある。

サリドマイドを始めた4月頃は6時に起きてラジオ体操にも毎朝行っていた。今は朝起きられなくなっている。ラジオ体操は全く行かなくなってしまった。生活にけじめをつけるために7時30分には起きてはいるが、かっての元気はない。

しかし体力が落ちたといっても、今の状態であれば旅行に行くことも出来るし、軽いハイキング位なら可能だ。ともかくサリドマイド100mgでIgMが極端な上昇もなく安定していればそれに越したことはない。

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授業原稿・子供向け案

7月8日(火)
「いのちの授業」での講演がいよいよ回ってきた。9月に江戸川区の小学校の授業で話をしなければならない。大人ならいいが子ども相手は避けてきたが、やむをえない。まだ時間があるので幾つかの試作を書いてみる。その一回目。

自分が唯一無二な存在であること
ここに一冊の本が有ります。この本を書店であなたが手に取りそれを買うとします。その本があなたの手に渡るのにどれだけの人手が必要でどのような工程があるのか考えてみた事がありますか。さらにそれがあなたの手に入ることの確率を考えると、その偶然さに驚くことでしょう。

物ですらそうです。まして一人の人間が、ここに存在することの偶然さ。父親と母親との出会い。そもそも人類が誕生しこととの奇跡的な出来事。こういった過程の中で何百億分の一の確立であなた方一人ひとりが存在しているのです。絶対的単独性。自己の存在の偶然性。2度と同じものは存在しない。こういった自分の存在を自覚して貰いたい。

自分を嫌いだと思っている人、好きだと思っている人。確かに誰でも変身願望はある。しかし自分はこの世の中に一つしかない貴重な存在だと考える時、結局自分が一番いい。どんなに不完全でも、迷いに満ちていても。今存在するとそのこと自体に意味がある。存在そのものに価値があるのです。

何故勉強するのか
何のための勉強か、それは決して、高校受験や大学受験のためではない。唯一者としての自分の生きる道を見つけるためだ。受験はそのための手段でしかない。高学歴といって大企業に入ってもそこで得る安定賃金の変わりに、自分の確信を持っていなければ、企業に魂と肉体を売り渡すことになる。

確かに一方、派遣労働者になれば、何時首を切られるか不安な日々をおくらざるを得ない。正社員、非正規社員いずれにしても今の社会は生きづらい。日本では年3万人以上の自殺者がいます。一方で生きたくても病によって死んでいく人もいます。

こういった矛盾に満ちた世の中をどうやって生きていくのか、それを探すための勉強なのです。

挑戦し続けること
何かになりたい、何かを実現したい、そういった願望があるからこそ、挫折も苦悩も体験します。それが実現しないこともあります。しかし重要なのはそれを求める過程のです。そのなかで人は多くものを学び人間的に成長していく。願望がなければ苦悩もなくしかしそこには喜びもありません。

高尾山に登ったことがある人は多いでしょう。ロープーウェイやリフトで途中まで行って、舗装された道を登っても頂上に着いた時の感動はあまりないでしょう。

私は以前南アルプスに北岳という日本で2番目に高い山に登ったことがあります。広河原というバス停から真っ直ぐ急坂を登って行くのです。7時間くらいかけてやっとたどり着いた時の気持ちはなんともいえない感動を与えてくれます。挑戦を恐れてはいけない。困難が大きければそれだけ感動も大きいのです。唯一者として、外の人と違った自分を見つけ出すその挑戦が生きる原動力となるのです。人生とは唯一者としての自分探しの旅だといっていいでしょう。

死と対峙して
私はガンで余命を宣告されています。恐らく後2,3年で死ぬことになるでしょう。20歳位の人がそういうと皆びっくりするでしょう。しかしこの年齢になるとどの道あと10年位の命が少し早まった位にしか思わないでしょう。しかし、病気になったことで人生について今までと違った捕らえ方をするようになりました。

世の中では多くの場合、仕事でしか人を見られない。どんな会社に勤めているか、どんな学歴か、しかし人の価値はそんな所にあるのではない。病人になれば誰でも同じなのだ。死と向かい合って初めて自分を見つめる事が出来る。自分の本当にやりたい事が見えてくる。

ツールーズフランスの7年連続優勝者ランス・アームストロングは次のように言いました。「断言していい、ガンは僕の人生に起こった最良のことだ。」死と向かい合ってはじめて、彼は気づくことができたのです。周囲の人たちの優しさに、人を愛すること。そして、生命の素晴らしさに。仕事でしかなかった自転車は、限りある生命を燃やす「生きがい」へと変わっていきました。

いかに生きるべきか

私は後2,3年しか生きられない。全ての人はやがては死ぬことになる。今から死について考えている人はいないかもしれない。しかしどのように生きていくかを考えることはあるでしょう。ある小学校でのアンケートに次のように書かれていた。「何で人は生きているんだろう、どうせ死ぬんだから・・と考えることがあります。私は希望を持ち、協力し、笑いあい、泣きあい、喜びあい・・様々な感情の中で自分たちが明るい未来をどうやって残し、生きがいを探せるか、そして子孫を残せるかに意味があるような気がします。」

「人は何で生きているのか」この問いはあまりにも難しい。しかし、皆この回答を求めて生きている。答えを求めるため生きている。命が限られているということを知ることは、嫌が応でも今をいかに生きていくかを問うことになるのです。死を知れば悔いのない人生を送りたいと思うのです。漫然と生きてきた自分の生き方を見つめ直す事になります。

死があるからこそ生の輝きを見出すことが出来るのでしょう。そういった意味で、命を語ることは、死を見つめることであり、そのことを通して生の意味を再認識することだと思います。

「死」について思いを馳せる時、あたりまえのようにそこにあった自分の生が再び鮮やかによみがえってきて、それがとても尊いものであることに気づかせてくれます。

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映画 『キスへのプレリュード』

7月6日(日)
6月7日の「いのちの授業」で講師として発言した若い女性は、同じ病室で一緒だった同年齢の女性の死というものに遭遇し、彼女の分まで生きなければならないという強い思いを抱いている。そして発言の中でその友人のことに話が至ると、泣き出してしまったほどだ。友人の死からもう1年以上経っているのに、何処にそのような激しい感情を留めておけるのだろう。

若いということは感性の豊かさと、その激しさゆえ確かに生き辛いという面を持っている。全てにあまりにも敏感に反応し、ちょっとしたことでも生か死を問うように真剣に考え込んでしまう。二十歳前後の頃は、老人の穏やかで、静かなものの考え方に憧れるということがあった。

4_72463.jpgこういったことを考えていたら、メグ・ライアンの『キスへのプレリュード』という映画を思い出した。

この映画の内容は「メグが演じるリタは、青年ピーターと出会って結婚直前。幸せ一杯のはずなのだが、実は現代を生きていくことをとても恐れてもいる。この世の中は“怖いこと”がたくさんある、だから、愛するピーターとの間に子供が欲しいけど、本当に産まれたら……と思うと心配事がありすぎてとても産む気にはなれいし……。そして、彼女自身が14歳から不眠症でもある。漠然としたものであるけれど不安をかかえている。確かに生きることは不安や心配が一杯の世界、感受性の鋭さが不安を増幅させる。

そんな彼女の結婚式の日、見知らぬ老人に祝福のキスをされたことで、二人の魂は入れ替わる。リタの魂は病を抱えた老人に、老人の魂は若く美しい女性に。」という内容だ。

実は、パーティの最中、リタは、何も恐れるものを持たない静かで平穏な心を持った老人になりたいと思い、病気を抱え死を目前にした老人は、若々しいリタの感性を再び自らの心の中に取り込みたいと思った。この一瞬の想いが、二人の魂を入れ替えることになったのだ。しかし結局リタは、どんなに不完全であっても自己とは固有なものであり、この世に唯一しか存在しない、差し替えのきかない絶対的な個であり、それがどんな貴重で重要なことであるかということに気が付くのである。

若い人の感性と、老人の感性はもちろん人によって色々あるが、この映画はコメディの範疇に入れられているが、この違いを分かりやすく表現していて、人間心理をついていてなるほどなあとうなずかせるものがある。人とは誰でもないものねだりをするものだ。

仮にいまさら、若い感性など持ったとしても疲れるだけだ。絶対に若い頃の闇の中をさ迷い歩くような苦悩を背負おうとは思わない。もちろん全てを超克したわけではないが。今が一番精神的には楽なような気がする。

「いのちの授業」の基本が「死を見つめることによっていのちの大切さを知り、そのことを生徒に考えてもらう」ということだが、私自身としては、余命は限られていても死を見つめたわけでないし、自分の命がそれほど大切だと思っていない気がする。

確かに理論的観念的には「余命を限られ死と向かい合い、命の大切さを感じ1日を悔いなく生きようと思っている」ということ位は話せるが、それが必ずしも実感というわけではない。若い人は感性と思想が一体化して、思った事が語る言葉にストレートに結びつく。しかし年齢を重ねると、自己対象化の作用が働き、思考の中で組み立て構成し直すから、話す内容は観念的になる。しかしそれもまあいいだろう。そういった話か方しか出来ないのもまた個性のうちだ。

そういった意味で「いのちの授業」は、病気を体験したばかりの若い人が話すのが一番いいとは思うのだが、誰も話し手がいなければやる他ない。

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3万人を超える自殺の原因

7月4日(金)
7月4日の朝日新聞の朝刊に「自殺数、地域別に分析」という記事があった。
「年間の自殺者数が10年連続3万人を超えるなか、民間の自殺実態解析プロジェクトチーム(PT)が、これまで公表されなかった警察署別のデータをもとに初めての詳細な分析を試みた。この中で自殺に至る要因が連鎖していることを明らかにした。」

 例えば会社員であれば配置転換―過労―家族不和―うつ病―自殺。自営業ならば事業不振―生活苦―多重債務―うつ病―自殺のような経過をたどる。「自殺を防ぐにはうつ病対策が重要なのは事実だが、そうなる前の段階における要因も知り、企業や医師、行政の各担当者が有効な対策を考えてほしい。」(PT清水代表)

自殺の要因の最多はうつ病だが、うつ病になる要因を考えなければならない。自殺に直結するうつ病になる要因を取り除かない限り自殺者が減ることはない。要因の2位は家庭不和、3位は身体疾患、4位は生活苦、そして職場の人間関係、職場環境の変化、失業、事業不振、過労などがありそれが重なることによってうつ病になる。

統計表によると自殺の原因は健康問題になっているが、この多くがうつ病であり、また過重労働による身体疾患と考えていいだろう。そういった結果波状的に生ずる家庭不和、家庭問題が大きな割合を占めている。勤務問題、経済生活問題は当然のことながら現在の労働過程に起因している。つまり90%が現在の大企業中心の産業再編成の犠牲者だとも言えるのである。

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 現在の新自由主義経済(注)の下で、「聖域なき構造改革」の大号令の、小泉・竹中のネオコン(注)路線の下、そして経団連の奥野を含めた経済・財政諮問会議の方針によって、産業再編合理化が急ピッチに進められた。労働法制の規制緩和の中で大量のリストラと合理化、下請け切捨てを行い、正社員を削減し、下請け、派遣労働者を大量に導入していったそういった政策、路線の結果が今の自殺者の増加に繋っている。その結果大企業はバブル期を超える収益を上げ、労働者は悲惨過酷な労働条件で死に追い込まれているのである。

何故うつ病になるのか。それはほとんどの場合、現在の労働の在り方から来ている。会社員の場合、リストラを免れた人は、減らされた人の分まで働かなければならない。毎晩遅くなり、休日も休みを取れない。当然家庭不和になる。また過労による身体疾患を抱えることになる。それで会社を休むと、給料はカットされ生活苦になる。そういった連鎖の中でうつ病になり自殺に追い込まれる。

一方リストラされた方は即、失業、生活苦に見舞われる。たとえ新しい職場に見つける事が出来ても、長年一つの職場でこつこつと仕事をしていた人が、かなりの年齢で慣れない仕事を強制され、そこでの人間関係、職場環境に溶け込む事が出来ず、うつ病になっていくということになる。残るも地獄、去るも地獄、それが今の正社員の現状だ。

 自営業者にとっては、多くが大企業の下請けで、景気の安全弁として使われている。忙しい時には、徹夜徹夜で仕事をこなし、仕事がなくなると従業員にどうやって給料を払うか考えなければならない。大企業は商品の売れ行きよって、下請けを意のままに操る。景気が悪くなれば切捨てる。

下請けは自衛策として下請け派遣を利用する。「秋葉原事件」の背景にあるのは、トヨタ式生産方式(利益至上主義)に他ならない。容疑者は関東自動車工業に派遣会社日研創業から派遣されていた。

トヨタを含めて自動車業界は今減産調整をしている。若者の車離れ、ガソリン高、米国の景気低迷で車が売れなくなり、大幅な経費削減に取り組んでいる。そのために派遣社員を景気の調節弁として切捨てていっている。トヨタにとっては売り上げが落ちても、利益を落とすことはないそういった構造の中で派遣労働者は絶えず首切の不安の中で仕事をせざるを得ない。

自営業者の事業不振は、大企業の利益保持のための犠牲の結果なのだ。頼り切ってきた大企業にある日仕事を打ち切られる。どうにかしようと負債を抱える。それが雪だるま式になり身動きが取れなくなる。そして死を選ばざるを得なくなるまでに追い詰められる。自殺の原因の多くは、小泉-竹中-奥野の経済諮問会議の路線による、産業再編合理化の結果なのである。

新自由主義:市場原理主義の経済思想に基づく、均衡財政・福祉および公共サービスの縮小・公営企業民営化・経済の対外開放・規制緩和による競争促進・情報公開・労働者保護廃止などをパッケージとした経済政策の体系。

ネオコン(新保守主義):
新自由主義を基本とし、地方を基盤とし安定的な経済を与える従来の保守とは異なり、大都市市民を基盤にして台頭した。経済的には政府による介入を極力排し、市場や企業の活動への規制をなくす傾向が強い。大企業や富裕層への減税と間接税増税、福祉削減、規制緩和などによって特徴づけられる。(Wikipediaより)

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被害者感情とマスコミ報道

7月3日(木)
鳩山法相は「死神」報道について
新聞に次のような記事が掲載されていた。 
「計13人の死刑執行を命令した鳩山法相を「死神」と表現した朝日新聞夕刊1面の素粒子欄について、朝日新聞社が、全国犯罪被害者の会(東京)の抗議文と公開質問に対して回答したことがわかった。」(7月2日11時40分配信 読売新聞)

これは、朝日新聞6月18日の夕刊で、「死神」と鳩山法相を表現したことへの抗議に対する回答があったという記事だ。この朝日の記事は
約3年の中断を経て死刑執行が再開された平成5年以降の法相の中で、鳩山法相が最も多い13人の死刑執行を行ったことに触れ、「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名は死神」というものだ。

鳩山邦夫法務大臣は6月17日、3名に対する死刑執行を行った。今回の執行で、7ヶ月間に連続して4回、合計13名の死刑の執行を行った。このような連続的にして多数の執行は、過去になかったことであり、死刑に対して常に謙抑的であった日本の刑事司法の歴史に真っ向から反するものである。こういった鳩山法相の執行に対して、朝日新聞は「死神」と表現した。

犯罪傾向と量刑

今日、統計上凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)は減少傾向にある。2003年の13,658件をピークに下がり続け、07年には9,051件にまで減少している。それに比較し、死刑確定者数は03年の2件から、04年14件、05年11件、06年21件、07年23件となっており、また死刑執行者数は05年1人、06年4人、07年9人、今年になってから半年で10名の執行が行なわれた。今無期囚の仮釈放はほとんど認められず実質的に終身刑化している。多くの事件での量刑がかっての2倍近い重罰化が相次いでいる。この重刑化、重罰化は何が原因なのだろう。

一つはマスコミの重大事件における過熱報道で、体感的社会不安を醸成しているのではないか。集団的過剰同調によって、マスコミは被害者感情をことさら取り上げ、裁判の公平さを阻害する要因となっている。国民は冷静な目で事件を評価したり判断する眼を奪われて、凶悪事件の多発という報道に振り回され、犯人に対する死刑への大合唱に加担していくのである。

放送倫理・番組向上委員会の意見書

こういった今日のマスコミの報道のあり方についての問題点は、放送倫理・番組向上機構が出した「光市母子殺害事件の差戻審に関する放送についての意見」の中に端的に書かれている。ここでの報道と同様な報道が一般的に行なわれているからだ。この意見書は犯罪報道を扱うマスコミの姿勢全般に対する警告書でもある。少し長くなるが引用する。

「番組の多くがきわめて感情的に制作されていた、という印象をぬぐえない。冷静さを欠き、感情のおもむくままに制作される番組は、公正性・正確性・公平性の原則からあっという間に逸脱していく。それはまた、民主主義の根幹をなす、公正な裁判の実現に害を与えるだけでなく、視聴者・市民の知る権利を大きく阻害するものとなる。

巨大な放送システムを持ち、大勢の番組制作者がかかわり、演出や手法のノウハウを蓄積しているはずのテレビが、新聞の見出しを見ただけで、誰でも口にできるようなことしかやっていない。いったい番組制作者は何を調査し、何を思い、何を考えたのか。被害者遺族が語ったこと以外に、言いたいこと、言うべきことはなかったのか。

画面には、取材し、考察し、表現する者の存在感が恐ろしく希薄である。そのような番組しかなかったことに、委員会は強い危惧を覚えないわけにはいかない。本件放送には、そのような意欲や取り組みは見受けられなかった。

多くの番組は、被害者遺族に同情し、共感するところで止まってしまい、被告・弁護団の主張・立証を最初から、荒唐無稽で奇異なものとして全面的に退けてしまっている。事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、これらのことに思いを馳せ、いま立ち止まっているところから少しでも先へと進み出ることを、委員会は希望する。」

こういったマスコミ報道に呼応するように、判決内容はメディアの論調と符合する。裁判員制度が始まろうとしている現状の中で、このマスコミ報道が改まらない限り公平な裁判が出来るとは到底思えない。

被害者感情の問題

被害者感情によって死刑制度の存続が必要という主張はあたらない。確かに肉親を殺された被害者遺族にとって犯人は殺しても飽き足らないのかもしれない。しかし死刑が執行されたからといって被害者は満足できるのか。マスコミの取材に対して被害者遺族は一様に「犯人を極刑に」と応える。マスコミがそういう応えを誘導しているとしか思えない。そう応えないと何と薄情な親だろうとかいった世間の非難にさらされかねないからそう応える。

中には「犯人が死んでも娘は帰ってこない。犯人には一生償いの日を送ってもらいたい。」と応える人もいる。しかしそれはマスコミで放映さない。ということで、死刑存置は被害者感情といった流れが形成されていく。

4_66402.jpg「デッドマン・ウォーキング」という映画があった。実際に死刑囚の精神アドヴァイザーを務めた修道女ヘレン・プレジャンの本に感銘を受け映画化を熱望したS・サランドンがヘレン本人に扮した人間ドラマだ。映画の中で、死刑執行に家族が立会い、執行を見届ける。しかしそれによって何かが変わるものではない。犯人に対する憎しみが消えるわけでもない。加害者の死刑は何も解決しなかった。そこに救いはなかった。最後に、娘を殺された父親が、それまでは加害者の味方として排除されていたヘレンの所に来て、「許す」という心境に一緒になって向かいたいと言ってきた。救いはそこにしかなかった。

また兄を殺され、犯人が死刑執行された原田さんは言う。「死刑が執行されて、被害者感情、国民感情だといわれる。国民感情って何でしょう。よくわからない。被害者感情って何でしょう。それもわからない。被害者の権利なんて何もないです。被害者支援を全く無視して、死刑廃止のことはできないと思います。」

原田さんは加害者との文通面会を通し、加害者の反省の念の強さに打たれ、死刑を回避するように嘆願書を出した。しかしそれは全く無視され、死刑判決が下された。被害者感情は全く無視されたという訳だ。被害者感情とは利用できるものは利用するというご都合主義的なものだ。検察や裁判所が本当に被害者の気持ちを汲み取っているわけではない。

被害者支援は経済的にも精神的にも必要なのは確かだ。死刑制度はそれには何の役割も果たさない。国家は被害者感情を利用して、重罰化、重刑化をすすめているのである。

死刑が廃止されたヨーロッパの国々では、被害者感情は抑圧されたままなのか。そうではなく、死刑という方法で被害者感情を満たすという幻想を与えるのではなく、被害者保障制度の充実を図ることによって被害者の救済を進めてきているのである。また死刑が廃止されたからといって凶悪犯罪が増えたという例も全く見られない。死刑制度は犯罪抑止にはならない

何故死刑廃止なのか
死刑廃止議員連盟の亀井氏は語る。「被害者の報復感情を満足させるという考えは大昔からあります。人間ですから。しかし、報復感情を個人としてもっているということと、国家としてそれを認めるということは別の問題です。私たちは、国家が否応なしに、被害者に代わって報復するということと決別すべきです。

国家は人の命を大事にするのが原点で、殺人をしてはならない。長い間拘置され、もはや社会に危害を与えないものを殺すのは国家による殺人のほかならない。

死刑があるから犯罪を起こさず、死刑がなければどんどん人を殺してしまうというような、そのような理性的な判断をもとに犯罪を起こすようなことは、ほとんどないと思います。死刑制度の有無と犯罪を起こす、起こさないということには関係がないと思います。」

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ラーメン屋再生計画

7月1日(火)
 沖縄に一緒に行く友人Y氏の家に旅行の打ち合わせに行く。旅行は7月10日から16日までで、往復の航空券と一泊の宿泊付きの格安チケットを購入した。後5日分の宿泊場所は自分で確保することになっている。

一泊目はパックに含まれている那覇市内のホテルに宿泊する。次の日にY氏が4年前に行ったという阿嘉島に行くことにした。この島は慶良間諸島の中で最も西に位置し、東西・南北とも2km強で面積4k㎡弱である。那覇泊港からフェリーで1時間半、高速船で55分である。静かで何もないがのんびりするのにはいい所だという。そこで2泊し、良ければそのまま継続し、飽きたら外の所に移ろうということにした。

 Y氏が学生時代アルバイトをしていた、渋谷の宮下公園前、明治通り沿いにあるラーメン屋を訪問した時のことに話が移った。そのラーメン屋は大学の友人5,6人でかわるがわる出前のアルバイトをしていた。私もやっていった。味もよく、客の入りもかなりよく、出前もあった。マスターとは個人的にも親しくして新年会など自宅にも招かれていた。

Y氏が3年ほど前にそのラーメン屋に行った。店の名前が「ラーメン居酒屋」となっていた。以前は「札幌本店」という名前だった。昔ラーメンのチェーン店がはやった時期につけた名前で、実際には何の系列もない。

Y氏がラーメン屋に入った時、何か雰囲気が暗く、マスターは当然のことながらすっかり年をとりカウンターの奥に座っていた。地の利もよく、周りにラーメン屋がないということもあっておいしいラーメンを提供できれば客は幾らでも集まるだろうと思う。

しかし「ラーメン居酒屋」と名前を変えたとき、マスターのラーメン屋としてのプライドは失われたのではないかと思うと残念な気がする。私はラーメン愛好家と言ってもいいほどラーメンが好きだ。外に出掛けた時は、必ずラーメンを食べる。店を選ぶ時チェーン店は選ばない、無難な味だが本当にうまいといった感動を味わうことが出来ない。ましてや「ラーメン居酒屋」と書いてあるような店でラーメンを食べようとは思わない。店主が工夫を重ね自分の味を究めたような店のラーメンはやはりおいしい。

学生時代世話になったラーメン屋が衰退していくのは見るに忍びない。そもそも「ラーメン居酒屋」という名称が悪い。酒を飲む人は居酒屋へいく。ラーメンを食いたい人はラーメン屋に行く。ということで両方のニーズを満たそうとする事がかえって両方の客を引き離してしまうことになるのだ。

何も居酒屋と名を打たなくてもラーメン屋で酒を飲めるのは通常であり、チャーシューとかメンマとかつまみを頼むことも出来る。ラーメン屋として再生させなければ将来の展望はない。味は確かに申し分ない。後は売り込みの戦術だ。

「札幌本店」という名称は今でははやらない。膨大なラーメン愛好家の気を引くような名前ではない。チェーン店の一つ位にしか思われないからだ。インパクトのある店名と、店の特徴を、味の秘訣をアピールする看板位あって、味がよければ後は口コミで客が客を呼んでくれる。

このような「ラーメン屋再生計画」を話し合って盛り上がった。しかしもう80歳近くになっているはずのマスターに色々言うのも辛いものがある。ともかく近いうちに渋谷のそのラーメン屋に行こうということになった。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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