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全米オープンテニス 錦織圭

8月31日(日)
WOWOWで全米オープンテニスを放映している。日曜日でテレビを見ていたが、錦織圭が出ているので見始めた。日本の男子のテニスは低迷しており、長い間グランドスラムへの登場がなかった。錦織圭は男子シングルスで日本勢としては35年ぶりに3回戦に進んだ。そして71年ぶりの4回戦をつかんだ。

nisikori.jpg世界ランキング4位のダビド・フェレール(スペイン)に対し、6―4、6―4と2セットを連取。そこから、3―6、2―6と巻き返しを許したが、最終セットを7―5で奪った。

「試合はあまり覚えていない。早く終わらせたかった。」 プロ転向後、2度目となる第5セットでの戦い。18歳の体は、悲鳴を上げていた。両足がけいれん寸前で、ゲーム終盤は緊張で「手が震えた」という。しかし、こんな思いで自らを鼓舞した。「世界4位の相手と互角に戦っているなんて、すごいこと。もっと楽しめ、もっと積極的にやろう、と言い聞かせた」

1,2セットは連続してゲームを取りこのまま行くと思われたが、第3セットに入ると、最速200キロ超をマークしていたサーブの速度は目に見えて落ち、バックハンドの精度も欠いた。錦織の問題は、まだ18歳ということもあってフィジカルな面だと言われている。長期戦になればタフなフェレールが有利になることには間違いない。

しかし、第5セット、5-2にまで持っていき、5-5にまで追いつかれ、マッチポイントを取りながら中々それをものにできなかった。だが最後に勝利をもぎ取った。これは感動的な場面だった。3セットで勝つよりも見るほうからすればどれ程はらはらさせられ興奮しただろう。そして最後の勝利はどれ程の感動を与えたことだろう。苦労すれば苦労するほど勝利の蜜は甘いのだ。そして人に感動を与える。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

成澤宗男著 『9.11の謎』 世界はだまされた。続き

8月30日(土)
「9・11」事件の謎-3  消えた「ビル崩壊の証拠」
 
Twin.jpgワールド・トレード・センター(WTC)ビルが崩壊した原因は何か。米国の公式機関で、これに真正面から明確に回答しているところはない。なぜなら、原因を調査する前に、何者かが証拠となる残骸をどこかに持ち出してしまったからだ。なぜこんなことが起きたのか。

O・パルマーとR・プカというベテランの消防士は、旅客機が直撃した付近の78階までたどり着いているが、声は冷静で、「出火しているのは2ヶ所で、コントロールできない状態ではない」と判断している。

米テレビ局のフォックスは「9・11」当日の実況ニュース番組で、現場のレポーターが南棟が全壊する直前に、北棟も含めて「ビルの底の方で爆発が起きてます…下から白い雲が上がってきます…何かがビルの下で爆発した模様です」と中継している。
 
爆弾について最高権威とされるエネルギー物質研究センターのV.ロメロ前局長も「9・11」直後に、WTCビル全壊のビデオを見て、地元紙に「うまく仕掛けられた爆発物によって崩壊の引き金が引かれたようだ」と解説している。(2002年11月15日号)
 
「9・11」事件の謎-4 国防総省の怪

「9・11」に国防総省に衝突した飛行機の翼や胴体を、誰も見てはいない。実際に、そこで何が起きたのか。旅客機の主要部分が映っていない。記者会見で述べられていたように、細かく飛び散った飛行機の破片らしき別の写真はいくつか存在する。だが、肝心の胴体や主翼が映った写真は皆無だ。建物にのめり込んだ形跡もない。
 
これについて、以前ボーイング704ジャンボ機のパイロットだった人物は、次のように語っている。「飛行機の胴体には燃料タンクや荷物が入っているが、そうした残骸はこれらの写真には出てこない。それにシートは? 乗客は? 私は地上か水面、あるいは建物であれ、飛行機が消えている航空機事故というものをかつて見たことがない。これらの写真が事故三日以内に撮られているなら、必ず残骸があるはずだが。」

また衝突直前のB 757の写真が、なぜか首都にもかかわらず一枚も存在していない点だ。

『USAトゥデー』紙のM・ウォルター記者のように、「翼のついた、巡航ミサイルのような飛行物体を見た。自分がいた右方向から国防総省に衝突した」というような証言も存在する。(2002年11月22日号)
 
「9・11」事件の謎-5 誰かが事前に知っていた

「9・11」事件の直前、事件に巻き込まれて株価が暴落した企業の株が、軒並み大量に売られていた、この動きを探っていくと、諜報機関をめぐる奇怪な動きが見えてくる。
 
「『9・11』前後の株価の動きに関して取材したい?前後といっても、前の方でしょう。それなら、いっさい質問には答えられません」 取りつく島もないというか、米国証券取引委員会(SEC)のJ・ネスター広報官は、こちらの説明についてろくに耳を傾けないまま一方的に電話を切った。今年(2002年)九月半ばのことだ。
 
SECは約2000人の職員を擁し、不正な証券取引を摘発する権限を持つ。だが、記者の取材目的である「史上最大規模のインサイダー取引」される「9・11」事件直前の不可解な株取引について、なぜか取材されるのを極度に警戒している気配が感じられた。(2002年12月6日号)

「9・11」事件の謎-6 ユナイテッド機はなぜ落ちたか
   
乗客が「ハイジャック犯」と格闘し、その結果墜落したとされるのが、ユナイテッド航空93便だ。しかしその後明らかになったあらゆる事実は、この美談を疑わしいものにしている。
 
衝突直後にエンジンだけをはずみで1・8キロも先に飛ばすのは困難だ。 しかも、胴体部分を除き「残った最も大きな残骸部分が、電話帳よりもやや大きいぐらい」というほど機体が細分化していたという。
 
もはや、93便が単純に地上に落下した可能性は薄いことがうかがえよう。では飛行機が航行中に爆破したとして、内部からなのか、それとも外部からの攻撃によるものなのか。興味深い証言が2001年11月15日付『フィラデルフィア・デイリー・ニュース』にある。地元シャンクスビルの村長が、「ミサイルの発射音を聞いた人間を二人知っている。F16も近くにいた」と事件後に発言しているのだ。(2002年12月13日号)

戦争を煽る旧冷戦「生き残り組」-背後に軍需産業と石油資本の影
 
イラク攻撃を前に、ブッシュ政権は「テロとの関係」や「大量破壊兵器の保持」といったロ実を掲げるが、本音は豊富な石油資源を奪うこと。そして実際に作戦を立案しているのは、冷戦時代の残党だ。
 
イラクに対する戦争が成功すれば、ビジネスにとって好都合だ。世界での石油供給を1日あたり300~500万バレル増加させることができる」(ラリー・リンゼー経済担当大統領補佐官)
 
戦争は、見通を明るくしてくれる。イラクの石油をコントロールできるようになるのは最も重要なこと。特に、石油価格についてだ」(ウィリアム・セイドマン元連邦預金保険公社総裁)。
 
ブッシュ政権はこれまで、イラクヘの攻撃について「テロリストとの関係」とか、「大量破壊兵器の保持」といった名目を掲げてきた。だがその裏では、このように本当の狙いを示唆しているような発言が飛び交っている。

冷戦残党のタカ派が権力に復帰し、ご用済みになるのを恐れる軍需産業と、原油供給の先細りにおびえる石油資本の利害を代弁。新たな「敵」への攻撃の口実を考えながら、再び戦争を起こそうとする。これが、9.11の背景にあり、またイラク戦争の本質ではないか。(2002年12月20日号)

付録
■世界貿易センター(WTC)の中の4000人のイスラエル人(ユダヤ人)の従業員が、攻撃の日に欠勤していた。

■米連邦捜査局(FBI)のテロ対策部門責任者、デール・ワトソン氏は17日、昨年9月11日の米中枢同時テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン氏はすでに死亡しているとの見方を示した。

■東大の菅原教授は、「地下で何らかの爆発があったのでは」と言う。「ものの見事に壊れており、衝突だけで起きたとするのは不自然。地下で爆弾テロが起きたと仮定したら説明がつく」「(WTC崩壊後、周辺の六つのビルが倒壊したことも)敷地全体の地下構造が崩れ、ビルごと引きずりこまれたとみられる。

■事件直前に同ビルの警備主任だったのが、元FBI副長官で、1993年の同ビル「破壊」以来のビンラディン「捜査」の指揮官で、ブッシュとも関係が深い仲のジョン・オニールだったのである。オニールは、事件で「死亡」と公式発表されていたが、遺体は確認されていない。

■「我々が慎重にこの問題を観察するならば、我々は、イスラエルの秘密情報機関モサド以上に、これだけの浸透能力と効率の高い実行能力を持ち、影響力がある組織を、アメリカ国内で発見することができない」(サウジアラビア『オカーズ』社説)

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

成澤宗男著 『9.11の謎』 世界はだまされた。

8月29日(金)
9.11事件に潜む、CIAと軍需産業の陰謀についてこの本は、様々な情報を元に追求している。9・11を契機として、「対テロ戦争」の名目でアフガニスタンの空爆が開始され、イラクへの侵略が行なわれていった。9.11は戦争遂行体制への国民的合意形成に大きな位置を持っていった。

策略と陰謀に彩られたアメリカの歴史は繰り返される。真珠湾攻撃をアメリカは事前に把握していたということは多くの事実から明らかになってきている。第一次世界大戦で犠牲のみ多く国の繁栄には結びつかなかった経験を持ち、1929年の大恐慌で疲弊していた国民感情を戦争に駆り立てる材料が必要だった。真珠湾の奇襲攻撃で、一挙に国民世論は参戦に傾いていった。またベトナム戦争を終結しようとしていたケネディを誰が暗殺を指導したのか。様々な疑惑がアメリカの歴史を作り上げている。9.11の陰謀はその最たるものだろう。

成澤宗男さんが『9.11の謎』の続編を出版した。この機会に9.11とは何だったのかについて考えてみたい。以下『9.11の謎』について『週間金曜日』に連載された記事から引用してみる。詳しくは本を読んで下さい。

石油と麻薬がアメリカを戦争に駆りたてる
     米国評論家ミカエル・ラパート氏の見方  聞き手:成澤宗男
 
米国は、アフガニスタンでの戦火が消えないうちからイラク ヘの無法な戦争を始めようとしている。その背景にあるのは、エネルギーと資金への飽くことなき米国支配層の欲望に他ならない。

9月11日事件の計画をかなりの部分まで事前に諜報機関が掴み、ブッシュ大統領も知っていたにもかかわらず、なぜか何の手も打たなかったという事実です。

そもそも、アラブの19人が「犯人」とされた点については何一つ証拠が示されておらず、旅客機がハイジャックされたことを証明する客観的な資料すら何も公開されてはいません。

さらに世界貿易センタービルが全壊した点についても、実は政府自身その本当の原因を特定できていないほど謎だらけなのです。・・・そこで、ここでは特に政府が事件に何らかの形で関与していた事実が誰の目にも明らかな具体例を一つ挙げるだけに留めたいと思います。
   
ペンタゴン(国防総省)がアメリカン航空の77便旅客機で攻撃された際の、迎撃(インターセプト)の問題です。通常最も警戒態勢が厳しい首都の上空で、ハイジヤックされたというAA77便がペンタゴンに追突するまでの間に、一機の戦闘機からも迎撃されなかったとう事態は絶対に起こり得ません。それが、なぜかこの日に限って起きてしまったのです。
 
しかも衝突一五分後にF16機が二機(三機という説あり)飛来しましたが、これはワシントンから二〇〇キロ以上も離れているラングレー空軍基地からでした。わずか約16キロという近さにある、首都防空を使命としたアンドリュー空軍基地から戦闘機が飛び立ったのは、何と衝突が起きた後でした。

すでに衝突前にニューヨークの世界貿易センタービルが攻撃され、ペンタゴンにも同市から「テロリストのアタックがあった」という通報が入っていたにもかかわらずこうした異常事態が生じたのは、政府と軍とが何らかの意図を持って動いたのでない限りおよそ不可能です。 (2002年10月4日号・430号)
 
「9・11」事件の謎 -1 生きていた「自爆テロリスト」
 
米国が、まだ完全にはやめていないアフガニスタンヘの空爆に続き、イラクに対する攻撃の準備を着々と進めている。国際法ではとても認められない無法な戦争を実施する大義名分が、「9・11」である。
 
だが、あの痛ましい事件には、少なくない謎が残されている。どのような証拠をもとに「テロリストの犯人」とされる19人が特定されたのか、ワールド・トレード・センター(WTC)ビルはなぜ崩壊したのか。

「米国には二六の諜報機関があり、予算は合計300億ドルですよ。……ところが(9月11日のテロリストによる)攻撃前の決定的な六〇分に、軍と諜報機関は戦闘機を発着させないままにしておいたのです。48時間たってFBI (連邦捜査局)が犯人だという19人のリストを発表したが、しかし10日たってみると、そのうち7人が生きているというじゃないですか」

空爆が大方収まった今年4月19日、FBIのモラー長官は驚くべき発表を行なう。「(犯人がやったという)確たる証拠を見つけることはできなかった」と言い出したのだ。( 2002年11月1日号)

「9・11」事件の謎-2 テロリスト国家アメリカ (アルカイダはCIAが作った)

1979年以降、旧ソ連軍と 親ソ連派政府軍に闘いを挑んだアフガニスタンのムジャヒディン(イスラム聖戦士)を支援するため、 CIAは創設以来の大規模な秘密活動を開始。70年代から1992年までにムジャヒディンヘの援助は総額200億ドル(約2兆5000億円)、87年だけでも供与された軍事物資は年間6万5000トンにのぼったとされる。
 
さらに、世界の40のイスラム教国から4万人近いイスラム義勇軍が送り込まれたが、ISI(パキスタンの諜報機関・三軍軍事情報部)はこの時、CIAの資金で義勇軍の応募や武器供与、アフガニスタン内部の軍事訓練施設建設などさまざまな役割を担った。また、ヴァージニア州にあるCIAの軍事キャンプで、テロ活動訓練も行なっている。参加したメンーの多くは、イスラム原理主義者か、後にそれに加わることになる中東出身者だった。
 
そして、両者の共闘にさらに欠くことのできないパートナーが加わる。サウジアラビア有数の建築会社を経営する大富豪ファミリー出身で、サウジ王室とも繋がりの深いビンラディンであった。彼は月額で実に2500万ドル(約31億2500万円)もの資金をサウジアラビアや湾岸諸国から集めてムジャヒディンのために投じ、89年にはISIが操るムジャヒディン支援組織「マクタブ・アルキダマー」の責任者となった。
 
同時に、CIAの資金援助で、アフガニスタンとパキスタンの国境付近に多数の武器貯蔵庫やトンネル、軍事キャンプなどを建設する。

カナダ・オタワ大学のミッシェル・チョフドフスキー教授は言う。「CIAの基準からすればテロ組織と呼ばれるアルカイダは『諜報活動の道具』に他ならない。こうしたテロ組織に対する支援は、米国の対外政策の不可欠な部分を構成している。アルカイダなどの組織は今日まで世界のさまざまな地域で行なわれるCIAの秘密作戦に参加し続け、CIAとビンラディンの結合も、過去の話ではない。(2002年11月8日号) 続く

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

サリドマイドの早期承認を!

8月27日(水)
 今日の朝日新聞の朝刊にサリドマイドに関する記事が載っていた。やっと検討会までこぎつけたということで承認まで時間の問題となった。

がん治療薬としてのサリドマイド本格検討 厚労省

厚生労働省は、かつて睡眠薬や胃腸薬として販売された「サリドマイド」を、血液がんの治療薬として承認するかどうかの本格的な検討に入った。深刻な薬害のため販売が中止された経緯がある一方、患者らは早期承認を求めており、議論が活発化しそうだ。

26日始まった同省検討会に、承認申請している藤本製薬(大阪府松原市)や患者団体などが、処方できる医師や扱える病院、卸売業者を限定するとした「安全管理基準書案」を提出。同省は27日に薬事・食品衛生審議会の部会を開き、さらに検討を進める。

サリドマイドは、近年、海外で血液がんの一つ「多発性骨髄腫」への効果が高いと認められ、国内でも医師の個人輸入が急増。未承認のまま使用されており、「日本骨髄腫患者の会」などは早期承認を求めている。(朝日新聞8月27日朝刊)


長い間の「日本骨髄腫患者の会」の努力がやっと実を結びつつあるという感じだ。私自身4月からサリドマイド使い始め、保険適用外のため自費購入せざるをえない。今の所毎日100mg服用で、1ケ月薬代は4万円で済んでいるが、この量では段々効かなってきている。200mgに増やしたいが、その場合経済的に対応できないということで、サリドマイドは増やさないで抗がん剤との併用療法にしようかと思っている。

200mg、300mgを服用している人もいるだろうが、その人たちの経済的負担は大変なものだろう。輸入代行業者には、一度の輸入で送料、諸手数料として26,000円支払わなければならない。何か月分もまとめて買えばその分業者への支払いは1回で済むが、途中で効かなくなった場合薬は全く無駄になるので、何か月分もまとめて買えない。

英国からの輸入で薬代は100mg28caps/パック×2=£392となる。結局今は2ケ月分仕入れていて手数料合わせてドル決済でUS$1,019となる。今は円高だから1ドル109円で計算すると約11万円となる。

厚生省で承認され、保険適用になれば面倒な輸入代行業者への依頼手続きもなくなるし、何よりも経済的にかなり助かる。それでなくても薬による体力消耗で普通に働けない人が多いので、薬代はきわめて重要な問題なのだ。検討会に「日本骨髄腫患者の会」の人も参加している。健闘を期待するほかない。傍聴も出来るそうだ。次回の検討会は9月4日だという。傍聴して激励を送ってあげたいものだ。

 今日行なわれた。薬事・食衛生審議会審議会の内容について以下のように報道されていた。いよいよ承認に向けた具体的な展望が開けた。

「サリドマイド」承認へ 血液がん治療薬として 厚労省

昭和30年代に薬害で社会問題となった「サリドマイド」について、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会医薬品部会は27日、「再発または難治性の多発性骨髄腫」の治療薬として製造販売承認を認める結論をまとめた。近く上部組織の薬事分科会で審議し、承認する見通し。(8月27日12時53分配信 産経新聞)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

公園のバラ・リルケの詩

8月26日(火)
夏が過ぎ、雨が続く。公園のバラは再び咲き始めた。もっとも真夏でも少しは咲いていたのだが、この間急速に、花が開き始めている。秋バラは、春バラと違って、周りの風景の影響か色鮮やかに見える。リルケの「薔薇」の詩がある。

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 幸福な薔薇よ、おまえのすがすがしさが
 ともすればわたしたちをこんなに驚かすのは、
 おまえがおまえ自身のなかで、うちがわで、
 花びらに花びらを押しあてて、やすんでいるからなのだ。(山崎栄治訳)

 薔薇のなかに生まれ、薔薇のなかにひそかにそだち、
 ひらかれたる薔薇のなかよりわれわれにあたえられし薔薇の空間よ、
 心の空間のごと広ければ、薔薇の空間のなかにありても
 なおわれら 大空のもとにある心地すなり。

 薔薇よ、おお 清らかなる矛盾よ
 誰が夢にもあらぬ眠りを、あまたなるまぶたの蔭に宿す
 歓喜よ。(星野慎一訳)


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リルケは多くの薔薇の詩を書いている。彼は薔薇を通して何を表現しようとしていたのだろう。絶対的美の表れとして見ていたのだろうか。揺れ動く心に振り回される自己にとっての永遠の安らぎの表現なのだろうか。自己の心の中の葛藤とその昇華としてみているのか。自己の中の絶対的な核心は、個という限られた存在でありながら、永遠の相を見つめる存在である事の表現なのだろうか。

詩集の解説に次のように書かれていた。
「その高貴な善意にもかかわらず、芸術家の感情生活が現世の境涯の中で営まれる日常生活においては、際限もなく自己を否定しない限り、その調和の存続しえない場所に必ず到達する」(岩波文庫『リルケ詩集』p315)

薔薇を表現する時の「放棄が放棄につつまれ」という言葉は、個の絶対性の確信とその自己否定との間で揺れ動くリルケの心のあり方を示しているように思える。

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ただ一輪の薔薇。我々はその中に何を見る事が出来るだろうか。薔薇を見ながら、リルケの詩を思い出し考えるのであった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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ガン宣告の受け止め方

8月24日(日)
がんの宣告
人はつくづく自分に都合の悪い情報は、意識から斥ける傾向にあると思う。がんも宣告も余命宣告も何故か意に介することなく意識の中に強く刻まれることがなかった。

職場での怪我で出血し近所の整形外科医で治療をしていた。出血が中々止まらないので血液検査をしたところ、血中タンパクに異常値が出て、整形外科医の紹介で病院に行った。そこで、貰った診断書には次のように書かれていた。

診断:多発性骨髄腫の疑い
本日近医より紹介初診となりました。血液検査上上記疾患が強く疑われます。近日中に入院して頂き、病状の評価のうえ、治療方針を決定します。一般的には3ケ月から6ケ月の治療期間後、社会復帰が可能と考えられておりますが、当該患者に関しては、現時点では詳細は不明です。 平成17年11月24日


余命の認識
それを持って職場に戻り、3ケ月から6ケ月の休業の要請をした。家に帰って早速ネットで多発性骨髄腫について調べた。最初に見た資料では、はっきりと予後について「平均生存期間は30~40ケ月です。腫瘍の増大、感染症の合併、腎不全、出血、急性白血病化などで死亡します。」とか書かれているのを読んだ。しかしそれは全く頭に入ってはいない。

当時仕事がかなり忙しく、毎日22時23時まで仕事をし、土日出勤も全く休む事ができず、疲れ気味であった。医者から血液ガンであると聞いて、確かにショックであったが、一方でむしろこれで少しは休めると思ったほどだ。入院までの4、5日の間は引継ぎと入院準備をして過ごし、全く落ち込むこととか将来への不安などなかった。

入院後しばらく検査が続き4、5日たって医者の病気の内容と治療方針について家族も含めた説明会が行なわれた。病名は原発性マクログロブリン血症と訂正され、その説明の最後に「不治の病であり、平均余命は5年程度」と言われた。しかしこれもまったく意に介しなかった。大体医者と言うのは、最悪の状態を言うのが常なのだと思っていた。早ければ3ケ月で職場復帰出来ると信じて疑わなかった。12月に入院し、翌年の3月には戻れると信じていた。

職場復帰に関して

しかし、薬の効果が中々現れず、3月になっても退院の展望は全く立たなかった。結局自己末梢血幹細胞移殖は6月に行なわれた。その結果骨髄内に形質細胞は見当たらなかったと言われた。これで完治したと思った。しかし、化学治療と移殖時の前処置の大量抗がん剤投与による肉体の消耗が激しくとても職場復帰など出来る状態ではなかった。

根絶したと思い込んでいたがん細胞は、再び活動を開始し始めた。10月に2度目の移殖をすることになった。11月半ばに退院したが、その頃健康保険から傷病手当金(給料の6割)が支給されていた。この手当金は一度職場復帰し、給料を貰うようになると打ち切られ、再び病気が悪化し休職することになっても支給されない。復帰する時期は十分考慮するようにと職場の厚生関係の担当者から言われた。最終的には12月に休職期間である1年間が過ぎ、退職扱いとなり、職場復帰はありえなくなった。

ガン宣告の受け止め方
その頃やっと自分の病気を冷静な判断力をもって認識するようになった。つまり本当に「不治の病」であると。つまり運が悪く転移して再発するといったがんではなく、ガン細胞(形質細胞腫瘍)は放って置くと、増殖していく病気なのであり、ひたすら効果ある抗がん剤を飲み続けて延命していく外ない病気なのだということを受け止めていかざるをえなかった。

人にもよるだろう。ガンを宣告され、将来に絶望し3日3晩泣き明かした人もいるらしい。しかし、決して性格は楽観的ではないのだが、ガン宣告に関しては、何故か全く絶望とか、悲愴な思いとかとは無縁に過ごしてきたように思う。それがいいのか悪いのか分からないが、かなり精神的には得をした感じだ。

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サリドマイドの認可が近いか・新薬の開発

8月23日(土)
販売再開にらみ安全策検討 サリドマイドで厚労省 - 47NEWS
サリドマイドに関し、厚生労働省は、国内での販売再開をにらんだ被害防止策の検討を本格的に始める。有識者らによる安全対策検討会を設置し、26日に初会合を開く。

「多発性骨髄腫」治療薬としての製造承認をめぐる同省の審査が、大詰めを迎えたのを受けた措置。薬害の被害者団体から厳格な安全管理体制を求める声が出ていた。

承認申請は、藤本製薬(大阪府)が2006年8月に同省へ提出。審査してきた薬事・食品衛生審議会の部会が27日、多発性骨髄腫への有効性などについて結論をまとめる見通しだ。同省は、審議会と検討会の両方の意見を踏まえ、最終的に承認の可否を決める。 (2008/08/23 共同通信)

エーザイとシンバイオ製薬、「ベンダムスチン塩酸塩」に関するライセンス契約を締結
シンバイオ製薬とエーザイは、18日、シンバイオが日本における独占的開発および販売権を有するベンダムスチン塩酸塩に関して、日本における共同開発および販売に係る独占的ライセンス契約を締結しました。

ベンダムスチン塩酸塩は、欧州では、非ホジキンリンパ腫、多発性骨髄腫、慢性リンパ性白血病治療剤として、長年ドイツで販売されています。また、米国では、今年3月に慢性リンパ性白血病治療剤として承認を受け4月より発売されています。日本においては、現在、シンバイオが低悪性度非ホジキンリンパ腫を対象として、申請に向けた最終段階の臨床試験を実施中です。

日本における非ホジキンリンパ腫の発症数は年間約15000人と推定されています。その中で低悪性度の患者様では初期治療により寛解が見られても再発を繰り返す症例が多く、延命期間は長いものの完治する症例は極めて少ないことが知られています。(8/18 日経プレスリリース)

参考:ベンダムスチン塩酸塩について
本剤は、旧東ドイツ Jenapharm 社により合成された抗がん剤で、現在、欧州では、非ホジキンリンパ腫、多発性骨髄腫、慢性リンパ性白血病治療剤として、「Ribomustin(R)」の製品名でドイツにおいて販売されています。また、米国では、今年3月、慢性リンパ性白血病治療剤として承認され、「TreandaR」の製品名で販売されています。

新薬の速やかな認可を
2つの新聞記事の引用である。血液ガン関係の新薬は次々に開発され、販売されてきている。多発性骨髄腫に関してだけでも5、6種類新薬が開発されている。

何故血液ガン関係での新薬の開発が目覚しいのかについて次のように書いてあった。「これは[MM (多発性骨髄腫)GURUS]と呼ばれるアメリカの高名なMM専門医(複数)の意見ですが、“血液がんの研究、特にMMの研究は全てのがん研究の基礎になる”と言われています。現にVelcadeは乳がんや肺がんにも機序すると言うレポートがあります。MMの研究には若くて優秀な科学者プラス研究費も集まると言われています。がんと遺伝子異常の関係の理解が深まるにつれて、遺伝子異常を標的にする分子標的治療薬の開発となると、血液がんは格好の教材かもしれませんね。」(MOTOGENさんのブログのコメントより)

新薬の開発と同時に、厚生省の認可もそれにあわせてスピードアップしてもらいたいものだ。確かに薬害の問題もあり、臨床試験もしっかりとやってもらいたいのはやまやまだが、認可を待ちながら高い薬で治療を続けている患者にとって見れば一日でも早い認可が望まれるのは当然である。欧米での認可に合わせてその研究成果なども取り入れながらすばやい対応を望みたい。

ともかくまず今使用しているサリドマイドが認可されれば経済的負担もかなり楽になることは確かだ。どちらにしても私の原発性マクログロブリン血症は今の所延命治療だけで治す薬はない。医者も言っているように、出来るだけ延命し、このガンを治す薬が開発されるのを待つほかない。

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定期検診の日

8月20日(水)
2週間に一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果

 IgM  1544←1271←1430←1239
 白血球  2.8←2.9
 ヘモグロビン  12.4←11.1
 血小板  17.3←13.6


再びIgMが上がってきている。1544になりサリドマイドを始めてから一番高い数値になっている。数値の上下はあるけれども全体的には上がり傾向にある。徐々にサリドマイドの効果が薄れてきているようだ。200位まではサリドマイド100mg単独で治療していくが、それを超えるようだと新たな方法を考えなければならない。

サリドマイド100mgを200mgに増やすという方法もあるが、100mgで効果がなくなってきた薬を200mgにしても効くとは限らないし、それよりも現在保険適用外の薬で月々4万円が8万円になるのは金銭的にかなり厳しい。ということで化学療法との併用を考えるということだ。

担当医が候補に挙げたのが、シタラビンとの併用である。サリドマイド100mgは今のまま服用し、それにシタラビン(キロサイト)を併用して服用するという方法である。シダラビンについては以下のように記載されていた。

シタラビン(代謝拮抗剤)

商品名:(製造・販売会社)キロサイド/キロサイドN(日本新薬)

働き:細胞の遺伝情報を持つ“DNA”が作られるのを妨害して、がん細胞の分裂増殖を抑える。おもに、急性白血病の治療に用いられるが、骨髄異形成症候群の適応もある。

薬理:DNAを複製する酵素の働きを阻害し抗腫瘍作用を発揮する。そのようにして核酸の代謝系を妨害することから、「代謝拮抗薬」と呼ばれる部類に入る。

用法:シタラビン オクホスファートとして、1日100~300mgを2~3週間連続経口服用し、2~3週間休薬する。これを繰り返す。なお、服用量は疾患、症状等により適宜増減する。本剤の服用時期は食後とし、1日1~3回に分けて服用する。

副作用:最も重要なのが「骨髄抑制」にともなう血液障害である。白血球、ヘモグロビン、血小板減少が見られる。

以前「代謝拮抗剤」のフルダラビンを使用した事があったが全く効かなかった。薬が違えば同じ系列のものでも効くことがあるのだろうか。サリドマイドの場合副作用はほとんどなかった。疲れやすいというのは、移殖以降ほとんど変わっていないので、サリドマイドの影響かどうか、判断しかねるが、それ以外は全く副作用はなかった。

特に骨髄抑制がないので、外出や人と合ったりすることに関して全く支障がなかったが、シタラビンを使うようになるとかなり行動に制限が出てくるだろうし、体調に影響してくるかもしれない。また併用する抗がん剤としてシクロフォスファミド(商品名エンドキサン・アルキルカ剤)という話もある。どちらにしても、それが体調にどう影響するかが問題だ。
 

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夏の終わり

8月18日(月)
急に朝晩涼しくなった。突然夏が終わり、秋が来た様に気温が下がった。夏は暑くて体力が消耗し、それでなくても抗がん剤の副作用で倦怠感に悩まされているというのに、それに追い討ちをかけるように夏の暑さは肉体にダメージを与える。

しかしその夏が突然去って秋が来たというのも淋しい気がする。まだまだ暑さはぶり返し、残暑が続くというが、涼しい朝が気持ちがいいのは確かだ。夏になって日中30度を越える日が続き、食事の買い物以外ほとんど外に出ることはなく時々図書館に行く位だ。それも自転車でさっと言ってさっと帰ってくる。運動不足になってしまうと思って、夜散歩をすることにしていた。

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今日は久しぶりに朝散歩をする気温だった。公園やその周辺の家々にはサルスベリがピンクの花が至る所に咲かせていた。この花が咲き誇る季節、それは夏の終わりを感じさせる。幾ら暑い日が続こうが、朝晩には気温が下がり日中でも日陰では秋の気配を感じさせる。何か物寂しげな風のにおいをかぎ分ける事が出来る。そういった時期になったのは紛れもないことなのだ。

もはや夏はすぐに終わりを告げる。たとえ疲れるだけの夏であってもそれが去るというのが物寂しいのは何故だろうか。「華やかな光の渦」に囲まれたわけでもないのに。

やはり北国にとっては夏は特別の意味があるような気がする。弘前公園のさくら祭りや青森のねぶた祭りなど雪に覆われた長く暗い冬が去っていき、開放された気分で夏を向かえ、それが祭りとなって表現される。

東京のヒートアイランド現象の中でコンクリートの反射熱に蒸し焼きにされそうになりながら過ごすのとは訳が違うだろう。そういった東京の夏ですら終わりが来るということに一種の寂しさを感じるのは不思議なものだ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

「ももの木」の交流会について

8月15日(金)
NPO血液患者コミュニティ「ももの木」の活動の一つとして、血液疾患の患者が気兼ねなく集うため、2ケ月一度患者・家族交流会を行なっている。土曜日の14時から17時の時間帯だ。参加者は治療を終えた元患者が中心だが、治療中の患者、医者、患者家族、友人が様々など病院を経験した人たちが集まってくる。

各病院で行なわれている院内患者家族交流会の全体会のようなものだ。毎回20名から30名位の参加者で関心のある話題についてグループに分かれたりしながら話し合っている。

交流会での話題は、入院生活の体験、退院後も抱える後遺症、治療についての疑問、治療終了後の社会復帰、患者家族の問題などだ。

患者の多くは自分の病気の現状や、これからのことへの不安を抱えている。実際に経験した人の話しを聞けば不安の多くは取り越し苦労であったりすることもあって不安解消に役に立つ。またこれからの治療経過を体験者から聞くことによって治療への展望を自覚する事が出来る。

患者家族にとっては、どのように患者を支えるのか、患者の病状、精神状態、これからの治療、治療にあたっての注意事項、副作用への対応など初めてのことばかりで心配で居ても立ってもいられないという気持ちだろう。それに一番適切な助言を出来るのは患者自身及び体験者なのだ。交流会に参加する多くの体験者から話を聞くことができる。

闘病体験者も自分の体験が人の役にたってくれるのはうれしいし、苦しい体験をしただけにどうしても伝えたいという気持ちもある。また患者同士で情報を共有し治療や副作用軽減の役に立てることが出来る。交流会に参加している医師には、担当医に聞きづらい病気や治療法について疑問をストレートに聞くことができる。

交流会は退院後の問題、薬の副作用、感染症、就職の活動と元患者の共通の課題が話される。そこで出される多くの実体験こそが元患者にとってこれからどう生きていくかの、最も重要な教材となるだろう。就職活動にしても色々な人の経験を聞く事が出来、自分はどうして行くかの参考にすることが出来る。

「自分の抱えている問題をざっくばらんに話し合える場が欲しかった。ここで何かが解決出来なくても病気について分かっている人に 言いたい放題話なせる場があるということがどれ程ストレス解消になるか。」と交流会に参加したある患者家族は言った。医者や看護師や家族にも話せない悩みを患者や家族は抱えています。それを話せる場、それが交流会だ。

次回交流会 
日時:8月23日(土) 14:00~17:00
場所:東大医科学研究所 (南北線白金台駅下車)1号館⑨ 2階会議室

http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp
場所の変更:1号館2階会議室から、「旧ゲノム解析センター」の2階の会議室に変更です。
        地図の16番

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病院PFIの問題点

8月13日(水)
病院の改修工事
定期外来で通院している病院にチラシが置いてあった。「改修事業等に関するお知らせ」と題し、「建物の老朽化が進み、医療設備等への対応が難しくなっており、平成21年4月から建物の改修工事に着手する。また工事の施工とあわせて、改修工事開始以降、診療や病院経営以外の病院施設などの維持管理業務、医療事務などの病院周辺業務を本事業の特別目的会社(株・駒込SCP)に包括して任せる(PFI方式)事になる。」とあった。

これによって効率的病院運営が可能になり、患者サービスの向上を図る、という。儲け主義、効率化と医療内容の充実とは何時の場合でも矛盾するものだ。儲けるには患者サービスはとことん削る外ない。駒込SCPが、施設整備業務、維持管理業務、医療周辺業務の他に医療機器、医薬品等の調達業務までも受け持つ。21年から17年契約とするとなっている。

医療機器の購入などは中々出来なくなるだろうし、医薬品はもちろん全部ジェネリックになるだろう。清掃や給食やその他、出来るだけ安い下請け業者を使うだろうし、下請け会社は徹底的に安い労働者を調達するほかない。給食の材料も可能な限り安く仕入れるようにするだろう。あるいは食事代を値上げするだろう。

民間企業が参入するということに伴う利潤追求型経営姿勢が患者にとってどれ程のデメリットになるか考えただけで心配になる。1年位前病院の労働組合がPFI導入に反対していたが、組合とはどういった話し合いになったのだろう。結局PFIは導入されてしまったようだ。

病院PFIとは何か
PFI法とは、「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」。つまり、民間の知恵を活かし、公立の病院をうまく運営しようという病院改革だと言われた。PFI(Private Finance Initiative)は1992年にイギリスで生まれた新しい公共事業の手法で民間の持つ経営ノウハウや資金 (Finance)を活用して、税金からの支出を軽くしようというものである。

PFIでは民間企業が事業の主体となって資金調達から施設の設計、建設から維持管理、運営までのサービスを提供することとなり、 行政は年間の契約金を払ってサービスを購入して、サービス内容の水準が保たれているかどうかの監視を行うこととなる。

これを病院に適用する。病院PFIが何をするのかと言えば、例えば医療材料費、薬品費、医療消耗品、給食材料、このような物も 全部PFIが引き受け、その他に光熱費、委託料、手数料、修繕費などもPFIに委託される。 さらに、情報システムの管理、患者の搬送、警備などもPFIが委託を受けてこの金でやる。

結局病院は医療職員を雇い医療をやっていくということになっているが、医薬品、医療材料、医療機器それも全部 PFIが押さえてしまって、その中でやる医療というものはどういったものになるのか、果たして本当にそこで必要な医療の提供が可能なのだろうか。

結果本来公共機関としての自治体病院が果たすべき使命を忘れ、医療の内容も採算を優先した株式会社病院のようになっていくのである。

規制改革会議
そもそも病院PFIが発生する背景として、市場原理主義の導入を柱とした福祉切捨て、医療費削減を目的とする小泉-竹中の構造改革路線がある。内閣府の規制改革・民間開放推進会議(規制改革会議)を中心に医療分野における市場原理導入が強力に打ち出されていった。

規制改革会議の議長でもあるオリックスの宮内会長をはじめ、規制改革会議構成メンバーに医療分野の規制緩和で、商機の拡大が見込める企業の人間が多く入っていることは何とも不可思議なことである。自社の利益のために政策を決定していこうとするのは当然であり、それは政治の私物化でしかない。

本来、公の会議の構成メンバーは、 担当する事項の利害に抵触しないことが基本的条件であり、欧米では抵触すれば conflict of interest と言って大きな 問題になり、宮内氏など規制緩和で恩恵を受ける企業関係者は、絶対にメンバーにはなれないのである。このオリックスが、その後高知医療センターをPFIとして中心的に担っていくのである。

高知医療センター
病院PFIのモデルケースとしてもてはやされた高知医療センターが色々な問題を噴出させてきている。

高知医療センターは県立中央病院と高知市民病院を統合し17年3月に開院。民間の資金とノウハウを公共事業に導入する「PFI方式」を全国で初めて病院に導入した。県市病院組合はオリックスを代表とする特定目的会社(SPC、11社で構成)「高知医療ピーエフアイ」と30年間、約2130億円で契約。SPCは病院建設と医療以外のサービス提供などを担う。

gaikan_02.jpgこの医療センターを巡ってオリックス不動産社員の松田卓と、前院長の瀬戸山元一が贈収賄容疑で逮捕され、裁判を行なっている。このような発注内容を巡る汚職の入り込む余地も多分にあるPFIなのである。

高知医療センターに対してSPC(オリックス等)は入院収益について要求する。この病院は「590床の一般病院と50床の結核病院、8床の伝染病棟、これを9割で回転する。 そして、初年度は一ベッド当り一日4万122円でやる。その次からは4万3421円の診療収入を上げてもらう。

外来の単価については最初は6900円そして、その後は8193円の外来収益を上げてもらう。 そして、それでも足りないので他の会計から33億円ほど公費の助成を要求する」よう言って来ている。病院の医療内容にまで事細かに指図して来ている。絶対に損しないように不足分は結局税金でまかなう事になる。

要するに高知県の医療PFIは、病院経営に触手を伸ばしてきたオリックスと高値の契約を 結ばされ彼らの餌食になったということである。
(参考資料: 明石市医師会医政研究委員会「日本の医療保障の未来像」)

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地球温暖化と原子力産業

8月11日(月)
月刊チャージャー8月号の【調査】まずは疑って係!の特集として、「伊藤公紀教授(横浜国立大学大学院工学研究院教授。環境計測科学)に聞いてみました/温暖化問題って「ワナ」なんですか?」という文章があった。

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温暖化の原因はCO2と決めつけるワナ
伊藤氏は言う「現在の地球温暖化問題で、もっとも不自然なのは極端に二酸化炭素(CO2)排出量だけが問題視されていることです。気候変動にはさまざまな要因がある。ところが、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書でCO2が主な原因と指摘されたことで、世の中は暴走を始めているのです」

「地球温暖化問題では二酸化炭素が完全な悪役になっていますが、人間の活動が排出する物質で、地球環境に影響をおよぼすのは二酸化炭素だけではありません。中国やバングラデッシュで質の悪い燃料を大量に燃やして発生するエアロゾル(煤)は、深刻な大気汚染を引き起こすばかりか、大規模な気候変化の原因になっているらしいということがわかっています。

また、北極振動という北半球の冬にできる北極圏の大気の渦の活動が、世界の海水温の変化に大きく影響していることや、太陽活動の変化が温暖化に影響していることもわかってきています。」

「気候変動が人為的なもの。まして、CO2が主因であるという意見が科学の総意と決めつけてしまうことこそ、人類が陥る第一の落とし穴ではないか」
伊藤氏はこのように語り、温暖化の原因を多方面から分析する必要性を強調している。

CO2が悪者にされる本当の理由とは?
北海道洞爺湖サミットでは、2050年までに世界全体の温室効果ガス排出量を少なくとも50%削減するとの目標を「認識」するという合意がなされた。同時に、原子力エネルギー基盤整備を進めるという合意も盛り込まれている。

「そもそも、IPCCは国内の原子力発電を推進しようとする英国などのイニシアチブで生まれた経緯があると指摘されています。かつて、大気汚染を理由に推進しようという世界的な動きがありました。今度はCO2削減を理由にして、原子力発電を推し進めようとする“力”が存在しているのではないでしょうか」(伊藤氏)

原子力産業のたくらみ
CO2温暖化説の大キャンペーンの背景には、CO2を排出しないエネルギーとして、落ち目の原子力発電を救うための原発業界の強力な後押しがあった。原子力メジャーは各国政府に働きかけ、CO2温暖化説の科学者に研究費を出し、マスコミを大動員して、エコキャンペーンと平行して、クリーンなエネルギーとしての原発の必要性についてひたすらコマーシャルを繰り返している。

欧米の原子力メジャーがインドやパキスタンに原子力の技術と材料を提供し、核実験にまで手を貸してきたのである。イラクや北朝鮮の原子力開発について、アメリカが激しく攻め立てるが、インドやパキスタンについては国連での声明のみで何ら制裁措置をとらなかったことは、何を意味しているのか。いかに原子力メジャーが政治的な力を持っているか分かると思う。

また高レベル廃棄物の地層処分についてもその安全性について宣伝を繰り返している。そして地層処分候補地を募集しているという。そんなに地層処分が安全ならば過疎地に募集するのではなく、東京電力の地下にでも埋めればいいのだ。

財政赤字で補助金がのどから手が出るほど欲しがっている市町村に札びらで頬を叩きながら、地層処分候補地に立候補させようとしている。それほど危険な代物だということを原子力産業自体が知っているからだ。そしてこういった金は全て我々が毎月払っている電気代に上乗せされている。

バイオ燃料の問題点
さらには、バイオ燃料の推進についても、北海道洞爺湖サミットの合意文書に盛り込まれている。食糧危機や、耕地にするための森林伐採などの問題を抱えるバイオ燃料は大きな矛盾を抱えている。バイオ燃料の原料は農作物。今、バイオ燃料の増大によって、ブラジルやインドネシアの熱帯雨林が焼かれて耕作地に変貌している。

その結果、ブラジル産の大豆を原料にしたバイオ燃料のほうが、化石燃料よりも開墾や耕作によって大量のCO2が排出され、環境への影響が大きいという試算もある。

廃棄物や廃炉の問題は未解決のまま進められる原子力発電。CO2地球温暖化論のキャンペーンの中で、CO2だけを悪者に仕立て上げ、原子力やバイオ燃料を進めることで、世界は、大きな危険を抱え込もうとしている。

CO2排出権ビジネス
日本では、削減が義務付けられているのは国だけであり、経済界の反対により企業の削減は義務化されていない。一方、EUでは国の義務を企業レベルにまで分割して課している。従って、日本では排出権の取引は全て税金で行なわれる。

経済産業省の試算によると2020年度までに国内のCO2排出量を13%削減するために、約52兆円必要だという。京都議定書を守るためにロシアから排出権を買うなどという話もある。

どうしていくのか
省エネに気を配ったり、生活の無駄をなくしていき、環境に優しい暮らしを心がけるのは、別に地球温暖化問題がなくとも、正しいことだと思う。化石燃料を燃やして排出する二酸化炭素を減らすべきなのは確かだ。どの道化石燃料はやがては枯渇してしまうものだから。それには風力発電や太陽光発電など研究を進め効率よい電力供給を考えるべきであり、そういった所にこそもっと資金を投入すべきなのだ。

大きな目標を目指すとき、ただひとつの道に固執するのは危険だし、それがどういった勢力によって作られてきたのかを見極める必要もあるだろう。もっと広い視野で「進むべき方向」を捉えて、柔軟に対応していくことが大切だと思う。

伊藤氏は締めくくりとして次のように言っている。「社会を変革する作業は、縦に積み上げた積み木を移動させるのに似ています。いきなり大きく動かそうとすれば、積み木は崩れてしまうから、一番下の積み木を慎重に動かしていきますよね。今後の日本が、こうした大きな視点と見識をもって、進むべき道を見出してくれることを祈っています。」

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高橋歩 『人生の地図』 の中の言葉

8月10日(日)
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高橋渉『人生の地図』という本の中に次のような言葉があった。

人生は有限であるということ。
人生の残り時間は限られているということ。
遅かれ早かれ、自分も死に、大切な人も亡くなるということ。
それは誰もが受け入れなければならない現実(リアル)。
死を身近に感じることで、生への緊張感が生まれる。
メメント・モリ -死を想え-
限られた時間の中で、最高の人生を送るために。

この言葉は死期を宣告されているガン患者の人達、私も含めてだが大きな意味を持つ言葉である。また多くのガン文学と呼ばれているがん患者の体験記にも良く出てくる言葉だ。命が限られていれば残りの人生を充実したものとして生きようと思うのはいわば必然的なものだろう。

確かに余命宣告されているがん患者やその他の患者、特に今は日常生活を送るだけの体力のある患者にとって残りの限られた時間をどう生きるかはきわめて深刻な問題だと思う。

しかし、ある時そうでもないのではないかと思った。全ての人は限られた時間を生きている。余命を宣告されたがん患者も全くそれと変わりない。ただ長さの違いなのだ。それだったらもっと気楽に余命について考えてみようと。

もちろんこれは余命を宣告された人の性格にもよるだろうが、何時死ぬと言われて、がむしゃらになって自分の足跡を残そうという人もいるかもしれない。しかしそれは歴史の中でどの道、やがて藻屑として消えるものでしかない。

そう思うと余命何年などと言われて気張って日々を送るより、そんなことは気にせずに静かに思うがままに残りの人生を生きればいいと思う。何もしない時間、無駄に費やされる時間そういった所がある人生こそが恐らく意味があるのではないかと思う。何もしなくていい時間を持つという贅沢をしばし味わってみてもいいのではないか。

「俺は今ここにいる。そして、常に、今いる場所から前を見る。」(高橋歩)この言葉の意味をかみしめなが生きていく事が問われているのである。

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映画 『闇の子供たち』

8月8日(金)
Story : バンコク駐在の新聞記者・南部は、東京の本社から「日本人の子供がタイで行う臓器移植について」の調査を依頼される。闇ルートで聞き込みを始めた南部だが、臓器を提供するのは“生きた子供”だという驚愕の事実につき当たる。一方、バンコクの社会福祉センターでは新人の音羽恵子らが1人でも多くの子供を児童売春の地獄から救おうと活動していた。

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幼児売買の現実
この映画が示すものは、アジアの貧困層が置かれている現状を浮き彫りにすると同時に、いつでもその犠牲になるのが子供たちだという社会の歪んだ現実を見せ付けている。

お金で売り買い出来ないはずの人の命が、現実では人間の欲望の深さ故、取引される。幼児売買春や臓器密売など、罪のない幼い子供たちが安易に金銭取引されている。事実を暴き、傷つけられている「闇の子供たち」を救おうとすればするほど、残酷な現実が迫ってくる。

臓器売買の闇ルート
臓器移植のための臓器が高値で取引されていく。心臓移植を受けなければ半年で死んでしまう子どものために、裏ルートでタイでの移殖の話を知った夫婦が息子を助けるために、移殖を依頼する。しかしそれは生きた子供の心臓の提供を受けるということなのだ。金で自分の子供の命を買おうとしている日本人夫妻の苦悩に我々はどう対応したらいいのだろうか。そのために一人の売られてきた貧しい子どもが殺されるという現実を突きつけられながらも、結局移殖を受ける事になる。

闇ルートで取引されている臓器の密売に関する取材の中で、日本でのルートを探ろうとすると、暴力団に袋叩きに合う。またタイの現地でも「これ以上かぎまわるな」と銃で脅かされる。その銃を持った男は、各地を回って幼児を買い取る仕事をしている。そして言う「気色悪い日本人め、反吐が出る」と。金の力でなんでも押し通して来る大国のエゴイズムに対する、タイ人の反発が浮き彫りになっている言葉だ。臓器密売にはマフィアや暴力団が絡みながら、幼児の命が商品として売り買いされていく。

日本人としての立場
バンコクの社会福祉センター勤めようとタイにやってきたNGOの音羽恵子はセンターでの自己紹介のとき、職員の一人から言われる「自分探しのお嬢さんに何が出来るの、日本でもやることは幾らでもあるんじゃない」それに対して、恵子はなんとも答える事が出来なかった。

しかしその反発していた女性職員も、恵子が、何日も売春宿の張り込みを続け、怪我をしながらも、エイズになりゴミとして捨てられそうになった少女を救い出す、その行動を知って、仲間として認知するようになる。 

何が進行しているのか
貧困に苦しみ、軽く扱われてしまうアジアの子供たちの「命」をテーマに、歪んだ社会の実態をつきつける。貧しい農村から親に売り飛ばされ、売春宿に監禁され、ベドファイル(幼児性愛者)の観光客にいたぶられ、病気になればゴミ山に捨てられる。また健康であれば、臓器移植のために心臓を提供しなければならないことにもなる。

そしてその売春宿を利用するのが欧米人や日本人などの先進国の人たちなのである。東南アジア諸国の安い労働力を利用し、安い材木を得るために森林を伐採し尽し、彼らを搾取し収奪し貧困のどん底に突き落としながら、自らは繁栄を謳歌している先進国が、まさに幼児売買の加害者として存在しているのだ。

『値札のついた命』
映画の副題にある言葉だが、かくもたやすく子供たちが売り買いされ、命までもが奪われていっている、そういった現実に実は我々日本人が加担しているという事実も見逃す事が出来ない。タイで売られていった子供たちの命に対して、加害者としての日本人としての自分のあり方を問い直してみる必要があるのだろう

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定期検診の日

8月6日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
  IgM   1271←1430←1239←1324
  白血球  2.9←2.7
  ヘモグロビン 11.1←12.3
  血小板  13.6←17.9


4月2日からサリドマイドの服用を始めて4ヶ月になる。IgMが上がり調子だったが、今日の検査の結果再び1200台に戻った。サリドマイドからはまだ見放されていないようだ。サリドマイドだけで6年間延命し、普通に仕事を続けている人のことが新聞に書いてあったことがある。そういった例もあることだから気長に様子を見ていこう。

混合診療について
現在サリドマイドの自費購入と平行して、定期検診と6種類の保険適用の薬(バクタ、オメプラール、フルゴナゾール、ボナロン、ベザトール、コートリル)を処方してもらっている。しかし混合診療がまだ認められていない現状において、本来、自費購入薬を使用している場合、疾病に関する一連の診療の費用は、「自由診療」として全額自己負担となるルールになっている。今保険適用の医療費の自己負担分が月1万4千円位かかっているが、これを保険適用外にすることになっているのが今の医療システムだ。

ということで、保険適用薬とサリドマイドの処方を一緒に行うことは出来ないので、定期外来日とは別の日にサリドマイドだけ病院に取りに行かなければならなくなった。今まで便宜を図ってもらっていたがそうはいかなくなったということだ。本来だったら保険適用薬も全額自己負担となるはずなのだ。

混合医診療が認められればこういった面倒なことはなくなる。しかし一見、便利に見えるが混合診療には、いくつかの重大な問題が隠されているという。日本医師会ホームページ には次のように書かれていた。

(1)政府は、財政難を理由に、保険の給付範囲を見直そうとしている。混合診療を認めることによって、現在健康保険でみている療養までも、「保険外」とする可能性がある。

(2)混合診療が導入された場合、保険外の診療の費用は患者さんの負担となり、お金のある人とない人の間で、不公平が生じる。

(3)医療は、患者さんの健康や命という、もっとも大切な財産を扱うもので、お金の有無で区別すべきものではない。「保険外」としてとり扱われる診療の内容によっては、お金のあるなしで必要な医療が受けられなくなることになりかねない。

特定医療費制度の利用

特定療養費制度とは公認された混合診療だ。。先端医療が一般的になって保険適応になるまでには時間が かかる。しかし、それが必要な患者さんにいつまでも待ってもらうわけにはいかないのが実情だ。そこで混合診療解禁の 話が出てくるのですが、特定療養費扱いになった先端医療は高度先進医療として保険と自費診療の併用が可能になる。これを利用すれば「自由診療」扱いで全額自己負担をしなくても済む事になる。

ただし特定療養費扱いの高度先進医療は厚労省が認めた施設(主に大学病院)でしか行えず必ず治療データを 提出しなければならない。ということで次回の診療の時までに、サリドマイド開始日4月2日からの服薬記録を病院に持っていかなければならない。

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佐野洋子『100万回生きたねこ』

8月5日(火)
100mann.jpgこの絵本が語っているのは死の意味である。しかし死は虚無である。死については誰も語ることは出来ない。ならばどうするのかそれは生について語ることである。いかに生きたかがいかに死ぬかを照射するのである。

Story: 100万回生まれかわっては、飼い主のもとで死んでゆく猫。飼い主たちは猫の死をひどく悲しんだが、猫自身は死ぬのなんか平気だった。ある時、猫は誰の猫でもない野良猫となり、一匹の白猫に恋をする…。

生とは、死とは、幸福とは、愛とは、それが自分の人生にとってどういった意味を持つのか、この絵本は考えるヒントを与えてくれる。一匹の猫を通して本当に生きるということはどういうことなのかを示唆してくれる。

100万回も死んで、100万回も生きて、100万人に愛された猫。 でも、愛することを、知らなかった。100万回生き返るまで、彼は自分自身を生きてはいなかった。ただの飼い猫であり、自分の意志で生きることは出来なかった。100万回生き返った時、彼は自分の幸せを、一匹の白猫を愛することによって自分の手で見つけた。どんな刺激的な生活を送ることより、深く愛することができる一人を見つけることができたならそれ以上の人生はないと感じさせる物語だ。

今の社会の中で、人は様々な制約の中で自らを見失い、組織の歯車として自らの意志で動くことを否定されている。その中で人は自分ではない自己を生きざるをえない境遇に叩き込まれている、抑圧された中で、本当の自分を偽りながら、自分を否定しながら生きていく中で、まさに飼い猫のように、やがて自らを見失い、自分を愛すること失念してしまうのだ。そして同時に人を本当に愛することも。 いかに安逸に思えても、それが自らの桎梏であることを自覚した時、その頚木を断ち切り自立した自己として目覚めた時、本当の自分が見えてくる。

100万回生きた中で巡り会った100万人の飼い主たちは、自分なりに猫を愛した。しかしそれがそのねこにとって本当の幸せだったのだろうか。おいしいものを食べ、暖かい環境の中で大事にされそれが本当にねこにとって幸せだったのだろうか。どんなに恵まれていようが飼い猫であった。そこに自由はなかった。100万回生きようと、たった一度の生であってもそこに違いがるのだろうか。たった一度の生であるからこそ慈しみ愛されるものなのだ。自己を失った生は何度繰り返されようが虚無でしかない。

野良猫になって初めて自分自身の生を獲得する事が出来た。自分の思うままに生きる事が出来た。そういった自己の感性の解放の中、始めて自分の心を正直に表現できるようになった。そして白猫への愛を語る事が出来た。そんな当たり前に思える生に巡り会うまでに100万回も生きなければならなく、100万人に飼われ、100万回も生まれ変わった猫。

1匹の白い猫に出会い、その白い猫を愛し、子供を持ち家庭を築いた猫は自分の人生に満足した。100万回の人生を生きながら、しかし何よりも意義のある人生を白い猫と苦楽をともにし、白い猫が年を取ってなくなると、悲しみのあまりともに亡くなってしまい、そして新たな転生をすることはなかった。長く生きることに意味があるのではない。自分の生をいかに生きるかが重要なのだ。

死は生の一つの結果である。完成された生は死の恐怖や喪失感を無意味なものとする。充足した生は死を受け入れる事が出来る。この絵本は色々な読み方ができ、その中で自分の現状を振り返り自分の本来の姿を見つめるために役に立つだろう。飼い猫から自立した猫への道をどう歩むのか。これは今の社会の制度の中でがんじがらめに縛られ自己を見失っている人々への警鐘である。

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山頭火と放浪の旅

8月4日(月)
聞いた話だが、ガンを宣告され余命2年といわれた人が、全財産を売り払い、日本全国を回る旅に出掛けた。2年経ってもう思い残すことはないと、再び東京に戻って来た。病院に行って検査した所、ガンの腫瘍は完全に亡くなっていた。彼は全財産を使い切ってしまってこれからどうしようと途方に暮れてしまったということだ。

ガンは十人十色、人によって全く違った現れ方をするし、治癒の方法も全く違う。どちらにしても好きなことをやるに限るということだけは確かなようだ。それが共通の特効薬であるような気がする。日本全国放浪の旅というのはなかなか惹かれるものがある。実行する決意は残念ながらまだつかないが。

そう思っている時に山頭火のことを思い出した。旅は人生への思索を生み出す。一歩一歩の歩みが生きるということの意味を問う歩みとなる。山頭火の3つの句から旅の意味を考えてみよう。

まっすぐな道で さみしい
俗世から離れ、一人旅を続ける山頭火は、しかしいまだ俗世を捨てきる事が出来ない。その事が同時に山頭火の人間的な魅力を感じることが出来る。煩悩を捨て、悟りの境地を目指す旅の中で、やはり自らの人間的側面を激しく意識してしまうのである。

人生に例えるならば、人はどのように多くの人に囲まれていたとしても最終的には一人でしかなく、その孤独の中で死を迎えなければならない。人の人生は一人でとぼとぼと一本の道を歩み続けなければならない孤独なものなのである。

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さて、どちらへ行かう 風が吹く
人生は至る所に岐路がある。どちらを選ぶか、その選択によって将来の自分の運命が全く異なった様相を呈してくるのである。しかし考えても考えても中々選択する事が出来ない。

そこに一陣の風が吹いて来る。結局風に身を任せ選択してしまう。人生とはそういったものなのだ。考えた結果選択したのと、風任せで選んでしまった結果と結局は大差がない。なすがままの境地がむしろ困難な事態を解決してくれるのかも知れない。

わかれてきた道がまっすぐ

山頭火は、放浪の道を自ら選んではいたものの、度々友を訪れて孤独を癒していた。その友と別れ、無理に背中を見せてしばらく歩き、もう友の姿も見えなくなった頃合いになって、振り返って山頭火が見たものは、ただ真っ直ぐに伸びる道だった。もはや友の姿もなく、再び自分一人の孤独な世界に放り込まれる。

過去も、未来もただ真っ直ぐの道が続いているのみだ。その只中にぽつんと置かれた現在という時間の中の自分の存在の孤立性を噛締める事になる。その誰もいない1本道を一人歩き続けなければならないのが人生なのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

笑福亭小松 『吾輩はがんである』

8月3日(日)
1図書館でふと目に留まった本があった。『吾輩はガンである』という笑福亭小松という落語家が書いたガン闘病記、克服記といった内容の本だった。ガン闘病記は色々あるが落語家というのは珍しいので読んで見る事にした。

笑福亭小松は39歳の時、進行性胃がんと診断され、胃と脾臓を全摘出、すい臓の2分の1摘出手術を受けた。手術後「がん告知」を受ける。兄から告知を受けた時、彼は号泣し「時間を下さい。まだ小さいうちの子が、大人になるまでとは言いません。せめてそこそこ大きくなるまでの時間を私に下さい」と天に向かって拝んだ。

5年生存率15%という中で手術1年後「どうしようもない父親やったけど、最後位はあっぱれに生きたで」という証を残そうと日本列島徒歩横断を決意した。1998年の2月鹿児島県庁を出発し、3000キロを130日かけて北海道庁にたどり着いた。

その後落語の独演会、ニュージーランドで英語落語、定時制高校入学と次々とプランを立てて新しいことに挑戦していった。この次々と積極的に様々なことに挑戦していく姿勢がガンに対抗する力になっていったのだろう。

そして5年生存率15%を見事突破する事が出来た。手術後5年間抗がん剤は一切服用していない。何故再発が防げたのか。

「結局心の動きライフスタイルといったものが自然治癒力を非常に活性化させたのではないか。心の動きががんの治療効果に大きな影響を及ぼす事がわかってきている。イギリスの研究で、生きる意欲が非常に強い人の術後生存率が80%、逆に、自分は駄目だと落ち込んでしまう人の生存率は20%だという。心の持ち方次第で生存率が4倍も違う。」と対談の中で伊丹医師が言っている。

笑福亭小松は最後に次のような言葉で本を締めくくっている。
「今日一日を二度とはない大切な時間と捉え、悔いなく生きる。これこそが人間らしい生き方ではないでしょうか。人が人として生まれ、そして自分らしい生き方を見つけ、精一杯粋、その果てに死ぬのが自然の慣わし。」

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

小林多喜二 『1928年3月15日』

8月1日(金)
学生時代に読んで内容もすっかり忘れてしまっていた『蟹工船』を再び読んだ。全く昔と印象が違う。本は読む時の年齢や精神状態によって様々な様相を呈する。それが面白い。図書館から借りた全集の中に『1928年3月15日』と『党生活者』もあったので読んだ。

1928年3月15日
6365.jpg1928年3月15日未明、政府は、内務省、検事局や警察の総力をあげて、日本共産党員、支持者、さらに反戦活動や労働運動を担っている人々、周辺支援者などを一斉に検挙した。その3年前に制定されたばかりの治安維持法をふりかざして共産党の一斉弾圧に踏み切り、全国で約1600人を逮捕した。その後の連続的弾圧で共産党は壊滅していく。

田中内閣はその年の4月、中国侵略を拡大し(第2次山東出兵)、国内では治安維持法を改悪(最高刑を「死刑」に)、特別高等警察(特高)の網を整備し、弾圧体制の強化を図り、吹き荒れる社会矛盾を隠蔽しながら国内総動員体制、戦争遂行体制へ突き進み、国民統合を推し進めていくのである。

小林多喜二が住む北海道小樽でも「3・15」からの2ケ月間で500人もの人々が検束され、小樽警察は署長官舎に拷問室を急造し毛布で窓をおおって防音し、拷問をくり返した。

特に1928年3月15日の共産党弾圧の後は、拷問の目的が自白強要だけでなく、小林多喜二や岩田義道のときのように、虐殺を目的にした行為に変質した。戦前、特高の拷問で虐殺されたり獄死したりした人は194人、獄中で病死した人は1503人に上る。(治安維持法国家賠償要求同盟調べ)。

小林多喜二の確信
「蟻の大群が移住する時、前方に渡らなければならない河があると、先頭の方の蟻がドシドシ河に入って、重なり合って溺死し、後から来る者をその自分たちの屍を橋に渡してやる、ということを聞いた事があった。その先頭の蟻こそ自分たちでなければならない。」

3.15で夫を逮捕されたお由は、組合の若い人たちがよくその話をしていたことを思い出す。自分達の社会が来る迄、こんなことは何百篇もある。自分たちは次に来る者の「踏台」にならなければならない。

小林多喜二の『1928年3月15日』の中でお由の心の中の描写として表現されている言葉は、多喜二の政府と資本家に対する闘いの揺ぎ無い信念と確信が見て取れる。多喜二の3部作であるこの本と、『蟹工船』『党生活者』はどれをとっても、内容は劣悪な労働者の現実や、拷問を含めた取調べ過程、労働者の組織化の困難さを書き記してあるが、しかし全体的には全く暗さを感じさせない。

そこには未来への限りない確信が存在している。必ず労働者は勝利するといった揺ぎ無い信念がほとばしり出ている。弾圧が激しければ激しいほど、労働者への搾取と抑圧が凄まじければ凄まじいほどそれは、資本家の断末魔の抵抗なのだ。そういった中で、今の闘いの困難さは、むしろ勝利への希望をより確実にしてくれるものでしかない。多喜二の3部作に貫いている明るさは、未来への展望を確信する彼の心情の表れなのだろう。

今日小林多喜二をどう読むのか

止まることを知らぬ物価高、過労死、過労自殺が後を絶たない労働現場、明日の生活も定かでない不安定な非正規社員の増大、このような搾取と収奪の嵐が吹き荒れ、自衛隊の海外出兵と戦争準備が進む中で、組対法、団体規制法など新たな治安法が次々に制定され、治安維持法体制に匹敵する戦時治安弾圧体制がつくられようとしている。

こういった時代の中で、自分達の置かれた状況を改めて見直すのに、小林多喜二の小説は多くの示唆を与えてくれるだろう。ドキュメンタリータッチで書かれていて、臨場感に溢れ、今の労働現場の矛盾を改めて自覚させてくれるものとなるだろう。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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