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釣魚会&患者会

11月29日(土)
旧芝離宮恩賜庭園から釣魚会の会場の海老専科に向かう。浜松町は全く変わってしまったような気がする。ずっと昔に行ったきりなのであまり記憶はないが、汐留めシオサイトから連なるベイエリア開発の一環として、高層ビルが次々と建てられ昔の面影はない。

庭園から、貿易センターにまで戻りその脇を田町方面に向かう。ガードをくぐり、東芝ビルの脇に出る。そこは整備された並木道になっていって、左側にはすっかり紅葉した銀杏の並木が続いている。そこを5分ばかりいくと目的地のシーバンスだ。シーバンスN館とS館に挟まれた吹き抜けのシーバンスアモールという場所の2階が食堂街になっていって、そこに海老専科という中華料理店がある。今日の釣魚会の要綱はももの木のBBSには次のように書かれていた。

釣魚会&患者会のご案内
 ①日時 11月29日(土)13時~16時
 ②場所 JR浜松町駅から徒歩5~6分
      海老専家シーバンス店
 ③会費 3千円(飲みもの付)
 ④食材 釣魚の刺身、唐揚、中華等

この店は、ニチさんの釣り仲間が経営していて、ニチさんは自分の釣ってきたものを自分でさばき、提供する。店は、刺身以外のものを調理して出し、さらに幾つかの料理を追加して、飲み放題で3000円という格安なものとなっている。何しろ材料代提供だから確かに安いのだろうが、このように店を使えるというのは素晴らしいことだ。

hirameusudukuri.jpg参加者は16人で、最初に病状と現状についての自己紹介が行なわれた。テーブルが3つでそれざれに料理が運ばれてくる。最初は、生マグロの刺身、つまは河岸から仕入れてきたのだろう、大皿にマグロがたっぷり並べられている。生マグロなど今まで食べてことがなかったような気がする。確かに冷凍技術が発達しているので冷凍マグロでもおいしいのだがやはり、全く違った味だという感じがした。

さらにひらめの薄造りの刺身、中々の包丁さばきだ。ホウボウのカルパッチョも出てくる。その刺身が一渡り終わって、次に金目鯛の煮付け、それも30~40cmはあるだろうかなり大きなものだ、買えば何千円もするものだろう。

IMG_12321.jpg次々と出てくる。黒鯛のから揚げに野菜のあんかけ、スルメイカのから揚げ、それらはニチさんが釣って来た物だ。さらに中華料理店のほうでは、蒸し鶏、ピータン、くらげの前菜、エビチリ、海老と豚肉の入った小籠包、牛肉と野菜の黒酢煮込み、豆腐鶏肉のあっさり煮、豆苗の炒め物、タマゴスープ、焼飯と盛り沢山で到底食べ切れなかったので持ち帰りも弁当を人数分作ってもらった。さらに様々な種類の酒が飲み放題というのだからかなり格安だ。

自分で釣ってきった旬の魚を皆に食べさせたいという魚好きの心意気で、ここまでやってくれるというのは本当に感謝に値する。またぜひ参加したいものだ。帰りは東芝ビルの所から浜松町の駅に通じる通路が出来ている。その突き当りから芝離宮の全貌が眺望できる。ベンチまで置いてある。そこから直ぐホームに続いている。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

都立庭園-4(2) 旧芝離宮恩賜庭園

11月29日(土)
ものも木のBBSに“釣魚会&患者会のご案内”があった。ももの木のメンバーで釣り好きのニチさんという人が釣ってきった魚を皆に振舞うという嗜好だ。この日は昨日彼が会社を休んで銚子・波崎沖で釣ってきた金目鯛、黒鯛、カサゴ、ヒラメ、スルメイカが出されるということと、知り合いのまぐろ漁船を5隻持っている船長から提供された金華山沖でとった生マグロが振舞われるというとだ。

浜離宮・芝離宮055

浜松町だということで、天気も良かったし、1時間ばかり早く出て、駅前にある旧芝離宮恩賜庭園を散策することにした。昨年10月24日に入院する前に行った事があるが、紅葉の時期また趣も変わっているだろうと思った。秋の静かな物憂げな落ち着いた雰囲気が漂っている。真昼間の日差しが暖かく、日向で昼寝をするには絶好の陽気だ。

庭園は、季節ごとに様相を変える、春のサクラ、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪、それを彩る季節の花々、それだから何時言っても楽しめる。芝離宮の庭園は小石川後楽園と主に今も残る最も古い大名庭園の一つで、典型的な「回遊式泉水庭園」で、池を中心とした、地割りと石割の妙を楽しむ事ができる。

ただこの庭園の一番の問題は周辺が高層ビルに囲まれてビルの谷間にひっそりと佇んでいるという雰囲気から逃れられない。

浜離宮・芝離宮054_convert_20101129110728

浜離宮・芝離宮058_convert_20101129110812 西湖堤

この庭の紅葉はサクラが中心だった。サクラの紅葉は外の木々と違って、葉一枚一枚が赤から黄のグラデエーションを作り出している。ケヤキが山吹色に、もみじが赤に、ハゼの木が橙色に紅葉するのに対してサクラの木は、独自でそれらの色彩の全てを作り出している。誰かがサクラの木の紅葉は「セザンヌの筆致を感じさせる」と言っていた。

このサクラの紅葉が至る所にあり、針葉樹や常緑樹の青々とした木々とのバランスを作り出し池を囲む風景を鮮やかに染め上げている。大山に登り庭園の全体を見渡した(上記写真)。山を降り池の周りを巡り、雪見灯篭を見ながら枯滝の間をくぐり、西湖の提(中国杭州の石造りの提を模したもの)から中島に渡る。

中島には中国で仙人が住み不老不死の地といわれる霊山を模した石組みがある。今度は島から八ッ橋を通って再び池之端に出る。水を渡る風が頬に心地よくあたる。東屋で一休みして、目的地のシーバンスにむかう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

秋の風景

11月28日(金)
朝から降っていた雨が止んで青空が広がった。夕方散歩に出掛ける。いつものように公園に行ってベンチに座る。雨で落とされたのだろう公園の地面にはサクラ、ケヤキ、カシ、ハゼの紅葉した葉が落ち地面を所狭しと覆っている。言い古された表現だが「枯葉の絨毯」だ。何故自然はこんなにも多彩な色の共演を提供してくれるのだろうか。黄色から赤に至る全ての色彩が満ち溢れている。

長崎公園017

静かな空気が満ち溢れている中で、突然耳の中でバッハの管弦楽組曲の第2番第1楽章の曲が頭の中をよぎった。確かに紅葉の景色はバロック音楽がぴったりだ。そもそもバロックという言葉は、調和・均整を目指すルネサンス様式に対して劇的な流動性、過剰な装飾性を特色とする。「永遠の相のもと」がルネサンスの理想であり、「移ろい行く相のもと」がバロックの理想である。

そういった意味で枯葉の情景はバロック音楽に一致するのはいわば必然であるのかもしれない。移ろいゆくものそれは人の命もそうだ。木々が最後に自らの美を表現して散っていくそれはあまりにも人生の有様に似ているではないか。それは悲しくも美しい物語のようであるようだ。

「葉っぱのフェレディ」の中に書いてあったように思う。生を全うした後の死は決して空しいものではない。しかしどのように生を全うするかの答えはまだない。

長崎公園006_edited

公園には秋薔薇がかなり咲いている。ハゼの木は夕日に照らされて真っ赤に輝いている。それが薔薇の背景となって独特の雰囲気を作り出している。

銀杏もまたがすっかり葉を染めている。確かに黄色の葉なのだが、これが夕日に映えると黄金色になる。この輝かしい情景は秋という季節が我々に与えてくれる宝物のような気がする。秋は色と光の交響曲のようにまばゆく輝かしく暮れていく。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日

11月26日(水)
2週間に一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM    2225←2003←1881
 白血球   2.5←3.0←2.6
 血小板   13.9←14.3←17.0
 ヘモグロビン  11.6←11.0←11.2
 IgG  609(基準値871~2007)
 IgA  30(基準値112~580)
 TG(中性脂肪値) 179(基準値30~150)


今回の血液検査でIgGとIgA、それと中性脂肪値を計ってもらった。その数値は上記の通りだ。確かにIgGとIgAの数値はWMにおいて、IgMの増加に伴って減少するのはいわば必然的なものなのだが、これによる免疫力の低下には注意を要する。TGは一時期500を越えた事もあって要注意だったが、基準値に近くなってきているので一安心だ。

IgMは確実に上が続けている。今までの療法が通用しなくなってきている。次にどうするのか担当医が、米国の学会の資料を示して有効性のある療法として提案したのが以下の療法だった。英文で療法の所は読むことは出来たが、前後の文章は読む時間がなかった。その文書の出展を確認しておかなかったのが悔やまれる。今度の検診の時聞いてみよう。

 サリドマイド200mg毎日。
 シクロフォスファミド300mg週1回、毎週。
 デカドロン0.5mg80錠月4日。

これについてどうこう言えるものではないが、薬を増やすということはかなり体に負担をかけることになるので好ましいことではないが、IgMの上昇を止めるためにはやむをえないだろう。サリドマイドは経済的理由で保険適用になったら200mgにするということでそれまでは今まで通り100mgを服用する。

血液検査を終えて、検診まで通常1時間位待つのだが、直ぐに外来治療室に呼ばれた。そこでゾメタの点滴が1時間で行なわれた。一般的には15分位で終わると聞いていたが、まあゆっくりやった方が体に負担がかからなくていいだろうとは思う。

何故ゾメタをやるのか医者に聞いてみた。私の病状はWMではあるがどちらかというとIgM型骨髄腫だという。その違いを聞いてみた。メモに取っておかなかったのでその説明を再現できないが、これこれの検査でこうなったからと5種類位の検査結果を言ったがとても頭に入る内容ではなかった。だからゾメタを使うことにしたという訳だ。一様説明はしたが、患者は納得した訳ではない。WMとIgM型骨髄腫の違いは未だ分らない。そもそもIgM型骨髄腫などという病名がないので何とも理解しようがない。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

映画 『グッド・シェパード』

11月24日(月)
昨日WOWOWで『グッド・シェパード』という映画をやっていた。CIAの成立過程や、一人の諜報員を通してCIAの問題点をえぐる映画だということで見てみた。この題名は「“良い羊飼い”は羊のために自分の命を犠牲にします」という聖書の一節の引用だという。羊とは国家の理性とも読める。しかし、CIAは本当に国家の理性なのだろうか。陰謀と謀略の中で、国家の利益とは何かを主人公は深く考えざるを得ない。そして、国を守るか家族を守るかの究極の選択を突きつけられることになる。監督や俳優もどのような映画になるか興味ある組み合わせだった。

51mb1.jpg監督・俳優
監督・出演 : ロバート・デ・ニーロ
製作総指揮 : フランシス・フォード・コッポラ
脚本 : エリック・ロス
出演 : マット・デイモン 、 アンジェリーナ・ジョリー 、 アレック・ボールドウィン、ウイリアム・ハート

 
STORY:
イエール大学でエリートコースを進んでいた青年、エドワード・ウィルソン(マット・デイモン)は米軍にスカウトされ、第二次世界大戦中の戦略事務局(OSS)で諜報任務に従事することになる。終戦後、OSSの延長線上に創設されたCIAの一員となり、世はソ連との冷戦時代に突入する。そしてCIA最大の汚点と言われた「ビッグス湾事件」の失敗の原因を追求していくが・・・。(シネマ・カフェネットより)

映画の中で、亡命を願い出たソ連の将軍が次のように言っているのが興味深かった。「ソ連は今ぼろぼろだ、アメリカの敵ではない。アメリカもそれを分っていながら、仮想敵国を作り出し過大にそれを宣伝し、自分たちの国の軍事力を強化しようとしている。」

CIAの陰謀
CIAの目的は、米国の覇権の維持拡大であるが、そのために政権中枢に介入するだけではなく、逆に反政府勢力にも介入接触し、政策をコントロールしようとする。反社会集団の活用も辞さず、アメリカが攻撃対象とできる反米集団をあえて育成して、覇権拡大のために利用してくる。ソ連のアフガン侵出に対して、イスラムの過激派を集め、米軍基地で訓練しアルカイダを作ったのはCIAである。

ケネディとCIA
「ケネディ大統領はCIAを壊滅させようとしていた事は様々な資料からあきらかである。ピッグス湾の大失態をまざまざと見せ付けられたケネディは、当時の政府高官に彼がCIAを粉々に引き千切って風に飛ばしてやりたいともらしている。ケネディはCIAを部分修正したり改革を提案するといった生ぬるい物ではなく、CIA組織そのものの徹底的解体をめざしていた。」

また「1963年10月ケネディはヴェトナムにいる1000の兵士を呼び戻すことを強く主張した。ケネディの特別顧問だったケネス・オドンネルはケネディは1964年の次期選挙の後、全アメリカ兵をヴェトナムから引き上げさせる計画をたてていたと証言している」(中央情報局解析より)。そして1963年11月ケネディ大統領は暗殺された。CIAの関与は疑いがない。

CIAを動かす者たち
冷戦後はCIAの予算も大幅に縮小される傾向にあったが、同時多発テロの発生により2001年よりブッシュ政権下で予算は大幅に増額された。戦争はアメリカにとってビジネスだといった人がいた。戦争は米国にとって、世界支配・一国覇権主義の手段であると同時に、金を儲ける手段でもあるのだ。そしてそれを操っているのは誰なのだ。

「米国の真の支配者は政府を買収した者たちだ。大統領はその雇われ人に過ぎない。彼らが権力を握っている限り、米国は戦争犯罪を繰り返す。そもそも米国の大統領は巨大な権限があるとされていますが、国防総省やCIA、NSA(国家安全保障局)、FRB(米連邦準備制度理事会)など巨大な官僚組織があり、自分の一存で急にそれまでの政府の政策を変えることは困難なシステムになっています。同時に米国の大統領は選挙に勝つため一般国民に役に立つかのような期待を持たせ、当選したら財界の御用聞きになるのです。大統領選では財界から一番多くの金を集めた候補者が当選するからです。」(ビル・トッテン)

米国の富裕層
「400人のアメリカの最富裕層、そうたったの400人が底辺の1億5000万人分を全部合わせた以上の財産を持っています。最富裕400人が全国の資産の半分以上を隠匿しているのです。」(マイケル・ムーア)

自動車産業のビック3が公聴会で、政府からの公的資金援助を求める発言をしていたが、その会場に来るのに38億円のジェット機を利用していることへの指摘が議員からなされた。以前石油価格の高騰で、市民が悲惨な目にあっていたときに、公聴会で米国の石油メジャーの幹部は、前年の数倍に及ぶ年収を得ていた事が明らかにした。

今米国発の金融危機が世界を覆っている。これは世界支配を続けてきた米国の新自由主義に基づく市場原理主義の破綻である。戦争による覇権主義の終焉となるだろう。ブッシュ政権は発足当初1270億ドルの黒字を引き継いだ。しかしイラク戦争の失敗の中で現在9兆5000億ドルの負債を背負っている。こういった状況の中で米国はどのような道を歩んでいくのだろうか

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

嵐山渓谷

11月23日(日)
一週間に一度位は、一定の距離を歩かないと体が鈍ってしまう感じだ。同じ病気の人で、腹筋の運動や、腕立て伏せを始めた人もいるが、なかなかそういった運動には手が出せない。スポーツジムにでも行って体を鍛えた方がいいのかもしれないが、そういった方面にはなかなか興味が持てない。ラジオ体操もサリドマイドを飲み始めてから、朝早く起きる事が出来なくなってしまって行っていない。

入院してから、ステロイドを切らしたことがなかったので、睡眠は何時も浅く、朝は早々と目が覚めてしまっていたのだ。今はぐっすり寝られる。これは嬉しいことだが、朝の体操には行けていない。

明日からまた天気が下り坂になるというので、出掛けることにした。決意して家を出たのが10時過ぎだったので、そう遠くにはいけない。今まで西武池袋線沿線に行っていたが、この間、副都心線が出来たときふと気がついた。東武東上線も一本でいけるということに。有楽町線の駅まで行けば、和光市で東武線に乗り入れしている。行動範囲が広がったという感じだ。東武線の外秩父方面には色々見所がある。

駅で東武線沿線情報誌を手に入れて電車に乗り込む。嵐山渓谷が今紅葉の見頃を迎えているということでそこに行くことに決めた。和光市で待ち時間10分、小川町行きの急行に乗り換えて1時間20分で武蔵嵐山の駅に着いた。

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駅から最初の15分は住宅街の中を歩き、254号線を突っ切るとJAの大きな農産物直売所がある。そこから風景はがらりと変わり、既に稲刈りを終えた田んぼが広がり、田んぼを囲む木々の葉が色づいてきている、といった穏やかな田園風景が広がっている。そこを20分ばかり進み、畑や田んぼが途切れる所から森の風景に変わってくる。渓谷の入り口には車止めとして鎖で柵が作られており、そこからが入口だとすぐ分る。

あたりの紅葉が鮮やかさを増して来るようだ。5分ばかりいくと下り坂があり、川を渡る橋がある。冠水橋という。ここからの上流の眺めがなかなか素晴らしい。観光案内には次のように書かれていた。

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「槻川が嵐山町に入ってすぐに大きく蛇行したところで、槻川の清流と岩畳、周囲の木々などの自然が美しい景観を織りなしている。昔は地形的な特徴が長瀞と似ているので『武蔵長瀞』と呼ばれていたそうだが、昭和3年にこの地を訪れた本多静六林学博士により、京都の嵐山に似ているということで『武蔵嵐山』と名付けられた。昭和14年には歌人・与謝野晶子もこの地を訪れ歌を詠んでいる。」

川の周辺を散策し、元の道に戻りしばらく行くと、丸太で作った展望台がある。そこから川に沿って遊歩道があり、紅葉の並木道を川を見ながら散策できるというわけだ。途中に与謝野晶子の歌碑がある。そこから一面のススキの原っぱが広がっている。箱根の千石原のススキの広大な原野といったほどではないが、雰囲気は味わえる。背丈ほどのススキを掻き分け進んでいくと川原に出る。ここはまた引き返していくほかない。

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ここから太平山という山に向かう。登りはそれ程急勾配というわけではなかったが、体力的な問題だろうか、心肺機能が十分回復していないからだろうが、かなり厳しい。後から来た70歳半ばほどの夫婦と同じ速度でしか登れない。太平山は嵐山町の最高地点がある標高179mの山である。山頂には雷電神社があり、ベンチが置かれているが、木立で遮られて眺望はありないが、それでも嵐山町が木の間から見える。

そこから春日神社に向けて一気に下る、何百段あるか分らない丸太で土止めした階段をひたすら下りていく。これは登りだったらとても無理だというような段数である。春日神社はひなびた神社で通り道だから来たが、誰か来ることがあるのだろうかという所だった。

そこから1,2分で往きに通った道に出て、全く同じ道を駅に戻っていった。約3時間のウォーキングだった。買い物以外家に閉じこもっていることが多い生活だから、定期的に体を動かす事が必要だろう。

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ジャンル : 日記

学力向上マニフェストの導入

11月21日(金)
しばらく前の新聞(11/9朝日朝刊)に、「公立小・中が学力公約」という見出しで記事が載っていた。記事は「自治体の学力調査で正答率95%に(小学校)、3年生の60%が英検合格〈中学校〉。こんな数値目標を掲げたマニフェストを作る動きが広まっている。」とあった。

その中で、「今年度から学力マニフェストを導入した荒川区」という記事が目をひいた。荒川区の小学校は「いのちの授業」打ち合わせも含めて何回かいったことがあり、馴染み深い気がする。

いのちの授業を終わった後、生徒達全員に授業の感想文を書いてもらう。その感想文を見ると、授業中は中々質問も出なかったり、意見を言ったりしなかった生徒が、感想文の中では、きちっと話を受け止め命の大切さや、生きるということの意味を真剣に考えて自分なりの表現方法でその気持ちを明らかにしてくれている。そのナイーブな心はどのような学力にも比較できない重要なものだ。その基本的な心を持ち続けていれば、現在の命が軽々しく失われていく世の中を変えていく力になるだろうと思う。

荒川区の33の全区立小中学校は、区教委の指示のもと「マニフェスト」をホームページで公表した。各校はどの程度達成できたかを年度末に自己評価し、学校評議員や保護者にも評価してもらう。「学力向上は今の学校の大きなテーマ」という名の下に、数値で表された学力で人間的序列を付けようとするこういったやり方は、差別と排除の温床として公教育を改変しようとするものである。

あくまでも公教育である。機会均等であるべき教育の中に、競争の原理を持ち込み、他者との共栄共存平等を教えるべき場で、それとは全く逆の試みが進行しようとしているのだ。数字で人を評価するようなシステムの導入に他ならない。

この学力マニフェストに対して尾木直樹氏は「数値目標を掲げた途端、教育は窒息しないか。一人でも『切捨てられた』という思いを持ったら失敗だ」と指摘する。「限られた一部の学校を目指す受験競争が激しくなれば、子供の教育にどれだけお金がかけられるか、保護者の社会的・経済的格差が進学先に響いてくる」(小川洋教授)と格差拡大の問題を提起している。教育現場での再編に注目していかなくてはならない。

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院内患者家族交流会について

11月19日(水)
 11月14日に、私の入院していた病院で患者家族交流会が行われた。その時は私以外、世話人のS氏と、血液ガン患者の1名の参加だった。終わりに近くなって、この病院で患者の相談員を行なっている人が参加してくれた。何故患者・家族の参加がほとんどなかったのだろうか。この間参加者が少なくなってきている。この病院での交流会の利点は病棟のカンファレンスルームを交流会の場に使わせてもらえる点にある。患者や面会に来た家族が最も参加しやすい場所だ。

病院の中で患者及びその家族が話し会える場の必要性は何処からも言われている。患者、家族の交流がどれ程励みになるのか。ある所の統計では患者・家族交流会があったら参加したいという患者、元患者、患者家族が8割ほどあった。ももの木では定期的に各病院で院内患者家族交流会を行なっている。しかし中々患者が集まらない。それは宣伝が足りなく、ある事を 知らない患者がほとんどなのだろう。どうしたらいいのだろうか。

今回の私のいた病院での交流会の状況に対して、今まで金曜日に行なっていた交流会を土曜日にしようという提案を以下の通り行なった。

 土曜日の利点は、次のような点にあると思う。
1、患者は検査などがなく、比較的暇である。
2、退院し働いている人は、それでなくても体調の不安定さ故、休みがちになるので、平日休む事は中々できず、参加が難しい。
3、患者家族も恒常的に面会に来ている人は別として、土日に面会に来る。その時参加しやすい。家計を支えている家族ならなおさら平日の参加は難しい。
4、医者はローテーションで出勤している。参加するつもりなら、平日よりも土曜日の方が参加しやすい。
5、東大の院内交流会に参加した事があるが、20人位の参加者の中で、平日だと集まれる人は限られると言っていた。
6、土曜日だと外出の患者が多いという事で平日にしている患者会があったが、私のいた病院はあまり外出、外泊を積極的に推奨してないようで、それ程多いとも思えない。また外出外泊前に参加することも可能だし、むしろ参加しやすいのではないか。

 この病院内の患者交流会を立ち上げたS氏が何故金曜日にしたのかの説明があった。平日は医者が勤務しているので参加しやすい。看護師も多くいるので、フォローする事が出来る、退院したての患者にとっては平日でも土日でも代わりがないなどの理由だった。

しかし医者は平日でもなかなか参加できていない。看護師が多くてもそれがあまり意味を持たない、現状の中で曜日の変更は可能ではないかと思う。確かに患者会は退院して元気になった人たちの同窓会になってしまってはならないと思う。本来、治療中の患者が一番情報を欲しがっているだろうし、治療を経て元気になった元患者の人たちの治療体験を聞く事がどんなに励みになるだろうか。そしてその情報を求めているのは確かである。

しかし交流会へなかなか参加するというようになっていない。確かに私も入院中ポスターを確かに見ははずなのだが気がつかなかった。今度は放送で呼びかけるなどして集めたほうがいいという気がした。皆必要性を感じていながら中々足を運ぶことが出来ない、この現状をどうにかしていかなければならない。

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何を伝えるのか

11月18日(火)
夕方、鶴見にある横浜市立東台小学校に、12月5日に実施する「いのちの授業」の打ち合わせに行ってきた。そこでももの木の全般の活動紹介と「いのちの授業」とは何かについての説明を求められた。十分な説明が出来ただろうか。

「いのちの授業」は色々な人が様々な内容で行なっている。それぞれに特徴を持っている。こういった中で、ももの木の行なっている「いのちの授業」とはどういったものかについて改めて考えてみたい。

ももの木の「いのちの授業」の説明には次のように書かれている。「体験を聴いてもらい、命の大切さを子どもたちを主体に先生、保護者と一緒に考える授業。 一般の道徳はビデオや教材から子ども達の感想を引き出すが、ももの木のいのちの授業は、目の前にいる話し手の体験談と、生徒とのコミュニケーションを大切にしている。授業はあくまでもきっかけで、この授業を通して、子供たち、先生、保護者が命に対して考えてくれるようになる事を願っている。」

ももの木の「いのちの授業」の最大の特徴は、患者の実体験をベースに語られることである。皆文章を書くことに慣れていなくても必死で自分の体験を語ろうとする。それが人に感動を与えることになる。そして生死をさまようような病を通して実感した「生きる事の喜びやいのちの大切さ」を感じ取ってもらえると思う。

確かにそれは個人の体験でしかない。しかしそれが普遍的な人々の心に共通性を持てば、それは全ての人に生きる意味を感じ取ってもらえるだろう。自分が何を感じたかという事を語り、そしてそのことを通して「いのちの意味」を訴えていくのである。確かに何が子供達に訴えかける言語であるのかは予測出来ない所がある。またそれが授業の興味深い所でもある。

「いのちの授業」は命について考えるきかっけでしかない。そういった意味で、事前アンケート、授業、感想文、事後アンケートという過程の中で、命について考えていく機会を与え、心の中に刻み込んでいってもらいたいと思っている。

ももの木の自由で闊達な風習が何よりも授業の根幹だろう。マニュアル通りの授業ではなく、失敗しても患者又は患者体験者であることがものの木の授業だろう。泣いてしまってほとんど聞き取れなかった授業でもそれが良くも悪くも特徴なのだ。

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友人の病気の状態

11月15日(土)
意識を失う
定期検診の水曜日友人に面会にいった時、友人は寝たきりで目は空けているのだが身動きしない、話しかけても返事をしない。食道がやられ声が出ないのかと聞いても、全く反応しなかった。一体どうしてしまったのか全く検討もつかなかった。医者に聞く事も出来なかった。最も医者もその時は原因が分からなかったのだろうが。

家に帰ってから、友人の奥さんとも知り合いなので、連絡をとって見た。彼女は病院にいて、検査結果を待っているということだった。水曜日の朝までは売店に新聞を買いに行っていた位だという。

私が面会した後、CTを行なったが脳には異常が見つからなかったと言う。その後MRIもやってみたがその結果も全く異常はなかった。意識不明の原因は脳にはなかった。原因を探るべく脳外科、内科、神経科、放射線科の医者が集まり色々と相談した結果、恐らく電解質の不足だろうという結論に達した。電解質の不足であのような意識不明になるという事があるのかと不思議に感じる。

意識の回復
一昨日の抗がん剤治療の副作用によるものかどうかは不明だが、ナトリウムが不足して(低ナトリウム血症なのか?)意識の混濁が生じたのではないかということだった。そこで水分とナトリウムの補給を行なった所、木曜日の昼過ぎに意識が戻ったということだ。昨日院内患者交流会で病院に行ったので、彼の所に行ってみた。

先週の土曜日に面会した時と同じように元気に対応した。水曜日から木曜日の昼間までの事は全く覚えていないということだった。生理食塩水を2パック点滴していた。面会に行った時は点滴の速度を少し遅くするようにしていた。かなり大量に注入していたのだろう。

その時は栄養剤の点滴もしていなかった。全く何も口にしていない状態が続いているが、まずは意識の回復を優先したということなのだろう。放射線治療も抗がん剤治療も全てストップしている状態だ。

友人の病気の受け止め方 
友人の病気ということが、自分にどういった意味を持つのだろうか。食道がんのⅣ期という。少し古い統計だが、全がん協生存率(1997年~2000年)によると、食道がんのⅠ期の場合の5年生存率は78.1%だが、Ⅳ期の場合は7.9%と極端に低くなる。これから彼の病がどうなるか誰にも分からない。もちろんこの統計から8年経っており、がん治療は日々進歩しているので、現在はもっと生存率の数値は上がっているだろう。

同じ年齢だということで彼の病気の進行や回復状態はかなり気分的に共感を呼ぶものとなっている。彼の回復は何故か、自分の病気治療にとって励みになるような気がする。圧倒的に厳しい状態と、治療法の中で頑張っている姿を見るのは、自分の治療への精神的バックアップのような気がする。頑張ってがんを克服してもらいたいという気持ちで一杯だ。

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昭和記念公園

11月13日(木)
今週はずっと曇りがちで今にも雨が降りそうな日が続いた。木曜日になって久々に秋晴れの上天気になり、気温も19度まで上がるという。買い物と病院以外家に閉じこもっている感じだった。運動不足の解消ということで近郊散歩に行こうと思い、全国紅葉情報の東京都を検索してみた。

「紅葉見頃」と書いてあったのは奥多摩、御岳山、鳩ノ巣で、行こうと決意したのが9時過ぎだったので少し遠い。近場で唯一見頃と書いてあったのが昭和記念公園だった。西立川までなら1時間位で行ける。まだここには一度も行ったことがない。10時に家を出て、11時前に公園についた。駅から陸橋があって、公園にそのまま入れる。公園周辺の木々は、情報どおり紅葉していた。

水鳥の池
入口から少し行くと目の前が池になっている。池を囲む木々が、色とりどりに染まり造形美を作り出している。池を巡ると幾つかの彫刻やモニュメントが所々に置かれている。池に沿って行くとハーブ園があり、ハーブの強い香りが当たり一面に漂っている。ボランティアの人達が管理しているらしい。

昭和記念公園004_convert_20100301222011 水鳥の池

池を離れ奥に進んでいくと突然目の前が開ける。そこは広さ10万平方㍍もある広大な「みんなの原っぱ」と呼ばれている所で、高さ20mもあるケヤキの木が中央に立っている。その中の2ケ所に今は何も植わってない花畑の茶色い地面が広がっている。

この公園の特徴として、春には ポピーの花、秋にはコスモスの花が、数十万本植えられ、冬の最中でも山茶花、椿の花が咲いているなど、一年中花が絶えない公園になっているということで、春や秋には花が咲き乱れている事だろう。また桜の園という所もあり、今は既に葉を落としているがかなりの数の桜の木々が林立していた。このように様々な見ものを用意している。

日本庭園
この公園で、紅葉という時期で最高の場所はやはり日本庭園だろう。「池泉回遊式庭園」で、中心には大きな池を造り、西側の岸には「歓楓亭」その南側には「清池軒」と、庭のたたずまいに対応した建築を配している。「歓楓亭」は銅板葺き木造平屋建ての数寄屋建築で、中では茶と茶菓子セットを500円で提供していた。また本格的な茶会を楽しむために借りる事も出来るそうだ。


昭和記念公園028 歓楓亭

歓楓亭からの庭園の眺めると、自然の山の斜面を利用した緑深い木々に囲まれ、その間からせせらぎが池に流れ込んでさながら深山の趣を出している。対して右に目を向ければ、池畔のおおきなアカマツを中心に、穏やかな空間が広がっている。

庭の造りもさることながら、この時期の見ものはやはり紅葉だろう。「歓楓亭」からの紅葉の眺めも素晴らしいが、池の周りを回っていくと大きな木橋があり、その橋から見る紅葉の風景も京都の庭園の紅葉の風景に勝るとも劣らない様に見事だ。

昭和記念公園027_convert_20100301222124 池にかかる木橋

このような都心に近い所にこのような庭があるというのは嬉しいことだ。確かに六義園や清澄庭園などの東京都指定庭園も素晴らしいが、周りがビルに囲まれているのが気になる。ここは裏が雑木林の山になっていて自然に囲まれている情景が、雰囲気を出している。木橋を渡ると昌陽という四阿(あずまや)があり、その裏に和船が係留されている。

こもれびの丘
日本庭園を出て、こもれびの丘に登り展望台まで行って立川市街を眺める。子供の森を通り、もみじ橋の手前に花畑があり、ここだけはまだコスモスが残っていてかなり花をつけていた。一番咲き誇っていたのは色とりどりのダリアだった。その花畑を突っ切るといちょう橋がありそこから銀杏が鮮やかな黄色に紅葉し並木道を作っていた。

昭和記念公園054

西立川口入口に向かう所に、パークトレインの停車場があって丁度停まる所だった。パークトレインは、公園を30分位で一回りする列車(というかバスのようなもの)で、イタリア製、40人ほど乗れるもので、公園を一周する。公園を部分的にしか回っていなかったので、これに乗って全体を見ようと思って乗った。平日だというのにかなりの人出だった。年寄りとおばさん連中が多いが、小さい子供を連れた家族も結構いた。

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定期検診の日

11月12日(水)
2週間に一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果

 IgM   2003←1881←1803
 白血球  3.0←2.6←2.1
 血小板  14.3←17.0←15.9
 ヘモグロビン  11.0←11.2←11.3

IgMは2週間で、122上昇した。100前後という段階では、誤差の範囲内ともいえなくはないが、8月の1271から確実に、少しずつではあるが上昇している。医者の話では、しばらくは今の療法、サリドマイド100mg毎日と、シクロフォスファミド50mg1ケ月に7日間服用を続け、サリドマイドが保険適用になったら200mgに増やしてみようということだった。

もう一つの問題としてはカルシウム(Ca)が9.9だということで、これに対する対処が必要だと言われた。WMの一つの症状として「悪性の形質細胞が骨に浸潤すると、骨の密度が減少して骨が弱くなり(骨粗しょう症)、骨折しやすくなります。」(メルクマニュアル医学百科)とある。骨への浸潤は多発性骨髄腫だけの問題だと思っていたが、WMにも関係しているらしい。そういったことで今まで、錠剤でボナロン35mgを週一度服用していたが、今度はゾメタを試して見ようという事になった。ゾメタは多発性骨髄腫の治療で良く聞くビスホスホネートで、次回26日の定期検診の日に、点滴静注する。

血中カルシウムの基準値は8.4~9.7となっている。9月から9.2→9.4→9.7→9.9と確かに徐々に上がってきてはいる。しかしゾメタまでやる必要があるのかなと若干は思う。

ゾメタ等のビスホスホネートは破骨細胞の働きを抑え、がん細胞が骨に住み着きにくくして骨転移の進行を抑える。これによって骨がもろくなるのを抑えたり、症状の発現を遅らせたり軽くする。ゾメタの主な副作用の症状は「発熱」「嘔気」「けん怠感」などが報告されている。

病院の待合室で知り合いと出会った。その人は急性リンパ性白血病で6年前退院後再発していないが心配だからと2ケ月に1度検査に来ているという。丁度検査結果を見ていたら偶然にもカルシウム値が全く同じ9.9だったが、医者には何も言われていない。WMの場合は骨への浸潤の危険性があるので予防的な意味も含めてゾメタの点滴を行なおうとしているのだろう。

入院中の友人
診断を終わって、食道がんの友人の所に見舞いに行った。彼は寝たきりで目は空けているのだが身動きしない、話しかけても返事をしない。食道がやられ声が出ないのかと聞いても、全く反応しない。一体どうしてしまったのだろう。医者に聞くにも家族以外には病気のことを話すわけはない。先週の土曜日に面会に行った時には、元気で30分位話し続けていた位だったのに。

恐らく抗がん剤治療を始め、そのダメージによる体の極端な消耗があるのだろう。今日の点滴の内容は、栄養剤とソルデムとオメプラール(胃薬)だった。大量のソルデムを入れているということは抗がん剤を抜くためだろう。しかし友人のそんな姿を見るのはあまりにも辛い気がした。がん細胞が全身に転移し、病状が極めて悪化しており、快方に向かう展望は極めて低いのは確かだが、それにしても入院から一週間で身動きも出来ない状態とはあまりにも酷過ぎる。次回行った時にはまた元気で話をして欲しいものだ。

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友人のがんでの入院

11月8日(土)
友人が食道ガンで入院した
学生時代からの友人で、最近しばらく会ってなかったが、一週間前に電話があって、食道ガンで入院する事になったといった。病状はかなり進んでいて、体中に転移しⅣ期だという。手術は到底無理だし、放射線治療も気管に穴を開けかねないから出来ないということで、抗がん剤治療でじっくりと治していくほかにということだった。私が抗がん剤治療をしてきた経験からどのような治療か知りたいといっていった。

4日に私が入院していた病院と同じ病院に入院し、6日に部屋が決まったというメールが入った。今日面会に行ってきった。思ったより元気で、起きて新聞を読んでいた。

何故こんなに重症になるまで気がつかなかったのか。それは全く自覚症状がなかったからだという。食道がんは飲み込みが悪くなるとかのどに何かが詰まった感じがするとかいった自覚症状があり比較的早期に発見しやすいがんなのだが。

がんの進行
症状はまったく別の形で現れてきた。右半身が痺れるような感じがした。しかしそれは若い時の事故の後遺症だろうと思っていた。やがて右手がだんだん利かなくなってきた。そういった状態であった時に、ある晩、食事がうまく飲み込めず、夜つばを全く飲み込む事が出来ず、一睡も出来なかった。次の日病院に行って、胃カメラを飲んだら、食道に腫瘍が見付かり、東京医科大学病院に紹介された。

そこで精密検査をして食道がんと診断された。それもかなり重症で、すぐ入院するようにと言われた。しかし、ベットが空いていないので、しばらく待機して欲しいとのことだった。じりじりしながら待ったが、4,5日立っても何の音沙汰がない。止むをえず、娘の知り合いに頼んで今の病院に入院する事が出来た。救急医療だけでなく、かなり重症で緊急を要する病状なのにベッドが空いてなくて待機せざるを得ない人が何人いるのだろうか。

治療の開始
全身に転移したがん細胞は、右半身のリンパに広範囲に浸潤し、神経を圧迫して右半身の麻痺につながっているという。また食道がんの腫瘍が気管を圧迫して気管が9mm位にまで押しつぶされている。これをまずどうにかしないと呼吸が出来なく。そこでかなり危険だが、放射線治療を入院したその日から始めた。

また固いものを食べてそれが気管に詰まる恐れがあるので、流動食にして栄養剤の点滴を始める事になった。ただ中心静脈カテーテルが、うまく入らず、腕から通して中心静脈まで通す方法があるらしく、それをやり、うまくいったそうだ。さらに大動脈もがん細胞に犯されている。肺やその他の内臓にもがん細胞が転移しているという。体中ががん細胞に蝕まれている。

これ以降は抗がん剤治療を長期に渡って続けながら、放射線治療と組み合わせながらがん細胞を縮小させていく以外にない。友人ががんになったということでそろそろ周りでそういった人たちが増えてくる年齢になったのだなといった感慨をもった。

がんの罹患率、死亡率
そこでがんの罹患率や、死亡率について「国立がんセンターのがん情報サービス・日本の最新がん統計まとめ」で調べてみた

2005年の年間死亡者数は108万人である(人口動態統計)。そのうちがんで死亡した人は以下の通りである。
* 2005年にがんで死亡した人は325,941例(男性196,603例、女性129,338例)。
つまり3人に一人ががんで死んでいる事になる。

また毎年50~60万人の人が新たにがんに罹っている。高齢化が進むに従ってその数は増えている。
* 2001年に新たに診断されたがん(罹患全国推計値)は568,781例(男性325,213例、女性243,568例)。

何歳までにがんに罹患するかといった累積罹患リスク(ある年齢までにある病気に罹患する・その病気と診断されるおおよその確率。)によると、
* 64歳までにがんに罹患する確率は、男性11%、女性11%。
* 74歳までにがんに罹患する確率は、男性26%、女性19%。
* 生涯でがんに罹患する確率は、男性49%(2人に1人)、女性37%(3人に1人)
つまり男性の2人に一人がいずれかの年齢でがんに罹患するという事になる。

何歳までにがんで死亡するかといった累積死亡リスク(ある年齢までにある病気で死亡するおおよその確率。)によると
* 64歳までにがんで死亡する確率は、男性5%、女性3%。
* 74歳までにがんで死亡する確率は、男性12%、女性7%。
* 生涯でがんで死亡する確率は、男性27%(4人に1人)、女性16%(6人に1人)

統計を見て
このように見ていくとがんは決して特殊な病気ではなく、統計上がんは2人に一人が罹る病気であって、3人に一人ががんで死んでいる。だから、よくがんになった人が嘆きながら「何で私だけがこんな病気になったのだろう」と叫ぶ場面がでてくるが、よく考えてみれば、2人に一人かかる病気だったら、確立は2分の1だから、罹っても不思議でもなんでもないと思う。ただしこれは60~70歳の年齢になった人にいえることなのかもしれない。20代30代の人ががんに罹る確率は数%なのだから。

2人に一人罹る病気だ、そう思ったからといってがんであるという現状を受け入れるという事が出来るわけでもないし、気が楽になるわけでもないが、少なくともそういった事実は厳然としてあるということだ。

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国立東京博物館

11月3日(月)
上野で
連休最後の日、といってもあまり関係はないのだが。Yahooのホームページに書いてあった。「連休どこにも行かなかった人、最終日は近場に出かけてみよう」ということでいくつか紹介されていた。さらに文化の日ということで、美術館などいいなというわけでどこに行くか決めずに上野に出掛けた。上野公園の木々は桜やけやきが紅葉を始め、緑の常緑樹の中に鮮やかな彩を添えている。

上野でどこに行くか。一番無難な所でフェルメール展を見ようと東京都美術館に向かった。36点しか残っていないフェルメールの作品のうち7点を集めたという画期的な展示会だという。そのほかオランダの当時の画家の作品を集め全部で38点展示されている。全部で38点しかないのですぐ見終わってしまうし、混んでいたら一つ絵に5,60人が群がってとても鑑賞するどころではないと思った。都美術館の入口に行くと100人以上の人が入場制限のため並んでいる。予想通りになりそうだったので辞めにした。

法隆寺宝物館
何時でも空いているのは一般的に美術館の常設展だ。今まで行ったことのない東京国立博物館に行く事にした。最初に行ったのが、法隆寺宝物館だ。前面の石畳に水が敷かれ、その中央を渡っていく。建物の正面は上から下までの縞模様になって水面に移り、コントラストを見せている。

まだ昼前だったが、混む前にと食事をした。最近は何処の美術館でも小奇麗なレストランが併設されていて、どちらかというと大衆食堂的ではなく、フランス料理屋的な雰囲気である。宝物館のレストランでランチを食べたが、コーヒーのミルク入れにホテルオークラの表示があった。経営がオークラなのだろうか。

法隆寺の宝物が、かなりの数展示されている。正倉院に保存されていたのだろう。江戸時代のものでもかなり痛んで、修復を重ねている物が沢山ある状況に中で、飛鳥時代の作品がほとんど原型を留めて保存されていたというその保存技術に驚いてしまう。

東京国立博物館の常設展
法隆寺宝物館から本館、東洋館と回る。それぞれかなりの数の展示物があり見切れないほどだ。きちっと見ようとしたなら1日かかるだろう。国立博物館のホームページには各館の紹介が次のように書かれている。

本館: 日本ギャラリー: 縄文から江戸まで、日本美術の流れをつかむ時代別展示(2階)と、彫刻、陶磁、刀剣などの分野別展示(1階)、企画展示で構成。
東洋館: アジアギャラリー: 中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、西アジア、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示。東洋美術の集積。
法隆寺宝物館: 法隆寺献納宝物: 奈良・法隆寺から皇室に献納された宝物300件あまりを収蔵・展示。正倉院宝物と双璧をなす古代美術のコレクション。

通常平成館は日本の考古遺物などが展示されているが、今は、特別展「大琳派展-継承と変奏-」がおこなわれており、また表慶館では特別展「スリランカ―輝く島の美に出会う」が開催されている。

庭園開放
東京国立博物館の本館北側に広がる庭園が、10月21日から11月30日まで秋の庭園公開ということで庭園を散策できる。春と秋に解放されるらしい。普段は本館の窓から庭園を眺めるだけだ。池を中心に5棟の茶室を配している。池には鴨が10数羽泳いでいる。また鶺鴒など野鳥も訪れるという。まだ紅葉には早いが、木々が色づくとより一層風情が増すそうだ。

t.jpg

5棟の茶室は、春草廬 転合庵(上の写真)、六窓庵、応挙館、九条館という。春草廬は所沢から運んだものだ。転合庵は小堀遠州が京都伏見の六地蔵に建てた茶室で、その後大原寂光寺に移築された。六窓庵は奈良興福寺慈眼院から運ばれた。応挙館は、尾張国の天台宗寺院、明眼院の書院として1742年に建てられた。九条館はもと京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建物で、当主の居室として使われていた。といった歴史的名建物をこの庭に集めたというものだ。

しかしどうやってあのような建物を移動したのだろう。分解して再び組み立てることが木造家屋の場合は、容易なのだろうか。上野公園の人混みに比べこの庭の中はそれ程人がおらずゆっくりと散策する事ができた。

美術館や博物館の常設展というのは、美術鑑賞における一つの穴場といえるだろう。特別展は何処でも平日でも混んでいるが、常設展は、特に特別展をやってない時はほとんど人がいない。緑に囲まれた美術館併設の静かなレストランでコーヒーでも飲みながら本を読んだり、絵をぶらぶらと見て回ったりゆったりとした時間を過ごせるように思う。

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映画 『イキガミ』

11月2日(日)
自分が余命宣告されているという事で、それに関した映画とかについ興味を惹かれる。余命24時間を宣告された時、人は何をするのだろうか。何をしたいと思うのだろうか。

イキガミ_convert_20100507214751_convert_20100507215024STORY:「国家繁栄維持法」が施行された日本。子供たちは小学校入学時にナノ・カプセルが注射され、その中の誰かが1000人に1人の確率で18歳から24歳の間に、国家のために死ぬ運命にあるのだった。国民の生命価値を高めることで社会の生産性を向上できるということから行なわれている。政府より発行される死亡予告証は通称「逝紙(イキガミ)」と呼ばれ、それを受け取った者は24時間以内に死ぬ。

全体は「イキガミ」を受け取った3人の若者のエピソードで構成されている。親友から引き離され、一人スカウトされた路上ミュージシャンの話し。盲目の妹をかかえた兄の話し。母親の過剰な期待の中で引きこもりになってしまった息子の話である。

路上のミュージシャンの話
初のテレビ出演を翌日に控えているギタリストの田辺翼は、ボーカルと反りが合わず、悩んでいた。元々、親友の秀和とコンビを組み、路上で歌っていたが、翼ひとりだけがスカウトされ、事務所に決められたボーカリストとデュオを組まされたのだった。イキガミを受け取った彼は、死までの5分の時間に、最後の力を振り絞って、自分が最も親しい友人と一緒に路上で演奏していた歌を、音楽番組の中で歌い多くの人に感動を与える。

イキガミを配達する事に悩む主人公に対して、課長は言う「この歌を輝かしたのは、君が届けた『イキガミ』です」と。だからといってこの制度が肯定されるわけではないが、人は自分の人生が限られている事を知る事によって、残された時間を精一杯生きようとするのだろう。

盲目の妹を持つ兄の話

もう一人は、妹のために角膜を提供しようとする。妹はお兄さんが死ぬことになるなら角膜移植の手術は受けないという。苦労してやっと妹を納得させ、角膜移植の手術は成功し目が見えるようになり、兄の優しい心を改めて知る事になる。

ここで語られる2つのエピソードは、一人は人生の最後に、本当の自分に戻り心の底から自分の心を解きはなったのだろう。もう一人は妹のため自分の身を捧げる献身性を発揮し彼女の視力回復のため残りの時間を費やす。死を迎えた時の自己実現と、自己犠牲という2つのテーマが語られている。

この2通りの生き方はある意味で、人が自らの生き方を選択する時の、きわめて重要な要素であると思う。自分の本当にやりたいことをやりきれば死の恐怖を打ち砕く事ができるのではないか。それがどのように理不尽な死の強制であろうがなすべき事を終えて迎える死は一つの救いをもたらすと思います。「常に全身全霊で生きていれば、人生は違ったはず。」と主人公の課長は言う。余命が限られている事を知る時、人はどのように生きるのか大きな示唆を含んだ問題提起であると思う。

引きこもり青年の話
3人目は、物語の主題の「国家が人の命を奪う」ことの問題点を提起するエピソードとなっている。息子がイキガミを受け取り24時間後に死ぬという時に、その死を選挙に利用する冷酷な母親を殺そうとする引きこもりの青年の話だ。

母親は「国家繁栄維持法」の積極的推進者で、息子に来たイキガミに対し、息子は国家のために死んでいくことを賛美する立場で発言する。演説会場に現れた彼は銃を持ち母親に狙おうとする。最初は看板を打ち抜き、次に母親に狙いを定めるが昔の母親の愛情を思い出し撃つ事ができなかった。

息子への死の宣告を悲しむ事もできない「国家繁栄維持法」とは何なのだろうという問題提起になっているように思う。国家がどのような大義名分を掲げようが、人の命を奪うということは絶対に許されないという強烈なメッセージが、息子の撃った銃声の中に込められているような気がする。

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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