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鬼怒川温泉旅行

12月30日(火)
大掃除も終わった。といっても比較的きれい好きの性格で、専業主夫をやっている身なのでそれ程やるところはなく、換気扇と玄関の掃除位をやって終わらした。さて正月の準備というとまたこれが面倒だ。そこで、年末年始を温泉で過ごすという贅沢をして見ることにした。近場で温泉が取れたのでそこでゆっくりと正月料理を味わって、雪が降っていれば温泉につかって雪見酒でまったりと過ごすのもいいだろう。

鬼怒川温泉に行くことになった。今は浅草まで行かなくてもいい。最近池袋発の地方行きの電車が次々と出来て便利になっている。鬼怒川温泉に行ってゆっくりと思ったのだが、色々観光案内を見てみると行く所があり、結局色々と回るコースを作ってしまった。

コース通り回るかどうか分らないが、どうも旅行に行くとゆっくりしているというより色々見てみたい気のほうがはやってしまう。貧乏性なのかなと思ってしまう。日光は小学校の遠足で行ったきりなのでまた行って見たい気がしたのでコースに入れてしまった。見所を回るには観光バスがやはり便利だ。

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                                     龍王峡
鬼怒川温泉旅行日程
12月31日
10:41池袋発(スペーアきぬがわ3号)→12:48鬼怒川温泉着→ホテル→14:00龍王峡散策
1月1日
9:20鬼怒川温泉駅から観光バス乗車→明智平→中善寺・立木観音→二荒山神社中宮祠→華厳の滝→西参道→東照宮・二荒山神社・輪王寺→16:25日光駅着→17:39鬼怒川温泉駅着
1月2日
10:01鬼怒川温泉発(会津マウントエクスプレス)→11:57会津若松着→鶴ヶ城・飯盛山等観光→18:03会津若松発→20:01郡山発(やまびこ222号)→21:32東京着
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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

余命について

12月29日(月)
骨髄腫患者の最多死亡年齢
日本骨髄腫研究会編 『多発性骨髄腫の診療指針第2版』に次のように書かれていた。「多発性骨髄腫の死亡者数は75~79歳の年齢階級で最も多いが、同じ年齢階級の死亡者総数に対する骨髄腫による死亡者の割合を比較すると、60歳を越えると急に高くなり、85~89歳で最も高く、かつ、いずれの階級年齢でも死亡者総数に対する骨髄腫による死亡者の割合は、男性は女性より高率である。」

診断時の年齢中央値は男性65歳、女性67歳、年齢階級別では60歳代が最も高かった。高齢者が増加すれば、多発性骨髄腫の患者は増加する。

この統計は多発性骨髄腫のものだが、原発性マクログロブリン血症もほぼ同じような診断時の中央年齢や死亡者数の中央値を示すことだろう。これはあくまでも統計的平均値的なものでしかない。同じ病気でも人によって全く違った現れ方や予後が存在している。しかしやはり統計数値というものは気になるものだ。

平均寿命
ところで、「日本における平均寿命は、2005年(平成17)の第20回完全生命表によると、男78.56年(歳)、女85.52年(歳)で、2000年に比べ男1.24年、女0.08年の延びをみせ、史上最高となった。ちなみに、第二次世界大戦前に作成された最後の生命表である第6回生命表(1935~36年調査)によると、男46.92年、女49.63年であった。」(Yahoo百科)と書かれていた。

国立がんセンターの「がん情報サービス」の中に「原発性マクログロブリン血症の予後(治療後の生存期間)は治療効果によって異なります。半数以上の人が生存できる期間は有効例(抗がん剤が効いた場合)で5~7年、無効例で3~4年と言われています。」と書かれていた。多発性骨髄腫や原発性マクログロブリン血症の治療薬は年々新しく開発され治療効果を高めているので、余命に関する数値はかなり違ってきているとは思う。

病気の発症年齢が高いので、例え余命が限られたていたとしても平均寿命に近い年齢で死亡しているとも言えなくはない。75~79歳で死亡する人が一番多いというのだから。つまりこう見ると平均寿命と余命との差があまり感じられないような気がする。現在3人に1人ががんで死んでいる。その中の1人になるということだ。

余命宣告
入院して検査の結果、原発性マクログロブリン血症であると病名を告げられ、「余命5年」と宣告された。私は最悪の事を言うのが医者だと思っていたからあまりこの言葉を気にしなかったが、まだ若くて小さい子供を抱えている様な人が、こう言われたら絶望のどん底に突き落とされ悲惨な気持ちで日々過ごしていくことになるだろう。

しかしこれはあくまでも統計数値でしかない。つまりこの病気に罹った大部分の人が65歳以上だったのでそういった結果が統計数値として現れたに過ぎない。

医者の説明不足もはなはだしいと思う。余命を宣告するなら、その統計数値の根拠を示すべきなのであって、それを一般化して宣告すべきではないと思う。余命宣告がどれ程患者の気持ちを逆撫でするかを医者も少しは考えてもらいたいものだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

デカドロンとしゃっくり

12月28日(日)
デカドロンの副作用にしゃっくりがあるとは驚いた。今度の療法で月1回デカドロン40mgを4日間服用しているのだが、先月服用したときにしゃっくりが中々止まらなかった。まさかデカドロンの副作用とは思わなかった。

デカドロンの副作用の所を調べてみたら最後の所に「しゃっくり」と小さく書いてあったし、医者に聞いたら、デカドロンの副作用だと言われて今回は薬を出してもらった。プリンペランにしようか、コントミンにしようかと迷ったが結局コントミンを処方してもらった。今回はデカドロンを服用して3日目だがしゃっくりは出ても5分位で終わってひどくはならない。しゃっくり止めの薬の世話にはならなくて済みそうだ。

プリンペランは胃腸疾患用薬、コントミンは抗精神薬だとある。薬検索で見るとプリンペランは吐き気止めの胃腸薬でしゃっくりを止める薬として用いられることもあると書いてあるが、抗精神薬のコントミンがどうしてしゃっくりに効くのか分らないが、医者が進めるのだから今まで経験から効果があると判断された薬なのだろうと思って飲むことにしよう。

前回は、しゃっくりが1日中続いていた。たかがしゃっくりだが気分のいいものではない。どうにか止めようと色々試してみた。しゃっくりの止め方には色々な民間療法がある。昔からの知恵の蓄積の賜物のような気がして興味深い。昔からしゃっくりで辛い思いをしてどうにかそれを止めようと苦労したのだろうなという思いがひしひしと伝わってくる。

gooランキング 「これは効く!しゃっくりの止め方ランキング」
 
1、息を止める
2、水を一気飲みする
3、人に脅かしてもらう
4、コップに半分ほど水を入れて、手前から飲むのでなく、向こう側から飲む
5、背中を叩いてもらう
6、下を向いて水を飲む
7、十字に組んだ割箸をコップの上に乗せ、四分割されたそれぞれの部分から水を順に飲む
8、「紫色」とはっきり言う
9、上を向いて口を開けて水を飲む
10、おちょこでレモンの汁(原液)を一気飲みする

これらを全て試してみたが効果はなかった。薬の副作用だとやはり薬に頼る他ないのだろうか。何故デカドロンがしゃっくりを誘発するのか分らない。スレロイド剤でもプレドニンの場合しゃっくりは出なかった。横隔膜に何らかの作用をするのだろうが、最初の化学療法がVAD療法でこの時もデカドロンを使っていたが、一切しゃっくりは出なかった。何故この療法でのデカドロンに限って出るようになったのかも分らない。

IMF(国際骨髄腫財団)の出している『デキサメサゾンなどのステロイド剤の理解』というパンフレットに次のように書いてあった「持続性のしゃっくりに対する治療にはThorazine(クルルプロマジン、精神神経用薬)あるいはPhenergen(塩酸プロメタジン、抗ヒスタミン剤)のような処方箋医療品が必要となる場合があります」。しゃっくりといってもあなどれないものがあるなと思った。

病気による症状、薬の副作用による症状等、様々な症状に囲まれて日々生活しているが、今の所QOLに影響を与えるほどの症状ではないので助かっている。こういった調子で続いてもらえればどうにかなるだろう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

金融恐慌と日本の今

12月27日(土)
原油価格高騰の原因
あるテレビ番組でコメンテーターが発言していた。原油価格が下落している。原油価格高騰の原因を投機マネー以外に中国やインドの需要の拡大を上げていたが、現在投機マナーが引き上げられた段階で、サブプライムローンの破綻で行き場を失った投機マネーが原油や食料に雪崩れ込んだ結果、原油価格が上昇していた事が明らかになった。結局値を吊り上げていたのは投機マネーだったのだ。

米国はエネルギー、食料、金融による世界支配を目指し、そのために戦争を仕掛け、世界中に怨念を撒き散らした、反米感情を世界中に広く植えつけた。金の力で他国に対する傲慢な支配を目論んだ。しかしその金が力を失っていった。

米国発の世界的金融危機
9月、金融危機はリーマンブラザーズなどの投資銀行からアメリカ最大の保険会社AIGの破綻へと拡大し、いまや金融危機というより金融恐慌へ発展した。これは世界支配を続けてきた米国の新自由主義に基づく市場原理主義の破綻であり、米国の一国覇権主義の終焉を物語る。つまり基準通貨ドルの凋落が結果し、世界は政治的にも経済的にも新たな秩序を構築する段階に入っている。

この金融危機が世界中に広まっていった。いかに大量の投機マネーが世界中に蔓延していたのかが分る。投資銀行や保険会社は集めた金を値が上がりそうな物に投機する。その利益を株主や出資者に還元する。しかし投機対象の値が下がれば、そして今回のように全ての投機対象が値下がりすれば配当は出来などころではなく会社存続もできなくなる。

資本主義はギャンブルである

「資本主義の本質はギャンブルである」といった人がいた。ギャンブルである限り、「危険を冒さなければ、栄光はない」のであって、これはカジノでも競馬でも全く同じである。貧乏人は競馬で一発勝負をし大損をする。金持ちが危険を分散して幾つかの種類を買うから大損をするということはない。そうやって資本主義は金持ちのやり方で勝負してきたのだ。しかし今回はつぎ込んだ全ての対象から配当が得られなかったのだから、破産したのだ。

1980年代後半の土地バブルの崩壊を日本は経験しているはずだ。これを今回の事態でどこまで教訓化しているのだろうか。今日の世界金融システムのバブルが弾けたということは、まさに資本主義というものの本質が露呈したに過ぎない。

ケラー大統領の発言
この状況に対して、ドイツのケーラー大統領は語る。彼は3年前に、今回破綻した金融派生商品(デリバティブ)などを「国際金融市場の怪物」と指摘していた。彼は今の状態に対して発言している。「経済界は身から金塊が得られると信じた」「この軽業師どもは経済実態の別れを告げて、利回りの増大だけを考えた。経済の基本倫理に決別し、多数社会との掛け金が外れて転落した」と。そして新たな経済秩序として「貧困と気候変動との戦いをグローバル経済の新機軸とすべきだ」と主張する。(梶村太一郎氏の文からの引用)

日本の現状

日本に世界的な経済危機が深まる中、国内の雇用情勢悪化が加速している。厚生労働省のまとめによると、雇用契約が更新されなかったり途中で打ち切られたりする「派遣切り」が製造業を中心に広がり、今年度内に職を失う非正規労働者は8万5000人(12月19日調査時点)に上った。製造業の非正規労働者は100万人と言われ、その8%もの人が半年のうちに職を失う計算だ。(12/26時事通信)

真っ先に解雇されるのが派遣労働者だ。これも小泉改革の名の下に行われた規制緩和路線に基づく大企業の労働者使い捨て方式に利するための派遣法改悪の結果なのだ。今回の大不況は正社員にも及んでいる、大企業においても正社員のリストラが始まっている。内定取り消しもかなりの数になっている。製造業の下請け企業も発注減で経営が成り立たなくなって来ているところが多い。大企業から中小、零細企業を貫いた不況の波が押し寄せてきている。

これがアメリカ発金融危機の日本での現実となって来ている。抜本的な金融政策が求められている。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日

12月24日(水)
2週間に一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM    1659←1791←2225←2003
 白血球  1.5←2.4←2.5
 血小板  12.8←13.3←13.9
 ヘモグロビン  11.0←11.0←11.6


順調にIgMが下がっている。サリドマイド+シクロフスファミド+デカドロンの組み合わせが効を奏しているのだろう。確かに今まで試した薬は運がいいのか全て効いている。問題は効果の持続期間だ。半年効果を持続し続けるかどうか。2,3ケ月で終わってしまうのかそれが何時でも突き当たる壁だ。

今回の問題点は、白血球の減少だ。シクロフォスファミドの影響だろうと思うが、一挙に2.4から1.5に下降した。これから風邪がはやる季節に、白血球が減少してしまっているのだ。人混みへの外出はより一層の注意が必要となる。それでなくとも免疫グロブリンの機能低下があるのだから、感染症への警戒が肝要だ。

末梢神経障害
この間、大腿部の裏側と、ふくらはぎの痺れが起こる。そうすると階段を登るのも辛くなる。5,6分で収まるが、これが薬の副作用による末梢神経障害かどうかは分らない。足の裏の痺れはずっと続いていて、よれた靴下を履いているような感じと誰かが言ったがそんな感じが続いていた。それが大腿部にまで広がっていったのか。時々ふくらはぎの下腿三頭筋の下部のところがつることがある。

サリドマイドの副作用として末梢神経障害かどうか。形質細胞腫による神経根の圧迫による痺れの可能性もあるという。また、大腿部の痺れが出てきたのは、サリドマイド単独から3種の併用療法に変えてからである。

深部静脈血栓症

サリドマイドの副作用として深部静脈血栓症があるが、これは単独の場合は発症頻度が5%未満とされているが、併用療法の場合この頻度が顕著に高くなる。デカドロンとの併用の場合、発症頻度は20%と上昇する。ワーファリンやへパリン等の薬はあり血液の凝固作用を抑える働きをするが、それでなくとも血液の新生作用に問題がある病気を抱えている状態で、副作用が強くあまり使いたくない薬であるのは確かだ。

診療で医者が大腿部とふくらはぎを触診して、深部静脈血栓症ではないだろうと判断はしたが、足の痺れの原因は、薬の副作用か、病気の症状か、それ以外か分らないままだ。

友人の病状

食道がんで入院している友人に、定期検診の時に見舞いに行っている。11月4日に入院したが、食道にあるがんの腫瘍が気管を圧迫しているので、食物を食べることによって気管を塞ぐといけないと言われ、入院4,5日後から一切食べ物を口に入れる事ができず、栄養剤・フカイックⅡ号の点滴だけで過ごしてきた。

11月15日に抗がん剤の影響かどうか不明だが、意識を失って以降、抗がん剤治療は中止になり、放射線治療のみを続けてきた。それも昨日で終わった。腫瘍はだいぶ小さくなった。来年からは抗がん剤治療に入るという。

また昨日から、重湯を口にする事が出来た。後は、コーンスープとかアイスクリームなどが出るそうだ。まだ栄養剤の点滴は続けているが、食べる事が出来るということでも気分は大きく違うだろう。

正月には外出が出来るようにすると言われたらしい。既に胃薬のオメプラールは点滴でなく錠剤を服用していた。外出は中心静脈カテーテルをつけたままだというから、せいぜい2日間位だと思うが、気分転換にはなるだろう。友人の病状だが、回復に向かっているのを見るのは嬉しいものだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

骨髄移植・臍帯血移植「ありがとうキャンペーン」パレード

12月22日(月)
 昨日、NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会主催で、「ありがとうキャンペーン」のパレードが、水谷橋公園から、日比谷公園まで行なわれた。風が強く、ブラカードやのぼりを持っての行進は若干辛いものがあったが皆元気で、最後までパレードを行なった。

クリスマス近くだということで、サンタクロースの格好をした人や、トナカイの角をあしらった髪飾り、三角の帽子など被り、骨髄やさい帯血を提供してくれたドナーさん、バンク設立からこれまでかかわって下さった全ての方に「ありがとう」の感謝の言葉を届けるためのパレードだ。キティちゃんやスギッチ(秋田県のマスコット)の着ぐるみを着てバレードを盛り上げていた。

1993年1月の日本骨髄バンク第1例の骨髄移植が、1992年2月に国内初の非血縁者間さい帯血移植が行われた。そして一昨日12月3日に骨髄移植が10,000例に、さい帯血移植がその前日の2日に5,000例に到達した。そのことへの感謝の意味を込めたパレードだ。

12時30分に銀座1丁目・ホテル西洋東側の水谷橋公園に集合。この公園はビルの谷間に挟まれた小さな公園だが、数寄屋橋を通り日比谷公園から国会に向かうデモには使いやすい公園だ。昔、国会請願行動などで使った事がある。

12時50分 主催者挨拶があり厚生省からも来賓挨拶があった。13時 パレード出発、銀座さくら通りを西進、外堀通りを左折、13時30分 数寄屋橋交差点通過、13時40分 日比谷公園幸門到着というコースだ。この位なら体力的な制約を持っている元患者でもこなせる距離だ。

 現在骨髄バンクに登録している人は30万人いるというが、中々適合者を見つける事ができない。また登録していても移植が決まり、造血幹細胞採取の詳しい説明を聞いて躊躇する人も出てくる。造血幹細胞採取には最低4日間の入院が必要で、採取の際全身麻酔が必要となる。陽骨に針を刺し骨髄液を1回数ml~10mlずつ、50回ほどにわたって採取する。所要時間は1時間位。また3~1週間前に輸血用の血液を採取しておかなければならない。このように時間もかかり体への負担もかなりある。言わば犠牲的精神の持ち主でなければ中々提供者にはなれない。

私は自己抹消血幹細胞移殖を行った。そのための末梢血幹細胞採取は、血液成分分離装置を用いて移植に必要な量を採取する。静脈中心カテーテルから出ている2本の管の一本から血液を採取し、分離装置を通して、もう一本の管で再び血液を体に戻す。1リットル位の血を入れ替えたという。

この採取に当たって使用したのはエドポシドというアルカロイド系の抗がん剤で、以前のVAD療法とは比べ物にならないほど強烈なダメージを体に与えた。抗がん剤で白血球を0に近づけ、G-CSFを投入し、白血球が上昇する時に、血液中の造血幹細胞も増加する。そのタイミングを狙って採取する。

 自己抹消血幹細胞移殖は2度行なった。タンデム移植という。その後、再発した時に同種移植の可能性もありうるということで、妹と弟に血液検査をしてもらったが、二人とも適合しなかった。全くの他人からの移植だと体にかなりの負担がかかるので同種移植はしないことになった。

同種移植のメリットについて国立がんセンターに資料には以下のように書いてある。「同種移植は自己移植に比べて、1)移植片中に腫瘍細胞の混入がなく、2)移植免疫反応に基づくドナーリンパ球の骨髄腫細胞の増殖抑制効果、すなわち移植片対骨髄腫(Graft-versus-myeloma:GVM)効果が期待できます。このGVM効果は、自己移植に比べて同種移植のほうが移植後の再発が少ないことです。」

 原発性マクログロブリン血症や多発性骨髄腫では、自分の造血幹細胞が使用できるが、白血病など造血幹細胞自身に問題がある病気では、ドナーからの骨髄移殖か臍帯血移植しかない。しかし中々6種類のNLAが適合する事がない、4、5種類の適合でも行なう事があるが、移植後のGVHDに悩まされることになる。

その点臍帯血移植は適合性の問題がないので非常に使いやすいとは思う。だが、正常細胞の生着に時間がかかる。骨髄移植と臍帯移殖の両方で補い合いながら、多くの患者の命を救ってきた。このことへの感謝の気持ちを持って12月21日の「ありがとうキャンペーン」のパレードが催されたのだ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

カレーライス

12月21(日)
自分ではかなり柔軟な思考の持ち主だと思っていても、実際にはかなり固定観念に捕らわれているということに変な所で気が付くことがある。

あるテレビ番組で放映されたカレーのレシピの話を聴いた。どのような隠し味があるのか、何を隠し味として入れたカレーが一番おいしかったか、審査員が判定するというものだ。市販のカレー・ルーを使う事を前提として、それに色々なものを加え味を一層引き立てることが出来るのは確かだろう。バーモントカレーのコマーシャルで「りんごと蜂蜜トロリ溶けて」とあるがすり下ろしりんごを入れるのは皆良く知っていると思う。

料理レシピを広範囲に網羅しているクックパッドで色々なカレーライスが紹介されている。中に入れる具材でも様々ある。確かにカレーの場合冷蔵庫の余った野菜を放り込んで煮込めばどうにかなるのは確かだが、それでもレシピに紹介されているのは考えもしなかったものばかりだ。

こんにゃく、うすあげ、大根、しめじ、かぼちゃ、サツマイモなど何でもいいという感じだ。さらにカレーの上にねぎと鰹節をしょうゆで合えて、カレーにかけ和風カレーにするという発想法には驚いた。おいしいかどうかはやってみないとわからないが、紹介者は絶対おいしいと自信を持って紹介したのだろう。

 さて、隠し味のほうだが、りんごや果物のすった物を入れるということはよく聞くし、ケチャップ、醤油、ソース、ヨーグルト、チーズ、チャツネ、にんにくのすりおろしなどは考え付きうる範囲だ。しかし、オイスターソース、チョコレートなどはなかなか思いつかない。そしてテレビで放映された番組で何が一番隠し味としておいしかったか。

それはココアだったのだ。絶対誰も考えつかない隠し味だ。カレーは香辛料の集合だ。だから何を足してもそれなりの味を強化する事にはなると思う。しかしココアなど誰が考え付くだろうか、料理を毎日作っていても、メニューが段々限られて行ってしまう。やはり柔軟な思考力が、新しいレシピを生み出していくのだろう。このココアの話を聞いて、自分の固定観念に縛られた思考法を見直さなければならないと思った。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

映画 『1408号室』

12月18日(木)
1408_convert_20100507205928映画 『1408号室』
STORY:娘を亡くして心に痛手を負っているオカルト作家マイク・エンズリンの元に、一通の葉書が届く。それは「ニューヨークのドルフィンホテルの1408号室に入ってはいけない」とだけ書かれたものだった。調査を始めたマイクは、この部屋の宿泊客が56人が次々と自殺や事故死を遂げたことを知る。ホテルの支配人の警告を無視し、部屋の宿泊を決めたマイク。しかし、恐るべき超常現象が彼を襲い始める…。

スティーヴン・キングの映画が上映されていた事は知っていて、いつか見ようと思っていたら、ついに最終日になってしまった。『1408号室』というホラー映画だ。この映画は全米公開されると、『グリーンマイル』を抜いてS・キング原作映画史上最大のヒットを記録したというものだ。

キングのホラー映画「キャリー」「シャイニング」は見たことがある。また、「ショーシャンクの空」や「スタンドバイミー」も気にいっている映画だ。この時期になると上映されている映画館も少なくなり、やっている所でも1日1回しか上映されない。豊島園のユナイテッドシネマで12時45分からのものを見ることにした。

『1408号室』のタイトルの数字を足すと、13という数字になるなど、この映画が何を言おうとしているのか、娘の登場が何を意味しているのか、考えさせられることもある。サスペンスを見慣れていると謎解きに向かいがちだ。

ホラー映画というのは超常現象になす術もなく翻弄される主人公の精神状態に、自らを重ね一緒に恐怖の時間を体験することに意味があるのではないかと思う。こういった非日常的状況を追体験することによって、日常生活における平凡さやストレスを発散することが出来るのではないか。そう思って見ればいいだけのことだ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

ねりまの散歩道-1 豊島園周辺の寺社

12月18日(木)
白山神社
外はよく晴れ渡っている。少し早めに出て、練馬駅から豊島園まで歩いていくことにした。練馬駅の前は練馬文化センターで、その脇に平成つつじ公園がある。それに沿ってマロニエ通りがあり、それを道なりに行くと白山神社がある。

境内に入っていくと、大きなケヤキの木が目に入る。これが何と国の天然記念物だという。府中のケヤキの木も年代物だったが、ここのケヤキの幹のごつごつしたこぶのような膨らみが、長い年月の痕跡を刻んでいるようで感慨深いものを感じる。

略歴:白山神社は、もと村社でした。創建は平安時代の頃と伝えられています。境内の大ケヤキはわずか2本だけになりましたが、言い伝えによると、永保3年(1083年)源義家が奥州征伐に下る際、この社に戦勝を祈願して、奉納したケヤキといわれています。樹齢7~800年に及ぶと推定され、昭和15年に、国の天然記念物に指定されたほどの巨木です。1本は樹高14m、幹周り7.2m目通り10mほど、もう1本は樹高19m、幹周り8m7mあまりです。(「ねりまの散歩道」より)

浄土宗十一ヶ寺
6-10.jpg白山神社から、豊島園通りに出てしばらく行くと、大江戸線の豊島園駅の入口がある。その反対側に大きな石の柱が立っていて、そこに浄土宗十一ヶ寺、田島山と書かれている。そこから突き当たりの墓所まで広い参道を挟んで左に仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、右に快楽院、宗周院、仮宿院、受用院、称名院、林宗院、の十一軒の寺が並んでいる。

大江戸線、西武線の豊島園駅のすぐ傍で、ユナイテッドシネマにも近い繁華街の中の一画が寺社町のような風景になっている。11軒の寺院がそれぞれ、独自の趣向を凝らし古い建物がそのまま残っているお寺や、鉄筋コンクリートで会館のような風情の寺院もある。

庭も枯山水風に志向をこらした庭もあれば、ただ木が何本か植わってるだけのものもある。九品院に蕎麦喰地蔵がある。地蔵が坊さんに姿を変え夜な夜な蕎麦を食いに来る話で、その蕎麦を提供してきた家は代々栄えたと言うことだ。様々なエピソードがそれぞれの寺院にまつわる歴史を表現している。突き当りが墓所になっていって11の寺院の墓がまとまっている。

略歴:十一ケ寺とは、もとは浅草の田島町にあった誓願寺というおおきな寺の塔中(たっちゅう)寺院でした。大正12年の関東大震災で東京の下町はほとんど焼け、誓願寺とともに塔中も焼失しました。震災後の都市計画によって移転を余儀なくされ、本寺の誓願寺は多摩墓地の正門前に移りましたが、塔中の十一ヶ寺はまとまって練馬区に移転したのです。墓地には、本草学者として名高い小野蘭山や書道家で篆刻の名人として有名な池永道雲の墓があります。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

健康保険、庁舎ロビーコンサート

12月17日(水)
健康保険の変更
会社を丁度2年前に退職した。退職は12月20日だ。それから2年間は会社が加盟していた東京屋外広告ディスプレイ健康保険組合というところの健康保険を任意継続という形で使用していた。組合保険は、採算が取れる所もあり、不採算で閉鎖した所もある。

元の会社の健康保険組合は、若い人が多く、あまり病気になる人がいないらしく、かなり利益を上げていた。そこで、高額医療費保障に関しては、25,000円以上は戻って来た。移殖で、何十万円かかったとしても、後で戻ってくるので、25,000円以上はかかっていない。ただ退職後は保険料の会社負担分がないので、月3万円という高額になっている。それでも、経済的にはかなり助かった。その保険の加入期限が12月21日となっている。そこで、国民健康保険に加入せざるを得ない。

期限も迫っているので豊島区役所で国民健康保険の手続きに行った。保険証は直ぐ作ってくれた。国民健康保険だと80,100+(実際の医療費-267,000×1%)以上が高額医療費として返ってくる。現在サリドマイドを使っていて、この費用が保険適用でも月59,000円かかり、さらに外の薬で約25,000円かかる。つまり月85,000円がコンスタントにかかる。これはかなり苦しい出費だ。

現在使用している薬
サリドマイド100mg/毎日
シクロフォスファミド(エンドキサン)30mg/週1度・毎週
デキサメサゾン(デカドロン)40mg/月4日間
ゾメタ4mg/月1度点滴
バクタ(カリニ肺炎予防・抗菌剤)400mg/毎日
コートリル(ステロイド)10mg/毎日・デカドロン使用時は服用せず。
フルコナゾールカプセル(抗真菌剤)100mg/毎日
ベザトール(高脂血症予防薬)200mg/毎日
オメプラール(胃薬)20mg/毎日

現在は支持療法として、感染予防を目的として様々な薬が処方される。確かに免疫グロブリンの生成に問題がある病気なので、感染の危険は絶えず持っている。服用の必要性は感ずるが薬はやはり何らかの形で体に有害な作用を及ぼすのも確かな事だ。なるべく飲まないに越した事はないのだが、そうも言ってられないのかとも思う。勝手にやめるわけにはいかないので、例えば中性脂肪値が下がったのでベザトールの量を減らして欲しいなどの要求はするが、それ以外はやはり必要なのだろう。

庁舎ロビーコンサート
健康保険の手続きを終えて1階に行くと、丁度庁舎のロビーで、コンサートが開かれようとしていた。月1度、豊島区役所のロビーで、コンサートが定期的に開かれているということだ。12時15分から、30分間のコンサートだ。

今日はカウンターテナーの魅力という事で、菊池大翼さんが田中裕子さんのピアノ伴奏で独唱する。プログラムの中にヘンデルの『セルセ(クセルクセス)』の「なつかしい木陰よ」で知られているオンブラ・マイ・フがあった。この曲はキャスリーン・バトルの歌声が気に入っていて良く聞いていた。

曲の紹介でこの曲は、当時のカストラートが歌っていたものだと言われた。そう思ってカウンターテナーの菊池さんの歌声を聞くと何故かこの曲の情景がより一層鮮明に感じられるから不思議だ。歌そのものはキャスリーン・バトルのソプラノの美しさは素晴らしいが、男性の声でソプラノの領域を歌う声が、オンブラ・マイ・フの曲に限りなく調和している気がした。

偶然とはいえ、区役所に言ってカウンターテナーの独唱を聞けるとは、運が良かった。ビアノの独唱で小林さんが引いたドビッシーの「アラベスク」も感動的だった。ともかく生演奏は、DVDで聴くのとは全く違う。それは演奏家と自分との距離の近さが音の意味を広げ感動を与えてくれるのだろう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

北の丸公園

12月13日(土)
14時から麹町でももの木の交流会が行われる。天気もいいし、交流会の前に少し公園の散歩でも楽しもうと思った。麹町まで歩いて行ける所といえば北の丸公園がある。

北の丸公園の科学技術館には、以前勤めていた会社で展示会の設営によく行った事がある。科学技術館の1階が円形の展示会場になっていて、5つか6つのブースに分かれていてよくアパレルメーカーの社内販売(といっても社員関連の人以外も出入り自由なのだが)を行なっていた。大体年末と、5月頃開催する。これは社員のボーナスを出すためだ。ブースごとに婦人服、紳士服、雑貨などと区分けされ、使い易い。荷物の搬入も、会場に直接車を付けられるのでかなり楽だ。

仕事で行った関係上設営が終われば、搬入の車に乗って会社に戻る。公園を散策するなどといった余裕はない。そういったことで、北の丸公園はずいぶん昔に行ったきりだ。

竹橋駅を降りて、坂を上って行くと、ぞろぞろと多くの人が駅方面に向かって下りてくる。科学技術館で、どこかの社内販売を行なっているのだろう。紙袋を抱えている人が多い。建物の前で、サンヨーの社販だと分った。以前勤めていた会社で、社販の設営を行なっていたことがある。ここでサンヨーは年6回位催事をやっている。

北の丸公園018_edited

科学技術館前の雑踏とは全く別世界のように公園内は人も少なく、時々皇居周辺マラソンの延長か、公園内にランナーの姿が現れる。広い芝生に、のんびりと昼寝をしている人がいる。昼下がりの暖かい日差しの中のまどろみのひと時を楽しんでいるのだろう。

芝生の開けた明るい空間から、池を渡ると、木々に覆われた世界に入り込むことになる。突き当りまで行くと、千鳥ケ渕に沿って遊歩道がある。サクラの木が大きく枝を堀に向かって伸ばしている。千鳥ケ渕のサクラ並木と呼応して、サクラの季節には絶好の情景を提供してくれるのだろう。

公園の一画には、紅葉の季節のために作ったと思われるような場所がある。公園は全体的に銀杏やモミジで明るい雰囲気ではあるが、その一画は、全て紅葉する木々で、ほとんど燃えるような深紅で覆われていると言った感じだ。その中に川が流れ、滝まである。その風景だけ見るととても東京のど真ん中とは思えない。やはりその景色に魅せられたのかカメラを持った人達が撮影している。そして再び穏やかな広い芝生の空間に戻って来る。

北の丸公園023_edited

武道館はロックコンサートでもやるのだろうか、若者達が集まっていった。グッズ売り場があって、そこには長蛇の列が出来ていて、入場制限をしながら人をさばいていた。靖国通りに出て市ケ谷方面に向かう。

どうせだからと靖国神社の境内を通っていった。境内でフリーマーケットをやっていた。靖国神社でフリーマーケットという組み合わせが面白い。

靖国通りから、東郷通りに曲がり、東郷元帥記念公園なる公園の横の東郷坂を下り、行人坂を上がる。どんな小さい坂にも名前がついている。いつも坂の名前を見るたびにその名前にまつわる曰く因縁がなかなか意味深くて興味を引かれる。行人坂を上がり切った所を日本テレビ方面に行くと、目的地の番町教会に至る。交流会の前にもう今日の仕事は終わったという気分になってしまった程だ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

定期検診の日

12月10日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM  1791←2225←2003
 白血球  2.4←2.6←3.0
 血小板  13.3←13.9←14.3
 ヘモグロビン  11.0←11.6←11.0


今回の検査結果で特筆すべきはIgM値が8月6日の1271からひたすら上がり続け一度も下がった事がなかったのが、今回一挙に434も下がったということだ。9月17日の1785に2週間で戻った。シクロフォスファミド(エンドキサン)とデキサメサゾン(デカドロン)が効いたのだろう。ということでこのまま今の療法を続けることにした。

 サリドマイド 100mg 毎日。
 シクロフォスファミド 50mg×6錠=300mg 週1回、毎週。
 デキサメサゾン 0.5mg×80=40mg 連続して4日間、月1回。


今の所、まだ始めたばかりだということもあるだろうが骨髄抑制などの副作用は出ていない。このまま副作用が出ず、効果を維持し続けてもらいたいものである。

本来この療法はサリドマイドを200mg使用するが、100mgでも効果があるし、薬価の問題があるので、200mgは経済的負担が大きいのでこのまま100mgでやっていくことにした。そこで医者がサリドマイドの薬価が決まったという話をした。骨髄腫患者の会のホームページで読んではいた。

1カプセル100mg6,570円で、国民健康保険三割負担の患者の場合、自己負担は1カプセル1,971円で、1ケ月59,130になるということだ。今私が輸入しているサリドマイドは、28日分4万円だから1カプセル100mg1,428で、保険適用の藤本製薬のサリドマイドはその4.6倍ということになる。医者も嘆いていたが、患者がどれ程必要としているかを知った上で、暴利をむさぼろうとしているのではないかと言っていた。折角のサリドマイド承認に向けた必死の努力に水を差すような高値であることは確かだ。

友人の病状
同じ病院で食道がんで入院している友人を見舞った。1ケ月前、抗がん剤治療を始めた時、意識を失って、その原因が抗がん剤のせいかどうか判断がつかないまま、抗がん剤治療は行なっておらず、放射線治療のみ行なっている。

食事は取る事ができず、フクカイック2号という栄養剤の点滴だけで体力を保持しているという状態だ。一切食べ物を口に入れてはいない。本人はそういう生活にもう慣れてしまった、と言っていた。結構栄養剤だけでもどうにかなるのだろうか。面会に行った時も、起きていて、音楽を聴いていた。話も普通と変わらず病状経過について話してくれた。今日は風呂に入ると言う。

放射線治療で、首の回りのリンパの腫れが小さくなり、今ではほとんど気がつかない位にまでなったと言う。放射線治療はどうしても局所的にする外ない。早く抗がん剤治療が開始されることが出来る事を期待する外ない。

p_rikugien_03.jpg病院から六義園を経て駒込駅へ
昨日の雨で、すがすがしい秋晴れの暖かい日差しの中、病院の裏手から天祖神社にでる。銀杏の枯れ葉が木の根元に山となって積み上げられている。そこからしばらく行って富士神社の境内を突っ切り、本郷通りの銀杏並木を歩き、六義園に出る。六義園は昨年も同じ時期に紅葉を見に寄った。それから1年が瞬く間に経ってしまった。紅葉は昨年と全く同じような様相で、眩く鮮やかに色彩の乱舞を見せている。1年間という時の流れを否が応でも感ぜざるを得ない。


テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

本牧・三渓園

12月9日(火)
1,2時間のウォーキングを1週間最低1度習慣化としようと思っている。今までは西武池袋線沿線や東部東上線沿線を巡って往復1000円で旅行を楽しむ、1000円旅行を行ってきた。金はないが時間はある身分で、これは安上がりだ。今回は少し足を伸ばして2000円旅行となった。JR東日本の「小さな旅」というパンフレットに関東周辺秋の行楽情報が掲載されており、その中に紅葉スポットとして三渓園が紹介されていた。

池袋から横浜まで湘南新宿ラインを使って40分弱で行ける。以前は東京駅に出るだけで30分はかかったものだ。便利になったものだと思う。しかしそこからが結構かかった。桜木町から本牧車庫行きのバスで、三渓園前まで30分以上かかる。桜木町の駅前はランドマークタワーを中心としたみなとみらいの高層ビルが建ち並ぶ。

20,30年前仕事で山下公園脇のホテル・ニューグランドに展示会の設営に行ったとことがある。その頃とはすっかり様変わりをしている。しかしバスが日本大通りを進んで行くと、開港記念館などのレンガ造りの古い建物が並んでいて、その様子は昔と変わってはいない。中華街の入口を見ながら本牧に向かって行く。

三渓園前のバス停から、庭園までは5分位だ。入口を入ると突然別世界が開ける。本牧の街中の喧騒から少し離れた住宅街の一角に、古の都の風景が出現したかのようだ。目の前に大きな池が開け、小高い丘の上には三重の塔が聳え、木々の間からかやぶきの屋根が垣間見られる。

三溪園略歴:
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。


庭園は大きく外苑と内苑に分けられている。それぞれの主要建造物は以下の通りである。

三渓園031_edited 臨春閣

内苑:臨春閣 [重要文化財] 白雲邸[市指定有形文化財] 旧天瑞寺寿塔覆堂[重要文化財] 月華殿[重要文化財] 金毛窟、天授院 [重要文化財] 聴秋閣[重要文化財] 春草廬[重要文化財] 蓮華院

外苑:鶴翔閣 [市指定有形文化財] 林洞庵、横笛庵、旧燈明寺三重塔 [重要文化財] 旧燈明寺本堂[重要文化財] 旧東慶寺仏殿[重要文化財] 旧矢箆原家住宅[重要文化財]

一番の見所は、聴秋閣を囲む紅葉の風景だろう。その周辺が一面紅葉の木々で囲まれている。建物の裏が上り坂になっていてそこからの見る情景は、古い建物とそれを囲む紅葉の鮮やかな色彩が一体となって古都の雰囲気を感じさせる。聴秋閣とは京都二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築だという。

三渓園017_edited 聴秋閣

しかし、この庭園を造った原三渓の財力はすごいものだと感心する。日本全国から、貴重な建物を移築して庭園に配置し、それが見事に風景の中に溶け混んでいる。

三重の塔のある丘まで登ってみる。かなりの急坂を登る。展望台がありそこからは港まで見える。白川郷にあった江戸時代の合掌造りの庄屋の家を移築したという旧矢箆原家住宅は中を見学することが出来る。囲炉裏には薪がくべられ、飛騨地方の民具が展示されている。古民家の横に東慶寺仏殿があり、そこから横笛庵が見える。鮮やかな紅葉に囲まれた古い建物を見ると京都で見た景色を思い出す。

三渓園037_edited_convert_20101122224421 旧東慶寺仏殿

三渓園041_edited_convert_20101122224507 横笛庵

待春軒という休憩所があった。三渓そばという看板がある。何だろうと思って聞いてみると原三渓が考えたものだと言う。そばの上に筍とひき肉の甘辛煮を載せ、錦糸卵、インゲン、ハムをトッピングしてあるというものだ。汁をかけずそのまま食べる。珍しさが味を加算するのだろうか、中々のものだった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

整骨院から平林寺へ

12月6日(土)
時は指の間をこぼれ落ちるかのように次々と流れ去っていく。それを食い止めることは出来ない。限られた時間を一歩一歩踏みしめながら歩んでいく、その歩みを刻印するかのように文字を書く以外ない。書くという行為は、言わば日々の足跡だ。それを残しても残さなくてもなにも変わりはしない。ただ自分にとっての印でしかない。意味のないことの繰り返しが人生ならば、刻む言葉もまた無意味なのだろう。しかしそれは自分が生きた軌跡であるのは確かだ。

整骨院で
友人の息子が、東久留米で整骨医を行なっている。足の痺れがあって、久しぶりに出掛けた。昔はマサージなどは当然なのだが全く関係ない世界に生きていた。体はエネルギーに満ちていた。しかし年齢を重ねるということは体の節々にガタが来ることだなとつくづく思う。

足腰の痺れが強くなってきた。これはサリドマイドの副作用か、IgM型骨髄腫の症状なのか、ステロイド剤による骨の変化なのか、原因は分らない。整骨医の息子さんも私の病状、薬の処方状態を聞いても恐らく判断できないだろう。しかし治療は行なわなければならない。気の毒だと思ったが、これも経験のうちということで施術をしてもらった。

誰でもそうだが背骨が曲がっていて、それが腰や肩の痛みや様々な内臓疾患にも繋がっていると言う。その限りで、脊椎整骨は意味がある療法だということは分かっているが、中々行く機会がない。前にも行った事があるが行けば体はかなり楽になる。軽くなった感じになる。体の中の異物が取り除かれたような気分になるのは確かだ。1時間弱脊椎整骨の治療を受け医院を後にした。

秋晴れ。時間は真昼間。紅葉は何処に行っても最盛期。東久留米から平林寺行きのバスが出ている。昨年6月新緑の林をそぼ降る雨の中散策したことがある寺院だ。武蔵野の雑木林の只中にある広大な敷地を有する平林寺は今恐らく紅葉の真っ只中だろうとは予測がつく。

平林寺で
東久留米駅からバスに乗り20分位で平林寺に着く。この寺は臨済宗妙心寺派の寺院。山号は金鳳山。今から約600年前、岩槻(埼玉県)に岩槻城主太田道真(道灌の父)が創建し、その後、江戸前期に川越城主、松平信綱・輝綱父子によって現在の埼玉県新座市野火止の地に移された。

寺域一帯は、野火止塚や松平家の墓所などの文化財をはじめ、天然記念物の雑木林など、武蔵野の面影を色濃く残している、という寺院だ。

入口で入館料を払い、中に入るとまず目に付くのが二層の楼門。左右に金剛力士を配し、楼上に十六羅漢像を安置する。なかなか古色蒼然とした雰囲気だ。境内を順路にそって進んでいく。さすが天然記念物の雑木林、楓、もみじを中心としながら見渡す限り紅に染めている。

平林寺003_convert_20101129112808 山門(二層の楼門、左右に金剛力士)

平林寺007_convert_20101129112923

平林寺009_convert_20101129113049 半僧坊(半僧坊大権現を奉祭)

平林寺053_convert_20101129164437 仏殿(本尊の釈迦如来が安置)

眩く輝かしく、燃えるように赤一色に林が彩られている。秋が深まるにつれ、雑木林はコナラやクヌギなどの落ち葉で敷きつめられる。しかし何故こんなにも楓の気が植わっているのだろうか。紅葉を鑑賞するためだけなのだろうか。

赤や黄に葉を染める楓は、派手さのない武蔵野の大地を赤く染め、山門や御堂を背景としながら、時の流れを否が応でも感じさせてくれる。長い年月、武蔵野の大地を、春はサクラ、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、ただひたすらに時を刻みつけてきた大地の音が聞こえてくるようだ。平林寺の紅葉は、そして今もイチョウ・ケヤキ・楓へ次々と姿を変えながら人の目を楽しませてくれる。

その中を1時間近く散策した。もう当分紅葉は見なくても大丈夫だというほど満喫できた。(写真は別の時期に写したものです。)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

ハードロック・ライブ

12月4日(木)
12月2日の夜のことである。11年前にロックバンドを解散し、法律関係の仕事に就き、日々職場に通っている生活をしていた息子が、昔の仲間から誘われ、12月2日のコンサートに参加することになった。練習時間はあまりなかったが、どうにか当日を迎えた。昔は一度もコンサートには行ったことはなかったが、今回は関係者席に招待してくれるというので行ってみる事にした。11年ぶりというのが何ともいえず懐かしい気がする。渋谷O-EASTでの公演内容は以下の記事で紹介されていた。

GORILLA BISCUITS 奇跡の初来日公演! 2008/11/12(VMCニュース)
ニューヨーク・ハードコアのキング・オブ・レジェンド、GORILLA BISCUITSがついに日本初上陸。1989年に発表された名盤「START TODAY」レコーディング時の完全オリジナルフルメンバーで来日公演を行うことが決定した。

ゴリビス東京公演にて、SWITCH STYLEが再結成!
2008/11/7 (CDジャーナル)
GORILLA BISCUITS来日ツアー。各地でのサポート・バンドも明らかになりましたが、ここでひとつ!さらなるトピックが。フリーマガジン『FLJ』のプレゼンツによって行なわれる東京公演“REBIRTH OF HARDCORE PRIDE”では、なんとSWITCH STYLEが再結成を果たし、オリジナル・メンバーで出演することが決定しました!V.A.『FAR EAST HARDCORE』 『SWITCH STYLE』 『TO INFINITY』など、今も色あせない名盤を残し、NYHCの旨味をふんだんに散りばめたサウンドにてシーンを牽引したあのステージをもう一度! 体感しましょう。
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 【日程】 2008/12/2 TUE
 【会場】 TOKYO SHIBUYA O-EAST
 【開場/開演】 18:00/19:00
 【出演】GORILLA BISCUITS、SWITCH STYLE、NUMB、FC FIVE

息子の属するバンドはSWITCH STYLEという名前だ。ロックは、学生時代良く聞いていた。大学時代には4人でロックバンドを作って、練習に励んでいた。あの頃は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェペリンなどの時代だ。変わった所でピンク・フロイトも良く聞いていた。しかし、その後ロックの全盛は終わり、ほとんど聞かなくなっていた。U-2とかイングベイとかを時々聞く位だった。そういった意味で息子の演奏するロックはあまりなじみ深い演奏ではなかった。

SWITCH STYLEは一時期、CDも出してその方面では名を知られるようになっていった。しかしある時バンドは解散した。そして今回11年ぶりに演奏するというのだ。昔一緒にバンドをやっていた仲間を誘って公演に行った。

ライブハウスというのも初めてなら、舞台の下がステージになっていて、観客は立って演奏を聴くというスタイルも始めて知った。招待席は2階で、危なくないということだった。ともかく観客に向かってダイビングをするという、これがどういう意味を持つのか分らないが、一つの音楽と観客とのコミュニケーションの表現なのだろう。

演奏が始まる。大音響があたりに響き渡る。曲想などはとても追える様なものではない。しかしこれらの音量は、ストレス解消にはかなり役に立ちそうだとも思える。丁度SWITCH STYLEの演奏をやっている時に、後ろの人が友人と話しているのが聞こえた。「このバンドを聞いてからロックにはまってしまったんだよな」と。そういう人もいるんだ。11年ぶりとは懐かしいだろうな。

4つのバンドがそれぞれ30分位ずつ演奏する。最後のゴルビスの演奏の頃には段々会場はヒートアップしてきて、盛んにダイビングが行なわれる。会場は立錐の余地もなく込んできて、4~500人位いるのだろうか。平日の夜なのに、フアンというのはいるものだなと思う。後で聞いた所によると観客は1200人いたそうだ。

一緒に行った友人の感想「新異文化体験だった。攻撃も防御もない。みんなで支えあう!のメッセージはとてもよかった。」この言葉はSWITCH STYLEの曲の内容になっている。

有

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

『光の詩季』ステンドグラス展、大國魂神社

12月2日(火)
ステンドグラス展示会
ももの木のメンバーがステンドグラスを製作していて、その展示会の誘いがあった。11月26日から12月2日までの1週間の開催だったが結局最終日の今日になってしまった。主催はステンドハウス・アモー国立作品展実行委員会で、ステンドグラス工房の生徒たちの展示会という訳だ。ももの木のメンバーは、白血病を克服し、今では通常に仕事をしているが、自分の生きがいの一つとしてステンドグラスの製作に情熱を傾けている。

999999.jpg展示会は府中駅のまん前にある、府中グリーンプラザの5階展示ホールで行われている。『光の詩季・第6回・ステンドグラス展』という催しだ。どのような作品が展示されているのだろう。ステンドグラスのイメージだと教会の窓に張り巡らされ、光を鮮やかな色となって取り入れるものを頭に描く。

展示会の作品の大部分は50~60cmの高さのランプスタンドが多かった。中には、150cm位の高さのスタンドもあり、壁掛け的なもの、窓にはめるようなもの等多種多様だが、驚くのはその色の多様さだ、無数の色が絡み合って、光の中に浮かび上がる様はある意味で幻想的な雰囲気を漂わせている。多くの作品が色を反射し合いながら、部屋全体を柔らかく包んでいる。

確かに色々な所で見る機会はあるのだが改めてこういったステンドグラスの作り方があるのだなと思った。部屋にあったらなかなかいい装飾になるだろうとは思った。しかしそれを合わせる事ができる部屋でもないという気も一方でする。

府中のケヤキ並木
この暗く幻想的な展示会場を出で、グリーンプラザを一歩踏み出すと、そこはケヤキ並木が続いている。清瀬のケヤキ並木も何キロも続くその距離に驚くが、ここのケヤキ並木は、その木々の時代の古さを感ずる。神社正面の大鳥居にいたる参道の両脇には五百米にわたってケヤキ並木が続くが、これは源頼義・義家が奥州前九年の役出陣の際、安倍氏討伐を祈願し、鎮定後の康平五年(1062)千本の欅の苗木を奉納したのが最初といわれる。江戸に入った徳川家康も真似てケヤキの苗木と馬場を寄進した。

このようにここのケヤキ並木は1000年もの長い歴史を歩んできたことになる。そのまま1000年前の木々が残っているわけではないにしても、それぞれの古木の面影は深い歴史の痕跡を感じさせる。その木々が紅葉し、同じ場所にあるのにその紅葉の速度が違い、あるものは護下茶に、あるものは山吹色に、まだ緑色が残っているものもある。といった様々な色彩のバリエーションを作り出し、目を楽しませてくれる。

大國魂神社の境内
大國魂神社に向かう。かって、小さい頃まだ小学校1、2年の頃だったろうか、母親が病気で入院して、府中にあった実家にしばらく居た事がある。その時、大國魂神社のお祭りに連れて行ってもらった事があるのが、記憶の隅に残っていた。どんな所か全く覚えていない。神社の入口には大鳥居があり、それを挟むようにケヤキの古木が立っている。しばらくそこからもケヤキ並木が続くが、段々とクスノキなどの常緑樹が増えてくる。

大鳥居から参道に入ると相撲場や日露戦役記念碑がある。次に随神門をくぐると宝物殿や鼓楼があり、さらに中雀門に至りそこから神社の中心である拝殿、本殿がある。また本殿の回りの林には、巨木が茂り、大銀杏や、巨大なケヤキが見物だ。神社は府中の駅に近いにもかかわらず静まり返り、紅葉の中で古い建物の落ち着いた雰囲気は何故か人の心を和ませる。しかし、昔見た祭りの喧騒さは全く思い出せなかった。確かに行ったはずなのだが、場所の記憶はなかった。

武蔵総社 大國魂神社の略歴:haiden.gif
当神社は、大國魂神を武蔵の国魂と仰いで、鎮祭し祠った神社である。第12代景行天皇41年(111年)5月5日大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉祀して祭務を司った。其の後孝徳天皇の御代に至り、大化の改新(645年)により武蔵の国府がこの地に置かれて、当社を国衙の斎場として、国司が祭祀を奉祀して国内の祭政を司った。
元は式内社の大麻止乃豆乃天神社だったところへ、小野神社(府中市・多摩市)、小河神社(あきるの市)、氷川神社(大宮市)、秩父神社(秩父市)、金佐奈神社(埼玉県児玉)、杉山神社(横浜市)の武蔵国の六社を併せ祭って武蔵国総社六所明神社ともいう。武蔵国総社といわれたのは武蔵国府に赴任した国司の役目の一つに、国内の主な神社を毎月詣でる必要があり、それが面倒なので国府の近くの一所に合祀して総社としたといわれる。

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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