スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

定期検診の日

4月30日(木)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM     1078←1176←1175
 白血球    2.1←2・0←1.9
 血小板    12.5←11.8←12.3
 ヘモグロビン 10.2←10.6←10.5


どうにか運のいいことに三種併合療法はまだ効果を持続しているようだ。今回は医者に原発性マクログロブリン血症とIgM骨髄腫に違いを聞こうと思って、日本骨髄腫患者の会の翻訳チームが訳した文献にあったWMとIgM骨髄腫の違いについて記述した表を持っていって説明を求めた。医者は私の病気はWMではなくIgM骨髄腫だといったがその根拠を確かめようと思ったのだ。

無

出典:「Myeloma Today」2005/2006年 Winter Volume6 Number7 Page 14

しかし、改めて聞いてみるとそれ程明確な違いの根拠があるわけではなかった。入院時の検査では11番、14番の染色体の転座はなかったという。また骨病変も見付からなかった。時々レントゲンを撮って、骨X線で骨病変を調べているが全くその心配はないそうだ。もちろん骨病変を調べるにはもっと色々な検査があるが、一応大丈夫ということだ。

IgM骨髄腫と言った根拠はCD20が陰性だったということと、WMに効果的なフルダラビンが全く効かなかったというだけのことなのだ。結局はあまり大した根拠ではなかった。WMであるにしろIgM骨髄腫であるにしろ治療法は変わらないのだからある意味であまり関係ないのだが一応確かめたということだ。

骨病変がないならば、何故ゾメタ(ゾレドロン酸)を点滴しているのかと聞いたら、ゾメタは骨髄腫細胞を抑制する働きがあると言った。一般的に言われているのはビスフォスフォーネート(BP)製剤は、破骨細胞を抑える働きを持つ薬として評価されているが、骨髄腫そのものの治療薬として何処まで効果があるのだろうか。

「ゾメタなどのBPは、多様な骨髄腫細胞や造血器腫瘍細胞のアポトーシスを誘導する。ゾメタがデキサメタゾンとサリドマイドの作用を増強し、細胞障害性を高める事も報告されている。」(『多発性骨髄腫の基礎と診療』医学ジャーナル社) このような効果が期待できるならばゾメタの点滴も無駄ではないし、今の三種併用療法の効果を高めているものと考えてもいいのかもしれない。

スポンサーサイト

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

ももの木交流会・TOKYOウオーク2009

4月25日(土)
「ももの木」陸上部
ももの木交流会が行われた。ももの木には陸上部というものがあって、これは、体を動かす行動全てを企画する部署ということで付けた名前だ。マラソンや登山、ウォーキングなど、患者が体調の事もあって家に閉じこもりがちになりかねないので、出来るだけ外に連れ出そうということから始まった。

陸上部の責任者に押し上げられたのは、19年前小児白血病で治療・移殖をし、その後元気になったM君だ。彼は治療を終え再発することなく19年間過ごしているが、いまだ時々手足の痺れに悩まされているらしいし、本人が言うには成長障害があるという。登山というのは韓国の患者会が日本の山に登りたいので企画してくれと言われているので、M君にその役割が回ってきたのだ。

彼はこの間の東京マラソンの10kmコースに参加したり、昨年は湘南国際マラソンに参加し移植者の部で4位になった。この湘南国際マラソンの10kmコースには 車いす、視覚障害者、知的障害者、移植者(臓器移植者、骨髄移植者、角膜移植者が対象)の部があり、彼は移植経験者として参加した。移植者として参加したのが4人だったので4位になったわけだが、中々立派なメダルをもらうことが出来た。どちらにしても一定の時間内に完走しなければならない。

大量抗がん剤の洗礼を受けた移植者はマラソンをすることが可能になるまで体力が回復するのに一体どの位の時間がかかるのだろう。そういった意味で移植者の部があることの意味は大きいと思う。湘南国際マラソンの移植の部で優勝したのは角膜移植をした人だという。

どの道血液がんの患者の集まりであるももの木への参加者は移植をしなくとも化学療法における抗がん剤の影響で通常の人の体力には到底及ばない。そこでM君はマラソンは難しいのでウォーキングに目を付けた。これだったら誰でも参加できる。そこで、ウオーキング大会の企画が持ち込まれた。

TOKYOウオーク2009とは?
2009_tokyowalk.jpgTOKYOウオークとは、東京都と日本ウォーキング協会主催で、5回に渡って行われる。東京の名所や2016東京オリンピック・パラリンピックの競技予定会場をめぐるウオーキング大会である。「誰でも参加できるスポーツ“ウォーキング”を通じて東京の魅力を体感してください。3大会以上の完歩で記念メダル獲得。あなたもメダル獲得に向けて、是非チャレンジを!」といった催し物だ。

第1回大会はお台場エリヤで4月18日に行われた。第2回大会は代々木公園エリヤを5月23日に回ることになっている。ここから患者会として参加しようということになった。コースは6km、10km、20kmの3つに分かれているが、6kmコースでいく事になる。その後、6月に浅草エリア、7月に東京湾岸エリア、9月に皇居外苑エリアと続く。

今まで、ウォーキングに関しては、朝の天気・気候と起きた時の気分・体調で何処に行こうか決めて出かけていた。そういった自由気ままなやり方でやってきた。よく沿線情報誌書かれているが、例えばマンスリー・ハイキングといった催し物があり、何日、何時に何処何処の駅集合といった企画を良く見かけるが、そういった催しには全く参加したことがなかった。しかし今回のももの木の患者会陸上部の提案である「TOKYOウオーク」の5月23日には参加しようとは思っている。

今回の企画は、ももの木の患者会で、ウォーキングを通じて、体を動かしながら、少しでも患者が病気のことから意識を引き離すことが出来ればそれが重要だと思う。自然の中で、体を動かすことで、生きる元気を取り戻せればそれに越したことはない。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

職場の同僚の訪問

4月23日(木)
以前勤めていた会社の同僚がふらっと遊びに来た。彼は3月31日付けで定年退職した。嘱託などの処遇で、会社に残ることは出来たかもしれないが、腰痛で3年ほど前2ケ月ばかり入院し、昨年5月にも1ケ月入院した。そういった体の状態もあったので職場に残らず退職した。しばらくしたら何年も帰っていない九州の実家の方に行って来るということだった。

私の場合、2005年12月に入院し1年間の休職期間を経て退職扱いになった。確かに会社の就業規則で、私のような長期病休の社員への取り扱い規定が全くなく会社としてもどう処遇していいか分らなかった点もあるのだが、この退職扱いへの受け止め方はなかなか難しいものがあった。

休職期間中の1年間は給料が支給されていたが、その後は傷病手当金で給料の6割が1年半支給される。会社に出勤し給料をもらうようになると当然打ち切られる。一旦出勤したら、また病気が重くなって休職したとしてももはや傷病手当金は支給されない。

休職中であれば、出来るだけ早く職場復帰を目指し、少し体に無理をかけても仕事をすることになるだろう。退職になれば何の心配もせず、ゆっくりと抗がん剤で痛んだ体の養生が出来るだろう。そういった意味で結局、退職を受け入れることになった。

そもそも最初紹介された血液内科の専門病院で医者からガンの宣告を受けた時に、渡された診断書には「血液ガンの疑いあり。一般的には3ケ月から6ケ月の治療期間後、社会復帰が可能と考えられております」と書かれていたので、半年位で職場復帰が可能だとばかり思っていたので、将来の不安などはなかった。

しかし治療を始めた所、中々治療効果が上がらず、移殖まで半年以上かかりそれで終わることがなく、さらに2回目の移殖をせざるをえず、ひたすら時間ばかりが過ぎていった。それは職場復帰が遠のく時間でもあったのだ。最初は治療の遅れに対してかなりあせっていたが、途中からどうにかなるさといった気分で過ごすことが出来る心情になった。

定年退職になった職場の同僚は、半年位は失業保険でどうにか生活を維持は出来るが、その後再び新たな職を探さなくてはならない。この不景気な中で、定年退職者が仕事を探すということは並大抵のことではないだろう。それでも定年という機会を捉え今の仕事を辞めて新たな生き方を求めて行きたいということは、何らかの思いがあったのだろう。

毎日同じような仕事をしていながらもその中で新たな発見を探っていくことが可能な仕事をしている人もいるだろう。また、自らの仕事に生きがいを持ち、日々アグレッシブな生き方を追及している人もいるだろう。

しかしほとんどの人は分業の中で、自分を単なる労働力の一つの歯車としてしか対象化出来ない。やがて、それが体の中に澱のように溜まりそこからの脱出を求めるようになるのだろう。職場の同僚の心情は分らないが、定年を期に職場を辞めるという選択の中には、人生をもう一度やり直したいという想いがあったのだろうとふと考えた。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

映画 『第三の男』

4月21日(火)
安売り店「大黒屋」に買い物に行った。その時、入口に古い映画のDVDが10種類ほど並んでいた。「風と共に去りぬ」「カサブランカ」「哀愁」など過去の名作ばかりだ。それが何と300円で売っていた。レンタルDVDを借りるより安い。その中に「第三の男」があった。以前から見たいと思っていた映画だ。何故か見る機会に巡りあえなかった。早速買った。この映画は、第二次世界大戦直後のオーストリアで、四ヶ国(米英仏ソ)によって四分割統治される首都ウィーンの殺伐とした世相を背景とするサスペン映画だ。1949年製作。

第三の_convert_20100507213732STORY: 第二次大戦直後、廃墟になったウィーンにアメリカ人の作家ホリー(ジョセフ・コットン)が列車から降りた。親友のハリー(オーソン・ウエルズ)を訪ねて来たのだ。しかし、着くや否やハリーの死を知らされる。車に轢かれて死んだという。釈然としないホリーはハリーの愛人アンナ(アリダ・バリ)をはじめハリーのことを聞いてまわるが謎のまま。

だが、イギリス占領軍の少佐(トレバー・ハワード)から意外な情報がもたらされる。ハリーは水で薄めたペニシリンを横流しする闇取引の黒幕だったというのだ。しかも多数の犠牲者を出していた。

そんな折、ハリーの死体を運んだ第三の男を見たという門番の証言が出た。第三の男とは誰なのか?アンナのアパートからの帰り道、ホリーは、アパートの下に不審な人影を発見する。闇から浮かび上がった顔はなんとハリーではないか。ホリーは追った。しかしハリーは忽然と消えてしまう。夢か幻か。いったいハリーはどこへ消えたのか?謎が謎を呼び鮮烈なラストの地下下水道での追跡劇へと続く。

音楽
映画が始まると同時に流れてくるのが、良く聞いたことのあるメロディーだ。全編にわたって「ハリー・ライムのテーマ」が変奏されて用いられており効果をあげている。この音楽にアントーン・カラスが演奏する民俗楽器のツィターを採用し、弦楽器一本で伴奏がつけられているのだがこの味わい深いテーマ音楽がある時は軽快に、ある時は鮮烈にサスペンスを盛り上げている。

光と影の芸術

映画全体に貫く光と影のコントラストを巧みに使った映像の作り方には感動させられる。モノクロ映画の醍醐味だ。黒澤明の映画「七人の侍」や、イングマール・ベルイマンの「第七の封印」などに見られる白と黒の絶妙な色の構成が全編に貫いている。

特に印象的なシーンは、ライムが初めて現れるシーン。猫が足に絡みついている斜めの影である人物を描写する、光は猫の所にしか届いていない。しかしこのアンナの猫はただハリーだけに慣れていたということを知っている観客はその影の人物がハリーであることを知っている。

ホリーが、怪しげな人物を追求しようと叫んだ時に、その声で近所の人が窓を開けた。その明かりが暗闇を照らし出すと、そこにライムの顔が映し出される。夜のウィーンの街角の一角の闇の中に顔だけを浮かび上がらせるときの不気味にニヤリとした風情は、オーソン・ウェルズでしかとうていあらわせない。このシーンのためにオーソン・ウエルズが必要だと言ってもいいほどの表情だ。

また、軍隊の包囲網の中、逃げるライムの影。モノクロ映画ならではの素晴しさが、そこにある。少し斜め気味に撮影したユニークな構図や、光と影のコントラストを強調した映像がこの映画の大きな持ち味となっているだろう。

構図の妙 

被写体を俯瞰したり、仰角、斜めと様々な撮影方法を駆使している。主に下方から撮る方法を駆使している。ホリーとその後景にある巨大な観覧車を下方から捉え人物と観覧車とを対比することでその迫力を強調している。それに続く観覧車の幾何学的に見える軸を観覧車の窓から捉え、そこから見下ろす2人の姿を観覧車の鉄枠の中に織り込んでみせる技法、夜の町の壁に長く延びた風船売りの老人の影を斜めから捉えることによって、ウィーンの夜の闇の深さを表現している。

白い光を放つ下水道の奥へ逃げていくハリーの小さな姿や、鉄格子の間から突き出たハリーの指を映し出し、ハリーの必死でありながらしかも絶望的な微妙な心理を映像の中で表現している。最後に、本物のハリーの葬式の後、長い並木道の左手で突っ立っているホリーと向こうからやってくるアンナを捉えた遠近法かつ対照的なロングショットは、ただ何も語らず時間だけが流れて行くその中にすべての結末が凝縮されている。ただ構図だけでそれを表現している。

台詞
観覧車の中で、ハリーはホリーに対して、自己の犯罪を正当化し一切反省の色を見せない。大観覧車から遥か下に芥子粒のように小さく見える人間を指してこう言う。「あの小さな点の一つが永遠に動かなくなって、哀れを感じるかね?」と。 

そして、別れ際最後にホリーに言う「ボルジア家の30年の圧政はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチのルネッサンスを生んだが、スイスの500年のデモクラシーと平和は何を生んだ? 鳩時計さ」この言葉は、オーソン・ウエルズが脚本になかったものを付け加えたと言われている。映画史上最高の名セリフになっている。「悪をこれほど正当化するセリフはない」といった見方もあるが、一般的には、優れた芸術作品は、穏やかで平和な時代よりも変化と混乱の時代に生まれるのは事実だ。

最後のシーン

最後の名シーンといわれる場面はことさら印象的だ。警部とともにホリーを乗せた車が、いったん冬枯れの並木道のアンナを追い越す。飛行機の時間が迫っている。ホリーはそれでも警部に車から降ろしてくれと頼む。警部はホリーを降ろし車は去って行く。

カメラが並木道をまっすぐに映し出すと、遠くにアンナが見える。遠方から並木道を歩いてくるヒロインを撮り続けるカメラ。なんとも言い現しようがない感動的なシーンだ。

ホリーが道端でそれを待っているあいだ、カメラはしだいに近づくアンナと舞い散る枯れ葉を撮りつづけている。アンナが徐々にホリーに近付いてくる。ホリーとアンナはすれ違う。ホリーの傍らを過ぎるアンナは一瞥もくれずに無視してそのまま歩き去っていってしまう。そこでチターの音色が何処からともなく聞こえてきて映画は幕を閉じるのである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

ももバー

4月18日(土)
血液患者コミュニティー「ももの木」の活動の中心として患者、元患者、家族、関係者が気兼ねなく集まり、語り合う場として交流会がある。ここには通常20人から30人ほど集まり、共通の病気や、体験者が5,6人ずつグループになって闘病生活や退院後の生活のあり方などの情報を交換し、生きる展望を探って行く。

この交流会は2月一度土曜日の日中行われる。ここに出られない人やももの木の理事長の田中医師と直接話したい人が小規模で集まれる場がほしいという要望があり、2006年3月から「ももカフェ」がももの木の新しい活動として行なわれるようになった。

しかし、ももカフェだと女性しか集まらないということで、もう少しざっくばっらんにお酒でも飲みながら話しましょうということで「ももバー」と名前を改めて昨年7月から再出発した。最初は1ケ月一度行われていたが今は2ケ月一度新宿3丁目の『楽屋』という喫茶店で18時から行っている。酒好きの私はこのモモバーになってから、ほとんど出席している。参加人数も多い時もあるが通常7,8人で話しやすいし、田中医師がいることで、普段主治医になかなか聞けない病気の悩みやなど色々相談も出来る。

昨日「ももバー」が行われた。そこに40歳少し過ぎ位の父親と20歳の娘が参加した。その父親の話しは、世の中にはこのように矢継ぎ早に不幸が続くことがあるのと思うような人生だった。苛酷な運命は人を強くすることはあるだろうが、あまりにも苛酷だとそれに押しつぶされてしまうかもしれない。

何年か前から息子の不良問題に悩まされていた。その心労もあってか妻が1年半前に急死してしまった。その頃19歳の娘は妊娠し子供が生まれた。子供が生まれて3ケ月も経たない頃、体中あざができ、最初は出産の後遺症かと思っていたが中々治らないので医者に行って精密検査をし白血病と診断された。それを聞いて父親が病院に駆けつける時に自動車事故を起こしてしまった。

娘は即入院になった。病棟では基本的には子供面会は出来なかった。とりわけ正常な白血球が減少し免疫力が低下しクリンー・ルームでの生活を余儀なくされている状態ではなおさらだ。子供と会うことが出来ないことが一番辛かったと言っていた。入院した時ははいはいしていたのに、退院した時は走っていて感動したという。入院中はずっと夫が子供の面倒を見ていたということだ。

父親は娘何としても助けたい一身で治療を巡ってセカンドピニオンに行ったり、田中医師に相談に行ったり東西奔走して回ったそうだ。入院中も特別に許可を取って病室に寝泊りしたそうだ。もし娘に万が一のことがあったら自分は何を心の支えとして生きていけるだろうとも思ったという。結果的に娘は臍帯血移植が成功し6ケ月で退院することが出来た。

退院してから入院中毎日のように面会に来ていたくれたおばあちゃんが退院後1ケ月後死んでしまった。次々と苛酷な運命の来襲、息子の問題、妻の死、娘の白血病宣告、自動車事故、おばあちゃんの死これらが続いて一人の人の身の上に襲いかかることがあるとは世の中どう見ても不公平だと思いたくなるだろう。

ただ救いがある、孫の誕生と成長、娘が白血病から生還したということだ。これを拠り所して生きる力を得ていくことが出来るだろう。

入院中もそうだったが、患者やその家族の話は、決して楽しい話ではない。辛く苦しく不幸を一身に集めたような話ばかりだ。しかし人は絶望の淵の中で自分の本音をさらけ出し、その人の本当の姿を表してくる。そこにはこの世の中の縮図が示されているようだ。

こういった体験を経ながら人は今日も生きていかなければならない。どこかで生きる目的と希望を求めながら、どこかに突破口を見つけようと必死になって生きて行っている。それはどんなドラマよりもドラマティックな物語だ。「人生、社会という濁流の中で起きる出来事の決定権は自分にはなくても、その流れにどう乗るかは自分の意志」(宮沢和史)。科せられた運命をどう乗り越えていくかの選択は自らの意志にあるのだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日

4月15日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM    1176←1175←1233
 白血球  2・0←1.9←2.0
 血小板  11.8←12.3←12.2
 ヘモグロビン 10.6←10.5←10.3


IgMが下げ止まりになったのだろうか、どちらにしてもこのままこの数値で止まってくれれば問題はないのだが・・・。普通だったら休薬で様子を見ようという数値だと思うが、薬を止めたら急激に数値は上昇してくるのは目に見えているのでやめるわけにはいかない。白血球の数値はエンドキサンの影響だろうが下がりっぱなしだ。今の療法が効果を発揮している限り続けるしかない。

今回は風邪を引いているということで、CRP定量が3.3と大幅に上昇していた。のどの炎症などの影響だろう。それ以外は検査項目にある中では上記以外は基準値に収まっていた。

風邪をひいているので薬を処方してもらいたいと言った所、色々症状を聞かれ薬が選択された。それが下記の通りである。5種7錠飲むことになる。さらに今飲んでいる抗生剤などが5種類ある。さらに明日からは4日間デカドロン(デキサメタゾン)80錠を服用しなければならない。これらの風邪薬の内容を見ればもっともな選択だと思うが、薬漬けになってそれが体にどう影響するか心配なことは確かだ。

ついでに今回の場合のように風邪をひいたのが日曜日だったので検診日に近く薬の処方が可能だった。そうでない場合市販の風邪薬を使ってもいいのか、抗がん剤との相性が悪いということはないかと聞いたら、ただ一言市販の薬は効かないからとしか言わなかった。つまり薬効が弱く副作用の心配などはしなくてもいいということなのだろう。

PL顆粒 総合感冒剤(解熱鎮痛剤、鼻水、くしゃみに有効)朝昼夕食後1回1包 
トランサミンカプセル250mg のどの赤みや腫れを抑える 朝昼夕食後1回2カプセル
ムコダイン錠50mg 副鼻腔粘膜や気管支粘膜の修復 朝昼夕食後1回2錠
クラリス錠200mg 細菌による感染症に有効 朝夕食後1回1錠
アストミン錠10mg 咳止め 朝昼夕食後1回1錠

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

支持療法

4月14日(火)
 化学療法による副作用に対して行われる治療を一般に支持療法という。支持療法の発達によって感染症の予防や患者の様々な苦痛に対してかなりの部分対応できるようになって来ている。例えば今まで抗がん剤治療で一番辛いことは吐気だったが、カイトリルが出来たことによって一番は倦怠感になり、吐気は大きくその順位を下げた。

抗がん剤はがん細胞を殺すと同時に正常細胞にも多大なダメージを与える。骨髄抑制のみならず頭皮細胞(脱毛)や内臓粘膜の細胞を痛めつける。そのため口(口内炎)から始まり、胃(吐気)、腸(下痢、便秘)などに影響する。また腎臓、肝臓も薬の影響を受ける。そういったダメージを何処まで軽減させられるかが支持療法の大きな目的である。

しかし支持療法に使われる多種多様な薬の大量投与が体に与える影響も見逃すことが出来ないだろう。支持療法には次のような薬剤が使用されている。以下、移植の時に私が使用した薬を中心に支持療法の現状について列挙してみる。

白血球の減少 G-CSF製剤(グラン、ノイトロジン)
赤血球の減少 輸血
血小板の減少 輸血
口内炎 イソジンガーグル、ノズレン(うがい薬、粘膜修復薬)
悪心・嘔吐 プリンペラン(ドーパミン拮抗薬)、カイトリル(5-HT受容体拮抗薬)、アタラックスP(吐気止兼睡眠薬)
下痢 ロペミン、、ビオフェルミンR錠
便秘 酸化マグネシウム(マグミット)
帯状疱疹予防薬 ビクロックス250mgの点滴を日に3回
栄養剤 フルカリック1号(1食分のカロリー)、フルカりック2号(2食分のカロリー)
体調の回復 プレドニン、サクシゾン
睡眠導入剤 アタラックスP、マイスリー
感染症予防 マキシビーム、トブラシン、モダシン、メロペン、オゼックス(抗生剤)、ファンガード(防黴剤)、フルコナゾール(抗真菌剤)
解熱、抗菌作用 サクシゾン
腎機能の回復 ラシックス(利尿剤)、水分の多量補給と利尿剤の組み合わせ
血圧降下 生理食塩水、アミノフリード、ソルデム3A
胃の衰弱 アルロイドG液(胃の粘膜を保護し修復する)、オメプラール
偽膜性大腸炎 ヴァンコマイシン
痛み止め オキシコンチン、オキノーム、モルヒネ(オピオイド・医療用麻薬)、テグレトール(抗てんかん剤)、パキシル(抗うつ剤SSRI)、カロナール(解熱・鎮痛剤)
末梢神経障害 牛車腎気丸、ガバペン(抗てんかん剤)、パキシル、ノリトレン(抗うつ剤三環系)

G-CSFは自己抹消血幹細胞採取の時にも使用する。
サクシゾンは、抗がん剤としてエドポシドを使用した時、発熱したがサクシゾンの投与ですぐに熱が引いた程効果的だった。
痛み止めとして帯状疱疹神経痛に対して、カロナールを当初使っていたが効果なく、テグレトール使用した。しかしテグレトールを使用すると一日中ぼっとしている感じなので、薬を変えパシキルを使用することにした。大部屋にいた時の患者で口内炎がひどくモルヒネを使用した人がいたが、オピオイド系の鎮痛剤は使わないで済んだ。ガバペンはベルケードの抹消神経障害に対して使用した。
上に記載した薬のうち使わなかったのは、オピオイド系の鎮痛剤と末梢神経障害に対する牛車腎気丸とノリトレンだけでその外は全て使用した。帯状疱疹神経痛の痛みに対しては、病院内のペインクリニックで神経ブロックを定期的に行った。痛みの激しい1ケ月位は土日を除き毎日行った。

 退院間近になり点滴を外し、点滴で静注していた薬を錠剤に変えた。その内容は以下の通り。
バルトレックス500mg 朝食後 帯状疱疹予防薬、ビクロックスの代わり。
コートリール10mg 朝食後 ステロイド剤・サクシゾンの代わり
スローケー600mg 朝昼夕食後 利尿剤を使用した為排出されたカリウムの補充。

点滴をしている時から錠剤で飲んでいる薬
パキシル錠10mg 朝夕食後 帯状疱疹神経痛の薬、抗鬱剤。
オメプラール錠10mg 夕食後 胃薬、胃酸の分泌を抑える。
バクタ錠200mg 月水金 朝昼夕食後 カリニ原虫による肺炎の予防。
オゼックス錠150mg 朝食後 抗生剤、細菌、ウイルスによる感染の予防。
フルコナゾールカプセル100mg 朝食後 抗真菌剤、真菌(黴)による感染予防。
ウルソ錠100mg 朝昼夕食後 肝臓増強剤

朝飲む薬を集計すると、バクタのある月水金は8種類、1670mgの薬を飲まなければならない。これらの多くが副作用として脱力感、倦怠感をもたらすものであり、飲みつづけている限り体力の回復は難しい。確かに免疫力も落ちていて、色々な予防措置は必要だとは思うあまりにも過剰な薬の投与だと思う。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

千川通りの桜

4月11日(土)
東長崎駅近くに買い物に行ったついでに、千川通りの桜並木がどうなっているか見てみようと思い、自転車だったので足を伸ばしてみた。千川通りの桜並木は練馬辺りから始まり、南長崎まではソメイヨシノが中心だが、南長崎6丁目で道路が左に曲がると八重桜になる。千早町の千川親水公園辺りで再びソメイヨシノの桜並木になり、そこで一旦途切れる。

その後、要町通りを渡り、板橋高校の所で道は左右に分かれるが右側に再びソメイヨシノの桜並木が続いている。桜並木は千川2丁目まで続いている。桜並木は豊島区と板橋区の境で終わる。その後千川通りは大山方面に向かう。

千川通り005_edited_convert_20090411230441 江原町付近

この千川通りの桜並木は千川上水の川沿いにあった桜の名残で、千川上水の堤には、千数百本もの桜が植えられ桜の名所でもあったという。千川上水は現在は暗渠になっている所が多いし埋め立てられて道路になっている。しかしその痕跡は、親水公園として残っていたり、桜並木として残っている。

千川上水の開削は1696年(元禄9年)に江戸幕府将軍徳川綱吉により命ぜられた。その目的は、「小石川御殿」(綱吉の別荘)、「湯島聖堂」(幕府の学問所)、「寛永寺」(徳川家の菩提寺)、「浅草寺」(幕府の祈願所)、「六義園」(綱吉の側用人・柳沢吉保の庭園)への給水であった。巣鴨に達した上水の水は、地中に埋められた木樋により、江戸の本郷、湯島、外神田、下谷、浅草などに飲料水として供給された。

千川通り007_convert_20090411230535 千早町付近(八重桜)

千川上水は、玉川上水から水を引いている。西東京市と武蔵野市との境界付近にある境橋に分水口があり、ここから豊島区巣鴨まで、武蔵野台地上をほぼ東西に流れる。練馬区内に入って青梅街道を越えるが、ここから先は暗渠となり、上水に沿って「千川通り」が走っている。

南長崎でほぼ直角に曲がって北東に流れを変える。板橋区に入ると中山道に沿って流れ、北区を経て豊島区巣鴨に達する。千川通り自体は川越街道にぶつかった地点で消滅してしまう。それとも千川通りと呼ぶのは要町通りまでなのかもしれない。

千川通り015_edited_convert_20090411230734 板橋高校側

こういった曰くの千川通りだが、どちらにしても桜並木が密集してあるのは、江古田から豊島区のはずれまでだ。自転車で江古田まで行って千川通りを戻りながら、桜並木の下を自転車を走らせる。

ソメイヨシノはかなり花を落としているがまだ残っているものもある。同じ場所でも差が出るものだ。八重桜(里桜)がこれからという花を咲かせている。八重桜がソメイヨシノと重なって花を咲かせているとは驚いた。通常ソメイヨシノが散り終わってしばらくしてから咲き始めると記憶している。今日もう八重桜がほぼ満開に近いほど花を咲かせている。最近の気温の上昇が影響しているのだろう。

南長崎6丁目の交差点から千川通りは北東に曲がる。ここから桜は八重桜になる。濃いピンクの花が力強く色彩を発している。この八重桜(里桜)は関山という種類らしい。千早町の親水公園周辺では再びソメイヨシノになるが、ここの桜はほとんど花を散らせていた。

千川通り014_edited_convert_20090411230639 千川付近

ここから要町通りまでは桜はなく、通りを渡り板橋高校の所から再びソメイヨシノの並木が続く。ここの桜もかなり花を落としていた。途中サトザクラの並木がソメイヨシノに挟まるようにしてあり白い花を咲かせていた。

色々な種類の桜が次々と花を開き、それぞれの持ち味を出して楽しませてくれる。しかし花見というとどうしてもその数が多い事もあるが、その色の艶やかさが春を感じさせるソメイヨシノに及ぶものはないだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

多摩湖、狭山湖の桜(つづき)

4月10日(金)
多摩湖(村山貯水池)
山口観音の五重塔のある場所から、多摩湖と狭山湖に行く遊歩道に出ることが出来る。左へ行けば多摩湖、右へ行けば狭山湖だ。最初に多摩湖に行くことにした。遊歩道といってもこの周辺はサイクリングのルートになっていて、人のためよりも自転車のために道路が整備されている感じだ。

狭山湖041_convert_20090411102150

五重塔から10分位歩くと堰堤(えんてい)にたどり着く。この堰堤を境に東側の下貯水池と西側の上貯水池に分かれる。1924~27年(大正13~昭和2)に完成した。周囲約16キロメートル、都民の上水道用水源地となっている。堰堤は自動車専用道路になっている。人や自転車は下の道を行くことになる。

狭山湖049_convert_20090411102412

多摩湖にあるという1万本の桜は何処にあるのだろうという感じだった。所々に咲いているのは確かだが、大量という感じは全くしない。しかし湖を囲む木々は全て葉を出し、新緑の淡い黄緑の葉を風に揺らしている。桜もいいが新緑のさわやかな雰囲気も捨てがたいものがある。森林浴に来た感じだ。多摩湖を2つに区切っている堰堤をわたり、また同じ道を引きかえし、五重の塔の所まで戻り、今度は狭山湖に向かう。

狭山湖(山口貯水池)

「県立狭山自然公園内に位置する桜の名所。3月下旬になるとソメイヨシノをはじめ、オオシマザクラやヤマザクラなど、約2万本もの桜が咲き誇る。全長700mの堤防から見渡す満開の桜は圧巻だ。」と案内に書いてあった。どんなものだろうかと期待して向かった。

狭山湖056_convert_20090411105420 第一取水塔

この山口貯水池は多摩川の水を導水して昭和9年に東京都の水瓶として完成した人造湖ということだ。堤防をわたりながら第1取水塔を見ながらどこかで見た気がした。思い出した。小学校2年か3年の時の遠足で行ったことがあった。狭山湖の第1取水塔を背景にした集合写真を見たことがある。遠足で行った記憶はないが、写真に写っているから行ったことは確かだ。

堤防からは片方が湖で、片方が公園になっていて、桜の木が植えられている。遠景には街の建物が見える。堤防を渡り切ると、そこからが桜の広場になっている。大分花が散ってしまっていって、華やかさは失われてしまっている。観光客が結構来ているが花見客というよりは散策に来ている人たちという感じだ。ほとんど客も来ないと思うが、屋台は3台ばかり営業していた。

狭山湖063_convert_20090411105540 桜の広場から見た狭山湖

また堤防を戻り、30分以上同じ道を行くよりはバスで帰ろうと思った。公園の地図によると狭山湖口というバス亭が近くにある。小手指まで行くらしい。西武球場前駅からの狭山線は20分に一本だから、小手指の方が便利だ。ただ、バスが1時間に1本しかないといった可能性も否定できない。

どうしようかと思ったが結局バス停に向かった。10分ほど歩いて交差点に差し掛かった時丁度バスがこちらに向かってくる。停留所に駆け寄って乗ることが出来た。後でわかったことだが、早稲田大学の所沢キャンパス行きのバスがこの道を通っていて、朝夕は多いが通常は20分に一本出ている。そんなにあせる必要はなかったのだ。

今日は10時30分から歩き始めて、小手指に着いたのが2時過ぎだった。結構歩いた感じだ。郊外の緑のさわやかな大気の中を散策するのは気持ちいいものだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

狭山不動尊、山口千手観音

4月10日(金)
連日20度を越える暑さが続いている。今日は練馬では26度だったと天気予報で言っていた。桜もこの暑さの中で、あっという間に満開になり、散るのも早い。今日あたりかなり散って葉桜になっているかもしれない。西武線のポスターでの沿線桜の名所にあった狭山湖の説明では、狭山湖、多摩湖周辺には5万本の桜があるとあった。今日で花見も終わりだろう。最後に多摩湖、狭山湖に行ってみようと思った。

西武球場前駅で降りて、湖に向かう途中に、狭山不動尊と山口観音の表示があった。西武球場前駅は、そこから5分位の所にゆり園があり、それを見にいった時に利用した。ゆり園から遠くの小高い丘の木々の間から、五重の塔の上部が見え何だろうと関心を持ったが、その時は行かなかった。今回は通り道だということもあって寄って見ることにした。

狭山不動尊(狭山山不動寺・天台宗の別格本山)


狭山湖022_convert_20090411101618 勅額門

駅から5分位歩くと、石柱が立っていて狭山山不動寺と書かれていた。古めかしい門があり、その門が勅額門だ。門の横には樹齢何百年というイチョウの大木が御神木として祀られている。階段を上ると、極彩色に彩られた御成門が現れる。

そこからさらに登ると総門があり、それをくぐると広い境内にでる。そこに本堂(護摩堂)と多宝塔がある。多宝塔は桃山時代 慶長十二年(1607年)に作られたもので、大阪市高槻市梶原の畑山神社にあったもので1961年4月ここに移築された。また本堂は京都東本願寺から、勅額門などの門は芝増上寺から移築したものだという。重要な建築物がほとんど寄せ集められ、寺院として開山したものだ。

狭山湖020_convert_20090411101717 御成門

略歴:狭山不動尊は本尊に不動明王を祀る。境内には、徳川幕府2代将軍徳川秀忠の台徳院霊廟の入口の門であった勅額門・丁子門・御成門がある。これらの門は、寛永9年(1632)3代将軍家光が建立したもので、国の重要文化財に指定されている。また多宝塔は埼玉県の重要文化財に指定されている。

広い境内には弁天堂、鐘楼、大黒堂、山門、桜井門、第2多宝塔など色々な所から移築た由所ある建物が点在しており見所には事欠かない。ちょっと寄ってみるつもりだったが境内を散策してかなり時間をかけてしまった。

狭山湖007_convert_20090411101757 多宝塔

山口千手観音(金乗寺 真言宗 豊山派)

狭山不動尊から、5分位歩くと、山口観音で知られている金乗寺がある。仁王門の前には土産物屋があり、平日の午前中だったのでそれ程人出はなかったが休日ともなれば結構賑わうのだろう。本堂の裏の斜面は段々になっており、20cm位の観音像が水子地蔵として並べられている。千体地蔵と言われている。千体とは言わないまでもかなりの数の観音像が並べられている。

狭山湖026_convert_20090411101846 本堂

略歴:山口観音は吾庵山金乗院といい真言宗のお寺で行基菩薩が開いたと伝えられていて、後に弘法大師が東国巡錫の折、龍神に祈念し霊泉を得たので以来弘法大師加持水と称したそうです。山口観音には四体の千手観音像があり一体はご本尊で他一体は藤原様式を伝える市指定文化財になっています。

狭山湖028_convert_20090411101954 千体(水子)地蔵

新田義貞が鎌倉攻めの際、ここに立ち寄り戦勝の祈願をしている。その時の新田義貞祈願文が伝えられていている。境内には義貞誓いの桜と呼ばれる桜の木があり、また新田義貞奉納の馬として、白馬の等身大の彫像が飾られている。

本堂の横から五重の塔の登る坂道がある。かなり急な道を登り切ると視界が開け、真新しい五重の塔が目に入る。平成11年に作られたという新しいものだ。五重塔の横に仏国窟入口と書いてある洞穴がある。そこから入ると西国33番札所を巡るというもので、暗い洞窟の中には仏像が壁際に並べられている。(つづく)

狭山湖036_convert_20090411102050 五重塔

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

豊島園、石神井川沿いの桜

4月9日(木)
折角咲き誇っている桜を見過ごすわけには行かない。ということで今週は桜見物の週にしようと思った。確かに北へ北へと移動していけば桜は後2月近くは楽しめるだろうがそうもいかない。東京で咲いているうちに見るほかない。今日は午前中しか時間がないので、近場で西武鉄道推奨の一つ豊島園から石神井川沿いの桜見物に行くことにした。

豊島園遊園地は、最近は色々な催し物をして集客に勤めている。回転木馬(メリーゴーランド)「エルドラド」はかなり古く新しくしたらどうかと思ったが、本当かどうか分からないが世界最古のものだという。また日本初の巨大な「フライングパイレーツ」などがあるが、乗り物は数が限られているしこれといった目玉商品があるわけではない。夏にはハイドロポリスや流れるプールなど7つのプールがありかなり盛況だが、それ以外の季節では春の夜桜見物や、紫陽花園、夏の花火など色々企画しているようだ。

最近は、園外施設に力を入れ、「トイザラス」〈おもちゃ屋〉、「庭の湯」〈温泉〉、「ユナイテッド・シネマとしまえん」〈映画館〉などが次々とオープンしている。

豊島園001_convert_20090409220243

豊島園は10時から開園だ。紫陽花見物の時は、「あじさい祭り」の期間のみ40歳以上が通常1000円の入園料が500円になる。そこで、今回園内の桜を見るだけなので安くならないかどうか聞いてみたが、夜桜見物は16時以降無料だが、日中の割引はないとのことだった。

豊島園007_convert_20090409222558

桜は石神井川沿いを初めとして園内至るところに咲いている。桜広場という場所では長椅子が並べられて恐らく夜桜見物の客が飲食を楽しむ場所となっていたのだろう。その会場も片付け始められていた。夜桜ウィークは4月6日で終了したようだ。

「ローラーコースター“サイクロン”に乗って、桜のトンネルを抜けたり、“イーグル”に乗って地上35m上空からの展望など、遊園地ならではのお花見が楽しめます。」と案内にあった。乗り物には乗らなかったが、桜の木々の間を走る乗り物は、何故か華やかでいつもと雰囲気が違うような気がした。平日の遊園地は静かだ。客もほとんどが小さな子を連れた母親だ。乗り物も客が来れば動かすが、乗っている客は2、3人しかいない。

豊島園015_convert_20090409221203

豊島園を1時間ばかり回って、トイザラスの所まで下って行くと石神井川にぶつかる。そこから、川沿いに遊歩道があり桜を見物しながら散歩する事が出来る。石神井川は王子まで行き、その後隅田川に流れ込む。桜並木が何処まであるかは分からない。

5分位歩くと練馬総合運動場に行きあたった。3月半ばに行った所だ。その頃桜はまだ枯れ木で、名物の銀杏も全く葉を付けていなかった。桜は満開で、銀杏は芽を吹き始めている。半月でなんと急激な様変わりだろう。

豊島園031_convert_20090409222245

ここからは以前行った道を逆に辿ることになる。川沿いには途切れることなく桜並木が続いている。高稲荷公園はお花見の場所と言われているが平日の昼間から花見で宴を囲んでいる人はいなかった。たこ焼き屋など屋台が3台ばかり出ていたが、客もいないので店員の3人が車座になってお喋りしていた。

豊島園から30分位川沿いを桜を鑑賞しながら歩き、以前桜台から歩いて20分位で石神井川に辿り着いたその地点まで来た。これから後20分歩くのはしんどいと思ってバス停に行ってみたが、1時間に一本位しか出ていない。そのバスの停留所名が氷川台駅となっていた。氷川台駅が直ぐ側にあるということだ。駅はそこから3分位の所にあった。そんな所に駅があるとは全く知らなかった。有楽町線に乗って千川で降りればいい。これは楽だ。

豊島園033_convert_20090409222335

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

哲学堂、新井薬師の桜

4月8日(水)
2006年の4月、入院していた病棟が10階にあり、そのエレベーターホールから近くの寺院が俯瞰でき、その境内にある桜の咲き誇る様を見ることが出来た。来年は遠くから眺めるのではなく花見をしたいと思った。その記憶が焼きついていて、いわば強迫観念のように、桜が咲くといつまで花見が出来るだろうかと思って、桜の開花の季節になると心騒ぐ。東京の桜も今週で終わりになる。見るなら今のうちだ。見頃は1週間もない。

今日は午後から出掛ける事になったので近場で桜見物ということになった。西武線の沿線公園での桜情報によると、哲学堂公園と新井薬師公園が載っていた。自転車で行ってみることにした。

哲学堂は近くなので今でも何度か行っている。昔、西落合に住んでいた時には、休日ごとの散歩コースだった。この公園での花見も何回かしていた。もう30年位前の話だ。子供の属していた少年野球チームの親たちでの集まりだった。

哲学堂008_edited_convert_20090408225843 六賢台

桜に囲まれた六賢台や四聖堂もいつもとは雰囲気が違う。花を通して見る建物は哲学的いかめしさが薄らぎ穏やかな雰囲気を感じさせる。「桜のひろば」には昼下がり何組かが花見件昼食ということで、シートを敷いてくつろいでいた。妙正寺川を渡り梅林の対岸から川面にかかる桜を眺める。哲学堂を巡り、新井薬師公園に向かう。

araiyak022_edited_convert_20090408153216.jpg 対岸から見た哲学堂桜ひろば

桜並木は哲学堂通と新青梅街道の交差点から始まり、江古田を経て沼袋辺りまで新青梅街道に延々と続いている。一方、中野通の桜並木もなかなか見応えがある。哲学堂下から早稲田通の交差点まで連なっている。地元の商店街の企画だろうと思うが、御馴染みのピンクの提灯が連なっている。

新井薬師公園の桜はそれ程ではなく、中野通りの桜の方が見事に咲き誇っていた。薬師公園に隣接して新井薬師がある。近くにあるのに新井薬師に行ったのは初めてだ。丁度4月8日は釈迦の誕生日ということで「花祭り」が行われていて、屋台が境内に所狭しと軒を連ね、多くの参拝客でごった返していた。

araiyak012_edited_convert_20090408153121.jpg 新井薬師山門

甘茶が無料で振舞われていた。何故甘茶なのかというとその説明に「誕生の際には、大変甘い“甘露の雨”が降ったと言われております。当日は、花で彩られた花御堂にお祀りされたお釈迦様に甘茶を灌ぎ、当院で用意いたしました甘茶をご賞味頂いております」とあった。この境内の桜は寺院の雰囲気の中で一際鮮やかな色を発しているようだった。

araiyak010_edited_convert_20090408153007.jpg 新井薬師本堂

新井薬師(新井山梅照院薬王寺 真言宗豊山派)の略歴:薬師如来を安置するために、行春が新たにお堂を建立したのが、梅照院の始まりです。二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617年)に如来の啓示によって、秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれている。

araiyak021_convert_20090408153453.jpg 中野通りの桜並木

新井薬師を後にして、近くのひょうたん池や北野神社を巡って、再び中野通りの桜並木をくぐりながら豊島区の方に向かう。時々風が強く吹くことがあって、その度に桜の花びらがまさに花吹雪となって降り注いできた。道路は至る所桜の花びらで白く彩られていた。桜は散り際が美しい。人生もそうあって欲しいものだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

稲荷山公園、入間川河岸の桜

4月7日(火)
西武線の駅のポスターに、沿線の桜の名所として6ケ所が紹介されていた。豊島園、狭山湖、西武園遊園地、稲荷山公園、入間川河岸、羊山公園である。絶好の花見日和だった。日中は気温が20度まで上がり5月半ばの陽気だった。

稲荷山公園駅の目の前がその名の通り公園だ。ここは1973年に米軍から返還された基地跡地を整備した公園で、2002年4月1日から県営公園としてあらたに開園した。毎年4月にはソメイヨシノや八重桜など、約300本の桜が見頃を迎える。

稲荷山公園004_convert_20090407231040 公園入口から

入口には屋台が出ていて、焼きそば、烏賊焼き、トウモロコシなどいい匂いが漂ってくる。入口から真っ直ぐ広い道があり、満開のソメイヨシノが両側に枝を張っている。途中から左右に分かれ、桜を見ながら公園を一周することが出来る。途中から木の道が本道から離れて作られている。どういった意図を持って作られたのか分らないが、その道を行ってみたが公園の外に出るだけでまた戻って来る他なかった。外に出る手前に愛宕神社がありそのためかとも思われる。

オオシマザクラがソメイヨシノと並んで満開の花を咲かせていた。色々な桜の種類があり、それぞれ時期を変えて楽しませてくれる。最初が寒緋桜、大島桜、ソメイヨシノ、里桜、八重桜と知っているだけでもこういった順番で咲く。ソメイヨシノより早く咲くオオシマザクラが一緒に咲いているのは見ものだ。

稲荷山公園007_convert_20090407231147 手前の白い花がオオシマサクラ

芝生の広場があって家族連れや友人同士で花見の宴を開いている。どこかの老人施設のお年寄りが10数人、介護者と一歩にテーブルを囲んでいた。こういった外出はどんなにか気分転換になるだろう。

平日の午前中でもかなりの人が花見に訪れていた。4,5日は桜祭りが行われたらしい。その時は花見客でごった返したことだろう。至る所にある臨時のゴミ入れや、仮設トイレなどを見るとその時の人混みが想像できる。

稲荷山公園018_convert_20090407233049 芝生広場の桜

1時間ばかり桜並木の間を散策して、稲荷山公園駅に戻った。この駅から入間川河岸の桜並木のある仏子までは2駅だ。時間も昼前だったし行ってみることにした。川縁に咲く桜を見てみたいと思っていた。

「桜を見に行こう」といった旅行案内に、白石川提の桜とか北上川沿いの桜並木など紹介されていて行ってみたいと思っていたが、東京近郊でそういった雰囲気を満喫できればそれに越したことはない。

仏子で下車したが、駅にはそれらしき案内がなく、駅員に入間川方面の道を聞くほかなかった。しばらく行くと「入間川リバーサイド」と書いた標識があった。駅から10分ほどで川に着いた。

稲荷山公園039_convert_20090407231528 中橋より

川を渡る「中橋」を途中まで行くと、そこから河岸の桜並木の全景が眺望できる。また秩父連山が遠く蒼いシルエットを浮かび上がらせ桜並木と川の流れと合いまって穏やかな調和を作り出していた。

川沿いには遊歩道が整備され、桜並木の間を散策できる。川に向かってたわわに枝を張り風が吹くと花びらを川面に降り注いでいる有様は何ともいえない情緒を感じさせる。桜並木は西武線のガード下まで300mほど続いている。

稲荷山公園027_convert_20090407231328 川沿いの遊歩道

戻りは川原に下りて、桜を見上げるような感じで「中橋」まで行った。対岸は西武運動場で、野球場やサッカー場があって、自然の只中という雰囲気ではないが、川縁の遊歩道と桜並木は通常の花見とは違った気分を味あわせてくれるものであった。

稲荷山公園036_convert_20090407231437 川原より見る

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

ドラック・ラグ

4月6日(月)
ドラック・ラグとは海外で既に承認販売されている薬が日本では未承認である状態の事を言う。この問題に関して、日本骨髄腫患者の会の会報誌「がんばりまっしょい」8号に特集が組まれていた。

この特集の冒頭に次のように書かれている。「多発性骨髄腫治療の進歩は日進月歩どころか、秒進分歩と表現するのがふさわしいペースで進んでいますが、日本の患者がその恩恵を得るにはドラック・ラグ問題を乗り越える必要があります」と。次々と新薬が開発されていっているのは確かだ。

どのように対応して行くのか。製薬産業、厚生労働省の立場からこの問題について述べている。

■世界初上市(世界の中である医薬品が始めて発売された時)から各国で上市されるまでの平均期間でみると、米国では約1.5年、日本では約4年である。日本は先進国に中で並外れて新薬の発売時期が遅い。

■厚生労働省は、日本におけるドラック・ラグを問題視しこれを解消させるための取り組みとして「有効で安全な医薬品を提供するための検討会」(2006年10月から9回の会合を開催)を行い、その報告書の中でドラック・ラグの原因を4つ挙げた。
1、審査基準やその実施体制が欧米に比べ整備されていない⇒要員の拡充
2、治験の基準やその環境が整っていない⇒全国に拠点施設の設置
3、医療保険における薬価制度⇒業界側から薬価制度の提案
4、製薬企業の開発戦略⇒欧米と同じタイミングで治験を開始

■ドラック・ラグ短縮に向けた取り組みのうち、承認審査に関する部分。
医薬品の開発にあたっては
1、候補物質の物理化学的性質などの検討
2、非臨床試験による毒性、薬理作用の検討
3、人を対象とした臨床試験(治験)による有効性・安全性などの検証
→製薬企業は試験結果をまとめ国に承認を申請する
→承認申請資料に基づき医療品医療機器総合機構において審査
→国はその審査結果を考慮し、薬事食品衛生審議会の意見を聞く
→国は当該医薬品の治療上の効能、効果と副作用を比較考量し承認の可否を判断する。

■厚生労働省としては現時点で米国に比べ2.5年のドラック・ラグあり、これを短縮する事を目標として5ケ年計画を策定し、2007年から実施している。
1、国際共同治験の推進→「国際共同治験に関する基本的考え方」(平成19年9月28日)をまとめ公表
2、総合機構における体制整備
①新薬審査及び治験相談に係わる人員の236名増員
②米国FDAを参考にした新たな研修制度の導入
③海外審査当局との連携強化
⇒2011年度末に、企業が申請するまでの期間の1.5年短縮と、承認申請から承認されるまでの期間(審査期間)を1年短縮する。

製薬産業や厚生労働省の試みや努力は評価に値するが、こういった現状に対して梅澤医師は語っている。彼の言うことはもっともな所があるがこれでいい訳ではない。
「ドラック・ラグの話ですが、日本で新薬を次から次へと認可していたら、保険財政など一発で吹き飛んでしまうはずです。安い税金、健康保険料率を冷静に考えると、仕方が無いことのように思います。

日本で認可されていないクスリでも、(個人輸入で仕入れて)自由診療というかたちであれば、誰でも世界最先端の治療を受けることができます。アメリカと同じ治療環境にあることを意味します。勿論、経済的には大きな問題があります。」

米国でのがん治療の状況について、千葉敦子さんが書いていたが、米国では金さえ出せば最高の治療を受けることは出来る。そのために彼女は抗がん剤でふらふらになりながらも医療費を払うために仕事を続けていた。もちろん仕事は彼女の生きがいでもあったわけだが。

聞いたことがあるが、臍帯血移植をすると米国では750万円かかるという。ただ体格がいいので一人分では足りなく2人分必要となることが多く1500万円かかるそうだ。日本だと保険適用され、高額医療費補助もある。サリドマイドが認可されたが、1錠6,570円になった。米国では1錠2万円するという。

次々と新薬が生み出され実用化されている米国だがその恩恵を受けることが出来るのはごく限られた金持ちだけだということだろう。レナリドミドも確かに個人輸入できるが1月分で120万円位かかるという。金さえあれば確かにどんな薬も手にははいるかもしれない。しかし問題は国が国民の健康に何処まで関心を持っているのかなのだ。

『シッコ』の中で、イギリス、フランス、そしてキューバの医療費の無料化の現状が放映されていた。これらの国は税金が高くて生活が逼迫していることなどもちろん無かった。我々が支払っている税金をどのように使うかが国家の質を問うものとなるだろう。現在、天下り独立行政法人に12兆円使っている、これを削減すれば医療費の増加などは問題もなくフォロー出来るだろう。問題は税金の分配の仕方なのだ。

社会保障費を毎年2200億円削減するといった骨太方針は、政府が国民をないがしろにすることに何の痛みも感じていないことを意味しているし、政治家が国民の怒りや反撃を全く考えていない鈍感さの表現でしかない。しかし、あまりの国民への犠牲の押し付けは、やがてしっぺ返しを食うことになるだろう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

都立庭園-8 六義園の枝垂桜

4月3日(金)
一昨日定期検診を受け、血液検査、医師の診療、保健適用薬の処方を行った。しかし、同じ日に保険適用薬以外の薬の処方を行うことは出来ないとされている。仕方なくサリドマイドだけを受け取りに病院に行かなければならない。

「一連の医療行為に中で、保険診療と自由診療の医療サービスを併用する混合診療は禁止されている。そのため、保険のきかない治療を受けるときには、検査や診察料など本来は保険がきく部分も含めてすべてが自由診療扱いとなり、全額自己負担しなければならない。」ということでわざわざ別の日に処方してもらう他ないのだ。

薬が処方される時間より少し早めに出て、駒込駅から歩いて病院に向かう。六義園の枝垂桜が満開だということで、寄っていこうと思った。駒込駅前広場のソメイヨシノは花を咲かせ、至る所に「染井よしの桜祭り」といったピンクののぼりが立てかけてある。駒込駅よりの染井門は閉鎖されているので正門に向かう。

六義園004_convert_20090403200034

駅から正門に向かう道には、中高年の人たちが並ぶようにして歩いている。皆六義園に向かうのだろうかと思って、正門に着いたらそこから、50m程の列が出来ている。六義園には病院の帰り、季節ごとに年3、4回は行っているが、入園券を求めるのに列を作っているのを見るのは初めてだ。5分程並んで中に入る。

六義園に何度も行っていながら咲いている枝垂桜を見るのは初めてだ。薄桃色の花が咲き誇りいつも見る2倍位の大きさに見える。桜の木の周りには人だかりが出来ている。札が立っていて、そこに書いてある説明では「エドヒガンの変種で、戦後植栽され50年経っている。高さ約13m、幅約17m。」とあった。

六義園012_convert_20090403200318

六義園の桜は、池を挟んで対岸の吹上茶屋の所にソメイヨシノの古木があり満開に近かった。昨日までソメイヨシノは何処でもまだほとんど花を咲かせていなかったようだが、今日になって急に気温が上がり一斉に花を開き始めた感じだ。

桜の花以上に驚いたのは、モミジが黄緑色の葉を一杯につけ、その瑞々しい新緑の姿を青空を背景に立っている姿だった。12月までは真っ赤な紅葉を楽しませてくれていて、4ケ月も経たないうちに今度は新緑を感じさせてくれる自然の循環の妙に感心するばかりだった。

六義園015_convert_20090403200218

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日

4月1日(水)
4月1日、年度変わりの初めの日。今は全く関係ない生き方をしているが、振り返る意味で今までの経過を簡単に書いてみる。

今日までの経過
2005年
 11月7日
 仕事中、足の指に品物を落とし大量に出血。血が止まらないので血液検査をし、異常値が出たので専門病院を紹介される。
 11月24日 専門病院に行って血液がんであることを宣言される。
 12月1日 原発性マクログロブリン血症で入院、入院時IgMが7110。最初のフルダラビンは全く効果がなく9470にまで上昇。その後VAD療法を4クルー行なう。
2006年
 4月 
自己抹消血幹細胞採取
 6月・10月 2回の自己末梢血幹細胞移殖(タンデム移殖)。IgMは基準値まで戻る。
2007年
 5月 
IgMが再び増加、MP療法を行なう。次第に効果減少
 10月 ベルケード療法を行う。2ケ月入院。その後通院で続けるが効果減少。4クルーまでで断念。
2008年
 4月 
サリドマイド療法開始。100mg/毎日服用。
 9月 サリドマイド単剤での効果減少。サリドマイド100mg/毎日+シクロフォスファミド(エンドキサン)50mg/月7日間服用する併用療法。
 11月 サリドマイド100mg/毎日+シクロフォスファミド(エンドキサン)300mg/毎週+デカドロン(デキサメタゾン)40mg/月4日間服用。現在継続中。

2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM  1175←1233←1277
 白血球  1.9←2.0←3.4
 血小板  12.3←12.2←12.5
 ヘモグロビン 10.5←10.3←11.5

 総蛋白  6.4←6.5←6.5(基準値6.4~8.1) 
 尿素窒素  17←16←18(基準値7~20)
 クレアチニン 0.8←0.8←0.8(基準値0.5~1.0)
 カルシウム  9.2←9.4←9.3(基準値8.4~9.7)

今回もIgMは下がり続けている。この療法を始めてから5ケ月経った。退院以降色々な療法をやってきたが、このように一定の期間にわたってコンスタントに下がり続けた療法はなかった。どこまで続くか楽しみだ。

5月になったらCTなどを含めて全身の検査をすると言われた。WMが体の組織に何らかの影響を与えているか、また今までの使用してきた抗がん剤や大量の薬物などの蓄積が体に悪影響を与えているかどうか精密検査をして確かめるということだ。自覚症状がなくとも確認の意味でやってもらえるということは有り難い事だ。

サリドマイドは、藤本製薬から2月に発売が開始されているが、安全管理システムの導入の必要があり、製薬会社が順次各病院への説明に回っているので、処方可能な医療機関に承認薬が行き渡るには時間がかかる。

処方可能な医療機関が300近くあるが、3月になっても、実際処方された病院は12件しかなかった。そういった状態で、厚生省には全ての病院で処方可能になるまで個人輸入への一切の制限を設けないようにと約束させた。それにもかかわらず通関時に必要な地方厚生局より出される薬監証明がスムーズに発給されないという事態も起こっている。

今までは個人輸入を始めた時に必要書類を出してあったので、ただ注文量をファックスで送って、カード払いで決済するだけでよかった。しかし今回個人輸入で仕入れようとした所、輸入代行業者が、厚生省の指示だということで、担当医に「患者がサリドマイドを必要とする理由を詳しく記述した書類」を求めたと言うことだ。個人輸入のハードルが高くなって来ている。

日本骨髄腫患者の会は「サリドマイド供給に関する緊急課題への対応」として高額薬価、不明確な供給体制、限定的な処方可能施設、個人輸入の制限の4点を挙げ厚生労働大臣宛要望書を提出している。サリドマイドは承認されたものの「安全管理手順(TERMS)」の煩雑さを含め実際に承認薬としてスムーズに使われるまでにはまだ時間がかかりそうだ。

9時半に病院に着き採血し、検診を受け、薬を受け取って終わったのが1時過ぎだった。検診といっても血液検査の結果を見ながら「良かったですね薬が効いていて」など一言二言医者が言って2,3分で終わりだ。

病院の帰り飛鳥山公園に寄った。東京の花見スポット情報では飛鳥山公園の桜は7分咲きだと書いてあった。他の所が咲き始めか5分咲きなのにここは何故か早い。王子駅の上中里寄りで降りると、公園に直ぐ入れる。

この公園は、八代将軍徳川吉宗の指示で1200本の桜を植え、大岡越前の時代江戸庶民のためにこの地を花見の地にしたのが始まりといわれる。江戸から現在に至るまで桜の名所となっている。江戸時代、上野の山では、酒、団子が御法度であり一般民衆が今のように飲めや歌えの花見が出来たのは、飛鳥山と隅田川岸であったという。現在、飛鳥山公園にはソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラなど約650本の桜が植えられている。

asukayama01.jpg

ソメイヨシノは7分咲きだったが、ヤマザクラは満開だった。時々晴れ間が出る事もあるが、曇り空で、雨が降りそうになる時もある不確かな肌寒い陽気だったが、ブルーシートを広げた花見客の団体がちらほらと宴会をしていた。平日の昼間からどういった人達なのだろうか。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
03 | 2009/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。