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保険適用のサリドマイドの取得

5月30日(土)
サリドマイドの安全管理基準
サリドマイドが保険適用されて、患者への提供の準備が様々な病院で整ってきている。個人輸入していた時仕入れた手持ちのサリドマイドも後2ケ月ももたない。今まで輸入代行業者を通して英国から輸入していたがもう出来なくなった。保険適用になったサリドマイド(薬品名:サレドカプセル)の入手には、かなり面倒な手続きが必要となるが、その手続きに従って藤本製薬から仕入れる他にない。

サリドマイドの購入、使用にあっては2度と薬害を起こさないように、厳しい安全管理基準が定められた。基本的にはサリドマイド服用中の患者、またはそのパートナーの妊娠回避のため、妊娠中の女性の誤服用を避けるため、薬の管理の徹底化ということだ。藤本製薬から提供される、安全基準に従った手続きを確実にこなし、薬を手に入れなければならない。

「サレドカプセル-患者用パック」
最初に医者から渡されたのは『サレドカプセル-患者さん用パック-』(男性患者用)という分厚いバインダーだ。このバインダーの中のファイルは、サレドカプセルの処方及び調剤を受けるための必要な資料・書類が入っている。その内容は、「説明(教育)用資料」「登録に必要な書類」「診察時の必要書類」に分けられている。

教育資料としては、1、患者用冊子、2、サリドマイド製剤安全管理手順(TERMS)説明用冊子、3、サリドマイド被害説明用冊子、4、避妊方法解説書、5、緊急避妊方法解説書、6、教育補助DVD。

登録に必要な書類には、1、サリドマイド製剤安全管理手順に関する同意書、2、理解度確認書、3、登録申請書がある。

診察時の必要書類として、遵守状況等確認冊子、遵守状況等確認表(A)、診察前調査票

サリドマイド(サレドカプセル)服用までの手順
Ⅰ、まず医者の説明を受け、教育補助DVDを見てサリドマイドについての理解を深め、「登録に必要な書類」3点に署名し、藤本製薬内にあるTERMS管理センターに送り、登録申請をする。

Ⅱ、登録完了後、「登録通知書」と「登録カード」が医師より渡される。

Ⅲ、診察前に『患者用パック』に入っている「遵守状況等確認冊子」の最初に書いてある「治療に関する同意説明」を読み、医師、患者相互に遵守状況等を相互確認する。そして「遵守状況等確認表(A)」に署名する。それを医者がTERMS管理センターにファックスすると、「遵守状況等確認表(B)」が送られてくる。医者より、処方箋と「確認表(B)」を受け取り、薬剤部に行く。

Ⅳ、薬剤部で、薬剤師と患者で遵守状況等を相互確認する。「遵守状況等確認表(B)」に署名する。薬剤師がTERMS管理センターより「遵守状況等確認表(C)」受け取る。薬剤師より「カプセルシート」と「遵守状況等確認冊子(患者さん控え)」を渡される。

Ⅴ、自宅では、「カプセルシート」の服用状況欄へ、服用日を書いて、服用状況を記入する。

Ⅵ、2回目以降は、診察日前日までに「診察前調査票」を記入しTERMS管理センターにファックスする。前回調剤分の「カプセルシート」は病院に持参し医師、薬剤師に提示する。後は、1回目と同じ手続きを繰り返しサリドマイドのカプセルシートを取得する。

残された課題の解決を

こういった手続きをサリドマイドを使い続ける限り繰り返し行わなければならない。サリドマイドの薬価が安全管理のため高額になり、1カプセル100mg6570円となった。保険適用でも、1ケ月59,000円かかってしまう。また第3者評価機関による、サリドカプセル開始直後、さらに半年一度のアンケート調査への協力が必要となってくる。

手続きの煩雑さ、薬価の問題など色々解決しなければならない課題は残されているが、日本骨髄腫患者の会の保険適用に至るまでの長い努力の結果やっとここまでこぎつけたことは大きな成果であることは確かだ。後は改善すべき所を徐々に改めていくしかない。
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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

定期検診の日

5月28日(木)
2週間一度の定期検診の日。血液検査でのIgM値は以下の通り。

IgM  1272 (5/28)←1170 (5/14)←1076 (4/30)←1176 (4/15)
 
IgM値が1272になった。2週間で100づつ上昇している。一度位の若干の上昇だと体内の水分量などの影響での誤差と考えられるが、続けて上昇してきていることを考えると、薬物耐性で薬の効果が弱まってきたとしか考えられない。薬物耐性はこの病気について回る疫病神のようなものだ。薬が効かなくなるということは、何回も体験していてまたかとは思うがやはり精神的には厳しい。

IgMの値は、サリドマイド+シクロフスファミド(エンドキサン)+デキサメタゾン(デカドロン)の3種併合療法以降確実に減ってきていた。この療法を始めた11月26日にはIgMは2225あったが、それ以降下がり続け、4月30日には1076までになった。しかし下がったのはその時までだった。それ以降上がっている。

無題

担当医と相談した。サリドマイド+ベルケードといった話も出たが、ベルケードは前回使用した時、末梢神経障害が出現し、ガバペンを使用したがあまり効果がなかった。また血小板への影響が強かったこともあったので、医者もあまり乗り気ではなかった。ほかに方法がなかったならばやるほかないが。

さらに、ベルケードは1サイクル21日で、その間4回点滴治療に通わなくてはならず、点滴で4日、多い月は6日、その外に定期検診の日が2日入る。つまり月6日か8日病院通いをしなければならない。病院に点滴に行けば1日仕事になる。時間はあるとはいえ、かなりの負担になる。

結局、この療法を始める時に提案されたように、この3種併合療法のレジュメン(治療指針)通りに、今毎日100mg服用しているサリドマイドを200mgに増やすという方針でいく事にした。

始めた時に100mgにしたのは、輸入代行業者から自費購入していた関係で経済的負担が大きかったからである。200mgにした場合、毎月サリドマイド代金だけで10万円以上かかることになった。

サリドマイドが保険適用になったら200mgに増やそうという話は当初よりされていた。保険適用になれば8万円以上は高額医療費として戻ってくるので、200mgにしても患者負担は変わらない。今までは運よく100mgで効果があったのでそのまま続けていたというわけだ。そういうことで明日から200mgの服用が開始される。他は同じ量で継続する。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

ももの木の「患者・家族交流会」について

5月27日(水)
◆ ももの木の始まり
血液患者コミューニティ「ももの木」は、患者やその家族が気楽に集まり、悩みを語り合える場を作ろうと、東大病院と駒込病院の血液患者を中心とした患者会として2000年に田中医師の呼びかけで発足した。2003年 特定非営利活動法人(NPO)になった。

現在では首都圏に限らず、全国の様々な病院の患者、患者家族、友人、医療スタッフやドナーにもネットワークが広がっている。院内ボランティア活動や講演会なども実施している。

患者や家族は自分の病気のことについて色々不安をかかえ知りたいと思うことは数限りなくある。しかし医療者には聞き辛いことや時間の関係でじっくり聞く事ができないという実情がある。病室で仲間同士、副作用の対処の仕方や病状などお互いに情報交換し合う事もある。これが医療者の助言とは別に治療や生活をするうえでとても役に立つことが多い。

同じ経験をくぐった者同士は話が非常にスムーズに進み、心配かけまいとして家族にも話せないような苦労や悩みも打てば響くように理解しあえる。

◆ ももの木「交流会」の開始
病気の情報を得たり、病気の苦しさや、病気にともなう様々な悩みを相談できる場が必要だという声から、血液疾患に関わる様々な立場の人が集まって、お互いの病状や社会生活についての悩み、治療に関する情報などを交換する場を提供できればと「ももの木」交流会が始まった。今では血液疾患だけではなく病気の枠を超えて交流の場にもなってきている。

「ももの木」の活動の一つとしての患者家族交流会は、各病院で行われている院内交流会とは別に、血液疾患の患者が気兼ねなく集うため2ケ月一度行なっている。土曜日の14時から17時の時間帯だ。参加者は治療を終えた元患者が中心だが、治療中の患者、医者、患者家族、友人など様々な病気や治療を経験した人たちが集まってくる。

交流会での話題は、入院生活の体験、退院後も抱える後遺症、治療についての疑問、治療終了後の社会復帰、患者家族の問題などだ。

◆ 患者・患者家族の悩み
患者の多くは自分の病気の現状や、これからのことへの不安を抱えている。実際に経験した人の話しを聞けば不安の多くは取り越し苦労であったりすることもあって不安解消に役に立つ。またこれからの治療経過を体験者から聞くことによって治療への展望を自覚する事が出来る。

何故自分だけこんな病気にかかったのだろう、誰でも抱く疑問である。そしてそれに対する回答は今の医学では存在しない。こういった患者の悩みは何処でも解決は出来ない。しかしこういった場で自分の生活や家族、自分の病状、移殖を抱えた不安など言いたいことを腹蔵なく語れることに意味がある。

語ることによって悩みに対するカタルシスを得ることになるのだろう。またそのことによって自分を見つめなおし、自分の悩みを整理することにもなるのだ。

患者家族にとっては、どのように患者を支えるのか、患者の病状、精神状態、これからの治療、治療にあたっての注意事項、副作用への対応など初めてのことばかりで心配でいても立ってもいられないという気持ちだろう。それに一番適切な助言を出来るのは患者自身及び体験者なのだ。交流会に参加することによって多くの体験者から話を聞くことができる。

◆ 闘病体験の共有化

闘病体験者も自分の体験が人の役にたってくれるのはうれしいし、苦しい体験をしただけにどうしても伝えたいという 気持ちもある。また患者同士で情報を共有し治療や副作用軽減の役に立てることが出来る。交流会に参加している医師には、担当医に聞きづらい病気や治療法について疑問をストレートに聞くことができる。

交流会は退院後の問題、薬の副作用、感染症、就職の活動と元患者の共通の課題が話される。そこで出される多くの実体験こそが元患者にとってこれからどう生きていくかの、最も重要な教材となるだろう。就職活動にしても色々な人の経験を聞く事が出来、自分はどうして行くかの参考にすることが出来る。

「自分の抱えている問題をざっくばらんに話し合える場が欲しかった。ここで何かが解決出来なくても病気について分かっている人に言いたい放題話なせる場があるということがどれ程ストレス解消になるか。」と交流会に参加したある患者家族は言った。医者や看護師や家族にも話せない悩みを患者や家族は抱えている。それを話せる場、それが交流会だ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

『アボリショニストの視点』-フルスマン記念論文集より

5月26日(火)
現在アメリカでは200万人を超える受刑者がいる。これは犯罪原因を個々の犯罪者に求めその隔離が犯罪を減少させるという厳罰化政策によってである。日本においても凶悪犯罪は減少傾向にあるにもかかわらず、重罰化の進展によって過剰拘禁が起きている。

各国の受刑者率と犯罪率は全く相関がない。むしろ受刑者率と所得格差や福祉予算等を比較して、犯罪との戦いより、貧困との戦いこそが受刑者率を引き下げるものあることが明らかである。つまり拘禁の強化は犯罪抑止に何ら効果をもたらさない。むしろ貧困を改善する社会福祉政策の遂行こそ、犯罪の減少に直結するものである。

書棚を整理していたら、20年位前に発行された『警察研究』のバックナンバーが出てきた。そこに書かれていたのは『学会展望―最近の外国刑法事情・アボリショニストの視点』という論文の連載だった。「刑事司法制度廃止論者(アボリショニスト)の急先鋒として世界にその名を知られているエラスムス大学ロッテルダム校法学部教授ルーク・フルスマンの退官を記念して、同大学司法研究所は記念論文集を特集した」その論文集の要約だという。現在の刑事司法制度の問題点を考える上で、フルスマンの視点は考えるべき点を多く持っている。簡単に紹介してみたい。

Ⅰ、フルスマンのアボリショニズムの立場


フルスマンは主張する。刑事司法制度は完全に廃止されなければならない。何故ならそれは「犯罪」と一般に呼ばれている問題を取り扱うための人道的かつ意味ある方法を、決して論理的に提供するものではないからである。

フルスマンが刑事司法制度を廃止されるべき社会問題として理解する根拠は、次の4点に基づいている。
、刑事司法制度は苦痛を科す。犯罪者の自由の剥奪が苦痛であることはいうまでもないが、その家族、近親者にも苦痛を科すことになる。さらに多くが既に社会の周縁部に属する人達であることを鑑みると、社会の不公平と問題性を一層増大させる事になる。

、刑事司法制度は、その制度自体が公言している目的を達成するものとして機能していない。

、刑事司法制度は統御不可能になっている。この制度は統御関係当事者から紛争を「潜脱」して、ほとんど丸腰の状態にさせられている犯罪者と国家官憲との間の紛争へと変質させてしまっている。

、現代の多様化した社会(極度に分業化され、価値観と現実認識が実質的に異なる)においては、「犯罪」「犯罪者」及び「刑罰」という概念を基礎として動いている刑事司法制度によっては、社会に生起する多様な問題を有効・適切に解決できない。むしろ「犯罪」と規定する事によって、当該問題の合理的分析と、それを処理するための最も有効な手段の発見をかたくなに阻止する。

Ⅱ、刑事司法概念の転換


フルスマンにおいては、刑事司法制度の廃止とは、その運用を実際に基礎づけている概念の廃止を意味することとなる。彼は「犯罪」を「問題状況」、「犯罪者」を「直接関係者」、「刑罰」を「社会統制・社会構造変容の様式」と置き換える。

犯罪事実を含む問題状況は、人間存在の中心的な一部であり、食料や空気同様に、人間存在にとって不可欠な生活の一部である。

個々の具体的状況における問題の本質が、社会関係的なものか、対人関係的なものかが解釈されなければならない。もし社会関係的なものであれば、社会構造上の欠陥が手直しされねばならず、もし対人関係的なものであれば、社会統制の様式の中から、直接当事者間での徹底した話し合いを通して、解決手段が創造的かつ柔軟に選択されることとなる。

Ⅲ、フルスマンの思想


1、フルスマンの問題提起

第1に、刑事制度は犯罪に対応する方法として唯一最高のものではない。第2に、犯罪は刑事制度の確立に選考する特定の範疇や所与のものとして独自に存在するものでなく、その制度の結果として存在する。第3に犯罪者即ち刑法によって犯罪と定義された行為を行うものは、人類学上何らかの点で「非犯罪者」と違った、それ自体でほかと区別して認識しうるような異常な存在ではない。

2、犯罪現象に対するアプローチのあり方
現在、犯罪問題は単に法律上の問題として理解されるばかりではなく、様々な学際的アプローチが要求される多面的問題と考えられている。刑罰的・法的思考を放棄して「犯罪状況」、真の「犯罪性」を構成する社会矛盾に目を向けなければならない。

3、再社会化

再社会化とは当該個人を取り巻く環境に対する処置をも含む。かくしてそれは社会そのもの参加が要求される。そのプロセスは本人と社会の双方の側の受容と参加を必要とし、これら両者の協働と出会いは、市民社会の連帯の証である。再社会化は権威主義的な価値の押し付けによる個人の操作ではなく、衝突が生ずる環境の社会的再統合なのである。かくして人は処遇の客体から、社会権の主体となり、再社会化の手段は行為者と被害者の社会的再統合に合致するよう発展させられる事になるだろう。

4、非刑罰化

現在の非犯罪化の大きな動きは、ある刑罰の代替えを求めるのではなく、対応の多様性を探り、我々に非刑罰的解決を求めるのであって重要な意味を持っている。非刑罰化は単なる刑罰の削減や、拘禁についての争いとは全く異なり、刑罰制度それ自体の正当性に関する問題提起のみならず、拡大された社会政策の方向に向けて犯罪政策を進歩的に社会化することの必要性に対する提言をも含んでいる。

5、被害者と加害者

刑罰は、第1に個人的なものであり他のものにより代替えすることができず、第2に感情に由来するものであり、第3に無目的なものである。この立場は功利的刑罰論に比して一定の利点が求められる。

つまり無目的な刑罰は、一層純粋にモラルの問題に帰着する事になるから、構成員は刑罰を賦課することが正しいかどうかを熟慮せねばならない。規範違反者は責任を問われしばしば釈明をしようとするから、刑事訴訟手続きは対話と変えられ、我々は、民事訴訟手続きと損害賠償へと立ち戻る事になるが、もちろんそれは、利益システムにおけるのとは異なった形においてである。

紛争処理手続きは本来刑罰的な対応であってはならず、基本的には被害者に対するサービスとして民事的なものでなくてはならない。加害者を処罰することによってではなく。国家の干渉を最小限に留め、紛争の直接当事者である被害者、加害者の間での民事的、和解的な解決を目指すべきである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

何を伝えるのか

5月25日(月)
◆ 「いのちの授業」とは
「いのちの授業」は様々な所で行われている、主にがんや難病を体験し、その体験から命の貴さを感じそれを多くの人に、とりわけ子供たちに知ってもらおうと学校で体験談を語る。また学校の道徳の時間に、いのちについての体験談を書いた教材を読み、生徒たちに感想を求める方法などがある。医者が行っている「いのちの授業」もある。

よく知られているのは山田泉さんの「いのちの授業」だ。乳がんが再々発し命の危機に直面した彼女は、自らのがん体験を子どもらに語り、生きることの意味を共に考えていく「いのちの授業」を行っていった。そして思春期に揺れる子らの心を揺さぶり、人間の尊厳に目を開かせていった。

その山田さんが言っている。「稙田(わさだ)妙子さんを招いての“いのちの授業”の記録は、私の宝物です。余命3カ月と告知を受けた彼女は、人が死ぬということはどういうことなのか、死を見つめて生きる人間の輝きを、子どもたちに精いっぱい伝えて、旅立っていかれました。」

◆ ももの木の「いのちの授業」の始まり
看護学校から「患者さんの生の声を聞きたい」という講演の依頼を受けた事が始まりだった。それをきっかけとして「ももの木」の交流会に参加していた人が、是非自分の子供の学校でも話をしてほしいという事で、保護者が小学校に働きかけ2002年12月狭山市の小学校で初めてももの木の「いのちの授業」が行われた。

その頃は子供たちのいじめや自殺などの暗いニュースが多かった時期で、親や先生が子供に注意しても、子供は慣れっこになって話をまともに聞かない。そこで直接自分たちとかかわりのない第三者で、しかも、もしかしたら本当に死んでいたかもしれないという状況を経験した人の話なら、子供たちも何か感じてくれるのではないかと考えて話を要請したということだった。

初めての講演後、子供たちから「死ね」という言葉を聞くことが少なくなったと保護者の人から聞き、その後も継続することになった。こういったことで始まった「いのちの授業」は、2008年9月には60回目を数えるに至った。

◆ 「いのちの授業」で訴えたいこと
「いのちの授業」には回答は存在しない。授業に参加し、死に直面した患者の話を聞いてもらい、皆が「命の大切さ」ということを考え感じてもらえること、そのきっかけを与えることが出来るのが望みである。この時間を共有することで一緒に考え感じてもらい、コミュニケーション作っていく糸口になればいいと思っている。

ももの木の「いのちの授業」では、学校に事前アンケート、感想文作成、事後アンケートなどを頼んでいる。これは普段は全く考えることがないだろう「命」について少しでも考える機会を多く持ってもらいたいからだ。患者の体験談は考える一つのきっかけでしかなく、それを通して子供たち個々が考えを深めていってもらい、また将来何かあった時に思い出して生きる気力を持てるようなことにつながればいいと思う。

患者の多くは自分が死と向かい合う事で、自分の大切さを知ることになった。自分を大事しないと、人を大事にすることは出来ないのではないではないだろうか。ももの木のメンバーは、このような気持ちや願いを持って「いのちの授業」を継続している。

◆ 「いのち」について考えるきっかけを
がん患者であろうとも、普通の人であろうとも「人はいつかは死ぬ」という事実は変えようがない。その意味で、全ての人は同じ条件で生きているといえると思う。そう考えると何もがん患者や病気を抱えている人だけが特別なのではない。問題は残りの人生をどう生きるのかに関わってくるということだけなのだ。

死を見つめることは、生きていることそのことに意味を見出すことになる。生きて日々を送っているそのこと自体に意味があるのです。「人はいつかは死ぬ」という事をいかに受け止め日々生きていくか、限られた時間の中でいかに生を全うしていくのか、時には立ち止まって考えてみる必要があるのではないか。

今ニュースでも騒がれているように景気が後退し、企業が倒産し、失業者が増え、そういった中で自殺者が増加している。年間3万人以上が自殺している。無差別殺人も起こっている。こういった殺伐とした世の中だからこそ、むしろ命の大切さについて考えなければならないと思う。

一方では「死にたい」という人がいる。しかし、もう一方では生きるために懸命に闘っている人たちがいる。ある闘病中の患者は、自殺しようとする人に対して強く糾弾する「あなたが”死にたい”と思って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が懸命に”生きたい”と思って努力した明日なのです。」この言葉には、人間のいのちの重さを再認識させ、人を納得させる強いメッセージがある。

◆ 患者としての想い
「死」について思いを馳せる時、あたりまえのようにそこにあった自分の生が再び鮮やかによみがえってきて、それがとても尊いものであることに気づかせてくれる。

猿渡瞳さんは『瞳スーパーデラックス』(西日本新聞社刊)の中で次のように書いている。「今の世の中、人と人とが殺しあう戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。」がんと闘い、限られた命を見つめ最期の一日まであきらめずに生き抜いた13歳の少女は激しく訴えている。

ももの木の「いのちの授業」のメンバーである血液ガンの患者は、死と隣り合わせの時を潜り抜け、今生きて立っていられる。多くの同じ病気で死んだ人たちの中で生き残っている。確かに死は怖い。しかし人間誰でも何時かは死ぬことになる。だからこそ、限られた命だからこそ自分のやりたいことを一生懸命やって悔いのない人生を送ろうと思う。

患者が語る闘病体験を聞く事を通して、多くの子供たちはかなり深いところまで考えていく。「人は何故生きるのか」「死とは何か」「どのように生きていくのか」といった本質的な問題にまで質問は及ぶ。思考は限りなく広がっていく。そういったものとして「いのちの授業」は意味を持つのだろう。

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頑張らない生き方も一つの選択

5月24日(日)
人生が限られている状態で、時間があるとしてもその時間をどう使うのかは、自分でも分からない点があるのは確かだ。朝晩の家事以外、残りの時間は全て自由に使える。全て自分で組み立て選ぶ事ができ、何処からも強制されるものはない。悠々自適の生活をしているといえば言える。

誰でもこういった生活を一般的には望むだろう。だがこれもなかなか難しい。一般的に人は何故仕事をするのか。もちろん経済的な必要性が大きいのは確かだ。そしてそれが主要な目的だ。しかしやはりどうやって時間を使うかを考えるという困難さを回避するという面もあるような気がする。休日が待ち遠しく楽しみなのは日々の仕事があるからで、毎日休日だったらどうやって過ごそうかと考えなければならない。

レーモン・クノーの『人生の日曜日』という本がある。仕事が忙しかった頃、この言葉の響きが好きで、憧れに近いような気持ちで、こういった日々を思い描いていた。内容は別として純粋に言葉の響きが気に入っていた。

彼の主張は「人生の日曜日は人間が休息している状態、生存のための闘争や競争が一時的に放棄された状態を象徴する」「人生において生きるためにあくせくする週日を無視するやり方を意味する」といったものだ。

そして今、毎日が日曜日なわけだがどのように過ごすかは、思っていたより難しい事に気がついた。限りある人生を自覚した時、悔いのない人生を送りたいとは誰でも思う。しかしそれが自分にとってどのようなものかの答えは直ぐには見付かるものではない。へたをすれば、何もしないで日々が過ぎ去っていくような気もする。

だが、よく考えれば、それはそれでいいのかもしれない。片意地張って、がむしゃらに生きていくのも疲れるものだ。時の流れのままに生きていくのも一つの生き方だとも一方で思ったりもする。多くの老人がそうであるように。

フランスの田舎町で見た光景を聞いた。「ひなびた町(村)のあちこちで目にしたのは、ペタンク(ゲートボールのようなゲーム)に興じる老人の姿。それと、広場のベンチで話をしたり道行く人を穏やかに見ている老人たちです。」若い頃見れば他にやることがないのかと思うだろう。

ヨーロッパの町で見かけるただたむろし何もしていない老人たちの姿、ニューヨークのセントラルパークで、一日中チェスをやっていたり、日向ぼっこをしている老人たちの姿はよくテレビでも見ることがある。フランス人の場合は年金暮らしが可能だろが、ニューヨークの公園にいる人たちは失業者なのかもしれない。

家の傍に、買い物に行く時とか、散歩とかで通る公園がある。その公園にいつも居る老人がいる。何回か見ているうちに分かったが、彼は雨の日以外毎日13時頃から17時頃までいる。家にいづらいのか、公園が好きなのか理由は分からない。70歳前後で、杖をついている。4時間ばかり公園の決まったベンチに腰掛けているだけで、何もしているわけではない。

柳田邦男の書いた『ガン50人の勇気』という本がある。ここでは、死の直前まで仕事に情熱を傾け、仕事を全うして死んでいった人への評価が書かれている。がんで余命を宣告された人たちが残りの人生を精一杯生きてきた多くの例が載っている。確かに余命宣告されているがん患者にとって残りの限られた時間をどう生きるかはきわめて深刻な問題だと思う。命が限られていれば残りの人生を充実したものとして生きようと思うのはいわば必然的なものだろう。

しかしそれは生き方の一つなのだ。限られた人生をどうしていくかは人それぞれ全く違ってくる。時間がないとあせって、追われる様に人生を送る衝動に駆られることもあるかもしれない。しかしそれでは、世のサラーリーマンが仕事に追われているのと変わりないのではないか。

4時間何もしないで座っている老人の姿を見て、「何もしないでいられる時間を持つことの幸せ」といったことを考えた。「何もしない事を受容できる」生活もまた一つの生き方だと思う。

全ての人は限られた時間を生きている。余命を宣告されたがん患者も全くそれと変わりない。ただ長さの違いなのだ。それだったらもっと気楽に余命について考えてみようとある時、思った。

もちろんこれは余命を宣告された人の性格にもよるだろうが、何時死ぬと言われて、必死になって自分の足跡を残そうという人もいるかもしれない。しかしそれは歴史の中でどの道、やがて藻屑として消えるものでしかない。

そう思うと余命何年などと言われて気張って日々を送るより、そんなことは気にせずに静かに思うがままに残りの人生を生きればいいと思う。何もしない時間、無駄に費やされる時間そういった所がある人生こそが恐らく意味があるのではないかと思う。

何もしなくていい時間を持つという贅沢をしばし味わってみてもいいのではないか。何かをしなければという思いと、何もしない時間を楽しむ余裕といった間で心情は揺れ動くしかないが、それが人生というものだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

TOKYOウオーク「代々木公園エリア」

5月23日(土)
TOKYOウオーク第2回大会「代々木公園エリア」に参加した。コースはAコース20km、Bコース10km、Cコース6kmで、参加予定はCコースを選んだ。10時から受付が開始される。ももの木の陸上部の責任者はAコースに挑戦するのだろう。Aコースだと9時からの受け付けだからもう行ってしまったのだろう。

TOKYOウオーク001_convert_20090523204023 受付を待つ参加者達

公園の受付には200人位の人が受付の順番待ちをしていた。受付まで30分ほど待たなければならない。結局公園から出たのは11時15分位前だった。代々木公園のバラ園の中をくぐり、原宿駅に戻り、そこから表参道を青山通りに向かう。Cコースはどう見ても東京観光-青山・原宿コースのようなものだ。それに明治神宮が付け足されている。歩いて東京を見物しようといった企画だったとしてもおかしくはない。

TOKYOウオーク015_convert_20090523204217 表参道とOMOTESANDOHILLS

渋谷、青山、原宿方面は以前やっていたアパレル関係の展示会の設営でよく行き来した所だ。それからもう何十年も経っている。どのように変わったのだろうか。表参道ヒルズなどなかった。古い同潤会アパートが、そこだけが時が止まったように建っていた。

TOKYOウオーク017_convert_20090523204307 青山の善光寺 

表参道ヒルズを通り過ぎると、昔、会社の新潟営業所の人に連れて行かれた新潟物産館・ネスパスがある。かなり込んでいる。皆何を買っているのだろうか。青山通りにぶつかりそこを右折すると、何と善光寺という石柱がある。そこは信州善光寺大本願上人の別院、浄土宗の尼寺である。慶長6年(1601年)に徳川家により江戸谷中に設けられたが火災にあい、現在の青山に移されものだ。青山のハイセンスな雰囲気の中で全く異質な空間もこの町に味わいを付けているようだ。

TOKYOウオーク022_convert_20090523205922 神宮外苑のいちょう並木

青山二丁目の信号から神宮外苑のいちょう並木が続いている。秋黄色に紅葉した銀杏並木の写真は御馴染みだ。絵画館方面向かい、神宮球場や国立競技場、東京体育館などのスポーツ施設を巡りながら、千駄ヶ谷駅に着く。国立能楽堂などがあるということも始めて知ったのだが、その横を通り、明治神宮の北参道口から境内に入る。明治神宮の境内での移動にかなり時間がかかった。改めてその広さを実感した。宝物館から社殿を経て、原宿門まで、30分以上かかった。

TOKYOウオーク037_convert_20090523205827 明治神宮の社殿

再び代々木公園の受付けに行き、「TOKYOウオーク2009・完歩証」なるものを貰い、スポンサーのライオンから試供品の土産を貰って今日のイベントは終了した。実際歩いた距離は7.3kmだ。ゴールに到着したのが1時15分だから、2時間半かかったことになる。

今まで一人でウォーキングをしてきたが、歩くより色々見て回るほうが多くて実質それ程歩いていなかったような気がする。今回は歩くことが主目的だったからそれに専念したが、7.3kmというのは思ったより距離がある事を実感した。歩き続けるということはかなりハードな行為であるということを改めて感ぜざるを得なかった。

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神代植物園・深大寺

5月21日(木)
朝一通りの家事をこなし、朝食をとり一段落する。体力がないのだろうか。そこで休息のモードに入る。ゆったりとして本でも読むかということになるのだが、むしろごろっと横になりたい気分になる。そういった状態でいると一日中だらだらとしてしまい、全く体を動かさないまま一日が終わってしまう。せめて週一日くらいは、1時間以上歩くことを心がけたいと思っている。旅行から帰ってから何処にも行っていない。そろそろ体を動かすことが必要だ。

「春のバラフェスタ」が神代植物園でやっているという。今日はそれ程気温も上がらないようだからと、10時半頃思い立って出かけた。植物園は吉祥寺からバスで15分位の所にある。

植物園の説明書:

花と緑のオアシス、それが神代植物公園です。武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができます。この公園はもともと、東京の街路樹などを育てるための苗圃でしたが、戦後、神代緑地として公開されたあと、昭和36年に名称も神代植物公園と改め、都内唯一の植物公園として開園しました。

神代植物園012_convert_20101125093910

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現在、約4,500種類、10万本・株の樹木が植えられています。園内はばら園、つつじ園、うめ園、はぎ園をはじめ、植物の種類ごとに30ブロックに分けており、景色を眺めながら植物の知識を得ることができるようになっています。

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5月16日(土)~5月31日(日)「春のバラフェスタ開催中」と植物園入口に大きく書かれている。入口周辺にはバラの鉢植えの販売で賑わっている。メイン会場はバラ園だが、武蔵野の林を散策するつもりで、植物園の周辺から回っていくことにした。

山野草園、萩、はなもも、福寿草、マグノリア、ハナミズキ、かえでがそれぞれの区画の中で何10種類も植えられ、個々に名前が表示されていて様々な種類を知ることが出来る。中央の芝生広場には保育園や幼稚園の団体が遠足に来ていて賑わっていたが、周辺の植物園の方は静かだ。

さらに神代小橋という橋を渡ると、人気は全くなくなる。その一画には梅、竹・笹、サルスベリ、ざくろ、山茶花、椿が植えられている。今の季節、全て新緑で花は付けていないが、奥深い林を散策している気分は十分味わうことが出来る。

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バラ園
周辺の散策も終わり、メイン会場のバラ園に向かう。真ん中に噴水がある英国風庭園の造りになっている。一段高い所が休憩室となっていて、椅子テーブルが置かれている。西洋風のカフェテラスでフェスチバルの催し物としてジャズやクラシックの演奏を行なわれるらしい。そこからバラ園の全景が見渡せる。

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バラには、あまりにも多くの種類がある。名前を読み進めるだけでかなり時間がかかる。個々の花を楽しみながら、全体を眺め回すといったことを繰り返しながら、見て回った、原種のバラ園や国際バラコンクール花壇などもあり、かなり見応えがあった。しゃくやくが満開の花を咲かせていた。しゃくなげ園ではカルミアが白い花を付けていた。多種多様な植物があるので、季節季節の楽しみ方が出来るだろう。

深大寺
神代植物園028_convert_20090522115342 元三大師堂

植物園を裏から出ると、深大寺に隣接している。深大寺は東京では浅草寺に次ぐ古い歴史を持つ。天台宗の古寺で、奈良時代(天平5年)満功上人によって創建された。厄除元三大師として知られており、毎年3月3日・4日に開催されるだるま市や、深大寺そばが有名だ。境内のいたるところに水路や池があり、水に囲まれた武蔵野の大地に歴史を刻んできた。

寺院の中はそれ程の人手ではなかったが、山門前は門前町の雰囲気で、観光客で賑わっていた。観光バスも周辺に何台か止まっていた。名物「深大寺そば」の店や土産物店が軒を並べる。寺院参詣とともに、門前町の趣きを味わうために訪れる人も多いという。

神代植物園030_convert_20090522115122  本堂

ここで蕎麦を食べなければとは思ったが、おにぎりを持って来ていて、植物園で食べてしまったので止めにした。その後神代水生植物園に回ってみた。花菖蒲園がメインだが、残念ながらまだその季節ではなく、黄色と紫の菖蒲が十数本咲いているのを見るに止まった。帰りは、深大寺からつつじが丘までバスで行き戻った。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

顔の表情

5月20日(水)
 一緒に神津島に行ったY氏に島で撮った彼が写っている写真をメールで送った。天上山山頂で、彼が手を伸ばして自分の顔をアップで写した写真を見て彼から返事がきた。撮らなければ良かったと、自分の顔に宿る年齢を感じてしまったと感想を書いてきた。私は彼のそのアップの顔を見てよく撮れているなと思った位で何の違和感もなかった。良くも悪くも紛れもなく彼の顔だ。

写真映りがいいとか悪いとかは言われる。写真は表情の一瞬を切り取るだけだから、いい表情をしている時とそうでない時があるのは確かだが、どっちにしてもその人の顔であるのは否定しようがない。写真映りで一喜一憂するよりも、じっくりと自分の顔を見つめ直してみる方が良いだろう。

年齢を重ねているのだから年齢が出るのは当然であって、だからといってアップに耐えられないということではない。その顔の中に何かを見出せればいいのだ。そこから次に何をしたらいいのかが見えてくる。頬の脂肪を感じたり、生活習慣に乱れを見てとったらそれを直していこうとか、考えるヒントを与えてくれるだろう。顔は幾つになっても自分の人生の進むべき道を示してくれる指標となる。

 Y氏と私とは大学時代からの友人で、彼は卒業後図書館に40年近く勤めていて、昨年4月退職して、その後職に就くことなく、時々図書館関係の仕事をしている位だ。その点いつでも時間があり何処にでも一緒に行くのに好都合な相手だ。そういった友人がいるということは極めて有難いことだ。

時々日中、お互いの連れ合いが仕事に行っている時に訪問しあって、昼間から酒を飲んだりもしている。2人とも専業主夫というわけで料理作りは好きだし、家事も何ら負担になることはない。適当につまみを作って、昼間から宴会をやっているわけだ。そこで旅行の相談などをしている。

 年齢を重ねるということはどういうことだろう。とりわけ女性に対して今アンチ・エージングの化粧品や品物が大々的宣伝されている。それほどまで若返りたいのだろうか。外面にのみこだわるのだろうか。年齢を重ね、今までの長い人生の経験が年輪として刻まれた顔はその人の人生が映し出される鏡だと思う。

確かに年齢がどのように顔に出るか、人によって違うだろうが、自分が年を取ったせいだろうか、よくテレビで俳優などの若い頃の写真と50,60歳の今の写真が交互に出てくることがあるが、年齢を重ねた写真の方がよっぽど立派に見える。ただしやはり、生活が乱れてアルコールや薬物に依存傾向がある人の顔は荒んでいて、むしろ老醜のイメージを感ぜざるを得ない。そういった生活の乱れははっきりと顔に表れてくるから不思議なものだ。

ロス事件で騒がれた三浦和義氏がサイパンで逮捕された時、昔のビデオが放映されていたが、その頃はにやけていて、ちゃらちゃらした軽薄な感じを受けた。しかし逮捕された時の彼は、落ち着いて重厚な雰囲気をかもし出していた。出所後色々な人権団体にかかわり、そういった人間関係の中で自分を磨いてきたのだろうと思った。

 年を取ると「容色の衰え」などと言われる。確かに肉体的機能は衰えるのは確かだ。細胞の活性化が低下するという意味では必然的なものだ。体力や瞬発力、持久力等も低下し、皮膚の張りも失われる。しかしそういった外面的なもので若さというものは図りえないものだろう。本質的な若さとは精神の活性化の表れであるからだ。それを踏まえていれば、年齢を重ねることは何ら否定的なことではない。

また一方で、年を取るのも悪くないなと思う時がある。生へのがむしゃらな執着が薄れ、心穏やかに日々を送ろうとするいわば達観した精神状態を保つことが出来るようになってきたようだ。そのことによって、日常的な雑事にそれ程いらだったり、あせったりすることがなくなってきた。まあ、今のような生活をしているから可能なことかもしれないが。

アン・リンドバークは言っている。「(年齢を重ねるという事を通して)自分の今まで無視し続けた面を充実させる時が来たのである。それは自分の精神の、そしてまた心のそれからまた才能の成長ということにもなって、こうして我々は日の出貝(貝の様にように閉じこもった)の狭い世界から抜け出すことが出来る。」(「海からの贈物」)このように自分の現状を対象化した時、年齢を重ねることの意味を改めて知ることになるだろう。

またソルジェニーツィンは言う「自己というものの存在理由は・・・一人一人の背後に投げかけられた永遠の姿かたちを、どこまで乱さず、揺らめかさず、歪めずに保存しえたかという点にこそあるのではなかろうか。」 核心を貫くような生き方が出来れば、その人の実年齢は全く意味を持たなくなるのだろう。

どのように年齢を重ねてきたかがその人の顔の皺の一本一本に刻まれていく。だからそれを老化として受け止め否定的なものとして嘆くのではなく、むしろ人生の勲章として受け止められるだけの心の余裕が欲しいものだ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

現代社会の労働者の現状

5月19日(火)
現代の労働者の状態
資本主義社会における労働は、マルクスの指摘にあるように、まさに疎外された労働として立ち現れる。「・・・労働者はより多くの商品を創造すればするほど、彼はそれだけいっそう安い一個の商品となる。事物世界の価値増大に、人間世界の価値下落が直接比例して進む・・・すなわち労働が生産する所の対象、労働の生産物は、労働者に対してある疎遠なものとして生産者に依存しない力として立ち向かうということ」(『経哲草稿』)。そして現在、分業の更なる加速の中でそれはますます進行している。

だが今日の労働環境はマルクスの予想した地点を遥かに越え労働者に対して苛酷な運命をもたらしている。アメリカ発の経済危機が世界中に広がり、国内の雇用情勢の悪化が加速している。真っ先に、雇用契約が更新されなかったり途中で打ち切られたりする「派遣切り」が急速に進行している。製造業の非正規労働者の失職者は、昨年末には3月までに30万人と算定されていたが、恐らく現在、総失業者数は100万人に迫ってきているのではないか。

新自由主義経済の破綻
「聖域なき構造改革」の大号令の下、小泉・竹中のネオコン路線の下、新自由主義経済を推し進め、経団連の奥野を含めた経済・財政諮問会議の方針によって、産業再編合理化が急ピッチに進められた。派遣法の改悪を始め、労働法制の規制緩和の中で大量のリストラと合理化、下請け切捨てを行い、正社員を削減し、下請け、派遣労働者を大量に導入していった。

こういった政策、路線の結果、大企業はバブル期を超える収益を上げ、一方労働者は悲惨過酷な労働条件に追い込まれていったのである。その政策の誤りが今はっきりと形を取って現れてきた。

今回の大不況は正社員にも及んでいる、大企業においても正社員のリストラが始まっている。内定取り消しもかなりの数になっている。製造業の下請け企業も発注減で経営が成り立たなくなって来ているところが多い。大企業から中小、零細企業を貫いた不況の波の中で労働者の雇用条件は最低以下の状態に叩き込まれている。

貧困スパイラル
反貧困ネットワークの湯浅誠氏はこの状態を貧困スパイラルと言っている。構造改革による社会保障の弱体化の中で、貧困は社会全体に拡散していく。非正規労働者を拡大させ、不況になれば切り捨て、雇用保険未加入者が1千万人を越え、失業すれば生活できない。生活保護も10人のうち申請が通るのは2,3人しかいない。また中小企業への緊急小口融資の制限が強まっている。銀行の貸し剥がしが進行している。

さらに教育費が高く貧困の世代間連鎖、子供の貧困へと、貧困の社会化が進行している。社会のセフティ・ネットの脆弱さの中で、失業者は自殺するか、犯罪においこまれるか、ホームレスに追いやられる。こういった貧困スパイラルの根を何処で断ち切るのか。

湯浅氏は、貧困対策として、まず、シェルター+相談窓口の設置から始め、緊急小口貸付制度を活用する、生活保護を取る、アパートを借りるなどの最初一歩を踏み出す必要を訴える。そして政策的には、教育、住宅の整備、派遣法改正、つなぎ融資の要件緩和、雇用保険の獲得、生活保護の枠の拡大を目指していく事を提言している。しかしこれは大変な道のりである。

現在の労働現場は、そして溢れる失業者の状態は、希望する職種を選べる様な状態ではなく、「NOと言えない大量の労働者」を生み出している。どのような労働条件でも働く所があればいいので、何としても明日の食事代を稼がなければならない所まで追い込まれている。労働条件に文句を言えるわけはない。こういった大量の労働者群の存在は、日本の労働者の今まで勝ち取ってきた労働者の権利をますます引き下げていく役割を図らずも担っていってしまっているのである。

現代社会の中で働くということ
今日のこのような労働現場の只中で、働くということはどういったことなのだろうか。もちろん基本的には生活するためであり、苛酷な現実の中でそれが全面に押し出されてしまっているが、本来はもう一つ労働過程に係わることの意味があるのではないか。それは仕事を通しての社会性の獲得であるように思われる。

人は一人では生活できない。人との関係の中で自己の存在を確認しながら生きていっている。職場人間関係がどのようなものであれ、そういった関係の中で、自己は自己としての存在を確認していくことが出来る。このような社会性の獲得が労働過程への参加の目的の一つではないだろうか。

職を持たない人、または定年退職した人などは何処で社会性を獲得していくのか。ある老人の話を聞いたことがある。妻が死に息子に誘われて住み慣れた故郷を離れて、息子夫婦と一緒に暮し始めた。しかし全く話し相手がなく孤独の中で田舎に帰る事を考えているという。田舎では知り合いがいて話し相手には事欠かない。また老人クラブや村の催しや役割分担などで色々やることがある。そういった村落共同体の関係も今は段々崩れていってきているのは確かだが。

都会に住んでいる人は、どうしているのだろう。日本ではまだ定着していないがボランティア活動は徐々に広まりつつある。仕事に就いていないため失われている社会性、あるいは新たな人間関係の形成をそういった活動に求めていくことによって得ることが出来るのではないか。

時間があるから暇つぶしにやるということで係わり始める人もいるかもしれないが、しかしその人の内心は、個としての自己は完結しない存在であり、他社との関係、とりわけ社会との関係を切り結ぶことによって自己を確定し、自己の存在を対象化していこうとする願望があるのではないか。人は個としては生きられない。社会との何らかの係わりの中で自らを見出していくことが出来るのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

病気と仕事と年金

5月18日(月)
 仕事と自分の時間
病気にならなければ何の矛盾も感ぜずそのまま仕事を続けていたとは思う。会社は64歳まで身分は嘱託だが働くことは出来る。しかし定年になったら退社しようとは思っていた。それまで耐えて頑張って行こうとは思っていた。

確かに在庫管理、出庫準備に関するトラブルは仕事の苦労の多くの部位分を占めていたが、土日も出勤し深夜まで続く不規則な勤務形態に対しても、自覚はしていなかったが年齢的なことも含めてやはりきつくなってきていたのかもしれない。こういった仕事では自分の時間は全く持つことが出来なかった。日曜でも夜仕事が入っていると昼間何かまとまったことをやるという意欲が湧いてこない。仕事以外自分の人生は存在しなかった。

仕事中の怪我で血が止まらず専門病院での検査の結果、医者からガンの宣告を受けた。その時渡された診断書には「血液ガンの疑いあり。一般的には3ケ月から6ケ月の治療期間後、社会復帰が可能と考えられております」と書かれていたので3ケ月~6ケ月の治療で職場復帰できると思い、仕事が忙しく疲れ気味だったということもあり、これで少しは休めると楽観的に思い込んで将来への不安は感じなかった。

 職場復帰
病気はそれまでの人生を大きく変えることになった。よきにつけ、悪しきにつけ。入院した最初の頃は職場復帰が何時出来るか、化学療法での抗がん剤がなかなか効かずあせっていたが、1度目の移植による体力の消耗と、その後のIgMの増加によって2度目の移植をせざるを得なくなって職場復帰に関してはもはや不可能と諦めた。

そのうち1年の休職期間が終わり退職となった。どの道職場に籍があっても給料は保証されず傷病手当金で給料の6割が支給されることには代わりがなかった。籍があれば、早く職場復帰しようと無理しても職場に戻り、リハビリ勤務など到底出来る職場ではなかったので通常勤務に就かざるを得なかっただろう。また塗装場があり有機溶剤を扱っており、荷物の出入りが激しく埃っぽく労働環境としては感染症の問題からいえば最悪だった。1日中マスクをかけて仕事が出来るわけはない。

職場復帰し給料をもらうようになると傷病手当金は打ち切られる。また病気が悪化してもその時は傷病手当金は支給されない。そういった意味で休職1年目での退職については会社と争うことはしなかった。どの道定年退職が2年近く早まったようなものだ。

 障害厚生年金
がん診断から1年半で障害者厚生年金が申請できる。血液がんで障害年金がもらえるかどうか色々調べてみた。なかなか支給されない狭き門だ。社会保険事務所に申請書類を取りに行った所、無理ですよと門前払いを食らいそうになった。社会保険労務士事務所のホームページにある血液ガンで障害厚生年金3級を取った例を幾つかコピーして持っていって説明したら書類を渡してくれた。

個人で申請しても中々通らないらしい。個人で申請して不許可になり、社会保険労務士事務所に頼んで許可になった例が掲載されていたのだ。障害厚生年金の申請書類が非常に複雑で、病状経過を事細かに記載しなければならない。日記をつけていたのでそれは何とかクリアーできた。医者の書く項目も多岐にわたる。医者も慣れていないと大変だと思う。

厚生年金に加入していてよかったと思った。障害国民年金だと2級までしかない。2級だと例えば多発性骨髄腫での圧迫骨折などで歩行困難などの症状がない限り、一般的に血液ガンで日常生活を普通に送れ外来治療をしているような人は当てはまらない。ただ倦怠感や、感染症の恐れだけでは無理だろう。ただ障害厚生年金の場合は3級があり、かなり広い範囲で認定の対象になる。おかげでどうにか申請は受理され、障害等級3級に認定され、毎月年金の報酬比例分が支払われるようになった。

 老齢厚生年金
丁度、傷病手当金が終了になった月の翌月に60歳の誕生日だったので、特別支給の老齢厚生年金の報酬比例部分が支給されるようになった。60歳から支給されるのはS28.4.1生まれまでで、それ以降は徐々に支給年齢が引き上げられ、S36以降は老齢厚生年金の報酬比例部分の支給はなくなり65歳になって老齢基礎年金(定額部分)と一緒に支払われる事になる。

老齢厚生年金と障害厚生年金を共に受け取ることは出来ない。どちらかを選ぶほかないが、金額は全く同じだ。ただ親切にも社会保険事務所の人が、教えてくれたのは老齢年金の場合は配偶者加算や障害者加算があるということで、金額からいうと老齢年金と障害年金を足した位にはなる。これで生活はどうにかなる。

 高額な医療費
今サリドマイドの個人輸入やゾメタの点滴、支持療法の薬などで、医療費が月8万近くかかっている。収入の半分近くが治療費に持っていかれる。サリドマイドが保険適用になっても、医療費総額は変わりない。今より1万円位高くなる。サリドマイド100mgでの月の支払いは5万9千円になる。国民健康保険で8万以上は高額医療費で戻ってくるが実際にかかる金額は9万円程度だろう。ただ3ケ月8万以上の高額医療費請求をした場合、4ケ月目からは4万4千円以上が高額医療費の対象となるのでかなり楽になる。その意味でサリドマイドの保険適用は医療費負担の削減になるのは確かだ。

 老齢厚生年金と老齢基礎年金
64歳になれば老齢厚生年金の報酬比例部分(在職中の給与に比例)にプラスして老齢基礎年金の定額部分(定額単価×加入月数)が支給されることになる。また障害厚生年金も支給されるようになる。S24以降に生まれた人への支給は65歳からになる。

何十年も給料から何万円も何でこんなに取られるんだと憤慨しながら払い続けてきたのだから、何としても64歳以上生きて貰わないと損だというつくづく思う。ただ老齢基礎年金の定額部分の繰り上げ支給という制度があるようだから、あまり長生きできそうもないのでそれを利用する手もある。ただし繰上げにするとその期間にもよるが64歳からの支給が大幅に減額される。

公園であったお爺さんが嘆いていたが、何時死ぬか分らないからと息子に言われて、実際には65歳まで働いていたのでその必要はなかったのだが、繰上げ請求をしたら86歳の現在まだ元気で生きている。しかし繰り上げ請求をしたため大幅に年金は減らされている。むしろ65歳からの繰り下げにすればかなりの額がもらえたはずだ。

ただこの年齢の人だったら60歳から報酬比例部分と定額部分が同時に支給されていたはずである。繰り上げ支給という意味が違うとは思うが。人の寿命は予測できない。このような事もあるらしいから判断は難しい点はあるが、私の場合は繰上げ請求をしても絶対に損にはならないはずだ。

 こういう事を考えていて、ふと老齢年金関係の書類を見ていたら、「障害等級3級以上の障害の状態にあって、かつ退職している方は、60歳から報酬比例部分と定額部分をあわせた年金額が支給されます」と書いてあった。年金ダイヤルに電話して確かめてもらったら、「障害者加算」というのは、「老齢基礎年金の定額部分の支給」ということだったのだ。つまり、既に60歳から年金は満額出ていたということになる。つまり64歳まで待たなくてもいいということだ。これを今頃になって知るとは、公的文書の理解はなかなか難しく、知らないと損することばかりだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

仕事でのストレスとがん発症

5月17日(日
 がんとストレス
以前「がんとストレス」についてブログ書いたがその中に「がん細胞を排除するメカニズムの低下の大きな要因として、ストレスが挙げられている。ストレスが続くと、私たちの体は精神的な緊張を和らげようとして副腎からステロイドホルモンを分泌する。ステロイドホルモンは緊張状態を和らげてくれる一方、免疫力の担い手であるリンパ球の活動を低下させる副作用もある。」つまり免疫細胞機能低下が生じ、がん細胞を死滅させる事ができない。

ストレスとがんの発症の因果関係については不明な点もあるが、がん患者の7割がストレス感じていたと回答している。もちろん現代社会ではほとんどの人が多かれ少なかれストレスを感じているだろうし、ストレスから脱がれている人はいないだろう。そういった意味でストレスだけでがんになる訳ではないが、がん発症の大きな要因になっている事も否定できない事実だろう。

 在庫管理、什器調達の困難さ
仕事をしていた時何が最大のストレスだったのだろう。仕事の基本的内容は納品什器の在庫管理と不足什器の調達業務だ。不足什器の調達ほど神経を使うものはない。カタログにはあるが倉庫にない什器も沢山ある。

展示会などで営業マンからどうしてもお客さんからこの什器を使いたいと言っている、何日までにそろえて欲しいと言われ引き受けたのはいいが、その什器を扱っている業者に注文した所在庫がなく、製造業者に頼んでも納期が間に合わなく、止むを得ず在庫している銃器を改造して似たような銃器を製作せざるを得ない。そういったことは結構重なる。

また幾ら在庫管理をしても、明日納品する品物がなかったりすることもある。そういった時どうするのか。営業マンに連絡してもいまさら言われてもどうしようもないどうにかしてくれとしか言われない。色々な所に連絡して、果ては同業者から借りたりすることもある。

 現場でのトラブルへの対応  
また催事現場から納品した什器が違ったり、不足していたりして直ぐ持ってきてくれといった事もある。在庫があれば赤帽でも飛ばして解決する事も出来るが、ない場合にはあせって調達しなければならない。また赤帽がすぐ捕まらない時もある。営業マンや客はイライラしながら今か今かと待っている。

自分でいくのが一番簡単だが現場は一箇所だけではなくセンターを離れるわけには行かない。社員の誰かに頼むにしても皆仕事を抱えている誰を使うか判断が迫られる。社員を配送に使った場合その仕事は自分で引き受けなければならない。自分の持っている仕事に丸々その仕事が加算されるのだ。

ブライダルシーズンの土曜日の納品などは20~30ケ所の現場があり、大体似たような什器が重なり当然不足するものが出てくる。何処までの代替が可能なのか、どの客だったら代替品で文句を言われないのかの判断をしながら什器の出庫準をしなければならない。

こういった什器の調達に関するトラブルは毎日のように起こる。ビス一本足りなくても品物を客に納品することは出来ない。工務店を何軒も回って探し出さなければならない。このトラブルの解決は限りなく神経を使い、イライラがつのりそれがストレスになっていたのは間違いない。

 不規則な勤務形態
流通センターの勤務時間は8時30分から17時30分までだ。催事の品物は下請けの運送会社が運ぶが、出庫の準備は社員が行う。納品する品物を置く場所が限られているので、トラックに積むときに2階や3階から降ろしてくる他ない。そういった意味で納品の立会いが必要となってくる。通常は朝8時30分から昨日撤去した品物を降ろし、当日納品する品物を積み込む。積み込みが終わると、次の日の納品什器の出庫準備にかかる。

しかし何台かの夜遅く帰ってくる車に次の日の早朝納品する品物を積み込まなければならない。そういう時には、その車が帰ってくるまで待って、積み下ろし積み込みに立ち会わなければならない。デパートの閉店時間が遅くなり什器の入れ替えの終了時間が24時過ぎになることが多い。その車が帰ってくるのが1時過ぎ、積み降ろし、積み込みが終わるのが2時過ぎにあることもある。そうなると会社に泊まる他ない。しかしそういった肉体的負担はあまりストレスにはならない。

何といってもストレスの最大の原因は什器の調達業務だ。次の日納品の什器が揃わない時など、胃が痛むほどだ。よく胃潰瘍にならなかったと思う。代わりにがんになったが。そういった意味で会社での業務にかなり精神的負担を感じていたのは確かだ。

 「断る力」が必要だった
入院したことによって私の欠員は補充されず、アルバイト1名が補助としてあてがたに過ぎない。それでも仕事は滞りなく進んでいった。ただ営業マンの無理な注文は私がいないということを理由に一切出来ないと断って、倉庫に在庫している品物で済ましてもらっているそうだ。それでもどうにかなるものだ。あの長年に渡る苦労は何だったのだろうかとつくづく思う。

自己啓発書の一種なのだろう『断る力』という本の題名を電車の釣り広告で見たが、全く肝に銘じる言葉だ。ない物はないときちっと断っていれ苦労もせず、ストレスも感じなかったろうに。今になって気がついても遅いのだが。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日

5月14日(木)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 IgM   1170←1078←1176
 白血球   1.5←2.1←2.0
 血小板   15.0←12.5←11.8
 ヘモグロビン 10.2←10.2←10.6

 IgG  326(基準値870~1700)
 中性脂肪値(TG) 228(基準値30~150)
 血糖値  121(基準値60~100)


IgMが上昇している。しかしこの程度だと体内の水分量などの影響での誤差と考えられる。後2、3回様子を見ないと分らない。久々にIgGとTGの検査をしてもらった。IgGが低いので免疫グロブリン製剤の投与も考えられたが、ゾメタを点滴しているのでその必要はないだろうとの事だった。IgGとゾメタの関係はよく分らなかったので次回聞いてみよう。

ステロイドの影響だろう。中性脂肪値と血糖値の上昇があった。総コレステロールやHDL‐、LDL‐コレステロール値は基準内に収まってはいる。食事療法などで注意しなければならないだろう。中性脂肪値の上昇を抑える高脂血症の薬ベザトールを今までは朝しか飲んでいなかったが朝晩服用しなければならないだろう。

白血球値が下がっている。好中球の割合を示すstabとsegの値はいつも当日には結果が出ず、次回に見る他はない。どちらにしても感染への注意は必要だ。

薬物耐性
何故、原発性マクログロブリン血症や多発性骨髄腫において、薬物耐性が生ずるのか。Wikipediaには薬物耐性のメカニズムとして3点上げられている。

1、化学療法剤として用いられる薬剤を分解したり化学的に修飾する酵素を作り出し、それによって薬剤を不活性化することでその作用から逃れる。

2、化学療法剤の標的になる病原体側の分子を変異させ、その薬剤が効かないものにすることで薬剤の作用から逃れる。

3、薬剤が病原体の細胞内に入り込むときに利用する分子の変異によって取り込みを阻害したり、薬物を輸送する分子を獲得して細胞外に排出することで、細胞内の薬物濃度を下げる。

このうち形質細胞腫瘍への薬物耐性はどのようなメカニズムで生じてくるのだろうか。多発性骨髄腫に関する論文の中に、それに触れた箇所があったので引用してみる。

「多発性骨髄腫は形質芽細胞に由来するB細胞の終末分化腫瘍である。骨髄腫が長期間の多段階発がん過程を経て発生すること、骨髄微小環境内でストローマ(造血前駆)細胞と共存していること、そして形質細胞が本来有している抗アトポーシス活性により治癒困難な疾病である。」(『多発性骨髄腫の基礎と臨床』医学ジャーナル社)

「骨髄組織内でのMM細胞と破骨細胞のdirect contactはMM細胞の直接的な破骨細胞の活性化の可能性と共に、破骨細胞によるMM細胞のアポトーシス抑制および薬物耐性に関係する可能性が指摘されている。」(癌と化学療法『多発性骨髄腫の治療と進歩』三輪哲義)

多発性骨髄腫の場合、本来持っている形質細胞のアポトーシス抑制機能活性や、破骨細胞と骨髄腫細胞の相互作用でそれぞれを活性化しながら増殖していく構造を持っていて、それが薬物耐性を作り上げていく可能性が指摘されている。原発性マクログロブリン血症の場合はどうだろう。難しい問題だ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

神津島旅行・多幸湾

5月13日(水)
最後の日になった。12時55分のジェット船に乗ることになっている。午前中もう一度温泉にでも行ってゆっくりしようと思ったが、あいにく水曜日が定休日で駄目になった。

この日船は多幸湾から出るというので、それだったら、早めに出て神津島港まで送ってもらい、そこから森田遊歩道コースを、つつじ公園を経て、多幸湾まで歩いて行こうということにした。しかし民宿を出ようとした時に雨が降ってきた。雨の中を歩く気がしない。結局12時まで宿で時間を潰す以外にはない。

神う009_convert_20090515203049  多幸湾海水浴場

この間ずっと船は多幸湾を利用している。普通は南西の風が強く波が荒いときに多幸湾を利用するということだが、どうも波の状態ではないらしい。神津島港の護岸工事の影響でしばらく船は多幸湾を使うのではないかと思う。

12時には晴れてきた。12時の少し前に宿の人が多幸湾まで送ってくれた。多幸湾からの出航まで1時間近くあったので、周辺を散策することにした。港から5分ほど登ると多幸湾展望地に出る。そこからは、三浦漁港の全景が見渡せ、多幸浜の白砂の長い浜辺が一望できる。海は南の島の海のように透明でエメラルドグリーンがどこまでも続き、波もなく穏やかに太陽の光を反射している。

神う010_convert_20090515203157 都立多幸湾公園入口 

展望台に隣接して、都立多幸湾公園がある。この公園はファミリーキャンプ場が主要な設備で、公園の中央にあるサービスセンター内には、飲料水の自動販売機、個室シャワー、浴室、トイレ、洗面所が完備されているし、貸テントや炊事道具一式も借りられる。天上山にも行くにしても、多幸浜の海水浴場に行くにしても便利な立地条件にある。

ジェット船の出航時間が近づいてきた。ジェット船とはいわゆる水中翼船で、海水で船を空中に押し上げ、波の抵抗を受けない形で進めるので、高速が可能だということだ。時速80kmで走るという。東海汽船のものはジェットフォイル型だ。3台あって、それぞれカラフルな色彩で彩られている。船好きの漫画家の柳原良平さんのデザインだそうだ。

神う015_convert_20090515203230 ジェット船

船は大島でかなりの人を乗せほぼ満席になった。平日なのに混むものだなと思った。ジェット船は3時間半で竹芝桟橋に到着した。行きは12時間、帰りは3時間半だが、新幹線に乗っているのと同じで味気ない。船旅という感じがしないが平日はこの船しかない。16時45分着で、神津島への旅は終わった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

神津島旅行・島内めぐり

5月12日(火)
自転車を借りて島内の観光名所巡りをすることにした。西海岸ハイキングコースを中心に村落内を巡ろうと思った。いろいろ見所はある。

神津島港→えんま洞→うずまき岩→めいし海岸展望台→三味線松・太鼓松→メッポー山→ぶっとおし岩→長浜→名組ドンタクハウス→トロッコ跡→赤崎遊歩道→水がしり親水公園→神津島港→前浜→水配り像→流人墓地→物忌奈命神社→民宿

民宿の人に神津島港に近い貸自転車屋まで連れていってもらった。港から細い路地を入る。その道が村のメインストリートだという。商店街が並んでいる。坂が多いにもかかわらず村の車のほとんどが軽自動車だというのが分る。道が狭いのだ。その道路の中ほどに郷土資料館があるが閉館していた。自転車屋は道路のはずれにあった。港からこんなに離れていたのでは借りに来る人もあまりいないのではないかと思ったりする。そこから港までは急な下り坂だ。行きはいいが帰りが大変だ。

神津島港から海岸沿いに自転車を走らせる。最初に目に付くのは岩の窪みに祀られたえんま洞だ。岸壁の洞窟の中には5体の石仏が並んでいる。3体が地蔵菩薩で、2体がえんま像だといわれている。このえんまは微笑んでいる。由来は無実の罪に泣いた流人が祀ったとか、自らの罪への贖罪の意味で流人が祀ったものだとか語られているそうだ。

神う111_convert_20090515160200 うずまき岩

海岸にある岩は奇岩が多く、見ているだけで飽きが来ない。中でもうずまき岩は目を引く。この海岸に見られる岩は流紋岩といって、溶岩が海水に押し出され急激に冷却する時、岩か流状や柱上を形成する特徴を持つ。うずまき岩は流紋岩の特徴を端的に表現しているといえるだろう。

神う018_convert_20090515155730 めいし海岸展望台

沢尻湾を経て、温泉保養センターを通り、めいし公園に着く。めいし海岸展望台が木製のやぐらとして組まれている。薄曇で眺望があまり効かず伊豆の島は見ることが出来なかった。三味線松・太鼓松、メッポー山、ぶっとおし岩などを見ながら長浜の広い海岸線を赤崎に向かって自転車を走らせる。

神う037_convert_20090515155926 ぶっとおし岩

名組湾には名組ドンタクハウスがある。ドンタクとはバーべキューのことだ。屋内で雨の日でもバーべキューができるということだ。そのハウスの側の屋外バーべキュー場の横から浜に向かってトロッコのレールの跡がある。かってこの湾の背後にある神戸山からコーガ石(抗火石)を運び出していた名残だ。

赤崎遊歩道の木橋はかなり手の込んだ造りになっている。5月7日にテレビチャンピオンという番組で、この木橋の一部を腕利きの大工たちが修理している様子が放映されていたそうだが、一部真新しい部分があった。そこは床が透明のアクリル板で作られ下が見えるようになっていたり、階段の横が滑り台になっていたりして子供が喜びそうな造りになっている。夏の写真を見ると子供たちが橋の下で泳いでいる。海に入れるように階段があるし飛び込み台もある。
神う035_convert_20090515155834 赤崎の木橋

さらに赤崎トンネルをくぐって先にいくと水がしり親水公園というのがあるが、ただベンチが置いてあるといったもので特に公園の雰囲気はない。また海難事故で死んだ人を慰霊する観音像があった。その先に黒根トンネルがあるが、その手前で通行止めになっている。その先には道がないのだろうか。トンネルを覗いてみると先が見えない。途中で工事が終わってしまったのだろうか。中断された公共工事を見ると無駄な所に税金が使われているなと思う。

再び神津島港に戻ってくる。前浜の入口には水配り像のモニュメントが建てられている。前浜から坂を自転車を押しながら登っていって流人墓地にたどり着く。流人の多くは政治犯や宗教犯の人と達だ。浜のそこらじゅうに「ジュリア祭」ののぼりがはためいていた。流人墓地の中央にあるのがおたあジュリアの墓で、彼女は朝鮮貴族の生まれで、孤児になった彼女を日本に連れ帰った。

神う046_convert_20090515160254 流人墓地

彼女はキリスト教徒になり、改宗の説得に応ぜず、流人として神津島に送られた。そこで布教活動をし村民に慕われたという。彼女を偲んで5月16、17日にキリスト教者を中心にミサを上げるジュリア祭りが行われる。また彼女が朝鮮人であることから日朝友好の催しも行われる。

村のメインストリートの入口に物忌奈命神社の階段がある。石段を登り山門を潜るとかなり広い境内に、イチョウを始め古木が枝を広げ、本堂の左右には桜と橘が植えられている。丁度桜が花を開いていた。境内の建物は古く村の重要文化財に指定されている。まさに村の守り神であり、大漁を祈願する神社だ。8月1、2日に大祭が行われ、神輿を担いで海に入る勇壮な祭りだそうだ。

神う049_convert_20090515160053 物忌奈命神社

4時間ばかり島巡りをし、2時頃民宿に戻った。午前中は曇っていたが、日が差し始め気温が上がってきたので、また沢尻海水浴場でしばらく泳いだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

神津島旅行・天上山登山

5月11日(月)
空は晴れ渡り、5月のさわやかな風が肌に気持ちがいい。山登りには最適な気候だ。民宿から天上山の黒島登山口まで車で送ってもらう。神津島港から歩いていくと4、50分かかる距離を車で行けたのはかなり楽をした感じだ。

登山口には杖が置いてある。車道から一気に細く急な山道になる。一合目と書いた柱が目につく。標高210mと記されている。十合目が480mの黒島山頂になっている。そこまでほとんど直登といった感じの急で、岩がごろごろした上り坂だ。急斜面だからだろうか、山の斜面には高い木がなく這い松のような低い木があるだけなので、十合目に着くまでずっと登り口の道路が見えるし、さらに町や港が一望できる。見晴らしは抜群だ。

神う089_convert_20090515104302 オロシャの石塁から神津島港方面

今までハイキングといっても西武線沿線の低い山しか登っていない。このような急坂は初めてだ。さすがに息が切れる。登り坂や上り階段がどうしてこんなにきついのだろう。酸素が十分に補給されていないように息が切れる。丁度、4、5千メートル級の高山に登って酸素が少なくなって息が切れるのと同じような現象みたいだ。つまり酸素の吸収と循環が不十分なのだろう。

偶数合目ごとに休憩を取ってゆっくり登っていった。地図で表示されている50分とあまり違いなく十合目までたどり着いた。オロシャの石塁なる江戸時代に海上防衛のために作られた石塁跡が十合目付近にあった。そこから天上山の火口であった表砂漠まで背丈の高い樹木のトンネルをくぐる様に進んでいった。

神う097_convert_20090515104403 表砂漠 

30分ばかりいくと表砂漠に到着する。テーブルとベンチがあって休憩所となっている。天上山の火口が砂に覆われ砂漠のようになっている。その周辺の山々には大島つつじが咲いていて殺風景な砂漠の情景に色彩を添えている。

神う100_convert_20090515104449 天上山山頂

そこから15分位行くと天上山頂上部にある40もの小ピークの中の最高点、天上山頂上に至る。572mなのだが、頂上付近は瓦礫で、高山の趣がある。頂上から白島下山口に向かう道は、崩れやすい岩場の道で神津沢側は切り立った断崖絶壁になっている。むきだしの岩肌が急斜面となって沢まで一直線に下っている。かって治山工事をした跡がある。

少し行くと不入ガ沢(はいらないがさわ)という大きな窪地がある。神代の時代、この地で伊豆諸島の神々が集まり水を分ける相談をしたと伝えられている場所だという。

神う106_convert_20090515104549 不入ガ沢

白島下山口から下り始める。登山道は丸太で段が作られよく整備され歩きやすくなっている。黒島側の急斜面に比べてなだらかで登るにも下るにも楽だ。下方に見える森林は新緑に覆われ黄緑色の光を発しているようだ。さらに港や町、海が水平線まで広がっている様が一望できる。そういった風景を楽しみながら山を下りていった。

神津島港付近の食堂で食事をした。運動をして疲れきって汗をかき喉が渇ききった状態で飲むビールの味は格別だ。最近こういった経験はしていない。汗をかくような激しい運動とは無縁な生活をしていたようだ。もう少し体を動かさなければと思う。

民宿には14時頃戻った。太陽が眩しく、気温が上昇してきた。目の前が浜辺なのでいつでも泳げる。水が冷たいかもしれないが、水着に着替えて浜辺に行った。水はかなり冷たかったが、一旦入ってしまうとそれ程寒さは感じなくなる。30分ばかり泳いだ。誰もいない海岸で泳ぐことが出来て気分が良かった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

神津島旅行・温泉保養センター

5月10日(日)
神津島に着いた船は、通常神津島港に停泊するが、南西の風が強く波が荒い時は、裏側の多幸湾の三浦漁港を利用する。この日も船は多幸湾側に接岸した。民宿には、3週間位前に予約して以降一切連絡をしていなかったので迎えに来ているかどうか心配だったがちゃんと来ていた。

神う005_convert_20090514185923 多幸湾

民宿は沢尻湾に面しており、他に宿泊施設はないので、静かだそうだ。おまけに時期はずれだから泊り客はいないだろう。神津島港からだと歩いて30分弱だが、多幸湾からだと2時間程かかり山越えをしなくてはならず、とても歩いて行くという距離ではない。

多幸湾には桟橋から長い白浜が続き、多幸湾海水浴場があり、山を少し登ると、都立多幸湾公園がありファミリーキャンプ場もある。キャンプ場は、炊事場やテント場など整備され使いやすそうだ。

多幸湾から車は山道を登っていく。丁度、大島つつじが満開で道の両側が何百メートルかに渡ってつつじが植えられ鮮やかな赤の帯を道の両側に配しているようだった。つつじ沿道といわれている。神津本道という広い道を進む。離島振興策の一環なのだろうか、広くしっかりと舗装されたなかなかいい道だ。

道は山を越え島の反対側に着く。前浜海水浴場の広い白砂の浜が目の前に広がる。神津島港が隣接している。そのまま海岸線を10分位進むと沢尻湾に着く。民宿は湾に面している。湾は海水浴場になっていて、キャンプ場もある。トイレや炊事場も新しい。夏はかなり込むらしいが、連休明けで誰もいない。

神う116_convert_20090514192122 沢尻湾

民宿の隣にリゾートマンションか長期滞在型会員制ホテルかわからないが、6、7階建ての大きな建物が、廃墟になっている。10年位前に開業したが、人が集まらなかったのか1年ちょっとで営業を止め、その後会社は倒産したらしい。入口には管財人の弁護士名が書かれていた。以前ある業者がその建物を1000万円で購入して、内装を始めたが海に面しているということもあって、痛みがひどく、塩害でパイプ関係が使い物にならず内装を諦めたという経過もある。その後誰も手を付けず朽ちるに任せている。もったいない話だ。

神う124_convert_20090514190107 廃墟のリゾートマンション

民宿に着いたが、ここでは昼食は出来ないので、近くの神津島温泉保養センターに行くことにした。海に面して露天風呂があるという。歩いて10分位で温泉に着いた。途中特別擁護老人ホームがあり、何十人も順番待ちをしているほど混んでいるという話だ。保養センターで昼食をとり、温泉に入る。露天風呂は水着着用だ。展望露天風呂というのがすごい。階段を上がった岩の上に東屋風の建物がありそこに温泉が湧いている。そこからは海が一望できる。

神う121_convert_20090514190503 温泉保養センター
 上の東屋風の建物が展望露天風呂

温泉から戻って、船ではあまり寝られなかったので昼寝をしてそれで一日が終わってしまった。民宿の料理は魚介類が満載という島の料理だ。刺身も赤さばや赤いか、鯛、かんぱちが並べられている。焼き魚、煮魚と魚づくしだ。野菜は明日葉が名産らしい。天婦羅や吸い物、胡麻和えなどに使われている。

神う080_convert_20090516212807 沢尻湾に沈む夕日

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

神津島旅行・かめりあ丸

5月9日(土)
東海汽船のかめりあ丸は22時竹芝桟橋を4つの島を経由して神津島に向けて出発する。23時30分に横浜港経由で、早朝6時に大島に着く。丁度次の日、大島で鯛釣り大会が開催されるらしい。港の一角に垂れ幕があり、参加者の受付をしている。船の出港間際には、釣り大会に参加する人だけ別に列に並んでいる。100名位いるようだ。

船が出港してから、放送で釣り大会の要綱が説明されていた。参加者は当然分っている事だと思うが念のためだろう。朝6時に大島に着き、近くの漁場で釣り始める。13時までに鯛をどの位連れたかで勝敗を決める。一定の大きさ以上のもので、釣れた鯛の合計の目方で多い順で1位から5位まで賞品が出るという大会だ。

bridge.jpg

そういった人を乗せて船は港を離れ、ライトアップされたベイブリッジをくぐり横浜港に着く。“みなとみらい”にある観覧車が7色の色彩を放ち、次々と色を変えて目を楽しませてくれる。しかしこんな夜遅くそんなサービスをしても見るのは船に乗って甲板に出ている人位で誰も見ていないだろうに。

昔、高校生の頃大島に行ったことある。その時は夏だったこともあってすごく混んでいて、和室で寝るのにもまともに横になれない位だった。船が沈まない程度、乗せるせるだけ乗せたという感じだ。しかし今はちゃんと指定席があり、和室でも一人1畳位の面積の所に番号が書いてあってその面積は確保できるから、ゆったりと寝ることができる。毛布は100円で貸し出している。和室といっても畳ではなく絨毯だ。床は板の間と同じように固い。毛布を2枚借りて、一枚を敷布団代わりにしている人もいる。

和室のいい所は、車座になって飲み会が出来るということだ。最も就寝時間が12時で消灯してしまうのでその時間までだが。Y氏は酒のつまみとウイスキーと魔法瓶に氷を入れて持ってきていた。他の所でも何組か飲み会をやっていた。横浜港に着くというので、デッキに上ってみる。

デッキの一角の風当たらない所に絨毯が敷いてあって、5、6人の中年男性がそこで酒盛りをしている。大型客船といった豪華さはないが、軽食がとれる食堂もあるし、自動販売機にはちゃんとアルコール類もあるし、コインシャワーもある。一通り揃っているとはいえる。高速艇では味わえない、船に乗る楽しみを満喫することが出来る。

Y氏が言うには夏の混んでいる時はデッキには長いすが置かれていってそこで寝ている人も結構いたという。彼も昔寝袋を持っていたのでデッキで寝たそうだ。そこそこ酔っ払い、12時で電気が消え、寝ることにした。朝6時には大島に着き、その放送で起こされた。大島鯛釣り大会の大人数がどっと下船した。消灯時間もそこで終わりで天井の電気が煌々と点灯された。各港でコンテナを降ろし、それにかなりの時間がかかる。しかし物資の運搬は島の人にとっては生活必需品の供給として欠かせないものだから不可欠だ。それから4時間かけて神津島に着いた。

300px-CameriaMaruKozuPtTyoJpDec04.jpg 神津島に到着したかめりあ丸

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

神津島旅行

5月9日(土)
連休中は、家族が家にいたりし落ち着いて何か書いたりする雰囲気ではなく、ブログの更新が出来なかった。混んでいる連休中はずっと家にいてDVDを借りてきて映画の三昧の日を送っていた。

また4月29日、秋葉原で行われた日本骨髄腫患者の会の東京ブロック会に参加して、朝10;00から17:30まで、みっちりと国立国際医療センターの三輪哲義医師の講演を聴き、、骨髄腫の基礎から、診察、検査のポイント、治療選択、新薬の動向など骨髄腫にに関して専門的かつ基本的な内容を少しは理解できたと思う。これを受けて、少しは骨髄腫の勉強をしようと、幾つかの本を買い集め読み進めている。

連休を終え人の動きが少なくなった頃を見計らって、沖縄に一緒に行ったY氏と今度は神津島に行く事にした。彼は島が好きで、昔、神津島に行って良かったのでまた行きたいという事だ。

今日の夜10時の竹芝桟橋から出る東海汽船で行く。着くのは明日の朝10時だ。12時間の船旅である。この船に乗りたいというのも彼の希望だ。高速艇もあるし飛行機もあるが、この船旅がしてみたいという。通常便は週末しか運行していないので、帰りは13日の12:55出発、16:45着のジェット船を利用する。

往復の船の予約と、3日間の民宿の予約をしてあるだけで、着いてからの計画はまだ立てていない。行き当たりばったりという所だ。まだ泳げないから島の中央にある「新日本百名山」の天上山へのハイキングには行こうと思っている。後はゆっくりと島を散策する位だろう。気分転換になるのは確かだ。

top20yama_convert_20090509114548.jpg 天上山

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

平成つつじ公園

5月1日(金)
GWも関係ない身なので、なるべく出かけるのは人ごみの多い休日を避けるようにしている。近場でつつじを楽しめる練馬駅前の平成つつじ公園に昼飯前にふらっと行ってみようと思った。昨年も行ったが少し早かったので10日ばかり遅らしてみた。それ程の人混みではなかったがそこそこの見物客で賑わっていた。

29日には練馬つつじ祭りが行われかなりの人が出たのだろう。昨年の4月21日のブログで平成つつじ公園については説明してあるので今回は珍しいつつじの写真を掲載するだけにする。つつじに命名した名前が何とも奥ゆかしい感じがする。(下記の名称は正確ではありません。メモと写真が一致していないかもしれません。)

平成つつじ公園021_convert_20090519101132 日の出の雲

平成つつじ公園035_convert_20090519101223 御代の栄

平成つつじ公園037_convert_20090519101323 裾濃(すそご)の糸

平成つつじ公園039_convert_20090519101404 常春

平成つつじ公園044_convert_20090519101457 麒麟(きりん)

平成つつじ公園051_convert_20090519101555  暮の雪

平成つつじ公園031_convert_20090519142052 曙

テーマ : 雑記
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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