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頑張らない生き方も一つの選択

5月24日(日)
人生が限られている状態で、時間があるとしてもその時間をどう使うのかは、自分でも分からない点があるのは確かだ。朝晩の家事以外、残りの時間は全て自由に使える。全て自分で組み立て選ぶ事ができ、何処からも強制されるものはない。悠々自適の生活をしているといえば言える。

誰でもこういった生活を一般的には望むだろう。だがこれもなかなか難しい。一般的に人は何故仕事をするのか。もちろん経済的な必要性が大きいのは確かだ。そしてそれが主要な目的だ。しかしやはりどうやって時間を使うかを考えるという困難さを回避するという面もあるような気がする。休日が待ち遠しく楽しみなのは日々の仕事があるからで、毎日休日だったらどうやって過ごそうかと考えなければならない。

レーモン・クノーの『人生の日曜日』という本がある。仕事が忙しかった頃、この言葉の響きが好きで、憧れに近いような気持ちで、こういった日々を思い描いていた。内容は別として純粋に言葉の響きが気に入っていた。

彼の主張は「人生の日曜日は人間が休息している状態、生存のための闘争や競争が一時的に放棄された状態を象徴する」「人生において生きるためにあくせくする週日を無視するやり方を意味する」といったものだ。

そして今、毎日が日曜日なわけだがどのように過ごすかは、思っていたより難しい事に気がついた。限りある人生を自覚した時、悔いのない人生を送りたいとは誰でも思う。しかしそれが自分にとってどのようなものかの答えは直ぐには見付かるものではない。へたをすれば、何もしないで日々が過ぎ去っていくような気もする。

だが、よく考えれば、それはそれでいいのかもしれない。片意地張って、がむしゃらに生きていくのも疲れるものだ。時の流れのままに生きていくのも一つの生き方だとも一方で思ったりもする。多くの老人がそうであるように。

フランスの田舎町で見た光景を聞いた。「ひなびた町(村)のあちこちで目にしたのは、ペタンク(ゲートボールのようなゲーム)に興じる老人の姿。それと、広場のベンチで話をしたり道行く人を穏やかに見ている老人たちです。」若い頃見れば他にやることがないのかと思うだろう。

ヨーロッパの町で見かけるただたむろし何もしていない老人たちの姿、ニューヨークのセントラルパークで、一日中チェスをやっていたり、日向ぼっこをしている老人たちの姿はよくテレビでも見ることがある。フランス人の場合は年金暮らしが可能だろが、ニューヨークの公園にいる人たちは失業者なのかもしれない。

家の傍に、買い物に行く時とか、散歩とかで通る公園がある。その公園にいつも居る老人がいる。何回か見ているうちに分かったが、彼は雨の日以外毎日13時頃から17時頃までいる。家にいづらいのか、公園が好きなのか理由は分からない。70歳前後で、杖をついている。4時間ばかり公園の決まったベンチに腰掛けているだけで、何もしているわけではない。

柳田邦男の書いた『ガン50人の勇気』という本がある。ここでは、死の直前まで仕事に情熱を傾け、仕事を全うして死んでいった人への評価が書かれている。がんで余命を宣告された人たちが残りの人生を精一杯生きてきた多くの例が載っている。確かに余命宣告されているがん患者にとって残りの限られた時間をどう生きるかはきわめて深刻な問題だと思う。命が限られていれば残りの人生を充実したものとして生きようと思うのはいわば必然的なものだろう。

しかしそれは生き方の一つなのだ。限られた人生をどうしていくかは人それぞれ全く違ってくる。時間がないとあせって、追われる様に人生を送る衝動に駆られることもあるかもしれない。しかしそれでは、世のサラーリーマンが仕事に追われているのと変わりないのではないか。

4時間何もしないで座っている老人の姿を見て、「何もしないでいられる時間を持つことの幸せ」といったことを考えた。「何もしない事を受容できる」生活もまた一つの生き方だと思う。

全ての人は限られた時間を生きている。余命を宣告されたがん患者も全くそれと変わりない。ただ長さの違いなのだ。それだったらもっと気楽に余命について考えてみようとある時、思った。

もちろんこれは余命を宣告された人の性格にもよるだろうが、何時死ぬと言われて、必死になって自分の足跡を残そうという人もいるかもしれない。しかしそれは歴史の中でどの道、やがて藻屑として消えるものでしかない。

そう思うと余命何年などと言われて気張って日々を送るより、そんなことは気にせずに静かに思うがままに残りの人生を生きればいいと思う。何もしない時間、無駄に費やされる時間そういった所がある人生こそが恐らく意味があるのではないかと思う。

何もしなくていい時間を持つという贅沢をしばし味わってみてもいいのではないか。何かをしなければという思いと、何もしない時間を楽しむ余裕といった間で心情は揺れ動くしかないが、それが人生というものだろう。
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