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千葉敦子 『ニューヨークでがんと生きる』

6月30日(水)
大分前に友人の家に行った時に、本の整理をしていて、100冊近くの本が山積みにされていた。本はひたすら溜まる一方で、本箱から溢れ出てきてしまい時々整理して売りに出す、欲しい本があれば持って行っていいよということで、何冊か持ち帰った。

その中に千葉敦子さんの本があったので4冊貰って来た。今まで闘病記などは全く読んだことがなかった。買ってまで読もうとは思わなかった。がんとどう対峙するかは、人それぞれで参考になるとは思えなかったからだ。

昔からエネルギーレベルの高い人と話すのが苦手だった。千葉敦子さんは自分でも言っているが、その部類に属する。激しい情熱を持って仕事に打ち込み、日常生活もエネルギッシュにこなす。しかし、最近はそういった人と話してもあまり苦手意識がなくなり、疲れなくなった。そのせいか千葉さんの本もすんなりと入るようになった。彼女の『ニューヨークでがんと生きる』という本を読んだ。

この本が書かれたのは1983年で、今の日本のがん治療、がんの患者の置かれた状況とはかなり違っている。その頃は患者へのがんの告知がほとんど行われない状態だった。従って今でこそ言われる「インフォームド・コンセント」などありようがなかった。そういった時代に書かれていながら、がん患者としての心構えについての彼女の提言は今でも参考になる。

彼女は、自分の病状、治療経過、アメリカのがん治療の現状について客観的に理論的に記録しジャーナリストとして叙述していっている。その文章はむしろ、感情的興奮を抑制し、あくまでも取材者として自己を対象化していて、読むほうにとってみれば極めて受け入れやすい。

『ニューヨークでがんと生きる』より
newy_convert_20100614232340.jpgがんは治る可能性より治らない可能性の高い病気であることをしっかりと心に刻み付けて初めて闘病の計画が意味あるものになる。「治ったとき」にだけ希望を託して、今現在何をやるべきかを見失っている患者があまりにも多い。

最初の治療のあと、再発するまでの期間は充実した人生を送るべき最も大切な時間なのだ。この期間に、自分の人生から下らぬものを排除して、本当に大事なことにだけ、時間を使うという習慣を身につけてしまえば、再発再々発に見舞われてもそれ程あわてなくてもすむ。(文春文庫p151)

がんは日本人成人の三人に一人がいつかはかかる、ありふれた病気なのだ。がんにかかって他の人よりは早く死ぬことがそれ程不幸なことだろうか。誰だっていつかは死ぬのだし、たいていの人は病気で死ぬ。ガンで死ぬことが格別不幸だとは、私には思えない。どんな病気にかかろうとも、死ぬまでの時期をどう生きるかだけが問題なのだと思う。(p152)

がん患者は、知性と感性を備えた生きた人間なのだ。物理的な痛みや吐気も確かに辛いが、患者にとって人間らしく生きていけるかどうか、これからも生きていけるかどうかの問題の方がもっと切実だ。(p171)

がんは多くの死病と違って診断されてすぐに死なないのが特徴だ。だから残された時間をどう生きるかを患者が決められる、珍しい病気といっていい。どの位生きられるかは医者にも分らないことが多い。いつまで生きられるか分らないという不確実性こそ人生の本質ではないか。(p208)
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

映画 『おくりびと』

6月29日(月)
TSUTAYAの契約更新に伴ってDVD3枚が無料で借りられる期限が今日までだったので、借りに行った。「おくりびと」は見たいとは思っていたが、テーマが重そうなので体調のいい時に見ようと思って今まで見てなかった。結局これを借りた。「死」についてどのように扱うのか、「死」をどう捕らえるのか関心あるところだ。

府中に住む伯父さんが87歳で死んだ。がんだった。この間3回忌をやったわけだが、死んでから2日目位に府中に呼ばれた。葬儀かなと思ったが、そうではなく死出の旅支度という儀式だそうだ。白装束に着替えさせ白い帯巻き、白足袋をはかせる。さらに脚絆まで付け草鞋まで置く。まさに三途の川を渡るための旅路支度だ。

次に濡れた布で顔を皆でかわるがわる拭き、頭に3角の布を付け、笠と杖も添えて棺に納める。故人の愛用の品も一緒に納める。その時は意味も分からず皆と一緒にやっていたが、映画を見て改めてその意味を知った。

おくりびと_convert_20100507222312 宗派のよって納棺の儀のやり方は違うと思うが、映画では、まず沐浴として故人の体を清めるため、湯で体を拭き、白装束に着替えさせ、白足袋を履かせ、白い敷布団ごと納棺し、白い掛布団をかけ、上に礼服を掛ける。冠、扇、愛用の品も入れる。納棺の前に化粧を施す。男性の場合は顔全体を剃る。女性の場合はファンデーションを塗り口紅をさす。

死んで灰になってしまうのに何故納棺の儀などがあるのだろう。恐らく多くの人は死後の世界など信じていないだろう。しかし死は一つの旅立ちだとは思っているのかもしれない。だから、沐浴し死装束を身にまとい死化粧を施し、あの世に送り出すのだろう。

この日本独特の風習は日本人の繊細な心のあり方を示していると思う。死後の世界への信心ではなく、死者の尊厳を大切にするという心は、全て生き物への慈しみを生み出すものだろう。

映画の中で吉行和子さん演じる銭湯のおかみさんが亡くなり、火葬場で、銭湯に毎日通っていて、銭湯のおかみさんから共同経営の話をされていた笹野高史さんが棺を釜に入れる時に「死は門である」といった言葉は、この映画のテーマを一言で表していると思った。

死とはその人の新しい旅立ちの時なのだ。だから納棺師の役割は死者の魂を安らかに旅立たせるために、誠心誠意死者に心から尽くすものだというものだ。映画の解説で「納棺師、それは悲しいはずのお別れを、優しい愛情で満たしてくれる人」とあった。

火葬場の職員である笹野高史さんは釜に火を入れるスイッチを押しながら「またな」という。死は永遠の別れではないことの表現だ。恐らく誰も死後の世界でまたあいまみえるなどとは思っていないだろうが、こういった言葉は何故かありえることのような印象を与えるから不思議だ。

一定の年齢になると身近な人との別れ、自分の病気のことで、いつも「死」は自らの体にまつわり付いて来る。映画を見た人の感想で「こんな風に心をこめて送ってもらえるのなら、死ぬのも悪くないわね」と語っていた。また「死に対する心構えがほんの少し出来たような気がして、ほんの少しですが安心しました」とも言っている。

我々は皆いつか送り人になり、送られる身になる。子供をこの世に送り、親を送り出し、やがて自らも送られてゆく。この循環の中で人は生きていくのだ。

この映画は同時に肉親の死を契機とした、家族の人間関係のあり方がテーマのような気がする。主人公(大木雅弘)の妻(末広涼子)の夫を見る目の移り変わりの描き方が巧みで、死を扱う職業への忌み嫌っていた心情が、実際にその場に何度か立ち会う事によって、否定から肯定へ、尊敬へと変わっていく。

そして夫の父親が葬儀屋によって無造作に棺に納められようとしている事に対して、「夫は納棺師なんです」と叫んだ時、夫が納棺師になった時、止めなければ離婚すると言って家を出て行った妻の夫に対する見方が180度転換したことを表現している。その変化は、同時に主人公の自分のやっている納棺師という職業の意味と意義を自覚していっている過程でもあったのだ。

主人公が自分を捨てた父親(峰岸徹)が亡くなった連絡を受け、最初は会いに行くことをためらったが、父親の死に顔を見て、自ら「おくりびと」としての仕事を全うした時、父親の手には主人公と大昔約束した石文が大事に握られていた。その石を見て全てのわだかまりと恨みは跡形もなく消え、父親の愛を深く噛締める事になった。

この映画の魅力として、撮影場所、酒田を中心とした庄内平野と背景に聳える月山の四季の移り代わりの風景描写が素晴らしく、それが同時に主人公の心の変化と重なり合っているのが印象的だ。またチェロの演奏がテーマ曲として幾つかの場面で流れてきてそれが雰囲気を否が応でも盛り上げている。作品の投げかけるテーマ、風景、音楽それらが一体となって映画の完成度を高めているのだろう。

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ジョン・グリシャム 『無実』

6月27日(土)
 ジョン・グリシャムの小説はほとんど読んでいる。弁護士をやっていただけあってアメリカの刑事法の知識をふんだんに駆使しながら、物語を展開していくリーガル・サスペンスとしてかなり読み応えがある。『無実』は彼が始めて手がけたノンフィクションである。

無実_convert_201005072034081982年オクラホマの小さな町で起きたレイプ殺人事件で、逮捕され死刑執行直前までいった被告が無罪を勝ち取るまでの経過を淡々と時系列に従って記述したものである。物語としてのダイナミズムはないが、事実が何よりも人に衝撃を与える。

アメリカの警察、検察などの法執行体制の問題点、陪審制度の問題などが抉り出される。一方、良心的裁判官の存在や、冤罪事件に情熱を注ぐ弁護士たちの活躍も描かれている。

オクラホマ、エイダで起きたレイプ殺人事件の捜査は思うように進まず、5年後になって容疑者として地元出身の元プロ野球選手ロン・ウィリアムスンとその友人のデニス・フリッツが逮捕された。

長い裁判の結果、ロンは死刑判決、デニスは終身刑の判決を受け、刑務所に収監された。ロンは上訴審を闘うが、全て敗訴し、刑の執行日が1994年9月27日がと決まる。

 執行日が決まると人身保護令状の請求が出来る。この申請を読んだのが連邦裁判所治安判事ジム・ペインだった。ペインはロンの公判の正当性に疑問を持ち、フランク・H・シーイ判事と協議し、ロンの死刑停止を決定した。それは刑の執行日のわずか5日前だった。

その後、シーイ判事のチームは1年かけて、公判調書や証拠関係を精査し、人身保護令状を発行し、公判のやり直しを認めた。決定に付随する意見書で、再審決定の理由を多々挙げている。

① 弁護人が効果的支援を行わなかったこと:ロンの精神面における責任能力の問題を持ち出さなかった。自白の信用性に疑問を投げかけ裁判の前に排除しなかった。最有力容疑者ゴアの有罪を示す証拠を徹底して調査し提示しなかった、など。
② 検察、警察が非難された理由:疑わしい手段で得られた自白を証拠として用いた。拘置所内の密告者を証人として証言させた。物的証拠がほとんどない状態で起訴した。被告人の無罪を証明しうる証拠を隠していた。
③ 毛髪分析は信頼性が低すぎるので、あらゆる裁判において禁止されるべき。
④ 判事の間違い:検察側が被告人の無罪を証明しうる資料を伏せていたブレイディ規則違反の審理を公判が終わるまで保留した。弁護士の法医学の専門家に反証のため証言させたいとの要求を却下した。

シーイ判事は言っている。「この素晴らしい国で公正な裁判を受けられなかった人々が死刑になろうとしている時、わたしたちが目を背けているとしたら世も末だ。この件では危うくそれが現実のものとなる所だった。」

そしてついに1999年4月15日、逮捕から14年、ロンとデニス無罪の判決が出された。最終的な決め手となったのは、犯行現場にあった精液のDNAの鑑定の結果、被告人2人のものと一致しなかったということだった。

「イノセント・プロジェクト」という人権団体がDNA鑑定によって死刑囚、188名の無実を証明して、解放した。一時代前のDNA鑑定や毛髪鑑定が、その精度においてかなりの不確実性があったにもかかわらず、科学の名を持って、被告を有罪としていったことが、覆されてきている現状があるという事だ。

暴力的取り調べによる、嘘の自白の強要。証拠の捏造。検察寄りの鑑定人による検察の意図に沿った鑑定結果の作成。この事件でも最初は現場に残された血のついた掌紋が被害者のものでもなく被告のものでもないと鑑定していたが、再度鑑定した結果被害者のものであると意見を変えた。それによって、被告人の逮捕に至るのである。

陪審員は鑑定人が法廷で、専門用語を駆使しながら、現場に残された毛髪は被告人のものであると断言すればそれを信じてしまうのは当然だ。鑑定という科学の名を借りて、陪審員を騙すのはもっとも効果的である。その精度や信頼性についての判断は陪審員には不可能だ。

裁判員制度が始まったが、警察、検察が証拠を捏造していたとしてもそれを見破るのはきわめて難しいだろう。以下最近の3つの事件を列挙して最近の冤罪事件について考える参考にしたい。

 最近の日本での冤罪事件

足利事件:1990年5月12日、栃木県足利市で、真実ちゃん(4歳)が行方不明となり、翌日、近くの渡良瀬川河川敷で遺体となって発見された。1991年12月2日、DNAの結果、真実ちゃんの下着についていた精液と一致したことから市内の幼稚園バス運転手(当時45歳)が逮捕された。無期懲役判決が確定する。
2009年5月、そのDNA鑑定が崩れ落ちる。弁護側推薦による再鑑定で、「不一致」の結果が出たのである。5月19日、弁護側は刑の執行停止を申し立て、6月4日、菅家氏は千葉刑務所から釈放された。
*DNA鑑定の精度が高まり90年代初頭の「1000人に1、2人」から、最近では「4兆7千億人に1人」まで判別できるようになった。

富山事件:富山地検が07年1月19日、強姦と強姦未遂の2事件の容疑で起訴、懲役3年の実刑判決を受け服役した、同県氷見市のタクシー運転手の柳原浩さんが、別の罪で公判中に無職の被告がこれらの事件の容疑を認めたためえん罪事件であったことが明らかになった。

志布志事件:中山県議らが住民11人に191万円を配ったとして同県議の妻をはじめ、同県志布志市の住民計13人が公職選挙法違反(買収、被買収)の罪で鹿児島地裁に起訴された事件。鹿児島地裁は07年2月、「強圧的な取り調べがあった」として12人全員(1人は死亡のため公訴棄却)の自白の信用性を否定し、無罪を言い渡した。

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定期検診の日

6月25日(木)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果
 
IgM    1242(6/25)←1310(6/18)←1456(6/11)←1272(5/28) 
白血球   1.9←1.9←1.2←2.6 
血小板   14.4←11.3←12.4←10.8
ヘモグロビン 10.2←10.2←10.9←10.7

6月11日の血液検査でIgMが1456まで上昇した。サリドマイド+エンドキサン+デカドロンの3種併合療法はもはや限界に来ていることを確認し、11日には、サリドマイド200mgから100mgに減らし、エンドキサンを止め、代わりにビンクリスチン(商品名オンコビン)を点滴した。

その結果、先週骨髄穿刺(マルク)をやった時の血液検査の結果と今日の結果を見て、ビンクリスチンが効果を上げていることを確認できた。効果を上げている限りは、このサリドマイド100mg/毎日+オンコビン/月1度点滴+デカドロン40mg/月4日の3種併合療法で行くことになった。

先週18日に原発性マクログロブリン血症の治療方針を考える意味で骨髄穿刺(マルク)をやった。今日何故か、血液検査が終わるとすぐ、外来処置室に呼び出された。先週やったマルクで骨髄液が必要量採集出来なかったということので、今日またやるという。確かにそれ程痛いものではないが、決して気持ちいいものではない。

まず一番痛いのは最初の麻酔だ。2,3度陽骨の周りに注射針が刺さる。注射液を入れる時も痛い。次は骨にマルク針を押し込む作業だが、これは麻酔がかかっているので痛くはないはずなのだが、イメージとして、医者が全力で体重をかけて骨に穴を開けるという行為自体に恐怖感を覚えて痛みを感じているような錯覚に陥るのだろう。

次に骨髄液を吸引するわけだが、これは骨髄の所まで麻酔がかかっていないので痛みを伴うことがあると言われているが、引っ張られる感じがするがたいして痛い訳ではない。しかし2週続けてやるものではないという気がするが、必要な骨髄腫細胞が採取出来なかったのであればなかったのであれば止むを得ない。ベッドにうつぶせになり陽骨からマルクを行った。2、3度吸引したがなかなか取れないということだ。やっと必要量を採取して、マルクを終えた。

医者はゾメタの点滴をまたやるという。2週間前にやって通常1ケ月に一度だが今日やれば2週間に一度という事になる。頻度が多かったり、長期間続けたりすると腎臓への負担など色々副作用が出てくるので増やしたくはない。

骨の状態を調べようと、医者と一緒に前回のレントゲン写真を1枚1枚点検しながら見ていったが、特に骨病変や骨溶解像は見当たらなかった。頭蓋骨の1ケ所に黒い点があったが多分打ち抜き像ではないだろうということだった。骨粗しょう症はレントゲンに現れるまでには至ってはいない。ともかく骨が柔らかいということだ。ということで医者はゾメタを月2回にしたということだった。

次の7月8日の定期検診の日にはマルクの結果が出ているだろう。CD20が陽性になっていればリツキサン(一般名リツキシマブ)を使用した新たな治療の選択肢が増える事になる。さらにIgM型骨髄腫かWMか判断できる材料が揃うかもしれない。どちらであっても治療内容には変わりはないのだが。

帰りに白山神社に寄った。もう紫陽花は終わっているだろうとは思っていたが、案の上終わっていた。本殿の周りと、石段の脇に残っているだけで、他の紫陽花は全て花が刈り取られていた。2週間一度病院に行っているのだからもっと早く行っておけばよかった。紫陽花がないとただのこじんまりしたどこにでもある神社の一つでしかなく思える。

逋ス螻ア逾樒、セ014_convert_20090625182009 白山神社本殿、紫陽花が少しは咲いていた

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蘆花恒春園

6月23日(火)
高幡不動尊の紫陽花を堪能して、戻りの京王線に乗ろうと思ったが、まだ12時を少し回ったところだった。高幡不動には1時間半位はいたのだが、見て回るといっても限りがある。京王線沿線で行くところはないかと路線図を見てみると、芦花公園という駅がある。この公園には行ったことがなかった。

芦花公園駅から歩いて15分。住宅街の中に公園はある。周辺は団地やマンションが結構ある。芦花公園は徳富蘆花の暮していた場所を中心に蘆花恒春園として開園したが、その後東京都が周辺の用地買収を進め、恒春園区域を取り囲むように、草地広場、児童公園、花の丘などが開園していて、かなり広い公園になっている。

鬮伜ケ。荳榊虚093_convert_20090624105924 恒春園入口

蘆花恒春園は「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの作品で知られる文豪、徳富蘆花と愛子夫人が、後半生を過ごした住まいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸地部分である。

徳富蘆花は明治40年まで、東京の青山高樹町に借家住まいをしていたが、トルストイの影響を受け、土に親しむ生活を送るため、当時まだ雑木林に囲まれ、草深い千歳村粕谷の地(世田谷区粕谷)に土地と家屋を求め、「恒春園」と称し、死ぬまで約20年間、農業を営み晴耕雨読の生活を送った。

鬮伜ケ。荳榊虚095_convert_20090624110528 母屋

蘆花恒春園は武蔵野の面影を残し、蘆花が暮した当時の生活を偲ぶことが出来る。蘆花は国木田独歩と並んで、武蔵野と深い縁がある。国木田独歩はツルゲーネフの影響を受け武蔵野の自然に共鳴した。二人は自然を介して意気投合したのだろう。

二人は当時そこが武蔵野そのものであったことを、ありのままに讃え、愛し、描いて、目に見えるように伝えている。その事によって、100年もの時間を経ていながら、武蔵野とは何かを、感じ、考える原点を提示してくれているようだ。

鬮伜ケ。荳榊虚108_convert_20090624110043 梅花書屋

蘆花記念館の入口には蘆花の次のような言葉が大きく書かれていた。
「余は斯(こ)の雑木林を愛す。木は楢(なら)、櫟(くぬぎ)、榛(はん)、櫨(はじ)など、猶(なお)多かるべし。」蘆花の武蔵野の台地への想いが凝縮されているような言葉だ。

芦花公園の中で恒春園はそこだけが特別の雰囲気を持っている。竹林や雑木林が生い茂り、昼なお暗い。蘆花が住んでいた母屋や書斎として使っていた秋水書院や梅花書屋の茅葺の屋根の明治時代の木造住宅が雑木林の中で見事に調和し、過去に引き戻されるような場を作り上げている。

鬮伜ケ。荳榊虚104_convert_20090624110134 花の丘の花壇

恒春園の暗い世界から抜け出て、芦花公園全体を回ってみる。児童公園、多目的広場、ドッグラン、アスレティック広場、草地広場などは普通の公園と同じだ。花の丘の花壇には丁度花がきれいに咲き揃っていた。白い紫陽花が花壇を取り囲んでいる。花の丘の明るさは、恒春園の暗さと対をなしているようだ。公園から、環8通りに出て八幡山駅まで歩いて15分位だった。

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高幡不動尊

6月23日(火)
梅雨の只中、珍しく今日は雨が降らないようだ。気温が高くなりそうだが、最近はなかなか晴れの機会にめぐり合えそうにない。もうすぐ紫陽花の季節も終わりそうだ。ネットで「あじさい祭り&名所」を見てみたら、東京で2ケ所が大きく紹介されていた。白山神社と高幡不動尊だ。白山神社は今度病院に行った帰りにでも寄ってみよう、ということで、高幡不動尊に行く事にした。

鬮伜ケ。荳榊虚073_convert_20090623194535 仁王門

真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三不動の一つに挙げられていて、高幡不動尊と呼ばれている。京王線の準特急に乗って高幡不動駅で降りる。駅のすぐ右に高幡不動尊参道と書いた大きなアーチがあり、それを潜れば、門前商店街の先に仁王門が見える。

鬮伜ケ。荳榊虚066_convert_20090623194446 不動堂と五重塔

仁王門と不動堂は室町時代に作られたもので、重要文化財に指定されてる。不動堂は東京都で最古の文化財建造物だということだ。その他にも境内には歴史的な建造物が数多く建ち並び、仏像や工芸品、新選組関連の資料などが展示されてる。五重の塔の下や奥殿が展示室になっている。土方歳三の菩提寺だということで彼の等身大の銅像が建てられている。

鬮伜ケ。荳榊虚016_convert_20090623194615 奥の院に向かう山門

仁王門の隣には「あじさい祭り」という大きな看板が掲げられている。寺院を一渡り回ったら、紫陽花の花を思う存分見て回ろう。寺院の裏手は多摩丘陵の一角である不動ヶ丘が広がり、山内八十八ヶ所巡りのコースを巡拝しながら散策できる。華やかに境内を彩る紫陽花の咲き乱れる風景の中を、歴史の息吹を感じながらの巡るのはまた一段と感慨深いものがある。

鬮伜ケ。荳榊虚053_convert_20090623195003

仁王門から入り、不動堂を経て、五重塔の下の不動明王に関する展示を見て、紫陽花の咲く山門を潜り奥の院である客殿や大日堂を見て回る。大日堂の裏から山道になり、鐘楼を経て、山内八十八ケ所巡りが始まる。これは四国札所八十八ケ所巡りの縮小版で、山道の88ケ所に石仏が置かれており、それを目指して歩くというものである。

鬮伜ケ。荳榊虚046_convert_20090623194902 ガクアジサイ・甘茶

その道の左右には色とりどりの紫陽花が咲き乱れ、仏像よりも目を引かれる。途中「四季の道」や「あじさいの道」などがあり、紫陽花が密集して咲いている。88ケ所全部を回ると2時間位かかるらしい。途中の迂回コースで山を下った。それでも1時間近くは山道を紫陽花を楽しみながら歩いた事になる。

鬮伜ケ。荳榊虚042_convert_20090623194821

山内八十八ケ所巡りは、かなり急な山道もありハキングコースと言ってもいい位だ。このコースの山道の両側にある「山あじさい」は品種改良されていないので小振りだが、所々に群生地があり、自然のままの可憐な風情を楽しませてくれる。

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お墓のこと

6月21日(日)
伯父の3回忌が行われるということで、伯父の自宅であった府中に向かった。実際には3回忌は自宅ではなく伯父の墓地に僧侶を呼んで行われる。府中から車に分乗して墓地まで行く。ところがその墓地というのが遥か彼方にあるのだ。

伯父は青梅線奥多摩駅から車で10分以上かかる所にある奥多摩霊園という所に埋葬されている。奥多摩の山を一つ切り開いて、山全体を墓地に変え、霊園を作ったということだ。

奥多摩霊園の案内書には次のように書いてある「墓地は高台にあり、どの区画からも抜群の展望です。自然と調和した美しい環境の中に、永遠の安らぎを願い、秩父多摩甲斐国立公園のゆるやかな丘陵地にひらかれた霊園です。東京に残された自然の恵みが、安らぎの環境をつくります。

近くには御嶽山、奥多摩湖、日原鍾乳洞、玉堂美術館、吉川英冶記念館などがあり、ハイキングコースや釣堀と行楽地が多彩で観光を兼ねたお墓参りができます。」

o-okutama_convert_20090621224732.jpg故人にとっては見晴らしのいい所だろうが死んでしまっているのだからあまり関係ない。要は墓参りに来る家族の考え方の問題だ。伯父の息子が墓を買った経過を話してくれた。伯父の一族の菩提寺は新宿区山吹町にあるのだが、そこではもう墓を建てる余裕はない。

そこの住職に相談した。住職からは、ピクニックとかハイキングとかを兼ねて墓参りが出来るような所がいいのではないかと言われたので、色々考えた末「奥多摩霊園」に決めたそうだ。かなり遠い。府中の自宅から2時間近くかかる。だが別の考え方をすれば墓がなければ奥多摩くんだりまで出向いては行かない。自然と触れ合う機会も持つことはない。

奥多摩駅からかなりの急坂のヘアピンカーブを次々と曲がりながら途中管理棟に寄り、仏花と卒塔婆を受け取り、墓地まで登っていく。墓地に着いた。山の中腹に位置する伯父の墓の場所から見える山々は霧に霞み深山の雰囲気をかもし出していた。山裾まで眺望がきいている。確かに見晴らしは抜群だ。

墓の掃除をし、花を飾り、線香を上げていると僧侶が到着した。雨が降ってきた。傘を差したまま3回忌の読経が山間に響く。20分位で3回忌は滞りなく行われた。僧侶は何処から来たのか聞いた所、1つ隣駅の寺の僧侶で、奥多摩霊園に頼んで手配してもらったそうだ。霊園は近隣の僧侶を登録しておいて、必要に応じて出張してもらうという。

どのような宗派の人にも対応する。つまりお経でありさえすれば何でもいいという相手でなければこのシステムは機能しない。しかし、今までそれで問題が起こったことはないということだ。何宗の僧侶が来るかは分らない。どのような経文が読まれるか分らない。しかしほとんどの人がそれでいいというのがなんとも言えずおもしろい。

東京からわざわざ奥多摩の奥地まで僧侶を呼ぶわけには行かない。そこで、地元の僧侶に頼むわけだが、宗派は一切問わない。お経が読まれさえすれば、行事は滞り完了するということだ。この驚くべき形式主義、これが日本人の仏教に対する平均的考えだろう。習慣として通夜や葬式にお経は必要だが、特定の宗旨のお経が必要だとは露ほどにも思っているわけではない。

奥多摩霊園を後にして、精進落しということで、御岳駅近くの、青梅の酒澤乃井の小澤酒蔵経営の料亭ままごとや(飯事)という所に行った。食事まで時間があったので周辺をぶらぶらした。吊橋で多摩川の対岸に渡ると櫛かんざし美術館がある。

中国蘇州の寒山寺から持ち帰った釈迦仏木を祀り、同じく寒山寺と名付けたお堂が御岳渓谷の遊歩道沿いにひっそりと佇んでいる。近代日本画の巨匠・川合玉堂の作品を所蔵した玉堂美術館などある。御岳山や御岳渓谷はよく知られているが見所は他にも色々ある。墓参りの帰り道行く所には事欠かない。山奥の墓という発想法があるということに初めて気がついた。

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TOKYOウオーク2009「浅草エリア」

6月20日(土)
金龍山 浅草寺 (聖観音宗総本山) 
ももの木の掲示板でTOKYOウオーク2009「浅草エリア」への参加が呼びかけられた。今回は浅草周辺を巡るコースとなっている。Aコース20km、Bコース10km、Cコース6kmとなっている。体力に合わせてコースを選択する。ももの木としてはCコースで行く事になっている。

豬・拷繧ィ繝ェ繧「003_convert_20090620192200 仲見世通り

今回のCコースは6.9kmということだ。このコースは集合場所の隅田公園を出発して、三ツ目通りを総武線の線路に方面に行き、京葉道路を右折して、両国駅方面に行く。両国駅に向かう所を右折し、厩橋を渡り、江戸通りを雷門方面に向かい、吾妻橋を渡り隅田公園に戻るというものだ。

豬・拷繧ィ繝ェ繧「006_convert_20090620192244 浅草寺・宝蔵門

早めに行って仲見世通りや浅草寺の境内を散策してみようと思った。9時頃銀座線の浅草駅に着いた。仲見世通りは、まだ朝9時だというのにかなり賑わっていた。学生服を着た修学旅行のグループや外国人観光客も多く見られた。

豬・拷繧ィ繝ェ繧「007_convert_20090620192323 浅草寺五重塔

五重の塔を眺めながら境内をしばらく散策し、隅田公園に向かったが、伝法院通りを逆方向に進んで行き、国際通りまで出てしまった。気がついたので、そこから雷門通りを吾妻橋方面に戻っていった。おかげで浅草寺周辺を歩き回ったという感じになった。

隅田公園
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吾妻橋を渡ればすぐ目的地の公園だと思っていたが、TOKYOウオークの集合場所までは結構あった。アサヒビールの本社ビルや、墨田区役所の高層ビルを右手に見ながら進み橋を渡ってやっと公園に着く。隅田川河岸に続く隅田公園は桜の名所として知られている。屋形船に乗って両岸の桜見物をするという風情を楽しむのが最近流行っているらしい。

集合時間9時30分に大分遅れて、公園に着いた。結局今日のももの木からの参加は、3人だけだった。陸上部の部長が、ももの木のマークを付けた黄緑色のTシャツを用意してくれていて、それを着て出発する。

隅田公園を出発し、三ツ目通りを京葉道路に向かって進む。何の変哲もない面白みのない道だが、連れがいるのでお喋りをしながら歩けば退屈はしない。この道路の周辺を見て感じたのだが、この本所近辺の道は碁盤目に作られている。戦後、焼け跡の再開発できっちと区画整理されたのだろう。

旧安田庭園
京葉道路のだだっ広い道の歩道をてくてくと両国方面に歩いていく。やっと両国駅に着く。国技館を見ながら、旧安田庭園に辿り着く。コンクリートの道ばかり歩いてきたので気分転換に入ってみる事にする。

豬・拷繧ィ繝ェ繧「039_convert_20090620192611 旧安田庭園

この庭園は本庄因幡守宗資の築造といわれ、隅田川の水を導いた潮入り回遊式庭園で、規模は小さいが江戸名園の一つに数えられていたというものだ。ここで気分一新、再び歩き始める。

東京都慰霊堂
庭園を後にして横網町公園に向かう。横網町公園は元陸軍被服廠があった場所である。この地にあった被服廠は大正8年に赤羽に移転し、その後公園予定地として更地になっていた。

1923年の関東大震災の時、この場所は多くの罹災者の避難場所になった。多くの家財道具が持ち込まれた。周囲からの火災が家財道具に燃え移り、また火災旋風が起こったため、この地だけで(推定)東京市全体の死亡者の半数以上の3万8000人程度が死亡したとされる。その死者を慰霊し、このような災害が二度と起こらないように祈念するための慰霊堂は1930年(昭和5年)に、復興記念館は1931年(昭和6年)に完成した。
その後、第二次世界大戦での東京大空襲で7万7000人あまりが死亡した。戦後各地に仮埋葬された身元不明の遺骨を納骨堂に改葬した。戦災者整葬事業が完了した1951年に「東京都慰霊堂」と改称した。

豬・拷繧ィ繝ェ繧「051_convert_20090620192516 東京都慰霊堂・本堂と三重塔

横網町公園の一角には東京大空襲における焼夷弾の攻撃によって溶けた大砲や、鉄の塊が幾つか展示されていた。この展示品は、人々を襲った火災の規模がいかに凄まじいものであるかを示している。

「超巨大な火災旋風が至る所で発生し、橋や建物に炎が火龍の如く流れ込み、焼死する人や、炎に酸素を奪われ窒息死する人も多かった。また、川に逃げ込んだものの、水温が低く凍死する人も多く、翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていたという。」と記されている。

厩橋から雷門
公園を出て清澄通りを厩橋方面進む。厩橋を渡る。隅田川には遊覧船がひっきりなしに行き来する。浅草から浜離宮、日の出桟橋を巡る隅田川の川下りの船だ。浅草駅の近くの船着場は人で溢れていた。天気もよく、海風は気持ちよさそうだ。

途中で昼食をとり、雷門の前で記念撮影をして、スタート地点であり、ゴールでもある隅田公園には、到着の受付開始時間である13時丁度に到着した。今日は気温が28度位まで上がったようだが、川沿いを歩いていたということもあるのだろうか、それ程暑さを感ぜずに歩くことが出来た。

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ももバーにて

6月19日(金)
2ケ月1度定例で行われている「ももの木」の飲み会、ももバーに出かけた。ももバーは、患者同士が、お酒でも飲みながらざっくばらんに、気楽に自分の抱えている問題などを話し合える場所だ。

最初は1ケ月一度行われていた。場所もその度に探していたが、今は2ケ月一度新宿3丁目の『楽屋』という喫茶店で18時から2、3時間位の目処で行っている。元患者の人の知り合いが店をやっているので、かなり融通を利かせてくれる。

というよりも新宿3丁目の駅から3、4分という便利な所にありながら、裏通りで入り口が狭く目立ちにくいということあって、座席は30人分位あるが、なじみ客以外めったに来ない。だから仮にももバーで、2、3時間席を占拠していたとしても全く困ることないといった感じだ。

場所は新宿三丁目駅から、明治通りを一つ中に入った通りにある。狭い通りの10メートル程先の右側に見える赤いちょうちんが喫茶『楽屋』の入口となる。この店は、その名の通り寄席の「新宿末廣亭」楽屋が前身で、創業は昭和33年、50年以上の歴史ある純喫茶だ。末広亭の真後ろという位置にある。

ドアを開けると即、階段。上っていくとそこに広がるのは、懐かしい昭和の正統派の喫茶店で店内は昔懐かしい雰囲気を感じさせる。昔から店をやっている70歳近くの女将が1人で店を切り盛りしている。彼女の母親が店をやっていて、それを引き継いでやっているという。

ここの壁に貼ってあるメニューの文字は、全てが寄席文字で書かれている。これは寄席文字の大家である橘右近と橘左近の両氏が書いたものだそうだ。 また、喫茶店としては非常にめずらしい蕎麦やうどん、餅が食べられる。ももバーが始まるのが18時からだから、お腹を空かした人には丁度いい。

ももバーといっても患者や元患者が多い関係上、お酒を飲む人は限られている。そういう人は名物の「つづみ」というそばを食べればいい。「たぬき」のことを「狸の腹鼓」をもじって「つづみ」と言っているそうだ。

このように、「モモバー」ではある人は酒を飲み、ある人はそばを食うなど、勝手に注文して話を始めていく。参加人数も多い時もあるが通常7、8人で話しやすいし、田中医師がいることで、普段主治医になかなか聞けない病気の悩み、治療への疑問など色々相談も出来る。

今日の話題は田中医師のある提案からの論議となった。彼はずっと患者学というものを、当然のことながら患者の立場から考え、患者が自立し医師と対等の立場で発言していくそういった運動を作っていこうとして各地で患者会を作り、その運動を援助してきた。

今日の話は、突然視点を変えてみようと思ったということから始まった。患者-家族-医者の三者の関係の中で、患者と家族の動きについては一定の方向性が見えてきている。問題は医者をどうして行くのかという所にあると、発想を変えてみたという。

医者は、一般的には、難しい勉強をして、中学、高校、大学をエリートとして長い間過ごして来た結果、世間一般の問題意識とはずれている所がある。医学的知識は豊富でも人間関係の作り方、他者とのコニューニュケーションの訓練を受けていない。またそういった事を必要としてこなかった。その結果、患者との関係は、即物的に対応しがちである。こういった医者の現状が患者の要望、欲求、苦悩に対して、真摯に話を聞いたり相談にのったりする関係の形成を妨げている。

3分間診療ということがよく言われている。1,2時間待たされて、診察室に入ると、医者は患者の顔を見ることもなく、パソコンのデーターを見ながら、幾つかの指示をして診療は終わる。その間3分という訳だ。

確かに診療報酬の金額にも問題がある。1人診断して医者が受け取る金額は、再診料700円を下回る。昨日行った骨髄穿刺(マルク)で医者が受け取る技術料は100円だそうだ。もちろん医者は診療報酬が安いからなおざりにするわけではない。こういったシステムで動いている厚生労働省指導下の病院という機構に問題があるのだろうと思う。

医師不足が言われていて、医者の過重労働の実態が色々と報道されている。確かに患者が集中する部門や、地方と中央の格差など、医者の労働条件の悪化が進行しているのは確かだが、多くの医者は決して、長時間労働だから大変だとは思っていない。むしろやりがいを感じて仕事をしている人が多いのも確かだ。

医者が時には患者の声に耳を傾けるそういった場を補償できるような体制が必要であり、それは医者の意識を変えていくほかない。患者は自ら様々な工夫を重ねながら、同じ病気の人とたちと交流を持ち、家族間の繋がりを作ってきた。そしていかに医者との良好な関係を形成できるか色々模索してきている。そういったものとして、医者の現状を分析し、医者の変革を目指す所から、患者学に今までとは違った視点で迫ってみたい。

こういった田中医師の提案を受けて、患者と医者の関係をどうしていくのかについて、参加者が様々な意見を言い合った。今日の話はこの議題に集中してしまって他の話しは出来なかったが、色々考えなければならない問題を含んでいることを実感した。

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骨髄穿刺(マルク)・X線画像診断

6月18日(木)
今まで使用してきた薬が効かなくなり、新たな治療方針を見出していかなければならない。そのために、骨髄穿刺(マルク)をする事になり、病院に出かけた。ずっとIgM値で病状の進行を見守って来たが、今回、骨髄液の内容を見ながら、治療方針の検討をするというものだ。

マルクをやるのは久しぶりだ。2006年10月に2回目の移植をして、その結果を見るため11月の初めにやったきりだ。どの程度の痛みだったか忘れてしまった。しかし、その頃、帯状疱疹神経痛の痛みを抑えるため神経ブロックを毎日のようにやっていたので、その治療の痛みに比べればたいした事はなかった気がしていた。麻酔をし、陽骨から骨髄までマルク針を差し込み、骨髄液を吸引する。時間は10分位で、いつ採取したのか分らないうちに終わった。

医者が陽骨に針を押し込みながら言った「骨が柔らかくて、針が立たない」と。骨粗しょう症がそんなに進んでいるのか、そんなにも骨に影響が出ているのだろうか、むしろそちらの方が心配だ。最初の診断時骨病変は見られないと言われていたし、その後骨密度などを測って欲しいといっても対応してくれなかったので大丈夫だと思っていた。また骨痛などの自覚症状は全くなかったので心配はしていなかった。それが突然骨に問題があると言われても驚くだけだ。

ともかく骨病変の検査をしようということで、単純X線検査による画像診断を行ってもらう事にした。このレントゲン検査は主に頭蓋骨や、脊椎骨、骨盤などの体幹骨を中心に行われる。全身骨のX線所見は、4段階(0:正常、1:骨粗しょう症、2:骨融解像、3:多発性骨融解病変)に分類される。

多発性骨髄腫の文献で頭蓋骨の抜き打ち像をよく見るが、これは骨髄腫細胞が骨芽細胞の作用を抑圧することから、骨融解を来した病変部分において骨形成が生じないことによるものだということであるが、自分の頭蓋骨は大丈夫だろうかと思ってしまう。

レントゲン室では20数枚の写真を取られた。頭蓋骨から始まり、鎖骨、肩甲骨、胸骨、肋骨、上腕骨、大腿骨、脊椎、腰椎、骨盤など立ったり、寝たりしながら次々と全身の骨をくまなく前後左右から撮影された。来週の検査報告でどういった結果が出るだろうか。

ただ、単純X線検査では、骨破壊が高度な部分しか検出できず、初期の骨病変や腫瘍性病変についての検出感度は低いということで、厳密にするにはさらにCT、MRI、PETなどの検査が必要となるだろう。ただ、骨病変があったとしても、どの道今続けているゾメタの点滴を続けていく以外に方法はない。その点の治療方針の変更はないだろう。

新たな治療方針の策定、効果的薬の選択、骨病変があればその対応など色々問題が出てきている。中々一筋縄ではいかない病気だ。

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郵政民営化に反対した議員の訪問

6月16日(火)
 しばらく前に、小林興起の訪問があった。彼の選挙区であるこの地域の家を衆議院選挙でのお願いに1軒、1軒回っているのだ。留守宅にはチラシを入れ、在宅していれば直接選挙での投票のお願いをするわけだ。ポスターを貼らしてくれという事も含まれている。彼は、元自民党議員で、郵政民営化に反対し、2005年の郵政選挙で、小池百合子を刺客として送られ衆議院選を新党日本で闘い落選した。その後国民新党に所属するが離党。

彼は選挙向けのチラシの中で「郵政民営化は、郵便貯金や簡易保険の350兆円の資金をアメリカ資本に売り渡そうとしたものであり、小泉・竹中路線は米国“年次改革要望書”に従い、アメリカ資本に対する日本の市場の規制緩和を押し進めたものであって、これに反対してきた」などと書いている。

しかし彼は2002年には小泉内閣で財務省副大臣を務め、自由民主党国会対策委員会副委員長という要職にありながら、党の中で小泉路線の問題点についてどこまで指摘できていたのだろうか。2005年の郵政選挙の時に、郵政民営化の本当の狙いを誰が明確に提起したのだろうか。

 今は誰でも小泉のやってきた構造改革、新自由主義に対して「負の遺産」という言葉で批判している。当初は見えなかった政策の矛盾が今になってほころび始め、その政策がどういった結果を国民にもたらしたか明らかになってきている。麻生ですら郵政民営化には当初反対だったと言っている位だ。

確かに小泉劇場の名の下に展開されたパフォーマンスにマスコミも民衆も踊らされ、「改革に反対するのか」の一言で内容なしに反対派を切捨て、その中身を問うことなく雰囲気だけで、多くの民衆が小泉政権に大量の票を渡してしまったのは事実だ。

そして今その付けが回ってきている。社会福祉費の削減によって、医療制度の改悪、障害者自立支援法、後期高齢者医療制度、母子加算の廃止、生活保護支給の制限が進行し、規制緩和、市場原理主義は大量の派遣労働者生み出し、どん底の生活を強制してきている。今になって、誰もが小泉改革のまやかしに気がついて来ている。

 こういった国民の心情に便乗するかのように、小林興起は、当初から小泉改革のまやかしを指摘し、それに対して自分は闘って来たかのように宣伝して票を得ようとしている。それがどうも気に入らない。

訪ねてきた小林興起に聞いて見た。政権の中枢にいて何故もっと小泉路線の問題点に切り込めなかったのかと。彼は「竹中はアメリカの手先だから外すようにとは何回も進言したがその意見は通らなかった。郵政選挙は政策の是非を語る選挙ではなかった。郵政民営化の本当の内容を巡る争いではなかった。マスコミを扇動しながら、改革反対論者と一方的に決めつけられた中で選挙を戦わざるを得なかった。」と言った。

確かにそういった面もあるだろう。マスコミの責任は重大である。大部分の人はマスコミの扇動に踊らされ、それに従って動いてしまう。間もなく始まるであろう今回の衆議院選挙では、しっかりと自分の考えをもって何がこの国に必要なのかを考えて行動しよう。

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MMさんぽ会

6月13日(土)
日本骨髄腫患者の会のメーリングリストに池田さんから「MMさんぽ会」の呼びかけがあった。歩く機会は何でも利用して少しでも体を動かすことに専念したい。今横浜では「横浜開港150周年記念」のイベントがみなとみらいを中心に色々な場所で開かれている。その雰囲気を知るのも楽しい企画だと思う。

9時半ごろ着いたので駅周辺を見て回った。駅前には花壇あり、様々な花が咲き乱れている。花に水をあげている人がいる。かなり管理と整備が行き届いている感じだ。上を見上げるとランドマークタワーをはじめ高層ビルが林立している。

・ュ・ュ縺輔s縺ス莨・01_convert_20090614000358 ランドマークタワーと日石横浜ビル

10時桜木町駅改札口を出で左へ行った所のインフォメーションセンター待ち合わせということだったが、右の目の前の所にインフォメーションセンターがあったのでそこだと思って待っていたが一向に人が来ない。5分前になって場所が違うなと思って左側にもインフォメーションセンターがあるのではないかと歩き始めたら、池田さんが間違っている人がいるのではないかと探しに来たので、皆のいる所に向かった。

当日参加者は13名、昼食にのみ参加する人が2名ということだった。関東は既に梅雨入りして天候が心配だったが、雨が降ることもなく、曇りだったがかえって気温が上がることもなく散歩には丁度いい気候だった。

横浜開港記念に合わせて「みなとみらい21・タッチdeゲット・MM(みなとみらい)さんぽスタンプラリー」という企画があった。これは、PASMOやSuicaを使って、ポイントを集めるとその場で当たる抽選ができる。また、「たねまるスタンプラリー」という企画もあり、沢山あるスタンプ設置場所でスタンプを押して回り、8つスタンプを集めると抽選で商品があたるというものだ。今日は、こういった場所でパスモでポイントを集めたり、スタンプを押したりしながらみなとみらいの中心地をめぐるというコースを散歩する。

MM(みなとみらい)とMM(多発性骨髄腫)をかけてMMさんぽの会とはネーミングもなかなかしゃれている。

桜木町駅から、「汽車道」という細長い人工島と橋梁とを組み合わせて整備された道をワールトポーターズに向かう。そもそもはこの道はかつての新港埠頭の物資輸送に使われた臨港鉄道の遺構を保存・利用したものだ。汽車道の路面にはそのレール跡が残されている。この汽車道からの見晴らしがいい。ランドマークタワーをはじめとするみなとみらいの高層建築群の織りなす風景を楽しむベストポイントだと思う。

・ュ・ュ縺輔s縺ス莨・12_convert_20090614000504 コスモワールドとコンチネンタルホテル

横浜コスモワールドという遊園地の観覧車は深く印象に残っている。5月に神津島に東海汽船で行った時、その船は横浜経由だったので、横浜港の夜景を眺めることが出来た。ベイブリッジの下を潜り、横浜港に着いた所、この観覧車が23時過ぎだというのに7色の光を発していているのを船の上から見て、真夜中に近いというのに光を発し続けているのに感動したものだ。この観覧車と並んで半円のような形の建物が見える。グランドインターコンチネンタルホテルだ。高層ビルが立ち並ぶ中この建物の形は特別だ。

汽車道を渡りワールドポーターズに着く。ここは約130のSHOPと約40軒のレストランがあり、映画館も併設されている国際派複合商業施設だということだ。この中は回ることなく、スタンプを押し、トイレ休憩ということで、素通りして次の目的地に赤レンガ館に向かう。

途中、橋の中央に差し掛かった時、橋の下のイベント会場で、巨大クモのロボットが動くショウをやるという。1時間1度ということなのだが丁度11時3分前、すぐに始まる。会場に入れば2000円取られる。池田さんが橋の上の只見ポイントを下調べしておいたそうだ。このクモのショウについては全く知らなかったが、横浜の地方紙では良く取り上げられていたそうで、横浜在住の人は見たいと思っていたらしい。

・ュ・ュ縺輔s縺ス莨・18_convert_20090614001148 ロボットクモ

巨大ロボットクモが煙を吐きながら、脚を上下に動かしながら、進む様は迫力があって、大人でも面白いが子供だったら感動的しただろう見世物であった。橋の上からはその全景が見え、かえって会場で見るよりもロボットの全ての動きが把握出来て、良かったと思う。

赤レンガ館に隣接して「開国、開港の街」というイベント会場がある。そこでスタンプが押せるので入場した。開港5ケ国、5都市常設展示ということで、5都市の物産展が開かれていて、地元の名産品が売られている。

・ュ・ュ縺輔s縺ス莨・23_convert_20090614000554 赤レンガ倉庫1号館

興味ある品物もあったが、その会場の隣にある象の鼻パークで1時間の休憩があるので、その間に赤レンガ館の見学や、物産展での買い物などをすればいいということで、公園に向かった。そこでビニールシートを敷いて、ゆったりと休息タイムに入る。患者に配慮した企画だ。ここのパークは何と6月2日にオープンしたという出来立ての所だ。

しかし半数以上に人が、物産展に買い物に行ったり、近辺の散策に出かけた。私はももの木で知り合ったI氏と一緒に「象の鼻」という堤防に行った。この堤防は、安政5年(1858年)に米、蘭、露、英、仏と修好通商条約が結ばれ、翌年横浜港が開港すると、港には東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の二つの波止場が作られ、その東波止場が時代とともに少しずつ形を変え、現在の象の鼻の原型となったという歴史的な建造物だそうだ。堤防が湾曲していて、先に出っ張りがあり、これが象の鼻に見える。この湾曲が波を防ぎ荷役作業に効果的だったということだ。

・ュ・ュ縺輔s縺ス莨・35_convert_20090614001047 象の鼻とみなとみらいの高層ビル

象の鼻から戻る時に、神奈川県庁や横浜税関の古い建物を見ながら、新しさの中にも古い文化を保存しようとしている横浜の現状を改めて認識した。象の鼻パークに戻り、休憩組みと合流する。池田さんがおやつとして焼き菓子を配ってくれた。ちゃんとした入れ物に入っていたのでフランス洋菓子の有名店で買ってきたのだろうと思って食べた。実際には池田さんの手作りだということでびっくりした。この味だったら、洋菓子屋で売っても十分通用する。

・ュ・ュ縺輔s縺ス莨・36_convert_20090614000723 神奈川県庁

その後皆で集合写真を撮って食事の場所に向かう。中区民活動センターなどという少し外れたところでもスタンプが押せるというのでそこにより、昼食場所の馬車道方面に歩いていく。昼食場所は焼きそばで有名な「梅蘭」関内店という所だった。歩いて、体を動かして、お腹をすかしてのビールと食事は最高の美味である。ここの焼きそばは以前テレビ番組で見たことがあって一度は食べたいと思っていたが、こんな所で実現するとは思っても見なかった。

Sさんが象の鼻パークで撮った集合写真を近くのコンビニで早速現像し、その写真を全員にお土産として配ってくれた。大体この手の写真は何ヶ月もの後に運が良ければもらえるという代物なのだが、当日に貰えるということは、なんとも嬉しいことだ。

食事でも色々会話が弾んだ。また散歩の間も並んで歩きながら、隣の人と色々会話をした。そういった中で、それなりにお互いを知る事が出来、患者の抱える色々な問題を共有化することが出来た。日本骨髄腫患者の会のイベントは幾つかある。ブロック会やセミナーなどに行っても知り合いが中々いないので、終わったらそのまま帰ってしまう。

色々なところで懇親会が行われているが、やはり患者同士の会話は患者がどう生きていくかを考える意味で重要な要素となるのだろう。患者交流会の必要性もあるが、今日のような散歩をしながらの話の方が、ざっくばらんに本音が語れるような気がする。

一つの企画をするのは大変な労力を必要とする。臍帯血移植をし、職場復帰をし、忙しい中、このMMさんぽ会を企画してくれた池田さんには感謝の気持ちで一杯だ。

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講演会 「抗がん剤無料化-韓国患者に学ぶ」

6月12日(金)
東大医科学研究所付属病院で、Pt Support主催の第1回講演会-患者自らの活動と工夫-「抗がん剤無料化-韓国患者に学ぶ」という講演会が行われた。

Pt Supportは、患者自らの思いを実現させるために「自ら活動し、工夫していく」ための患者活動を応援することを目的とし、事務局を医科学研究所先端医療社会コミュニュケーションシステム社会連携研究部門内に設置し、今年から活動を始めた組織だと紹介されていた。第1回講演会では韓国から2人の講師を招き、韓国での患者会運動の現状を報告してもらった。

集会はまず主催者代表として田中祐次医師よりの挨拶から始まった。講演は5人の講師の話で構成されている。大谷貴子(NPO全国骨髄バンク推進連絡協議会会長)、田村英二(いずみの会:慢性骨髄白血病患者・家族の会代表)、野村秀昭(フェニックスクラブ事務局、CMLの会代表)、姜柱成・KANG GOO SUNG(患友会元代表)、崔鐘燮・CHOI JONG SUB(ル・山友会代表)である。

この講演者たちの話の中心は高額なグリベックをどうして行くのか、或いはどう扱っていったのかということである。日本においてグリベックは2001年の承認以降CMLの第一選択薬として、多くの患者にとって不可欠な存在になっている。

7年生存率86%という高い効果が統計上出ている。しかし非常に高価な薬剤であるため、例え保険が適用されていても医療費の患者自己負担額は生じてくる。

姜柱成氏の話が非常に興味深かった。彼は1999年慢性骨髄性白血病(CML)を発症、同種移植を受ける。2001年にCML患友会の代表、グリベック患者非常事態対策委員会の代表をしてきた。

韓国でのグリベックを巡る闘いは最初グリベックの認可を求めてであった。次にはグリベック価格の問題だった。日本円にすると、通常1日4錠服用するので9,430円となる。1ケ月で28万2900円、1年で399万4800円となりとても普通の経済状態の人が使用できる金額ではない。

保険適用と薬価値下げと個人負担金の値下げと薬価制度に対する改善要求を加え闘争に突入した。国家人権委員会を占拠し篭城。ノバルティス社占拠篭城-警察による強制解散。それによって篭城団解散したがその闘い中で次のような結論を得た。

解散とともに得た結果
-グリベックに関して、小児をはじめ患者全体に保険を適用
-患者本人の負担金10%値下げ(30%→20%)
-患者の薬価20%中10%をノバルティス社が払い戻しとして負担。患者は一割負担となる。

「我々の闘いは、単純に薬価との闘いではなく患者の権利と命のための闘いであった。健康と医療の問題が持つ公共性に対する社会認識を成熟させ、全患者の権利意識を成熟させた事に意義がある。健康の問題が個人の問題ではなく権利として認識すべきだ。市民と患者の力で健康になる権利を獲得しよう。」

この発言には日本人が思いつかなかった発想がある。「健康とは権利である」国家は人の権利を極力押さえ込もうとする。権利は黙っていて与えられるものではない。歴史の中でかって人民は国家の圧制に対して血を流しながら自らの権利を勝ち取ってきたのだ。

健康を維持する、適切な医療を受けることが出来る、これは人間としての権利なのだ。それが今日本では社会福祉費年間2200億円削減という方針が恥ずかしげもなく、まかり通って来たのだ。さすが今年は選挙もあるので、そのような額の削減は出来なかったようだが、これに対して、どのような闘いが取り組まれただろうか。薬価の問題で厚労省と徹底議論を交わしたことがあるだろうか。権利は闘いの中で獲得できるものである。それを韓国の患者会は明確に示してくれた。

さらに姜柱成氏は続ける。ノバルティスを占拠していた時に社長からの提案があった。「薬価は製薬会社の価格通りで、患者負担金3割は製薬会社で払う、患者は無料で薬を使用できる。」これに対し一晩考えて結論を出した。高い薬の7割は政府が払う事になる。即ち税金ということになる。患者運動が、患者の利己主義になってはならない。提案は拒否しあくまでも薬価の引き下げを求めていった。

市民の共感を得られない闘いは敗北する。共通の利害を追求してこそ、患者運動は市民と共に要求の実現を勝ち取ることが出来る、といったことを強調した。

日本のグリベックを巡る対応は、大分違うがそこには創意工夫が見られる。日本の保険制度の下では医療費は幾らかかったとしても高額医療費制度があり、国民健康保険だと最初の3ケ月は患者負担が8万円だが、4ケ月目からは4万4千円となる。しかしCMLは治ることはない。一生続く毎月の定期的な出費は限りない患者の経済的或いは心理的負担になっている。

ある飲食店の店主が、不況で客足が途絶え、仕入れの金の工面も難しくなり、グリベックスに払う金が払えない状態になった。病状が安定しているから大丈夫だろうと3ケ月ほど服用を中止していた。突然急性転化し、病院に担ぎ込まれた。どうにか回復したが、こういった薬なのだ。

いずみの会の患者同士の話の「病院にこまめに通って検査しなくてもいい患者にはグリベックを長期に処方してもらったらどうか。」ということで、最初は公的規制を考えたが、医療機関によって運用は判断されている現状を考え患者から担当医に「3ケ月処方にして欲しい」旨の依頼をする事にした。そうなれば3ケ月に1度4万4千円払えばいい事になる。

引き受けてくれる医者もいるが、駄目な場合もある。そういった方法があることを考えてもいない人も多かった。CMLの患者にこの情報を流し担当医に頼んで、試してみることを進めていきたい。

CMLの会は署名運動を始めている。〈CMLを「高額長期疾病(特定疾病)にかかる高額医療費支給の特例」対象に指定していただくように求める〉というものだ。現在3疾病(血友病、HIV、人工透析の腎臓病)に加えて、CMLを特定疾病に追加してもらいたいという要望の署名だ。高額長期疾病の自己負担限度額は、外来・入院ごとに同一月・同一医療機関で適用され、一部負担金は、10,000円となる。この特例が適用されれば患者の負担は大幅に軽減される

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都立庭園美術館

6月12日(金)
5月28日の時の検診でサリドマイドの服用を200mgにしたため、28日分処方してもらった薬は2週間でなくなったので、また病院に取りに行かなければならなかった。病院から白金台まで南北線で一本なので早めに出て、夜の講演会の前に庭園美術館に寄ろうと思った。

18時から、白金台の東大医科学研究所付属病院で行なわれる、Pt Support主催の第1回講演会-患者自らの活動と工夫「抗がん剤無料化-韓国患者に学ぶ」という催しに出席する予定だった。その前に行きたいと思っていた都立庭園美術館にいく事にしたのだ。

医科学研究所は自然教育園と隣接しており、その隣が庭園美術館だ。医科学研究所は「ものの木」の交流会で何度か行った事があり、駅の表示で庭園美術館の名を見るたびに折角ここまで来たのだからと思っていたが中々行く機会がなかった。

自然教育園は17時閉館ということで、時間前だったがもう門を閉じていた。庭園美術館は18時までだったのでまだ講演の時間まで1時間以上ある。当日の展示品は「エルミタージュ美術館所蔵・エカテリーナ2世の4大ディナーセット展」というものだった。特に興味がなかったので、庭園を巡ることにした。美術館の経緯についてはホームページに以下のように書かれていた。

美術館ホームページ:東京都庭園美術館は朝香宮邸として1933年(昭和8年) に建てられた建物を、そのまま美術館として公開したものです。戦後の一時期、外務大臣・首相公邸、国の迎賓館などとして使われてきました。 この建物は1920年代から1930年代にかけてヨーロッパの装飾美術を席巻したアール・デコ様式を 現在に伝えるものです。建物自体が美術品といえます。

最初に美術館の正面に到着して、その横が庭園入口になっている。美術館を外からいろいろ見て回ったがアール・デコの様式は感じられなかった。やはり内装に凝った作りが施されているのだろう。いい展示物がかかった時に展示品と同時に内装を楽しむ事にしよう。

驛ス遶狗セ主コュ蝨定。馴、ィ002_convert_20090613200317 美術館

庭園に入ると最初に芝生広場がある。その奥に6つの彫刻が並んでいる。4つがブロンズで、白大理石と黒御影石のものである。その中で特に目を引いたのが白大理石で作られた安田 侃(かん)作の「風」という彫刻だった。芝の上にそよそよと吹き注ぐ優しい空気の流れを感じさせる作品だった。

驛ス遶狗セ主コュ蝨定。馴、ィ026_convert_20090613200633 風

その明るい芝生広場を少し下ると趣はがらっと変わる。日本庭園となる。中央に池をしつらえ古い建物を何処かからか移築してきたのか古色蒼然たる茶室があり日本庭園の趣を深遠なものにしている。また池を取り囲む木々もモミジ、梅、金木犀、紫陽花などが植えられ、日本庭園の雰囲気を深めている。

驛ス遶狗セ主コュ蝨定。馴、ィ011_convert_20090613200427 日本庭園・茶室「光華」

そこから林の中をしばらく歩くと今度は西洋庭園があり、芝生が広がり、中央にはテーブルと椅子が並んでいて、ゆったりと本でも読むのにいい雰囲気だ。この庭園は桜の木々に取り囲まれていてその季節でないとあまり見所はない。ただ回りにはバラやボタン、芍薬、紫陽花などが植えられている。

驛ス遶狗セ主コュ蝨定。馴、ィ016_convert_20090613200523 西洋庭園

狭い中に、色々な要素を詰め込んだ感じがしないでもないが絵や美術品を見た後にゆったりと散策するのもまた一興だろう。庭園を40分位まわり、講演会場に向かった。

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赤血球と貧血・疲労

6月12日(金)
疲労の状態については何度か言及した。もう移植時の大量抗がん剤の影響による体力消耗は回復したと思う。しかし、原発性マクログロブリン血症という病気の特性としての貧血があり、それが疲労の原因だと書かれている。ひたすら続く抗がん剤の投与による影響もあるのだろう。

未だ、疲労感はある。一旦動きだすとハイキングでもウォーキングでも1日休んだりしながらでも動き続けることが出来るが、家にいるとしばらく動き続けると休みたくなってしまう。又少し激しく動くと息が切れてしまい、走ったり、急坂や急な階段を上ると息が激しくなり、しばらくは立ち止まって息を整えなければなければならない。

原因は貧血にある.即ち赤血球にあるということだ。昨日の定期検診報告で赤血球に関するデーターを掲載したがその内容について触れてみたい。

日本骨髄腫の会の翻訳チームが紹介している翻訳文の中に「貧血と疲労の理解」(Understanding Anemia and Fatigue)という文献があった。そこから少し引用する。

「多発性骨髄腫患者では貧血は非常に多い症状のひとつですが、実際、診断時には少なくとも60%~70%の患者に貧血が見られます。また貧血を原因とするもの或いは化学療法などによる疲労が非常に多く見られ、その患者の割合は90%~100%に上ると推定されています。 

多発性骨髄腫患者に貧血が生じる理由は、骨髄中の形質細胞が正常よりも急激に成長し、その数を増やし骨髄中に腫瘍を形成するからです。この腫瘍が骨髄の造血機能を妨げることによって、赤血球(RBC)が不足する結果となります。このように赤血球が不足する状態が貧血として知られています。多発性骨髄腫による疲労は、貧血が基になって生じます。通常の活動能力への障害が続くことが、がん性疲労が通常の疲労と異なる点です。」

赤血球関連数値
RBC・赤血球数  基準値425~540
344(6/11)←320(4/1)←354(1/21)
HCT・ヘマクリット値・血液中に占める赤血球の全容積  基準値40~48%
35.3(6/11)←33.5(4/1)←36.2(1/21)
HGB・ヘモグロビン  基準値13~16
10.9(6/11)←10.5(4/1)←11.7(1/21)
網状赤血球・造血能の指標  基準値5~20
15(6/11)←12(4/1)←13(1/21)

MCV・平均赤血球容積  基準値80~100
103(6/11)←105(4/1)←102(1/21)
 赤血球のサイズ
  大球性(101以上) - 赤血球が通常よりも大きい。赤血球の分化に異常があることを示唆する
  正球性 (80~100)- 通常のサイズ
  小球性 (80以下)- 通常よりも小さい。赤血球を作るための材料が不足していることを示唆する

MCH・平均赤血球血色素量 基準値28~32
31.7(6/11)←32.8(4/1)←33.1(1/21) 
  28以上 正色素性貧血
  28以下 低色素性貧血

MCHC・平均赤血球血色素濃度  基準値31~36
30・9(6/11)←31.3(4/1)←32.3(1/21)
 ヘモグロビン濃度
  正色素性(31以上)- 通常の濃度で含まれている
  低色素性(31以下)- ヘモグロビン量が少ない。ヘモグロビンの産生に障害のあることを示唆する。

貧血の治療の第一は輸血である。ヘモグロビンの減少を基準に輸血の必要性を判断する。。日本赤十字社医療センターの統計では、52%が10g/hd以下で行っている。輸血は貧血を緊急に治す必要があるあると時に効果的だが、その効果は数週間しか続かない。造血幹細胞機能が衰え、自己再生能力持たない場合、輸血を繰り返さなければならないという問題がある。

その外にエリスロポエチン製剤がある。これら薬は赤血球増殖を刺激するもので、多発性骨髄腫を含む、さまざまな疾患によって引き起こされる貧血を治療するために使用されている。また鉄分補給剤なども補助的に投与される。

貧血の原因は出血、溶血、鉄欠乏、ビタミンB12欠乏などがあってその鑑別が必要だが、WMの貧血は、形質細胞腫瘍の増加によって、骨髄中の赤血球の賛成が妨げられると解説にあるように、形質細胞腫瘍の増加を抑える治療を行わない限り、改善しない問題だろう。

今IgMは1456あるが、また形質細胞腫瘍の量は来週のマルクで分ると思うが、この量でも貧血・疲労が生じるのだろうか。入院した頃IgMが7000~9000あり、ヘモクロビンの量は一貫して入院前から9.0~9.5の間だった。それでも疲労感はなかった。

赤血球関連数値を見ると、赤血球やヘモグロビンが少ないので貧血にはちがいないが、赤血球の容積は若干多いが、血色素量や、血色素濃度は基準値となっている。貧血の種類としては大球性正色素性貧血と分類されるのだが、だからといって疲労感の原因はよく分らない。この分類は病的貧血の治療のための分析には役に立つとは思うが、原因が「がん性疲労」である現状ではどのように活用できるのだろうか。

形質細胞腫瘍や長年の抗がん剤治療が、骨髄の造血幹細胞の産生機能にダメージを与えているのだろう。数値はそれなりにあっても力が弱くなっているのではないかと思う。これからも治療は続く限り疲労感からは解放されないのかもしれない。一時でも休薬して体から薬を流しだせれば少しは変わるのだろうが、そうもいかない。

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定期検診の日

6月11日(木)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果 
 IgM   1456←1272←1170←1078
 白血球   1.2←2.6←1.5
 血小板   12.4←10.8←15.0
 ヘモグロビン 10.9←10.7←10.2
 
 RBC 344  HCT 35.3  MCV 103  MCH 31.7 MCHC 30.9


サリドマイド100mgを200mgに増量し、2週間3種併合療法を続けたが全く効果見られなかった。今まで2週間に100ずつ増加していたIgMが今回は200増加している。もはやこの3種併合療法は限界に来ていると判断せざるを得ない。

しかし次にどういった療法を選択することが出来るのか。確かに様々な組み合わせがある。しかし問題は白血球の減少にある。これ以上白血球を減らすことは出来ない。すると使用する薬はかなり制限されてくる。サリドマイド+MPやサリドマイド+VADなど通常だったら選択の範囲なのだが、メルファランやアドリアシン(一般名塩酸ドキソルビシン)が強い骨髄抑制の作用をするので使用できない。

もっともサリドマイド自体も白血球を減少させる。「海外では3~15%の頻度と報告されていますが、日本人では40%、重度の白血球減少は10%とも報告されています」と骨髄腫患者の会の資料には書かれている。サリドマイドを200mgにしたら、2.6の白血球が1.2になったのは、関係があるとも言える。しかし医者としてはサリドマイドはそのままで組み合わせで調整しようとしているようだ。

結局今日の所は、サリドマイドを100mgに戻し、ビンクリスチン(商品名オンコビン)の点滴を行った。デカドロンは今まで通り40mg月4日服用する。つまりサリドマイド+VADの変形だ。これ以降の方針は、来週18日に骨髄穿刺(マルク)をやって、形質細胞の状態を見て考えるということになった。CD20が発現していればリツキシマブ(商品名リツキサン)を使用する。ともかく医者の方で色々考えて18日までに次の方針を出してくるということになった。

「多発性骨髄腫のサリドマイド療法」(日本骨髄腫患者の会編)には次のような表が掲載されていた。「Guideline Thalidomide in Multiple Myeloma : Current Status and Future Prospects 」より

HYPER-CDT: サリドマイド、シクロフォスファミド、デキサメサゾン-奏効率86%
TCED: サリドマイド、シクロフォスファミド、エドポシド、デキサメサゾン-奏効率78%
TCD: pulsedサリドマイド、シクロフォスファミド、デキサメサゾン -奏効率50%
TVAD: サリドマイド、ビンクリスチン、アドリアマイシン、デキサメサゾン-奏効率100%
MPT: サリドマイド、メルファラン、プレドニゾロン-奏効率38%
BLT-D: 低容量サリドマイド、デキサメサゾン、クラリスロマイシン-奏効率93%


色々あるが、白血球が少ないので使えない薬があるということは手痛いことだ。しばらく休薬すれば白血球は回復するだろうが、その間にもIgMが増加するだろう。休薬している場合ではないということがつらい所だ。リツキシマブが使えなかったら、ベルケード位しか考えられない。止むを得ない選択となるだろうが、この薬の効き目も半年と持たないのは分りきっていてしかも選択の幅がないということなのだ。

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堀切菖蒲園

6月10日(水)
小菅に用があって、それが昼頃終わったので、近くに住んでいる元職場の同僚の所に電話してみたら在宅していたので会いに行った。彼の家には、一度行ったことがあるが良く覚えていないので、駅で待ち合わせた。近くのスーパーで昼食にする食料を買い、彼の家に行ってビールを飲みながら歓談した。

彼は3月末に定年退職して、今は失業保険をもらって生活しているが、退職金のことで憤慨していた。以前組合との間で交わされた退職金規定が会社の一方的判断で変えられていて大幅に減額されている。また査定が退職金にまで適用されている。これをどうにかしたいと言っていた。

あれやこれやと既に2人とも辞めてしまった職場についての話を2時間ばかりした。同じ職場で働いていたという共通の経験を持つ人との話しは打てば響くような所があるので話がスムーズに通じて楽しめる。

堀切菖蒲園の菖蒲が見頃だという記事を見た。小菅からだと堀切まで3駅だ。行ってみることにした。東武線の堀切で降りて駅員に聞いたら菖蒲園までは25分位かかると言われた。牛田まで戻って京成線に乗り換え堀切菖蒲園駅で降りた方がいいというので引き返した。

菖蒲園は駅から10分位だ。菖蒲園に行く道は遊歩道になっていて、石畳の道で両側に花壇があり紫陽花が花を咲かせていた。途中天祖神社がありその両側に、堀切十二支神と七福神の石像が並んでいる。中々立派なものだ。

蝣�蛻・叙闥イ蝨・01_convert_20090610194227 堀切十二支神

堀切菖蒲園の名は昔から聞いていたが、行った事はなかった。ここの花菖蒲は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は安藤広重や歌川豊国らの錦絵の題材にもなったという。

蝣�蛻・叙闥イ蝨・37_convert_20090610194500 菖蒲園の入口

菖蒲園は、平日だというのにかなりの人で賑わっていた。アイリス会というボランティア団体が色々と世話を焼いている。それ程広いわけではないが庭園としてまとまっていて,菖蒲の種類の表示も分りやすく観察するにはいい場所だ。三脚を持ったカメラマンは相変わらず登場している。何人かが水彩画を描いている。全体を回っても30分位だ。東屋などもあり、休憩用のベンチも至る所にある。

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バラやつつじもそうだが、菖蒲のネーミングの多種多様さにも感心する。制作した人の思い入れの深さを感じさせるものがある。例えば宇宙といった名まである。王昭君、五宝連、煙夕空、立田川、熊奮迅、夏姿、深窓佳人、仙女の洞など花を見ているより名前を見ている方が面白い。何でこの花にこの名前なんだろうと考えてしまう。

蝣�蛻・叙闥イ蝨・30_convert_20090610195508 宇宙(あおぞら)

黄色の菖蒲もあるがごくわずかで、殆どが紫と白の間の色彩だがその多種多様さには驚いてしまう。一つずつ違った顔があるといった感じで、一輪ずつ個性的な風貌をしているといった感じだ。微妙な模様と色づかいの巧みさを感じさせる。全体の色彩的には単調に思えるが、見飽きることのない様々な種類を堪能できる。

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映画 『HOME』-空から見た地球-

6月9日(火)
WOWOWで『HOME』という映画を放映していた。たまたま見た映画だが、この映画は世界環境デーの2009年6月5日に世界88ケ国で同時公開されたものだ。地球の今を空から見つめるエコ・ドキュメンタリーである。フランス映画。L・ベッソンがプロデュースしている。

生命というこの特別な奇跡が地球上に起こったのは、今からおよそ40億年前、地球上に生命が誕生した。それから長い長い進化の過程を経て、豊かな地球の自然を作り上げてきた。人類が誕生してからは、たった20万年に過ぎない。そして産業革命が始まり、化石燃料による工業化社会に突入してからまだ200年も経っていない。この短い期間に人類は、地球を蹂躙しつ続け、地球のリズムを狂わせてしまった。

この映画の中でカメラは、50を越す世界中の国々を空から見つめていく。世界一透明な湖とされるロシアのバイカル湖の氷の上で漁をする人々。バクテリアによって緑・黄・赤という幻想的な色合いを見せる米国のイエローストーン国立公園の泉。まるで幾何学模様のように並ぶスペインのソーラーパネルなどが映し出される。

この映画は主張する。人類はこの50年間地球を破壊し続けている。化石燃料を無制限に堀続け、使い続け、森林を伐採し続け、こういった人類の営みが自然の循環を破壊し、異常気象を生み出し、地球温暖化をもたらしている。

もしグリーンランドの氷が全て溶けたら海水の水位は7m上昇すると言われている。世界の大都市は、東京もそうだがほとんどが水辺にある。それが全て水没することにある。すでに人類の営みは、自然のサイクルを壊し、多くの生物は絶滅に危機にさらされてる。

映画は空から地球の様々な風景を映し出しながら、その美しさの奥に潜む危険な兆候に対して警鐘を鳴らす。空からの映像が途切れ、ナレーターの声が止まり、黒い背景に白い文字が浮き上がる。その言葉はこの映画を作った人達のメッセージである。

200.jpg・ 世界の人口の20%の人が資源の80%を消費している。
・ 世界は発展途上国の援助の12倍以上の軍事費を使っている。
・ 毎日5000人が汚染された飲み水のため死んでいる。
・ 10億人が安全な水を手に入れることが出来ない。
・ 約10億人が飢えている。
・ 耕地の40%が長い期間の損傷を被っている。
・ 毎年1300万ヘクタールの森が消滅している。
・ 世界の穀物取引の50%以上が家畜の飼料とバイオ燃料に使われている。
・ 4分の1の哺乳類が、8分の1の鳥類が、3分の1の両生類が絶滅の危機に瀕している。種は自然の法則よりも1000倍も早く滅びかけている。
・ 4分の3の漁場は取り尽されているか、危険な衰退の状態にある。
・ 最近の15年間の平均気温はかって記録されたより最も高くなってきている。

『HOME』は多くの人に今の地球の置かれている状態を知ってもらおうと思って、6月5日に世界同時公開を行った。さらに英語版(English with subtitles)だが、YouTubeで見ることが出来る。これは製作者の意図で、オファシャルに公開されている。ただし期間限定で6月14日までだということだ。下記のURLで見ることが出来る。この映画見て地球の未来について考えてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=jqxENMKaeCU

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組合健康保険と厚生年金の利点

6月5日(金)
健康保険制度や年金制度に関しては若い頃はその必要性について全く考えた事もなかった。自分が大きな病気をするなどとは考えもしないし、年をとってからどのように生活をするかなど脳裏の片隅にもなかった。

前の会社に勤め始めた時に最初身分はアルバイトであった。アルバイト仲間で組合を作り、その最初の要求が、厚生年金と健康保険の加入だった。必要性を感じていたわけではなく、身分保障という意味での要求だった。それが、原発性マクログロブリン血症という長期治療と療養を必要とする病気になって、組合健康保険がどれだけ役に立ったかつくづくと思い知らされる事になった。

会社が加入していた健康保険組合は東京屋外広告ディスプレイ健康保険組合という所である。この組合は職種柄、若い人が多く財政的に豊かで、高額医療費補償が25,000円以上となっていて、幾ら医療費がかかっても3,4ケ月後にはそれ以上の支払った金額が戻ってくる。

国民健康保険では約8万円以上が戻るというのに比べてかなり金銭的には楽だ。また1年間の休職期間中は有給や代休の消化ということも含めて給料やボーナスが出ていたが、それ以降1年半は傷病手当金として給料の6割が健康保険組合から支給された。これも国民健康保険だと支給されない。

1年半の給料の6割支給は極めて助かる。入院中でも1ケ月健康保険で医療費、入院費は25,000円しかかからない。病院にいれば生活費はほとんど必要ない。家での療養中も飲みにいくわけでもないし、付き合いで外出するわけでもないのでほとんど出費はない。仕事をしていると、何やかにやと色々出費がかさむ。付き合いもあるし、外食をしなければならない事も多い。仕事をしていない状態で6割あれば十分生活は可能だ。

障害厚生年金という制度がある。国民年金の加入者だと、障害国民年金は1級と2級しかない。1級は両上肢の機能に著しい障害を有するもの、両下肢の機能に著しい障害を有するもの、両眼の矯正視力の和が0.04以下のものなど、2級だと上肢の機能に著しい障害を有するもの、下肢の機能に著しい障害を有するもの、両眼の矯正視力の和が0.05以上0.08以下のものなどが対象となる。

血液ガン関係だと例えば多発性骨髄腫での圧迫骨折などで歩行困難などの症状の人でないと障害国民年金の支給対象とはならない。血液ガンで日常生活を普通におくれ、外来治療をしているような人は当てはまらない。ただ倦怠感や、感染症の恐れだけでは到底支給対象にはならない。

しかし障害厚生年金には3級まであり、かなり広い範囲で適用対象となる。「身体の機能に、労働が著しい制限を受けるか、又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの」とう項目がある。血液ガンで、移植などの大量抗がん剤治療で体力の消耗が続き、又感染症の恐れなどで通常の仕事が出来ない状態もこれにあたるだろう。そういった意味でかなり広い範囲でフォローできる。

老齢年金に関しても、特別支給の老齢厚生年金の報酬比例部分(支払額に応じる)が60歳から支給される。64歳になると老齢基礎年金の定額部分(支払った年数に比例)が加算される。段々と支給年齢が引き上げられていくが。

厚生年金は、会社が本人の支払った額と同額をプラスして社会保険事務所に支払わなければならない。そういった意味で、月々1万4千円を払う国民年金よりもかなりの金額を収める事になるが、その分、支払われる額も多い。

老齢国民年金は65歳からしか支給されないし、満額納めても支払われる金額は7万9千円と決まっている。厚生年金は確かに給料からたっぷりと持っていかれるので、給料明細を見たときはがっかりする事もあるが、60歳を過ぎると年金の有難味がずっしりと感じられる。厚生年金にはそういった意味でかなりの利点がある。

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知らないと損をする公的補償制度

6月4日(木)
公的補償制度について
現在の年金制度や健康保険制度に様々な問題があるのは確かだ。健康保険料が払えなくて医者にもいけない人がこの日本にも何人もいる。国民年金だと満額払ったとしても月々7万9千円しかもらえない。これだと家賃を払ったら、後は生活費でぎりぎりだ。病気になっても医者にかかったり、医療費を払ったりすることは出来ない。

医療と教育と老後の問題にどう対応しているかがその国の文化の状態を示すバロメーターだと言われている。世界で一番幸せを感じているのがデンマークの国民だそうだ。世界178ケ国のデーターの中で日本は90位だという。[ロンドン 28日 ロイター]

英国レスター大学の社会心理学分析の専門家、ホワイト教授が28日発表した研究報告でこのような結果が示された。教授は、幸福感に影響を与える主な要因として、医療制度、裕福度、教育を挙げた。ヨーロッパの多くの国は、高い税金を払っているがそれなりの見返りを得ている。

フランスの音楽教師と旅行先で会ったが、確かにそれ程裕福でないから安い民宿に泊まったり、バックパッカーとして旅行したりしている人もいるが、休暇は3週間あって、東京に行く前に旅行しているということだった。老後の心配をしなくていいから、休暇は思う存分使って旅行などに金を使うことができる。

「60歳を過ぎて仕事をしている人はめったにいない、皆年金で暮している。その方が、若い人の雇用に役に立つ。退職した人はボランティア活動をしている人が多い」などと話していた。もちろんフランスでも移民や外国人労働者などそういった恩恵にはあずかってはいない人も多いのは確かだろう。

労災の障害補償給付
今日の社会保障制度や、公的補償制度について多くの人はその構造や手続きについて知らないことが多い。以前会社の仕事中、什器に挟まれて右手の薬指を第一関節の上から切断したことがあった。その後何年かたって徐々に指は復活して来たが。

治療の最終日にいつもとは違う整形外科の医者が抜糸と消毒を行いながら、労災保険で障害補償給付の申請が出来る、会社から書類を持ってきてくれたら書いてあげると言われた。それまで診てもらった医者からは何も言われなかったし、会社の総務からもその件に関しては何の話もなかった。

そんな制度があることも知らなかった。指示通り会社から書類をもらい医者に書類を書いてもらい、労働基準監督署に書類を提出した。するとしばらくして、労基署専属の医者の診断を受け障害等級が決定され、障害(補償)一時金が支払われた。

この一時金とは、障害等級第8級~第14級の場合に給付基礎日額の503日~50日分の一時金が支給されるという制度によって支払われるものだ。しかし、もし病院の整形外科医が一言かけてくれなかったらそんなことは全く知らず、かなりの金額の一時金をみすみすふいにしてしまった所だった。

何年か前に、やはり社員で電動のこぎりで指を切断した人がいた。その人はそんな制度があるとは知らなかったから当然請求はしていない。かなり昔の話なので、労災の申請時効の5年が過ぎてしまっていた。

また倉庫の棚作りの時に足場から足を踏み外して落ちた常勤のアルバイトの人がいた。骨折はしなかったが打撲で、会社を1ケ月位休んだ。会社は見舞金を彼に渡した。しかし労災の休業補償給付の手続きをしなかった。それに気がついたので、総務に行って書類をもらい彼に渡して医者に行って書いてもらうように指示した。その結果、休んでいる間の給料の6割(+特別支給2割)が支給された。

総務に何故労災の休業補償給付の申請をしないのかと聞いたら、あまり労災申請が多いと、労基署から危険な職場ということで指導が入るということで躊躇したということだった。危険な職場であることは間違いないのだから、きちっと請求して欲しいと念を押しておいた。一般的に会社は労災申請に対しては抵抗を示す例が多いと聞く。

知らないと損をするこの世の中の仕組み

労災での休業補償給付や、傷害補償一時金の請求が出来るという事を総務は知っていながら決してそれを当事者に言わない。療養補償給付(医療費の支払い)だけは怪我をした時に医者に聞かれるから、労災だということを明らかにして書類を出してくれるが、それ以上は何も教えてくれない。

自分で調べて知識を得なければ、貰えるものも不意にしてしまう事になる。公的補償制度に関しては出来るだけ出したくないという行政の意図があるので、中々知る機会がない。

10数年ぶりに会った友人の話だが10年位前、父親ががんで入院し毎月何十万円もの金を払い、今まで貯めた金を全てはたいて治療にあったが、結局死んでしまった。国民健康保険に加入していたそうだが高額医療費給付の事を全く知らなかったので、そのままになってしまっていた。

今からではもう遅いが、きちっと請求していれば、田舎の母親ももっと楽な生活が出来ただろうと残念がっていた。知らないと損をする仕組みがこの世の中には満ち溢れている。

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日和田山ハイキングコース

6月2日(火)
久々にいい天気だった。そろそろ関東も梅雨入りしそうだ。晴れの日の機会を逃すと次ぎまた何時晴れるか分らない。7月になれば今度は暑くてどこかに行くという気分ではなくなる。

奥武蔵野の山にハイキングに行こうと思い立った。なるべく標高差がないなだらかな登りの所がいい。西武線の各駅には、奥武蔵ハイキングマップが置いてある。西武鉄道沿線エリアとして12種類、秩父鉄道沿線エリアとして4種類、奥多摩エリアで1種類ある。

ハイキングマップで一番楽そうなコースである日和田山のマップを選んで列車に乗った。
高麗駅からでも武蔵横手駅からでも行けるが、登りはなるべくなだらかな方がいいので、武蔵横手から行く事にした。

ハイキングコース
武蔵横手駅→五常の滝→土山→北向地蔵→物見山→駒高→高指山→日和田山→金刀比羅神社→高麗本郷→高麗駅


武蔵横手では降りる人も少なかった。電車の中にはリックを持ったハイキング姿の人も何人かいたが、この駅では誰も降りなかった。ということで北向地蔵まで誰にも合うことなく山歩きを楽しむことが出来た。駅から土山という村落までは舗装道路で、山歩きといった雰囲気ではないが、なだらかな登りで、平地のウォーキングと変わらず杉木立の中を川のせせらぎと小鳥の声を聞きながらゆったりと歩くことが出来た。

五常の滝
最初に出会うのが五常の滝である。五常とは、儒教でいう、仁・義・礼・智・信という5つの道徳のことで、そこから名付けられた。南北朝時代、高麗一族の武者がこの滝で身を清め戦場に向かったという伝説がある。

譌・蜥檎伐螻ア014_convert_20090602230530 五常の滝

土山という集落までは舗装道路だが、そこからやっと山道になる。北向地蔵までは土山から20分位だ。地蔵堂に近付くにつれ民謡が聞こえてくる。地蔵堂の側に10人位の年配の男女が車座になって座り、一人が尺八を吹き、皆で民謡を合唱している。

どこかの民謡同好会か何かの人達なのだろう。都会では近所迷惑になるから、大声で歌えないので山に来て歌っているのだろうか。しかし、流れているのが民謡だろうが、歌謡曲だろうが、ポップスだろうが、聴きたい時に聴くのでない限り音というものは騒音であり雑音でしかない。

静かな山の中で風のざわめきと小鳥のさえずりを楽しんでいる時に聞こえてくる民謡は騒音でしかない。ということを歌っている本人たちは全く気付いていないのだろう。むしろ通過している人たちを楽しませてあげている位の気分で歌っているのではないかと思われる。こういったことが近隣トラブルの原因になるのだろうなと思った。

北向地蔵

北向地蔵は、北向きに立っている珍しい地蔵尊で、悪疫を防ぐという。通常仏壇などをどちら向きに安置するのか。仏教ではあまりこだわらないそうだが、一般的に言われるのは「西方浄土」と言って、浄土(仏様の住んでおられるところ)は西の方角にあると言われており、その関係で仏壇を東向きに設置する。また昔から鬼門と言われる、北の方角からの敵から、一家を守ると言うことで南向きに安置する。そういった意味で北向きは珍しいということだ。

譌・蜥檎伐螻ア022_convert_20090602230733 北向地蔵

この北向地蔵が今回のハイキングで一番標高が高い所で380mがある。これ以降は尾根沿いに杉やヒノキの林の中の平坦な道を進む事になる。30分位尾根歩きを続け物見山の山頂に到着する。頂上付近にはベンチが幾つかあり休憩するのにいい。そこから駒高の集落までひたすら下る。駒高は穏やかな雰囲気で静かな村だ。道路の脇に少し高くなった所に休憩所があるが、そこが展望台にもなっていて、秩父連山の山々が眺望できる。

譌・蜥檎伐螻ア032_convert_20090602230810 嫋嫋たる秩父の山並み

日和田山
日和田山の山頂には石塔と石碑がある。標高305mと低いので、逆に町の建物一軒一軒が分るほど見晴らしがいい。さらに少し下った所にある金刀比羅(ことひら)神社からは高麗の里や巾着田が手に取るように見渡せる。

譌・蜥檎伐螻ア040_convert_20090602230854 日和田山山頂

譌・蜥檎伐螻ア048_convert_20090602230940 金刀比羅神社より高麗の里

日和田山の頂上から30分位で高麗本郷まで下って来た。逆のコースで行かなくて良かったと思う。かなりの急坂を物見山から高麗本郷まで下り続けた。これを登るとなるとかなり体力が消耗しただろう。鹿台橋の袂まで来て、巾着田に寄ってみる事にした。いつも何か花が咲いているので、それを期待した。しかし、巾着田には水が張られ稲が植えられていた。

ここも色々な使われ方をするなと思う。周辺の桜の木が咲き、菜の花畑になり、コスモスが一面に咲き誇っていたり、曼珠沙華の赤い絨毯の世界になったり様々に模様替えする。そしてそれ以外の季節は地元のお百姓さんの食い扶持を稼ぎ出さなければならない。

巾着田から、高麗の駅までは15分位だ。途中「水天の碑」という石碑が立っている。これは天保時代に村民が、多発する旱魃、大洪水や水難事故などを鎮めるために建立したものだそうだ。

高麗駅に着いたのが15時15分、武蔵横手を出発したのが、11時15分で、丁度4時間かかった。総歩行距離9.4km、標準歩行時間3時間15分とハイキングマップには記されている。休憩時間、昼食時間を合わせ4時間とは標準的な歩きが出来たという事になるのではないか。ウォーキングからハイキングに徐々に体を慣らし鍛えていこうと思う。

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