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石田衣良 『40・フォーティ・翼ふたたび』

8月29日(土)
41LLdam18QL__SL160_.jpg たまたま家にあった本を読み始めた。石田衣良は『池袋ウエストゲートパーク』で知られているがこの本は読んでいない。読んだ本は『アイ・ラブ・モーツァルト』位だ。

本の帯に「人生終りと思っていたら、40歳が始まりだった」とあった。この言葉は何か身につまされるような言葉だった。病気になり今までの生き方と全く違った生き方を強制される事になった。しかしそれは人生の終りではなかった。挫折の先には希望が見えてくる。

石田衣良の言葉を借りて言えば「一つの人生が終り、新しい別の人生が始まった。今こそが始まりだった」といった感じだ。そういったものとして本を読み始めた。何も新たに人生を始めるのに、40歳である必要はない。50歳だろうが60歳だろうが、全ては気持ちの持ちようだ。

主人公吉松喜一は、会社を辞めて、投げやりな気分でプロデュース業を始めた。プロデュースといっても中身はよろず揉め事相談所といった所だ。それをブログで紹介している。彼の口癖は「あー、やってらんねーな」だ。

彼の元を訪れる40歳前後の依頼者たち。登場するのは凋落したIT長者とAV女優、大学時代の同級生だった出世に生きる2人の銀行員、 17歳から引きこもりを始め40歳になった男、アニメの地球防衛軍の制服を着たおたくの起業家など次々と同世代の人々と、遭遇していく。40代の依頼人たちとの関係の中で彼の人生への見方が変わってくる。

「人生の半分が終わってしまった。それも、いいほうの半分が。」から物語りは始まる。職を失い、家庭もうまくいかず、同僚は末期ガンに侵され・・色々な問題を抱えながら、しかし前向きな気持ちさえあれば新しく始められることが段々と実感として分ってくる。

「おい、40代よ、もう一度頑張ろう」という気持ちの高まりの中で、40歳は人生の折り返し地点、今から再び始める。人生は様々な紆余曲折がある。自ら望まない残酷な運命に翻弄されることもある。しかし、いつでもそこが出発点で、そこから人生を新しく始めればいい。遅すぎることはない。いつでも道は開けている。そういったメーセージをこの本は強く感じさせてくれる。

この本の中には、色々考えさせる含蓄のある言葉が書かれている。それを引用してみる。
「世のなかには、できることよりも、ずっとたくさんのできないことがある。さしてくやしさもなく、素直にそう認められるようになったのだ。自分を突き放し客観的に見ることも、自分を笑うこともできるようになった。 多くの人は、わかりきったことというかもしれないが、喜一にはそれはおおきなことだった。楽に生きられるようになったからである。身にあまる夢をもち続け、自分に過重な期待をかけるのはつらいことだった。」(中略)

「まだ青春のさなかにある人間はいうかもしれない。夢も希望もない人生なんて生きる意味がない だが、それが違うのである。ほんとうは自分のものではない夢や希望によって傷つけられている人間がいかに多いことか。本心では望んでいないものが得られない、そんなバカげた理由で不幸になっている者も、この世界には無数にいるのだ。」(中略)

「余計な荷物を全部捨ててしまっても、人生には残るものがある。それは気もちよく晴れた空や、吹き寄せる風や、大切な人のひと言といった、ごくあたりまえのかんたんなことばかりだ。そうした『かんたん』を頼りに生きていけば、幸せは誰にでも手の届くところにあるはずだ。」」P.162

喜一の職場の同僚の卓巳は、肺がんのⅢA期を宣告された。5年生存率は20%ということだ。卓巳は言う「うちの家系はみんなガンで亡くなっている。きっといつかこんな日が来ると覚悟していた。・・・本当に不思議とショックがないんだよ。生きることは自分で選べるけど、死にかたは選べない。どうしようもない問題にじたばたするの、おれは嫌いなんだ。」P.277

「おれは40歳になったとき、もう終りだと思った。人生の明るくて楽しい半分はもう終わっちまった。それどころか、金もないし、ガンにもなっちまう。でもな、今はこう思う。40歳もそう悪くない。まだまだこれからだって。みんなもいっしょに歩こう。40歳から始めよう。」P.377
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

映画 『休暇』

8月25日(火)
D112787635.jpg 死刑制度についてどういった立場を取るとしても、死刑制度の最大の犠牲者はもちろん死刑囚だが、死刑執行に携わる刑務官も犠牲者として考えざるを得ない。「国家の名による殺人」を実行するのは刑務官であり、仕事とはいえ自ら人を殺すという役割を担わざるを得ない刑務官の苦悩がどのようなものであるのか、この映画は訴えている。

主人公の刑務官の平井(小林薫)は、職場で当たり障りのない付き合いを続け、40歳を越えた今も独身だった。彼は感情を表に出さず、淡々の仕事をこなす。囚人と個人的人間関係を作らず、規則通りのことを日々機械仕掛けの人形のようにこなす。

それは死刑囚との人間関係を作るとその死刑囚が処刑された時に辛い思いをすることを避けるためだったのだろうか。彼の日常は仕事に生きる意味を感じているのではなく、仕事があるからこなすという日々の積み重ねでしかなかった。こういった感情を押し隠し、機械的に仕事を行っていくことを長年続けていく事によって自己の感情表現の仕方を忘れてしまったかのように日常生活においても喜怒哀楽の表情に乏しい。

彼の対極にある刑務官として上司の三島(大杉漣)が描かれている。彼は死刑囚金田(西島秀俊)への対応において規則を曲げても色々面倒を見る。金田は絵を書くのがうまい。スケッチブックに雑誌から切り取った写真を元に絵を描いている。雑誌の切り抜きは所持物の破損として懲罰の対象になる。しかし三島はそれを黙認する。また金田が音楽を聴きたいと言った事に対して、カセットデッキを持ってきて聞かせたりもする。

平井は、ある日、姉の紹介でシングルマザーの美香(大塚寧々)と見合いをする。会ったその場で、二人の結婚は決まったような雰囲気になり、結婚話はとんとん拍子に進む。平井は、この結婚によって今まで無為に過ごしてきた人生を転換出来るのではないかと期待する。

披露宴を週末に控えたある朝、金田の刑が1週間後に執行されることが刑務官全員に言い渡された。処刑の執行補佐(処刑の際、下に落ちて来た体を支える役)をかって出れば、1週間の休暇を与えられると聞いた平井は、苦悩の末、美香を新婚旅行に連れて行きたいがために、「支え役」を自ら志願した。

彼はこの旅行で新たな人生を見出そうと思った。「休暇のために人の命を奪う行為に加担するのか、人の命をどう思っているんだ」と上司の三島は平井にくってかかる。「人の命を奪うことで得られる幸せが果たして本当の幸せなのか」を鋭く問うものである。人の命を奪うということはそれが仕事だと割り切れない重さを持っている。

そして刑は執行され、平井は新妻の美香と彼女の息子とともにささやかな新婚旅行に出るが、彼の脳裏には死刑執行に加担した記憶が、何度も蘇ってくる。払っても払っても悪夢のように襲い掛かってくる。時には吐気をも伴う激しさをもって。自らの幸福の追求と、死刑執行への加担という仕事に伴う心の闇は、1人の人間の中でどのように解決されるのだろうか。そこに答えはない。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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友人の死

8月23日(日)
食道がんで入院し、通院で抗がん剤治療を行っていた友人が死んだという電話が、夜遅く彼の連れ合いからかかってきた。死んだのは一昨日だが、精神的に落ち込んですぐに電話できなかったと言った。

彼は昨年11月4日に入院し、食道がんのⅣ期と診断された。がん細胞は食道だけでなくリンパにまで転移し、肝臓にも及んでいた。最初は食道がんの腫瘍が、気管を圧迫し呼吸困難になる可能性があるので、放射線治療で食道がんの腫瘍を縮小することから始めた。

この放射線治療はかなり効果があり、食道にあった腫瘍は4分の1にまで縮小し、リンパの腫瘍により右手が動かなかった状態も少しは改善された。

次に抗がん剤治療に移った。フルオロウラシル(商品名:5‐FU・代謝拮抗剤)ともう一つの抗がん剤との組み合わせで点滴した。しかし点滴後間もなく、意識を失ないそれが12時間近く続いた。

そこで、今度は5-FU単独で行ったが、やはり短時間だったが意識を失った。医者は次の抗がん剤を中々始めることができず、何の治療も行わないまま時間が過ぎていった。2月半ばになって突然退院が言い渡された。外来で抗がん剤治療を行うというものだ。

2月末に退院し、3月5日から外来で抗がん剤治療を行ってきた。薬はドセタキセル(商品名:タキソテール、イチイの樹皮成分・アルカロイド系)という抗がん剤で、3週間おきに外来治療センターで点滴静注してきた。また点滴の1週間後に正常細胞の状態を見るために血液検査をし、数値があまりにも落ちてきているようだと輸血などの処置をとる事になっていた。

病状が悪化して再度入院する事になったが、どのような抗がん剤も効果がなく医者からは治療不可能と言い渡された。結論はホスピスに行くのか、自宅で最後の時を迎えるのかという選択だった。

7月23日に退院する事になった。ホスピスにはいつでも行けるということで、しばらくは自宅で過ごすことにした。しかし、突然、肺に(気管支、肺胞)に水分が溜まり、溜まった水分により呼吸が障害され、呼吸不全におちいった。救急車で病院に運んだが間に合わなかった。

あっという間の出来事だったのだろう。死は予想していてもそれが現実となると信じられない思いだったに違いない。食道がんⅣ期の5年相対生存率は7.9%という統計的には極めて低い数字だが、誰でも7.9%の中に含まれると考えたくなる。しかし現実は苛酷なものだ。彼は私と同い年なのだ。彼が入院中は、定期外来診療に合わせて、2週間1度見舞いに行っていた。その友人の死はやはり心の中に重くのしかかるものがある。

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御岳山レンゲショウマまつり

8月21日(金)
西武線沿線の駅に、「御岳山レンゲショウマまつり・8/1~8/31」といったポスターが大きく貼られている。何で青梅線沿線の観光案内が西武線の駅にあるのかといえば西武新宿線は西武拝島線と直通運転をしており、拝島から青梅線に乗り換え奥多摩方面に行くことが出来る。西武線沿線の人は拝島経由で奥多摩方面に行けば便利だ。また今の時期奥多摩方面の河原は水遊びや、キャンプなど夏休みの子供達の絶好の遊び場所となっている。

また今の季節、桜、つつじ、紫陽花、菖蒲、ゆりなどの季節の花が終り、真夏に見るべき花など一般的はない。真夏に花を咲かせるレンゲショウマは深山に咲くといわれている。レンゲショウマは「太平洋側の山地の落葉林内に生えるキンポウゲ科の多年草で、花がハス(蓮)の花に、葉がサラシナショウマ(晒菜升麻)に似ているので、レンゲショウマ(蓮華升麻)の名がつけられた」そうだ。

御岳山では7月下旬頃から、富士峰園地北側斜面に約5万株のレンゲショウマが花を咲かせる。去年のレンゲショウマの開花情報を見ると、8月20日過ぎが見頃であるとあったので、出かける事にした。

9時少し前に家を出た。往きは青梅線直通の中央線で行き、帰りは拝島で西武線に乗り換えて帰るつもりだ。西武池袋線沿線の奥武蔵の山に行くのと比べるとかなり遠い。青梅までは立川から15分おき位に電車は出ているが、青梅から奥多摩までは30分に1本しか出ていない。御嶽の駅に着いたのが、11時15分だった。そこからバスで10分、ケーブルカーで6分、御岳山駅に着いたのは12時少し前だった。3時間近くかかってしまった。

青梅線の乗っている乗客のほとんどが御嶽駅で下車した。皆レンゲショウマを見にいくのだろうか。バス停には人が群がっている。平日だというのによくこれだけの人が集まるなと思う。人が多いのはあまり嬉しくはないが、一方でかなり有利な点もあるのだ。

バスもケーブルカーも時刻表では30分に1本の発車だが、バスはこの時とばかり臨時を増発して次々と客を詰め込んで発車する。ケーブルカーも10分おきのピストン輸送だ。待ち時間はほとんどなく御岳山駅までスムースに行けた。

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御岳山023_edited_convert_20090821203904 レンゲショウマ第1群生地

駅からすぐレンゲショウマ群生地への急な階段を上っていく。しばらく登るとだんだんと白い花が辺り一面、通路の左右を埋めてくる。今の時期がやはり見頃なのだろうか。つぼみはほとんど花になっている。

花のある所何処でもそうだが、3脚を持ち望遠レンズ付きの重そうなカメラを持った人たちに出会う。レンゲショウマフォトコンテスト行われ、レンゲショウマ写真展などが開催されているので、その写真を撮るのを目的としている人もいるのだろう。

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御岳山046_edited_convert_20090821203710 レンゲショウマ

レンゲショウマ群生地は、富士峰園地が第1群生地で、第2群生地が御嶽神社に至る女坂にあると表示されていた。どちらにしても御嶽神社には行ってみようと思っていたので、向かった。

途中産安社があり、その周辺に、産安(うぶやす)杉、夫婦杉、子授檜、二本檜など名づけられた巨木が聳え立っている。御岳山名木巡りなるものもあるそうだ。しばらく行くと御岳ビジターセンターがあり、ここからは御嶽神社に至る参道らしくなってくる。

急な坂を上りながら、10分位行くと国指定の天然記念物の神代ケヤキが目に入る。日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の頃からあるという、推定樹齢1000年のケヤキ。樹高約23m、幹周約8.2mというものだ。

御岳山067_edited_convert_20090821204258 神代ケヤキ

左右に土産物や飲食店が何軒か続き、御嶽神社の山門に出る。随神門と言われている。そこから250段の階段を上って行くと本社拝殿に至る。その階段を迂回する女坂があり、「レンゲショウマ第2群生地」と書いた看板が立っている。かなり急な坂を登っていく。坂の左側は崖になっている。右の斜面に所どころレンゲショウマが咲いているがもう時期が過ぎてしまったのか、とても群生といえるものではない。

御岳山035_edited_convert_20090821204004 随神門

階段250段分を坂で上るためにはかなりの急坂になる。登りは結構きつい。やっとのことで、本社拝殿にたどり着いた。正式には武蔵御嶽神社という。境内には宝物殿や畠山重忠の像がある。

御岳山053_edited_convert_20090821204059 本社拝殿

略歴:崇神天皇7年(紀元前91年)の創建とされ、天平8年(736年)に行基が蔵王権現を勧請したといわれる。山岳信仰の興隆とともに、中世・関東の修験の中心として、鎌倉時代には有力な武将達の信仰は厚く、金峰山御嶽蔵王権現の名によって信仰を集めた。特に鎌倉時代の武将 畠山重忠の崇敬は厚く、鎧・鞍・太刀などが奉納され、国宝の赤糸威大鎧は重忠奉納と伝えられる。

帰りは階段を下りていった。山門から15分位でケーブルカーの御岳山駅に着く。帰りは下りだから楽だ。雨がパラパラと降って来た。ケーブルカーは駅に着いてから直ぐに出発した。バスも臨時便が出て待つことはなかった。帰りは拝島から西武線で帰ったが、各駅停車の列車だったせいか1時間近くかかった。15時04分御嶽発だったから所要時間2時間というところだ。中央線でも西武線でもあまり変わりない。

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定期検診の日

8月19日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果 
 IgM    1381(8/19)←1507(8/5)←1487(7/22)
 白血球   2.3←4.2←1.7 
 血小板   16.8←21.1←14.7
 赤血球   296←308←304
 ヘマトクリット 31.0←31.3←31.5 
 ヘモグロビン  9.7←10.1←9.8


IgMが再び下降した。上がったり下がったり忙しい話だが、どうやらビンクリスチンはまだ頑張っているようだ。これが駄目になるとまた別の療法を考えなければならないが、おいそれとは見つかるものではない。

◆ サレドカプセル(サリドマイド)の2回目の処方を受けた。サレドカプセルは2週間分しか処方されない。どんなに遠距離に住んでいても2週間1度病院に行って薬を受けとらなければならない。体調が悪かろうが本人が医者の質問に一問一答で応答する必要がある。

2回目からは「診断前調査票」に必要事項を記入し、薬を処方してもらう前の日にTERMS管理センター宛ファックスで送っておく。内容は1、薬の管理状況、2、服用状況、3、性交渉の有無、避妊、4、パートナーの妊娠の有無、5、薬剤管理者の変更があったかについて、記入する。

病院では医者から「遵守状況等確認票」に従って最初に4項目の注意事項の説明が1回目と同じように医者から行われる。毎回同じことを言わなければならないそうだ。患者はそれに対して同意する。

2回目からは質問項目が5項目増える。前回診療日から今回診療日までの事に関する質問だ。内容は性交渉の有無、薬剤の管理状況、精子、精液の提供の有無についてだが、かなり個人のプライバシーに関することなので医者としてはなかなか聞きづらいことだ。4項目の注意事項と6項目の確認事項に医者と患者が連署してそれを薬剤部に持っていく。

2回目からは前回処方されたサレドカプセルの空容器を必ず持っていかなければならない。薬剤部ではカプセルシート2週間分の空の容器を受け取り、飲み残しなどないか確認する。そして3項目の注意事項を、これも1回目と同じく説明し、2回目以降は確認事項として薬の保管場所や紛失の有無などについて聞かれる。この問答を経て、初めて薬の準備に入る。薬が準備されると、また別室に呼ばれ注意事項について念を押され、薬を渡される。

◆ 日本骨髄腫患者の会では、TERMSの負担と経済的負担、この2つが患者と医療現場では大きな負担としてのしかかってきている現状に対して、厚生労働省との交渉を行ってきた。そして、この2つを同時に解決するべく、10月を目処として調査事業が始められようとしている。

新事業の内容
過去の薬害に鑑み、薬害再発防止のため講じられている安全管理(TERMS)に関する実態調査を医薬品医療機器総合機構が行う
TERMSに登録している患者さんを対象に行われる実態調査に協力してくださった患者さんに、その頻度等に応じて協力金を支払うことによって経済的負担の軽減を図る
調査期間は、今秋から半年間程度
調査結果は、TERMSの合理的な改良かつ将来同様に安全管理が必要な新しい薬剤の早期承認に役立てる
調査期間終了後の経済的負担の軽減については、高額療養費制度の適応など新しい枠組みでカバーする予定

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湯本香樹実 『夏の庭』

8月16日(日)
「死について考えさせる本」ということで紹介されていた『夏の庭』を読んだ。死について考えるということは、同時に生きることについて考えること、どのように生きてきたかを振り返り検証することに他ならない。また他者の死はその死を通して自らとその人との関係が嫌が応でも露にされ、どういう関係を持ってきていたが根底的に問われる事になる。

「喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語」と紹介されているが、死と生きた軌跡、肉体の消滅と記憶の残像、死と生は切り離せなく結びついている。

人は必ず死に直面する。他人の死、そしてやがては自分の死に。それは避けられないものである。しかしそれをどう受け止めるか、どのように対象化するかは、他者との関係の有り方と自己意識の在り方によって全く違ってくる。

51FSG.jpg この物語は、3人の小学6年生の少年が主人公である。彼らはそれぞれ家族関係に問題をもち、未来への不安と期待に翻弄されながら、コントロール不能な得体の知れないものへの怯えなどをかかえている。

3人の少年が死んだ人に興味を抱き、ある老人を観察することをきっかけとして始まったその老人との交流を通して死に対する意識が変わって行く過程が描かれている。それは死に関することだけでなく生きること全体にかかわることだった。

最初少年の意識は「オレたちはおまえを見張ってたんだよ! おまえが死にそうだっていうから、見張っていたんだ! おまえがどんな死に方をするか、オレは絶対みてやるからな!」といったものでしかなかった。そういった意識で町外れに暮らすひとりの老人を「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。

それから老人との交流が始まる。老人の戦争体験や家庭のことなどを聞き、関係を深めていく。やがて死は本当のこととなる。現実の知り合いになった老人の死は彼らを大きく成長させた。彼らの中にある「死」に対する考えは大きく変化した。

それだけではない。老人との関係は少年達に考える力を与えてくれた。家庭の問題に対しても、「こんな時お爺さんは何て言うだろう」と考えてから彼らは行動するようになった。老人は少年達に「死」について、そして生きていく中で大切な物を、教えてくれた。

少年たちは、老人とのかかわりの中で今までの物の見方を変えて行く。老人=枯れた人、じゃない。老人とは死に行く存在ではなく、今まで生きてきた存在なのだ。夏の合宿所のおばあさんを見て思う。

「ぼくは去年もおととしも、このおばあさんに会っているのだけれど、去年まではなんとなく『お年寄り』というふうにしか見ていなかったことに気づいた。」老人に対する見方が根底的に変わってきている。それは他者全体に対する関係の変化でもあった。

老人とは、歴史過程の中で様々な痕跡をと記憶を周囲の人々に与え続けてきた存在なのである。少年達は、ひとりの人間が、精一杯生きて、そして幕を閉じる姿をまのあたりにする。誰からも顧みられなかった人生だったとしても、そこには多くの思い出と記憶を人々の胸に焼き付けてきたのだ。

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ももバー、新宿中村屋のインド゙カリー

8月14日(金)
「ももバー」の日だった。新宿3丁目の「楽屋」で18時から行われる。少し遅れて着いた。今日の話題は、アメリカから骨髄を取り寄せて、移植した患者の主治医の話。取り寄せにあたって、厚生省、外務省、運輸省など様々な省庁を経由しなければならない手続きの煩雑さがあるが、一方その省庁の連携プレーでスムーズに「輸入した骨髄」が患者まで届けられた実例が話された。

成田に着いた「ドナーの骨髄液」は、厚生省の係官が6分で、外の飛行機に積み替え、移植の行われる名古屋日石病院まで運んだといった話しがあった。省庁間の権限の分散などによって、ぶつかる壁はあるが、ルートを作リ、それが機能すれば、省庁間の協力によって、むしろ通常よりもずっと早く処理できる実例だ。

今日のももバーは20時前に終わった。自転車を置いてある駅の関係で、副都心線に乗らず、新宿3丁目から新宿駅に向かった。夜の新宿駅周辺を歩くのは15、6年ぶりの様な気がする。以前は取引先の百貨店の什器の入れ替えが、毎週月曜にあり1時か2時頃まで新宿で仕事をしていた。終われば何人かで必ず飲みに行く。1時間か2時間位飲んでタクシーで帰るのが毎週月曜日のパターンだった。3,4時間寝て、通常通り出勤する。体力があったのだなとつくづく思う。

新宿駅に近付くと、カレーの匂いがした。夕食はまだである。楽屋でうどんでも食べようと思っていたが、ももバーが早く終わってしまったので、頼み損ねた。中村屋の看板が目に入った。そういえば新宿中村屋のカレーライスの話をグルメ情報で見たことがある。昭和2年から続いている老舗のカレー屋、創業80年、日本で本格カレーを提供した最初の店などと色々書かれている。

中村屋のカレーの始まりは、インド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボースが亡命中、中村屋創業者に匿われ、その恩義に報いるためカレーのレシピを伝授したというものだ。

新宿中村屋のカレー店は2階で、ファミリーレストラン風な店の作りである。中華や洋食もある。しかしメインはやはりカレーだろう。客の大部分は4種類のカレーのうちのどれかを注文している。その中でもインドカリーが代表だろう。

a515600l.jpg店の紹介には「インドカリーは、昭和2年発売の日本で初めての純印度式カリー。鶏は品種、飼育日数、飼料、飼育方法を指定したものを使用し、おいしさを引き出すよう骨付きで煮込みます。淡路島及び丹後産の玉ねぎなど選びぬいた素材。バター、ヨーグルトなどの乳製品と20種類以上のスパイスを使用している」と書かれている。

カレー自体はそれほど辛くはない。サラサラとしたカレーで、クセがないが、個性のある味で、ピリッとした辛さが口の中にほんのりと残る。柔らかい鶏の骨付き肉が3個とジャガイモ一切れが入っている。

付け合わせにピクルス・らっきょう・玉葱のアチャール・カレー風味の薬味が付いている。強烈な感じはせず、子供から年寄りまで好んで食べられるまろやかな味だ。これが正統派、老舗の洋食屋のカレーといった雰囲気と味を余す所なく発揮しているといった感じだ。

ラーメンやカレーは日本の風土と文化の中で独自の味を作り出してきた。本場の良さを汲み尽くしながら改良と工夫とを重ね、調理人が自ら個性を発揮しながら自分の味を追及してきた。それが歴史の中で積み重なり、ラーメンとライスカレーの種類と味の深さは驚くべき広がりを持ってきている。色々な味を堪能したいものだ。

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退職金問題

8月12日(水)
しばらく前に、職場の同僚H氏から電話があった。彼は年齢も同じで、同じ年社員になった。今年の3月31日付けで定年退職になった。私の場合病気休職1年後の退職ということで2006年12月20付で退職している。

彼が言うには、退職金の額が少ないと思って会社に問い合わせたが、退職金算定の根拠が会社側からはっきりと示されないので、労働基準監督署から会社側に問い合わせてもらった所、会社側は2005年4月、就業規則の退職金規定を役員会で勝手に変更し、退職金額をほぼ4分の1に減額したということが分った。この就業規則の不利益変更が、全く従業員に知らされないまま隠密裏に行なわれていたのである。

私の場合、退職金が少ないなとは思ったが、退職した時、移植が終わったばかりであり、療養中の身であり、まさか退職金規定が変更されているとは露ほどにも思わず、会社が振り込んだ額をそのまま受け取るだけであった。

H氏は、知り合いの弁護士に頼んで、会社側に内容証明郵便を送った。その通知書の内容は以下のようなものである。1、総論、旧規定と改悪後の退職金の差額について、2、旧規定適用の根拠、(1)手続的瑕疵、ア、労働者の意見聴取義務違反(労働基準法90条1項)―就業規則の不利益変更に関しては労働者の過半数を代表する者の意見聴取義務。イ、周治義務違反(106条1項)、(2)変更内容の不合理性、3、結語、旧規定による退職金支払いを求める。

これに対して、会社側からは「退職金規定変更後4年経過しているのもかかわらず、変更実施以前の就業規則に基づく退職金規定の適用を請求をしているのは理解しがたい。」との返事であった。

今日は、この会社側の対応に対してどうして行くかを相談するために、弁護士事務所を訪ねた。H氏に指摘され、計算すると退職金は旧規定と新規定では1.5倍近くの差がある。

長年会社に貢献してきた者に対して、その退職後の生活を支えるための退職金に対して、最後にその労をねぎらうのでなく追い払うような扱いを感じさせる退職金規定の引き下げは許しがたい思いがする。14年連続して経常利益を上げ続けている会社が従業員に対してどういう対応を取ってきているのか、それがこの不利益変更に如実に現れている。

弁護士から労働審判という制度があると説明された。 裁判所ホームページには次のように書いてあった。「労働審判手続は,労働審判官(裁判官)1人と労働関係に関する専門的な知識と経験を有する労働審判員2人で組織された労働審判委員会が,個別労働紛争を,原則として3回以内の期日で審理し,適宜調停を試み,調停による解決に至らない場合には,事案の実情に即した柔軟な解決を図るための労働審判を行うという新しい紛争解決手続です。」

今日の弁護士との話でH氏と私ともう1人の3人で、労働審判手続きに進む事にした。早急に訴状を作成し、裁判所への提訴を準備していくことにした。

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ももの木・患者家族交流会

8月8日(土)
定例の「ももの木」の交流会が行われた。患者家族交流会は、各病院で行われている院内交流会とは別に、個別の病院だけでなくそれを横断的つなぐ血液疾患の患者の集いの場である。2ケ月一度行なっている。土曜日の14時から17時の時間帯だ。参加者は治療を終えた元患者が中心だが、治療中の患者、医者、患者家族、友人など様々な病気や治療を経験した人たちが集まってくる。

交流会は最初自己紹介から始まる。病気の現状や経過、今までの治療法やこれからの展望など抱えている問題点などが各人から話され、その自己紹介でお互いが抱えている現状を知ることが出来る。そこに共通点を見出すことが出来る場合もあるし、自分の経験がその人の役に立ちそうだと思うこともある。

そういった予備知識をもって、自己紹介後、話したい人同士でグループを作って、話を深めていく。その会話の中で、問題点が解決できなくても、話すことによって別の視点で考えるきっかけがつかめることがある。

UNGAME

16時を過ぎて、大分人も減った頃、児童館に勤めていたI氏が面白い企画を持ってきた。児童館でもやっていたという。東急ハンズで売っているUNGAMEというものだ。

このゲームの説明書きには次のようにあった。「アンゲームは用意された質問に答えていく簡単なルールになっています。でも、用意されている140の質問には隠された秘密があり、ゲームを通じて参加者同士のコミュニケーションが深まり、相互理解を助けます。それがゴールや勝ち負けのない、まさにアンゲーム(ゲームじゃない)ゲームなのです」

彼はそれを患者用に作って持ってきた。質問は彼が考え出した。例えば「医者に言いたいことがありますか」「看護師に言いたいことがありますか」「感謝していることがありますか」「体にいい事やっていますか」「ガンを宣告された時どう思いましたか」などの質問の他に、参加者に質問できるカードや発言に対してコメント出来るカードなども混じっている。

参加者はカードをめくり、そのカードに書いてある質問に答える。それを順番に繰り返していく。全員が答える事になる。その答えの中に患者の本音や想いが現れてくる。患者は、中々胸の内を明に出来ない。質問引いたカードに出ていて自分では選択できない。だから時として、思っても見ない質問に出くわす。それ答えようとする事によって、自分の中にある本音が出てくる事もある。そういった面白さがある。

今回は10名位の参加者がカードを一枚づつ引いて一周して終わったが、約30分の時間の中で、参加者の病気、家族、友人、治療などについての想いが浮き彫りにされてきたように思う。こういったゲーム感覚で本音を吐露できる場を作れればこれはかなりいい企画だと思った。

こすもすノートNo2 「ももの木のいのちの授業」発行
IMG_5080.jpgCFCプロジェクトの企画制作で「ももの木のいのちの授業」の雑誌が発行された。CFCとはcare for caregiversの頭文字をとっており「ケアをする人のためのケア」をコンセプトにした活動をしている。そして今回、CFCプロジェクトの出版部門でcosmos noteシリーズの2冊目として「ももの木のいのちの授業が」取り上げられた。

この本の目的は、「いのちの授業」を受けて下さった皆さんへということで、授業を受けた子供たちが話した内容を家に帰ってもう一度思い出して欲しい、また何年か後にでも何かあった時に思い出して読んでもらいたいということで作られた。

冊子の内容は1、実際に小学校で行った命の授業の内容、2、いのちの授業を行ってきたメンバーの授業にかける想い、3、授業を受けた生徒たちの感想、4、ももの木の紹介となっている。この冊子を活用し「いのちの授業」をさらに広げて生きたい。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

動坂下・ラーメン探訪

8月6日(木)
2週間一度定期検診で通院しているが、帰りには大体病院の近くの評判のラーメン屋で遅い昼食をとる。昼食時間に行っても行列が出来ているので、診療が終わるのが2時か3時頃なので、その頃行くのが丁度いい。ただスープが終わると店を閉めてしまうのでありつけるかどうかは行ってみないと分らない。

病院から動坂を下り、不忍通りを道灌山下方面に歩いていくと幾つかのラーメン屋がある。「TETSU」と「神名備」という店が目的の店だ。その外に、「ラーメン鈴政」や「ラーメン一番」という180円ラーメンの店があったが両方とも潰れてしまった。札幌ラーメンのチェーン店「えぞ菊」や「大島ラーメン」、鶏白湯魚介のスープを売りにしている「いっとく」の千駄木店などあるが、どうしても食べてなってしまうラーメンがある。

「TETSU」はまさに行列の出来るラーメン屋の典型だ。昼の時間は常時20人位の客が列を作っている。待ち時間は30分以上だろう。待って食べるのがまたより一層おいしさのスパイスともなるのだろう。

108.jpgこの店は昨年のラーメンランキングのつけ麺部門で1位となっている。また通算ランキングで4位の位置を保っている。そういったことで人気店となっている。西日暮里や千駄木、田端からそれぞれ10分位かかる場所にありながら、わざわざ食べに来る人がいるという今日のラーメン人気を物語っているようだ。

最近のラーメン屋は魚介系のスープを使う所が多い。「TETSU」のつけ麺のスープはゲンコツ・鶏から取った動物系スープと鰹・鯖・煮干しで取った魚系スープをミックスした濃厚スープだ。そこに自家製太麺が絡み合う。削り節の粉末がつけ麺のスープの底に溜まっている位たっぷりと入っている。

つけ麺を食べ終えた後、その濃いスープにだし汁を入れ、さらにそこに焼き石を投入するという斬新な方法でつけ麺のスープを温めて飲むことが出来るというアイデアは、その気配りだけでファンが出来てもおかしくはない。

「TETSU」の斜め向かいに「神名備」というラーメン屋がある。この店は、ランキングなどには登場しないが、口コミでおいしさが宣伝されているのだろう、隠れた名店として知られている。昼時は外に行列は出来ないが、中のベンチには待っている客でいつも一杯だ。

0405g-mise2-l_convert_20090806233805.jpg「神名備」のラーメンは塩と醤油の2種類が基本だ。まずそのスープの味に感心する。様々な材料を煮込んであるのだろうが、濁りがなく雑味を取り除き、極めて丹念にクリアな旨味だけを上手に引き出している印象だ。

トッピングの肩ロースのチャーシューはボリューム感たっぷりで、しっとりとした肉質と香辛料を使った味付けはスープにマッチし、もやしと万能ネギは、コッテリとした味一辺倒にならないため山盛りになるほど多めに入っている。中細の縮れ麺は、玉子麺だという。スルスルとした啜り心地の良さとシコシコとした食感がスープともやしや万能ねぎと全体の味をさらに高めあっている。

病院に行った帰り道、遅い昼食をこのどちらかの店のラーメンを食べて行くことがほとんどだ。これをずっと続けている。こういった楽しみもあっていいのではないかと思う。

昔からラーメン好きで、外に出かけて昼食に何を食べようかと考える時まずラーメン屋が思い浮かぶ。チェーン店のラーメン屋ではなく、ラーメン専門店を探して入る。ラーメンだけで店を出すからにはそれだけのラーメンに対する考え方、確信を持っているのだろうから味は間違いないだろうと思って入店する。めったに外れたためしはない。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期検診の日

8月5日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果 
 IgM    1507(8/5)←1487(7/22)←1575(7/8)
 白血球   4.2←1.7←5.0 
 血小板   21.1←14.7←15.4
 赤血球   308←304←305
 ヘマトクリット 31.3←31.5←31.5 
 ヘモグロビン 10.1←9.8←10.1

IgMが再び若干だが上昇した。今日の所は平行状態とも言えるし、このまま下がることはしなくても平行状態が続けばそれはそれでいいとは思う。しかし中々そうは行かない。サリドマイド+ビンクリスチン+デカドロンの3種併用療法も早くも限界に来ているのかもしれない。また次の方法を模索していく他ない。

白血球が上昇した。理由は分らない。特に体に異変があるわけではない。相変わらず、赤血球、ヘマトクリット、ヘモグロビンの値が低い。貧血に伴う疲労感や倦怠感からはなかなか脱却することが出来ない。

担当医にフローサイトメトリーという方法を使えば抹消血から細胞の表面マーカーが分るのではないかと聞いてみた。答えは、以前Kaitjn8さんがコメントしてくれた内容と同じだった。リツキシマブで絶滅させたい腫瘍細胞のCD20を調べたいのなら、WMの腫瘍細胞は、骨髄(一部リンパ組織)に存在し、末梢血には存在しないので、血液検査では無理だといわれた。腫瘍細胞が末梢血まであふれ出したらそれこそ問題だと医者は言った。残念ながらマルクをしないと、腫瘍細胞を採取できず、従ってCD20が発現しているかどうかは分らないということだ。

WMはリンパ腫と、多発性骨髄腫の中間的な病気と言える。この病気は免疫グロブリンを造り出す形質細胞が腫瘍化(ガン化)し、血液中にたんぱく質を過剰に造り出していく。そういった意味ではMMに似ているとも思えるが、どちらかというとWMは臨床的に骨髄腫や他の形質細胞疾患とは異なり、リンパ腫瘍疾患と似ているとされている。一般的に治療法には、リンパ種の治療法が書かれている。

しかし私の場合は、フルダラビンが全く何の反応も見せず、CD20が陰性だったために、リツキシマブが使えなかったということもあって、治療法は多発性骨髄腫の標準治療そのものを行ってきた。VAD療法でIgM下げ、タンデム移植を行うという方法だ。まさにMMの最もオーソドックスな治療法だ。

十分な根拠は明らかにされてはいないが医者はIgM型骨髄腫と言っている。リツキシマブが多発性骨髄腫に奏効性があるかどうかの臨床試験で思わしい結果が出なかった件を医者に告げた。もし仮にCD20が発現していた場合でも、骨髄腫に近い私のWMにリツキシマブが奏効するかどうか疑問だと言った。しかし、外に方法がなくなったら、使えるものは何でも使わざるを得ない。

個人輸入していたサリドマイドがなくなり、今日初めて、サリドマイドの国内版「サレドカプセル」の処方を受けた。最初に医者からサリドマイド被害について知っているかどうかといった内容の5項目位の質問を受ける。質問用紙の答えに医者の署名と、患者の署名をして、薬剤科に持っていく。そこでまた同じような質問が繰り返される。その質問の回答用紙に薬剤師と患者の署名をする。

薬が用意されると再び薬剤師に呼ばれ、似たような質問をされ、薬の管理場所や服薬記録の付け方、カプセルシートを次回の診断の時持ってくることなどの注意事項を聞いてやっと薬をうけとることが出来るという仕組みになっている。これを毎回やらなくてはいけない。患者は自分の分だけでいいが病院はこの同じことを何回もやらなければならないその手間は大変なものだろう。どうにかならないもlのだろうか。

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帯状疱疹(3)

7月4日(火)
 目が覚めたら、帯状疱疹神経痛の痛みが半減している。昨日まで寝返りをうつのにも苦労していた。服の布が体に触れると神経が逆撫でされるように悪寒が走る。いつも痛み体にまつわりついてその影響かどうか分からないが、暑さのせいもあるのだろうが、熱はないが体がだるくすぐ横になりたくなってしまう。日中の半分位寝ころんでいる状態だった。痛みが体の消耗を加速しているようだ。不思議な事に痛みが薄らいだ事によって、熱っぽさもなくなり体を動かす事もおっくうでなくなってきている。

今日辺りから、以前処方された鎮痛剤としてのパキシルを飲み始めようと思っていた。この薬は本来抗うつ剤で、あまり飲みたくはなかったのだが、このまま痛みが続くようだと飲んだほうがいいだろうと判断した。しかしいい塩梅にまだ痛みは残っているがほとんど感じられなくなった。このまま収まってくれることを願がわざるを得ない。

02_01.gif 入院していた時には、看護師が通常の検温の時に、痛みの強さを測るスケールというのがあり、5段階に分かれていて、そのどの段階に痛みがあるか聞く。痛みの段階に応じて神経ブロックのスケジュールや服薬している薬の量を決めていく。スケールといっても自分で痛みの強さを申告するというものでしかない。

最初に帯状疱疹に罹った時は今回の痛みよりも遥かに強い痛みに苦しめられた。徐々に回復していったもののそれが半年も続いたのだ。入院中だったから、ペイン・クリニックに通うのもエレベーターで別の階に行けばいいだけで、神経ブロックをするのにも空いた時に呼び出されるので待つ事もなかった。今の自宅療養の状態で痛みを抱えながらペイン・クリニックに通わなければならない事になったらしんどい話だと思っていた。

 入院していた病院での疼痛のケアは、きちっとやってくれていたように思える。移植の時口内炎の痛みで苦しんでいた患者にモルヒネが投与されていたことを聞いた時に、そう思った。「先生に痛みを取ってほしいと頼んだんですが、がんの治療をしているんだから、仕方がないって言われたんです」といった患者の話は良く聞く。

患者会であった人がベルケードの末梢神経障害の痛みで、夜も寝られないので医者に相談したが、「治療法がない、仕方がない」と言われ何もしてくれないと嘆いていた。ベルケードの治療は終わっており自然回復を待つほかにないということだそうだ。

確かに痛みなくすことが出来る薬はないが、痛みを抑える薬は幾らでもある。その頃私もベルケードの末梢神経障害の痛みがあってガバペンを処方してもらっていて、一定の効果を上げていたので、その旨を伝え担当医に処方してもらうことを薦めた。

 以前市民公開講座で、慶応病院内に緩和ケアチームというものがあり活動していることが報告された。がんで入院した場合、人は多くの問題を抱えることになる。精神的苦痛(先行き不安、治療の展望が分らない)、肉体的苦痛(治療上の苦痛)、社会的負担(家族間の軋轢、会社のこと、経済的なこと)などを総合的ケアすることが緩和ケアの目的だ。

2004年にムンディファーマという製薬会社が、日本の痛みに関する大規模な調査(3万人対象)を行っている。その結果によれば、「慢性疼痛保有者のうち約78パーセントが、自分の痛みは適切にコントロールされていない」と感じている。つまり、適切な痛みの治療を受けられず、痛みが放置されている人が8割にも上っているというのだ。

 疼痛ケアの遅れについて「がんサポート情報センター」の報告には次のように書かれていた。「がん治療医たちのがん疼痛と治療に関する知識不足、経験不足です。これは痛みについての無関心、無理解から来ている面もありますし、前に言ったように、本業で精一杯で痛みのほうまで手が回らないこともあります。また、麻薬は最後の手段とか、中毒や依存症になるなどと、疼痛治療に用いられる医療用麻薬に対する誤解や偏見が原因となっている面もあります。これらががん疼痛治療の普及を妨げているのです。」

同じ報告で患者側の問題も指摘されている。「痛みは限界まで我慢すると思う」と答えた人が21パーセントもいた。つまり、痛みがあっても、医師に訴えないのだ。別の調査でも、鎮痛薬を服用している患者の3分の1が「医師に遠慮」して、痛みを訴えていないことが明らかになっている。医師への遠慮だけでなく、多くの患者が「緩和ケアの開始=がん治療の中止」と考え、がんの治療にストップがかけられるのが嫌で、痛みを隠す傾向もあるようだ。

確かにモルヒネもそうだが、やはり医療用麻薬の使用ということには患者自体も抵抗がある気がする。よほどの痛みに耐えかねる場合はそんなことはいってられないが。やはり痛みは医者にはっきりと訴え適切な治療を受けることが何よりも必要とされているのではないか。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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