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弥彦神社、国上寺、五合庵

11月23日(月)
骨髄腫研究会とセミナーを終え、1日位は新潟のどこかを回ろうと思った。弥彦公園・もみじ谷の紅葉が名所として観光案内にあった。若干時期は遅れたがそれでもまだ見られるだろう。弥彦神社では菊まつりが開催されている。近くには良寛が住んでいたという五合庵や越後で最古の国上寺などがある。燕三条に宿を取れば何処に行くにも便利だし、どちらにしても東京への帰りはこの駅を使う。そこで駅前のビジネスホテルに泊まる事にした。

回ったコースは以下の通り。
弥彦公園・もみじ谷→湯神社→弥彦神社→奥宮→弥彦山頂→住吉神社→本高寺→国上寺→五合庵→千眼堂吊橋→朝日山展望台

弥彦公園・もみじ谷
弥彦線は1時間に一本しかでない。8時54分燕三条発9時19分弥彦着の列車で弥彦に向う。駅を降りるとすぐ左側に弥彦公園・もみじ谷の看板が立っていて、公園入口まで徒歩1分という近さだ。様々な木の紅葉は残っていたが、弥彦谷のもみじがほとんど葉を落としていた。見頃は終ってしまったのだろう。もみじが全て紅葉していたらさぞ見物だったろうと思うと残念だ。しかし周辺の山々の木々は鮮やかに紅葉し十分に目を楽しませてくれる。

谷の中央に赤い昔風の橋がありそこから谷のもみじの紅葉を見物出来る様になっている。また弥彦神社の方から来ると、トンネルがありそこを抜けると眩いほどの赤や黄色の色彩が飛び込んでくる感じだ。

谷から登り道になり、山頂近くに湯神社がある。ちょっとしたハイキングコースのようなものだ。1時間ばかり散策し、弥彦神社に向った。

新潟008_convert_20091128181448 弥彦公園入口

新潟024_convert_20091128182328 トンネルから出たところの光景

弥彦神社・菊まつり
連休最後の日で、また菊まつりの最終日ということでかなりの人で賑わっていた。さすが宣伝パンフレトがJRの各駅に置いてある「弥彦神社の菊まつり」だけあって、亀戸天神の数倍の規模で展示されている。鳥居から山門に至る参道の両側には菊の三本仕立てを中心とした展示がずっと続いている。

山門を潜り境内に入ると今度は周辺に様々な技を競った菊の飾り作りの展示物が並んでいた。盆栽作り、杉作り、懸崖作り、岩付け、豪華な千輪作り、菊で萬代橋を作った総合花壇など丹精を込めて作った菊の造形物のバリエーションの面白さが目を楽しませてくれる。

亀戸天神に行って菊の仕立て方法を少し勉強してから菊に対する見方が変わって、何処をどのように見たらいいのか分ってきたので、そういった知識は特に菊を見る場合はずいぶん役に立つなとつくづく思った。

植物はありのままを素直に楽しめばいいとは思うのだが、菊だけはちょっと違うような気がする。昔何処かに行って、菊の展示をやっているのに出会った事が何度かあったがその人工的な飾り方に抵抗があって素通りしてしまっていた。しかし発想法を変えれば楽しめるということをつい最近悟ったという訳だ。

新潟025_convert_20091128181719 弥彦神社大鳥居

新潟031_convert_20091128181800 菊による萬代橋

新潟035_convert_20091128184111 弥彦神社本殿

弥彦山頂・奥宮

神社の脇に弥彦山ロープウェイ山麓駅行きの送迎バスの停留所があった。紅葉が見頃の弥彦山山頂に上ってみようということで、バスに乗り、ロープウェイで山頂駅まで行った。休日で観光客が多いのはあまり嬉しくないが、バスもロープウェイもひっきりなしに発車しているから待つ事がない。また観光地の交通機関はこの時ばかりと増発、増便し、休日しか運転しないシャトルバスなどもあり便利なことこの上もない。

山頂駅から弥彦神社の奥宮までは15分位登らなければならない。奥宮の所が山頂になっている。かなり急な階段や坂を上りやっとのことで奥宮に辿り着いた。そこからの見晴らしは雄大で、越後平野の全体が見渡せ、山頂の真下が日本海の海岸線になっている。海を隔てて遠く佐渡島が青いシルエットのように浮かび上がって見える。

新潟060_convert_20091128181849 弥彦神社奥宮

新潟063_convert_20091128181930 弥彦山山頂

弥彦神社を後にして駅に向う。弥彦駅伝がこの日開催されていて、ゴールが弥彦神社の鳥居だ。駅に向って歩いていると、選手が最終のコースを息を切らせながらゴール目指しては走って来るのに出会う。途中、樹齢800年といわれる根が蛸の足のように張っているので蛸ケヤキと呼ばれているケヤキのある住吉神社や、子育地蔵のある本高寺、北国街道「木戸坂」の碑、大銀杏などがある。

国上寺(真言宗豊山派)
13時15分に弥彦駅から国上寺行きのシャトルバスが出る。このバスは無料で土日祝日のみ運転している。30分位で国上寺のバス停に着く。バス停の周辺は駐車場があり、飲食店、土産物屋で賑わっている。そこを抜けると国上寺に向う山道に入る。坂をしばらく上ると東山門がありそこをくぐると境内に出る。

境内の正面に本堂(阿弥陀堂)がある。本堂の長い歴史と風雪に耐えてきた古色蒼然とした雰囲気は、その前に立っていると何故かおごそかな気分にさせられる。境内には様々な古い建造物がある。梵鐘と鐘楼、六角堂、大師堂などが周辺に配置されている。

また弘法大師五鈷掛の松がある。これは弘法大師が中国から帰国の際、三鈷と五鈷を投げたとされているが、三鈷は高野山の松にかかり、五鈷が国上寺のこの木にかかり真言道場になったとされている。

hondo_pic1.jpg 国上寺本堂

縁起 : 当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹です。上杉謙信公、長岡市の牧野公の祈願寺として、往時の隆盛を極めました。格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。(公式ホームページより)

境内の隣に比較的新しい本堂と同じ位の建物があり方丈講堂という。そこから西山門を出ると、越後の国の酒呑童子伝説にまつわる井戸がある。この井戸は顔写しの井戸と言って、彼がここ顔を写し鬼になったしまたことを知るというものだ。弥彦村では酒呑童子の祭りが行われるそうだ。バス停傍の飲食店の壁に祭りのポスターが貼ってあった。

越後国の酒呑童子伝説 : 平安時代(8世紀)に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった。12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった。そこで女性たちから貰った恋文を焼いてしまったところ、想いを遂げられなかった女性の恨みによって、恋文を燃やしたときに出た煙にまかれ、鬼になったという。そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。(境内の掲示板とWikipediaより)

五合庵
顔写しの井戸から急坂を下りしばらく行くと良寛が寛政5年(1793年)頃から20年間住んだと言われている五合庵に着く。この場所は、もとは国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人」が住んでいて毎日米五合を給されていたことに由来してこの名が付けられた。

gogoua_convert_20091128182106.jpg 五合庵

その後、良寛が玉島(岡山県倉敷市)の円通寺で厳しい修行を終え、各地の名僧を訪ねて研さんを重ねたのち、越後に戻りこの庵に住み着いた。誠に質素な佇まいで、周りは今でも木々に囲まれ静かで淋しい場所であるのに昔はどんなに孤立無縁な場所だったのだろう。

世をはかなんで方丈に移り住んだ鴨長明もこういった場所に住んでいたのだろうと考えてしまった。一般的な意味でどんな娯楽もない。限られた書物しかない。読経と瞑想の日々を20年間過ごして来た。それだけで感心してしまうが、大体昔の僧侶という人達はそういった生活が普通だったのかもしれない。

五合庵のすぐ傍に千眼堂吊橋がある。ここを渡りかなり長く急な坂をあがると朝日山展望台に出る。バス停はこのすぐ横にある。15時10分発の燕三条行きのシャトルバスが来るまで時間があったので、飲食店で腹ごしらえをしようと入った。

1_convert_20091128181308.jpg 千眼堂吊橋 

良寛うどんというのがあった。豚汁の豚の変わりに鮭が入っているのが良寛汁という。その中にうどんが入っているものだ。良寛とどういう関係があるか分らないが、珍しいのでそれを頼んだ。

そのうちにバスが来た。乗客は5、6人しかいなかった。こんな交通手段のない所に皆どうやってくるのだろうと思ってしまう。シャトルバスは1時間で燕三条に着いた。本数の少ない弥彦線に乗り換える手間がなくて楽な思いをした感じだ。

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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

骨髄腫セミナー2009

11月22日(日)
快晴の上天気だった。宿泊場所の新潟グランドホテルから、朱鷺メッセの会場まで送迎の車が出ている。9時15分位にロビーに下りて行くと既に送迎の車に人を乗せている。9人乗りなので何台かあり、それがピストンしている。会場までは10分もかからない。

朱鷺メッセの展望室

運転手が今日は天気がいいから朱鷺メッセの展望室に上って見るといいと言った。9時30分前には会場に付いた。荷物をおいて早速展望室に向う。展望室は会議場の建物に隣接した高層ビルにあり、
新潟日航ホテルが入っている。また美術館や飲食店街もある。展望室専用エレベーターで31階の最上階まで行く。

展望室の解説に「朱鷺メッセ展望室は地上約125mに位置しており、日本海側随一の高さを誇っております。その上、新潟市街地はもちろん、日本海、佐渡島、五頭連峰などの景色を一望できる360度の大パノラマです」と書いてある。新潟に来て不思議に高い所に縁があるなと思った。

晴れ渡った空を背景に展望は抜群だ。見ると言っても何時までも見ていられるものではない。15分位で展望室を後にして、会議場に戻った。

新潟085_convert_20091128103154 新潟マリーナ方面

新潟086_convert_20091128103249 NEXT21方面

新潟093_convert_20091128104257 東臨港町方面

「骨髄腫セミナー2009年」

日本骨髄腫患者の会の主催で開かれる。患者の会のメール会員による情報共有や悩み相談に重要な役割を果たしていた掲示板を役員が勝手に閉鎖してしまったという権力行使はどうしても納得できない。しかし骨髄腫の最新情報を知りたいと思って参加した。

10時30分から始まり最初の開会の挨拶は患者の会から堀之内みどりさん、研究会総会の会長である張高明医師が行った。次に堀之内明記念骨髄腫研究女性事業、助成課題発表と授賞式が行われた。基礎研究部門と骨髄腫研究会共同研究の課題に対してそれぞれに助成金が送られる。

基礎講演
「骨髄腫はどんな病気」と題し熊本大学付属病院の旗祐介医師が話をした。初心者向けに極めてわかり易く骨髄腫の仕組みから病状、治療法、副作用、骨病変に対する治療など全体を網羅して話した。

まとめ
・抗がん剤には色々な種類がある。
・長所と短所を考えて、適切な治療が決まる。
・治癒は困難だが、よい時期を長くしよう。
・これからはいろんな薬が出来てくる。希望が持てる時代。

骨髄腫の良い所を前向きに考えたら
・予防は不可能、発病の原因は不明-60歳以上に多い老化の一種
・進行はゆっくりの事が多い-時間のゆとりがある。
・いろいろな薬が作られている-あの手この手で治療が可能、病気と共存できる。
・ひとりひとりの病状が違う-他人の病状を気にしなくてもよい。
・骨髄腫患者が増えている-専門医も増えている、薬剤も開発されやすくなった。

次のランチョンセミナーは昼食を食べながら聞く事になる。パネルディスカッション形式で、治療中の患者、病状が安定していて治療を中断している患者5人がかわるがわる自分の日常生活、経験を語るというものだ。

分科会
5つに分かれていて、「64歳以下治療経験のある方」の分科会に出席した。
分科会は13時15分から始まり14時30分近くまで講演が行われその後質疑応答となった。分科会と平行して専門医による個別相談会が行われおり、放送でまだ空きがあると言っていたので思い立って申し込む事にした。「骨髄抑制を伴わない併用療法はないか」と聞くためだ。それが14時30分から15時までの予約だった。

分科会の講演は慶応大学病院の服部豊医師が行った。若年者と高齢者の標準治療の説明から始まり、サリドマイド、ボルテゾミブ、レナリドミドの特性と難治例に対する効果と副作用について欧米における臨床試験の結果を参考にしながら話を進めた。

次に「ダブル自家移植対自家移植後の同種ミニ移植」の効果の比較を様々な臨床試験の結果から説明した。その結論は各国によって異なる。同種移植の考え方としては、移植関連死やQOLの低下が著しく骨髄腫の標準的治療に組み入れられていない。

結論
1、骨髄腫治療は、年々めまぐるしい進歩がある。共によく勉強しましょう。
2、骨髄腫は症例によって臨床症状や治療への反応性が著しく異なる。主治医とよく相談して治療法を選びましょう。
3、副作用を覚悟に完全寛解や治癒を目指すのも一方(若年ハイリスク症例)。糖尿病や高血圧と同じく治癒困難な慢性疾患として病状安定を目指すのも重要(高齢標準リスク症例)。

個別相談
講演が終わる時間が丁度個別相談の時間だった。相談相手は新潟県立がんセンターの医師だった。治療経過は事前の相談用紙に記載してある。

骨髄腫研究会のプロトコールの話の中で出てきたボルテゾミブ+デキサメタゾンを通常の1,4,8,11というやり方ではなく、週1度にして5週サイクルにするという投与方法だ。イタリアでボルテゾミブの週1回投与と週会2回投与比較した所、治療効果は変わらず、末梢神経障害は24%対6%と大幅に減少した。こういった例を出してどうだろうといった話をした。

医者は骨髄抑制の少ない治療法はなかなか考え付かないと言った。そして突然自己末梢血幹細胞移植はどうだろうかという話をした。移植用の造血幹細胞は後2回分残っている。これによって健全な造血幹細胞が生着すれば正常細胞の機能は回復されるのではないかというのだ。

移植は副作用が強烈だから一番やりたくない治療法だ。しかしこれからの選択肢に入れてもいいだろう。医者も結局骨髄抑制の少ない抗がん剤の併用療法について答えはなく、役に立てなくてと言ったが、やはり他の医者でもそうかと確認できた事が役に立った。

閉会の挨拶

最後に分科会の部屋の前で閉会のスピーチが行われ、Susie Novisさんとアメリカの骨髄腫専門医Brian Durie医師の挨拶があった。Durie医師の印象に残った言葉として、IgGの値を気にする以上に、カルシウム値、腎臓の状態、貧血、骨に注意を払ってもらいたい。副作用に関して必ず医師に相談すること、病気になったという恐怖感を希望に変えて行こう、新しい薬はどんどん開発されている。

最後に2日間会場の廊下で、絵描きでイラストレータの末吉陽子さんが自作の展示販売を行なっていた。その末広さんが木目を生かして書いた絵を堀之内さんからSusie Noviさんに贈呈した。これで2日間の全スケジュールは終了した。

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ジャンル : 日記

第34回日本骨髄腫研究会総会

11月21日(土)
日本骨髄腫研究会の総会が新潟の朱鷺メッセの会議場で行われた。A会場は医者が研究成果を発表し、医者が聞くといった内容になっている。B会場は、コメディカル(医療従事者)が自らの体験に基づいた患者ケアの方法について発表する。ボルテゾミブとサリドマイドの使用にあたっての様々な問題点を5チームがそれぞれ研究発表を10分位で行った。

今回の企画の意味について次のように語られている「第34回日本骨髄腫研究会総会では、これまでの研究会の主目的であった基礎研究から実地臨床における医師主導の研究発表の場のみならず、チーム医療を医師と供に根幹で支える看護師・薬剤師等の医療従事者への研究発表、交流の場を企画しております」。

この日の発言を全て網羅出来ないので一番印象に残った講演を記述する。特別講演として、国際骨髄腫財団(IMF)の共同設立者であり代表であるスージー・ノービスさんが「多発性骨髄腫と共に生きる患者における集学的治療及び副作用管理:米国の視点」と題し話をした。

特別講演
集学的治療
今までの医療は医者が中心だった。しかし現在は患者が中心である。患者に対して様々なフォローが行われる。それが集学的治療である。担当腫瘍専門医、ナースプラクティショナー・医療助手、看護師、疼痛専門医、腎臓専門医、理学療法士、放射線腫瘍専門医、整形外科、スーシャルワーカー、食事療法師、薬剤師、作業療法士などが患者を取り囲むようにしてそれぞれの分野で、患者のケアに当たる。

合併症、副作用の管理

多発性骨髄腫の特徴として、第1に骨破壊があり、それが溶骨性病変、病理学的骨折、高カルシウム血症になる。第2に骨髄浸潤で貧血をもたらす。第3にモノクロナールグロブリンによって、腎不全や過粘稠、クリオグロブリン血症、ニューロパシー、アミロイドーシスを誘発し、第4にグロブリン減少で、感染の危険が強まる。

こういった多発性骨髄腫には合併症への管理治療が集学的治療として行なわなければならない。例えば圧迫骨折に関しては、疼痛についての診察、椎体形成術、椎骨形成術、理学療法、作業療法についての診断などを行いながら患者の合併症への対応が各方面から必要となってくる。

副作用が十分に管理されなかった結果として次のような症状が患者に表れる。心理的影響(自尊心の低下、不安感およびうつ状態が患者の全体的な健康に悪影響を及ぼす)、生理的障害、服薬遵守の低下、社会的関心の低下、持続性の低下、有効性の低下などがある。逆に副作用の効果的な管理は反応、転機および患者の生活の質を改善する。

副作用の管理には、血液学的管理、静脈血栓症へのリスク管理、悪心および嘔吐の管理、便秘、下痢の管理末梢性ニューロパシー(神経障害)管理など多岐わたりそれぞれに対して適切な処置が必要である。

骨髄腫における生存
がん生存者の定義「診断を受けた時点から残りの人生までに時間がある個人をがん生存者と考えている。」(NCI,2004年) 多発性骨髄腫の生存率の上昇は質の高い生存ケアに対する新しいアプローチにつながる。生存ケア計画の根拠としては以下の点が考えられる。治療を総括する、治療の最新効果を伝達する、患者と医療提供者の間の持続的なコミュニケーションを促進する、健康的ライフスタイルを促進する(再発の防止、併存状態のリスク低下)。

生存ケアの不可欠な要素として、新規がんおよび再発の予防と発見、がんおよびその治療による影響への介入(骨粗しょう症など)、専門家とプライマリケア提供者間の調整が挙げられる。

生存ケアの一連の流れ、予防-(診断)-初回治療-持続的ケア-(維持)-フォローアップ-(再発進行性疾患)-終末期ケア

新潟080_convert_20091127205224 会議室外側の通路から日本海側を望む

新潟081_convert_20091127204830 通路から萬代橋方面を望む

コメディカルシンポジウム
イントロダクション
特別講演の後、コメディカルシンポジウムが 新潟県立がんセンター新潟病院の張高明医師の「チーム医療で難局を乗り切ろう」というイントロダクションで始められた。

今回のシンポジウムは、日頃からチーム医療の重要性を感じているコメディカルと共に、現状の問題点や他の医療従事者へのMessage等、“徹底した情報の共有”を目的としている。

テーマ1 -「知っておくべき合併症・副作用と求められる役割」といった内容を巡って4人が講演した
内容は「合併症と副作用について」「アンケート結果から見る骨病変診断・治療の実際」「副作用マネージメントの実際と薬剤師の役割」「患者ケアと看護師の役割」

テーマ2 - TEAMで守る薬の安全 TERMSを例に

ディスカッション 
チーム医療の実践 -今、考えるべき事・やるべき事 -
ディスカッサントとして4人が相互に話をした。この4人がテーマ1の講演を行った。
村上 博和 (群馬大学大学院 医学系研究科 保健学専攻)
和泉 透 (栃木県立がんセンター 血液内科)
川原 史子 (新潟県立がんセンター新潟病院 薬剤部)
柏木 夕香 (新潟県立がんセンター新潟病院 看護部)

以上のような内容で一日目の日本骨髄腫研究会の総会は終った。

患者交流食事会
18時30分から2時間、新潟グランドホテル3階の宴会場で患者同士の食事会が開かれた。丸テーブルが10位並べられそれぞれ8人づつ位座る。料理は大皿で運ばれてきて、テーブルが回り勝手に取って食べるというものだ。

ビール、ワイン、焼酎、日本酒が飲み放題。日本酒は新潟の銘酒「越の寒梅」「雪中梅」「八海山」などが並べられている。めったにお目にかからない酒が飲み放題というのだから嫌でもそこにターゲットを絞って通う事になる。

患者同士は話が弾む。似たような経験をしているし、薬や病状や血液の状態などすぐに話が通じる。それぞれ自分の病気の状態を語る事が自己紹介のようなものだ。2時間はすぐに終ってしまった。自分を語りから、人の状態を知ることによって、これからの治療の展望を模索していくのに役に立つ。また自分のことを話すことによって自分の考え方や生き方を整理する事が出来る。患者交流会はどんな場合も重要だ。

宿泊は新潟グランドホテルでは患者会の割引料金が設定されていたので、駅前のビジネスホテルよりは高いが、宴会後移動する気力などでないだろうと思って予約しておいた。宴会が終れば後は部屋に戻って寝るだけだ、ということで嫌が応にも酒のピッチが上がる。

このようにして夜の患者交流会は、最後に国際骨髄腫財団の代表Susie Novisさんとアメリカの骨髄腫専門医Brian Durie医師の挨拶を受け終了していった。

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新潟市内観光

11月20日(金)
明日から日本骨髄腫研究会の総会が始まる。宿泊場所は駅前の安いビジネスホテルを確保してある。どうせ新潟に行くのだから2,3時間市内観光をしようと思って午前中に家を出た。昼過ぎに新潟のホテルに着き、荷物を置いて出かけた。

新潟市公式観光情報サイトに「歩きおすすめコース・JR新潟駅万代口から1時間」というのがあった。この程度なら楽に回れるだろうということでコースどおり回り始めた。

新潟駅万代口→初代萬代橋親柱→万代シティ・レインボータワー→信濃川やすらぎ提→万代橋→北方文化博物館新潟分館→安吾・風の館→砂丘館→NEXT21


新潟駅の万代口から真っ直ぐに伸びた東大通りを行くと、まず最初に出会うのが、初代萬代橋を記念する親柱の模造品だ。1886年に完成した時の橋は、当時の信濃川の川幅が現在の約3倍もあって、この親柱の立つ位置から長さ782mの日本一長い木橋であったということだ。

新潟096_convert_20091125000331 初代萬代橋親柱

さらに東大通を進み左に曲がると万代シテイのビル見えてくる。バスターミナルを中心に複合ファッションビル、専門店、百貨店、映画館、飲食店が立ち並んでいる。ラブラ万代前に七色に塗り分けられたレインボータワーがある。

バスターミナルの2階にレインボータワーの乗り口がある。平日だし、タワーの周辺は閑散としている。小雨がパラパラと降ってくるような空模様だ。やってないのではないかと思ったが、営業していた。やはり客は1人もいなかった。一人でも運転するという。他に行く所もないし乗る事にした。乗るとすぐ動き始めた。回転式昇降展望台で高さは100m、座ったままで新潟市内を一望できる。放送では新潟市内の建物の紹介が行われている。

新潟118_convert_20091125000626 レインボータワー

新潟108_convert_20091125000447 タワーから朱鷺メッセ方面を望む

ターミナルの2階に、観光案内に紹介されていた「みかづき」というファーストフードの店がある。新潟でイタリアンといったらイタリア料理ではなく「みかづきのイタリアン」を指す、新潟のご当地グルメだ。パスタでも焼きそばでもない自家製太麺とキャベツ、もやしをソースで炒めて粉チーズで味付けし、仕上げに特製トマトソースをかけるというものだ。何という組み合わせだと思ったが食べてみるとそこそこいける。

ラブラ万代とスターバックスの間の道を信濃川方向へ直進し、階段を昇ると信濃川やすらぎ堤に出る。左には、水上バス・信濃川ウォーターシャトル「万代シテイ船着場」があるが、全く船が発着している様子は見られなかった。

新潟101_convert_20091125000727 萬代橋

川縁を散策しながら、階段を上って萬代橋に出る。現在の三代目萬代橋の完成は、1929(昭和4)年。6連アーチと側面の御影石による化粧張りが美しい橋で、新潟市のシンボルとなっている。貴重な近代橋梁として国の重要文化財に指定され、橋梁としては、東京・日本橋に続いて2番目の指定となった。

出発してからまだ1時間も経っていない。もう少し市内を回ってみようと思い、観光協会で貰った市内地図で探した。西大畑、旭町界隈に幾つかの見所がある。バスで三越前まで行ってそこから歩いた。

まず行ったのが北方文化博物館新潟分館だった。ここは大地主・伊藤氏の別邸だった建物を博物館としたもので、館内には、會津八一の歌書、良寛の書などを展示してある。また、會津八一が晩年の10年間を過ごした終焉の地だという。

新潟124_convert_20091125000809 伊藤邸の建物

そこから5分位で「安吾・風の館」がある。新潟で少年時代を過ごした作家坂口安吾の記念館である。大正時代に建てられ、戦後は主に接客に使われた旧市長公舎を利用し、応接間に彼の自筆原稿などの遺品を展示する。展示企画としては「安吾の娯しみ」と題して多趣味で知られた安吾の野球バットや釣り道具が公開されている。この館は今年の7月に開館したばかりなのだ。

新潟134_convert_20091125000846 風の館

さらに2,3分歩くと「砂丘館」に至る。ここは旧日本銀行新潟支店長役宅で昭和8年に建てられた近代和風住宅で、日本銀行が直接設計を行った、完成度の高い住宅であり、戦前の日銀支店長役宅で現存するものは、新潟と福島(昭和2年)の二ケ所のみで希少性が高い。施設の持つ往時の雰囲気を探勝できる。

新潟137_convert_20091125001014 砂丘館

豪商の館、市長公舎、日銀支店長役宅といった古い建物を見学したが、建物の手入れが隅々まで行き届いているのに感心した。何時でも人が住めるような雰囲気だ。またそれぞれの庭が凝った造りになっていて見応えがある。丁度もみじが赤く染まり雰囲気を盛り上げている。5時前だというのにすっかりあたりは暗くなってしまった。

バス停まで戻った。新潟三越の向かいにNEXT21があり、ラフォーレ原宿の新潟店を中心として、テナントの飲食店や事務所などがある。地上101m、19階が無料の展望ラウンジになっていって、そこからは古町エリアを中心に新潟市内の中心部を一望することが出来る。新潟の夜景を十分堪能する事が出来た。

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定期検診の日

11月25日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果 
 IgM    1816(11/25)←1766(11/11)←1859(10/28)
 白血球   1900(11/25)←1300(11/18)←1100(11/11)←1200(11/4)
 好中球   880←510←460←660
 血小板   9.6←7.5←6.5←7.0
 赤血球   297←315←306←304
 ヘモグロビン 9.8←10.5←10.0←10.0
 網赤血球   15←12←13←11

10月14日から4日間メルファランを服用して以降、サリドマイドとプレドニンのみを服用している。それにもかかわらずIgMはそれ程所増加していなかった。白血球はまだ少ないがやや持ち直し危険領域から脱出する事が出来た。血小板も上昇した。

今日は骨髄抑制を伴わないサリドマイドの併用療法は何かを考えてくる事になっていた。この間順番にやっている“Guideline Thalidomide in Multiple Myeloma : Current Status and Future Prospects”から最後の項目
BLT-D:サリドマイド+デキサメタゾン+クラリスロマイシン(奏効率93%より)
でやってみようということになった。これは医者も私も同意見だった。ただデキサメタゾンは副作用が強いのでプレドニンで代用する事にした。

何故抗生物質であるクラリスロマイシンが抗がん剤としての機能を持つのか医者に説明を求めたがはっきりとした回答はなかった。副作用として下痢になりやすいということだ。もっともサリドマイドが便秘になりやすいので丁度いいのではないかと思った。しかし実際にはそんなにうまくいく訳はなく、便秘と下痢を繰り返す事になりそうだ。

クラリスロマイシン:
マクロライド系抗生物質といわれるもので、細菌の発育を抑制する作用があります。主にブドウ球菌、レンサ球菌、インフルエンザ菌、またマイコプラズマ、クラミジアなどに効力を示すので、皮膚、呼吸器、泌尿器、耳鼻、歯科領域などの感染症に広く用いられます。エリスロマイシンと同等かそれ以上の抗菌作用をもっています。(ここカラダお薬事典)

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日本骨髄腫研究会総会、患者会セミナー

11月19日(木)
11月21日、22日の2日間、新潟コンベンションセンター・朱鷺メッセで骨髄腫研究会の総会と、患者会のセミナーが行われる。1日目は第34回日本骨髄腫研究会総会が「チーム医療で難局を乗り切ろう」という主題で行われ、第二日目は、日本骨髄腫患者の会の主催で「骨髄腫セミナー」が行われる。

1日目の総会のプログラムは医師向けと、コメディカル(医療従事者)・一般向けに分かれている。一般向けに参加するのでそのプログラムを紹介する。

1日目: 学術講演会 B会場 コメディカル一般向け演題

一般演題A
・bortezomib投与における末梢神経障害評価法の検討
・ベルケイドの治療による末梢神経障害に対応した観察表作成の取り組み
・ベルケイド療法による有害事象の発生状況が退院後の生活に及ぼす影響
・外来ベルケイド療法に移行した多発性骨髄腫患者の不安に対するチームアプローチ
・多発性骨髄腫に対するMultidisciplinary NSTによる造血幹細胞移植のアウトカム向上

一般演題B
・サリドマイド製剤の円滑な導入を目指した取り組みとその評価
・サリドマイド製剤の調剤の現状と薬剤師としての取り組み
・サリドマイドの運用についてのチームでの取り組
・多発性骨髄腫ケアマニュアル作成への取り組み
・在宅で終末期医療を行った多発性骨髄腫の一症例

ランチョンセミナー
ボルテゾミブ治療における副作用対策 -チーム医療への取り組みー

特別講演 
Multi Disciplinary Cancer Treatment for Multiple Myeloma and Management for Side-Effect in the US. (アメリカIMF・国際骨髄腫財団・患者の会)
多発性骨髄腫におけるチーム医療および副作用マネジメント

コメディカルシンポジウム 「チーム医療で難局を乗り切ろう」 

Introduction  「今、何故チーム医療なのか?」
テーマ1  知っておくべき合併症・副作用と求められる役割
テーマ2  TEAMで守る薬の安全 TERMSを例に
ディスカッション チーム医療の実践 -今、考えるべき事・やるべき事 -
講演 「チーム医療はなぜ必要?- 患者の立場から-」

2日目: 患者の会主催「骨髄腫セミナー」
基礎講演 「骨髄腫とはどんな病気?」 (仮題)
ランチョンセミナー
 「パネルディスカッション  私の日常―患者さんの経験談」
分科会「よりよい治療選択」
 1) 65歳以上 治療経験のない方 2) 65歳以上 治療経験のある方
 3) 64歳以下 治療経験のない方 4) 64歳以下 治療経験のある方
 5) 家族の分科会(IMF代表 Susieを囲んで)
 分科会に平行して個別相談会が行われる。

 当初は14時からのシンポジュウムがプログラムに載っていたので、21日の朝出ればいいと思っていたが、よく見ると1日目の総会が朝9時から始まるので、当日東京を出たのでは間に合わない。20日の宿泊場所を確保しなければならない。新潟駅近くの安いビジネスホテルをネットで予約した。

ネットで予約すると半額近くになるということをこの前京都に行って始めて知った。駅前のビジネスホテルを訪ねて、ネットで見た値段で泊まれるかと聞いたら倍近くの値段を言われた。ホテル側もYahooトラベルとかじゃらんに登録しておくとそこから集客できるので安くしているのだろう。

明日から24日位まで総会とセミナーを挟んで何処に行くとも決めていないが、新潟で紅葉でも見に行ってみようかと思っている。紅葉の見頃は過ぎたらしいが色あせ始めでも楽しめるだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

北区のさんぽみち-1 王子・滝野川コース

11月18日(水)
検診とG-CSFの注射を終え、病院を出たのが1時過ぎになってしまった。血液検査が終って医者に呼び出されるまでに1時間半、5秒位で終る注射を打つのに1時間待った。早めに終れば少し足を伸ばして紅葉でも見に行こうと思ったが、この時間だと近場に行く外ない。紅葉情報の中に、王子駅から15分位の所にある金剛寺・紅葉寺が紹介されていた。

金剛寺がメインだが、その周辺にも見所がある。散策コースとしては「北区のさんぽみち」の「王子・滝野川コース」に重なる。
音無親水公園→王子神社→緑の吊橋・音無さくら緑地→金剛寺→音無もみじ緑地→寿徳院→近藤勇の墓

JR王寺駅の北口の改札口を出て、明治通りに出ると思っていたら目の前には川が流れていて、川沿いに木々が枝を垂れている。音無親水公園という。石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれている。

王寺神社002_edited_convert_20091119125840 音無親水公園

園内には、かつてあった「権現の滝」、木橋の「舟串橋」が再現され、水車や行灯も置かれている。川沿いの情景や、遊歩道の東屋、休息用の石などは昔風にしつらえてあり、趣のある公園になっている。日本の都市公園100選に選ばれているそうだ。春は桜、秋は紅葉を楽しめる。

公園をしばらく行くと、王子神社の境内に登る石段がある。この神社は元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を迎え、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれる。それよりこの地は王子という地名となった。境内は閑散としていたが七五三のお参りに来た親子連れが写真を撮っていた。大銀杏が日差しを浴び金色に輝いていた。

王寺神社005_edited_convert_20091119130050 大銀杏

王寺神社006_edited_convert_20091119130206 王子神社拝殿

音無親水公園はそのまま石神井川沿いの遊歩道につながる。川沿いには所々に公園があり、音無さくら緑地、もみじ緑地、くぬぎ緑地などと名づけられている。石神井川沿いはさくらの名所だ。そのさくらの木々が紅葉し、川辺を赤く染めている。

川沿いを10分ばかり行くと紅葉橋があり、その橋を渡ると真言宗瀧河山金剛寺だ。この付近一帯は、徳川八代将軍吉宗の命により、カエデが植樹され、金剛寺も「紅葉寺」として今も親しまれている。しかしまだもみじは紅葉していなかった。中々凝った庭園で、京都の庭を思わせるように手入れが行き届いている。

王寺神社028_edited_convert_20091119131350 金剛寺本堂

王寺神社031_edited_convert_20091119130403 金剛寺の庭

そこから石神井川沿いをさらに進んでいく。大きな大仏が目に入った。何でこんな所に大仏があるのだと驚かされた。谷津大観音と記されていた。すぐ傍に寺院があり「真言宗豊山派・谷津子育観音・寿徳院」と書かれていた。ここは新撰組の近藤勇の菩提寺だそうだ。

そこから15分位で板橋駅に着いた。板橋駅には近藤勇の墓がある。処刑された近藤勇の首は京都に運ばれ、胴体がこの地に残された。新撰組の隊員であった永倉新八がこの地に墓を建てた。

王寺神社055_edited_convert_20091119131539 近藤勇の墓

永倉は路線的には近藤勇と対立したが、数少ない新選組の生き残りとして『新選組顛末記』を残し、新撰組の顕彰につとめた。これによって、「新撰組は人斬り集団」という従来の固定観念を突き崩し、新撰組再考の契機となった。その一貫として近藤勇の墓の建立もあったのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

臨時検診の日

11月18日(水)
10月28日、好中球が500になって以降、骨時抑制の状態を把握し、治療方針を決めていくのに毎週血液検査をし、その結果で薬の量を調節する事になった。

検査結果
 白血球   1300(11/18)←1100(11/11)←1200(11/4)←1200(10/28)
 好中球   510←460←660←500
 血小板   7.5←6.5←7.0←7.4
 赤血球   315←306←304←310 
 ヘモグロビン 10.5←10.0←10.0←10.2
 網赤血球   12←13←11←3

10月15日からメルファラン8mgを4日間服用してから、既に1月以上経っている。本来11月11日から4日間服用するはずだったメルファランは、白血球数が回復しないので服用出来なかった。好中球460でさらに骨髄抑制の強いメルファランを飲むなど自殺行為に等しい。

メルファランによってもたらされた骨髄抑制は、未だ強く影響している。好中球の増加は微々たるものでしかない。結局今日の結果においても好中球510ではとうていメルファランの服用は不可能だ。来週検診があるが、その時までに急激な増加は望めない。せいぜい白血球値は1500位にしかならないだろう。その状態でサリドマイド+MP療法を続けるのは不可能だろう。

しかし抗がん剤の服用を何ヶ月も止まらせておく訳にはいかない。IgMは薬が途切れれば増加するのは明らかだ。次の治療法を考え出さなければならない。医者と私の方で、次回10月25日までにそれぞれ治療方針を考えてくる事になった。条件は骨髄抑制が少ない抗がん剤を使用する療法ということだ。骨髄抑制が少ない抗がん剤という言葉自体が矛盾している。骨髄抑制はほとんどの抗がん剤に張り付いているようなものだ。

サリドマイドの併用療法をGuideline Thalidomide in Multiple Myeloma : Current Status and Future Prospectsを参考にしながら順番に試してきた。後残っているのに、BTLD:低容量サリドマイド+デキサメタゾン+クラリスロマイシン(奏効率93%)というのがある。抗生物質であるクラリスロマイシンが何故抗がん作用を持つのか分らないが書いてあった。

別の資料に、TDD:サリドマイド+デキサメタゾン+ドキシル、TVAD・Doxil:サリドマイド+VAD(ドキソルビシンの代わりにドキシルを使う)といった療法が紹介されていたがドキシルは骨髄抑制が強くて使用できないだろう。

ラニムスチン(サイトメリン)は今まで使用しておらず候補に挙げられるが、この薬との併用療法としてMPやVADがあり、通院では骨髄抑制が強く使用できないだろう。いざとなれば入院して治療するという手もある。

WM治療の主流は悪性リンパ腫の最新治療法だろう。従来使用していたシクロホスファミドなどに、リツキシマブやフルダラビン、クラドリビンなどを組み合わせ、さらにサリドマイド、レブリミドも含めたコンボがかなり奏効率を上げている。しかしリンパ腫で奏効する抗がん剤はどうも私には効かない様だ。

恐らく次回医者が言ってくるのはサリドマイド+ボルテゾミブ(ベルケード)+デキサメタゾンの併用療法だろう。ボルテゾミブによる血小板数の減少と、末梢神経障害に関しては薬の量を加減しながら続けていくと思われる。白血球減少よりも、血小板減少の方がまだ日常生活に及ぼす影響は少ない。

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サバイバーシップ

11月17日(火)
辺見庸の書物の紹介を読んでいたら、彼の病状経過が書かれている記事が目に入った。そこで原発性マクログロブリン血症という同じ血液ガンに罹ったということを始めて知った。

辺見庸の病状経過
2004年春に脳出血で倒れた。命はとりとめたが、右半身麻痺、記憶障害などの重い後遺症が残った。
追い討ちをかけるように2005年に大腸がんに罹る。
2005年12月、原発性マクログロブリン血症という血液がんになり入院した。
化学療法などの治療を行い退院。
2006年10月再入院。
12月28日退院以後、通院による治療を受けている。

2008年4月九段会館で彼の「死刑と日常」と題する講演を聴いた。途中休憩を挟みながら4時間近くに渡って話し続けた。病気の副作用や後遺症に悩まされていたに違いない。しかしそれを全く感じさせない話しぶりであった。

辺見庸は、がん患者が自分自身をサバイバー(生還者、克服者、生き残り)と語る事の意味について主張している3点を挙げ、自らもサバイバーだという。

1、 生死を見つめた人間が、自分らしく尊厳を持って生きようという「自らの決意表明」
2、 自分のプライドを表現する言葉として存在している。
3、 癌体験は自分と家族の人生に大きな影響を与えたことの意味を自覚する。

サバイバーの意味
について考えて見たいと思い、がんサポートからの提言「患者よ!がんサバイバーになろう」を読んでみた。その中にサバイバーについての考察がある。

 がんサバイバーとは、がんと向き合い、自らの意思でがんとともに生きていこうとしている人のことである。自分たちは「がん患者らしく」ではなく、がんという病気と向き合いながら最後まで「自分らしく」生き抜きたい、生を全うしたいという人間としての当然の権利を主張する。

 がんサバイバーシップは、発病し、がんと診断された時からその生を全うするまでの過程を、いかにその人らしく生き抜いたかを重視した考え方とも言える。がんと共存し、意味ある人生を生き抜くという、能動的な姿勢がそこにある。

 患者が自分の価値観で選択したことを主張していく力が必要となる。そしてその力を高めていくためには問題解決力、情報探求力、自己決定力などの力が大切になってくる。

 しかし、サバイバーの前には幾多の困難が立ちはだかっている。社会のがんとがん患者に対する誤解や偏見、無理解と戦っていかなくてはならない。これは治療でがんと闘う以上に大変な困難を伴う。

さらに身体的問題として疼痛、疼痛以外の症状、副作用、心の問題として不安、恐怖、怒り、生きがい問題として疎外感、孤独感、残された日々、社会生活上の問題として家庭生活、収入、仕事、地位、医療技術者との関係として意思疎通、説明不足などだ。

いかにしてサバイバーへのサポートシステムを作っていくかが問われている緊急の課題だ。

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黒澤明監督 『生きる』

11月15日(日)
TSUTAYAで旧作を期間限定で半額で貸し出すというキャンペーンをやっていた。今話題の『ゼロの焦点』が最初に映画化された野村芳太郎監督の映画を見てみようと思った。また黒澤明の見ていない何本かを借りた。『生きる』『天国と地獄』『赤ひげ』などだ。

『生きる』は学生時代に見た事があるような気もするが、自分ががんに罹り、余命を宣告された今見ると全く違った映画に見えてくる。強い感情移入が起こり、感動を呼び起こす。主人公は自分の死期を悟った時、初めて“生きる”とは何かを掴んでいく。“生きる”とはどういうことなのか。どう“生きる”か、家族の為に、誰かの為に、あるいは自分の為に、何をなすべきか、残された時間をどう生きるか難しい問題だ。

生きる_convert_20100507220441 物語の進行の一こま一こまが死に直面した主人公渡辺の動揺と迷いを表現している。渡辺勘治(志村喬)は市役所の市民課長を務める53歳の男だ。役所では書類の山に囲まれ、判子を押すだけの毎日を繰り返している。時々時計を見る。役所では時間を潰しているに過ぎない。

仕事が終ると家に真っ直ぐ帰る。仕事帰りに同僚と付き合ったり飲みに行ったり遊びにいったりもしない。何の変化のなく波風も立たない生活を何十年も続けている。まだ子供が小さいうちに連れ合いに死なれ、自分のやりたい事も我慢して、子供のためだけに仕事を続けている。30年間無遅刻、無欠勤で。それは毎日息をしているだけで「生きている」といえるものではなかっただろう。

最近、胃の調子が悪く、薬を飲んでいる。医者にレントゲン写真の結果を聞きに行く。医者が「胃潰瘍ですな、少し症状が進んでいますが。普通に生活しても大丈夫です」と言うと、自分の病状が分る彼は「胃がんだとはっきり言って下さい」と叫ぶ。もはや余命が半年もないと悟った彼は、貯金を降ろし夜の街にさ迷い出る。役所には無断欠勤する。市役所の職員は課長の欠勤が信じられない。

1人で居酒屋で酒を飲んでいるとそこで小説家にあう。小説家は渡辺の死期が近いことを知らされる。一人で感動し、余命幾ばくも無いこの男の最後の快楽を味合わせようとメフィストフェレスを気取って歓楽街の案内役をかって出るのだった。

パチンコ屋、キャバレー、バー、ダンスホール、ストリップ劇場と練り歩く。キャバレーのピアニストが客に曲をリクエストした。渡辺はゴンドラの唄を頼む。ピアノが始まり、何人かの男女がフロワーで踊始めるが、彼が低い声で歌い始めるとその切々とした身を裂くような歌声に踊りをやめ、あたりは静まりかえり、彼の歌がだけがホールに流れる。しかしこういった歓楽の世界は彼の心の空隙を埋めることは出来るはずもなく、どのような平安もたらさなかった。

朝帰りの渡辺が憔悴して帰宅しようと歩いている所で、区役所の若い女子職員の小田切とよ(小田切みき)に出合った。彼女は区役所の仕事の事なかれ主義に嫌気が差し退職した。退職願には課長の判が必要だというのだ。家に連れ帰り、用紙に判を押してやる。渡辺はとよの靴下に穴があいているのを見て、再び二人で出かける。息子夫婦はそんな様子を見て、父親が女遊びをしているのだと勘違いするのである。

靴下を買った後、渡辺はとよと、パチンコ屋、スケートリンク、遊園地で時を過ごす。喫茶店での話しの中でとよは自分が付けた職場の人のあだ名を言う。「課長さんにも付けてあるのよ」「ほう・・・?」「・・・ミ・イ・ラ」渡辺は納得せざるを得ない。自分は長い間、生ける屍だったのだから。人からもそう見られていたのか。

渡辺は、とよの屈託の無い若さにすっかり魅了されるのだった。渡辺はとよの新たな職場へも押しかけた。迷惑そうな顔でとよは、「今度だけよ」と言いながら付き合った。お茶を飲みながら、「何故、わたしのところへ来るのよ」ととよは言った。渡辺は、自分が胃がんの末期であることを話し、自分はどうしていいか分らないと苦痛に満ちた声で言う。どのように残された時間を生きていったらいいのかその答が見付からないことで苦しみもだえる胸の内をさらす。

とよはウサギの人形を出した。テーブルの上をカタカタと動き回る。「今、こんなものを作っているの。結構楽しいのよ。日本中の子供と仲良くなったような気がするわ。・・・課長さんも何か、作ってみたら?」

渡辺はじっと人形を見つめている。そして何かに取り憑かれたような表情になった。自分の余命を知り、苦しみ迷いながらその煩悶をとおし、彼は「生きる」ということはどういったことかをやっと見出すことが出来た。

渡辺は何日ぶりかで出勤した。そして、すぐさま先日主婦達が陳情に来た汚水溜めのある土地の視察に出かけたのだ。陳情は近所に汚水溜めがあるため子供が病気になる、何とかできないものか、例えば公園を作るとか・・・というものだ。かって陳情に来た時には渡辺は顔も上げずに「土木課」へ回せと言っただけだった。

その時は、彼女たちの訴えは、土木課から始まって、公園課、水道課、衛生課、予防課、防疫課、下水課、道路課、都市計画部、区画整理課と、あちこちにたらい回しにされ、結局どこも真剣に取り合おうとせず、主婦たちは憤慨して帰っていったのだ。それから5ケ月彼は全身全霊で公園建設のためを捧げる。

 公園が完成したある日、彼は雪の降る公園のブランコに乗り、1人満足そうに「ゴンドラ唄」を口ずさんでいた、そしてその公園で息絶えていた。家の玄関には息子宛に預金通帳と退職金受け取りの書類が置いてあった。

   「ゴンドラの唄」
  いのち短し 恋せよ乙女 紅き唇 あせぬ間に 
  熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを 

  いのち短し 恋せよ乙女 いざ手をとりて かの舟に
  いざ燃ゆる頬を君が頬に ここは誰も 来ぬものを
  
  いのち短し 恋せよ乙女 黒髪の色 あせぬ間に
  心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび来ぬものを


この唄がこの映画に何故かぴったりと合う。全体的内容は「生きる」ということと関係なさそうに見えるが、「命短し」「明日の月日はないものを」「今日はふたたび来ぬものを」この言葉は余命宣告を受け止めた者にとって切実な言葉だ。しかし死は全ての人に訪れる。全ての人は限られた命を生きているに過ぎない。残された時間は誰にも分らない。死を考えるとき「生きる」ということ、そして今をいかに生きていったらいいのかと考えざるを得ない。

この映画が問いかけているものは「人間いかに生きるか」ということだろう。黒澤監督はこの映画の趣旨を「あの映画で僕が自分に問いかけたのは「どうしたら心安らかに死ぬことが出来るか」だった。答えは「いつもベストを尽くして生きていく」ということだった。死を思うことは生を問うことなのだ。」と言っている。限られた人生に無駄な時間はない。ベストを尽くすことが心安らかに死ぬために必要なのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

院内患者家族交流会(おしゃべり会)

11月13日
K病院の院内患者交流会は2ケ月1度第2金曜日に定期的に行われる。入院している患者は自分のこれからを知りたいと思う。患者体験者の話を聞くことでこれからの人生をどう生きていくかの参考になるだろう。退院した人は、体調が回復していないこともあり外出することもまれだ、人間関係が狭まって家族以外話し相手もなく部屋に閉じこもりがちになる。

患者会の集まりはそういった個々の閉塞感を開放する場なのかもしれない。この場の話で何かを解決出来る訳ではない。主催している「ももの木」のメンバーは臨床心理士でもないし精神分析医でもない。心の鬱積を晴らすには心理療法士や精神分析医の助けよりも、患者同士が悩みをぶつけあってカタルシスを得ること以上の解決はないと思える。普通の人同士の話では、ちんぷんかんぷんな言葉でも患者同士なら打って響くように反応する。 

今日集まった3人の40代の女性は全く違った病状経過を辿っている。1人は、2年前に移植をしたが、未だ慢性GVHDに悩まされている。嗅覚が効かず、口腔内の機能が回復せず、味覚に障害がある。しかしグルメ志向の人で料理は趣味とも言えるほど好きで、毎日工夫をこらし料理を作る。焼き菓子まで作りその味は専門店の焼き菓子に勝るとも劣らない絶妙なおいしさなのだ。今日の持って来てくれた。それを食べながら交流会を和やかな雰囲気でやった。

2人目は、10月に慢性骨髄性白血病と診断され、グリベックを服用したが副作用がひどく、喉の炎症で呼吸が困難になるほどだったので服用を止め、今は無治療状態だという人だ。グリベックは副作用の少ない薬だと言われている。奏効率89%という効果的な薬だ。この病気は治癒することはなく一生グリベックを服用し続けなければならない。彼女はグリベックを1週間服用し中止したが、その効果はあって白血病細胞は縮小しているが副作用のため中止せざるを得ないというまれな例なのだ。

3人目は、入院患者の人で病棟から来てくれた。彼女は再生不良性貧血と診断され、免疫抑制療法(ATG)をやって回復したに見えた。しかしその後白血病になって、今年の1月に移植をした。これは珍しい例だ。骨髄異型性症候群の場合は急性骨髄性白血病に転移する場合があるが、再生不良性貧血で白血病になる例はまれだ。移植後GVHDが強く移植室に3ケ月いた。その後感染症で入院し、今回2度目の感染症での入院だった。肺炎ということだ。1週間後には退院するという。

血液がんに罹るということは、治療期間が長期に渡るということもあって、人生設計を根本的に変えざるを得ない。臓器がんの場合、転移がなければ外科手術で体調が回復すれば職場復帰も可能だ。

血液ガンの治療に伴う抗がん剤治療は体力を根こそぎ奪う。疲労感、倦怠感に数年に渡って悩まされる。職場復帰が極めて困難である。その意味でこれからの人生をどのように組み立てていかなければならないか考えざるを得ない。

そういった意味で患者同士の話は、生きることの根底に触れるものにならざるを得ない。「人生いかに生きるべきか」といった哲学的命題に直面するのだ。病気にならなければ日常の生活に何の疑問もなく流されるように生きていける。それが惰性と思って時々空しさを感じたとしても、そんなことは日常の多彩な出来事に翻弄され忘れてしまう。

しかし患者はそうは行かない。「いかに生くべきか」この問いを背をわなければならない。だからこそ患者・患者体験者の話は人間の本音の声であり、どんな言語よりも奥深いものである

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がん性疲労

11月12日(木)
化学療法と移植の影響で疲労感は恒常的に存在していた。その影響は2年位続いたのかもしれないが、その後も疲労感から開放されない。何故なの分らないがそれも波があって、外出したくなる時もあれば家でグッタリしている時もある。

サリドマイド+MP療法をやって白血球などが減少し、気分的なのかもしれないがこの1、2週間疲れやすくなった気がする。がん性疲労についてネットを検索していたら「シリーズ・がんに伴う症状とその管理・全身倦怠感・疲労感」執筆・古井奈美(癌研有明病院看護部)があった。がんと疲労との関係について直接取り上げた文献が珍しかったので、自分の現状を知る参考にしようと以下引用してみたい。

全身倦怠感・疲労感-原因及び誘発因子
この正確な発生機序は不明ですが,化学療法法や放射線療法,免疫療法による直接的ながん治療によるものや,がんに関連する問題を解決するために使われる薬剤(鎮痛薬,抗うつ薬,睡眠薬など)により生じる場合があります。

また,がんと診断されたことや,治療に伴い長期間にわたり経験する極度のストレスによって多くのエネルギーを消耗し,全身倦怠感・疲労感へとつながること があります。さらに,がん増大に伴う代謝異常,がん細胞から産生される各種サイトカイン,貧血や栄養障害,がん悪液質などの身体的要因によるものなど,いろいろな要因が相互に影響しながら発現していると考えられています。

1)がん治療
全身倦怠感・疲労感は,化学療法,放射線療法,骨髄移植,免疫療法などに伴う共通の症状です。いずれの治療でも細胞が破壊されることによって全身倦怠感・疲労感が生じます。化学療法では貧血によって,化学療法を繰り返すことで症状は徐々に増すことがあります。また,治療による気分の変化や睡眠パターンの崩れ,吐き気や嘔吐,慢性の痛みや体重減少なども原因となります。

2)痛み

慢性的ながんの痛みは,活動性の低下や食欲減退,睡眠障害,うつなどを引き起こし全身倦怠感・疲労感の要因となります。

3)心理的因子

患者様は,がんと診断されたこと,健康でなくなったことに精神的な苦痛を感じます。そして気分や信念,態度,ストレス因子に対する反応により全身倦怠感・疲労感が生じます。

4)睡眠障害および活動低下

夜間の睡眠障害や日中の過眠,あるいは日中の活動性の低下により,全身倦怠感・疲労感を生じます。

5)貧血
貧血により呼吸が浅くなり,労作時の呼吸困難や全身倦怠感・疲労感を生じます。貧血は,疾患そのもの によるものと,治療に伴って生じるものがありますが,と きには別の原因が関係している場合もあり,それらを見分けることは困難です。

6)栄養障害

身体エネルギーの需要が供給を上回る場合に生じます。正常に食物を消化する身体能力の変化(グル コース,脂質,タンパク質代謝の障害などによる),身体 エネルギーの要求増大(腫瘍の成長,感染,発熱,呼吸困 難などによる),食物摂取量の減少(食欲減退,悪心,嘔吐,下痢,腸閉塞などによる)などが関与しています。

7)合併症

感染症や心疾患,呼吸器疾患,腎疾患,神経 疾患,腹水貯留,甲状腺機能低下症などを合併すると全身疲労感・倦怠感を伴います。

8)がん悪液質

がん悪液質とは,体液や電解質の欠乏または不均衡,タンパク質の欠乏,有害な老廃物の 蓄積などによって食欲不振,食物の消化吸収不良,蓄えられた体力の激しい消耗などから著しい栄養不良に なり,やせて衰弱した状態です。末期のがん患者によ くみられ,全身倦怠感・疲労感の原因となっていますが,治療には抵抗性を示すため,他の要因と鑑別する ことが重要です。

この原因に対する分析に続いて「治療及び支援のポイント」が述べられている。
1、休息、2、娯楽・気晴らし、3、運動、4、栄養改善、5、睡眠改善、精神障害改善、6、薬物療法(ステロイド、抗うつ剤)

幾つかの見解
疲労感は、WMの患者では広く見られ、原因は幾つか推定されています。貧血は、原因の一つですが、WM,MMのように連銭形成が見られると酸素交換効率が落ちるので、Hgbの数値以上に症状が出るような気がします。その他、軽度のがん悪液質や腫瘍細胞から出る様々な物質の影響が考えられています。
もちろん、具体的には言えませんが、いろいろな意味での老化や運動不足なども要因の一つだし、これらが複合的に関係していると思います。(ブログへのKaitjn8さんのコメントより)

多発性骨髄腫患者には疲労が非常に多く見られ、その患者の割合は90%~100%に上ると推定されています。多発性骨髄腫患者にがん性疲労が非常に多いと言っても、疲労の原因となる生理学的メカニズムは、正確には解明されていません。
しかし貧血を治療したり、疲労に対処したりするのに有用な方法があることは分かっています。(「貧血と疲労の理解」・骨髄腫患者の会翻訳チーム)

貧血は骨髄腫に特有の症状です。 髄中の赤血球前駆細胞の異常は明らかに貧血を引き起こす因子の一つですが、より機能的な面から説明すると、微小環境のサイトカイン および接着分子の影響によって赤血球形成が抑制され、貧血症状を引き起こします。
TNF-α は赤血球形成を阻害する重要なサイトカインですが、進行性の骨髄腫においてはさまざまな因子が相互作用し、貧血のみならず、骨髄中の IL-6 の亢進により 好中球減少と血小板数の増加を引き起こします。同様に、好塩基球、好酸球、単球の増加も起こります。(International Myeloma Foundation Concise Review)

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定期検診の日

11月11日(水)
2週間一度の定期検診の日。血液検査の結果は以下の通り。

検査結果 
 IgM    1766(11/11)←1859(10/28)←2128(10/14)
 白血球   1100(11/11)←1200(11/4)←1200(10/28)←2000(10/14) 
 好中球   460←660←500←1190
  血小板   6.5←7.0←7.4←11.7
 赤血球   306←304←310←323 
 ヘモグロビン 10.0←10.0←10.2←10.4
 網赤血球   13←11←3←12

2月ごとに計る項目の検査結果
 アルブミン    4.3 (基準値3.9~5.0)
 β2ミクログロブリン  1.6(基準値0.8~1.7)

 総コレステロール    222 (基準値125~255)
 HDLコレステロール  66 (基準値34~88)
 LDLコレステロール  141 (基準値70~139)
 中性脂肪値       151 (基準値30~150)

9月16日から始めたサリドマイド+MP療法の問題点はメルファランによる骨髄抑制だった。最初効果が見られなかったので、サリドマイドを100mgから200mgにした。1ケ月目からIgMが下がり始め効果を上げだしたが、それと同時に白血球と血小板が下がり始めた。サリドマイドを200mgからまた100mgに戻したが、白血球、血小板の減少は止まらなかった。

前回メルファランを服用したのが10月14日から4日間だったがその影響が1ケ月たった今日まで続いている。毎週G-CSFの皮下注射をやっているが全く効果を発揮していないようだ。

入院中は白血球が減少すれば4,5日続けてG-CSFを注射するが通院の場合そうもいかない。週1回では効果が出ないのだろう。好中球が再び500以下になってしまった。入院中であればクリンメートという空気清浄機を付けビニールで囲まれたベッドから出られない状態に置かれている状態だ。

このまま骨髄抑制が続くようだと、サリドマイド+MP療法は中断せざるを得ない。折角形質細胞腫瘍に対し効果を発揮しているのに中断するのは忍びないが、このまま正常細胞の減少が続けば生命に関わってくる。このまま続けようとすれば入院治療しかない。

結論として、本来明日から服用するはずのメルファラン8mg4日間の服用を中止する。来週水曜日の血液検査で白血球数が上昇していれば、メルファランを次の日から服用する。そうでなければ療法を変えざるを得ない。

骨髄抑制の強いメルフェランを使っての療法はやはり無理があったような気がする。抗がん剤治療を4年間やってきてやはり造血機能が弱ってきているのかもしれない。以前MP療法をやっていた時にはそれ程正常細胞への影響はなかったが今度ははっきりと現れてしまった。下記のグラフはサリドマイド+MP療法を始めてからの好中球と血小板の状態である。好中球は低迷し、血小板は下降し続けている。

無題 好中球数

9月2日の好中球の減少は、サリドマイド+ビンクリスチン+デカドロン療法の効果が減少してきたのでサリドマイドを1日100mgから200mgに増加したことによる。

mu.jpg 血小板数

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山本周五郎 『赤ひげ診療譚」

11月10日(火)
61PD3VBK46L__SL500_AA240__convert_20091110231241.jpg『赤ひげ診療譚』を読んだ。この小説は赤ひげこと新出去定が、見習い医員である保本登に語る言葉を通して、山本周五郎が自らの人生哲学を余す所なく語ろうとしたとのだと思う。

物語は保本登を巡って展開される。幕府の御番医という栄達の道を歩むべく長崎遊学から戻った保本登は、徳川幕府による無料診療所・小石川養生所の“赤ひげ”とよばれる医長新出去定に呼び出され、医員見習い勤務を命ぜられる。貧しく蒙昧な最下層の男女の中に埋もれる現実への幻滅から、登は赤ひげに反感を持つが、次第に彼の人柄に魅せられてゆき、最後は出世の道を捨てて赤ひげと共に貧民救済の医療を志すようになる。

この小説を読んだ時に、ドイツの教養小説(ビルドゥングスロマン)の感じを受けた。保本登が、赤ひげとの関係、様々な人とのふれあいの中で人間的に成長していく過程が描かれている。

この展開はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代・遍歴時代』を感じさせる。この本の中でマイスターは次のように語る「いかに人類が、罪ある人にたいしても優しく、犯罪を犯した人をいたわりをもって、非人間的な人を人間的に扱うことができるようになるまでには、実に長い道のりが必要だったんだ。」この小説によって、啓蒙思想の流れを汲みながら、ドイツの封建制度を越え、自由な市民はありとあらゆる多面的な人間形成への権利を持っていると宣言しようとしたのである。

医療費など支払う事ができず、医者にかかることなど出来ないそれ故、病気になれば死ぬしかない最下層の人への医療活動を続けているうちに保本登は人間的に成長していく。彼の語る言葉は次第に自己本位から他者との関係の中における自己を見出していく。『赤ひげ診療譚』の中から新出去定の言葉を通して山本周五郎の人間に対する考え方が書かれて所を引用してみたい。

『赤ひげ』の中の山本周五郎の言葉
病気が起こると、或る固体はそれを克服し、別の固体は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることは出来るし、生命力の強い固体には多少の助力をすることも出来る、だがそれだけのことだ。

現在われわれのできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ。貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない。・・・それは政治の問題だと云うだろう、誰でもそう云って済ましている。だがこれまでかって政治が貧困や無知に対してなにかしたことがあるか。

世間からはみだし、世間から疎まれ嫌われ、憎まれたり軽蔑されたりする者たちは、むしろ正直で気の弱い、善良ではあるが才知に欠けた人間が多い。これがせっぱ詰まった状態にぶつかると、自滅するか、是非の判断を失ってひどいことをする。

かれらも人間なのだ。貧困と無知のため苦しんでいるものたちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ。

人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない、だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、愚鈍で弱で貪欲でいやらしいものもない。・・・この世から背徳や罪悪をなくすことはでないかもしれない。しかしそれらの大部分が貧困と無知からきているとすれば、少なくとも貧困と無知を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。

暇に見えて効果のある仕事もあり、徒労のようにみえながら、それを持続し積み重ねる事によって効果のあらわれる仕事もある。おれの考えること、して来たことは徒労かもしれないが、おれは自分の一生を徒労にうちこんでもいいと信じている。

罪を知らぬ者だけが人を裁く。罪を知った者は決して人を裁かない。

あの女は無知で愚かというだけだ、それもあの女の罪ではなく貧しさと境遇のためなんだ。悪い親だが、どなりつけたりいやしめたりすれば一層悪くなるばかりだ、毒草から薬を作り出したように、悪い人間の中から善きものを引き出す努力をしなければならない。人間は人間なんだ。

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山本周五郎の小説

11月9日(月)
池波正太郎の図書館にある連作物『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人藤沢梅安』を一通り読んだ。娯楽小説として全く飽きさせない筋立ての組み立ては見事という他ない。内容は勧善懲悪そのものだ。「水戸黄門」が40年間放送を続けていていまだ人気が衰えない。視聴率でもNHKの大河ドラマに続いて2位の座をずっと占めている。

一般庶民にとってこの勧善懲悪はすこぶる分り易いのだろう。世の中中々思うようにならない。それをすっきりと割り切って解決するその爽快感をせめてドラマや小説で味わいたいと思うのは当然だろう。

池波正太郎の次は誰の小説を読もうかと思った。若い頃、二十歳過ぎの女性が山本周五郎のフアンだと言っていたのを思い出した。その頃は何で時代小説に興味など持つのだろう、そして名前しか聞いたことのない山本周五郎の小説はどんなものだろうと思った。ともかく読んでみようと思って図書館から何冊か借りてきた。

まだ短編小説を4,5冊しか読んでいないが、高潔な人格を尊ぶ道徳性が彼の小説の底流にある。様々な展開があるが人間とはこうあるべきだという彼の理念が小説に反映されている。彼は庶民や下級武士、遊女など江戸時代の厳しい身分制度の中で懸命に生きる人間の哀歓を情感豊かに描きながら、その中から人が生きることの意味を見出そうとしてきた。

“武家もの”に関しては、本来武士の道義の根幹である、信義礼智仁を貫くことを自らの利害よりも重んじそれに殉ずる人物が描かれている。これは、ある意味で道徳大系としての武士道に通じているのだろう「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」。

こういった考え方は、実際には幕藩体制の爛熟の中で有名無実化されてしまってきている。その中でなおかつあくまでも武士としての信念を貫こうとするのが小説の主人公である。山本周五郎は、信義を貫くため、自らの命を賭け、家族や出世など現世的生活さえ捨て去ることをも厭わないそういった主人公の生き方を描いた。こういった主人公を通して世俗的利害に翻弄されている現代社会に欠落している無私の心、「人間性」の復活を訴えようとしたのではないか。

51X36SeIhDL__SL500_AA240__convert_20091109202818.jpg 大分前に『雨あがる』という黒澤明脚本、寺田聡と宮崎美子主演の映画を見たことがあった。その時は山本周五郎という原作者の名前は印象に残っていない。心にずしんと残る映画だった。その小説が『おごそかな渇き』の中にある。

主人公は仕官の口を求める旅の途中で雨に降られ、川の氾濫により木賃宿に足止めをくうことになる。宿に逗留せざるを得ず、食うものにも事欠く貧しい旅人たちの殺伐とした気分を和らげようと、賭け試合で金を都合し人々に酒や食べ物をふるまう。しかしその行為が決まりかかっていた仕官の道を阻んでしまう。

主人公の妻は仕官がかなわなかったことを告げに来た使者に次のように言う「主人も賭け試合が不面目だということぐらい知っていたと思います、知っていながらやむにやまれない、そうせずにはいられないばあいがあるのです。主人の賭け試合で、大勢の人達がどんなに喜んだか、救われた気持ちになったのか」。主人公の無私の行為、そしてその妻の主人公への溢れるばかりの思いやり、これが山本周五郎の一つのテーマだ。

ここに貫かれているのは、彼の生涯の指針とした「人は何を為したかではなく、何を為そうとしたのかだ」といった考え方だろう。主人公が「何をしたのかではなく、何のためにやったか」それが重要なのだ。

“下町もの”では貧しさの中で義理・人情をあくまでも健気なまでに貫こうとする市井の人が描かれている。人間の悩み苦しみながらも貫こうとする生を真正面から肯定し、真摯に生きることの尊さを下町の人達の生活描写の中から紡ぎ出そうとしている。名も無き人々の喜びや悲しみを描きながら、人として普遍的なテーマ「人情、愛、人間の尊厳」を何気ない日常生活の中に見出していくのである。

山本周五郎の言葉

「人間の為したこと、為しつつあること、これから為すであろうことは、すべて時間の経過のなかにかき消されてしまう。--慥(たし)かなのは、自分がいま生きているということだ、生きていて、ものを考えたり悩んだり苦しんだり愛しあったりすることができる、ということだ。」

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亀戸天神社

11月6日(金)
台東区役所を出た時、時刻は11時30分だった。日は燦燦と降り注ぎこのまま家に帰るのがもったいない気がした。上野駅の構内に「亀戸天神・菊まつり」のポスターが貼ってあった。上野からだと亀戸まで15分位なものだ。亀戸天神はよく時代小説に出てくるので一度は行ってみたかった。

亀戸天神社は湯島天神と並び、東京で合格祈願をする「学問の神様」として多くの人に崇められている天満大神・菅原道真を祀る神社として広く知られている。その土地柄から、亀戸天神社は、「下町の天神様」として、長く江戸の庶民に親しまれてきた。

image01_convert_20091109204121.jpg 本殿

亀戸駅から明治通を蔵前橋通に向って歩く。駅前の地図には亀戸神社通を左に曲がると書いてあった亀戸神社通というのは蔵前橋通のことで、この通りには「亀戸天神・菊まつり」の垂れ幕が街頭に吊り下げられていたが、狭い参道なら目立つだろうが、蔵前橋通りにあっても全然雰囲気が出ない。

蔵前橋通から亀戸天神に入る。大鳥居までに2,3軒土産物屋と飲食店があるが、江戸時代賑わった参道とは思えない。ここは地形をはじめ、社殿や楼門、太鼓橋などの全てを九州の大宰府天満宮に倣って造営したという。大鳥居をくぐると太鼓橋を渡る。左右に心地池があり、そこには亀が生息している。池の石の上で亀が甲羅干しをしている。

池の周りは全て藤棚で埋め尽くされている。藤の季節には見応えがあるだろう。庭の一角には菅原道真由縁の梅林もある。梅-藤-菊がこの神社の花暦というわけだ。

社殿の周りは菊まつりの会場で、様々にしつらえた菊が飾られている。大輪の色とりどりの菊があり、また人工的に形を造った菊もある。苦労して丹精を込めて育てたのだろうと十分想像できる出来栄えだ。菊の展示は何処でもそうだが、自然のままではなく、まさにどのように作り上げるかといった技の競い合いのような気がする。

198979_PC_M_convert_20091107183847.jpg 盆栽仕立

菊には様々な仕立て方がある。菊人形は御馴染みだが、千本咲きといった大作り、厚物、管物、だるま、福助、前垂、懸崖作り、盆栽、盆景、盆養(三本仕立て)など一定の決まった形に仕立てその出来栄えを競うのである。作り過ぎといった感も否めないが、一輪一輪が作者の丹精込めた作品なのである。

もはや野に咲く植物としての菊ではなく人がこうあって欲しいと思って作り上げた菊を見ているようなものだ。そういった努力の結晶として見ないと感動は湧かないだろう。薔薇でも梅でも交配を重ね作り上げたものがほとんどだろうが、菊は特に鉢植えだということもあって人工的な感じがするのかもしれない。

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台東区健康まつり

11月6日(金)
078279;000002 「台東区健康まつり」が6日、7日の2日間、台東区役所10階で行われている。内容は、各種測定、健康に関するパネル展示とクイズ、医師・歯科医師・薬剤師などによる相談コーナー 、物産展(福島県会津美里町)などが行われる。

ももの木に「健康まつり」のイベントコーナーで講演をお願いしたいという要請があった。内容は献血推進キャンペーンの一貫として献血の意味について話してもらいたいということだった。通常の「いのちの授業」とは視点が全く違う。そこで理事の田中先生に医者として話してもらうように頼み、彼が講演をする事になった。講演は「いのちの授業-命と献血の深~いつながり…!」という内容で行われた。「いのちの授業」のスタッフから3人応援(?)に行った。

献血の多くは20代の人だ。しかし採血した血液の85%が50歳以上の人に使われている。血液ガンでは輸血用の血液をかなり使い献血の重要性は身に染みて感じてはいる。実際には一番多く使うのは手術用の輸血だ。赤血球は長期保存がきくが血小板は短時間しか保存がきかないので、輸血する血小板は、数日前に採血したばかりの新しいものだ。

連休など休日が重なると血液の確保が難しくなるので病院などは苦労するらしい。今は献血によって患者に必要な血液は確保されているが、少子化の影響もあるとは思うが、若者の献血率が低下している。1980年代までは、15~20%程度であったものが、近年10%を下回るようになり、20年で半減している。若いうちに献血経験がないと成人後も献血しない傾向があると言われており、事態は深刻化している。

がん患者にとって、抗がん剤治療に伴う骨髄抑制に対応するため、赤血球と血小板の輸血は避けて通ることが出来ない。輸血用の血液が確保できないと、再生不良性貧血や骨髄異型性症候群の人達にとっては死活問題だし、化学療法も出来なくなってしまう。

血液ガンの治療中、何の感慨もなくあたりまえのように輸血を受けていたが、それが多くの善意の人によるものだということを改めて認識した思いがする。講演は「ももの木」の患者交流会、病院内患者交流会、「いのちの授業」の紹介などを含めて45分ほどで終了した。

その後台東区役所の10階の全フロワーを使った、健康まつりを見学した。一番人気は、健康測定だろう。フロワーの片側一画が測定コーナーになっている。この機会に健康診断をやってしまおうというお年寄りが、健康測定コーナー待合室の椅子に3、40名ほど座って順番を待っている。身長・体重・血圧・握力・骨密度・肺活量・血管老化度等が測定され、その結果をもって健康相談まで行う。

さらに測定コーナーを出ると相談コーナーが並んでいて、医師会による相談コーナー、歯の健康相談コーナー、薬なんでも相談コーナーがあり、そこで必要な相談を受ける事が出来る。

展示体験コーナー
が19のブースで行われている。薬物乱用防止キャンペーン、医療制度について、食中毒予防、野菜と健康、煙草の害、脳の体操、学校給食、もっとよく知ろう認知症などの企画が各ブースで行われている。参加者の90%以上がお年寄りだ。平日の日中だということもあるし、やはり年を取ると健康に気を使わざるを得なくなるのだろう。

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「ゆるり散策」・目黒不動尊

11月4日(水)
思ったより早く、12時には病院を出る事が出来た。抜けるような青空だった。秋の空の下、散策するのに絶好の日和だ。病院から南北線で東急目黒線の不動前まで一本で行ける。「ゆるり散策」の今日の目的地は目黒不動尊にした。不動前で下車し、目黒不動尊の方に向かって5分ばかり歩くと途中に蛸薬師成就院という寺院があったのでふらりと寄ってみた。寺院の壁面に蛸の絵が描いてあるのが面白い。、昔から”蛸”は”多幸”に通じるといわれ「ありがたや、福を吸い寄せるたこ薬師」と書いてある。何故蛸なのかの説明が入口の看板に書いてあった。

目黒不動003_convert_20091104212525 不老山・成就院本堂

目黒不動005ed_convert_20101128022421 蛸薬師の看板

縁起:慈覚大師が諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえられました。

蛸薬師成就院からさらに5分位歩くと、目黒不動尊(天台宗泰叡山瀧泉寺)の仁王門が目に入る。仁王門に向う目黒不動尊門前前通に「初詣」と印刷された旗が街灯に連なって吊るされている。「初詣は目黒不動尊へ」といったポスターも幾つか目に留まる。

目黒不動尊は時代小説に良く出てくる。梅安が品川に住んでいるせいか、池波正太郎の『仕掛人・藤枝梅安』に何度か出てきた。江戸時代には参道に茶店が軒を連ね、かなり賑わっていた様子が書かれている。徳川家光によって諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げ、その伽藍は『目黒御殿』と称されるほど華麗を極めたというほどだったらしい。江戸の市中からかなり離れた場所にありながら参拝の人が絶える事がないほどの賑わいだったという。

目黒不動尊は五色不動の一つである。寛永年間の中旬、三代将軍徳川家光が天海大僧正の具申をうけ、天下泰平を祈願して、江戸城守護、江戸城五方の方難除け(結界の役)、江戸より発する五街道の守護のため、江戸市中の周囲五つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされる。五色とは密教の陰陽五行説に由来し重んじられた青・白・赤・黒・黄で、それぞれ五色は東・西・南・北・中央を表している。

縁起:当山の開基は八〇八年、十五歳の慈覚大師が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄りました。その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて「我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん」と告げ、夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まります。

目黒不動0_convert_20101128022340 仁王門

目黒不動024_convert_20091106215317 独鈷の滝と拓離堂

目黒不動028_edited_convert_20091104212947 瀧泉寺大本堂

仁王門を入ると広い境内には幾つかの建物がある。目白不動や目赤不動には行った事があるが、どちらも境内は狭かったが、ここはその数倍の広さだという感じだ。右に行くと阿弥陀堂、観音堂、精霊堂、地蔵堂があり、左に行くと、独鈷の滝、前不動堂、勢至堂、青木昆陽の碑、本居長世の碑などがある。

独鈷の滝とは、慈覚大師が所持の法具「独鈷」を投じた浄地より湧き出した流は、数十日の炎天旱魃が続いても涸れることなく、今日に至るまで龍の口より流れ続けている。

中央の階段を上ると、そこには堂々と聳える本堂がある。中央に目黒不動尊と書かれた大きな提灯を吊るしている。本堂の裏には大日如来の像がある。全体の紅葉には早いが桜の葉は既に紅葉し、仁王門にその色彩が映えて秋らしい雰囲気をかもし出していた。

そこから5分位で「ゆるり散策」でセットとして紹介されている林試の森公園に行った。この公園は1900年「目黒試験苗圃」として始められたというから100年以上の歴史がある。そのため、幹回り3mを超える樹木が数多くあり、ケヤキ、クスノキ、ポプラ、スズカケノキなどが空高く聳えている。

この公園はなまじ手を加えておらず、むしろ自然そのものを保存することを目的としている。そのために静かで落ち着いた雰囲気を感じさせる。目黒にいることを忘れさせ、地方都市の林の中を散策している気分にさせてくれる。

目黒不動037_edited_convert_20091104213556 

目黒不動038_edited_convert_20091104213653 公園の散策路

40分位で公園を一周しあかしあ門から出た。傍にバス停があり五反田行きと、渋谷駅行きがあり、早く来た渋谷行きのバスに乗って戻った。

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臨時検診の日

11月4日(水)
定期検診とは別に白血球が減少しているので、様子を見るために血液検査と診察を受けた。もし減り続けているようだと入院治療など何らかの措置を取らなければならない。

検査結果
 白血球   1200(11/4)←1200(10/28)←2000(10/14)
 好中球   660←500←1190
 血小板   7.0←7.4←11.7
 赤血球   304←310←323
 ヘマトクリット 31.0←31.7←32.8
 ヘモグロビン 10.0←10.2←10.4
 網赤血球   11←3←12(基準値5~20%)

白血球数は変わりないが、好中球の上昇が見られた。680ではまだ少ないが、500以下という危険領域はとりあえず脱したようだ。しかしまだまだ感染には要注意だろう。網赤血球は11となりひとます安心だ。

今日は血液検査後30分位で診察に呼ばれた。いつもはIgMの結果が出るのが検査後1時間半位かかるのでそれを待たなければいけないが、白血球、赤血球、血小板などの検査は15分位で結果が分る。

診察後、白血球を増やすG-CSF(グラン)の皮下注射を行った。この薬は何故か皮下注射なのだ。肩の下の皮膚に予防接種の時のように注射をする。前回点滴をしていたが、点滴管に注射針で薬を注入するのではなく、やはり皮下注射を行った。入院中は点滴管から入れたのだが。皮下注射のほうが効果的なのだろう。

11時30分の診察予約だったが、診察を終え注射をして会計を済ませ12時には病院から出る事が出来た。珍しく早く終った。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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