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院内患者家族交流会(おしゃべり会)

4月30日(金)
4月28日に院内患者家族交流会「おしゃべり会」が病院内で行われた。病院内での交流会は、本来「ももの木」の全体交流会が偶数月に行われるので、奇数月に行う予定だった。

今回は病院が全面内装工事中で、今まで使用していた病棟のカンファレンスルームが使用できず、場所探しで手間取り、通常奇数月の第2金曜日と決まっていたスケジュールが大幅に伸びて28日になってしまったという訳だ。

交流会は新しい病棟の看護師面談室を借りて行われた。新しい病棟の3階は事務関係の部屋が並んでいる。2階と4階以上が病室となっている。3階を見て回ると何と図書室があった。まだ整理中でどのような本が最終的に並ぶのか分らないが、今並んでいるのは分厚い医学書のシリーズものだった。入院しても図書館があると非常に便利だ。だからといって入院したいというわけではないが。

今回参加した人のうち、2人の男性が32歳だった。もう1人は32歳の時移植をして、それから8年たった人だ。3人とも白血病だ。8年前に移植をした人は、その時3歳の娘がいた。32歳の2人の男性の内1人は独身だが、もう1人は10歳と6歳の子供がいる。32歳という働き盛りの年齢で子供が小さく将来への不安はいかばかりか想像に難くない。

10歳と6歳の子供を抱えた32歳の男性は、大阪に転勤して1年目に白血病を発症した。大阪で寛解導入療法をやった。本来東京出身だったので、移植は東京でやろうと思って戻り、東京で一番良い病院探し、この病院に辿り着いたということだ。

お兄さんとHLA型が一致し移植をした。しかし移植後数ヶ月で再発してしまった。完全寛解まで行ってなくて移植をしたのがまずかったのか分らないが、かなりのショックに打ちのめされた。精神科のカウンセラーが必要なほどだった。

現在、肝臓に問題が起こり、発熱したため入院しているが、この件では間もなく退院する。再び移植をするため骨髄バンクにあたった。そこで2名の候補者が上がった。1人はHLAがフルマッチの人で、もう一人は完全フルマッチではないが移植可能な人、もう一人は再びお兄さんという3候補ある。お兄さんは最後にして、現在移植のコーディネーターが2名と接触して、移植の日にちを決めるために動いている。

1年間は休職期間ということで給料が出ていて、今は傷病手当金で生活している。以前は会社人間で毎日遅く、土日も出掛けていた。子供たちと接触する機会などは全くなかった。父親の顔を見てもどこのおじさんといった感じだ。しかし、今は病院にいる以外は家にいる。従って子供たちと毎日顔を合わせる。最初は怪訝そうな顔をしていたが最近は慣れて寄ってきて、色々学校でのこととかお喋りする。

今になって家族というものがどういったものか分った気がしたと言う。家族の暖かさ、有り難さ、それが生きがいとなりうる存在である事を改めて感じる事になった。以前は休日に時間があっても家族と一緒に何かをしようなどとは全く考えずに、パチンコに行ったりして時間を潰していた。

仕事が忙しかったせいもあるのかもしれないが、家族とは一定の距離を置いていたような気がする。それが今では全く違ってしまった。これが病気になって一番変わったことだと言った。

人は何時でも変わることが出来る。思いもよらない病に罹り人生を根底的に変えなければならなくなったという苦しい状況の中で、それをどのように受け止めてどのように生きていくのかその選択がこれからの人生を決めていくのだろう。その時家族は彼にとって大きな力になることだろう。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

定期健診の日・ベルケイド4クール2回目

4月28日(水)
これからの治療方針は今日のIgMの結果を見て判断する事になっている。できればシスプラチンは使いたくない。どの薬紹介でもシスプラチンの副作用はかなり激しいという事が書かれいる。

治療を始めた頃なら、まだ様々な肉体の防御装置が健全で強い抗がん剤にも太刀打ちできたが、今では血液のみならず色々な肉体機能が長年の抗がん剤の影響で衰退しているだろう。強い薬はなるべく使いたくない。担当医も同じ考えだ。

検査結果 
 IgM   2538(4/28)←2455(4/21)←2367(4/14)←2038(3/31)
 白血球  4400(4/28)←5000(4/21)←4500(4/14)←4100(4/7)
 好中球  2890←3490←2770 ←2410
 血小板  11.4←13.3←10.5←12.2 
 赤血球  313←319←314 ←318
 ヘモグロビン  10.4←10.6←10.3←10.5 
 網赤血球    13 ←9←17←14 
 CRP   1.0 ←4.0←1.3←1.5 


今回もIgMの上昇はわずかだ。14~21日では88、21~28日では83とほとんど上がっていないに等しい。ベルケイドの併用療法はまだ効果を維持しているようだ。そこで今の療法の4クール目を最後までやってから様子を見る事にした。ただシクロホスファミド100mgを1ケ月4日間服用していたのを、2週間ごとに4日間服用する事にした。

厚生労働省の薬食審・薬事分科会が4月に承認した医薬品を、医薬品医療機器総合機構が公表している。その中にレナリドマイドが含まれていないことを担当医に言ったら、恐らく承認は8月頃になるだろうと製薬会社のセルジーンの情報として教えてくれた。

今の療法で8~9月までもたせるのは無理だろう。医者に2つの方法を提案した。薬の効果はあったが白血球(好中球)が減少し途中で中止せざるを得なかったサリドマイド+MP療法や、サリドマイド+VAD療法を試してみたらどうかと言ってみた。

去年の6月にサリドマイド+VADの変形で治療した事がある。本来VADでやれば効果はあったのだろうが、ドキソルビシン(アドリアシン)は骨髄抑制が強いということでこの薬を使用せず、サリドマイド+ビンクリスチン+デキサメタゾンの併用療法で行ったので効果は長続きしなかった。

入院後フルダラビンが効果がなくVAD療法を4クールやったが殆ど骨髄抑制はなかった。現在造血幹細胞の力が落ちているとはいえ、それ程の副作用があるとも思えない。他の抗がん剤よりは安心して使用することが出来る。

シスプラチンという白金製剤は未知の領域だ。最も深刻な副作用はその強い腎毒性による、腎不全などの腎臓機能の障害だと言われている。骨髄抑制などの重篤な副作用が起こることもある。それだったら白血球の数値を見ながら今まで使用した事もあり、殆ど副作用がなかったメルファランやドキソルビシンなど慣れた薬の方が安心して使えるはずだ。

白血球が減少したら通院でグランの皮下注射をしに病院に4、5日通ってもいいと言ってみた。担当医はそれも検討すると言った。もっとも白血球が減少している状態での病院通いはデメリットの方が大きいかもしれない。

14時30分からCT検査だった。検査当日の前処置として造影剤入りの麦茶を飲んでから1時間~1時間半後に検査する。点滴の前に看護師に言われて、CT室に行ってコップ2杯の麦茶を飲んでからベルケイド+デキサメゾンの点滴を行った。おかげでCT室で待たなくて済んだ。

このCT検査で腰痛の原因が分るだろう。それが病的骨折や圧迫骨折だったらどうしようといった心配も一方である。そうなったら整形外科的手段(手術)や放射線照射で治療する外ない。先週の火曜日から始まった腰痛は今は全快しているのだが、定期的にぶり返すようだとQOLの維持に大きな支障が出るだろう。放っておくわけに行かない。CT検査の結果をみて冷静に方針を決めていく外ない。

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ジャンル : 日記

宇宙と人生

4月27日(火)

 人間五十年、化天(下天)のうちをくらぶれば、夢、幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。

 この言葉を考えてみる時、人間の存在そして自分に与えられた時間や存在が、いかに天上界、現実的に言えば宇宙の無限の空間や時間と比べて、微小なものであるかを否が応でも意識せざるをえない。夜空の星を眺め、限りなく広がる空間を見ていると、それ自体の美しさは感じるものの一方自らの矮小性を悟らされるのである。

確かに人間の一生などは夢、幻のようなもので、色々思い悩んだり苦労したり七転八倒して生きていったとしてもどの道死んでいくのだ。それとてもほんの一瞬の出来事でしかない。

「人間はこの世に生を受けた以上遅かれ早かれ1人の例外のなく死んでいく。悲しいことには違いないが、それが自然の摂理であって決して悲劇ではない。」(カットバッサー俊子)死は非劇ではない。人間に科せられた絶対的現実であり、宿命なのである。

あまりにも当然のように来る死はどういった意味をもつのだろうか。宇宙空間と時間の中に存在する自己とはどのような存在なのか、人類はどのように形成されていったのか。
                                                  銀河系の想像図
180px.jpg宇宙の誕生 
約137億年前-宇宙の誕生→ 約132億年前-銀河系に形成
→ 約50億年前-太陽系の形成→ 約46億年前-地球誕生

人類の出現へ
約5500万年前-アダピス類(初期の霊長類)が出現。
→ 約1300万年前-類人猿の化石が現れる。
→ 約600万~500万年前-猿人の出現。直立二足歩行の開始。
  アウストラロピテクス(猿人)最初の人類とされる。 
→ 約20万-19万年前-ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現。          
                                                  
 平成20年度の男性の平均寿命が79歳、女性が86歳過去最高となっている。しかしたとえ平均寿命まで生きたとしても、宇宙の歴史137億年や人類の歴史20万年から比べれば、一滴の雫にも満たない存在なのだ。

そう思うと空しさを感じるかもしれないが、一方気楽さも感じる。どの道この世に存在するのは夢、幻のようなものである。やがては死んで行く事を免れることは出来ない。それならばむしろ小さな事にくよくよせず、やりたいように人生を生きる事を選択する気持ちになるのではないか。

特にがん患者の場合、その死は突然の生の中断ではない。死と向かい合いながらの生の営みの中で、生の完結を実感できる死なのである。限られた時間をどのようにも選択する事が可能なのだ。確かに人間は「ひとくきの葦」にすぎないかもしれない。しかし「人間は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っている。」(パスカル)死ぬことを自覚する所から人間の存在価値が生じてくる。

死を意識する事によって、新しい生の可能性を見出していく事が出来るのではないか。漫然と日々を送っている生活の中で、死を意識した時、その人の人生は新たな可能性を見出していく事になる。そういった意味で「人は必ず死ぬ」という言葉は単に否定的な言葉ではないはずだ。問題はその事をどう受け止め、どう人生の選択に生かしていけるかだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

人間五十年、化天(下天)のうちをくらぶれば

4月26日(月)
 鯨統一郎著『邪馬台国はどこですか?』といった歴史ミステリーを呼んでいたら、聞いた事のある文章が目に入った。「下天のうちをくらぶれば」という文言が何故か印象に残っていたが前後の文章は知らなかった。津本陽の『下天は夢か』という小説があるが、その題名が記憶の片隅に残っていたのかもしれない。

人間五十年、化天(下天)のうちをくらぶれば、夢、幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。(幸若舞『敦盛』)

『敦盛』のこの一節は、『倶舎論』の「人間五十年、下天一昼夜」という言葉からきている。仏教には「六道輪廻」という言葉がある。衆生は、現世での善悪の業により、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界のいずれかに生まれ変わるのである。ここで云う「人間」とは人間界であり、下天とは天界の最下層の天で、六欲天の四大王衆天のことである。

天上界にもランクがあり、六欲天・色界・無色界そして天界となる。天上界の中でも最も人間界に近い下部の六つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため六欲天と呼ばれている。六欲天も六段階あって、四大王衆天は六欲天の第一天・最下層で、持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所である。
                    
kowaka1.jpg 幸若舞では「化天」となっていて、「下天」は『信長公記』に記載されている。化天(楽変化天)は六欲天の第五位で一昼夜は人間界の八百年であり、下天(四天王衆天)は六欲天の最下位で一昼夜は人間界の五十年である。何故信長が「下天」という言葉に置き換えたのかは分らない。

『敦盛』は幸若舞(右写真)という形で謡われ舞う。幸若舞は詞を朗吟しながら舞うものであるが、舞うことよりも謡が主眼である。戦国時代武士階級に好まれ隆盛したが、江戸時代には廃れ能や歌舞伎にとって代わられた。

大体の意味は読んで字の如しだが、次のようなものだろう。「人間世界における50年などは、天上界から見ればほんの一瞬の出来事だ。まさに夢、幻にすぎない。生きとし生けるもの全て必ず滅びる定めを負っている。」

 桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の三河侵攻を聞き、清洲城の信長は、まず「敦盛」のこの一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したと『信長公記』に記載されている。

あらゆる犠牲を払って天下を取ったとしても、それとてもやがては滅びる運命にある。今の現実はやがては消える夢、幻でしかない。こう謡いながら舞った信長の心境はいかなるものであったのか。この心境が逆にいかなる闘いへの恐れも不安も消し去っていたように思える。どうせやがては死ぬ身なのだから一か八かの勝負に出る事に何の躊躇もなかったのだろう。

4万5千の今川軍に対し4千で正面戦を戦おうとするのだからこれは死を覚悟した自暴自棄に等しい闘いといわざるを得ない。ちなみに桶狭間は谷ではなく、おけはざま山であって、両軍の陣営は相互に丸見えの状態であり奇襲の余地はなかった。奇襲戦の物語は江戸時代の戯作者(小瀬甫庵『信長記』)が信長の奇跡的な勝利を脚色するために、考え出したフィクションでしかない。『信長公記』には「無勢の様体敵方より相見え候」と書かれている。

 この謡の前後を記述した方が分り易いだろう。この謡は、熊谷直実が出家して世をはかなむ場面で、諸行無常を謡ったものである。『敦盛』中段後半の一節に以下のとおり記されている。

 思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生を受け滅せぬ者の有るべきか 

 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

(『信長公記』からの引用は『邪馬台国はどこですか』からのものです。)

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ももの木交流会

4月24日(土)
ゴールドリボンウオーキングを終えて、ももの木のメンバーと一緒に交流会の会場に移動する。有楽町線の有楽町から会議の場所である番町教会のある麹町まではすぐだ。

腰の具合は本調子ではなかったが、痛みも生じることなく5kmを歩き切った。一人で歩く時は、あちこち寄り道をしたり、区教育委員会などが出している建造物の略歴などを書いた看板の説明文などを読んだりしてゆっくりと時間を気にせず歩く。

しかしももの木のメンバーと一緒に歩いているのでそうも行かない。一定の速度で歩かなければならないし、写真などを撮っていて遅れたら追いかけなければならない。そういった意味でいつもの散策とは違って結構ハードだ。休憩時間もとらない。それでも約1時間半のウオーキングを無事こなした。

交流会の始まる14時前には会場に着いた。今日、主に話した人は50歳過ぎの人で、特発性血小板減少性紫斑病(ITP)の患者だということだ。全く効いたことのない病名だ。もっとも血液疾患といっても知らない病気の方が圧倒的に多い。この病気は特定疾患として認定された、国指定難病医療費等助成対象疾病である。

ITPとは、明らかな基礎疾患・原因薬剤の関与なく血小板数が減少し、種々の出血症状をひき起こす病気である。血小板に対する「自己抗体」ができ、脾臓で血小板が破壊されるために、数が減ってしまうと推定されている。

ITPの患者であるK氏は、20歳の時、健康診断での血液検査で血小板数が少なかったので、病院で精密検査をしITPである事を知った。それから35年間彼は2ケ月一度病院に通い血液検査をして病状が進行しているかどうかのチェックをする。しかし35年間一切の治療は行われなかった。治療のための点滴も服薬もした事がない。

通常ITPは血小板数の減少だけなのだが、彼の場合赤血球、白血球も基準値の半分位しかない。つまり血小板、白血球、赤血球の全てが通常の人の半分位で、35年生活してきた訳だ。ただ自覚症状としては疲れやすいということ位しかない。病気と関係があるかどうか分らないが腰痛に悩まされている。

この病気の症状としては点状や斑状の皮膚にみられる出血、歯ぐきからの出血、口腔粘膜出血、鼻血などの出血傾向があるが、彼の場合、日常生活に支障を来たすほどの出血はない。

血小板が急に下がったとして、輸血をしてもすぐに元に戻ってしまうので意味がない。医者の診断ではとりあえず怪我をしないように注意する、激しい運動をしない、感染に気をつけるといった注意位で他に何もする訳ではない。

もし病気を知らなかったら疲れやすい体質なのかなと思って、全く病気である事を自覚することもなかっただろう。健康診断で血液検査をして、そこで多くの血液がんが発見される。早期発見、早期治療はがんにとって極めて重要な意味を持っている。

しかし彼のように全く変化しない病気を抱え、知らなければ悪化するのではないか、これからどうなるんだろうかといった心配とは無縁の生活を送る事が出来たはずだ。

多発性骨髄腫でも「意義不明の単クローン性ガンマグロブリン血症(MGUS)」と呼ばれるものがあり、症状は全くない。治療は不要で、経過観察をしても長期にわたり安定している。また「無症候性骨髄腫」はM蛋白が多く、骨髄の骨髄腫細胞が10%以上であるが、症状はほとんどなく、臓器障害も伴わない病型で、経過観察を行う。

こういった病気を診断されいつ症候性骨髄腫に移行するか心配しながら生活している人もいる。知らなければ全くそういった心配とも無縁だったに、知ってしまったために不安な日々を過ごさなければならない。ただ一旦診断されたら定期検査を受けることになる。病気が進行した時その事をいち早くキャッチ出来、早期治療が可能になるのも事実だ。一方、一生進行しないこともある。

「知った方が良かったのか、知らなかった方がいいのか」それが思案のしどころだ。最近はがんの告知は一般的になって来ている。血液がんの場合ほぼ100%告知されている。ある患者会で告知してもらいたくなかったという人が何人かいてむしろ驚いた。人間の心理とはそういったものだと改めて思った。

多発性骨髄腫の発症年齢の中央値は男性65歳、女性67歳で、死亡者数は75~79歳の年齢階層で最も多い。昔だったら、死亡原因は老衰と判断されただろう。しかし今の医学は、血液検査をすればそこから病気を探り出してしまう。2人に1人がんになるといった数字が出てくるのもこういった医学の進歩の結果なのだろう。

病気を知ることは、心の重荷を抱える事になる。進行性の病だったらそれは治療を始めるのに不可欠なことだ。しかし進行しない、または進行が極めて遅い病の場合はむしろ知りたくなかったという気持ちの方が強いのではないか。しかし知りたくなかろうが、知ってしまった限りはそこから始める外ない。現実をありのまま受け入れ、病気と付き合いながら、自分の新たな生き方を見つけていく外にない。

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ゴールドリボンウオーキング2010

4月24日(土)
ももの木交流会は今日行われることになっている。14時からなので、その前に参加できる人は皆で「ゴールドリボンウオーキング」に行ってみないか、という提案が前回の交流会で出された。ウオーキングだったら体力が
それ程なくても参加できる。交流会の参加者が皆賛成し、行ける人は24日日比谷公園に集まる事になった。

「ゴールドリボンウオーキング2010」は「小児がんの現状を知り、伝えること。それが問題解決の一歩となる。その一歩をゴールドリボンウオーキングで始めよう」というキャンペーンを掲げて行われる。

9時に日比谷公園小音楽堂前噴水広場に集合し、そこから「ゴールドリボンウオーキング・子供たちに笑顔を」といったゼッケンを身に付け出発する。コースは日比谷公園を出て、皇居周辺、丸の内周辺、有楽町周辺を歩き日比谷公園に戻ってくる、約5kmの距離を歩く。

この催しに参加するつもりで、朝8時前に起きて、8時20分千川発の有楽町線で行く予定だった。しかし朝起きた時に腰の痛みがぶり返したように、歩くと痛む。この状態だったらとても5km歩くことは出来ない。そう思って一旦行く事を諦めた。

1時間ばかり、家でなんやかんやと体を動かしている内に、腰の痛みは徐々になくなっていった。天気もいいし、家に閉じこもっていてもしょうがないから、ウオーキングは出発してしまっているかもしれないが、ともかく日比谷公園まで行ってみる事にした。

10時少し前に着いたがまだ始まっていなかった。9時からは受付開始で、開会式は10時から、ウオーキングスタートは10時30分となっていた。会場にはももの木のメンバー6人が集まっていた。9時から待っていてまだ始まらないとぼやいていた。1時間遅れたと思っていたがむしろ丁度いい時間に着いたというわけだ。噴水広場の前には千名以上の人が集まっていた。

ゴールドリボン035_edited_convert_20100424191932 噴水広場の参加者達

小音楽堂の前にステージが組まれそこで開会式は行われた。午後からのイベントもそのステージで行われる。主催団体からの開会の挨拶の後、ゲストが紹介された。小児がん経験者のシンガーソングライター・より子さんと、2010年ミス・インターナショナル、ミス・ワールド日本代表の4名が壇上に登場し挨拶した。

ゴールドリボン006_edited_convert_20100426233026 開会の挨拶

ゴールドリボン010_edited_convert_20100424190508 ミス・インターナショナルなどの4人の挨拶

美人コンテストの優勝者、準優勝者と小児がん支援運動とどういった関係があるのだろうか。色々な人が協力してくれるのは頼もしいことだ。最後にウオーミングアップ体操を参加者全員でやってウオーキングに出発する。

ウオーキングは、和太鼓の演奏をバックに日比谷公園を後にする。祝田橋方面から出て橋を渡り、皇居外苑の松と芝生の間を進んでいく。楠木正成銅像がまず目に入る。楠木正成像は高村光雲、馬は後藤貞行作である。そこから大手門方面に向う。大手門から皇居東御苑に入る。

ゴールドリボン011_edited_convert_20100424190545 ウオーキングの出発

ゴールドリボン014_edited_convert_20100424193746 楠木正成銅像

ゴールドリボン016_edited_convert_20100424190805 皇居外苑の桜

三の丸尚蔵館を右に見て、十人番所、百人番所などがあり、江戸城の石垣の有様を鑑賞する。しかしウオーキングの性格上、残念ながら三の丸、二の丸、本丸跡など主要な名所は素通りし、大手門から平川門まで一直線で突っ切っただけだった。

ゴールドリボン021_edited_convert_20100424190904 皇居東御苑・百人番所

ゴールドリボン026_edited_convert_20100424191141 平川門

ゴールドリボン029_edited_convert_20100424191227 お堀端の桜並木

平川門を出て、気象庁、消防庁を過ぎ、三井物産ビルを曲がると、将門の首塚がある。高層ビルとビルとの薄暗い谷間に、鬱蒼とした木が茂り、一種異様な雰囲気を醸し出している。

将門伝説:平将門は反乱を起こし関東を制覇し、新皇と称し公然たる朝廷の反逆者となり、天慶3年(940)平清盛と藤原秀郷の連合軍の前に敗退し、流れ矢に当たって討たれた。
その後首は、京都都大路でさらし首となったがいつまでたっても腐らず、その首は目を閉じることがなく、そればかりか噛みつきそうな形相でわめき続けた。その後3日目には怪光を放ちながら夜空に舞い上がり、胴体を求めて東の空に飛んでこの地に落ちたという伝承がある。

ゴールドリボン031_edited_convert_20100424191318 将門の首塚

将門の首塚から、日比谷通りと東京駅前通りの間を歩いていく。丁度、新丸の内ビルと丸の内ビルの裏を通っていく感じだ。晴海通りを突っ切り、日生劇場の脇から、ゴールである日比谷公園の日比谷門に辿り着く。公園ではウオーキングには参加しなかったが3名のももの木メンバーが会場に来ていて出迎えてくれた。

日比谷門ではミス・インターナショナルなどの4人の女性が、「完歩証」のカードを配っている。これをもっていくと、サンドイッチ、ジュース、ドーナツ、バナナがもらえるという訳だ。昼飯代わりにしようと、もらってきてベンチで食べた。小音楽堂前の舞台ではシンガーソングライターのより子さんが演奏していた。暖かい午後の日差しの中で新緑の木々の下で食事をする気分は何とも言えず贅沢な感じがする。

ゴールドリボン034_edited_convert_20100424191400 より子さんの演奏

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伊坂幸太郎 『死神の精度』

4月23日(金)
伊坂幸太郎の『死神の精度』を読んだ。主人公は死神である。死神が関わる6人の人生を6つの短編小説として展開している。雨とともに現れ、彼の7日間の調査で対象者の生死が決まる。6人の人生を1週間調査した後、対象者に死の可否の判断をくだし、可の場合、翌8日目に死は実行される。

000.jpg6つの短編は、死神が関わった6つの人間模様として、ある物語は恋愛小説風に展開され、別のものはロード・ノベル風に書かれ、ある時は本格推理風、あるいはハードボイルド風に、様々なバリエーションで語られる。この幅の広さが物語の奥行きを深くし、飽きさせない物語進行を作り上げている。

結局、死神が死の判断を下そうが、それを回避しようが、自分がいつ死ぬのかを前もって知ることはできないのだから、何歳で死ぬことになっても、結局死に対する心構えは変わらないということだろう。

「自分は平均寿命あたりで死ぬ」と多くの人は思っている。しかし人は死と隣り合わせに生きている存在でしかない。明日死を迎えるかも知れない。そう思った時どう生きたらいいのか、命が尽きた後、強い後悔が残らない程度には日々の生活のあり方を顧みる必要があるのだろう。

人は死を意識した時から、新しい生を始める事になる。死と生は切り離せないものなのだ。

『死神の精度』の小説の中には伊坂幸太郎の死に対する考え方が様々な形で表現されている。中々面白い視点で書かれているので、人生そして死を考える上で一つの見方を示唆してくれるだろう。

『死神の精度』からの引用
床屋の主人は「死ぬのが怖い」と漏らしたこともあった。私はそれに対して「生まれてくる前のことを覚えているのか?」と質問をした。「生まれてくる前、怖かったか?痛かったか?死ぬというのはそういうことだろ。生まれる前の状態に戻るだけだ。怖くないし、痛くもない」人の死には意味がなく、価値もない。つまり逆に考えれば、誰の死も等価値だということになる。(文春文庫 P10)

寿命はあるさ。ただ、誰もが寿命で死ぬとは限らないんだろうが、寿命の前に死ぬ場合もある。突発的な事故とか、思いもよらない事件とか、そういうのは寿命とは別に後から決まる。(P22)

幸せか不幸かなんてね、死ぬまで分らないんだってさ。
生きていると何が起きるか、本当に分からないからね。
一喜一憂しても仕方がない。棺桶の釘を打たれるまで、何が起こるかなんて分からないよ。(p299)

それゃ、死ぬのは怖いけどさ、もっとつらいのは、まわりの人間が死ぬことでしょ。それに比べれば自分が死ぬのはまだ、大丈夫だってば、自分の場合は、悲しいと思う暇もないしね。だから、一番最悪なのは死なないことでしょ、長生きすればするほど回りが死んでいくんだよね。(P316)

俺の人生がここで終わっちまっても、変わらねえよな。十年延長したって、人生ってのは有意義じゃないんだろ。
人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ。(P213)

「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。短い人生を受けているのではなく、それを短くしているのである。人生は使い方を知れば長い。詩人が書のなかで神託風に語っている“われらが生きる人生は束の間なるぞ”つまり、そのほかの期間はすべて人生ではなくて時間にすぎない。」(セネカ『人生の短さについて』岩波文庫)

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護国寺

4月21日(水)
病院を出たのが14時少し前だった。今日は割合スムーズに診療、点滴が行われた。病院内は空調が効いていて外の様子は分らなかったが、表に出た途端空気の暖かさにうっとりとする程だった。初夏の陽気で、気温も20度を越えているだろう。

こんな天気にこのまま家の帰るのはもったいない気がしたが、まだ腰の状態がまともではないのであまり距離を歩けない、とても「北区さんぽみち」のコースを回ることは出来ない。

そこで思い出したのが「東国花の寺・百ケ寺」というパンフレットの東京12ケ寺の中に、「東京3番・護国寺・さくら」と掲載されていた。護国寺のさくらは遅咲きもあるらしい。護国寺は地下鉄の駅前だし、境内を歩くだけで済む、今の腰の状態でも大丈夫だ。本駒込駅で南北線に乗り、飯田橋で有楽町線に乗り換え護国寺駅で降りた。

護国寺(真言宗豊山派 大本山)
縁起:当山の創建は天和元年2月(1681)、五代将軍徳川綱吉公が、その生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とした。幕府所属の高田薬園の地を賜い、堂宇を建立し、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩 薩像を本尊とし、号を神齢山悉地院護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まる。翌2年、堂宇は完成した。(護国寺ホームページより)


地下鉄の階段を上がり地上に出た。目の前に仁王門が立っている。威風堂々中々格調の高い門だ。仁王門には正面両脇間に金剛力士像(右に吽形、左に阿形)、背画両脇間に仏法を守る仏像である二天像(右に増長天、左に広目天)が安置されている。それを潜るとしばらく石畳の参道があり、水盤を左右に置いた急な階段を上ることになる。右側には富士神社の鳥居がある。
根津神社052_edited_convert_20100422204245 仁王門

根津神社040_edited_convert_20100422202905 参道と階段左右の水盤

根津神社041_edited_convert_20100422202525 階段の途中にある不老門

階段には手すりが付いていたのでそれを頼りに上って行くと途中に不老門がある。この門を潜ると病気にならず、長寿でいてほしいという願いが込められた門である。形式は天狗や牛若丸で有名な鞍馬山の山門を模しものであるという。

階段を上りきると境内が広がっている。正面に観音堂(本堂)がある。元禄10年(1697)に徳川5代将軍綱吉公の命により建てられた観音堂は、綱吉公の生母である桂昌院の願いによるもので自身の信仰する念持仏の奉納・祈願を目的として建立された。如意輪観世音菩薩を本尊として奉っている。

根津神社043_edited_convert_20100422202610 観音堂(本堂)

観音堂の右側に鐘楼堂、左側に多宝塔、月光殿、薬師堂が並んでいる。本堂の周りには遅咲き桜がちらほらと花を付けている。多宝塔の前の桜は満開の花を咲かせていた。

根津神社045_edited_convert_20100422202811 多宝塔と桜

階段を降り参道に戻ると、左側に富士神社の鳥居があり、そこにも桜が咲いていた。鳥居を潜ると急な石段があり、富士塚が小高い山となっている。少し躊躇したがここまで来たのだからと、周りの物を頼りにやっとのことで天辺まで上りきった。頂上には富士浅間神社と書いた石柱と、コンリート製の祠があったが、かなり味気ない。苦労して上ったかいがなかった。

根津神社048_edited_convert_20100422202704 富士塚の頂上にある祠と石柱

都内至る所に富士塚がある。江戸時代には、富士山信仰が盛んだった。富士の浅間神社にお参りに行く「富士講」が数多くでき、模造の富士山である富士塚が多く作られ、擬似的に富士山の登山を体験するために、富士塚山頂には浅間神社が祀られるといったことが行われた。このような富士山信仰と富士講の名残が残されているということだ。

帰りは仁王門の方からではなく、惣門の方から出た。腰の方は境内を歩く位はどうにかなった。朝の状態とはえらい違いだ。ステロイドの影響もあるのかもしれないが、回復が早い。前回もそうだが今回も、腰痛の発症から回復までが早く、2、3日で通常の動きが可能となる。完全に治るまでには5、6日かかるが、通常の腰痛とはどうも違うようだ。CT検査の結果原因がはっきりするだろう。

根津神社036_edited_convert_20100422213409 惣門

帰りに出た惣門は、寺院様式ではなく大名屋敷表門である。江戸時代後期の大名屋敷門は幾つか現存しているが、この門は中期元禄年間に作られた希少なものであり区有形文化財に指定されている。

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臨時検診・ベルケイド4クール1回目

4月21日(水)
これからの治療方針を決めるのには、IgMの状態を見ながら判断する外ない。サリドマイド+ベルケイドがもう全く効果がないのかの最終判断をして、シスプラチンを含めた新たな治療法に移行するのかを決めなければならない。担当医は、サリドマイド+シスプラチンと何を加えた併用療法にするのかのプロトコルを今日明らかにすると言っていた。どちらにしてもレナリドマイドが使用できるようになるまでその方法でやる外ない。

検査結果 
 IgM   2455(4/21)←2367(4/14)←2038(3/31)←1617(3/10)
 白血球  5000(4/21)←4500(4/14)←4100(4/7) ←3600(3/31)
 好中球  3490←2770 ←2410←2230 
 血小板  13.3←10.5←12.2←15.3 
 赤血球  319←314 ←318←317 
 ヘモグロビン  10.6←10.3←10.5←10.7 
 網赤血球    9←17←14←11 
 CRP   4.0←1.3←1.5←1.9 


迷いを抱えたこれからの治療
IgMが急激に上昇していたが少し上昇のスピードが弱くなった。先週服用したシクロホスファミドが効いたのだろうか。シスプラチンの併用療法として担当医が考えているのは、サリドマイド+ボルテゾミブ(ベルケイド)+シスプラチン+デキサメタゾンというものだ。

ただシスプラチンは副作用が強いのでまだ使うのに躊躇していると言う。強い抗がん剤を使って腎臓などを傷めてしまったら元も子もない。出来れば使わないで乗り切りたい。IgMを下げるのに効果を発揮するであろう薬を考えれば、メルファラン(アルケラン)やドキソルビシン(アドリアシン)もあるが骨髄抑制が強く使えないということだ。

今日はとりあえず、ベルケイドの第4クールの1回目を行うことにした。途中からシクロホスファミドの代わりにシスプラチンを投与することになりそうだ。その場合は副作用を見るためにしばらく入院することになる。

腰痛の再発
昨日の朝、3月の半ばに経験したかなり激しい腰痛にみまわれた。一昨日の夜は少し腰に違和感がある位に思っていたが、朝、起きる事が困難な程の腰の痛みだった。少しでも体を動かすと激痛が走る。前回のような神経に触れられたような「電気ショック」のようなものではなく強い激しい痛みとしか表現できない症状だ。

鎮痛消炎の冷湿布を貼ったことが効果的だったか分らないが、午後には体を動かすと通常の痛みはあるが激痛に襲われることはなくなった。夕方だるい感じがしたので熱をはかると37度あった。それが21時頃まで続き、寝る前には36.6度に下がっていた。

今朝は強い腰の痛みは収まったが、歩くとかなり腰が辛い。腰を折るようにしてゆっくりとしか歩くことが出来ない。また座った状態から立つのには、周辺のものにつかまってゆっくりとやっとのことで立ち上がる状態だ。

臨時検診で病院に行く日だった。自転車には乗れたので駅まで自転車で行き、病院の最寄の駅からはバスを利用し、歩く距離を最低限にして病院に辿り着いた。そんな長距離ではないのでタクシーで行けば簡単なのだが、どうもタクシーに乗るのはもったいない気がしてしまう。

一度ならぎっくり腰で片付けられるが、二度目となるとそうも行かない、細かい骨病変はレントゲンでは分らないので4月28日の定期検診の時に、骨盤のCT検査の予約を入れてもらった。血液内科の医者としては骨病変に対しては、ゾメタの定期的な点滴投与を行い、鎮痛消炎の湿布薬や痛み止めを処方する以外やることはない。骨に問題があったら今度は整形外科の領域だ。

何故発熱するのか

発熱の問題について医者と話した。3月3日に38度、4月4日に37度、4月20日に37度と繰り返されている。4日と21日の発熱は一日の内のそれもごく短い時間だけの微熱である。この発熱の原因は一体何なのだろうか。

3月3日以降白血球とCRPも依然高い数値を示している。体内に残存している細菌がまだ死滅していなのだろう。微熱ということだから抗生物質を使うほどでもない。なかなか対応が難しい。免疫力による自然消滅を待つほかないのだろう。

ステロイドの効果か
ベルケイド+デキサート(デキサメタゾン)の点滴を終えて14時前には病院を出た。腰の状態はかなり改善してきた。痛みもなくなり、歩くのもかなり楽になった。デキサメタゾンを投与した後、腰痛の状態がかなり改善されることがあると医者が言っていた。3月17日の腰痛の時もデキサメタゾンの点滴を終えた後、体はかなり軽快になった。

ステロイドの抗炎症効果は劇的だ。入院中抗がん剤投与の後、発熱したことがあるがサクシゾンというステロイドを点滴すると熱は一気に下がり、体のだるさは吹き飛び、元気一杯といった感じになる。本当にすごい薬だと思ったことがる。腰痛の緩和はステロイドの一時的な効果なのか治りかかっているのか分らないが、前回の時はそのまま治ってしまった。

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根津神社・つつじまつり

4月18日(日)
東大病院から根津神社まで
東大病院でのN氏との面会を終えた後、天気もいいことだし根津神社の「つつじまつり」を見に行く事にした。病院には往きは竜岡門から入ったが、帰りは病棟の裏の道を下り、池の端口から出た。出るとすぐ不忍池のほとりに着く。

不忍通りを根津方面に向かって行くと、38階建てルネッサンスタワーが上野動物園の向かい聳え立っている。周りに高い建物がないのでかなり目立つ。不忍通り沿いに数多くののマンションが立ち並んでいるが、大体10階建て位なものだ。

千代田線の根津駅からは「文京つつじまつり」の垂れ幕が街灯に連なって下がっている。さらに行くと「根津神社つつじまつり」の立看板があり、それを目安に左折する。曲がった所に金太郎飴と書いた看板が目に入った。昔ながらの駄菓子屋風の店で、金太郎飴だけではなく、煎餅などを量り売りしている店だ。昔ながらの雰囲気に懐かしい感じがした。しばらく行くと大きな鳥居が目に入る。

鳥居の前では、「焼きかりんとう」売っている店など土産物屋、飲食店の何軒かが呼び込みをしている。鳥居を潜ると甘酒茶屋が2軒並んでいて甘酒と御団子を提供している。

根津神社007_edited_convert_20100417192812 根津神社参道

根津神社
沿革:根津神社は、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる。江戸初期まで団子坂の北側にあり、五代将軍綱吉が宝永3年(1706)に現在地に移したという。現在の建物はその時造営したもので300年を経過している。多くの震災、戦災を免れ現在残るのは社殿・唐門・楼門・透塀でありこれらは全て重要文化財となっている。社殿は、権現造りで桃山時代から続いた建築様式である。

参道の左側にはつつじ苑があり、斜面に沿ってつつじがきれいに花を咲かせている。つつじ苑の見学は後にして、最初に社殿の方に向かった。橋を渡り、最初に目に入るのが楼門である。次に唐門を潜る。唐門から左右に境内を囲む塀は透塀という。境内に入ると社殿が正面に姿を見せる。社殿の横には神輿が飾られている。この神輿は六代将軍家宣が寄贈したものだという。

edited_convert_20100419120743.jpg 楼門

根津神社029_edited_convert_20100417193901 唐門

根津神社031_edited_convert_20100417193939 透塀

根津神社015_edited_convert_20100417193059 社殿

根津神社013_convert_20100419121506 神輿

根津神社には根津駅寄りの入口と、湯島駅寄りの入口がある。湯島よりの入口の横には駐車場があり、駐車場の周辺や参道には屋台が並んでいて人が集まっている。その入口のすぐ脇には駒込稲荷神社の階段があり、上っていくと神社の祠がある。

つつじ苑の入口の脇から、何百もの鳥居が並んでいる。奉納された鳥居でつながった参道を辿っていくと乙女稲荷神社に辿り着く。駒込稲荷神社、乙女稲荷神社は共に根津神社の末社である。

根津神社027_edited_convert_20100417193706 駒込稲荷神社

根津神社028_edited_convert_20100417193759 乙女稲荷神社

つつじ苑
つつじ苑は「つつじまつり」の間入場料を200円徴収する。昨年5月9日に病院の検診の後に根津神社に寄った事があるが、その時は「つつじまつり」は終わり、つつじはもはや全く見る影もなかった。今年は早めに来たというわけだ。「境内にある約2000坪のつつじ苑には、約50種3000株のツツジが咲き競っている」と案内にあるがどうやら今年は楽しめそうだ。

根津神社016_edited_convert_20100417193203 つつじ苑の風景

根津神社022_edited_convert_20100417193538

根津神社020_edited_convert_20100417195159

根津神社024_edited_convert_20100417195554

つつじ苑の中に入ると外から見るのとは全く違ってその色の多彩さに驚かされる。色とりどりのつつじが織り成すハーモニーが一つとなってつつじ苑の雰囲気を作っている。上下の遊歩道があり、上で見るのと下で見るのとでは情景が異なる。その違いも楽しめる。20分ばかりつつじ苑の中を散策し、根津神社を後にした。

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N氏の見舞いに行く

4月18日(日)
 T大病院 
T大医学部付属病院に見舞いに行くのは20年ぶり位だ。長男が小学校6年の時に、10日ばかり入院した事があって病棟に行った事がある。その頃は、まだレンガ作りの古い建物で病棟内の全体の色調がこげ茶色で、暗く薬品臭くじめじめしている感じだった。

原発性マクログロブリン血症の患者であるN氏は、心不全の治療が一定終了しそろそろ退院するので、その前に一度会っておこうと思って見舞いに出かけたT大病院の病棟1階フロアーには、「T病院患者・家族会」の交流会に参加した事があるので、3、4度行った事があり、新しくなった病棟は見ているが病室を訪問したことはない。

病棟は入院棟Aと入院棟Bの2つあり、A棟は高層の新しい建物で、B棟は昔の建物を内装し直した状態だ。A棟の上層階は個室になっていて、皇室専用の部屋もあり、かなり高額な個室もあるとN氏が説明してくれた。T大病院も独立行政法人になったので収益も考えなければならない。

最初に入院棟総合案内で受付をする。そしてカードを受け取る。このカードキーを使わないと病室のあるフロアーの入口の扉を開ける事が出来ない。つまりちゃんと受付を通し、面会する患者名を特定しない限り病室に行けないことになる。勝手に病室に入ることが出来ない。防犯対策なのだろう。A棟の循環器内科の病室のある階にエレベーターで上がっていくと病室に行く通路に扉があり、カードを差し込むと扉が開くようになっていた。

 N氏の話
N氏の話を聞いた。健康診断で血液検査をした所血液中のタンパクが多かった。専門病院での精密検査の結果、IgMの値やその他の検査で、原発性マクログロブリン血症と診断された。その時のIgM値は3200で本来なら様子見ということで、定期的な検査だけで済むはずだった。

その頃から心臓の調子があまりよくなかった。胸が締め付けられるような感じになったり、急な階段を上ったり、激しい動きをした時など息が切れるようになった。こういった心臓の状態を聞いて血液内科の担当医はWMの治療を開始しようと判断した。この判断の根拠は不明だが、医者は心アミロイドーシスを疑っていたのだろうか。

リツキシマブとシクロホスファミドの併用療法を最初は入院で、その後通院で4クールやったが、IgMは2500以下にはならなかった。またシクロホスファミドによる吐気があり、化学療法は中止となった。

 N氏の入院
定期的な検査でIgMをチェックしていたが、2500から徐々に3000に近付いてくる状態だった。その進行は極めて緩慢なものでありすぐに治療を開始しなければならないような進行ではなかった。そのうち心臓の状態がかなり深刻になってきた。胸が苦しくなったり、息切れ、動悸は続いていたが、さらに体重が急激に増加し、顔がむくんできた。東大の循環器内科に行って診察を受けた。すぐに入院する事になった。

心不全の症状としては、血液がスムーズに流れないので、臓器に水分がたまりやすくなる。肺に血がたまる(肺うっ血)と水分が肺に染み出してくる。腎臓の血流が減るため尿の量が減り体全体に水分がたまって体重が増える。つまり心臓の機能が低下し体内の水分の排出がうまくいっていないということだった。

 入院での治療
3月25日に入院し、最初の2週間位は体内の水分調整を行った。多すぎると心臓に負担をかけ少なすぎると腎臓に負担をかけるということで摂取水分の厳密な管理がなされた。同時に溜まった水分の除去をする治療が行われた。レントゲンで見ると肺のかなりの部分が真っ白だった。胸水がかなり溜まっている。その除去のため肺にカテーテルが差し込まれた。その他薬物療法も併用し、その結果体の全体のむくみもなくなり体重も元に戻った。

入院後行った検査の結果が徐々に明らかになってきた。心臓の隔壁の厚さが通常の1.7倍あったという。これでは心臓の機能が低下するのは当然だ。原因究明のため心臓の生検を行った。3mmのカテーテルを大腿部の血管から挿入し、心臓まで送り込み、組織の一部を切り取って採取した。その組織の分析の結果、心臓隔壁が厚くなった原因は、免疫グロブリン由来のタンパクが心臓に沈着したものだということだった。

心不全に対する対処療法は行うことは出来るが、根治するにはWMの治療を行う以外にはないと言われた。循環器内科の方は退院するが、次は血液内科での診断、治療に任せる外ない。

 これからどうするのか
血液内科の医者が、循環器内科で行われた様々な検査の結果を見て、彼の心臓病に対してどういった判断をするか分らないが、参考までにアミロイドーシスに関する資料をネットで検索し、印刷して持っていったものを渡した。また難病指定の特定疾患の医療費公費負担に関する資料も用意していって渡した。

リツキシマブとシクロホスファミドの併用療法でIgMが2500以下にならない事に対しては、薬物耐性の可能性を指摘し、幾らでも他の治療法があるという事を自分の経験から話した。

自己末梢血幹細胞移植に関しては、年齢が60歳を越えているので、医者はあまりやりたくないと言っているということだった。ミニ移植の場合、ドナーを探さなければならないし、移植後のGVHDの問題もある。移植をしなくてもWMの治療法は幾らでもあるので、医者と相談していい方法を見出していく外ない。

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原発性マクログロブリン血症と心不全

4月17日(土)
 原発性マクログロブリン血症(WM)と診断され、同じ病気の人がいないか探している患者がいるということで紹介され知り合ったN氏から電話があった。今心不全で入院しているということだ。

彼は原発性マクログロブリン血症と診断された時にはIgMは3000を少し越える位だった。治療として化学療法を入院、通院で何クールかやったが、IgMは2500以下にはならず、副作用がかなりきつく治療は中断された。

その後検査ではIgMは3000前後を上下する程度で安定していた。しかし、一方心臓の疾患が進行して来ていた。胸が苦しいなどの症状が出てきて循環器関係の医者にかかり心不全と診断され入院し治療を始めた。心臓の内壁にタンパクが沈着し心臓肥大となり、心臓機能を衰えさせていた。肺に水が溜まるなどの症状が出たりもした。

心臓の治療は一定終了し後1週間位で退院することになった。心臓の生検をしばらく前に行った。その結果、心不全の原因はWMであると言われた。形質細胞腫瘍が生み出すMタンパクが心臓に沈着するのが心不全の原因で、WMの治療をしないと再び心不全を繰り返す事になると言われた。彼は化学療法の副作用で辛い思いをしながら、IgMが2500以下にはどうしてもならなかった経験がありどうしたらいいか悩んでいた。
 
 以前彼が「心臓の調子が悪く、WMの治療は中止している」と言っていたのを聞いたことがある。その時は血液がんと心臓病との関係は全く思い当たらなかった。全く別の病気にかかったのかと思っていた。今回の入院治療と診断の結果を聞いて、両者の関係を改めて知る事になった。

彼の症状はどう見ても「免疫グロブリン性アミロイドーシス」のような気がする。ただ循環器内科の医者からはその名前は出てきていない。ただWMが原因だといわれただけだ。血液内科に回されればアミロイドーシスと診断されると思うが、それは色々な検査結果によって判断されるだろう。どのような病名であろうが、心臓病の原因治療としてWMの治療を再開する外ない。

 WMの患者で、ALアミロイドーシスを併発しているhanaoyajiさんのブログに書いてあったが、アミロイドーシスは難病指定されている特定疾患となり、医療費が公費負担になる。hanaoyajiさんの場合、月額自己負担限度額が外来で5,770円、入院で11,550円となっている。

また、院外処方の薬代は、全額公費負担となり、個人負担は、病院費用の限度額内に止まる。そういった意味でも病名を早く確定し、アミロイドーシスであるならば医療費公費負担制度があるので、それを利用すべきだと思う。

 アミロイドーシスについて

アミロイドーシスとは、アミロイドと呼ばれる線維状の異常蛋白が沈着して臓器の機能障害をおこす病気の総称である。原因となる蛋白質が凝集してアミロイドとして臓器に沈着して発病する。原因蛋白質の種類やアミロイドの沈着する臓器は病気によって異なる。

免疫グロブリン性アミロイドーシス(AL型)は形質細胞から産生される。多発性骨髄腫を含む免疫グロブリンの異常に合併するALアミロイドーシス、免疫細胞性アミロイドーシス(原発性アミロイドーシスおよび骨髄腫に伴うアミロイドーシス)は免疫グロブリン由来のアミロイドが全身諸臓器に沈着するもので、骨髄腫やマクログロブリン血症以外の基礎疾患が認められない場合に診断を下すものである。

多発性骨髄腫に伴うアミロイドーシスとは、骨髄腫細胞から産生分泌される免疫グロブリンであるM蛋白に由来するアミロイド繊維蛋白が各種臓器や細胞組織に沈着して、臓器障害を引き起こすものである。ALアミロイドーシスでは、自己末梢血幹細胞移植を併用した大量化学療法が行われている。M蛋白を減少させる治療法としては,多発性骨髄腫に用いられてきた治療法が応用されている。

心病変: 拘束型心筋障害をきたす。心不全徴候を呈し治療に抵抗する。ALアミロイドーシスの患者の多くは心アミロイドーシスによるうっ血性心不全の進行がみられる。心電図で低電位差、不整脈、心筋障害所見を呈する。心肥大、低血圧もみられる。   (難病情報センター・ホームページより)

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健康サプリメント 『皇潤』

4月16日(金)
お昼頃のテレビを見ていると大部分のコマーシャルが、健康サプリメントかアンチ・エイジングの化粧品だ。昼間のテレビを見ているのが主婦か年寄りなのだから、その層を対象とした商品のコマーシャルをするのは当然だ。

健康をサプリメントで補おうとする多くの人がいるということは国民生活の貧困さを感じざるを得ない。最もコマーシャルというのは買わなくていいものを買わせるのが目的だから、効果が曖昧なサプリメントはその意味で絶好の商品だろう。

年寄りの健康維持を推進しようと思ったら、サプリメントを毎日飲むより、様々な社会活動、ボランティア活動や仲間とのウォーキングなど社会参加、新たな人間関係の形成を促すような宣伝が必要なはずだ。

また中高年の女性が加齢と共に肌にトラブルを抱える事も少なくないのかもしれない。それに対しては皮膚科に行ってそれを治療する薬を処方してもらえばいいだけである。アンチ・エージングの化粧品は肌に何のトラブルのない人に商品を売るものである。それがコマーシャルの目的だ。

高い化粧品はその高額故効果を期待させ、女性に夢を与えるものなのだ。しかしアンチ・エージングのために色々なものを顔につけるより、自分の人生に目的を持ち生き生きとした毎日を演出していくそういった生活こそが必要なのだろう。自らの若さの衰退は精神の衰えに影響している事が多分にあるように思われる。

okai.jpg 健康サプリメントの中に盛んに宣伝しているエバーライフの『皇潤』というのがある。他の健康関連商品の2、3倍の宣伝量で、三国連太朗や八千草薫を中心に「健康は素晴らしい」と訴え、「がばいばあちゃん」の島田洋七が、「ばあちゃんにも飲ませてやりたかった」なんて事を言っている。

その『皇潤』が500万箱売れているという。価格は100粒8190円、180粒1万2600円、1日の摂取量が4~8粒だ。これだけ宣伝費を使っているのだから薬の原価が幾らか想像は出来るのだが、何故「飲むヒアルロン酸」が健康にいいのか明らかにされているとは思えない。

健康サプリメントには色々ある。青汁、ゴマ(セサミン)、黒酢、ニンニク、プルーンなど実際にサプリメントにした場合どの程度効果があるかどうかは不明だが、それでも体によさそうな気がする。しかし「ヒアルロン酸」が健康にいいなどとは何処から出た話なのだろう。

ヒアルロン酸は人間の体内で合成される。目の硝子体、関節液、へその緒、脳、皮膚の多く存在し、潤滑油の役割をしている。最大の特徴はその保水力にある。しかし加齢と共に減ってしまう。仮にうまく体内に吸収されたとしても膝の関節の痛みを和らげたりする効果は期待できるかもしれないが、だからといって体全体の健康維持に役に立つという事にはならないはずだ。

「人体の水分維持に大いに貢献しているヒアルロン酸だが、それを補うとして、健康食品・サプリメントとしてヒアルロン酸の経口摂取を謳った商品が存在するが、ヒアルロン酸の経口摂取によるヒトでの有効性については信頼できるデータは見当たらないとされ疑似科学の可能性がある、とも言われている。

ヒアルロン酸の基本構造はヘキスロン酸 (GlcUA) とヘキソサミン (GlcNAc) の連続であり、それぞれのグリコシド結合はα1→3結合が大半であり、アミラーゼによって分解される。そのため、経口摂取によって軟骨やマトリックス組織に補充されるという考えは生化学者の大半が否定する。」(Wikipedia)

『皇潤』の原材料名は次のように書かれている。「ヒアルロン酸含有鶏冠抽出物、デキストリン、セルロース、乳頭カルシウム・・・」と10数種類が並べられている。肝心のヒアルロン酸の含有量は全く記載されていない。

『皇潤』の場合「鶏冠(鶏のとさか)に含まれるヒアルロン酸を独自の技術で低分子かする事に成功しました」(同社パンフレット)とあるが、「低分子ヒアルロン酸」は人間の腸からどの位吸収されるのか。エバーライフから医学的証明が発表されたことはない。

国立健康・栄養研究所の「健康食品の安全性・有効性情報」によるとヒアルロン酸は「経口摂取によりヒトでの有効性については信頼できるデータは見当たらない」という。さらに「経口摂取の安全性については信頼できる十分なデータがない」と言っている。

膨大な宣伝費を使って、商品を売っていく手法は視聴者を洗脳していくやり方でしかない。本当に効果があるかどうかなどもはや考えることができず、毎日毎日叩き込まれる、効くぞ効くぞという宣伝の波に溺れ、本当に効いていると思い込まされてしまう。

そういった意味で大量の宣伝は、サプリメントを飲んでいる人の心理に影響し、健康になったと思い込ませるための効果を高めているのかもしれない。「鰯の頭も信心から」をそのままいっているようなものだ。

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定期検診の日

4月14日(水)
定期検診の日。先週ベルケイド第3クールの4回目が終わり今週は休薬だ。ただゾメタの点滴とサリドマイドの処方があるので通院しなければならない。サリドマイドは4月1日から最長3ケ月の処方が可能となった。これからは2週間1度の煩雑な手続きが不要になる。もっとも治療方針が定まらない点があるので、それ程長期に処方してもらうのは無理だ。

今日はゾメタ(ゾレドロン酸)30分だけの点滴だけだった。医者が気をきかせて、診療の待ち時間にゾメタの点滴を入れてくれた。しかし結局、医師の診察待ち時間や、サリドマイドの手続きで14時近くまでかかってしまった。

検査結果 
 IgM    2367(4/14)←2038(3/31)←1617(3/10)
 白血球  4500(4/14)←4100(4/7) ←3600(3/31)
 好中球  2770 ←2410←2230←3630
 血小板  10.5←12.2←15.3←14.6
 赤血球  314 ←318←317←330
 ヘモグロビン  10.3←10.5←10.7←11.4
 網赤血球    17←14←11←10
 CRP   1.3←1.5←1.9←2.1←4.6


コンスタントにIgMが上昇している。もはやベルケイドの効果は期待できないだろう。先週の診察の時、レナリドマイドが使用出来るまでのつなぎとして何らかの方法を考えてくると担当医が言った。白血球の減少の問題はあるが、つなぎとしては、サリドマイド+MPがIgMの減少には効果があったので、それでやってみることも出来ると提案はした。ただしその場合白血球減少の際、G-CSFの皮下注射を何日か続けなければならない。

担当医が今回提案したのは、サリドマイドの併用療法でまだやっていないシスプラチンを使うというものだった。ただしこの薬はかなり副作用が強く最初は入院して副作用への対応が必要になるということだった。10日ばかりの入院が必要になるという。10日ばかりの入院には問題はないが、病院の方でベッドの空きがないとの事だった。今日の段階で、血液内科として4人の患者が入院待機の状態にある。入院を希望しても2週間位待たなければならない。

サリドマイド+シスプラチン療法を何時からやるのかは来週の診察の時に決めるが、入院するにしても2週間位かかるので、それまでベルケイド第4クールをするかどうかも来週決めることにした。とりあえず、今日から4日間服用する予定のエンドキサン(シクロホスファミド)を、1日50mgから100mgに増やすことにした。

IgMの上昇を食い止めるため様々な療法を行ってきた。そろそろ手持ちの駒が尽きてきたようだ。レナリドマイドには様々な併用療法があるので、効果が発揮されればかなり長い間使用出来るだろう。しかしその後は本当に何もなくなる。かって効果があった薬で、薬物耐性によって使用できなくなった薬も、時間が経つと又効果を発揮するということがあるので、ひたすらその循環を繰り返していくほかないだろう。

シスプラチン:
「白金製剤(プラチナ製剤)」に分類される薬剤です。これは、名前の通り金属の白金を含んだ薬で、がん細胞のDNAと結合することでDNAの複製をさまたげ、分裂、増殖を抑えて死滅させるという作用を持っています。
シスプラチンは、高い腫瘍縮小効果を持つものの、激しい副作用があることが特徴です。最も深刻なものはその強い腎毒性による、腎不全などの腎臓機能の障害で、投与上の大きな問題点とされています。
また、多くの患者に見られる悪心・嘔吐や食欲不振などの消化器症状に関しては、他の抗がん剤と比べてもかなり強く現れます。(がんサポート情報センター)

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鎌北湖

4月13日(火)
 一昨日は風が強く、昨日は1日中雨が降り都内の桜はもはや無理だろう。桜開花情報を見るとまだ近郊で満開の印がついている所があった。春らしいさわやかな日差しの中、ちょっとしたハイキングをかねて、鎌北湖に行く事にした。

有楽町線の千川から八高線の毛呂までの路線案内を検索すると、出発時間を9時30分にしても、10時にしても、10時30分千川発の列車になってしまう。不思議に思っていたが、その理由は越生(おごせ)の駅に着いて八高線に乗り換える時に分った。千川を9時30分に出ても10時30分に出ても越生発11時45分の八高線の列車に乗るほかにない。越生で待つかどうかの問題だ。その前の電車は10時38分しかない。

毛呂駅に行くのには、東武東上線の川越からJR川越線で高麗川まで行ってJR八高線に乗り換える。坂戸から東武越生線に乗り、越生まで行き八高線に乗る。西武池袋線で東飯能まで行き、八高線に乗る。こういったコースがあるが、八高線は上下線とも朝と夕方は1時間に2本、それ以外は1本で、12時台と15時台の列車はない。この八高線に乗るための川越線は1時間に3本、越生線は1時間に4本という具合だ。

埼玉医科大学病院のある毛呂駅に行くにはよほど列車の時間と接続を考えて出かけないと大変な待ち時間を食う事になる。病院には越生線の東毛呂や、八高線の高麗川からバスもあるがその本数も少ない。

どんなに優秀な病院でも1時間に1本しか電車が走っていない所にあったら、通院などほとんど不可能に近いような気がする。入院した場合でも家族の見舞いなど中々大変だろう。4月3日のつばさフォ―ラムで、埼玉医科大学総合医療センターの木崎医師が盛んに交通の便が悪いと嘆いていたが、毛呂まで来て実感として分った。

 千川を10時前に出発した。しかし結局、10時半出発でも同じで越生で30分以上待つ事になった。越生の駅周辺を散策した。駅前の法恩寺の境内の桜に誘われて入ってみた。松渓山法恩寺は現在真言宗智山派の中本山となっている。天平10年(738)の頃、行基大士が東国巡遊の際、創建し宗義は法相宗であったと伝えられている。

鎌北湖003_edited_convert_20100413214330 法恩寺本堂

駅からなだらかな坂を上って行くと越生神社があり、そこからは山の中腹に咲く桜が見渡す事が出来た。越生神社は児玉党・越生氏の氏神・琴平神と近在の小社を合祀し、明治42年に造営された。越生氏は足利尊氏とともに南北朝の戦乱を戦い、「太平記」にも登場し応元・延元(1338)執事の高師直に従って和泉で北畠顕家卿を討ち取った、と記載されている。

鎌北湖012_edited_convert_20100413214431 越生神社から見える丘の桜

越生駅から八高線を一駅乗って、毛呂駅に着く。毛呂の駅前には埼玉医科大学とその付属病院がある。鎌北湖へは毛呂駅から埼玉医科大学の脇を通って歩いていく。鎌北湖までは1時間強かかるという。舗装道路をひたすらてくてくと歩いていく他ない。横に車がひっきりなしに走っているのでハイキンキング気分になりようがない。

鎌北湖017_edited_convert_20100413214558 鎌北湖へ向う沿道の桜

鎌北<br />湖014_convert_20100413214518 沿道に咲く花桃

鎌北湖019_edited_convert_20100413214716 白と赤の花桃

それでも30分ばかり歩いていると道の周辺は住宅街から畑に変わり、所々に桜の木々が垣間見られる。畑の中にぽつんと1本桜が立っているのもなかなか風情がある。ひたすら舗装道路だが、徐々に道の周りに木々が生い茂ってくる。あたりの空気が木々の匂いを発散させて、森林浴をしているような気分だ。緩やかな坂を上がりきると突然目の前に湖が広がる。

 鎌北湖は、農業用貯水池として昭和10年に完成した人造湖で山根溜池が正式呼称で、当時山根村であったことに由来して山根貯水池と呼ばれていた。戦後、観光協会がこの地鎌北の名をとって現在は鎌北湖と呼ばれている。また山間に静かにあることから別名乙女の湖とも呼ばれている。(もろやま町ホームページ)

毛呂駅から歩いて来た人は一人もいないようだった。途中誰ともすれ違わなかったし、誰の姿も見なかった。しかし湖の周りには桜見物の人が結構集まっていた。皆自家用車で来たのだろう。何人かの釣り人の姿も見える。へらぶな釣りが出来るそうだ。水彩画を描く人もいた。

鎌北湖021_edited_convert_20100413214812 鎌北湖堰堤の桜並木

鎌北湖024_edited_convert_20100413215009

鎌北湖031_edited_convert_20100413214905 

湖の周辺をしばらく散策した後、第1駐車場からの登り口がある「四季彩の丘公園」に行ってみた。小高い丘には遊歩道が整備され途中には木製の渡橋、見晴し台、休憩ができる四阿がある。ひたすら急な階段を登り続けてやっと頂上の見晴台に着く。ここからは鎌北湖が一望できる。

鎌北湖034_edited_convert_20100413215059 四季彩の丘公園から鎌北湖を臨む

1時間近くいたが見物は終ってしまった。ハイキンキングコースに行けば幾らでもバリエーションはあるがそこまでの気力はなかった。帰りも同じ道を1時間以上かけて戻るのも面白くないなと思って、湖の入口の所にある表示を見てみると、毛呂山町役場が運営している、町内循環バス「もろバス」というのがある事に気づいた。1日5本2時間間隔のバスで、東毛呂まで無料で行ってくれる。少し待てばそのバスが到着する。

東毛呂だと越生線があるので、この線だと15分ごとに列車は出る。越生線の川角(かわかど)という駅周辺に大学が3件あり、高校、中学もある。多くの学生の乗降があるためこの間隔で運行しているのだろう。往きはこの駅で乗客のほとんどが降り、帰りはこの駅で車両は一杯になる。5分ほど待って越生線に乗り坂戸まで行き、丁度到着した急行池袋行きに乗って戻った。

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齢をとるということ

4月12日(月)
 齢をとることはそんなに悪いことではないなと最近思うようになってきた。齢をとると確かに肉体的な衰えは必ずついて回る。ましてやがん治療を続けていれば肉体的消耗感にさいなまれることもある。しかしそれによって同時に肉体的渇望や社会的欲求は衰え、様々な煩悩から自由になれる。そして周りからの圧力を受けない精神的欲求が残るのである。生活の仕方を肉体的状態に合わせて変えていく事が出来れば、自らが選択した生活を営む事が出来るだろう。

一番大きいのは「死」への考え方だ。これは人様々で一概には言えない所があるのは確かだ。例えばがんを宣告され、死を意識せざるを得なくなった時、若い人はこれから待っているであろう様々な可能性のある人生を思って嘆くだろうし、小さい子供がいればこの子供達の成長を見ずしては死んでも死に切れないと思うだろう。子供が学生だったら子供達の学費や生活費など一番金のかかる時期に死んだらどうなるだろうと死は限りない恐怖となる。

しかし年寄りになると子供の多くは独立していて心配はない。自分の食い扶持を稼ぐだけでいい。重要な仕事を抱えている人は別だが、仕事も引退している人、気ままに老後を生きている人にとっては「死」への捉え方は違ってくるだろう。「死」への恐怖も若い頃よりも感じることは少ないだろう。

もちろん齢を取ると高齢の親の介護をしなければならないなど若い頃とは違った逃れられない別のしがらみが出来てくる。しかし生への執着は紛れもなく減退していることは確かなことだと思う。

 また趣味も変わってくる事がある。体の状態にあわせる外ない。私は昔テニスをやっていた。土日祭日は公共施設の安いコートを取るのはなかなか難しい。定年退職したら思う存分平日にコートを取って、テニスをしようと思っていた。それが不可能になった。

歩くことは出来る。ウォーキングを始めてから、神社、仏閣や庭園を回る事になった。昔はどんなに歴史ある建造物を前にしても通り過ぎていくだけだった。旅行の時は違うのだが、東京で生活している時は急いでいるからかそうなる。

もともと学生時代から歴史には興味があった。歴史書もかなり読んだ。最近になって、今まで全く読まなかった時代小説をかなり読むようになった。これも齢をとったからなのだろうか。そこにはかなり神社仏閣が登場する。それも関係しているのだろう。最近は行った先の神社仏閣の縁起、沿革などを調べるのが趣味になったようだ。色々な宗派の流れにも興味を持ってきた。

しかし無信心であることは変わりない。どのような神社仏閣に行っても手を合せたことはない。特に病気になってからはなおさらだ。仏や神に願い事をするとすれば「病気を治して下さい」と言うほかないだろう。普段神にも仏にも関係ない生活をしていてあまりにもご都合主義のような気がしてしまう。がんに効くと言われたが自分では効かないと思っているサプリメントを服用するに等しい気もして、拝殿や本堂の前に立っても手を合せたことはない。
 
 このように齢をとると、生活様式を変えざるを得ない。それに順応すれば精神的にはかなり豊かな生活が可能だと思う。齢をとり、病気になり踏んだり蹴ったりだと思って嘆いていても少しも前進しない。まず今の状態を受け入れることから始める外ない。そこには今まで考え付かなかった多くの可能性が生まれてくる。そこから自分の道を探し出していく他ないだろう。そして今の自分の状態を如何にして彩っていくのかを模索していく事によって日々の豊かさを獲得していけるだろうと思う。

齢をとるという事を考えるとアン・リンドバークの言葉を思い出す。「それまでの活動的な生活に伴う苦労や、世俗的野心や物質上の邪魔の多くから解放されて、自分の今まで無視し続けた面を充実させる時が来たのである。それは自分の精神の、そしてまた心のそれからまた才能の成長ということにもなって、こうして我々は日の出貝の狭い世界から抜け出すことが出来る。」(「海からの贈物」)

この言葉は齢をとり、さらに病気になり今までの生き方を変えていかざるを得なくなった時に、むしろそれを肯定的に捉え、我々がどのように人生を生きていったらいいのかの方向性を示しているだろう。自ら今本当に何をしたいのか、どう生きていくかを深く問いながら生きていく時間が与えられたものとして、受け止めていくことが必要だろう。

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運動の効用

4月11日(日)
『ロハス・メディカル』の4月号に「運動不足何故悪いのか」という特集記事が掲載されていた。『ロハス・メディカル』は病院の待合室に無料で置いてあるので手に取ったことがある人も結構いるだろう。「散歩の効用」について以前ブログに載せて、運動の効用、とりわけ散歩の効用についての考えを書いた事がある。
http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-639.html

4月号の特集記事は、運動の必要性を科学的に明らかにしているので運動をする上で大いに参考に出来ると思う。医療情報の提供は慎重を期さなければならないが、多くの人に運動の効用を知ってもらい、病気を抱えている人も運動によって病気の回復をはかってもらいたいと思って取り上げてみた。

運動不足が健康に良くない理由

1、筋力が衰える。
筋力が衰えるということは全身の機能が衰える事になる。筋肉は、体の部位の中でも消費エネルギーの大きい部位なので、筋力が減れば消費エネルギー量(基礎代謝量)が減少し、摂取カロリーが同じでも食べすぎとなり、肥満につながる。

2、骨がもろくなる。
骨の再構築より分解の方が多い状態だと、神経細胞などの活動に決定的に重大な役割を果たすカルシウムの体内貯蓄量が不足する。

3、動脈硬化が促進される。
運動をする事によって血管の内側を修復するようなホルモンが出てくる。ホルモンの出が悪いと血管の内側にカスがたまって老化が早まる。

4、インスリン抵抗性が出る。
糖分を血中から細胞内に引っ張り込むホルモンのインスリンは運動した時の方が効きが良い。運動不足だと、効きが悪くなりその分大量のインスリンが必要となり、膵臓に負担をかけ、2型糖尿病に近付いてくる。

運動によって変化すると考えられている因子

1、性ホルモンの減少(性ホルモンは子宮がんや乳がんのがん細胞の増殖を促進する)
2、肥満・内臓脂肪量の減少
3、増殖因子の量の減少(かんに対する抗腫瘍免疫の活性化)
4、免疫能の増加
5、抗酸化機能の増加(活性酸素を分解する酵素の働きの高まり)
6、DNA損傷の減少(活性酸素が減ることにより、活性酸素によるDNA傷害の減少)

運動の効用・発症リスクの減少(疫学データー)
死亡率:下がる率30~40%
がん:リスク軽減率の高いもの-腸、子宮、肺、乳、前立腺
    効果の高いもの70% 効果の少ないもの10%
心血管疾病:10~30%(動脈に異常があっておきる心臓発作や脳卒中の総称)
糖尿病:20~30%

適度の運動とは
楽に感じる程度でよく、定期的に毎日続けた方がいい。具体的に言えば歩くことになる。日本人の成人全員が毎日3000歩ずつ(2km、30分)余計に歩くと、医療費が年1600億円ないし2700億円減るという研究が1月末に報道された。
(「ロハス・メディカル」4月号より)

散歩の効用
がん治療で2ケ月位入院し一時退院の時、退院の次の日近所を30分ばかり散歩した。たったそれだけのことだが、次の日ふくらはぎがパンパンになり、家の階段の上り下りも困難になるほどだった。こんなにも筋力は衰えてしまったのかと愕然とした。それが私がウォーキングを始めたきかっけだった。

次の入院の時はなるべく歩こうと思って、点滴をしていない時は病院の塀際に木々に囲まれた遊歩道がありそこを散歩した。雨の日や点滴中はキャリーを引っ張って、病棟の周りの屋根があるタイル貼りの通路を2周した。足腰の筋力の維持と気分転換にもなり毎日続けた。そのため一時退院で家に帰った時に、出かけても足の状態は良好だった。

ともかく体を動かす事を医者からも勧められた。退院後、最初は近所の公園回りをしていたがそれでは飽きてしまうので、次に西武線沿線の緑地保全地域巡り、都立庭園巡り、豊島区の散歩コース、練馬区の散歩コースなどを調べて週1度位は出かける事にした。後は家の周りを15分ばかり、買い物なども含めて歩いている。

少し位体がしんどくても一旦外に踏み出せば体は付いてくる。狭い部屋の中に1日いるとつい病気の事に頭が行ってしまい鬱々となってしまいがちだが、真夏と真冬は別として、さわやかな風と陽光に体を預けるように緑に囲まれた道を歩いているとそんな事もすっかり頭から吹き払われてしまう。自然の中を歩くことで五感は活性化し、筋力も養われる。ともかく歩く事に勝るものはない。

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審査支払機関による保険適用医療費の減額

4月9日(木)
豊島区区民部国民健康保険課から「医療費のお知らせ」という通知が届いた。
「医療機関から審査支払機関へ請求された医療費の額が、審査の結果、下記の通りとなり減額されましたのでお知らせします。減額された医療費の額 51,510円(自己負担分15,453円-この分が医療機関に払い過ぎとなる可能性があります)」と記載されていた。

豊島区の国民健康保険課としては、審査支払機関が承認した分の医療費を医療機関に支払う事になっている。高額医療費の手続きで健康保険課に行った時に、持っていった病院で出された領収書の合計額と審査支払機関から来た書類に書かれている医療機関に支払うべき医療費の額が違っていた。その理由を調べるのにかなり時間がかかったが、結局は審査支払機関が、医療費の一部を保険適用から除外したためと分り、高額医療費支払いの手続きの方は無事完了した。

ただし本来高額医療費の中に含まれるべき15,453円は自己負担になる。つまり44,400+15453円が1月の医療費の出費となってしまった。

医療機関請求の医療費が審査支払機関によって変更される場合とその問題点(教えて!gooより)
1、病名を記載し忘れたような当該医療機関のレセプト(診療報酬明細書)上の事務的ミス。

2、
レセプトを審査する支払い基金の審査員の変更があったため、これまでは問題ないと判断されていたのに、新しい審査委員がダメと判断をした。同じ医療、同じレセプト内容でも審査委員が変わって判断が変わるだけでなく、都道府県によって問題ないと判断されたり、ダメと判断されたりする。これに対して裁判があり、憲法上の違法性が有ると判定された。

3、審査支払機関は、医療機関のレセプトを審査する所だが、審査委員はその医療の専門家とは限らない。専門家が治療した事を、専門外の医師がその治療の可否を判断し審査をする事の方が多い。その結果、医学的判断と、健康保険上の判断が乖離する事が少なくない。

4、患者さんを診察して医学的判断をし、検査、治療を行ったにもかかわらず、その医療費の70%が支払われなかった医療機関が一番不利益を被る。実際に使用した薬代や注射代などの医療費が何処からも支払われない事になる。

5、
医療機関も、審査支払機関の不当な減額に対して訴訟をする事が可能である。しかし、裁判費用などの方が遥かに上回ってしまう。ただし訴えた場合にはほとんど医療機関が勝利する。

医療機関(病院)の説明
豊島区健康保険課から来た通知を持って、病院の事務所(医事科)に行き、保険適用医療費の減額について問い合わせた。責任者が出てきて説明してくれた。今回保険適用の対象から外されたのは、バルトレックス(帯状疱疹予防薬)とフルコナゾールカプセル(抗真菌剤)だという。

フルコナゾールは2006年11月に退院してから毎日欠かさず服用してきたものだ。バルトレックスはサリドマイド+ベルケイドの組み合わせが帯状疱疹発生の確率を増加させるということで12月から毎日服用し始めた。それが突然と保険適用外になるとはどういったことだろう。

病院の事務的ミスであれば既に支払った15,453円は払い過ぎとなる可能性があり、返還を病院に求めることは出来るが、既に使用してしまった薬なのであるからそのつもりはない。むしろ病院の方から保険適用外になったのだから自由診療として全額自己負担してほしいということで51,510円(既に支払った15,453円を除く)を請求されはしないかと心配したほどだ。

担当医の話
担当医にこの件について聞いてみた。「病院に対して審査機関が意地悪をしているのだ。医療費の増加に対して少しでも減額しようとして躍起になっている。患者の事情など全く考えていない。患者にとってなくてはならない薬だから処方している。それを何の説明もなく勝手に訳も分らない役人が切捨てている。」

病院としては審査支払機関に対して再審査の申し立てまたは訴訟の提起を行うつもりだと言った。患者にとって必要不可欠な既に保健適用されている薬を、突然何の説明もなしに保険適用外にしてしまう審査支払機関の横暴は許すことは出来ない。

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臨時検診・ベルケイド3クール4回目

4月7日(水)
前回IgMを検査したので今回は行わなかった。IgGについては少ない場合には免疫グロブリン製剤を点滴しなければならないので1ケ月1度は検査する事にした。ベルケイドとデキサート(デキサメタゾン)の点滴で1時間、免疫グロブリン製剤で2時間の点滴をする事になった。

検査結果 
 白血球  4100(4/7) ←3600(3/31)←5100(3/17)←4200(3/10) ←9000(3/3)
 好中球  2410←2230←3630←2890
 血小板  12.2←15.3←14.6←17.6
 赤血球  318←317←330←317
 ヘモグロビン 10.5←10.7←11.4←11.1
 網赤血球   14←11←10←12
 CRP   1.5←1.9←2.1←4.6←9.1

 IgG   233(4/7) ←245(3/3) ←178(2/17)


以前、IgGの検査は思い出したようにやるだけで定期的にやっていなかった。去年も5月には326、9月には203であったが免疫グロブリン製剤の点滴はしなかった。500以下になったらやった方がいいといわれている。最近白血球(好中球)の数値が減少してきたので急遽始めたといった感じだ。医者にやらなかった時期はよく大丈夫でしたねと聞いたら「運が良かったんだろうね」とあっさりとかわされた。

日曜日の夜微熱が出たという事を報告した。19時ごろだるいので熱をはかったら36.7度あった。寝る前には37度あった。翌日には熱は下がり体調的には問題はなかった。

医者は蜂窩織炎の「細菌による化膿性炎症」がまだ体に残っていて時々活動しているのではないかと言った。CRPの値も1.5あり、人によって違うが私の場合は通常0.1をキープしていた。それが38度の熱が出た3月3日には9.1まで上がり、それ以降も徐々に下がって来ているがいまだ1.5ある。

また白血球も3月3日の9000をピークとして、減少はしているが今日の段階で4100ある。これだけ取り上げれば多いのは結構な話だが1000から2000の低い値の間をさ迷っていたのが熱が出て上がったからといって、ただ多い事を喜ぶわけにはいかない。

白血球の増加は体の異変の兆候だ。抗生物質は細菌を殺すのには効果はあるが、有用な常在菌も殺してしまうので、服用回数期間は厳密に管理しなければならない。今の段階で白血球数、CRP値からいって未だ細菌は体の中にくすぶっているのだろう。しかしそれは免疫力で徐々に体から排除していく外ない。

体調的には歩き回れる位問題はないので、抗生物質の投与を行うまでのことではないということで無治療での様子見ということになった。

抗がん剤を使用していると副作用や免疫低下に伴って、わざわざ医者に電話したり、診断日以外に連絡し行って意見を聞くほどでもない色々な症状が出てくる。今は病院に毎週通っているので何か体に異変が起きてもすぐ報告できるし、それに対する処置が速やかに出来るので安心だ。週一回の通院は大変だがいい面もあると思っている。

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曹洞宗大本山總持寺

4月6日(火)
曹洞宗大本山總持寺(諸嶽山)
総持寺の入口は鶴見大学、鶴見短期大学に挟まれるような雰囲気だった。参道の両側は大学のキャンパスだ。広大な総持寺の敷地を大学が徐々に侵食してきている感じだ。総持寺の境内には、鶴見大学付属中学校、高等学校への道案内の表示があった。

「本学は仏教、特に禅の教えに基づく人格の形成をもって、建学の精神としている」とあるように大学、高校、中学全て曹洞宗の教えに従って運営しようとしている。しかし今時の若者にそれを強要しようとしても無理だ。大学も経営していかなけれならない。そのために生徒が集まらなければならない。

こういったことで「本学園の母体である總持寺を開かれた瑩山禅師・福井県に永平寺を開かれた道元禅師」の教えはかなり薄められた形にならざるを得ない。熱烈な創価学会員が池田大作の教えを学びたいという熱き思いで創価高校や、大学に入るのとは訳が違う。

総門を潜り参道の緩やかな坂を上がっていくと、目の前に聳え立つ山門の強大さに驚かされる。日本一だと言われるが、大きいことは良い事だを地で行く様な造りだ。太祖堂もその大きさに驚いた。本来清貧である事を旨とする宗教者もそれなりに権勢を誇示したいのだろうか。

総持寺縁起:能登半島の一角、櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)に諸嶽観音堂という御堂があった。そこの住職である定賢権律師が、ある夜に見た夢のお告げから、總持寺の歩みが始まる。瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、能登に於いて570余年の歴史を刻んできた。
しかし、明治31年(1898)本堂の一部より出火し、伽藍の多くを焼失した。焼失した伽藍の復興、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、当時の貫首、石川素童禅師は大決断をもって明治40年、寺基を鶴見の地に移した。曹洞宗は大本山を二つもっています。福井県にある道元禅師の永平寺と鶴見にある瑩山禅師の總持寺です。

総門:門前に立つと、「三樹松関」と書かれた扁額が目に入る。總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来してる。この総門は特異な高麗門の様式で建てられている。

小田原城066_edited_convert_20100406221622 総門

三門:総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが「三門」である。鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇る。三門には、阿吽の仁王像が納められている。

小田原城069_convert_20100411083043 三門 

三松閣:三門に向かって右側の切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇。檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場であり、宿泊施設も備えられている。

小田原城071_edited_convert_20100406221932 三松閣 

大祖堂(瑞応殿):
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及ぶ。貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされる。

daisodo_convert_20100406222034.jpg 大祖堂 

仏殿(大雅寶殿):七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っている。

butsuden_convert_20100407212337.jpg 仏殿 

(参考資料:総持寺ホームページ)

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県立三ツ池公園

4月6日(火)
神奈川県立三ツ池公園
小田原から横浜まで東海道線で1時間弱かかった。そこから京浜東北線に乗り換えて鶴見まで10分だ。湘南新宿ラインの快速ならその時間で池袋まで行ってしまう。鶴見駅からバスで行くことになる。三ツ池公園入口に停まるバスの出るバス停を見つけたが、時刻表を見ると14~16時は一本もなく、それ以外は1時間に一本しか出ていない。

バスの運転手に聞くと公園は東寺尾循環または寺谷循環に乗車し「寺尾中学校入口」で降りればそこからすぐだと教えてくれた。聞いた運転手のバスが「寺尾中学校入口」で停まるというのでそれに乗って無事目的地に着いた。バスの場合運行状況をきちっと調べておかなければならない。電車のように定期的に出ているとは限らない。(片田舎の電車は別だが)とんだ目に会うところだった。

名前のとおり、園内には三つの池(上の池、中の池、下の池)がある。江戸時代に灌漑用水池として利用された3つの池が公園の名前の由来ともなっている。公園の中央に位置する池を取り囲むように奥深い緑に囲まれた小高い丘がある。その斜面の自然の起伏を活かした公園は、豊かな樹林に囲まれ自然を思う存分満喫する事が出来る。その自然はひと時のやすらぎを与えてくれるだろう。

園内には35品種1000本を超える桜が植えられており、日本さくら名所100選の一つに選定されている。ソメイヨシノが7割を占め、春には花見客で賑わう。また、神奈川県が選定した「かながわの探鳥地50選」にも選ばれており、林間の小鳥や池の水鳥も多くの種類が見られる。「かながわの公園50選」「かながわの花の名所100選」などにも選ばれている。色々なランキングがあって驚くが、それに引きづられざるを得ないのも事実だ。どうしても行った事がないところだと他人(有識者)の判断に頼る他ない。

小田原城056_edited_convert_20100406221322 下の池の水辺

小田原城063_edited_convert_20100406221519 水の広場から上の池の対岸を臨む 

小田原城061_edited_convert_20100406221428 花の広場にある枝垂桜

「コリア庭園」:公園の一画に全く異質な空間が出現したという感じだ。1990年(平成2年)の神奈川県と韓国京畿道との友好提携を記念して造られたものだ。設計施工に当たっては韓国京畿道の全面的な協力を受けており、韓国庭苑家の監修のもと、造園専門家の参加もあったらしい。建物の瓦や石灯籠、庭石なども韓国の資材の寄贈を受けたのだという。

小田原城053_edited_convert_20100406221123 李氏朝鮮時代の地方貴族の邸宅がモデル

小田原城054_edited_convert_20100406221221 六角亭・観自亭

公園の桜ははらはらと花びらを池の中に散らしている。水面の周辺に花びらの吹き溜まりが出来、桃色の布を敷いたようだ。公園の中には遊びの森、ジャンボ滑り台、水の広場などあって家族連れで来るのには適しているだろう。また里の広場、いこいの広場、展望広場、花の広場、水の広場、丘の上の広場などそれぞ趣向をこらした広場があって、テーブル、椅子が用意されていて休憩や、お弁当を食べるのに適している。またゆったりと昼寝でもしてもいい。

散策コースとしては、三つの池を周遊するコースがあり、色々な広場で休憩しながら回ればいい。もう一つは森の散策で、林の木々に囲まれた起伏のある周辺の丘を歩くコースだ。春は若葉や草木の花を、秋は紅や黄色に色づいた森を楽しみながら散策する。桜の季節とは別に、一人静かに散歩するのに適した場所だ。

往きは公園の正門に回ったので15分近く歩いたが、帰りは南門から出たので寺尾中学校入口のバス停まで5分位で着いた。そこから鶴見駅までは10分位なものだ。時間はまだ16時過ぎだったので時間はある。東台小学校に「いのちの授業」関係で何度か来ていて、鶴見駅で乗降しているが中々総持寺に行く機会がない。

(参考資料:三ツ池公園ホームページ)

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小田原城址公園・報徳二宮神社

4月6日(火)
今年の春は天気が不順だ。寒かったり、雨だったり、どんよりと曇っていたり、風が強かったり、なかなか外出しようという気にさせる天気に巡り合わない。晴れの日があればめっけものだという気がする。晴れたらすかさず出かける用意をしなければならない。明日はどうなるか分らない。

久しぶりに天気予報では今日は朝から晴れとなっていた。今日辺りで桜は満開となり明日以降は散り始めるだろう。最後の花見を何処にするのか。埼玉に行ったから今度は神奈川に行こうと思って、全国お花見スッポットの神奈川県のところを見てみたが24ケ所あって絞りきれない。

桜の名所100選を見ると県立三ツ池公園、小田原城址公園、衣笠山公園の3ケ所があった。少し遠いが旅行気分で小田原まで行こう。時間があれば帰り鶴見で降りて三ツ池公園に寄ってみようという計画を立てた。

小田原まで行くのには湘南新宿ラインが乗り換えなしでいけるので一番便利だ。しかし通勤列車を1時間以上乗って行くよりは、新宿からロマンスカーに乗ってゆったりと行くのもいいと思った。運賃はJRでは池袋から小田原が1620円だ、新宿から小田原まで小田急ロマンスカーの特急料金を入れても1720円だ。殆ど変わらない。さらに品川から新幹線に乗ると3810円かかる。JRは昔からそうだったが私鉄よりあまりにも高い。運賃だけだとほぼ倍の料金だ。

ロマンスカーに乗る事にした。遠距離に行く時の定番である缶ビールを買って、気安く読めるのが取り得の「粗製乱造型通俗推理小説」の文庫本を持って列車に乗り込む。町田を過ぎる頃から段々と緑が増えてくる。山肌には黄緑色の新緑の葉を付けた木々が所々姿を見せる。伊勢原あたりから車窓には大山周辺の山々が姿を現す。桜の樹は至る所で花を咲かせている。

小田原城址公園
小田原駅から商店街を通って、小田原城址公園に向う。城の堀の周りを囲むように桜並木が植えられそれが明るいトンネルを作っている。千鳥が淵もそうだが、石垣と堀に桜の花は良く似合う。この公園は「日本の歴史公園100選」に選ばれた。昔の雰囲気を忠実に再現し今に伝える造りになっているからだろう。

小田原城004_edited_convert_20100406220254 学橋から二の丸に向う

小田原城048_edited_convert_20100406221008 隅櫓から御堀端通りを臨む

花見の見物客がかなり来ていたが、ブルーシートを敷いて宴会をしているようなグループはなく、おとなしくピックニック気分でお弁当を食べているといった感じだ。銅門、常盤木門を通り本丸の広場から天守閣を臨む。天守閣への入場は有料だが、中には様々な展示品が並べられ飽きることなく見学できた。

小田原城沿革:小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎えた。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。

銅門:江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5年に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていた。往時は、馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣へと進むようになっていた。

小田原城010_edited_convert_20100406220342 銅門

小田原城013_convert_20100407093700 二の丸から本丸に向う

常盤木門:本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていた。元禄16年(1703)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706)に、多門櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建された。

小田原城014_edited_convert_20100406220422 常盤木門

天守閣:城の象徴として本丸に構えられた。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっている。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができる。

小田原城018_edited_convert_20100406220524 天守閣

小田原城026_edited_convert_20100406220614 天守閣から見た本丸の桜

小田原城033_edited_convert_20100406220648 天守閣から相模湾を臨む

報徳二宮神社

小田原城址公園の一画に報徳二宮神社がある。二宮尊徳を祀っているということだ。菅原道真もそうだが、誰でもこれはという人がいればその人は神になれるというのがすごい。キリスト教的な唯一全能の神ではない。誰でも神になれるし、多くの人にお参りされる。現世では色々な失敗や欠点もあったのだろうが、その功績によって人々から神としてあがめられるのである。こういった宗教観は日本人独特のものだろう。

この神社は明治27年(1894)、二宮尊徳の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、二宮尊徳を祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一画に創建されたものだ。二宮尊徳は言っている「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」今の政治家や、財界人に聞かせてやりたい言葉だ。

そして、彼は「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を説く。江戸時代においても「財政再建」「格差」「環境」「貧者の救済」など現代と同じ問題を抱えていた。その解決のため尊徳はあらゆる努力をおしまなかった。「みんなが自然と共生し、心豊かに生きられる」社会を目指したのである。

小田原城044_edited_convert_20100406220901 神社の参道

小田原城043_edited_convert_20100406220803 拝殿

神社の一画で呉汁というのを販売していた。呉とは豆汁、豆油をさす。二宮尊徳の時代に食していたというもので、大豆をすり潰して味噌を入れただけのものだ。それとの比較として、大豆のすり潰した物にだし汁、味噌を入れ、さらに油揚、大根、人参、ほうれん草を加えた、いわば豚の入っていない豚汁のようなものが出された。そこに長ネギ刻みを入れる。昔の呉汁と今風にアレンジしたものの2種類を比べて食べてみてどうだろうという訳だ。今風にしたほうが美味しいに決まっている。昔は質素な食事だったのだなという事をしのばせるのが目的だ。

小田原城址公園を後にして、まだ時間が早かったので次の目的地「県立三ツ池公園」に向った。
(参考資料:小田原市役所経済部観光課ホームページ)                 (つづく)

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4月5日(月)
桜については色々語られている。気がついたものを少し書き写してみた。その中で特に有名なのが梶井基次郎の以下の文章だ。満開の桜が咲き誇る様は、死を連想させるほど、もの狂おしく美しい。

六義園0_convert_20100405145933   六義園の枝垂桜

梶井基次郎 『桜の樹の下には』
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

薄紅の小さな花が枝という枝を覆いつくすようにいっせいに咲き誇る姿は幻想的で妖艶だ。散りぎわは儚く、美しい。アンビバレントな感情を持ったことのある人ならば、「桜の木の下には屍体が埋まっている」という妄想にも共鳴できるようになる。そして満開の空気を描写したくだりに来て、ふいに桜の風景に出会ったように胸を突かれる。その桜は記憶の中のものかも知れず、あるいは現実のものではない心象風景なのかもしれない。(asahi com bookデジタル読書・落合早苗)

西行法師 『山家集の花の歌群』

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

出来るならば満開の桜の下でこの命を終えたい。
桜は咲いて散って、また花を咲かせる。
春爛漫、満月の夜は、より一層その散り際の美しさを見せてくれる。

宮部みゆき 『ぼんくら』
・・・平四郎は桜が嫌いだ。桜の花というのは、枝をもいでよく見てみると判るが、みんな下を向いて咲いているのである。なんと景気の悪い花だろうと思う。それに気立ても良くないじゃないか。百年このかた-いや百年どころかもっともっと遠い昔から、この花は名だたる文人墨客たちに延々と褒めそやされてきたのである。それなのに未だ下を向いて咲きやがる。謙遜も度が過ぎれば嫌味という事を知らないのだ。(p81)

宮部みゆきらしい発想法だ。こういった視点も面白い。気がつかなかったが別の見方をすれば、桜はひたすら献身的に人の方に花びらを広げ自分自身を主張しているように見える。それはある意味で媚を売っているようにさえ思えてくる。

鈴木清順監督 『チゴイネルワイゼン』
この映画の途中の場面に出てくるのだが、全山を埋めつくほどの桜が風に吹かれ舞い散っていく。死のためのバック・グラウンド・ミュージックのようにその場面がずっといつまでも描写されていく。

映画の中で、チゴイネルワイゼンの作曲者サラサーテが自ら演奏したレコードを聞くと彼が演奏中に何かを言っている。しかしそれがなにを言っているか聞き取れない。それをベースにした怪奇幻想映画で内容はうまく説明できない。原作は大正期の内田百の「サラサーテの盤」である。映画の内容はともかくも、桜吹雪は圧巻であり今でも深く印象に残っている。

桜を詠んだ短歌、俳句
高砂の 尾上の桜 さきにけり 外山の霞 立たずもあらなむ (前中納言房・小倉百人一首73番)

もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊・小倉百人一首66番)

初桜 折しも今日は よき日なり (松尾芭蕉)

夕桜 家ある人は とくかえる (小林一茶)

桜は「遠い昔から、この花は名だたる文人墨客たちに延々と褒めそやされてきた」と宮部みゆきも言っているが、万葉集の時代から歌の中に桜はかなり登場する。古今和歌集にも数限りなく桜は詠まれている。山家集の花の歌群の中には、旅で見た桜への想いが、その華やかさと自らの心の中を対比するかのように詠われている。桜を詠った短歌、俳句は幾らでもあるがきりがないので、よく知られている短歌二首、俳句二句を紹介する。

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つばさファーラムin埼玉 「がん治療とうつ」

4月3日(土)
埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科の大西医師については、ももの木の患者会に参加していた女性が遠距離を1日かけて通院し治療してもらった事があるということで名前は聞いていた。

がんの宣告をされた時に、まず患者はがんから死をイメージする。死亡原因の第1位はがんである。信じられない思いとそのショックが最初に襲う。そして長く苦しい治療を考え、その間の仕事や家族の問題で強いストレスにさいなまれる。そして精神的にどん底まで落ち込む。一般的にはその落ち込みは2週間位で回復するが、そのままうつ病になってしまう場合もある。

がん患者の半数近くが、がん治療中に適応障害やうつ病などの精神疾患の症状を呈してくる。その中で、3,4割は医者の治療を必要としている。緩和ケアを受けている患者の場合その割合はさらに増加する。

ある女性患者の例が話された。移植後1年以上経って、同じ頃入院していた人が働き始めているのに、元気が出ず体調が万全ではない。身体症状としては体がだるい、眠れない、精神症状としては気分が落ち込む、意欲が出ない、集中できないといったものだった。

この症状はうつ病であると診断し抗うつ剤を処方した。その結果まず体が軽くなったということから徐々に倦怠感が和らぎ何かをする意欲が出てきた。やがてうつ病を完全に克服する事が出来た。

うつ病の症状として9項目挙げられている。
 1. 強いうつ気分
 2. 興味や喜びの喪失
 3. 食欲の障害
 4. 睡眠の障害
 5. 精神運動の障害(制止または焦燥)
 6. 疲れやすさ、気力の減退
 7. 強い罪責感
 8. 思考力や集中力の低下
 9. 死への思い

がん治療においては、移植などの大量抗がん剤投与や、繰り返される化学療法による副作用として長期にわたり倦怠感、体調不良や食欲不振、睡眠障害などが継続しうつ病の症状に重なる所がある。

どのようの症状が出たらうつ病であると判断できるのか。眠れない、食欲がなくなる。頭の回転も鈍くなる。今まで何でも考えられていたのに、遅いコンピューターみたいに反応が鈍くなる。また、女性の場合はお化粧しなくなり、着る物が急に地味になり、くしゃくしゃであっても気にしなくなってくる、髪の手入れをしなる。そういう場合にはうつ病になっている可能性が高い。日常生活が出来なくなったらまずうつ病を疑った方がいい。

薬物療法でうつ病は90%は治る。それに安静が必要だ。また精神療法としては、患者が話す言葉に耳を傾ける。話をじっくりと真摯に聴くだけで意味がある。うつ病は薬で治る病気なのだから気持ちの問題などといって放置しておかないで、きちっと医者に診てもらう事が何よりも必要だ。

うつ病は、がん治療に重大な影響を及ぼす。がん治療で辛いのにうつ病の精神症状での苦痛で二重の苦しみを背負ってしまう。うつ病は意思決定に障害を及ぼし、治療意欲が低下してくる。がん治療に専念するためにはうつ病の治療は不可欠なものとなる。

精神腫瘍科という珍しい科だが、特にがん患者の精神医療は大きな意味を持っている。患者の多くががん宣告やがん治療という強いストレスに遭遇し、適応障害やうつ病になってしまうことが一般の人よりもはるかに多くの確率で起きている。同時にがん治療に伴う強い副作用が倦怠感や体調不良、食欲不振を伴うのでうつ病の症状を見落としがちである。うつ病の症状を早期に発見し医者にかかる事が何よりも必要だ。

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つばさフォーラムin埼玉 『血液がん-より良い治療とより良い治癒』

4月3日(土)
氷川神社を後にして、三ノ鳥居から二ノ鳥居、一ノ鳥居へと参道を大宮駅方面に向かう。駅まで歩いて20分位なものだ。東口から西口へと駅を突っ切り、歩道橋の上を進んでいくとそのまま今日のファーラムの会場に至る。

大宮公園027_edited_convert_20100405003553 大宮ソニックシティ

ファーラムの会場である大宮ソニックシティは、地域再開発の一環の中で、埼玉県のシンボル施設、大宮駅西口のランドマークとして1988年6月完成した複合コンベンション施設である。オフィス、各種会議室、イベントスペースなどを持つ地上31階の高層ビルを核に、シティホテルが立ち、大ホール、国際会議室、小ホール、市民ホールを備えコンサート等の各種イベントが行われる。

血液情報広場つばさ主催のフォーラムin埼玉が「血液がん-より良い治療とより良い治癒」といった内容で行われた。さいたま市が後援し、賛助企業として製薬会社が名を連ね、ボランティアとして会場設営などの準備に協力してくれている。

フォーラムは31階建てのソニックシティビルの9階の会議室で行われた。この会場は会議室の中では一番広く100名収容できる。しかし、参加者は200名を軽く越えていただろう、主催者の予想を大きく越えてかなりの人が集まった。机を全て運び出し、椅子を大量に運び入れて席を作った。埼玉でこの手のセミナーはあまり開かれないのかもしれない。この人数には驚かされた。

今回のフォーラムは基本的には埼玉県の血液がんの患者家族を対象にした催し物として企画したものだろう。講師として登場する医師、看護師は全て埼玉県の病院に所属しているし、最初の講演の内容である埼玉地域における血液診療の実際についての話は、埼玉在住の患者を意識したものであり、かなり詳しく埼玉県内の血液内科の医療実態についての説明がなされた。

埼玉県内では血液がんを専門的に扱う病院が少なく、病院への交通アクセスが不便で、半分近くの患者が東京の病院で治療を受けているのが実態だという話もされた。そういう現状をどのようにしていくかの方向の模索も今回のフォーラムの一つの意図であったのかもしれない。

今回の催しについての企画への助言および座長を埼玉医科大学総合医療センター血液内科教授の木崎昌弘医師が行い、埼玉県における血液がんの患者、家族との関係の構築に向けた方向性も考えていたのだろう。

フォーラムのチラシをそのまま掲載してもあまり意味がないのだが、何をやったかの目安として参考にしてもらいたい。最近結構色々なセミナーに出ているので、殆どの内容は聞いた事があるものばかりだった。ただ「治療とうつ」の講演の内容は、始めての聴いた話なので紹介しておきたい。

第1部 疾病と治療の理解
Ⅰ 血液がんの基本理解・・・木崎昌弘(埼玉医科大学総合医療センター血液内科)
・血液とは何か、「健康」に対して血液がしている役割など、血液そのものの基本について。
・血液がんという疾病について、隣の患者さんとの病気の違いまで。
・標準治療の意味。治験について。
・埼玉地域における血液診療の実際について。

Ⅱ 血液がん治療の理解
1、薬物療法の基本理解・・・木村文彦(防衛医科大学血液内科)
・血液がん治療の基本:total cell killとは。
・化学療法(抗がん剤とは? 脱毛のメカニズム、神経毒のある薬と副作用の発生、など)
・分子標的治療薬(これも抗がん剤?適応疾患が慢性症状を呈するものであるのは、なぜか)
2、造血幹細胞移植の実際・・・渡辺玲子(埼玉医科大学総合医療センター血液内科)
・造血幹細胞移植とは。移植医療の起訴と実際。
3、造血幹細胞移植における合併症と将来展望・・・神田善伸(自治医大さいたま医療センター血液内科)
・移植医療の最新の成績。GVHDなどの移植後合併所の対策。

第2部 より良い闘病のために
1、外来化学療法室のナースから・外来化学療法の実際と看護・・・島田ひろ美(埼玉医科大学総合医療センター化学療法室看護師)
・看護師が行っている治療中のケアや患者さんに行ってもらうセルフケアのポイント。
2、血液病棟のナースから・清潔ケアについて・・・柳沢真理子(埼玉医科大学総合医療センター病棟看護師)
・免疫力が大きく落ち込む時期があるのが血液の治療の特徴。感染予防のための清潔ケア。
3、治療とうつ・心療内科治療の上手な受け方・・・大西秀樹((埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科)
・がんと診断された際の心の葛藤と治療への向かい方について。心療内科や精神科をどう利用するのが良いか。

第3部 分科会と交流会

急性白血病  慢性骨髄性白血病  悪性リンパ腫  多発性骨髄腫  骨髄異形成症候群

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大宮公園・氷川神社

4月3日(土)
血液情報広場つばさ主催で、「血液がん-より良い治療とより良い治癒」と題したフォーラムin埼玉が大宮ソニックシティで13時から行われた。天気もいいし少し早めに出て、桜の名所大宮公園に行ってみる事にした。こんな機会でもなければ大宮まで桜を見に来る事もないだろう。大宮公園は大宮駅から歩いてもいけるが、往きは東武野田線に乗り換えて2駅目大宮公園駅まで行った。

大宮公園
大宮公園は明治18年、JR大宮駅の開業とともに、氷川神社の境内に誕生した埼玉県初の県営公園としてオープンした。総面積67.8haの敷地内に、約1200本ものソメイヨシノが鮮やかに咲き乱れるお花見スポットで1990年に日本さくら名所100選に選ばれた。

桜は自由広場、舟遊池周辺に満開の花を咲かせていた。水面に映る桜の木々はそこはかとない情緒を感じさせる。土曜日だということもあり、暖かい日差しに誘われるかのようにかなりの人が公園に向って駅からぞろぞろと歩いていく。自由広場には既にブルーシートがかなり敷かれ、既にお花見客が宴会を始めている。

自由広場を取り囲むように設けられている歩道に沿って様々な露店がところ狭しと並んでいて、それがまたお花見の雰囲気を盛り上げている。ここの桜はかなり年数が経っているのだろう幹が太く華やかな枝振りを見せてくれる。

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氷川神社
桜の眩い桃色の色彩に幻惑されるような気分でいると、それとは全く違った状況が出現する。大宮公園の一角に氷川神社がある。三ノ鳥居から神社の境内に足を踏み入れると、色彩は濃い緑色に変わる。そこには古杉や老松などの大木が生い茂り、厳かな雰囲気を漂わせている。周辺の緑の中に最初に目に入るのが鮮やかな朱塗りの欄干の神橋(たいこ橋)であり、橋の池に映る姿も趣が深い。その先に朱塗りの巨大な楼門が聳えている。

沿革:大宮の氷川神社は武蔵一宮氷川神社とよばれ、埼玉、東京、神奈川に点在する数百の氷川神社の本拠として、二千年以上の歴史を持っている。かっての大宮市は「武蔵国一の宮」ある氷川神社の門前町として栄えたところで、その地名は、この神社が「おおいなる宮居」であったことに由来するという。

大宮公園009_edited_convert_20100403185817 楼門

大宮公園012_edited_convert_20100403185906 拝殿

楼門をくぐり広い境内に進む。かなりの参拝客で賑わっている。よく見ると赤ん坊を連れ、着飾った若い夫婦が結構いる。それと一緒に赤ん坊のお爺さんお婆さんも付き添って来ている。何で赤ん坊がいるのだろうか。七五三なら分るのだがと思って神社の看板を見るとお宮参りと書いてあった。そういえばそういった風習があったなあと思い出したがそれがどういたものか全く記憶になかった。家に帰って調べてみた。

お宮参り:土地の守り神である産土神に赤ちゃんの誕生を報告し、健やかな成長を願う行事です。一般的には、男の子では生後31、32日目、女の子では32、33日目がよいとされています。しかし、実際はこのような日にこだわる必要もなく生後30日前後で穏かな天気の日を選べば問題ありません。(All Aboutより)

本当に日本人は面白い民族だ。結婚式は教会、子供のお宮参りや七五三は神社、初詣は神社、葬式は仏教、そういった時以外は全く宗教には無関係に生きている。利用できる所は利用するといった感覚は実際には全く宗教を信じていないということなのだろう。習慣として風習として行なっている行為にしか過ぎないのではないだろうか。

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病院での1日

4月2日(金)
病院での待ち時間
通院治療の一番の苦労は待ち時間である。特に大病院場合2,3時間待ちはあたりまえだ。その間椅子にまんじりともせず座り続け順番が来るのをひたすら待ち続ける外ない。一度熱が38度あった時、看護師が大丈夫ですかと声をかけてくれたが、大丈夫でないと言ったらどうにかしてくれるのだろうか。

通院治療センターにベッドはあるがそこで寝かせてくれるのだろうか。ここも混んでいて点滴を行う人は時には1時間以上2時間近く待たなければベッドは空かない。それを強引に割り込むのは気が引ける。それを思うと大丈夫ですと言わざるを得なかった。

血液検査で待つ

病院に行くとまず血液検査をする。病院の業務は9時からだが、検査室は8時30分からやっている。8時30分から9時30分の間がいつでも1日のうちで一番混んでいる。採血は7人の看護師が次々と行っているが、1時間近く待つこともある。10時過ぎるとほとんど待たないで検査が出来る。血液検査が終ると内科の外来受付に書類を出す。ここから長い診察までの待ち時間が始まるのである。

受信機の活用
再診手続きは診察券を機械に入れるだけで、診察カードと受信機が出てくる。受信機の表示窓には最初「病院に中にいてください」と表示が出ている。診療の15分位前になるとブザーが鳴り「診察室の傍に来て下さい」と窓に書かれる。最後に音楽が奏でられ「何番の診察室に入ってください」と呼び出される。

「診察室の傍に来てください」という表示が出るまでは、大体病院の図書室件、医療情報相談室の「こまどり」という所で、駒込図書館から定期的に貸し出されてくる本を読んだり、パソコンを相手に時間を潰す。家に居たとしても同じような事をしているのだから退屈はしない。食堂で食事をしてもいい。しかし2、3時間の待ちはやはり長く感じる。

サリドマイド手続きでかなりの時間がかかる
診断の時、本来医者がサリドマイドの安全管理の問題について毎回同じ説明をする事になっているが、そこは恐らく全ての医者が省略しているだろう。書類に医者と患者が連名でサインするだけだ。その後サリドマイドの書類を看護師がまとめ患者に渡す。その書類を受け取るまで30分位かかる。

それを持って院内の薬剤室に行って薬剤師を呼ぶ。サリドマイドの安全管理について毎回同じ注意と説明を受ける。2週間前に渡されたサレドカプセル(サリドマイドの日本での商品名)のシートチェックを行い、飲み残しや紛失の有無を確かめる。

前日には「診察前調査票」に安全管理上問題がなかったかどうかについて、10数項目の問いに答え、藤本製薬TERMS管理センターにファックスする。こういった事がきちっと行われているかどうか確認して、薬剤師は次の2週間分のサレドカプセルを提供する事が出来るというわけだ。

厚生労働省の薬事・食品衛生審議会の安全対策調査会は29日、今までサリドマイドを医療機関で1回に処方できる最大量は「2週間分」と規定されていたが、最大の処方量を「12週を超えない」と改めることにしたと決定した。Asahi Comに掲載された記事をMOTOGENさんが知らせてくれたのだが、これからは2週間一度の煩雑な手続きを行わなくて済むと思うと気が楽だ。

薬を取りに行くだけで遠距離から通って来なければなければならなかった人はどんなにか助かるだろう。医療費に関しても医者との相談で3月分処方してもらえば、今までは国民健康保険の場合毎月44,400円払っていたが、3ケ月1度払えば済むのだからかなり楽になるだろう。

通院治療センターで

通院で点滴をする場合、通院治療センターのベッドが空くのを待たなければならない。治療センターはベッドとリクライニングチェアー合わせて20人位収容できる。リクライニングチェアーは3脚しかないが、皆長時間の点滴になるのでベッドを希望する。また内科と外科にも通院患者のための治療室があり、それぞれ10床程のベッドが用意されている。それでもなかなかベッドが空かない。

また診療後すぐにベッドが空いたとしても薬剤室が混んでいると薬がなかなか来ない、薬が来るまで1時間以上待ったこともある。最近は薬が来てから患者を治療センターに呼び出している。

患者の血圧や体温を検査し、点滴の用意をして担当医を呼ぶ。点滴針は医者しか刺せないようだ。同時に薬のダブルチェックの意味もある。医者がなかなか来ないこともある。患者の診療が長引いていたり、丁度昼食中だったりしたら運が悪いという外ない。それから点滴が始まる。ここからは時間は正確だし終わりははっきりしている。しかしそれまでにどの位の待ち時間を費やしただろうか。

例:3月31日の1日のスケジュール
この日は予約が11時だったため血液検査を10時頃行なえば良かった。おかげで検査の待ちはなかった。治療センターからの呼び出しも早かった。サリドマイドの薬剤師からの説明が終ったのと同時に呼び出されたので待ち時間はなかった。31日は患者が集中していて診療までの待ち時間が3時間近くという異例の長さだった。それが影響して終了は15時30分になってしまった。

病院着 9:45  血液検査室着 9:50  血液検査終了 10:10
医師の診察 12:55  診察終了 13:05  サリドマイド関連書類受領 13:30  
薬剤師の説明 13:35  通院治療センターからの呼び出し 13:50  
点滴開始 14:00  点滴終了 15:05  
会計後、薬剤師による再度のサリドマイドに関する説明を受け薬を受け取り病院を出る 15:30

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北区のさんぽみち-3 王子・西ヶ原コース

3月31日(水)
北区観光ホームページの「北区さんぽみち」のコースを病院帰りに回ろうという計を立てて2月10日から始めた。しかしその後病院の終了時間が遅くなったり、本作りのミーティングがあったりして、1回で中断してしまっていた。今回は第2段という訳だ。

病院を出たのが15時30分だった。冬だったら諦めたが、日が延びたので16時からの開始でも大丈夫だろう。今回選んだのは王子・西ヶ原エリアだ。目的の一つは飛鳥山公園の桜だ、昨日から気温が上がったのでかなり咲いているだろう。モデルコースを反対に回って最後に飛鳥山公園に着くようにした。またコースに含まれている公園内にある3つの博物館巡りも時間の関係で省いた。以下のようにコースを回った。

上中里駅→平塚神社→城官寺→無量寺→西ヶ原一里塚→七社神社→飛鳥山公園→飛鳥山バス停→池袋


平塚神社

内田康夫の浅見光彦シリーズのミステリー『金沢殺人事件』の冒頭に平塚神社が登場する。ある女性の飼っていた猫が子供を生むが子猫は死んでしまう。彼女は子猫の亡骸をきれいな菓子箱に入れて、誰も来ない場所に埋めようと思いどこにしようか考えて、家の近くの平塚神社の社殿の裏の林を思いついた。

箱を林の中に埋め終わり、帰り道人とすれ違う。少し行くと人が倒れている。絶え絶えの息の中で一言つぶやく。そのダイイングメッセージの意味を巡って事件は展開する。平塚神社のすぐ傍に住んでいて境内の入口の団子屋によく来る浅見光彦は平塚神社が騒がしいので行ってみると人が殺されたという事を聞き、事件に乗り出す事になる。

平塚神社とはどんな所かと思う。旧古河庭園に薔薇を見に行った帰り上中里駅に向う途中平塚神社の脇を取ったが素通りしただけだ。今回は社殿や裏の林をゆっくり見てみようと思った。

平塚神社のある場所は、かっては中世の豪族・豊島氏の館があり、源義家が奥州征伐から凱旋したときにこの館に滞在し、その礼に鎧と守り本尊の十一面観音像を譲ったと言われている。

16時を過ぎて神社の境内には上中里駅に向う通り道として利用している人が何人か通る位だ。入口は本郷通りに面しているがそこから長い参道があり社殿まで行くとあたりは森閑としている。裏の林は夕方でもあり曇りの天気だったこともあって暗くひっそりとして不気味な感じもしたのでちらっと覗いただけだった。

王子・西ヶ原コース001_edited_convert_20100331233246 平塚神社社殿

城官寺(平塚山・真言宗豊山派)

参道の中ほどに上中里から来る道に出られるようになっている場所がある。そこを出ると城官寺の山門が目の前に見える。並んで建っている感じだ。

城官寺は平塚神社の別当寺にあたる。三代将軍徳川家光の病を治して信頼を得た山川城官貞久がこの寺に入り、平塚神社ともども再興したとされる。東京都指定史跡となっている。

王子・西ヶ原コース005_edited_convert_20100331233329 城官寺山門

王子・西ヶ原コース006_edited_convert_20100331233405 城官寺本堂

無量寺(佛寶山西光院・真言宗豊山派)

本郷通りを突きって旧古河庭園の脇を入っていき、3、4分歩くと無量寺の裏に出るが裏門には鍵がかけられていてそこからは入れない。植木屋が何人か仕事をしているのが見える。一旦な坂を下り、表門まで行かなければならない。

寺は細い坂道に囲まれた感じで建っている。門をくぐると、本郷通りの車の音など全く聞こえず、都会の中とは思えず、ひっそりと静まりかっている。境内の庭の手入れが行き届いているのに感心した。京都の名だたる庭園に来たような錯覚を覚えるほど、丹念に育てられた花木が庭の景観を作り上げている。この庭を見る事が出来ただけでもこの寺に来たかいがあったというものだ。

この寺は五代将軍・綱吉の生母桂昌院が参詣した記録も残されている。六阿弥陀第三番の寺である。境内から出土した板碑によると平安時代の後半には、この地にお寺があったことが分かるというほど古い寺院だといということだ。

王子・西ヶ原コース010_edited_convert_20100331233441 無量寺山門

王子・西ヶ原コース012_edited_convert_20100331233526 庭と本堂

西ヶ原一里塚

本郷通りに戻り、防災センター、滝野川公園、国立印刷局などを右側に見ながら進んでいくと本郷通りのど真ん中に中央分離帯のように木々が植えられた場所がある。

一里塚は街道の一里(約4km)ごとに道の両側に築かれた塚で、その上には榎が植えられていた。西原一里塚は、日光御成道の日本橋から二里目にあたる。23区内には18カ所あったといわれているが、当時の位置を保っているのは西ヶ原だけだ。国指定史跡となっている。

王子・西ヶ原コース018_edited_convert_20100331233633 西原一里塚の石碑

七社神社

飛鳥山公園に向う途中に、右側に大きな鳥居があったので、そこから道を折れて進むと七社神社が暗い林の中にぽっかりと姿を表す。

七社神社は江戸時代には西ヶ原村の鎮守で今の旧古河庭園の地にあったが現在の社地に移された。この地はかつては神明宮の社地で、ここには樹齢千年以上といわれる杉があったことから、 一本杉神明宮とよばれていた。杉は枯れて伐採されたが現在も切り株は残されている。

王子・西ヶ原コース020_edited_convert_20100331233716 七社神社社殿

飛鳥山公園

思ったとおり公園の桜はかなり花を咲かせていた。開花情報だと5部咲きということだが、満開に近い場所もある。日当たりのいい場所とそうでない場所にかなりの差がある。上野公園ほどではないが花見客が宴会をしているがここでは場所取りをする必要はない。何故上野公園があんなに人気があるのだろうか。ニュースでは朝の3時から場所取りをしていたという新入社員のインタビューが放映されていた。

王子・西ヶ原コース024_edited_convert_20100331233803

王子・西ヶ原コース030_edited_convert_20100331235256

王子・西ヶ原コース036_edited_convert_20100331235217

この公園は八代将軍吉宗が享保の改革のひとつとして、江戸庶民の行楽のために桜を植樹し開放した、いわば日本初の公園である。こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しんだということだ。

園内には東京都指定文化財の「飛鳥山の碑」や、江戸時代の学者・佐久間象山の「桜賦(おうふ)の碑」などがあり、新東京百景にも選ばれている。

公園縦断し西側の先端の高台のほうに行って見る。そこからは王子駅や、北区役所などが見え、足下には明治通りを都電が走っているのが見える。また音無親水公園の桜が咲き誇りその上に王子神社の社殿の屋根が見える。なかなかいい眺めだ。

王子・西ヶ原コース034_edited_convert_20100331234028 音無親水公園と王子神社

去年なかったが、公園の脇にゴンドラのようなものが停まっていて何人かの人が乗り込んでいる。これは去年7月に作られた飛鳥山公園モノレールという。高齢者、障害者や子様連れなど誰もが飛鳥山公園を利用しやすくするために、飛鳥山公園の公園入り口から飛鳥山山頂間に設置した昇降設備だそうだ。試しに乗ってみようと思ったがかなり並んでいたので辞めた。

公園の正面まで戻り、明治通りに出てバスで池袋まで戻った。池袋の東口バス停は山田電気総本店の前だ。少し前まで三越があった。隣に三菱東京UFAのATMがあるが、その横の道を覗いて見て驚いた。夕日が正面のビルを黄金色に染めているのだ。早速写真を撮って見た。このような偶然はめったにあることではない。

王子・西ヶ原コース040_edited_convert_20100331234217

(参考資料:北区観光ホームページの北区さんぽみち)

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