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アサヒビール吾妻橋本社ビル

6月30日(水)

4.jpg 本社ビル屋上のモニュメント

友人との話の中で、吾妻橋の袂にあるアサヒビール本社のオブジェの話になった。そのオブジェが何を表しているか、ということだ。金色に輝くオブジェは遠くからでもよく目立つ。アサヒビール本社ビルは1989年に竣工されたが、その頃から金色のオブジェは目にしていた。

勤めていた会社の流通センターが足立区にあった。車で日本橋方面に行く時、高速道路を利用する場合には隅田川沿いを走る高速6号線を使う。下を走る時には、日光街道から国際通り、江戸通りを通っていく。どちらにしても、必ずアサヒビール本社の傍を通り、オブジェ見る事になる。

屋上のモニュメントをビールの泡をデフォルメして造ったオブジェだと私は友人に主張した。最初に見た時からそう思い込んでいた。友人はネットでアサヒビールを呼び出して説明した。そこには、炎のオブジェと書いてあった。何十年もの間全く間違った情報を信じ込んでいたのだ。

こういった事がままある。思い込みとは恐ろしいものだ。こういった内容だったら人畜無害だが、そうでないのもあるだろう。絶対に正しいと自分では信じ込んでいるが、実は間違った思い込みでしかない事があるに違いない。なにかの拍子にそれが分かる。決定的な場面でない事を願う他ない。

アサヒビール本社のモニュメントは、その形状と色彩から、あれを見た誰もが同じような想像をする。そして「うんこビル」の別名でむしろ有名になった。あのオブジェはビールの泡ではなかった。「炎のオブジェ」を表現したものだった。

吾妻橋本社ビルに隣接する「スーパードライホール」は、フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、屋上に特徴的な巨大モニュメントが設置されている。本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、躍進するアサヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」とされている。

吾妻橋本社ビルの22階建ての「アサヒビールタワー」は、琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で、泡のあふれるビールジョッキをイメージしているそうだ。四角いビルがジョッキで、天辺の白い飾りが泡だというがどう見てもそうは思えない。ビールの泡はここにあったというわけだ。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

倒産争議

6月28日(月)
友人から電話があった。彼の弟が勤めていた会社が倒産したということで、聞きたい事があるということだった。弟の会社の親会社が倒産した。その関連で彼の会社も連鎖倒産した。債権者への対応などは親会社がやってくれているので、直接債権者が職場に押し寄せてくる事がないので、その点はかなり楽だ。

倒産の場合、債権者への対応、とりわけサラ金に借金している場合その対応が最重要課題とならざるを得ない。次は、会社が再建できるかどうかを判断し、清算か再建かを会社内で話し合い決めていかなければならない。様々な状況判断で再建は難しいようだ。

会社の倒産に伴い、来月一杯で残務整理を行い、7月末事務所は閉鎖になり全員解雇になる。親会社に会社更生法が適用されるかどうか不明な点があるか、友人の弟の会社はどちらにしても存続できない。

こういった状態ではあまりアドバイスする事は出来なかった。退職後の失業保険の手続きをきっちっとやってもらう事位しか言うことはない。40代半ばで、再就職と言っても厳しい状況だ。ニュースではよく放映されているが倒産、解雇という事がごく身近にもあるという事を思い知ることになった。

倒産について、昔の事を思い出した。30年以上昔のことになるが、倒産争議に関与した事がある。

NS教育社倒産争議
NS教育社不渡りを出し倒産。即職場占拠と泊り込み体制。
NS教育社倒産争議の闘いは、倒産の情報を掴むや、社長が何社かのサラ金から多額の借金を抱えており彼らが職場の什器・備品など金目の物を強奪にしに来る可能性があったので、すぐにバリケードを築き占拠泊り込みの体制に入った。業務を再開するには会社の什器備品の確保は絶対に必要なことだった。

サラ金のA社は社長の自動車を担保とし、B社は電話債権を担保にしていたが、利子など少しでも金目の物を持っていこうとして10数人で徒党を組んで職場に押しかけてきた。従業員は総評全国一般に加盟しその支援を受けて、サラ金の押しかけや連日の嫌がらせの電話攻勢などに対抗し職場を守りきった。

また社長を拉致して面倒な書類に印鑑でも押されたら困ったことになるので、社長をしばらくかくまうということまでやった。結局、サラ金も担保にとってあるものだけ諦めた。

NS教育社は、催眠教育の会社であり、雑誌に広告を載せ読者が品物を申し込み、金が振り込まれたら、教本、テープ、グッズなどのセットを送るという業務を行っていた。この本業はかなり儲かり、社長は家を買い、外車を乗り回し、連日バーやキャバレーに通うほど景気が良かった。

これに味をしめ社長が他の通信販売に手を出したが失敗し、その失敗を補おうと別のものに手を出しそれも失敗し借金を雪だるま式に増やしてしまった。主要業務である催眠法に関しては採算を上げており、それを継続維持すれば業務遂行は可能であるという判断のもと、従業員による職場の自主管理、業務の継続という形をとることになった。

組合主導で債権者会議を行った。債権者は雑誌に広告を掲載してくれる広告代理店や、教材の印刷製本会社などであった。彼らが協力してくれなければ業務の再開は不可能である。債権の凍結と、業務協力を債権者との交渉の中で認めさせ業務維持し、継続していった。しかし3年間、自主再建、業務継続を続け、様々な試みも行ったが、結局採算ベースに乗せきれなかった。

最終的には、社長宅を担保にしていた銀行との交渉を繰り返し行い、社長宅売却し、その際、組合が交わしていた社長宅の賃貸契約を外す事と引き換えに、労働債権確保、退職金、解決金も含めた金額を社長宅売却金額から出させることを銀行に同意させ最終調印に至った。

銀行との調印をもって、労働債権確保し会社を清算し3年間の倒産争議は終結を迎えた。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

レナリドミド(レナリドマイド)が承認された

6月25日(金)
レナリドミドが承認
レナリドミドが再発または難治性の多発性骨髄腫の治療薬として、今日承認された。承認されたと言っても、すぐに病院で処方が始まる訳ではない。まず、薬の価格を厚生労働省で決める薬価基準収載の手続を経なければならない。

医薬品は承認を受けた後、薬価基準への収載手続きがとられ、薬価基準に収載されてはじめて保険診療で治療を受けることが出来る事になる。現在個人輸入で1ケ月分(21錠)100万円前後なのだが、一体幾らになるのか注目に値する。

さらに、各病院でレナリドミド(商品名:レブラミド)の採用を決定するための手続きや、レブラミドへ医療者を登録する手続きを経なくては処方がする事が出来ない。処方されるまでに、サリドマイドと同じように、少なくとも2、3ケ月はかかるだろう。

レナリドミドが承認されたことで、処方までの時間が予測できるようになった。現在つなぎとしてサリドマイド+MP療法をやっているが、レナリドミドを使った治療を開始出来る日が間近になったということだ。

厚生労働省からの通達

本日のレナリドミドの承認を受けて、厚生労働省医薬食品局審査管理課長と厚生労働省医薬食品局安全対策課長から各都道府県衛生主管部(局)長殿へということで、「レナリドミド製剤の使用に当たっての安全確保の徹底について」の文書が送られた。内容は以下の通り。

レナリドミド製剤(販売名:レブラミドカプセル5mg)については、本日「再発又は難治性の多発性骨髄腫」を効能・効果として、承認されたところであるが、その使用に当たっては、胎児曝露等による健康被害を起こさないことを目標に、患者が治療を受ける権利や人権にも配慮し、実効性のある安全管理の徹底を期すことが求められている。

そのためには、厳格な安全管理方策(具体的には「レブラミド適正管理手順・RevMate」)を患者に必要な治療を確保するために関係者が守るべき事項として位置づけ、製造販売業者、医療関係者、患者及び行政がその役割を認識し、それぞれの責任を果たすことが必要である。・・・略・・・

製造販売業者であるセルジーン株式会社に対しても、厳格な安全管理を基盤とした本剤の適用使用を推進するよう指示しているところである。ついては、本剤の使用に当たって、安全確保の徹底がなされるよう、貴管下の医療機関に対して周知・指導をお願いする。・・・略・・・

【効能・効果】 再発又は難治性の多発性骨髄腫
【効能・効果に関連する使用上の注意】 本剤による治療は少なくとも 1つの標準的な治療が無効又は治療後に再発した患者を対象とし、本剤以外の治療の実施についても慎重に検討した上で、本剤の投与を開始すること。
【用法・用量】 デキサメタゾンとの併用において、通常、成人にはレナリドミドとして 1日1回 25mgを21日間連日経口投与した後、7 日間休薬する。これを1サイクル として投与を繰り返す。なお、患者の状態により適宜減量する。

レナリドミドの併用療法

レナリドミドもサリドマイドと同じように幾つかの併用療法が可能である。併用する薬の組み合わせを変えていけば、かなり長期にわたり使用出来るだろう。併用療法に関しては次のような組み合わせが紹介されていた。

レナリドミド+大量デキサメタゾン(デカドロン) 奏効率85.3%
レナリドミド+低容量デキサメタゾン 奏効率51.3%
レナリドミド+ドキソルビシン(アドリアシン)+デキサメタゾン 奏効率83%
レナリドミド+ドキシル+ビンクリスチン(オンコビン)+減量デキサメタゾン
レナリドミド+シクロホスファミド(エンドキサン)+デキサメタゾン
レナリドミド+クラリスロマイシン+デキサメタゾン

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

本土寺(あじさい寺)

6月23日(水)
病院を出たのが11時半だった。久々に午前中で終った。雨はしとしとと降っている。あじさいを見に北小金の本土寺に行こうと思っていた。今週が見頃だという。病院の最寄り駅田端からだと北小金まで30分少しでいける。雨が降っていてもあじさいを見るにはむしろ風情があっていいだろうということで行く事にした。しかし乗り換えの日暮里に着いた時には雨は土砂降りになってきた。迷ったが着く頃には小降りになるだろうだろうという楽観的な予測で常磐線に乗り込んだ。

本土寺(長谷山 日蓮宗本山)
縁 起:当山は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、今をさかのぼる事およそ七百年前の建治三年(1277年)に、領主の曽谷教信卿 の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂とし、日蓮大聖人より長谷山本土寺と寺号を授かったのに始まります。池上の長谷山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺と共 に「朗門の三長三山」と称される屈指の名刹と伝えられています。

本土寺は、別名「四季の寺」として親しまれている。100本の桜、5000株の花菖蒲、1万株のあじさい、そして1000本ものモミジが境内を四季折々艶やかに彩る。「あじさい寺」の通称があり、同じくアジサイで有名な鎌倉の明月院に対し「北の鎌倉」とも呼ばれる。

北小金駅北口から商店街をしばらく行くと、道の両側に「長谷山」「本土寺」と刻んだ石柱が道の両側に立っている。ここから参道となる。参道には水戸光圀が寄進したと言われる松や杉の老木が茂り、道にトンネルを作っているようだ。通り沿いにはあじさいの鉢植えを売っている花屋、喫茶店、漬物屋などが並んでいる。漬物がこの地域の名物なのだろが4、5件店を出している。この頃には雨は小降りになっていた。

参道は赤く堂々とした門に行き当たる。これが朱塗りの山門・仁王門だ。この仁王門を潜り、ここからが本土寺の境内となる。仁王門を入るとがらっと雰囲気が変わる。下りの石段があり、それを取り囲むように黄緑色の鮮やかな色彩を放つもみじがたわわな枝を石段に投げかけ、今までの杉と松の並木道とは違い、緑の洪水に飲み込まれたような、まさに別世界に入っていく感じだった。

仁王門
本土寺001_edited_convert_20100625010156 二天王の体内の記録より、日惠上人(1650年)の発願によるものと明らかになった。












入口で入園料500円を払い、あじさいの世界に足を踏み入れる。このあじさい寺はこの時期観光客で賑わい、入園料を払うのに並んでかなり待たなければならないらしい。今日は雨だったということで人出は少なく、ゆっくりと観賞できる。まず目に付くのが左側の高台に聳え立っている朱色の五重塔である。その隣に古色蒼然たる鐘楼が木々の間に見え隠れしている。周辺は、すべてあじさいで埋めつくされている感じだ。

五重塔
本土寺066_edited_convert_20100623223639 平成三年春日像菩薩六百五十年忌を記念して建立。中には印度からの真仏舎利と千体仏が荘られている。











鐘楼
本土寺069_edited_convert_20100623223838 文明十四年(約500年前)の建立で、その梵鐘は県下第二の古鐘。(建治四年の鋳造、昭和52年国指定文化財)











本堂に向う狭い石段を登ると目の前が本堂だ。この本堂を右にしばらく行くと境内の裏庭一面があじさい園となっていて、様々な種類のあじさいが今を満開と咲き誇っている。裏庭の遊歩道を一周散策し、あじさいの道を通過すると下り坂になる。

本堂
本土寺009_edited_convert_20100623222012 ご本尊は一尊四士で慶安四年に秋山修理亮(小金城主一族)が息女の菩薩を祈って建てたものと記録されている。











竹林の群落が見え、そこから大きな菖蒲園が垣間見られる。菖蒲園についた頃には雨はすっかり上がっていた。菖蒲は最盛期を過ぎたがまだまだ見られる。今年は開花が例年より遅かったし、涼しい日が続いたのでまだもっている。例年だったらもう花は全て散っているだろうと、寺院の関係者が言っていた。水玉を花に乗せた菖蒲は、雨の日の贈物のように見る人を感動させる。菖蒲園の周りはあじさいで囲まれ、色の対比も見事な調和を醸し出している。

像師堂
本土寺041_edited_convert_20100623223522 ご本尊は日像菩薩ご入魂の「親子相想の日像様」と、左右に二天が安置され、脇床には子育の鬼子母神が祀られている。











順路に従っていくと小高い丘に出る。そこからは菖蒲園が一望できる。像師堂はそこからすぐの所にある。その傍には日像菩薩の石像、お願い地蔵尊、稲荷神社がある。

像師堂の右手に苔と杉木、もみじの遊歩道の入口がある。遊歩道は石畳になっていて歩き易く、苔ともみじの黄緑色が共鳴しあい、周りの池や滝などの景色と溶け合いながら、まるで京都の庭園を散歩しているような気分を味合わせてくれる。

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苔の庭に脇に立て札があり次のように書かれていた。「ほんの少しの時間でも永遠と想う時がある。ほんの少しの道程でも、無限と思う道がある。」なかなか意味深い言葉だ。帰る頃にはもうすっかり雨は上がり日が差してくる状態だった。

本土寺のあじさい

本土寺004_edited_convert_20100624182609 本土寺005_convert_20100624175803

本土寺053_convert_20100623222942 本土寺035_convert_20100623222806 

本土寺060_convert_20100623223048 本土寺061_convert_20100623223152

本土寺063_convert_20100623223403 本土寺059_convert_20100623223303

菖蒲園


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(参考資料:本土寺ホームページ)

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定期健診の日

6月23日(水)
今日はこれからの治療方針を決める。前回担当医が心臓の真菌感染によって発熱が生ずる場合があるので、心エコーをやって見ようということで、診察前にいつものように採血を行い、その後心臓超音波検査を行った。

検査結果 
 IgM   3014(6/23)←3082(6/16)←2923(6/9)←2558(5/26)
 白血球  4200(6/23)←3100(6/16)←2900(6/9)←2300(6/2)
 好中球  2970←1890←2020←930
 血小板  6.0←6.2←6.3←8.9
 赤血球  315←315←314←313
 ヘモグロビン 10.3←10.3←10.1←10.3
 網赤血球   15←12←14←10
 CRP    1.03←6.42←1.54←1.01


これからの治療
どうした風の吹き回しかIgMが減少した。前回の診断時にIgM値はまだ出ていなかったので、点滴の時医者が口頭で知らせてくれた。それで間違って記憶していた。3015ではなくて3082だったのだ。どうして違った数値を記憶していたのだろう。

IgMが下がったからといって、ベルケイド療法を続けるという判断は出来なかった。結局白血球の数値も一定あるし、気心の知れたサリドマイド+MPでやっていくことにした。この療法はきわめて楽だ。サリドマイドは毎日飲むとしても、月4日間メルファラン(アルケラン)とプレドニンを服用すればいい。メルファランは通常1日8mg服用するが、白血球への影響を考えて6mgに減量した。

CRPが急激に減少した。抗生物質製剤が効果を発揮し、体内の細菌を駆逐し炎症反応が収まって来たのだろう。そういうことで引き続きメイクアウトMS錠を服用するように言われた。

点滴がないと、病院での診療は午前中で終わる。もっとも一月一度の免疫グロブリンとゾメタの点滴は、続けて行わなければならない。

新たな療法
サリドマイド 100mg/毎日
メルファラン 2×3=6mg/月4日間
プレドニン 5×10=50mg/月4日間

心臓超音波検査の結果
心臓超音波検査で一般的には何を調べるのか。心臓は、左心室、右心室、左心房、右心房の4つの部屋と、逆流を防ぐための4つの弁からなるポンプである。心エコー検査では、心臓の大きさ、動き、心臓の筋肉や弁の状態、血液の流れなどを観察し、ポンプが正常に働いているかどうかを判定する。

心臓超音波報告者を渡された。心臓には特に問題はなかった。検査目的の所には「スクリーニング、疣贅(ゆうぜい=不要物)はいかかでしょう」と書かれてあった。目的は心臓への真菌感染を調べることであったが、超音波所見では全てに対しての検査結果が以下の通り書かれていた。

超音波所見
【左室】 収縮能正常、拡張障害(-)、左室肥大(-)  【右室】 右室拡大(-)
【左心房】 左房拡大(-)  【右心房】 右房拡大(-)
【大動脈弁】 AR(-)、AS(-)、硬化(-)  【僧帽弁】 MR mild、MS(-)、Prolapse(-)、MRC(-)
【三尖弁】 TR(-)、PH(-)  【肺動脈弁】 PR(-)
【まとめ】 Normal LV systolic function(左室の収縮能は正常)、mild MR、vegitationは認めない。

記号で表示されているので良く分らない所があるが、こういった機会に心臓機能全般を検査してもらって正常だと分ってひと安心という感じだ。

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樋口聡 『散歩写真のすすめ』

6月21日(月)
 先週の水曜日病院での治療が終わり、その後北区のさんぽみちのウォーキングに行ってカメラを落とした。古いカメラだったので色々問題があったが騙し騙し使っていた。それがついに壊れてしまった。

使っていたデジカメは10年位前のもので重くてかさばり、今出ているものに比べれば機能的にも不十分な所があるのは止むを得ないことだった。ともかくも写すことが出来るという最低限の任務を果たしていたので大事に使っていた。

幾つかの不良箇所として液晶画面のガラスがずれていたり、フラッシュ機能が働かず、暗い所ではオートだとシャッターが押せず、マニュアルの発光禁止にして写す他なく、その場合手振れが生ずるといったことで、暗いところの撮影は諦めざるを得なかった。

帰り道、池袋での乗り換えで東口に出た。デジカメが幾ら位で売っているのか様子を見に行こうと思った。信号を渡る途中で突然夕立が降り出した。あっという間にドシャ降りの雨が叩きつける。傘を広げる間もない。急いで近くの建物に入る外ない。入った所がヤマダ電器だった。

色々値段を見ながら物色していたら、安いデジカメの売っている場所を店員が教えてくれた。丁度「蚤の市」というのをやっていて、デジカメを通常価格の半額位で売っていた。5,800円からあった。ヤマダ電機に入った時には買うつもりなど全くなかったが、1万円以下でいいのを売っていたので衝動買いしてしまった。

デジカメを買って色々機能がついているので、少し写真について勉強してみよう思った。図書館に行って写真関係の本を見た。そこで面白い本を見つけた。『散歩写真のすすめ』という本だが、そこに書いてあることは、今まで漫然と散歩しながら写真を撮っていた、そのことに大きな意味を与える言葉が書かれていた。

hs-cu018_convert_20100621150338.jpg 樋口聡の写真(『キューバ紀行』より)

『散歩写真のすすめ』(樋口聡著 文春新書)
散歩という世界は深く、写真という世界もまた奥深い。・・・深遠な散歩写真の扉を開けばきっと毎日が違って見えてくるはずだ。ヒントは日常生活や路上にある。カメラを持って散歩に出かけよう。全てはそこから始まる。

散歩とは気の向くままに歩きながら、見たり聞いたり考えたりするひととき。のんびりしているように見えるかもしれないが身体はある種の運動にいそしみ、頭脳はある種の思索に興じている。活動的でありながら、知的な行為でもあるのだ。

自分の足で歩いて気分転換したり、自分の目で見て知識や情報を得て知的生産に結びつけようというのだから相当に知的エネルギーは燃焼しているのである。

写真によって散歩を、散歩によって写真をより深める事ができれば日常を芸術空間とする事も不可能ではないのである。

散歩というものは・・・風や光に誘われてどこに辿り着くか分らないのだから、目的を定めて早く達成する事に価値を見出すこととは対極にある。立ち止まっては花々に目をやり、花の美しさに心を打たれるというライフスタイルが、せっかちな現代人にひと時の清涼感をもたらすのである。技術の進歩の一方で失われてしまったスローライフの実践は簡単だ。散歩にカメラを同伴すればいいだけなのである。

・散歩写真とは身辺の日常的断面を切り取り、自分のまなざしを残す行為である。(樋口聡)
・散歩写真とは散歩を目的として町中を歩き、気が向いたら写真を撮る極めて求道的でない写真撮影の形態。
(古関万人)
・カメラを持って歩いている時間全て、家を出て戻る時までが写真。(丹野清志)

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東京拘置所

6月20日(日)
 金曜日に、友人から頼まれて東京拘置所にいる未決拘留者への面会に行った。時間があると思われているので色々と用を頼まれる。訴訟資料の差し入れと、面会での必要事項の伝達だった。何年ぶりかで行ってその様変わりに驚いた。

綾瀬駅からに拘置所の面会室に向う。綾瀬川を伊藤谷橋で渡り、綾瀬川沿いを行くと以前は高い塀に覆われていたが、今は塀も監視塔もなく、公園があり、その先には公務員住宅の高層ビルが立ち並んでいた。公務員宿舎綾瀬川住宅は1,220戸が入居出来るというかなりの規模のものだ。既に住宅は完成し入居者を待つばかりという状態だった。

東京拘置所003_edited_convert_20100620174149 伊藤谷橋から見た東拘

東京拘置所006_edited_convert_20100620174258 綾瀬川沿いに立ち並ぶ公務員住宅

東京拘置所012_edited_convert_20100620174357 面会所入口から見た東拘

 東京拘置所の建替え工事は1997年に着工され、2003年4月段階で中央管理棟、南収容棟が完成し、2006年北収容棟完成した。新舎房は地上12階、地下2階、高さ50mで中央部の中央管理棟と南北に両V字形に伸びる北収容棟、南収容棟がつながる。

東京拘置所の建替え問題が浮上した時に、高層ビルの拘置所が収容者の処遇の改悪につながる可能性があるということで、東京三弁護士会で「東京三会東京拘置所建替問題協議会」をつくり、法務省との交渉を続けてきた。

高層化した名古屋拘置所で収容者の拘禁性ノイローゼが増加したということもあり、そういったことへの配慮を求めるものであった。その交渉の中で、拘置所を高層化して空いた場所を周辺住民に開かれた公園にして、塀に囲まれた暗いイメージを払拭する、と法務省は言っていた。新しい拘置所が2006年に完成し周辺の整備に入った。ところが始められた工事は、公園作りではなく公務員住宅の建設だった。

 2003年南舎房棟が完成し、収容者の一部が移動した。そして色々な問題が浮上してきた。高層化することによる拘置所内の処遇の問題点について福島瑞穂は法務省に質問した。

東京拘置所建替えに関する質問主意書(第157回国会・臨時会)
1、外の景色が見えない問題について
旧庁舎の房は片側が廊下、片側が庭に面しており、被収容者は窓から外の景色を見ることができた。新庁舎では房の両側が廊下で囲まれているうえ、廊下の窓も目隠しのルーバーで覆われ、ほとんど外の景色が見えない。

被収容者が自然の景色に触れ季節の変化を感じることは、拘禁感を緩和する効果があるだけでなく、被拘禁者の心を癒し、ひいては更生にも資することは想像に難くない。逆に、外望が全くなければ、それだけで拘禁感が格段に強まり、被収容者に精神衛生上深刻な影響をもたらすことが危惧される。

2、運動場が屋内で日光も当たらない問題について
旧庁舎では被収容者は屋外(地上)の運動場で運動できたが、新庁舎では地上十二階建ての庁舎の隔階のベランダ(コンクリートの上)が運動場になっている。それだけでなく、実際に出来上がった運動場は外側も黒く覆われて日光がほとんど当たらず、「爪を切るのにも苦労する」ほどの暗さだと聞く。コンクリートの上で、しかも日光も当たらない運動場では「戸外運動」とは言えないのではないか。

 旧舎房は確かに老朽化がすすんで来ていた。しかし窓から庭の風景や空を見る事が出来た。運動も鳥かごと言われている、扇状に仕切りのされた中での運動だが、土を踏み空を見上げながら出来る運動は、コンクリートの暗い箱の中での運動とは全く異なる開放感を与えるものであった。

面会も新舎房では、各階に面会室があり便利だといえばそうだが、歩いて数歩で面会室まで行ける。昔は舎房の廊下を延々と歩き、庭を横切り面会室に辿り着いた。その時庭の木々の葉のざわめきを感じ、花々の香りに嗅ぎそれがどんなに収容者の心を慰めたろうか。

こういった問題点を指摘しながら「東京三会東京拘置所建替問題協議会」は法務省と何回か交渉し、ルーバーの角度を出来るだけ水平にし、光を入れるようにするなど、色々な改善点を約束させたが、結局今となっては、法務省の意図通りの処遇になってしまっている。

DSC00102_convert_20100620174546.jpg  東京拘置所018_edited_convert_20100620174453
 建替え前の拘置所の塀と見張り場             同じ位置から今の風景

 塀が取り払われ、周りに木々が植えられ、小奇麗な公務員住宅が建ち並んでいる風景の中に佇んでいる建替えられた東京拘置所は、依然として暗い影に覆われているようだ。それは死刑場が存在しているからなのだろう。

この建物の中で人が首を吊られて死んでいっているからなのだろう。どのように外観を飾ろうと、拘置所の中の死刑執行場で何人もの死刑囚が処刑され続け、死体となって運び出されたという痕跡はぬぐってもぬぐえるものではない。

辺見庸は「骨の鳴く音」の中で、永山則夫処刑の日(1997年8月1日)の事を書いている。
「思えばむごい夏ではないか。塀のこんな近くにも、時計草や白粉花やカンナが咲き乱れて、烏揚羽は光に黒い粉をきらめかせ、亀は亀とて、生あくびをしながら甲羅干しだなんて。さなきだに、この狂おしいばかりの蝉時雨。

壁越しに、よしや人を縊る音がしたとしても、不意にゴキリと鈍く骨が鳴いたとしても、縊れる音はかき消され、やがては塀の内も外も昨日と同じ、縹(はなだ)の色に一面が暮れ果てて、何もなかった事になるのが落ちではないか。

・・・私には一幅の騙し絵に見えたから激しく危ぶんだのだ。まばゆい光に、ものみなさらされつくしているようで、人も塀も樹木も亀も魚も、じつのところ、示し合わせて陽気に振舞い、あのことを、あの音をなかったことにしようとしているのではないか、と。」(『眼の探求』朝日新聞社刊)

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北区のさんぽみち-5 王子・堀船コース

6月16日(水
「北区のさんぽみち」のウォーキングは、病院の検査-診療-点滴に5時間以上拘束されたストレス解消法、気分転換としてのウォーキングである。病院を出るのが15時頃になってしまう事が多い。

北区のコースだとJRの田端や南北線の本駒込から近く、コースも1時間半位だから回る事が可能だ。今回は「王子・船堀コース」にした。観光協会ホームページと大分違うが以下のコースを巡った。病院を出た時には雨は止んで、真夏日のような気温だった。太陽は燦々と降り注ぎ、その強い日差しに長く当たっていると熱中症にでもなりそうな程だった。

南北線王子駅→北トピア→装束稲荷神社→西福寺→福性寺→白山神社→梶原ハッピーロード→都電栄町駅→大塚→池袋

北とぴあ
北とぴあが産業振興の場所だと思って、建物の外観だけ見ていこうとしたが、こういった場所には展望フロアーがあるのが常なので、受付で聞くと17階にあるということで行ってみた。展望サロンは南、東、北の3方向に開かれ大きなガラス窓に囲まれ、快晴の東京の街が一望できた。周辺に高い建造物が全くなく、一切の妨害物に邪魔されることなく、少しもやがかかっていて見えなかったが筑波山までも眺望できる。展望台としてはいい場所に建てたなと思う。

王子十条コース008_edited_convert_20100616220918 北とぴあ17階建

北とぴあ:北区の産業の発展と区民の文化水準の高揚を目的として建設された北区のシンボル。館内には、ホール、各種会議室、研修室など多彩な施設をもち、さらに産業情報センターや消費生活センターが整い産業と文化の拠点である。最上階の17階は展望ロビーになっている。

北とぴあからの眺望
王子十条コース001_edited_convert_20100616220611 王子十条コース002_edited_convert_20100616221855
 サンシャイン60方面                   飛鳥山公園・上中里方面  

 王子十条コース003_edited_convert_20100616221638 王子十条コース006_edited_convert_20100616220827
 スカイタワー方面                      筑波山方面

装束稲荷神社

この辺り一帯は昔は一面の田畑で、とても寂しい場所だった。その中に榎(えのき)があり、装束榎と呼ばれていた。 大晦日になると関東一円の狐が榎のもとに集まり装束を整え、近くの王子稲荷神社へ初詣をしたという伝説がある。

王子十条コース009_edited_convert_20100616221020 神社正面

王子十条コース010_edited_convert_20100616221126 拝殿

「北区のさんぽみち」のホームページにはコースごとに案内の地図が添付されている。コース案内と地図に掲載されていた印刷局王子展示室は、その地図に示された場所をいくら探しても見つからなかった。もともとウォーキングが目的だから博物館や展示場には入らないが外観は見て行く事にしている。結構歴史ある建物があるからだ。

ここでアクシデントが起きた。印刷局がなかなか見つからないのでガードレールに腰掛けて地図を見ていた時に膝に乗せていたカメラが歩道のコンクリートの上に落ちた。

そのまま確かめもせず、印刷局を探している時に寺院があったので入ってみた。そこが西福寺だった。写真を撮ろうとしてシャッターを押そうとしたらシャッターボタンがなかった。座っていた場所に戻って探したが見つからなかった。カメラは完全に壊れてしまった。そういうことでこれからの写真は北区観光案内のホームページ等からのものとなる。

西福寺(真言宗豊山派 三縁山)
本尊の阿弥陀如来は六阿弥陀の第1番で、行基の作といわれ江戸に聞えた寺だ。江戸の人々は春秋のお彼岸に六阿弥陀詣を盛んに行なった。花見と紅葉の時期を楽しむ目的もあったようだ。

この寺の境内に、六人銘士の墓がある。彰義隊の六士が上野の山から落ちのびて、官軍に捕らわれ殺された。これを付近の村人が憐れんで豊王橋の袂に葬り、その後西福寺に移した。他に六部夫婦(巡礼)のお地蔵さんがある。享保年間この近くの奉石橋(現在の豊石橋)が土橋であったのを石橋に作り変えた豊島町の恩人ということである。

2.jpg 西福寺本堂

福性寺(真言宗豊山派 白王山)
寛永2年(1625)の創建とされる。この寺の境内にある石造物の多くは、梶原塚にあったものということだ。梶原塚は、太田三楽斎資正(太田道灌の子孫)の次男、梶原源太政景の墳墓で、享保(1716-36)のころまでは石碑・石段があったが、洪水で川に崩れ込み、それを村人が寺院に集めたという。境内には、地名堀船の由来となった、堀ノ内村梶原塚石碑が安置されている。

1_convert_20100617032328.jpg 福性寺本堂

白山神社

伝承によると源義家奥州に出陣の際当白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京師にのぼれりといわれている。神社は当時、梶原の鎮守として敬われた。

20014_convert_20100617031234.jpg 白山神社本殿

地図を見ながら梶原の渡船場跡に向ったが、地図に示されている場所が都電の線路脇になっていてどうもおかしいなと思いながら、梶原ハッピーロードの商店街を散策しながら、地図に記されていた栄町まで行ってみた。やはり地図の場所にはなかった。

北区のさんぽみちの王子・堀船コースの地図には3ケ所の誤りがあった。① 印刷局王子展示室が地図に示された場所にはなかった。② 地図に西福寺と記載され場所には福性寺があった、③ 梶原の渡船場跡の地図に示された場所は全く違っていた。こういったことで王子駅まで戻らず、栄町で都電に乗り、北区のさんぽみちを後にした。

(参考資料及び写真:北区観光協会ホームページ、猫のあしあと、都内の寺社のご案内、北区の歴史と文化財、北区文化財案内)

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臨時検診・ベルケイド5クール4回目

6月16日(水)
今日は、血液検査の結果を見て、ベルケイド5クール4回目をやるかどうか判断するが、IgM値がそれほどの大幅な上昇がなければともかく5クールを最後まではやってしまうだろう。問題はその次どうするかの方針を決めなければならないという頭の痛い問題が残っているということだ。

検査結果 
 IgM   3082(6/16)←2923(6/9)←2558(5/26)←2647(5/12)
 白血球  3100(6/16)←2900(6/9)←2300(6/2)←3100(5/26)
 好中球  1890←2020←930←2080←2760
 血小板  6.2←6.3←8.9←12.1
 赤血球  315←314←313←305
 ヘモグロビン 10.3←10.1←10.3←9.9
 網赤血球   12←14←10←14
 CRP    6.42←1.54←1.01←0.68


ベルケイド療法がもはや限界にきていることは明らかだ。毎週150位ずつ上昇している。IgMの上昇を抑えていることは確かのだがそれにしても遂に3000を越えてしまった。やはり別の療法に変えるしかない。担当医が言い出したシスプラチンはどうかと聞いたが副作用が強く入院が必要だということで迷っていた。サリドマイド+MPでやったみたらどうだろうかとも言ってみた。どうしようか次の23日の診療日までに考えてくると言って、今日はベルケイドを予定通りやる事にした。

診療室に入るなり担当医はCRPが異常に高い事に驚いて質問した。高熱でも発しているのではないかと。その場ですぐ熱をはかったが36.2度だった。CRP上昇について思い当たる事を説明した。

一昨日から体がだるくすぐ横になりたくなる状態だった。熱があるのでもないかと思って何時間かおきに測ってみたが36.5~36.2度の間だった。夕方頃から腰の下の部分が押すと痛みを感じるようになった。

次の朝目が覚めて左腰を下にするとかなり痛かった。その部分を見ると赤く腫れていた。3月に発症した蜂窩織炎の症状だった。鎮痛消炎冷シップを貼った。体のだるさは1日中収まらなかった。しかし熱は数時間おきに測ったが昨日と同じで平熱だった。夜になり急に体調が回復した。腰の腫れも痛みも収まって来た。こういった経過を医者に説明した。

担当医は言う。感染症への対応をが重要だ。免疫力が衰え身体の中の細菌が活動しそれが発熱の原因だろう。今回は熱は出なかったが細菌が活動しているのは確かだ。免疫グロブリン製剤でIgGを強化し、マキシピームという深在性皮膚感染症に効果を発揮する抗生物質を点滴投与する。またメイクアウトMS錠100mgを7日間朝昼夕服用するようにと処方された。

点滴はベルケイド+デキサート(デキサメタゾン)30分、ポリグロビン(免疫グロブリン製剤)2時間、マキシピーム2g(抗生物質製剤)1時間を行った。3時間半の点滴を終了したのが15時だった。

メイクアウトMS錠:経口用セフェム系抗生物質製剤
感染症は、病原微生物が人の体に侵入し悪さをする病気です。腫れや発赤、痛みや発熱などを生じ、人に苦痛をもたらします(実は、このような症状は病原微生物と戦うための体の防衛システムでもあるのです)。 病原微生物には、細菌やウイルス、真菌(カビ)などが含まれますが、このお薬が有効なのは“細菌”による感染症です。グラム陽性菌をはじめ、グラム陰性菌の多くに有効です。病原菌が死滅すれば、腫れや痛みがとれ、熱のある場合は解熱します。(おくすり110番)

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明治神宮御苑・菖蒲田

6月14日(月)
「花の名所案内」に明治神宮の菖蒲田の案内が載っていた。渋谷で映画を見た後、夕方の待ち合わせまでまだ時間があったので行ってみる事にした。渋谷の映画館から原宿までは20分ばかりの距離だ。

明治神宮は、都心の真ん中にありながら高い木々が林立し鬱蒼と茂り、その一画が別世界のような感じがする。静かな境内には、全国から献納された約365種9万5000本余りの木がさらに繁殖し1つの森を作り上げているようだ。その一画に明治神宮御苑がある。この中に菖蒲田がある。この御苑に入るには500円の入苑料が必要だ。

菖蒲はまだ7、8割の開花であったが、かなりいい雰囲気に花を付けていた。来週あたりになるともっと混みあいゆっくりと眺めることなど出来なくなるかもしれない。木々に囲まれた低地に長く湾曲しながら伸びる菖蒲田は、観賞用庭園の一画に作られたものとして通常の菖蒲園とは趣を事にしている。この菖蒲田は、どこから見ても全体を一望する事が出来ない。小径を散策しながら見るように設計されているということだ。

菖蒲田は曲がりながら次第に細長くなり北方向へと続く。園路の区切りのところで、菖蒲田から右側の園路へ上り、 水路を左下に見ながら北方向へ歩いて行くと清正井(きよまさのいど)がある。しかしそのまま清正井に行ける訳ではない。

井戸に向う細い道の所にガードマンが立っている。整理券を見せてくれと横柄に言う。整理券がないとこれから先は通さないという訳だ。整理券は北門で配っているという。しかし東門から入ったときそんなことは全く聞いていなかった。ガードマンにその点を説明したが、彼の仕事は整理券をもっていない人の入場を阻止することなので何を言ってもしょうがない。抗議の意思表示をして北門に向かう。途中御苑の管理会社の人と出会う。ガードマンが呼んだのだろう。

管理会社の人は、東門での情報の不徹底さをわび整理券を渡してくれた。そして何故整理券が必要なのか説明した。菖蒲の見頃の土日ともなるとかなりの入園者が殺到する。清正井への道は細い一本道で長蛇の列が出来る。井戸の周辺は狭く皆井戸の水に手を入れてパワーを得ようとしている。記念撮影などもしているので、列はなかなか縮まらない。18時閉園なのだが20時になっても園内に人がいる状態が続いた。これをどうにかするために整理券を発行する事にしたということであった。

しかし混んでない時間帯は整理券がなくても自由に通行させてもいいだろうと思う。再度清正井の入口のガードマンのいる所に行って整理券を渡し井戸に向って行った。その時には整理券を持ってない人が10人位ガードマンに対して通行を求めていた。

明治神宮御苑は、江戸時代初期熊本藩主加藤清正、後に彦根藩主井伊直孝の下屋敷の庭園だったが、明治時代に宮内庁所管となり代々木御苑と称されていた。ここの菖蒲田は、全国から菖蒲の優良品種を集めて植えさせたもので、現在150種、大株1,500を超える規模となっている。苑内には隔雲亭、お釣台、四阿、菖蒲田、清正井などがあり、曲折した小径が笹熊の間を縫い、武蔵野特有の面影をとどめている。

明治神宮002_edited_convert_20100613002209  御釣台から南池を望む

南池には多くの鯉が泳ぎ、水鳥や野鳥の生息地ともなっている。

明治神宮005_edited_convert_20100613002454  隔雲亭 

明治神宮017_edited_convert_20100613003303  清正井

この地に下屋敷を構えていた加藤清正が掘ったと伝えられ、 一年中絶ゆることなく湧き出る清水は南池の水源となり、掘り方の巧妙と水質の優秀なことは早くから世に知られている。またパワースポットとして名高いらしい。
 
御苑の菖蒲田の風景

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明治神宮011_edited_convert_20100613003854 明治神宮010_edited_convert_20100613002925

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明治神宮の建造物

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  境内入口の鳥居                      宝物殿

TOKYOウオーク035_convert_20100613175436  TOKYOウオーク039_edited_convert_20100614172457
  楼門                              御社殿

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映画 『BOX 袴田事件 命とは』

6月14日(月)
T00_convert_20100612231909.jpg 袴田事件の再審運動を担っている知人から、是非見て欲しいと紹介された映画が『BOX 袴田事件 命とは』だった。5月29日から、渋谷ユーロスペースと銀座シネパトスで上映されている。先週の金曜日ユーロスペースに見に行った。平日の午後ということもあってか、テーマが重いからか観客は10人位しかいなかった。

袴田事件は、事件経過、裁判での争点、再審での争点など基本的な知識は持っていた。それをどのように映画化するのかの興味もあった。映画は裁判官と被告という2人の存在が交錯する。袴田巌が無罪だと信じていながら、多数決で主任判事として死刑の判決文を書かざるを得なかった熊本裁判官の苦悩が中心的に描かれている。

彼は裁判官退任後、控訴審の弁護士宛に自分で実験した様々な資料を送り、袴田の無罪に向けて努力するが、一旦一審で有罪と確定した判決を覆すのはかなり困難なことだった。それだけ一審判決は重く、それだけ熊本の苦悩は増す。

映画は、事件の発生から取り調べ過程など、時間に従って淡々と細かく丁寧に描き、虚偽の自白が生まれる構造や、冤罪が作られる過程が克明に描写されている。熊本が検察側証拠の問題点を指摘するための実験の様子は、袴田無罪をますます確信させる。

* そもそも事件後徹底的に捜索した味噌樽から1年後に、犯行時の着衣が発見されること事態がおかしいが、実験の結果、味噌の中に1週間でも衣類を漬けておくと、どす黒く染まってきてしまう。それが1年以上漬けてあったという検察側が新証拠として提出した衣類がほとんど黒ずんでいないといった問題点を確認する事が出来、検察側の捏造である疑いを強くするものであった。

* 被害者の刺し傷、計44ケ所をくり小刀で刺した場合刃はどうなるか、豚を吊るし、そこにくり小刀で刺すという実験を行なった時の刃の損傷状態は、検察側が証拠として提出している袴田が使用したとされるくり小刀の状態とはあまりにも違う事が分った。

* 裏木戸から逃げる時、下のかんぬきだけ外して狭い隙間から逃げたと供述しているが、実際に裏木戸と同じ模型を作り、下のかんぬきだけを外して外に出ようとしても体が入らなかった。

* さらに44通の警察での供述調書の内容の変化について、深層心理学の教授に話を聴く。「人は狭い場所に閉じ込められ抑圧状態に置かれると、本能的に今の状態から逃れる行動をとる。相手の意のままに従い、相手の希望する言葉を作り出し今の状態から逃げたいと考えることしか出来なくなる。たとえ嘘の自白によって死刑になるという事が分っていたとしても、ともかく今の苦痛から逃れたいと思うのは人間の本能だ。」

ほとんど寝られない状態で朦朧としていて、さらにいつ終るとも知れない暴行がひたすら繰り返される。このままではなぶり殺されてしまうという恐怖感の中で、袴田は嘘の自白をしてしまう。

* 熊本はこういった実験を繰り返し、専門家の鑑定を聴く事によって、ますます袴田無罪への確信を強めていく。しかし、控訴審も上告審も棄却され袴田死刑が確定していった。

* こういった過程を映画は丹念に描き、それによって観客は袴田無罪の心象をより一層強くしていく。事実の積み重ねこそが真実を明らかにしていくのである。

 映画の紹介
あなたなら、裁けますか?「俺は殺人犯と一緒っちゃ…。俺を死刑にしてくれんね」
平成19年、元担当裁判官・熊本典道が発した告白。「袴田巌は、無罪である」。この苦悩に満ちた40年目の告白が、マスコミに、世論に衝撃を与えた。これは1966年6月30日未明、静岡県清水市で実際に起きた≪袴田事件≫を基にした元裁判官の物語である。

裁判官を辞職し、苦悩する典道は、巌の無罪を実証しようと動き始める…。人は人を裁くことができるのだろうか?人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないか?死刑確定後の現在もなお、冤罪を叫び、再審請求が続けられている<袴田事件>。苦悩する裁判官の姿を通し、人を裁くことの困難と命の尊さを描いた。(公式HPより)

 袴田事件の経過
静岡県中部、静岡市の東に隣接する旧清水市で、1966年(昭和41年)6月30日未明、味噌製造会社の(橋本)専務宅から出火、全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見された。

メッタ刺しにされた死体の刺し傷はあまりに多く、正確な数はわからない。4人の傷の総計は、少なくとも45ヵ所。警察は、焼け跡から発見されたクリ小刀一本を凶器としたが、先端がわずかに折れていただけだった。刃こぼれもしていない。また、警察の調査によると、約8万円のカネが奪われたというが、多額の金品は、手つかずに残されていた。

「こがね味噌」の従業員だった袴田巌さん(30)は、仕事が終って夕食の後、橋本家に近接した工場の2階にある寮の自室に帰った。同僚と将棋をさした後、テレビドラマを見た。午後11時過ぎ、パジャマに着替え、消灯し寝た。

消防車のサイレンの音で目がさめた。グッスリ寝こんでいたので、しばらくの間ウトウトした。「店が火事だ」という隣の部屋にいた同僚の叫び声に飛び起き、パジャマのまま自室を出て駆け降りた。同僚が「消化器、消化器」と大声で駆けてきたので、一緒に探したが見つからない。

やっと消火栓に取り付けるホースを見つけ、同僚たちとホースの束を持って、事務室の前にある消火栓に走った。火事は20分程で鎮火した。消火作業中に水をかけられズブ濡れになった。これが事件当夜の袴田さんの取った行動のすべてである。アリバイは完ぺきで、袴田さんと事件との関係は皆無だった。(「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会」文書より)

 袴田事件の問題点・裁判での争点
§ 取調べ過程
袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。

§ 自白は強要されたものか。
任意性に関する争点 : 自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で任意性を認めず証拠から排除したが、証拠として採用されたのは、たった一通だけである。しかし他の44通の内容と異なった特別の内容があったわけではない。即ちこの一通の自白調書を採用した論理的根拠は何もなかった。

信用性に関する争点 : 自白によれば犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行着衣と認定した「5点の衣類」については自白では全く触れられていない。

§ 凶器とされている栗小刀で犯行は可能か。
つばの付いていない栗小刀で44回に及ぶ刺突があったとされているが、彼の手の平には切傷がついていなかった。またクリ小刀は、先端がわずか1cm程度折れた程度で、あとは原形をとどめたままである。刃こぼれもない。

§ 逃走ルートとされた裏木戸からの逃走は可能か。
消火に駆けつけた住民の一人は、裏戸は「押しても引いても、びくともしなかった、そのため消防士らが体当りで裏戸を押し開けた。」と証言している。

§ 「5点の衣類」は袴田さんの着衣か
事件から1年2ケ月後、工場内の味噌タンクから発見されたということで、大量の血痕が付着した五点の衣類が証拠として提出された。しかし警察側の唯一の物証である着衣は、サイズから見て被告人の着用は不可能である。血液の付着状況は経験則に明らかに反しているのである。

 映画を見た人の感想
「人が人を裁くことの難しさについて考えさせられた」
「裁判員制度が始まり、人を裁くことがあり得る今の時代だからこそ、未来をになう若者に観て欲しい」
「ひとりの人間の人生を終わらせてしまう社会制度を見直すべきではないかと考えさせられた」
「正義を貫くことの難しさと、人を裁く立場にいる人も、裁かれていることを知った」

 監督は語る
「裁判員制度が始まって、まず思ったのは人を裁くことの重さというおことです。」「もし間違いが冤罪につながり、ひとりの人生を奪ったとしたら、それは取り返しのつかない罪であり、科した刑以上の量刑をその人は負うべきでしょう。そんな思いを<袴田事件>を借りて映画にしたいのです。」

 映画に込められた主張
裁判では犯行を全面的に否認。裁判官の熊本は警察の捜査に疑問を抱き始める。乏しい物証の中での、強制の疑いのある自白…。しかし熊本は、無罪を確信しながらも他2名の裁判官の合議に負けてしまう。昭和41年に発生した、いわゆる「袴田事件」。死刑確定後の現在もなお、冤罪を叫び再審請求が続けられている事件だ。

無罪を確信しながらも、死刑の判決文を書かなければならない判事の苦しみ…人が人を裁く事の重さは、裁判員制度が導入された今日、現実に私たち自身が抱える問題となった事を思うと、決して他人事ではない。

2009年5月21日、一般国民が審判を下す裁判員制度制度が導入され、『BOX 袴田事件 命とは』に描かれた熊本典道の苦悩、人が人を裁くことの重さは、同時に現実の我々自身が抱える問題となった。

 裁判員制度の問題点
「裁判員制度はいらない!大運動」は裁判員制度の問題点について次のように主張している。
裁判員制度に対する現段階における世論にあらためて注目してください。2009年5月3日の新聞は、「裁判員裁判に参加したくない」が過去最高の79.2%になり、「裁判員制度の導入に反対」が62%と「導入賛成」の34%の2倍近くになったことを報じました。(読売))5月10日のテレビも、「参加したくない」が84.4%に達したと報道しています。(日本テレビ系)

これが、政府・最高裁が野党、日弁連、マスコミを巻き込み、莫大な血税をつぎ込み5年間の歳月をかけて展開した宣伝に対し、国民が下した「最後の審判」です。国民は、裁判員制度が「市民の司法参加」ではなく、被告人を処罰するという国家作用への強制動員であることを見抜いています。そして、わずか数日で重大な刑事事件を審理し、有罪か無罪かを判断し、死刑をも含む刑罰を決定することの無謀さを危惧しています。

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『世界がもし100人の村だったら』

6月11日(金)
アメリカのドネラ・メドウス教授(環境科学)は、1990年「村の現状報告」と題した小文を著した。この小文では世界をひとつの村にたとえ、人種、経済状態、政治体制、宗教などの差異に関する比率はそのままに、人口だけを1,000人に縮小して説明している。

これがネットを介して伝えられていくうちに、100人に人数が減り、また部分的に削除されたり、逆に加筆されたりして流布しているものと考えられる。2001年には翻訳家の池田香代子とC・ダグラス・ラミスが再話し、日本語に訳してマガジンハウスから出版した。(Wikipedia)

それが以下の文章である。世界の現状を100人の村に置き換える事によって可視的に表現し否が応でも自らの現状と比較せざるを得ない。まずは知ることから始まる。多くを割愛したが、かなりの部分をそのまま引用した。

『世界がもし100人の村だったら』
100_convert_20100611102936 中学校に通う長女の担任は、生徒たちに毎日メールで学級通信を送ってくださるすてきな先生です。そのなかにとても感動したメールがあったので、みなさんにも送ります。

 今朝、目が覚めたときあなたは今日という日にわくわくしましたか?今夜、眠るときあなたは今日という日にとっくりと満足できそうですか?今いるところが、こよなく大切だと思いますか?

すぐに「はい、もちろん」といえなかったあなたにこのメールを贈ります。これを読んだら、まわりがすこし違って見えるかもしれません。

 世界には63億人の人がいますがもしそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょう。100人のうち52人が女性で48人が男性です。30人が子どもで70人が大人です。そのうち7人がお年寄りです。

90人が異性愛者で10人が同性愛者です。70人が有色人種で30人が白人です。61人がアジア人で、13人がアフリカ人、13人が南北アメリカ人、12人がヨーロッパ人、あとは南太平洋地域の人です。・・・中略・・・

いろいろな人がいるこの村ではあなたとは違う人を理解すること、相手をあるがまままに受け入れること、そしてなによりそういうことを知ることがとても大切です。

 また、こんなふうにも考えてみてください。村に住む人びとの100人のうち20人は栄養がじゅうぶんではなく1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです。

すべての富のうち6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人がたったの2%を分けあっています。すべてのエネルギーのうち20人が80%を使い80人が20%を分けあっています。

75人は食べ物の蓄えがあり雨露をしのぐところがあります。でも、あとの25人はそうではありません。17人は、きれいで安全な水を飲めません。・・・中略・・・

もしもあなたがいやがらせや逮捕や拷問や、死を恐れずに信仰や信条、良心に従ってなにかをしものが言えるなら、そうではない48人より恵まれています。

もしもあなたが空爆や襲撃や地雷による殺戮や、武装集団のレイプや拉致におびえていなければ、そうでない20人より恵まれています。・・・中略・・・

 もしこのメールを読めたならこの瞬間、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります。なぜならあなたにはあなたのことを思ってこれを送った誰かがいるだけでなく、文字も読めるからです。

けれどなによりあなたは生きているからです。昔の人は言いました巡り往くもの、また巡り還る、と。

だからあなたは深ぶかと歌ってくださいのびやかに踊ってください。心をこめて生きてください。たとえあなたが、傷ついていても傷ついたことなどないかのように愛してください。まずあなたが愛してください、あなた自身と、人がこの村に生きているということを。

もしもたくさんのわたし・たちがこの村を愛することを知ったならまだ間にあいます人びとを引き裂いている非道な力からこの村を救えます。きっと。

『世界がもし100人の村だったら』を読んで

今の世界の状況を100人の村に縮小することによって、よく見えてくることもある。今の「普通」の生活スタイルが、実際のところ、世界的にはかなり例外的であるということがわかる。また、世界の人びとは極端な不平等状態の下で苦しんでいることが見えてくる。

東南アジアやアフリカの貧しい国では、経済的理由で親が子を業者に売って金を得るという事が行なわれている。子供の命が金で売り買いされている。

日本に生まれ生活し、毎日当たり前のように食べ、学校に行き勉強する。しかし世界に目を向けるとこれは決して当たり前のことではない。貧しさ故、全く教育の機会を与えられず、小さい頃から奴隷労働に従事させられている子供達がいる。

毎日飢えで死んでいく人がいる。その数は約23000人。3秒に一人死んでいる。そしてその大部分は子供なのだ。日本に生きているということ、毎日学校で勉強できるということはどういくことなのか。勉強が嫌いな人もいるでしょう、しかし勉強したくても出来ない子供たちも沢山いる。

世界の現状を知ることから全ては始まる。我々はどうしたらいいのだろうか。バックミンスター・フラーという建築家が好んで使った言葉「地球の事を考えて、身近なところで何かしよう」ということを日々の暮らしの中で実践していく外ない。

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白山神社・あじさい祭り

6月9日(水)
 院内患者家族交流会は17時で終了した。帰りは南北線の本駒込方面に行った。去年病院の帰りに白山神社に行ったが、既にあじさい開花時期は終っていて花は全て刈り取られていた。今年はあじさい祭りのど真ん中に行き、花の盛りを堪能しようと思って白山神社に向かった。

本駒込の駅を通り過ぎ、本郷通りを右に曲がり17号を横切ると商店街の道には文京区あじさい祭りの提灯が列を作ってぶら下がっている。観光協会も色々と雰囲気を盛り上げるようとしている。

夕方だからだろうか、学生がラッシュ時のように列を作って白山駅や本駒込駅に向っている。それを掻き分けながら白山神社に向う。時間が遅いということもあって、境内の人影はまばらだった。祭りの期間中は模擬店やバザーが出店し、コンサートも行われ、休日はかなりの混雑だという。

白山神社014_edited_convert_20100609235738 参道への階段

白山神社013_edited_convert_20100610000857 参道に咲くあじさい

白山神社018_edited_convert_20100609235858 あじさい富士

白山神社024_edited_convert_20100610000611 神社拝殿

 境内を散策し、裏の浅間神社と白山公園に行ってみる。ここも文京あじさい祭りのエリアなのだ。浅間神社は小高い丘になっている。この丘は富士塚である。頂上には浅間神社を祀っている。江戸時代、気軽に霊峰富士山を登れないため、その代わりに富士山から岩を持ってきて塚を作りそれを信仰する富士講が盛んになった。そういったことで富士塚は至る所にある。

浅間神社はあじさい祭りの間だけ公開されるということだが、入れる時間は17時までということで、扉は閉まっていて外から見るほかなかった。

白山公園は児童公園だ。小さい子供を連れた主婦が何人かおしゃべりに興じていた。あじさいは公園を囲むように植えられている。テントが中央に張られていて休日にはイベントが開催されるのだろう。

白山神社023_edited_convert_20100610001538 浅間神社のあじさい

白山神社沿革: 創開は古く、天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられる。後に元和年間(1615~1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在地に再度移った。この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。(文京区アカデミー推進課)

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院内患者家族交流会(おしゃべり会)

6月9日(水)
通院治療センターのベッドの空き待ち時間があり、医者が点滴針を刺しに来るのに40分待ったということもあって、おしゃべり会に参加出来たのは15時頃だった。その中の話でもでたが、ほとんど事を看護師がやっているのに何故点滴針を刺すのが医者でなければならないのか、そのために医者の空き時間を待ち、それでなくても時間のかかる外来治療の時間がさらにかかってしまう。

通院治療が1日仕事だということは、患者にとっての肉体的負担はかなりものになる。ラウンジでもあって知り合いとコーヒーでも飲みながらおしゃべりをし、待ち時間を過ごせればかなり違うだろう。待合室の硬い椅子に座ってまんじりともせず何時間も診療を待っていたら健康な人でも体調を崩してしまうだろう。病院も待ち時間対策に知恵を絞るべきだと思う。

14時に一度通院治療センターを抜け出しておしゃべり会の部屋に行って、参加者に挨拶をしてからセンターに戻り、点滴を終わり参加した。

7人の参加者があった。途中から血液内科病棟の婦長さんも参加してくれた。この病院では医者も看護師も患者会に協力的だ。ある病院で移植を渋る患者に対して、医者が患者会を紹介した。移植はかなりハードな治療だ。やらないに越したことはない。しかしやった方がいい場合もかなりある。

医者が医療的判断でやった方がいいと言ってもなかなか納得できない。医者は患者で移植経験者の話を聴き移植のメリット、デメリットを理解してするかしないかの選択に役立ててもらいたいという気持ちだったのだろう。そういった意味で患者会の意味は大きい。

今日の患者会の話の中で、患者の人が言った言葉が印象に残った。「人は幾つかの課題を背負って生まれてくる。人生はその課題を一つずつ解決するためにあるようなものだ。」なかなか含蓄のある言葉だと思った。

血液がんという病に罹り苦しく長い治療をしたということは、ひとつの課題に挑戦しそれをクリアーしたと言えるだろう。それはその人の人生にとってかけがいのない経験であり、これからの人生にとって大きなステップであると思う。

その課題が苛酷であればあるほどそれを乗り越えた経験は決して無駄なことになるはずはない。がんになったという負の経験は、それを人生の立ち向かうべき課題として受け止め越えて行く事ができれば、これからの人生にとって限りない粮を与えてくれたものになるだろう。

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定期検診の日・ベルケイド5クール3回目

6月9日(水)
白血球が減少しているので、明日から4日間服用する予定のエンドキサン(シクロホスファミド)の服用をどうするか決めなければならない。この薬の増量がIgMの減少に役立っていることは明らかなので、減量や中止になると恐らくIgMは増え始めるだろう。白血球の状態が改善されていなければ薬の量を減らすという方針をとらざるを得ない。

今日は、ベルケイド、デキサート(デキサメタゾン)、ゾメタの点滴を行う。1ケ月1度のサリドマイドの処方をしてもらう。長期方針が決めきれないので1ケ月処方にしてもらっている。それでも以前の2週間一度の時よりはるかに楽だ。

検査結果 
 IgM    2923(6/9)←2558(5/26)←2647(5/12)←2572(5/6)
 白血球  2900(6/9)←2300(6/2)←3100(5/26)←3700(5/12)
 好中球  2020←930←2080←2760
 血小板  6.3←8.9←12.1←9.7
 赤血球  314←313←305←310
 ヘモグロビン 10.1←10.3←9.9←10.3
 網赤血球   14←10←14←17
 CRP    1.54←1.01←0.68←1.52


IgMが2週間のうちに365上昇した。急激に上昇したように見えるが、今までの数値は1週間間隔で測っていたので今回の2週間での上昇はかなり大きな値に見える。といっても実際に上昇傾向にあるのは確かで、これからどうするかが、ひたすら問われることになる。

白血球の数値は低いが、何故か好中球が2020といった値を示している。白血球の7割が好中球とは今までにない値だ。医者も「君の血液は不思議な値を示すね」と言って、エンドキサンは今まで通り100mg4日間服用することになった。

今日は14時から院内患者家族交流会があるので、早めに病院に行き採血をして診療を待った。今日は混んでいるらしく診療で2時間待ち、その後サリドマイドの手続きを行い、また通院治療センターのベットが開くのを1時間ばかり待って、点滴針を刺すために医者が来るのを40分待ち、結局終ったのが15時近くになってしまった。

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全ての人の命は等しく尊い

6月8日(火)
aibo_convert_20100608212200.jpg テレビ朝日で15時から『相棒』の再放送をやっている。この番組は、昔夜やっていた時に何回か見たことがある。1時間ものというのが時間的に丁度いい。「月曜ゴールデン」とか「土曜ワイド劇場」とか2時間もののミステリーは、謎解きが冗長である事があって、最後まで見る気がしなくなってしまう。その点1時間ものは飽きさせず見せる。

その『相棒』の中で印象的な言葉があった。ある男が、権力を背景に自ら手を下した殺人を握りつぶし、いまだ権力を振るってのうのうと生きている男を、仲間の復讐のため殺そうとする。その男は、杉下右京に言う「悪人の命と善良な市民の命と同じだというのか、こんな奴の命など虫けらのようなものだ」。

それに対して杉下右京は言う「悪人の命も、普通の人の命も等しく尊い」。このような言葉が、こういった番組で聞けるとは思わなかった。どんな悪人だろうがその命を勝手に奪うことは許されない。法の裁きに委ねなければならない。

よく知られたエピソードだが、ある日キリストは一人の女に向かって人々が石を投げつけている場面に遭遇した。投げつけている人々に尋ねる。
「あなた方はどうしてこの人に石を投げるのですか。」
「この女は姦通をしているときに捕まりました。」それを受けてキリストはこういった。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」その言葉に、人々は彼女に石を投げるのをやめ、一人また一人とその場を去っていった。(ヨハネによる福音書、第8章)

このエピソードは人を罰することの難しさを表している。同時に善と悪とが決して切り離されたものでなく、個々人の中で渾然一体となっているものである事を示している。人は自らの内に抱えた悪との絶え間ない格闘の中で生きているに過ぎない。悪を悪として断罪する資格を誰が持っているのだろうか。

ある医者の書いたブログを読んでいてその人権感覚のなさに愕然とした。彼は言う「死刑が確定している人間の命を長らえるために、税金で医療行為を行うことは馬鹿げた話だ。検査もしないほうがいい。」死刑確定者は病気になっても放置しておけばいいということだ。もしこの医者が少しでも人の命の尊さを自覚しているならばこの言葉は出なかっただろう。

こんな医者には絶対にかかりたくない。彼が悪、無価値だと決め付けた人間には一切の医療行為は不要だということだ。無罪を推定されているはずの留置場や拘置所の収容者への医療にも抵抗感をあからさまにしている。患者にはあらゆる種類の人間がいる。それを選り好みで医療行為を施すなどそれでも医者なのかと言いたくなる。

この発想でいくと、もし彼の所に殺人を犯し自分も大怪我をして運び込まれた患者がいたとする。彼は治療を拒否して見殺しにすることになるだろう。もしそんな感覚で医療行為をしていたとしたら、医者の倫理にももとる行為だ。人の命の尊さを何よりも重んじ、医療という手段によって命を救う事を目的に医者になったのでないのか。

ドストエフスキーは「三面記事の1行に文章の中にも、その人が生きてきた全人生が凝縮されている」と言っている。殺人等の犯罪行為は刑罰制度の物差しで罰せられるが、1つの事件の発生は、法制度の枠では理解できない個々人の生きた軌跡の結果なのである。

監獄や精神病院など、最も抑圧された人の人権をどこまで保障しているかが、その国の文化水準を写す鏡である。「どんな人の命も同じく尊い」。この言葉がどこまで多くの人の共通の認識になるかがその国の人権感覚を知る指標となるだろう。

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村上春樹 『海辺のカフカ』

6月6日(日)
村上春樹の小説は、『ノルウェイの森』を面白く読んだ記憶がある。『海辺のカフカ』は入院していた時に、病院の図書館にあって借りて読んだものだ。目の前に今話題の『1Q84』の分厚い本が3冊ある。もちろん私が買ったものでなく、息子が買って読み終わったから読んでいいよと持ってきたものだ。しかしこの分厚い本3冊を読むには少しばかり気合が必要だ。

ウォーミングアップのため『海辺のカフカ』の感想でも書こうかと思ったが、記憶があまりはっきりしないので、とりあえず、今回はこの小説から、この物語の底にある考え方のような文章を引用することにする。

この小説で強く印象付けられたのは、物語の中に出てくる喫茶店でいつも演奏が流れているベートーヴェンのピアノ3重奏『大公』という曲だ。マスターは「この曲はルーピンシュタイン(P)、ハイフェッツ(V)、フォイアマン(C)の演奏でなければ駄目だ」という。

退院して早速レコード屋に行った。しかしハイフェッツが演奏しているとなると、かなり昔なのでLPでもモノラルしかない時代だろうし、CDで復刻している可能性はあまりないと思いながら買いに行った。レコーディングは1941年だったが、何とちゃんと復刻されてCDで発売されていた。よほどの名盤だったのだろう。かなり気に入ってその頃しょっちゅう聴いていたものだ。だから今でもこの曲を聴くと『海辺のカフカ』を思い出す。

カフカ_convert_20100607003907 物語は15歳の少年を主人公として展開する。
15歳の誕生日を迎える真夜中、田村カフカという少年が独り家を出て、夜行バスで四国へ向かう。目的は、たった独りで生き抜くこと。四国という以外目的地も、何をするかも決まっているわけではない。

同時もう一つの物語が進行する、ナカタさんという中野区に住む記憶を持たない老人がいる。彼の周りでは不思議な事件が起こる。彼もまたやはり東京から四国へ向かう。戦時中、山梨の山中で奇妙な児童集団失神事件が発生した。ほとんどの子供が通常の意識を取戻した中で、一人だけ最後まで全く記憶が戻らない男の子がいた。それがナカタさんである。

二人が向かったのは高松だった。二人は市内の私設図書館の女性館長との関わりを持って行く。この館長が二つの並行する物語を束ねる要になっている。

『海辺のカフカ』からの引用

「ある場合には運命というのは、絶え間なく進行方向を変える局地的砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足取りを変える。そうすると嵐も君に合わせるように足取りを変える。」

「全ては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イエーツが書いている。夢の中から責任は始まる。想像力のない所に責任は生じないのかもしれない。」

「人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。それがギリシャ悲劇の根底にある世界観だ。ギリシャ悲劇において、ぼくらはメタファー(隠喩)という装置を通してアイロニーを受け入れる。そして自らを深め広める。自分が選んだと思っていることだって、実際には僕がそれを選ぶ以前からもう既にそれが起こると決められていたことみたいに思えるんだよ。」

「僕がさらにうんざりさせられるのは想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<空ろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、空ろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて他人に無理に押し付けようとする人間だ。

・・・想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、一人歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとって本当に怖い物はそういうものだ。・・・想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えて何処までも続く。そこには救いはない。」

村上春樹のインタビューから

「世界の近代文明というのは自己表現が人間存在にとつて不可欠であるということを押しつけているわけです。教育だって、そういうものを前提条件として成り立っていますよね。まず自らを知りなさい。自分のアイデンティティーを確立しなさい。他者との差違を認識しなさい。そして自分の考えていることを、少しでも正確に、体系的に、客観的に表現しなさいと。これは本当に呪いだと思う。だって自分がここにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。タマネギの皮むきと同じことです。一貫した自己なんてどこにもないんです。」

「物語は説明を超えた地点で表現している。物語は、物語以外の表現とは違う表現をするんですね。それによって人は自己表現という罠から逃げられる。物語という文脈を取れば、自己表現しなくていいんですよ。物語がかわって表現するから。」

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荒井まり子原画展

6月4日(金)
一昨日、病院の帰りに「荒井まり子さんの原画展」を見に行った。免疫グロブリン製剤の点滴をやったので、終了が16時近くになってしまったので、「北区のさんぽみち」を巡るには遅すぎた。

4,5日前、知人との話の中で荒井まり子さんの原画展を6月1日からやるという事を聞いた。場所は千駄木と根津の中間にあるギャラリーTENという所だ。病院から歩いていけるので丁度いいと思っていく事にした。

『子ねこチビンゲと地しばりの花』はこの本が出版された時に読んだことがある。獄中にいた荒井まり子さんとは面会した事もある。本の中のイラストは21枚だが、60点も書かれていたことを知って見に行く価値はあるなと思った。

展覧会名:「子ねこチビンケと地しばりの花」原画展
       -未決囚十一年の青春・復刊記念
期日: 6月1日(火)~6月13日(日)
内容: 1974年連続企業爆破事件で爆発物罰則違反の幇助罪に問われた著者が本の復刊を記念し、自ら描いた原画60点ほどを展示。制約の多い獄中で描いたイラスト画展。


駒込周辺016_edited_convert_20100603001229  駒込周辺020_edited_convert_20100603001300
 ギャラリーTEN入口                    展示会風景

『小ねこチビンケと地しばりの花-未決囚十一年の青春』という本は、23年ほど前径書房から出版された。絶版になっていたが、今度復刊される事になった。荒井まり子さんは本の中で、故郷宮城県古川村での事、高校時代、大学入学と学生運動、中退、短大再入学、東アジア反日武装戦線”狼”との関わりをありのまま素朴な文章でつづっている。

彼女は“狼”との関わりの中で精神的無形的幇助罪という極めて曖昧な罪名で逮捕され、起訴され拘留された。物理的有形的幇助などは全く立証されず、逮捕のために作られた罪名でしかない。そしてその後11年もの間東京拘置所に拘留され、拘置所生活余儀なくされた。
                                    
その閉ざされた空間の中で、黒のボールペンと鉛筆という限られた手段でイラストを描き続けた。黒ボールペンのインクのたまりやかすれも巧みに使いこなし、鉛筆の芯を削って背景色を作り出すなどの苦労をしながら、丁寧に一本一本の線を大切に扱っており、これは作者の心の優しさの現われだろう。
                                                      まり子さんのイラスト
まり子_convert_20100604212536獄中では絵を描く制約が多く、それだからこそむしろ、我々が見ている獄中絵画とは、様々な作者たちの心の中を映し出している場合が多く見られる。この本の中には、著者自ら描いた21枚のさし絵があり、これが文章を引き立てその繊細な美しい線描は本の内容に奥深さを与えてくれる。

連続企業爆破事件を起こしたグループへの親近感はあったとしても、それを有形的無形的幇助という罪名で11年も拘留し続けるなどあまりにも不当だ。彼女の考え方は本の中のこの言葉で表されている。決して爆弾によって社会を変えようなどとは思っていなかった事が分るだろう。

「・・・もし、抑圧された人々の苦しみへの共感がないところで、彼らを自分たちと共に闘う人間に変革しようとしたなら、それはたとえ彼らを苦しめている差別や抑圧、搾取をなくすために闘うんだという大義名分があったとしても、本質的には学校や監獄における『非行少年』や『犯罪者』の『補導』『矯正』と少しも変わらないのではないだろうか。革命という大義名分など、抑圧された人々にとってはこれまで彼らを抑圧してきたと同じ言葉の一つにすぎないわけだからね」            

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臨時検診・ベルケイド5クール2回目

6月2日(水)
今日はIgMの検査はしない。この間、本来保険適用は2週間1度なのだが、毎週検査していたので今回は止めにした。免疫グロブリン製剤の点滴をするかどうかの判断のためIgGの検査をした。相変わらず231と低い数値を示している。2時間かけて点滴をやらざるを得ない。

ベルケイド+デキサート(デキサメタゾン)+ポリグロビン(免疫グロブリン製剤)の静注と、白血球値が減少してきたのでG-CSF・グランの皮下注射を行った。

検査結果 
 白血球  2300(6/2)←3100(5/26)←3700(5/12)←3600(5/6)
 好中球  930←2080←2760←2560
 血小板  8.9←12.1←9.7←11.6
 赤血球  313←305←310←312
 ヘモグロビン 10.3←9.9←10.3←10.3
 網赤血球   10←14←17←13
 
 CRP    1.01←0.68←1.52←1.67
 IgG     231(6/2)←297(5/12)←218(5/6)←233(4/7)


白血球が急激に減少し始めた。好中球の割合もかなり低い。1週間で好中球は2080から930までになってしまった。危険水域に足を踏み入れた感じだ。5月26日からエンドキサン(シクロホスファミド)100mgを4日間服用した。それの影響がもろに数値になって跳ね返ってきたようだ。

グランの皮下注射をやったがこれは何日か続けると効果はあるが一回位やってもあまり効果はない。やらないよりはましという感じだ。G-CSFの中で、1回の注射で4,5日の持続的効果を発揮する薬があるという。それが使えるように考えてくると担当医は言う。

次回のIgMの数値を見て、エンドキサンの量の調節を行わざるを得ない。IgMの上昇を抑えている要因としてのエンドキサンの増量が難しくなると、次にどうするかまた考えなければならない。

レナリドマイドの薬価
担当医とレナリドマイドの話になった。レナリドマイドがなかなか承認されない。5月31日にレナリドマイドの安全管理システム(RevMate)に関すること、サリドマイドの安全管理システム(TERMS)に関することを議論する第1回薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会が都内で開かれという状況だ。この会議の開始によって承認への一歩を踏み出したことになる。

医者が聞いた。レナリドマイドの薬価は幾ら位だと思う。そういって4本指を立てた。4千円か4万円かどちらかだ。4万円位になりそうだと言った。1錠が4万円という驚くべき金額だ。高額なサリドマイドが6,570円、グリベックが2700×4=10,800円それをはるかに越えた高額だ。レナリドマイドは月20日間服用する。月80万円の支払いになる。

現在個人輸入でレナリドマイドを購入する場合、製造元のセルジーンから買う外ない。5、10、15、25mgの4種類あり21錠で950,000~1130,000円となっている。サリドマイドのような輸入品より高くなるという逆転はない。開発費はかかっているのは分るが、それにしても法外な価格だ。金持ちにしか使えない薬でしかなくなってしまう。

承認されれば健康保険で80万の30%、窓口では24万払えばいいし、3ケ月後には44,400円以上が戻ってくる。日本の健康保険制度に色々問題があるのは確かだが、かなりの恩恵を受けているのは紛れもないことだ。だからといって高額な薬価をそのまま認めたくはない。

以前韓国の患者会の人から聞いた話を思い出した。グリベックの薬価があまりにも高く、殆どの患者がその薬を使えば慢性骨髄性白血病に効果があると分っていながら、使えない現状があって、政府に対する闘いと同時に、製造元で高額な薬価を維持し続けるノバルティス製薬会社を占拠し篭城闘争を行ったという。

製薬会社が開発している色々な薬から恩恵を受けているのは確かだが、それは患者のためでなく純粋に企業の利潤追求といった事が、高額な薬価を見るとあまりに露骨わかるので、韓国での闘争の意味が分る気がする。

セルジーンにしても、ノバルティスにしてもよくセミナーの協賛団体として資金援助をしているようだが、少しでも薬価を下げるようにしてもらいたいものだ。

大山詣-阿夫利神社・大山寺

6月1日(火)
新宿に用があって出かけたが、このまま家に帰るのがもったいない位の上天気だった。新宿駅で小田急線の表示を見てふと思いついた。大山に行ってみようと。

佐伯泰英の『居眠り磐音・江戸双紙』の「雨降ノ山」の中に江戸庶民の大山詣の様子が詳しく書かれている。険しい石段を延々と登っていく描写があり、実際はどんなものか一度は行って見たいと思っていた。新宿からなら小田急線で伊勢原まで1時間位なものだ。

大山は古代から霊山として、江戸の庶民には福を授け災害除けにあらたかな神として信仰を集め、落語の「大山詣り」でも語られ、浮世絵にも描かれている。江戸中期、大山詣は、江戸より1泊2日と気軽だったため、江戸近郊の観光地として賑わい、参拝者は年間20万人にも及んだという。人々は雨乞い、豊漁、航海安全、商売繁盛、家内安全といった現生利益を願った。

大山へ行く前に、両国に垢離場(こりば)というものがありここで水垢離を取る。「慚愧懺悔(さアんげさアんげ)、六根清浄(しょうじょう)、大山大聖(だいしょう)不動明王、大天狗小天狗・・・」と言いながら、一週間は、ここで精進潔斎をし、それからお山へ登る。大山詣は信仰のためであったのはもちろんだが、江戸の庶民にとっては、大山詣と江ノ島詣のセットで娯楽の一つでもあった。

伊勢原駅にパンフレットが置いてあり、ハイキングコースが紹介されていた。その中の「大山寺・阿夫利神社~二重の滝・見晴台コース」で行く事にした。

伊勢原駅→バス停「大山ケーブル」→こま参道→大山ケーブル駅→阿夫利神社駅→大山阿夫利神社下社→二重の滝→見晴台→大山阿夫利神社下社→女坂→雨降山・大山寺→女坂→大山ケーブル駅→バス停

伊勢原駅から大山ケーブルまで行くバスは1時間2本しか出ていなかった。終点の大山ケーブルの駅でバスを降りたのは7,8人だった。そこからこま参道をケーブル駅まで15分位歩く。この参道は384段の石段があるそうだ。参道の両側には土産物屋や豆腐料理の店が軒を並べている。豆腐料理は昔の宿坊今は旅館になっている店で提供しているところが多い。

何故こま参道かというと大山信仰と大山の挽物技術から発達した大山独楽はこの地の特産品だからだ。「大山独楽は良く回る、世の中も良く回りますように」と庶民の願いが込められた縁起の良い独楽ということだ。また大山の湧き水(丹沢三渓)を使った豆腐も大山の名物となっている。

ケーブルカーに乗って大山ケーブル駅から阿夫利神社駅までわずか6分だ。ただ25度の傾斜だというからかなりの標高差を登る事になる。神社はケーブルカー駅からすぐだ。周りを青々とした樹木で囲まれた拝殿は、その緑の背景の中で荘厳な印象を与えるものであった。

大山001_edited_convert_20100601194433 阿夫利神社拝殿

大山002_edited_convert_20100601194546 阿夫利神社境内よりの眺望

大山阿夫利神社(関東総鎮護)
第10代崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられ、山頂に本社、標高700メートルの中腹に下社があります。「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高おかみ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られております。源頼朝をはじめ、多くの武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集め大山参りが盛んになりました。


拝殿の半地下に入れるようになっていてそこには地下から大山の名水が湧き出ている。殖産・長命延寿の泉として愛飲されている。拝殿の裏から大山山頂(1,252m)にある大山阿夫利神社本社への登山道の入口がある。片道90分という登りは、時間的にも体力的にも無理だと思って諦めた。

折角山に来たのだからハイキングコースを回ろうということで、見晴台に向った。往復1時間という手軽なハイキングコースだ。道はそれ程激しい起伏もなく歩き易い道だった。新緑の中をすがすがしい空気を呼吸しながら森林浴を満喫し歩みを進める。

大山030_edited_convert_20100601195240 二重の滝

大山019_edited_convert_20100601194924 二重社

10分位歩くと橋上から上下二段の滝、二重の滝を見ることが出来る。右脇には龍神を祀る二重社がある。案内板によると、滝は大山川の源流部で、巨岩が二段にわかれ、上段の断崖(ハケ)より突如として湧水し水場(ヤツボ)を形成、二段の岩壁に流れ出ずるところより二重の滝と言われる。そこから20分位で見晴台に着く。ここからは伊勢原の町が一望できる。また大山が目の前に聳え立っている。

大山020_edited_convert_20100601195020 大山

大山023_edited_convert_20100601195128 見晴台よりの眺望

再び阿夫利神社に戻り、そこから大山寺に向う。女坂と男坂があったが、男坂はケーブル駅まで直行してしまうので女坂を下っていった。寺まで15分ということで、ケーブルカーに乗る必要などないと思って下り始めた。

これがまたものすごく急な石段なのだった。女坂というからましだと思っていたがとんでもない。傾斜25度のケーブルカーの脇の道なのだから傾斜は当然のようにきつい。さらに石段が舗装されたものなどではなく、大きな石を並べた昔ながらの石段で、用心して降りないと起伏があり足をとられかねない。距離は長くはないが下るのにかなり苦労した。滑って転んで石段で頭でも打ったらと思うと慎重にならざるを得ない。その分緊張し足に余分な力が入り負担をかけることになる。

大山寺の本堂建物は古く昔からの山岳仏教の恩影を伝えてくれる。高幡山金剛寺、成田山新勝寺と共にしばしば「関東の三大不動」に数えられ、境内には六地蔵や、宝篋印塔、鐘楼などありそれ程広くない境内に色々置かれている。

雨降山・大山寺(関東三十六不動霊場一番札所)
天平勝宝7年(755年)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開基し、聖武天皇の勅願寺となった古刹。真言宗大覚寺派に属し、京都大覚寺の別院でもあります。通称「大山のお不動さん」と親しまれ、関東三大不動のひとつに数えられています。
文永年間(1264~1274年)願行上人によって鋳造された本尊鉄鋳不動明王および二童子像は国の重要文化財に指定されています。青銅造りで高さ11メートルの宝篋印塔は寛政7年(1795年)旧大山寺境内に建立。大正3年現境内に再建される。(大山ケーブルカー・ホームページより)


大山041_edited_convert_20100601195350 本堂

大山039_edited_convert_20100601195501 宝篋印塔と鐘楼

大山寺からの下りが、またひたすら急な石段が続いている。一体何段の石段を下ったのだろうか。登りはきついが下りは大丈夫だと思っていたが、今回の急な石段の連続の下りは、膝とふくらはぎ、大腿部にかなりの負担をかけたようだ。バス停までやっと辿り着いたといった感じだ。歩くと足ががくがくするようだった。

だが登りだったらどんなに大変だろうと思う。2,3人登ってくる人とすれ違った。これは見上げた根性だと思わざるを得ない。江戸時代の人はもっと整備されていない石段を当然のように登っていったのだから、体力があればたいしたことではないのかもしれない。苦労して登ってこそご利益もあるというものだ。

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