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訃報が送られてきた

7月31日(土)
昨夜メールを開いたら、友人の訃報が届いていた。食道がんで入院中のN君が昨日の朝永眠したという内容だった。通夜と葬儀の場所が記載されていた。

N君は私よりは5歳ほど若い。彼とは私が入院するまで10年近く人権関連の活動を一緒にやってきた間柄だ。またそれ以前には、アボリショニストであるトーマス・マティーセンの“PRISON ON TRIAL”の翻訳を一緒にやっていたこともある。

彼とは、昨年の年末に何人かの仲間と一緒に飲みにいった時に会ったのが最後だった。その時、彼は酒は飲んでいたが、2、3日前から硬い物が飲み込めなくなってしまったと言っていた。その時はなんとなく聞き逃していたが、その後食道がんで入院したと聞いて、一緒に飲みにいった時には、既に腫瘍が喉に出来ていたのだろうと思う。

今年の初め入院したが手術をせず、抗がん剤治療を行い、その後自宅での療養と通院治療になった。食道がんは手術して腫瘍を切除できれば80%近くの人が治癒している。しかし手術はしなかった、つまり手術出来なかったということは全身に転移しているということで、治癒の非常に難しい状態だったようだ。また彼は心臓に持病を抱えていたので強い薬は使えなかったのかもしれない。

一週間位前にN君が再入院していると聞いて、一度見舞いに行かなくてはと思っていた。ただ病状が重く見舞いが負担になるようだと行かないほうがいいかなとも思い彼の状態を聞こうと思っていた時に、訃報を受け取る事になってしまった。

昨年の8月に友人が食道がんで亡くなった。もう一人同年輩で、食道がんになった知り合いがいる。3月位前に彼と話した事がある。彼の食道がんは、全身に転移していて手術出来る状態ではなかった。病院で医者からは抗がん剤治療を薦められた。医者が抗がん剤治療による治癒の確率を説明したかどうか分らないが、効果がどこまで期待できるか分らないし、副作用による体力消耗は避けられない。彼はその申し出を断って自分で治療法を探した。

西洋医学から決別し、整体や気功などで食道がんを克服しようとしている。抗がん剤治療で治る見込みがあまり期待できず、副作用で倦怠感に悩まされながら延命するよりも、QOLを維持しながら別の治療選択をするという決意を聞いて感心した事がある。

我々位の年齢になると周りでがんになったという人の話をよく耳にする事になる。自分が罹っていることもあって、がんという言葉には敏感になり、知り合いのがんによる死には心を動かされる。どのような種類のがんになるかの選択は出来ないが、自ら抱えているがんと一生付き合っていかなければならないという事実は変えようがない。
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定期検診の日

7月28日(水)
本来2週間1度の定期検診なのだが、先週は旅行に行っていたので1週間のばしてもらった。その点サリドマイド+MP療法だと融通が効く。24日から服用するメルファランとプレドニンは7日に処方してもらった。今日はメルファランによる骨髄抑制がどの程度か数値を見て、治療継続可能かどうか判断する。

検査結果 
 IgM    3445(7/28)←2914(7/7)←3014(6/23)←3082(6/16) 
 白血球  2500←1900←4200←3100
 好中球  1800←1100←2970←1890
 血小板  8.3←12.4←6.0←6.2
 赤血球  292←320←315←315
 ヘモグロビン 9.8←10.7←10.3←10.3
 網赤血球   12←11←15←12

 IgG    410(7/28)←352((6/23)←231(6/2)
 CRP   0.71←0.55←1.03←6.42


3週間の間に、IgMが500以上上昇してしまった。サリドマイドは今まで通り服用し、6月24日から4日間メルファランとプレドニンを服用し始めた。7月7日の検査ではIgMは若干下がった。2回目の服用は7月24~27日までだった。1回目の効果が薄れ、2回目の影響がまだ出ていないのだろうという判断ができるだろう。来週の検査でどうなるかが問題だ。

医者が言うのには、メルファランは効果が出るまでに少し時間がかかるが、プレドニンはすぐ効果がでる。プレドニンが全く効かなかったようだ。どちらにしても8月一杯はサリドマイド+MPでやる外ない。9月からレナリドミドを使用した療法に変えていく。どういった組み合わせでやっていくか検討する必要がある。

医者から「レブメイトキッド」というケースを渡された。レナリドミドは日本ではレブラミドという薬品名で発売される。レナリドミドはサリドマイドと同じように、催奇形性による胎児への被害が予想されるため、「レブメイト=レブラミド適性管理手順」が定められている。レブラミドを使用する場合、管理手順に記載された遵守事項を守らなければならない。

「レブメイトキッド」の中には、「多発性骨髄腫を知ってますか」「多発性骨髄腫の治療でレブラミドを服用される方へ」という製薬会社セルジーン発行のパンフレットが入っている。また「多発性骨髄腫の治療日記」がバインダーで綴じられていて、レブラミドの服用日、体温、体重、副作用を記入するようになっている。またキッドの中には薬のケースが付いていてその中に薬を保管するようになっている。

レブラミド使用に関して病院での準備は着々と進んでいる。8月4日の診療日では、サリドマイドを1ケ月分処方し今までのプラスMP療法を行っていく外ない。そして9月1日からレブラミドの使用が開始されるだろう。

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沖縄旅行・8日目 帰京

7月23日(金)
いよいよ最終日。帰るだけの一日だ。朝から雨が降っていた。雨は夜半から降り出したらしい。干しておいた洗濯物がぐっしょりと濡れてしまって荷物を重くしている。8時半のバスを待ちながらバス停の傍で雨宿りをしていた。赤いマイクロバスが止まったが、何の行先表示もなくそのバスが路線バスだとは思わず、危うく乗り過ごす所だった。ともかく乗ってからそのバスでいいという事に気がついたのだ。

バスは15分位で佐良浜港に着く。9時の高速艇に間に合った。これに乗れれば飛行機の出発時間に余裕を持って空港に到着できる。船が平良港についた時には、雨は土砂降りになっていた。平良港マリンターミナルビルで雨が小降りになるのを待って、空港まで行くバスの停留所を探した見つからず、結局タクシーを利用して空港まで行った。

タクシーの運転手が言うには「宮古島では梅雨明け以降1度も雨が降っていない。スコールのような一時的な雨は降るが、そんなものはたいして役に立たない。本格的な雨が降るのは1ケ月ぶりだ。これで少しは作物への水補給ができる」

宮古諸島004_convert_20100726191009 宮古空港ターミナル

帰りの便は接続が比較的よく、乗り換え時間を含めて4時間5分で宮古から羽田まで行く。 
 11:00発  宮古空港  11:45着  那覇空港
 12:45発  那覇空港  15:05着  羽田空港

乗り換えの間に昼食をとろうと思ったが、食堂やレストランは4階にあり、一旦搭乗口待合室から出なければならない。あまり時間がないので、待合室周辺の立ち食いの沖縄そばで昼食を済ませた。那覇から羽田までは快晴で、宮古島の雨が信じられない。そして定刻15時5分に羽田に到着した。

しかし飛行機が空港に着くということと、地上に降りるということは違うし、搭乗口から京浜急行の羽田空港駅までがまたかなりの距離がある。京浜急行の電車に乗ったのは16時近くだった。飛行機は乗っている時間は短いが、その前後にかなり時間がかかる事が問題だ。遠距離ならいいが近距離だと新幹線などを利用してしまうだろう。茨城や静岡に空港を作って問題になっているが、利用者がいるのだろうかと思ってしまう。

一昨年は慶良間諸島の阿嘉島、座間味島、昨年は八重山諸島の石垣島、西表島、そして今回の宮古島、多良間島、伊良部島と幾つかの島巡りをしてきたが、あわただしく移動して動き回ってるといった感はぬぐえない。確かに船やバスでの移動も旅の醍醐味の1つかもしれない。しかし次回からは1つの所に落ち着いて島の風俗や文化に触れながら、ゆったりと滞在したい気分だ。それが可能な長期滞在できる場所を探そうと思っている。

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沖縄旅行・7日目 伊良部島、下地島

7月22日(木)
伊良部島で
伊良部島で過ごせるのは今日1日だけという事になる。明日の11時の宮古空港発の飛行機に間に合わさなければならないから、民宿前を8時30分に出るバスに乗る外ない。

伊良部島でどこに行くのか。海水浴場としては佐和田の浜、渡口の浜が案内書には紹介されていた。同行のY氏が宿泊客が色々書き込むノートを読んで、中之島ビーチがシュノーケリングスポットだと書かれていたという。そこに行く事にした。一通り島巡りをして、中之島ビーチで泳ごうということで、自転車を借りて出発した。

渡口の浜
最初にどんな所だろうということで、渡口の浜に行ってみた。長さ800m、幅50mにわたって真っ白な砂浜が広がる伊良部島の代表的な海水浴場だということだ。売店もありシャワーなどの設備もあり泳ぐにはいい場所だ。しかしここは見るだけで、西側の中之島ビーチに向う。

宮古諸島011_convert_20100726091431 渡口の浜

伊良部島から下地島に渡る橋からマングローブの林が見えた。下地島のサトウキビ畑は手入れが行き届いている感じだった。畑にはごみ1つ落ちていない。刈入れが終った畑はきっちと耕され、いつでも植えられる状態にある。サトウキビは1年半で収穫する。8月に植え1月に収穫する。

宮古諸島012_edited_convert_20100726091541 マングローブの林

宮古諸島015_edited_convert_20100726091716 中之島ビーチの岸壁の侵蝕された洞窟

帯岩
中之島ビーチに辿り着いたが、泳ぐ前に観光名所の帯岩と通り池を見に行こうということで、そちらに向った。帯岩の巨岩は1771年の大津波で打ち上げられたと伝えられている。大津波の際には木泊部落の住民は殆ど溺死し家屋は流失した。

岩の高さは12.5m、周りが59.9mもある巨岩で「オコスゴビジー」とも呼ばれ、この岩の中央がやや引っ込んでいて人間が帯を締めている姿に例えこの名が付いた。いつ頃か巨岩には民間信仰が起こり、大漁祈願祭のほか、航海安全や家内安全の祈願が行われるようになり島の守護神として定着した。

宮古諸島017_convert_20100726091816 帯岩

次に通り池に向った。しかし1つ手前の道を入ってしまった。そこは入江になっていて泳ぐ事が出来そうだった。中之島ビーチまで戻らずにここで泳ぐ事にした。右側に岸壁があり、その周辺がかなり深くなっている。その深みを囲むように岩棚があり、その岩棚を埋めるようにサンゴかなり生育していた。そこで1時間ばかり水中散策を楽しんだ。

通り池
入江に入る道を出て少し行くと通り池と書いた道標がたっていた。入口の周辺には広い駐車場があったが、車は2台しかとまっていなかった。飲み物を販売している車が店を出していた。入口から木々のトンネルを潜ってしばらく行くとエメラルド色の水をたたえた池が現れる。

池は中でつながっているが、空から見ると天然の石橋によって2つの池のように見える。龍の目玉とも言われ、池の大きさは海側が直径約75m、水深45m、陸側が直径55m、水深約25m。神秘的な池の色と独特な景観を呈している。また底は約10mの洞窟で外海とつながっており、そこを通って海面に出ることができる。

宮古諸島027_convert_20100726092057 陸側の池

宮古諸島028_convert_20100726092831 海側の池 

通り池から木橋を歩くと、その周辺には石灰岩が点在するカレンフェルトと呼ばれるカルスト地形が発達している。この風景は今まで目にした事がない珍しいものだった。通り池よりも木橋を歩きながら見る周辺の風景に感動を覚えるほどであった。木橋の先端には大きな穴があり、底は波が打ち寄せている。地形の希少性と、周囲に学術上貴重な植物が分布していることから、通り池は2006年に国の名勝及び天然記念物に指定されている。

宮古諸島036_convert_20100726092257 木橋の突き当たりの東屋

宮古諸島039_convert_20100726092359 

宮古諸島042_convert_20100726092710 広がるカルスト台地

宮古島では畑の中だろうが至る所に自動販売機があったがこの島にはない。入口の売店で何か飲むことにした。店の主人はベンチで昼寝をしていた。60過ぎの主人は飲み物を渡しながら言った。

「今は1時半頃だがあなた方が今日始めての客だ。40年近くこの商売をしているが、どんどん観光客が減ってきている。昔は車が駐車場に入りきらず外に行列を作っていた。この売店も焼き物なども出していたが、それが間に合わないほど客で込み合っていた。景気が悪くなって若者が沖縄に来なくなった。直行便もどんどん減らされた。ますます来づらくなる。今にホテルとかもつぶれる所が出てくるだろう」宮古島の観光も斜陽の影を投げかけられているのだろうか。

下地パイロット訓練飛行場

通り池を後にして戻りは、北側から、下地パイロット訓練飛行場を回って行く事にした。この飛行場は国内で唯一のジェット機のパイロット訓練場で、離陸・着陸(タッチアンドゴー)を連続して何十回も繰り返す大型ジェット機を間近に見ることが出来るということで飛行機ファンが見に来るという。滑走路の北の先端部の所にビデオとカメラを構えた男女のカップルがいた。

飛行場を回って南へ少し進むと、魚垣(ながき)の説明看板がある。魚垣は遠浅に石を積み、潮の干満を利用して魚を捕る方法である。構造は沖から岸に向かって積んだ石垣の出口に網を仕掛ける単純な漁法で、満潮時に垣内に入った魚は干潮時になると逃げ場を求めて出口に仕掛けた網に入るというものだ。

宮古諸島051_convert_20100726092600 魚垣

魚垣を後にして民宿に戻る。このような幾つかの観光名所を巡り伊良部島、下地島の自然を一渡り見て回ったというわけだ。特に通り池のカルスト大地の風景は印象深かった。

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沖縄旅行・6日目 多良間島、伊良部島

7月21日(水)
サンゴの群生している場所
宿泊場所の責任者に相談してみた。「どこに行ったらサンゴを見る事ができるのか」と。彼は言った「サンゴはリーフの外側に群生している。西側の海岸はサンゴ礁が狭くなっているので、干潮時であればほとんど歩いてリーフの外側まで行かれる」「リーフの外側は急に深くなっていたり海流が激しく危険ではないか」「リーフの外側に沿ってサンゴが群生しているのでそれ程沖に出ることはないし、急に深くなったりしていない。また海流が激しいということもない」

こういった話を聞いて、早速西側の海岸に出かけていった。リーフの外側に出るのが目的だからどこの海岸から入ってもいいということだ。最初は砂浜を歩き、その後岩盤の上を5分ほど歩くとリーフに近付く。そのあたりから岩盤が終わり、膝下位の水位になりサンゴが見えてくる。

西海岸のサンゴ礁

サンゴを踏まないように泳いでいこうと思うが泳ぐには浅すぎてサンゴでお腹をこすりそうだ。苦労してやっとリーフの外側に辿り着いた。リーフの外側の岸壁には全く荒らされていない豊富なサンゴの群生が魚の群れと共に目に入った。今まで八重山諸島や慶良間諸島のサンゴを見たがそれとは比較にならないものだ。

このような場所があったとは、聞いてよかったとつくづくと思った。多良間島ではろくなサンゴしか見られなかったと言う所だった。水中カメラがないので海の中を紹介できないが、写真でしか見たことのないサンゴと魚が目の前で見られるということは、この島に来たかいがあったと言うものだ。

宮古諸島056_convert_20100726090427 西海岸の様子

宮古諸島060_convert_20100726090924

ダイビングショップなどが企画しているシュノーケリング・ボートツアーなどでサンゴの群生場所に案内するが、この催行ポイントというのが恐らくリーフの外側なのだろう。こういった有料の企画に参加すればそれなりの所に案内してもらえるだろうが、自力でいけるのがいいのだ。

後で宿泊場所の責任者に「あんないい所があるなら“歩いて行けるサンゴ絶景ポイント”などと名をうってもっと宣伝すればいいのに」と言ったところ「宣伝すると観光客が集まってサンゴが荒らされてしまう」と答えた。宿泊者だということで教えてくれたらしい。

何時間でも見飽きずサンゴと魚の群れの間を泳ぎ回っていたかったが、次の目的地の伊良部島に向うフェリーの出発時間が14時なので海岸を後にした。

伊良部島へ

13時半に「夢パティオたらま」の職員がフェリーの出る普天間港まで送ってくれた。快晴の中で見るフェリーは行きの雨が降りそうな中で見た姿とは趣を異にしていた。船が出発し甲板には涼しい風が横切る。真っ青な空を反映してか、海はあくまでも紺碧に、雲は真っ白で、この色の取り合わせは抜群のハーモニーを奏でていた。

宮古諸島066_convert_20100726091044 フェリーたらまゆう

宮古諸島075_convert_20100726091213 普天間港埠頭

宮古諸島082_convert_20100726091321 

フェリーの出発予定時間は14時だったが、出発したのは14時30分だった。平良港に着いたのが16時45分で、平良港から伊良部島の佐良浜港に向う17時10分高速艇に乗った。佐良浜港から民宿のある市街地に向う最終バスの出発時間が17時25分と聞いていたのでそれには間に合わない。佐良浜港から宿泊場所「民宿まるよし」までタクシーを利用せざるを得ない。伊良部島の玄関口としての港は東端にあるが、市役所など町の中心は西端にある。宿泊場所の民宿も西側にあり、島を横断する事になる。

「民宿まるよし」は1階で郷土料理の飲食店を営んでいて、夕食はそこで好きなものを注文する事になっている。かえってこういった方がいいかもしれない。この店は「九州・沖縄味の100選」に選ばれたと書かれたのぼりが入口に立っていた。確かに料理の味付けや盛り合わせ、刺身の鮮度など申し分のない味だった。

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沖縄旅行・5日目 多良間島

7月20日(火)
北側の海岸
今日は泳ぎを中心に組み立てる。いい所があればずっとそこで泳ぎ、そうでなければ幾つかの場所を移動する。最初に唯一の海水浴場である「ふるさと海浜公園」の海水浴場に向った。ここには休憩室、シャワー、トイレ、自動販売機などの設備がある。

宮古諸島173_edited_convert_20100725203519 海浜公園のあずま屋とシャワー室

道路を渡ればすぐ海だ。しかし海岸は遠浅で、最初が砂地、それから岩棚になっていて行けども行けども水は足首の辺りまでしかない。ここでは泳げないということで場所を移動する事にした。

次の候補であるパンフレットにあった「白砂の美しいウブドゥマリトゥブリ」に向った。海浜公園からは5分位なものだ。ここは白砂の浜が広がり、また海の中の奇岩がアクセントを与え独特の景観を作り出している。ここも遠浅でなかなか泳ぐ場所まで辿り着けなかったが、かなり沖まで行って、若干のサンゴが成育している海域まで到達した。しかしそれ程豊かなサンゴ礁には行き当たらなかった。

宮古諸島108_edited_convert_20100725203734 ウブドゥマリトゥブリの海岸

宮古諸島103_convert_20100725204412 

宮古諸島104_convert_20100725204518

北側の海岸線は皆こんなものだろうと思った。西側は飛行場だし、南側に回ってみようという事になった。島を北から南に縦断する。サトウキビ畑や放牧風景など島の生活を眺めながら自転車を走らすのも興味深い。飛行場線という道路を走り30分位で南側に着いたが、中々海岸に下りる道がない、海岸線を走りながら高穴線という道路とぶつかる所に、報恩の碑という矢印がありそこから海岸に出られるようになっていた。

報恩の碑と南側の海岸
報恩の碑というのは、1859年、宮城県宮古市から来た船がこの沖で座礁し、多良間の住民に救出された上に手厚く保護されたことが後世になって文書から明らかになり、宮古市から感謝の意味で送られた碑である。また碑の周辺には代々の宮古市長が訪問した印として市長の名が書かれた杭が建てられている。

宮古諸島115_edited_convert_20100725204621 報恩の碑

報恩の碑から海岸に下っていく。岩に囲まれた狭い海岸だった。海に出て見ると岩で寸断されているが浜は南側に広がっている。その海岸を取り囲むように杭が打たれている。恐らくその枠内で泳ぐようにという指示なのだろう。その枠内で泳ぐ他ない。サンゴは期待したほどのものはなかった。泳ぐための深さはあったのでゆったりと手足を動かし枠内をグルグル回った。どうもこういった枠は駕籠の中の鳥みたいで興ざめである。結局1時間位で引き上げる事にした。

宮古諸島118_convert_20100725205153 タカァナトゥブリの海岸

宮古諸島111_edited_convert_20100725205029

帰りは高穴線という道路を通った。左側が牧草地になっていて牛が草を食むのどかな風景を楽しみながら自転車を走らせた。村落に入り雑貨屋兼食糧品店でビールとインスタントの昼食を買ってコテージに戻った。

多良間島の史跡

村落を歩くと至る所に史跡がある。また琉球王朝文化の流れをくむ御冠船踊り(組踊りと古典舞踊)も演じられる豊年祭の「八月踊り」は国の重要無形文化財に指定されてるということだ。夕方の散歩で行ったのがピトマタウガムだ。ここは多良間島の八月豊年祭と八月踊りを挙行する聖域。中央に舞台があり、フクギとカジュマル、デイゴが立っている。

宮古諸島205_convert_20100725205505 ピトマタウガムの舞台

次に塩川御嶽のフクギ並木に行ってみた。約650mのフクギ並木が参道に続いている。また御嶽の周辺は暗闇が立ち込めているように太い巨木で覆われている。イヌマキ、テリハボク、リュウキュウコクタンなどの植物群は天然記念物になっているということだ。

宮古諸島133_convert_20100725205629 フクギ並木

宮古諸島134_edited_convert_20100725205740 塩川御嶽

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沖縄旅行・宮古と多良間の花

宮古島と多良間島で、散歩の途中撮った花の写真です。

宮古諸島203_convert_20100725171600  宮古諸島275_convert_20100725203013
 ハイビスカス                         ハイビスカス

宮古諸島210_convert_20100725174601  宮古諸島289_convert_20100725172143
 ハイビスカス                         グンバイヒルガオ

宮古諸島204_convert_20100725171711  宮古諸島274_convert_20100725171837
 アリアケカズラ                        ベニデマリ

宮古諸島269_convert_20100725172459  宮古諸島267_convert_20100725172300
 ブーゲンビリア                        ブーゲンビリア

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沖縄旅行・4日目 多良間島

7月19日(月)
平良港第2埠頭
9時のフェリーで多良間島に向う。1日一往復のこの船に乗り遅れたら、飛行機を利用する以外今日中に多良間島に行くことは出来ない。民宿からはタクシーを利用する外ない。どんよりと曇った天気だった。今にも雨が降り出しそうだ。

港までは15分位で着いた。大きなフェリーの乗客は数人しかいなかった。コンテナが岸壁にあり荷物を積み込んでいたがほとんどなかった。乗船する車も2台位だったようだ。これで採算が取れるのだろうかと思うが、この船は多良間島の住民にとっては物資を運ぶ命綱のようなものなのだ。

宮古諸島142_convert_20100724220440 フェリー「たらまゆう」

宮古諸島146_convert_20100724221105 平良港第2埠頭

宮古諸島150_convert_20100724221225 港の風景

船は岸壁を離れ沖に進路をとる。海岸線ある高層ビルが見える。平良港マリンターミナルビル、ホテルアトールエメラルド宮古島、ホテルサザンコースト宮古島などがどんどん遠ざかったいく。伊良部島と宮古島の間を通ったが、それぞれの島から橋が作られている来ている様子だった。船の針路の所を除いて橋脚が伸びてきている。

1425mの池間大橋、1690mの来間大橋を作り、池間島と来間島を結び、今度は伊良部島を結ぼうとしているのだろうか。30分ごとに伊良部島に向けて高速艇が出ているが、橋が出来たらどうなってしまうのだろうかと心配になってしまう。

夢パティオたらま
多良間島普天間港の桟橋には、今晩宿泊する「夢パティオたらま」の人が迎えに来ていた。宿泊場所にはフクギの林に囲まれた赤瓦のコテージが5棟ある。洋室の宿泊棟にはベッドルームが3室あり、共有のリビング、トイレ、バスルームがある。キッチンもあり、ちょっとした料理が出来る。リゾート地のコテージを思わせるしゃれた造りになっている。朝食、夕食は管理棟の食堂に行く。

宮古諸島215_convert_20100724221939 「夢パティオたらま」のコテージ

荷物を部屋に置いて、自転車で島内見学に行く事にした。島の西半分を回る位が丁度手ごろだろう。前泊港、ふるさと海浜公園、八重山遠見台、新多良間空港、嶺間御嶽の大アカギなどを見て回った。途中土砂降りの雨が降ってきた。南の島では急に土砂降りの雨が降りすぐに止むスコールのような天候に遭遇する。

八重山遠見台
多良間島は隆起サンゴ礁からなるため、島全体が平坦で山や河川はない。最高点は北部にある八重山遠見台の33m。島の周囲は砂浜に囲まれ、サンゴ礁が発達している。八重山遠見台は島で最も高い場所に位置し、展望台からは多良間島を360度見渡せる。隣には17世紀頃に船舶の往来の見張り台としてつくられた石積みの古い遠見台跡がある。遠見台の周辺は熱帯雨林の森を思わせるほど密集した木々が生い茂っている。

宮古諸島188_edited_convert_20100724221437 八重山遠見台と石垣の遠見台跡

宮古諸島185_edited_convert_20100724223427 八重山高見台から水納島方面

新空港から村の中心地に向う道路は、多良間空港線と名付けられている。なんでこんな道路が作られたのだろうと思うほど立派なものだ。幅広い車線、連なる並木、歩道も十分に取ってある。他の幹線道路の1.5倍位の広さはあるだろう。土地はあるのだろうが贅沢すぎる気がする。この道を20分ばかり行く間に車は2台しか通らなかった。

宮古諸島190_convert_20100725160328 多良間空港ターミナル入口

宮古諸島192_convert_20100724221715 道路脇に放牧されている

嶺間御嶽の大アカギと夕焼け

村に戻ってきて、ふと見ると案内のパンフレットで見かけた木があった。嶺間御嶽の大アカギだった。このアカギは御嶽の神木で、樹高13m幹周3.8mで沖縄の銘木百選に認定されている。アカギの横に鳥居があり、それを潜って、嶺間御嶽に行ってみると何と真新しいプレハブが立っている。通常神社の社殿だとそれなりの風格があるが、全くの普通の住居だ。建物の中には祭壇とかがあるのだろうが、外観は全くこだわらないということなのだろう。

宮古諸島197_convert_20100724223639 嶺間御嶽の大アカギ

夕食を終え散歩にでた。このあたりは日没が遅く19時30分頃だ。前泊港の突堤で夕焼けを眺めた。刻々と形を変える雲、それに合わせて夕焼けの光も輝きを変えていく。いつまで見てても飽きない自然の営みだ。

宮古諸島226_convert_20100724222048 前泊港から西の空

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沖縄旅行・3日目 来間島・長間浜

7月18日(日)
吉野海岸に行く予定だった。ここはサンゴが波打ち際まで点在し、沖合いまで出ればサンゴが密生していてシュノーケリングに最適と紹介されていた。また海水浴場としてシャワー、更衣室も整備されているとのことだ。

民宿のある与那覇からの行き方を調べたが、バスで行くとなると一度市街地に戻ってから行くほかない。バスも2時間に一本という状態だ。自転車で行く事も考えたが、吉野海岸まで車で空港から40分かかるので、それより遠い与那覇からだと車で1時間近くかかり自転車では到底行くのは無理だ。

長間浜

吉野海岸は諦めざるを得ない。宮古島の観光案内の地図にこれといった海岸には三つ星が付けられている。来間島の長間浜にも三つ星が付いていた。ここはサンゴも豊富で、クマノミの群生する場所があるということだ。

来間島の長間浜までなら自転車で30分少しでいける。ここに行く事にした。昨日とは別のルートで来間大橋を渡り、長間浜まで行く。海岸には人っ子一人いなかった。プライベートビーチのようなものだ。ここまでは観光客もあまり来ないのだろう。ここは前浜と同じように白砂の浜で1km続いている。伊良部島が遠景に姿を見せている。

宮古諸島245_convert_20100724215502 長間浜海岸

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宮古諸島257_convert_20100724220054 伊良部島方面

シュノーケルをつけ早速泳ぎ始めた。観光客が少ないせいか、サンゴは荒らされておらず、外海に面しているためか海水の温度が上昇せず、サンゴの白化現象も起こっておらず、十分に楽しむ事が出来た。案内にあったクマノミの群生地を探した。ついに見つけたといった感じだった。鮮やかなオレンジ色のクマノミが20~30匹泳ぎ回っている。至る所にカラフルな色彩を振りまきながら、特定のサンゴの周りを遊泳している。

ツヌジ御嶽

帰り道、大きな御嶽があった。ツヌジ御嶽といい市指定有形民俗文化財に指定されている。解説を読みながら中にはいっていった。「御嶽の由来によると大昔赤崎御嶽の祭日に出かけたが途中大雨にあい、途方に暮れて大岩のかげに雨宿りし晴れるのを待った。雨はなかなかやまず赤崎御嶽まで行けないので一計を案じ大岩にプーイ物を供え、その事情を大世の主に報告して帰路についた。それ以来雨宿りした岩を赤崎御嶽の神体として拝むようになった。」と記されてあった。

サトウキビ畑の間に延々と続くコンクリート道を、昼下がりの強烈な日差しを受けながら走っていると、樹木に囲まれたひんやりと涼しい社があるとほっと一息できる。信仰心がなくてもおごそかな気分にさせてくれるものだ。

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宮古諸島263_convert_20100724215925 ツヌジ御嶽拝殿

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沖縄旅行・2日目 伊那覇前浜、来間島

7月17日(土)
ホテルから民宿へ
今晩泊まる民宿は伊那覇というバス亭の近くにある。この方面に行くバスは平日は7時30分があり、次が11時となっている。土日祭日は7時30分の通学用のバスはない。ホテルから歩いて15分位の共栄バスターミナルから出ている。急ぐ旅ではないので11時のバスで行く事にした。タクシーばかりでなく、バスは旅の雰囲気を与えてくれるからなうべくバスを利用したい。

11時にバスターミナルから丁度4台のバスが出発した。その時の乗客は我々2人と、隣のバスに乗った恐らく病院にいくおばあさん2人だけだった。ほとんどマイカーで動くので、バスの利用者は、朝夕の学生と病院に行く年寄りだけと民宿の人が話していた。学生も大部分は自転車で通っているので利用者は本当に少ない。利用者が少ないと、バスの本数が減る。するとますます利用者は減って行く。

結局与那覇に着くまで、一人も乗客は乗らなかった。ノンストップで走り20分位で与那覇に着いた。民宿の名前を言っておいたので、与那覇の停留所の大分手前で下ろしてくれた。民宿で宿泊手続きをして、予定の前浜に出かけた。歩くと30分位かかるというので自転車を借りて出発した。真昼間の炎天下を30分歩くのは辛い。

与那覇前浜
途中東急リゾートとの分かれ道がある。海岸は海水浴場として整備されている。食堂、シャワー、更衣室、トイレなど完備されてる。ビーチパラソル、ビーチチェアー、マットなどの貸出も行っている。

与那覇前浜は7kmも真っ白な砂浜が続き、東洋一の美しさと言われている。青い海の向こうには来間大橋や来間島も望める。浜辺に立つとその美しさに見とれるほどだ。土曜日だということとと、宮古島で1番人気のビーチということでかなりの人手が予想されたが、10数人が食堂の前の浜にいるだけで、少し外れると誰もいない、静かな海だ。

宮古諸島286_convert_20100723223541 来間島方面

宮古諸島297_convert_20100723223820

宮古諸島300_convert_20100723230215 来間大橋方面

暑いのでともかく海に入った。最初からシュノーケリングをしようとは思ってはいなかった。ゆったりと静かな海で泳ぐのもいいだろう。しかし泳ぐのと昼寝をするだけだとどうしても時間が限られてしまう。2時間ばかり浜にいて、シャワーを浴び、食堂でビールとつまみで腹ごしらえをしてまだ時間が早かったので、来間大橋まで行ってみようという事になった。

来間島(くりまじま)
宮古諸島328_convert_20100723224021

大橋のたもとまで来ると今度は渡ってみようということで渡り、次は前浜から見えた展望台に行こうという事になった。結局前浜から30分以上の自転車の旅となってしまった。展望台は竜宮城展望台という名が付いていた。来間島の全景が見渡せる。また前浜、東急リゾート、来間大橋などの眺望が広がっている。

宮古諸島330_convert_20100723225249 竜宮城展望台

宮古諸島337_convert_20100723224412 前浜、東急リゾート方面

宮古諸島338_convert_20100723224221 来間大橋方面

展望台の下は茶店と休憩所になっていて、茶店ではマンゴー、ドラゴン、パッションフルーツなどがカットされ売られている。果物として食べるだけでなくそのジュースも販売されていた。珍しいのでドラゴンジュースを飲んでみた。赤ワインの色をして、カクテルのような雰囲気がした。

民宿津嘉山荘
「サトウキビ畑に囲まれたスローライフ・スローフードの宿です。自家製の無農薬野菜、島産の元気な食材をふんだんに使った郷土料理と、知る人ぞ知る宮古の有名人、千代ちゃんの「あの」笑い声で、心も体も栄養満点。じっくりと時間をかけて作る特製のラフティー(豚三枚肉の煮込み)は、農林水産大臣賞を受賞した本物の味。」とホームページに紹介されいる。

素朴でアットホームな民宿らしい民宿だ。千代ちゃんという女将さんが人懐っこく誰にでも話しかけてくる。夕食はテーブルが一杯になるほどの人数だった。20人近くいた。泊り客はそれ程多くない。ここの郷土料理を食べに来た食事だけの客なのだろう。

ともかく夕食のメニューがすごい。10数種類がテーブルに並ぶのだ。食事前にビールを飲んでしまったので結局全てを食べ切れなくて残念な事をした。ほとんど野菜なので健康にはいい。ちなみに夕食の料理を紹介しておこう。

黒小豆あずきのゆで汁とシークヮーサーの食前酒(ノンアルコール) ・ゴーヤサラダ ・アロエのお刺身 ・もずく酢 ・ラフティー ・島野菜の天ぷら ・ジーマミ(ピーナッツ)豆腐 ・パパイヤチャンプルー ・島らっきょう ・芋くず(紅芋のペースト)その外2、3品、そしてこれにご飯と味噌汁が付く。

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沖縄旅行・1日目 宮古島

7月16日(金)
羽田から宮古へ
品川から京急エアポート快特を利用すると羽田空港駅まで17分でいける。しかしこの列車はあまり本数がない。羽田から宮古まで利用した航空便は次の様なものだった。宮古までの直行便だと3時間05分で行ける。だがこの便はJALの1便だけだ。以前はもっと直行便があったらしいが、利用者が少なく今では那覇で乗り換えるのが普通になってしまっている。那覇と宮古を往復する地元の利用者は多いが、東京から宮古まで行く観光客は減っているということだ。

   11:40発  羽田空港 14:10着  那覇空港
   15:35発   那覇空港   16:25着  宮古空港

那覇空港で1時間20分待ちという便だった。止むを得ない。宮古空港で市街地行きのバスを探した。バスの出発時刻は17時05分だった。宮古空港着の飛行機がそれ程あるわけではないのに、その便に合わせるように運行計画がされていないらしい。市街地までそれ程の距離ではないのでタクシーを利用した。宿泊場所のホテルピースアイランド宮古島は街のど真ん中にある。

ホテルは地上9階建。今年の3月にオープンしたばかりだ。安いビジネスホテルだとツインの場合、ベッド2台をどうにか置いてあって他に空間は殆どない。このホテルは部屋に入ると広々とした感じだ。書き物机があり、またテーブルが置いてありそこで食事をしたりする事も出来る。またバイキング形式の朝食が付いているというのも嬉しいサービスだ。オープン記念といったことで、旅行会社との関係を深めるためにかなり安く提供しているのだろう。

宮古島市内散策
ホテルの部屋で一休みしてから街の散策に出かけた。ホテルの前の通りが西里大通りで、多分宮古市一番の繁華街だろう。どちらかというと港に向う方向で右側が飲食店、居酒屋系統が並び左側にはファミリーマートやスーパー、商店が並んでいる。多良間行きのフェリーが第2埠頭から出るというので見に行った。多良間海運のカーフェリー「たらまゆう」は2007年に就航した新しい船だ。1日1往復する。多良間から戻った船は埠頭に停泊していた。

宮古諸島351_edited_convert_20100723230912 港から市役所に向う道路

港から市役所に向う。市役所の隣に住屋御嶽(すみやーうたぎ)がある。祭神は「男神、根入りやあろうふむ真主と唱ふ。」根間の里の御嶽、学問・出世の神と記されてあった。我々の周りでも至る所に神社はあるが、沖縄では御嶽と呼ばれ同じように様々な所で見られる。

宮古諸島353_convert_20100723222914 住屋御嶽

遠くからでも目立つ宮古島市役所は5、6階建ての堅牢な建物であった。正面から見ると上部の四角い出っ張りがロボットの顔のように見えた。地方都市に行くと、県庁や市役所の豪華さに驚かされる。これほど立派で、大きな建物が果たして必要なのかと、税金の使い道はもっと別の所にあるのではないかと思う。地方財政の逼迫が言われて久しいが、バブル期の散財のつけが今になって住民に大きな負担を強いる事になっているのだ。

宮古諸島355_convert_20100723223241 市役所正面

市役所からまた西里大通りに戻り、居酒屋を物色しながら、適当な店に入る。奥行きが結構広く、カウンターの他に7、8人座れる席が10ケ所ばかりある。居酒屋で1時間ばかり飲んでいるといつの間にか全ての席が埋まっている。金曜日だということもあるのだろうか。一体どこからこんな人数が湧き出してきたのだろうかと思う。観光客ではなく地元で働く人達のように思える。街にはあまり人影もなくさびれた閑散とした雰囲気だった。工場や会社が周辺にあるようには見えなかったがそれでも働く場所はかなりあるのかもしれない。

宮古諸島357_edited_convert_20100723223400 西里大通り・飲食店街

宮古諸島279_convert_20100723223050 朝の西里大通り

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沖縄旅行・宮古諸島

7月15日(木)
明日から毎年恒例のY氏との旅行に行く。今年も目的地は沖縄だ。一昨年は慶良間諸島に行き、昨年は八重山諸島に行ったので、今年は宮古諸島に行く事にした。病気になってからどうも海外に行くのには抵抗がある。何かあっても国内だと言葉の問題も含めて安心だ。Y氏の方は、沖縄のフアンなので丁度いい。

国内ツアーの格安パックは航空券とビジネスホテル一泊付の料金で、通常の航空券片道位の値段である。しかし飛行機の時間は指定できない。空きのある時間帯の航空券を手配する。必然的に11時から13時位までの飛行機となる。今回の例を見ても分るように往きの日と帰りの日はそれだけで終ってしまう。2日間がつぶれてしまう。安いにはそれなりの理由がある。時間がない人は利用できない。

photo3_convert_20100715164110.jpg 与那覇前浜ビーチ

旅行スケジュール
7月16日  11:40羽田発、那覇乗換え、16:25宮古空港着
        ホテルピースアイランド宮古島泊
7月17日  与那覇前浜ビーチ
        民宿津嘉山荘泊
7月18日  吉野海岸
        民宿津嘉山荘泊
7月19日  9:00平良港発フェリー、11:00多良間島普天間港着
        村営・夢パティオたらま泊
7月20日  ふるさと海浜公園等
        村営・夢パティオたらま泊
7月21日  14:30多良間島発フェリー、16:30平良着
        平良発、伊良部島まで高速艇で10分 
        伊良部島民宿泊
7月22日  長山浜等
        伊良部島民宿泊
7月23日  宮古島平良港に戻る
        11:00宮古空港発、那覇乗換え、15:05羽田着

旅行のためブログの再開は7月24日以降になります。 

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オルセー美術館展「ポスト印象派」

7月14日(水)
東京ミッドタウンと国立新美術館

六本木の国立新美術館で開催されているオルセー美術館展に出かけた。「ポスト印象派」と表現されているが、以前は後期印象派と言われていて、馴染みの深い画家の作品が一同に会し見る事が出来るという貴重な機会だ。

オルセー美術館の主要な作品が海外で展示されることは二度とないだろう。今回オルセー美術館が改築のため休館するという事があったため実現したものである。今まで画集でしか見られなかった貴重な作品の実物を見られるという。既に開催から2ケ月たちそろそろ空いているだろと思った。

地下鉄の六本木で下車し地上出ると、目の前には東京ミッドタウンの高層ビルが空をおおっている。昔の防衛庁の建物の印象が強かったので、全く違った場所に来たような錯覚に襲われる。

国立新美術館014_convert_20100715132039  国立新美術館002_convert_20100715132224

全ての街が同じような建築様式で高層化され小奇麗に装飾されて、均一化された無機質の面白みのないものに変えられていくのを止める事は出来ないのだろうか、とふと思ってしまう。

国立新美術館は2007年に出来たばかりだ。上野に幾つもの美術館があり、竹橋に国立近代美術館がありこれ以上美術館が必要かとも思う。箱物つくりは日本の政治家や官僚が好むのは分るが、これだけ美術館があると、それぞれの展示物の内容を恒常的に充実したものとして維持するのが難しいのではないかと思う。そういった思いはあるが、いい出し物があれば見には行く。

国立新美術館012_edited_convert_20100715131732  国立新美術館008_edited_convert_20100715131914

平日の午前中だったので混んでないだろうと思ったが、何と20分待ちだという。長い列が1階ホールに出来ている。20人位ずつエスカレーターで2階の展覧会場入口まで案内される。会場内もかなり混んでいてゆっくり1つの絵を集中して見ているといった雰囲気ではなかった。1時頃展覧会場を出る頃には誰も並んでおらず、すぐに会場に入れる状態だった。午後に来たほうがよかったのかもしれない。

オルセー美術館展
展覧会の案内には次のように書かれていた「本展は印象派を起点にして、19世紀終わりから20世紀初めにかけての絵画の諸相を一堂にご紹介するものです。時代の精華ともいうべき名作の数々を通じて、ポスト印象派世代の果敢な挑戦と、彼らが残した豊穣な遺産に、新たな眼差しを注いでいただけましたら幸いです。」

今回はモネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴーギャン9点、ルソー2点をはじめとする絵画115点が、オルセー美術館からごっそり来日したというから、これだけの優れた絵画を1度で見られる機会はめったにないだろう。

今回出展されたのが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラといった画家たちの絵で、これらの作品を通して、印象派以降絵画はどのように変遷をとげ現代絵画に至るのかその道筋を示しているものであった。

20100127_1378931.jpg彼らの絵は、確かな形態描写、堅固な構図、鮮やかな色彩、観念的なものへの志向などを通して、印象派の関心の外にあった傾向を復権し深化させ、20世紀初頭の前衛美術の登場を促すものであった。その過渡ゆえの迷いと苦悩が筆致の中に現れている。

展覧会は10章に分かれ、印象派から現代美術に至る経過を明らかにする絵画を展示している。
第1章 1886年-最後の印象派  モネ、ドガ、シスレー、ピサロなど
第2章 スーラと新印象派 スーラ、シニャック、ピサロ、レイセルベルへなど
第3章 セザンヌとセザンヌ主義  セザンヌ、ドニ、ゴーギャン、ピカソなど
第4章 トゥールーズ=ロートレック  ロートレックの作品3点
第5章 ゴッホとゴーギャン  ゴッホ、ゴーギャン
第6章 ボン=タヴェン派  ベルナール、セリジェなど
第7章 ナビ派  セリュジェ、ドニ、ヴュイヤール、ボナール、ヴァロットン
第8章 内面への眼差し モロー、ルドン、ヴュイヤール、ボナール、ドニなど
第9章 アンリ・ルソー  ルソーの作品2点
第10章 装飾の勝利  ドニ、ルセール、ヴュイヤール、ボナール

印象派の影響を受けながら新しい絵画の可能性を模索した画家たちの軌跡が、展示会の会場を歩きながら堪能する事が出来る。しかし何といっても写真でしか見たことのない馴染み深い絵を、間近で見られるということは、何にも増して貴重なことだ。

特にゴッホの「自画像」や「星降る夜」をみて感じた。カンヴァスに重ねられた絵の具の厚み、筆致の力強さは本物の絵を見ない限り分らないだろう。絵を見ながらゴッホがどのような気持ちで筆を運んでいたのかを想像できるような気すらさせる程、彼の絵は見る人に心に訴えかける多くのメッセージを発していた。

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奥田英朗 『イン・ザ・プール』

7月11日(日)
30975452_convert_20100710230308.jpg 『イン・ザ・プール』は奥田英朗の伊良部シリーズ3部作の1作目だ。2作目の『空中ブランコ』は直木賞受賞作となった。最初に『空中ブランコ』の方を読んだ。

主人公は伊良部総合病院神経科の精神科医・伊良部一郎、35歳。伊良部総合病院の息子で色白でデブでマザコン、注射フェチ、来た患者全てに毎回注射する。彼が、無愛想だがセクシーなナース服に身を包み露出狂気味の看護婦マユミと繰り広げる痛快な物語である。

『イン・ザ・プール』は5つの物語で構成されている。出版社勤務で不定愁訴(ストレス性の体調不良)からプール依存症になる男をはじめ、陰茎強直症になってしまった商事会社勤務の男、ストーカーに追い回されていると思い込んでいる被害妄想(自意識過剰)のコンパニオンの女、携帯電話依存症の高校生、確認行動の習慣化(強迫性障害)のルポライターが登場する。

現代社会に生きていれば様々なストレスに遭遇する。最初は様々な身体疾患として現れるが、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与している。人によっては心身症、不安神経症、強迫神経症、適応障害などの精神疾患として現れる。

しかし伊良部医師は言う「ストレスの原因を探るとか、それを排除する工夫を練るとか、そういうの、ぼくはやんない。つまりストレスなんてのは、人生についてまわるものであって、元来あるものをなくそうなんてのはむだな努力なの。それより別のものに目を向けた方がいいわけ。心身症なんてのは神の采配なんだから、自分じゃ抗わないこと“なすがままに”がいちばんなんだから。」

 おかしな病気で悩む人々が伊良部総合病院の薄暗い地下室の神経科にやってくる。おかしな病気といっても本人にとっては深刻だ。しかし、伊良部医師の治療はあまりにも突飛だ。患者と一緒になって、患者の悩んでいる出来事を一緒になってやる。患者は真剣だが、伊良部は遊びの感覚で楽しげに行う。それを一緒にやっている患者は、彼のあまりの暴走ぶりに、病気で悩むことに馬鹿馬鹿しくなってしまうのだ。なんでこんなことで悩んでいるのだろうと思ってしまう。

こういったやり方は彼の意図的な治療なのだろうか。むしろ彼の生まれつきの性格なのだろう。神経は図太く、遠慮知らず。破天荒な性格。規範や道徳に縛られない。他人の思惑など気にしない。プールで好きなだけ泳ぎたいからと、窓ガラスを割って不法侵入を試みようとするなど思ったことは何でも実行に移す主義だ。

こういった生き方をしていればストレスなどは溜まらない。このような伊良部の生き方にいつの間にか患者は感化され、そのうちに、段々と彼の生き方をまねていくことによって徐々にストレスから解放されていく。

 こんな精神科医いないと言いたくなる支離滅裂な医者なんだが、それでも、不思議なことに患者の悩みは解決してしまう。それを通してこの本を読んでいると些細なことに悩むのが愚かしく思えてくるほどなのだ。

被害妄想のコンパニオンに伊良部は言う「一目で被害妄想だってわかったよ。でもさ、そういう病って否定しても始まらないからね。肯定してあげるところから治療はスタートするわけ。眠れない人に眠れって言っても無理でしょ。眠れないなら起きてればいいって言えば、患者はリラックスするじゃない。結果として眠れる。それと一緒」

彼の被害妄想の患者の治療法は、まず患者と一緒になってストーカーの撃退方法をあれこれ考える。そういった関係を築き、被害妄想が拡大していくことの中から本人の自意識過剰が問題だということに気づかせていくのだ。本当は簡単なことだ。コンパニオンを辞めさえすればストーカーは消え去るのである。しかしそれを医者が言っても否定されるだけだ。本人が気づくほかない。

 人を深刻にさせない天性のキャラクターを持つ伊良部は、精神科医が天職なのかもしれない。常識が一切通用しない。彼を見ていると患者は自分のほうがましかなと思ってしまう。

現代社会でぎりぎりと頑張り続け、ストレスに苛まれ精神に異常をきたしてしまいかねない現代人の置かれた状況がある。これに対して、伊良部医師のやり方は、無駄な抵抗は止めて世の中適当に、いい加減に生きていく事も出来るのだ、その事を自覚すれば病気はさっさと退散してしまうだろう、といったメッセージを強く感じさせる。

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入谷鬼子母神と朝顔市

7月7日(水)
入谷の朝顔市
点滴が終ったのが3時過ぎだった。病院を出て遅い昼食を食べ田端駅のホームに立った時には4時だった。これからどこかに行く時間としてはかなり遅い。昨日新聞に入谷の朝顔市の事が書いてあった。最寄り駅は鶯谷か入谷だ。鶯谷駅なら田端から10分もかからない。小雨がぱらついていたが、行ってみる事にした。

勤めていた足立区の流通センターから浜町の本社に行くには、五反野から日比谷線に乗る。入谷は通り道だが朝顔市には行った事がない。3日間という限られた日なので目的意識的に行こうと思わない限りそう簡単にやっている日に通るという偶然があるわけはない。

例年、朝顔市は七夕の前後3日間(6日、7日、8日)に入谷鬼子母神の境内と周辺の商店街で開催され、下町の夏の風物詩として定着している。寺院を中心として、入谷から鶯谷駅に向う言問通り沿いに120軒の朝顔業者と100軒の露店の屋台が並び、2万鉢の朝顔が売られている。毎年40万人の人出で賑わう。

朝顔市は江戸時代末期に始まった。大正期に一時途絶えたが、地元住民らが戦後、1948年に復活させた。

鶯谷駅の上野寄り改札口を出る。駅前の広場は朝顔市の雰囲気を盛り上げようとポスターや朝顔の鉢植えや提灯、横断幕などで飾られている。駅から坂を下り言問通りに出る。しばらく行くと金杉通りと交差する。この金杉通りから日光街道・日比谷線の入谷駅までの言問通り沿いの歩道に店がずらりと並んでいる。右側、入谷鬼子母神側には朝顔業者の出店が、左方には露天商の屋台が軒を連ねている。

平日なのにものすごい人出だ。もっとも平日しかやっていないのだが。すれ違うのもやっとだ。結構買っている人がいる。佐川急便とヤマト運輸の運転手が営業をしている。全国一律800円で買った朝顔を自宅まで送り届けてくれるのだ。

売れ筋は円筒形の支柱につるを巻き付けた「あんどん造り」のもので、大体どの店でもこれが主流だ。持ち運びできる丁度いい大きさだ。どの店でも一律1鉢2000円という手ごろな値段である。朝顔市のために何万鉢もの朝顔を丹精こめて育てる苦労は大変なものだろう。店員は皆いなせなハッピを着て呼び込みをやっている。

鬼子母神の境内は参拝の人で溢れているといった感じだ。朝顔市に来た人が当然寄っていくからだろう。この境内でも朝顔の販売をしていた。言問通りを入谷の交差点で道路の反対側に渡る。こちらは屋台が並んでいる。どこにでもあるお好み焼き、たこ焼き、豚や鳥の串焼きなどなど定番のメニューが揃っている。どちらかというと高年齢者は朝顔市の方に、若者と子供たちは露天商の屋台の方に集まっている感じだ。

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入谷鬼子母神
入谷の鬼子母神として知られている真源寺(法華宗本門流)は日融が1659年にこの地に法華宗本門流の寺院を開山した。下谷七福神の一つであり、また江戸三大鬼子母神の一つである。

「おそれ入谷の鬼子母神、びっくり谷の広徳寺(びっくりした)」など「おそれ入谷の鬼子母神」はいろいろ使われており、太田蜀山人の狂歌の「おそれ谷の鬼子母神(おそれ入る)、いやじゃ馬の水天宮(いやじゃありませんか)、志やれの内のお祖師様(洒落る)」という酒落言葉の中から出たものだそうだ。「うそを地の御門跡」(嘘をつく)などもある。

「おそれ入谷の鬼子母神」といった洒落言葉が生まれたエピソードがある。こういったエピソードの中にも江戸下町の情緒が滲み出て来ているような気がする。

「さる大名家の奥女中が腰に腫れ物ができてしまい医者に見放されてしまったが、入谷にある鬼子母神が大変御利益があると言うので、21日間の願をかけ満願の日の帰りに、橋でつまづき欄干のえぼしに腰を打ち付けてしまった事で、腫れ物の口が破れて膿が出てしまい、時をへずして全治した」とある。

これを江戸の中期狂歌師、太田蜀山人が聞き付け、その御利益に恐れ入ったと言うことで「おそれ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが江戸っ子の間で流行になり現在までも使われているということだ。

入谷朝顔市013_convert_20100707233752 入谷鬼子母神本堂

入谷朝顔市012_edited_convert_20100707233847 境内の朝顔市

入谷朝顔市018_edited_convert_20100707233944 境内の様子

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定期検診の日

7月7日(水)
今日はサリドマイド+MP療法によって骨髄抑制がどこまで進行しているか、それによってMP療法を継続できるかどうかを判断しなければならない。レナリドミドが使えるようになるまでしばらくの間、正常細胞に頑張ってもらいたいものだ。もっともレナリドミドも骨髄抑制があると言われている。抗がん剤と骨髄抑制は切っても切れない関係だ。

今日の予定としてはサリドマイドはじめ、バクタやフルコナゾール、オメプラールなど支持療法の薬を1ケ月分処方してもらう。ゾメタの点滴を行う。免疫グロブリン製剤の点滴に関しては、医者と相談して決めることになるだろう。

検査結果 
 IgM   2914(7/7)←3014(6/23)←3082(6/16)←2923(6/9) 
 白血球  1900←4200←3100←2900
 好中球  1100←2970←1890←2020
 血小板  12.4←6.0←6.2←6.3
 赤血球  320←315←315←314
 ヘモグロビン 10.7←10.3←10.3←10.1
 網赤血球   11←15←12←14

 CRP    0.55←1.03←6.42←1.54


IgMはいい塩梅に下がってきている。メルファラン(アルケラン)が効いたのだろう。しかしすぐにその影響が白血球の数値に反映してきている。6月23日から4日間服用したが、それが白血球数の半減という結果となって現れた。血小板数はベルケイドの影響で減少したが、最後の点滴をやってから1ケ月近くになるので回復してきたのだろう。

CRPは抗生物質製剤が効いたのか減少し正常値に近くなってきた。これで不可解な発熱はなくなるかもしれない。発熱の原因の本当のところはまだ分っているとはいえない。体内の細菌による感染症だろうという推測でしかない。

担当医が言うには、レナリドミドは、この病院では8月上旬までには受け入れの態勢が整う。しかし実際の処方は8月末になるだろうということだ。

担当医は、白血球も減ってきていることだし免疫グロブリン製剤の点滴はやった方がいいだろうと言う。反対する理由はないのでやる事にした。ゾメタで30分、免疫グロブリン製剤で2時間の点滴を行い、病院の滞在時間は6時間であった。

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人形町散策

7月3日(土)
久松小学校ので「いのちの授業」を終えた後、「人形町散策ランチ」をしようといった提案が6月末に行われたももの木の交流会での女性同士の話しで出されていた。昔勤めていた会社の本社が浜町にあったので人形町は通り道だった。どこかいい店を知らないかと聞かれた。確かにあの近辺は老舗があっていい店があるのは確かだ。

しかし昔本社に行って仕事を終えてから行く所といったら安い飲み屋だったので、老舗のグルメ好みの店等は全く行ったこともないし、どこにあるかも全く知らない。甘酒横丁も何回か通り過ぎたことがあるが、ただの通行路で、特に印象に残るような店があった記憶は全くないのだ。

また散策コースについては、中央区の観光協会のホームページで人形町・浜町エリアの名所・旧跡めぐりとして、小網神社→蛎殻銀座跡→玄冶店跡→谷崎潤一郎生誕の地→鉄造菩薩頭→震災避難記念碑といったコースが書かれていたが、一人で散策するならまだしも、皆でここを回ってもしょうがない。甘酒横丁を通って、水天宮にでも行く外ないだろうと答えておいた。

昔は名所、旧跡など全く関心がなかった。人形町について同じだ。ただの通り道でしかなかった。しかし最近は違ってきている。江戸時代、この地は歌舞伎小屋の中村座と市村座があった。また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。一般には人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされている。こういった歴史的な背景を考えてみると同じ風景も違って見える。

結局食事は甘酒横丁まで行くと混んでいる可能性があるので、久松小学校の傍のイタリアンレストランに入った。どちらかというとお喋りが目的なのだから、すいていて長時間いても文句を言われない所の方がいい。

食事と話を終え甘酒横丁に向う。退職金問題で頼んでいた弁護士事務所が甘酒横丁から人形町通りを突っ切ってしばらく行った所にあった。平日だったこともあって、それ程人が混んでいる事に出会ったことはなかった。ところが、甘酒横丁は、ぞろぞろと人が列を作って歩いている程の人波だった。会社が休みなので、久松小学校の周辺は閑散としていたが、甘酒横丁と、人形町通りは全くの別世界だった。

人形町001_convert_20100705124130 甘酒横丁

20~30人の行列が目に入る。ここは柳屋というたいやき発祥の店。東京「たいやき御三家」のひとつ。一尾ずつ焼き上げる、いわゆる天然物であるため、手間がかかり行列が長くなるそうだ。

御土産に人形焼を買って行きたいというので、重盛の人形焼の店まで行く。たっぷりの餡でぷっくりふくれた七福神の顔をあしらった人形焼。極薄の皮に包まれた餡は、北海道十勝産の小豆を使用している。またゼイタク煎餅は、たまごの風味たっぷりのやさしい味で、人形焼と人気を競う。ここもまた行列が出来ていた。20人位だろう。柳屋よりは待ち時間は少ないだろうと思って何人かが列に並んだ。

人形町002_convert_20100705124237 重盛の人形焼

何でこんなに人形町が混んでいるんだろう。土曜日だからだろうかと話していると、参加者の若い女性が『新参者』の影響でしょうと言った。『新参者』は東野圭吾の小説を阿部寛主演でTBSがドラマ化した。4月18日から6月20日まで、日曜劇場枠で放送された。ドラマで取り上げられた土地が名所になるというのは、NHKの大河ドラマなどでよく聞くが、人形町の混雑も『新参者』の影響ではないかといわれると納得できる。

人形町004_edited_convert_20100705124457 人形町通りのからくりやぐら

15分ばかり並び、土産に人形焼を買った。そこで2回分の福引の券がもらえたので福引場に行って、抽選器を回したが2回とも最下位で景品は50円だった。ここで今日の全てのスケジュールを終えて解散となった。半蔵門線の水天宮駅に向った。水天宮に寄ってみた。ここもかなりの人出だった。戌の日だったのだろうか。

人形町003_convert_20100705124404 水天宮社殿

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ももバー

7月2日(金)
 2ケ月一度のももバーの日だった。前回5月28日は夕方から発熱し37.4度まで上がった。寝る頃には熱は引いたが、とても出かけることは出来ない。一回休むと4ケ月ぶりになってしまう。つまり1年の3分の1が過ぎてしまう事になる。時間が経つのは、過ぎ去ってみると何と早いのだろうと思う。

今回のももバーで印象に残った話があった。ある病院で血液内科の医者が患者を心療内科に回した。患者は怒って心療内科の医者に文句を言った。患者は医療内容にひたすら文句を言ういわゆるモンスターペーシェントで、医者は困って心療内科に回したのだろう。心療内科の医者も困ってしまっただろう。

こういった問題は心療内科では解決できない。精神腫瘍科が幾つか病院で設置されてきている。がん患者の精神面をフォローするシステムの整備が求められている。がん治療と精神疾患の密接な関係にメスを入ない限り問題は可決しない。

埼玉医大の精神腫瘍科の大西医師が、がん患者の適応障害やうつ病について書いている。『がん患者の心を救う』に書かれていることは、その必要性を多くの医者が感じていながら、いまだ殆どの病院で実践されているわけではない。がん患者が抱える心の闇は深く暗い。

 ももの木のT医師によると、血液がんの患者は他のがん患者に比べて、精神疾患にかかる確率が低いということだ。

がんを告知された時の衝撃は全てのがん患者に共通のものではあるが、血液がんの患者は、一度にどん底まで叩き込まれる。まず生存率を言われ、余命宣告される。死と向かい合わざるを得ない。長期の入院を強いられる。休職中の家計といった経済的問題、長期休業での職場復帰への不安といった社会的問題に直面せざるを得ない。こういった精神的、社会的、経済的ダメージが津波のように一挙に押し寄せる。

しかしその衝撃と共に考える間もなく治療が開始される。抗がん剤による副作用に苦しめられる。こういった中で落ち込んでいる暇はない。精神的どん底から否が応でも立ち治らざるを得ない。

 手術が可能な臓器がんの場合、治癒の可能性はかなり高いし、医者もそう断言する。内視鏡の手術などもあり、手術が終って退院まで1ケ月位で済む。がん告知の衝撃はあったとしても精神的ダメージは少ない。しかし再発した時の衝撃は最初の衝撃が少なかった分強烈だ。ダメージが次々波のように襲ってくると人はそれに耐える術を失ってしまう。

つまり血液がんの患者の衝撃は強烈なのが一発襲ってくる。それを乗り切ればいい。ところが臓器がんで再発した患者の場合、衝撃は波のように何度か襲ってくる。一つ一つは小さくとも度重なると精神の根っこまで深く蝕んでいく。

こういった話をT医師はして、精神腫瘍科をもっと増やす何らかの運動をしなければならないと言った。

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築地周辺探訪

7月1日(木)
昼過ぎ、妹から電話があった。魚好きの友人が何人か夜食事に来るというのだ。魚にうるさい連中だということだ。どの道飲み会なのだろう。飲んでしまえばどんな肴だって同じだと思うが、女性同士の場合どちらかというとおしゃべりと食べる方がメインになるのでそうも言ってられないらしい。

築地の場外市場に買出しに行きたいから付き合ってくれということだ。活きのいい魚さえ買っておけばそれでメニューの半分以上は完成する。築地で買ってきたということに意味がある。時間はないわけではない。築地場外市場はよくテレビで放映されるのを見るが、実の所行ったことはないので一度は行きたいと思っていた。朝早く行かないと意味がないとは考えたが、昼過ぎでもやっている所はあるだろうと予想して出かけた。

家を出たら隣の家の屋根の上の雲の形が気に入って写真を撮りたくなった。真夏の空といった感じだった。今まで目的地の対象物にしか関心を持たなかったが、散歩写真の本を読んで、日常生活の様々な所に被写体があるという事に気がつき、そういった目で回りを見ると色々な光景が生き生きと立ち上がってくる。

松本楼002_edited_convert_20100701095227 ひつじ雲(高積雲)

築地本願寺
日比谷線の築地駅で降りると、目の前が築地本願寺だ。この寺院の正式名称は「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」というものだ。東本願寺と西本願寺が対立している事を聞いた事がある。

しかし最初の分裂は、家康が、かなりの勢力を持つ本願寺の力を二分し東西に分かつことによって、幕府の基礎を打ち固めようとしたことからのもので、浄土真宗の法義に食い違いが生じて東西に分かれたのではなかった。むしろ昭和になって大谷派を中心とした教義の違いから分裂が始まったといえるだろう。浄土真宗には浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗大谷派(東本願寺)など10派に分かれているということだ。

松本楼011_edited_convert_20100701001108 築地本願寺本堂

松本楼013_edited_convert_20100701001235

築地場外市場

築地本願寺の境内を横切って築地場外市場に行く。修学旅行の中学生の団体とすれ違う。彼らは中央卸売市場の見学に来たのだろう。やはり昼をかなり回っているので多くの店は閉まっていた。まだやっている魚屋もあったので、今日のお勧め品を何品か買って妹の役割は終った。

松本楼015_convert_20100701001402 築地場外市場の入口

松本楼021_edited_convert_20100701001625

松本楼018_edited_convert_20100701001459 場外市場の商店街、寿司屋が多い

松本楼019_edited_convert_20100701095338

妹と別れて築地場外市場をぐるりと回ってみた。市場の端に波除神社があった。市場の建物や倉庫に囲まれた中で、ここだけが木々に囲まれ静かな雰囲気だ。

波除神社

波除神社縁起:明暦の大火の後に4代将軍家綱が手がけた江戸東南海面埋立の最後の工事、築地海面の埋立は困難を極めた。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまう。
或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあった。それは立派な稲荷大神の御神体で、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をした。それ以来波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も萬治2年(1659)終了した。

松本楼027_edited_convert_20100701001736 波除神社本殿 

「お歯黒獅子」
は江戸時代に東都名物の雌の大獅子を祭礼で担ぐ様に、総漆塗り一木造で木彫。加賀獅子頭の名工と加賀の職人達の技により、紅色の肌地にお歯黒を施し金箔押しの巻き毛で腰高の姿に平成14年再興された。この雌を表す頭の宝珠の中に弁財天・市杵島姫命の御神像が収められている。

松本楼026_convert_20100701001846 お歯黒獅子の神輿 

月島、佃の高層マンション
波除神社から晴海通りの出ると右側の先に勝鬨橋がある。橋の向こうには右側に高級賃貸マンション「ブラザータワー勝どき」があり、左側の建設中の高層ビルも恐らくマンションだろう。その後ろに見えるのが再開発エリア・トリトンスクエアーで、ホール、イベント会場、商業施設、住宅で構成され、超高層オフィスが3棟も建てられている。

松本楼028_edited_convert_20100701001933 勝どき橋とブラザータワー

勝どき橋を渡って清澄通りを左に曲がると「大川端リバーシティ21」の高層ビル群が見えてくる。ここは31階~54階の超高層マンション8棟を中心とする大規模住宅群で、都心回帰の促進を図るため、石川島播磨重工業跡地の再開発事業として住宅市街地総合整備事業の整備計画に基づいて建築が進められたものである。

ひたすら超高層マンションができるが、超高層だけではなく超高額というのもおまけについてくる。買取だったら億の金が必要だし、賃貸だったら月100万円以上はかかるだろう。再開発というと聞こえはいいが、誰のための再開発なのか。大金持ちのためだけでしかないのではないかと思ってしまう。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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