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入院26日目(今後の治療方針)

2月28日(月)
 現在行っているDCEP療法(D=デキサメタゾン 、C=シスプラチン、E=エトポシド、P= シクロホスファミド・CPA)はかなり強烈だいわれた。しかしあらゆる治療をやって来てもはや残された治療法は限られてる。副作用としては腎機能障害と激しい骨髄抑制だ。

昨日担当医に聞いてみたところ、今まで経験した臨床例は2例しかないが、高熱の副作用は見ていない。今回はヘルペスウイルスが高熱を引き起こすことになった。いわば感染症である。次回同じ療法をやったとしても高熱が発するということが必ずしもある訳ではない。

 担当医は今後についての意見をいう。主治医も同様の考え方だという。もちろん患者本人が選択する問題だが、医者としての意見として述べた。今回の療法が終わり、白血球が増え体に異常がなければ退院する。その後通常の化学療法だと間をおかず、第2クール、第3クールと続け寛解を目指すが、造血幹細胞も弱っているし、体力的にも続けてやるのは賛成できない。あくまでも頑張るというなら医者は当然全面協力はする。

担当医としての考え方は、退院後外来で定期的に検査を受け、外で体を休め、どの位で再びIgMが上昇してくるか分からないが、一定の段階で判断し、再び入院治療を行う様にするのが一番いい方法ではないかと思う。定期的な入院生活を余儀なくされるが、体の負担からすれば連続した化学療法の繰り返しより、圧倒的に楽だ。一定の休薬期間を置くことによって、体力の回復と造血幹細胞の再活性化を図ることも出来る。

確かにその方法しかないだろう。しかし私の最大の問題はIgMの増加の速度だ。今回の療法で最終的にIgMがどこまで下がるか、そしてその効果がどこまで持続する全く未知の領域である。しかし今までの例でいくと、薬が全く効かなかった場合、これは休薬した場合も同じだろうが一月でIgMは約1000上昇する。

入院1ケ月、外での生活半年位だった問題はないだろう。しかいそうはいきそうもない。何らかの薬を服用してIgMの増加を抑え、抑えきれなくなったら入院するいう方法を取る他ない。そのつなぎの薬を何にするか、これが一番難しい問題だ。

 2月28日の血液検査の結果。
IgM 2673(2/28)ー6370(2/14)ー8400(2/2)
白血球 2100(2/28)ー700(2/25)ー400(2/23)ー300(2/21)
好中球 1170ー240ー130ー140
赤血球 279ー306ー284ー313
ヘモグロビン 9.2ー10.0ー9.4ー10.4
血小板   2.9ー1.7ー3.7ー2.0
CRP定量  0.81ー2.15ー3.31ー5.9


白血球と好中球が急激に上昇した。遅々として増えなかったが、増え始めると早い。これで血液内科病棟の厚い扉を踏み出すことが出来る。それより驚異的なのはIgMの下降の数値である。移植は別だが、化学療法一度でこれだけのIgMが減ったということは始めてだ。この数値がいつまで維持してくれるかが当面の最重要課題だ。血小板だけは相変わらず中々回復せず、金曜日に輸血を行っばかりだが、今日も再び輸血することになった。
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入院25日目(病院周辺の風景)

2月27日(日)
日曜日は病院でも穏やかに時間が過ぎて行く。全体的に落ち着いた感じだ。検査がないし医者の出入りも少ない。外出や外泊している人もいる。同じ病室でも一人外泊していて何となく静かだ。ただいつものように食事と検温は正確に繰り返される。昨日は朝から熱は36.5度から36.8度までの間に止まり、そのまま続くことを期待する他なかった。

 病室の窓からの眺望は、ちょうど180度開けている。周りに高い建物がなく高台に建てられいるので、見晴らしがいい。何ケ月も病棟から出られない長期入院の血液がんの患者にとって明るく、空が見え開かれた風景を眺望出来る環境にいるということは重要である。暗く寒々しく、ジメジメした病室にいるとやはり気分は落ち込んでいくだろう。

窓の左端には,日暮里駅前にステーションガーデンタワー(40階)とステーションポートタワー(25階)が見える。それぞれ2008年、2007年に竣工された。さらに右の方に視線を移すと、浅草方面を経てスカイツリーが見える。このタワーはどこからでも見えるので方向を知るのに役に立つ。上野方面で目につくのは、ルネッサンスタワー上野池之端だ。不忍池を見下ろす38階建てのタワーマンションである。

上野の右側には丸の内、六本木方面の高層ビルが遠く,少し霞みながら密集して建っている。この方面の高層ビルは、六本木ヒルズ(54階)、東京ミッドタウンタワー(54階)、赤坂Bizタワー(39階)、山王パークタワー(27階)、東急キャピタルタワー(27階)などがあり、次々と作られ新たな街づくりを目指している。

そこから南北線の本駒込方面に目を移すと、本郷通りに沿って建てられたマンションや貸しビルが隙間もなく並んでいるのが目にはいる。不忍通りもそうだが,道路際にせいぜい10階か15階建て位のビルがどんどん建てられ,街と道路の景観をどこも同じような色調に染めていってしまってるようだ。

本郷通りに並ぶビル群は屏風の様に列を作り、後ろ風景を遮断している。本郷通りをさらに駒込方面に向かって目を転じると、諏訪山・吉祥寺の広い境内が眼下に広がってる。窓からの景色は日暮里から吉祥寺の脇を通る本郷通りまでが俯瞰できる。

病室のからの風景
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 丸の内、六本木方面と本郷通りに並ぶビル

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 日暮里ガーデンタワー、ポートタワー ・ スカイツリー方面 ・ 田端方面(デイルームの窓から)


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入院23日目(白血球が上昇傾向にある)

2月25日(金)
 昨日のことだった。火曜日、水曜日と熱が上がらなかったので、このまま平穏な日々が戻ってくるのではないかと期待してていたが、そうはならなかった。あの強烈な熱の来襲といったことはなかったが、昼過ぎから徐々に熱が上がり始め、またゆっくりと下がって行った。
12:00 37.1度ー 14:00 37.4 度ー15:30 38.3度ー16:30 37.7度ー20:00 36.9度

こういった熱の出方だからか体への負担はあまりなかった、折角収まったと考えられた熱がまた登場したことは、これからの大丈夫だろうかとも思うが、病気というものは一進一退を繰り返しながらよくなるだから、熱も高熱から徐々に下がっていってやがて平熱が日常的なるだろう。

これで高熱が終わると思っていたが残念ながらそうはいかなかった。火曜日で収まったとの願望を,全く無視して,魔の時間14頃から始まっていたあの発作的な高熱が再燃した。突然体全体が震えだし、悪寒が全身を貫く。何時もの様に毛布をたっぷり掛け、その中で震えている他ない。1時間位経つと今度は暑くなり毛布は不要となる。この時熱はピークとなる。発熱した時ちょうど血小板の輸血をしていてそれが原因ではないかと医者は話したりしていたが、心配だからと抗炎症剤のステロイド、サクシゾンのー点滴をやった。
12:00 36.9度ー14:00 37.9度ー15:00 39.4度ー16:00 39.2度ー18:00 37.4度

 2月25日の血液検査の結果。
白血球 700(2/25)ー400(2/23)ー300(2/21)ー200(2/18)
好中球 240ー130ー140ー10
赤血球 306ー284ー313ー229
ヘモグロビン 10.0ー9.4ー10.4ー7.6
網赤血球 2ー2ー1ー3
血小板 17ー16ー15ー16
CRP 定量 3.15ー3.31ー5.92ー10.91

 白血球が700 になった。期待以上の上昇だ。先行きの展望が見えてきた。それに伴ってか、徐々に良くなって来てはいたが口内炎も治った。抗生物質も白血球の免疫力を借りて力を発揮できるだろう。それによって発熱を抑えることが出来るだろう。

今日からソルデムの投与がなくなった。一昨年500mlの半分になったが、今日全て終わりにする事にした。尿素窒素やクレアチニンの値もこの間基準値内に止まっている。今回の治療で心配された腎機能への影響も大量の水分補給で乗り切れたようだ。ヘルペスの薬ビクロックスも1日3回点滴していたが、バルトレックスの錠剤を朝晩2回服用することにして、点滴の薬を減らしてきた。

それによって、今点滴してるのは、G-CSFと抗生剤メロピンとバンコマイシンの3種類で3時間かかる。メロペンとバルトレックスは20時からも2時間かけて点滴する。それ以外は管を外し、点滴キャリーから自由になる。行くといってもトイレと洗面所位だが紐付きでないのは、何故か清清する。

 天気予報など病院の中にいたら関係ないはずだ。病室のビニールに覆われたクリーンベッドに基本的に居なければならず、そして血液内科病棟の入口を一歩も出ることが出来ない。しかし天気予報は大体見る。今日は暑いのか寒いのか雪が降るのか、雨が降るのかそれを知ることによって、厚い窓ガラスによって遮断された風景が色合いを持って実体化される。風景画はその絵の中に風や雨の音を表現し、草の香りや、暑さ寒さを描く。窓枠の中の形と色彩は多様な外装を身にまとって存在している。それをどの様にして感じ取れるのだろうか。

今日は日中19度まで気温が上がるようだ。梅の季節が通り過ぎて桜の季節が到来してしまったような暖かさだろう。そういった季節の移り変わりとは全く無縁に、病院の日常は何事も変わることなく日々の営みを続けているだけだ。

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入院21日目(突発熱は終わったのだろうか)

2月23日(水)
 昨日、先週の火曜日から続いていた、毎日2時頃襲ってくる突然の発熱がなかった。朝から17時頃まで36度代の熱で平穏に過ごせていた。18時頃から熱が上がり37度を越えたがそれ以上は上がらなかった。入院当初夕方になると微熱がでいたが、それと同じようなものだ。こういった状態であればかなり楽なのだ。

昨日だけではなく続いて欲しい。そうなれば最大の副作用高熱の連続した発熱は一定乗り切れたのではないか。予断は許せないが。そして今4時近くだがどうやら今日も昨日に引き続いて高熱に見舞われるこことな無事に一日を終えることができそうだ。

 21日、23日の血液検査の結果。
白血球 400(2/23)ー300(2/21)ー200(2/18)ー70(2/16)
好中球 130ー140ー10ー90(2/14)
赤血球 284ー313ー229ー233
ヘモグロビン 9.4ー10.4ー7.6ー7.9
CRP定量 3.3ー5.9ー10.9ー10.73
尿素窒素 16ー15ー16ー27

 入院した2月3日から、今日まで毎日24時間かけてソルデム3A(ブドウ糖など)1リットルを点滴し続けてきた。最初は腎機能を活性化するため、次は抗ガン剤を薄めるため、治療後は抗がん剤をいち早く体外に除去するため、そして、この間は発熱による脱水症状を防ぐためとひたすら体内に注ぎ込んで行った。

そのソルデムが今日から10時から22時までの点滴で今までの半分の500 mlに減量された。それがどういう意味を持つのか経験者にしか分からないだろうが、真夜中でもひたすら、供給される水分のため、3、4回トイレのために起きなければならない。確実に睡眠不足になる。朝起きてもしっかりと寝た気がしない。夜のソルデムがなくなるということは、そういった意味で睡眠にとって極めて重要なことだ。

 今回の療法における副作用で大きく違うのは内臓粘膜への影響が全くなかったということだ。抗がん剤に付き物の吐き気、下痢とは全く無関係だった。サリドマイドで便秘、レナリドミドで下痢などの副作用を経験した身としては、病院に入院して以降の方がはるかに腸の調子がいい。また出された食事も口内炎や発熱での食欲減退などはあったが基本的は全ての食事を美味しく食べることができた。

ともかく食欲があり、下痢に悩まされる事がなかったことが、かなり副作用全体を緩和しているのには間違いない。高熱と下痢が重なっていたらと思うと辛さは何倍にも感じるだろう。

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入院18日目(病棟内の規則)


2月20日(日)

 『神曲』の「地獄の門」には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書いてある。病院の入口にこんな事が書かれていたら笑い話だ。しかし血液内科病棟の入り口の内扉には「白血球1000以上、好中球500以上ない者はここから出る事を禁止する」と書いてあるのではないか。

骨髄異型性症候群で移植をし、寛解後3年以上経っているK氏が面会にきた。患者会の知り合いだ。それぞれの病院での患者会の様子を話しながら、最近入院中に経験した病棟からの外出について看護師の規則ずくめの状態について話したら、K氏はここぞとばかりに話に乗り自分の病院での経験を話した。

彼の入院していたR病院は、感染症対策に熱心で看護師管理もしっかりしている。彼は移植後GVHDもあまり激しくなく、移植病棟から血液内科病棟に移動した。しかしなかなか白血球の数値が上がらず、1000に届かずに長い間過ごす事になった。この病院の患者管理は徹底していて白血球1000以下の患者は病棟からは出られない。体調はかなり回復し元気なのだが病棟を出られない。彼はひょうきんな男で看護師の裏をかいて何度も病棟を抜け出し札付きになってしまった程だ。

彼は食事にうるさく、家族におかずを作ってきてもらったり移植前はよく食堂に通っていた。喫茶店でゆっくり本を読むのも趣味の一つだった。読む本がなくなると図書館に行って本を探し借りてきていた。そいった意味で行く所は限られている。食堂、喫茶店、図書館、売店、面会室位しかない。幾つかの話を紹介しよう。

¶ ある時は図書館まで探しに来て、あなたは病棟から出られない事になっていますと一言、投げつけるように言い立ち去って行った。

¶ 2階の売店で買い物したいと、許可を求めると白血球の数値の見て駄目です。配達してくれますから必要なものを所定の用紙にお書き下さい、と言われた。もちろんその後勝手に買い物に行ったのはいうまでもない。

¶ 40分ばかり食堂にいて病棟に戻って見ると。何時から待っていたのか看護師が病棟の入り口で腕を組んで立っていた。特に何かを言われた訳ではなかったがさすがすごいプレッシャーだった。

¶ 病棟入口を出たすぐ脇に自動販売機があり、薬を飲む水がなくなったので買いに行こうと思ったが、看護師がそれに何と答えるか、買いに行きたいがいいだろうかと聞いた。看護師は「私からはいいといえません。先生に聞かないと。ただ病棟の入口からは、出ては行けないことになっています。変わりに私が買ってきます。」と答えた。それは断って後で自分で買いに行った。

¶ 看護師の管理があまりにも厳しいとむしろ管理不行き届きになるのではないか。面会者と食堂に行ってコーヒーでも飲みながら話したいと思っても、白血球が少ないと駄目と一蹴されるに決まっているから、結局看護師にいわないで勝手に行く外ない。

¶ ある時隣のベッドの患者に田舎から80歳近くの母親を、娘(患者の妹)が連れて面会に来た。色々田舎の話をしていたが、昼になったので、母親が作って持ってきた手料理を食べよう、息子と同じテーブルで一緒に食事をしようと3人前作ってきた。病棟入口近くに面会室が4部屋ある、テーブル2台、椅子12脚置いてある。看護師に面会室に行くというと、患者に対してあなたは白血球が少ないから病棟を出られません。事情を話して理解を求めるが私としてはそういうほかありません。後は担当医に聞いて下さい。そう言って立ち去った。おれが横から口を出したらまとまる話もまとまらない。担当医に電話して見たらいいとアドバイスをしたが母親は、静かに首を振りもういいですと折り詰めの料理を息子に渡し病院を去って行った。規則というのは人を何処までも残酷に出来るものだということを改めて感じたとK氏は最後に語った。

 ミシェル・フーコーの「規律、訓練」・・・法が普遍的であり、また、否定的・消極的であるのに対して、規律・訓練は様々な場で緻密な、しかしそして全面的なそして積極的な、構成的な作用を及ぼす。近代社会についてもっぱらフーコーは契約・法律とは異なるものの重要性を指摘し「規律訓練」と呼ぶもの中で語る。それは監獄、学校、病院、軍隊の中に現れる。

不特定多数の集団社会を管理・支配するには、規則は必要だ。しかし一旦規則が出来上がってしまうとそれを遵守する事が義務付けられ、そこからの逸脱には懲罰が科せられる。組織の構成員はそれに従う外なく自分の判断力の入り込む余地などない。そこでは人間性も豊な情緒も温情も規則の遂行には邪魔な存在でしかない。

『かっこうの巣の上に』の看護婦長が、主人公のあまりにも自由で人間的で奔放な性格に対し日頃から苦い思いしていた。結局患者全員を喜ばせるため酒を持込みどんちゃん騒ぎを行なったが、そのままで泥酔し朝まで寝てしまい見つかってしまった。そして別室に運ばれて行ってしまう。病室に戻って来た主人公はロボトミー手術をされ、廃人化されてしまっていた。

血液内科病棟で働く看護師は、白血球1000以下の患者を病棟から出さないという規則に従う義務を負っている。その規則以外の判断材料を持っていけない。どんなに納得できる理由を聞かされてもロボットのように外出禁止しかいえない。「規律・訓練は様々な場で緻密な、しかしそして全面的なそして積極的な、構成的な作用を及ぼす」というものなのだ。


 病室でインターネットができないどうにかならないかと相談した所、息子がiPadを入院中貸してくれる事になった。これでインターネットの機能は確保できる。WMブログ連の方々のブログにもアクセスでき、コメントにも応答できる。ただパソコンに打ち込んだ文字はiPadに移動できず、iPadの文字配列はあいうえお順、abcd順、キーボード配列-ローマ字入力もあり文字入力はタッチパネル方式だそうで、一定の長さの文章を書くにはキーボードで慣れている者として難しいかもしれない。水曜日には持っていくということだった。

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入院17日目(発熱に翻弄されたの一週間)

2月19日(土)
2月18日の血液検査結果:
白血球 200(2/18)←70(2/16)←300(2/14)←2200(2/11)←3900(2/9)
好中球 10
血小板 1.5←3.2←3.3←5.1
赤血球 229←233←278←208
ヘモグロビン 7.6←7.9←9.4←7.0
尿素窒素 16←27←25

発熱:

2月14日から始まった今週は発熱の洪水の中を漂っていた感じだ。月曜日の夕方から37度を越える熱が出始めた。問題は火曜日だ。16時頃突然全身が震えだし歯がガシガシいい、悪寒が襲い震えが止まらず、立っていられない。横になり毛布を2枚にして電気毛布をかけひたすら耐える外ない。

それは一回で終るものではなかった。水曜日は午前中に、木曜日は午後に決まった時間はなくいつ起こるかわからない。パターンは同じで、震えと悪寒に襲われる。暖かくしてひたすら耐える。それは15分が20分位で終る。その後に高熱が出て体中が熱くなる。アイスノンの枕をする。

金曜日には悪寒、震えの発作は起こらなかったが、午後から殆どの時間38.5度以上の熱が出て寝ているほかなかった。今日(土曜日)は昼過ぎまで37度台で今日はこのままいくのではないかと思ったが、甘かった。14時頃突然、悪寒、震えの発作が襲ってきた。何時ものパターンである。発作後高熱になるが、すぐに解熱剤カロナールを飲んだので38.8度で止まjった。

この発熱で水曜日あたりから1ページの本も、1分のテレビも見る気力もない程は体力消耗は激しかった。1週間食事時間以外90%位寝ていたのではないか。一旦悪寒と震えの発作が始まると20分位止まらないが、その後1時間近くは寒さが続き何枚もの毛布をかぶっている。その後寒さが収まり暑くなってくる。タオルケット1枚で十分だ。その辺りから高熱が出てくる。解熱剤を飲んで横になって、4時間位経つとやっと熱は37度台まで下がり、落ち着くことができる。だから、この4時間の間に面会に来た人がいたとしても、折角だが全く対応できないだろう。

熱

抗生剤の点滴:
医者は抗生物質バンコマイシン、ヘルペスウイルスの薬・ビクロックスなど連日投与し続けるが一向に熱は収まらない。ビクロックスは何と1日3回9時、15時、1時に投与する。その外に最初は抗生剤マキシピームを使用していた。途中からメロペンに変えたがあまり変わりない。バンコマイシンとメロペンは1日2度朝晩点滴している。

G-CFF(ノイトロジンの連日投与):
そもそも白血球が今週になって300→70→200とあまりにも力不足だ、抗生剤だけでは細菌に太刀打ちできないのだろう。なかなか熱が引かない。たまたま好中球の値が測られていたが10ではあってなくても同じ位少ない。ノイトロジンを14日から毎日点滴しているが中々効果を発揮しれくれない。

連日の輸血:

火・血小板、水・赤血球、木・血小板、金・赤血球、土・血小坂(月曜日血小板輸血予定)よっぽど造血幹細胞の能力を過少評価しているのだろう。

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入院14日目(急な高熱に襲われる)

2月16日(水)
 昨日4時頃面会者と応接セットの所で話をしていた。何の前ぶれもなく突然体が震えだした。歯の根が合わない。悪寒が体中を貫き小刻みに揺れる。面会者はすぐに帰り、毛布とタオルケット両方かけても寒くて体が震え続ける。看護師が別の毛布と電気毛布を持ってきてかけてくれた。それで少しは震えが収まった。30分位悪寒が続きそれが収まると今度は暑くなって来る。タオルケットを一枚にしてアイスノンで頭を冷やす。

震え始めた時の体温は、38.6度だったこの位でも寒気で震えてしまうのか。熱は上がり続け夕方には39.9度までになった。カロナールをもらい、アイスノンの枕を枕に載せ寝ている外にない。

 15日
AM6 37.4 → PM1 37.2→ PM4 38.6→ PM7  39.9
16日
AM9 38.3→ AM11 39.4→ AM12 36.9→PM18 38.0→ AM1 37.1

医者はこの高熱に対して、血液培養にかけ原因を明らかにするため採血を二度行なった。そして抗生物質バンコマイシン0.5mgを連日点滴する。バンコマイシンは口内炎にも効果を持つという。さらに抗生剤マキシピームも追加される。また口内炎の悪化によってヘルペスウイルスが発生しているということでビクロックス250mgを毎日点滴する事になった。こういった、点滴が効を奏したのか、午後からは熱は38度代に落ちついた。

 口内炎は白血球が下がるにつれ悪化する。痛いのは2ケ所なのだが、口の中全体が腫れている感じで違和感がある。口腔外科専門医が指導に入る。柔らかい歯ブラシを渡されそれで磨くようにいわれる。磨く時に痛くないようにチミロカインビスカスという鎮痛軟膏を幹部に塗り痛みが収まったら、ノズレンを歯磨き粉の代わりにつけて歯を丁寧に磨く。その後ノズレンでうがいをする。

食事をする時もチミロカインビスカスを痛い所に塗ればそれ程苦労しなくても食事が出来る。食後は歯磨きノズレンのうがい、アズノール軟膏を患部に綿棒で塗りこむ。食事も月曜日から朝の主食をおかゆに、昼の主食をうどんに代えている。

 2月16日の血液検査結果

白血球 70(2/16)←300(2/14)←2200(2/11)←3900(2/9)←2000((2/7)
血小板 3.2←3・3←5.1←5.7
赤血球 233←278←208←240
ヘモグロビン 7.9←9.4←7.0←7.4
尿素窒素 27←25←21

白血球が70という数字は驚かされる。第1回移植時40という白血球の数字があったが移植は特別に強力な抗がん剤を使う。そもそも長い間酷使してきた造血幹細胞はかなり弱っているだろう。血球の回復時間もかなりかかるかも知れない。

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入院13日目(倦怠感の強まり、血小板の輸血)

2月15日(火)
 白血球減少や体力低下に伴って様々な副作用が出現する。全身の倦怠感は強まっているが、そこに発熱が足された。昨日の朝の36.9度から始まり、夕方には37.6度になり、朝は37.4度だった。この程度の微熱では普通だったら特に寝ているような事もないがやはり体全体の消耗感ですぐ横になりたくなる。

また血圧が下がってきた。今日の血圧の測定値は、高値の方が朝は83、昼は91、夕方最初左腕で測ったら70しかなかった。右ではかった87だった。80台からなかなか上昇しない。

 白血球減少が最初に兆候を現したのは、誰にでも必ずといっていい程経験する口内炎の出た。まだ白血球の数値が下がる少し前から、口の内側に歯型が付いているのを看護師が見つけ、うがい薬ノズレンを出してもらった。これを朝昼晩食事の前後と起きた時、寝る前の8回がうがいをする。また口内炎の患部にはアズノール軟膏を綿棒で塗りつける。

その外に5種類の眼圧降下の眼薬を点眼したり、3食後には眼圧降下剤ダイヤモックス+アスパラカリウムを飲む。朝食後は移植退院後服用し続けている、バクタ、フルコナゾール、ベザトール、オメプラール、コートリルを飲むなどと相変わらず薬付けだ。その外に点滴もある。

 倦怠感、発熱、低血圧これらが3つ重なり、ほかの血球にも問題があり、ずっと起きていられない。昨日は夕食と検温が終わった段階で、8時頃にはパジャマに着替えて寝てしまった。昨日まで日中はTシャツにジャージのズボンで過ごし、夜寝るときパジャマに着替えていた。

しかし体力の低下は日中起きて本を読んだり、パソコンを操作したり、映画やテレビを見たりする気力を奪ってしまった。東野圭吾の軽い小説でも一時間も読んでいると目が疲れてくる。しばらくは日中で寝ている時間が多いだろう。そういった意味でもはや着替えの意味がない。病人らしく元気になるまで、日中からパジャマで通す生活になってしまった。

血小板の数が3.3であった。通常まだ輸血はしないだろう。しかしこれ以降確実に減るのは分っている。午後から血小板の輸血を行う。入院していると月水金の3回採血を行う。血液検査の結果を見ながら、体の状態を知る事が出来るのでのきめ細かな対応が可能だ。

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入院12日目(IgMが減少した)

2月14日(月)
 今朝採血したIgMの数値が出た。6370であった。2月2日の血液検査では8400だったから2030減少したという事になる。期待以上効いたと言える。ある抗がん剤を使った化学療法が奏効するかどうかはやってみないと分らない。そして見事に効果を発揮したといえるだろう。今まで様々な抗がん剤治療を受けてきて、どこまで新たな薬が効くか全く不明であり、不安に満ちた治療であった。

最初の入院時、4クールやってきたVAD療法と比べて見ても2000の減少という数字はかなり大きな数値だ。今回の併用療法が奏効したということで、これ以降同じパターンで何クールか繰り返されるだろう。

VAD第1回(9470→7540 1930減少)
VAD第2回(7870→6340 1530減少)
VAD第3回(4700→2880 1820減少)→自己抹消血幹細胞採取
VAD第4回(4220→3970 250減少)→移植

 一方骨髄抑制が強まり、とりわけ白血球が驚くべき勢いで減少した。2月9日には3900あったのが、2月11日には2200、そして今日の結果として300という数値が示された。この数値は抹消血幹細胞採取の時に経験した最低値である。好中球の数値は測定されていないがおそらく0に限りなく近いだろう。

白血球減少に対して病院では次のような対応をする。
1、白血球が減少した患者のベッドの上部半分がビニールで覆われ、空気清浄機に囲まれた生活になる。基本的にはトイレとか風呂以外にはずっとその中にいなければならない。感染予防のためのクリーンベッドといった感じだ。
2、G-CSF・ノイトロジンを白血球が上昇するまで毎日継続的に点滴する。通院だと皮下注射だが、入院だと点滴になる。
3、食事が生禁食(生もの禁止)になる。生野菜が冷やした茹で野菜となり、納豆が出なくなる。その他メニューは全て火を通したものとなる。

クリンーベッド_convert_20110221095646 クリーンベッド

抗がん剤治療中はステロイドの影響もあってか、結構元気だった。治療終わり2,3日前から副作用の影響が出始めた。倦怠感に苛まれ、体力低下が進行している。横になると時間に関係なく眠くなってしまう。ステロイドを使用していた時はマイスリー(睡眠導入剤)を服用していたが、なかなか寝付かれなかった。今は10時前でも眠くなる。

 2月14日の血液検査の結果。カッコ内は2月11日分。
IgM 6370 (2/14)←8400(2/2)
白血球 300(2200)
血小板 3・3(5.1)
赤血球 278(208)
ヘモグロビン 9.4(7.0)
尿素窒素 25(21)

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入院11日目(久しぶりの晴れ)

2月13日(日
快晴は本当に何日ぶりだろうと思ってしまうほど久しぶりである。病院の中にいると外が雨でも雪でも寒くても関係ないわけではあるが、暗くどんよりとした風景の中に閉じ込められ、治療を受けるのは気分的にも落ち込む。

6時に起きてしばらくすると看護師が朝日が上がり始めている所だと教えてくれた。東の空が一面朱色に輝いている。水滴が窓を覆っている。長く降り続いた雨は空気を透明にする。遥か遠くまで、ビルの輪郭がはっきりと分るほどだ。曇り空の中に霞む姿しか見たことのなかったスカイツリーもここに来てから初めてくっきりと姿を見る事が出来た。

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病室を出て廊下に出ると廊下の突き当たりの西側の窓に富士山が見える。今は最上階が10階なので、ビルの陰に少し隠れてしまうが、昔は14階のエレベーターホールから周辺の峰々に囲まれたその全貌を見る事ができた。

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2006年10月に第2回目の移植をし、退院後半年位は体力の消耗・倦怠感に悩まされた。しかしその後の通院治療の中では、サリドマイドとベルケイドによる末梢神経障害による手足の痺れはあったが、日常生活に特別に支障をもたらすものではなかった。

移植以降特に副作用で苦しむことなく5年間を過ごす事ができたのは幸運だといわざるを得ない。そのために神社・仏閣・花の名所・各区の散歩コースなどのウォーキングを楽しむ事ができた。ももの木の活動にも参加できた。

入院後の病気の説明の時、原発性マクログロブリン血症について医者は、「予後は治療効果によって異なる。半数以上の人が生存できる期間は有効例(血液中のタンパク質が半分以下に減ること)で5~7年、無効例で3~4年と言われている。」とオーソドックな見解を述べた。また余命5年ともいわれた。その時から5年を目処とした新たな人生が始まった。

2005年入院時にはベルケイドもサリドマイドもレナリドミドも承認されていなかった。サリドマイド使用に関しては、しばらくは個人輸入をしていた。私がWMになってからの5年の間にこの3種の画期的な新薬が承認されたというこれこそ信じがたい遭遇といってもいいだろう。これらの薬の承認によって通院可能な治療法が各段に増え、それが通院治療の期間を延長させていったのは事実である。

昨年の12月発病から丁度5年経った。まさに不思議な一致だ。そして1月に急激に病状が悪化する事になった。偶然か必然かどちらにしても引き受けざるを得ない。

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入院10日目(雪の日)

2月12日(土)
 病室は一人が移植室に移動し、一人が外泊で2人しかいないのでなんとなく静かな感じがする。結局インターネットの出来る「こまどり」は土日祭日が休みなので、月曜日までブログはアップ出来ないし、メールも読めないし送れない。

昨日の雪は細かく、やがて止むのでないかと思ったが結構降り続き、病室の10階から見る景色は一面の白い世界に変化した。雪は高所から見る分には一切の色彩を消し、地上を白でふんわりと覆い隠す、静かさと穏やかさの象徴のようなものだ。

かって私が働いていた展示会やイベントの会社にとって雪は最大の障害である。雪の多い地方は雪に対する準備が整っているが、東京や神奈川での雪は流通、運搬業者にとっては手痛いダメージを与える事になる。雪による渋滞は想像を絶する。時間通りに品物を届けられないということはどれ程大変なことなのか。

 1、2月は春の結婚式のシーズンの向け、どこの結婚式場でもブライダル・フェアーを行う。その時期で結婚式がない仏滅の休日に展示会が重なる。そういう時に雪が降るとどうなるのか、景気が悪くなり前日に展示会の設営をすること少なくなり、当日朝から設営し、昼から開催する会場が多い。

雪で品物が遅れると開催時間に間に合わない。これはまさに悲劇としかいいようがない。展示会の設営什器が時間通りに届かなかったらどうなるか、想像を絶する業者からの非難の槍玉に挙げられる。社員をかき集めて、遅れを取り戻そうとは思うが、現場は一つではない。こういった苦い思いが雪を見ると頭の中をよぎる。

雪とはそういったイメージをよみがえさせる。平塚を16時に出発した車が足立区の流通センターに着いたのが朝の4時で、すぐに6時からの展示会の品物を積んで出発しなければならなかったこともある。その間まんじりともせず車を待っている外ない。

 そういった世界とは今は全く無関係に生きている。もし病気にならならなかったら会社の定年は64歳だからそれまで当然のように働き続けていただろうし、今日も休日だからといって関係なく、会社に出かけていただろう。

病気は全く自分の人生を変えてしまった。血液がんになってしまった、それは選択の余地のあるものではない。しかしそこには新たな選択が生まれたのだったのだ。残りの新たな人生をどうやって生きていくのかという。悠々自適には違いない。闘病生活という桎梏の中での自分の自由な時間をどうやって過ごしていくのか。

ある小学校でやった「いのちの授業」で生徒から聞かれた。「病気になる前、がむしゃらに働いていた自分と比べて今の生き方についてどう思いますか。」子供の感性は鋭い。授業の中で話した「宿命転機」ということから語った。

「病気になってしまったということは宿命でどんなあがいても変えることは出来ない。それだったら、その現状を嘆き哀しむのではなく、それを一旦肯定し受け入れそこから新たな自分の生き方を見出していく外ない。

不景気になり仕事がどんどん忙しくなり、毎日の残業や休日出勤を繰り返し、たまの休日で家にいるときでも仕事の事を考えてしまう。いわば仕事中毒だ。昔は、休みの時にはよくテニス旅行に行ったり、映画を見たり本を読むのが好きだった。しかしそういった感性も仕事の急がしさの中で摩滅していってしまっていた。

自分の存在が画一的になりどんどん貧しくなっていく気がした。確かに病気は不幸である。しかし病気になることによってしか時間を取り戻す事ができなかったのかもしれない。そしてやっと失われた自分を見出した気がする。それは何よりも大切なことだ。」

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入院9日目(治療5日目・最終日)

2月11日(金)
 2月7日から始まったシスプラチン(白金製剤)+エンドキサン(アルキル化剤)+エトポシド(植物アルカロイド)の96時間連続点滴と、それにデキサメタゾン(ステロイド)+カイトリル(制吐剤)を毎日それぞれ30分を点滴するという併用療法は今日のAM11時で終了する。その後生理食塩水を50mg3種類の点滴管に通しリンスとして1時間かけて点滴する。ソルデムの点滴はしばらく続く。

7日の朝から、電源付き輸液ボックスを抱えていたので行動範囲が限定されていた。昨日眼科診療に行って眼底写真を撮っている間に結構時間がかかって、バッテリー切れのアラーム鳴り出した。眼科に3本の電源コードも延長コードもなく血液内科に頼んで持ってきてもらった位だ。

眼圧は28で今まで通りの薬を継続して、点眼、服用するようにということだった。もし眼圧が上がって目に痛みが生じてきたらマンニゲンの点滴をすればすぐ収まるのですぐ連絡が欲しいと言ってくれた。同じ病院にある科だから色々融通が利き便利だ。

 電源コードからやっと開放される。自由に病院内を歩きまわれる。といっても何処行く所がある訳ではないが、せいぜい「こまどり」で本を借りたりネットをしたりする位だろう。

抗がん剤の点滴投与が終ったが、これからが様々な副作用との格闘が始まる。一番の問題体力の消耗だろう。倦怠感は段々拡大していくようだ。まだそれ程でもないが、昨日は1時間ばかり昼寝をした。いつもは消灯時間なっても11時、12時頃まで本を読んでいたが、昨日は10時には横になってしまった。

 今日は14時から赤血球の輸血をする。しばらくすると血小板にも影響が出てくるだろうし、白血球も下がってくるだろう。G-CSF(ノイトロジン)の注射をするとしても一定の期間病室から出られない。

昔はクリンメートといった空気清浄機を白血球の少なくなった患者のベッドに設置していたが、今はベッドの背に常備され24時間、軽くではあるが空気の清浄を行なっている。白血球が下がってきたら、機械を強くし、ベッドの回りをビニールで囲み、トイレ以外なるべく出ないように指示される。その期間がどの位かが問題だ。白血球が上昇し好中球が1000を越えれば、一時退院となるだろう。

今回の治療が奏効し、IgMが減少すれば、引き続きこの併用療法でやっていくだろう。化学療法を繰り返し、一定程度IgM数値が安定してきた所で、薬を弱いものにし通院治療になっていくだろう。

◆ 2月11日血液検査結果。括弧内は2月9日の検査結果。
白血球 2200(3900)
好中球 未測定(2910)
血小板 5.1(5.7)
赤血球 208(216)
ヘモグロビン 7.0(7.4)
尿素窒素 21(17)[基準値8~22]
クレアチニン 0.7(0.7) [基準値0.6~10]

赤血球は208、ヘモグロビンは7.0まで下がった。予定通り14時頃から2時間かけて赤血球の輸血をする。腎臓の機能は正常のようだ。尿量が知らされた。8~9日Am10:00~AM10時、2849、9~10日同時間帯、3799、10~11日同時間帯、3597。何故か摂取したより多く排出していのではないか。恐らく実際にはこの位摂取したのだろう。尿量測定は終了する。

多発性骨髄腫の患者は1日に1リットル以上の水分補給をすべきだと三輪医師は言っているが、腎機能は一度損なうと回復不能なので抗がん剤治療の間は絶えず注意深い観察が必要だろう。

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入院7日目(治療3日目)

2月9日(水)
 朝6時に起きた時には外は霧雨が降っていた。外がどれ位寒いか見当もつかない。7時半を過ぎると氷雨の中を駅に向って歩く会社に急ぐ人達の姿が、10階の窓から細い列のように途切れなく続いているのが見える。

病棟の中は空調が効いてTシャツ1枚で過ごせる暖かさだ。寝る時も毛布かタオルケットかその2枚をかけるわけだが毛布1枚で十分だ。外は霧雨に覆われ病院は灰色の世界に覆われている。病室の窓の中央に見えるスカイツリーも霧雨の向こうに姿を消している。何時頃から雪になったか分らないが8時頃には雪がひらひらと病室の窓を舞うようになった。今日は通常だったら通院日だったので、この雪の中を通わなければならなかった。

雪は早々と止み、小雨になり、曇りになり、そして昼過ぎには日が差して来た。10階の病室から見晴らしは周りに遮る物もなくなかなかいい。スカイツリーが曇り空の中に薄っすらと姿を見せる。眼下には吉祥寺の境内の全景が見渡せる。ベルケイド療法で入院中秋の境内を散歩したことがある。

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日暮里方面と吉祥寺境内

 ひたすら点滴の落ちていく音だけが意識の流れ中に存在する。それ以外の病棟の音は掃除する音、看護師さんが巡回して、検温をしてまわる音位だ。面会は病室の外の応接椅子でするか、食堂ディルームで行う人が多いので病室は回っている空気清浄機の音以外せず静けさに満ちている。

今度は入った病室にはおしゃべり好きの人がいなくて、互いに挨拶以外話をしない。なんかのきっかがないと見も知らぬ者が突然集まったのだから、中々会話は成立しないのは無理もない。

各人ががんに罹ったという重い宿命に出会い、がん宣告されてからどのように今まで生きて来たのかはまさに緊張に満ちた時間だったに違いない。それこそ自分という人間を見直し変えていかざるを得ない人間ドラマが、時には激しく、時には内向的に展開されたのなのだろう。
がんは治るのか、どういった治療をするのか、といった医学的心配はもとより、職場、仕事、家族、友人といった経済的、社会的あらゆる関係を再編せざるを得ない重圧に囲まれる。こういったがん宣告はその人の人生と人生についての考え方を否が応でも変えざるを得なかっただろう。

2月9日血液検査結果。括弧内は2月7日の検査結果。
白血球 3900(2400)
好中球 2910(820)
血小板 5.7(6.2)
赤血球 216(241)
ヘモグロビン 7.4(8.2)
網赤血球 13(7)
尿素窒素 17(14)[基準値8~22]
クレアチニン 0.7(0.9)[基準値0.6~10]

病院では3人でチームを組んで患者に対する治療方針を相談しながら進めていく。チームの責任者は外来担当でありベテランの医者がなる。しかし外来業務が忙しいので入院患者への対応は別の医者がやる事になる。今回の私の担当は、いつも外来で診察を受けている担当医O医師ではなく、K医師である。

彼が今日と7日の血液検査結果を持って説明に来た。赤血球が減少している。このままだともっと下がる可能性がある。明日輸血をする事になるかもしてない、と言っていた。赤血球の変化: 216(2/9)←241(2/7) ←237(2/4)←280(2/2)。ヘモグロビンの変化: 7.4(2/9)←8.2(2/7)←8.0(2/4)←9.5(2/2)。なる程、治療を始めてからまだ2回しか検査していないが赤血球・ヘモグロビンは急激に減少している。

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入院6日目(治療2日目)

2月8日(火)
治療2日目。全く昨日と同じである。シスプラチンが外の点滴より1時間早く終るので、その間にデキサメサゾン30分とカイトリル30分の点滴を行う。そして11時から、シスプラチン、エンドキサン、エトポシドの点滴が休む間もなく続行される。

体調に特に変化なし。体温は日曜にまで夕方になると微熱が出ていたが、むしろ昨日から平熱になった。食欲はある、病院食では足りない位だが、コンビニで食料を仕入れてきたり、食堂まで食べに行こうと思う程ではない。

患者会の話の中で病院食に文句をいう人は多い。パターン化されている、毎回味が似通っている、薄味だ、柔らかいものばかりだ、美味しくないなど色々言う。そういう人は家でおかずを作ってきてもらってそれを食べたりする、家族の負担は大変だ。また気に入らないおかずの日などコンビニで弁当を買ったり、食堂で食べる人もいる。

一日中ベッドから動かない病人が対象の食事だから当然、高カロリーで高蛋白なものは控えるだろう。魚料理が圧倒的多く、肉料理もロースでなくひれ肉や赤身だし、鶏肉も腿でなく胸肉だ。魚があまり好きでない人には抵抗があるかもしれない。

食事のメニュー表が付いてくるが、そこにはエネルギー(カロリー)、蛋白質、脂質、塩分の数値が表示されている。かなり控え目であるのは確かだ。

ほかの病院の病院食を最近経験した事がある訳ではない。40年位前に食べた事があるが今とは比較ないだろう。だからここの病院の食事がおいしいかまずいか外の所と比較は出来ないが、かなり美味しいと思う。食事運搬車が保温用と、冷蔵用に仕切られ、そこに2つに分けられたトレイが入れられ、暖かいものは暖かく、冷たいものは冷たくして提供される。

私個人にとって病人食が極めて有り難いのは、何といっても朝昼夕の決まった時間に食事が出てくることである。家にいると今日何を食べようか考えるのにかなりの時間を食われる。朝昼は自分一人なので適当に食べるが、それでも何を食べるか考えなければならない。

夕食を作るのは私の仕事であるので、スーパーに行って、今日の献立は何にしようか考えるのに1時間近く店内を歩き回ることもある位だ。メインのおかずは比較的決めやすい。副菜を何にしようかで迷うことも多い。

病院での食事は、主菜のほかに副菜もあり、品数があるのがいい。栄養士が考えているのだからバランスいい食事だ。朝は汁物、昼は牛乳、夜は果物が付き、それを含めて3,4種類あり飽きさせないメニューになっている。時々夕食に選択メニューという用紙が入っていて2、3日後の夕食が2種類用意されていてその内のどちらかを選ぶことが出来るようになっている。

ともかく毎日の食事のメニューを考えなくてもいいという事が一番のいい所だ。それに調理しなくてもいいということだ。確かに料理を作るのは好きな方だ。冷蔵庫にあるものを物色して手軽に作ることもあるし、レシピを見てそれに必要な買い物をし、気張って調理する事もある。

しかし作られたものが、それも同じような料理が続くわけではなく、バラエティに富んだ毎日違った種類の物が提供されるという、この贅沢さは何にも変えがたい気がする。それだけで病院食だとはいえ有り難く美味しく食べさせていただいているという訳だ。

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入院5日目(抗がん剤治療開始)

2月7日(月)
 治療開始日である。眼科の担当医が、抗がん剤治療中眼圧が上昇し眼の痛みで辛い思いをしないように事前に検査をしておいた方がいいだろう、ということで一般診療が始まる9時前に眼科診療室に来てくれと呼んでくれた。眼圧は24と大幅に減少した。最近は30を下ったことはなかった。

入院前の2、3日IgM上昇による血液の過粘稠が網膜の毛細血管に影響したのか、一時的に眼圧が30を超え眼の痛みが生じてきた。4月3日入院以降24時間で1リットルのソルデムを連続して点滴してきた。それで血が少し薄まって、網膜への影響が減少したのではないかということだった。しかし右眼には全くその影響は現れなかった。弱い所に影響は出るのだろう。今まで通り、ダイアモックスとアスパラカリウムを中心に5種類の点眼薬で対応する事にした。

 9時過ぎに病室に戻ってきて、9時半のシャワーに備える。シャワーは男性が月水金、女性が火木土、日曜休み。治療に入る前に入っておきたい。体力が消耗して入る気力が起きないかも知れない。中心静脈カテーテルにはソルデムがつないである。それを外してもらってガーゼを取ると2本の点滴液を入れる管が現れる。それをビニールテープで体に固定しシャワーの準備は終わり。管は濡れて大丈夫だそうだ。

シャワー室から出て。いよいよ点滴の開始だ。
10:00-10:30 デキサメタゾン33mg+生理食塩水50ml (毎日)
10:30-11:00 カイトリル3mg+生理食塩水50ml (毎日)
11:00-翌10:00 シスプラチン(16mgを4日に分ける)+生理食塩水500ml=106ml/h
11:00-翌11:00 エンドキサン(650mgを4日に分ける)+生理食遠水500ml=20.8ml/h
11:00-翌11;00 エトポシド(65mgを4日に分ける)+ブドウ糖注射液500ml=20.8ml/h

3種の抗がん剤の点滴は正確に分単位で点滴しなければならないので、輸液ポンプを通し投与する。点滴キャリーには3台の輸液ポンプが取り付けられ、500mlの薬剤の袋がソルデムを含めて4つ吊り下げられている。かなり重い。

 輸液ポンプは電源コードから電気をとる。バッテリー機能はついているが、せいぜい20分か30分しかもたない、切れるとアラームが鳴り出す。そうなったら病室に戻り電源コードに繋がなければならない。また重く倒れそうな点滴キャリーを動かすのも大変だ。倒したらと思うとそれだけで気を使う。そいった意味で嫌が応でも行動範囲は病室周辺に限られる。

輸液ポンプ_convert_20110221100057 輸液ボックス付きキャリー

その外に24時間でソルデム1リットルを同時に投与する。この療法とりわけシスプラチンは腎臓に負担をかけるので大量の水分投与が必要だ。24時間に摂取する水分量を計算してみる、50+50+500+500+500+1000=2600ml、つまり1日2リットル半の水分を点滴される。その他食事とか合わせると3リットル近くの水分摂取となる。

腎臓の機能をチェックするため昔でいう蓄尿をするが、今は便利な尿計測器がある。紙コップに尿を採る。機械に表示されている自分の名前の所のボタンを押し確認すると、蓋が開きそこにコップの尿を注ぎ入れると蓋が閉まり、尿量が2,3秒で計測される。すぐに尿は流される。昔のように尿を蓄尿室に溜めておく必要がないので、トイレの臭気防止に役に立っている。

これだけの水分補給をしているのだからトイレ通いが大変だ。その度に輸液ポンプの電源を抜いて行く事になる。排尿の度に蓄尿をしなければならないのも面倒だ。まあ病院に来て外に特にやる事がある訳でもないので検査には最大限協力する外ない。

 2月7日の検査結果。括弧内は2月4日の検査結果。
白血球 2400(2000)
好中球 820(980)
血小版 6.2(5.7)
赤血球 241(237)
ヘモグロビン 8.2(8.0)
尿素窒素 14(19)
クレアチニン 0.9(0.9)

2月2日の検査では尿素窒素が35まで上がった。それが5日間で基準値(8~22)まで下がった。ソルデムの大量投与により腎機能回復がはかられたのか。ともかく抗がん剤治療にとって腎機能は究めて重要な働きをするから恒常的チェックが必要だ。

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血液内科病棟・病院生活

2月7日(月)
血液内科病棟
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 病棟入口                        病棟廊下 

血液内科病棟は10階にある。以前は移植病棟が6階にあり、移植及び一定の回復期は移植病棟の無菌室(減菌室)で過ごした。しかし病院の改装によって、血液内科病棟と移植病棟が一緒になり収容人数が大幅に減少した。ただ一緒になった分血液内科病棟の感染への管理が厳しくなったのはいいことだ。

改装が、患者にとって何よりも問題なのは、入院患者受入数の大幅に減少である。以前血液内科病棟には個室8部屋と5人の大部屋が8部屋あった。50人近くが入院できた訳だ。また移植病棟は全て個室なので、20部屋もなかったがそれでも移植患者を20人近く抱える事が出来た。

しかし今回の改装によって、血液内科病棟の部屋数は20部屋(4と14号室が欠番)に減少した。1~9号室までがトイレシャワー付き個室、10~18号室が個室、19~22号室が4人部屋となっている。1号室~13号室が主に造血幹細胞移植を行う患者のための部屋となっている。つまり移植患者以外で入院できる血液内科の患者数は相部屋で16人、個室で4名、合計18名しか入院出来ない。

がん・感染症センター拠点病院であり、血液内科に関しては、実績があり信頼され、全国的にも知られている。そういった病院が血液がんの患者の入院治療をたった18人しか受け入れられない、そういった現実があるのだ。そうであれば中々ベッドが空かないのも頷ける。よく入院できたものだと思う。こういった医療体制では助かる命も助からないのではないかと思ってしまう。

病院での生活

何処の病院でも似たような生活が待っているだろう。抗がん剤の点滴治療中で吐気や発熱で寝たきりの状態だろうが、体調が回復し病院内を動きまわる体力があろうが全てはスケジュール通り進行する。何の変化もない日常性が全て同じ形をもって淡々と繰り返される。

▼ 起床は6時。廊下と部屋の通路の電気がつけられ検温が始まる。検温の前に体温と体重を量っておく。消灯22時。廊下と部屋の通路の電気が消され、自分のベッドの上の電気を消さなければならない。だからといってすぐ寝なければいけないわけではない。テレビを見たり、枕もとのスタンドで本など読むことが出来る。

▼ 食事は8時、12時、18時前後、看護師が部屋まで食事を運んでくる。片付けは可能な人は自分で配膳台に持っていく。動けない人は看護師が片付ける。食事は選択メニューで朝はご飯かパン、昼は主食としてご飯の他に冷しそうめん、温そうめん、温うどん、煮込みうどん、パンから選択できる。ご飯は粥に替えることが出来る。主食の量は大、中、小盛の中から選ぶことが出来る。ここの食事は暖かく種類が多い。治療の状況によって免疫力が落ちてきた時など、生もの禁止の食事に自働的に変えられる。

▼ 看護師は1日3回、6時、14時、19時前後の時間、患者を回り血圧、酸素、脈を調べ、体温、食事摂取量、排泄回数、体重を聞く。その時飲み終わった薬の空シートを回収し決められ時間に決められた薬をきちっと飲んでいるか確認する。血液検査、尿検査は必要に応じ適宜行う。 

▼ 面会は12時から20時30分まで。病室または病棟入り口にある面会室で行う。血液がんの患者は感染しやすいので、病室に入る面会者は入り口で手を洗い、マスクをつけ、コートを預けてから入室する。

▼ 本を読みたい人とって便利な場所として「医療情報・相談室・こまどり」がある。ここには医学関係の書物が揃えられ必要に応じてコピーが取れる。文京図書館と連携し、100冊の一般書物を回してもらい、それを月1度入れ替え回転させて患者に貸し出している。その他寄贈された娯楽小説が多数あり何か読み物が欲しい時利用するのに便利だ。

▼ テレビは、有料のものがベッドの横の床頭台に備え付けられている。各病棟の入り口にテレビカード販売機がありそれを使用して見る。テレビカードは1000円で900分視聴可能。2006年頃は1日3時間以上無料となっていたが、今は見た分課金される。朝から寝るまで見ているテレビを漬けの人がいるが1ケ月のテレビ代は大変だろう。

▼ その他の設備など:売店-コンビニエンスストアーが出店しており病院生活に必要な日用品や食料など買うことが出来る。コインランドリー、食堂、理容室、冷蔵庫(各部屋にありカード式有料・24時間200円)、電子レンジ、トースター、給湯器あり。

★ 
今日からいよいよ抗がん剤治療を開始する。
10時からデキサメタゾン33mgを30分で静注。10時30分から吐気止めカイトリル3mgを30分で静注。

11時からが本番だ。11日の朝11時まで4日間96時間連続して、シスプラチン、エンドキサン、エトポシドを注入し続ける。かなり薄めて投与するというがそれでもどのような副作用に見舞われるか分らない。後は運を天に任せる外ない。

治療に入るので、一定の時期までパソコンのある「医療情報・相談室・こまどり」まで出かけることは出来ないだろう。従って、パソコンとは全く切り離された生活をしばらく続けざるを得ない。ブログもメールも休止状態にしなければならない。

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入院2日目・眼圧の急上昇

2月4日(金)
朝5時半頃眼が覚めた。眼圧が上がっているのが分る。左の眼の周りがずきずきと傷む。偏頭痛に悩まされるといった感じだ。止まることがない。9時になって眼科の診療が開始されたらすぐ担当医に見てもらおうと看護師に頼んだ。9時過ぎまでじっとベッドに横になり痛みを耐える以外する術がなかった。8時半頃痛み止めのカロナールを2錠飲むように渡された。

眼科からは、9時診療開始とほぼ同時に連絡が来てすぐ医者の下に案内された。何と眼圧が38もあった。一昨日の眼科診療の時には32だった。この数値もかなり高かったので5種類の目薬以外にダイアモックス250mg 1錠+アスパラカリウム300mg 2錠を1日3回服用する事にした。

眼圧上昇の原因は、網膜内静脈の血栓や、動脈の梗塞、網膜はく離の後遺症、新生血管(成長しているわけではない)の存在などが原因として考えられるが、この間の大幅な上昇はIgMの上昇によるものと考える外ない。網膜の毛細血管に過粘稠の血液が入り込み血栓を誘発しているのではないか。

原因は明確でない所はあるが、眼圧を下げ頭痛を取り除く事を優先する以外にない。眼圧降下剤(マンニゲン400cc)を1時間かけて点滴する事にした。しかしどうしたわけか病室に戻った途端頭痛は嘘のように消え去っていた。点滴をするかどうか考えたが、眼圧が高いのは事実だから点滴は予定どおり行なった。

点滴後、1時間ばかりして眼科医に再度呼ばれ眼圧を測った所19だった。気分的にも眼の周りがすっきりする。明日もう一度出かける前に眼圧降下剤の点滴を行う事にした。同時に、抗菌点眼剤タリビット軟膏を処方された。眼圧が上がると角膜を傷付け易くなりのでその保護だと言う。

入院するとほぼ1日おきに血液検査をする。中心静脈カテテールからは2本の管が出てていて一本は点滴に使っているが、もう一本から静脈血を引き出して採血する。つまり採血するのに腕に針を刺す必要がない。

2月4日の血液検査の結果
括弧内は2日の採血結果。IgM数値の測定は2週間一度しか行なわれない。
白血球    2000 (2800)
好中球    980 (1930)
へモグロビン 5.7 (7.2)
血小板数   8.0 (9.5)
尿素窒素   19(32)

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病室でインターネットがつながらない。

2月4日(金)
 入院しての最大の関心事は病院内でインターネットができるどうかだ。2006年移植室にいた時はあの密閉された空間でとてもネットの無線ランを利用できるとは思えなかったのであきらめていた。2007年10月ベルケイド療法で2ケ月入院した時、建物が高台にあったということも運が良かったのか、幾つかの無線基地局が周辺にあり、それを利用し、インターネットを存分に利用する事が出来た。

様々なネットの情報を利用し活用させてもらった。入院という閉鎖社会の中では情報は外にいる時より一層貴重なものとなる。パソコンメールで情報のやり取りをし、ブログを始めたばかりだったということもあって、ブログのアップもスムーズに出来た。コメントも受け取る事が来た。

病室に着いてパソコンをつないで見る。Internet ExplorerもMozilla Firefoxも全く反応を見せない。「Internet Explorerではこのページは表示できません」と虚しい表示が出るだけだ。病室は改装され新しい。机の横にはLANケーブルの端子の入口が取り付けられている。しかしその上には「ネットワークは利用できません」と書かれた紙が張られている。つまり工事中につき当面使用できないということだ。パソコンを窓の傍に持っていったり、高層階に持って行ったりしてみたが無線ランでヒットする所はなかった。

この病院の別棟1階に『医療相談・相談室・こまどり』という場所があり、患者、家族の医療に関する悩みや不安の相談に応じている場所がある。ここは、患者向けの専門医療書籍を始め、入院患者のための娯楽小説なども含め図書館的な役割をも持ち、雑誌、CD、DVD、など置いてある。また患者自身のパソコンが利用できるインターネット回線も整備されている。

部屋でインターネットが使えないので、わざわざ、別棟まで出かけていって、パソコンメールを読んだり、ブログをアップしたりしなければならない。インターネットがあたりまえのものとして生活をしてしまっていると、色々不都合を感ぜざるをえない。

日曜日(6日)までは体調的にも動けるが、7日(月曜日)から11日(木)のAM11:00まで96時間連続点滴期間中や、それ以降の骨髄抑制で病棟や病室を一歩も出られなくなる可能性はかなり高い。そうなるとブログをアップする事も、メールを読む事も出来ない。つまり、7日から10日間位は携帯電話での応答しか出来ないというわけだ。

 また病院が改装中ということで携帯電話の繋がりがかなり悪い。病棟は10階にあるのに携帯電話室で電話しようとすると圏外という表示になったり、電話しても相手は話し中でないにもかかわらず、ずっと話し中になってしまったり、留守電になってしまったり、電波の届かない所にいるか電源が切れているといった応答になってしまう。電波、回線の状態が乱れに乱れている感じだ。

病棟内では電話が出来ないので、電波の繋がりそうな場所を探して廊下をうろうろうろつき回りながら連絡をとろうと思ったがうまくいかなかった。1階の外来受付の所とか、2階の売店の所だと大丈夫なのだろうが厄介なもんだ。携帯のメールはうまく受け取れるようだ。

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入院第1日目

2月3日(木)
10時: 病院着。入院受付窓口で入院の手続きを行う。診察券と健康保険証の提出は当然だが、事前に所属健康保険組合から「限度額認定適応証」を発行してもらって、それをその時窓口に出せば、幾ら医療費がかかっても食事代などを除き月々の支払い時、通常81,000円以上支払わなくても済む。2006年に入院した時はカードも使えず、4、5ケ月後に高額療養費制度で変換されるが、一旦窓口に移植の時など何十万円もの金を運んでこなければならなかった。

10時15分: 病室に案内され、看護師から病棟内の説明を受ける。病棟入口に「食堂ディルーム」という場所があり、10数人集まって患者同士の話合いや面会に使う事ができる。そこで「ももの木」の院内患者・家族交流会も行なわれている。

ある時、別の病棟の付き添いの人が何日か寝泊りしていた。それが問題になり血液内科関係者以外は使用禁止なった。血液内科関係の患者・家族は感染にきわめて敏感だ。他の病棟の人はそうはいかない。今院内感染含め問題になっている。交流会に出ても病棟の中まで入ったことはない。中々厳重な感じで入りづらい。面会者は看護室の前で手洗い、マスクの指示を受ける。埃を吸ったコートはクロークに預ける。

11時: 病棟案内をひと渡り終ると、医者がベッドの横に待っている。すぐにマルク(骨髄穿刺)をするという。あれよあれよと間に準備が整う。これは痛いという人と痛くないという人がいるらしく、私は痛くない方なので何ら問題なくあっという間に済んだ。前回は中がすかすかで採取できなかったということだったが今回は大丈夫だったようだ。

13時: 昼食をとる間もなく、今度は中心静脈カテーテルの挿入である。これは以前移植時に2回やっているので、同意書もなかったが、肺に穴開け、肺気腫になったり、動脈にカテーテルが刺さったりと危険を伴うものであるのは確かだ。人によっては中々静脈にカテーテルが入り込まず1時間位かかる場合もある。しかし、あっさりと15分ばかりで終った。

14時:
その後、中心静脈カテーテルの位置を確認、骨病変があるかどうかの把握などのためのレントゲン検査を行う。さらに心電図、心臓エコーの検査した。心臓エコーは通常10分位で終わるのだが20分以上やっていた。異常があるか聞いたら特にはないが、担当医に聞いてくれということだった。

15時30分: 看護師の患者、家族のカウンセリング方面の担当者なのだろう、今までの病状経過、今回入院至った経過を聞きたいということだった。そこで2005年、足の指に物を落とし出血が止まらず血液検査をして病気が分り、今まで様々な治療を行ってきた経過を話した。

16時: この病院では入院患者に対しては外来の担当医を中心に3名でチームを組んでいる。そのうちの一人が今回主に私の担当になるということだ。その医師から治療方針への説明があった。

昨日のブログにも一覧表を示したが、より具体的な説明があった。
▼ デキサメタゾン33mg:1日30分点滴で4日間行う。

▼ シスプラチン16m:4日間かけて点滴。1日目はAM11時から翌日のAM10時まで、1時間休んで、またAM11時から翌AM10時まで行う。これを4日間、つまりほぼ96時間休むことなく点滴し続ける。

▼ エンドキサン650mg:4日間かけて点滴。1日目AM11時から初めて96時間休むことなく点滴し続ける。

▼ エドポシド65mg:4日間かけて点滴。エンドキサン同様1日目AM11時から初めて96時間休むことなく点滴し続ける。

特にこの療法で問題となるのが、腎不全と骨髄抑制である。ソルデムや生理食塩水を大量に投与し尿量を確保する必要がある。既に長い治療経過の中で造血幹細胞が弱っている状態であるで、骨髄抑制はかなり厳しく発現するだろう、といった説明を受けた。

16時30分: ソルデム点滴開始。IgMの増加による、血液の過粘稠防止・血の濃度を薄めるため、1リットルを24時間で点滴する。それを治療開始まで持続する。

17時: 担当医との話。外来を受け持っている気心の知れた担当医が様子を見に来てくれた。担当医から渡されたプロトコルによると治療法は上記の通りなのだが、定期的に血液検査をしながら骨髄抑制の状態、副作用の現れ方などを綿密にチェックしながら、薬の量を調整したり、間隔を空けたりと様々なやり方を駆使して治療に当たるつもりだから心配しないでいいということだった。

治療開始日をいつからにするのか。早ければいいということで、今日中心静脈カテーテルの挿入までやってしまった。しかし、担当医にも言っておいたのだが。2月5日には足立区立関原小学校での「いのち授業」があり、この授業は道徳授業として、事前に話の内容原稿を渡し、担任の先生がそれに沿って授業を組み立てるということもあって、代わりの話し手を用意する事ができない構造になっていた。24時間点滴といった抗がん剤治療の合間では到底参加できない。結局治療は月曜日から始める事にした。副作用の出方が分らないから土曜日とか日曜日とかには始めたくないということだった。

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血液内科外来・明日から入院

2月2日(水)
検査結果
 IgM    8400(2/2)←6738(1/26)←4916(1/19)←3618(1/5) 
 IgG    379 ←458←518←441
 総蛋白   11.4←9.8←9.2←8.1
 白血球  2800(2/2)←2700(1/26)←3400(1/19)←2800(1/12)
 好中球  1930←1940←1120←800
 血小板  7.2←7.6←6.7←3.7
 赤血球  280←276←299←273
 ヘモグロビン 9.5←9.2←9.8←8.9
 網赤血球  11←19←7←6
 尿素窒素  35←32←27←13(基準値7~20)

無題

もはや行き着くところまで行ってしまった感じだ。8840というIgMの数値は原発性マクログロブリン血症の治療を始めてから2番目に高い数値である。2006年1月4日に9470という数値が最高だ。治療を開始し最初に使用したフルダラビンが全く奏効せずこの数字になって現れた。

高容量デキサメタゾン(40mg5日間服用)は、何らIgM減少に影響を与えることができなかった。外来での診療の時、検査結果を見て担当医は病棟受付の担当者と電話で緊急だからすぐ入院が必要だと訴えた。新たな抗がん剤治療に入る以外にはない。血液内科の210病棟はふさがっていたが、209病棟に部屋を確保できた。明日入院する事になった。

全身の倦怠感は一体何に由来するものか。IgMのM蛋白が増加すると、血液の粘りが強くなって流動性が低下するため、過粘稠度症候群と呼ばれるさまざまな症状を来し、全身倦怠感と脳血管の循環障害のために頭痛、運動失調、めまい、意識障害などが起こってくるということだが、それでは説明できない。医者は尿素窒素の増加を上げ、腎機能が低下し、それが影響している可能性がある。入院して利尿管理をしていく。特に血球上に問題は生じていないので入院後の検査によって判断しようという事にした。

医者は腫瘍の破裂という言葉を使ったが、骨髄腫の場合骨髄腫腫瘍が生ずるが、WMの場合はそういったことがあるのだろうか。ともかく今日CT検査をした。結果は入院後に分るだろう。

医者が2月4日から始めようとする治療法が紹介された。
デキサメタゾン33mg(1,2,3,4日)
シスプラチン10mg/m2+生理食塩液500ml(1-2日11:00-10:00, 2-3,3-4,4-5同様、21.7ml/h)
エンドキサン400mg/m2+生理食塩液500ml(1-2日11:00-11:00, 2-3,3-4,4-5同様、20.8ml/h)
エドポシド40mg/m2+ブドウ糖注射液500ml(1-2日11:00-11:00, 2-3,3-4,4-5同様、20.8ml/h)


シスプラチン(ブリプラチン・ランダ)やエトポシド(ベプシド・ラステット)などかなり副作用の強い抗がん剤を使う。エトポシドは自己抹消血幹細胞採取時に使用したが、それまでVAD療法で使用していた抗がん剤に比べ発熱などかなりの副作用に苦しめられた。シスプラチンも副作用が強く入院治療でしか使えないといわれていた。入院治療で何処まで効果が見込めるのかそれが問題だ。

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体力の消耗

2月1日(火)
 この驚くべき体力の消耗は何を原因としているのだろうか。昨日は夕方からずっと横にならざるを得なかった。今日は朝から最低限の身の回りをすること以外、食事以外横になっていた位だ。歩くとふらつく。

病院からは入院日の知らせがまだ来ない。ベッドがなかなか空かないのだろうか。体調が悪化してきたのでむしろ早く入院したい位だ。明日外来で病院に行かなければならなのだから、また別の機会に行くのも面倒なことだ。

土曜日はももの木の新年会に行った位で、池袋まで自電車を走らせる元気があった。日曜日は入院に必要な日用品を買いにスーパーに行ったり、図書館に本を返しに行けた。体調的には特に目立った変化はなかった。

昨日夕方頃になると急にだるくなりだした。すぐ横になってしまいたくなる。体に色々な反応が現れ始めた。あたかも抗がん剤治療の点滴を終えたあとのようなだるさだ。そしてそれに伴う副作用に似ている症状が現れた。

特に薬を追加したわけではない。デキサメタゾンを先週水曜日から5日間毎日40mg服用しただけである。レナリドミドは今まで通り3カプセル(15mg)を毎日服用している。デキサメタゾンは体力を活性化させることはあっても消耗させることはないだろう。

この2,3日で強くなった症状として次の事があげられるだろう。ある意味で抗がん剤点滴後の副作用と似ている。

口腔・・・眼圧降下剤ダイアモックスを服用している関係上カリウム不足になり喉が渇くのは仕方がない。ダイアモックスはもう2週間前から飲んでいるが今回の口腔内の感じは少し違う。口内炎にはなってはいないのだが、のどの渇きが激しく、口の中がもごもごする感じなのだ。

胃・・・味覚はあるので食べたものの味は分るし、おいしく食べられるが、食べ終わった後胃にもたれる感じがする。胃が重く、満腹感より、胃の重さのほうが気になってしまって、食事を楽しんだ気分になれない。胃に何かが詰まっているような感じだ。

腸・・・排便の乱れが生じてきている。マグミットで調整してどうにかなっていて、それ程重くはないが、これも体力消耗と関係しているのだろうか。

腎機能・・・ダイアモックスを服用しているので、喉が渇き、かなり大目に水分補給をしている。しかし利尿作用がそれにと伴っていないようだ。腎機能の低下を感じる。この間ずっと基準値に収まっていた尿素窒素の値が増えてきている。

抹消神経障害・・・サリドマイドとボルテゾミブの影響で手の先とふくらはぎ、足首の痺れはずっと続いていたが、この1,2日かなり激しい。体全体の血の流れが悪く、ふくらはぎから下がよくつり激しい痺れる。

眼圧・・・2,3分の間のことだが、眼圧が上がり、眼が痛み出し涙が止まらなくなった。IgM増加によって、網膜の毛細血管が膨張したのだろうか。

体力の消耗が色々な体のバランスを崩していく。IgM増加の影響で、呼吸器、循環器、消化器の機能が損なわれ、それが体力の消耗を招いているのだろう。体が本来持つ抵抗力が次々と奪われていく。

IgMが恐らく上昇し続けているのに違いない。それによって、骨髄中の白血球、赤血球、血小板が圧迫され機能低下に陥り、またIgGやIgAなど他の免疫グロブリンにも影響を与えているのではないか。

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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