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ももの木交流会

8月27日(土)
定例の交流会が番町教会で行われた。毎回新しいメンバーが参加してくれる。いつものように各人が自己紹介を行なってから、参加者同士自由にお喋りする。

 自由討論の前に、イベントなどの紹介が行なわれた。運動部からは、日産スタジアム・小机フィールド(JR横浜線小机駅下車徒歩5分)で行なわれるリレーフォーライフ新横浜2011の参加呼びかけが行なわれた。

時間は9月10日(土)12時から、9月11日(日)の11時30分まで行われておりその間何時でも参加できる。開催中の行ける時間に「ももの木」の横断幕のあるテントに行けば「ももの木」メンバーが指示してくれる。体調に合わせてフィールドを歩いて、グループ参加者全員で何周回ったかをカウントする。

新横浜で行なわれているリレーフォーライフは、3年前はかなりの人で賑わっていたが、東京ではお台場で行なわれるようになり、埼玉や千葉でも開催されるようになって、新横浜への参加者が去年から大幅に減少した。そういったことでこぞって参加しようと訴えかけた。

 「いのちの授業」担当者からは、10月毎週行なわれる小学校での授業についての紹介があった。10月6(木)又は7日(金)荒川区立第六日暮里小学校、10月15日(土)足立区立渕江小学校、10月23日(日)江東区立第六砂町小学校の3校の予定が入っている。また荒川区立瑞光小学校から5年生3クラス 6年生3クラスの授業の依頼があり、11月19日の予定となっている。

最近若い話し手が何人か育ってきている。ただ皆仕事を抱えているので土日は参加可能だが平日は難しい。今回は15日と23日での話し手は若い人の中から選ぶことが出来るだろう。私に関して言えばベンダムスチンによる入院がいつになるか分からないので到底引き受けられない。授業当日入院しておらず、体調がよければ手伝いとして参加できるが話し手としては無理だ。

 ネクサスのメンバーからは来週日曜日、定例の茶話会ががんセンターの19階で行なわれる。その前に一緒に食事をしようと有志が提案し、11時30分銀座3丁目の「ひびき」で食事をする事になっている。今ネクサスの会員は1600人になっているそうだ。少し前、1000人を超えたという話を聞いたばかりなのにすごいものだ。

 自由討論で話題の中心になったのは、血液が増えてしまうという珍しい病気の人の悩みの相談といった内容だった。しばらく前に脳梗塞になり、これはたいしたことがなく済んだが、それ以降血液の増殖を抑えるために抗がん剤を服用する事になった。この薬はかなり効果的で、今まで黒ずんでいた皮膚も元に戻り体調も良くなって来た。しかし一生薬を飲み続けなければいけないといったことが精神的にかなり負担である。また医者との関係もあまりよくない。

何でも悩んでいる時に一番重要なのは、その悩みを聞いてくれる人がいるかどうかなのだ。それも病気であるという事がどういったプレッシャーを本人に与えているかを理解できる人でなければならない。彼女は家族には心配かけまいと自分の悩みについては話してはいない。患者会はそういった意味で同じような悩みを潜ってきた人ばかりだ。相談相手としては最も適している。自分の体験を語りどのように悩みを解決してきたかを話せばいいだけだ。

もちろん解決方向は人によって違うが、大きなヒントを与えることが出来るのは間違いないだろう。何人かが、自分の体験を踏まえて彼女にアドバスをした。彼女がそれをどう受け止め、自分の悩みの解決に役立ててくれるかどうか分からないが、病気は違っても現患者や患者経験者の悩みや苦労を知るということは、自分の存在を見つめ直すいい機会であったのではないか。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
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血液内科の診療

8月25日(木)
検査結果
IgM   3486(8/25)←3629(8/17)←4223(8/10)←6357(8/3)
白血球 3200(8/25)←2000(8/17)←1500(8/15)←2100(8/12)←1800(8/10)
好中球 1170←860←670←1160←1260
赤血球 284←270←268←283←272
ヘモグロビン 9.3←8.8←8.6←9.1
血小板 10.3←4.7←4.8←2.8←4.3


IgMはDCEP療法の影響で減少した。今回の減少で入院治療による影響は終わりだろう。これ以降は上昇に転ずると思われる。予定通りレナリドマイド(レブラミド)を服用することになった。1錠5mgを3錠、15mgを21日間服用し10日間休薬する。レナリドマイドは1日25mg服用することになっているが、日本人の体格からいって15mgで丁度いいのではないか。病院での臨床例では15mgにしても効果は変らない。

最初はレナリドマイを単剤で服用する。効果が減少してきたらデキサメタゾン(レナデックス)を加える。それもまた効果を失ってきた場合ベンダムスチン(注)を使用する。ベンダムスチンの投与方法について医者が概要を作ってきてくれていた。ベンダムスチンの量は通常よりかなり少なくなっている。
・カイトリル3mg、生理食塩水50ml
・ベンダムスチン(トレアキシン)90mg/m2、生理食塩水250ml、ベンダムスチンを注射用水40mlで溶解
・これを2日間にわたってカイトリル30分。ベンダムスチン1時間で点滴する。

ベンダムスチンは極めて骨髄抑制が強い薬である。臨床試験の結果、好中球減少症で、グレード3が25%、グレード4が48%となった。ベンダムスチンの投与は骨髄抑制の具合にもよるが1ケ月に1度位だろう。投与の際は入院するが、入院期間は好中球の回復の状態による。一般的には10日から2週間という所だろう。その間赤血球や血小板の減少や何が起こるか分からないに副作用に対しても対応できる。

もちろんこの薬によって好中球の減少がわずかで、好中球が1000以上あればすぐに退院できるが、どういった副作用が出るか分からないので、この場合でも一週間位の入院を勧められるかもしれない。ベンダムスチンに関してはこの病院の化学療法科での使用例はあるとは思うが、血液内科ではリンパ腫の患者に使用した1例しかない。そういった意味で副作用に関しての情報が極めて少ない。その意味でも何が起こるか分からないので入院治療を進めたいとの事だった。

(注)ベンダムスチン(トレアキシン) 

用法・用量: 通常、成人には、ベンダムスチン塩酸塩として120mg/㎡(体表面積)を1日1回1時間かけて点滴静注する。投与を2日間連日行い、19日間休薬する。これを1サイクルとして、投与を繰り返す。なお、患者の状態により適宜減量する。
薬価基準: トレアキシン® 点滴静注用100 mg 1瓶 92,356円
(エーザイ・ニュースリリースより)

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Y氏からのメール・万座温泉レポート

8月20日(土)
いつも一緒に沖縄へ行っているY氏から、避暑で万座温泉に行ってきた報告がメールで送られた来た。本来私が入院していなければ今年も2人で沖縄に行っていただろう。しかしそれが無理だったので、彼は一人で避暑地を探し出かけていった。そのレポートが一昨日届いた。彼独特の視点で書いていて興味深く読むことが出来た。私だけが読んでそのままにして置くのは、折角書いたのにもったいない。自分で旅行に行けないので、代わりという訳ではないが、以下彼のレポートを紹介する。

mlo.jpg

☆ 避暑へ
8月になって、家の中は午後には36度を超す日が続いた。午前中に家事をすませ、国会図書館とドトールで夕方5時頃まで過ごすが、外気はムッと暑い。

8月10日、避暑というものをしようと思った。これまで、夏は暑いところで体を鍛えるものと観念してきた。幼少の頃は逗子、葉山、中高生の頃は伊豆、その後は奄美、沖縄―要するに海だ。「節を曲げる」という言葉が浮かぶ。後ろめたい。ここ2年、イギリス、オランダ、ベルギーなど美術館巡りと称して涼しい夏を過ごし、軟弱さが身についてしまったのだろうか?これは堕落というものの始まりではないか?

だが、「35年働いてきたんだから、避暑くらい行っても罰は当たらないだろう」という論理が浮かんだ。「35年」の次に「汗水流して」を加えると、この論理の勝利は確定した。 

☆ 万座温泉
manza_convert_20110820102936.jpg  万座温泉全景

涼しい所、涼しい所と探したところ、日本一高い所にある温泉地は万座ということが分かった。標高1800m、涼しそう。安い宿、安い宿と探したところ、万座で自炊を受け入れている宿が一軒だけあった。豊国館。2食付で7千円から。自炊は3千7百円から。ご飯とみそ汁が出る半自炊はプラス5百円。

長期滞在したかったがお盆期間は混むだろうし、19日から都立図書館でアルバイトする約束があるので、15日(月)~18日(木)日とする。お盆は終わったのに繁忙期料金でプラス千円という。仕方ないか。

安い行き方、安い行き方と探したところ、新宿発朝9時、軽井沢経由、万座・鹿沢口(JR吾妻線の駅がある)12時半着長距離バス千9百円を発見。直ちに予約。終点は草津。地図を見ると、万座は軽井沢のかなり北、白根山を挟んで草津のちょっと西にある。

バスの乗客は学生らしい若い人ばかり。2席×2列=40席で3分の2くらいの入り。通路を隔てた女性の二人連れの窓際席の方が、しきりに通路席の娘の背中や脇に手をやって揉んだりする。最近の仲良い娘たちはそんな風にするのかと思っていたら、窓際席のは男だった。「温泉泊の準備なんかするんじゃねえよ!」と掴みかかりたい。SA休憩の機会に前の空席に移動、心の平安を取り戻す。

軽井沢駅で憎い二人連れを含め乗客の3分の2くらいが下車。軽佻浮薄・軽薄軟弱な奴らだ。外もキャピキャピした奴だらけで自転車に乗ったりしている。駅もオシャレ、店もオシャレ。シャラクサイ所だ。軽井沢近辺のひどい渋滞のため、万座・鹿沢口着は午後2時。

☆ 豊国館
30年近く前に万座に来て家族で泊ったのは日進館。古い木造で、山の斜面にある苦湯とか黒湯とかの五つのお風呂に入れた。スキーの後、お風呂を結ぶ暗い急な廊下を伝い、暗いお風呂を梯子した。雪が浴室の天窓から吹き込んで、娘ははしゃいだ。その後、日進館は失火で全焼し、娘が通っていた保育園の保母さんが焼死した。あの廊下を火が煙突のように通って燃えたのかなと思う。

今、日進館は再建されて、キャピキャピしている。当時まだなかった万座プリンスホテルや万座高原ホテルなんかと同じだ。豊国館は、昔ながらの木造宿。部屋は和室のみ。お風呂は四畳半位の男湯と女湯、4m弱×12mくらいの混浴の露天風呂。宿の前には「歓迎・大露天風呂」の大看板が立っているが、露天風呂の脱衣場には「せまいお風呂なので、さわがないでください」と張り紙してある。豊国館主人はお風呂の広さに強い関心があるようだ。

泉質は「酸性含硫黄-ナトリウム―硫酸塩―塩化物泉(H2S型)」で「苦湯」。置いてある茶碗で口に含むと苦い。柘榴から甘みを抜いたような味。湯温は80度位か、かなり熱い。浴槽に流れ込む源泉は透明だが、浴槽の湯は湯の花がいっぱいで青みを帯びた乳白色。淳一郎先生とか淳一先生なら、「熟れた女の豊満な下腹」なんかを連想するのだろう(ぼくはその辺、よく分からないけど)。

ホースの水で湯温を調整している。「水を入れっぱなしにしないで下さい」と張り紙してある。薄まっちゃうんだろうな。浴槽はごつい木を組み合わせたもの。長年月を経て木目が浮き上がっている。掃除時間(入れない時間)はない。50年ほど前、学生時代に万座・鹿沢口から徒歩で登って湯治にきたことがあるというおじいさんの話では、掃除は月に一度くらいだそうだ。「湯を抜くといっぱいにするのに時間がかかるからね」と説明してくれるが、広い露天風呂の方でも5・6時間もあればいっぱいになりそうだ。「どこだったかの先生によると、万座の中ではここの湯が一番いいということだ」と2回言った。おじいさんは豊国館贔屓なんだ。

露天風呂は建物の横の戸外にある(当り前か)。浴槽の周りはもう穂を膨らませ始めたススキ。その後ろの灌木の茂み越しに万座峡が遠望できる。湯には塵、虫、落ち葉がまったく浮いていない。丸太をくり抜いた給湯樋の反対側の浴槽の上が横10㎝・深さ1㎝ほど排出口として切り込まれていて、落ち葉を湯に浮かせると、2m位を5・6分流れて排出された。湯の表面部分だけが流れ出る。成程ね。

初日15日の夜は満月だった。まさに十五夜お月さん。夜12時頃、宿の人は洗面器を重ねたりして風呂場を片づけるらしい。その後は入る人はほとんどいない。満月と飛ぶ雲を眺め、峡谷を吹きわたる風でほてった体を冷ます。ひとり。薄の穂が揺れる。

案内書に湯の効用(適応症)がいろいろ書いてあり、そのいくつかに心を撃たれた。「真菌症(水虫)」(ぼくのは根絶せず、拡散しているようなのだ)、「高血圧」「動脈硬化」(退職後、血圧は大幅に下がったけど)、「皮膚掻痒症」(夏でも時々皮膚の一部が痒い)。「体質改善」なんてのもある。何にせよ、「改善するといいな」と思う。

pp_convert_20110820102221.jpg  houkokukan-2.jpg 豊国館露天風呂

☆ 食事
洋風の食堂でいただく。一人客がぼくを入れて3人。おじいさん夫婦2組。おじいさん夫婦と娘、30台夫婦各1組、子ども連れ2組などなどで30人位。広いので席の3分の2位は空いている(「3分の2」が多いな)。自炊部のお客さんは客室で食べる。おかずは普通の民宿より多めの品数。原価が高そうなものもないが、冷凍物はなく、手をかけている感じ。ご飯とみそ汁は熱くておいしい。おかわり自由。

これなら半自炊でみそ汁に玉子を落として朝食は十分だ。海苔を持っていけば植物性繊維も足りる。夕食は、レトルトのマーボ豆腐とかビーフシチューとかローストビーフとかを持っていけばいい。昼食はレトルトのカレーでカレーうどん。カレーラーメンもいい。

自炊室では、おじさんとおばさんがお喋りしながらそれぞれ何か作っていた。2食付きのお客さん同士は挨拶を交わす程度だが、自炊部のお客さん同士は仲が良さそうだ。子ども連れもいる。若い娘はいない。自炊室は8畳間の縦半分位の面積でガスコンロが6台。鍋・釜・薬缶、食器多数。冷蔵庫。み~んな、ただ。

☆ 本白根山トレッキング
三日目、17日。太ってきたので運動することにする。万座観光協会のHPに夏のハイキングとしてこれが紹介されていた。若い娘達が、笑いさざめきつつ、花を愛でつつ、野山を散策するのだ。ぼくはひとりだけど、微笑みつつ、花を愛でつつ、野山を行こう。コースは万座温泉入口から本白根山頂(2,165m)で標高差365m。片道6.2㎞、往復12.4㎞だから4時間もあれば大丈夫。るんるん。

だが実態はほぼ登山だった。9時出発。とっつきから平均仰角30度位の登りの木道、というより木の階段でそれが延々と続く。10時半になっても行程の半分。そこは本白根山よりにちょっと低い山の頂で、本白根山に登るにはその間の深い谷に降りねばならない。谷への道は熊笹の中をはるか下にのび、暗くて見通せない。

ぼくはぞっとした。万座-本白根山の標高差は365mだが、登りは計700mにはなるだろうし、300m近い降りが加わる。大体、6.2㎞というのは平面である地図上の道をくるくる回る物差しで測った数字だろう。登り降りの実際の行程距離は、これにtan30°を乗じたもののはずだ。ぼくは意志とか根性とかとは無縁だが、ここは勇気をもって引き返すこととした。

途中出会ったのは二人。一人は自然保護官という感じの男で、ストックを両手に本白根山の方から走ってきた。もう一人は若い兄ちゃんで、マラソンスタイルで万座の方から走ってきてはきはきと「こんにちは」と言い、しばらくして駆け下ってきた。ぼくが諦めた-じゃなくて、「勇気を出した」地点-冷静にいうと「折り返した地点」から彼も戻ってきたようだ。かなりのハードトレーニング。木の階段(15cm位の隙間がある)を踏み外せば骨折。牛若丸みたいだ。それにしてもどこに野の花がある? 熊笹ばかりの山道じゃないか。コースを間違ったかな。

☆ そのほかのこと
○ 最高気温は26℃。日没後は急速に下がり、丹前を羽織る。
○ 温泉には朝・昼・夕・深夜と、日に4回は入った。水虫は大幅に改善したようだ。
○ ビールは隣の高原ホテルの売店で淡麗生500mlが210円。
○ この方面には車で来る人が大部分。9割は車だ。白根山麓の広大な駐車場は大混雑。万座・鹿沢口発、JR吾妻線・上野直通の草津4号は心配になる程がらがらだった。宇沢弘文教授は、米軍の日本植民地化方針の柱の一つが戦争協力した米国自動車産業のための市場化=高速をはじめとする道路整備政策だと語っている(『始まっている未来』58-61p)。成功したんですね。

万座温泉: 万座温泉は海抜1,800m。秀峰白根山(2.162m)の大自然にいだかれた日本屈指の高地温泉です。風光明媚な眺望と、清冽な空気に恵まれたまさに理想的なリゾートです。源泉は硫黄泉で約80度の高温。湧出量は1日に540万リットルに達しています。豊富な湯量に恵まれ、泉質は20種類を越え、名湯中の名湯といわれてきました。胃腸病・リュウマチ・神経痛・呼吸器・婦人病などに効能が顕著で広く知られています。(資料と写真:万座温泉観光協会、豊国館HP)

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入院生活(25日目・退院日)

8月18日(木)
◆ 退院日である。空調の効いた病院から酷暑の世界に戻ってきたら、体調を崩すのではないか、出来るだけ入院していた方がいいと面会に来た人や、電話での話の中で、必ず言われる。入院していたくとも治療が終れば退院しなければならない。空きベッドを待っている人もいるだろう。

お盆あけから涼しくなるなどいう話をあてにしてどうにかなるだろうと思った。しかし退院日である今日はよりによって都心は今年の最高気温で36.1度。ニュースでレポーターが銀座の街角で寒暖計を指差した。43度という表示だった。夜20時の新橋駅前で32度だった。私の住む街の隣練馬は37.9度。浦安では水道からお湯が出たという。その暑い世界に一歩踏み出さなければならない。

退院後の治療

主治医と担当医が退院の挨拶に来た。そこで主治医はこれからの方針を述べた。25日の外来診療からレナリドマイドを服用する。デキサメタゾンと併用するかどうかについては考える。レナリドマイド単独、またはレナリドマイド+デキサメタゾンが効果を失ってきた場合、ベンダムスチンをプラスする。

新薬であるベンダムスチンに関しては、まだ十分な臨床経験がなく骨髄抑制がどの位になるのか、どのような副作用がでるか十分に把握できていない。国内で行われた多施設フェーズ2試験の結果、好中球減少症で、グレード3が25%、グレード4が48%となった。かなり骨髄抑制が強い薬だ。好中球の減少に対して通院では対応が難しい。したがってベンダムスチンの投与の際には入院してもらう事になる。こういった説明があった。

◆ 私のいた病室は出入りが激しい。入院後3日目で一人が退院した。そのベッドの来た人は今週月曜日に退院した。隣のベッドの人は先週の土曜日、前のベッドの人は明日退院だ。月曜に隣のベッドに入院した患者は投薬だけの治療で2週間の予定だという。肝臓内科の人で短期間の人が何故かこの病室に集まる。血液内科の患者は長期入院が多いが、ほかの科ではこんなものかもしれない。

病院にとって患者が2週間以上入院すると利益がどんどん減少していく。なるべく早く退院させたい。血液内科でも化学療法の区切りの時それが3,4日でも一旦退院させる。すぐに戻ってくるのだから外泊扱いにしてもらえば荷物を持ち帰りまた持ってくるといった手間も省けるが、きちっと退院という形をとるために荷物は持って出なければならない

月曜日入院した人は80歳で、朝2錠、夕方2錠薬を飲む。それを2週間行う。副作用として、手足の乾燥と湿疹予防のためケラチナミン軟膏と抗生剤の軟膏を適宜手足に塗る。その患者には入院時看護師が説明していなかった病室の設備についてアドバイスをした。

その事もあってか、就寝後、12時頃まだ眠っていなかったが、ベッドの所に訪ねてきて治療内容が不安で眠れない。大丈夫だろうかという相談を持ちかけられた。4人部屋で今は3人だ。私たち以外は80歳位でずっと寝ている人で金曜日に退院する。少しくらい大丈夫だろうと思いベッドの上の電気をつけて相談にのった。

◆ 思いつくまま話した「医者は患者の年齢や体重、既往症など十分考慮して薬を処方する。その薬の副作用に対処するための支持療法も用意している。確かに人によって副作用は様々であり、未知数な部分があるからこそ、通常服薬だけだったら通院でも出来るはずだが、あえて入院で対応するというのは極めて慎重で丁寧な対応といえるだろう。そういった意味で安心して治療に専念した方がいい。

副作用に関しては、自分が誰よりも分かる。自分の体の異常に関してはきちっと医者に対して主張していって適切な処置を求めていくことが重要だ。吐気やだるさや発熱など関して、それが重ければ薬を減らしたり服薬を中止したり臨機応変に対応してくれるだろう。自己主張さえ出来れば何の心配もない。」こういった話をしたら、安心して自分のベッドに戻っていった。


 入院から退院までの第2回DCEP療法に関しては、「治療経過ダイジェスト・4」のまとめてあります。参照して下さい。     trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1076.html

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入院生活(24日目)

8月17日(水)
検査結果
IgM   3629(8/17)←4223(8/10)←6357(8/3)
白血球 2000(8/17)←1500(8/15)←2100(8/12)←1800(8/10)
好中球 860←670←1160←1260
赤血球 270←268←283←272
ヘモグロビン 8.8←8.6←9.1
血小板 4.7←4.8←2.8←4.3


思ったより好中球が増えなかったが、予定通り明日退院する。IgMは2000台まで下がると思っていたが、そこまでは行かなかった。今日の数値が下げ止まりか、まだ下がるか分からないが、大幅な減少は期待できない。こういった状態で次をどうするかは極めて難しい。

昨日担当医に今日の血液検査の項目にIgMを入れとほしい、またIgGを検査してもらいたい。恐らくかなり少ないだろうから免疫グロブリン製剤の投与をお願いできないか、と聞いた。担当医は外来でやってもらいたい、という。IgMの検査は退院後の治療にとって不可欠だ。24日の外来でどの様な治療を行うかの極めて重要な指針となる。IgMの検査に関しては主治医と相談することになった。

後で看護師に聞いて知ったことだが、入院患者の治療に関してはパックになっていて、治療内容に応じてどの様な手順で行うか、どのような検査を行い、どういった薬を使うのか、つまりどの位の費用で行うかあらかじめ決められている。感染症などへ対応はまた別個に考えられている。このパックに含まれた以外の検査や薬の投与は治療に如何に必要かを医事課の方に説明しなければならない。

何故医事課がここまで厳しく統制するのか。それは健康保険審査委員会が保険適用を却下した場合、患者負担分の3割は患者が加入している健康保険組合から患者に請求が行くが、6割は病院がかぶってしまう事になる。

そういった危険があるので、医事課としては使用薬品や検査に関して厳しく制限して、審査委員から却下されないように工夫している。そういった指導が医事課からあるので担当医としては、なかなかパックの中に入っていない検査をやりたがらないのだ。外来の場合は全て患者に請求できるので医者としては患者の要望通りの治療や検査が可能だ。

眼科の診療
定期的な眼科の診療である。左眼に中にあるサイトメガロウイルスが外に広がらないように定期的にチェックしなければならない。14時頃眼科診療室に呼ばれた。最初に風をあてて測る眼圧計で眼圧を測った。それで計測した時に左の眼圧が28とかなり高くなっていた。前回は測った時には、8とむしろ基準値を下回っていた。この変動は何故か。医者が別の方法で眼圧を測った所19だった。

医者が言うには、左眼の炎症が眼球内の水分を減少させた場合、眼圧は下がる。炎症が房水の出口を狭めてしまうことがありその時は眼圧が上がる。上がった場合眼に違和感があれば、キサラタンの点眼を再開してもらいたいということだ。左目にはサイトメガロウイルスが存在し炎症を起こしているが、それが今の所限られた部分に止まり他の影響はない。右眼は何の問題もないという診断だった。

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入院生活(22日目)

8月15日(月)
検査結果
白血球 1500(8/15)←2100(8/12)←1800(8/10)←600(8/8)
好中球 670←1160←1260←100
赤血球 268←283←272←222
ヘモグロビン 8.6←9.1←8.9
血小板 4.8←2.8←4.3←3.0


G-CSFの投与を11日止め、その影響が今日当たり現れてくるだろう。好中球は670であった。自力で1000まで行くのには後3,4日はかかりそうだ。退院日8月18日は予定通りである。

朝の採血の時通常は2本採るのだが、輸血を予定している時には4本採る。その内の2本は輸血用で、クロスマッチを行うそうだ。つまり輸血する血液と採血した血液に拒絶反応がないか調べるということだ。どの病院でもやるのかどうか分からないが、このような慎重な対応は患者の輸血への不安を取り除いてくれるだろう。

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入院生活(20日目、21日目)

8月13日(土)
◆ 「EコールEコール2号棟1階エレベーター前」場所は違うが週1回くらいこの放送がされる。すると手の空いている医者や看護師がその現場に大至急駆けつけていく。この放送は“emergency call”(緊急呼出)といって、階段や廊下などで倒れたりした人がいたらそれが心臓に原因があるのか、脳に原因があるのか判断して早急に措置しなければならない。

どの医者を呼んでいいか分からないので緊急放送をかけて空いている医者と看護師を呼ぶ。また例えば歯科とか眼科とかの治療中急に別の症状が出で、それが緊急性を要する可能性がある場合緊急放送をするということだ。入院して病室内に入れば何かあればナースコールで看護師を呼んで対応してもらえるが、外来患者などへの緊急対応放送だ。

◆ 隣のベッドにいたA君が退院した。1ケ月位の検査入院で検査が終れば退院するのは当然だが、問題は彼に下された結論だ。「膝の腫れと痛みに関しては原因が分からず、治療法がない」これはA君にとってあまりに苛酷な宣告だ。あらゆる検査をして整形外科の医師がチームを組んで様々な方法を考えた。しかし結論として「治療法はない」であった。確かに全国には様々な整形外科医がいて彼に膝の治療が出来る医者がいるかもしれない。しかしその医者を探す道程はまたかなり困難ものとなるだろう。

入院中、膝の腫れには氷枕を膝に当てていた。痛み止めに関しては色々試し効果がある薬を模索していた。最終的にはオキノームなどを含むオピオイド系の痛み止めを使用するようだ。彼は家に帰っても膝を湿布薬で冷やし、痛み止めを飲むしかない。歩く時も痛い膝をかばうようにしか歩けないし、ましてや運動は出来ない。彼は24歳、就職のことも考えていただろう。しかし膝が治らない限りそれも難しい。どんなに絶望的思いで退院していっただろう。慰める言葉もなかった。

◆ 夕方、面会に来た人が、外に食事に行こうという。確かに病院で3度3度食事が提供されるのは限りなく有り難いが、病人用なので味付けが淡白になるのはしょうがない。たまにはこってりしたものが食べたくなる。近くのレストランで駐車場のある所といえば文京クリーングリーンコート位しか思いつかない。ここだとイタリアン、中華、和食の店があるどれを選んでもいい。病院の夕食をキャンセルして、外出許可をもらって出かけた。

外は依然として暑いが、17時ということもあるのか涼しい風が時おり吹いてくる。入院してからまだ20日も経たないのに外の風景が何故か懐かしいような気がする。病院から文京グリーンコートまでは車で5分もかからない。中華料理にした。ここは広東料理店だそうだ。病院食以外を久しぶりに食べるとそれだけでおいしく感じる。ましてや名店の味だからなおさらだ。食事を終え周辺を少しドライブして病院に戻った。来週木曜日には退院で何処にでも食べに行けるのだが、入院中に食べに行くというのがまた一層料理の味を引き立たせるものなのだ。

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 広東料理 「海外天」                  文京グリーンコート


8月14日(日)

同じ職場では働いていたH氏が見舞いに来た。年齢は私より一つ下だ。定年後も同じ職場で働こうと思えば働けたが、腰痛の持病があったので退職した。働いていた職場ではどうしても腰を使わざるをえない。事務などの軽い仕事をしようと思った。退職後職安で色々探したが、60歳という年齢では彼の希望するような仕事は全く存在しなかった。大体が清掃や警備などの肉体労働だ。しょうがなく仕事探しをあきらめて年金と貯金で細々と暮らしている。家のローンを既に返してしまっているというのは大きい。

腰痛の原因は脊椎が曲がっていてそれが神経を圧迫するというものだ。手術は年齢的にもかなり負担を強いる事になるので、さらに悪化しもう手術しかないといった段階になったらやるという事になっている。通常はコルセットで固定して日常生活は問題なく送れる。しかし、毎年定期的に悪化する。今年も2月ばかり入院した。さらに前立腺が悪化し薬を服用している。またしばらく前血便が出たので、大腸検査をした。3個ポリーフが見つかった。1日入院してレザー治療でポリーフを取り除いた。

年齢を重ねると体あちこちに問題が起こってくる。60年以上こき使ってきたのだからそろそろがたが来てもしょうがないとは思う。人によって様々な出方があるが皆不本意ながらその病気と付き合っていく外ない。そしてそれに見合った生き方を試行錯誤しながらも探していく外ない。

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入院生活(19日目)

8月12日(金)
昨日15時頃、図書室とネットの出来るパソコンのある別館の「こまどり」に行こうと思って病院の二重扉を開けて外に出た。湿った熱風が体を覆う。熱帯雨林に入り込んだ暑さだ。くらくらとする。病院では24時間28度の空調の中にいる。余計外との差が強烈だ。果たしてこのような環境の中で退院後残りの夏を過ごすことが出来るのか。

天気予報では東京は今週ずっと35度で埼玉は37度となっていた。ニュースでは色々な所の気温を測っていた。天気予報で35度あれば、実際にはコンクリートの照り返しなどで街の気温は40度以上になっている。舗装道路の真上の温度は50度を指していた。とても普通の生活ができる環境ではない。しかし誰もが文句も言わずこの暑い中で仕事をせざるを得ない。自然現象だから誰にも文句は言えない。

高気圧が日本をすっぽり覆っている典型的な夏型気圧配置なのだが、何故こんなに気温上がるのかの説明は天気予報士からはない。現象的には日々の気温上昇に関して、高気圧が下降気流に圧迫されて高温になったとか、西風が強く高気圧が関東地方に流れ込んできたいわゆるフェーン現象で気温が上がったなどの個別的な説明はあるが、何故夏の気温が年々上昇し続けているのか。

昔から比べると地表の温度が3度上がっているとグラフを見せる。気温の上昇を地球温暖化にためといって片づけることが出来るのだろうかと思ってしまう。年々上昇する気温、昨年はせいぜい32度という数字が並んでいたような気がする。それが平気で35度という数字が並ぶ。普通の人でも辛い夏だろう。病人や体弱い人や高齢者にとってはあまりにも苛酷な夏と言わざるを得ない。

検査結果
白血球 2100(8/12)←1800(8/10)←600(8/8)←400(8/5)
好中球 1160←1260←100←140
赤血球 283←272←222←273
ヘモグロビン 9.1←8.9←7.3
血小板 2.8←4.3←3.0←2.9

G-CSFの投与を昨日終了したが、その結果がどのように出るか。前回は1170あった好中球が560まで下がってしまった。それから自力で増えていくのに一週間かかった。担当医は好中球1260という数値を見て何時でも退院できると言っていた。G-CSFを打ち切った後どの程度好中球が減少するかについて考慮にいれているのだろうが、半分にまでなってしまうこともあるとまでは思っていないだろう。患者を喜ばせるために言ったのかもしれない。一般的に患者は一日も早く退院したい。しかし外の暑さを考えると、退院ということを手放しで喜べない。全くすごい夏になってしまったものだ。

血小板の輸血をした。輸血も最後だろう。退院前のダメ押しの輸血といった所だ。今回の血液検査の結果、今まで基準値内にあったCRP定量が2.84と急激に増加している。原因は分からないが、細菌やウイルスが活性化しているのか。担当医は白血球が一定あるので大丈夫だろうと言っていった。2,3日様子を見る外ない。

G-CSF打ち切りが昨日だったせいもあるのだろう。白血球、好中球の減少はほとんどなかった。前回も打ち切りから3日目から減少してきたので、月曜日の血液検査ではかなり減少しているだろう。まだ白血球の値が不安定だということもあって、来週の月曜日と水曜日の血液検査の結果を見てから退院する事にした。

退院日は8月18日(木)と決めた。体の変調がない限りこの日に退院することになった。

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入院生活(17日目)

8月10日(水)
検査結果
IgM   4223(8/10)←6357(8/3)←6368(7/20)
白血球 1800(8/10)←600(8/8)←400(8/5)←500(8/3)
好中球 1260←100←140←330
赤血球 272←222←273←272
ヘモグロビン 8.9←7.3←9.2←9.1
血小板 4.3←3.0←2.9←4.8


好中球の数値はまだ下降するのではないかと思っていたが、予想に反して大幅に上昇した。好中球が下がり始めてから一週間で上昇した。1260あれば外出も出来る。ベッドのビニール覆いや空気清浄機も取り払われた。生禁食も一般食になった。

G-CSFで底上げしているのは確かだが、それにしても急激な上昇だ。2月の入院の時、好中球は0まで落ち、下がり始めてから1000を超えるまでに17日かかった。今回の治療は今日までの所、今までの化学療法で一番楽な治療だと言える。口内炎に悩まされることもなく、抗がん剤の副作用もなくこのまま過ぎればいうことはない。

これでかなり感染の恐れが少なくなった。気分的にはかなり楽だ。2月の時苦しんだ突発性発熱には今回見舞われなかった。好中球がここまで上昇した限り、今後その恐れはほとんどないだろう。後はC-CSFを中止し、自然増を待てばいい。血小板の数値がまだ低迷しているが、抗がん剤の影響が薄れてくれば上昇してくるだろう。

IgMの数値も検査結果がでた。4223だった。前回の時、6370あったIgM2670まで下がるには2週間以上かかった。後一週間以上経たないとどこまで減少するか分からない。何処まで下がっていたとしてもまたすぐに上昇を始めるIgMに対して退院後どのような治療を行うか未定だということである。少なくとも11月の治験までどのように上昇を抑えることが出来るかそれが問題だ。

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入院生活(15日目)

8月8日(月)
検査結果
白血球 600(8/8)←400(8/5)←500(8/3)←1900(8/1)
好中球 100←140←330←1700
赤血球 222←273←272←263
ヘモグロビン 7.3←9.2←9.1←8.7
血小板 3.0←2.9←4.8←4.7

血小板と赤血球の輸血を行う。赤血球輸血のためが分からないが、午後からだるさが取れてきた。夜は9時まで本を読んでいられた位だ。体の消耗感が減ってきた分、就寝後中々寝付けなくなる。

だるい時とか熱があるときには何時間でも寝られる気がする。そうでない時には入院生活においては、昼間動いていないせいもあるが、中々寝付けず、睡眠時間がかなり短くなる。いつも3、4時間位しか眠れない。4時頃目が覚めて早く起床時間の6時にならないかなと思っていた。これは体調のいい印だ。疲れが取れていなければそうは思わない。起床前のベッド体操も10分以上やった。

体調の回復は赤血球の輸血のせいだけだろうか。IgMの状態も影響しているのではないか。IgMが減少していてそれが体調回復に影響を及ぼしている気がする。IgMが急激に増えて来る時には、2月の時もそうだったが激しい肉体的消耗感にさいなまれた。今回もそうである。

入院時IgMは7000を超えていたが体調には全く問題はなかった。おそらくまだその頃は体中のあらゆる機能が活躍していて体調の維持を図っていたのだろう。年齢による衰えや長年の抗がん剤治療により造血機能含めて様々な機能が後退している現状の中で過去と比較は出来ないだろう。

今日の22時までで、入院時から継続していたソルデムの点滴が終った。抗がん剤治療中は1日1.5L、その後は1Lが今日まで24時間継続して点滴されていた。今までは何処に行くにも点滴のキャリーがついて回った。それがなくなると何と身軽になるのだろうと思った。G-CSFなど点滴が必要な時にだけ管につながれるだけ済む。

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入院生活(13日目、14日目)

8月6日(土)
体の状態

 体のだるさがついてまわる。ステロイドの点滴を終ってから、入院前ほどの消耗感はないが、疲れやすくすぐに横になりたくなる。横になると昼間でも眠ってしまうことがある。本も1時間以上続けて読む集中力がない。夜は8時過ぎには眠くなり、パジャマに着替えてそのまま眠ってしまう。結局4時頃から目が覚め眠れないが1日の睡眠時間はかなり取っている。

少し体を動かした方がいいとは思うが、今は外に出られないが出られる時にでも病院の周りが工事中なので散歩できる状態ではないし、ソルデムの点滴をしていて、キャリアを押していかなければならないという制限があり、散歩はしなかった。

せめて起床前のベッド体操でもしようと思う中々気力が出てこない。10分位のメニューを用意しているが、適当な所で疲れを感じ頓挫してしまう。こんな状態だと寝たきり状態だし、体は衰退する一方だ。無理は出来ないが何とか体を動かす工夫をしていかなければならないだろう。

 入院していると、寝ている以外に動かなければならないことはかなり限られている。食事をする時、食事が終わり食器をスタッフルームの前にある食器運搬車に返しにいく。その外、歯磨き口腔ケア、トイレ、風呂以外は全く動く必要がない。時々テレビ見たり、パソコンに血液検査データーを打ち込んだり、日記を書いたりする。検査に行ったり、歯科など外の科の外来に行く時は動くがめったにあることではない。

つまり自分で動こうと思わない限り、1日まともに体動かすには10分位しかないことになる。食事中は座って採るが、へたすると22時間位横になっている。人は怠惰に流れがちだ。体がしんどいとつい横になりたくなる。そういった気持ちをどうコントロールしていくのかが退院後の日常生活に大きな影響を与えるだろう。


8月7日(日)
110病棟の患者
■ 110病棟は血液内科と、肝臓内科の患者が入院している。7割方が血液患者だ。一応血液患者の病室と肝臓患者の病室は分けられているが、緊急入院などがあってなかなかうまく分けられていない。

私の入っている病室は血液患者2名、肝臓患者2名となっている。看護師は血液内科担当と肝臓内科担当という具合に分けられていなくて、この病棟の看護師は両方を受け持つ。ある看護師は「肝臓患者には動けない人が多いので力仕事が多い」と言っていた。

同じ病室には3人の患者がいる。どんな病気でどんな治療を受けているかよく分からない。一人はかなりの年寄りで1日ほとんど寝ている。もう一人4日前に入院してきた。色々な検査をやっている。

 今日3人のうちの一人A君と話す機会があった。彼は3年前急性リンパ白血病で入院し、染色体の検査(フィラデルフィア染色体陽性)から行って予後不良の分類に入っていたが、移植(臍帯血移植)も成功し、その後再発の兆候はない。彼は少年だと思っていたが24歳だという。

白血病の方は収まった。移植後の急性GVHDは発疹位でたいしたことはなかった。1年半後慢性GVHDか、抗がん剤の副作用か、又はそれとは全く無関係な原因かは医者も判断がつかないが、骨に異常が出てきた。膝が腫れ痛みだした。ステロイドを使用してなかったので骨がもろくなるということはなかったのでそれは助かったと言っていた。最初の骨の異常に関してはどうにか乗り切ったが、3年目の最近再び悪化してきて今回の入院になった。
        
整形外科で対応しているので血液内科とは別に領域の治療だ。骨の一部に壊死があるのではないかという話をしていた。整形外科の医者が何人かチームを作って対応しているが、今の所痛み止めの処方など対処療法をしている位だ。

膝の腫れ炎症に関しては氷枕で冷やしている。痛み止めとしてオキシコンチン、オキノームなどオピオイド(麻薬)系の名前が出てくる。帯状疱疹神経痛鎮痛薬リリカの名前も出てきた。どの薬が効くか色々試して見ているのだろう。今日の痛みは5段階のうち2、だとか3だとかいう話が聞こえてくる。昨日2時間程の検査に出かけた。
        
CT、MRIなど種種の検査をした。しかし痛みや腫れの原因は分からず治療法については見出すことは出来なかった。治療法が分からないということだ。手術といった方法も取れない。当面症状が変化するまでは対処療法しかないということだ。痛み止めを服用し、定期的に膝の検査をして様子を見るということだ。そういったことで打つ手もなく間もなく退院ということだとA君は言った。

痛みへの対処は極めて難しい。痛みに意識が集中して外に何も出来なくなる。痛み止めの重要さはそこにある。また皮膚疾患もありこれは皮膚科で見てもらっている。かゆみも入院生活を快適に過ぎすには大きな障害となる。痛みかゆみこれをどうにかすることがまず第1の課題だ。その後原因療法へと進んで行く。

 同じ病室の2人目の人は、80歳位の人だ。食事以外は一日中寝ている。食事もほとんど手を付けない。看護師が食事は取れているかなど色々世話を焼く。寝たきりなので、看護師の仕事は介護老人の世話のようなものだ。時間外に看護師が風呂に入れ、その間シーツ交換など行なった。

彼は特に治療はしていない。治療後の体力回復のための入院を続けている。最近は自力で歩いてトイレに行けるほどには体力が回復してきている。入院当初はうまくしゃべれなかったが、最近看護師と通常会話が出来るようになった。外の階から移ってきたが、どのような治療をやって、あんなにも体力を消耗させたのだろうか。体内の酸素が不足しているなどの残っている問題点を解決すれば退院できる。

■ 3人目の人は先週水曜日に検査のため入院した。60歳前後の人だ。一昨日本格的検査を行った。前夜から食べ物の制限など細かい指示が看護師から行なわれている。当日は食事なしで9時から検査が始まり、病室に戻って来たのが2時頃だった。朝昼食抜きだったが、食事を採る気力もなかった。

その後高熱が出てそれが今日になっても収まらない。医者からは熱が下がれば退院ですよ、と言われたが中々熱が下がらない。検査といっても大変な労力を必要とするようだ。

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入院生活(10日目、12日目)

8月3日(水)
検査結果
IgM 6357(8/3)←6368(7/20)
IgG 253(8/3)←122(6/15)
白血球 500(8/3)←1900(8/1)←4400(7/30)←5200(7/28)
好中球 330←1700←未検査←3130
赤血球 272←263←235←249
ヘモグロビン 9.1←8.7←8.0←8.4
血小板 4.8←4.7←5.9←5.9


久しぶりにIgMの数値を測った。抗がん剤投与が終ってまだ3日目だ。大体効果が現れて来るのは3週間ばかり経ってからだろう。しかし今回は7月20日の診察日以降IgMの値を測っていない。7月20日以降は一切治療をしていないので、入院時にはIgMは7000を超えていただろう。そうなると8月3日の6357という数字はIgMが減少した数字となる。

前回のIgMは1月26日に6730、入院前の2月2日には8400まで上昇したが抗がん剤治療終了後3日目の2月14日には6370に減少した。今回もこのパターンであった可能性はある。

IgGの値も低い。8月1日に引き続いて、明日も免疫グロブリン製剤の点滴を行うことになった。

予想どおり、抗がん剤治療が終って3日目で急激に白血球(好中球)が減少した。ベッドはビニールに囲まれ空気清浄機(アイソレーター)が設置された。今日からG-CSFは毎日点滴する事になる。食事は生禁食となる。生物禁止といっても食事の大分が加熱調理済みのものだから、サラダが温野菜になる位の変化だ。


8月5日(金)
検査結果
白血球 400(8/5)←500(8/3)←1900(8/1)←4400(7/30)
好中球 140←330←1700←未検査
赤血球 273←272←263←235
ヘモグロビン 9.2←9.1←8.7←8.0
血小板 2.9←4.8←4.7←5.9


治療に使ったシスプラチンが腎臓に負担をかけるというので大量の水分補給をしたが、腎臓の状態を表示するクレアチン、尿素窒素の値もこの間基準値に収まっている。好中球の下降はこれからも続くだろう。感染に注意と言われもビニールで覆われたベッドにいるのだからそれ以上注意しようがない。日和見感染については注意しようがない。どんな菌が活性化してくるか予想できるものではない。

特にヘモグロビンが減っているわけでもなく、熱がある訳もないが、今日の風呂の時、15分ばかり入って出ようとし着替えを終えたとき、めまいがして風呂場の椅子にしばらく座って休まざるを得なかった。部屋に帰ってすぐ横になり、昼間まで寝てしまった。かなり体が消耗している感じがする。血小板の輸血。

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入院生活(8日目)

8月1日(月)
検査結果
白血球 1900(8/1)←4400(7/30)←5200(7/28)←3400(7/25)
好中球 1700←未検査←3130←1140
赤血球 263←235←249←193
ヘモグロビン 8.7←8.0←8.4←6.6
血小板 4.7←5.9←5.9←2.7


血小板の輸血を予定していたが、数値的に大丈夫だろうということで中止になった。白血球に影響が出始めている。明日免疫グロブリン製剤の点滴を行う。白血球の減少を少しでも免疫グロブリンで補う外ない。

2,3日後には白血球が減少し始めるでしょう。そうすると、ベッドには、ビニールがかけられ、空気清浄機が作動しその中に入っていなければなりません。その状態では病棟・病室から出ることは出来ません。病室ではインターネットは使えないので、別の館の「こまどり」という所を利用しています。しかしそこに行くことは到底出来ません。従って10日以上はブログの更新は出来ない事になります、またコメントを読む事もそれに対する返事をする事もできません。

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入院生活(5日目、6日目、7日目)

7月29日(金)
眼科の診療
眼圧検査で左8、右15という数字が示され時には勘違いかと思って聞きなおした。左眼は以前から眼圧高く一時は30を越えるほど高く、眼球の痛みや頭痛などをもたらした。ダイヤモックスや眼圧降下剤で、抑えてきた経過があった。前回は14、前々回は15と徐々に減少し、眼圧降下剤も寝る前のキサラタンの点眼だけにしていた。

しかし今回の左眼の眼圧下降は何を意味しているのか。担当医は眼球の超音波検査をする事にした。白内障で眼底検査が出来ないので、超音波で調べる外ない。左眼の眼底で炎症を起こしていて、それが眼球を拡大している。また炎症を起こすと房水の成長が押さえられるので眼圧が下がるということだ。もはや視力としては機能してない左眼が色々と悪さをしている。右眼は炎症も見られず全く問題ないとのことだった。キサラタンの点滴は中止になった。左眼のサイトメガロウイルスによる炎症をどうしていくかが問題だ。


7月30日(土)

久々に晴れた。外は暑いだろう。病院の2号館完成して、14階まで上がれる。14階のエレベーター・ホールの左右にある談話室からは周辺の眺望が楽しめる。階数は14階だが高台にあるので、建物の影になる東側以外は見渡せる。

駒込病院012_convert_20110801153519 駒込病院011_convert_20110801153551
 東京・丸の内方面、赤坂・六本木方面

駒込病院010_convert_20110801153616 駒込病院001_convert_20110801153435
 新宿副都心方面、文京グリーンコート・サンシャイン60

7月27日から始めた化学療法は、今日で最終日だ。10時にすべて点滴のから開放される。ソルデムだけは残るだろうが。化学療法中体調はむしろ家に居た時よりもずっと良くなっている。だるさや疲労感は収まってきている。赤血球の増加と、デキサメタゾンのせいだろうが、デキサメタゾンの点滴が終ったらまた後退するかも知れない。

点滴が終れば次は副作用の対応だ。前回は治療終了日から3日目で好中球が90まで落ち、7日目で10にまでなってしまった。10日以降100台にはなったが、回復したのは17日目に1170になってやっとだった。

毎日G-CSFを点滴していたが中々効果がでず、17日間も危険領域にあったというわけだ。今回も予想されるその期間いかにして感染から肉体を防衛できるかが重要になっている。同時に減少する赤血球や血小板は輸血で対抗できるが、常在菌として保有している様々な細菌の活性化が予想されそれに対する白血球への対応が極めて難しく、重要である。

検査結果
白血球 4400(7/30)←5200(7/28)←3400(7/25)←3600(7/20)
好中球 未検査←3130←1140←1340
赤血球 235←249←193←234
ヘモグロビン 8.0←8.4←6.6←8.1
血小板 5.9←5.9←2.7←2.7

明日赤血球の輸血をするということだ。8.0という数値は輸血するかどうかぎりぎりの
所だが、どちらにしてもこれから下がるのは分っているので早めに処置するのだろう。


7月31日(日)

昨日までは睡眠が中々とれなかった。デキサメタゾンの影響であるのは確かだし、3Lもの水分を点滴しているので、トイレに起きなければならないということもあった。昨日終ったステロイドの影響も薄れて来たのだろう。20時には眠りに着いた。まだ水分補給のソルデムの1日1Lの点滴は続いていてトイレに何回か起きなければならないが、起きてもまた横になるとすぐ寝付ける。朝5時過ぎまで10時間近くぐっすり眠ることが出来た。今までの休んだと思っていたがやはり睡眠不足であったのだろう。人間の体とはうまく出来ているものだ。

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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