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明日から広河原温泉峰旅館に行く。

5月29日(火)
 明日から2泊3日で猿ヶ京温泉から車で15分位の所にある1軒宿の広川河原温泉峰旅館に行くことにした。IgMの数値がなかなか下がらないし、血球も中々回復しない。2,3泊でどこかに旅行でもしたい気分だ。昨年9月に那須塩原駅からバスで1時間位、さらに歩いて30分以上の秘湯といわれる北温泉に一緒に行ったY氏に連絡して見た。彼は最近温泉に凝っていて一人旅で何ヶ所か行っている。退院したら連休明けにどこかに行こうという話はしてあった。

電話でY氏はいう「川古温泉・浜屋旅館はどうだろう?山中・川沿いの完全な1件宿(温泉街ではない)、露天風呂、源泉かけ流し、1万円以内。宿の人は感じいい。昨年冬に行った。雪景色は良かったけど、外歩きができなかったし、寒いためぬるい湯が物足りなかった。5月末なら周りを散策するのにもいい場所だ。」

考えても温泉旅館の知識が皆無なので別のアイデアが出てくる訳ではない。いい所だといわれればそれに決めるほかない。秘湯だというだけあってやはり不便だ。上野から新幹線で上毛高原まで1時間10分、上毛高原から猿ヶ京温泉までは30分、ここまではいいがここからは旅館の車で送迎してもらわなければならない。15分位の所だが、温泉に着いたらそこから出かけるには、旅館の送迎の車かタクシーしかない。

 その後Y氏からメールが来た「浜屋旅館から歩いて5分の川古温泉養魚場のそばに、広河原温泉峰旅館というのがあるという。前回は大雪で、外に出るなど思いもよらなかった。浜屋旅館の別館なので浜屋旅館の宿泊客は入湯無料。訪問者のブログを見ると、とても良い温泉らしい。」

「峰旅館」は「川古温泉・浜屋旅館別館」という位置づけで、お湯は38度と夏場に最適なぬる湯。泉質はカルシウム・ナトリウム―硫酸塩泉、アルカリ性低張性温泉。

o050_convert_20120529231047.jpg  広河原温泉旅館峰玄関

ブログを読むと各部屋に一枚岩をくりぬいたような露天風呂があるという。部屋から3歩で風呂に入れる。「鄙びた山の一軒宿らしからぬ贅沢ぶり」といえる設備だ。食事は本館から運ぶので同じ。建物は木造で、コンクリートの本館より温かみがあるという。こういう記事を読んで、「浜谷旅館」ではなく、広河原温泉の「峰旅館」に宿泊場所を決め、明日(30日)と明後日(31日)の2日間の予約をした。

 温泉紹介のブログの中の記事に興味を引かれた。「旅館には岩風呂のほかに共同の内湯がある。ここで毎月湯治に来ているという方とよくお話しをした。効果のある抗がん剤が、もはやなくなってしまったという。ここのお湯に賭けていらっしゃるようであった。1日4時間以上入ろうと決めているんです、という。

日本全国どこの温泉宿でも、そこの温泉ががんに効く、とは謳っていない。多くの人々の口伝えによって、がんにも効くと言われている温泉場が各地にある。山の中のここのお湯を頼りに、毎月遠路はるばる通ってくるその女性は、温泉を選ぶときにそれらの人々の言葉ではなく、自らの体感で判断されたようである。」(ブログ・「まるみの 湯気の向こうに」より)

温泉でがんを治せるとは思っていない。患者交流会でよく会う人が、秋田の玉川温泉によく行くという話を聞いた。温泉の効能は確かにあるかもしれない。造血臓器を刺激したり、身体の防衛力増強や治癒力が増進したりする効果はあるかもしれないが、それでがんが治るわけではない。温泉に出掛け体をリフレッシュさせ、病気を治していくのだという前向きな姿勢で、確信を持って日々を過ごしていこうとすることに意味があるのだろう。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
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血液内科の診療

5月27日(月)
検査結果
IgM     8230(5/28)←6877(5/21)←6225(5/14)←6419(5/7)
白血球   2400←3000←2600←1600
好中球   740←1430←1040←410
赤血球   241←231←211←235
へモグロビン  7.6←7.3←6.8←7.5
血小板   1.9←3.0←3.6←2.4
尿酸    8.4←9.4←8.0←8.4


IgMが8230と治療前の数値に戻ってしまった。一週間で1400近くの上昇とは、服用したラステッド(エトポシド・25mg)が全く効果はなかったということだ。自家抹消血幹細胞採取の時200mgを3日間連続して使用したが、これでも全く効果がなかったのだから、25mgでは効くはずがない。

医者にラステッドを使用した理由を聞くと、連続して服用することで段々効いてくるということだ。さらに一週間続ける方がいいといった判断も出来るが、ラステッドががん細胞に影響を与えているといったどのような兆候も見られない。これでは継続使用は無理だ。

ラステッドはがん細胞には全く効果を与えなかったが、血球には影響を与えてる。先週輸血した赤血球だけは微増したが、白血球も血小板も減少してきている。ラステッドが効かなかったらベルケイドを使用すると行った事も視野に入れていた。しかし血小板がこのように少ない状態では、骨髄抑制の中でも血小板を減少させるベルケイドはとても使用できない。

それでは何を使用するのか。エンドキサン(シクロホスファミド)200mgを2日間、レナデックス(デキサメタゾン)40mg4日間服用し、これが効果があれば続けて同じ療法で行っていくことになった。昔からあるMP療法、CP療法の変形で、アルキル化剤とステロイドの併用療法だ。私の形質細胞腫瘍にはアルキル化剤は有効なのだが、骨髄抑制が強いため白血球の減少により、治療を中断せざるをえないことがあった。今回も既に白血球の値は低い。何処まで治療が継続できるかどうかが問題だ。

血小板が減少した。ラステッド(エトポシド)の影響だろう。がん細胞に全く影響を与えず、血球にだけ影響を与えるとは何という薬だ。何もしないほうがましだということになってしまう。血小板が1.9では輸血をせざるをえない。2.0以下だと自動的に輸血をすることになっている。本来赤血球も8.0以下だと輸血をするのだが、今回は血小板の輸血をした。

5月になってから毎週輸血をしている。1日の退院の日には血小板、7日には免疫グロブリン製剤、14日には赤血球、21日にも赤血球、そして今日は血小板だ。造血器機能が衰えているのか、DCEP療法の影響が続いているのか、なかなか血球の数値が回復しない。

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ねりまの散歩道-城北中央公園コース

5月27日(日)
 曇りの気配を全く感じさせないいい天気だ。風もさわやかだ。2時間ばかりの散歩に出かけるには絶好の日和である。「ねりまの散歩道」を見ていたら近場で手軽でまだ行ってない所があった。城北中央公園コースだ。出発駅の氷川台までは有楽町線に乗れば5分とかからない。

歴史の香りがただよう城北中央公園コース: このコースは、城北中央公園を中心に練馬北部に位置する。城北中央公園を中心に、由緒ある史跡や寺院、神社が数多く点在し、散歩道に歴史の香りをただよわせている。

有楽町線氷川台駅→氷川神社→光伝寺→荘厳寺→城北中央公園→栗原遺跡の竪穴住居跡→田柄川緑道→円明院→金乗院→北町1丁目バス停→平和台駅

 氷川台駅から氷川神社へは5分位だ。境内でラジコン飛行機を飛ばしている大人の人がいた。広い所といえばすぐ傍に城北中央公園があるのでそこでやった方が気持ちいいのではないかと思う。ラジコンといえば、昔子供にかこつけてラジコンのスポーツカーを組み立てて走らせたものだ。知り合いにラジコン飛行機が趣味の人がいて毎週のように近くの河川敷まで行って飛ばしていた。ラジコンはどちらかというと大人の遊び道具のような気がする。

氷川神社の境内には、練馬の名木となっているムクノキがある。高さ23m、幹周2.9mという大きさで、この木を中心として木々が生い茂り、また竹林もあってひっそりとしたおごそかな雰囲気を作り上げていた。

氷川神社から城北公園通りを渡って光伝寺に行く。木々に覆われた参道を通り山門を潜る。山門の横に、枯山水庭園を模したものか、庭園がある。岩と芝と土の組み合わせでそれなりの雰囲気を出している。本堂のほかに十一面観世音菩薩堂がある。また誠心堂又は閻魔堂ともいわれている建物があり。閻魔十王、三十三観世音菩薩が安置されている。六地蔵も由緒のあるものらしい。本堂の前の高野槙(まき)は、横に立て札があってどういった内容か分からないが「NHKのニュース番組で放映されました」と書いてあった。

城北中央公園に向う途中に荘厳寺がある。光明真言塔のいわれが横の立て看板に書いてあった。1748年に当地に住んでいた175人の人達によって立てられたものだそうだ。宝篋(ほうきょう)印塔が本堂の横にありこれについても由来が書かれていた。「源流は中国で、呉越の王「銭弘俶」が宝篋印心呪経を籠めた小銅塔を八万四千個造立し、全国に配布したと伝えられている。宝篋印塔という名前は鎌倉時代から使われており、塔の中に宝篋印陀羅尼経を納めることから出たといわれている。段状の笠(屋根)と隅飾と呼ばれる四隅の突起が最大の特徴である。」

氷川神社
古くから下練馬村の鎮守だった。社伝によると、もとは石神井川付近、泉が湧きでていた「お浜井戸」のところにあり、長禄元年(1457年)に渋川氏が足利氏との戦いの途上、武運長久を祈って建てたと伝えられている。現在でも当社は参拝者が多く、「鶴の舞」などの伝統的行事とともに、地域の人々からも親しまれている。

城北中央公園コース004_convert_20120526220027 氷川神社参道

城北中央公園コース003_convert_20120526220101 氷川神社本殿 

城北中央公園コース011_convert_20120526220154  城北中央公園コース012_convert_20120526232240

光伝寺(大明山無量院 真言宗豊山派)
始めは浄土宗に属していましたが、江戸時代に真言宗に改宗したといわている。第18世の教海和尚は、正久保橋(旧弥右衛門橋)が腐りやすい木橋であったので、私財を投げ出し、江戸から2人の石工を呼び寄せて堅固な石橋に造り替えるなど、衆人の徳を集めた人物とされている。

城北中央公園コース032_convert_20120526220913 光伝寺山門

城北中央公園コース026_convert_20120526220747 城北中央公園コース020_convert_20120526225827
 光伝寺本堂と境内にある練馬の名木・高野槙(高さ14m、幹周2.4m)

城北中央公園コース013_convert_20120526220447  城北中央公園コース025_convert_20120526220712
 十一面観世音菩薩堂                  誠心堂・閻魔堂(閻魔十王、三十三観世音菩薩安置)

城北中央公園コース022_convert_20120526232338  城北中央公園コース028_convert_20120526220822
 六地蔵菩薩                        光伝寺庭園

荘厳寺(医王山不動院 真言宗豊山派)
創建の歴史は古く、天正年間(1573~1592年)以前と推定されている。最近、この寺に安置されている無量寿仏(阿弥陀如来)の胎内から、文書が発見された。寛文10年(1670年)に住職雪峻叟が記したもので、文書には、この寺に新しく無量寿仏を造立するにあたって、喜んで協力した多くの信者名が書かれている。

城北中央公園コース035_convert_20120526220954 荘厳寺山門

城北中央公園コース041_convert_20120526221049 荘厳寺本堂

城北中央公園コース043_convert_20120526221127  城北中央公園コース037_convert_20120526221207 宝篋印塔と光明真言塔

 荘厳寺から道路を渡ると城北中央公園が広がる。野球場2ケ所、少年野球場2ケ所、陸上競技場1ヶ所、テニスコーと公園のかなりの面積がスポーツ施設で占められている。その周りが林になっていて散歩やジョギングのための遊歩道が整備されている。また石神井川沿にも遊歩道があり散策する場には事欠かない。競技場の周辺は深い木々に囲まれ近くに住む人の憩いの場になっているのだろう。

栗原遺跡の竪穴住居跡を見て、縄文時代や弥生時代ならまだしも奈良時代においても庶民の生活はかなり悲惨であったのではないかと思う。何時の時代でも同じだが、為政者は都の建設や自分たちの生活には惜しみみなく金を使うが、庶民を貧困の中におくことには何らの痛みも感じないのだろう。、

城北中央公園

区の東部、板橋区にまたがり、石神井川の左岸台地に広がる。昭和17年に防空緑地として位置づけられ、昭和32年から上板橋公園として開園し、昭和45年に現在の名に改められた。緑豊かな木々に囲まれた野球場、競技場、テニスコートなどがある。

城北中央公園コース049_convert_20120526221414  城北中央公園コース045_convert_20120526221445
 陸上競技場と野球場周辺の遊歩道

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 公園の木々

栗原遺跡の竪穴住居跡
この住居跡は、今から約1200年以上も前の奈良時代の竪穴住居。昭和30年に運動場を建設した時、この敷地内で先土器時代から縄文・弥生・奈良時代にわたる遺構や遺物が発見された。この竪穴住居は竪穴の上に屋根を復元したもので、内部に4本の柱とカマドがあり、庇のついた出入り口が造られている。住居跡はこのほかに18戸も発見され、ここに集落があったことがわかり、鉄製の鎌、鋸、手斧、のみなどが出土している。奈良の都の華やかさに比べ、当時の地方農民の生活がどのようなものであったかが推測できる。

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 城北中央公園から田柄川緑道を歩きながら金乗院に向う。途中に円明院がある。ここには色々な石像が陳列されている。山門の左右には8体の地蔵尊や観音像が並べられている。中でも昔からご利益があると知れれているのが山門左の一番道路側にある地蔵尊で血の道地蔵、またはいぼとり地蔵と呼ばれている。境内の中にも幾つかあり、なぜ地蔵(合掌地蔵)、六地蔵、水子地蔵、聖観音、興教大師像などが点在している。寺院によって特徴があって面白い。

今日の予定の最後である金乗院に向う。山門脇の大イチョウに目を奪われる。大イチョウの説明書には「区内で最も大きく、徳川家光のお手植えと伝えられ地域のシンボルとなっている」とあった。それで練馬の名木として指定されたそうだ。氷川神社のムクノキ、光伝寺の高野槙(まき)、そして金乗寺の大イチョウと神社仏閣には銘木が多い。それだけ歴史があるということだろう。最近は寺院も改築の時鉄筋コンクリートで市民会館風な建物を作り歴史を感じさせるものは全くない。せめて名木が建物に変わって歴史を語るのであろうか。

田柄川緑道
地域の人たちから“グリーンベルト”として親しまれている「田柄川緑道」は、光が丘「秋の陽公園」から「城北中央公園」まで東西5キロメートルほど続く、田柄川を暗渠にした遊歩道である。遊歩道沿いには木々も植えられ、トイレや水道、ベンチも設けられているため、散歩を楽しむ人も多い。

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円明院(慧日山円明院西光寺 真言宗豊山派)
開山僧行真、開基賢栄阿闍梨と伝えられ、賢栄阿闍梨の名を刻した文亀2年(1502)の板碑が境内から発掘されていることから、1500年前後の創建と考えられる。門前の三体の地蔵の最も道側の小さい地蔵が血の道地蔵だった。またお祈りをするといぼが取れることから通称いぼ地蔵あるいはいぼとり地蔵といわれている。

城北中央公園コース057_convert_20120526221908 円明院山門

城北中央公園コース005_convert_20120526232312 円明院本堂

城北中央公園コース065_convert_20120526222047 城北中央公園コース067_convert_20120526222121 城北中央公園コース070_convert_20120526222200
 聖観音                  合掌地蔵(なぜ地蔵)          水子地蔵

城北中央公園コース072_convert_20120526233210  城北中央公園コース060_convert_20120526233131 
 興教大師像と血の道地蔵・いぼ地蔵(山門横の塀の前の一番左側の小さな地蔵)   
 

金乗院(如意山金乗院萬徳寺 真言宗豊山派)

本尊は愛染明王。元禄年間(1592~1596年)の建立と伝えられています。慶安2年(1649年)、3代将軍家光公から12石1斗のご朱印を賜った歴史のある寺で、周辺の寺を末寺としていた。木造、かわらぶきの朱塗りの山門は、家光の専用門といわれ、本堂前には、家光の手植えと伝えられる大イチョウがある。

城北中央公園コース075_convert_20120526222435 城北中央公園コース084_convert_20120526222902 
 金乗院入口周辺と大イチョウ(練馬の名木・高さ18m、幹周5m)

城北中央公園コース083_convert_20120526222510 金乗院山門

城北中央公園コース079_convert_20120526222549 大師堂

城北中央公園コース082_convert_20120526222639 金乗院本堂

 田柄川緑道は川越街道にぶつかる。そこから東武線の練馬駅の傍を通り、光が丘公園に向う。川越街道からどうやって帰るか考えた。丁度東武東上線の練馬と上板橋の真ん中だ。緑道から川越街道に出ると、目の前に「北町一丁目」のバス停があった。平和台駅を通る。東武線に乗ると池袋で有楽町線に乗り換えなければならない。平和台からだと一本でいける。このバスを利用することにした。1時間3本しか出ないが時刻表では間もなく来る。しかし川越街道は渋滞している。結局15分待ってバスはきた。

(参考資料: 練馬区公式HP・ねりまの散歩道)

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茨城フラワーパーク

5月23日(水)
茨城フラワーパークへ
出かけるには絶好の日和だ。今の時期ならバラだろう。京成バラ園や谷津バラ園には行ったことがるあので、ハイキング気分も楽しめるような所がないか探してみた。花の名所案内に今まで全く登場していなかった「茨城フラワーパーク」という所に行きあたった。

常磐線の石岡駅からバスで30分の所だ。列車もすいているし、それ程有名でないので混んでいないだろう。色とりどりの花があり、ふれあいの森があって森林浴も出来るだろうし、山頂へのハイキングもでくきる。一日花を見るだけでなく、山の中を散策しゆったと過ごすにはいい所だろう。

石岡までは上野から1時間弱だ。バスは時刻表どおり5分待って出発した。フラワーパークに行くバスの本数はあまりにも少ない。2,3時間に一本という間隔だ。石岡駅で乗ったバスに乗客は3人しか乗っていなかった。帰りのバスも見ておかないととんでもないことになる。石岡行きのバスは14時21分というのがある。これに乗らないと次は18時31分までない。1日に5本しか出ていない。バスの乗車時間は長かったが、筑波山を見ながら田園風景の中を走るのは中々気持ちのいいものだ。

フラワーパークの駐車場にはそれなりの車が止まっていた。何処の観光地でもそうだが、路線バスで行く人はめったにいない。皆マイカーを利用する。最も1日5本しかでないバスを利用しようとは思わないだろう。

フラワーパーク: 東京ドーム約4個分、広大な花と緑の公園。650品種30,000株のバラのテラスを始め、シャガの大群落ややまゆりの大自生地、福寿草やクリスマスローズなど、四季折々の花々が咲く。花のすべり台やアスレチックもあり、ご家族全員で楽しめる。(茨城県観光物産協会HP)

四季の丘周辺
フラワーパークの入口には、地元でも人気だという農産物直売所や物産館がある。来訪者センターで切符を買って中に入る。センターから庭に入ると全体が丘になっていて、そのなだらかな斜面上に様々な種類の花が咲いている。また丘の頂上にある展望台が見える。その展望台が山の頂上で、そこまでのハイキングコースがあるのだろう。

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 来園者センター                       マリーゴールドの花壇 

入口にはマリーゴールドの花壇が鮮やかな色彩を放っている。ベゴニアで作った円柱も飾られている。センターの前ではバラの鉢植えを販売ていた。そこから「四季の丘」に登っていく。様々な種類の花が咲いている。芍薬がピンクと白の花をつけて、花の重みでお辞儀をしているようだ。

途中から芝桜だと思ったが、白と黄色のじゅうたんが広がっている。近くで見ると小さなマーガレットのような花が咲いている。花の名前は分からないが、その白と黄色小さな花があたりの大地一面を埋め尽くしている。

茨城ウラーワーパーク140_convert_20120524205447  茨城ウラーワーパーク153_convert_20120524205404
 芍薬

茨城ウラーワーパーク138_convert_20120524205300  茨城ウラーワーパーク148_convert_20120524211310
 ムラサキツユクサ                      ツツジ

茨城ウラーワーパーク145_convert_20120524205630  茨城ウラーワーパーク146_convert_20120524205739

四季の丘に沿って池があり噴水が高く上がり涼しげだ。この池の周りに2月頃だったら福寿草が咲いているだろうし、7月になれば山ゆりが咲くだろう。

今は黄色の菖蒲が水辺に咲いている。また池の周辺にクリスマスローズもひっそりと白い花を付けている。ツツジの木は池の周辺に植えられ等間隔に真っ赤な花を付けている。池に注ぐ沢に沿った道を上って行くと展望台までのハイキングコースという表示があった。

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山頂の展望台と芝生広場
アジサイ園のなかを進んで行く。丘の結構きつい斜面一体にアジサイが植えられている。間もなく花が咲くだろう。かなり広い面積だ。一画がアジサイ品種園になっていて、名前が表示されたアジサイの木々並んでいる。

あじさい園の中を10分ばかり登ると、「シャガ群生地」といった看板がある。そこから山頂までの一面がシャガの群生地だった。100万株あるというシャガの真っ白い花が当たり一面を埋め尽くす様は見事だったろう。しかしもはや花は全て落とし咲いていなかった。緑色のつややかな葉が斜面全体に広がっているばかりだった。

シャガの群生地が終ると、山頂芝生広場が現れる。ここには展望台とアスレチック、休憩所、トイレなどがある。上り坂がかなり急で厳しかった。こういった山道を登ったのは随分昔のような気がする。坂道は避けて平地ばかり歩いていた。休憩室で十分の休息を取り、まず展望台に登った。

茨城ウラーワーパーク002_convert_20120524195403 筑波山

茨城ウラーワーパーク003_convert_20120524195447 来園者センター方面

茨城ウラーワーパーク007_convert_20120524195518 山頂芝生広場

展望台からは360度景色が望める。特に目の前にそびえる筑波山が印象的だ。来訪者センターが小さく見え、公園全体が俯瞰できる。山頂広場からふれあいの森を経由し、芝生広場の方に下っていく。ふれあいの森には花の滑り台やフラワーサイクルという遊具があり子供連れには必要なのかもしれない。大温室の中で熱帯植物を眺め、今日の主要目的であるバラ園に向う。

大温室の熱帯植物
茨城ウラーワーパーク026_convert_20120524195624  茨城ウラーワーパーク024_convert_20120524195703 
 ブーゲンビリア                        ベトレア

茨城ウラーワーパーク027_convert_20120524195736  茨城ウラーワーパーク032_convert_20120524195823
 ホザキノトケイソウ                      ランタナ

バラ品種園のバラ
バラ園では最初にバラ品種園に行ってみた。300種類のバラが植えられている。それぞれ花の名が記された札が立っている。聞いたことのない名前も多い。

茨城ウラーワーパーク039_convert_20120524200018  茨城ウラーワーパーク070_convert_20120524200604
 ニコール                           リオサンバ

茨城ウラーワーパーク043_convert_20120524200047  茨城ウラーワーパーク051_convert_20120524200119
 ジェミークリケット                     マーガレットメリル

茨城ウラーワーパーク053_convert_20120524200153  茨城ウラーワーパーク055_convert_20120524200250
 サンブラ                           ムーンスプライト

茨城ウラーワーパーク060_convert_20120524200337  茨城ウラーワーパーク067_convert_20120524200219
 ゴールデンジュビリィ                    ダイアナ・プリンセス・オブ・ウエールズ

ベゴニアとダリア
バラ品種園の横に展示栽培温室があって、豪華な球根ベゴニアを中心に個性あふれるベゴニア類1000鉢、ボリュームたっぷり巨大咲きダリア約200株が展示されている。温室に入ってその色彩の鮮やかさに驚かされる。ダリアの華やかで、多種多様な花模様と色彩にあふれる色の乱舞にまず感心する。このように一箇所に大量のダリアを見たことは始めてだ。

ダリアと同時にベゴニアの種類の多さにも驚く。大体は花屋で見るベゴニアの花は小さいが、展示されているベゴニアはダリアに負けないほど色彩豊かだ。つり鉢仕上げのものも含めてこんなにも種類があるのだと初めて知った。

展示場だというだけあって、びっしりと飾られているので、花の色彩に圧倒されてしまうほどだ。外で見るのとはまったく違って、展示会として鑑賞するのにふさわしい配置と並べ方が、見る者を花の世界に誘い入り込ませてしまうようだ。

茨城ウラーワーパーク074_convert_20120524215441  茨城ウラーワーパーク077_convert_20120524203443
 温室の入口                         ダリアの鉢植え

茨城ウラーワーパーク078_convert_20120524203532 茨城ウラーワーパーク085_convert_20120524203607 茨城ウラーワーパーク087_convert_20120524203646
 ベゴニアのつり鉢仕上げ

茨城ウラーワーパーク080_convert_20120524203735  茨城ウラーワーパーク089_convert_20120524203822  

茨城ウラーワーパーク090_convert_20120524204000  茨城ウラーワーパーク092_convert_20120524204128
 ベゴニアの華麗な花々

バラテラス
いよいよバラのテラスに咲くバラを鑑賞しよう。バラ祭りが5月26日から始まるとあったので、まだ見頃ではないだろうと思っていた。フラワーパークのHPでは3分位と書いてあったが、なかなかどうしてかなりのバラが花を付けていた。

ただバラの配置の仕方が、区画ごとに同じ種類なので変化に乏しいような気がする。谷津バラ園などでは色の配置を考えて植えてあり高いところから見ると色彩のグラデーションを楽しめるという工夫があった。しかし3万本という大量のバラの配置はかなり難しいだろう。谷津バラ園の4倍以上の本数なのだ。

ここでは広い斜面にバラが咲き誇る時はむしろ区画ごとに同じ色の集まりが、遠くから見ると色彩的にも迫力がある見事な配置を作り上げているのかも知れない。行灯仕立のつるバラに囲まれたバラのテラスに咲き始めたバラはこれ以降さらに大きく花が開き来る人の目を楽しませてくれるのだろう。

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 つるバラのフェンス仕立て               つるバラのバーゴラ仕立て

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 カクテル                 コンフィダンス               ロザンナ

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14時21分のバスまでは時間があったので、レストランのガラスの窓から見えるバラテラスに一面咲く色とりどりのバラ楽しみながら食事をした。バスは時間どおりに来たが、フラワーパークで乗った人もいなかったし、その外の乗客は一人もいなかった。

全体的に人が少なくゆったり出来た。公園は来園者センターの周りには人が結構いたが、アジサイ園からシャゲの群生地、山頂周辺では全く人に会わなかった。バラのテラスでも数人が散策している位だった。人が少ないと落ち着いた気分で鑑賞できる。

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血液内科の診療

5月21日(月)
検査結果
IgM     6877(5/21)←6225(5/14)←6419(5/7)←6096(5/1)
白血球   3000←2600←1600←1000
好中球   1430←1040←410←200
赤血球   231←211←235←239
へモグロビン  7.3←6.8←7.5←7.6
血小板   3.0←3.6←2.4←1.2
尿酸    9.4←8.0←8.4←6.3

最近は採血が終わってから30分位で診療に呼ばれる。IgMの数値が出るまでには1時間半位はかかる。以前はIgMの数値が出てから呼ばれたが、輸血をする場合準備にかなり時間がかかるので、早めに診療をすることにしたようだ。診療の時は総淡白でIgMを類推し、それで善後策を考えることにしている。IgMの数値は、輸血をする時には点滴針を刺しに来た時に教えてもらうが、輸血がない時には1,2時間後に電話で聞く。

総蛋白が11.0あった。前回10.6の時IgMは6225だった。そこから判断すると7000近くまで上がっている可能性が強い。こうなるともはや様子見というわけには行かない。主治医は次の治療法について考えてきてくれた。悪性リンパ腫の治療ではよく使われてるエトポシド(商品名ラステッド、ペプシド)という薬だ。ラステッドSカプセル25mgをとりあえず一週間毎朝服用するという事になった。

エトポシドはアルカロイド系抗がん剤で、「トポイソメラーゼⅡ阻害剤」に分類される。これは、細胞内のDNAの分裂、増殖や再結合に必要な「トポイソメラーゼ」という酵素の働きを抑えることで、抗腫瘍効果を発揮する薬剤である。この薬は、既に何回か使用している。自家抹消血幹細胞採取の時、1日200mgを3日間点滴した。副作用が強く出て発熱、食欲不振、脱毛、倦怠感などで寝ていることが多かった。今回は量が10分の1ほどなのでそれ程の副作用はないだろう。

自家抹消血幹細胞採取でエトポシドを単剤で使用したが、この薬のIgMに対する効果は全く見られなかった。始めた時IgMは2880であったが、採取が終った時のIgMは2980であった。かなり強力なエトポシドという抗がん剤を使用した割りに、IgMには効果がなかった。またDCEP療法の3種類の抗がん剤の一つでもある。この薬がほかの薬と相乗効果をもたらしIgMの減少に影響を与えたのかもしれないが、単独では効果は期待できないかもしれない。

赤血球が中々上昇しない。7.3しかないので、今日もまた輸血することにした。赤血球や血小板が低迷しているのはDCEP療法での抗がん剤の影響が続いているからなのだろうか。また尿酸値が急激に上昇してきている。今まではアロブリノール100mgを1日1回服用していたが、朝昼晩の3度服用することとなった。

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もっと知ってほしい多発性骨髄腫

5月19日(土)
「もっと知ってほしい、多発性骨髄腫」と題してのセミナーがUDXオープンカレッジ、NPO法人キャンサーネットジャパンなどの共催で、14時から16時30分まで、秋葉原UDX4階・UDXシアターで行なわれた。

セミナー002_convert_20120520003453  セミナー003_convert_20120520003527 秋葉原UDX

開会挨拶に続き14:05から15:05まで基調講演として「多発性骨髄腫の診断・治療と今後について」虎の門病院 血液内科 伊豆津 宏二医師からの話があった。

休憩を挟んで、15:25から16:25まで「Q&Aセッション」が行なわれた。骨髄腫に関する質問が事前に回収してある質問用紙に沿って司会の方からなされた。司会をPatient Advocate Liaison (PAL) 代表 古賀 真美さんが行ない、回答を虎の門病院 血液内科 伊豆津 宏二医師が行った。

基調講演


初めてこの病気について学ぼうとする人にもわかりやすく、多発性骨髄腫に関するパンフレットや本に書いてある内容ではあるが丁寧に解説していった。

1、多発性骨髄腫とは・骨髄腫を疑う症状(臨床所見)
-形質細胞の異常増殖が様々な症状をもたらす。
骨痛(病的骨折)、腎障害・腎機能異常、貧血(赤血球の減少)、易感染性、高カルシュウム血症(多飲、多尿、口渇、便秘、悪新・嘔吐、意識障害)、神経症状(脊椎骨の圧迫骨折による頸、胸、腰部痛)

2、どのような検査で分かるのか(初診時検査)
抹消血検査-赤血球、白血球、血小板の検査。貧血の程度は症候性骨髄腫の診断や病期の判定に重要。
骨髄穿刺(マルク)、生検-骨髄中の形質細胞の割合を調べる。
M蛋白-血清と尿の蛋白分画を検査。M蛋白の量は病期を決定する。
血液生化学検査-総蛋白が高い、アルブミンが低い、血清クレアチニン、血清コレステロールの検査
画像検査-レントゲン、PET、CT、MRI・骨病変を調べる

3、診断
特定の免疫グロブリンが増加しM蛋白が増える。血液検査と尿検査。病期の判断をする。骨髄腫による高カルシウム血症・腎不全・貧血・骨病変・その他(過粘稠度症候群、アミロイドーシス、年2回以上の細菌感染)を臓器障害と規定し、M蛋白の量に関わらず、臓器障害のいずれかを有するものを症候性骨髄腫とする診断基準を定めた。

4、治療
多発性骨髄腫の年齢別罹患率を見ると圧倒的に高年齢の人が多い。65歳以上と65歳以下の治療法が異なる。65歳以上の場合はMP療法、ベルケイド+デキサメタゾン、サリドマイド、レナリドマイドなどを組み立てながら、M蛋白の増加を押さえていく。65歳以下の場合VAD療法やベルケイド+デキサメタゾンを用いた化学療法でM蛋白を減少させた後に移植を行う。

5、支持療法
骨病変-ビスホスホネート(ゾメタ)による骨病変の防止、緩和。骨折への痛み止めの服用(オピオイドを含む)。
高カルシウム血症-抗破骨細胞療法、脱水補正、抗骨髄腫療法。
腎不全-腎不全の原因により治療法を選択する。
貧血-赤血球を輸血
血栓-ワーファリン、アスピリン
感染症予防-バクタ(肺炎)やバルトレック(帯状疱疹)を服用する。好中球の減少に対してはG-CSFを投与する。
その他神経障害、過粘稠度症候群、アミロイドーシス、高アンモニア血症などが合併症として起こりうるが、それへの対策も行なわれる。

6、日常生活で心がけること
腎機能を守る、水分補給。骨を守る(ビスホスホネートの定期的な投与)、感染症の予防。

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 UDXシアター                        伊豆津宏二医師と古賀真美さん       

Q&Aセッション(質疑応答)

1、歯科医は一般的にゾメタなどによる顎骨壊死の恐れなどについて知識を持っているのだろうか。

血液学会で、2,3年前に歯科医師会に、多発性骨髄腫の患者でゾメタを使用している患者への注意事項についての文書を送ってある。その文書を見ているはずだから大丈夫だと思う。

2、レナリドマイドとデキサメタゾンの服用の仕方について

レナリドマイドは21日間一定量を毎日服用するが、デキサメタゾンの服用方法について、通常デキサメタゾン40mgを4日間服用し4日間休む、また4日間服用するという事を繰り返す。しかし最近の臨床試験の結果、週1度服用する低用量デキサメタゾンンが4日おきと比べてむしろ効果があるという結果が出ている。

3、多発性骨髄腫に完治ということはあるのか。

自家移植のあと同種移植をした人で、10年以上再発していない人がいる。最近認可された3種の新薬によって、長い間再発しない例が多い。強力な治療でがん細胞を叩くといった方法を選択する人もいるが、出来るだけ再発なしの期間を長くしていくという方法でいく方がいいのではないか、QOLを維持しリスクの少ない治療を選ぶという方法がいいのではないか。

同種移植での寛解の、完治の可能性にかけるという方法もある。移植後のGVL効果を期待できる。しかし移植関連死が3,4割あるという現実もある。どういった治療を選択するか難しい点は確かにある。

4、自家移植を2回行うタンデム移植と自家移植、同種移植のタンデム移植とどちらが効果があるのか。

幾つかの国で臨床試験を行なっているが、後者の方が再発までの期間が長いという報告もあるが、生存期間に関してはまだ資料がなく不明である。

5、MGUSや無症候性骨髄腫の予防は可能か

症候性に何時なるのだろうという不安を抱えている患者にとって予防はないのかと思う気持ちはよく分かる。しかし今の所、予防のため行なった治療に効果があったという報告を聞いてはいない。

6、セカンドオピニオンの受け方

転院を目的とするわけではない、ある病院で提起された治療法が妥当かどうか、ほかの病院で確かめるという目的が主なものだろう。標準的治療であれば血液内科があるような病院であれば、ほかの病院で効いても同じようなこと合えとなるだろう。

7、抗がん剤治療中の食事、アルコールについて

アルコールに関しては、使用している薬との関連で一概には言えない。主治医に聞いてもらうほかない。通常大量でなければ問題はないと思うが、ただし外来で治療薬を投与した日はやめておいた方がいいと思う。

生物を食べていいかどうか。これは白血球の状態による。好中球が少ない時には刺身などは食べない方がいい。生の牛肉で重い食中毒にかかったことはニュースで知っていると思うが、免疫力が落ちている時には注意すべきだろう。生野菜に関してはよく洗えば大丈夫だろう。

8、骨髄腫に対して抗がん剤治療をしなかったらどうなるのか

様々な合併症に対する対症療法が必要だろう。骨病変や骨折に関しては痛み止め、感染症、特に肺炎や敗血症にはそれに応じた治療、貧血には赤血球の輸血、腎障害への対応。ともかく骨髄腫は進行し合併症は病気の進行に伴って重くなるので、症状を和らげる治療を行うほかない。

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ユベール・ロベール-時間の庭

5月19日(土)
木曜日、眼科と口腔外科の診療は11時30分に終った。東京新聞を購読しているが、料金を徴収に来る時に、野球の試合の切符か美術館の入場券をくれる。野球は神宮球場の試合で日にちが指定されているし、神宮球場でやる試合には興味がない。美術展の入場券も何種類か持ってくるのだが、なかなか興味を引くものはない。

入院前に「ユベール・ロベール-時間の庭」という美術展の切符をもらった。西洋美術館で5月20日までの開催だった。今週の日曜日には終ってしまう。聞いた事のない画家だったが「廃墟の画家」というキャッチフレーズに興味を引かれ見に行くことにした。

hubert_robert_convert_20120519121743.jpgユベール・ロベール Hubert Robert(1733-1808): 18世紀のフランスを代表する新古典主義の風景画家。廃墟や古代建築物のある風景を得意とし、時には生命力溢れる人物を配置する知的で叙情豊かな風景表現で名を馳せ、人々からは廃墟の画家と呼ばれるほど人気を博す。また庭園設計や絵画管理者としての才能も発揮し、特に1790年代後半に参加したルーヴル宮改造計画における一連の諸作品は画家の才能が随所に発揮された傑作として名高い。

展覧会について:
世界有数のロベール・コレクションを誇るヴァランス美術館が所蔵する貴重なサンギーヌ(赤チョーク)素描を中心として、初期から晩年まで、ロベールの芸術を日本で初めてまとめて紹介する。ピラネージからフラゴナール、ブーシェまで師や仲間の作品もあわせ、ヴァランスの素描作品約80点を中心に約130点にのぼる油彩画・素描・版画・家具から構成される。

展覧会は6章で構成されている。1 イタリアと画家たち、2 古代ローマと教皇たちのローマ、3 モチーフを求めて、4 フランスの情景、5 奇想の風景、6 庭園からアルカディア。

 廃墟という言葉に何故人は惹かれるのだろう。一時廃墟ブームというのがあった。廃墟化した建物が持つ特有の雰囲気に何故魅力を感じるのだろうか、 幾つかの視点が上げられるだろう。廃墟となった施設が使われていた頃の様子を想像し、愛着を感じる者、 探検感覚で廃墟を探索する者、 旧式のドアの取手や、水道の蛇口、照明器具などの収集の目的を持っている者、などがあるだろう。 いわば過ぎ去った時代を懐かしむ気持ちが大きいのではないか。

ユベール・ロベールの廃墟への関心は、ポンペイやヘルクラネウムの遺跡発掘に沸いた18世紀という時代背景が大きいのだろう。またイタリア留学で得た古代のモティーフと、画家の自由な想像力とを糧に描き出されたその風景では、はるかな時をこえて古代の建築や彫像が立ち現われてくる。それも廃墟としてなのであるが、同時に廃墟の中にあふれる木々の緑や流れる水、日々の生活を営む人々が描かれている。

廃墟の中に描かれる日常生活の生き生きとした情景は、両者のコントラストを作り上げ見る者を過去と現実との間の中に投げ込むのである。ここではもはや廃墟は過去のものではない。

ロベールは11年に及ぶイタリア滞在中に、在りし日の威容を誇る古代遺跡やルネッサンスの栄華を示す大建築、あるいは打ち捨てられて植物が繁茂する庭園などを素描した。ロベールの芸術は、精密な古代遺跡へのデッサンの下地を生かしながら、時の流れを越え、過去から現在に至る時間を自らのものとしていったのである。それは単なるノスタルジーではない。廃墟をモチーフとして描きながら、現在にどのように位置づけられるかを考えながら創作していたのだろう。

自然と人工、空想と現実、あるいは想像上の未来と幸福な記憶を混淆させ、画家は絵画と庭園の中に彼の考える理想郷を作り上げていったのである。それは過去と現在が限りない調和を作り上げている世界なのだろう。遺跡を描くことによって過去を過去として葬り去るのではなく、全ての人の心の中に存在するし、現在の全ての人の生活に密接に結びついているということを強調したかったのかも知れない。

(参考資料:国立西洋美術館公式HP)

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眼科、口腔外科の診療

5月17日(木)
眼科の診療
眼科と口腔外科の外来診療の日だった。眼科ではサイトメガロウイルスが右眼に影響を与えていないかの定期検査を行っている。左眼の眼圧がこの間3とか4とかになっていてかなり低い。眼圧の基準値は10~21mmHgだ。右眼は14~5あり問題はない。

左眼の眼底検査は白内障のため出来ないので超音波検査をした。眼底に炎症を起こしているということと房水の入口がかなり狭くなっていて来ているということによって、房水の調整機能に問題が生じ眼圧を下げているということだ。そのためアトロピン点眼液を朝晩2回点眼することになった。

右眼に関してはサイトメガロウイルスの影響は全く見られない。最近視力が落ちてきている。年齢によることもあるだろうが、白内障の兆候が見られる。まだ顕在化していないが、視力の減退はその可能性がある。

矯正視力では1.0近くまで出るので、眼鏡を変えて視力が出る間はこのまま様子を見て、矯正しても視力が出なくなったらその時は別の方法を考えようということになった。今の眼鏡ではテレビでの字幕がよく見えない。2,3日前に眼鏡屋でもっと視力の出る眼鏡をあつらえた。最近は眼鏡が安いので助かる。

口腔外科の診療
入院中口内炎の治療を担当してくれた医師がアフターケアのため診療を入れてくれた。抗がん剤治療をやっている間は、白血球が下がり口内炎になる可能性が多い。また血小板が少なくなり歯茎から出血する事もある。それに対してはどうするか。日常的な口腔ケアが必要だ。ともかく早めに治療し悪化させないことが重要である。

口内炎が出来る→痛みのため十分な歯磨きが出来ない→歯の間に食べ物のかすが詰まり細菌が繁殖し炎症を起こす→歯茎が腫れ痛みが強まる→炎症が進み歯茎から出血する→口内炎は悪化しものを食べることが困難になってくる。こういった悪循環を断ち切ることが必要だ。

口内炎が出来たらむしろ今までの倍位の歯磨きが必要だ。痛くて出来ないまま放っておくと取り返しのつかないことになる。痛み止めを使って丁寧な歯磨きをして口腔の中を清潔にし炎症を防止しなければならない。そしてアズノールでうがいをするという事を繰り返していくことが必要だ。こういった説明をした上、もし歯茎の炎症を起こしてしまったら使うようにと、コンクールFという薬を渡してくれた。

また歯ブラシも入院中使っていた一番柔らかいものから、少し固いものに変えるようにとサンプルの歯ブラシを渡された。口の中の状況に応じて、口内炎ができている時には柔らかい歯ブラシを、通常の時はもう少し硬い歯ブラシを使うという使い分けも必要だということだ。

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国営ひたち海浜公園

5月16日(水)
 昨年、MOTOGENさんのブログで「国営ひたち海浜公園」のネモフィラの情景を見て、来年には行ってみようと思っていた。ネモフィラ自体は青色なのだが、ネモフィラに覆われた丘は銀色に輝いて見えた。この光景を目にしたいものだと思っていた。

この間天候が不順だったが、今日は1日晴れで、気温が27度位まで上がるという。夏日になるということだ。着替えのシャツが必要になるかもしれないと思いながら出かけた。9時発のスーパーひたちで行けば途中止まる駅は水戸だけだ。往復切符を緑の窓口で買ったら割引があるということだった。指定席付で1000円位安くなるということだった。自動販売機で買えばそういったことはない。知らないと損をするが誰もそれを知る機会はない。ポスターがある訳でもなく窓口で聞いて初めてそれを知る。

国営ひたち海浜公園のホームペ-ジに今が見頃の花の開花状況が載っていた。ネモフィラ(見頃)、菜の花(咲いています)、クリムゾン・クロ-バー(見頃)、ポピー(咲き始め)、クリスマス・ローズ(咲いています)とあった。ネモフィラ以外はあまり見所はない。スイセンはとっくの昔に終っているし、チューリップも終ってしまった。バラはまだ咲いていない。ポピーは咲き始めというがどの程度咲いているのか見当がつかない。花満載という時期ではないが、ネモフィラさえ見られればそれでいいとしよう。

勝田駅では海浜公園行きのバスが1時間3本出ていた。バスで公園の西口ゲートまで行く。中央ゲート、南口ゲートとあるがメインは西口ゲートだろう。翼のゲートといわれている。鉄骨が左右に長く伸びた形が翼をイメージさせる。入口で配られている「ひたち海浜公園案内マップ」で今日の大体のコースを決めた。花はなく通りすぎた場所もコースとして書いてある。

西口ゲート→スイセンガーデン→みはらしの里→みはらしの丘→大草原→クリムゾン・クローバー花壇→大草原フラワーガーデン→林間アスレチック広場→砂丘ガーデン→グラスハウス→香りの谷→はだしの谷→プレジャーガーデン→ローズガーデン→中央フラワーガーデン→西口ゲート

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 西口ゲート・翼のゲート
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 西口ゲートから水のステージ方面            西池 

西口ゲートからみはらしの丘へ
西口が高くなっていて、そこから水のステージや西池を見渡すことができる。西口から池の周辺を歩くと左側にスイセンガーデンがもはや全ての花が刈り取られた状態で広がっている。ここの10,000m2のエリアには約100万本のスイセンが植えられている。池を巡り、記念の森に入っていくとウッドデッキの歩道のあるワイルドバルブガーデンがある。

森の木々の間を進んで行くと目の前が明るく開ける。菜の花の黄色と、それを前景とした、青いネモフェラの丘が空間の中に浮き出たように登場する。みはらしの里に菜の花は満開に近い花を付けていた。この黄色の色彩は菜の花越しに見える古民家の古びた建物と驚くべき調和を見せていた。

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 菜の花畑とみはらしの丘                 菜の花畑と古民家

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 旧土肥家住宅                        みはらしの丘からの眺望

「みはらしの丘のふもとに広がる畑では昔ながらの農村風景になじむよう菜の花、むぎ、ソバなどを栽培している」というように、いわば演出された一つの情景である。菜の花を見ながら、古民家の中をのぞき、みはらしの丘に登る。旧土肥家住宅は、江戸時代前期と中期に稲敷市下太田の利根川に沿った新田開発に合わせて建てられた東日本では最も古い民家のひとつだということだ。

みはらしの丘:茨城県内の工事の建設残土100万㎡を利用して整備したもので、ひたちなか市では最も標高の高い丘です。太平洋が一望でき、頂上からは西に那須連山、南に筑波山はもちろん、よく晴れた日には富士山を望むことができる。

ひたち臨海公園097_convert_20120517223606 みはらしの丘のネモフィラ

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大草原から香りの谷へ
海浜公園は57号線を挟んで大きく2つに別れている。みはらしの丘でネモフィラを堪能した後は、はまかぜ橋を渡り草原エリアに向う。大草原は面積約8ha、開放感に溢れた芝生の広場で、ひたすら芝生が広がっている。
大草原が途切れた所にクリムゾン・クローバー花壇があり、珍しい花が当たり一面咲き誇っていた。大草原フラワーガーデンには菜の花が咲いていたが、大分時期を過ぎていて花を落としていた。

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 クリムゾン・クローバー

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 クリムゾン・クローバーの花壇             ビオラの花壇 

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 大草原                           大草原フラワーガーデン

そこから林間アスレチック広場を経由して、砂礫ガーデン、砂丘ガーデン、サンドガーデン、ロックガーデンを経て「グラスハウス」にたどり着いた。ガラス張りのカフェテラスで、コーヒーや軽食が楽しめるカフェ「Sea Side Cafe」がある。建物は真新しいしゃれた造りで太平洋を眺めながらゆっくりとした食事をすることができる。

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 グラスハウス                        グラスハウス近くの展望台より

パスタを頼んだが、どう見てもレトルトのものでしかない。最近レトルトのパスタソースは結構美味しいのが出回っているが、こういった所でインスタントものしか出ないのにはがっかりさせられる。建物の雰囲気とガラス越しに見る景色の素晴らしさで相殺する外ない。

「香りの谷」に向う。ここは約2,200mの面積に、約100種類のハーブを植栽しているハーブガーデンで、四季折々様々なハーブを楽しむことが出来る。今の時期はクリスマスローズが花を咲かせている。クリスマスローズとはキンポウゲ科の多年草で、下にうつむきながら咲く姿は「冬の貴婦人」とも呼ばれている。

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 クリスマスローズ

「はだしの谷」というのがあったがこれは何なのだろうと思って行って見た。「石や砂や草が足裏の感覚を刺激します。はだしになって感触を楽しんでみてください」といった説明があった。ただそれだけのことだ。

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 はだしの谷のモニュメント                 黄金ヒバの植え込み                 

プレジャーガーデンから中央フラワーガーデンへ
そこから南口ゲートに向い帰ることも出来たが、ローズガーデンにはバラは少しは咲いているのではないか、また中央フラワーガーデンのポピーを見られるのではないかという淡い期待を抱いて、ローズガーデンに向った。127品種4000株があるという。家の近くのバラは2週間以上も前に既に花を咲かせていて今満開の状態だ。少しは咲いているのではないかと思った。しかしローズガーデンのバラは一輪も咲いていなかった。こんなにも都心と違うものなのか。

海抜100mからの眺望を楽しめる大観覧車をはじめ、25種類以上のアトラクションが揃う遊園地であるプレジャーガーデンを突っ切って、中央フラワーガーデンにいく。ここは中央ゲートから近く約10,000㎡の花畑で、春には色鮮やかなポピーが咲き始める頃だった。しかし残念ながらポピーの花畑は何人かの庭師が植え込みを行なっている所だった。まだ見頃には程遠い情景だった。

バラもポピーも不発に終わり西口ゲートまで戻り、勝田駅へのバスを待った、14時台ではバスは1時間に2本しか来ない。それでも10分も待たずにバスがやってきた。勝田駅からは往復の特急券を買ってあるのでスーパーひたちに乗ることになる。大体急行もなく、普通列車も本数が少なく、30分おきに特急を走らせ、特急料金を取っているというのが納得できない。だから割引きあるのかもしれない。

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 ポピーの植栽風景

(参考資料:国営ひたち海浜公園公式HP)

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高額療養費・外来窓口での支払いが限度額内に

5月15日(火)
 4月中は入院していたので、外来での治療がなく、窓口での新たな支払い方法を試す機会はなかった。今月2回目の診療で、実際に限度額内での支払いを行なった。事前に「限度額認定証」を提示しておく必要がある。5月7日の医療費が25300円、5月14日の医療費が23400円だったが、5月14日の支払いの時は(44400-25300=)19100円を支払えばよかった。4月からの窓口支払いの変更は次のような制度改革による。

今までは高額な治療を外来で受けたとき、病院の支払い窓口では10万円かかったら10万円、20万円かかったら20万円を一旦窓口で全額支払い、加入している医療保険組合(国民健康保険の場合は市町村の役所)への払い戻し手続きを経て、自己負担限度額をこえた分が数ヶ月遅れで返ってくる仕組みになっていた。2012年4月1日以降は、この制度が見直され、「限度額認定証」を提示することによって、窓口での支払額は高額療養費制度の自己負担限度額にとどまることになった。

自己限度額:国民健康保険の場合、一般の所得があり、1年以内に80,100円を超える支払いが3回あった場合、それ以降は44,400円が自己負担限度額だ。

 高額療養費の支払いに関して委任払い制度というものがある。私の場合、2010年10月からレナリドマイドを使用するということになって、最初1日5錠、21日間服用すると思い、100万円かかると考えていた。3割負担だとしてもその他支持療法に使用する薬を合わせると月40万円ほどかかると計算していた。実際にはレナリドマイドは1日3錠になった。

自己負担限度額を超えた金額が戻ってくるのは4ケ月先で、戻ってくればそれを回すことができるがそれまでの120万円を用意しなければならない。それが難しく相談したら委任払い制度というものがあるということだ。医療費に幾らかかろうが、月末に病院の医事課の担当者に限度額の44400円を持っていけばいいという制度だ。

 委任払い制度を適用してもらうためには、毎月区役所の国民健康保険課に行って手続きをしなくてはならなかった。その書類を病院の医事課にもって行くことが必要だった。それ以前は、健康保険課から「高額療養費が幾らありますから手続きに来てください」という通知が来るのでそれを持って、限度額以上の高額療養費を振り込んでもらうための申請手続きに区役所の健康保険課に行かなければならなかった。月一度のことだが、今回の制度改革で区役所に行く手間がなくなったのは、身体的にも気分的にも楽だ。

委任払い制度を利用していたため、今回の制度改革へのありがたみが薄いが、毎月何十万円もの額を窓口に持ってきていた患者にとっては、外来に行くごとに大金を準備する困難や、大金を持ち歩かなければならない不安や、払い戻されるまでの間のお金のやりくりに苦労がなくなるという、かなりの朗報だろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

血液内科の診療

5月14日(月)
検査結果
IgM     6225(5/14)←6419(5/7)←6096(5/1)←6369(4/23)
IgG     352←287←243←178
白血球   2600←1600(5/7)←1000(5/1)←1200(4/26)←1000(4/23)
好中球   1040←410←200←580
赤血球   211←235←239←245
へモグロビン  6.8←7.5←7.6←7.8
血小板  3.6 ←2.4←1.2←3.4


IgMが若干下がった。今週も様子見ということで何らの治療にも着手することはなかった。このまま減りもせず増えもしないのであれば何もしないで様子を見守るほかない。DCEP療法が何らかの効果を発揮していると判断することが出来るだろう。IgMが上昇してきたらベルケイドを何らかの薬と組み合わせて使用していくことになる。

白血球が上昇してきているし、IgGも上がってきている。免疫機能が働き始めているようなので、感染に関しては少しは安心できる。血小板も上昇傾向にある。来週辺りもう少し上がればベルケイドの使用が可能だろう。

ヘモグロビンの値が下がっていくばかりだ。先週は自然増加を待ってみるということで輸血はしなかった。6.8まで落ちてしまった。最近のだるさはこれに起因するのだろう。ここまで下がってしまったのは外来では初めてだ。今日はさすがに赤血球の輸血をする。今日の今日輸血用血液を頼むと準備にかなり時間がかかる。採血の時には輸血照合用血液を採ってあるので、採血して照合して準備するという手間が少しは短くなるだろが、それでも結構待たされることになった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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練馬寺社めぐり

5月10日(木)
 5月1日に退院してから、好中球が少なく、2,3,4日は雨が降っていたことこともあって、一切外出はしなかった。5日は久しぶりに晴れた。入院中から考えていたが、またラジオ体操に参加しようと思っていた。歩くことは必要だが、体全体を動かす事も重要だ。そういったことで5日から近くの公園にやっている6時半からのラジオ体操に出かけた。

病院生活の延長線上で6時前には眼が覚める。ラジオ体操を15分ばかりやって、15分位近所を歩く事を日課とした。7日の診療でまだ好中球は410と少ないが、そろそろ散歩に出かけてもいいだろうと思った。朝の天気は良く、お出掛け日和だったが、14時頃から激しい雷雨が襲うという天気予報だった。近場を回る外ない。

「東京寺院ガイド」というサイトがある。東京23区の寺院を紹介している。それと同時にそれぞれの区にある寺院を巡るための散策コースを設定し、地図付きで案内している。豊島区の寺院は結構回った。隣の練馬区に目を向けてみる。3コースを地図入りで紹介されていた。桜台・練馬・中村・豊玉コース、大泉学園町・石神井町・関町北コース、旭町・高野台・春日町・貫井コースがある。「ねりまの散歩道」のコースで回った所もある。大泉学園のコースを回ることにした。

西武線大泉学園駅→本照寺→諏訪神社→善行院→西本村憩いの森→法性院→教学院→弁天池公園→大泉学園駅

 賑やかな駅前を抜けると大泉通りに出る。そこから大泉小、大泉中の間の道を行き白子川を渡ると「しもみち通り」というかわった名前の道路出る。この道路は大泉学園通りの北園から、保谷の福泉寺通りまでの道である。今日のコースはこのしたみち通りと目白通り沿いにある。

途中大泉小学校の校庭に、練馬区教育委員会の看板があり、この辺は「清戸道」と呼ばれていたと書かれていた。「清戸(きよと)道は練馬方面から農民が野菜などの農作物を江戸の町中に運んだ道で、清戸(清瀬市)にあった尾張徳川家の鷹場御殿への道でもあった」という。したみち通りを保谷方面に向うと直ぐに本照寺がある。その裏手の諏訪神社の参道は昼なお暗きというほど深い森に囲まれいた。

本照寺(了光山 日蓮宗)
日勇上人が天正10年(1582)に創建したという。明治時代には、小榑村(現、大泉)の役場として使われたこともある。

練馬寺社めぐり021_convert_20120510202412  練馬寺社めぐり023_convert_20120510202522
 本照寺山門                         本照寺本堂

諏訪神社
創建は不詳。本照寺の北側に三十番神として勧請されたことから、本照寺の開基天正10年(1582)前後と推測される。明治時代の神仏分離令により、信州諏訪神社から建御名方命を勧請して、諏訪神社と改称、村内の稲荷神社を合祀した

練馬寺社めぐり028_convert_20120510200859  練馬寺社めぐり030_convert_20120510201058
 諏訪神社第一の鳥居と参道                諏訪神社本殿

練馬寺社めぐり036_convert_20120510201137 練馬寺社めぐり037_convert_20120510201228 練馬寺社めぐり034_convert_20120510204232
 稲荷神社鳥居             稲荷神社拝殿               御嶽神社拝殿

 諏訪神社から静かな住宅街を抜けて善行院に至る。道路に面して階段がありそこを登ると会館のような本堂がある。本堂の脇には日蓮上人の像が建てられている。最近改築した寺院の本堂の多くは葬祭場か市民会館のような造りになっている。厳かな雰囲気よりも機能重視といった感が否めない。

法性院の裏手に西本村憩いの森がある。これは土地所有者の好意で区民に開放されている場所だという。住宅街の中にあるが、こういったそれ程広くなくても木々が生い茂った散歩道があり、ベンチに腰掛け、木々を揺らす風の音を聞きながらゆったりとした時間を過ごすことができる場所があるということは貴重なものだ。練馬区はこういった「憩いの森」が何箇所かある。

善行院(法光山妙典寺 日蓮宗)
西中山妙福寺の塔頭。善行院は、本山第6祖善行院日応上人閑居の地とされており、延徳2年(1490)以前の開創と推定される。

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 善行院本堂                        善行院入口           日蓮上人立像

西本村憩いの森
大泉学園の静かな住宅街にあり、旧地名を「西本村」といっていた場所にある。この憩いの森は雑木林と、クリの木からなる。大きな大木の木陰の森林浴ができたり、秋になると栗が実るので栗拾いも出来る。

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法性院(加藤山実成寺 日蓮宗)
天正2年に加賀阿闍梨日正聖人が創建し、西中山妙福寺の塔頭だったが、寛政5年に一寺となっている

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 法性院本堂                         慈母観音

 法性院からしもみち街道に出て北園の交差点に向う。北園交差点は目白通りが内堀通りから始まり目白、西落合、練馬を経て、大泉学園通りにぶつかった所で、ここで目白通りは終る。目白通りをしばらく行って住宅街を右に曲がると教学院がある、丘の中腹にあるといった感じで、真新しい本堂を中心に左右に観音像と弘法大師像があり、本堂から境内の全体が見下ろせる。鐘楼や、庫裏などの幾つかの建物をあり、、全体に均衡の取れた配置になっている。

教学院を後にし、外山橋で白子川を渡ると弁天池公園がある。この公園は都営東大泉団沿いに長く伸びている。途中の細い道は木々に囲まれ、緑のトンネルを潜っているような感じだった。公園の端に弁天池がある。池があると公園の雰囲気が大分違う。ここからは帰り道だ。

駅の傍に妙延寺がある。ここは、「ねりまの散歩道」のコースを回った時に行ったが、その時は完全に落としていたイチョウが葉をつけ全く雰囲気が違う。冬枯れの中に寂しげに建っていた本堂も新緑に囲まれ息を吹き返したような気分を与えてくれる。ここから駅までは10分もかからない。家に着いた瞬間に雷が鳴り、激しく雨が降り出した。ぎりぎり間に合った。

教学院(西円山 真言宗智山派)
文永5年(1268)長全法印が永福寺として北方の丸山に開山、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山した。江戸時代中期に三宝寺の末寺となり、当地に移転、西円山教学院と改称した。豊島八十八ヶ所霊場46番札所です

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 教学院山門                         教学院本堂

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 教学院境内                         観音像

弁天池公園
弁天池という小さな池がある。名前の通り、池畔に弁財天が祀られており、地形的には台地の斜面下の窪地なので、湧水池だったのだろう。池の水は暗渠の水路を通じてすぐ北側を流れる白子川に通じていると思われる。

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 弁天池                            白子川

妙延寺(倍光山 日蓮宗)
永禄11年(1568)に開山円乗陰日宣上人、開基加藤作右衛門が開創した。江戸時代には、三十番神社(現北野神社)と併せて地域の信仰の中心となっていた。

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 妙延寺山門と大イチョウ         妙延寺本堂

(参考資料:東京寺院ガイド、猫のあしあと)

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ジャンル : 日記

血液内科の診療

5月7日(月)
検査結果
IgM     6419(5/7)←6096(5/1)←6369(4/23)←8471(4/12)
IgG     287(5/7)←243(5/1)←178(4/23)←141(4/12)
白血球   1600(5/7)←1000(5/1)←1200(4/26)←1000(4/23)
好中球   410←200←580←380
赤血球   235←239←245←225
へモグロビン  7.5←7.6←7.8←7.2
血小板   2.4←1.2←3.4←2.1

IgMは上昇していた。それも6000台という高い数値で上下している状態だ。今日の診断ではもう一週間様子を見ようという事になった。次に何を使うのか。私がベルケイド+デキサメタゾンを使用したらどうかといったのに対して、主治医は考えたのはベルケイドとシクロホスファミドだと言った。しかし、ベルケイドは血小板を減少させるし、シクロホスファミドは骨髄抑制が強い薬だ。現在の血球の状態ではこのベルケイドを使用した療法を行うのは難しい。、もう少し血球の数値が上がってから行うほかにない。それまでIgMの数値が急激に上昇することがなければいいがということだった。

白血球も好中球も上がり方が遅い。血小板は5月1日に輸血をしたが、それ程上がらなかった。DCEP療法による骨髄抑制が続いているのだろうが、そのことはまだIgMにも影響を与えているという事になるのだろう。次回の検査で血球の値が上がっていればベルケイドを中心とした療法に入るだろう。以前ベルケイドを使用してから1年近く経つ。薬物耐性もそろそろなくなって来ているのではないか。

今回、赤血球も血小板も輸血をしたほうがいい数値である。赤血球は8.0以下だと輸血をする。血小板は2.0以下だと輸血をする。赤血球の輸血を考えたが、採血の時輸血照合用血液の採取はしなかったので、採血から始めなければならず、かなり時間がかかる。それに今まで7.6の数値で特にだるさもなかったので、赤血球の輸血はしないことにした。

その代わりというわけではないが、入院中頼んでおいた免疫グロブリン製剤の輸血をすることした。IgGは入院中は141まで落ちたが、今日の検査で287と少しは持ち直している。通常IgGが500以下だと免疫グロブリン製剤の投与をすることになっているが、そう頻繁にはやっていない。入院中は費用の観点でやってくれなかったが、外来の場合、病院は患者に請求できるので幾らでもやってくれる。不思議なシステムだ。

今日は連休明けで混んでいて内科処置室のベッドがなかなか空かなかった。1時から点滴をはじめた。それから2時間はかかる。もし赤血球の点滴をやるとすれば、後2時間かかることになる。入院中なら4時間でも何時間でもそれ程大変だとは思わないが、通院だとベッドで寝ているだけだが、かなり身体的負担を感じる。

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生きることの証

5月6日(日)
「生きるとはそれじたいが現に証なのではない。生きるとは、生きる主体が生きている事をどうにかして証そうとすることである。ひとの尊厳の根はそこにある」(『棺一基』大道寺将司全句集・辺見庸序文より)

 5月1日に退院した。白血球が1000、好中球が200の状態での退院は通常ない。家まで車で帰り、次の診療日7日までは外出しないようにと釘をさされた。退院できたというのは連休前ということが大きく影響したのだろう。3日から6日までは看護師も医者も休みを取りたいだろう。多くの患者が先週末から退院している。それでも看護師に聞くと3分の2位の患者が残っているということだった。

5月7日に血液内科の診療がある。赤血球が5月1日の検査では7.6しかなかったので上がってなければ輸血をすることにはなっている。しかし一番の問題はIgMの数値がどう出るかである。下がっていればしばらく様子をみようということで、一週間後の診療日が指定されるだろう。上がっていたら医者は言うだろう。もはや治療法はないと。そして無駄な治療をしないで緩和ケア病棟に行ったほうがいいとも言うかも知れない。

確かに1ケ月近く入院して治療効果が現れないとしたら、何のための入院治療だったろうか、辛い思いをしただけではないか、それにやるだけのことをやってだめだったんだから諦めもつくだろうと言われるかもしれない。

 これ以降の治療をどうするか、治療を止めるのかは自分で判断することなのであって、医者であっても他人から「死の選択」を言われたくはない。医者が大分前に家族を呼んで、緩和ケア病棟について説明した。そこでは単に痛み止めを投与するという終末期医療をするだけでなく、輸血やその他の治療も全くしないわけではないということだ。

しかし結局の所原発性マクログロブリン血症患者にとっての死は、治療しなければ必然的に増えていく血中蛋白の増加によって血液濃度が上昇しそれに伴う循環器や脳の血管の異常によるものか、形質細胞腫瘍の増加による、正常細胞の減少がもたらす感染症や体力の消耗、出血傾向などによるものかが待っているという事になる。

医者が「もはや治療法はない」といった時のどう対応するかということになる。何もしないでIgMが上昇するのを放置するという心境にはなれない。治療法は自分で探す他ない。確かに寝たきりになってしまうような治療をやりたいとは思わない。しかし「生への可能性」が少しでもあるならばそれに挑戦してみようとは思う。それに伴って生ずる感染症で命を落とすとしても、何もしないで死を迎えるよりはずっと納得できる様な気がする。

 冒頭に引用した辺見庸の言葉の中の「生きる主体が生きている事をどうにかして証そうとすること」とは「死にむかう生」ではなく「あくまでも生を求めるための生」を生き抜くことこそが自らの主体が生きていることを証すことになるのではないかとも思うのである。

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入院28日目-退院日

5月1日(火)
検査結果
白血球   1000(5/1)←1200(4/26)←1000(4/23)←200(4/19)←300(4/16)
好中球   200←580←380←70←20
赤血球   239←245←225←183←237
へモグロビン  7.6←7.8←7.2←5.9
血小板   1.2←3.4←2.1←0.8

IgM     6096(5/1)←6369(4/23)←8471(4/12)
総蛋白   9.2(5/1)←8.7(4/26)←10.6(4/23)←9(4/19)←11.2(4/16)
アルブミン 3.5←3.0←3.2←2.8←3.3
IgG     243(5/1)←178(4/23)←141(4/12)


 今日、退院の予定にはなっている。ただ血液検査の結果で変更もありうる。27日にG-CSFの投与を止めた。今までの例としては、第1回DCEPの時には、G-CSFの中止日には白血球2100、好中球1100だったが3日後には1700、560と下がっている。第2回DCEPの時は中止日には白血球2100、好中球1160だったのが3日後には1500、670になっていた。白血球はほぼ4分の3に、好中球は半分に減少している。

今回G-CSF中止日の前日で好中球が580だった。減るのは確かだが、それがどの程度かが問題だ。好中球が200~300だったら退院は難しいかもしれない。血小板やヘモグロビンが少なかった場合には、今日輸血をして退院できる。 どちらにしても血液検査の結果を待たないと退院か否かの判断はつかない。

▼ 9時頃血液検査の結果を担当医が持ってきた。血小板が大幅に下がっている。輸血が必要だ。ヘモグロビンも少なく8.0以下だと通常輸血をするのだが、次回の通院日を7日に入れてその時にまだ上がっていないようだったら輸血をすることにした。問題は好中球だ。200だったら通常空気清浄機付きのビニールで囲まれたベッドの中にいなければならない数値だ。ここまで下がっているとは予想していなかった。昨日の外出は今思えば知らなかったとはいえ少し無謀だったようだ。

今いる病棟は肝臓内科と血液内科の混合の病棟だから感染管理はそれ程厳しくはないが、血液内科専用病棟は二重扉になっていて、入口に看護師がいて外出患者のチェックがなされ、好中球が500以下の患者は血液内科病棟から出ることが出来ない。入口から5,6歩先のコインドリーや自動販売機にも行ってはいけないと入口で止められる。そういう基準でいくと退院などとんでもない。

しかし今回の担当医はかなり融通がきく。23日の検査で好中球が190で空気浄機付きのベッドにいる同室の患者に29、30日の外泊を許可している。結論から言えば、今日の退院は許可になった。病院から車で帰り、しばらく家から出ないという事にすれば病院にいるのと変わりはない。今までの例だと、G-CSEを止めると好中球は一旦下がるが、4,5日で今度は自力で下がる前の数値に戻ってくる。輸血用の血小板が何時頃来るか分からないが、輸血が終れば退院できる。

 昼前に担当医がIgMの数値をもってくる。6096だった。総蛋白が9.2と上昇している。結局IgMは総蛋白から判断するとまた上がってしまった。上下を繰り返しながら下がっていってくれるといいのだが、行方は分からない。次回の診療日が5月7日に入っている。今日は主治医とは話せなかったので、診療日に善後策を話すことになるとは思うが、このようにIgMが迷走を続ける中どういった治療方針を出していくか難しい所だ。

入院から退院までの総蛋白の推移
無1

入院中の血液検査データー
456.jpg


 第3回DCEP療法の入院から退院までに関しては、「治療経過ダイジェスト・6」にまとめてあります。参照して下さい。
   trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1246.html

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