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糖尿病患者・喘息患者

7月30日(月)
病室は4人部屋だったが、4,5日経ち1人が退院すると、2人部屋になった。入っていた病棟は内分秘代謝科と脳神経内科だった。デイルームでは食事時間ごとに糖尿病患者が集まり、一緒に食事をしている。厳密な糖尿病患者指定食だ。他のものを食べないように一緒に食べるようにしているのか。またデイルームでは毎日10時から10時半まで糖尿病患者啓発ビデオの上映が行われ、3時から1時間看護師やカウンセラーによる生活食事相談を行っている。

しばらく1人いた糖尿病患者は、毎回の食事中、食べている間に看護師が薬を持ってきてちゃんと飲むか確かめる。そのほか薬の飲む時間への厳密な管理は行われている。一錠でも飲み忘れることのないように厳しい管理が続けられている。退院する患者への自宅での薬の服用に関しては看護師が1時間以上に渡って説明していた。

4人部屋は一人退院したので2人部屋になった。同病の患者は本来この病棟の患者ではない。呼吸器内科に属している。昼間はそうでもないが、就寝の時間以降かなり咳き込む。私が退院の時挨拶したら、「咳でうるさくてすいませんでした」と謝った。しかし咳をする患者の傍にいると、咳の時にゴホンゴホンする音よりも終わった後ヒューと息を吸うのが苦しそうで、気の毒で聞いている方までつらい思いをする。

何年も喘息の治療を行っているが一向に改善しない。かっては肺に疾患を抱え、肺を切除しているそうだ。それ以降も咳は収まらない。入院中も医者が頻繁に訪問し、今飲んでいるクスリの効果を聞きに来ている。効果がなければすぐに別の薬に変える。何種類もの薬を差し替えしながら服用している。

飲む時間も厳密に決められていて、そのたびに看護師が薬を運び本人の前で飲ませる。その患者は1週間後退院だがその後は通院で治療を行うと言っていた。自宅で何種類もの薬を管理して厳密に服用していくのはかなり手間だろう。今は食事時間も決まっているし時間になると服用する薬は看護師が持ってきてくれるので、忘れる心配はない。

がん病棟に入院していたことが多いので、他の病棟にいる人の治療状況などは全く知ることはなかった。今回糖尿病患者と喘息患者の状況を見て、どのような病気の治療も大変だと改めて思った。

糖尿病患者
自宅に帰れば家族が糖尿病患者用に食事を作らなければならない。入院していてくれさえすれば、食事の心配はしなくても済む。患者は多くの薬の管理をしながら厳密な服用を試みなければならない。糖尿病の治療には食事療法、薬物療法のほかに運動療法がある。糖尿病患者は体がだるく、疲れやすい。そういった状況で定期的な運動はつらいかもしれないが運動には以下の効用がある。

「運動をすることで体についた中性脂肪を減らしたり、運動で筋肉を鍛えることによって、インスリンの効き方が良くなり、血糖降下に結びつけることが出来る。それに加えて、運動療法は糖尿病だけでなく、高血圧、脂質異常症(高脂血症)などの生活習慣病の予防・治療にも役立つ」(健康食品通販なら舶来堂)

喘息患者
咳は絶対に自分の体から切り離せないつき物のようなものだ。どこに行ってもまとわり着いてくる。演奏会や、講演会でも何の予測もなく咳が出る。そうなると席を立たざるを得ない。どこかに旅行にいっても同室の人に気兼ねをしなくてはならない。それよりも咳が出れば一定の時間苦しみ続ける。この苦しさを一生抱えて生きていかなければならないかという絶望感に苛まれる。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院10日目・退院


7月28日(土)

2005年に発病し、2度の移植をやり、ベルケイド、サリドマイド、レナリドマイドといった新薬を使いながら治療を続けてきた。2011年までは通院治療でどうにかIgMを抑える治療法が通用していた。2011年になって、通院で使用してきた骨髄抑制の弱い薬では効果がなく、強い薬で入院治療を行うことになった。

それ以降DCEP療法を3回、ベンダムスチン療法1回、M2プロトコル1回、血漿交換法1回を入院治療で行った。しかし段々と入院治療でも効果を発揮する薬が見当たらなくなってきた。2011年12月に行ったベンダムスチン療法は1ケ月でIgMを8000から2000台にするという効果を見せた。しかしその効果は1度しか発揮されなかった。それ以降の療法からは思ったような成果は上がっていない。この間行った3度の治療も全く成果を見せているとは思えない。

第3回DCEP療法: 4/4入院、5/退院。4/12-IgM8471、5/1-IgM6096。
M2プロトコル: 6/18入院、7/7退院。6/19-IgM9155、7/2-IgM9719。
血漿交換法: 7/19入院、7/28退院。 7/18-IgM10596、23―IgM8120、26-IgM9650。

第3回DCEP療法では入院前3月29日のIgMは7260だった。一時期治療中に8471まで上がったが、実際には入院前と退院時の差は1200でしかない。次のM2プロトコルの場合は、退院時にIgMは入院時を超えてしまっている。血漿交換法でも結局は治療前よりIgMは増加してしまうだろう。

血漿交換法は予想通りIgMは一時減少し、再び増えるという当然の結果になった。もう少しIgMが減少しそれが持続すれば次の治療について落ち着いて考える時間があったのではないかと思うとそれが残念だったという気がする。どちらにしても抗がん剤治療を平行し行っていないのでやがては元も戻ってしまうということは周知の事実だった。いわば過粘稠症候群にいかに対処するかの一つの方法を試したといった感じだ。

主治医は新薬を自在に使うといった性格ではないので、治験を繰り返し、認可され、色々な臨床例を見ながら使っていくことはあっても当面新薬を使用するということはない。次回方針としては、昔からあるアルキル化剤の未使用の併用療法を、サリドマイド、レナリドマイド、ベルケイドと組み合わせて治療を行う可能性がある。どちらにしても来週水曜日の診療時に提案された治療法でやっていくほかない。抗がん剤が効くか効かないかの的確な判断基準はない。どの治療法を選択するかは、いわば運を天に任せるといった点もないわけではない。

 血漿交換法の入院から退院までに関しては、「治療経過ダイジェスト・8」にまとめてあります。参照して下さい。
trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1322.html

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

駒込吉祥寺

7月27日(金)
昨日一昨日と体のだるさから、日中も横になりたくなる時間が多かった。特に抗がん剤を使用していないのだが、やはり体中の血液を入れ替えるというのはかなりの負担になったのだろう。おまけに大静脈からかなり出血してしまった。最近は20時には眠くなってしまっていたが、昨日は10時まで起きていて消灯時間に合わせて寝た。朝もすっきりと目覚めた。

朝の散歩に出かける。6時30分なのにもう暑い。昨日は8時から気温が30度あったそうだ。病院では外の暑さは空調であまり気にはならないが、やはり節電のせいだろうか部屋は例年より暑く感じる。

近所の散歩といっても行く所は限られている。吉祥寺の境内は広く散歩するのに丁度いい。今年の4月桜の季節に行ったばかりだ。同じ所を回るというのは芸がないが、季節によって風景はその姿を変えて見せてくれるものだ。深い緑に覆われた今の時期、4月のサクラで淡く煙る境内とは全く趣を異にする。それは季節の移り変わりを感じさせる以上に、自分の病気と、自分の生活や考え方の変化を思い知らされる。

時間は無機質に進んでいく。季節はそれに彩りを与えながら、淡々と同じような変化を繰り返す。しかし自分の人生はやはりひとつの方向へと収斂していく道筋を示している。それを季節の移り変わりによって受け止めざるを得ない。桜のピンクも木々の深い緑もその心を映し出す鏡でしかない。自然の中に佇む時、嫌が応でも自分の現実と向き合わざるを得ない。それの中で再度自分の生き方を模索していくほかないだろう。

吉祥寺(諏訪山 曹洞宗):  
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林(せんだんりん)がおかれ多くの学僧が学んだ。(文京区観光協会)

DSCF0166ed_convert_20120726171354.jpg 本堂
  
DSCF0171_convert_20120727165147.jpg 病棟から


DSCF0144_convert_20120726162404.jpg  DSCF0146_convert_20120726170853.jpg 
 吉祥寺山門                       表参道より本郷通り方面

DSCF0147_convert_20120726163049.jpg  DSCF0145_convert_20120727164334.jpg  
  
茗荷神社:痔の完治に霊験あらたかとされ、茗荷絶ちをして祈るのが慣わしだった。吉祥寺は明暦大火の際、府内よりこの地に移った。家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚に茗荷権現があった。寛文年間疫病蔓延の折、祈願の人絶えず、特に痔病の根治に霊験ありとされ、茗荷を断って心願する者は多かった。
 
DSCF0151_convert_20120726163425.jpg  DSCF0150_convert_20120726163313.jpg

DSCF0153_convert_20120726163626.jpg  DSCF0152_convert_20120726163537.jpg
 花供養塔・駒込生花市場

DSCF0154_convert_20120726171203.jpg  DSCF0155_convert_20120726171037.jpg
 比翼塚                         吉祥寺大仏

お七・吉三郎比翼塚:のちに西鶴「好色五人女」に触発された人が建立したもの。比翼塚というのは相愛の男女や心中した男女を葬った墓のこと。実際のお七の一家の避難先は白山(地下鉄白山駅近く)の円乗寺で、吉三郎も円乗寺の寺小姓であり、お七の墓も円乗寺にある。

DSCF0157_convert_20120726163842.jpg  DSCF0158_convert_20120726172613.jpg
 六地蔵                           表参道より本堂方面

DSCF0161_convert_20120726164125.jpg  DSCF0162_convert_20120726164226.jpg
 経蔵                             赤松家先祖代々之霊位

経蔵:江戸時代、経蔵は図書収蔵庫であった。現在の経蔵は1804年、再建されたものと考えられる。東京都内に残る江戸時代建造の唯一の経蔵として貴重である。区指定有形文化財。

DSCF0163_convert_20120726164337.jpg  DSCF0165_convert_20120726164415.jpg
 経蔵と本堂                        鐘楼

吉祥寺には多くの人の墓がある。二宮尊徳、榎本武揚、鳥井耀蔵、川上眉山の墓所などである。かつらの墓の前には、「清水かつらここに眠る」と記された石碑があり、裏面には主な作詩として「叱られて」「靴が鳴る」「緑のそよ風」「雀の学校」「文福茶釜」の刻印が有る。墓地には河村光陽の「かもめの水兵さん」の碑がある。

また与謝野鉄幹が、本郷駒込の吉祥寺境内にあった学寮住んでいた。明治25年初めて上京した鉄幹は義兄の家で1ヶ月程を過ごしたが、その後学寮に移ってきた。義兄の家の経済が極めて困窮しているのを察しての行動だった。ここでも「焼芋を以て一日一食に代へ、或は屡々絶食」する生活をしながら、次への飛翔を期して、上野の帝国図書館に通う。

吉祥寺の南側に落合直文(1861―1903)は、和歌革新のための結社として「あさ香社」を結成した。彼は1881年(明治14)上京、88年皇典講究所の国文教師となる。この年、長詩『孝女白菊の歌』を『東洋学会雑誌』に発表、七五調のロマン的叙事詩で反響をよぶ。92年、雑誌『歌学』創刊号に新しい歌観を示した和歌革新論を述べた。国文学者、教育者としても業績を残した。新派和歌の結社として与謝野鉄幹、金子薫園(くんえん)、尾上柴舟(おのえさいしゅう)ら多くの俊秀を育成。詩・短歌・文の改良を意図し、実作に示していった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院8日目・血液検査で何が変わったのか

7月26日(木)
検査結果
IgM    9650(7/26)←8120(7/23) ←6496(7/19)←10596(7/18)←9233(7/11)

IgG     312←162(7/23)←106(7/11)←202(7/2)←200(6/18)
白血球  2300←3200(7/23)←2400(7/19)←2700(7/19)←1800(7/18)←2100(7/18)
赤血球  239←205←206←242←216←237
へモグロビン  7.2←6.7←6.2←7.3←6.5←7.0
血小板   2.7←1.7←3.4←3.2←3.2←1.0
好中球   710(7/26)←1940(7/23)←1380(7/19)

20日に血漿交換法を行い、18日のIgMの数値が一挙に4000も下降した。これがどこまで続くかが最大の関心事だった。血液中のIgMを取り除いても、骨髄中の形質細胞はひたすらIgMを作り続けている。これを止めるための抗がん剤は使用していない。残念ながら手をこまねいて、IgMが増えるのを見守るしかなかった。

血漿交換をやって3日目にはすでにIgMは8100に増加した。そして1週間目の今日の値は9600と血漿交換法をやる前日の18日の数値に近づきつつある。まさに元の木阿弥といった感じだ。来週水曜日に外来診療があるが、その時には10000を超えているだろう。形質細胞は急速にIgMを作り続けている。血漿交換法などでは追いつかない。一週間で元に戻ってしまうようであれば何のためにやったかわからないほどだ。

ただ血漿交換法がどの程度IgMを下げることが出来、どのような速度で再び元に戻ってしまうのかを知ることは必要だったろう。過粘稠症候群にどう対処するのかの、どこまで役立つのかを把握しておくことは意味がある。抗がん剤と併用しない血漿交換法の効果は大体分かったいえるだろう。いつでも同じ壁にぶつかるのだが、次に使う抗がん剤をどうするかという問題なのである。

眼科の診療があった。視力が少し回復しているが一時的なものだろう。先週はかなり飛蚊症が激しく、眼を開けて明るい所を見ると、一面花びらが広がっていたり、一方血が撒かれてているような光景が見えた。そういった飛蚊症も少しは治まった。しかし少しも状況は良くなってはいない。網膜静脈閉塞症による眼底出血はほとんど改善を見せていないし、一時的なIgMの減少はあっても、これ以降上昇し網膜に影響を与えてくるだろう。

過粘稠症候群によって、動脈硬化をもたらし、脳梗塞や心筋梗塞をもたらす血栓が出来る可能性はあるが、血液の過粘稠によって最も影響を受けやすいのは、細く弱い網膜だろう。網膜静脈も周辺の閉塞では視力にそれほど影響は与えないというが、中心静脈の閉塞はいつ起こる分からない。今の所網膜動脈閉塞症の兆候はないし、サイトメガロウイルスによる炎症などはない。しかしいつ動脈に閉塞症が波及してくるか分からない。網膜動脈、静脈閉塞への治療法はない、原疾患を改善していくほかない。眼科医としては経過観察しかないという。

血液検査の結果、最近は抗がん剤を使用していないのに血球の数値が少ない。血液凝固剤フィブリノーゲンの数値が128mgであった。基準値は160mgなので輸血をしたほうがいいと思ったが、100mg/dl以上であれば大丈夫だということだ。自然回復に任せたほうがいいのだろう、血小板も少ないがどうにかなるだろう。退院するにあたって少しは元気を回復した方がいいだろうということで明日赤血球を輸血することにした。

結局IgMは元に戻ってしまう形になるだろうが、土曜日に退院する。来週水曜日の診療までシクロホスファミド1日200mgを3日間、プレドニン1日40mgを3日間服用し、しのいでいくということである。、

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天租神社

7月25日(水)
今日は何のスケジュールも入っていない。朝の散歩も気分的にゆっくりした感じで行える。病院裏の天租神社には何度か行ったことがある。神社そのものより、吉祥寺や富士神社や、六義園の方に向かう時に通り、通過経路のようなものだ。

日曜日までステロイドを服用していたがそれをやめたせいか体がだるい。もっと遠くまで歩いていきたいとも思うが気力はないので今日はゆっくりと天租神社の境内巡りをした。それほど広くない境内に色々あって、ゆっくり見るとそれぞれに興味深い。普通だったら5分位で通り過ぎて行ってしまう場所を30分位かけて見て歴史の深遠に触れてみるのもいいものだ。

天租神社:創建は古く、文治5年(1189)源頼朝公奥州藤原泰衡征伐の時、霊夢のお告げがあり神明を祀ると伝えられている。その後宮守もなかったが、慶安年中(1648-1652)堀丹後守年直が再興する。空襲により残らず消失したが氏子各町の熱意により昭和29年新築し現在に至っている。(文京区観光協会)

DSCF0099ed_convert_20120725082604.jpg 天租神社拝殿

DSCF0101_convert_20120724083710.jpg  DSCF0106_convert_20120724084146.jpg
 天租神社入口鳥居         天租神社石碑(社号標)

DSCF0096_convert_20120724083414.jpg  DSCF0124_convert_20120724083604.jpg
 天租神社拝殿

DSCF0128_convert_20120726130624.jpg 神楽殿

DSCF0135_convert_20120726084140.jpg  DSCF0129_convert_20120726093537.jpg
 天租神社第二鳥居前狛犬
 
DSCF0138_convert_20120726093843.jpg   DSCF0139_convert_20120726115122.jpg
 天租神社脇参道狛犬(子育て狛犬と呼ばれている)

DSCF0109_convert_20120724084251.jpg  DSCF0107_convert_20120724084340.jpg
 榊神社(面足尊、弟六天神)、熱田神社(日本武尊)、須賀神社(素戔嗚尊)を合祀する社

DSCF0113_convert_20120725083259.jpg  DSCF0112_convert_20120724084541.jpg
 神明照心魂               御林稲荷神社
 
DSCF0116_convert_20120724114218.jpg  DSCF0115_convert_20120724084745.jpg
 脇参道前地蔵堂、縁結び子育て地蔵尊、駒込水子地蔵 
 
DSCF0117_convert_20120724085023.jpg  DSCF0110_convert_20120724120211.jpg
 手水舎                       天下泰平、国家安全の石碑
 
DSCF0095_convert_20120724085622.jpg  DSCF0126_convert_20120724085736.jpg
天租神社社殿、裏側鳥居脇の庚申塔。この一帯からは江戸時代の鷹匠同心住居の遺構も発見されている。8代将軍吉宗の鷹狩復活のときから明治維新まで、ここには鷹匠御役屋敷がおかれていた。

DSCF0092_convert_20120724124642.jpg  DSCF0127_convert_20120724085114.jpg
 天租神社病院側出口(裏参道)

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入院5日目・IgMの再上昇

7月23日(月)
検査結果
IgM    8120(7/23) ←6496(7/19)←10596(7/18)←9233(7/11)
IgG     162(7/23)←106(7/11)←202(7/2)←200(6/18)
白血球   3200(7/23)←2400(7/19)←2700(7/19)←1800(7/18)←2100(7/18)
赤血球   205←206←242←216←237
へモグロビン  6.7←6.2←7.3←6.5←7.0
血小板   1.7←3.4←3.2←3.2←1.0
好中球   1940(7/23)←1380(7/19)


19日血漿交換法終了時に計測した結果IgMは4000下降していた。それなりの効果があったので一安心だったが、今朝計測した結果、8120と1500も戻ってきている。2日間で形質細胞腫瘍はIgMを大量に生成し続けていたのである。19日に6496まで下がったので、一旦退院して2,3週間様子を見ることが可能ではないかとも思った。朝担当医と話した時には血小板や赤血球や血液凝固剤のフィブリノーゲンが大幅に不足しているので、これらの輸血を行って土曜日あたりに退院する予定を立てた。

フィブリノーゲンの基準値は160~340mg/dlであるが、67しかなかった。血漿交換のときに血液の抗凝固剤を投入する必要があり、それが大きく影響している。新鮮凍結血漿LR「日赤」(複合性凝固障害の出血、出血傾向の血液凝固因子補充)160ml(40ml4単位)を4時間かけて輸血する。

今日はこの他に赤血球を80ml(40ml2単位)を2時間かけて輸血する。6時間連続点滴だ。入院中だとあまり気にならないいが、通院だとかなり負担を感じる。明日は新鮮凍結血漿(160ml)を同量輸血し、血小板も輸血する。いくら輸血しても血小板と赤血球は増えない。ニドラン(ニムスチン)の影響はひたすら続いている。

土曜日退院の方針が変わるかどうかわからない。木曜日の血液検査でのIgMの数値で判断するほかない。どの道今の所効果的な化学療法の組み合わせは見つかってはいない。

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入院3日目・血漿交換法、出血

7月21日(土)
 今日もまた採血し血液検査をする。今回はひたすら採血がある。入院前日の定期診療日も朝夕、入院日は昼夕、19日朝夕、20日夕。血小板の値が低ければ血漿交換法は出来ない。担当医はそのチェックで忙しい。血漿交換法は昨日無事に終わった。今日はカテーテルを抜くだけだ。

検査結果
白血球   4400(7/20)←2400(7/19)←2700(7/19)←1800(7/18)
赤血球   227←206←242←216
へモグロビン  7.1←6.2←7.3←6.5

血小板   3.5←3.4←3.2←3.2


今日の血液検査の目的は、血漿交換によって血液成分に何らの異常が起きていないか確かめることにある。血漿交換では採血した血液を血球と血漿に分離し、血漿を除き血球を返却する。通常は血球とともに凍結血漿やアルブミンを輸注する。追加したアルブミンなどの捕液が影響を及ぼすことがあるのか腎臓や肝臓の数値、血糖値などは大丈夫かを確かめることためにある。血液検査では何らはなかった。

 午後少し前、担当医が静脈カテーテルを抜きにきた。抜いた後大きく静脈の傷跡が残り、出血の恐れが大きいので、カテーテルを取り除きガーゼと止血バンドをぶ厚く鼠頚部の大静脈のカテーテル入口の傷の所に何十枚も貼り合わせた。ガーゼを強く押し続け、15分位圧迫止血を行い、ガーゼを厚く置き止血バンドでとめる。約25分位で終わる。

止血をかなり頑丈にして1時間は安静にしているとようにと指示された。

1時間位経ったらてトイレに静かに行ってもよいと言われたのでベッドからおきだし、ト、ズボンの内側がベットリ濡れてきて、床に血がしたたり落ちてきている。見る見るうちにトイレの床が血だらけになってきている。

看護師を呼んで下半身血まみれになりながらベッドに戻り、貼っておいた止血テープを一旦はずし、最初から止血の、ガーゼと止血バンドを以前以上に強力な止め方をした。血だらけの下半身はむき出しにされ、濡れタオルで拭いてくれた。しかしさらに2時間位安静にして、食事のため立ち上がろうとしたら再びじわりとズボンが群れてきて床に血がしたたっている。

1時間前と同じことの繰り返した。安静時間の計算を甘く判断していてしまったようだ。最初から安静時間の判断を半日位に設定しておけは良かったと思う。血漿交換には血管凝固剤を使用せざるを得ない。私の場合は血小板が少ないこともあって血液凝個に時間がかかったのだろう。いやはやとんでもないことになってしまったものだ。担当医は傷口の圧迫止血を行い看護師は何人も集まって、患者の血だらけの体を拭いたり、床を拭いたり、ベッドのシーツを張り替えたり当たりはばたばた大騒ぎになってしまったようだった。

 担当医は今度は大動脈止血用に使用する強烈な止血材料を容易してきた。また腰痛で使うような幅の広い止血バンドを持ってきて固定した。今度は絶対安静で、ベッドから出ることは出来ず、食事はベッドの上にテーブルを置いてそこで食べ、トイレは尿瓶で行う。必要なことはすべて看護師にやってもらう。そういった安静状態を明日の朝まで続ける、

騒がしく止血と周りの掃除を行い再び落ち着きが取り戻されてきた。一定の止血処理が終わり、やっと落ち着いてベッドの背椅子を立て食事をとた。その後落ち着いた所で赤血球の輸血をした。こういった事態が起ころうとは思ってもみなかった。

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入院2日目・血漿交換法

7月20日(金)
病院は入院中通常月木の朝の検温時に採血をする。今日は朝採血をしその結果を見て血漿交換準備のため輸血をすることになる。昨日は朝採血しさらにまた夕方も採血し血小板の状態を点検した。血小板が少ないと大動脈にカテーテルを挿入する時の出血に危険が伴う。

大動脈は危険だからということで、静脈に変更し鼠蹊部の大静脈にカテーテルを挿入する。かって化学療法や移植で中心静脈カテーテルの挿入を行ない、その時の挿入においてもかなりの手間と時間がかっかった。それに比較して今回のカテーテルはかなり太く挿入に30分以上時間がかかりかなりの痛みをとなう手術だった。麻酔の注射も痛かったし、静脈の中にカテーテルを押し込んでいくのがかなり痛みを感じさせた。

血液検査結果・検体到着時間

昨夕輸血中に採血した値  朝の検温で採血した値
7月18日15時        7月19日11時              
白血球    1800     白血球    2700
好中球    370      好中球    1380
赤血球    216      赤血球    242 
血小板    3.2      血小板    3.2
ヘモグロビン 6.5      ヘモグロビン 7,3            

血漿交換法が始まる。看護師さんがベッドで透析室まで運んでいく。運搬用ベッドから普通のベッドに移され、体に埋め込まれている静脈に差し込まれているカテーテルから引き出されて来る血液管を血漿交換の機械に次々と差し込む、最初は血液を機械のほうに異動していく。機械と大静脈がつながり静かな音を立てて血液が血漿交換法の機会に流れ込んでいく。

2時間ばかりかけて血漿交換法は終了する。すぐに血液検査を行う。検査用の血液は血漿交換の後すぐ採取した。血漿交換によってIgMがどの位下がるのかすぐにでも知りたっかったし、血漿交換によって血球の値にどのような変化が起こるのかどうかを調べるためだった。またベッドに乗せられ病室にもどる。

血液検査・検体到着時間(14時15分)

IgM     6496(7/19)←10596(7/18)←9233(7/11)←9719(7/2)
白血球   2400(7/19)←2700(7/19)←1800(7/18)←2100(7/18)
好中球   1380(7/18)←370(7/18)←440←580
赤血球   206(7/19)←242(7/19)←216(7/18)←237(7/18)←252(7/11)
へモグロビン  6.2(7/19)←7.3(7/19)←6.5(7/18)←7.0(7/18)
血小板   3.4(7/19)←3.2(7/19)←3.2(7/18)←1.0(7/18)←1.3(7/11)


血漿交換法によってIgMはどこまで減らすことが出来たのだろうか。17時頃担当医が血液検査の結果を持ってきた。結果として4000の減少だった。5000以下になることを期待していたが、10000から始めたのでそうは下がらない。体内に今留置されているカテーテルを利用して、明日再度やってIgMをさらに減少することを試みるかどうかか判断が分かれるところだ。2度目ではどこまで効果が出るか分からない。

大静脈カテーテルの挿入は痛くて手間がかかる。血漿交換はベッドに横たわっているだけでいいのでいつでも楽に出来る。主治医は血漿交換法は今回1回にしようという結論だった。一様IgMが6000あれば過粘稠症候群の危険領域は脱したと判断したのだろう。

カテーテルは不要になったが、太い大静脈からカテーテルを抜く時出血し、その後も血が止まらないということがある。血小板も少ないし、血漿交換の時、血液を体内から出す時固まりにくくしないため、抗凝固剤を混ぜているのより一層出血しやすい。出血が止まらなくなったりすることもあるので日中にするほうがいいだろうということで明日抜くことにした。血漿交換法は終わった。来週からどいった治療法とるか、血球が少ないということもあって難しい選択だ。

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入院1日目・血漿交換法準備

7月19日(木)
入院初日、いつものように10時に受付し、しばらく待っていると病室案内の事務員が迎えに来る。今回は緊急だったせいもあってよほど部屋がなかったのか、2号館の血液内科専用病棟でもなく、同じ館にあるいつもの血液内科・肝臓内科合同病棟でもなく、はるか離れた歩いて10分位かかかりそうな3号館にある内分泌代謝科(糖尿病患者が多い)と脳神経内科の合同病棟だった。病棟には治験用病室もあるという。

看護師さんも血液内科の患者の面倒を見たこともあまりないようだ。今度の病室は窓際ではなかったが5階で窓の前が2号館の壁だったのでそれ程がっかりしなかった。また真夏には冷房が効いているとはいえ、窓からは直射日光が入り暑くなってくる。

検査結果
白血球   2700(7/19)←2100(7/18)←1400(7/11)←1600(7/5)
好中球   1380←370←440←580
赤血球   242←218←251←287
へモグロビン  7.3←7.0←7.7←8.8
血小板   3.2←1.0←1.3←1.6

入院すると必ずやる血液検査をした。昨日やったので今日はやらなくてもいいとは思うが、血小板の値が不安定なのでやることになったようだ。血小板は昨日と同じく3.2だった。もう少し増やしたいところだ。明日午前中に再度血小板の輸血をしてから血漿交換法を行うことにした。動脈にカテーテルを刺すので、血液が噴出すことがあるということだ。その後腎臓内科の医師と話してカテーテルは静脈を使うということにしたといことだ。それでも血小板の輸血は予定通り行う。

その後担当医が「緊急対外循環導入についての説明」「同意書」と「体外循環用カテーテル挿入・留置術の説明」「同意書」が渡され、口頭で10分説明を行い患者または家族の署名を求められた。

「緊急対外循環導入についての説明」
緊急対外循環導入の必要性
・一般に、保存的慮法によっても十分な効果が得られない場合や、全身状況の恒常性を維持できない場合、あるいは積極的医師を補佐する場合など、特定の医療の一貫として行われます。一般に患者さんの全身状態名不良なことが多く、そのためメリットとデメリットとのバランスが問われることが多いです。

緊急対外循環導入の方法
・対外循環の方法-代表例としては血液透析: 持続式赤血球液濾過、血漿交換。自己吸着などがある。
・ブラッドアクセス: 緊急対外循環のため事前に緊急対外循環用のダブルルーメンカテーテルを一時的に大体静脈内、内頚静脈に挿入、留置する。

緊急対外循環の合併症、危険性について、
・出血: ブラッドアクセス部位の終結、止血不良、カテーテルの自己抜去による出血など
・治療中の血圧低下; 不整脈などの循環動態の異常発生
・透析回路からの出血: 感染空気混入などによる異常事故は報告されてる。
・体外循環稠のアレルギー; 体外循環の凝固薬、血液製剤の補充液などに対して発心、王と、0尾新、血小板空き低下を9起こすことがある。

「体外用カテーテル挿入・留置術循環の説明」
・体外循環カテーテル挿入・留置術の必要性: プラッドアクセス確保のため、体外循環カテーテル挿入・留置する
・体外循環カテーテル挿入・留置術の方法について: 局所麻酔の下で大腿静脈か内頸静脈を穿刺し、カテーテルを挿入し、固定化する時間は通常30分から1時間
・体外循環カテーテル挿入・留置術の合併症、危険性について
・出血。感染、閉塞、血栓閉塞症、肺閉塞症。麻酔アレルギー(発疹)(悪心)(嘔吐)など

一通り担当医からの説明が終わった。今日のスケジュールは採血し、血小板の数値を把握することだった。血小板は3.2あり、それに明日追加の輸血をするので、血小板の値は5近くにはなっているだろう。血小板の輸血を午前中やる。体外用静脈カテーテルの挿入・留置は病室のベッドで行い、挿入が完了したら透析室まで運ばれて血漿交換が始まる。大体やり方は以前末梢血幹細胞採取の時行っやった血液浄化療(アフェレーシス)と同じようなものだろうから気は楽だ。

今日から入院・公園の花(キンギョソウ、ビオラ)
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治療経過ダイジェスト・1

原発性マクログロブリン血症の診断から第2回移植まで 
 (2005・11・24~2006・11・11)

今まで年末に治療病状経過を書いていましたが、まとまったものを一つ書いておけばそれを参照すればいいのだということを、MOTOGENさんのブログの治療経過ダイジェストを読んで気がつきました。以前書いた治療経過を元に加筆訂正しながら、最近の出来事を追加して書いてみたという次第です。

入院に至る経過
2005年11月7日、勤めていた会社の流通センターで荷物を降ろしている最中、足の親指の上に物を落とし大量に出血したので、近くの整形外科医に行って治療しました。

怪我をしてから1週間位経っても出血がなかなか止まらないので血液に異常がある可能性があると言われ採血しました。11月21日血液検査の結果が出て血液中の蛋白に異常値があることがわかり、専門病院に紹介されました。11月24日、K病院に紹介状を持って行き、そこで「多発性骨髄腫の疑い」の診断を受けました(病名は後の精密検査の結果マクログロブリン血症と変更になりました)。即入院だということでしたが、引継ぎなどあるので12月1日を入院日としました。 

毎年健康診断(成人病検診)を受け血液検査をしていながら血液中の蛋白をはからなかったので病気(ガン発症)には気がつかなかったし、一般的には疲労、頭痛、めまい、痺れなどの症状が出るそうですが、そういった自覚症状は全くありませんでした。むしろ仕事が忙しく土日祭日の出勤も多く、毎日20時前後まで、遅いときには1時過ぎまでの仕事をこなしていました。それが出来る体力があったということです。

入院時の病状
私の病名はワルデンシュトレーム(原発性)・マクログロブリン血症、別の言い方としてリンパ形質細胞性リンパ腫と言われています。極めて稀な病気で世界的には100万人に2~3人、日本では1000万人に5人という発症率です。

リンパ形質細胞性リンパ種として非ホジキンリンパ腫のWHOの分類に含まれている病気です。その意味で悪性リンパ腫とも言えるのですが、病気の原因としては多発性骨髄腫と同じです。いわばリンパ種と骨髄腫の中間的病気と言えるでしょう。この病気は免疫グロブリンを造り出す形質細胞が腫瘍化(ガン化)し、血液中にたんぱく質を過剰に造り出していくものです。

私の場合IgM(M蛋白の内の免疫グロブリンM型抗体)値が11月24日の最初の外来診断の時7100ありました。4000以下であれば身体変調をきたす事はないので放置可能であるわけですが、7000以上という数値は、血液の粘着化によって毛細血管が詰まって、眼底、脳、心臓の毛細血管に悪影響を与えかねないということで即入院となったわけです。
  
入退院の状況
第1回入院、2005年12月1日から27日-フルダルビン療法。
第2回入院、2006年1月4日から1月20日-第1回VAD療法。
第3回入院、1月23日から2月13日-第2回VAD療法。
第4回入院、2月20日から3月13日-第3回VAD療法。
第5回入院、3月20日4月9日-自己抹消血幹細胞採取。
第6回入院、5月15日から6月5日-第4回VAD療法
第7回入院、6月12日から7月11日-第1回自己抹消血幹細胞移植。
第8回入院、10月12日から11月12日-第2回自己抹消血幹細胞移植。
第9回入院、2007年10月24日から12月28日-ベルケイド療法

退院から次の入院までは自宅療養は、抗がん剤の副作用を軽減させ、骨髄機能を回復させる意味がある。ベルケイドの入院は、かって個人輸入していた患者が間質性肺炎で死亡した事があって、最初の2クールまでは副作用チェックのため入院する事になっている。第9回入院以降は通院で治療を続ける。

Ⅰ、移植前の化学療法

1、治療の開始-フルダラビン療法 (2005・12・1~12・21)
抗がん剤は何10種類もありそれをどのように組み立て投与していくかは、今までのデーターと医者の直感的判断に委ねられる他にありません。最初選ばれたフルダラビン(代謝拮抗剤系抗がん剤)という薬は、日本では保険が利いたばかりの新薬で、アメリカでは高い実績が評価されている薬でした。勿論100%効果のある薬は存在しません。その薬は奏効率60%でした。これを抗がん剤として選択し使用することになりました。

「1日量40mgを5日間連日点静注し、23日間休薬する。これを1クルーとし、3クルーを目処に行う。この3回でIgM値を4000以下まで持っていく」ことを目的に開始されました。抗がん剤は腫瘍(ガン)細胞を破壊するが、白血球、赤血球、血小板も破壊します。従って、抗がん剤投与の後は3週間程期間を置き正常細胞の回復を待ちながら、副作用の治療を行っていかなければなりません。 

12月10日から14日まで行われた5日間のフルダラビン療法は、残念ながら全く抗がん剤としての機能を果たしませんでした。12月1日入院時のIgM値7310は全く減ることなく12月19日の検査結果は8840と増え、さらに12月22日には8980なり、さらにその後9450まで上昇しました。薬の効果がないばかりか自然増という形でIgMは増殖してきていました。別の抗がん剤でやるという方針はすぐに出されました。しかし、フルダルビンによる、正常細胞への影響はあり、白血球は1600(正常値3900以上)まで下がったので、その回復を待たなければ次の処置は出来ません。

2、VAD療法・第1~第3クール (2005・12・22~2006・3・12)

次に選択されたのはVAD療法というもので、ビンクリスチン(オンコビン・植物アルカロイド系抗がん剤)(V)、アドリアシン(ドキソルビシン・抗生物質系抗がん剤)(A)とデカドロン(デキサメタゾン・副腎皮質ホルモン・ステロイド)(D)という3種を組み立てた療法でした。まず3種類を4日間点滴静注し(第1段)、4日置いてデカドロンのみ4日間点滴(第2段)、また4日置いてデカドロンのみ4日点滴(第3段)、これを3クールまたは4クール繰り返すという療法です。これを12月22日から始め、2月12日までに2クール(VAD療法第2回第3段)を終え、2月20日から3クルー目を開始しました。

VAD第2クール第3段を終了した段階で、最高値9470まで行ったIgM値は2月6日で5540まで下がりました。そして第3クールのVAD療法の第1段の最中2月23日の採血結果でIgM値は4660まで下がりました。

3月12までVAD療法を(第3クール終了まで)続けた所、3月13日の採血結果でIgM値はついに4000を切りました。IgMが4000まで下がることが移殖の条件でした。その後1週間自宅療養し、3月20日に戻ってからいよいよ移植の準備にかかります。移殖に使用する造血幹細胞採取が必要でした。原発性マクログロブリン血症の場合は白血病などとは違い造血幹細胞自体に異常がないので、他人からの骨髄移植(同種移植)ではなく自分の造血幹細胞を移殖に使用することが出来るのです。

3、自己末梢血幹細胞採取 (2006・3・20~4・9)
3月22日より開始された末梢血幹細胞採取は、血液成分分離装置を用いて移植に必要な量を採取することが出来、無事終了しました。(末梢血幹細胞=血液中の造血幹細胞=移植に使う骨髄液)。この採取に当たって使用したのはエトポシド(ベプシド)(200mg3日間)というアルカロイド系の抗がん剤で、発熱、食欲不振、脱毛、倦怠感などの副作用がかなり強く出て、寝ていることが多く、以前のVAD療法とは比べ物にならないほど強烈なダメージを体に与えました。

末梢血幹細胞は、白血球を0に近づけそれが上昇する最高値にタイミングを合わせて血管から採取するため、1週間位は白血球が300位の状況が続きました。運良くこの期間に大きな感染はありませんでした。こうした副作用や感染への対応、防止、また正常細胞の減少のため、輸血を4回やり、毎日、抗生剤(抗ウイルス、抗細菌)を5回、抗真菌剤を1回、ステロイドを1回、白血球を増やす薬(G-CSF)を1回点滴し、その他に錠剤で5種類(抗生剤、抗真菌剤、胃薬、カリニ病虫による肺炎予防薬、帯状疱疹予防薬)を服用していました。そのため体が抗がん剤の影響と薬漬けで、かなり消耗感、疲労感が残りました。この抹消血幹細胞(移植に使う血液中にあふれ出た骨髄液)採取のため1ケ月の入院が必要となりました。

3、VAD療法・第4クール、帯状疱疹神経痛治療 (2006・5・15~7・11)
4月9日自己抹消血幹細胞採取を終え体調回復の為の退院を行い、1ケ月間過ごしました。5月11日の定期外来検査の時、移植の具体的スケジュールを決めるはずでした。しかしこの時検査したIgMが4120に増加していることが判明しました。2800であったものが自然増加してしまったということです。VAD療法を移植の前に挿入し、数値を減らすことが必要となりました。そこで急遽、5月15日に一般病棟に再入院しました。そこで4回目のVAD療法を開始しました。

また3月に帯状疱疹にかかりました。帯状疱疹(皮膚の湿疹)自体は10日位で直ったのですが、神経痛が残りかなりの痛みを伴ってきていました(帯状疱疹後神経痛)。体調が回復すれば直ると思って、湿布薬での対処を行っていましたが全く変化がなく、神経ブロックという治療が必要であるということになりこの入院中に行いました。この神経痛の痛みは恒常的にはずきずきと痛むものですが、トリガー(引き金)という凝縮した一点は特に敏感で少し触れただけでも神経を針で突かれるような、電気ショックをかけられたような激しい痛みで、その痛みの後2.3分は動けなくなるほどほどでした。

また内服薬として処方された薬は通常抗うつ剤として使用されているテグレトールと言う薬で、痛みを少しは和らげることはするが一方身体がふらふらになってしまうという副作用があったので、もう少し弱いパシキルという薬に変わりました。

移植の前に神経痛の痛みを取っておかないとかなり辛いものになると思い治療を続けて行いました。神経ブロックとは脊椎に注射針で局所麻酔薬や抗症炎剤を注入し、神経痛の元となっている痛んだ神経中枢の活性化、修復、再生を図るというものです。この神経ブロック療法をVAD療法と平行して、毎日麻酔科(ペイン・クリニック)で行ってきました。

そしてさまざまな条件を考慮して移植の日は6月20日と決められました。6月12日頃移植の病棟に入り、諸検査を行い、大量抗がん剤の投与を17、18日に行うというスケジュールとなりました。

Ⅱ、第1回自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006.6.12~7.11)


1、移植について
移植に当たっては、最初に強力な抗がん剤を大量に投与し、それによって骨髄に残っている形質細胞(ガン)腫瘍の根絶を行います。その後、採取し冷凍保存されている末梢血幹細胞を移植するとそれが増殖し、がん細胞のないきれいな骨髄となります。そして末梢血幹細胞から作り出される白血球、赤血球、血小板などの正常細胞が増加しやがて生着してきます。

移植は60歳以上の人には基本的に行われません。前処置といわれる大量強力抗がん剤の投与に耐えられる体力が必要だということです。(ある表現では致死量に近い大量抗がん剤の投与とありました)今はミニ移植という別な形の移植の形態が60歳以上の人に実施されていますが、それは同種移植(他人の骨髄)の場合ありうる方法です。

2、大量抗がん剤投与(移植に向けての前処置) (2006・6・18)
移植前に骨髄の中に残っているがん細胞を根絶する為に大量抗がん剤の投与を6月18日行いました。使った薬はメルファラン(一般名アルケラン)と言って、錠剤として内服薬で使用する場合、通常1日1回2-4mgを連日服用、あるいは1日6-10mgを4-10日間(総量40-60mg)服用するものです。今回使われたのは300mgで通常の30倍から50倍の量です。それも1時間で点滴投与します。移植の前処置で用いる致死量に近い抗がん剤の投与という言われ方をされている、それがどのような影響を身体に与えるのかかなり不安を感じさせるものでした。  

メルファランの副作用の特徴は、内臓粘膜の破壊にあります。口腔、胃、大腸、肛門などを痛めつけ口内炎、吐き気、下痢、痔などを引き起こします。一番早く現れるのが胃への負担であり吐き気でした。当日の夜から強い吐き気と嘔吐に襲われ、次の日は朝昼何も食べられませんでした。

さらに肝臓にも影響が出ます。「この薬剤は組織障害性が強い為、移植後の経過において重篤な肝機能障害や黄疸を来たすリスクが高い」と書かれています。そこで肝機能を強める為、5月末から肝機能の働きを強めるウルソを1日3回飲み続けていました。また腎臓を衰えさせ尿の出が悪くなり心臓への負担が増大する可能性があるということで、点滴による水分補給と利尿剤による排尿とのバランスを取りながら治療を進めてきました。
 
3、自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006・6・20)
6月20日に移植が行われました。移植には4月7日に血液分離装置によって私の体から取り出され冷凍された末梢血幹細胞を使用しました。これを湯洗し溶けかかった所を点滴投与します。所要時間9分という簡単なものでした。依然吐き気は続き、通常のブドウ糖液からカロリーを含む栄養剤投与に変わりました。

確かに今回の移植に伴う抗がん剤の影響は頭痛、口内炎、吐き気、下痢の相乗作用というかなり過酷なものでありましたが、ピークが一週間強であったのでどうにか乗り切ることが出来ました。ともかく、多くの予防薬の投入と共に、全ての症状に対して薬で対応するので大量の薬を使用しました。また正常細胞増加の為に、輸血や40まで下がった白血球を増やす薬の大量投与など薬漬けの状態は代わりありません。

8月4日に脊椎穿刺をして脊髄液を取り、その中に形質細胞腫瘍(がん細胞)が残っているかどうか検査しました。結果は全く残っていないということでした。移植は成功しました。もちろん骨髄液全部を調べることは出来ません。骨髄液を1部抜き取り、その中に腫瘍細胞(がん細胞)があるかどうかを調べるのです。その限りで100%がん細胞が残っていないとは言い切れません。しかし検査結果でがん細胞がないということはひとまず安心です。そして7月11日退院(day22)となりました。

また私の場合自己末梢血幹細胞移植であり、同種(他人からの)移植ではないので後遺症として免疫不適合によるアレルギー反応、ドナーの細胞が被移植者の皮膚や腸管、肝臓などの臓器を攻撃するGVHD(移植片対宿主病)にかかる心配がありません

4、退院後、通院、自宅療養 (2006・7・11退院)
退院後最初は週1回程度通院し、血液検査、尿検査、レントゲン検査を行いその結果から診断して薬の調合をしてもらいます。副作用防止の薬(抗生物質、防黴剤、胃薬等)は2、3ケ月服用し続けます。通院期間は徐々に間隔が長くなります。当面は白血球の持つ免疫力の低下の中で感染のおそれがあり(退位後1ケ月位たってから肺炎にかかり再入院した人がいます)、人込みには行かない、外出時はマスクをかける事など注意事項があります。

その他抗がん剤で痛めつけられた臓器-心臓、肝臓、腎臓、胃、大腸などの機能回復、体力の回復(だるさがなくなる)などあり、職場復帰は医者と相談しながら決めるほかありませんが2ケ月位の自宅療養は必要と考えられます。メルファラン(大量抗がん剤)によってどの位身体が痛めつけられておりその回復にどの位の期間が必要か全くわからない状態です。

『国立がんセンター』の資料には次のように書かれています、「・・・退院後もだるさが残り、元の健康な状態に近づくのには最低でも半年かかります。また白血球が増えてもその働きは悪く、様々な感染、特にウイルス、細菌や真菌(黴)感染にかかりやすい状態が続きます。その他の合併症や病気の再発の恐れもあります。その早期発見の為に退院後も定期的な検査が必要です。」

Ⅲ、第2回自己抹消血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006・10・12~11・11)


1、がんの再発
7月11日退院以降、体力回復に努め、日々療養生活を行ってきました。10月になってそろそろ職場復帰のための体力づくりをはじめようとしていた矢先、再移植という結論を医者から言い渡されました。退院時骨髄液の中には形質細胞腫瘍(がん細胞)は発見できなかったので、安心していました。しかし医者の言うように、骨髄液全体は調べられず、結局体のどこかにがん細胞は残っていたのでした。本来なら形質細胞腫瘍(がん細胞)が造りだしているIgMは形質細胞腫瘍がなくなれば徐々に体の外に排出されなくなり、新たに健全な免疫グロブリン(IgM)が作られるはずでした。

しかし8月16日を境に徐々にIgMは増え始め10月になると1週間に250という急ピッチで増え始めていきました。この急激な増加は自然発生的なものではなく、がん細胞によるものだと結論付けられました。1ケ月放置しておけば1000、4ケ月で4000になってしまう。早急に移植が必要となりました。移植前にIgM値を少しでも少なくしようと、10月3,4,5,6日にはVAD療法のミニ版(アドリアシン、ビンクリスチン、デカドロンを通常24時間点滴でやるのを3時間でやる)を外来でやり、10月5,6日にはデカドロンの錠剤80錠を飲むという方法を取りましたがあまり効果はありませんでした。

確かに第1回移植が終わった時に、主治医からは「骨髄液の中のがん細胞は全て検査できるものではない、骨髄の上澄みのみの検査で、その検査の結果がん細胞が無かったとしても完全になくなったかどうかの確証はない。完解を目指すなら自己抹消血幹細胞移植を2度やるという『タンデム(馬を縦に繋ぐという意味)移植』を行ったほうがいい」と言われてはいました。しかしその時はまたがん細胞が増殖してくるとは思いもしませんでした。

2、再入院・第2回移植 (2006・10・24移殖)
10月11日外来時、IgMが1240だったので一日も早く入院してIgM値を下げようということで、急遽12日に入院し12,13日は検査で14日からVAD療法を始めました。18日にVAD療法を終え、移植の体制に入りました。

22日大量抗がん剤の投与、24日自己抹消血幹細胞移植と無事スケジュールは終えました。今回は白血球が60になってからの脱力感が大きかったです。大量抗がん剤メルファランが体の粘膜を破壊する作用を持っているため前回と同じ症状は続き口内炎、胃もたれ、下痢、腹痛、心臓の締め付け感に悩まされました。26日から29日の3日間は1日中寝ていました。白血球値が期待したようには上がらず、30日の採血結果で20とまた下がり続けていました。それもついに2日の木曜日の採血結果白血球値は2400、金曜日には6400になり白血球減少時の感染に関してはひとまず安心となりました。血小板はなかなかあがらず、4回輸血しました。ヘモグロビンは9.5と安定していました。

一旦持ち直した体調も2、3、4の3日間最高39度近くの発熱で寝込んでしまいました。原因は分かりませんが白血球が増えるときに出る熱や、抗生剤がアレルギー反応を起こす場合など考えられるそうです。11月2日骨髄液を取りその中の形質細胞腫瘍(がん細胞)を調べました。調べられる範囲ではきれいだったということです。しかし再発する可能性がゼロということはありません。そし11月11日移植治療としてはきわめて早く(day20)退院となりました。退院後IgMが増加することがあればサリドマイドを使用してがん細胞の再発を抑えていこうという提案がなされています。

入院から第2回移植までのIgMの推移
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2005.12.5  フルダラビン療法
2006.1.5   VAD療法第1クール
     1.23  VAD療法第2クール
     2.20  VAD療法第3クール
     3.20  自己末梢血幹細胞採取
     5.15  VAD療法第4クール
     6.20  第1回自己末梢血幹細胞移植
     10.24 第2回自己末梢血幹細胞移植

第1回移植での入院中の血液検査結果データー(6/18大量抗がん剤投与)
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第2回移植での入院中の血液検査結果データー(10/22大量抗がん剤投与)
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治療経過ダイジェスト・2

MP療法からベルケイド療法まで (2007・5.31~2008・4)

Ⅳ、がんの再再発


1、がん細胞の増殖
昨年(2006年)の7月と10月の2回にわたる造血幹細胞移植によって一時は完治たように思えた時期もあったわけですが、結局がん細胞(形質細胞腫瘍)は体の中のどこかに存在していて、それが徐々に増殖していったのです。5月31日から再び抗がん剤治療を行うことになりました。  

11月12日の退院時、骨髄の中には形質細胞腫瘍(がん細胞)は存在しませんでした。退院後もIgM(形質細胞腫瘍・がん細胞が過剰に作り出す免疫グロブリンMタンパク、IgMの正常値は50~300)は下がり、12月20日には78までになりました。しかしその後じわじわとIgM値は上がり始めました。4月4日には526となりました。

しかし4月18日には528とほとんど増えず、このまま収まるのかとの期待もありましたが、結局5月2日には740、5月30日には1149となってしまいました。1ケ月で一挙に400も上昇したのです。今までは1ケ月200前後の上昇でしたが今回はその倍ということになります。IgMは色々な条件で増えたり減ったりすることはありえますが、400の上昇ということでガンの再発は確実となりました。

2、MP療法の開始(2007・5・31~)
IgMの値が1149という状況の中でどうするのか。私の原発性マクログロブリン血症は、どちらかというとIgM型多発性骨髄腫だと考えられるということです。MP療法をやってみることにしました。メルファラン6mgと、プレドニン(ステロイド)を1日朝昼晩3回、計50mg服用する。メルファランの副作用として白血球の低下(感染症の危険)、吐き気、下痢などがありますが量が少ないのでそれほどの影響は無いと考えられますがわかりません。移植のときは300mg使用しました。その50分の1ですからそんな激しい副作用は無いでしょう。この薬は4日間服用し1ケ月休薬し、また服用する。それを繰り返します。しかし、MP療法は根治療法ではなく、IgMの増加を抑える対処療法でしかありません。

3、MP療法の経過
① MP療法第1回―5月31日から4日間服用
6月13日の定期外来での血液検査の結果では、IgMが1295、6月27日の定期外来では1390と上昇は2週間で100と若干は抑えられていますが、MP療法が何処まで功を奏しているか不明な点もあります。

② MP療法第2回-6月27日から4日間服用
MP療法の効果として、IgMの数値が1390から1407と17しか上がっていませんでした。2週間で17という数字は今まで見られなかったものです。今までは2週間で多い時は200、MP療法を始めてから100といった状態でした。今回の17という数字はMP療法の効果と思われます。

③ MP療法第3回-7月25日から4日間服用。
8月8日の定期検査でIgMが1540から1796へと250も上昇していました。中性脂肪は550から339になって少しは安心しました。IgMの上昇についてどうするのか。しかし、8月22日の定期外来での検査結果でIgMは1632と前回より164減っていました。MP療法の継続ということになりました。

④ MP療法第4回-8月22日から4日間服用。
9月5日の定期外来でIgMは1679と2週間前と比べ47上昇していました。この程度の上昇だったのでMP療法を続けることになりました。9月19日の定期外来の検査ではIgMは1579と97減少しました。大幅な上昇はなくなりました。メルファランが蓄積して効いてきているのでしょう。しかし一方抗がん剤の影響でヘモグロビンが8.8、血小板が4.9、白血球が2700と全体的に減ってきています。このまま骨髄抑制が行われれば副作用が激しくなるでしょう。そのためメルファランを1日6から4mgに減らしました。これによってまたIgMが増える可能性はありますが、副作用との兼ね合いで減らさざるを得ませんでした。

⑤ MP療法第5回-9月20日から4日間服用
10月3日の血液検査の結果IgMが一挙に313上がりました。このような上昇は始めてです。2週間に300以上の上昇の原因とは何か、副作用を抑えるためメルファランの量を少なくしたことが原因なのか。メルファンが効かなくなってきたからなのか。メルファランを減らしたにもかかわらずヘモグロビン、白血球、血小板数はあまり変化していなません。血小板数が4.1から5.2に増えた位です。MP療法は効果のわりに副作用(骨髄抑制)
が強かったのでベルケイドを使用するほかありません。

⑥ MP療法第6回-10月18日から4日間服用
10月17日の検査でIgMは1955までになり、早急にベルケイド療法に切り替えることが必要となり、入院までのつなぎとしてMP療法の最後として薬の処方をしました。

4、副作用への対応

6月27日の血液検査では白血球値が2100(正常値3800以上)、血小板が6.3(正常値13以上)と減少しました。7月11日には白血球3200、血小板8.0と回復しましたが、また減る可能性はメルファランを服用している限りあるでしょう。

ステロイドの影響で骨が弱くなったり、中性脂肪の増加等の副作用があります。これらの副作用への投薬も必要となってきています。そしてまたその薬の副作用がありうるということで中々体調が回復するということはなさそうです。骨が弱くなるのを防ぐため骨粗しょう症の薬であるボナロン錠35mgを1週間に1度服用することになりました。

7月11日の検査結果で中性脂肪586(正常値30~150)という数値が出ました。6月27日には274だったのですが一挙にあがってしまいました。総コレステロールは213で(正常値130~219)で正常値に納まっています。7月25日の検査結果、中性脂肪は550あり、それを減らす高脂血症薬ベザトールSRを毎日飲むことになりました。

服用していた薬
メルファラン: 抗がん剤、1ケ月1度に6mgを4日間連続服用
プレドニン: 副腎皮質ホルモン(ステロイド剤)、最初は1ケ月1度5mgを10錠4日間連続服用。その後MP療法の効果が薄れてきたので2週間1度
ボナロン: 骨粗しょう症薬、1週間1度35mg朝食30分前
ベザトールSR: 高脂血症薬、200mg朝食後毎日
コートリル: 副腎皮質ホルモン(スレロイド剤)、10mg朝食後毎日
フルゴナゾール: 抗真菌剤、100mg朝食後毎日
ムコスタ: 胃薬、100mg朝昼夕食後毎日
パキシル: 帯状疱疹神経痛沈痛薬(抗鬱剤)、10mg夕食後毎日

これらの薬はさまざまな副作用をもたらします。抗がん剤は骨髄抑制作用を起こし、白血球、ヘモグロビン、血小板を減らし感染症を誘発します。口腔胃腸粘膜への影響や、肝機能、腎機能への影響もあります。ステロイド剤は抗アレルギー作用、抗炎症作用、免疫抑制作用などを発揮する反面、副作用として脂肪の異常沈着、感染症の誘発、骨粗しょう症、血糖値の上昇などがあります。その他の薬全てが倦怠感、脱力感を誘発します。現状、家事や散歩などの軽作業は可能ですが、病気以前のような体力の回復はまだなかなかといった状態です。

Ⅴ、ベルケイド療法の開始

1、ベルケイド療法とは
MP療法が限界に来ているという判断によってベルケイド(ボルテゾミブ)療法に移行することにしました。「これまでに少なくとも過去2回以上の前治療歴があり最後に受けた治療後病気の進行が認められた骨髄腫患者」が投薬の対象です。難治性、再発性の骨髄腫患者へのサルベージ療法(最後の手の治療)といえます。日本では2006年10月に承認、12月1日より薬価収載、発売された薬です。それまでは自費購入であったが、保険適用になったということです。従って日本での臨床例はまだ少ない。多くの患者の要望でやっと認知されたものです。ベルケイドは体表面積あたり1.3mgを静脈内に注射します。1,4,8,11日と4日間注射し、10日間間を置いてこれを繰り返します。

副作用などの心配があるので、約40日間の入院が必要となります。ベルケイドの難治、再発性骨髄腫への奏効率は35%という統計が出ています。難治性骨髄腫患者にとって画期的で効果的な薬として注目されているがそれでも3分の2の患者には効果が無いということです。

2、ベルケイド療法の実施(2007・10・26~)
10月24日ベルケイド(ボルテゾミブ)療法のため入院することになりました。2クール40日間の入院の必要性となります。それ以降は通院で同じことをさらに6クール繰り返すことになります。8クールで一行程となるわけです。半年以上かかる長期的な療法です。8クールで効果がなかったならばさらに同じ療法を続けます。以降は同じサイクルで繰り返す方法と注射を週1回にして4週間行い13日休むサイクルを繰り返す方法の2通りがあります。つまり効果が見られなければ半年間、さらに効果が出るまでひたすら繰り返すというエンドレスな治療法だということです。

入院し、医師の管理の下にベルケイド療法を行った。ベルケイド(ボルテゾミブ)2.1mg+デカドロン(デキサメタゾン)40mg-1,4,8,11のサイクルで静注する。第1クール、第2クールを終わった時点でIgM値は2200から400まで下がりました。きわめて効果的な薬だということになります。そして12月28日に退院しました。それ以降1月に第3サイクル、2月に第4サイクルを病院の通院治療センターで行っています。当面第8サイクルまではこの療法を継続していく予定です。

ベルケイドは分子標的治療薬として、がん細胞を狙って攻撃する抗がん剤で、副作用が究めて少ない薬であるのは確かです。しかし、継続して使用していくと、血小板の減少で療法のコンスタントな継続が難しくなったり、末梢神経障害として手足の痺れが激しくなったりします。抗がん剤の症状としての倦怠感や体力の消耗感は、ステロイド剤を併用して抑えることはしていますが、どうしても治療中はだるさに付きまとわれている状態です。しかしそれでも日常生活は可能ですし、通院治療できるということは他の抗がん剤に比べ副作用が少ないと言えるでしょう。

第2回移植以降からMP療法を経てベルケイド療法以降のIgMの推移
グラフ2

2006.10.24 第2回移植
2007.5.30  MP療法開始
     10.26 ベルケイド療法開始

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治療経過ダイジェスト・3

サリドマイド療法からレナリドマイド、そしてDCEP療法へ 
 (2008・4.2~2011・3・12)


Ⅵ、サリドマイド療法

1、サリドマイド単剤で使用(2008・4・2~)
きわめて効果的だったベルケイド療法は、第3サイクル、第4サイクルと回を重ねるにしたがって効果がなくなり、3月段階でIgMは再び上昇し始めた。このまま続けていってもIgMを抑えることは出来ないと判断し、サリドマイド療法を採用することにした。この薬は厚生省で認可されておらず、保険適用外で、輸入代行業者を通じて個人輸入しなければならない。しかし外に効く薬がない現状ではサリドマイド(血管新生抑制剤)を使用する他ない。4月2日からサリドマイド100mgを服用することにし、5ケ月行った。効果としては、IgMを減らすことは出来ないが、増加を抑えることは出来ていたが、徐々にIgMが増加して来た。
 
2、サリドマイド+エンドキサンの併用療法(2008・9・3~)
サリドマイド単剤での治療効果が薄れてきたのでエンドキサン(シクロフォスファミド・アルキル化剤)を併用することにした。サリドマイド100mgは今まで通り服用し、エンドキサン50mgを月5日間服用するというものだ。その後7日間にした。しかしこの併用療法はあまり効果が無く、米国の血液学会で推奨されていた、サリドマイド+エンドキサン+デカドロン(ステロイド)の3種併用療法に切り替えた。

3、サリドマイド+エンドキサン+デカドロンの併用療法(2008・11・27~)
サリドマイド100mg/毎日+エンドキサン300mg/週1回+デカドロン40mg/4日間月1度を服用するというもので、かなり長い間効果を持続した。

4、その後のサリドマイド併用療法(2009・6~)
2009年
6月 サリドマイド100mg/毎日+オンコビン(ビンクリスチン)2mg/月1度+デカドロン(デキサメタゾン)40mg/月4日。効果減少。
8月 オンコビンを月2度にするが効果期待できず。
9月 サリドマイド100mg/毎日+メルファラン(アルケラン)8mg/月4日+プレドニン50mg/月4日。
11月 好中球が 500以下になる。上記の療法による骨髄抑制が強すぎるので中止。
11月25日~ サリドマイド100mg/毎日+クラリスロマイシン200mg/朝晩毎日+プレドニン50mg/月4日。クラリスロマイシンは抗生物質であり骨髄抑制の心配はなかった。
12月24日~ 上記療法が全く効果を発揮せず、IgMが1ケ月に1000も上昇してしまった。次の療法として
ベルケイド2.1mg/週1回毎週静注+デカドロン33mg/週1回毎週静注+サリドマイド100mg/毎日服用+エンドキサン(シクロホスファミド)50mg/月4日服用。ベルケイド、デカドロンは4週連続して行ない1週休薬する。

2010年
4月28日~ エンドキサンを100mgに増量
6月23日~ サリドマイド+MP

サリドマイド療法でのIgMの推移
G5.jpg

2008.4.2   サリドマイド単剤で使用開始
     9.3   サリドマイド+エンドキサン
     11.26 サリドマイド+エンドキサン+デキサメタゾン
2009.6.11  サリドマイド+オンコビン+デキサメタゾン
     9.16  サリドマイド+メルファラン+プレドニン
     11.25 サリドマイド+クラリスロマイシン+プレドニン
     12. 24 サリドマイド+ベルケイド+エンドキサン+デキサメタゾン
2010. 6. 23  サリドマイド+メルファラン+プレドニン

Ⅶ、レナリドマイド使用開始

2010年9月29日~ レナリドマイド(レブラミド5mg×3=15mg)を月21日間服用開始。
2011年1月19日~ レナリドマイド15mg/毎日+デキサメタゾン40mg/4日間服用、4日間休薬しまた4日間服用する。これを繰り返す。

レナリドマイドの効果が減少しきました。IgMが今までになく急速に上昇してきた。1月5日には3618、1月19日には・4916、1月26日には6738、そして2月2日にはついに8400にまで上昇してしまった。今までにない驚くべき増加です。眼科でのサイトメガロウイルス網膜炎の治療のためステロイド剤の使用を避けてきたが、止むを得ず1月19日には、レナリドマイドとの最も主要な併用療法であるデキサメタゾンを使用する事にした。

レナリドマイド15mg毎日、デキサメタゾン40mg4日間連続服用を開始した。そして4日休薬し、再びデキサメタゾン40mgを4日間服用する。これを繰り返す高用量デキサメタゾン療法を取り入れたが全く効果は見られなかった。

Ⅷ、新たな治療を求めて・第1回DCEP療法

1、入院治療へ(2011・2・3~3・12)
1月26日の診察日、IgMの数値が6738になったという急激な上昇を見て、主治医は入院の必要性を主張した。入院でかなり強力な抗がん剤を用いて治療しなければならない段階にきているということだ。

そこで医者は、シスプラチン、エトポシド、シクロホスファミド、デキサメタゾンを組み合わせたDCEP療法の説明をした。26日には入院手続きをしましたがなかなかベッドが空かないのだろう、次の診療日2月2日になっても入院日の連絡が来なかった。IgMは8400になり、体調的にも倦怠感が全身をおおっている感じだ。主治医が病棟担当の責任者を呼び出し、どれ程入院が必要かを訴えた。病棟は血液内科ではないかもしれないが、明日入院できるように手配するとの回答をもらった。2月3日からの入院が決まった。それが3月12日の退院までという長い期間になってしまった。

2、DCEP療法・治療内容

▼ デキサメタゾン33mg: 1日30分点滴で4日間行う。
▼ シスプラチン16mg: 4日間かけて点滴。1日目はAM11時から翌日のAM10時まで、1時間休んで、またAM11時から翌AM10時まで行う。これを4日間、つまりほぼ96時間休むことなく点滴し続ける。
▼ エンドキサン650mg: 4日間かけて点滴。1日目AM11時から初めて96時間休むことなく点滴し続ける。
▼ エドポシド65mg: 4日間かけて点滴。エンドキサン同様1日目AM11時から初めて96時間休むことなく点滴し続ける。
その他、毎日デキサメタゾンの点滴の前に制吐剤カイトリルの点滴を行う。また1日1リットルのソルデムを点滴し続ける。

3、治療経過

2月3日 入院
2月3日~6日 骨髄穿刺、中心静脈カテーテル挿入、心臓エコー、レントゲンなどの諸検査が行われる。
眼科医の診療も平行して行なわれた。2月4日には眼の痛みと頭痛が突然襲ってきった。IgMが増加し網膜の毛細血管に影響を与えた可能性が大きい。眼圧を下げる点滴をして痛みは収まった。
2月7日~11日 4日間のDCEP療法が行なわれる。
2月14日 IgMが8400から6370に減少した。
2月14日頃より骨髄抑制が強まる。白血球は300→70→200→300と低迷状態が続く。G-CSFを14日から28日まで連日投与。血小板にもかなり影響がでて輸血を繰り返した。2月16,18,21,25,28日に行なった。
2月15日 高熱が出始める。毎日ほぼ決まっていて午後突然体が震えだし歯の根が合わず、悪寒が全身をおおう。ありったけの毛布と借りている電気毛布をかけその中に包まってがたがたと震えている。20分位経つと震えは収まりやがて段々と熱くなる。タオルケット1枚でもいい位だ。その頃熱が一番高く39度以上ある。その高熱が連日続く。
2月25日 高熱が収まる。白血球が700、好中球が240。
2月28日 IgMが2673まで下がる。白血球の数値が上昇し始める。口内炎もそれに合わせて完治する。白血球2100と好中球1170になった。
3月10日 白血球3200、好中球2100、血小板6.4になり退院確定。
3月12日 退院

レナリドマイド開始からDCEP療法終了までのIgMの推移
グラフ4

2010・9・26 レナリドマイド使用開始
2011・2.3  DCEP療法のため入院
     2.28 IgMが2673まで減少

DCEP療法での入院から退院までの血液検査結果データー
iiiii.jpg

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治療経過ダイジェスト・4

第1回DCEP療法退院以降、第2回入院・退院まで(2011・3・13~8・18)

Ⅸ、第2回DCEP療法

入院に至る経過
退院後3月17日からの治療法について、骨髄抑制の少ない方法をとる外なかった。ベルケイドを中心とした併用療法である。サリドマイド100mg/毎日、週1度通院でベルケイド1.9mg、デキサメタゾン(デキサート)33mgの静注を続けていた。5月になって効果が薄れ始めた。そのため高用量デキサメタゾンを投与する事になった。4日間40mg服用し、4日間休薬し、また4日間服用するというものだ。以前はデカドロンという1錠0.5mgの錠剤しかなった。これだと1日80錠服用しなければならない。最近レナデックスという1錠4mgの錠剤が発売され、これだと1日10錠飲めばいい。5月25日から初めて6月22日まで行った。

6月22日にはIgMが減少した。そこで高用量デキサメタゾンの投与を止め週1回に戻した。ステロイド剤の大量投与は睡眠の問題が顕著だが、それ以外の面でも免疫力の低下、高血糖、高脂血症、骨への影響など様々な身体的負担を強いる事になる。長期間続けることは極めて厳しい。

7月13日からIgMが急激に上がり出し、7月20日の検査結果でもかなりの増加が見られた。もはやベルケイドを中心とし三者の併合療法は全く効果をもたないと判断せざるを得なかった。外に通院で使える薬は見つからない。入院して前回と同じDCEP療法をやったほうが確実である。またかなりの体力消耗感があってこの状態も改善したかった。7月25日からの入院となった。今回は病室の改装が終わり、受け入れ態勢が整ったのか、入院を決め手続をしてから5日目で入院することが出来た。

DCEP療法
入院で行うのはDCEP療法、2月に入院して行った療法と同じである。
・デキサメタゾン33mg-30分で点滴4日間
・シスプラチン10mg/m2+生理食塩液500ml-4日間96時間連続点滴
・エドポシド40mg/m2+ブドウ糖注射液500ml-4日間96時間連続点滴
・シクロホスファミド400mg/m2+生理食塩液500ml-4日間96時間連続点滴
この組み合わせで4日間が治療期間だ。朝10時頃点滴していた薬が終わりになるので、同じ薬を追加し連続投与となる。薬の点滴の前には制吐剤のカイトリルが投与される。またシスプラチンが腎臓に負担かけるということで、それを防ぐために大量の水分を補給する。薬と一緒に点滴する生理食塩水などで1500mlさらに1500mlのソルデムが点滴される。合計1日3000mlの水分補給が行なわれる。

入院経過
7月25日 入院、採血と尿検査、赤血球が193、ヘモグロビンが6.6。
7月26日 骨髄穿刺(マルク)、中心静脈カテーテル挿入、心電図、レントゲンなどの諸検査が行われる。
7月27日~30日 4日間のDCEP療法が行なわれる。だるさや疲労感は収まってきている。赤血球の輸血による増加と、デキサメタゾンのせいだろうが、
8月1日、3日 免疫グロブリン製剤輸血。白血球の減少を少しでも免疫グロブリンで補う外ない。
8月3日 IgM6257、7月20日の診察日以降IgMの値を測っていない。7月20日以降は一切治療をしていないので、入院時にはIgMは7000を超えていただろう。そうなると8月3日の6357という数字はIgMが減少した数字となる。
骨髄抑制が強まる。G-CSF連日投与。白血球は500→400→600と低迷状態が続く。
8月8日 入院時から継続していたソルデムの点滴終了。抗がん剤治療中は1日1500ml、その後は1000mlが24時間継続して点滴されていた。
8月10日 IgM4223、白血球の数値が上昇し始める。白血球1800、好中球1260。
8月15日 G-CSF投与をやめた結果、白血球は1500、好中球は670と減少した。
8月17日 IgMが3629まで下がる。入院中赤血球2回、血小板3回輸血。前回よりかなり少ない。血液検査の結果、白血球2000、好中球は860であったが退院は予知通り。
8月18日 退院

今回の入院について

1回目の入院期間は38日であった。今回は25日とかなり短縮した。前回は好中球が0まで落ち、白血球(好中球)回復するのに17日かかった。今回は8日間であった。副作用に関しては、前回感染症なのか不明な点もあるのだが、一週間以上、39度の熱に見舞われた。昼過ぎに熱が出始め、1時間位でピークに達する。それ以降は熱さましと氷枕で夕方には37度台まで下がる。それが繰り返されかなり体力を消耗する事になった。

今回は全く発熱しなかった。口内炎も出ず、夕方36.8度位の微熱が出ることはあったがその位は許容範囲だろう。抗がん剤という体にかなり負担をかける薬剤の投与によって、やはり少しは体へのダメージはあるが、副作用といっても骨髄抑制位で、輸血とG-CSFで対応できた。そういった意味で今回の化学療法は大きな副作用や感染症に遭う事もなく、かなり身体的は楽な治療であったと言える。

退院後の治療について医者の説明
25日の外来診療からレナリドマイド(レブラミド)を服用する。デキサメタゾンと併用するかどうかについては考える。レナリドマイド単独、またはレナリドマイド+デキサメタゾンが効果を失ってきた場合、ベンダムスチンをプラスする。新薬であるベンダムスチンに関しては、まだ十分な臨床経験がなく骨髄抑制がどの位になるのか、どのような副作用がでるか十分に把握できていない。したがってベンダムスチンの投与の際には入院してもらう事になる。

第1回DCEP療法での退院以降、第2回DCEP療法での退院までのIgMの推移
gurafy.jpg
 2011・
 3・17~5・25  サリドマイド+ベルケイド+デキサメタゾン(デキサート・点滴)
 5・25~6・22  サリドマイド+ベルケイド+高用量デキサンタゾン(レナデックス・錠剤)
 6・22~7・20  サリドマイド+ベルケイド+デキサート(点滴)
 7・25        DCEP療法のため入院
 7・27~7.30  DCEP療法実施
 8.17       IgM 3629
 8・18       退院 

入院中の血液検査結果データー
表

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治療経過ダイジェスト・5

第2回DCEP療法退院以降、ベンダムスチン療法のための入院・退院まで
 (2011.8.18~12.29)


Ⅹ、ベンダムスチン療法

ベンダムスチン療法に至る経過

8月18日第2回DCEP療法を終え退院した。退院時のIgMは3629であった。これ以降どういった薬を使用するのか難しい選択がせまられたが、とりあえずレナリドマイド単独で治療を始めることになった。しばらく単独で効果が上がっていたが、これはDCEP療法の効果が持続していたのかレナリドマイドの効果なのかは定かではない。9月26日にはIgMが2週間で1000上昇した。レナリドマイド単独での療法は限界となった。次の方法として選択したのは以下の3種併用療法である。

レブラミド〈レナリドマイド)5mg×3=15mg/毎日、21日間服用・7日間休薬
レナデックス(デキサメタゾン)4mg×5=20mg/週2日
エンドキサン(シクロホスファミド)50mg×4=200mg/週1回

10月12日早くもIgMは5518と上昇してきている。9月8日には3293であったのが、10月12日までの35日間に2225の上昇が見られた。ほぼ一週間でコンスタントに500ずつ上がっている。シクロホスファミドの影響だろう。白血球と好中球ともに下降した。とりわけ好中球の380という数字は危険領域の500をはるかに下回っている。G‐CSFの注射を週3回やることにした。免疫グロブリン製剤の点滴もした。それでどうにかしのぐほかない。

IgMは毎週測っているが、10月12日から、11月24日までの動きとしては500上がって、100下がり、500上がって100下がり、500上がっている。次の週には250下がり、又100上昇する。こういった動きの原因は分からないが、薬が全く効いていないというわけではない事は確かであるが、薬の効き目よりもがん細胞の増殖の方が強力だということだ。

12月1日の血液検査の結果今まで上昇のパターンが一挙に崩れた。IgMが一週間で6281から7606へと一気に1300以上上昇した。先週先々週とIgMが抑えられていたが、そのたがが外れて一気に上昇したという感じだ。上昇はそれに止まらず12月8日には8417までになってしまった。もはや猶予は出来ない。緊急に入院してベンダムスチン療法を始めないと、何処までIgMが上昇するか分からない。このままいくと数日後には1万を越える可能性があり、そうなると身体に重大な影響が出るだろう。

入院予約は12月2日に提出したが、なかなかベッドが空かず、入院日の連絡がない。結局12月12日に緊急入院ということで、空いていた消化器科病棟に入院することができた。

ベンダムスチン療法の問題点
ベンダムスチンの副作用として重度の白血球減少があるということだった。「血液学的な毒性は好中球減少症で、グレード3が25%、グレード4が48%となった」(癌Expertsニュース)。通常新たな治療を始める前には、白血球が3000位は欲しいところでる。時間を置くなり、G-CSFで増やしてから治療を開始するが、私の場合は見切り発車をいった感じで、入院前12月8日の検査では白血球が1600、好中球が360であったが、この状態で治療を始めざるを得なかった。

この状態で更に骨髄抑制の強い薬を投与するということはきわめて危険を伴うということだ。つまり白血球が殆どなくなり、感染の恐れが極めて強くなり、その期間が長くなるということだ。つまり回復にかなりの時間を要するということである。色々な支持療法を行ったり、感染予防の措置は採るとしても、感染による重大な事態を考えておいた方がいいと医者は言う。

ベンダムスチン療法
吐き気止めカイトリル3mgを30分点滴して、その後ベンダムスチン(トレアキシン)180mgを(溶)注射用水72mg、生理食塩水178mgに混ぜたものを1時間かけて点滴する。最後に生理食塩水を5分位流して洗浄する。これを2日間やる 。通院治療での点滴と比べて特に大変なわけではない。ただ新薬であり、臨床例が少ないので副作用がどう出るか、骨髄抑制がどの程度か分からないので入院治療をするとことになった。

ベンダムスチンの副作用
治療中の副作用として考えられるのは、1、睡眠過多(過眠)、2、赤血球、血小板の減少、3、食欲不振(胃もたれ)、4、腎臓機能の低下(尿酸値、クレアチンの上昇)。

一番心配した白血球の減少は見られなかった。メルファランやシクロホスファミドによる、白血球減少で治療を中断した事もある。同じアルキル化剤であるベンダムスチンで白血球の減少は当然のものとして予想していた。しかし実際に白血球の数値の推移は以下の通りであった。白血球数 2100(12/26)←1600(12/23)←1300(12/21)←1200(12/19)←2300(12/17) ←700(12/16)←900(12/14)←2000(12/12)。全く運がいいとしか言いようがない。

赤血球と血小板の減少が見られた。赤血球は2回、血小板も2回輸血した。IgGの減少が見られた。IgGが105というのは今までにない落ち込みだ。IgMの増加がIgGの産生を阻害したのだろうか。免疫グロブリン製剤の点滴を行う。

またもう一つの副作用として睡眠過多があった。これを副作用と見るかどうか、この薬の副作用の説明の中に過眠という項目はなかった。13日には恐らくIgMがかなり上昇していただろう。それも影響しているかもしれない。

ベンダムスチン投与後の13日は午後から眠気が急に襲ってきて、午後3時間、夜は8時に寝てしまった。14日から朝は6時には起きるが、8時の朝食後、眠くなりか2,3時間寝る。午後は昼食後4,5時間寝てしまう。夜は8時頃から眠くなり、朝まで寝る。ソルデムを1500ml点滴をしているので3時間おき位に目が覚めトイレにいくが、床に就くとすぐ眠りにはいれる。その後も同じように、ほとんど寝て暮らしているといった入院生活を送ってきた。そのためほとんど体を動かすことがないので食欲が全くない。この眠さが18日まで続いた。

体温はずっと36.5度から36.8度の間だった。発熱によって横になり眠くなるのはあるだろう。まただるさのため横になりたくなることもあるだろう。しかし今回は睡魔が襲ってくるように眠ってしまう。こういったことは今までになかったことだ。

抗がん剤で胃が荒らされているのかもしれないが、胃の膨満感があって、空腹感が全くない。病院では一般食の代わりのものが用意されている。食べられるものを少しでも食べないと体力が消耗してしまうと思って、朝はパン食、昼はうどん、夜はおかゆと変えて少しでも体に栄養を取り入れようとしてきた。

入院経過(12.12~29)
12月12日 入院、ソルデム1500ml点滴始まる。
12月13日 ベンダムスチン第1回目投与、傾眠が強まる(1日16時間位眠る)。
12月14日 ベンダムスチン第2回目投与、白血球900、好中球330
12月15日 赤血球輸血
12月16日 血小板輸血、尿酸値、クレアチニンが上がり始める。G-CSF投与始まる。
12月19日 赤血球輸血。過眠が収まってくる。ほぼ8時間睡眠になる。
12月21日 IgM 6647←8417(12/8)。 尿酸値クレアチニン正常値に戻る。血小板、免疫グロブリン製剤輸血。
12月23日 ベンダムスチンは白血球に大きな影響は与えなかった。ソルデムの点滴終了。
12月26日 G-CSFこの日の点滴で終了。
12月28日 IgMの検査結果 4710←6647(12/21)←8417(12/8)
12月29日 退院

第2回DCEP療法での退院以降、ベンダムスチン療法での退院までのIgMの推移
(8.17~12.28)

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2011.
8.18 第2回DCEP療法・退院
8.25 レナリドマイド単剤投与
9.26 レナリドマイド+シクロホスファミド+デキサメタゾンの3種併用療法
12.13~14 ベンダムスチン投与
12.29 ベンダムスチン療法・退院

入院中の血液検査結果データー
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治療経過ダイジェスト・6

ベンダムスチン療法以降、第3回DCEP療法での入退院まで
(2011.12.28~2012.5.1)


ⅩⅠ、退院以降のベンダムスチン療法


1、ベンダムスチン療法からDCEP療法へ
12月12日 ベンダムスチン療法のため入院
12月13日 ベンダムスチン180mg点滴投与
12月14日 ベンダムスチン180mg点滴投与(2日間投与)
12月28日 退院

入院退院以降IgMは1月18日まで減少。
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1月25日からIgM上昇に転化。
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ベンダムスチン療法入院から第3回DCEP療法退院までのIgMの推移

無2

2、1月25日からIgM上昇(IgM2258から2346に上昇)
2月1日 ベンダムスチン外来で180mg点滴(吐気止めのカイトリルを30分。その後ベンダムスチン180mgを1時間で点滴する。)・・・・全く効果なし。
2月23日 ベンダムスチン外来で180mg点滴(吐気止めのカイトリルを30分。その後ベンダムスチン180mgを1時間で点滴する。)・・・・全く効果なし。
3月22日~ サリドマイド100mg1週間+デキメタゾン40mg4日間服用。・・・・全く効果なし。
3月29日 DCEP療法のための入院を決める。

3、第3回DCEP療法への経過
12月13~14日に投与したベンダムスチンは急速に効果を現した。12月8日には8417まで上昇してしまったIgMは1ケ月半で2259まで下降した。後は外来での定期的なベンダムスチンの投与でIgM上昇を抑えていけばいいと考えていた。

1月25日の血液検査で今まで下降していたIgMが上昇し始めた。早速ベンダムスチン180mgを投与した。どの位の量を外来治療の場合使用すればいいのか、入院時では標準量180mg(120mg/m2)の2日間投与であり、それと同量を外来で維持するかどうか判断しなければならなかった。

ベンダムスチンは体力消耗をもたらし、骨髄抑制も強いので、入院時の量は無理だろということで、180mgを1日で投与するという標準治療の半分の量にした。しかし2月1日と2月23日に投与した180mgのベンダムスチンは全く効果を発揮しなかった。あれだけ効果的だった薬が2度目には全く効果を見せないということがありうるのだろうかと思ったが、数値がそれを示している。

量の問題かもしれないとも思ったが、増やしたとしても効果を発揮するとも思えない。増やして上がる可能性があれば当然やるが、投与した量で全く反応がない所を見ると増やすことで効果がでてくるとは期待できない。増やすことによりリスクも考えなければならない。

そういったことで、ベンダムスチンの増量による治療を諦めて別の治療を考えざるを得なかった。つなぎに既に1年近く使っていなかったサリドマイドとデキサメタゾンが効くかもしれないという淡い期待をこめて一週間続けたが、全く効果はなかった。

結論として過去2回やって効果のあったDCEP療法でやることになった。3回目で何処まで期待出来るかわからないがほかに方法がある訳ではない。何もしていない現状でIgMは確実に上がり続けている。早急な入院治療が必要だった。


ⅩⅡ、第3回DCEP療法

1、 DCEP療法
・ デキサメタゾン33mg-30分で点滴4日間
・ シスプラチン10mg/m2+生理食塩液500ml-4日間96時間連続点滴
・ エドポシド40mg/m2+ブドウ糖注射液500ml-4日間96時間連続点滴
・ シクロホスファミド400mg/m2+生理食塩液500ml-4日間96時間連続点滴

2、DCEP療法のための入院から退院
4月4日  入院
4月5日  血小板輸血、点滴用カテーテル挿入
4月6日  DCEP療法開始
4月10日 DCEP療法終了、G‐CSF開始、赤血球輸血
4月12日 IgM8471。白血球400、好中球150に下がる。口内炎が悪化し始める。
4月15日 夕方から発熱
4月16日 白血球300、好中球40とさらに下がる。抗生剤(セフタジジム)の点滴始まる。
4月17日 抗生剤が変わり1日2種類(メロピン、バンコマイシン)2回となる。
4月19日 血小板、赤血球輸血、15日から始まり続いていた発熱が午後から平熱となる。
4月23日 IgM6369。白血球、好中球上昇、血小板、赤血球輸血。抗生剤点滴続く。
4月27日 G‐CSF、抗生剤点滴が終了。
5月1日  IgM6096。血小板輸血。退院。

DCEP療法入院前から退院までの総蛋白の増減
無1

入院中の血液検査結果データー
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治療経過ダイジェスト・7

第3回DCEP療法退院以降、M2プロトコルでの入退院まで
(2012.5.1~7.2)

ⅩⅢ、第3回DCEP療法以降


1、DCEP療法後
第3回DCEP療法での退院以降、入院治療によってIgMの減少が殆ど見られなかったということもあって、その後の通院治療方針を立てることができなかった。ラステッド(エドポシド)を使ったりエンドキサン(シクロホスファミド)を使用したり、これは単にDCEP療法で使用し効果が見られたから使ったにすぎない。診療日に採血結果を見て次は何を使おうとかとその場しのぎのため無理やり考え出した方針でしかない。といってもそういった方法をとるしかなかった。(第3回DCEP療法での入院4月4日、退院5月1日)

2、IgMの増減
無題

3、DCEP療法後の治療

5・21~ ラステッド(エトポシド)25mgを一週間毎日服用。効果なし。
5.27~ エンドキサン(シクロホスファミド)200mgを2日間、レナデックス(デキサメタゾン)40mg4日間服用。
6.4~  エンドキサン200mgを2日間、レナデックス40mg4日間を服用。
6.11~ エンドキサン200mgを4日間、レナデックス40mgを4日間服用。

6月11日の血液検査の結果IgMの値が11000と急激に上昇した。どういった薬を使って治療をするかどうか決まっていないが、入院治療をせざるを得ないと判断した。

ⅩⅣ、M2プロトコル

1、治療にニドランを使用
6月18日入院後、担当医から今回の入院治療で使用する薬の説明が行われた。今回は今まで1度も使われたことのないニドランという抗がん剤をメインに使用する。ニドラン(塩酸ニムスチン)+オンコビン(ビンクリスチン)+エンドキサン(シクロホスファミド)を組み合わせた療法だ。この併用療法をM2プロトコルという。本来M2プロトコルという療法はオンコビン(ビンクリスチン)+BCNU(カルムスチン)+アルケラン(メルファラン)+エンドキサン(シクロフォスファミド)+プレドニゾン(プレドニン)の多剤併用療法を指すが、この病院では今回の組み合わせをもってM2プロトコルと言っている。

ニドラン (一般名 塩酸ニムスチン) : 
1970年代に日本で開発、発売されたニトロソウレア系のアルキル化剤に分類される抗がん剤。アルキル化剤は大きく分けて、エンドキサン(シクロホスファミド)やイホマイド(イフォスファミド)などのナイトロジェンマスタード系とニトロソウレア系などがある。

2、何故ニドランを使用したのか
今回の ニドランを中心とした療法を何故選択したのか担当医からの説明は以下のとおり。。ニトロソウレア系の抗がん剤は今まで使用したことはない、というのが第1の理由だ。骨髄抑制が比較的強くない組み合わせがあったというのが第2の理由だ。今まで使用したことのない系列の薬は、薬物耐性が全くないので効く時には大きな効果を発揮する可能性がある。

今回ニトロソウレア系抗がん剤を使用することになったが、何故サイメリン(ラニムスチン)でなくニドラン(塩酸ニムスチン)を使用することになったのか、といった質問に対して担当医は次のように答えた。ニトロソウレア系抗がん剤を使おうと思って、それぞれの併用療法を当たって見た。現状で血球の状態がよくないので骨髄抑制があまりない強くない組み合わせを探した所、ニドラン+オンコビン+エンドキサンが適していると判断した。エンドキサンの骨髄抑制が考えられるが、500mgを1回投与という量なので影響はあまりないだろう。

3、投与スケジュール

9:30~10:00
カイトリル注(3mg3ml)+生理食塩水(50ml)
10:00
オンコビン注(1.4mg)+生理食塩水(20ml)
10:00~11:00
ニドラン注(100mg)+注射用水(20ml)
ブドウ糖注射液5%(80ml)
11:00~14:00
エンドキサン注(500mg)+生理食塩水(500ml)

平行してソルデム(500ml)+メイロン(7%20ml)を10:00~22:00まで点滴。

4、M2プロトコルでの入院治療
6月18日 入院、1回目血液検査、尿検査、レントゲン、心電図絵検査。赤血球輸血。
       IgM9155
6月19日 M2プロトコルを行う(3種の抗がん剤の点滴)。血小板輸血
6月21日 2回目血液検査。19日からのソルデム500mlの投与3日間で終了。
6月22日 G-CSF点滴投与開始
6月25日 3回目血液検査。赤血球輸血
6月26日 血小板輸血
6月28日 4回目血液検査。好中球再び下降
6月29日 赤血球輸血
6月30日 血小板輸血
7月2日  5回目血液検査
      IgM9719
7月3日  赤血球輸血
7月5日  6回目血液検査
7月6日  血小板輸血
7月7日  退院

5、今後の問題
今回の治療では結局IgMは入院時9155だったのが、退院5日前検査では9719であった。これから下がる可能性はないとはいえないが、今の所治療効果は皆無だったといえるだろう。これ以降上昇するかどうか分からないが、どちらにしても10000前後のIgM・M蛋白が血液の中にあって、血液の粘度が高くなる。

この過粘稠度症候群によって、皮膚、手足の指、鼻、脳への血流が妨げられて症状が現れることもある。このような症状としては、皮膚や粘膜(口、鼻、消化管の内膜など)からの出血、疲労、脱力、頭痛、錯乱、めまい、昏睡などがある。また心臓の状態が悪化し、脳内の圧力が高まる。眼の奥の毛細血管に血液が充満して出血し、網膜が損傷して視力が損なわれることもある。こういったIgM増加に伴う疾患に対しては、その前兆を見逃さず的確な治療を受けていく必要がある。

7月11日の外来診療日でのIgMの数値は大きな意味を持っている。上がっていたら再入院の可能性がある。すぐ入院というわけには行かないので、その次18日の診療日での血液検査の結果を見で判断するだろう。18日にも上がっていたら、2,3日置いて再入院せざるを得ない。10000ものIgMを通院治療でどうにかできるとは思わない。

入院中の血液検査結果データー 
無題

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治療経過ダイジェス・8

M2プロトコル退院以降、血漿交換法での入退院
(2012.6.19~7.28)

ⅩⅢ、M2プロトコル療法以降


M2プロトコルの効果は期待できず

M2プロトコルで入院 6.18 IgM 9155
M2プロトコルで退院 7.2 IgM 9719

M2プロトコルによるニドランを中心とした3種併用療法は全く効果を発揮しなかった。骨髄抑制ばかり激しくて何度度も輸血を繰り返さざるを得なかった。しかしIgMを減少させるといった抗がん剤としての役割は全く果たすことはなかった。このままいつIgMに影響を与えるかどうか分からない薬の効果を待っていても意味がない。

過粘稠症候群への対処

5月28日から8000以上のIgMが続いている。このままであれば過粘稠度症候群で何らかの体に異変が起こる可能性がある。すでに網膜静脈閉塞症が現れてきている。6月25日の眼底写真には3つばかり赤い点が見られたが、7月4日の眼科診療の時に撮った写真では、眼底に血液が滲み出しているところが3ケ 所あった。進行しているのは確かだ。また担当医が言っていたが脳梗塞になった例があるということだ。

以前から血漿交換をやったほうがいいのではないかと主治医には言っていたが、M2プロトコルでIgMが下がればやる必要はないわけで、結果待ちという所はあった。しかし今回のIgM数値を見れば、これ以降下がる可能性はわずかだろう。

IgMを急激に下げる抗がん剤などすぐに見つかるわけでもないし、何らかの併用療法をやったとしてもそれが効くかどうか療法を始めてから2,3週間後結果が分かる。その間10000前後のIgMとそれが作り出す過粘稠症候群がどういった影響を体に与えるのがわからないまま、手をこまねいてみている訳には行かない。血漿交換法しか方法はない。

ⅩⅣ、血漿交換法

血漿交換法入退院経過


7月18日 外来診療
IgM 10596

M2プロトコルは強い骨髄抑制を引き続き残しながら、効果は全くなかったと判断できる。血小板、赤血球の輸血。

19日 血漿交換法のため入院
担当医がら血漿交換法について説明。「緊急対外循環導入についての説明」「同意書」と「体外循環用カテーテル挿入・留置術の説明」「同意書」が渡され、口頭で10分説明を行い患者または家族の署名を求められた。
血漿交換法は大静脈にカテーテルを入れるので血小板の数値が必要だ。現在3.4だが、明日追加の輸血をしさら増やす。

20日 血漿交換法実施
血小板の輸血。体外用静脈カテーテルの挿入・留置は病室のベッドで行い、挿入が完了したら透析室まで運ばれて血漿交換が始まる。大 体やり方は以前末梢血幹細胞採取の時行っやった血液浄化療(アフェレーシス)と同じようなものだろうから気は楽だ。
血漿交換法が始まる。、体に埋め込まれている静脈に差し込まれているカ テーテルから引き出されて来る血液管を血漿交換の機械に次々と差し込む、最初は血液を機械のほうに異動していく。機械と大静脈がつながり静かな音を立てて 血液が血漿交換法の機械に流れ込んでいく。

2時間ばかりかけて血漿交換法は終了する。すぐに血液検査を行う。検査用の血液は血漿交換の後すぐ採取した。血漿交換によってIgMがどの位下がるのか、赤血球輸血。
IgM 6496

21日 大静脈からの出血
静脈カテーテルの抜去。抜いた後大きく静脈の傷跡が残り、出血の恐れが大きいので、カテーテルを取り除きガーゼと止血バンドを ぶ厚く鼠頚部の大静脈のカテーテル入口の傷の所に何十枚も貼り合わせた。ガーゼを強く押し続け、15分位圧迫止血を行い、ガーゼを厚く置き止血バンドでと める。約25分位で終わる。

止血をかなり頑丈にして1時間は安静にしているとようにと指示された。1時間位してトイレにゆっくりと体を動かして行き、終わって出ようとすると、ズボンの内側がベットリ濡れてきて、床に血がしたたり落ちてきている。見る見るうちにトイレの床が血だらけになってきている。再度ガーゼを当て止血バンドで固定をし安静を指示される。

23日 IgMの上昇 
IgM 8120
19日血漿交換法終了時に計測した結果IgMは4000下降していた。それなりの効果があったので一安心だったが、今朝計測した結果、8120と1500 も戻ってきている。2日間で形質細胞腫瘍はIgMを大量に生成し続けていたのである。19日に6496まで下がったので、一旦退院して2,3週間様子を見 ることが可能ではないかとも思ったがそうは行かなかった。

フィブリノーゲンの基準値は160~340mg/dlであるが、67しかなかった。血漿交換のと きに血液の抗凝固剤を投入する必要があり、それが大きく影響している。新鮮凍結血漿LR「日赤」(複合性凝固障害の出血、出血傾向の血液凝固因子補 充)160ml(40ml4単位)を4時間かけて輸血する。さらに赤血球を80ml(40ml2単位)を2時間かけて輸血した。

24日 フィブリノーゲン(新鮮凍結血漿)の輸血
新鮮凍結血漿LR「日赤」(複合性凝固障害の出血、出血傾向の血液凝固因子補充)160ml(40ml4単位)を4時間かけて輸血する。血小板輸血。朝担当医と話した時には血小板や赤血球や血液凝固剤のフィブリノーゲンが大幅に不足しているので、これらの輸血を行っ て土曜日あたりに退院する予定を立てた。

27日 IgM 9650 赤血球輸血

28日 退院
来週水曜日の診療までシクロホスファミド1日200mgを3日間、プレドニン1日40mgを3日間服用し、しのぎながら次の方針を決めていく。

M2プロトコルと血漿交換法によるIgMの増減

無題2

入院中の血液検査データー
無題

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血液内科の診療

7月17日(水)
検査結果
IgM     10596(7/18)←9233(7/11)←9719(7/2)←9155(6/18)
総蛋白   13.4(7/18)←11.8(7・11)←11.2(7/2)←11.4(6/25)←11.4(6/18)
白血球   2100(7/18)←1400(7・11)←1600(7/5)←2200(7/2)←900(6/28)
好中球   370←440←580←1300←290
赤血球   218←251←287←227←221
へモグロビン  7.0←7.7←8.8←7.0←7.0
血小板   1.0←1.3←1.6←4.1←3.2


 今日の血液内科の診療で、血漿交換をやるということに主治医が同意してくれるかどうかが重要な選択だ。IgMを急激に下げる抗がん剤などすぐに見つかるわけでもないし、何らかの併用療法をやったとしてもそれが効くかどうか療法を始めてから2,3週間後結果が分かる。

その間10000前後のIgMとそれが作り出す過粘稠症候群がどういった影響を体に与えるのがわからないまま、手をこまねいてみている訳には行かない。血漿交換法しか方法はない。主治医は何を迷っているのだろうか。今日は納得いくまで話し合うほかない。

 血液内科の診療の前に眼科の診療があった。最初に視力検査を行う。矯正視力が前回0.8だったのが0.4まで落ちている。眼底検査をした。網膜静脈閉塞症によって、塞がれた血管から血液が漏れ出し、眼底出血を起こしている。前回7月4日に眼底写真を見せてもらったが、その時は薄く広がていた眼底出血が、今回は部部的に黒くなっている。

網膜には視力を司る場所が幾つかあり、そこが眼底出血を起こすと視力が衰えてくる。写真の黒ずんだ場所がそこにあたり視力低下をもたらしている。眼科としての治療はない。原疾患の治療しかない。眼科医はカルテを血液内科の主治医に回しておくということだった。

 血液内科の診療に呼ばれ、診療室に入った。主治医に血漿交換について、どう切り出そうと思っていたら、最初の一言が今腎臓内科の先生を呼んでいるからと、早速血漿交換の話が出だ。眼のほうは大丈夫かと聞かれた。眼科の先生から報告が届いていたのだろう。それで血漿交換しか方法がないと判断したのだろう。

主治医の血漿交換への懸念は、血小板の減少の問題だ。血漿交換の場合動脈にかなり太いカテーテルを挿入する。血小板が少ない場合極めて大きな危険を伴う。今日午後輸血をしてどこまで上がるかによって、血漿交換が出来るかどうか判断するほかない。腎臓内科の医師が来て腕を触りながら血漿交換用の針を刺す場所をどうしようかと考えていた。どちらにして血小板輸血の後血液検査をして血小板の上昇値を把握して判断するほかない。

血小板輸血と続いて赤血球輸血、ノイトロジン点滴をする。ノイトロジンは通常皮下注射でやるが、血小板が少ないので皮下注射をすると内出血を起こすので点滴で行うことにしている。赤血球輸血が半分位終わった時に血小板の数値が出た。3.2だった。主治医はこれで明日の血漿交換は出来るだろうということだった。

 IgMと総蛋白の値が中々出てこない。血液検査室では血液がかなり濃いので中々正確な数値が出てこない、希釈してやってみるということだった。輸血をしながら待っていると、IgMが10596だったと主治医が告げに来た。M2プロトコルは強い骨髄抑制を引き続き残しながら、効果は全くなかったと判断していいだろう。

入院せざるを得ないなと主治医はいう。どちらにしても血漿交換のために入院しなければならないので、そのまま新たな治療を行う予定だ。その後どのような療法を使って治療するか、また難しい判断が迫まられてきている。主治医が色々電話をして空きベッドを探している。空きベッドが見つかり、明日から再び入院すると決まった。退院してから12日目だ。前回の治療が全く効果がなかったので止むを得ないがそれにしても早すぎる。

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市民公開講座・血液がん「新たな治療と新たな課題」

7月14日(土)
退院後じりじりと気温が上がってきている。そして今日が最高気温33度と今までのピークだ。段々と過粘稠症候群の兆候が現れてきて、疲労感が増してくる。退院後は体調は全く問題はかかった。しかし徐々に体力が減退していっている。退院後1週間位はラジオ体操に出かけて、その後家の周りを散歩していた。しかしラジオ体操へ行く気力、体力が失われていった。結局散歩しかしていいない。白血球も血小板も赤血球も少ない。M2プロトコルの影響もあるのだろうが、脊椎の中に形質細胞腫瘍が大量に作られ、血球産生が阻害されているのではないか。

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 ホールの外壁は赤レンガ              会議室入口

つばさ定例フォーラムが東京大学で行われた。12時40分開会だ。炎天下の本郷通りを東大赤門に向かう。会場である伊藤国際学術研究センターは初めて聞く名前だ。それもそのはず、今年の5月22日に完成記念祝賀会が行われたばかりの真新しい建物だ。メイン会場の伊藤謝恩ホールは、100名~500名対応ホールで凝った内装になっている。、そのほかに中会議場、小会議場があり分科会はそこで行われる。、

この建物のコンセプトとして次のように書かれている。伊藤国際学術研究センターは、伊藤雅俊氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)並びに伊藤伸子氏(同夫人)による、東京大学への寄付により、社会と東京大学との関わりを深めるための社会連携及び国際交流拠点として設立されました。 グローバルな視野を持ったリーダー育成の施設、学究のための国際会議・種々学会の施設、レセプションやファカルティクラブの施設としての役割を担うことが期待されています。

大学でのセミナーは以前は古い大教室で行われていたが、最近はどのセミナーでも会場が立派だ。製薬会社などの支援もあるのだろうが、会場が古く無料で提供してくれるような大学の教室でいいのではないか。その分患者支援に当てた方ががいいのではないか。

つばさ定例フォーラム 市民公開講座・血液がん「新たな治療と新たな課題」

会 場:伊藤謝恩ホール(東京大学伊藤国際学術研究センター)
共 催:慶應義塾大学医学部ノバルティス造血器腫瘍治療学講座 / NPO法人血液情報広場・つばさ

I. 全体会(1) 12:40~14:10
○血液がんの病態とその治療 (慶應義塾大学病院 血液内科 岡本 真一郎)

講演内容
血液の中を流れる大切な細胞としては、赤血球、血小板、白血球(リンパ球、顆球)があり骨髄の中の造血幹細胞から作られる。これらの役割は白血球はウイルスや細菌と戦う、赤血球は組織に酸素を運ぶ、血小板は終結を止める。
血液がん(造血器腫瘍)とはどんな病気か、多能性幹細胞が、リンパ系と骨髄系の幹細胞に分化し、さらにT細胞、B細胞に分化していく様々な段階で発症し、どの段階で発症するかによって病名が異なる。

急性白血病・・造血幹細胞が成熟血球に分化・増殖する過程での成長が止まって発症する造血器腫瘍。
多発性骨髄腫・・骨髄腫細胞が骨髄で増殖、血中でM蛋白の増加、破骨細胞の活性化。
悪性リンパ腫・・造血幹細胞が成熟血球に分化・増殖する過程での成長が止まって発症する造血器腫瘍。
慢性骨髄性白血球・・造血幹細胞が無秩序に成熟した血球をたくさん作り出す造血器腫瘍(骨髄増殖性腫瘍)。

血液がんの診断・・・形態診断、細胞表面マーカー解析、染色体・遺伝検査。
血液がんの治療・・・化学療法、分子標的療法、造血幹細胞移植、支持療法。

分子標的治療薬・・血液がん細胞がその生存・増殖を大きく依存している遺伝子、分子を先着的に攻撃することで抗腫瘍効果を得る試み。
・移植片対白血病効果
・慢性骨髄性白血病で認められる染色体異常-フイラデルフィア染色体
・慢性骨髄性白血病に対する分子標的治療薬-グリべック
・受容体型チロシンキナーゼからのシグナル伝達。
・急性白血病に対する分子標的治療薬
-Bリンパ球の分化とCD20の発現
-FLT3阻害剤に対する耐性獲得機構
キメラ型、非抱合型CD20抗体(リツキサン)

血液がんの幹細胞を標的とした治療・造血幹細胞は骨髄内のニッチに存在する。ニッチシグナルに対する治療。細胞周期への導入、分化の誘導。分化した血液がんの幹細胞に対し化学療法、移植、分子標的療法を行う。

チームオンコロジーのABC
Team C Active Care
医師、看護師、薬剤師、栄養士、理学療養士
Team B Base Sapport
看護師、医療ソーシャルワーカー、家族、介護[介助]者
Team C Community Resource
家族、友人、基礎研究者、製薬・医療機器メーカー、NPO/NGO マスメィア、財界、政府。

(以下の講演内容は省略。)

○新しい薬剤の評価方法(臨床試験や臨床治験)を理解する (東京大学医学部/日本臨床研究支援ユニット 大橋 靖雄)

Ⅱ. 疾患別Q&A分科会(各分科会同時進行) 14:30~15:30
○骨髄増殖性腫瘍(真性多血症、骨髄線維症、本態性血小板血症)
○骨髄性腫瘍(急性骨髄性白血病、骨髄異形成症候群)
○多発性骨髄腫
○リンパ性腫瘍I(急性リンパ性白血病、慢性リンパ性白血病、成人T細胞性白血病)
○リンパ性腫瘍II(非ホジキンリンパ腫、ホジキン病)
○慢性骨髄性白血病
○小児科(小児白血病治療の晩期合併症軽減に向けて、白血病治療の影響を少なくする教育とは、闘病中・後の上手な学校生活支援の受け方) 

III. 全体会(2) 15:45~16:45
血液がん治療を受けながらも、学校生活、仕事場、地位活動などで輝こう!
 …… 慶應義塾大学病院 近藤 咲子

IV. 総合討論 16:45~17:00
共に考えるより良い治療とより良い治癒
講師全員による会場全体とのQ&A血液がん共通の質問を司会者が読み上げ、複数の講師からのアドバイスを聴き、各自の参考として共有します。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

院内患者家族交流会

7月13日(金)
奇数月の第2金曜日定例の病院関連の患者家族交流会が行われた。先週は患者として病室にいたが、今度は外から参加している。微妙な気分だ。

 最初は、白血病で同種移植を行って、2年と5年たったが未だにGVHDの問題を抱えている女性2人の話だった。2年目の人は皮膚疾患に悩まされていて、免疫抑制剤(プロポリス)とプレドニンを服用している。体調は大分回復したので職場復帰を始めようとしているということだ。その職場はリハビリ勤務は認められていないが、半日勤務はあるらしいが、どうも半端な仕事しか与えれらない。

また傷病手当金が職場に復帰してしまえばもらえなくなる。本当に体調が回復してから職場に戻ったほうがいいのではないか、また、いったん給料をもらうようになると傷病手当金は打ち切られる。体調を崩して休職になっても傷病手当金はもらえない。休職期間は3年間というのでまだ時間はある。復帰の時期は慎重に判断すべきだろう。本人の気持ちとしては早く職場復帰し社会参加したいということだろうが、いつかから復帰するか判断に迷う所だ。

 もう一人は移植後5年たっても味覚、嗅覚障害に悩まされている。他には何の問題もないのに、そのため免疫要請剤とステロイドの世話になっている。それによって食欲増進や、ムーンフェースという副作用が出てきている。少しずつ薬を減らそうと試みたが、減らすと皮膚疾患や口内炎などが発症し薬を減らすことが出来ない。料理作りが好きなので味覚障害は大きな精神的負担となっている。

さらに最近腎臓の数値を示すクレアチニンが1.2であり、蛋白質と塩分の制限食を指導された。クレアチニンの1.2という数値は大分前からだったが、主治医はどういった判断だったのか腎臓の治療を指示しなかった。本人もクレアチニンの上限が1,0だと思っていた。しかしそれは男性のもので、女性の場合は0.8だった。1.2というのはそれに比べるとかなり高い。

最近になって主治医はついに腎臓の治療を行うようにと腎臓内科に紹介した。かウンセラーが事細かな食事指導を行う。減塩、減蛋白の食事をしなければならない。家族の分と2種類作らなければならなのが大変だ。現在は血液内科と腎臓内科の診療を受けている。そしてさらに骨粗しょう症の症状が現れまた中性脂肪値がかなり上昇してきている。他の課の診療も受けざるをえないかもしれない。

看護診療センター(名前は正確ではない)がこの病院に出来たということだ。個別の課に分断された治療では患者の全体を把握し適切な日常生活の送り方などの指導が出来ない。そういった意味で、精神科や心療内科の内容も含めた、総合的に患者を見ていこうという試みである。

 途中から多発性骨髄腫の患者で、今週火曜日に入院した人が参加した。八王子の方の病院で治療を受けていたが、同種移植をやりたいと医者に言ったところ、その病院で2例目だといわれた。もっと経験を積んでいる病院で移植を受けたいということでこの病院に転院してきた。以前自己末梢造血幹細胞移植を行った。採取の時1回分の造血幹細胞しか取れなかった。その時2回分とっておけばよかったと後悔している。そうすればもう一度移植が出来た。彼は54歳でIgGの増加を抑えるためだけのQOLを重視したゆるやな治療法ではなく、一気に治癒に持っていきたいということで、移植を希望している。

今回入院して医者からは、同種移植ではなく自己移植にしようといわれた。今IgGが4000位だが、これを少し減らしてから、自己末梢血幹細胞採取をし移植をするということになった。現在IgGを減らすためベルケイドで治療を行っている。

以前ベルケイドを使用したが、その時激しい末梢神経障害に苦しめられた。ガバペンなどの痛み止めを服用したが全く効かなかった。痛みで寝られない日々が続いた。医者にやめて欲しいといって、3クールで終わらした。その時は1.4.8.11という標準治療で薬の量も標準治療の量であった。

今でこそ、ベルケイド特有の末梢神経障害や血小板減少症に対しては1週間1度の投薬が一般的になっている。また薬の量を減らしたり、休薬したり臨機応変に使っている。それでも効果が極端に落ちるということもなく1週間処方の場合は効果ほとんど変わらす、副作用を軽減できるということで、一般的に行われている。彼がベルケイド療法を行った時には、杓子定規に標準治療を行い患者はかなりつらい思いをしたのだ。

色々な病院では治療法も様々だ。彼の通院していた病院で、サリドマイドもベルケイドもレナリドマイドも使用していたが、ほぼ半年で効果がなくなってくると他の薬にするということだった。多剤併用療法は全く行われなかった。また多発性骨髄腫での同種移植に関してはメリットとデメリットがあり、論議があるところだが、患者の希望でやすやすと同種移植をしようというのだろうか。他の病院のやり方を見ると治療への多種多様なアプローチの仕方があるということを知ることが出来る。

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血液内科の診療

7月11日(水)
検査結果
IgM     9233(7/11)←9719(7/2)←9155(6/18)←11000(6/11)
IgG     106(7/11)←202(7/2)←200(6/18)←135(6/11)
総蛋白   11.8(7・11)←11.2(7/2)←11.4(6/25)←11.4(6/18)
白血球   1400(7・11)←1600(7/5)←2200(7/2)←900(6/28)
好中球   440←580←1300←290
赤血球   251←287←227←221
へモグロビン  7.7←8.8←7.0←7.0
血小板   1.3←1.6←4.1←3.2


IgMが500減少した。これはM2プロトコルの効果が今になって出てきたと判断できるのだろうか。そしてこれが今後も続くのだろうか。下がったということで、新たな入院治療をするということについては、もう少し様子を見るということになった。下がったとはいえ依然としてIgMの数値が高いという状態は変わりない。そこで主治医に血漿交換をやって欲しいと次のように訴えた、

5月28日から8000以上のIgMが続いている。このままであれば過粘稠度症候群で何らかの体に異変が起こる可能性がある。すでに網膜静脈閉塞症が現れてきている。6月25日の眼底写真には3つばかり赤い点が見られたが、7月4日の眼科診療の時に撮った写真では、眼底に血液が滲み出しているところが3ケ所あった。進行しているのは確かだ。また担当医が言っていたが脳梗塞になった例があるということだ。

以前から血漿交換をやったほうがいいのではないかと主治医には言っていたが、M2プロトコルでIgMが下がればやる必要はないわけで、結果待ちという所はあった。しかし今回のIgM数値を見れば、これ以降下がっても急激には下がらないだろう。確かにIgMが10000でも過粘稠症候群の影響を受けない人もいるだろうし、もっと数値が低くても過粘稠による症状が出てくる人もいるだろう。

そして私の場合IgMがどこまでいったら、目や心臓や脳に影響を及ぼすのか分からない。早急に血漿交換を行って欲しいと主張した。それに対してどうしたわけか主治医の対応は歯切れが悪い。やりましょうといった返事が戻ってこない。肝臓内科と相談しなければとか、かなり高額だとか言うのだが、保険適用はされるという。なんで抵抗しているのか分からない。何らかの病院内での特別の事情があるのだろう。主治医は最終的には相談してみるという返事をしたが果たしてうまくいくのだろうか。あとで看護師に聞いたら「この病院で血漿交換法はやったことがある。ただしかなり重症な場合だった」ということだ。

主治医の対応を見ていたら「不真正不作為犯」という言葉が頭の中に浮かんできた。「作為義務がある者が義務に違反した場合に実行行為性を認める。不作為が義務違反になることを意味する。何らかの作為義務が存在しなければ、行為の違法性(義務違反)が生じず、不作為を犯罪に問うことはできない。この作為義務は、法令、契約、事務管理のほか、慣習や条理によっても発生する。」

医者がやるべき治療をやらず患者を死なせたりした場合これにあたる。確かに過粘稠度症候群で心筋梗塞や脳梗塞になって死亡して例などないだろう。しかし患者としては明確な理由も示さず、希望する治療を受けられないのはきわめて大きな問題である。

M2プロトコルによる骨髄抑制が続いている。すべての値が下がってきている。特に血小板に極端だ。7月6日退院の前の日に輸血をしたが、全く効果がない。あるいは輸血をしたから1.3という値になっているともいえる。しなっかたら1以下になっていたかもしれない。白血球も赤血球も減り、さらにIgGが106と今までの最低値だ。骨髄の中でIgMが溢れかえっていてIgGの居場所がなくなってきているのだろう。

何を輸血するのか相談した結果、今日は血小板と免疫グロブリン製剤(日赤ポリグロン)の輸血をし、ノイトロジンを点滴で行うということにした。赤血球で1時間半、免疫グロブリン製剤で2時間、ノイトロジンで30分かかり病院を出た時は18時を回っていた。来週は血小板と赤血球の輸血をすることになっている。

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日常性の意義

7月9日(月)
 病院生活から元の日常生活に戻った。どこかに出かけるということでもなければ、毎日同じことの繰り返しだ。病院の延長線上で6時には起きる。病院では毎朝検温の後、早朝散歩をやっていた。ある時気がついた。病院の外壁の内側を、毎日全く同じコースを歩いている。

以前は色々コースを変えて歩いていたが、今回は歩き始めて3日目位から全く同じ道を歩くということが習慣になってしまったようだ。昨日歩いた道の足跡をなぞるように同じ道なのだ。同じコースだと何も考えなくても進んでいける。体が覚えているといった感じだ。以前は同じコースというと毎日同じでは退屈するだろうと思っていたが、実際にやってみると全く退屈しない。

 日常生活というものも同じようなものだと思う。われわれにとって当たり前のように来る明日は、多くの重病人にとって来るかどうか分からない時間なのである。ひたすら続く時間の連続性は、日常生活を限りなく尊いものとして自覚させてくれる。

「いのちの授業」で生徒たちに、余命を宣告されたら残された時間何をしたいか、といった質問の中で、大部分を占めた回答は「普通の生活を送りたい」であり、次が「家族や友人と一緒に過ごしたい」であった。自覚しないと何となく過ぎ去ってしまう普通の生活がどれ程意味があるのか、小学校6年の生徒たちがそれを自覚している。

「最高の人生の見つけ方」の中で、同じ病室にいた2人が同時に余命半年を宣告された。生きている時にやりたことを「棺おけリスト」に書き出した。大富豪の誘いでそのリストに書いてあることを次々実現していく。世界を回り、色々珍しい経験をしたが、結局最後に行き着いたのは家族との何の変哲もない日常生活だったのだ。何でもないように思えることの中に本当の幸せを見出したのだ。

DSCF0081_convert_20120710103609.jpg 公園の木槿(むくげ)

 家にいると、毎日献立を考え、買い物に行き、料理をしなければならない。これは手間かも知れない。病院では3度の食事が出る。確かにそれは楽かもしれない。しかし日々の煩わしさの中にこそ本当の生きている意味が見出せる。料理をするということはもはや生活の一部である。それは日常生活に欠かせないパズルのピースのようなものだ。

「思うに人間ひとたび死と直面し、死を正視し、そののち生きなおすと、当たり前のことだが、生ある喜びがひとしおで、何にでも感謝したくなる。」(ワット隆子)

日常生活とは何の代わり映えもすることなく平々凡々と過ぎ去っていく、しかしその中でも今生きているということを実感しながら送っていく時、その平凡さの中にも意義を見出していけるだろう。日常性とは人間の生活の持続的・反復的なあり方をいう。そしてそれは美的・創造的な行為との対比で言われること事もある。しかし平板で一元的に見える日常性の安定の中に自らの生命の維持を確認できる。

限られた生を抱える時、どうしたら無駄なく、後悔しない人生を送ることが出来るのか。このことは、余命宣告されたがん患者にとって日常生活を送る上いつも心にひっかかってくる言葉だろう。しかし生きているということに意味を感じる時、この世の中の全て無駄のないものはない。後悔しない人生とは、何かをやり遂げるといったことを意味しない。今を精一杯生きるということこそが最も重要なのだ。

まぶしいほどの太陽に光、溢れる緑、流れる雲。・・・さわやかな風を頬に感じ、とめどなく涙が溢れ出てきました。この気持ちは生きてこそ味わえるもの。人生に生きる意味や価値を求めてきた私ですが、すべての前に生きるということに意味の深さを知りました。(小林茂登子)

 どのような人生を生きていくのか。人は生きる意味や価値を絶えず追求しながら日々仕事をし、生活していっているだろう。しかしがんになって普通の生活が難しくなり今までの価値観が根底的に崩されていく時、どのような生き方選択できるだろうか。確かに否認、迷い、落ち込み、諦めなどにさいなまれる日々が続くだろう。

しかし最後には「がんである」という現実を受け入れその中で生きていく道を探さなければならない。それは日常性の再構築の過程だろう。かって日常的であった風景は、病気になって失われ、新たに自らの寄って立つ日常性を周りの人間関係の再構築も含めて作り上げ、その世界を安定的世界として認識する。

治らないがんであればまさにがんと共生し、QOLを維持しながら治療を続けるしかない。それには緩和ケアなども含めた総合的な医療が必要だろう。QOLの維持こそがむしろ治療の中心にならなければならない。生きていることを実感できる日常生活の遂行実現こそ、がん治療の最も重要な柱だろう。

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入院20日目・退院日

7月7日(土)
 担当医に過粘稠度症候群がもたらす様々な疾病にはどのような症状が現れるのか聞いてみた。今日以降次の診療日11日までの間どういった症状が危険な疾病の前兆なのかということだ。網膜静脈出血はすでに始まっている。対処療法はないわけではないが原疾患を治療しない限り効果はない。IgMを下げ血液の過粘稠を改善するしかない。

さらに脳と心臓への影響が考えられる。過粘稠度症候群での症例では、ごくわずかだが脳梗塞になる可能性が心筋梗塞になる可能性より多いと担当医は言う。心筋梗塞や脳梗塞に関して、前兆はその病気の症状の項目で見るほかない。心筋梗塞の前兆としては胸の痛み、呼吸困難、吐き気、左手小指の痛み、肩や背中の痛み、冷や汗などが上げられている。

脳梗塞の前兆として、患者2~3人に一人の割合で、手足に力が入らない、重いめまいがする、いつもはない激しい頭痛がする、ふつうの頭痛とは明らかにちがう感じの頭痛が突然起こった、特に手足やからだの半身が突然しびれた、ろれつが回らない、言葉が一瞬でてこなくなる、物が二重にみえる、などの症状が現れる。

 眼の急激な視力低下、視野欠損があったらすぐに眼科医に連絡を取る。心臓や脳に異常が現れたらすぐ病院に行ってCTやMRIで状態を把握し、原因が過粘稠度症候群であればすぐに血漿交換をするほかない。自覚症状でしか粘稠度の進行は分からない。

粘稠度を測定する方法もあるが、どの位の過粘稠になったら症状が表れるか人によって全く違うので、最近では測かることはめったにない。この病気からがん以外に3大疾病の脳卒中、心筋梗塞に関係してくるとは思わなかった。ともかく日常生活を送る中で現れた症状をすばやくキャッチし、見落とさないようにしなくてはならない。

今日は退院日だ。退院といっても治療効果が今の所全くないので気が晴れるわけではない。11日の外来診療日でのIgMの数値は大きな意味を持っている。上がっていたら再入院の可能性がある。すぐ入院というわけには行かないので、その次18日の診療日での血液検査の結果を見で判断するだろう。

18日にも上がっていたら、2,3日置いて再入院せざるを得ないだろう。そういった状況なので、退院はあくまでも一時的なものとして考えざるを得ない。到底10000ものIgMを通院治療でどうにかできるとは思わない。退院といっても厳しい現実が待っているだけだ。

 過粘稠度症候群:
血液中のマクログロブリンが増えたため血液の粘度が高くなり、皮膚、手足の指、鼻、脳への血流が妨げられて症状が現れることもあります。このような症状としては、皮膚や粘膜(口、鼻、消化管の内膜など)からの出血、疲労、脱力、頭痛、錯乱、めまい、昏睡などがあります。

血液の粘度が高くなると、心臓の状態が悪化し、脳内の圧力が高まります。眼の奥の毛細血管に血液が充満して出血し、網膜が損傷して視力が損なわれることもあります。鎖状ソーセージに似た網膜静脈の著しいうっ血や限局性狭窄は,過粘稠度症候群を示唆する。網膜出血,滲出,微細動脈瘤,および乳頭浮腫は晩期に生じる。(メルクマニュアル家庭版・マクログロブリン血症)


 M2プロトコル療法の入院から退院までに関しては、「治療経過ダイジェスト・7」にまとめてあります。参照して下さい。
trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1299.html

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入院19日目・谷中寺院めぐり

7月6日(金)
明日退院する。毎朝30分のウォーキングをやっているが、どの程度歩けるか試してみたい気がする。今日は午前中に血小板の輸血があるが、午後には何の予定もない。明日退院だから外出許可もいらないだろうと勝手に判断して出かけることにした。

荒川区観光協会のホームページを見ていたら、日暮里・谷中散策マップが掲載されていて、散策ルートも表示されている。そのルートで行くことにした。病院から不忍通りと平行して高台の上を通る道がある。団子坂に行き当たり坂を下ると、千代田線千駄木の駅に出る。その少し手前の道を左に曲がり須藤庭園に寄っていく事にした。文京区の庭園、公園案内を見ていたら須藤公園は庭園に分類されている。それなりに由緒ある庭園だということだ。

須藤公園を散策した後、団子坂下から寺院めぐりを開始する。日暮里・谷中散策ルートには寺院としては大円寺と全生庵と長安寺が紹介されていたので、そこを中心に回る予定だったが、ルートの最後の谷中銀座に至るまでに、右にも左にも寺院が並んでいる。写真だけを撮ってルートを進む、そういった散策になった。ひたすら寺院の山門と本堂の写真が続く。寺院を回るだけだからあまり感想がない。今回はコメントなしで済ますほかない。

病院を出たのが13時30分頃、戻ったのが16時過ぎ、ほとんど休まなかったので2時間以上は歩いたことになる。体調的には少し疲れはしたが、それ以外には問題ない。退院後旅行に行きたいと思っているが、今の体調であればどうにかなるだろう。今回の治療法は血球に影響を与えたが、体調的には全く問題はなかった。ただIgMの高い数値が体調にこれからどのような影響を与えるのか不明なところがあるので、体調変化に絶えず注意していくことが必要だろう。

日暮里・谷中散策ルート
須藤庭園→団子坂下→大円寺→妙法寺→福相寺→金生庵→天龍院→本通寺→龍告寺→永久寺→明王院→観智院→養泉寺→常在寺→功徳林寺→笠森稲荷→長安寺→観音寺の築地塀→加納院→岡倉天心記念公園→宗林寺→長明寺←本受寺→七面坂→夕焼けだんだん→谷中銀座商店街


須藤庭園:
江戸時代、加賀前田藩の支藩大聖寺藩主松平備後守の屋敷であった。このあたりは江戸の郊外で、閑静で敷地も広く、地形を立体的に巧みに構成して、遊歩道をめぐらした趣のある庭園を作った。当時の大名の趣味生活がうかがえる。

DSCF9984_convert_20120706071313.jpg 丘の上から弁天堂を見る

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DSCF9990_convert_20120706071541.jpg  DSCF9987_convert_20120706071649.jpg 弁天堂と須藤の滝

大円寺(日蓮宗 高光山):
大円寺は、大円院日梗聖人が開基となり創建したというが、年代は不明。上野清水門脇から当所へ移転した。境内には笹川臨風の「お仙と春信の顕彰碑」、永井荷風の「笠森阿仙之碑」がある。お仙は、笠森稲荷神社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三美人の一人。絵師鈴木春信はその姿を、当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた。

DSCF9997_convert_20120706071853.jpg  DSCF9994_convert_20120706072019.jpg
 大円寺本堂                                  「お仙と春信の顕彰碑」

妙法寺(日蓮宗 龍江山)
-山門と本堂

DSCF9999ed_convert_20120706072113.jpg  DSCF0002_convert_20120706093339.jpg

福相寺(日蓮宗 松栄山)-山門と本堂

DS_convert_20120706211102.jpg  DSCF0008_convert_20120706072509.jpg

全生庵(臨済宗国泰寺派):
全生庵は山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した。尚、居士との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅、明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。

DSCF0011_convert_20120706072610.jpg 全生庵本堂

DSCF0013_convert_20120706072751.jpg 鐘楼

DSCF0014ed_convert_20120706072844.jpg DSCF0016ed_convert_20120706072938.jpg DSCF0019ed_convert_20120706073145.jpg
 国事殉難志士墓                                    三遊亭円朝墓(東京都指定旧跡)

DSCF0017ed_convert_20120706073048.jpg DSCF0022_convert_20120706073225.jpg
弘田龍太郎墓(台東区登載文化財)  山岡鉄舟墓(東京都指定旧跡)

天龍院(臨済宗妙心寺派 海雲山)           龍谷寺(日蓮宗 栄照山)

DSCF0025_convert_20120706073457.jpg  DSCF0031_convert_20120706073731.jpg


本通寺(日蓮宗 法栄山)
-山門と本堂

DSCF0029_convert_20120706073932.jpg  DSCF0028_convert_20120706073824.jpg


永久寺(曹洞宗 興福山)
-山門と本堂

DSCF0038_convert_20120706114313.jpg  DSCF0033_convert_20120706114206.jpg
  
明王院(新義真言宗 天瑞山歓福寺)-本堂と大師堂

DSCF0036_convert_20120706113807.jpg  DSCF0035_convert_20120706113655.jpg

観智院(真言宗豊山派 初音山東漸寺)       養泉寺(日蓮宗 長清山)

DSCF0039_convert_20120706114434.jpg  DSCF0042_convert_20120706114545.jpg

常在寺(日蓮宗 感応山)-山門と本堂

DSCF0044_convert_20120706125407.jpg  DSCF0045_convert_20120706125222.jpg 

長安寺:
老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転した。板碑とは死者の菩提を弔うため、あるいは生前に自らの死後に供えて供養を行う(逆修という)ために建立した、塔婆の一種。板石塔婆・青石塔婆ともいう。

DSCF0054_convert_20120706131321.jpg 長安寺本堂 

DSCF0053_convert_20120706131156.jpg 狩野芳崖の墓 

DSCF0056_convert_20120706131410.jpg 板碑

観音寺の築地塀:
瓦と土を交互に積み重ねて作った土塀に屋根瓦をふいたものであり、江戸時代から続く寺町谷中の風情を伝える。造られたのは200年以上前に遡るという観音寺の築地塀(ついじべい)。関東大震災で一部崩壊し戦災を免れ、日々小さな崩れを起こしては補修されつつ現在に至る。平成4年(1992)台東区まちかど賞受賞。

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岡倉天心記念公園:

日本美術院は明治31年9月に竣工した木造2階建てで、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、付属建物も2、3あったといわれている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五浦に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。横山大観らと日本美術院を創設し,日本の伝統美術の復興に努力した岡倉天心の旧居跡(この場所にあった日本美術院跡地)を、昭和41年(1966)台東区が公園としたもので、岡倉天心史跡記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。

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加納院(新義真言宗 長谷山元興寺加納院)-山門と本堂

DSCF0059_convert_20120706132352.jpg  DSCF0062_convert_20120706132535.jpg

功徳林寺(浄土宗)                      宗林寺(日蓮宗 妙祐山)

DSCF0048_convert_20120706125519.jpg  DSCF0066_convert_20120706132747.jpg  

笠森稲荷神社:
現在功徳林寺の境内にある。瘡守(かさもり)稲荷が笠森稲荷という当て字をつけられたという。江戸時代、瘡(梅毒、吹き出物)、キズの治癒にご利益があったが、評判を広めたのは門前の茶屋「鍵屋」の看板娘「お仙」が江戸3大美人と言われるほどの美人で、お仙見たさに人が集まったといわれ、浮世絵師鈴木春信(1725~70)がお仙の錦絵を描いたら、たちまち売切れたという。町民の女性を単独で描いたのは史上初めてだという。大円寺にもゆかりがある。

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長明寺(日蓮宗 日照山)                  本授寺(顕本法華宗 円妙山)

DSCF0067_convert_20120706132857.jpg  DSCF0070_convert_20120706133015.jpg

七面坂: 
日暮里駅から谷中霊園横の御殿坂を上まで上ると二股に分かれる。右は谷中銀座、左はこの七面坂である。長明寺の墓地裏を経て宗林寺の前に下る坂。名前の由来は坂上にある寺院延命院にある七面天女を祭る七面堂から。

DSCF0076_convert_20120706165438.jpg 七面坂(狭い道を車がよく通る)

夕焼けだんだん:

日暮里駅方面から谷中銀座に下る坂(階段)。御殿坂の延長線上にあたる。階段上から谷中銀座を見下ろす風景は谷中関連の雑誌や番組にしばしば登場する有名なもので、夕焼けの絶景スポットにもなっている。階段の下には「谷中ぎんざ」と書かれたゲートがある。夕焼けが美しいことと、下町情緒が感じられる名前として命名した。

DSCF0073_convert_20120706160229.jpg 夕焼けだんだんの石段

谷中銀座商店街:
日暮里駅千駄木駅から徒歩3分。台東区の西北端に位置し、谷中3丁目と西日暮里3丁目にまたがる近隣型商店街。「小さくても活気にあふれ下町の人情を感じさせる商店街ではどこかで見たことのあるような、懐かしい笑顔があなたをお待ちしております。」(商店街振興組合HPより)

DSCF0074_convert_20120706160530.jpg 商店街日暮里側入り口

DSCF0079_convert_20120706160638.jpg 商店街の賑わい、正面の石段は夕焼けだんだん

(参考資料:文京区HP・文京の観光案内、荒川区観光振興課・荒川区観光ガイド、猫のあしあと・台東区の寺院)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院19日目・同室の人たち

7月6日(金)
今回の入った病室は全ての相部屋がそうであるように4人部屋で、私を含めて全て血液がんの患者だった。3人の中で白血病の2人の患者は治療真っ只中で、様々な副作用に苦しめられていたのでほとんど話はしていないが、看護師、医者の話から治療内容や病状を判断した。確かに他人の病気でしかない。しかしそこにはまさに人の生き死にのドラマが展開されている。単なる状況報告でしかないが、その中から何を読み取ることができるのかが問題だ。

1人目の人
多発性骨髄腫の患者で、ベルケイド+MP療法のため入院した。ベルケイドは週一度4回行う。メルファラン+プレドニンは最初にベルケイドの静注を行った日から4日間服薬する。これを1クールとして、1週間おいて第2クールを同じように行う。

彼は圧迫骨折が原因なのか車椅子を使用している。また骨病変による骨の痛みを訴え、それに見合った痛み止めを色々試して自分に効果的な薬を探している。オピオイド系の痛み止めについて最初は抵抗があったらしいが、医者や看護師に説得されて「中毒にならない」と納得してを使用することになった。今まで弱い痛み止めで、痛みを我慢していたが、それは我慢するのが当然といった気持ちでいたからだ。

「痛みを我慢しない」という緩和ケアの必要性についての看護師の話を聞いて、自分にあった痛み止めを探してみる気になった。70歳少し前の人だが、まだまだ痛みは我慢するもの、オピオイド系痛み止めには抵抗があるという人は多い。そういった意識を変えていかないと患者のQOLは確保できない。それには患者自身が意識を変えていかなけれ駄目だ。

彼は入院2日目の日に急に胸が締めつけられるような痛みに襲われた。痛みはすぐ治まり心電図をとったり、心臓エコーなどをやって検査したが異常は見つからなかった。彼は強度の便秘症で病院に着てからすぐに大量の便秘薬を処方してもらって服用し始めた。便秘薬を一時に大量に飲んだことが原因ではないかといわれた。いまだ原因は分からない。

2人目の人
骨髄異型性症候群から急性骨髄性白血病に移行し、その治療を続けている50歳過ぎの人だ。病気治療のため、通院に便利なように病院から歩いて5分の所に引っ越したが、引っ越してまだ荷物の片付けも終わっていない時に入院することになった。6月初めから既に1ケ月以上の入院している。今日で1週間ほどの化学療法を終え、後は血球の回復を待つだけだが、最低3週間はかかるだろう。

彼は早く退院したがっている。化学療法の後、移植をすることになっている。現在ドナーを探している。医者から移植の成功率は5割で、移植関連死が20~30%だといわれた。最近の医者は患者にとってかなリ厳しい治療成績などを告知している。本には書いてあっても患者は医者から言われると色々考えてしまう。そして移植をするか否か選択を迫られるのだ。医者は移植を勧める。大体の患者は医者の言う通りに移植を選択することになる。

彼は医者に「移植で死ぬ可能性があるといわれた。自分の持っている時間は、他の人の持っている時間よりも圧倒的少ない。一日50時間あっても100時間あっても足りない。自分にとっての時間は他の人の何倍も貴重だ。化学療法を終え一時退院するが、移植までの間、出来るだけ長い間外で暮らしたい。出来るだけ早く退院したい。」そう訴えていた。死を垣間見て、限りある命を自覚した時に、1分1秒がどれほど貴重か思い知ることになるのである。

3人目の人
まだ30歳少しの人だ。若くて血液がんに罹ってしまった人を見ると、その人の将来について考えざるを得ない。急性骨髄性白血病でほかの病室から1週間前に移ってきた。来た時から点滴していたが治療は明日から始めるということだった。キロサイト(シダラビン)の1週間点滴を中心とした化学療法を行っている。発熱が続きメロペンやバンコマイシンなどの抗生剤を点滴している。今の所いつも輸液ポンプ3台つけた点滴台を体から離すことが出来ない。DCEP療法の時経験したが中々大変だ。

今日医者から好中球はほとんど0だから感染には十分注意するようにと言われていた。今までもアイソレーター(空気清浄機)付のベッドで過ごすような好中球の状態であり、風呂とトイレ以外はベッドから離れないようにと指示されていたはずだ。しかしここの病棟は血液内科専門病棟と違って管理が行き届かないところがあって、彼は面会人が来るとデイルーム(面会室)に行っていた。

今回好中球がほとんどないということで看護師が再度注意した。「デイルームには子供も出入りするので、感染のリスクが病院のほかの場所より大きい。好中球がほとんどない状態なのでこれからはもっと感染に注意するように」と。確かに2,3人面会人が来ると病室は狭いし、病室の他の人にも話し声で迷惑をかけることもあるので、テーブル、椅子のある面会室で面会したい気持ちは分かるが、血液がんの場合病気そのものよりも、感染症による死亡の方が多いのでよほどの注意が必要だ。

一時は私も含めて3人がアイソレーター付ベッドに寝ていたので、通路がかなり狭くなった時期があった。今アイソレーターを使っている2人の好中球は最低値だということだ。2人とも少しは自分の現状を理解し感染に敏感に対応してくれるだろうか。今までは2人とも好き放題ベッドから離れて売店に行ったり、デイルームに行ったりしていた。

時々看護師が注意していたが、そういった生活スタイルは中々変えることは難しい。私も早朝散歩に出かけたりコインランドリーを使うため病室から出たり大分違反したので、あまり人のことは言えないが、彼らは好中球の減少は半端ではないので、最大限の注意は必要だろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院18日目・病院の窓からの風景

7月5日(木)
検査結果
白血球   1600(7/5)←2200(7/2)←900(6/28)←700(6/25)
好中球   580←1300←290←410
赤血球   287←227←221←210
へモグロビン  8.8←7.0←7.0←6.6
血小板   1.6←4.1←3.2←1.0


今回の血液検査はIgMや総蛋白の検査はしていないので、IgMに何らかの変化があったかどうか分からない。どの道前回の検査から4日しかたっていないので、大きな変化はないだろう、白血球(好中球)はG-CSFを7月3日にやめた関係で下がってきている。後は自力で上昇していくのを待つほかない。好中球580は退院できるぎりぎりの線だった。

今日の採血の目的は、退院前に血小板または赤血球の状態を把握することである。もし少なかったら輸血をしなければならない。血小板が1.6とかなり下がってしまった。とりわけ血小板がこの治療中影響を受けている。まだ抗がん剤の影響が続いているのだろうか。明日血小板の輸血をすることにした。

担当医が言うには、ニドラン(ニムスチン)は骨髄抑制の中でも血小板に影響を与えるということだった。それで輸血をしても血小板を狙い撃ちするように繰り返し下がっていたのだろう。ニドランはがん細胞には、全く影響を与えず、血小板には強い影響力を行使している。

入院中の血液検査結果データー
無題


 今度入院して入った病室は初めての南向きの部屋だ。運よく窓際のベッドだった。窓際である確率は2分の1、昨年の3度の入院の時は全て廊下側だったが、今年の2度は窓際だった。廊下側と窓際では気分が全く違う、窓際だと明るいし、さえぎる物もない景色と空を眺めて過ごすことが出来るし、窓枠に小物を置けるので広く使える。

南側窓からの眺望は左から、日暮里駅前のポートタワー・ガーデンタワー、スカイツリー、ルネッサンスタワー上野池之端、新橋、永田町方面の高層ビル群、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、渋谷方面が視野に入る。スカイツリーは目立つから毎日観察することになる。天候の状態、空の色によってその様相は日々異なってくるのが面白い。時々写真を撮る。3枚の写真を掲載しておく。

DSCF9972_convert_20120705064547.jpg DSCF9973_convert_20120705064631.jpg DSCF9977_convert_20120705064708.jpg

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院17日目・眼科の診療

7月4日(水)
形質細胞性白血病
DSCF9981_convert_20120704141542.jpg入院後の血液検査報告(検査詳細情報)には必ずPlasma-lyという表示があった。これは形質細胞が末梢血に出てきている、つまり白血化しているということを表している。そして白血球中での割合は、Otherという項目に書かれている。6/21-9.0%、6/25-5.0%、6/28-3.5%、7/2-1.5%とかなり変動が大きいが、数ヶ月前の時は、0.1~0.5%だったのがこの間急激に増えている。

IgMが10000近くあるのだから、骨髄中の形質細胞の割合もかなり高くなっているのは確かだろうし、それが末梢血ににじみ出てくるのは止むを得ないだろう。形質細胞白血病の診断基準は「白血球分画で20%を超える形質細胞を認める場合」となっているのでまだ形質細胞白血病ではないが、形質細胞が白血化しているのは確かで、この状態になると治療が難しくなるといわれている。どちらにしても、今回の治療でもそうだが、治療効果を期待できる抗がん剤を探し出してくるのは中々難しい。
(右の写真はナース・ステーション前にある七夕飾り。短冊に願いを書いて吊るして下さいとある。)

眼科の診療
来週月曜日に2週間1度の定期的な検査を予定していたが、入院中に見てもらえればわざわざ月曜日に病院に行かなくても済む。そこで月曜日の予約を今日に変更してもらった。担当医が変更手続きをやってくれたが、普通は看護師に任せてしまう。一昨日担当医とIgMの増加に伴う血液の過粘稠が眼にどういった影響を及ぼすのかについて話したことがある。そのことが担当医に眼の診療の重大さを認識させたのだろうか。

網膜の毛細血管は極めて細く血液の過粘稠の影響を最も受けやすい。過粘稠の血液が毛細血管に流れ込むと血栓を作り、その血栓が網膜の動脈を詰まらせる可能性がある。網膜動脈閉塞症には中心動脈閉塞と動脈分枝閉塞があるが、網膜に血液を送っている動脈が詰まり、網膜の細胞への血流が途絶えてしまう病気である。細胞が活動するために必要な酸素や栄養は、血液によって供給されているので、血流が途絶えると、その箇所から先の細胞は死んでしまう。中心動脈が閉塞した場合、突然、視界が真っ暗になり、何も見えなくなる。

網膜静脈閉塞症の症状としては、静脈の内腔がさまざまな原因でふさがってしまうと、その閉塞部から先には血液が流れなくなってしまい、網膜の血管から血液があふれ出てしまう。あふれた血液は、網膜の表面にカーテンのように広がる眼底出血となったり、網膜内に閉じ込められ網膜浮腫(網膜の腫れ)を起こす。静脈の枝の部分が閉塞した場合を「網膜静脈分枝閉塞症」と呼び、乳頭部で静脈の根元が閉塞した場合を「網膜中心静脈閉塞症」と呼ぶ。血液の過粘稠はこのような失明に至る可能性のある疾病を内包している。

また治療中の白血球の減少はサイトメガロウイルスの活性化を抑える力を弱体化させるし、今回は使用しなかったがステロイド剤の使用は、免疫抑制剤の働きを持つのでサイトメガロウイルスの活性化を促す可能性がある。こういった原発性マクログロブリン血症における血液の過粘稠は眼に極めて大きな影響を与えかねない。

眼科の診療では、眼底出血が見られるということだ。6月25日に撮った眼底写真をみると出血箇所は2,3小さな点がある位だったが、今日の写真を見ると1cm位の大きさでじわーと広がっている箇所が3ケ所あった。これは明らかに網膜静脈の閉塞によって、血流が滞り眼底内に出血しているということだ。

今の所出血はごくわずかだがこれ事態を治療することは出来ない。血栓を起こさないように血流をスムーズにすることが必要だ。それにはIgMを減らすほかない。今の所定期的な眼底検査で、眼底出血の状態を点検し、血液の過粘稠が網膜にどのような影響を与えているかを的確に把握していく以外方法はない。失明の恐れのある動脈閉塞症の兆候があったら、即座に血漿交換法をやってもらうことが必要だろう。しかしその兆候を把握できるだろうか。どちらにしてもIgMを何とかして、最低3~4000減らさないと危険水域を脱出できないだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院15日目・IgM変化なし

7月2日(月)
検査結果
IgM     9719(7/2)←9155(6/18)←11000(6/11)←7773(6/4)←8230(5/28)
IgG     202(7/2)←200(6/18)←135(6/11)←204(6/4)
総蛋白   11.2(7/2)←11.4(6/25)←11.4(6/18)←12.4(6/11)
白血球   2200(7/2)←900(6/28)←700(6/25)←500(6/21)
好中球   1300←290←410←210
赤血球   227←221←210←243
へモグロビン  7.0←7.0←6.6←7.7
血小板   4.1←3.2←1.0←2.9

6月19日におこなったM2プロトコルは、今日のIgM値の検査では全く効果を見せていない。果たしてこれからじわじわと効果をあらわして来るのか、それとも今日の結果から変わることはないのか、後2、3週間血液検査の結果を見守る他ない。5月28日から今日までのIgMの数値が並んでいるが、最低でも7000台、8000~10000という高い数値の継続は果たして体にどのような影響を与えているのだろうか。

自覚症状はないが、血液の粘稠度が増しているのは確かで、それが眼球などの毛細血管に影響を与えかねないし、血栓症や血栓閉塞症などの恐れもあるし、最悪の場合には心筋梗塞、脳梗塞のような症状が現れてきてもおかしくはない。事前の心電図検査や、18日には眼科の検診を受けているので、今の所合併症の心配はなさそうだ。しかしなるべく早く、IgMの数値を下げる必要があるのは確かだろう。

担当医が言うにはIgM値が必ずしも血液の粘稠度を示すものではない。IgMが低くても粘稠度が高い人もいる。粘稠度を調べる方法もある。実際には深部静脈血栓症などの具体的症状が現れた場合、粘稠度を調べ血漿交換法などの処置を講ずる。症状がでていない段階では、抗がん剤による形質細胞腫瘍そのものへの攻撃を続けることになる。

IgMの数値が下がらないことについて、担当医はM2プロトコルが効果を発揮するかどうか、しばらくは様子をみようということだ。6月19日に治療薬を投与してから丁度2週間目だ。抗がん剤の効果が現れるのにもう少し時間がかかるかもしれない。下がらなかった場合どうするのか。下がった場合、その下がり具合にもよるが、どのような薬で通院治療を続けるのか。こういったことについて主治医と相談すると言われた。

白血球が2000、好中球が1300と上昇し、ベッドからアイソレーター(空気清浄機)が撤去された。食事も生物禁止食から一般食に戻った。血小板は輸血のかいがあり順調に上昇してきている。しかし赤血球は29日に輸血したにもかかわらず、全く変化していない。明日輸血する予定である。

白血球(好中球)の状況からすると退院は可能だが、ニトロソウレア系の抗がん剤は骨髄抑制がだらだらと長く続くというので、もう少し様子を見ようという話で、木曜日の血液検査の結果を見てから退院することになった。木曜日の検査結果で輸血をするかもしれないので、金曜日をそれにあて、退院は土曜日ということにした。

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藤沢周平 『橋ものがたり』

7月1日(日)
51l4_convert_20120701072204.jpg『橋ものがたり』とは

 『橋ものがたり』は橋を舞台にした10の短編で構成されている短編集である。この橋を軸としながら、橋で出会い、橋で別れるそういった中で、人生のさまざまな喜怒哀楽が展開する。

橋は人生の交差点である。そのまま真直ぐ進むことも出来るが右にも左にも進める。舵を取るのは自分自身だ。この橋を経由して起こる人の心の変遷を印象的深く描き、読者に「人であるといることはどういったことであるのか」を考えさせる短編集である。

『橋ものがたり』を読んで、今ではどこに行っても聞くことが出来なくなった「人情」という言葉の意味を深くかみ締めることになった。人情というのは、人間の自然な心の動き、人間のありのままの情感、人としての情け、他人への思いやり、を意味する。

そしてそれは本来人間の中に備わっているものであるはずだ。しかし過酷な社会生活の中で、他人を思いやる心は失われ、競争の原理の中で他人は敵として蹴落とす対象でしかなくなっていった。バブルが崩壊し、小泉―竹中の新自由主義の推進は格差と差別を生み出し、分断と貧困を拡大していった。人々は協力して一緒に生きていく存在ではなくなってしまった。

▼ 現代社会でもはや語ることが出来なくなった「人情」について江戸時代を舞台にして藤沢周平は書く。昔よき時代ではない。市井に生きる人々は武家社会の中で経済力を増してきた商人の下で貧しい生活を細々と続けていくほかにない。商人も登場するが、彼らは日々の生活に追われる訳ではないからこそ、心の屈託がより鮮明に表れその対応に四苦八苦するのである。

手に職を持った職人ですら生活はぎりぎりで、年季奉公、お礼奉公が明け独立するまでは、徒弟制度の中、住み込みでほとんど無賃金で働かざるを得ない。そういった一切余裕がなくかつかつの生活をしている人たちがいつも藤沢周平の主人公である。

しかしそういった貧しさの中に人の「心の豊かさ」は存在しているのだ、ということを藤沢周平は疑わない。人を信ずること、人に信じられることそれはどういった人間関係の中で育まれていくのか。さまざまな視点で『橋ものがたり』の中に展開されている。その一人ひとりの心の優しさ、他人への思いやり、これらは人間が本来持っているのではないかと思わせる。

そういった心が描かれる一方で「飲む、打つ、買う」という裏の世界の誘惑に屈して借金を作り、家族を捨て、犯罪に走り、身を持ち崩し自分だけでない周辺を崩壊に導いていく人たちの姿も描きながら、両者の対比の中で人間の生き方を問うているのである。

橋の持つ意味
藤沢周平の『橋ものがたり』の解説を井上ひさしが書いている。「江戸期の橋は、今の省線の駅のようなもの。人びとは橋を目当てに集まり、待ち合わせ、そして散らばり去ります。人々の離合集散が多いということは、それだけ紡ぎ出される“物語”の数も多い。」(新潮文庫p333)

▼ 橋は何を意味するのか。男と女が出会う場所、親と子が別れ、出会う場所、過去と未来をつなぐ場所、善と悪をつなぐ場所、2つの異なった世界がここで交差し物語を作り上げる。

不断は引っ込み思案で気弱で自己主張も満足に出来ない、ごく普通の市井の人々が一生に一度でもいいから、「真っ正直に」突き進んでみようという決意をする。その場所が橋である、そこは出発点であると同時に行き止まりなのだ。進むか退くしかない。ここで自分を偽り退いたら永遠に前に勧めない。橋はそういった決意を促す。

『橋ものがたり』の舞台は、藤沢周平の描くいつもの東北の城下町ではなく、大川(隅田川)沿いそれも本所深川方面である。この地域の橋が次々と出てくる。そしてその周辺に住む人とたちが主人公だ。これら実在の橋を使いながら、主人公たちの生活空間と住居の距離感を想像させる。それが物語の重要な舞台装置になっている。小名木川の萬年橋、親爺橋、両国橋、永代橋、大川橋(吾妻橋)、永代橋、笄橋、鳥越橋、猿江橋、永代橋。今もありよく聞く名前もある。

人情の機微
「そして結末がまた泣けるのです。まことにすがすがしい甘さ。読み終えてしばらくは、人を信じてみようという気になります。(p334・同上)

 藤沢周平の小説の中で人々は、人の心に現れる様々な感情を丁寧に描写しそのことによって主人公の性格を浮き彫りにしている。人は愛のため全てを捨てることもあるし、起こるかどうかわからないことに過剰に期待していたり、ちょっとしたことに心から喜んだりもする。一方敵意や激情や嫉妬にかられる。そいった弱い存在の人間は、欲望に負け現実の重さに打ちひしがれ理想を失うこともある。

こういった人間はどこで救われるのか。物語の中では愛する人の過ちを赦したり、愛する人を信じて自分を犠牲にしたりする。しかしそれは他人のためではなく、自分自身を認めてもらいたいという切なる希望がそういった行為に駆り立てるのだ。

 藤沢周平の市井の人々の生き方の中に入っていくと、自分の生き方を見直すきっかっけになる。彼らあまりにも肩肘を張って生きているようだったら、少し肩の力を抜いて生きてみようと思う。彼らのやさしさに触れると自分も少しは他人との良好な関係を作ろうと思うこと人もあるかもしれない。

そういった意味で、彼の小説に触れることによって、少しだけ生きやすくなるかもしれない。彼のすべての物語の根底には、市井の名もない一人ひとりがどうやって「理想」や「希望」に向かうのかそういった問いかけあり、またそれが我々の日常性と通底する部分があり、共感を生むことにつながってくるのだろう。

藤沢周平小説・5つのジャンル
小説の解説の中で、藤沢周平の小説を読む情景について次のように書かれていた。「藤沢周平の小説は大別して5つのジャンルに分けることができます。まず、史伝もの、第2に御家騒動者、第3が下級武士の恋を描いた青春もの、そして第4が職人人情もの、第5が市井人情もの。大ざっぱですが、とりあえず以上の5つに分けた上で、故植草甚一氏風にいえば“雨の静かに降る日は、藤沢周平の職人人情ものか、市井人情ものが一番ぴったりだ”ということになりましょうか。『橋ものがたり』などは、梅雨時の午後のひと時を過ごすにはもってこいです。」(p332)

 植草甚一氏のいうように、少し大げさな言い方だが「雨の日に藤沢周平を読むという至福に勝るものはない」。むかしは土砂降りだろうが雪が降ろうが、毎日朝決まった時間に家を出て職場に行った。

今は仕事をしていない。雨の日は外に出る必要はない。コーヒーでも入れてソファーに横になって、文庫本をめくるのは、何よりも豊かな気分になれる。もちろん中身は何でもいい訳はない。それこそ藤沢周平の市井人情ものなど最適な選択だろう。冷たい雨と、心温まる彼の小説の相性は抜群だ。

雨が降ると雨に音が吸い込まれたように、あたりはひっそりとした雰囲気に包まれる。そういった隔離された空間のなかで、自分ひとりの世界に浸れるというのが雨に日の読書の楽しみなのだ。

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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