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天童温泉-1日目・山寺

1月2日(水)
 2ヶ月の病院生活を終えて、休息だけは十分に取っていたのだから骨休みというわけでは ないが、気分転換というつもりで東北の雪の深い所で温泉がいいと思って出かけた。雪見酒と雪の東北での温泉を目的として、山形の将棋で有名な天童温泉2泊3日の旅行に出掛けた。

 暮れから正月にかけて東北地方は寒波に襲われ、今まで雪が降っていなかった所も雪が降り、大雪注意報も発令されている所もある。7時22分上野発10時17分天童着の山形新幹線で出発した。郡山に近づくにつれ周りは雪景色になり、郡山を過ぎると吹雪いてきた。進むにつれ雪が深くなってくる。
 
 天童に着いた。天童は山形の中でも雪が少なく、積もっても膝位までと聞いていた。列車を降りると雪が舞い散っていた。車道には雪はなかったが、屋根や木や歩道には積もっていた。駅前に観光馬車乗り場があり年中無休で市内の名所を回って山寺まで行き、また駅に戻ってくるコースで1日6回運行しているはずだった。観光馬車といっても9人の乗りのマイクロバスだということだ。10時40分発があり丁度いいと思ってしばらく待ったがなかなか来ないので電話したら正月期間は運休しているということだった。

 駅に隣接している将棋資料館も休みだし、美術館も休みの可能性もあり、旅館のチェックインまでかなり時間がある。雪も降っているし、市内観光といってもあまり見るところもない。そこで2日目に行こうと思っていた芭蕉の句で有名な山寺までタクシーで行った。

山寺(宝珠山阿所川院立石寺)
清和天皇の勅願によって天台宗の僧、慈覚大師円仁が貞観2年(860年)に開山した。日本3ケ寺、日本3山寺、日本7薬師、奥州3霊寺の一つとして、古来比叡山延暦寺と並ぶ名刹で、僧坊300を持つほどの強い勢力があった。

 正面階段を20段ばかりの上がると根本中堂が目の前に古色蒼然と聳えている。本堂の階段を上がると木彫りの布袋様が置かれ、それに触りながら願い事をするとかなうと書いてあった。

天童温泉030_convert_20100228181023 根本中堂正面の布袋像

 立石寺は一山の総称でその名の堂宇はなく、この根本中堂が立石寺の本堂且つ中心道場である。堂内には大師自作の薬師如来のほか伝教大師や文珠毘沙門の諸像が安置されている。国の重要文化財であり、東北唯一の宗門修行道場で、ブナ材の建造物としては日本最古ともいわれる。

 山寺には見所がいくつもある。本堂から山門に向かう途中に、清和天皇の宝塔がある。立石寺は清和天皇の勅願により開山され、三百八十町の寺領を免租地として下賜されるなど、手厚く保護されたことから、死後、その徳を慕って根本中堂の北西側の隅に宝塔を建てて供養した。

 日枝神社は慈覚大師が立石寺一山の守護神として比叡山延暦寺から山王権現、すなわち大山咋神(おおやまくいのかみ)を勧請して祭ったのに始まる。秘宝館の向かい側に、1972年建立の芭蕉像と「奥の細道」紀行300年を記念し、1989年に建てられた曽良の像、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を刻む芭蕉句碑がある。

天童温泉034_convert_20100301214250 芭蕉像

 その先に常行念仏堂、鐘楼、多宝塔がある。それらを見ながら山門に着く。「山寺宝珠山立石寺」と彫られた2mを越す石柱があり、その先に、鎌倉時代末期の建立と伝えられ、「開北霊窟」の扁額を掲ぐ山門がある。奥の院までの石段がここから始まる。寺務所で雪の具合を聞くと奥の院まで上がれるということで入山し、石段を登り始めた、石段は1015段あるという。
 
 急な石段を息を切らせながら登っていくと途中次々と色々な物に出会う。姥堂は、これを境にした極楽(上方)と地獄(下方)との分かれ目とされ、極楽浄土への入口と説かれている。進んでいくと笠岩、慈覚大師お手掛岩がある。また2つの大きな岩石が登山道の両側から迫り出し、道幅を極端に狭くしているところがあり、これが四寸道(四寸は約12cm)で、親が踏んだ箇所を子孫も踏むことになることから親子道、子孫道の言い方もある。

天童温泉048_convert_20100228181212 仁王門

 左側に垂直に切り立った絶壁が見える。百丈岩という。周辺の岩は第三紀層の凝灰岩が侵蝕され、自然の造形とは思われない奇岩が露呈し長い歳月の風雨が岩を削って作られたものである。信心のある人が見ると阿弥陀様に見えるという岩もその一つである。竜吻岩、護摩壇を見ながら、観音院を通り、仁王門に行き着く。左右に大きな仁王尊・十三尊像があり運慶の弟子たちが作ったと言われている。その奥に閻魔が置かれている。建物の材料もそうだが、このような大きな仁王像をどうやって運んだのだろうと思ってしまう。人がやっと一人通れる位道が細くなっている所もある。信仰の力だろうか、膨大な建築資材を全て担いで登ったのだろう。

 仁王門をくぐって、しばらく上がると性相院、金乗院がある。そこから左に曲がると、帝釈天堂があり、そこは四面が2.1mの小堂で、慈覚大師の創建と伝えられる。天保4年(1833年)に立石寺第六十四世慈舜和尚が再建した。雷除けとして有名である。
 開山堂は、慈覚大師の廟所で、立石寺第六十五世情田和尚が嘉永4年(1851年)に再建した。堂内には、大師の座像が安置され、また、千百年以上にわたって香煙をゆらし続ける不滅の「常香」がある。

天童温泉054_convert_20100228185234 五大堂からの眺め

五大堂は正徳4年(1714年)に再建された舞台造りの御堂で、宝珠山を守る五大明王が安置され、天下泰平を祈る道場である。この五大堂は岩の先端に作られ展望台の役割をしているようだ。堂の舞台からの景色の眺めは素晴らしく山寺随一とされ、ここからは山寺の町が一望できる。百丈岩の絶壁の頂に建つ納経堂は重要文化財で、立石寺一山の衆徒が奥の院(加法堂)で書写した経文を安置するところであり、岩の先端に長い歴史を刻みながら佇んでいる。

tendo1_convert_20100301215257.jpg 納経堂

 ここまで来てどっと疲れが出た。退院してまだ数日しかたっていなのにこの登りはかなりきつかった。病院で1日30分くらいの散歩をしていたが。やはり心肺機能が十分でないのだろう登りはすぐ息切れしてしまう。ということで奥の院までまだ少しあるがここで引き返すことにした。下りは息も切らすことなくスムーズに降りることが出来た。山門を出て、蛙岩、立石寺本坊、神楽岩などを見ながら山寺の中心街の方に向かった。そこで昼食をとり、チェックインの時間には少し早かったが旅館に向かった。
 
 2時頃旅館に着いた。宿泊場所は純和風旅館で、中庭が日本庭園になっていてその庭園を囲むように建物が建っている。大名廊下といって一段高くなっている廊下がありそこから庭園が見渡せるようになっている。雪がまだしんしんと降り続いており、中庭は雪に覆われ静かで穏やかな雰囲気を漂わせている。

 早速温泉に入りに行く。雪を見ながらの温泉という人生一度は味わってみたかったことが経験できる。風呂は檜風呂で露天風呂はないが、風呂からは雪に覆われた庭が見え、雪がひたすら降り続く。湯はかなり熱かったが寒い時期でもありあまり長く入っていることは出来ないが身体が温まりそれなりにいいのかもしれない。夕食をとりながら一杯飲んで、部屋に戻れば後は何もやることはない。持ってきた本を読んでもいい、テレビを見てもいい。そして雪の降る庭をぼんやりと見ながらなにもしなくてもいい。

 やることがなくてもイラつく事がない。これは年齢のせいなのかどうか分からないが、何時も何かをしてなければ落ち着かないという昔の性格が長い入院生活の中でかわってしまったのかもしれない。時間というものの考え方、時間の受け止め方が変わってしまったのだろう。時間の流れにがむしゃらに抵抗していた時代から遠く離れて、川の流れのように、時間の流れの中に身を任せ、たゆたっていくのもまた人生である。
 
 生きることは 旅すること 終わりのない この道
 雨に降られて ぬかるんだ道でも いつかは また 晴れる日が来るから
 ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい
                          (「川の流れのように」美空ひばりの曲)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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