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宥座の器

5月3日(火)
館林つつじまつりに行く途中の旧館林藩士住宅(武鷹館)の中庭に「宥座の器」という金属の器が吊り下げられていた。ボランテイアの人がこの器の由来を説明してくれる。そして実際に水を入れてみることが出来る。自分で試してみるとどんなものかよくわかる。この器を作るのが中々大変で、これを作ったのは針生清司氏という金属工房の人で13年の試行錯誤を繰り返し平成4年に完成したというものだ。

館林_convert_20110503165944「宥座の器(ゆうざのき)」とは、座右において戒めとする器という意味で、「虚なればすなわち傾き、中なればすなわち正しく、満つればすなわち覆る」器だ。つまり、空のときは傾き、ほどよく水を入れると正しく水平を保ち、水をいっぱい入れるとひっくり返る。孔子(紀元前551~479)は魯の桓公の廟に参詣したとき、宥座の器を見て、弟子たちに「満ちて覆らない者はいない」と教訓した。
 
さらに弟子が、器に水を満たしてもひっくり返らない方法を尋ねたところ、孔子は応えた。
聡明聖知なるときは、これを守るに愚を以てし、
功天下を被えば、これを守るに 譲を以てし、
勇力世を撫えば、これを守るに 怯を以てし、
富四海を有てば、これを守るに 謙を以てす。

満つれば則ち覆る、
宥座の器、
驕る者は久しからず。  (『荀子』宥座扁)

この「宥座の器」は、人生におけるすべてのことにおいて、中庸の徳、謙譲の徳の大切なことを教えている。それは何事も「足るを知る」という事ではないだろうか。広く世の中を見てもそうだが、「足るを知る」という事を自分自身の心の中にもてない人というものの欲望は際限がない。

この中庸の徳や謙譲の徳は、今の日本の現状を考える時に大いに参考になる言葉ではないかと思う。3.11東日本大震災による原発事故での電力の供給停止によって、計画停電を経験し、節電を推進している中で、今までいかに電気を無駄に野放図に使用していたかを思い知ることになる。電気エネルギーをそれがあたかも無限であるかのように湯水のごとく使い、それに何の疑問も持たずにそういった生活を享受していた国民すべてに警告を与えたのである。

豊かさと貧しさの感覚も変わってくるだろう。無駄に使われるエネルギーに対しては、それが便利であっても反発が強まるだろう。そういった生活に徐々に移行していくことによって、原発に頼らない生活が可能になってくるだろう。東京新聞に「3・11から」という特集記事が連載された。その中からこれからの社会の中でどういった心構えもったらいいのかといったメッセージが込められている3人の意見を紹介したい。

 僕は震災前から、豊かさの定義を変えなければならないと思っていました。豊かさと貧しさは線引きできるものではない。私たちは生活が豊かだと思っていたことが錯覚だったとさえ思います。一人の人間が生きるとき、何をなすべきか。その原点が「雨ニモマケズ」の中にあるような気がします。私が病気をして何もできない時に「慾ハナク/決シテ瞋ラズ」に日々を生きるという感覚は胸に染みました。人生で見聞きしてきたことがつながったように感じました。 (「3・11から」 渡辺謙・俳優)

 現代人は自然に逆らう生活のために、たくさんの電気エネルギーを使ってきました。なぜコンビニが24時間開いていなければならないのか。なぜビニールハウスに暖房をかけてまで正月にイチゴを食べなければならないのか。今回の事態は、そんな暮らしに対する逆襲のような気がします。あの日を境に私たちの原発に対する意識は変わった。その変化は今後いろいろなものを生み出すように思います。節電も一過性で終らない可能性が出てきました。そうすれば生活の細部まで、この福島から変わっていくと思います。 (「3・11から」 玄侑宗久・僧侶)

 幸福って、いじわるです。幸せな時には分からないでしょ。失ってはじめて大事だったと分かる。だから失う前から「絶対なくしてはいけないもの」「あってもなくてもいいもの」「なくてもいいもの」を日頃から仕分けしておいたほうがいい。私はそれを「価値の遠近法」と呼んでいます。夏の電力不足を考えたら、みんな「なくてもいいもの」を一生懸命に選び出すでしょう。その時「絶対になくしてはいけないもの」、つまり幸せもきっと見えてきます。(「3・11から」 鷲田清一・臨床哲学者)

こういった意見を聞くと我々は今の生活を見直していく必要を感じる。今日の状況は、無駄を無駄と思わない大量消費の習慣から決別し、必要なものを必要なだけ買うという生活へと自らの生き方を振り返るいい機会ではないかと思う。確かに個人の問題だけではない。コンビニでは売れないことが分っていても見栄えのため弁当を棚一杯に並べ、時間が来ると廃棄に回してしまう。こういった現象をなくしていく社会的な習慣が必要なのだろう。

食品の廃棄物の年間の発生量は約1940万tと試算されており、内訳は、食品製造業から発生するもの(産業廃棄物扱い)が339万t、一般家庭、食品流通業や飲食店業などから発生するもの(一般廃棄物扱い)が1600万tとなっている(2004年度)。

食品リサイクル法で、食品製造業から発生する食品廃棄物は合計265万t(78%)が再生利用されている。一方、家庭系の一般廃棄物の発生量は1070万tに及ぶが、30万t(3%)しか再生利用されていない。

また平成21年度の食料自給率は、カロリーベースでは40%で後は輸入に頼っている。輸入の場合は大量の石油を使って運ばなければならない。フード・マイレージ (food mileage) は、「食料の ( = food) 輸送距離 ( = mileage) 」という意味であり、食糧の輸送に伴い排出される二酸化炭素が、地球環境に与える負荷に着目したものである。日本は世界的にも抜きんでて多く2位の韓国の3倍 9002億800万(t×km )である。自給できる食料品も安い輸入品でまかなおうとする発想法を変えなければならない。

節電と同じ考えで家庭での無駄をいかに減らしていくのか、スリムな生活スタイルを築いていけるかが重要である。電気や食料品に対する考え方を、いかに自然との共存を視野に入れたものへと転化していけるかそれがこれからの世代の生き残りを保障する道なのではないか。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

近くにイチゴのハウスがありますが、イチゴはハウス栽培が多いです。虫除けと出荷時期の調節、それに品質の管理をするためのようです。

出荷するときは野菜も含めて、主に形、大きさの規格が厳密に決まっていますから、それから外れると価格がどーんと下がってしまいます。
そういうイチゴもきゅうりもりんごも実はとても美味しいのに…。

便利な生活を追い求め、見かけを重視する私たちの生活を変えることが必要ですね。

No title

時々、スーパーなどでも曲がったキュウリや穴の開いたりんごなどを安く売っていますが、そういうことはめったにありません。多くのそういった品物はどうしているのでしょうね。りんごはジュースにするとしても形の悪い野菜はどうなってしまっているのでしょうか。

キュウリは真っ直ぐでも曲がっていても味は全く変わらないのに、スーパーの袋詰めの都合と消費者の感覚の問題なのでしょう。もう少し消費者が形にとらわれないで選択できる目を養えば多くの無駄も省くことが出来るでしょう。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
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