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墓参り・foo cafe・大谷口歴史公園

5月4日(水)
5月3日が父親の命日で毎年墓参りに行っている。もっとも墓参りに行くようになったのは、病気になり仕事を辞め時間ができてからだ。母親と妹は毎年墓参りに行っていたらしいが、仕事をやっていた時は全く墓参りとは縁がなかった。墓参りには弟も行けるという。こういった機会でもないと母親と3人の兄妹弟が揃うこともないだろう。

5月3日は午後から雨が降るというはっきりしない天気だったので、母親が行くのを躊躇したので4日にした。母親は少し前までは地域の「歩こう会」に参加していた位だが、転んで腰を打ち半年ばかり寝たきりの生活をしてから、すっかり歩くことから縁遠くなり、今では杖を突いてゆっくりと休み休み歩くといった状態だ。墓参りに行くので、車椅子で行った方が便利だろうと思って近くの特別養護老人ホームアトリエ村で車椅子を借りた。車椅子だと母親の歩く速度にあわせる必要がない。

駅が最近はかなり改造され何処にでもエレベーターが設置され車椅子での移動がかなり楽になった。父親の墓は松戸市の八柱霊園だ。松戸駅にはJRも新京成もエレベーターがなかった。そこだけは車椅子から降りて、エスカレーターでの移動を余儀なくされた。車椅子から降りられない人にはどういった対応を駅ではするのだろう。

新京成電鉄の八柱で降りそこからタクシーで墓の前まで行く。途中馴染みの石材店に立ち寄り花と線香を買い、桶とほうきを貸してもらう。墓に着いたら、タクシ-には待っていてもらい、掃除をし花と線香を上げお参りする。再びタクシーに乗り八柱まで戻ってくる。墓の前には10分位いただけだ。あまりにも事務的過ぎるような気もするがこれが今日の墓参りの現実ではないか。

松戸戻り、皆で食事をした後、新松戸に知り合いが「foo cafe」という喫茶店をやっているので、そちらに寄ることにした。松戸方面に来ることもないので、去年も行ったが、こういった機会でなければなかなか行くことはない。

喫茶店は新松戸からだと15分位かかるが、流鉄流山線の小金城址駅からだと5分位の距離だ。新松戸の駅前に幸谷という流山電鉄の駅がある。あまり間隔が空いているようだったら歩いていこうと思って、時刻表を見ると1時間に4本位出ている。珍しい電車なので乗ってみるのも面白い。鉄道の名前が、流鉄流山線といった何ともレトロな雰囲気を感じさせる。別名総武流山電鉄ともいう。

小金城址駅に着いて周りをみても小金城址がある雰囲気は全く感じさせなかった。駅からしばらく行くと綺麗な並木道の道路がありそれを渡ると喫茶店に辿り着く。喫茶店で1時間ばかりお喋りをして、帰る時小金城址は何処にあるのか聞いてみたが、そんなものはないのではないかといった返事だった。

墓参り007_convert_20110505000238  墓参り010_convert_20110505000304

駅に着いて駅員に小金城址は何処ですかと聞いてみた。すると窓口にいた駅員はそこから出てきて、道の見える所まで案内し、丁寧に道順を教えてくれた。観光協会のメンバーなのだろうかと思われるほど熱心だった。駅名にまで付けてあるのに何もないでは話にならないと強い思いを持っているのだろう。

駅員に教えられた道を行ったところ「大谷口歴史公園」といった石の表示板が立っていた。小金城址といった看板でもないかと探したがなく、とりあえず公園の中に入っていった。最初に門の跡があり、それをくぐり急な階段を上って行くと広場がありそこに「小金城(別称大谷口城)跡」と書かれたモニュメントがあり、それを見てここが小金城址だということが分かった。

この広場の周辺には、土塁が積まれ、敵を防ぐのに使った堀である畝堀、障子堀などが作られている。それほど見所がある訳ではないが駅名になる城がかってあったということは確かだ。

墓参り031_convert_20110505000554  墓参り030_convert_20110505000529

小金城: 標高20mほどの丘陵地帯にあり、古利根川、中川、荒川流域の低地帯を一望できる場所である。城域は東西800m、南北700mにおよび、12もの郭を備えて、当時の下総国北西部においては最大規模を誇った平山城である。大谷口城、開花城、とも呼ばれる。

要害の城であったが、太日川(現在の江戸川)の要でもあったため、水運により城下は市が立ち並んで金宿(後の小金宿)が形成され、周辺の本土寺や東漸寺が領主高城氏の保護を受けて栄えるなど、軍事的にも経済的にも栄えた場所であった。

金杉口跡: ここは金杉口と呼ばれる小金城の虎口(出入口)の一つ。小金城には大手口(東)、達磨口(北東)、金杉口(北)、大谷口(南)の四つの虎口があったとされている。

墓参り016_convert_20110505000356 「小金城(大谷口城)跡」モニュメント

墓参り021_convert_20110505000433  墓参り026_convert_20110505000503  

畝堀:
(左側)ここで発見された堀は幅七メートル、深さ約三メートル(現地表面から)と規模では普通だ。しかし、堀底に断面が蒲鉾形の畝(高さ約九十センチ)が堀の 方向と直行する向きに連続して造られた、全国的にも非常に珍しい構造をしている。この施設の利点は、侵入した敵が堀底の小溝に足をとられ、横への移動が しずらくなり、その敵を狙い討てることだと云われている。特にこの畝堀は、畝部分が粘土層を掘り込んでおり、非常に滑りやすく、効果的となっている。

障子堀:
(右側)自然の斜面を削って急傾斜とし、その下部に幅四メートル以上、深さ約ニ.五メートルの空堀が造られている。この空堀は、虎口から約二十メートル程の地点から掘られており、途中一ヶ所に高さニメートルの間仕切り(障子)が造られて堀底を侵入してきた敵をその壁 で遮る構造となっている。このような構造のものを「障子堀」と呼んでいる。

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 流鉄流山線小金城址駅の歩道橋から 馬橋 - 小金城址間は坂川の支流の新坂川に沿って線路が走る

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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先立つ不幸

自分の最期は淡々と受け入れられるかもしれないが、親に先立つのは心苦しい。
親には元気で少しでも長生きしてほしいとものの、自分より長生きされるのも困ると考えてしまうのがつらいところでしょう。
とりあえず今日は少し親孝行したかなと考えるしかないか...

医学はゆっくりと進歩はしているものの、病気の足も結構速い。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/search/cancer/news/201105/519614.html
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/search/cancer/news/201105/519616.html
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/search/cancer/news/201105/519617.html

No title

確かに親の死と、自分の最後といったことが、全く別世界のことではなく、結構身近な問題であることにふと気がつかされます。どちらにしてもこれはなるようにしかならない問題なので淡々と受け入れる外ないでしょう。

日経メディカルに関しては定期的にチェックしようと思っていましたがなかなか出来ていません。幾つかの新しい治療法に関する情報を有難うございます。ただポマリドミドは多分まだアメリカでも承認されていないのではないでしょうか。日本で使えるまでにはまだ間がありそうです。ベンダムスチンは試して見る価値はありそうです。新薬の開発と、病気の進行が競争しているようです。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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