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院内患者家族交流会(おしゃべり会)

5月13日(金)
2ケ月一度の定例の病院内での患者家族の交流会が行われた。やはり最初の話題は、前回の交流会が3月11日地震の日で、交流会後どのような行動を取ったかということだった。私は運のいい事に入院最終日で宿泊場所は病院のベッドを確保してある。他の人は交通機関を奪われどうしたのだろうか。

患者会に来た何人かは待合室で電車の動くのを待っていた。外来治療に来て帰れなくなった人が何人も待合室の椅子に座っていて電車の情報を聞いていたが一向に動く気配はない。田端まで行ってまた戻って来た人もいる。夜も更けてきて、病院側としては、患者を待合室に待機させておく訳には行かない。外来治療センターのベッドを提供してくれたそうだ。

またある人は南北線が11時頃動いたので、それに乗ったが白金台駅止まりだった。白金台でかって利用した事のある福祉会館を思い出し、そこに行って泊めてもらったそうだ。どこにどんな施設があるか知っているとこういうとき便利だ。

今日の交流会の話題の中心は「痛み」についてだった。悪性リンパ腫の治療を化学療法で行い、寛解状態になっている女性患者が、今度は「繊維筋痛症」という珍しい病気になった。症例が少なくまた治療法も確立されていない。自己免疫疾患、膠原病の分類に入るのだろうが今のところ対処療法しかない。

最初、体がだるく動くのもおっくうなほど消耗感にさいなまれていた。抗がん剤治療の副作用だと思っていたが、やがて筋肉に痛みが生ずるようになった。服がすれたりしただけでも痛い。体を動かすこと自体に痛みを感ずるので、服を着替えたり、頭を洗ったりすることも辛い。寝る時も布団がこすれて寝返りもうてない。痛みで十分な睡眠もとれない状態だ。日常生活にも支障を来たし、仕事も続けられなくなり退社せざるを得なかった。

この病院で治療を受けていたが、膠原病専門医に紹介されて、別の病院でも治療を受けるようになったが、一向に薬の効き目はあらわれない。漢方薬も処方されるが、これ自体は血流をよくするもので痛みを止めるものではない。痛み止めとしてガバペン(抗テンカン剤)なども処方されたが、ふらふらになってしまうので止めた。今はかなりの数の薬を飲んでいるが、これといって効果が出ているとは思えない。

医者は精神科の診断を受けたらという。精神的な問題だとは思えないがどういうことなのか聞いてはいない。痛み止めはどうなっているのか。痛みは生活の質を根底的におとしめていくものである。痛みの除去は患者にとって最優先しなければならないものだろう。

帯状疱疹神経痛を経験した人が私を含めて3人いた。1人はその痛みを焼け火鉢で刺されるようだったという。また別の人は、棒で腰を思いっきり突かれたような衝撃だったという。帯状疱疹神経痛になると、神経痛の元になる部分があって、その場所を「トリガー」というそうだが、そこを少しでも触れたりすると体じゅうに電気が走るような衝撃を受ける。

こういった激しい痛みを生ずる「トリガー」は徐々になくなっていくが、神経痛の痛みは持続する。肌に服が触れると神経がこすれるような痛みが生じ、帯状疱疹の湿疹が出来た周辺にずきずきとした痛みが慢性的に続き、痛みで眠れないこともあるような状態が続く。

患者の一人は神経ブロックを週1度4回やって治ったそうだ。私の場合は、入院中だったこともあり、移植前に神経痛を治したいという気持ちで毎日神経ブロックをやっていた。結局治るまでに4ケ月かかった。

今回再び帯状疱疹神経痛になってしまったが、以前よりは軽いということと、リリカという帯状疱疹神経痛専用の痛み止めが奏効しているのか痛みはかなり抑えられている。

患者にとっての最大の問題は痛みのコントロールであると思う。激しい痛みのため神経がそちらに集中し、何も手につかない状態をどうにかしなければならない。止まることのない痛みの持続は、精神をずたずたにしかねない。十分な睡眠もとれず、24時間痛みと向き合う他に方法がない。

急性骨髄性白血病で入院し化学療法と、移植を受け自宅療養している患者の話を患者会の場で聞いた。彼女は、移植後のGVHDが激しく特に痛みが執拗に襲ってくる状態だった。彼女はモルヒネを今は手放せない。何ケ月も毎日飲み続けている。モルヒネもかなり使い易くなり、朝1錠飲むと24時間効果があるということだ。モルヒネで痛みは収まり通常の生活を送っているということだった。

痛みを抑えるのにオピオイド系の薬を処方してもらうという選択肢を持って疼痛緩和について考えてみた方がいいだろう。

患者会には今回は12人が参加した。看護師の人も2名途中参加があった。参加者のうち6名は白血病患者、ほとんどの人が寛解後5年以上たっているが、いまだ治療を受けている人もいる。悪性リンパ腫1名、患者家族2名、原発性マクログロブリン血症は当然のことながら1名だ。

珍しい血小板減少性紫斑病患者の参加もあった。彼は血球の数値が基準値の半分位しかないが、治療するというほどの事もなく30年間経過観察ということで病院に2ケ月に1度通っている。今まで無治療の状態で過ごしてきた。

症状としては体力の消耗感があり、仕事をしていてもすぐ休憩したくなる。周りからはサボっているとしか思われない。病気のことは職場では話していない。あまり周りを気にせずマイペースでやっているということだった。色々な患者の声を聞くことは、自分の生き方や考え方の参考になるのは確かだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

仙台も震災から二ヶ月がたち不自由なことは少なくなってきました。いろいろとまだありますが子どもたちも二人幼稚園に行き私も家でいろいろできるようになりました。ただお金がなくなってしまい・・主人の会社もボーナスが出ない・・学費・・などで私が働かなくてはとなってしまいました。働けるかなってほど回復したのかもしれませんがまだまだ無理は禁です。先週は面接に落ちてしまったけど・・今は就職難なんだとびっくりしてしまいました。私は週二日とか子午前しか働けないので・・

こちらに線維筋痛症と書かれてあり、私もずっとそうでしたのでコメントしてしまいました。四年前の夏に突然、手がむくんで指が曲がらなくなりました。どんどん痛みは広がり・・顔まで痛くなりました。激痛ではなくてもズキッとしたりだるさは尋常ではなく・・リウマチだと思っていろいろ調べました。結局大学病院でも調べましたが膠原病ではなく・・三十箇所回ったあげく・・疼痛障害、線維筋痛症ではないかと診断されました。両親からは信じて貰えず・・見た目は普通だし・・疎遠になりました。

結局、私も鍼や漢方を一年半しました。その後ジェイゾロフトという薬が合ったようです。震災で三週間飲めなかったら・・また痛くなって慌てて飲んでました。今も忘れてしまうぐらいですが・・心療内科の先生がいろいろ認めてくれました。吐き気や微熱も下痢もありました。微熱はまだあります。いろいろブログもありますしいい先生とお薬に出会われてよくなるのをお祈りしています・・決して諦めないでほしい。

いつも素敵な写真に癒されています、ありがとうごさいます。ではまた来ますね。。

No title

追伸です。精神的なもの・・だけではないと思うのですが私は産後に発症しました。アナウンサーの方で自殺された方も確か産後でした。受話器ももてないほど痛かったとか・・。私も自分に合った薬に先生に出会うには三年かかりました。何が合うかも人により副作用もデリケートにでます。私は意外と強いみたいでしたが胃はやられてしまいました。ステロイドを調節してりブロック注射されている方、信頼できる鍼の先生につかれてよくなった方いろいろいます。お金もかかります。確か日本では病気に認められてなくて・・リウマチってことにされているのかもしれないです。東京には権威の先生もたくさんいますが・・待ちも長く・・仙台でも権威の先生は二ヶ月待ちでした。でもってずっと更年期だからーとその先生に言われて、婦人科では血液検査もして全然違うからといわれてまぁたらい回しに・・認知なしで

ですからその女性の苦しみは普通ではないと思います。私も寝れなかったです涙小さな病院でも熱心でいい先生ならよくなると思っています、私もそうでしたから。筋肉が痛いのです・・暖めると私はよくていろいろ試してみましたがどうでしようか

鍼も整体も逆効果のこともあります。軽い薬でよくなることもあります。私も少ししか飲んでません。今では何だったのか・・不思議に思うほど苦しい三年でした。でも間違いなくよくなったと思っています。これからも苦しんでいる人の参考にと思ってます。最近は全身の痺れもないですね、前は凄かったんです。よくなりますように

No title

仙台での被災大変でしたね。いち早い復興を願っています。繊維筋痛症について細かな症状の説明有難うございます。患者会に来た当該患者に会う機会があれば、その時にみりさんの状況を報告したいと思います。

彼女も体調がすぐれず、原因が分からず色々な病院を回ったそうです。みりさんが周辺の無理解と対峙しながらの病気の原因を探しまわった経験を思い起こさせるものでした。

病名が確定したのは、症状が出てから2年近くなってからでした。しかし繊維筋痛症という病名が確定したからといって、それで治療法が確定するということはなく、治療法が決まっていない病気であるということだったのです。

みりさんはジェイゾロフトという抗うつ剤が効果的だったということですが、私は帯状疱疹神経痛の時、同じ系列であるSSRI(選択的セロトニン再取込阻害薬)のパキシルという抗うつ剤を痛み止めとして処方されていましたが、あまり効果はありませんでした。人によって薬の効き方が全く違うものなのですね。特に痛み止めなど神経的なものは個人差が大きいのでしょう。

確かに自分に合った薬を見つけることが一番重要なことでしょう。それと精神的にも病気と向き合ってくれる医者に出会うことが大きな意味を持つと思います。

みりさんも病名が確定せず苦労なさった結果、やっといい医者といい薬に出会ったという報告を聞くと救われる思いがします。それが患者にとって何より必要なことだと思います。

No title

なるべく早く軽いうちによくなる方法探されるとよくなるみたいです。でも私も三年かかりましたし・・未だに本当にそうなのかなと思うこともあります。あまり病名にはこだわらず・・だまって耐えていたら・・いつの間によくなっていた感じです。私で力になれることがあればいつでも言って下さい。yosimineさんが親身になって下さって・・私も救われました。仙台はだいぶ復興していますよ・・でも他の地域ではまだまだ長い支援が必要みたいです。私も命の重さを考えてもっと生きようと思います

No title

みりさん、色々気遣ってもらってありがとうございます。病気の原因が分からず治療法も分からないという中で、色々な医者が様々な意見を言ってより一層混乱してしまうような状況を3年間もくぐってきたということは並大抵のことではないと思います。

そういった経験は似た様な患者に対するアドバイスに生かせると思います。是非力になってあげて下さい。実体験が何よりも大きな情報であり、的確な治療への糸口を与えるものだと思います。
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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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