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粟島

5月30日(月)
『わしらは怪しい探検隊』の中に粟島が登場した。粟島は40年以上も前の話だが何度か行った場所だ。東京から行くのにはかなり辺鄙な場所だ。上野から上越線で新潟まで行き、白新線に乗り換え新発田で羽越本線に乗り、岩船町で下り、30分ばかり歩いて岩船港まで辿り着く。そこから、季節にもよるが、1日2,3隻出航する粟島汽船で1時間半かけて粟島の内浦港に着く。その頃は船の本数も少なく、高速艇もなかった。着くまでに1日仕事だ。余程時間がないと行く気がしない程遠い。学生時代で時間があったし、ある事情でよく行くようになったのである。

kanko_map_convert_20110530124809.gif釜谷キャンプ場の上の長手鼻の丘の上に小屋を建てた。港の内浦から県道を通り山を越えて1時間。買出しに行く釜谷までは20分位の距離にある。














クラスで親しくしていた友人がいたが、その友人の友人が株でかなり儲けた。彼は何を考えてそんな思い切った事をしようと思ったのか分からないが、その金で粟島に家を作る事を考えたのだ。それも港のある内浦の方でではなく、内浦から歩いて1時間以上かかる釜谷近くの丘の上に土地を買い、そこに材木を運び、何人かの仲間と共に自分たちで家を建て始めたのだ。

土台と窓枠だけは大工に頼み後は自分たちで屋根と側面を作っていった。小屋は入口から6畳位の土間がありそこから1段高くなって30畳位の板の間があるという簡素な作りだ。窓は左右に開けられているだけだ。周りは林で海側の木々は刈られ見晴らしは良くなっている。水は海岸に下りていくと湧き水がありそれを使う。食料は歩いて20分位の釜谷の村に行って買ってくる。米や日用品など量が必要なものは内浦まで行って頼んで配達してもらっていた。実際の生活は屋根がある所にいるという以外キャンプと似たようなものだ。

当時学生運動が盛んだったこともあってか、北朝鮮に近い粟島の釜谷海岸に学生風の男たちが小屋を作っているという事を知った公安が色々嗅ぎまわっていたらしいが、もちろんそんなことは全くなかったのでやがてはその調査も終ったようだ。小屋の製作者にしてみれば、金のない学生が海水浴を楽しめる場所を提供しようという思いが強かったのかもしれないし、色々な人が集まって交流し、関係を深めていく事に意義を見出そうとしていたのかもしれない。

その話を聞いて友人と一緒に粟島の小屋を訪ねた。まだ建設中で、かなり形にはなっていたが何人かが材木を家に打ち付けていた。既に中で寝泊りは出来た。見よう見真似で家の材木張りを手伝うが、それはむしろ慣れた人に任せて、こういった所に来るとやることはキャンプ生活と同じだ。水汲み、炊事、食器洗い、買出しとやることは結構ある。そういった雑用係りととして重宝に使われた。小屋を訪ねてくる人は何らかの作業分担を任される。

夏の熱い季節だ。時々仕事の合間を縫って、丘の下に広がる浜辺で泳ぐ。その頃はキャンプ場も海水浴場もなく静かな海が広がる絶好の泳ぎ場所だった。釜谷の方に行くと岩場があり、そこでは魚が泳いでいるのが見られる。シュノーケリングのスッポットともいえる場所だろう。夜は人が集まった時など浜辺でバーベキューで宴会が行なわれるそういった生活だった。大体1週間位滞在するが、知り合いの知り合いといった伝で何人もの人が代わる代わる訪ねてきて2,3日泊まっていく。そういった新たな人間関係が出来るのが面白い。

一度行ってから、ひと夏2度ばかり訪問する事になった。夏は賑やかでいいが、読書でもして思索にふけろうと秋になって行った事もあるが、海岸にも人っ子一人姿はなく、誰も来ない。静けさの只中に放りこまれた感じになる。夜寝ていても、家がミシといった音がすると驚いてしまう。やはり都会に住み慣れたせいなのだろうか、海沿いの1軒屋に一人で住み続けることは出来ないなと思い知った。

今は粟島も観光に力を入れていて、観光スポットとして海水浴場としてのみならずフィッシング、ウォーキング、バードウオッチング、観光船、キャンプ、サイクリング、温泉などを設備し、観光客の誘致を行なっている。しかし40年前はまだ全くそういった試みは見られず、海岸で泳いでいる人もせいぜい新潟からの人達だったろうと思う。ただ一度だけ釜谷の民宿に泊まっていた人達が東京から来たということだった。珍しいなと思ったが、小屋の関係者が呼んだということが分かった。女性の集団だったので小屋に招待するに抵抗があったので、民宿を紹介したのだろう。

随分昔の話だが『わしら怪しい探検隊』が粟島に来たのが1975年だというから、それよりも5,6年前の話だ。やがて学生だった小屋への当初からの参加メンバーも就職したり、色々仕事を持ってなかなか来ることが出来なくなってしまった。今その小屋がどうなっているか全く分からない。放って置かれていればもはや廃墟になっているだろう。誰かが手を加えていればまだあるかもしれない。一度は訪ねてみたいと思っている。

時間は様々な思い出を載せて走り去っていく。それがどういった軌跡を本人の中に刻み付けられたかの記憶もないまま、次々と新しい記憶の中に埋もれて消え去ってしまう。そのようにして時間は刻まれていくのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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