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八丈島旅行・4日目

6月6日(月)
八丈島旅行も最終日になった。17時20分八丈島空港発の便で帰る。それまで大賀郷の名所・旧跡の見物をしようと思った。宿の主人と毎晩一緒に酒を飲みかなり打ち解けてきた。彼は74,5歳だろう。私とY氏と同じ大学だったというのも奇遇だが、彼は今「東京七島新聞」の八丈島、青島の担当であるということだ。島では観光協会をやったり、色々町の仕事をこなしてきた。昔から住んでいることもあって親戚が多く、知り合いのかなりの人が町の職員となっている。

八丈町では、今新しいプロジェクトが進行している。町役場は老朽化し、観光協会や八丈町コミュニティセンターなどと建物がバラバラに建っている。それを60億かけて、新庁舎を作ろうというものだ。すでに土地は整地されいつでも建てられる状態にある。新庁舎には多目的ホール、市民会館など多様な機能を持たせたものとして作られる。

その一画に図書館を建設するということが決まっている。八丈町コミュニティーセンターにある今の町立図書館は、学校の図書館とそれほど変わらない内容、規模のものでしかない。新図書館は建物の概要、内容、書籍の集め方など様々な問題を抱えその準備が宿の主人を含めて行なわれている。すでに東京都の幾つかの図書館に視察に行って情報を集めてきている。

宿の主人は自ら図書室を持ち蔵書が1万冊以上、文芸・美術書・趣味の本から雑誌・マンガまでありとあらゆる分野が揃っている。気がついたのに「小林秀雄全集」「横山光輝・三国志60巻」などがあった。昔から買い集めた膨大な書物だ。その本を新しい図書館が出来たら寄贈するのか、また死後寄付するのかどうかという話も出ているそうだ。

旅行に一緒に行ったY氏は、定年退職するまで図書館員だった。そういった意味で、宿の主人の図書館建設の話に丁寧に応えていた。今八丈町の図書館は、八丈町コミュニティセンターの1階にある。このコニュニティーセンターは勤労者の文化・教養及び福祉の向上を図り、あわせて生涯学習に寄与するため設置された。ボーリング場、体育館、テニスコート、会議室が有料で貸し出されている。宿の主人が朝一緒に図書館に行って、教育委員会の責任者と一緒に話をしよう、とY氏を誘った。

民宿をチェックアウトし、主人の車で八丈町コミュニティセンターに出かけた。しかし今日は月曜日で図書館は休み、教育委員会の人も誰もいなかった。結局からぶりだった訳だが、大賀郷の街中まで連れてきてもらったのだから文句は言えない。新庁舎建設予定地を見て、八丈植物公園の中を車で突っ切り、目的地の歴史民俗資料館まで送ってもらった。

八丈島歴史民俗資料館
館内には流人文化を中心にした資料が数多く展示されており、八丈の人々や流人の生活を雄弁に物語ってくれる生活用具や農耕具、漁具、機織具などのほか、先史時代の石器や土器、古文書、伊万里、古瀬戸などの陶器類、羅漢像、八丈の伝説を偲ばせてくれる為朝のよろいなど約1,500点が展示されている。

高倉: 高床式の倉庫である。床が高いので強い湿気からの影響が少なく、また、柱の床下にあたる所にネズミ返しという大きな板をつけることによってネズミの害から免れている。

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 歴史資料館入口                      古墳時代土器(八重根遺跡出土)

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 民俗資料館敷地内の高倉

流人の生活:
民俗資料館の中で特に興味を引いたのは、八丈島における流人はどのように生活していたのだろうということだった。江戸幕府は八丈島を流刑地として1606年(慶長11年)~1871年(明治4年)の間に 1,800余名の流人を送り込んだ。初期には主に政治犯、思想犯が流されて来ていた。人数も少なく比較的身分の高い者が多かったが、後には人数の増加とともに質も低下し食料が乏しく貧しいこの島にとっては大変な負担だったろう。

流人は少しの束縛はあったものの島民の一人として生活を営んでいた。武家や僧侶出身の流人はほとんど教育を受けたことのない島人に接して、教育の必要を感じすすんで村人や子供達を集め学問の手ほどきをしたり、知識や技術を教えたりしたことが八丈島における教育史のはじまりとなっている。多くの流人がいるが、その中でも八丈島の歴史に深い関わりを持った2人の人物像を紹介する。 

宇喜多秀家:
豊臣五大老の一人となったが、関ヶ原の役に敗れて、島津家に二年余り逃れ、久能山に二年間幽閉された後、慶長11(1606)年、34才で八丈島に流された。八丈島では苗字を浮田と改め、号を久福と改め、妻の実家である加賀前田氏・宇喜多旧臣であった花房正成らの援助を受けて(初期には秘密裏に、晩年は公に隔年70俵の援助を得ることが幕府より許された)、高貴な身分も相まって他の流人よりも厚遇されていたという説がある。それでもやはり八丈島での生活は不自由であったらしい。その後50年の間、流人ということで凡俗を装って月日を過ごし明暦元(1655)年83才で没した。

近藤富蔵:
旗本近藤重蔵の長男で、目黒にあった父の屋敷の利権問題から隣人7人を家来と一緒になって切り殺し、文政十(1827)年八丈島に流罪になった。明治13三(1880)年に赦免され、一旦上京。再度八丈島に渡り、明治20(1887)83才で没した。在島60年の間に、『八丈実記』六九巻を著したのをはじめ、旧家の系図整理、仏橡の彫刻・修復、為朝の凧絵、石垣構築等を行い、また、三根小学校の前身・川平夕学館を創設し、末吉小学校の前身末吉夕學黌(せきがっこう)にも関与した。

陣屋跡(玉石垣)
陣屋を巡らしてあるのが玉石垣である。大里の集落には玉石の石垣が多い。玉石は横間の浜から運んだと言われている。真偽の程はわからないが、一個の石を流人がおむすび一個で運んだという話がある。この大里地区の集落は、水の関係から大賀郷地域発祥の地とされていて、旧家や有力家が多い。そのため、玉石垣で囲んでいる家が多いが、上部が反った形の石の組み方は陣屋の石垣のみである。

大賀郷園地
平成17年4月25日に出来た園地。イベント、スポーツ大会などに使用される。広大な芝生の敷地だ。

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 玉石垣                            大賀郷園地

歴史民俗資料館から少し樫立の方に戻ると大里というバス停があり、その周辺が陣屋跡の玉石垣になっている。石垣の間の道を歩きながら、陣屋を囲むこれだけの石を海岸から運んで垣根を作る勢力が、ある時期八丈島にも存在したのだろうと考えさせるものがあった。

飛行機の出発時間まで植物園で時間を潰そうと思っていたので向う。植物園に入る道の左側には、何も植えていないただ広い芝地が広がっている。入口の所にトイレと休憩場として東屋があるだけだ。サッカーの試合などに使うのだろうか。大きなイベント会場として使用できるだろう。大賀郷園地という。

植物園のメインエントランスから中に入ってしばらく行くと、ビジターセンターがある。入口にさしかかると係りの人が、丁度15時から八丈島を紹介するDVDの上映を視聴覚室で行うので是非見てくださいと言われた。視聴覚室には我々2人しかいなかったが上映が始まった。八丈島の観光、産業案内として15分という時間で中々良くまとまっていた。

八丈ビジターセンター
八丈島の自然や文化を楽しむための、様々な情報や体験プログラムを提供している。解説員は、八丈島を遊び、学ぶプロフェッショナル。展示や音声解説などにより、八丈島の自然をわかりやすく紹介し、八丈探索の基地として、様々な企画も行われている。

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 ビジターセンター建物                    ビジターセンター展示

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 温室内のハイビスカス
 
八丈植物公園
昭和37年開園、熔岩原の自然林の中に多種類の亜熱帯植物が繁茂し、いたるところに小鳥のさえずりが聞こえ、原色の花と葉の緑が園路の赤砂利や黒い熔岩に映えた美しい南国カラーの大自然公園。(開設面積104,355.03平方メートル)。園内には「キョン」が飼育されており、「はたおり機」をイメージして作られた時計台も設置されている。

ビジターセンターの事務所に荷物を預かってもらって、植物公園の散策に出かける。公園ガイドマップに沿ってビジターセンターから出発し、ビロウ広場、学習の森ゾーン、日本の森ゾーン、世界の森ゾーン、園地ゾーン、八丈の森ゾーン、林間ゾーンを回り、最後に展望広場まで上って周辺の風景を楽しんだ。

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 植物園メインエントランス                 温室内のブーゲンビリア

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 キョン(小型の鹿)                      植物園の遊歩道

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 植物公園展望広場                     展望広場から八丈富士

13__convert_20110610165848.jpg 八丈島080_convert_20110610163627 八丈島087_convert_20110610163705
 ビロウ広場                ガジュマル               展望広場のタコノキ

16時過ぎになったので、空港ターミナルに向う事にした。植物園からターミナルまで歩いて20分位かかると言われた。八丈島空港は現在は滑走路延長1,800メートル巾員45メートルのジェット空港として運用しており、ローカル線での利用率は国内で上位にあり、定期便が1日4便就航している。

空港ターミナルが何故滑走路を挟んで町とは反対の方にあるのだろう。ターミナルビルに行くには、滑走路の右か左かを大きく回って行かなければならない。植物園から空港への道も滑走路をくぐる所はあるが、かなり端なので滑走路の中央にあるターミナルに行くには、滑走路をくぐってからかなり歩かなければならない。土地がなかったのだろうか、不便なことこの上もない。地元の人は車で行ったり、バスで行ったりするのだろうが、町側に空港ターミナルがあればどれほど便利だろう。

17時20分出発の便なのだが、15分には飛行機はもう滑走路を移動し始めていた。飛び立ったのは25分位だが、羽田に着いたのは18時10分、飛んでいるのは実質40分位だ。往きの船と違ってあっという間に着いてしまう。飛行機で往き来する事を考えると八丈島は非常に近いと感じる。

八丈島098_convert_20110609013246 八丈島空港
(参考:八丈島総合ポータルサイト)

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