6月16日(木)水元公園都内で唯一、水郷の景観を持つ公園。この池は、江戸の町を洪水から守るために作られた遊水地で、平常時は水田を潤す水の源として使われていた。それで水元の名がある。また、古くは「釣仙郷」の名でも知られ、今でもこの水辺で釣糸をたれる人が多い。東京23区中でも最大規模の面積の水郷公園でもあるが、サクラにスイレン、ポプラ並木にメタセコイアの森など、水と陸の両方にさまざまな植物が見られるが、一番の見どころは、やはり都内一の規模を誇るハナショウブ。6月中旬の満開時、園内12ヵ所の菖蒲田に約100種、約20万本の花が咲き揃う様は、初夏の水辺の景観を魅せてくれる。(花の名所案内)

花菖蒲の咲いている時期は短い。時を捉えて行かないと終ってしまう。都内一と言われる水元公園の花菖蒲は見る価値がありそうだ。1日おき位に雨が降ったりしている。雨が降っていない間に出かける外ない。金町の駅の改札口の脇にパンフレット・スタンドがあり、そこに「かつしか水元マップ」というチラシが置いてあって公園の案内地図や見どころが紹介されている。水元周辺観光、水元散策コース例なども記載されている。大体観光地の最寄り駅には観光案内のパンフレットが置いてあるので、よくそれを利用している。

金町駅の前から水元公園まではバスで15分位だが、駅からは年寄りの団体が帽子とリックサックというお揃いの出で立ちで、ぞろぞろと水元公園に向って歩き始めている。歩いても30分ちょっとだ。元気な年寄りを横目で見ながらバスに乗りこんで水元公園のバス停で下車する。
バス停から公園までは掘りになっていて、周りは遊歩道でかなりの人が釣り糸をたらしていた。ふと遊歩道の柵を見ると鳥が止まっている。鳥のオブジェだと思ったが、よく見ると口ばしを動かしている。こんなに近くに寄っても動こうとしない。物怖じしない鳥だ。
堀が狭まり、石庭広場といったしゃれた公園があって、ベンチに腰掛けて水の流れをじっと見つめ時の流れるまま過ごすのもいいだろう。その公園の横に香取神社がある。鳥居には茅の輪がつけられ決まった方法でくぐる。この輪を左回り、右回り、左回りの順で
∞の字を描くように3回くぐり抜けて参拝する。何人かの人がこの方法にのっとって茅の輪をくぐっていた。
香取神社下小合村(江戸時代)の鎮守。6月には茅の輪くぐり神事が行なわれる。区内随一のしだれ桜も有名。

香取神社茅の輪 拝殿
はなしょうぶ園の会場は平日だというのにかなりの人出だった。60~70代の人が大部分だ。近所の老人ホームからだろう、車椅子で何人もの人が花菖蒲の見学に来ていた。晴れた日にすかさず来る外ない。写真教室の先生が生徒に指導している。一眼レフカメラでいかにいい写真を撮るか、一度は習ってみたいものだ。茶屋があったり、イベント用舞台が設置され時間によって催し物が行われるのだろう。
花菖蒲は色彩的には白から紫までの色の中で展開する。日本的な地味な色ではあるが、それが6月の梅雨時に咲き、雨に濡れながらも、独自の凛としたイメージを与える。花菖蒲の白から紫のグラデーションは限りない広がりを感じさせる。はなしょうぶ園の中に睡蓮池がある。睡蓮は時間によって花を咲かせるとは知らなかった。菖蒲の中にある睡蓮は可憐でもの静かな感じを与える。
はなしょうぶ園6月上旬から下旬にかけて、都内最大規模の約1万4000株のしょうぶが咲き乱れる。



睡蓮池花しょうぶ園の隣りに広がる池。7月~10月ごろまで白くかわいらしい睡蓮が見られる。13時から15時頃に花を咲かせる。

はなしょうぶ園を見てまわり、水元大橋を渡ると、しょうぶ園の雑踏から全く別の世界に入ったように静かな平日の公園の姿に出会う。右側に川の流れのような遊水池があり、その向こうにみさと公園の緑の芝生と木々が見える。この池は小合溜(釣仙郷)という徳川吉宗の時代の治水事業の名残の溜池で、現在では釣り人で賑わってる。
公園内の緑に覆われた遊歩道を散策しながら、中央の噴水広場を突っ切り、メタセコイヤの森とポプラ並木を見ようと公園の中に歩みを進める。公園管理事務所の前から、大陶器市が行なわれていてテントが何張りも並んで店を出している。何処から来たか、かなりの人が陶器市に群がっている。陶器市の隣では物産販売が行なわれている。
さらにその隣は飲食コーナーとなっている。地酒の銘酒も置いてある。八丈島の地酒も置いてあり、その場で飲む事もできたが、昼間から焼酎を飲む気分ではなかった。はなしょうぶ園からかなり離れていて陶器市までは来ても物産販売や飲食しに来る人はほとんどいない。12時を過ぎていたが飲食コーナーで食事をいている人は一人もいなかった。公園の管理事務所もう少し客の集まりそうないい場所を提供してあげればいいと思った。
飲食コーナーが途切れた所からメタセコイアの森が広がっている。メタセコイアは中生代白亜紀以降、とくに新生代第三紀の時代には北半球各地に広く分布していた。日本でも第四紀前半まで生存していた。現生種は「生きている化石」(遺存種)の例として有名となった。これだけの植栽に成功したということの中にはかなりの労力と管理が必要だったろう。
メタセコイアの森を散策し、ポプラ並木を通って公園の奥に進んで行く。ポプラの木に貼ってある表示に「西洋箱柳」と書かれていた。初めて聞く名前だ。何故箱柳というかというと幹、枝の材で「箱」を作ることからだそうだ。命名が面白い。ポプラ並木が終わり、冒険広場とバーベキュー広場の間の道を抜け公園を後にした。
メタセコイヤの森生きている化石と呼ばれているメタセコイヤ約1,800本が生い茂る都内最大級の森。高さ約20mのメタセコイヤの巨木の森は、都会の喧噪を忘れさせる。秋は森全体がオレンジ色に染まる。
ポプラ並木高さ20mのポプラが約1.2km続く並木道。春の新緑、夏の濃い緑、秋の黄色に染まる紅葉、どの季節も歩くだけで気分爽快。

水元散策コースの中に、熊野神社と日枝神社が記載されていたので、水元公園のバス停に向う途中にあったので寄ってみた。熊野神社の鳥居の横のタブノキは珍しい形をしている。日枝神社の山王鳥居というのはどういうものかと思って行って見た。赤坂の日枝神社の特徴的な鳥居と同じ形のものが正面に立っていた。水元の日枝神社も赤坂の日枝神社と何らかの関係があるのではないかとは思う。
熊野神社旧水元小合新田の鎮守。室町時代は「小鮎(こあゆ)」と言っていた。戦国時代には「小鮎」が転じて「小合」になっている。熊野公園に隣接しており、境内社に富士浅間社がある。区指定天然記念物のタブノキがある。

熊野神社拝殿 タブノキ
日枝神社旧上小合村の鎮守。数少ない山王鳥居が特徴的だ。

日枝神社境内 拝殿
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