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『モモ』 ミヒャエル・エンデ作

1月8日(火)
『モモ』を読んで

1106870.gifあらすじ
 町はずれの円形劇場跡の迷い込んだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が 忍び寄ります…。時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語。人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う。(本の紹介分より)

『モモ』から
「仕事が楽しいとか、仕事への愛情を持って働いているかなどという事は、問題ではなくなりました-むしろそんな考え方は仕事の妨げになります。大事なことはただひとつ、出来るだけ短期間に、出来るだけたくさんの仕事をすることです。

 大都会の北部には広大な新住宅街が出来上がりました。どの家も全部同じに作ってしまうほうが、ずっと安上がりですし、時間も節約できます。そこにはまるっきり見分けのつかない同じ形の高層住宅が見渡す限りえんえんとつらなっています。時間をけちけちすることで、・・・自分たちの生活が日ごと貧しくなり、日ごと画一的になり、日ごと冷たくなっていくことを、誰一人として認めようとはしませんでした。

 でもそれをはっきりと感じ始めていたのは、子供たちでしたというのは子供と遊んでくれる時間のある大人が、もうひとりもいなくなってしまったからです。

 けれど時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは人間の心の中にあるのです。人間が時間を節約しようとすればするほど、生活はやせ細ってなくなってしまうのです。」(『モモ』p94~95より 大島かおり訳)


時間とは生活
 時間に関していえば、金持だろうと貧乏だろうと1日24時間という条件は平等であり、その24時間をどのように過ごすかを決定することは、すなわち自分の生活(生き方、人生観)を決定することなのである。

 しかし現在の多くの人の生活は「余分なものの一切ついていない」ものになってしまっている。一般受けするような同一住居だけを作って、それを売りさばいてゆくのが「効率的な」方法ではあるが、それでは各自の望む居住生活は達成できない。時間の節約にむきになるあまり、自分の生活を節約してしまった結果として、どんどん貧弱なものとなっていってしまう。時間の奴隷としてこき使われていることに気がつかないまま日々過ごしている。

子供たちにとって
 子どもたちの中でも異変が起きる。「自分で空想を働かせる余地がまったくない」子どもたちが増えてくる。彼らの持っているおもちゃは、確かに高価なものではあるが、「遠隔操作ではしらせることのできる戦車-でも、それ以上のことにはまるで役に立ちません」「細長い棒の先でぐるぐる円をかいて飛ぶ宇宙ロケット-これも、そのほかのことには使えません」「目から火花をちらして歩いたり頭をまわしたりする小さなロボット-これも、それだけのことです」であり、どれにしても創意、工夫の入り込む余地がない。
 
 彼らはやがて自分が実際にしていることは踊らされること、すなわちおもちゃに遊ばれていることを発見し、退屈してしまうのだ。前より収入は増えたものの時間がない親は、子どもたちのためと思っておもちゃを買い与えているのだが、これこそが逆に子どもたちから自由な想像力を奪い、ただの社会のあやつり人形にさせられてゆく過程なのだ。
 
 子供にとっては贅沢をさせるのではなく、本当に命のある食べ物、暖かい愛情、心の自由さ、一生宝となるような美しい自然、絵、音楽、話などに触れる機会などが何よりも必要なのだ。子供の頃にこういった人間の基礎となるもとのものを、可能なかぎり与えなければならない。子供の頃の嬉しかった思い出はそれ自体、お金で買えるものではなく、将来困難なことに出会ったとき生きる励みになるものだ。

生活の便利さと時間の価値
 現在の科学技術のおかげで、家庭は電化され、移動や通信に時間が短縮し、調べ物をするにも図書館ではなくインターネットでたやすく間に合わせることが出来る。それが当たり前になってしまうとそれで節約したはずの時間の意味を忘れて、本当に自分のためになる時間の使い方がどういったものか忘れてしまう。

 そして自分の生活を本当に豊かにするには何をすればいいか考えることも出来なくなってしまい、マスメディアに踊らされ時間の中を右往左往するだけになってしまう。結局そういった人間の態度が、自分のために使えるはずの時間を他人に使われてしまっているのではないだろうか。

 時間とお金に呪縛され、美味しい食事をゆっくりと味わったり、人との会話を楽しんだり、自分の体と心が満足することに時間を割けなくなってきている。人間や食べ物、自然、己の人生についてゆっくりと考える余裕がなくなってしまう。

 自分で考えるという面倒なプロセスを踏むことを放棄し、現在社会のシステムの中で働き、家を買い、買い物をし、食事をし、余暇をすごすことで、ほとんど奴隷かもしくは牧場の中の動物のようになっているのではないか。なにが幸せかということを対象化せず、おしつけの幸せ像を植えつけられ、それにしたがって人生を選択していってしまう。

現在社会の情景
 現代人にとって「時間がない」が合言葉のようである。慌しい毎日。仕事の誇りをも捨て、不正が横行する社会。生気を失う人々があふれている。

 ある少年が言った「夜、電車の中で、生気のない目をして、疲れきった人たちを見た。ゾンビの集団のようで、怖くなった。初めてみた光景だった。朝、通勤電車の内。死傷者を伴う接触事故が起こり、電車が遅れると、周りの人たちは、イライラしながら腕時計に目をやっていた。自分はそんな大人になりたくない、と思った。」

 現代社会の生産第一主義、効率主義の労働過程は、正社員、下請け労働者ともに使い捨て労働としてとことん働かせ、過労死、過労自殺に追い込んでいる。時間の節約を強制され、時間に心を入れることができない大人達は作業効率に縛られながら追いまくられる日々をようやっとこなしている。

 その結果、イライラし、周りに目を向ける余裕もなくなり、そして生きる実感が持てなくなってしまう。自分の子供とさえも、関心を持つ時間、一緒に過ごし一緒に遊ぶ時間を奪われていってしまっている。

 気が付いたら時間がない。不思議だ、一日は同じ24時間のはずなのになんでこうも時がはやく過ぎ去っていくのだろう。多くの人がこう感じているのではないか。どうやって自分の時間を取り戻すのか。それは自分の置かれた状況を捉え返し再認識する所から始まるのだろう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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