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八鹿の親戚の所に行く

9月18日~19日・八鹿にて
 家の2階の床と壁紙の張替えをする事になって、工事が始まるとしばらくは風呂場とトイレが使えなくなるということで、再び出かける事にした。山陰線の八鹿駅から歩いて5分位の所に親戚の家がある。11時近くの新幹線に乗り京都で特急きのさき5号に乗り換え15時半に駅に着いた。迎えに来てくれた車で家まで行く。

八鹿に行くのは10数年ぶりだろう。おそらく行くのはこれが最後だろう。法事とか結婚式とかなければ親戚の人に会うとか、行くとかいう機会はない。最近そういった機会が無く会うこともなかった。結婚式はあったが、仕事が忙しい時に重なって行くことは出来なかった。

親戚に家に行ったからといって特に何かをするわけではない。近況報告などはお互い30分もあれば終ってしまう。書斎にある蔵書から面白そうなものを引っ張り出してきて読んで時間を潰す。

 次の日は泊まった家の主人の姉の所に行った。その亭主であるN氏が素人の郷土史家のような事をやっていて、八鹿町八木にある今滝寺を案内してくれるという。まず彼の家で30分位今滝寺(こんりゅうじ)と今滝村(いまたきむら)の歴史についての講釈を受けてから、出掛けた。養父市教育委員会が今滝寺について重要文化財の写真入でパンフレットを出している。N氏は高校の教師をしていて校長にもなったが、定年退職後縁があって今滝寺に関わる事になった。

今滝寺は、八木城主八木氏の菩提寺で、1069年(延久元年)に創建したとされる。かつては観音堂(本堂)を中心にして九院三坊の寺院があった。現在は本堂と仁王門が残る。寺は、国道から10分ばかり車で急坂を登った所にある。途中左側に曲がる道に八木城址登山道という看板が目に入る。寺に行くには真っ直ぐ急坂を登って行く。

N氏は成人になって家を離れるまで、住んでいた家のすぐ傍に今滝寺があった。今滝寺の周辺は今滝村といって、何件もの家があり村落を形成していて、田んぼや畑が山の斜面を利用し作られていてそこで生活していた。やがて時が経過し、村落の人は段々と減り、残った人ももう少し生活のし易い国道沿いに移っていって、結局村落は消滅してしまった。

寺は誰も住む人がいなくなった時もあるといった寂れ方だった。しかしすぐ傍に住んでいたといったことで愛着があり、何とか寺を建て直したいという気持ちで、定年退職後時間はあるので、住職と相談しながら寺の再建について話し合った。

■ 今滝寺には、鎌倉時代から安土桃山時代までの約350年間に制作された仏教絵画が多く保存されていた。さらに特に重要なのは、弁財天像で、丁寧な筆致には崩れることがなく、制作は14世紀にさかのぼるという。弁財天に加えて毘沙門天が描かれている。弁財天と毘沙門天が七福神に加えられ、福徳神が集まりつつある時期の全国的にも貴重な絵画である。

こういった歴史的に貴重な文化財を山の中の寂れた寺の中において置くのは物騒だし、観に来る人もいない。そこで、姫路の国立歴史博物館に収め陳列してもらう事にした。特にこの寺にある「鰐口」(神殿や仏殿の軒先などにつるす円形・中空で、下方が横長にさけている銅製の具。その前につるした太い緒で打ち鳴らす)は1416年(応永23年)の寄進で、圏線が細く、繊細の鋳造がなされている。これを風呂敷に包んで姫路の博物館まで持っていったという話をした。20万円位の別の鰐口を買って本堂にはそれを吊るしてある。

歴史博物館に移動した今滝寺の仏教絵画などは極めて貴重なものであり、県指定文化財として鰐口、木造金剛力士像、十六羅漢図(九幅)、孔雀明王像(一幅)、弁財天像(一幅)、両界曼荼羅図(二幅)が指定された。

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 幾つかある滝の一つ                    今滝寺本堂

■ 車で急坂を登り10分位で今滝寺に着いた。途中幾つかの滝が流れている。雨がかなり激しく降っている。文化財の多くは姫路に持って行ってしまったが、古い仁王門は古色蒼然とした姿を表し、特に雨の中で見ると長い風雨にさらされた歴史を感じさせる。

「今滝寺(守任山)の仁王門の「木造金剛力士蔵」は、体内の墨書銘から1257年(正嘉元年)に制作されたもので、仏師は阿形像が澄玄、吽形像が淡路公と判明した。彫刻は素朴かつ重厚で地方作と思われるが、鎌倉時代中期の力強い力士像である。口を閉じた吽形と口を開けた阿形の2対である。」と仁王門前の案内板に書かれていたが、これ程古い仁王像はめったに見ることは出来ない。(金剛力士像の写真は「但馬情報特急」より)

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 仁王門                             熊野神社

仁王  仁王2
 金剛力士像 口を閉じた吽形             口を開けた阿形

今滝寺の裏手の石段を上ると熊野神社がある。これも崩れそうなほど古い。熊野大権現(和歌山県の熊野大社)が本山で、権現さんと阿弥陀如来を祀っている今滝寺村の神社であるが、誰も管理者がいないのか荒れるに任せているといった感じだ。

■ 帰り道、道々見える小高い丘に八木城址がある。N氏は八木城についても色々解説してくれた。通り道にある桑畑が八木氏の屋敷があった所だそうで、今発掘作業を行なおうとしている。国指定文化財データベースには八木城について次のように書かれていた。

「八木城は、中世但馬きっての豪族八木氏の城跡で山陰道に面した八鹿町八木の集落の後方の山上にある。八木の地は古来より但馬と因幡を結ぶ交通の要衝の地で、この一帯は中世には日下部を本姓とする八木一族の支配するところとなっていた。さらに初期穴太積による高石垣は、類例の少ないきわめて貴重なものである。これら、この城のもつ歴史的性格と遺構のもつ特色はきわめて重要であり、この城跡を史跡に指定し、その保存を図るものである。」

966_convert_20110923204019.jpg 八木城址のある丘

(参考資料: 但馬情報特急、国指定文化財等データベース)

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