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Y氏からのレポート 那須・北温泉

Y氏よりの投稿
「もうやめよう、攻撃だ、防御だというのは」とあるロックバンドの演奏者が言った。しかしぼくはそういった文章ばかりを、これまでずっと書いてきた。自分に楽しい文章をこんなに書くのは初めてだよ。北温泉のレポートを添付します。(Y氏からのメール)

Y氏の北温泉の旅行報告が送られてきました。私の文章はどちらかというと記録を中心とした文章なので味も素っ気も無いものになってしまいがちです。その点Y氏の文章はユニークな発想法で感想を中心に書かれています。旅行の様子、その日常性が手に取るように感じられ、どういった旅行かを読む人により一層理解させるのに役立つ文章だと思いましたので掲載します。

無題

八月も終わりに近づき、1週間ほど前からツクツクボウシが鳴き、夕方にはヒグラシの鳴き声が加わる。
小学生だったときのこの頃、ぼくの頭は夏の思い出でいっぱいだった。一泊だけだけど家族みんなで行った逗子の海水浴。名栗川のハイキング。母がパンに胡瓜とマヨネーズと挟んでくれた。その美味しかったこと。虫採りで熱中症みたいになった昼、赤や緑の麺が混じっていた冷麦の冷たかったこと。青い空、白い雲、遠い水平線、沢山の夏の思い出。だが、それももう終わる。学校が始まってしまう・・・。哀しかった。(結婚後、奥さんに聞いてみたら、彼女は、「学校が始まるのが待ち遠しかった」と言った。)

だがあれから50年が過ぎ、ぼくはいま、このときを待っていた。夏休みは終わり、人々は日常に、職場に、学校に戻る。さあ、温泉に行こう!今回は友人H君との2人旅だ。彼とは学生時代、札幌ラーメンの出前のバイトを3年間くらいやった。それ以来の付き合いである。H君から電話がかかってきた。

ぼく「いよいよだね」
H君「いよいよだ」

秘湯を探す
全国に温泉地は3千8百か所あり、温泉施設は約1万9千軒あるという(日本温泉遺産を守る会代表・野口悦男『認定・温泉遺産』kkベストセラーズ.2007年刊による)。その中のどこへ行くか。「秘湯」である。秘湯とは「めったに人の行かない山間の温泉」ということで、朝日旅行創業者・岩木一二三氏の昭和50年の造語だそうだ(日本秘湯を守る会のHPによる)。道理でわが家の昭和49年刊『広辞苑』に「秘湯」の項目はない。

どこに泊るか。豊国館の経験から、「自炊もやっている宿」である。
選択に当たって大切なのは、「脱・都会性」と「鄙び性」。当然、温泉街は除かれる。大ホテルがあるのもだめだ(この点、豊国館は残念なところがあった)。○○閣とか○○楼というのは論外。次に、まあこれは付随的なことだが、一泊2食で1万円以下、できれば8千円以下ということ(要するに安い宿ということじゃないか)。自炊を受け入れる宿は、ほぼ自動的にこれらの基準を満たす。

選定過程の詳細は割愛する。栃木県の那須・北温泉旅館に9月12日から3泊の予約を入れた。東北新幹線・那須塩原駅からバスで50分、那須岳登山ロープウェイ停留所手前で乗り換えて3分、北温泉入口停留所で下車し、徒歩1700m。標高1650mの谷あいに北温泉はある。

北温泉129_convert_20110924230527 北温泉旅館入口

宿は北温泉旅館1軒だけ。創建創業は1850年代の安政期で、その後、建て増しされて今に至る。宿泊料金(一泊2食)は、安政期建築の「松」7500円、明治期の「竹」8500円、昭和期の「梅」9500円。自炊の人には安政期の建物が提供され、4500円くらい。

那須・北温泉旅館
「昔の建物のほうが高そうなものだけどね」と訝しみつつ、ぼく達はニコニコと「松」を選んだ。
(以下、画像は北温泉公式サイトHttp://www9.ocn.ne.jp/~kitanoyu/をご覧いただきたい。)
源泉は建物脇の崖40m位の高さから湧き出している。

北温泉081_convert_20110924230435 滝として流れ落ちる温泉

温泉分析書によると、湯温56度。泉質は無色無味無臭。浴場入口には「アルカリ泉なので石鹸を使わないで下さい」とあるが、pHは6.5。温泉法(昭和23年7月10日法律第125号)はpH8.5以上をアルカリ泉としており、6.5は「中性」で、「単純温泉」である。「温泉成分効果は期待できないが、皮膚の弱い人には温熱浴で細胞や毛細血管などの新陳代謝にいい」(前出・野口210p)という。H君は「最初、入ったとき、皮膚がピリピリした」といったが、新陳代謝が始まったのだと思う。湧出量は「毎分481.2ℓ(自然湧出)」、これは凄い! 1分間に1升瓶267本です。1時間に4斗樽400個の湯が湧き溢れる。 

浴室は安政期からの混浴のもの3室-内訳は、浴槽5×3mで大天狗のお面3ケが壁に掛かかる「天狗の湯」、源泉が3mの天井から降り注ぐ「打たせ湯」、浴槽の一部がベット状にしつらえてあり施錠できる「家族湯」。現認できなかった女湯1。より新しいと思える露天風呂が男女別各1(男用の浴槽は直径4m弱)。加えて8×12m(これは大きい!)深さ1mの温泉プール。その脇に茶室を思わせる男女別浴棟。計9棟。すべて源泉かけ流し。

旅館全体が浴槽から溢れて流れる湯の中に佇んでいるという風情。湯は旅館の脇、那須山塊・朝日岳の沢水を源流とする幅10mの毘沙門沢に流れ込む。ごうごうと渦巻き流れる5段の砂防ダムを見下ろす露天風呂は「河原の湯」と名付けられているが、「滝壺の湯」が相応しい。秘湯でしょう? とにかく珍しいことがいろいろあって、その規模が大きい。ここまで書いてきて、なんか疲れてしまった。

北温泉075_convert_20110924231849 天狗の湯

ぼくの秘湯経験は豊国館とここだけだが、共通するものがある。
浴槽の排出口: 源泉が注ぐ浴槽の反対側(湯尻といいます)に幅10㎝深さ2㎝程の排出口が切り込まれていて、湯に落ちた枯れ葉や虫や塵を流し出す。浴槽が大きいと切り口はやや大きくなるが、とても大きくはならない。
自炊室:造りは長方形。眺めのいい窓に面して調理スペースと流し。北温泉は厳選を蛇口からかけ流し。反対側にガスコンロが並び、壁面の棚に調理器具と食器類がいっぱい。電子レンジ、オーブン、炊飯器、冷蔵庫。北温泉には洗濯機も。洗剤1回分30円。あとはみ~んなタダ。

食事は「松」の大広間でいただく。囲炉裏が切ってあり、安政の雰囲気はいいのだが、板の間で座布団一枚はつらい。ぼくは、足の長さとか太さに問題があるのか、胡坐をかくと後ろにひっくり返りそうになる。正座すると、即、痺れる。やむなく、横っ座りしたり立て膝したりで凌いだが、H君も苦しんでいたようだ。次回からナップザックに枕2ケを詰め込んでお尻に敷くことにした。

ぼく「お葬式で、親族なんかは大変だよね。お客の手前、正座しないといけないから。お焼香になって、柱につかまっちゃったおじさんがいたよ」
H君「お寺は随分前から椅子になってるよ」
ぼく「痺れを越して感覚を失った状態は危ない。立ち上がろうとして足首を骨折した人もいるというよ」
H君「うちの奥さんはダイニングに座布団を敷いて炬燵机で食事するの。このあいだふわふわの座椅子を買ってきた。ぼくは横のテーブルと椅子で食べてる」
ぼく「鍋物のときはどうするの? そういうことから夫婦の亀裂が広がるんじゃないの」
H君「ははは」

ぼくたちは年金生活者で、家計の主たる担い手は若い(といっても1,2歳だけど)正職員をしている奥さんたちである。彼女らに離縁の口実を与えてはならない。今度、ぼくがH君宅を訪問したときには、ダイニングの隅に枕を詰め込んだ袋1ケを見るだろうと思う。
初日の夕食は、岩魚の塩焼き、トンカツ、茶碗蒸し、きんぴら牛蒡、風呂吹き大根、吸い物、香の物であった。銘々膳に乗りきらない。きんぴら牛蒡は割り箸くらいの太さだ。

H君「ぼくはきんぴらの牛蒡はササガキにしてたけど、このくらい太いと楽だな」
ぼく「牛蒡と人参の味がしっかり味わえるね」
主夫としての二人の会話は、短くとも内容あるものになる。

温泉心得

秘湯経験は10日にもならないが、ぼくは入湯の要領・作法を感得しつつある。さらに磨きをかけて「温泉人(オンセンニン)」を目指したい。「人(ニン)」には、「道」への奉仕一途の人というニュアンスを感じる。例えば、時代小説作家・隆慶一郎氏は「いくさ人」を造語し、「いくさ人・直江兼続」「いくさ人・秀吉」などとしている。「温泉人」はぼくの造語。ともに『広辞苑』に項目はない。

心得 其の一
 タオルは鉢巻きにすること:タオルの扱いにはみんな困っている。
湯の中で顔を拭ったり、浴槽の縁に置いたりするのは温泉人の最高禁忌「湯を汚していはけない」に触れ、顰蹙をかう。洗面器に入れておいたりすると、局部を覆うなどの急場に慌てる。鉢巻きにするとこれらの問題は生じないし「いなせ」でもある。温泉場のペラペラのタオルは鉢巻きに丁度いい。困るのは、湯上り時に、鉢巻きにしているのを忘れ、一瞬うろたえて悔しい思いをすること。今回もそういうことが3回あった。今後、そうしたことのないように努力したい。

其の二 空いている時間に入ること:混んでるときに流しに寝そべったりすると「トド状態」などと嫌がられる。大体、混んでいる時には、ゆったりした湯との対話などできない。満天の星、吹き渡る谷風も楽しみにくい。空いている時間に入るのがいい。具体的には、①早朝3時半-起きている人はまずいない。長谷川周平の時代には、盗賊が押し入る時間だ ②朝8時-宿泊客がチェックアウトを始め、日帰り入湯者はまだ来ない ③12時半-みんな昼食休憩中 ④午後5時半-日帰り入湯者が帰り、チェックインした宿泊客は夕食のために部屋で待機している。

其の三 空いている日に泊まること:上記対策も、人でごった返す日、期間にはあまり効果がない。温泉行はシーズンオフの月~木曜を選びたい。今回はシーズンオフだった。2日目の火曜日、40数室に泊り客はぼくたちと2・3組の自炊客だけになった。自炊の人は自室で食事する。安政の暗い大広間で2人だけの夕食は淋しい。宿の人は夕食を部屋に運んでくれた。

其の四 朝湯の後は外に出ること:入浴はカロリーを消費するというが、ご飯を美味しく沢山いただき、かつ太らないため、歩こう。秘湯の周りは自然がいっぱいだ。朝湯の後に野山を散策しよう。帰館後には秘湯で汗を流す。午後は読書と午睡。 何という豪奢! 王侯の暮らし! 

だが、このことは公言すべきではない。ここ数年、政府・支配階層は、世間特に若い人たちに年金生活者への嫉視を煽り、双方からの収奪に奏功しつつあるからだ。古人の警句「俗耳、俗論を容る」もものかわ、先日、山口二郎・北大教授は東京新聞「本音のコラム」で団塊年金生活者=金満論を開陳されていた。ぼくは言いたい。「ぼくたちが携わっているのは、魂の豪奢の探求なのです」。

其の五 浴衣を見くびらないこと:自然観察路から帰館し、帳場の前の自販機で飲み物を物色していると、「日帰りのお客さんですか?」と刺々しい声をかけられた。通いのパートの女性だ。おどおどと「あの、昨日から泊まってるんですけど」と言うと、「あら、失礼しました」と「宿の人」の笑顔になった。帳場を通らない不埒な日帰り入湯者がいるらしい。こんな目にあわないよう、館内では浴衣を着ていたい。宿泊客は、騒がしい日帰り入湯者達からも一目置かれる(置かれてどうする)。

温泉ではみんな裸だ。混浴だらけの秘湯では、女体の一部(客観的表現だか、なんかよくないかもしれない)さえも目に入ってしまうが、犯罪にはならない。誰もが裸に慣れていく。しかし、浴衣の前や胸をはだけたりするのは温泉人として慎みたい。

那須自然観察道、那須岳(茶臼岳)散策-「数式で考えるべき」こと
2日目、3日目の午前中は標記のトレッキングにあてた。
出発に際しH君が言うには、「持病のため服用している薬の副作用で、赤血球と酸素を運ぶヘモグロビンが3分の1減少し、あと10%減ると入院・輸血が必要になる。従って激しい運動は困難なので、とりわけ登り道では気にせずに先に行ってほしい。」
那須観光協会刊のトレッキング・マップにはルートごとの所要時間が細かく書いてある。ぼくは記載所要時間にその3分の1を上乗せして歩くことにした。記載所要時間が60分なら80分を目安とした。

北温泉046_convert_20110924230404 茶臼岳山頂

最終日の帰途、北温泉入口バス停への風景には飽きていたのでこの問題を考えた。「時速6㎞の自転車が60分かかる距離を時速4㎞の自転車は何分で走るか?」
2台が同時にスタートし、時速6㎞の自転車は6㎞を60分で走る。一方、時速4㎞の自転車はあと2㎞走らねばならず、それには30分かかる。合計90分! 80分ではなかった。

日常的思考ではなく、反比例の数式「60分×3/2」を用いるべきだったのである。
救急車-入院-輸血の事態を招きかねなかった。危ないところだった。「数式でものを考える」ことの大切さを教えられた。H君にはこの場を借りて謝りたい。

そのほかのこと
初日9月12日は中秋の名月だった。風に飛ぶ雲間の月を、早朝3時半の温泉プールから見上げて過ごした。万座の初日8月15日も十五夜だった。
安政の客間「松」は木と土壁で堅牢だし施錠もできる。6畳間は2人にはやや狭く、天井は身長166cmのぼくの手が届く程、低め。だが、見たところ、より広い竹と梅を選んでいる宿泊客はいなかった。
各浴槽の窪みには藻が生えている(トロロ昆布状であって、ワカメ状ではない)。ぼく達と同年輩に見える目元の涼しい女将さんは、「藻が生えていて掃除してないと思われるんですが、プールは週1回、他は週2回、午前中に掃除するんですよ」と涼しい声で言った。ぼくは清掃の模様を見たかったのだが、散策に出ている間に行われたようだ。

館内の自販機でアサヒドライ350ccを350円、500ccを500円で販売。淡麗生はなかった。

他に書き留めておきたいことは多々あるが、既に紙数も尽きた(誰が紙数を決めた?)。ここでレポートの筆をおく。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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楽しんで読みました。

お二人の旅に私も仲間入りした気分です。
温泉はいい~。

レポートの
少しエロスあり、
離縁対策あり、
ケチケチありで
花まるです。

このブログも
Y氏のレポートも
私は気に入って好きです

生きている意味が沢山伺えます。

生きている意味

まりこぶさん、温かいコメント有難うございます。Y氏もこういった感想が聞けると書いた斐があるというものです。「生きている意味」を見出しながら日々を過ごしているわけではありませんが、それ程長い命ではないので、日々を精一杯生きていく外ないのです。

もちろんそれは楽しい思い出を心の中に刻み込んでいく作業でもあります。やりたい事を無理をせず淡々と行いながら、日々の生活を一歩一歩自分の記憶として蓄積して行くそういった生き方をしていてしているわけです。ブログは、日々何を行なったのかの確認のための作業のようなものです。
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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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