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健康ぶんきょう21講演&対談「いのちを想いあう」

9月25日〈日)
健康ぶんきょう21講演&対談「いのちを想いあう」
~つよくてあたたかくてやさしい日本へ~


13時から文京シビックホールの大ホールで、文京区、公的骨髄バンクを支援する東京の会主催で「いのちを想いあう」と題して集会がもたれた。定員1,000名の会場で応募多数の場合は抽選となるとあったが、実際に参加者は500~600人位だろう。

東日本大震災があり、多くの人が今までの価値観を考え直さなければならない状況の中で、いのちの大切さを改めて自覚する時であり、人の優しさ、暖かさが必要とされている時なのである。そういったことを講演や対談の話を聞く中から感じとってもらいたいというのが集会の趣旨である。

第1部 鎌田 實さんの講演

最初に司会から鎌田さんについて紹介される。彼は現在諏訪中央病院名誉院長であるが、医師として長野県の地域医療を支える一方で、災害の医療支援活動や、チェルノブイリやイラクの救援活動など、幅広い活動を通じて「いのち」の現場に接している。今は東日本大震災の被災者のための活動に従事している。

鎌田さんの話
人生も日本の経済も波である。激しい時も、穏やかな時も色々な姿をとる。若い時に諏訪中央病院にやって来た時には、病院は老朽化し、4億円の累積赤字を抱えていた。なんていう所に来たのだと思ったが、人生は波だ、うまく波に乗って行く外にない。ということで腰を落ち着け病院の改革に着手した。

私の活動は国内のみならず、チェルノブイリでの原発被災者の医療活動を行い、日本から何億円もの医薬品や医療機器を送った。又イラクでは劣化ウラン弾でがんになる子供たちがいる。イラクの子供達への医薬品も大幅に不足している。ここにも何億円もの費用がかかる。日本での活動は彼らに医薬品を送るための金集めがかなり主体とならざるを得ない。名の知れた演奏家に頼んで演奏したものを吹き込んだCDを売っての金集めも行なった。1億円集まった。

私の発想法は、患者が何を求めているのかを知ろうとする前に、自分が患者だったらどうして欲しいかを考える。全てにおいて自分だったら何をして欲しいかから出発する。10年以上も介護を続けている主婦は確かにいる。しかし普通の主婦だったら3、4年が限界だ。それ以上は精神的に難しいだろう。そこでディサービスという制度を考え出した。週何日か朝車で迎えに来て老人ホームなどで日中は皆と和気藹々と過ごし、夕方家に送ってもらって帰ってくる。主婦はその間自由な時間が持てるし、老人も仲間が出来て楽しい時間が過ごせる。

東日本大震災の避難所に行った。彼らは何をして欲しいのか。温かいものを全く口にしていないということだった。そこで知り合いに頼んでお湯で温めればいい大量のレトルトのおでんを持ってきて振舞った。それにビールを差し入れた。被災者の漁師は言う「今まで家族にも先立たれ死ぬことばかり考えていた。しかしおでんとビールで少しは生きる気力が出てきた。漁に出られたらもっと元気になれるだろう」と。

またずっと風呂に入っていないということだ。中には津波で海の水を被ってその服をずっと着ている人もいた。知り合いと協力して1000人風呂プロジェクトを立ち上げた。風呂を様々な所に作る事になった。暖かいものを食べ、お風呂に入り生きる元気が出てくる。まさに人の温かさも含めて温かさの連鎖がそこに存在する。

フロイトは言った「働く場がある。愛する人がいる。この二つがあればどんな困難な時でも生きていける。」

「いのちを想う」とはどういうことなのか。いのちをつなぐとはどういったことなのか。鎌田さんは彼の知り合いの人に起こった出来事を語る事によってそれを示そうとした。

1、1968年のプラハの春はソ連の戦車によって鎮圧された。1988年のチェコで知り合いのチェリストが改革思想の持ち主だということで逮捕された。彼の妻は小さい子どもを抱え生活に行き詰っていく。知り合いも親戚も彼女との関係を避ける。自殺を考えていたある時一通の封書が届いた。その中には激励の言葉とカンパが入っていた。その人の住所を訪ねたが封書に書いてあった住所は架空のものだった。彼女との関係が明らかになれば自分も逮捕されかねない。

しかしその手紙は彼女を元気付けた。一人でも自分の事を理解する人がいれば生きられる。彼女は自殺を思い止まり、生きる気力を取り戻すことが出来た。

2、諏訪中央病院に入院していた50歳の女性患者がいた。彼女は末期がんで余命数ケ月しかなかった。彼女は夫とフランス料理店をやっていた。「いつかまた料理を作りたい」それが彼女の唯一の願いだ。鎌田さんは病院の調理場を彼女に貸してあげるよう病院の調理担当者と話をつけた。自分の店からテーブルクロスを持ってきて、ボランティアに手伝ってもらって作りあげた料理を皆に振舞った。メインディシュを作る予定日の前日に彼女は死んだ。

夫は言った。いい時間を与えてもらった。どんな料理を次に作ろうかと考えている時ほど充実した時はない。やりたいことがあることほど幸せなことはない。彼女の最後にそんな時間を持てたことは彼女にとって何にも増して意義のあることだった。

3、被災地で両親を震災で亡くした息子と話をした。彼は言う「多くの行方不明者の人の遺体が見つからないでいる。運よく見つかった。また両親の死体は寄り添っていた。一緒に死ねた。大酒のみの父親は死ぬ時は家で死にたい、と言っていた。それがかなった。」こういった発想法は重要だ。ほんのちょっとでもいいことを探し出す。それで、絶望の淵にいても生きることが出来る。

4、スキルスがんで余命3ケ月といわれた婦人が、娘の高校の卒業が6ケ月後にあるのでそれまで生かして欲しいと医者に言った。医者は困ってしまったが、その婦人は娘の卒業式まで生きた。さらに年子の娘がいて1年後に高校を卒業する。その時まで生きていたい、その思いが通じてか、余命3ケ月と言われてから1年8ケ月生きた。子どものために生きたいという母親の願いの強さを見た。子供にいのちのバトンタッチをしたという感じだ。

5、「雪とパイナップル」という童話を書いた。これはチェルノブイリ原発事故の救済活動で知り合った少年とその家族をつづった絵本である。アンドレイという少年は原発事故に関連して白血病になり、骨髄移植をしたが敗血症にかかり、ほとんど物を食べられなかった。母親が何か食べたい物があるかと何度もアンドレイに聞く。アンドレイは何年か前に一度だけ食べたことのあるパイナップルを思いだし母親に言う。母親は厳寒の2月何処にもパイナップルなどないと諦めた。

その話を聞いた日本人の看護師は、少年のために極寒の中、パイナップルを探し歩いた。町の何処の店にも置いてなかった。しかしその話を聞いた町のある人が自分の持っていた缶詰のパイナップルを提供してくれた。そのためかどうかは分からないが敗血症は徐々に良くなり治った。しかし10ケ月後白血病が再発しアンドレイは帰らぬ人となった。家族今でも看護師への「感謝」の気持ちを忘れない。

現在白血病の治療は進歩しており、安心して最高の医療を受けられる状態にある。こういった時こそいのちを皆でちょっとずつ支えあい、助け合うことが必要だろう。たくさんの人がいのちの現実を理解してくれれば、皆が少しずつ理解するようになれば日本は変わっていくだろう。いのちのバトンタッチ、いのちをつないでいくこと、回りが皆暖かくなる、皆がほんのちょっとでも支えあっていけるような社会を作っていこう。

第2部 ジョン・チャヌさんのヴァイオリン演奏

ジョン・チャヌさんは音楽を通じて“いのち”“愛”“平和”のメッセージを送り続けるヴァイオリニストで、JR新大久保駅での事故被害者の方々への追悼コンサートなどを行ってきた。こういった紹介に続いてすぐに演奏が始まった。

最初はエルガーの「愛の挨拶」である。これは彼の聴衆へのメッセージである。次にショパンのノクターン〈遺作〉の演奏である。「戦場のピアニスト」の話をして演奏に入る。この曲はピアノ曲だがヴァイオリン用に編曲したものはピアノ曲よりも哀愁を帯びてしっとりとした情感にあふれている。これは演奏家の心の現われだろうか。

ドボルザークの「母が教えたまえし歌」、リムジン河、さだまさしの「コスモス」と次々とトークを交えながら演奏していった。ピアノ曲や歌の曲をヴァイオリンに編曲して演奏するのもなかなかいい。感じが全く違ってくる。トークの中でリムジン河の中で語られようとしているのは、対立から和解へ、戦争から平和へ、憎しみから愛へ、絶望から希望へと希求する民衆の心だといった話をした。

ジョン・チャヌさんの提案で、演奏の最後に鎌田さんと演奏+トークをしようという事になった。鎌田さんが物語を語り、そのバックの演奏をジョン・チャヌさんがするという趣向だ。チャヌさんが演奏を始めしばらくすると鎌田さんがパレスチナでの話を始める。

鎌田さんの語る物語

私の命のリレーは6年前から始まった。そのきっかけはパレスチナでイスラエル兵に頭を打ちぬかれて死亡した少年の父親の行動にある。少年は脳死状態だったが心臓は動いていた。医者が父親に少年の心臓を提供してくれといった。私はイスラエル・敵国に心臓を渡すなどありえないと思った。しかし父親は心臓の提供を認めた。心臓は12歳のイスラエルの少女に移植された。少年と同じ年だった。

父親にどうして敵に心臓を提供することが出来たのか聞いてみた。彼は言う「溺れている人がいたら、泳げるのであればすぐに水に飛び込んで助けようとするだろう。国や宗教を聞いてから行動を起こす人はいない。12歳の少女の命が息子の心臓を必要としていた。迷ったが息子の命が他の人の体の中で生き続けてくれることがうれしい。

少女が大きくなって父親と話をする機会があった。12歳の時いつ死ぬかそのことばかり考えていた。心臓を移植してからは全く普通の生活ができるようになった。医者を目指している。医者になったらパレスチナの人への医療活動を行ないたいと言った。父親の勇気には感心する。憎しみを脇において敵に心臓を渡した。これこそ命をつなぐ行為なのだろう。

第3部 いのちのトーク〈略〉
鎌田 實さん
坂巻 壽さん(都立駒込病院副院長)
大谷貴子さん(公的骨髄バンクを支援する東京の会)
進行役:村上信夫(NHKエグゼクティブアナウンサー)

坂巻 壽さん...都立駒込病院の医師として、白血病治療や骨髄移植を通じて、日々「いのち」を救い続けている。
大谷貴子さん...20年以上前に白血病と診断され、骨髄移植を受けて「いのち」を得た。その後、骨髄移植を広める活動を通じて「いのち」の大切さを伝えている。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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マジで結婚しない奴って何なの?若い時は良いかも知らんがいつかは親も死んで一人になって寂しいぞ

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/10/19(金) 20:27:00.19 ID:xZeea+hs0 ?2BP(1000)九州の結婚式・披露宴、平均費用357万円結婚情報誌「ゼクシィ」を発行するリクルート

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なければならない。その先に希
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