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世界死刑廃止デー企画 響かせあおう死刑廃止の声 2011

10月8日(土)
「響かせあおう死刑廃止の声 2011」と題する死刑廃止集会が牛込箪笥区民ホールで2時から行われた。400名収容の区民ホールは満席で会場に入りきれない人がホールの外に椅子を並べテレビ画面で集会に参加をする状態であった。集会呼びかけ文と集会内容は以下の通りである。

「死刑廃止世界連盟(WCADP・2002年設立)は10月10日を世界死刑廃止デーと定め、世界各地で死刑廃止に向けたさまざまな取り組みがなされるよう呼びかけています。私たちは今年も死刑制度に疑問を持つ人々が共に集い、死刑に直面している人々に思いを寄せるひと時を企画しました。

今年は、死刑問題をはじめ日本社会の在り方について発言を続けてきた作家の辺見庸さんによる講演。死刑確定囚120人に行ったアンケートの報告。大道寺幸子基金による死刑囚の作品展とその講評などを予定しています。」無_convert_20111009122403

辺見庸 『たんば色の覚え書』より 「われわれは無限定な『われわれ』であるかぎり、つまり砂のような良民の群でありつづけるかぎり、国家に暗黙の死刑業務の委託をしていることにならざるをえない。あたかもゴミ処理の業務委託のように。われわれは例外的かつ極限的な『私』になることによってはじめてこの黙契からの離脱を考える出発点にたつことができるだろう。」

● 集会プログラム

報告: 死刑廃止に向う世界の動き・天野理(アムネスティ日本)
講演: 辺見庸「死刑はそれでも必要なのか」
報告構成: 「120名の死刑確定囚からあなたへ」出演:東京芸術座、協力:滝沢ロコ
(全死刑確定囚へのアンケート回答を軸に死刑囚の声を伝える)
シンポジウム: 「死刑囚の表現をめぐって」(大道寺幸子基金の発表)
選考委員・池田浩士/加賀乙彦/川村湊/北川 フラム/坂上香/太田昌国、ゲスト選考委員・香山リカ

● 区民ホールロビーで死刑囚の表現展作品展示(右の絵は風間博子さんの作品)


講演:辺見庸「死刑はそれでも必要なのか──3.11の奈落から考える」

 3.11以降皆どのように過ごしていたのだろうか。絶えず虚しく悲しい気持ちにさせられてきた。知人や友人が亡くなったり、生まれ育った所が壊滅状態になったり、死や沢山の物を失ったことが悲しいのではない。もっととてつもなく深い所で悲しい。何が悲しいのか。何かに憤りを感じる。3.11に何が起きたのか。実の所誰にも分っていない。語りえていない。腑に落ちない。だから悲しい。

飛び交っているのは美談と数字だけだ。ナショナルメモリー(国民の記憶、物語)が作られていく。危機の本当の深さ、意味、魂の居場所を語る言葉がない。個々としての危機の深さは小さな内面では捉えきれない。人間の想像を超える無限の波及性を持っている。言葉や映像が胸に差し込んで来ない。それが虚しさを感じさせる。

元に戻るかのごとき言説がまかり通る。物事の終わりを本能的に考える時、今の状況に関係できる言葉がほしい。光も影も元のものではない。しかし飛び交っている言葉は3.11以前と同じであり、3.11の深みを捉えていない。

パウル・ツェランという詩人がいる。彼は象徴主義やシュルレアリスムの流れに立ち、ユダヤ人としてナチズムの惨禍、スターリニズムの傷痕を心の奥深くに宿しながら、現代詩人の命運を生き自死した。その言葉は3.11以降の世界を明確に表現している。
 全てを変容させるものが
 ゆっくりとすり足で私の元に下りて来た。
 狂気への道を辿り行く者の眼、
 その中に全てのまなざしは流れ込む。


全て生のあるものの予感としての死、全て形あるものの予感としての崩壊、全て始めのあるものの予感としての終わり。真黒な陥没が無かったかのように、死と終わりの風景がなかったかのように語られる。境界があいまいになってくる。

 人は知から逃れることは出来ない。内面が壊れたら原点に返らなければならない。いわば初期化するということだ。堀田善衛は『方丈記私記』の中で東京大空襲を経験した心情について書いている。焼け野原に立ち尽くし飛び散った瓦礫の前で内面が更地のように平たくなった。堀田は「学徒群起、僧兵狼藉、群盗横行、飢饉悪疫、地震、洪水、大風、降雹、大火」、そして内乱が次々と起こった『方丈記』の時代を省みながら、東京大空襲について改めて考えることになる。

私の故郷は石巻近くの漁村である。故郷に対する気持ちは多くの人がそうであるように愛憎半ばという感じだ。しかし自分はここで作られてきた。グーグルの航空写真で3.11以降の故郷を見た。記憶が抉られたようにそこには何も無かった。

故郷で学校に通っていた時に高橋先生という印象的な先生に出会う。身長は180cm以上、槍投げをやっていたからか体格はいい。顔は馬面だが迫力がある。彼は群れに同化しない。群れの中にあっても離れている。教師仲間が並んでいても彼は一人、一歩離れて立つ。50年前のある日、ホームルームの時間だったのだろう。生徒たちがざわついていた。突然高橋先生は全身を震わすような声で叫んだ「思え!」と。その言葉は私の体を雷のように貫いた。

 「思え!」これこそ原真理なのだ。人として否定不可能な視点だ。「コギト」これは虚勢を剥ぎ取られた後残ったものなのだ。皆と一緒にナショナル・ヒストリーを作る必要はない。原真理「コギト」に立ち止まらなければならない。

自分で思うということ、生きる限り思う外ない。死ぬまで生きる外ない。「コギト」を支えるもの、保障するもの、明かされるもの、体現するものそれは生きているということである。自分の生と死の濃度を考えなければならない。

震災の時、ニュースでは流さないがおびただしい死体が浜辺に打ち上げられている。死体の事をCORPSEという。これは抜け殻という意味でもある。思わないもの「コギト」しないものである。言葉を奪われたものそれが死体なのだ。

 3.11に何が起こったのか。
1、人間の思考を破壊した。「コギト」を奪った。「思うこと」を許さない世界。
2、物全体を破壊した。芸術、思想、科学の全的否定。神話的崩壊、近現代が終っている事を自覚させた隔時代的災疫。
3、芝居の書割的空間の暴露。この世の中が複製であり、コピーであるその構造が明らかになった。実態を持っていない世界、リアリティを失っていたと思い知らされた。3.11までに既に欠如していたものであったが、幻影を信じていた。我々に最も欠如していたのは現実だった。
4、我々の生活から時間的連続性が奪われた。何時来るか分からない自然災害を目の当たりにして未来の何を約束できるのか。時間の連続性が内面で断たれる。

明日人類が滅びるかもしれない時、死刑判決を下したり、死刑執行を行なったりできるだろうか。行うことは英明か愚劣か。裁判員裁判で3人を殺した人に死刑判決が下された。これで6例目の死刑判決だ。そもそも死刑制度に市民を巻き込むのが目的だから死刑判決の多発は予想された。

しかし3.11のおびただしい死の中での死刑判決には怒りを覚えざるを得ない。今戦後最多の120名の死刑確定者がいる。多くのマスコミは我々の生活に何らの影響がある訳ではないのに死刑執行を扇動する報道を繰り返している。

 革新や民主主義者でも容易にファシストになりうる。どうやって変わっていったのか。今ほどファシズムが成熟している時期はない。死刑廃止論者であった千葉法相が死刑執行をした。彼女は「コギト」を否定した。死刑制度廃止からもファシズムが生じてくる可能性はある。

阪神大震災の時のあるエピソードを聞いた。焼け野原を歩く男がいる。何のために歩いているのか。期限が来たレンタルビデオを返しに行く所だったそうだ。どのような転回点があろうともルーティン・ワークは繰り返される。人は慣習の法則で、日常規則的に繰り返される生活様式を維持しようとする。

昨日脅かしの電話がかかって来た。「大震災と死刑を結びつけるのは死者への冒涜だ」と。大震災や戦争での死者は神聖であり、死刑囚は穢れているということだ。

アガンベンによれば、ローマ時代の特異な囚人「ホモ・サケル」とは、bios(ビオス、社会的・政治的生)を奪われ、zoe(ゾーエー、生物的な生)しか持たない存在であるという。アガンベンはそのような生を、ベンヤミンを受けて剥き出しの生と呼び、生政治はこの「剥き出しの生」を標的にしていると説いている。この状態は今の日本の死刑確定囚に見ることが出来る。棄民のような存在に置かれている。しかし思うこと存在することの中に貴賎はない。まず持って人を存在させよ、あらしめよ、生かせと叫びたい。何時自然災害が襲ってくるか分からない。

 2008年リーマンショックが起こったが、株安はその後絶望的に進行している。世界恐慌の只中にあるがそれを誰も暴かない。市場原理のメカニズムは破綻した。虚である投機マネーが人間を支配し、人間が市場の奴隷となった。失業が増大している。イギリスでデモ、暴動が起こり、アメリカでも反資本主義のデモが起こっている。

「荒ぶる神」の状況が現れてきている。世界大崩壊時代が到来している。デフォルトの連鎖の中で金融が崩壊している。気象変動が急速に進んでいる。人間が耐ええる気候は後30年しかもたないといわれているが実際にはその半分だろう。国家が溶けていく。全てのシステム管理が崩壊し、テロの増大、低悪性度戦争の増大、パキスタンなど核管理の杜撰さの中での核爆発の可能性など大崩壊時代の中で、どう生きるか。

『方丈記』の中では天変地異の多発が語られ、そこから無常観、末世末法思想を生み出して行く。この無常観の意味するものは、我々には自ら打ち立ててきた歴史がないということである。流れに身を任せて生きてきた。堀田善衛は3.10東京大空襲の焼け跡を見て、天皇も二等兵も難民にならざるを得ないと、階級制度の全面否定を訴えた。無常観を今までの為政者は徹底的に政治利用してきた。戦争も特攻隊もアプリオリな諦めへと導いていった。

 死刑制度は天皇制とエートス的繋がりがある。死刑制度維持の底流には無常観があるのではないか。これは意識せずとも体ごとなじんできたものである。

人は死ぬために生きているわけではない。何故死と生の中軸である死刑制度を政治は維持しようとするのかその根拠を問い詰めていかなければならない。3.11を経た現在、明日無き今を生きる我々は「思え!」に戻ることが必要である。

獄中死刑確定囚からの俳句を最後に紹介しよう。
 暗闇の 陰影刻む 初蛍
彼は蛍を見たことがないかもしれない。しかし彼の想像力は福島の原発事故による放射能の光のイメージと蛍の光を重ねて表現したのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

辺見庸氏がつむぎだす言葉には、圧倒的な迫力がありますね。
彼の本を読むと私の頭の中は真っ白、言うべき言葉があるとしても何もでてきません。

ともかく、彼のぶれない姿勢がすごい。

辺見庸の講演

辺見さんの講演内容は、多分1ケ月後位に「フォラーム90」が発行する「ニュース」でテープ起こしたものが掲載されると思います。ただ12月19日の辺見さんの講演が2月号のフォーラムニュースに掲載されたとうこともあるので、もう少し時間がかかるかもしれません。詳しくはそれを読んでもらえばいいと思いますし、またしばらくたてば形や内容をアレンジして本として出版されるかもしれません。

辺見さんの講演内容の報告記事をブログに掲載するのは、集会に行けなかった人用でもありますが、集会中にとったメモを文章化しながら再度講演内容を確認していく作業でもあります。それによって聞き流しがちな講演内容を少しでも自分のものとして吸収していくことが可能だと思っています。

No title

私も辺見庸さんの講演をブログに取り上げました。貴ブログで実に簡潔にその要点がまとめられているのを拝読し、リンクさせていただきました。これからも読ませていただきます。どうぞよろしく。

トラックバックしようとしたのですがFC2のシステムでエラーになってしまうようです。

No title

でくあんさん、始めまして。ブログを拝見させていただきました。死刑制度の問題と3.11との関連についての言及は、示唆に富んだ指摘や、色々考える参考になる深い洞察が展開されていて、辺見さんの講演をより一層理解するのに役に立ちました。これからもでくあんさんのブログに訪問したいと思います。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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