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病気になるということ

10月21日(金)
 病気になるということはどういったことだろうか。しばらく前の「東京新聞」の「筆洗」というコーナーに次のような内容が書かれたコラムが掲載されていた。

正岡子規は「病気の境涯に処しては、病気を楽しむという事にならければ生きて居ても何の面白みもない」(『病床六尺』)という境地だったのだろう。あまり暗い影を感じない。彼は短歌や俳句の改革をやり遂げ、34歳の生を思う存分駆け抜けた残像が見える。

スイスの哲学者ヒルテイは言う「河の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気は全ての人の心を掘って耕してくれる。病気を正しく理解してこれに堪える人は、より深く、より強く、より大きくなる。」

56歳でアップル・コインピュター社の創始者スティーブ・ジョブス氏が亡くなった。彼はすい臓がんの手術を受けた後も新しい商品を生み、生きた証を残した。病を得たからこそ一層豊かな着想が浮かんだのではないか。(東京新聞)

 自分が病気になったことをどう受け止めるのか。病気になる前は、毎日22時23時まで仕事をし、土日も出勤し全く休む事ができないような職場環境だった。こういった労働実態はサラリーマンにとって一般的なのだろう。その中でがむしゃらに働いていく毎日を送っていた。そのことで生きることの意味が徐々に失われていった。

こういった状況の中でがんを宣告をされた。さらに余命5年と言われた。入院後、抗がん剤治療(化学療法)を5ケ月行い、2度の移殖をした。治療は長引き移植後の体力消耗で休職期間の1年が過ぎ職場復帰は出来なくなった。その時から今までの人生のあり方考え直さざるを得なかった。絶え間ない労働の日々から、全ての時間を自ら選択せざるをえない人生へと残りの人生を変えていくことが求められた。

病気になったという宿命は変えらない。問題はそれをどのように人生の新たな転機にしていけるか。限られた人生を自覚するということは、生きていることそのかけがいのない意味を知り、日々悔いのない人生を送りたいと思う。そういった転換ができれば人生は充実した新たな姿を見せてくれる。

 「病気を楽しむという事にならければ生きて居ても何の面白みもない」といった心境までには至らないし、「病気は全ての人の心を掘って耕してくれる」というように自分自身を豊に育んでいっているとも思えないし、「病を得たからこそ一層豊かな着想が浮かんだ」といった創造的な仕事をしているわけではない。

しかし状況に流される生き方から、自覚的な生き方への転換は、否が応でも進めざるをえない。日々の時間すべてが選択の対象となっている。その中で、自分が病気であるという事、そしてそこから敷衍する様々な痛みを単なる個の問題として捉え止めるのではなく、そのことを通して他人との関係をどのように作っていけるかが重要だと思う。

辺見庸は言っている「私たちの日常の襞に埋もれたたくさんの死と、姿はるけし他者の痛みを、私の痛みをきっかけにして想像するのをやめないのは、徒労のようでいて少しも徒労ではありえない。むしろ、それが痛みというものの他にはない優れた特性であるべきである。」(『たんば色の覚書』)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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