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子供への虐待・殺人

1月16日(水)
 「朝ズバッ!」で家庭内の殺人について放送していた。昨年殺人と殺人未遂の件数が1155件ありその中で家庭内のものが542件と46%ある。親が子を虐待し殺し、子が親を殺すこれが常態化されていってしまっている。

今年になってからでも既に親の子供に対する殺人を含めた虐待は15件に上っている。これは警察に逮捕された事件件数だが、実際には数え切れないほどの事件が起こっているのだろう。

抵抗できない幼児への虐待は何を意味するのだろうか。確かに子供に対するしつけが行き過ぎたということはあるかもしれない、しかし殺人にまで至ると言うことはそれをはるかに越えた親子の関係をみせつけるのだ。そこには愛情のかけらもなく物としてしか子供を見ることが出来ない親がいるということなのだ。

バイクのヘルメット入れに子供を入れパチンコをしていて子供を窒息死させた親がいた。これはまさに子供は生きた実態あるものではなく一個の物体でしかないと言うことだ。

1月14日の朝日新聞に「父親が突き飛ばし1歳の長男重体」という記事があった。「なつかないので腹が立ち、突き飛ばしてしまった」と容疑を認めている。長男の胸を手で突き飛ばし、頭を柱に打ち付けた。「先月ごろから突き倒したりつねったりした」と供述している。

「泣き止まないから」と言って折檻している例は限りないほどある。これらは救急車を呼ぶような事態にならない限り、家庭内の問題として表ざたになることはない。どれだけの幼児や児童が親に虐待され辛い目にあっているのかわからない。

31TV5.jpg 幼児虐待の記事やニュースに触れると、『カラマーゾフの兄弟』のイワンのアリョーシャへの話を思い出す。「大審問官」の導入部的会話の中に出てくる「何故世界を許容しないのか」についてのイワンの話である。

 「五つになる女の子を教養ある両親がありとあらゆる拷問(ごうもん)にかけるのだ。自分でも何のためやらわからないで、ただむしょうに打つ、たたく、蹴(け)る、しまいには、いたいけな子供の体が一面、紫色になってしまった。

しかるに、やがてそれにもいや気がさしてきて、もっとひどい技巧を弄(ろう)するようになった。というのは、実に寒々とした厳寒の季節に、その子を一晩じゅう便所の中へ閉じこめるのだ。それもただ、その子が夜なかに用便を教えなかったというだけの理由にすぎないのだ。そうして、もらしたきたない物をその子の顔に塗りつけたり、むりやりに食べさせたりするのだ。

しかも、これが現在の生みの母親のしわざなんだからね!まだ自分がどんな目に会わされているかも理解することができない、小っちゃな子供が、暗い寒い便所の中でいたいけな拳(こぶし)を固めながら、痙攣(けいれん)に引きむしられたような胸をたたいたり、邪気のないすなおな涙を流しながら、『神ちゃま』に助けを祈ったりするんだよ――」

 「いったい何の必要があってこんな不合理が創られたものか、説明できるかい!この不合理がなくては人間は地上に生きて行かれない、なぜなら、善悪を認識することができないから――などと、人はよく言うけれど、そんな代価を払ってまで、ろくでもない善悪を認識する必要がどこにあるんだ? 認識の世界全体をあげても、この子供が『神ちゃま』に流した涙だけの価もないではないか。」

「より高き調和などは平に御辞退申し上げるよ。そんな調和は、あの臭い牢屋の中で小さな拳を固めて、われとわが胸をたたきながら、あがなわれることのない涙を流して、『神ちゃま』と祈った哀れな女の子の一滴の涙にすら値しないからだ!なぜ値しないかといえば、それはこの涙があがなわれることなしに打ちすてられているからだ。」

「世界の人間が、いたいけな受難者のなんのいわれもない血潮の上に打ち建てられたような幸福に甘んじて、永久に幸福を享受するだろうなんかというような考えを、おまえは平気で認めることができるかい」

 「もしも子供の苦悩が真理のあがないに必要なだけの苦悶の定量を満たすために必要だというのなら、僕は前もってきっぱり断言しておく――いっさいの真理もそれだけの代償に値しないと。」

「僕は神を承認しないわけではない、ただ『調和』の入場券をつつしんでお返しするだけのことだよ。」(第五編 Pro et contra・四 謀叛 中山省三郎訳・角川文庫)
 
 イワンはこう言って無垢な子供たちが悲惨な目に会い続けている現実の中で神への信仰を拒絶するのだ。子供への虐待や殺人未遂、殺人、これはまさに無抵抗で、何の罪も負っていない無垢な魂を大人の一方的都合で葬り去ってしまうという最も残酷で非人間的行為だろう。こういったことが面々と続いている現実の中で「神は死んだ」と叫びたくなるのは当然かもしれない。

イワンは声を強めて言う。「大人は禁断の木の実を食ったんだから、どうとも勝手にするがいい。みんな悪魔の餌食にただなってしまったってかまいはしない、僕がいうのは子供だけのことだ、子供だけのことだ。」子供への虐待、殺人がどういった意味を持つのか『カラマーゾフの兄弟』の中からも改めて考えなければならない。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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