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少年による親への殺人

1月17日(木)
1月15日の朝日新聞の朝刊に「徳島で37歳の長女が母親と弟妹を刺し、自殺を図った」という内容の記事が載っていた。動機や詳細は不明だが親殺しの記事は後を絶たない。1月11日の朝日新聞に次のような記事があった。「青森県八戸市で9日夜火事が起きたアパートの一室から親子3人の遺体が見つかった事件で、長男(18)が3人の殺害を認めた上で「油を使って火をつけた」と供述していることが分かった。

・・・司法解剖の結果、死因は全て首を切られたことによる出血死だった。母親には腹部にも深い傷があった。」とりわけこのような少年の親殺しは大きくニュースに取り上げられ、連日のように新聞に記事が掲載されている。

少し前になるが新聞やテレビのワイドショウを賑わしたのは会津若松頭部切断事件(2007.5.16)で「2007年5月15日朝、会津若松市内の高校3年生17歳の男子生徒が、母親を殺害したと警察に自首してきた。彼は、切断した母親の頭部をバックに入れて持参してきた。

少年は、県内でも有数の進学校の生徒。中学時代は、スポーツでも活躍していた。現在は、弟とともに通学のため実家を離れ、アパート暮らしをしていた。母親は、掃除洗濯などのために、しばしば息子の部屋を訪問していた。」といった事件であった。そのほか奈良家族3人放火殺人事件(2006.6.26)、母親毒殺未遂事件(2005.11.7)、板橋両親殺害事件(2005.6.22~7.13)などが話題に上った。

犯罪心理学からの捕らえ方
 こういった少年犯罪の心理について新潟青陵大学ホームページの犯罪心理学『心の闇と光』の中で、色々な視点で分析している。それを紹介したい。

 関係が薄いだけでは殺人は起きないでしょう。愛を実感できないのと同時に、少年は心の底では、強烈に愛を求めていたでしょう。ある意味濃すぎる親子関係の中で、少年は父親に馬鹿にされ軽蔑されることが許せず、しかし、親から離れて自立していくこともできず、殺害を選んでしまったのかもしれません。

ただ、子どもによる親殺しの場合、父親だけが中心的な殺人のターゲットだとしても、他の家族も皆殺しにすることは良くあることです。自分に優しくしてくれる母や、祖母にしても、父親側の仲間であると考えてしまうと、両親、祖父母皆殺しを実行してしまいます。

母親を殺害するとき、包丁で何十箇所も刺しています。両親殺しの場合、母親への加害のしかたが激しいことがある。母親との親子関係のほうが深いから。それだけのことをしないと、母親殺しが達成できないからだろう。

もし彼が、もっと乱暴で「悪い子」であれば、この事件は起きなかったかもしれません。親への文句を直接言えるようなことあれば、犯行はなかったかもしれません。感情を抑えすぎ、ため込んでしまうことが、様々な心の問題を生みます。

 親殺しはむしろ中流以上の家庭で起きます。犯人はしばしば「良い子」達です。良い家庭、立派な家庭で、親がよかれと思って努力している教育やしつけが、子どもから見れば束縛となってしまったとき、幼い頃は従順に従っていても、思春期になれば子どもの心は爆発します。

普通は、親とケンカしたり、グレたりして、親に反発をしますが、そのようなことができる柔軟性を持っていないことがあります。また、その程度のことでは親から自由になれないと思ってしまうことがあります。親に飲み込まれるような不安を、少年達は感じます。もう最後の手段として親を殺すしか自由になれないと思ってしまうことがあるのです。

自立しようともがいている少年は、自立する勇気も力もなく、また素直に甘えることもできず、親から干渉されたり、邪魔されると、飲み込まれるような強い不安を感じ、時には暴力的な行為に走る。親殺しは、単に親を殺すと言う意味だけではなく、自分が親から解放されたいという思いの現われです。心理的に自分にまとわりつく母親を、何回も何回も刺しながら、心の中の親殺しを達成し、親から逃げ出そうとしていたのかもしれません。

教育の問題
以前読んだ笹沢佐保の『崩壊の家庭』という本には、家庭内暴力をテーマに親と子の関係のあり方、親の子供に対する教育のあり方など、彼の教育問題に対する主張や男と女の関係のあり方についての見解がいたるところに展開され、単なる殺人事件の犯人探しに止まらない面白さがあった。少し引用してみる。

「親が子供に責任、義務、規律というものを教え込んだ上での自由放任ではなく、何も教えない、親らしいことをしていないそれは野放しでしかない。過保護とは親の一方的感情だけで子供を甘やかすことだ。親が子供を人間教育するから子供は人間になる。子供がどうしようもなくなるのは親が人間教育を怠ったから結果です。

1、2歳から8、9歳までの間子供には人間形成の基礎が出来てしまう。その時期における親の人間教育が何よりも重要になってくるのです。していいことと悪い事があるという規律を幼児に教え込むのが躾です。そのあたりまえのことを親がやらなくなってしまった。

一番肝心な幼児期に躾という人間教育を怠る親が多い。手抜きをすればいつかそのツケが回ってくる。野放しにしておいた子供に小学校高学年から中学になった頃に、親は急に厳しい注文をつけたり規律を要求する。子供は当然牙をむいて反抗する。それが非行や家庭内暴力の始まりとなる例が多い。

拘束されること、命令されること、我慢することを教えられていない狼には、ガタガタうるさく文句ばかりつけられるのに絶えられず暴力を振るようになるのだ。」

 家庭内暴力や非行という形で反抗する少年は自らのエネルギーをそこで爆発させることが出来る。しかし自らのを表現できず表面的には従順である少年こそが、親殺しという形での感情の爆発を引き起こしてしまうことがある。このような少年たちに、いのちを大切にせよと説教したり、重い刑罰を予告しても効果はない。

彼らの殺意を止めるのは、「社会的絆(ソーシャルボンド)」だ。社会的絆とは、愛し愛される家族や友人がいることや、失いたくない夢や希望があること、つまり犯罪によって失うには惜しいと考えられるものの存在があるということだ。

人は自分のいのち、自分の存在を人間関係の中で活かしたいと願い、自己実現を目指す存在だ。人は自分らしく生きたいと願い、社会に貢献できる自分の役割を求めている、それを如何にして引き出していくか非常に難しい課題だ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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