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浅草酉の市

11月14日(月)
眼科の診療日だった。眼圧が左7、右16だった。左が少ない。炎症が起っており、房水を作る機能が衰えていて、眼圧が下がっているということだった。ただ炎症に関しては特に何かをする必要はないということだった。右は全く問題はなかった。左眼の中にあるサイトメガロウイルスが神経を通して体に周り炎症を起こすかもしれないのでそれをチェックする必要がある。眼科の診療は30分もかからなかった。

浅草酉の市
11月2日の夕方のテレビで浅草酉の市の放送をやっていた。夜中の12時に開始する場面を写していた。11月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われる。酉の市は新宿の花園神社やその他でもやっているが、発祥の地であり盛大に行われているというので一度は見に行きたかった。丁度今日が二の酉の日に当たる。病院からそれ程遠くないので行ってみることにした。鶯谷で降りて、入谷まで行ってそこから国際通りに出れば、浅草の酉の市の長國寺と鷲神社に出る。

かって仕事をしていた時には、日本の風俗、行事や風物詩に対して全く無関心でいた。仕事に集中しているとそういったものに目を向ける精神的余裕がなくなってしまう。勤務先から本社に行く通り道で朝顔市やほおずき市や今回の浅草酉の市などをやっていたが、何の関心もなく素通りしてしまっていた。昨年朝顔市に初めて行った。酉の市も行ったことがなかった。時間があるということは世の中の様々な様相に目が届くようになる。

由来: 江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草の鷲在山(じゅざいさん)長国寺(法華宗本門流)境内の鷲大明神社で行われた酉の市である。長国寺は1630年の開山以来「浅草酉の市発祥の寺」として毎年11月に酉の市を開催してきた。「浅草酉の寺」の名で親しまれている。当時浅草の鷲大明神は妙見大菩薩とも呼ばれて、鷲に乗った妙見菩薩の姿として描かれ、長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。

11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され、酉の市が盛大に行われるようになる。今では長国寺の「仏様のおとりさま」と隣り合う鷲神社の「神様のおとりさま」の両方にご利益をお願いできる。福をかっ込むという縁起物の熊手を手に入れ、家内安全・開運招福・商売繁盛!


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 鷲神社入口                          鷲神社拝殿

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 鷲神社拝殿                          なでおかめ

日比谷線入谷駅の地下鉄の出口の所で、ハンドマイクを持った案内人がいて、酉の市への行き方を指示している。酉の市の行なわれている鷲神社・長国寺までは駅から7分位だと言っている。駅からの道には酉の市に向う人達がぞろぞろと歩いているので道に迷うことはない。

鷲神社の入口に着いたが、境内の外に人があふれ列を作っている。参拝をしたい人が4、5列に並んで順番待ちをしている。15分位待ってやっと神社正面にたどり着き、7,8本下がった綱を揺らして鈴を鳴らし参拝を済ませる。鷲神社の参拝を終えた後、今度は並んでいる長国寺に行く。寺の前には神社と違って、人だかりがしている訳ではない。代わる代わる本堂に向ってお参りしている。

「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。浅草の老舗・居酒屋・開運グッズなどの屋台が800店以上も軒を連ねている。また、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与され、福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」と呼ばれている。

酉の市の縁起物は、江戸時代より熊手の他に「頭の芋(とうのいも)」(唐の芋)や粟でつくった「黄金餅(こがねもち)」があった。頭の芋は頭(かしら)になって出世する、芋は子芋を数多く付ける事から子宝に恵まれるとされ、黄金餅は金持ちになれるといわれた。

江戸中期から今に伝えられている“なでおかめ”今までは昇殿参拝された方々や希望者に撫でてもらっていたが、今年よりお参りに来て下さった多くの方にも撫でて頂こうと社殿の賽銭箱の上に移動した。おかめはお多福とも言われ福が多く幸せを招く女性の象徴という事から縁起が良いとされ酉の市の縁起熊手にも江戸より飾り付けられている。

「春を待つ 事のはじめや 酉の市」 其角(芭蕉の弟子)

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 長国寺山門                          長国寺本堂

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目黄不動尊
帰りは三ノ輪方面に向った。鷲神社の境内から三ノ輪方面に向い、屋台がずらりと並び多くの参拝客が立食している。酉の市の会場から三ノ輪駅までは10分位で着いた。道路の反対側から見ると赤い幟が10本ほど風になびいている。寺院に関連した物かなと思って近づいてみると、やきとりと染め抜かれていた。目黄不動のある永久寺(養光山金碑院 天台宗)はその隣にある。回りは静かな民家に囲まれている。門柱に寺の表示がなければ一見寺院とは分からない建物である。

永久寺の鉄の門扉の脇に台東区教育委員会が作成した目黄不動についての説明書きの金属プレートが貼られていた。そこには次のように書かれていた。
「目黄不動は江戸五色不動の一つとして知られている。江戸五色不動とは、目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のことで、寛永年間(1624~43)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝える。

不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が悪を断じ、衆生を教化するため、外には憤怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現れたとされている。また、宇宙のすべての現象は、地、水、火、風、空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれる。不動尊信仰は密教が盛んになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描き分けることは、平安時代すでに存在したという。      台東区教育委員会」

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 永久寺本堂                         目黄不動尊不動堂

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