スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉-二階堂・金沢街道(2)二階堂周辺

11月22日(火)
 杉本寺から金沢街道を5分ばかり鎌倉方面に進むと、第二小学校がありそこを右に曲がると天神前のバス停に出る。荏柄天神社の長い石段はそこから見える。階段を上ると鮮やかな朱色の本殿が目に飛び込んでくる。

本殿は室町時代の初期に建てられた鶴岡八幡宮の旧若宮社殿を江戸時代に移築したもので鎌倉の中世建造物の一つとして市指定文化財となっている。石段の右には市天然記念物大イチョウの木がそびえている。境内に入り少し小高くなった所にかっぱ絵筆塚がある。清水崑の遺志を継いだ横山隆一らが平成元年に建立した。筆の形をした塚の側面には、横山隆一をはじめとする漫画家154人の河童の絵が飾られている。

荏柄天神社

天神は長冶元年(1104)の勧請である。祭神は菅原道真。縁起によると延喜元年(901)菅原道真は大宰府に流され、三年後に死亡、その後天変地異が烈しかった。道真が天神になって祟りをすると大宰府と京都北野天満宮が創建された。ある時鎌倉にも雷鳴が轟き巻物が降ってきた。この地に巻物を祭神として天神を建立したという。

関東を中心に各地に分社をもち、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社。治承四年(1180)鎌倉大蔵の地に鎌倉幕府を開いた源頼朝は荏柄天神を鬼門の守護神と仰ぎ、改めて社殿を造立した。以降歴代将軍は鎌倉幕府の尊社とした。

鎌倉金沢街道095_convert_20111123122528 鎌倉金沢街道097_convert_20111123122332
 本殿への階段         本殿 

鎌倉金沢街道100_convert_20111123124250  鎌倉金沢街道103_convert_20111122232815
 かっぱ絵筆塚                市天然記念物大イチョウの木

 荏柄神社の前のお宮通りを5分も行かないうちに大きな鳥居が見える。鳥居を潜ると駐車場があり観光バスが何台も停まれるほど広い。鎌倉宮に着いた時丁度観光バスが到着し、15,6人の観光客が降りてきた。大きな50人以上は乗れる観光バスに15,6人で採算が合うのだろうか。旅行会社のパックで最低催行人数は何人だったのだろうかと思いながらその団体と一緒に神社の境内に入っていった。

観光バスツアーのいい所は行く先々で寺院では僧侶が、神社では神主が出てきて、由緒や見所の説明をしてくれることだ。図らずも観光バスツアーの団体と一緒になったので、神主の後に従って説明を聞いて回った。拝殿、本殿、南方社、村上社、土牢、鎌倉お宮碑、御構廟、多宝塔、宝物殿、小賀玉の木など見所にはことかかない。神主は丁寧に一つ一つに説明を加えていく。ここでかなり時間を費やしたが、次の目的地、瑞泉寺に向かう。

鎌倉宮の脇に沿ってしばらく行くと、歴史があり皇室もよく利用するという鎌倉宮カントリーテニスクラブや発掘調査中の永福寺跡地がある。源頼朝は鎌倉に3つの大きな寺院を建立した。一つ目は鶴岡八幡宮、二つ目は勝長寿院、三つ目は永福寺である。現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまった。永福寺跡地は周辺約9万平方メートルあり国指定史跡に指定されている。

さらに進んで行くと段々と景色は山間の村落の様相を呈してくる。周りは山に囲まれ、車がやっと1台と通れる位に道幅は狭くなっていく。夕日が山の斜面を照らし、紅葉のように木々の葉を赤く染めている。紅葉の名所、瑞泉寺の紅葉は当然まだだった。境内は木々と草花の覆われていて山の寺院の感じを味わうことが出来る。

本堂の裏に夢想疎石作の鎌倉期唯一の庭園として国指定名勝の庭園がある。夢想疎石は京都の苔寺・西芳寺や天竜寺の庭園も、後に作っている。庭は、中腹の鎌倉石の岩盤に庭の約束事である滝、池、中島等の全てを巧みにえぐって橋をかけ、さらに水を貯めて滝として流す貯水池までも刻んだ岩庭と呼ぶに相応しい庭園である。こういった岩盤を削って作られた庭園というのは見る機会がなく、珍しさもあって興味をひくが、鑑賞して感動を呼ぶかというとなかなそうもいかない。

鎌倉宮
明治2年(1869)に後醍醐天皇の第一子護良親王(もりながしんのう)を祭神として、明治天皇が創建した。出家後の親王の名である〝大塔宮〟の名でも知られる。護良親王は建武の新政の際に征夷大将軍に任じたが、足利尊氏と対立して鎌倉に流され、後に暗殺された。

鎌倉金沢街道143_convert_20111122233452  鎌倉金沢街道106_convert_20111122233238
 正面鳥居                          拝殿

鎌倉金沢街道107_convert_20111122233308  鎌倉金沢街道113_convert_20111122233411
 拝殿内の獅子                        本殿

鎌倉金沢街道115_convert_20111123125230  鎌倉金沢街道111_convert_20111123124924
  護良親王ガ幽閉されていた土牢



「撫で身代わり」-護良親王に従って戦い、吉野の戦いで親王の身代わりとなって最期を遂げた村上義光。身代わりとなられた義光公を、境内の樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ、「撫で身代わり」として入魂した。この像を撫でることにより病気・厄除け等の身代わりとなるとされる。

瑞泉寺(臨済宗円覚寺派 錦屏山)
かつて紅葉が谷と呼ばれた谷戸奥に建つ臨済宗の寺。開山は夢窓疎石(むそうそせき)。嘉暦2年(1327)鎌倉幕府の重臣であった二階堂道薀が創建、その後夢窓疎石に帰依した足利基氏によって瑞泉寺と改名され足利氏の菩提寺として栄えた。関東十刹の第一位。境内には本堂、客殿、庫裏、書院などの堂宇が点在するが、これらはほとんど大正時代以降に再建されたもの。2層屋根を持つ本堂には本尊の千手観音坐像が祀られている。

鎌倉金沢街道125_convert_20111123122100  鎌倉金沢街道130_convert_20111122233630
 瑞泉寺本堂                         国指定名勝庭園

 瑞泉寺から鎌倉宮まで戻り、覚園寺に向かう。鎌倉宮から緩やかな坂を上がりながら10分も歩かないうちに覚園寺の山門に着く。本堂までは行けるが、境内を全体を見学するには決まった時間にいかなければならない。10,11,12,13,14,15時、日に6回、本堂脇の拝観受付所に集合しなければならない。既に15時を過ぎていた。受付所には誰もおらず、境内に通ずる鉄の門はかたく閉められている。境内には愛染堂、薬師堂、地蔵堂があり見てみたかったが諦めて引き返すことにした。

覚園寺から次の向かうのは頼朝の墓だ。16時前だが段々あたりは薄暗くなってくる。頼朝の墓は白旗神社の前の階段を登リ切った所にある。夕方の暗さが墓の雰囲気を高めている。今の時間観光客は誰もいない。ただ暗く静かな山間の夕闇が迫ってくる。

この辺りの地名は西御門という。頼朝の墓から来迎寺に向かう途中に「西御門」について鎌倉市青年団が作成した碑文がありそこには次のように書かれている。「西御門は 法華堂西方の地をいふ 大蔵幕府西門の前面に当たれるを以て此名あり 報恩寺 保寿院 高松寺 来迎寺等此地に在り 今 高松 来迎の二寺を存す。」10分位で来迎寺着く。来迎寺階段を上ろうして、ふと横を見るとそこに八雲神社があった。鎌倉には4ケ所八雲神社があるという。関係は分からないがここはその一つである。

来迎寺の階段を上り境内に入ってみたが、人の気配を全く感じさせないように静まりかえっている。今日の業務は終了したといった感じだ。早々と境内を出て鎌倉駅まで行くバスが通る金沢街道に向った。来迎寺からバス停までは15分位かかる。金沢街道から鎌倉駅までは、さらに20分位歩けば着くだろう。今日は色々回ったし、夕闇も迫ったきたので、当初の予定通りバスを利用することにした。

覚園寺(真言宗泉涌寺派 鷲峰山)
建保6年(1218)北条義時がこの地に大倉薬師堂を建立したのが始まり。その後、永仁4年(1296)北条貞時が心慧上人を開山に、覚園寺として再建した。境内の入口には愛染堂、その先に薬師堂、移築された古い民家の内海家住宅が続き、本堂手前に地蔵堂が建つ。もとは四宗兼学だったが、明治初年に古義真言宗となった。

鎌倉金沢街道135_convert_20111122233817  鎌倉金沢街道137_convert_20111123000025
 覚園寺山門                          本堂

頼朝の墓
大倉山の南側に小さな鳥居のある石段が続き、登り切った中腹辺りに源頼朝の墓がある。高さ2メートルほどの層塔で、安永8年(1779)頼朝の子孫という薩摩藩主島津重豪によって再建された。現在の塔は平成2年春に補修。周囲には木々が生い茂り、頼朝が築いた大蔵幕府跡がここから一望できる。

白旗神社
神社のある所は、源頼朝の館のあった大倉御所の北隅で持仏堂があった所。頼朝の死後は、法華堂と呼ばれ、ここに葬むられていた。源頼朝の持仏堂であったことから鎌倉幕府の保護も厚く鶴岡八幡宮、勝長寿院と並ぶ崇敬を集めた。

鎌倉金沢街道158_convert_20111122234025  鎌倉金沢街道152_convert_20111122233948
 白旗神社本殿                        源頼朝の墓

来迎寺(時宗 満光山)
時宗の開祖である一遍上人が1280年頃建立した。鎌倉時代、西御門に建てられた多くの寺のなかで唯一残っている寺。石段を登ると左手に新装の本堂・庫裡があり、本尊である阿弥陀如来立像が安置されている。本尊の右に並ぶのは、南北朝時代に作られたといわれる木造の如意輪観音坐像。明治の神仏分離の際に法華堂から移されたもので、県の重要文化財に指定されている。

鎌倉金沢街道167_convert_20111122234242  鎌倉金沢街道165_convert_20111122234207
 本堂に向う階段                       本堂

八雲神社
西御門の鎮守、祭神 須佐男尊 。詳細は不明だが『風土記稿』にある「字大門の天王社」が前身と考えられている。現在の社殿は、天保3年(1832年)の建築と伝えられている。

鎌倉金沢街道162_convert_20111122234100  鎌倉金沢街道163_convert_20111122234137
 八雲神社拝殿                         庚申塔(船形、舟形、笠塔婆型)

 金沢街道まで出て、岐れ路というバス停で待つ。ここは金沢街道と鎌倉宮まで行くお宮通りの岐れ路という所だ。ここだと何系列かのバスが通っているので本数は多い。すぐバスが来た。鎌倉駅まで5分とかからない。横須賀線から湘南新宿ラインに乗り継いで、池袋には18時前に着くことが出来た。暗くなる前に全て回ることが出来た。11時頃十二所神社から歩き始めて、16時30分鎌倉駅に着きに終了した。時間的にはぴったりだったといえるだろう。

(参考資料:鎌倉市観光協会公式サイト、鎌倉ぶらぶら・鎌倉の観光ポータルサイト)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。