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和田堀公園

12月2日(金)
 一昨日(11月30日)病院に行った。この日は眼科のみの診療だった。ただの検査だから待ち時間も含めて1時間位で終るだろう、11時予約で12時過ぎには病院を出られるだろうと予測を立てた。最近は曇りや雨が多い。好天の日にはどこかに行きたくなる。2,3日外出していないし、出たついでというのは動きやすい。紅葉情報によると都内の紅葉名所の多くは見頃を迎えている。近場の行きやすい所は行ったことがある。和田堀公園、善福寺緑地の両方が紅葉の見頃を迎えているとあった。

「和田堀池周辺のイロハモミジの赤い葉が水面に映り、イチョウの黄葉と見事に錦の稜を演出します。善福寺川沿いに、サクラ・カエデ・イチョウと多数の樹木が紅葉し、黄色と褐色が見事に川面に映ります。」と紹介されていた。

眼科の診療は予定通り終ったが、会計からの呼び出しがなかなか来ない。どんなに待たされても30分位なものだが、1時間近く待たされて、どうしたのだろうと聞きに行こうとしたら、受信機のブザーが鳴り、「内科診療室に来てください」と表示されていた。今日は血液内科の診療はないのにどうしたことかと思って行ってみると、担当医が今日病院に来ると知ってG-CSFを処方しておいたという訳だ。注射をして、また会計で待って全てが終わったのが13時30分だった。

この時間から和田堀公園周辺を巡るのは時間的にかなり厳しい。社寺遺跡めぐり散歩(高円寺駅-西永福駅5.3Km)といった杉並区教育委員会で紹介されてるコースを考えていたが、それを短縮して、丸の内線の東高円寺から井の頭線の永福町まで歩くことにした。歩き始めた時には既に14時半を回っていた。日没が早いのでどこまで行けるか行ってみる外ない。

東高円寺の駅の階段を上って行くと、目の前に蚕糸の森公園が広がっている。コースにはなかったが紅葉がきれいだったので公園内を通り過ぎるように進んだ。環状七号線まではすぐだ。青梅街道との交差点、高円寺陸橋の所から「セシオン杉並」までは2,3分だ。高円寺陸橋はよく車で通ったことがあって懐かしい気がしたが、歩いて下から見ると全く違ったものとして感じられる。環七にはイチョウ並木があり既に黄色く色づいていた。セシオン杉並の隣に梅里公園があり、その隣が真盛寺である。

蚕糸の森公園
明治44年(1911)ここに農商務省原蚕種製造所が創設され一代交雑種の原蚕種配布を開始した。その後蚕業試験場、蚕糸試験場と名を改め、一貫して蚕糸科学技術の研究を進め、世界の先端をいく蚕糸技術を開発してきた。昭和55年(1980)筑波研究学園都市に移転したため、跡地を公園とした。

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セシオン杉並 
社会教育センターと高円寺地域区民センターの複合施設。学習・文化活動・地域交流などの拠点として、ホール、音楽室、体育室、トレーニング室、集会室などが気楽に利用できる多目的スぺ-ス。

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 セシオン杉並の建物と環状七号線のイチョウ並木

 真盛寺は杉並区で3番目に広い境内を持っている。そのため交通量の多い環七に面しているにも関わらず、境内は全くその喧騒を寄せ付けずひっそりと静まりかえっている。環七に面した入り口から山門への参道の風情は、紅葉の木々を背しながら、京都の古刹を思わせる雰囲気を感じさせた。広々とした境内の庭の手入れも行き届き、全く人の気配のしない静かな佇まいで、山の中にある寺院のような感じを抱かせるものであった。

次に妙法寺に行こうと思っていたが、道を間違えてしまった。たどり着いたのは西方寺という寺院だった。ここはさっと見て、和田掘公園に急ぐ。

真盛寺(天羅山養善院 天台真盛宗の東京別院)
寛永8年(1631)湯島で創建。大正11年(1922)当地に移転。江戸で最初に開かれた天台宗真盛宗の寺である。創建以来、檀家である豪商越後屋三井家の庇護を受け、三井寺とも称された。なお、客殿は細川侯爵豪の屋敷を移築したもので、明治和風建築の粋を伝えている。

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 山門と元三大師堂

和田張り021_convert_20111201064104 境内の情景

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和田張り013_convert_20111201083831 本堂

西方寺(松苔山峯厳院 浄土宗)
本尊は阿弥陀如来坐像。「文政寺社書上」によると、元和三年(1617)四谷追分に開山である本蓮社心誉利道により開創された。開基は徳川三代将軍家光の弟、駿河大納言忠長といわれ、その由緒を称え、忠長の法号「峯厳院」を寺号とし、忠長の豊臣家との縁により、寺紋は「五三の桐」にしたと伝えられている。境内には承応二年(1653)銘の六観音石幢、延宝七年(1679)銘の如意輪観音像など多数の石仏や、明治の豪商山城屋和助の墓、食鳥を供養する鳥塚(明治三十八年造立)などがある。

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 山門と境内の紅葉

和田張り031ed_convert_20111201064328 本堂

 和田堀公園は白山前橋より上流は善福寺川公園(善福寺川緑地)となっている。当初は時間があれば善福寺川緑地まで足を伸ばそうと思っていたが時間的に到底無理だ。西方寺から荒玉水道道路を方南通方面に向かうと途中に小規模な和田掘公園があり、また区郷土博物館がある。

そこには寄らずに、少し行って大宮橋を渡るとメインの和田掘公園に入ることができる。川沿いのサクラの紅葉が鮮やかだ。しばらく川沿いを行くが、公園は野球場や八幡下運動場などの広場になっている。その先には2つの島がある和田掘池を囲み鬱蒼と木が茂った公園の中心地があり、そこにたどり着いた。池を囲む紅葉が池面に映り、中央の噴水も情景に一役買ってなかなかの雰囲気をかもし出していた。松ノ木遺跡は池を越えてさらに公園を進み、釣堀武蔵野園の脇の坂を上がり松ノ木運動場の脇にあった。

松ノ木遺跡は、明治時代に発見された旧石器時代~歴史時代にかけての区内最大規模の複合遺跡だ。また昭和44年大宮八幡宮の境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったといわれた。大宮遺跡や方南町峰遺跡群(方南町峰・峰南・方南・峯・釜寺東 釜寺-善福寺川と神田川の合流する直前の台地上に位置する、旧石器時代~古墳時代にかけての複合遺跡)や下高井戸塚山遺跡など、183ケ所の遺跡が発見されている。

都立和田堀公園
白山前橋から下流、済美橋まで12の橋にまたがる公園。和田堀周辺はもともと地盤が低く、善福寺川の氾濫などで自然に池ができるような地形だった。昭和30年代の中頃、河川を改修したときに人工の池を造り、周辺を整備して公園にした。この和田堀池は、深い緑に囲まれて静かな雰囲気をかもしだしている。池には大小二つの中島があり、都内では数少なくなった珍しい野鳥が棲んでいる。

和田張り038_convert_20111201064421 荒玉水道道路沿いの和田堀公園

和田張り040ed_convert_20111201064449 大宮橋より善福寺川

和田張り041ed_convert_20111201064524 大宮橋より善福寺川河畔

和田張り045ed_convert_20111201064553 宮下橋周辺・サクラ広場

和田張り055ed_convert_20111201064650 和田堀池

松ノ木遺跡
善福寺川北岸の台地に位置する松ノ木遺跡は、先土器・縄文・弥生・古墳の各時代が昆在する区内でも最大の複合遺跡で、園内には竪穴住居が復元されている。この復原住居は昭和25(1950)年に「方南峰遺跡」で発見され調査された古墳時代後期の住居址をモデルとした。内部には、当時行われていたと考えられる生活の様子が展示されている。付近一帯には古代人の大集落があったと考えられる。川沿いの低地では弥生時代、水田耕作も行われていたらしい。また、その低地が一望できる対岸の高台には、弥生時代の族長の墓とみられる大宮遺跡がある。

和田張り059_convert_20111201064731 竪穴住居の復元

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 段々と夕闇が迫ってくる。最後の訪問予定地大宮八幡宮に向った。松ノ木遺跡からは5分位なものだ。八幡宮には既に明かりが灯っている。神門をくぐると目の前に本殿が威風堂々と建っている。本殿の中には煌々と明かりが灯っている。境内は広く、祈祷案内の社務所や結婚式場の清涼殿、お神輿庫、宝物殿などがあり、末社として御嶽・榛名神社、若宮八幡神社、白幡宮、大宮天満宮、大宮稲荷神社、大宮三宝荒神社などが祀られている。

段々と暗くなる。表参道はそこそこ距離がある。竹林が左側に広がって静けさを増して来ているようだ。夕闇が強まるにしたがって所々にある明かりが道を照らし出してきている。表参道の二之鳥居をくぐり、さらに一之鳥居をくぐった時にはかなり暗かったが、そこはかと明かりの灯る夕方の神社も、また何時もとは違った荘厳さのようなものを感じさせてくれるものだった。したくても出来るものではないのでいい経験となったといえるだろう。

表参道を出て京王井の頭線の永福町駅に向った。思ったより時間がかかった、あたりはすっかり暗くなり、さびれた商店街のコンクリートの道を30分以上も歩くというのは疲れている時にはなかなかしんどいものだ。永福町駅に着いたのは17時になってしまった。日没までにゴールという訳にはいかなかったがそういったこともあるだろう。

大宮八幡宮
武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれ、境内は15,000坪と都内でも3番目の広さを持つ。境内は樹齢を経た大樹がうっそうと繁る。康平6年(1063年)に源頼義が前九年の役の帰途、石清水八幡宮から分霊して当地に創建した。その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられている。神社付近が東京のほぼ中央に位置することから「東京のへそ」という異名も持つ。

和田張り066_convert_20111201203749 神門 

和田張り067_convert_20111201064910 本殿

和田張り070_convert_20111201064946 男銀杏(左)、女銀杏

和田張り077ed_convert_20111201065032 一之鳥居と表参道

(参考資料: 杉並区教育委員会・杉並区史跡散歩コース案内、TOKYO TEMPLE GUIDE・東京寺院ガイド)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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