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入院するということ

12月10日(土)
 しばらく寒く重い曇り空が続き、雨も降り続いた。久しぶりの上天気だ。都内の紅葉は何処に行っても見頃だ。色あせ始めの所も徐々に増えてきている。近くの公園の紅葉も中々のものだ。特に「ハゼノキ」の紅葉は毎年見ているが、特に夕方、西日が丁度「ハゼノキ」を照らす時、炎が燃え上がるような鮮やかな色彩を発する。この木一本だけで公園の紅葉全てを凌駕するほどの赤さなのだ。毎年のこの木の紅葉を見るのを楽しみにしている。

長崎公園紅葉001_convert_20111210130516  長崎公園紅葉012_convert_20111210130544
 公園の紅葉・ハゼノキ                   イロハモミジ

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 ケヤキ                            ノムラカエデ

来週の月曜に入院だ。入院前にやりたいことややり残したことがあるだろうか。特に体調に問題があるわけではないのでやりたいことは出来る。12月3日のももの木交流会と忘年会以降今月のスケジュールは入っていない。家でどうしてもやらなければならないことがある訳ではない。

入院したら外出できないので旅行に行って温泉に入ったり、病院食を食べることになるので、美味しいものを食べておこうと会席料理を食べたりしたが、入院までの時間があったから旅行に行っただけで、絶対に行きたかったかというと必ずしもそうではなかった。母親と妹の旅行に便乗したようなものだ。

入院すれば食べたいものを食べようとしても手に入らないものもある。普段は3食家で食べるが、最近は、外出した時に外食で選ぶのは入院したら食べられないものである。病院帰りに寄る店としては、田端駅前に回転寿司がありここの寿司は中々美味しいのでよく利用する。

また不忍通り沿いに「つけめんTETSU」や「神名備」という評判のラーメン屋があってここでもよく食べる。病院の食堂にもラーメンはあるが、全く味が違う。以前入院中に病院を抜け出して食べにいたことがある位だ。何を食べようかとかと考えて選ぶのは「日本人の好きな食べ物50選」のランキング1,2,3位であった寿司、ラーメン、そしてカレーなのだ。全く好みが一般的なので気が引けるところもあるが、これらの美味しいものさえ食べていれば満足だというわけだ。

入院という状況に置かれると自分は本当は何がやりたいのかといった問いを突きつけられる。入院したらあることが出来なくなって困ったことになるといったことが全くないのならば、自分の日常生活の持つ意味は何なのだろうと考えてしまうことがある。

入院生活と家での生活と何処が違うのだろうか。誰でも治療の必要性があって入院せざるをえない。速やかな治療を行うために早期の入院を望んでいる。また入院していれば体調に変化があったりした場合や苦痛や痛みにもすぐに対応できるから安心であるのは確かだ。しかし誰でも早く家に帰りたいという思いは持っている。

入院生活と自宅の生活の違いは何か。家事はやらなくていい、食事は3度提供される。食べたいものがあれば、差し入れしてもらうこともできるし、売店で買ったり、食堂で食べることもできる。それでも入院患者は早く退院して家に帰りたがる。

その大きな原因は、空間的制限だろう。病院から外に出られないという閉塞こそが入院の最大の特徴だ。また白血球が少なければ空気清浄機付きのベッドから基本的に離れらない。さらに言えば22時就寝6時起床という時間的制約もある。食事時間、定期的検温など病院の日程に従って行動せざるをえない。その他、治療に関連するものと関連しないものがあるが、病院の規則がありそれに従わざるをえない。

治療という事を除けば、全寮制の学校や寄宿舎などに生活する人も似たようなものだ。休暇の時にしか外出できない。時間的にもスケジュール通り行動することが義務付けられている。集団管理をする場所の特徴が病院にもあるという事に過ぎない。

それでも病院という特殊な空間には独特の意味がある。それは生と死を見つめる場所であるということである。それを意識しながらの生活なのである。治療に伴う苦痛が続いたり中々回復に至らない場合、死の問題が意識の奥底で動き始める。そういったものとして病院の生活は存在している。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

私の近所の木々はもうすっかり葉を落としてしまいましたが、今年の紅葉はまずまずでした。東京は今が見ごろですか。

入院もうすぐですね。私も「多少の不便や苦痛があったとしても、動き回ることができればいいけどもし動けなくなったら…」と、病室の窓から空を眺めて考えたことがありました。

ともかく、陰ながら応援してます!!

No title

病気を抱えた身、先がどうなるか実際の所は分からないこともあります。しかし医者を信頼し自分でも色々病気に対する知識を得ながら、可能な限り延命への道を探っていくほかありません。治療を止めたらその時は、先がないということです。可能な限りの努力をしてそれでも駄目だったら、それは運命なのであり、あきらもつくでしょう。そういった人生を生きていくほかないと思っています。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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