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藤沢周平 『三屋清左衛門残日録』

12月15日(木)
51_convert_2011121209<br />jpg 三屋清左衛門は、用人として仕えた先代藩主の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出て、国元で隠居生活に入った。隠居の日々は暇になるかと思われたが、実際には友人の町奉行が抱える事件や、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走することになる。さらには、藩を二分する政争にも巻き込まれていく。

この物語の面白さは、清左衞門が遭遇する様々な事件に対する判断力、解決力にありどのように解決するのかといった謎解への興味がある。しかしもう一つの大きな視点がある。老境に入って人はどう生きるべきかということである。

「日残りて昏るるに未だ遠し―。家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。しかし、藩の執政府は粉糾の渦中にあったのである。老いゆく日々の命のかがやきを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説」と本の解説にあった。「老いゆく日々の命のかがやき」そういった生き方がどのようにしたら可能なのだろか。その答えは本の中で直接的には表現されていないが、物語を通して読み終わった時に感じるものがあるだろう。

この本でのもう一つの視点、老境に入った時人はどのような生き方ができるか、どのように生きて行くのか、そういた問いかけが様々な形で発せられていることである。清左衛門の生き方と同時に彼と同じ位の年の人達の生き方を通してそれが書かれている。彼と同年輩の登場人物が出てくる。少年時代からの友人、同じ道場に通った仲間、同じ部署で働いていた同僚、多くが隠居の身になっているが、生き方は様々である。

孫の病気治療のため借金し、それを埋めるため賄賂をとっている者。零落し出世した清左衞門を激しく憎み殺意まで抱く者。30年前の剣術の試合に敗れ、その汚名を晴らすため試合を挑む者。ある者は中風で歩行が困難になる。やがて自分にも来るであろう身体の変調の予感におびえたりもする。こういった清左衞門の心境の変化を、年を取るということがどういうことかを色々な切り口で表現している。

清左衞門は隠居生活の徒然に、「残日録」と題した日記を付け始めた。これは嫁の里江が心配したような「死ぬまでの残りの日を数える」という意味ではなく、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」という意味で名付けたものである。 隠居生活に入ったからといって、後は残りの人生を生きるといったことではない。むしろ今までやりたくても出来なかった様々なことに挑戦し新しい人生を始める、その決意が「残日記」という名にあらわれてる。

こういった心構えに至るまでには彼の心情は、様々な紆余曲折を経ている。そのところを本文から引用してみる。病気になり今までの生き方を変えざるを得なかった時のことが思いだされる。

これで三屋家は心配ない、その安堵のあとに強い寂寥感がやってきたのは、思いがけないことだった。清左衛門が生涯の盛りはこれで過ぎ、あとは国元に逼塞するだけだと考えていたことも事実だった。(P10)

夜が更けて離れに一人でいると、清左衛門は突然腸をつかまれるようなさびしさに襲われることが2度、3度とあった。そういうときは自分が、暗い野中にただ1本で立っている木であるかのように思い做されたのである。(P12)

隠居した清左衛門を襲って来たのは、開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。実際には隠居は清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣をすべて変えることだったのである。(P13)

ついこの間まで身をおいていたその場所が、いまはまるで別世界のように遠く思われた。その異様なほどの空白感は何か別のもので、それも言えば新しい暮らしと習慣で埋めていくしかないことも理解できた。(P14)

たしかにのんびり出来るが、やることが何もないというのも奇妙なものででな、しばらくはとまどう。やることがないと、不思議なほど気持ちが萎縮してくる。ともかく平常心がもどるまでしばらくかかった。(p20)

清左衛門は一念発起して、10日に一度は無外道場に通い、他は釣りに出かけたり屋敷畑に降りたりしてもっぱら身体を動かすことに専念していた。せまり来る老境にそなえて、頭よりまずは足腰を鍛えているという形だった。(p44)

経書をかかえて保科塾にかようことになるかと思うと、気持ちが若返る感じがするばかりでなく、前途に、宮仕えの頃は予想もつかなかった新しい世界がひらけそうな気もしてくる。(p73)

老境をいかに生きるかもちろんそれに対する答えなどはない。生き方など100人いれば100通りである。自分から決意して望んで隠居の身になった清左衞門ではあるが、隠居したばかりの頃は鬱々としがちで、息子夫婦を心配させた。

しかし、30年ぶりに昔通っていた無外中根道場や保科塾に通い始めたり、釣りの楽しみも覚えたり、友人である町奉行の佐伯が持ち込んでくる事件の調べを行なったりし始め、充実した毎日を過ごすようになった。こういった悠々自適な生活など誰もができるわけではない。しかし生活の安定とは別に生活の質の豊かさは誰にでも求めることも、実践することも出来る。本人の決意次第というところもある。最後に清左衞門が元の同僚が今にも転びそうになりながらも必死に前に進もうとしている姿を見て自分のこれからの生き方を考える。

中風で歩くことが出来なかった元同僚の平八が歩く習練を始めたのを見て清左衞門は思う。「衰えて死が訪れるその時は、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間は与えられた命をいとおしみ、力を尽くしていきぬかねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと思っていた。」(p436)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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