入院18日目・退院日
12月29日(木)
退院日である。IgMの値も下がったし、来年の治療方針も決まったので安心して退院できる。今回も入院中ほとんど運動していない。18日間であるが体を動かしていないということは退院後の日常生活で影響がでるだろう。退院前の生活を行なおうとしても体がついていかないかもしれない。徐々に回復を目指すほかない。
病室は4人部屋だ。その内3人は正月には自宅に帰れる。残された人は70歳位の人で下半身が麻痺していて車椅子で移動する生活だ。彼のことについて連れ合いの人と話したことがある。8月までは腰痛の持病はあったが全く普通の生活をしていた。定期的にプールにも行って体調管理を行なっていた。ある時腰の痛みが強くなってきたので医者に行った。「脊椎管狭窄症」と診断された。手術をすることに決まった。しかし手術後下半身が麻痺して全く歩くことが出来なくなってしまった。
リハビリ病院に入院し、リハビリで機能回復を目指した。そこでの治療の過程で血液がんが見つかったので、先月その治療のためこの病院に転院してきた。血液がんの方は放射線治療と抗がん剤で寛解状態になり、治療は終わり経過観察の状態である。しかし下半身麻痺は全く改善の方向が見えない。
この病院でも形成外科の医師が診断しているが、胸から腰にかけてのコルセットを指示する位である。毎日リハビリも行っている。しかしリハビリ設備は専門病院の方が整っていることは確かだ。そこで正月明には、リハビリ専門病院に転院することになっている。すでに8月から5ケ月も入院している。それでも回復の展望が見えない。
歩けなくなるということがどれ程絶望的なものか、この患者の気持ちを推し量ることは出来ない。今まで何の問題もない生活をしていたのに、ある日から全く歩くことが出来なくなる。歩けなくなるだけでなく完全看護が必要な体になってしまった。日常生活はいわゆる寝たきり老人と同じなのだ。
食事は自分で食べられるが、尿道カテーテルを挿入され、オムツをあてられ、下の世話は看護師にしてもらわなければならない。ベッドから車椅子への移動も一人では出来ない。風呂に入れないから体を定期的拭いてもらわなければならない。病院だと何日かおきにシャワー室で体を洗ってもらえる。
歩けなくても自分でトイレに行ければどれだけ違うだろう。自分で車椅子に乗れれば自分の行きたい時に、行きたい所に行くことができる。それもままならない。元の体に戻れるという希望が彼の心の支えになっているのだろう。リハビリが効果を上げ歩行機能が回復する事を願う他ない。
病院で色々な人の病状を聞くと、私などよりもずっと困難で苦しい病気を背負い、辛い治療に耐えている。それを支えるものは何だろう。何が彼らをそういった病気に立ち向かわせているのだろう。「あるがままの状況に身を委ねる」といった心境にまで至るにはそう簡単ではないはずだ。こういった人たちの姿は、自ら病気にいかに立ち向かって行くのかについて襟を正して振り返ることを要請してくる。そういった気持ちで退院を迎えることにしよう。
入院から退院までのベンダムスチンの治療経過については、「治療経過ダイジェスト・5」にまとめてあります。参照してください。 http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1172.html
退院日である。IgMの値も下がったし、来年の治療方針も決まったので安心して退院できる。今回も入院中ほとんど運動していない。18日間であるが体を動かしていないということは退院後の日常生活で影響がでるだろう。退院前の生活を行なおうとしても体がついていかないかもしれない。徐々に回復を目指すほかない。
病室は4人部屋だ。その内3人は正月には自宅に帰れる。残された人は70歳位の人で下半身が麻痺していて車椅子で移動する生活だ。彼のことについて連れ合いの人と話したことがある。8月までは腰痛の持病はあったが全く普通の生活をしていた。定期的にプールにも行って体調管理を行なっていた。ある時腰の痛みが強くなってきたので医者に行った。「脊椎管狭窄症」と診断された。手術をすることに決まった。しかし手術後下半身が麻痺して全く歩くことが出来なくなってしまった。
リハビリ病院に入院し、リハビリで機能回復を目指した。そこでの治療の過程で血液がんが見つかったので、先月その治療のためこの病院に転院してきた。血液がんの方は放射線治療と抗がん剤で寛解状態になり、治療は終わり経過観察の状態である。しかし下半身麻痺は全く改善の方向が見えない。
この病院でも形成外科の医師が診断しているが、胸から腰にかけてのコルセットを指示する位である。毎日リハビリも行っている。しかしリハビリ設備は専門病院の方が整っていることは確かだ。そこで正月明には、リハビリ専門病院に転院することになっている。すでに8月から5ケ月も入院している。それでも回復の展望が見えない。
歩けなくなるということがどれ程絶望的なものか、この患者の気持ちを推し量ることは出来ない。今まで何の問題もない生活をしていたのに、ある日から全く歩くことが出来なくなる。歩けなくなるだけでなく完全看護が必要な体になってしまった。日常生活はいわゆる寝たきり老人と同じなのだ。
食事は自分で食べられるが、尿道カテーテルを挿入され、オムツをあてられ、下の世話は看護師にしてもらわなければならない。ベッドから車椅子への移動も一人では出来ない。風呂に入れないから体を定期的拭いてもらわなければならない。病院だと何日かおきにシャワー室で体を洗ってもらえる。
歩けなくても自分でトイレに行ければどれだけ違うだろう。自分で車椅子に乗れれば自分の行きたい時に、行きたい所に行くことができる。それもままならない。元の体に戻れるという希望が彼の心の支えになっているのだろう。リハビリが効果を上げ歩行機能が回復する事を願う他ない。
病院で色々な人の病状を聞くと、私などよりもずっと困難で苦しい病気を背負い、辛い治療に耐えている。それを支えるものは何だろう。何が彼らをそういった病気に立ち向かわせているのだろう。「あるがままの状況に身を委ねる」といった心境にまで至るにはそう簡単ではないはずだ。こういった人たちの姿は、自ら病気にいかに立ち向かって行くのかについて襟を正して振り返ることを要請してくる。そういった気持ちで退院を迎えることにしよう。
入院から退院までのベンダムスチンの治療経過については、「治療経過ダイジェスト・5」にまとめてあります。参照してください。 http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1172.html
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ジャンル : 日記