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豊島区散歩-1 長崎アトリエ村跡

1月22日(火)
nagasaki2.jpg 椎名町駅から10分ほど歩いた住宅街の真ん中の四辻に一本の古い今にも倒れそうな桜の木が立っている。ほとんど枯れているのかなと思われるが春になると桜の花が咲く。その桜の木が去年倒れ掛かったのかもしれない、横にあるミラーの鉄柱に繰りつけられやっと立っている有様だ。

 以前そこを通りかかったところ、5,6人の団体がその桜の木をしげしげと眺め中心的な人がなにやら説明していた。きっといわくのある桜の木だろうと思った。その傍に児童公園があり、その公園に「長崎アトリエ村」といった看板がありそこに桜の木に関する由来が説明されていた。

長崎アトリエ村の由来
 かって長崎2丁目25,26,30番にかけてアトリエ貸家群があり「さくらが丘パルテノン」と呼ばれていたそうだ。ここは1936年から40年にかけて、資産家、初見六蔵が立てたもので、当時は60件以上の借家があったという。家の道路沿いに一本ずつ桜の木が植えられたためこの名称で呼ばれた。ということであの桜の古木は70年間の歴史を見て来たのだろう。

 1930年代に豊島区の西部にあたる旧長崎町(きゅうながさきちょう)を中心として、絵や彫刻を勉強する若い芸術家の卵たちに貸しだす住宅が多く建てられたアトリエ村と呼ばれた。要町一丁目には「すずめが丘アトリエ村」、千早町2丁目には「つつじヶ丘アトリエ村」がありこの3箇所が主要なものであった。

 「すずめが丘アトリエ村」は1930年に奈良慶が孫のために建てたアトリエが始まりで、竹藪があり雀が踊っていたのでこの名がついた。有名な培風荘や共同研究グルーブ「赤豊会」のアトリエがあった。画家の鶴田吾郎氏が藤田嗣治らとともに、1946年にアトリエを開放して「アカデミー46アートスタヂオ」という研究所をつくり、藤田がフランスに渡るまでの3,4年間続いたそうだ。

 このアトリエ村の借家は、赤いセメント瓦に木の壁の平屋で、北側が15畳ぐらいのアトリエになっていて、大きな窓と天窓があり、石炭ストーブやシャンデリアがついていたという。しかし居室部分は狭く、多くは3畳から4畳半で、それに便所と台所を兼ねた入口が付いている簡素な住居だった。家賃は13~22円位ということだった。彼らは集団で住み、創作活動に励み、議論をたたかわせともに遊びもした。ここでの活動を足がかりとして後に多くの芸術家が巣立っていった。

nagasaki.gif 昭和の始めから戦争頃まで、豊島区西池袋(椎名町)周辺に画家、音楽家などさまざまな種類の芸術家が集い、いくつものアトリエ村が誕生した様を池袋モンパルナスと称した。「池袋モンパルナス」という表現は、詩人の小熊秀雄が言い出したものとされている。

 しかし多くの芸術家が戦争で召集され芸術運動としては終末を迎えた。軍国主義の政治環境の中で退廃的・不健全と評価されたことが影響している。

 現在では熊谷守一美術館があり、目白文化村に続く一連の昭和モダニズムを知ることができる。熊谷守一は池袋モンパルナスの只中に居を構え制作活動をしていた。次女の熊谷榧が父親の旧居に美術館を設立した。(参考文献:豊島区郷土マップ・ホームページ)
 

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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