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映画 『サルバドールの朝』

2月12日(日)
2月9日血液内科の診療が早く終ったので、映画週間としてユーロスペースで上映されている死刑関連映画を見に行くことにした。“「死刑の映画」は「命の映画」だ ”フォーラム90ではユーロスペースと死刑映画週間を共同で企画し実施した。場所は渋谷区円山町のユーロスペースで2月4日から10日まで行われた。

「犯罪や、その結果としての死刑という処罰方法は、私たちの日常と遠くかけ離れたものだろか? 世界中の映画監督や作家が犯罪や死刑をテーマに優れた作品を創造してきているのは、それが結構、社会が抱える身近な問題だからではないだろうか。」こういった趣旨で映画は行われた。

上映される映画は以下の10本で映画週間中1日4本上映される。
「私たちの幸せな時間」(ソン・ヘソン 2006)
「真幸くあらば」(御徒町凧 2010)
「エロス+虐殺」(吉田喜重 1970)
「帝銀事件 死刑囚」(熊井啓 1964)
「BOX 袴田事件 命とは」(高橋伴明 2010)
「絞死刑」(大島渚 1968)
「サルバドールの朝」(マヌエル・ウエルガ 2006)
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ラース・フォン・トリアー 2000)
「ライファーズ」(坂上香 2004)
「休暇」(門井肇 2008)

何本かの映画は既に見たことがある。今回見たかったのは『サルバドールの朝』という映画だった。血液内科の診療の後輸血を行なわなかったので、13時30分からのこの映画の上映に十分間に合った。A君との面会の後、病院の最寄駅まで歩き、山手線で渋谷まで行った。ゆっくりと昼食を採り、映画館の1階にある喫茶店でコーヒーを飲んで上映時間を待った。

51_convert_20120211231650.jpg 『サルバドールの朝』を見た。この映画は実話に基づいたものである。
1970年代初頭、フランコ独裁政権末期のスペインで、正義と自由を信じ、世界は変えられると理想に燃えていた青年サルバドールは、MIL(the Movimiento Ibérico de Liberación・イベリア解放運動)と呼ばれる若者の反体制グループに加わり仲間たちと反体制運動に身を投じていた。

資金調達のため武装して銀行強盗を繰り返す彼らに警察の捜査の手が伸び、警官に逮捕される際不慮の発砲により若い警部を死なせてしまう。彼は正当な裁判を受けられないまま死刑(鉄環絞首刑)を宣告・執行される。その過程を克明に描いている。

スペインにおける反体制運動は、スペイン内戦までさかのぼって考えなければならない。スペイン内戦は1936年7月17日から1939年4月1日まで続き、共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結し、フランシスコ・フランコに率いられ独裁政治を樹立した。フランコ政権の政党ファランヘ党は自らの影響力を拡大し、第二次大戦時にはドイツ・イタリアのファシズム政権と同盟関係を結び、自らも国内にファシズム体制を築き上げていった。

ファシズムは第2次世界大戦後、沈静化したかのように思われている。だが、スペインでは戦後も30年にわたってファシズムは続いていた。右翼・軍事独裁政権という性格上、国内の自由主義者への弾圧は厳しいものがあり、戦時中から軍隊や秘密警察を使って厳しい思想統制を行なった。60年後半から労働運動、学生運動などの反政府活動が活発になっていった。 それに対して政府は組織の非合法化、非常事態宣言、関係者の処刑などで弾圧を強化していった時代だった。

スペインの状況は世界の状況と無関係ではない。1968年フランスの五月革命は、「世界的学生反乱」を大きく波及させた。「反乱」はフランスのみならず、5月11日には西ドイツのボンで50,000人の抗議行動、5月16日にはイタリアのフィレンツェでの大学学生抗議行動、5月18日のローマでのストライキが行なわれた。アメリカにおけるベトナム反戦運動も大規模に行なわれている。又、1968年8月の「プラハの春」などに飛び火し、世界的にも同時多発的な「学生運動」「政治の季節」の導火線となった。

日本では1969年1月の東京大学安田講堂占拠闘争に象徴されるような全共闘の活動が広がっていった。しかし政治の季節の大きな波は70年代になり徐々に後退していく。全共闘運動も大学の占拠が解除され、71年の沖縄返還調印・批准阻止闘争を最後に大規模な街頭闘争を組むことができなくなり、散発的なゲリラ闘争に終始しやがて学生運動自体が沈静化していく。

このような大衆運動の低迷のなかで、学生運動は先鋭化し、過激化していく。それは68~70年の全世界的に広がった大衆運動が結局は体制を変えることができなかったという絶望感を背景に持っているのも確かだろう。70年になって日本赤軍、東アジア反日武装戦線、ドイツ赤軍、イタリアの赤い旅団などが次々と結成される。スペインにおけるMILの結成もそういった流れの中で捉えることができるだろう。それぞれの成り立ちについて簡単に書いてみる。

ドイツ赤軍: 1968年頃に一部の若者を中心として先鋭化した反帝国主義、反資本主義、反米をスローガンに掲げた極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」が形成された。そのため銀行強盗、爆破、誘拐、窃盗など非合法活動も含めたあらゆる革命行動を行った。

イタリア(赤い旅団): 1970年に創設されたとみられ、当初の主な活動はミラノやトリノでの極右勢力に反対する労働組合の支援であった。構成員は労働者と学生で、工場の設備を破壊し、工場の事務所や組合の本部に入り込んだ。1972年以降数多くの誘拐・殺人事件を起こし、ジャーナリストや、警察官、裁判官、実業家、政治家などを殺害した。

日本赤軍: 1971年、共産主義者同盟赤軍派の「国際根拠地論」に基づき、海外にも運動拠点と同盟軍を持つ必要があると判断し、パレスチナへ赴き、同地で創設した。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、テルアビブ空港乱射事件や、日本の国内外における身代金獲得や同志奪還を目論む一連のハイジャック事件、大使館など外国公館を攻撃をする事件を起こした。

東アジア反日武装戦線: 1974年、戦前戦後を通して行われているアジアヘの日本の侵略(経済浸路・新植民地主義支配)を阻止しようと、三菱重工等の侵略企業の爆破闘争を行った。またそれに先立ち、侵略戦争の最高責任者であり戦後も日本の頂点に立っていた、天皇ヒロヒトの御召列車爆破を企図した。

東アジア反日武装戦線の三菱重工爆破事件で8名が死亡し、385名が重軽傷を負った。これは全く予想できなかったことである。通常は放射線状に拡散する爆風が、ビルの谷間に阻まれ、ビルの表面を吹き上げ爆風の衝撃波で窓ガラスを破壊したほか、ビル内に入った衝撃波も階段などを伝わり窓から噴出し、ビル内部も破壊することになったのである。

また反日メンバーは守衛室へ8分前に爆破予告電話をかけたが、最初は「悪戯電話」として切られ、もう一度かけたが今度は取次ぎに時間がかかり、爆破予告が有効とならなかった。こういった一連の彼らの行動から殺意があったかどうか、現在再審で争われている。

彼らは8名の死者を出してしまったことに深く反省し、その後の爆破闘争では、時間を夜間にしたり、爆発の威力を小さくしたり、人の来ないような場所に仕掛けたりといった方法をとりながらも、アジアへの侵略企業への爆弾闘争を継続していった。

三菱重工爆破事件の実行犯とされている「狼」のメンバー大道寺将司君、益永利明君は死刑判決を受け、現在再審中である。『サルバドールの朝』の映画を見ながら、サルバドールが不慮の事故で警官を殺してしまったことと、「狼」メンバーが予想も出来なかった爆発の威力で人を殺してしまったということが重なり合った。彼らの殺人もまた不慮の事故ではなかったのか。確かに殺意はなかったと判断できたとしても、彼らの罪は消える訳ではないが。

サルバドールの場合、きちっとした裁判を行なえば、警官を死に至らしめた銃弾が、サルバドールの銃から発射されたものではなく、混乱のもみ合いの中で、仲間の警官の銃から発射されたものであることになったかもしれない。

警察はサルバドールに警官殺しの罪をかぶせるために、彼が撃った弾以外の弾(警察官が撃った弾)があったにもかかわらず、隠蔽し、検死結果を改ざんした。こういった問題点がありながら一切の審理も行なわれることなく死刑判決が下された。1973年ETA(バスク祖国と自由)によるルイス・カレロ=ブランコ首相暗殺があり、その報復としてサルバドールへの死刑判決は下されたといえるだろう。

この映画の中で最も衝撃的だったのは、死刑が執行される様子が詳細に再現されていることである。処刑道具は鉄環絞首刑(スペイン語:Garrote、ガローテ)と呼ばれるもので、椅子に座らせた死刑囚の首を鉄の輪で絞めて後ろを捻ることで首を絞める絞首刑の一種である。鉄の輪と棒で首の骨を折るという残酷な処刑の場面まで容赦なく描き出されている。政治的思惑によって真実はねじ曲げられ、25歳の若者は見せしめとして処罰された。

看守のヘススですら愛さずにはいられなくなる彼は、正義感に溢れた文学好きの心優しい兄であり弟であった。その彼を何故処刑しなければならないのかと監督は訴えかける。サルバドールの処刑は1974年だが、スペインが死刑を廃止したのはその4年後だった。(全ての犯罪に対する廃止は1995年)。

死刑執行までの残された時間の中で、家族、親友、恋人、弁護士、さらには刑務所の看守までもが彼の死刑回避のため闘い続けた。マスメディアや文化人知識人などの声を無視し死刑執行を強行し、一般者を葬儀にも参列させないなどの暴挙が繰り返された。自由を求めたサルバドールの死刑執行は、民衆の怒り呼び覚まし、1975年フランコの死後独裁政権崩壊のきっかけとなった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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